【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 60laps
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あの頃のF1って良かったよね
・セナvsプロストvsピケvsマンセル
・ターボから自然吸気へ
・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
∧_∧ ※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
(´・ω・) 他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
(__) スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 59laps
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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured セナ2位 中嶋24位とかもギャグだな
クラッシュして予選落ちしたほうがマシじゃん >>33
ブラバムは89イギリスF3チャンプ&マカオウイナーで流石サラブレッドは違うなーと思ってたが、F1の遅さには拍子抜けしたな。
まあ箱では安定の強さだったけど DFRでも色々なエンジンチューナーがイジってたからね。
ティレルはブライアン・ハートだっけ? 何かの雑誌で、ウィリアムズの誰か忘れたが、1987年の西ドイツGPで桜井から来期はエンジン供給しないと言われたと書いてあった
モナコあたりからうすうすその噂は聞こえていたらしい >>36
DFRが一般に供給されたのは89年から。88年まではDFRを使えたのはワークス契約のベネトンだけ。
89年も、多くのチームはコンバージョンキットを使ってDFZをDFR化していたね。 中嶋擁護すれば、中嶋の全盛期って85年くらいだと思うんだよね。もう2年早くF1行けてれば相当違ったと思う。
星野と違って中嶋の全盛期は短かった気がする。 このスレでは定期的に中嶋の中傷が始まるけど、ピークを過ぎた年齢と全くノウハウがないF1文化を考えたら
同情の余地はあると思うんだけどな。 中嶋のマシンにセミオートマが乗ってたらまたちょっと違ってたかな >>31
あと99T本では、中嶋のF1デビューが考慮されておらず、87からロータスではなくマクラーレンに供給しマンセル、ピケ、セナ、プロストの、当時の四天王がホンダユーザーになる可能性もあったそうで
凄く観たかったな
88にもしウィリアムズが中嶋を受け入れた場合、追い出されるマンセルはどうなったんだろ?
マクラーレンはロンとの関係で有り得ないし、不振でも同国人バーナードがいるフェラーリだっただろうね
1年早くベルガーとのコンビが実現してたか
あとプロストが88からセナではなくピケを受け入れた場合、セナは中嶋とロータスで変わらずだったか
まぁホンダがマクラーレンにセナを加入させるのも供給条件だったから、ピケの可能性はゼロだったけど
>>39
日本で本当に最後までDFVの面倒を見ていたケン松浦レーシングサービス
(メインストリームでの直接的な活動からは手を引いたものの、今も下請け活動はしてるし
クラシックレーシングカーのエンジンメンテナンスは継続しているとのこと)によれば
国際F3000の時点でも各チューナーでインナーパーツはほとんど自製していたとのことだし、
松浦DFVもチームによってオーバルのFordロゴだったり「COSWORTH」だったり
「F1/////」のヘッドカバーが混在しているというように部品の互換度が高かった
(要は本来DFR用のはずの「F1/////」ヘッドカバーがDFVにも付いた)ということだから、
少なくともブロック本体さえあればほとんどどうにでもなったということなんでは。 >>40>>41
91年のティレル020ホンダはモデナでも持て余すくらいの代物だった、というのを考えると
NA3.5リッター規定になって以降は結構よく走った、
ターボ時代も、「4bar+大して良くないロータス」でも時々良く走った、
「2.5bar+かなり良くないロータス」でもしばしば良く走った」、という結果の
キャリアベスト4位が2回、ファステストラップ1回というのは年齢からいっても決して悪くはないかと。
これが問題だとすれば、チームメイトが2回予選突破してるクルマで
16戦全部予備予選出来るドライバーに、全16戦で起きた問題の全てについて
説明を求めたって良いだろう。
初代スティグだって自伝を書いたりあちこちで説明をしてるくらいだ。
実際に日本人ドライバーでチームメイトと明らかに同等以上の活躍を出来たドライバーって誰だろう…と思ったら
90年のAスズキさんは確かに鈴鹿の表彰台が効いてるけど入賞回数自体はベルナールと変わらなかったり
(ベルナールはベストリザルトが4位なので、そこで1ポイント違う)、
何だ案外そういうところなんだと。
それだったら中嶋シニアは結構頑張った方かもしれないと思う。
前にも書いたかもしれないがモーターマガジン誌の「世界の自動車図鑑」みたいな別冊の
「この1年のモータースポーツ」みたいな記事で、1990年のF1について
アレジは序盤に活躍したもののシーズン後半にはアクシデントが多くノーポイントレースが重なり、
ここでは中嶋が貴重なポイントを獲得した、とかいう記述もあったりもした。
面白いのは、中嶋・アレジの2人とも「乗って素晴らしかったマシン」には018の方を挙げてる点。
速く走れるかどうかと乗って楽しいかどうかは違うっていうのが何とも印象的。 ウイリアムズへの供給をやめたのは
・欧米と対等なパートナーでありたかったホンダに対してウイリアムズがそれを認めなかった
・初めはエンジン供給だけったがその内エキゾーストや冷却系ギアボックスなどをホンダが作り始めた
(シャシー設計と関係があるのでエンジン単体だったがウイリアムズ側の設計が良くなくてホンダがこの領域に介入)
・FW10リアサスペンション問題にホンダの操安が来てヘッドを論駁し滅多打ち→改良して勝ち始める
・中嶋を取らなかったこと(これはウイリアムズの判断が正しい)
・マクラーレンが対等なパートナーであることを承認したため 019は確かモノショックだったと思うけど
ハイノーズと相まってちょっとフロントのグリップが安定しなかったみたい >>36
・ハートDFR(うまくいけばポイント圏も90ティレルや91ラルース等)
・ハイニ・マーダーDFR(メガトロン後に手掛けたスイス系チューナー)
・ラングフォード&ペックDFR(少数派。90リジェくらいかな?)
・ノーマルDFR(予備予選クラスはここら)
少なくとも4種類はあったような >>48
箇条書き単純明快
幾何学模様クソ食い長文ゴキブリ先生にも見習ってほしい 中嶋はF-1に上がる直前、ウィリアムズFW11で、決勝用タイヤ、並びにブーストで1分45秒台の好タイムだしてるんだよな。ちなみにピケは予選用タイヤ、ブーストで43秒台だったような。中嶋をウィリアムズが受け入れてくれてればなあ。 >>45
確かに、中嶋悟の90年後半戦2回の入賞は性能劣化の激しいタイヤと戦いながら、非力なマシンをポイント獲得まで持ち込んだ好例として評価されないといけんね。
でも、市街地コースでチームメイトに何秒も差を付けられるのが当時悔しくてしょうがなかったな。 >>50
マンセル+中嶋ってことになるんだろうね。
当時のマンセルを思い返すと、チームの外からは、ドライバーがチームの弱点とか言われそうw ノーマルDFRを最後に使ってたのは91年後半のフットワーク
(ポルシェ撤退後)なのかな? マンセルは荒法師のキャラだったが、周囲が作り上げたイメージであり、マンセルが乗る車が
ダメージが大きかったということはない。 F1 セナプロマンピケ
プロレス 鶴藤長天uwf
野球 西武黄金期斎藤槇原桑田
バラエティ カトケンとんねるずダウンタウン
クイズ アメリカ横断ギミアFNS
ジャンプ ドラゴンボールろくでなしジョジョ男塾
ボクシング タイソン
当時は何もかも面白かった >>48
91年(DFR最後の年)の場合
ハート・スペシャルDFR ラルース(通年) フォンドメタル(第5戦〜)
(通常のDFRに比べてブロック/ヘッド部分がオリジナル+バルブ挟み角狭角化+ショートストローク化 実質はハートオリジナルエンジン)
ハートDFR フォンドメタル(第1戦〜第4戦) コローニ(第5戦〜) フットワーク(第7戦〜)
(通常のDFRをハートがチューンしたもの)
ハイニ・マーダーDFR AGS(通年)
ラングフォード・ペックDFR コローニ(第1戦〜第4戦)
フットワークもハートスペシャルだったかも >>42
セミオートのパドル付きハンドルってレシオの関係ですごく重いぞ?
パワステとセットじゃないと駄目だったと思う、中さん的には。 >>45
90年の亜久里とベルナールの場合、予選ではベルナールの方が優位だが決勝では亜久里の方が前を走ってることが多くて
イギリスでもパンクがなければ4位は亜久里だったろう。
鈴鹿に至っては終盤パトレーゼがソフトタイヤに換える(これで順位逆転)まで最速だったし、リザルト以上に圧倒していた印象があるが。
正直、前年のアレと同じドライバーとはとても思えなかったw >>58
中嶋本人も当時、ウィリアムズのステアリングは切れる角度が少ないから自分の車より数段重い。マンセルもパトレーゼもいとも簡単に操る。俺には信じられないと語ってたみたいね。 中嶋によると
コーナーでブレーキ踏んだだけでステアリングが真っ直ぐになっちゃうらしいよ >>40
国内で走ってたら星野より長く活躍してたかもしれないよ とにかくF1乗るには遅すぎたし体力がなかったんだよ この当時は川井のキャラはピットレポーターで、F1解説陣の中では下っ端扱いだったよね。
古舘が司会するポールポジション(番組名)で、川井がゲスト解説で登場したのがF1中継以外で
出演した初めての番組だったと記憶してる。
当時は川井のキャラがウケて、ドッキリカメラでさせられていたな。
川井は今でもそれを恨み、フジの一部の番組スタッフを毛嫌いしてるだろうな。 ドッキリってマウロマルティニのレースカーに載せられて「ファイア!」ってやつか どうせならマツダMX-R01でハーバートにやってもらった方がもっと面白そうだ。
アレは降りるのに一苦労する。 今でもピットレポーターの川井ちゃんなんだよね
解説になって上から物言うような川井ちゃんは川井ちゃんじゃない
川井ちゃんは、古舘のポールポジションで、将来F1チームの監督やりたいみたいなこと言ってた記憶が ポールポジションといえば
吉田栄作の奥さん出てたよね
何にも喋らないの。
今、カリスマなんだってね。
軽部がミナルディで床掃除してたの覚えてる人いる? ポールポジションといえばマリオアンドレッティのポスターと
晴海国際見本市でもタイレルP34のデモラン >>62
逆に星野はエンジンのオマケでいいから
無理矢理F1に送り込んで中島との結果の
比較をみたかった当時は 平子理沙がいたのか、なぜか全く覚えていないわ。有賀と佐藤里佳は記憶にあるがね。 >>67
あれ日本グランプリ前夜祭かなんかじゃなかったかな?
佐々木さんのお世話になるやつ。 >>69
まあねえ。
ただ星野は全日本でも、さんざん準備する富士と鈴鹿では速かったけど、菅生や西日本などの走り込みが少ないコースではサッパリだったから、転戦するF1ではあんまり期待できないんだよなあ。 >>67
平子理沙はあの頃のお飾りお姉さんのイメージだから
今のカリスマ的な扱いはどうも馴染めない。
当人頑張ったんだろうな。
>>70
あとはマンセル大好き大坪千夏とか 大坪千夏「誰彼が好きとかまあキャラクター作りで言わされてたんですわ」 >>54
さしずめ持ってる薙刀がほとんど刃こぼれしないまま敵を山ほど薙ぎ払う荒法師だな。
ところでパドルシフト系は当時は配線の取り回しの都合でロックtoロックの回転数に
限界があったということか、単純に初期のセミオートマ勢はドライバーの筋力的に
操作力を低減する必要が薄かった
(例:フェラーリ→マンセル・ベルガー・プロスト・アレジ、ウィリアムズ→マンセル・パトレーゼ・プロスト)
だけで、技術的には別に中嶋の歴代マシンみたく1回転以上とか回っても問題無かったのか、それはどっちなんだろ。 俺もこの頃のF1以降はまったく知らないんだが、いまのマシンは何あれ?
ドライバーの前に変なプロテクターついててクソダサいね しかし冷静に考えると頭部むき出しって異常だよな。死ぬじゃん。 昨日のバーレーンでの火花は演出過多だよね
80年代のほうがリアルでかっこよかったと思う あれこれ創意工夫して盛り上げようと頑張ってるのは分かるけど
ファンが見たいのはそういう押しつけがましいサービスじゃなくて
リアリティなんだよね。 >>87
懐かしい画像は全て格好良く映るね。ホンダ6気筒1500ccターボか。
これ86、87年どっちのマシンなの? >>89
1987.
鈴鹿。
新型ヘルメットの試験供給もしたのよ。 この当時はまだ数値計算のハードも流体力学解析ソフトも発展途上だったからな。
マシン設計者はウイングやボディの形状を経験則で割り出していたのかな。
とにかくハイパワーの時代だったから、速く走るためには1馬力でもパワー上げる時代だった。 >>79
ハンドル側に設置されたパドルで、90度以上回した時に正しく変速できる?
俺なら左右分からなくなって間違っちまうよ。 >>85
すげー、船の窓みたい。
グラハム・ヒル? >>89
FW11だね
先代のFW10はドライバーの前が出っ張っていて野暮ったい そうだな。
2枚目の車体全景は1987。
Canonロゴの下に50って数字が入ってる。
これはキヤノン50周年てことで、1987年がその年。 >>87
マンセルは生粋のアライ党だよな。
あとGP2と今のF1モデル(GP-6RC)は基本形状がほとんど変わってないのも凄い 実際にはGP-4までとGP-5以降で意外と大きくデザイン変わってるんだけどね。
口元の部分が寸胴だったのが前に丸みを帯びた形状(ちょっとBELLっぽい感じ)になって
おそらく中が多少広くなって呼吸がしやすくなってる。
あとベンチレーションのスリットが左右3対だったのが、アイポート寄りの1対だけになったり
(他社とか2輪用とかのトレンドを見ても、ここが一番圧力の関係で効率が良い模様)、
一番印象的なのはシールドが上下に狭く、アイポートぎりぎりに近いサイズになったりと
まあ全体にスマートな雰囲気になってるね。
なんかこう空冷時代のポルシェ911系の変遷っぽいモデルチェンジ。
なおGP-2〜4系のシールドは既に生産終了なので当時物のレプリカ作ろうとしてる人は注意。
シールド目当てに本体買う羽目になったりするorz >>89
1枚目も87年。
BARCLAYのロゴがあるから。
この時代アライユーザーが被ってたヘルメットは市販されてる物と一緒なんだっけ?? まじでこの時代のほうがずっと面白かった。
今でも88年の全ウィナー言える(って3人しかいないがw) >>89
因みに、FW11とFW11Bの外見上の違い、ノーズコーン先端形状(カラーも)と、ターボシュノーケル有り仕様だとその形状も違うの。 87年のウィリアムズですぐに思い浮かぶのは、シルバーストーンのハンガーストレートエンドで
マンセルがピケをブチ抜いたシーンかな。MobilのCMでも使われた。 ベルの割とクラシカルなタイプを見ても割とこの当時とは形が変わってるのだ。
http://www.bellracing.jp/2017/__sport_gp3_sport.html
http://www.bellracing.jp/2017/__sport_sport5.html
個人的にはKF3→GP3のモデルチェンジでトップのところのサメエラ風のアウトレット(SPORT5にはまだあるやつ)
が無くなったのは惜しい。
>>96
てーことは模型屋さんのトランスキットとかデカールセット(よくある「T社FW11用」的な)
とかだとそのキヤノン50周年ロゴが入るんですね?
そーいや脱線になるけどWECのキヤノン956GTIはレースによってT70とか書いてた気がした。 アライのヘルメットはウィリアムズに所属すると皆被ってた記憶がある。
だけどピケは確かAGVで94年セナはベルだったような?例外とかあったのかな? >>104
コクピット開口部から一番下側にBARCLAYのロゴが入り、そのスポンサーカラーがノーズ先端まで伸びる
そのカラーの上、フロントタイヤの陰部分にSHOWAのロゴが入る
ドライビングポジションを下げ、ロールバーも低くなる
ロールバーのキルスイッチマークから小さいEが無くなる あとリヤウイングサイドに、キヤノンの50thロゴが一番目立つ違いかな
ウィリアムズは、マンセル、パトレーゼ、プロストが加入と同時に変えてるということは、ケケとの繋がりでアライとスポンサー契約長くやってたのかね
ブーツェン、ヒルはもともとだし、プロストも以前使用してて戻したけど
ピケとセナは本人のメーカー希望を優先したんだろう >>106
ついでに書くと、リアウィングエンドプレートの断面形状が違う(FW11Bは段付き)や、
右サイドのECUコネクター位置が異なる、FW11のシュノーケル無し仕様は、
サイドポンツーン側面給気(FW11Bはサイドポンツーン前部から給気)
なんて違いもあるわよ。
FW11Bだけでいうと、Rd.1〜4まではロールバー後方のテレメーターアンテナが、
サイドポンツーンに横置きされてて見えないってのもあるわね。 >>108
当時のウィリアムズはドライバーの装備には口出ししない印象。
レーシングスーツにせよ、
黄色ロズベルグ
白ピケ
赤マンセル
みたいにバラバラだし。
ホンダ繋がりで日本のアライを使う人もいた、くらいの緩い話なんじゃないの。 レッドブルリンク??つまらない。エステルライヒリンク時代のレイアウトに戻してほしい(笑) 後のショウエイ(91〜92年のジョーダン)やシンプソン(93年頃のロータス)、
シューベルト(フェラーリ)みたくアライがチームスポンサーしてたって訳でもないし。
ニューウェイ先生時代のマクラーレンがなるたけアライで揃えてたのは
一説には先生とロン・デニスのこだわりでドライバー間のバラツキをなくすためだったとか。
マンセルがウィリアムズに加入してからアライに替えたのは
ロスベルクが使ってるやつとかサポート部隊の仕事ぶりとかを見て
今使ってるやつ(ロータス時代はシンプソン→ベルだったと記憶)より良さそうだとかいう、
マンセルの意外にも論理的だといわれる側面からの判断では。 俺の中でF1が急につまんなくなったのってセナとホンダが無い&エコブームがでかいな。
レギュレーション変えすぎと、個人やチーム間でのいさかいがなさ過ぎ。
今年はホンダとマクラーレンの件があるから久々にレース結果を追ってるわ。 ロータスはアクティブサスの失敗が終わりの始まりって話をよく聞くけど
もし87年のロータスがアクティブサス未搭載、またはFW14Bのように完動していたら
今でも名門チームのままだったのだろうか… >>115
じゃあパトレーゼは、同じパターンでマンセルのアライサポートぶりを見て、ベルから変えたんかな
プロストはホンダ2年目からアライに変えて、装着フィーリングに満足してたのに91シーズンから加入したアレジと共にショウエイに変えたのが意外だった
あの年のショウエイF1展開は凄かったから、フェラーリまで及んでたんだろね
プロストも性能よりショウエイごり押しにかなわなかったかw
翌年セナに多額のサポートをした結果、遂に経営破綻したなー >>117
以前のように手堅い作りに戻った100Tがあんな感じだったからなぁ。
チャップマンが存命だったらどんなだったろうと考えたりもするね。 >>117
99Tのパッシブ仕様もテストはしたんだけど、結局アクティブに決定したようで結局何にせよ駄目シャシーってことだったんだろう
84年の95Tはベストハンドリングって評価で、前年98Tまではセナが何度もポール取るくらい良好だったんだが(QFセナスペシャルカーなのもあったが)
バルクヘッド構造とか、オス型のカーボンモノコックシャシーも既に時代遅れだった ロータス101ってジャッドエンジンが非力だっただけでそこまで酷いマシンじゃなかったと思う
実質マイナーチェンジに過ぎない102が1992シーズンまで使われたわけだし >>54
ジェームズ・ハントはよく嘔吐していたらしいが、
マンセルは小便をよく漏らしていたというのをどこかで聞いた。
マシンの性能に影響しなかったのか? >>81
マクラーレンのMP4/4を初めて見た時の衝撃たるや
MP4/3からあまりに低くなったので安全性を心配した。
後追いで元ネタのブラバムBT55を知ったが、低さが原因では無いが
デ・アンジェリスが事故死しているんだよな。
MP4/4は低ドラッグだけでなく3軸ミッションでディフューザーも
よく練られたデザインでダウンフォースも十分にあった。
いつぞやの機械学会かなんかで実車が上智大学に展示されていて
細部までの作り込みの良さに感動したわ。
当時ベネトンのデフ前ミッションによる全幅ディフューザーばかり
話題になっていたけれど。なぜかMP4/5で下面の空力が雑になったのが疑問。 >>121
当時の記事を見るとフロントサスペンションのピックアップポイントに無理
があるとの事だった。100Tでも低重心化したホンダエンジンを底上げして
旧来の2軸ミッションに合わせるなどの無理があったので、いくら先進的な
アクティブサスを開発していようとも小手先ばかりで基本性能をたかめる
ビークルダイナミクス
はもはや時代遅れだったのは否めない。 >>117
シャシー自体がすでに時代遅れだったからどっちにしても無理
ただオス型成型が古いだけじゃなくて
リベット固定とか中小チームレベルでもやってないような古臭いことやってた
ってかこんな車でセナがよく勝ったもんだと思う たしか前年撤退のハース・ローラの施設はブラバムが買ったんだけど
あれをロータスがかってTHL-2の改良に走ったらたぶん変わってたかもしれないとは思う 良くも悪くもカリスマだったチャップマンの没後、ロータスの凋落は止まらなかったからなぁ。 なんで109があそこまで走らなかったのか
そしてモンツァでの予選4位、、、惜しかった フォードHBに対して無限V10が重過ぎたんだろね
90-91のティレルパターン ワーウィックが愛用してたLEZER(レイザー)もカッコ良かったな。顎の所が
尖ってて。 >>131
アンジェリスは予選でセナと渡り合えた数少ないレーサーだな
生で見たかった
>>132
一番好きなヘルメットはワーウィックだわ
ダルマスも同じ形だったね 今の奴が付いてたらセナもしななかったんだろな。
つーか、つけるの遅くね?セナ事故を教訓にしてあとすぐに考案すべきだったろ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています