【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 60laps
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
>>257
まーそうじゃなくて食中りとかのリスクが少ないから普通に備品だったんだろうけど
コレもう普通にCMにしちゃえよと思ったw
確かパリダカをモチーフにしたのあったよな。 >>264
2016年の日本グランプリはマノーQ1敗退だから
1992年の予選初日だけのタイムとそんなに条件変わらんよ >>274
マノーがどうとか知らんよ。
自分は1992年の予選は2日目に雨が降ったと書いただけ。 最初は全戦予選落ちだった鈴木亜久里
マクラーレンやフェラーリに乗ってたら一度くらいは優勝できたかな
中嶋悟にも言えるけど そこは中嶋シニアだったら
「マクラーレンやフェラーリに乗れる体制が作れない自分が悪いのであって」
って、少なくとも対外的な話としてはきっちり言ってのけると思う。この点は日本時代から変わってない。
Aスズキさんも結局「スポンサー・ヤマハエンジン込みのザクスピード」以外の選択肢が無かったうえ
チームメイトのシュナイダーさんは2回か3回か予備予選突破・決勝進出まで行ってるのに
自分は全く話にならなかったってのはちょっと言い訳のしようが無いようにも思う。
88年の鈴鹿でラルース乗ってんだからそのまま89年もラルースに収まる流れとか無かったのかね。
あとはハーバートの不運に付け込んで、ピロが座ることになったシートに全額ネジ込んで乗っかる線とか。 というわけでこの時期の「マネージメント三流」というと、Aスズキさんの他に
今脚光を浴びてるノダお嬢ちゃんのお父さんも非常に印象深い。
彼の場合は
・大口のスポンサーと持続的な関係を築けない(これはAスズキ氏と同様)
・向こうのレース業界に上手く溶け込めない(アメリカ時代にも同様)
とかいう問題も含まれてくるのだけどね。
そうかといって、例えばモレノとかチェザリスとかみたいに、いきなり呼ばれて乗って
充分以上の成績が上がったからそれじゃしばらくお願いしますって流れにもならないし。
後にCARTで活躍することになるモンテルミニやザナルディの場合でも、
持ち込みはそこそこあったにせよ(ザナルディの場合はバリラがスポンサーに付いてた模様。
あとロータス時代にチームスポンサーになったシンプソンも、F3000のバローネ・ランパンテ時代から彼のスポンサー?)
「持ち込み資金も含めれば悪くは無い成績だからまーしばらく置いといて良いか」
みたいな感じになるんで、金持ってんのに役立たず扱いでさっさとお払い箱ってのは何かお察し感が。 >>277
ドライバーの運転技量が同一と仮定すると、予選結果はマシンのポテンシャルにほぼ比例するからね。
中嶋や亜久里がマクラだったら、予選は常に上位獲得できた思う。
また、当時の決勝はアクシデントでのリタイヤも多いが、表彰台にも数回ゲットできたと思う。 1989年のオーストラリアの中嶋はマジで神だった。
プロセナ不在とはいえ非力なジャッドエンジンでごぼう抜きはホント凄い
ジャッドじゃなくてコスワースとかホンダだったら優勝もしていたかも
うる覚えでパトかブーツェンのどちらかが「ナカさん、F1ではどうしたんだ?」って言うぐらいF1では不調だったらしいけど
この時代にパワーステアあったら… 亜久里はスキルの引き出しが少なすぎて、結局は上手くいかないと思う
マシンに対して、あれがダメこれがダメばっかりだったじゃん >>281
予選でもう少し前につけてたら勝てたかもしれんね。セナが生き残ってたら難しかったかも知れないけど、何せあの時の中嶋は最速ラップを20数回更新したらしいから…。 >>281
ブーツェンだね。
全日本ではフルボッコにされたナカサンがなんでこんなに結果残せないんだっていう。 昔鈴木亜久里は解説で俺もウィリアムズに乗れば優勝できるとか言ってたけど…
無理だよね ポイント制の事なんて、結局自分がいつから見はじめていつからハマったかによって変わるでしょ
俺は91年から見始めたので、有効ポイント制なんて後から聞いて「何それめんどくせーな」って、今は無くて良かったなと思った。
>>272
そういうのはある程度予想出来てしまったよね。
最初のスタートまでが長いと「あ、このレースは大した見せ場がないレースなんだなとか」(笑) >>287
雨でコーナリングスピードが低くなりハンドルが軽くなる。体力がないドライバーでもセッティングが合っていたから勝負できたんだろうな。 >>287
雑誌の対談かテレビの対談だったかで三人(あっちゃん、うきょ、中島さん)で
雨になると腕の筋肉がない俺でも簡単だったとかあったな
中島さんは体が元々筋肉がつかない体質だから仕方がない
B型は筋肉が無い奴が多い気がする
あれでプロストみたいに筋肉があったらどうなったんだろうな >>288
右京がウイリアムズに乗ったらヒルより速いって言ってたな
ヒルとチームメートになって右京がチャンピオンになれるかあ?って思った 中嶋はF1の横Gに耐える耐久力と、オオステを扱う腕力が他にドライバーに劣っていたのだろうな。 >>281
引退後の発言だけど、中嶋本人は
「パワステ付けてまで勝負するのはどうかと思う。
あれば順位がもっと上がったかもしれないけど、
みんな付けてないでしょ。だったらオレも付けない」
のようなことを言ってましたね。 >>293
ヒルより速くてもヒルの10倍はミスしそうだなw >>283
なんかターボ全盛期だとクラッチやギアボックス破裂させたり
セミオートマやアクティブだと複雑なメカニズム理解出来なくてマイナートラブルに対処出来なかったり
結局何か問題が起きてうまくいかなそう。
割と当時のトレンドに従った車だったジョーダンのシートに、アーヴァインの出場停止でありつけたのに
結局上手いこと乗りこなせなかった時点でもう終わった人感が強かった。
チェザリスは意外と器用に乗りこなせてたんだけどね。 >>295
フォーミュラ用の電動パワステはその頃一部で試みられてはいたはずだけど
(92年頃には童夢のF3000に付いてた)、多分路面からのフィードバックのダイレクト感とかが
微妙に悪化するとかの問題はまだ解決出来てなかったんではないかと思う。
この頃技術的に確立されてて、ハコ車のレーシングカーだと付いてることも少なくなかった
(例えばGr.Aとかだとベース車に付いてれば付けたままでOK)油圧パワステでさえも
フィーリングの悪化を嫌って外すケースもあったし、
初期の電動パワステは妙に機械的なフィーリングだと嫌われたでしょ。
NSXはオプションで付いたけど付けない人も多かった。 >>299
> 多分路面からのフィードバックのダイレクト感とかが
> 微妙に悪化するとかの問題はまだ解決出来てなかったんではないかと思う。
中嶋がそう言ったの?
> この頃技術的に確立されてて、ハコ車のレーシングカーだと付いてることも少なくなかった
この頃、中嶋ってハコ車に乗ってたっけ?
> 初期の電動パワステは妙に機械的なフィーリングだと嫌われたでしょ。
中嶋がそう言ったの? >>299
パワステがレギュレーションでたまたまなんだが87年が違反で
88年がリジェとかつけていた
86年もパワステOKだったりとその年によって違うからね
だからか91年だったかな?ホンダのエンジニアと話してて88年当事の事になって
”えっパワステつけて欲しかったの?なんだ言ってくれれば付けてあげたのに”
”えっ付けて良かったの?なんだぁ〜付けて欲しかったよ、ターボだともう辛くて辛くて”って
会話があったとか
今となってはたらレバニラレバだが、88年にパワステだつたらもっと速かったかも知れない
そうなってたらもっと違った日本人のF1ドライバーが誕生したかもしれない >>299 >>301
1988年のリジエは、車体の競争力の低さから、パワステ駆動用の僅かなパワーロスさえ嫌って途中で外しちゃったね。 1988年のクソ車はリジェ凋落のきっかけだったか
それとも前年アルファエンジンがボツになった時点で終わってたのか パワステ外してたのかよ。
なんか終盤の方がまだマシだった気がする。 >>306
終盤は後ろの燃料タンクを外した予選用シャシーとか持ち込んでたからね。 ジャッドエンジンは失敗じゃない
ウィリアムズやマーチが上手くやってるんだし リジェは当時、遅い上に不恰好な車が多かったなー。それまでフランス人、もしくはフランス語圏のドライバーがシートに収まってた感じだけど、93年にブランドルとブランデルを起用したのは少々驚いたわ。 >>309
88年は DFR:最高位3位(7回) ジャッドCV:最高位2位(3回) だからな。
マーチ881は言うに及ばず、FW12も中々のクルマだったと思う。誰かさんは口憚らず「Bad Car」と罵ったけどねw
>>310
93年のJS39は「運動神経のよいデヴ」だっけな >>293
ヒルは全日本F3000からステップアップしたアーバインとフレンツェンよりも上のような気がするし、
アーバインとフレンツェンは片山よりも上だね。 ジャッドGVはヤマハOX10Aのベース
さらに言えばジャッドGVはホンダRA100Eのデータを基に開発してるからホンダとヤマハのV10が兄弟機という話 >>310
オーナーがギ・リジェからシリル?なんちゃらに代わったからじゃなかったっけ? ミッテラン大統領とバレストルバックにしてやりたい放題やってきたツケを
ミッテラン退陣+バレストル敗北でバーニーに引導渡された感じ
自分から辞めるかリジェチームごとF1から追放されるかどっちか選べだったか FW14の設計図をウィリアムズに圧力かけて強奪したのが実質的な引導といわれてる
これでフェラーリとかいろんなところ敵に回した >>316
それ結局強奪は失敗したんじゃなかったっけ? >>300
85年には全日本ツーリングカーでワンダーシビック乗ってたろ。
リミスリ付きの前輪駆動だから軽い方ではないが、まあパワステは付いてなかった頃のはずだ。
R32GT-Rは付いてるのが基本(93年のマカオでは壊れて後退→リタイヤ)、
シエラRS500は付いてたり付いてなかったりチームにより違う。
パワステぶっ壊れたGT-Rを経験した長谷見氏曰く「パンクしたかと思った」とのこと。
松本恵二さんの童夢F103にも付いてたんだけど、引退レースになった92年最終戦では
パワステに不具合が生じて、その状態では切れないほど重いので
「何とか引退レースのチェッカーを」というチームスタッフの熱意で修復が行われて
数周遅れでピットスタート→周回数不足とはなるもののチェッカーまで走ることは出来た。
大体パワステ時代のレーシングカーは「付いてることを前提に、タイヤにとって理想的なアライメント・ジオメトリー設定」
とすることが多いんで、外したり壊れたりするとまともに人力で切れないほど重くなる。
ま、ワーウィックとかマンセルとかベルガーとかになると「え?壊れてたの?」とか言っちゃうかもしれないが。 コスワースDFRは88年、ティレル辺りに供給できなかったもんだろうか、ベネトンに独占の契約でもあったのかな?
新規のジャッドでも3チームに供給してたんだし。 >>319
DFZを山ほど供給してるじゃないですか…
DFRに関しては、1987年から続くベネトンとコスワースのワークスエンジン契約の一環だよ。独占供給契約。 >>318
> 85年には全日本ツーリングカーでワンダーシビック乗ってたろ
スレタイ読めよ >>314
シリル・ド・ルーブルね
かつてはAGSのオーナーでもあった
脱税か何かで捕まってリジェを追われたんだっけ
「表向きのオーナーはシリル・ド・ルーブルになっているが 実際はまだギ・リジェがオーナーだという噂がある
これが本当ならフランス人という民族は何と複雑で我々は何を信じればいいのだろうか」
こんな感じのことが93年末のグラ特のリジェ特集の最後に書いてあった >>317
その辺は色々と噂はあるね
確かゲイリーアンダーソンもジャガーの時にFW24のデータを掴まされて
チームから総スカン食らったのを覚えてる
彼はF3とかは設計出来るけどF1とかは無理だったから起こった事件
ウイリアムズはその辺は金獲るのが酷いらしいね
だからかFIAから横槍入れられる リジェはジャック・ラフィーが有名なんだろうけど
俺はリジェといえばルネ・アルヌー 88年ごろからのリジェのヒールチーム感は低迷からの八つ当たりとも思える。
89モナコでのアルヌーによるプロストブロックも考えてみれば過去の因縁込みで 無意味なブロック
云わば人の命に関わるような危険な事してるのにシレッと出場し続けるのが訳分からんかった アルヌーは全包囲に喧嘩を売るスタンスで、理解してくれる人間もほとんどいなかったのでは
アルファ直4ターボを「何やこのクソエンジンは。ピットすら出られんやんけ」→アルファガチギレして撤退
ブーツェンに「悔しかったら7勝してから言えや」
中嶋に「ここでは負ける訳にはいかなかった」(88年鈴鹿) 中嶋にそれ言ったの87ちがう?
まあ翌年も亜久里をブロックしてたが 「こんなクソエンジン乗ってられるか」Byアルヌー
VS
「捨てちゃえよそんな車」By亜久里 そんなこと言っても、名門DAMSはアルヌー(とその仲間)が興したチームよ?
中嶋一貴もF1行く前はDAMSの世話になってなかったか。 >>331
そうだった。訂正。しかしまあ、アルヌー被害者の会をリストアップすれば
かなり多そうな気がする
(会長プロスト、会員にブーツェン、タンベイ、中嶋、亜久里など)
89年のチームメイトのグルイヤールは弟子扱いして走りを伝授した結果、
ミラーを見ず
ブロックしまくりというスタイルになったのでは・・・ 丹平さんとも旨くいかなかったぐらいだから、かなりの曲者。
但し、仏ドライバーで同国人同士仲が良い‥なんてのもあまり聞かないのが仏人。
けどアルヌーはF-2時代にタママさんちでファンの子供をあやしてた位だから
日本は好きかもしれん。 悔しかったら7勝してみな
ドラクエのボスでも言わなさそうな小物臭溢れる言葉 ジャック・ラフィーとディディエ・ピローニも仲良くなかった BSプレミアムで関口知宏がイタリアの電車旅の時に
フェラーリの工場見学でアルヌーは優しいおじさんだったけどな >>337
勝利数が全てならプロストに歯向かうなって話だよね。 被害者の会なら「ピロ被害者の会」というのもあるような…。
会長をブーツェンにするかモデナにするかで悩みそうだがw >>323
ゲイリー・アンダーソンはレイナードで90年型まで設計担当してるから
F3000も作れるし、ジョーダンでも191と193〜195なんかは当たりマシンっぽいので
レギュレーションがあまりに複雑化したりハイテク必須になる前の頃には
標準以上のものを作れてたという印象がある。
しかも全てに共通するのは「整備しやすい」とか「部品の互換性」とかそういう
メカニックに優しい設計みたいな部分。ただし往々にして冷却容量とかがギリギリw
なんか間違い探しみたいな話、予算がカツカツだもんだから
193と194のモノコックがまるっきり一緒だった(192と193と聞いたような気もするが)
とかいう話があったと。
今でも、この辺りの時代にカスタマーシャーシ認められてたら
ジョーダンは191、ティレルは018/019辺りで一儲け出来てたんじゃないかと思う。
ロータスも107を外販したら資金不足を回収出来たりしたかもしれないし、
ことによっちゃ泡沫チームの中には102Bだって欲しいっていうところはあるかもしれん。
アンドレア・サセッティ「ロータス102BにジャッドV10ポン付けしてロベルト・モレノならいける」 ところでアルヌーはヴィルヌーヴ一家とは良好な関係だというし
割と何てことないガキ大将というかヤンチャ坊主みたいな人なんじゃないの?
「伝説のディジョン」の時もチームメイトで、優勝したんだから本来は主役のはずのジャヴイーユは
「おまえらwww」とか面白がってたそうなんで、彼とも上手くいってたようだし。
むしろプロストがコケにされたのはルノー時代に徹底的に険悪な関係過ぎたからかと。 >>341
F1人気が絶頂の90年頃、中学の仲良しグループ内でF1ドライバー古今東西みたいな事して遊んでたら、女の子の口からピロの名前が出てわろた記憶がある
あんな時代はもう来ないだろうなw 敵の敵は味方でアルヌーはセナとは仲良しだったんだろうか? アルヌーというと、長身の女性モデルを何人も引き連れてパドックを歩き回ってる姿が捕まった宇宙人みたいだったとかいう話が思い出される(アルヌーは小柄だから)。
最終レースの89オーストラリアでは、ドライバーブリーフィングで、参加するドライバー全員にお別れのプレゼントを渡したそうな。革財布だったかな。 >>344
列車の隣席で誰彼がF-1の話しで盛り上がってたり、本屋のF-1コーナーに人が集ってたり凄かった。 >>346
セナ・ピケ・マンセルあたりには喧嘩を売らなかったと思う ガキの頃は気づかなかったが、91フェニックスでブラインドの位置で立ち往生している
パトレーゼのマシンをすんでの所で交わしたピケって地味にスゲーな >>345
ピロは88年と89年くらい?日本でF3000乗ってたから日本の食生活に馴染んでて、
かつファストフード的に食えるから一人で出歩くとか他のガイジンレーサー仲間と食いに行く時に
楽だったとかいう辺りの理由じゃないかね。
彼らは良いギャラ貰ってても意外と日本での生活は質素という傾向があったものだw
住まいは定住の場合も大抵安アパートかチームの手配したアパート
(トムス契約時代にクリステンセンが住んでた御殿場のアパートに続いてクルムが入居、とか)、
レース毎来日ならチームが用意したホテル住まい、
車もチームから借りる(これまたクリステンセンの乗ってたAE111レビン→クルムに引き継ぎとか
ギルバート・スコットは実家から持ってきたモーガンの他にステラの福井オーナーからBMW借りてた等)か
そうじゃなきゃレンタカーとかね。
チーム関係者やスポンサーとかとの会食で向こう持ちで落ちる時、
本国から来た特別な友人に奢る時とかが回ってない寿司屋、
自分や仲間内、「回ってること自体を面白がる本国の友人」と気軽に食いに行く時が回ってるやつと使い分けてたと推測。
そーいえば日本時代にマクラーレンのテストドライバーをしていた話は知られてて、
カーグラ本誌とカーグラTVの企画でライツ・コレヴィットをくっつけてMP4/4の
各種計測を行った記事や映像も残ってるけど、
ピロのテストっていうのは主にホンダのエンジンテストとかをメインに日本で行ってたのか、
後のパーマー先生やマクニッシュみたいにヨーロッパでも走ってたのか、どっちなんだろうと。 >>346
件の89モナコではセナには一瞬で譲ってたな。
マンセルにはプロスト程ではないがブロックしてた。ハーバートにはシケインでブロックしてFウイングを飛ばしてたw ピロって確かホンダエンジンも開発してたような
F1以外でも初代NSXの開発もピロが関わっていたような
なぜかアルボレートも。だったかな。
だからCGTVでMP4/4のテストやった時もピロがテストドライブしても違和感なかった記憶が。 >>352
すんでのところで交わせなくて追突クラッシュリタイアのモレノ・・・ アルヌーをネタドライバーみたいに扱うの辞めろや
紛れもなくグレーテッドドライバーだぞ プロストって、若い頃から憧れのチームは実はロータスだったらしいけど、ルノーを出た後
ロータス入りの可能性とか無かったのかな?
結局、マクラーレンに加入するわけだけど、84年はロータスもルノーターボとドゥカルージュの優れた車体を持ち調子が上がってた時期だったから、プロストなら良いレースをしたんじゃないかと。 >>323
リジェはF1から出禁食らったけど買取できる有力なところがなかったから
バーニーが代わりにオーナー代行に据えたのがリーブルだったってところか
まあ本格的に買えるウォーキンショーとブリアトーレがでてきてからってところか ちょうどロンデニスがルノーエンジン獲得に動いたときにリジェ周辺でのゴタゴタが起こったってタイミングだったから
いろんな人らの思惑が動いて他っぽいね主にルノーエンジンで >>357
グレーテッド? すりおろし?
モナコマイスター的なw 80年代前半に関しては間違いなくトップの1人ではあったけど
それ以降がなー
アルボレートやヨハンソンにもいえるけど70年代なら活躍できた人も
90年前後だといろいろかわっちゃったのかなというのはある 逆にモントーヤや琢磨がこの時代だったら…とも思う。 逆にアレジはこの時代じゃなかったら死んでるレベル。 オンボードで見たFW14Bのフロントの動きは当時衝撃的だったわ
MP4/7Aのバンプ拾い見てこれ無理と思った
よく戦ったもんだ >>352
当時、ピットから無線連絡できなかったのかね?いまだに不思議。 >>355
ピロがベネトン時代のとき、津川が彼にホンダエンジンの事を質問したら、ピロは一切語らなかったそうだ。
まあ契約上、当然だけどね。 >>367
ウィリアムズはモノコックにガチガチに固定してたけどマクラーレンの固定は割と緩かったからバタバタした映像だったということもあるよ。
マクラーレンのカメラがしっかり固定されていたなら、映像に映る車体が上下に振動することは無いでしょう? それに比べてMP4/8のオンボード映像はぶれなかったな。4/6の鈴鹿映像は観てるだけで酔いそうだったのに。 MP4/7系まではモノコックの上にフルカバーのカウル被せる構造になってて、
4/6の中期以降はウィリアムズの台頭に対抗すべくペラペラ軽量カウルにしてたところに
軽くはないカメラを止めてたから僅かな振動でもバタつくのは仕方なかった訳だよ。
もっとも4/7の場合モノコック自体は雌型で滑らかな曲面形状に作られてたのに
いちいち改めてフルカバーカウル載せてるのは奇妙というか無駄に思えたものだけど。
翌年の4/8は案の定な進化をするに至ったので、ある意味では慎重にステップを踏んだのかね。 ハゲが重用した迷デザイナー、ヒゲオヤジの駄作4/7は、ホンダがこのシャシーじゃいかんとダメ出しすると、マクラーレン側は12気筒はいい加減に諦めてV10にしろと言う、不振責任の所在を巡り情けない言い争いしてたよなw
ヒゲオヤジみたいな無能デザイナーじゃなければ、ホンダはあと1年は活動続けたかもしれん
が、相変わらずV12にこだわってウィリアムズプロストに太刀打ちできなかっただろう >>372
当時のマクラーレンのモノコックを製作する技術陣が雄型での強度が出す技術が無かったと
いう事からハイブリッドみたいな整形から入ったとマクラーレンが後年に確か言ってたね
今見ても4/7はカッコいいね
もしあれでアクティブサスが完全に機能してたらタイトルを獲っていたのはマクラーレンだと思う
そうなってたらV12は数年後まで使われていた可能性があった
そうなってたらもっと面白かったかもしれない >>373
V12でないとやだって聞かないのはあんたんところのエースドライバーだろと言いたくなる 古舘伊知郎でレースを見始めた人たちにとっては、セナとホンダは全能の絶対正義でアンタッチャブルなのさ。 92年はエンジントラブルも多かったしシャシーとの空力バランスも悪かったから
アクティブサスがあれば勝てたってもんでもないだろう。
FW14Bはその上を行ってたよ 間瀬明さんと石井アナでレースを見始めたおれは・・・・ 古舘が実況を始めて以降、セナはF1の王子様、プロストはセナを虐める知的なヒール役だったからな。 4/7にアクティブ搭載されてたら、実際どれくらいやれてたんだろうかとは今でも思う。
FW14Bには勝てなかったろうけど、シーズン中はB193にも負けてた時期あったしさ。 >>381
全くダメだったよ。
なんせホンダ製のアクティブはイタリアで試したけど「見なかったことにしよう」レベルだったわけで。
マクラーレン製のアクティブに最初からしていればよかったのにね ニールオートレイは僕の知る限りで最低のデザイナーだと思うね ティレル018やウィリアムズFW14見てもデザイナーとしてなんとも思わなかったら相当危ない キャラミでセナベルガーの間をすり抜けて2位に浮上したパトさん最高 >>382
その時点では、マクラーレンはアクティブ作ってなかったの? >>387
アクティブサス搭載実験モデル(MP4/7B)はあったけど
信頼性があまりなかったみたいだから92年の導入は見送ったみたいだよ
今更だけどMP4/8にホンダか無限のv10のせてたらウィリアムズ勢といい勝負できてたんじゃないか? MP4/6でショックユニット縦置き(進行方向置き)プッシュロッドに移行して
MP4/7では雌型曲面成型に移行して、そしてMP4/8で外皮一体型に踏み切ったんだから
当時のマクラーレンデザインチームは何も考えてなかったわけじゃないとは思うんだ。
凄くでっかい組織が少しずつ前に進むにはそうせざるを得なかった可能性も理解は出来る。
逆に例えばフェラーリだってF187で外皮一体型(ダンパー垂直置きのプルロッド)にした後で
続く639/64x系では確かに空力にサスペンションにトランスミッションやエレクトロニクス、と
広範囲のイノベーションが行われはしたものの、モノコック製法の面では逆に後退してる。
逆にバーナードに押し出された形のハーベイさんはティレル018/019/020(C型まで込み)という
歴史に残るロングライフの傑作を手掛けることになるし
ブルナー先生も某日本人ドライバーにだけは酷い事言われたものの、
その前に作ったリアルは低予算の割に意外と悪くなかったり、ニューウェイ先生退職後のレイトンハウスの改良作業とか
ミナルディ時代とか、トータルでいえば思いのほか悪くないので全く人の評価ってのは分からない。
個人的にはバーナードの方がよっぽどガンダムでいうアムロの親父的な印象。
ある意味ではゴードン・マーレイの方が自分が古くなる前にF1の実戦からうまいこと離れちゃって、
パッケージングの才の方を生かしてマクラーレンF1とか「ロケット」とか、
さらには革新的コンパクトカーのコンセプト(少なくともトヨタiQより優秀なやつ)とかに踏み出しちゃったんで
晩節を汚すことなく済んだ。
ここはニューウェイ先生も同じかもしれんね。
サウスゲートなんかもトヨタTS010を見た時にこの人オワタと思ったし…。
もうあの時点で、「Gr.Cカテゴリー1」のメーカーワークスカーでフルサイズのドアが付いてるクルマなんて
これもまたアムロの親父の「何だか分からない物凄い回路」だったからね。
TWRと商談まとめてきたナイジェル・ストラウドの方が何倍も優秀だった。 >>389
そもそもTS010が出てくる前の時点でプジョー905やジャガーXJR14がでてるわけで
それ見てどうも思わなかったら終わり
だけどTS010設計したの日本人でサウスゲートは障りだけやっただけって話だし >>389
また迷惑かけてんのかwww
皆さん本当にすみません。
一種のグロ画像なんで見なくていいです。 MP4/6のロングノーズがどの様に前期型と違うのかが分からない
画像で見ても何が違うのか? MP4/7のアクティブはロータスみたいにサスペンション無しで常時油圧かかるやつをホンダが開発、お蔵入り
MP4/8のはウィリアムズみたいにコイルバネの動きをサポートする形のをマクラーレンが自力開発 >>389
当時のF1雑誌かなんかで比較写真が載ってた記憶があって、
並べるとほんのちょっと違いが分かるってくらいのほんの微妙な違い。
元々フロントオーバーハングの上限規定はあるんだろうから
その範囲内でウィング本体をギリギリ前に出せるように細工して
テコの原理で少しでもダウンフォースを上げようという狙いかと。
後ろ側だとオーバーハングギリギリにウィングを、というのはベネトンが先鞭をつけたといわれており
(それによって小型化してドラッグを減らすというのが向こうさんの狙い)、
後ろギリギリに下げること自体は当然みんな追従するんだけど。
92年のカナダではマクラーレンだってネジの頭で揉めたくらいに。 >>394
一番最初に出てきたのが特例ルールかなんかで90年のWSPC終盤から投入された
(ということはおそらく発表やらシェイクダウンはもっと前)プジョー905だよね。
だからロス・ブラウンは「時間と予算が無かった」ってのが幸いしたかもしれないけど
手っ取り早くプジョーを超えるやつを作ろうと思った結果がもっととんがった方向にいけた。
トヨタは92年からの出走だったから先行の2車を見ることが出来たのに一体何やってたんだろうと…。
余談ですが今なお究極のIMSA-GTPカーとして知られるトヨタ・イーグルMkIIIの功労者として知られる
ヒロ藤森氏も、後年チャンプカー用のイーグルをデザインした時にはやっぱアムロの親父状態だったし。
エレクトラモーティヴ/NPTIのGTP-ZXTやNPT-9x系、ニスモのR9xCP系で成功した鈴鹿美隆氏も
NP35ではやっぱりやっちまったし…というかアレはV12を作っちゃったドクター林も問題あったかもしれん。
なんにせよ設計者の旬ってあるんだとは思う。
今からロン・トーラナックさん呼んできても、ミドルフォーミュラレベルでも良い物が出来るかは怪しいし。 >>389
実はこの一連の書き込み botなんじゃないだろうか?w
スレに出てきた マクラーレン バーナード シャーシ モノコック 回転寿司・・・
みたいな言葉を並べて繋げてあるだけで意味不明だし・・・ >>404
あとはタミヤのオモチャ出してくる戯言な 自分の書き込みに酔っちゃってて読む側の気持ちとか全く考えないもんな ほっときゃイイんすよ
犬のウンコや酔っぱらいのゲロみたいなもんさ >>405
そうはいうけど、「タミヤデフォルメ」とかいわれる問題こそあれ
実車取材はしたうえで、当時のF1に関していえば1/20で作ってるから
手頃な価格とルートで入手したうえで全体のレイアウトを見るだけの「簡単な教材」
としてならアレは無意味ではないよ。
「いつの仕様か」ってのはまた別の話で。タミヤのロータス99Tはブラジル仕様を通り越して
おそらくは原型(87年当時発売仕様)においてはアクティブですらない
唯一のパッシブテストカー辺りじゃないかと当時ですら思ったし。ま、細部はオミットだからあまり関係無いが。
このスレの時代なら発表会・展示用の純ハリボテじゃない一応本物ベースのやつを取材出来たから
1/20にスケールダウンされた状態で並べて見る分に、物凄く大きさや位置関係がズレるほどの誤差は無いかと。
1/12のバイクレーサーをモデル化した時にメーカーさんのたっての依頼で、わざと微妙に寸法や角度違えて製品化したことはあるそうだけど。 ん?
嵐の自演かぁ
同じ奴が自分にレスしてしまいにはキチガイとか書いてるが
頭、大丈夫か? カーナンバーゼロ デーモンヒル
ノーミソゼロ 長文キチガイ 今宮鈍の解説は当時は良いと思ったが今改めて見ると稚拙過ぎて笑える 時代の変化だよね
今になって当時のを見ると、まさに見たまま解説 91鈴鹿でレースが終わりに近づいた頃、一年を総括して泣き出した時は純粋なんだなと思った F1がマニアの世界にまた戻ったからな。
今宮の見たまま解説は時代にそぐわんわな。 >>418
いやまだアデレードあるじゃんとw
あの頃の感覚としていえばホントに終わった気がするのはチェッカーフラッグおじさんが
コース上でダンスを踊るように振り下ろした時だったものだ。ま、91年は赤旗終了だったが。 今宮は、英会話は少しできると思うが、チームラジオを翻訳できないのでは現代F1に対応できないね。 よくあれで取材してるよね
いや、してないんだけどさ 英語できなくてもF1ジャーナリストって出来るんだな。 定点観測だったっけ
ひとりでポツンと見てるだけという ドライバーに実録インタビューとかできないから
そりゃジンクスや統計に基づいた分析しかできないわな それでも米家よりはるかにマシだろ
今宮は喋れない英語駆使してでも直接取材やってただけまし >>401
別の人間だが、ありがとう
フロントウイングをどれ位前に行くのか知りたかったんだけ画像でも全然分からなかった
それにしても4/7をV10エンジンでアクティブ出すとセミATにしてシャーシモノコックをウィリアムズから
真似て作ったら速かっただろうなと今でも思う
マクラーレンの良い所は悪い車でも必ず良い所まで持って行く能力だな ホンダが継続参戦したとして93年にウィリアムズ・ルノーに勝ってチャンピオン取れるかと言ったら無理だろう
ただアンドレッティの起用はないだろうからハッキネンが1勝くらいしてたかもしれないが ホンダはV12を開発しないでV10の性能アップに注力してくれてたらなぁ エンジンそのものの限界としては、パワーが大きければ大きいほどいいんだろうけどね。
だからV12も悪くなかったけど、F1においてはルノーV10が正解だったよね。
ホンダ(マクラーレン)もフェラーリも、旧態依然の考えから、やっぱり抜け出せなかったんだろうね。 性能アップったってジャッドとかイルモアとか当時の先鋭化したV10勢の動向を見たら
もう全部やり直さなきゃいけないレベルでしょ。
その意味ではハーベイさんが「020にはホンダV10よりフォードHBの方が適しているかもしれない」
と言ったとされる指摘が正しくて、ホンダエンジンを失った翌92年にイルモアを積んだ結果
車体自体はほとんど変わってなくて活動資金的には大幅に低下しているにも関わらず
ほぼ前年並みの成績を維持出来たことはその実証であると。
逆にジャッドやイルモアみたいな独立系のエンジンビルダーが出来ることが
何でホンダに出来なかったんだって話に尽きると。
F3000用としてRA38x系を下げ渡された後の開発においても、ジャッドはその後にF1用3.5リッターやら
それをベースにした76度型、さらにF3000用の新型として大幅な小型軽量化を果たしたタイプKVと
色々に発展させてるのを見たら、最後までベースバージョンの「RA38xE/ジャッドAV/BV」のブロックそのものを
丸ごと使った構成から脱却できなかった無限も無能そのものとしか思えないし。
ジャッドKVは必ずしも成功したとは言えないにしても、あれでボアピッチ以外全部違う
(先行開発型として元のブロックのままショートストローク化した仕様があって、91年後半にジェフ・リースが使った)
というくらい。 >>433
数年後のNumberで安岡さんだか田辺さんだかが言ってたよ
「マクラーレンのマシンにはV10の方が合ってたかもしれない でもV12はエンジニアの性として追及してみたかった」って そもそもマクラーレンのクソシャシーを本田パワーで補っていた!
と言われ続けたけどどうもそうじゃなくて
ホンダのパワーはあるけどでかくて重いエンジンを積むことを想定したらああなった!が正しいように思える much pwoer! much poser!
と言われ続けたと聞いたような
more じゃなくてねw
あれパワーじゃなくてマヨネーズだっけw V10エンジンの時も確かに他のエンジンと重量が10〜15kg重くて馬力があったと記憶している
でも、V10を開発していくとしたら本来は軽量コンパクトに行くんだろうけど
その前にブン投げて辞めたからねホンダは
開発を継続して参戦だったら又違ったんだとは思うよ
あのまま継続をV10に変更していれば良かったんだけど、ホンダがマクラーレンに
スポンサー料以外で支払っていたかも知れ名400億?だっけ?が
自分の所で自チームを運営できるのではと考えていたのでは?
で、一旦マクラーレンとの提携を解消してF-3000クラスのブラックバードを製作したんだよね?
違ったか? >>441
ホンダV10 レース用エンジンには珍しいバランスシャフトが付いている。 >>442
それで重かったんだ
でもあのまま開発をしていったら高回転型で軽量を図ると思うから他は付いて行けなかったかもね
F-310Bの躍進を見るとホンダエンジンと同じ様なサウンドに感じてたよ当時は その後の無限エンジンの活躍を見るとV10で開発を続けてたらそれなりの成績は残せたんじゃないかな
94年の無限ZA5Cは相当軽量化とパワーアップがなされてたしね >>438
市販車ではMM思想(マン・マキシマム/メカ・ミニマム)と称した物を売っているけど、良く
も悪くもエンジン屋を自負するメーカが、その情熱をむき出しで作るとそういうものが出来
上がるんじゃないかと。
プロジェクトXで取り上げられた第一期でも、エンジンはフェラーリに比べ10%も高出力であ
りながらエンジンの大きさは5割増。重量は最低重量を65Kgも上回っていて、車検で笑い者に
なったというエピソードが出てくるし。
バイクもNS500が例外に思い浮かぶくらいで、基本は馬力至上、重量・トータルバランスは二
の次のような物しか思い浮かばない。 ベンツもたまにトンデモエンジン作るしエンジニアのエゴが出ちゃうんじゃないの? >>443
それだけでも無いかな。
ホンダからジャッドに渡ったV8は、クランクシャフト径がオリジナルの半分(断面積で1/4)くらいになったそうな。
必要以上の信頼性確保に走って重くなっていたという理由もありそう。 V8が直接渡ったわけではないか。酒飲みながら編集してたら変な文になっちまったスマン。 >>446
メルセデスイルモアのトンデモというとCART用のバカ小さいやつ。
トヨタの初期のCARTエンジンを作ったデザイナーが元イルモアの人で、
その人がまた出戻ってきて同じコンセプトで作ったというんだけど
補機類をVバンクの真ん中に落とし込んで、ブロックがブレナムチャンバーに埋もれてるうえに
V6と見紛うほどに小さいとかそりゃーアンタやり過ぎだとw
確かにペンスキーはそれに特化した車体に出来るけど
レイナードやローラに積む場合は短くてもゲタ噛ませる羽目になるし、
脆いうえにメンテナンス性も悪いので壊滅的な失敗に終わった。 >>449
で、どこが1987〜1993年のF1の話なの? ジャッドホンダ・インディ(ジャッドAV)→RA386/387E(ジャッドBV/無限MF308)
→F1用3.5リッター版がジャッドCV/EV(無限版は試作のみ。命名規則通りなら358?)、
というこの流れと、さらにそれをベースにジャッドが新造した小型軽量型のF3000専用のKV。
この一連の進化系統の話でいえば、
・最初のインディ用エンジンは2.65リッターターボで500マイルのオーバルレースに耐える必要がある(まだ700馬力台の時代)
・F3000専用のモデルは3リッター、450馬力ちょいで8000回転以上回る必要がない
と、そういうことを考えると、インディ用のAVや、それを3リッターNA化しただけの
初期のF3000仕様(この時点で設計が新しいだけDFVよりは軽い)と
KVを比較したらクランク径が半分まで行っててもそれほどおかしくもなさそうな。
初期バージョンの時点で十分に頑丈だったからジャッド側では3.5リッター仕様のF1用を作って、
F3000用の開発は年々肉を抜いて軽くしていく旅路で不自然に思えない。
DFVもF3000では各チューナーがゴリゴリ削ってて、日本では松浦DFVが
無限MF308と公称で数kgしか違わないとかいうところまで追い込んでたほど。 >>453
V40C材で径が半分はない。
オーバーラップの考えも無しに無意味な長文やめろ。 ランスストロールがこの時代にいたとしたら、きっとリジェでのデビューだったに違いない 要点を簡略化してないから無駄に長くて初見には読みづらいし、ウンチクの部分も古手のレースファンなら常識レベル、つまり誰も喜んでないwww そこそこ当たり前の事なぞってるだけだからなあ
NGブチ込みでいいんじゃないか? >>435
ジャッドにはホンダのエンジニアが流れてるからある意味当然
イルモアはあの時代でもかなり上位のビルダーだしなあ、ワークス委託受けるくらいに F1グランプリ特集92総集編によると、ホンダRA122Eは800馬力程度だったそうだ
しかしルノーRS4も750馬力程度っていうから、空力、アクティブ、重量等の差で話にならんわな
BMWのV10は900馬力だったそうだが、ホンダも850馬力程度ならFW14Bに対抗できたかもな >>457
全部書いた後で、いったん自分で添削してから書き込みボタンを押せばいいのにな。
いつまでも文章に成長がない。 >>433 >>434
V10のデメリットはボアが大きく燃焼が悪くなることだが、
燃焼の研究が進んで大き目のボアでもいい燃焼が得られるようになったことと
燃え広がるのが速いスペシャルブレンド燃料を使用できたことでデメリットが小さくなっただろう。
89年のホンダV10 のボア 91o 92年のホンダV12 のボア 88o
ホンダはV10をさらにショートストローク化するよりもV12に移行することを選んだということだろう。
92年のルノーV10のボアは94oぐらいたったかな?
結果論だが、さらにショートストローク化したV10を投入したほうが良かったのかもしれないね。 ストロークを伸ばすと高回転型にエンジンはなるがパンチが減るんだっけ?
ボア径を大きくしてストロークを短くするとドッカンエンジン特有のものになるんだっけ?
この辺がエンジニアのせめぎ合いだって前に本で読んだ気がする
最後の方のV10エンジンの高回転って確か2万8千回転ぐらいだっけ?
馬力がどこになるのかが分からないが上で稼ぐの?
こういういのって 排気量とか考えないでおくと、シリンダーあたりの最大出力はいろいろと要素があるけどだいたいボア径で決まってくる傾向。
ストロークは平均ピストンスピード限界があるから限界いっぱいまで使えていればピークパワーには影響しない。
ボアは航空エンジンで実績があるように150mmぐらいまでは出力増やして行けるけど、
90mmぐらいから燃焼が悪化して平均有効圧稼ぎにくくなってボアの増大のわりに出力を出せなくなる。
自動車用だとグループCみたいな場合を除くと、レギュで排気量決まってたりする。
ショートストローク化はすなわちボアを増やしてピークパワーを増やすようにすること。 2万回転を越えたと公言したのはコスワース
。ただし2000年以降だよね。このスレの時代は無理だわ。 >>465
そこでマフラーの作り方で排気の引っ掛かりが馬力と回転数をいじれるんだっけ
何番の排気は短くしてトルク、何番を少しストレートにして回転を上げる、何番のを長く回り込んだのにして両方を得るとか
F-310Bの排気管のあの独特な回し方とか面白いね
あとF-93のなんてなんか変だけどカッコいい取り回しなんよね
あれは狙いとかあるんだろうね V8だと各々のバンクのまとめ方を4-1にするか4-2-1にするかで
出力特性が変わるってアレとかですか。
4-1だとピークパワー重視、4-2-1だとドライバビリティ重視になるとかいう。
確かにその上で各々が等長か不等長かでも特性は違ってくるんだろうけど、
それはそれで各々のシリンダーが潰し合ってどっちつかずの特性になりそうな感も。
爆発タイミングを等間隔にしないとかで複雑な順列組合せに出来る?
あとはホンダが可変吸気トランペットを試す一方で
フェラーリは当時ヤマハの4ストロークスポーツバイクで試されてた
排気側の可変バルブを入れてたとも記憶。5バルブといい何かヤマハっぽい思想が。 >>158
釣りじゃねーよ。
中嶋がインタビューでメカニックに言ってみたと答えてた記憶がある。
飛行機の羽の逆にすればダウンフォース稼げるんじゃね?みたいな。 F4Uを写真で見た中嶋がひらめいて進言してマシンが完成してその後F-1界に広がった。
中嶋スゲー(棒) >>470
なんて雑誌の何ページだよ
聞いたことねーし
憶測でモノ語ってんじゃねーぞゴミ >>473
テレビだったとして、ここに居る奴らが知らないってどんだけレアーアイテムなんだよ
そんな凄い事を取り上げない訳が無いし、変じゃね? >>473
悪りぃ、なんか思い出したわ
NHK?だったか?の出演時でテレビでフロントウイングの事を触れた話があった
あったあった
あれ、本当だったのか??? gpcarのティレル019号にはそういうエピソードはなかったなあ。
中嶋さんのインタビューでは、空力のことは専門家に任せきりで、ドライバーとしては速ければなんでもいいもんなんですよ、なんてあっけらかんと言ってたような。
しばらくぶりにまた読んでみるか。 >>470
ウイングカーが禁止になった頃には
「それなら車の全長をフルに使ってウイング型にしよう」
って思った人は結構いたんじゃないかな?
口に出さないだけで。
その頃の代表的なデザイナーのゴードン・マレーがサイドポンツーンがほとんどない車でチャンピオンになり
ジョン・バーナードがサイドポンツーン後部を絞り込むコークボトル型で成功したから
そっちに走ったけど。 > 飛行機の羽の逆にすればダウンフォース稼げるんじゃね?みたいな。
噴飯物 >>478
LOTUS78/79の成功を受けて、あっという間に似たり寄ったりのマシンが現れたけど
その原理と効果をグランドエフェクトにあると理解していない(単にウィング形状
をボディに取り入れたものと解釈した)マシンは失敗だった。
だからそんな単純なアイデアでマシンを作ろうとは思わなかったんじゃないか。 >>478
インディーではかなり前からノーズから空気を取り入れてダウンフォースを稼ぐ事を
シャーシ下面で行っていたのをF187やFW11といった機体から製作して行った経緯があるね コックピットがシングルだからw
一応、平均台の上に有るピアノ線の上を走るからw グランドエフェクト効果を発生させてる箇所を規制するためとはいえ
前輪の後端から後輪の前端の間をフラットにするというのも凄い発想だと思ってた
ホイールベースの内側をフラットにする。で良かったんじゃないかと
でもそうするとハイノーズは生まれなかった可能性が高いね。 >>484
その実際の規定を満たすためにノーズから離れた底板を付けていたのだから、その文面では変わらないんじゃないか。 サイドポンツーンが短い車のミラーの下とか
バージボードの支柱の下とかみたいにそれまた無意味な板が生えるだけとか。
果ては板の上側をうまいこと成型してそこでダウンフォース発生しちゃったりな。 中嶋とプロストは2歳違いで、身長と体重がほとんど同じだけど体力差は雲泥の差だったよね。
レース後、中嶋は疲労困憊でクビが痛いと述べていたが、プロストは普通に汗をかいているだけ。 >>442
モーターファンのエンジン評論コーナーで
著者でいすゞのエンジン設計士だった兼坂さんと本田の桜井が対談した時に
兼坂さんが「V10で1万回転以上回したら振動がひどくて運転できないだろ」って言ったら
桜井は「大丈夫です」と言い理由は言わなかったから
兼坂さんは自分の概念を越えた新しい技術があるのかと思ってたら、バランサーシャフトだったので
隠すことじゃないと言ってガッカリした。 先日DVDに落とした1990年のメキシコGPを見てたんだが、今見ても鳥肌立つ。
ゴボウ抜きでもタナボタでもなく、予選13位から順当に勝った感じだ。ドライビングもまるで
アクティブカーじゃないかって言うくらいスムーズ。
当時セナファンだったがプロストのしたたかさにも憧れを抱いてたっけ。 でもいすゞはF1エンジン作って走らせたけどなw
少なくともスバルのあれよりかはよかっただろ!
もっともスバルのは元はモトーリモデルニが作ったやつだけどさw モトーリモデルニなんて正直言って、どこに需要があったのか理解に苦しむ。
あの時代、DFZよりショボいエンジンなんてそうそう無いだろうに >>497
アルファロメオのV6ターボエンジンの名前が変わったものくらいに思えばいい
V8 ターボや直4ターボとは別のラインで開発が進んでたけどペンディングになった いすゞのF1試作エンジンはヤマハから転職した連中が作った >>498
たぶん>>497はF12のダブルベッドに言及してる希ガス モナコのコース、いつ頃から変わっただろうか?
現在はトンネルを抜けたシケインからタバコ屋コーナーまでは、高速でターンして抜けていたが
予選1分10秒台は速すぎてドン引きしたわw
この当時は高速ターンは出来なかったよね。セナの1分20秒台でも速いと感じたよね。 89モナコのプロストの予選タイムが 1:23:456 なのが印象に残っている 92モナコ残り4週〜三宅『マンセル1.21.598!!なんというタイムか』 モデナランボはフォルギエーリが車体のチーフまでやってたとか言われるけど
あの人って本業はエンジン技師じゃないの? >>504
確かに不思議に感じた記憶がある
でもちゃんと走ってたしw 158から126CKまで一部例外を除いてマウロ・フォルギエリが設計開発担当者
お蔵入りになった横置きセミATも すると本田宗一郎みたいなと言ってしまうとちょっと違うけど
(あの人は技術系の専門教育とかは受けてなくて叩き上げ系なので)、
構造がシンプルな時代だったら車体丸ごとを基本設計レベルでは
1人でまとめられる系統の人と。
にしてもエンジン技術者としてはランボルギーニV12の時代まできちんと第一線級にいて、
少しばかり古臭い設計(デカいF3とか色々何とか言われた)ではあるものの
周囲のデザイナーの助力を得つつ、一応は走れるレベルのF1作れちゃったんだから
かなり息の長い技術者と言えるのかね。 法律相談所で古館の
「妖怪通せんぼジジイ」が聞けてうれしくなった 古館が93年ごろに使ってた「ハイテク矢ガモ」が何の事なのか思い出せない >>511
そうなんだ!?今、石垣島へ旅行中だけどこちらは日本テレビ系列を放送していないのね。
驚いたわ。 当時、古舘が語っていた語彙は沢山あるよね。小さい言葉を含めて100個はあるのでは?
一番好きなのは「ハイテク町工場のオーナー(フランク・ウイリアムズ)」
嫌いなのは「納豆走法」 ゆえに長いフェラーリ在籍時代「エンジン最高、シャシは最低。」評価が続く。
ラウダが入って実走テストを重ね、やっと”まとも”になったのでした。
そんなフォルギエリに「車の事分かって無いんでは?」と言われた”もののふ”好きな誰かさん。 古館語録ですきなのは、91日本グランプリ前夜祭で見た記憶がある後藤治氏の「サーキットにおけるなんかこう・・・こけしの様なたたずまい」がやたらおもしろかった アデレードでグリッドのライン超えちゃったのも情緒不安定のせい >>514
フランクのことは、本陣にいる武田信玄!みたいなことも言ってたな。
バルバッツァとか今なら名誉毀損ものだろ ポールポジションは「音速の貴公子」アイルトン・セナ マクラーレン・ホンダ 驚異の1分36秒台をマークした ワールドチャンピオンを狙う
そして 「ステアリングを握ったアインシュタイン」アラン・プロスト フェラーリ 37秒台 逆転のプログラムは すでに出来上がっているのか
さあ「走る暴れん坊将軍」ナイジェル・マンセル フェラーリ3番手 決勝でどんな荒業を見せつけてくれるのか
4番手はゲルハルト・ベルガー マクラーレン 僚友セナの助演男優賞を返上して 主役となりうるかゲルハルト・ベルガー
さあそして「F1パイロットの生徒会長」と言われるしぶとい走りのティエリー・ブーツェン5番手 ウィリアムズだ
復活したスーパースター 「サーキットの野人」 ネルソン・ピケ ベネトン フォードワークスの期待を一身に担っています
来シーズンはフェラーリ入り 「シャンゼリゼの白馬通り」ジャン・アレジ ティレル7番手 予選2日目を休みながらもこのポジションだ
グランプリ出走207回 「鉄人」と言われるリカルド・パトレーゼ ウィリアムズ・ルノー
ナニーニのピンチヒッター ベネトンから出走するロベルト・モレノ 好位置につけています ベネトンはこれでブラジルコンビとなった
スペイン入賞 上り調子であります 「サーキットのアーバン・カウボーイ」日本期待の鈴木亜久里 エスポ・ラルース
「F1界のマイケル・J・フォックス」ピエロ・ルイジ・マルティニ ミナルディ 小さなエースドライバーの追い上げに期待したい
「F1界の二谷英明」ディレック・ワーウィック 名門ロータスを引っ張ることができるでありましょうか
13番手は「天才トム・ソーヤ」イワン・カペリ レイトンハウス ポールリカールの再現を日本のファンに見せつけてほしい 帰ってきたぞ鈴鹿に 我らが中嶋悟 ティレル 表彰台は夢じゃない 何とか頑張ってもらいたい
「不敵な新人」F1に返り咲いた あのジョニー・ハーバート ロータス
第三のブラジリアン 「F1界の健康優良児」 マウリシオ・グージェルミン レイトンハウス 理論派のセッティング能力を活かせるか
「フランスの優等生」 ヘアースタイルは西洋のパンチパーマ エリック・ベルナール エスポ・ラルース
「顔はコアラ 心はタイガー サーキットのムクイヌ」 ニコラ・ラリーニ リジェ 花の64年組だ
日本は第二の故郷であります 鈴鹿のコースはよーく知っています エマニュエル・ピロ スクーデリア・イタリア
バリッラに代わってミナルディ入りが決定いたしました ジャンニ・モルビデリ 力のほどを見せてほしい 22歳最年少だ
フィリップ・アリオー リジェ ジョギングでコース下見の成果は 果たしてあるのでしょうか
「暗いイタリア人」でもセンスは抜群 ステファノ・モデナ ブラバム 来季に向けて意気上がります
2世ドライバー 「F1界の長嶋一茂」 デビッド・ブラバム ブラバムです
後方 甘いマスクと鋭い走り 「走るミラノ・コレクション」 アレックス・カフィ フットワーク・アロウズ
グランプリ 何と5勝の大ベテラン ミケーレ・アルボレート フットワーク・アロウズ
出ましたトラブルメーカー 「サーキットの通り魔」 アンドレア・デ・チェザリス スクーデリア・イタリア 最後方だ 古舘語録は100どころではないな、500はありそうw マンセルは92カナダでポカやってからショートカットの帝王なんてのも一瞬あった 貴公子セナ
プロフェッサープロスト
荒法師マンセル
自由人ピケ 俺を誰だと思ってるんだ走法は好きだった
プロストのチャート式F-1とか、微分積分走法とかも >>527
風と共にぶっちぎりに去りぬも好きだったな 91総集編のナレーションで三宅アナのシルバーストーンでマンセルは観客の声援で1秒速くなる!ってやつ
古舘さんは92年くらいからネタギレなのか顔面ビッグマックとか顔面エスプレッソとか顔面ネタが多くなった ポールポジションは通算8回目 ゲルハルト・ベルガー セナの援護に回るのか それともホンダでのこの位置から 初優勝を狙うのか
2番手 「音速の貴公子」 ご存じアイルトン・セナ ここ鈴鹿で堂々 ワールドチャンプ決定となるかどうか
3番手 「荒ぶる魂」ナイジェル・マンセル 奇跡の大逆転へ 狙いはただ一つ 優勝のみであります
さあ4番手です アラン・プロスト フェラーリでやや憂鬱な元チャンピオンでありますが この位置から 二強に一矢報いることができるかどうか
5番手は「223戦練磨の鉄人」パトレーゼ 「錆びない鉄人」この男の走りがタイトルを大きく左右するのも事実であります
6番手「フェラーリの若大将」ジャン・アレジ 1年を経て 貫録さえうかがえる27歳であります
7番手 好位置をキープしたのがリトル・フェラーリ「プチ・プロスト」と言われるピエロ・ルイジ・マルティニ 目標は 本家フェラーリの上を行くことだ
そして8番手 スピード王国「イタリアの伊達男」 ジャンニ・モルビデリ 佐々木マネージャーの秘蔵っ子 非常にいいぞこの二人
さて9番手ミハエル・シューマッハであります F1最年少 セナの再来と言われる腕前 「ドイツ自動車王国の申し子」活躍するか
10番手 「F1界最大の自由人」 ご存じベテランのネルソン・ピケです 去年の覇者はこの順位からどう追い上げを図っていくのか
11番手 こちらも興味津々 アンドレア・デ・チェザリス かつては「壊し屋」そして今年は見事に「走り屋」に大変身を遂げました
12番手 J・J・レート 「かっとびレート」 サンマリノで3位と表彰台も経験済み 「かっとびレート」がんばります
さあ13番手 「イタリアの新星」アレッサンドロ・ザナルディ グランプリ2戦目 早くも実力に注目が集まっています 14番手であります 「寡黙なイタリアン」と言われるステファノ・モデナ 実力は折り紙つき ホンダV10を駆って パワー全開か
15番手です 鈴鹿ラストラン ご存じ中嶋悟 いよいよクライマックス 渾身の走りを この目に焼き付けておきたい
16番手はエマニュエル・ピロ F3000時代は日本で大活躍 好物は日本の回転寿司 「F1一の胸毛自慢」であります
17番手ティエリー・ブーツェン 鈴鹿では4年連続ポイントゲット 侮れないぞベルギーの大ベテラン 「忘れたころのブーツェン」だ
さあ18番手 マウリシオ・グージェルミン このところ成績の方は上昇ムード 鈴鹿で輝けレイトン・ブルー
19番手 マーティン・ブランドル スポーツカーレースからF1まで イギリスの誇るオールラウンド・プレーヤーであります
20番手にまいりましょう エリック・コマス 「フレンチ・コネクション リジェの秘密兵器」 そろそろ ここらあたりで慎重に徐々に力を見せておきたいところ
21番手です 「空飛ぶフィンランド人」 ミカ・ハッキネン 若い イキのいい走りで 名門ロータスをすでに背負って立っています
22番手 カール・ベンドリンガー 太い眉です 「ベンツ三銃士の一角」を担っている ここ鈴鹿でF1デビューをいよいよ遂げる
23番手ジョニー・ハーバート 日本ではおなじみです 全日本F3000と二足の草鞋を履いている 鈴鹿はよく知っている お手の物か
24番手ガブリエル・タルキーニ 新しいチームで心機一転 2戦連続の決勝進出
25番手 去年の表彰台男頑張るか 「ネオ・ジャパネスク」鈴木亜久里 中嶋の後は任せた 日の丸にアグリスマイルが映えるか
26番手最後方 アレックス・カフィ 今年初の決勝進出をようやく果たした その喜びを 決勝に結び付けてもらいたい それではスターティンググリッドをご紹介しましょう
先頭の1列目 「最強のアングロ・ラテン同盟」ウィリアムズ・ルノー
その壁の後ろに2列目マクラーレン 「赤と白の連子子」セナ・ベルガー
5番手は「機動戦士」シューマッハ
その後ろ「F1ライト兄弟」名門ロータスのハーバート・ハッキネンのコンビ
そして8番手のエリック・コマスから15番手まで42秒台がひしめき合う超過密地帯
何とフェラーリのアレジは15番手からのスタートとなってしまった
そして16番手に「ネオ・ジャパネスク」鈴木亜久里が位置している 得意のスタートダッシュが出るか
その後ろ ヤマハエンジンのステファノ・モデナ
20番手にハラハラドキドキの片山右京 「F1 3学期の進級試験」がやってきた
まもなく26台のスピードオデッセイが幕を開けるが
スタート 果たしてセナは パワード・バイ・ホンダで ウィリアムズの壁を突き破れるか 古館の「〜と言われている」の大多数は古館「だけ」が言っているの誤りなんだよなぁ >>531-533
もういいからそれ書くの辞めてくんない?
正直嫌いなんだよね刷り込みとか うざいから無視してればどっかいくかなーって思ってた。 どっかからコピペで引っ張ってるんだろうけど
元のサイトのURLを貼るだけで充分なんだけどなあとは思ってた。 宇野壽倫(葛飾区青戸6)の告発
宇野壽倫「文句があったらいつでも俺にサリンをかけに来やがれっ!! そんな野郎は俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150224 バカは何でも自分の手柄にしたがるからURL貼るだけの殊勝なことはしません >>529
もうよく覚えていないけど、総集編は年末だったよね。
あれ良かったよね。 総集編はナレーションと現地実況の引用のバランスが上手かったな。 この頃のグランプリてみんなどのレースも詳細に結構覚えてるよね。
例えば91サンマリノ!と言っただけでもここの住民はスラスラ言えると思う。 >>543
確かに言える。サンマリノと聞いて「ワールドチャンピオンだ。新人じゃない。」総集編のナレーションまで脳内再生されたわ。 ホンダ1-2-3-4になって興奮してたけど中嶋がリタイアして寝た。 熱中して見ていた時代でよく覚えてるってのも勿論あるけど
近年その手のムックとかyoutubeとかで手軽に振り返られる機会も多いからね。
そうやって記憶を補完している面があるかな。
あと、こういうスレもあるわけだし。 セナ ベルガー 初のワンツー
あと周回遅れになりそうモレノが
セナを押さえてたっけ
(ホンダv12とv10対決) セナベルガーで初だったのか。じゃあその前は89年ベルギーまで遡るのか。90年に1-2が無かったのは意外だな。ベルガーも優勝こそ無いもののコンスタントに表彰台に立ったてたから >>543
断片的だが少し記憶ある。ウエットコンディション。フォーメーションでプロストがスピンコースアウトであぼーん。
途中からドライになった。ピケ、マンは途中リタイヤ。
検討のモデナも途中でリタイヤ。表彰台はセナ、ベルガー、JJレート(初表彰台) >>549
コンスタントにポカもしたからなw
90ベルガーはお笑いネタ要員だわ 90年と言えばメキシコのレースが熱かったなー。
当時はバリバリのセナオタ、ホンダオタだったけど、
セナが勝ったレースよりも印象に残ってる 1-2になった時のフィオリオとクルーのお祭り騒ぎが微笑ましかった 真夏の高速三連戦と言ったら
フランス〜イギリス〜ドイツ
しかもフランス〜イギリスは連戦ではない ドイツが7月の最終週で、夏休みのワクワク感があった。
そのあとハンガリーがお盆真っ最中でダレ気味。
ベルギーが夏の終わりでちょっと寂しい。
当時の夏休みはこんな感じだった。 総集編のナレーションで
「日本は盆休み、ハンガリーはF1祭」てのがあった気がする。
あれ何となくテンポよくて好きだった。 >>560
予選を放送していない地域だと、ドイツGPだけは27時間テレビで朝の5:30〜6:00に予選が見られたなぁ あれ?
フランス後に中一週で、そのあとイギリス〜ドイツの連戦じゃなかったんだっけ?
フランス〜イギリスで中一週でドイツか? フランス→イギリス:1週間
イギリス→ドイツ:2週間 旧ポールリカール→旧シルバーストン→旧ホッケンハイム
〜夏の高速バトル三連戦〜 ポールリカールが面白かった
マニクールはほんとつまんないレースばっかり フランスで643のプロストがトップを快走したときはフェラーリ復活か?と思ったけど一瞬のきらめきで終わっちゃったね。 マニクールでのグランプリといえば
トラック団体のストライキと
救急車に撮影機材を積み込んで無事通過するフジテレビ リジェが二列目から表彰台に乗った以外全く記憶なし。
ポールリカールは細かく覚えている。
本当に毎年くだらなくなっていったなあ。 リジェ2列目の時は結局5位なんだなそれが
総集編で予選の結果をブランデル3位、ブランドル4位と間違えていて、ブランドル可哀想って思ったなぁ コースのレイアウト見てクソ退屈そうだなと思っていたら案の定だったからな>マニクール
パトレーゼがスタート大失敗して自身の良い流れをぶった切っていたな 当時はまだ欧州戦がメイン、その他、南北アメリカ大陸と豪州と日本だったよね。
まさか今みたく、欧州の開催地が減って中近東が増えるとは予想だにしなかった。
既に開催していないが途中、南アフリカ、韓国、アルゼンチンも開催されたことがある。
将来は北朝鮮GPが開催されたりしてw サンマリノ、ポルトガルが抜けるとは夢にも思わなかったな この頃は自国開催以外の放送が画像とか音声が悪くてもそれが味を出していたなw
そこがなんかカッコいいと言うか、衛星放送、生なんだなと深夜に感じながら見てた
メキシコだったっけ?直線が長くてF1が前後にピコピコ動いてるのがかっこいいんだよな
火花散らしててさ ポールリカール カペリvsプロストvsグージェルミン
シルバーストーン ホンダ1-2-3-4
ホッケンハイム 中嶋悟さん下位からごぼう抜きのちリタイヤ >>574
そう?
中速コーナーからのストレート後の急減速ポイントと、抜き所が有るなと見てたけどな。
現に初年度はコース上のパッシングでマンセル優勝だし。 >>582
カーブにエストリルやら何やら既存コースの名前を付けながら、一々スケールが小さくてせせこましかったな。 >>579
だがそのがいいっ
この頃のそういうのがいい >>584
>>579は今宮さんの発言の引用じゃない? だな!あの時のスタート後のカメラワークはひどいとかいうレベルじゃなかった。幼稚園児が適当に回してたレベル スタート直後くらい26台目まで映してほしいのに切り替わるのがムカついたわ あの当時はホスト国のテレビ局が中継してたんだよね? なんか実況全体が貝島先生もビックリの回があったような。 オープニングは好きだったな
あのCGとあの音楽。
そしてあの「エッフワングランプーリ」の声。 そういやあの掛け声って毎年同じ人だった?
なんか途中で違う声に変わった気がするんだけど、気のせいかな。 「エッフワングランプリ! イン ベルジャン!」 by小林克也 2000年代に入ってオリジナルのトゥルースが中継の合間にBGMとして再利用されたけど
さすがに古臭さが目立ったな。
やっぱりその時代なりの演出って大事だと思った。 >>595
それより93年のビルニューブのヘルメットで終わるバージョンのほうが好き
この頃はOPCGやらED曲含めてフジも丁寧に作ってたけど
いつ頃からか飽きてきたやる気が無くなっていって今の現状だな
EDに無機質な小室とか使うようになっておかしくなっていった あとはオープニング前の人物紹介とかも好きだった。
「武士である」とか。 「アルボレートが憧れ、ピーターソンと同じ色のヘルメットを被る、モンツァ、情念の杜のグランプリ
先人たち見守る」
「ジル・ビルニューブの精神はマシンに乗り移り、横っ飛びにコーナーを抜けてゆく
ゾルダーで天に還った星は再び天翔る馬に乗り崇高な戦いを挑んでいるのであろか・・・」 >>594
「エッフワングランプリ! イン おーーすとれーりあ!」 by小林克也
が一番切なかったあの時代
懐かしいぜと言わせるぐらいに、冬の寒さで毛布を包まって見た記憶が蘇る
一戦一戦が見たいという欲望を駆り立てたあの時代の個性というぶつかり合い
いつしか消えうせる記憶と元に、俺たちと共に忘れ去られるのだろう
F-1(エフワン)
それは、人の夢を載せた希望なのだと >>594
×in Belgian
○in Belgium 夕方放送のアデレードがなんか切なかったな。
あーもう最終戦になっちゃったなー、と。 91年開幕から見始めた自分はアルボレートを無駄に年を食ったポンコツだと思ってました
本当にすみませんでした アルボレートは王座取れなかったけど、王座に手をかけたドライバーの一人なんだよね。 >>604
87年から見始めた俺もアルヌーのことをそう思ってたから気にするな
古舘と認識が同じだったのは悔しいけどなw ポルシェがKKKに圧力かけてターボ供給停止しなければアルボレートが戴冠してた可能性は高い 91開幕戦といえば月曜25時の放送開始少し前に大坪千夏がニュースで結果をお伝えしてくれた思い出 アルボレートは89年色気出して移籍画策せんでティレルに留まってたら良かったのにな。あの年のティレルは出来が良かったし、翌年の019で彼の腕なら公道コースでアレジ並みの活躍が出来たのではないかな。
まあ、色々事情があってのゴタゴタだったんだろうが。 >>609
マルボロタバコの契約がどうのこうのとか言われてたけど
アルボレートのちにキャメルのスポンサー受けてたよねw 84モナコであそこまでプロストを追い詰めながら仕留められない時点でもう、ね。 >>603
この時代のアデレードってもう前戦までにタイトルが決まったあとで
真の意味で後夜祭みたいな雰囲気があったね。 91アデレードは中嶋引退レースってこともあって早い時間からスタンバイ、大雨のレースがかなり早く終了、なんだかよくわからない感じになってたところで夜に引退特番ていう流れだったな・・・。 オーストラリアといえば92年が好き。
ベルガーのタイヤ交換に誰も気づかず。
「ベルガーのことだからどこかでハーフスピンでもして遅れたんでしょう」みたいに言われてw
川井ちゃんが確認しても馬場アナは信じきれてなかったな。 No.2同士のお立ち台で『表彰台は影の男達』の古舘コメントにクスッときた。 どのレースか忘れたけどフランクウイリアムズの心拍数が表示されてたレースあったな。
あれわざわざフランクに機器を繋いでたのかなw この時期はフジテレビが時々思い出したように予選を放送してくれるのはなんか嬉かった。
どういった基準で放送してたのかはわからんが。 >>615
実はどこかのチームのサインボードだす所映したときに、後ろで赤白のマシンがピットレーン走っていくのが映ってたりする
俺は当時見てて気がついたw
もっとも赤白なのでフットワークの可能性もあったけどさ フットワークで思い出したけど、91年の夏から秋ぐらいだったかなぁ。
インタビューで亜久里が翌年のフットワーク移籍が決まった、エンジンはホンダになったって話を
嬉しそうな顔でコメントしてて、それが印象深くて未だに記憶に残ってる。
特にファンでもなかったけど、記憶って不思議なもんだな。 いつの正月だか忘れたけど、ポールポジションの中でタルキーニが目を指でつり目にして「アケマシテ、オメデト」って言ってたの思い出す シャツの襟が片方だけ出ているあたりに
来季への意気込みを感じました いつもスタートで順位を落としてたイメージの中嶋悟だが、91年のアデレードは良いスタートで、24位から何台か抜いてたな。やっぱ雨だとスタート時もコントロールしやすくなるなかな。 ウェットならワークス系マルチシリンダー勢でもレインタイヤのグリップ以上の加速は出来ないんで
ジャッドV8でも、さらにロータス101が多少剛性やトラクションとかに難があったとしても
それらが全く問題にならなかったというところでないかな。
Number誌のシーズン中盤くらいのインタビューでも、中嶋シニアは「雨の日には速い車」
と評していた記憶。 雨降りなど低グリップ時のスタートはリアヘビーなクルマがかなり有利。 >>626
ティレル移籍後に018をドライブしてまず感じたのが剛性の高さだったそうだな ティレルの品質は中堅チームにしちゃよかった
ただし020までで021以降は財政難で品質低下
022に乗った右京は散々泣かされた 021は今思うと何であんなことになっちゃったんだろうなという疑問が…。
あれだったら老朽化した020のモノコックを新造しつつ
クラッシュテストの対象になるモノコックとノーズコーン以外の空力を全部手直しするとかいう方が
翌年へのショートリリーフ的には意味があったような。
それなら新造車を前線で使う一方で、古いやつも事故損耗とかの予備車にはなるわけで。 >>633
よく分からない言い訳だね
整流板とメゾネットウィングだからB193
B193は初期だとアクティブ無しだし 仮に写真がb192だとして
92の万ちゃんはfw14b乗って英国含めてシリーズ大活躍
念願のチャンピオンなのに、何故 >>631 なのか??? >>634
B193は開幕からアクティブだよ
ついでにセミオートマも開幕から マニュアルシフト最後の優勝者は92年の顎でいいの? >>586
92モナコのマンセル緊急ピットイン(これはフジ独自カメラしか捉えていなかった)とか、97ハンガリーのヒル満身創痍のマシンで2位チェッカーの瞬間とか、肝心な所を逃す国際映像…。 >>640
1988年のモナコ。セナのリタイアシーンも逃していたからな。 >>641
モナコは視界が悪いから
いきなり止まってるのが多かったわ フジテレビ中継といえば、CM開けの中嶋悟さんリタイヤシーン CMといえば唇からEPSON
とーべよー、ほしーまーでー!
のやつは好きだった。チャリのやつ。 >>638
田宮が出してるB192のクローズアップ&ヒストリーにB193のことも書いてあるんだけど、それには開幕2戦を戦ったB193Aはアクティブもセミオートマも未装備だったと書いてあるんだよね
自分が持ってる資料はそれしかないから、絶対とは言い切れないわけだけども >>645
ならそれは朝野(が書いてるかはわからんが)の間違いだね
ブラジルでのパトレーゼ車のリタイヤ原因はアクティブサスの故障だからね
ついでにその時ピットでパトレーゼが降りる際ステアリングにパドルが付いてるのが確認できる >>645
追記
パトレーゼ曰くアクティブサスのオイルクーラーが割れて作動しなくなったそうだ
調べ直すまで油圧低下と勘違いしてたわ >>645
Autocourse の93年版にも、開幕戦からB193AにはアクティブサスとセミAT装備と明記してある。
もちろん、B193AはB192のアップデート版であるとも記載あり。 >>644
引退年のCMが印象深いなあ。
楽園の人よ、って歌。
やけに感傷的なCMだったから、エプソン側には事前に今年いっぱいってことを伝えてたんだろうか。 >>646-648
丁寧にありがとう
最初からアクティブ&セミオートマで間違い無さそうだね
田宮もテキトーだなぁ 1990年の1月か2月くらいの縦長のF-1雑誌に
投稿したのが載って嬉しかった。
中嶋さんの応援みたいので。
中嶋さんの蝶ネクタイスーツの写真の下に、、
懐かしいですばい。 ちょっと面白いなと思ったのは、B193Aはシャシーナンバーが元になったB192の番号に従って6,7,8の3台なんだけど、7番って92年には未投入なのね(8番はシューが使用)。
シーズン中のテスト用と言うには微妙な時期の車体だし、93年向けのテストシャシーか、最初から93年の実戦投入を見越して作製したのかしら? B193はB192と比べるとカラーリングやFウイング等の造形に味がないな。
成績もお互い1勝だけど、V8最速をマクラーレンに奪われてピリッとしなかった そもそもB192とB193自体あまり差がないというかモノコック自体は同じものだしな B191から193にかけて、年々カラーリングがシンプルになっていったね。
黄色と緑のバナナノーズとは上手く言ったもんだと思う。 タミヤのB192にマイルドセブンカラー施してなんちゃってB194にした ホイールをF310Bのを白く塗って装着すれば完璧だな 最近の出来事ではないが、以前CS放送だったかな?馬場アナを観たときに激太りしててワロタ。\(^o^)/オワタ
心不全や心筋梗塞で逝かないか、ドキドキしたわ。 >>650
あの本は田宮が撮りまくった写真を使わせていただいて大日本絵画が出してる
文章は田宮とは関係のないライターのものだよ >>643
B193-Aがあって、193-Bがノー^ズコーンのでっぱりが無くなるって事?
なんかよくわかんない >>656
タミヤといえばラジコン用ボディのベネトン−リジェトン。
実はリジェトンボディが今になってプレミア付いてて凄い高い。 W杯でポルトガルとスペインが対戦するけど
F1視点だとどうしても終盤の2連戦を思い浮かべちまうな
92年にスペインが前半戦に異動したのがちょっと残念だった そういや、スペインはアロンソが出てくるまでF1自体サッパリ人気なかったらしいけど
よくレース開催がなくなからなかったもんだ。
ヘレスなんかいっつもガラガラってイメージしかなかったよ。 >>664
ポルトガルといえば翌93年、ポルトガル人ペドロ・ラミーが、ロータスから途中参戦。 南アメリカ、アルゼンチン、韓国など、開催国からの出身F1ドライバーがいないと、盛り上がりに欠けるよね。
もう開催していないが・・・ ポルトガルといえば89年ベルガー逃げ切り。フェラーリウィリアムズが時おり人が変わった様に快走して面白かった。 翌年90年のポルトガルもフェラーリ(マンセル)が優勝したのだよね。
たしか赤旗中断でレース終了、そのままマンセルの優勝が確定。 このスレ年代的には90年がW杯開催年と被ってるけど、F1絡みの小ネタってこの頃あったかな?
94年になるとジョーダンとミナルディのやり取りとかあったけど 92年にパトレーゼがベルガーと接触して、宙に舞ってしまったのも、ポルトガルだったような… 翌年はベルガーがアクティブサスのトラブルでコース横断するクラッシュ >>673
当時、W杯の開催年は、F1ドライバーの死亡や再起不能になるくらいの大怪我する法則あった。 98年スパ02年A1
これらのクラッシュで大事に至らなかったのは安全性向上の努力が実ったんだろうな ハッキネン衝撃のマクラーレンデビューもポルトガルだったね
93年か いきなり予選で前に出たのは衝撃的だったが、決勝ではサクっとセナにパスされてたな
そのセナもトラブルですぐ消えたが 当時ロータスのファンだった俺。
93年もハッキネンに残留して欲しかったと、ザナルディのクラッシュを見て何度思ったことか… ロータスは92年日本GPでハッキネンが3位になっていたらチームの未来もハッキネンの未来も大きく変わってただろうなぁ・・ F1では火を噴くザナルディー。
F1での成績は散々だったけど、アメリカのカートでは王座になり成功。
その後は大事故で両足を失ったが、カーレースに復帰。
そして五輪のハンドサイクリングでは金メダルか。
レースにかける情熱が凄すぎるわ。 ロータスは頑張って欲しかった、92〜93年は有能なドライバーとタイトルスポンサー獲得で躍進するかと思われたが、破産の道を辿るとは…。 >>670
ポルトガルと言えばやっぱり84年。
プロストが優勝したが
ラウダが2位でゴールして
0.5ポイント差で逆転、チャンピオンになった。 シーズン後半でタイトル争いも佳境に入っているから、緊張感の高いレースが多いね。 0.5差で逃げ切った、
だな
オフシーズンのレジェンドで84ポルトガルは絶対見られると思ったんだけどなー >>686
ロータスは運営の人がもうやる気無かったからな
あれ以上の工場にしてとか設備を投資したくなかったんだろう
街工場のティレルと同じ様に消えていく運命
ロータスT101の頃には言われてたが、こんな車をよく作ったなと
あまりにもぼろかった 組織体制が整い、労働者のモチベーションも上がれば良い仕事と成果が期待できるが、
そうでなければ成果は期待できないからな。
成果は出なくても会社にいれば給料が貰えると思う社員が増えると、組織はダメになる。 94年のGPX誌で、ジョニー・ハーバートのロータスの工場訪問の企画があって面白かったな。
ジョニーがスタッフの昼飯をかっさらおうとしたりして。 >>691
X T101
O 101
98Tとか99TとかのTはターボのT
NAエンジンの車両には付かないよ 数字の先にきてりゃ一応セーフ
タイプ79という表記もあるからな
この話題で模型板の方は荒れたんだけどね >>665
89年のスペインのカメラ映像は時々サラを抜いてたな
そんでクラッシュも撮れた 89から91のエリストルは毎回ドラマあったな
それを飾り立てたのも毎回マンセルw
87も、ベルガーがシーズン初優勝目前にプロストのプレッシャーで逃す
で、プロストはスチュワートの最多勝記録更新したな
マンセルはこのレースを勝てず、87逆転チャンピオンの可能性ほぼ失ったと思う
ベルガーはチャンピオンになる資質が劣っていることを露呈したな >>621
フットワーク
92年のアルボレートと、93年のワーウィックは、完走率トップじゃなかったっけ? footwork買収&ポルシェ発表は最強に興奮した瞬間ではあったな。
翌年まで待ちきれなかった。
で、超巨大エンジン見た瞬間ド素人なのに「ダメだ」と思った。 V6を二つ並べれば12気筒になるんじゃね?と言うゆで理論を具現化した糞エンジン 出場7
予選最高21位
完走0
記憶以上にウンコだな >>700
>>V6を二つ並べれば12気筒になるんじゃね?と言うゆで理論
なんか間違っている? あのエンジン、本当に真ん中に継ぎ目みたいなのあったよな。 W12とかもそうだったけど昔は冗談みたいな事をF1の場に持ち込んで来る余地が有ったんだよね
やってる本人達は真剣だったんだろうけど >>571
92フランスだっけ?
>>608
確か、地上波でやってた頃のプロ野球ニュースだな。
>>634
>>638
>>645-648
>>650
B193は、最初からアクティブサスもセミオートマもあって、トラコンが後から搭載。 >>644
>>649
矢萩渉の歌はいい!
鈴鹿では、4WSが搭載された記憶が。
>>658
先天性糖尿病の薬の副作用だとか。
>>686
無限と積むと、何故か、チームが消滅していく法則が…
フットワーク、ロータス、リジェ(プロスト)。 >>705
そう、ハイテクは最初から付いてた。
ベネトンの当初の予定ではB192改で93シーズンを乗り切るはずだったが、92年のシーズンオフテストで翌年用の狭小タイヤを履かせたところ、新車の必要性を認識して新たに設計したんだそうな。
だから、外観はB192/193Aと似ていても、B193Bの中身は全く異なるものだそうな。
ソースはAutocourse。 >>702
同じようにターボ付きで3000馬力近く出すつもりのエンジンで、
搭載スペースも2倍寸で確保出来るのであればそれで正しいのだけど
自然吸気で700馬力そこらが目標値、搭載スペースにも制約がある場合は
それじゃやっぱ問題があるw
DFVは確かに元々あった直4をクランク合わせでV8にしたうえで
ストレスマウント対応に設計し直して成功したし、
量産市販車用エンジンでも、元々はアメ車のメーカーが多用してから各国に波及した手法で
メインストリームのV8を半割りにした直4とか、Vバンク1列カットしたV6とかが
廉価版に使われたり、1列足してV10にしたホットバージョン用とかは存在するけど、
それはサイズがちょうど車格に見合うから可能なんでね。 >>707
レイナード時代にロリー・バーンがデザインした「B192の種車」とも言われるマシン
(レイナード時代の呼称は詳しく不明だが、当時の命名法則に基づくと「921」辺り?)を譲り受けて、
当初は93年から使い始めるはずだったのが資金的理由で上手くいかず
94年になってようやく使い始めたパシフィックにはそりゃー成功の見込みが無かった訳だ。
参戦資金こそ確保出来なかったとはいえ、クルマそのものは手元にあるんだったら
(確か93年の参戦発表の時点でレイナードの車なのは決まってた)、
F3000のレース活動と並行してテストだけはやってりゃよかったのに。
ドライバーはバーテルスの予定だったそうだから、「参戦が実現したらレギュラー契約するオプション」
込みにしておけば、彼の持ち込みでエンジン代とタイヤ代くらい出るでしょ。 ポルシェV12の基本設計は917の頃にまでたどり着く予感が リアル基地外だから生きてても死んでるようなもんだけどなw >>706
先天性ではなく、単なる糖尿病の薬らしい。 馬場アナは久しぶりに出たと思ったら声が変わってて驚いたおぼえが有る >>708
そういう事言ってるわけじゃないし、一文で盛り込み過ぎだし...
みんな疲れるのがよくわかるよ >>702
エンジン中央部からパワーを出す構造にすることで
クランクシャフトが2分割された形状になり
クランクシャフトのねじれが小さくなるので
ねじれによるパワーロスが少なくなるという理屈。
同時期に登場したメルセデスのグループCカーも
同じ構造の180°V12エンジンを採用した。
現実には
エンジンがデカくなる
構造上クラッチとトランスミッションに直結できないので
エンジン中央部から後ろに向かってドライブシャフトを伸ばす必要がある。
という欠点が目立った。
クランクシャフトに関しても
ホンダV12がクランク軸受のベアリングを増やして
ねじれを少なくすることができたことと
中央部からクラッチに繋ぐシャフトのねじれでロスが出たので
中央部からパワーを出す意味がなくなった。
長文失礼。 結局実戦投入されることのなかったネオテックも
センターテイクオフのV12だったそうだけど、
アレは実際ブルンが手持ちの962Cに載せて走行テストするところにこぎつけてたそうだから
962C用のフラットシックスと同等程度のサイズに収まってた、
つまりはF1/SWC用(ブルンC91にも積む計画があった)に特化して作れば
常識的な寸法に上がったんじゃないのかって話よ。 >>715
F1は「どこに行くにしても持ち込み必須だから嫌だ」が彼の持論だったそうだけど、
全日本F3000の契約がまとまらなかった95年には
例えばジル・ド・フェランがそうだったようにレイナードの推薦でインディ行く線はあったんじゃないかね。 >>702
ポルシェのV12はやっつけ仕事だね まともなものではない >>717
V12はV10よりも5〜7センチくらい長くなるという話だったが
センターテイクオフなんてやったらさらに長くなるのだから駄目だよね この時代のV12なら
ホンダ>フェラーリ>>>ランボルギーニ>>ヤマハ>>>>>ポルシェ V6、V10、V12で6年連続
コンストラクターズチャンプ獲得ね >>717
ホンダがベアリングの数を増やしたってのはいつの話?教えて。 ホンダはオートバイの世界グランプリ用のV型4気筒でも
幅を詰めるためにかなり特殊なことをやってたというからね。
当時のオートバイの500ccクラスは基本的に2ストロークが主流なので
一次圧縮のためにクランクケースに混合ガスを一旦吸い込む必要があるので、
クランクケースに一定の容積が必要で、4ストロークのV型のように単純に幅を詰められない。
そこで他陣営(知られている限りではヤマハ・スズキ・カジバと市販エンジンメーカーのスイスアウト)は
旧来の「スクエア4」とか「タンデムツイン」(これは2気筒250ccの場合)で使用されたように
クランクシャフトを2本にして前側のシリンダーを前傾させる形の擬似V型的な構造にしていたのだけど
ホンダだけはクランクシャフト1本で、でも「そうしたら常識的には並列4気筒に近い幅になるはず」
という常識を破って2本クランク勢と大差ない幅でまとめてきたということで知られる。
この所謂1軸クランクはエンジンの幅(縦置きする4輪用でいえば前後長)の他に、
「4ストロークであれば一次振動が出ないはずの90度バンクであったとしても
長くなったクランクシャフト長のためにクランクを捻る方向の振動が出る」
(2軸タイプだと双方を逆回転させたりバランサーを兼ねるアウトプットシャフトを入れる方法がある)
といった課題があったというので、あるいは2輪部門からのフィードバックもあったんでは。
ホンダの場合しばしば、ちょっと前に2輪のレース部門のHRCで聞いた覚えのある名前の人が
4輪部門で仕事してたり、その逆があったりとかするし。 まさか自分が長文キチガイだと分かってないんじゃないか? その声だけデカくて頭空っぽの奴らが基地外呼ばわりしてる当該人物なのは知ってるが、
この種の技術系の話ってどーやりゃ三行で書ける? どう伝えるかより、ただ喋りたいだけの独り言クソジジイ
介護でも受けてろって感じ 書いてる事が全部どっかの記事で見た事有る様な受け売りでは技術的な話も糞も有りませんわ ポールリカール始まったね。ここの住人は懐かしいんじゃ無いかな? 89年にグージェルミンが空飛んだり90年にカペリが勝ちそうになったりやたらレイトン絡みの印象が強い 91オフのテストでマンセルが乗ったキャメル入りFW13Bの格好良さが今でも鮮烈に思い出される 発達障害だかアスペルガーだか知らないけど
もうちょっと空気読めるようにならないと ミストラルストレート〜シーニュの飛び込み
プロストvsカペリvsグージェルミン
フェラーリ641&レイトンハウスCG901 ポールリカールのレイトンといえば何かと90年が話題になるが、89年も滅茶苦茶速かったぞ。
カペリはジャッドが壊れるまで2位を快走。グージェルミンは規定周回不足ながらFLを記録 ポールリカールのレイトンといえば、空気抵抗を少しでも無くすためにエイドリアン・ニューエイの指示でリヤウイング裏側の「LEYTONHOUSE」ステッカーを剥がしたって何かの本で見た記憶がある。ウソかホントかはわからんが、高校生の俺はバリバリ信じて今に至る。 ニューエイさんもヘッドと組んで無かったら今は無かったのかな >>740
最近のムックにも書いてあったよ。
デカールのわずかな凹凸にすらナーバスになったとか。
空力オタ極まれり。 マンセルは、ミストラルストレート退屈で歌でも歌いたくなると言ってたな まあニューエイさんはレイトン時代は良くも悪くも理想をひたすら追求してたな。
891や901のモノコック断面なんかほぼ逆三角形でドライバーの足元スペースがほとんど無かったからなw 境界層の厚さより凸凹の厚さのほうが小さかったら無視できると思うんだけど本当にデカールの凹凸の剥がして効果あったんだろうか まあ無いだろな
1000キロで飛ぶ航空機でもシールだらけなのに平気じゃん >>745
境界層は折り込み済みで、基本的には左右均等に起きるけど
文字デカールの段差で変に回り込むような流れが出来るのは気に食わないと
そういう事だったんじゃないのかな。
それじゃ「どうやってもシフトレバーとの間に手が入らないから」ってことで
やむなくシフトバルジ付けた件はどれだけ不本意だったんだと。 ニューウェイは自分自身の空気抵抗を低減するために髪の毛を少なくした? 1989のポールリカール、フォーメーションラップ中にパトにマシントラブル発生し、諦めて降りた。
しかし、スタート直後の1コーナーで大クラッシュで赤旗中断。パトはTカーに乗り換えて命拾いした。
現在のルールでは認められないが、スタート数周以内に赤旗になったら、クラッシュした
ドライバーはスペアーカーに乗り換えられるルールにしたほうが面白いけどな。 現ポールリカールのミストラルストレートの間のシケインだけど、ここだけは特別ルールを
適用させてシケインを廃止して、全ストレートにしてほしいわ。
それにしても路肩の赤・青のペイントは、マシンカラーよりも目立つから意味あるのか? 28年ぶりポールリカールということで、久しぶりにNEXT契約して見てみたけど
現在のダイソン掃除機のようなエンジンサウンドだとイマイチ郷愁に浸れる感じがしなかったw
しかもシケインなんて野暮なもの設置されて、夏の高速バトル3連戦の1発目が台無しだ
やっぱV12の咆哮だよな 1990年、猿手サーキットの6kmの湯野ディエールに2個のシケインが設置されたときは面白みが半減したが、
今回のポール理科ールのミストラルストレートの間のシケインもウンコだよな。イランわ。
俺は超高速で爆走するレーシングマシンを見たいだけなのだ。 エリオの件もあるし
90年代のポールリカールはショートコースなのに対して今回のはロングサーキットだからシケインあっても対してその頃とストレート長は変わってないよ
だから我慢我慢 >>752
無駄に誤変換するのやめてくれ。読みにくいだけだ >>756
なるほど。ショートコースのミストラルストレートの合流点って
丁度シケインがあるあたりなんだ。 この当時のフランスGPはプロストが強かったからな。プロスト曰く、100%の力を出すのは
母国フランスGPとチャンピョンを確定させるレースと語っていた。 >>749
当時のルールでも赤旗中断時のTカー乗り替わりは2周目のコントロールラインに達するまでに
赤旗が提示された場合に限られたはず。
通常スタート時の車両変更の締切はいつだったかな。
88年のセナはこれに引っ掛かっちゃったんだが。
ピットスタートを条件にTカー乗り替わりがOKな場合と
意地でも本来のレースカーの方を修理しないとピットスタートでも認められない場合が
確か基準時間が違う。 >>759
2周未満の赤旗の場合はゼロからレースのやり直しになるから乗り換えができる。
赤旗が出たときに完了していた前の周の順位で再スタートということルールなので、2周目に赤旗の場合は完了していた周回は1、その前の周は0になるからね。
ダミーグリッドにつくためにピットアウトしたときのクルマがレースカーとなる。セナはダミーグリッドについたあとクルマに問題が出て乗り換えたのでアウト。 >>760
成る程そうなるとピットクローズ前でも、もうコースインしちゃった後で問題が出たら
Tカー乗り換えはNG、ピットの中で止まっちゃって押し戻したあと
重症と判断した場合にはTカー乗り換えも可能と微妙なところで明暗が分かれる訳ですね。
下手するとピットロード出口のすぐ先で止まっちゃったためにアウトとか。
少しでもおかしい兆候があればピットスタート覚悟でTカー準備した方が賢明と。 他には86モンツァのプロスト(未遂)とか04アメリカのモントーヤもそんなんだったと思ったが
リオのセナ含めていつも黒旗出されるの遅いよな
現場のお上もよくわかってないのかな? >>762
セナの場合は分かってて出すの遅らせたのでは?と言われてた。
セナの地元だから少しでも走る姿を観客に見させようと… プロスト、速さでチームメイト対決ではセナには勝ったがマンセルには敗北したな。 1990のモナコも1週目はミラボーでクラッシュ、そのまま赤旗。
ベルガーとプロストは急いで戻ってスペカーに乗り換えていたな。
当時はこんな光景が見られたから、別の意味で面白かった。 >>765
あれ、楽しかったよな
中にはシート外して歩いてたりとかで面白かった
そういうのも復活して欲しい
あとどこかの湖でメカニック手作りカニーレースでロータスだけが緑の板を置いてあるの 87年に鈴鹿GPでは、まだセナファンは少なく、金曜土曜は席もガラガラでした。
マンセルがフリー走行(だったかな?)でクラッシュしてピケがチャンピオンを決めたんだけど、熱心なファン以外はレイトンハウスのブルゾンやF1グッズのお買い物で楽しんでいた様に思います。
その後メディアの露出が増えて、古舘伊知郎や森脇あたりがセナセナセナって言い出すから翌年の鈴鹿は大混雑。
たった一年でこんなにも観客の雰囲気が変わるのか〜と、赤信号みんなで渡れば怖くない!って日本ぽく笑えました。 1990年の日本GP、スタート直後セナプロが接触リタイヤしたが、接触せずにそのままの
レースを観てみたかった。 >>773
1991年、鈴鹿でタイトルを獲ったときの会見で
セナは、スタートでプロストが前に出たら
プロストにぶつけると決めていたと言ってたよ。
本田技研の圧力もあって日本ではOAされなかったけど。 タイトル獲って有頂天になってつい口も滑らかになったんだろうな
撃墜したのはよいとして(いやよくないけどw)、それを公表するのは最低だと思ったわ >>780
89イモラの協定破りについても、セナ自身は
「プロストはずっと後ろにいた」と言ってて、それも方便ではなくマジで信じていたというし。
自分に都合がよいように記憶まで変わってしまう人だからねえ…。 89は勿論、88も総合ポイントならプロスト王者。91までチームメイトなら...MP4/6を駆る教授を見てみたかった 89年あたりはスピードの面では
セナプロの差がありすぎて
プロストがチャンプといわれてもなーって印象
まぁアメリカ、カナダ、イタリアで
エンジン壊れたのが痛いね わ、わざとぶつけたんだからね!
運転が下手でぶつかっちゃた訳じゃないからね!
だからライセンスちょーだい! 90年の鈴鹿はプロストに特攻するし、91年はベルガーに優勝を譲り、誠意ある姿を見せつけたと思いきや
世間から白い目で見られたからね。
またこんな茶番に涙ぐむ今宮も頭おかしいと思うわ。 >>782
有効ポイント制なら有効ポイント制なりの戦いをせんとな >>782
ポイント制を考慮しながらやってたからこそ、ベルギーGPレース後にプロストから敗北宣言が出たんだろと思うがなあ。
まあ、それでも実は全く諦めてなかったプロストはなかなかやるな。 ポールリカール現コース、ミストラルストレートのシケインは
ドライバーに不評、来季から廃止も検討 神を見たとか言いながらもプロストには故意に激突するのはナンダソレって思ってたけど、
スプーンから一番離れた1コーナーなら神様も見てないと思ったのか。
しかしまあ、神に守られてるから激突しても自分だけは死なないと思ってたかね。 プロストにそう指摘されてたけど、だからこそ90鈴鹿は仕返しじゃなくてスカっと勝って決めて欲しかったよね
それが出来ない自覚があったからブツけたんだろうけども >>776 そういえば外人が投稿した動画か知らんがYouTubeで90年ルマンでクラッシュしてる亜久里さんが映ってたが当時は今年のアロンソのようにルマンと掛け持ちは普通だったのかな? 当たり前だったぞ
マツダが勝った時だってガショーが乗ってたし
この時代より前ならスポットじゃなくてフル参戦もいたしな
それで事故死したベロフもいるわけだし テオファビなんかはインディカーと掛け持ちで、インディカー優先だったもんなあ。
(F1欠場のときの代役は弟のコラードファビ) >>799
普通と言うわけじゃない‥それは70年代位まで。
むしろ当時のF-1トップドライバー達は怪我されると大変だから契約時に「○○はダメ。」なんてのが普通に入っていた。
それなりのお金が入ってくる時代になったので無理に掛け持ちしなくても良いから。
ガショーは”その他大勢”の部類、ベロフはF-1では冷や飯食い系‥当時独はスポンサーとか今程F-1に力入れて無かった。
テオ・ファビも‥兄弟揃って腕は有ったがF-1では今一つ開花できなかった。 91-92年のハーバートはルマン掛け持ちしてたから、
当時はもはやトップチームと呼べるか微妙な程度だったとはいえ
ロータスはOKだったと言って良いのかな。
もちろん91年は本来全日本F3000とルマン/JSPCの契約が先に決まってるところを
ピーター・コリンズがあえて呼んだ形だから特別扱いに違いないけど。
感覚的に87年以降の時代で正ドライバーが「掛け持ち可」といえば
ロータス・ジョーダン・アロウズ・ティレル・ラルース辺りまでで、ベネトンでも微妙という印象。
フェラーリやマクラーレンは契約書が凄い分厚くて厳禁条項があったり、
もしくはフェラーリに限って「スクデリア・フェラーリの他カテゴリにおいてのみ例外」とかありそう。
一方で89〜92年くらいのルマンも確かに豪華で、
マツダのハーバートやガショーの他に、JJレート(伊太利屋GTI-RLRとかケンウッド・クレマー)、
ヨハンソン(オニクスやAGS/フットワークに乗ってる頃にマツダも乗ってる)とか
チームは中堅でも実力派や若手成長株と評価の高いような現役F1ドライバーが
結構掛け持ち出走してるね。
ワーウィックやエディ・チーヴァーも少し時代がズレるけどF1とスポーツプロトの掛け持ちしてたはず。 ワーウィック&チーバー アロウズA10/メガトロン 渋くて結構好きだったなー
いつも中嶋さんの近くにいたからな アロウズは車がまるっきり替わっても
同じような位置を同じように一緒に走っていたのは不思議だったな サウスゲートの”違う方向”へ進んでしまった設計思想の元で苦労したウォスや
その他技術系スタッフが堅実な車つくりをしたから‥新興の割にはそこそこの成績。
後、何もない一から作り上げたコンストラクター‥って訳じゃないからだと思うわ。 >>794
スタートして前に出たとき、セナがまだぶつける気でいることに気付いたプロストは
真後ろからぶつけられたらヤバいからって
1コーナーのインを少し空けて惨事を避けたのに
現役、OBを含む多くのF1ドライバーたちが
「イン側を完全にふさがなかったプロストが悪い」って言ってたな。 >>808
プロストが悪いってのは本気で言ってるのとシニカルな言い方の人がいたような。
シニカル側だと、インを少しでも開けたことでセナに突っ込む口実を与えた、という文脈だな。もちろんクラッシュはセナが悪いという前提で。 >>803
アロウズって意外と設備は悪くなかったんだよな
でも駄目だった
研究所のような雰囲気は有るが三流チームのままだった
TWR傘下「に入った時は凄く期待したが駄目だった
グスタフブルナーさんが創設の時に関わってたんだっけ?
金が無いチームで活躍した人だった ARROWS
チーム立ち上げ者たちの頭文字
フランコ・アンブロジオ、アラン・リース、ジャッキー・オリバー、デイブ・ウォス、トニー・サウスゲート >>767-768
カナダGPだな。
今もやってるのかな?
>>810-811
93年後半から、マクラーレン製のアクティブサスを搭載してからは速さはあったけど、亜久里はノーポイントだったからガッカリ。 せっかくスパではセナと並んで3列目になったのにな
日本人の勝負弱さは遺伝子レベルのもんなのかねぇ 千載一遇のチャンスだったのにな。勿体ない。
あれで表彰台にでも上がっていれば、今度こそ翌年のベネトンに乗れたかもしれん。 亜久里は実質1993で終わったよね
あんなにがっかりした年はなかった >>813-815
スパは、ギアボックストラブルか何かだったので仕方ないとしても、鈴鹿のピットレーンの出口でスピンしたのはいただけなかった。 91年に、アロウズに移籍発表したときに
20ポイントは取れる!と豪語したのに、ノーポイントだった時点で終わっていたのでは。
そこまでポイント取れるかどうかは置いておいて10ポイントくらいは取ると思ってたよ。
しかもアルボレート、ワーウィックはポイント取ってたしねぇ。 あげく自分のドライビングにクルマが合わない云々かんぬん。
単に技術の引き出しが足らないだけなのでは・・。 >>818
1992はステアリングが重いってのを連呼してたよね
いや、アルボレートは予備予選まで引き受けてくれた上に完走しまくりでポイントも上げてんだけど…って
翌年アクティブでそれ解消されても結局… アルボレートやワーウィックと比べれば、知識や経験の差は否めないけどさ。
言い訳するのはカッコ悪いよね。
超一流ドライバーは、劣るマシンでもそれなりに上手く纏められるもんだし。
93年のセナ、96年のシューマッハ、2008年のアロンソ、2012年のライコネン然り。
>>819
それに尽きるな。
人たらしの才能はあったと思うんだけど。 >>820
イギリスGPだかでレース後シートが全然体に合わないとか言ってて大爆笑した記憶がある。
そういう言い訳もあったのかと まあ決勝はともかく一周の速さはそれなりにあるだろうから予選はそこそこミケーレと渡り合えるだろ
と思ってたら13-3とフルボッコにされて泣いた 津川『次期待してます』アグリ『次無いんだ』には笑った 亜久里がアルボレートの後ろを走行中、俺の方が速いのになぜ譲ってくれなかったのか!?と
ボヤいていたな。 亜久里さんの言い訳(覚えている範囲で)
92年
・モノコックが自分仕様になってない 乗りにくい
・コクピットの中が狭い これでは正しいドライビングポジションが取れない
・エンジンのパワーが足りない
・メカニックがギアを組み違えた 初歩的なミス過ぎる
・マシンバランスが悪いからアルボレートも苦労している(つまり自分は悪くない)
・セッティングの幅が狭いからセットアップが難しい(やっぱり自分は悪くない)
・グルイヤールに邪魔された グルイヤールが悪い 俺のせいとか冗談じゃねえ
・ウィリアムズが速すぎてみんな無理しない だから上に行けない
・ハイテク装備が足りない ハイテクがないと上に行けない
・ゴルフは楽しい どのドライバーにも勝てる
93年
・ハイテクが足りない ハイテクさえあればもっと上に行ける
・ベンドリンガーが文句言ってきた?抜けるものなら勝手に抜けばいいだろう
・いい時に限ってトラブルが起こる ツイてない
・いい時に限って雨が降る ツイてない
・運がなかった >>821
その並びに2012のライコはおかしいだろ 鈴木亜久里の言い訳は、こっちが気の抜けるようなのが多くて笑えて面白かった。
少なくとも”カチン!”とくるような事は言わんかったね。
オヤジは過激だったけど。 亜久里の個人スポンサーに東芝がついてたのによく電気系統を言い訳にしてたのは
スポンサー的にはどうだったんだろ? >>691
ロータスやる気なかった?
俺はなけなしの金をフルアクティブに過剰投資して潰れた印象の方が強いけど。 >>828
モノコックガーとかドラポジガーとかいうのは
そんな言い訳アロウズがいきなり細くなった時にミシミシ言わせながら乗ってた
チーヴァーさんやワーウィックさんとか、
鬼才ニューウェイ先生のレイトンハウスに乗ってたグージェルミンさんに言ってみろってw
カペリによればグージェルミンはいつも痣だらけになってたって。 それも言い訳でしょ
つーか言い訳にもなってない
乗り込む前に拭かなかったのならプロ意識のカケラも無い
それも自分の責任だしな 93モナコでリタイヤ時の『あ〜右手が金井克子状態!』が耳を離れない 自分は断じて悪くない!
悪いのは、このスレのキティたちだ!
39.111.238.85 の正体はアグリンだったのね エドリアン・ニューウェイが鬼才ならゴードン・マーレイは何才? >>838
色々酷かったなw体を張ってプロストを止めるとかさ
ライオンズナイターでも中々ない贔屓っぷりだった
日本人皆セナファンとでも思っていたのだろうか もうちょいフジの方で出来る限り公平にってのは躾けておいて欲しかったよね
石橋はちゃんとセナ好きだったから貰ったグッズ大事にしてそうだけど、定岡なんてサイン入りのグローブ失くしたとか言ってたの見てふざけるなって思った >>822
合うシート作れないって普通は本人のセッティング能力に類する問題じゃないんですかw
最初の走行で「おかしいからココ削ってくれ」とか「マットでも貼って足してくれ」とか。
チームメイトに優先権のあるTカー(確かラルース時代はレース毎に交互)に
シートもペダルも調整せず乗り換えるしか無いというくらいの緊急時ならともかく。
もしくはアンドレアモーダの場合、あの運用状況を見る限り
マッカーシー車もモレノ仕様でおかしくない。ウレタン膨らまして作るシートシェルくらいは
ありゃ基本的に嵌めてベルト通すだけだからマッカーシー用も作って付け替えてたとしても。 そういえば「中嶋悟のF1日記」のティレル移籍後編では
「ティレルではシート合わせに粘土を使う」って書いてあった。
クラッシュテストに使ったモノコックなのか、サイド部を切開して作業しやすくしたサンプルがあって
その中に粘土入れて中嶋氏が座ってシート合わせをする写真も載ってたけど、
確かにそれなら直でウレタン流し込む一般的な方法より微調整もしやすいし、
一度形が決まってしまえば反転させた型を起こして幾つでも実戦用シートを作れるんで
非常に理にかなってる。
作業性は多少落ちるけど、別に側面を開けてない実車そのものでも出来るし。 >>844
> 合うシート作れないって普通は本人のセッティング能力に類する問題じゃないんですかw
ワーウィック、チーバー、グーミンちゃんたちにはセッティング能力がなかったそうです >>835 >>846
いやそこはベルガーの場合にもあてはまるけど、
「体格に対してモノコックが狭すぎる」っていうのと、
「その状況でもパフォーマンスを発揮出来るためのシート合わせやドラポジ合わせをきちんとする」
てのは別次元の問題なのでw
実際それでベルガーは駆け出しの若手の頃に乗ったATSとアロウズ以外は
渡り歩いた全てのチームで1勝以上してるし、
ワーウィックとチーヴァーもアロウズのチーム力からすれば言い訳不要な成績を挙げてる。
グージェルミンは確かレイトンハウスマーチの2回の表彰台のうち1回(3位)に上がってるうえに
それ以外でも入賞多数よ。 なるほど、ベルガーもセッティング能力が無かったそうです>>835
亜久里はチーム任せでオーダーもせず、言い訳に使っていた
他のドライバーはオーダーした中で成績を残した
その根拠を示していただきたいものですな >アグリン >>838
そんな表現してたっけw
改めて聞くと絶妙な喩えだな。
当時は子供だったから金井克子なんて言われても解んなかったと思うけど。 でも実況席にF1関連以外の人が座ったのは、石橋が最初で最後かな? 93のモナコはふざけすぎたな
石橋のやってもーたー!!とか、電波少年の企画に乗っかって松村の「バウバウ」を古舘がフォーメーションで叫んだり。 93年て日本のF1人気がピークを過ぎて何かしらテコ入れをしなきゃいけないと
フジが焦り始めてた時期だからな。
芸能人絡めるあたりいかにもフジらしい。 プロ野球ニュース内で、人気に陰りが見え始めたF1とまだまだ国民的スポーツだった野球を無理やり絡めようとしてたな
F1vs田尾安志とか意味の分からないコピーが当時あったのを思い出した プロストは周回遅れにされる時89モナコでアルヌーにされたようになかなか譲らずセナが右手でどけって怒ってたな どけどけアクションがセナはセナっぽく、アレジはアレジっぽいのが面白かった >>850
> でも実況席にF1関連以外の人が座ったのは、石橋が最初で最後かな?
今宮御大(現役) >< 平子理沙ちゃん、あの頃は可愛かったのに今ではコラーゲンのバケモノみたいになっちまったなぁ >>855
田尾と中野浩一が確かイギリスかなんかに来てたよねw >>855-856
90年のモナコのリバージュの登り坂でも、ミナルディに、右手でどいてくれをいうような仕草をしていた。
>>859
中継の冒頭に、ちょっとだけ映ってて、古舘も触れてたね。 片山右京とかいう山とか自転車の人もチョイチョイ来てたね 小室哲哉が来た時は、小室の知識が凄かった
番組で「F1しりとり」をやったんだが、川合ちゃん相手に見事勝った 92鈴鹿のプロモでいいともに来たセナにムツゴロウさんの真似をさせた松本って。 メッシにしょうもない質問をした明石家さんまとかね。
スポーツ選手につまんないウケ狙いやんなくていいよと思う。 セナは結構ノリノリだったよ。
ハマタになんどもちょっかい出して「大してウケてないやろ」と言われてた >>877
イモラで死なずに済んだら、今でも来日する度にテレビ番組に出ていたかも知れない。 残念ながら今の日本のF1の不人気っぷりでは需要が無いわなぁ >>853
Qさまに永井が出ていた
過去の有名人の顔写真を見せて名前を当てるクイズで
プロストの写真が出てきたのだが
永井「アラン、、、、、プロント!」 セナが事故死した時にオートスポーツに追悼記事書いた元編集の人が、
菅生にカートの世界選手権で来日した少年時代のセナを取材しつつ手伝いした時のことを
振り返ってたけど、それを見る限りでは中身はブラジル生まれの純朴な青年みたいだったからな。
マクラーレン時代にベルガーと組んだら思いのほかプライベートでは気が合って
ノリノリでイタズラし合ってたとか聞くと、死なずに引退してたら
セナ×ベルガー×マンセルで底抜け三バカ大将トリオが結成されていた可能性すら。
ベルガーは意外にも引退後にインディ/CARTシリーズに興味を示さなかったけど
セナは実際エマーソン・フィッティパルディの誘いで1回テストで乗ったこともあるし
F1辞めたらホントに出たかもしれないな。
存命中で現役復帰可能な年齢・体調のドライバーで「世界三大レース全制覇」にリーチ掛かってんのが
アロンソとモントーヤ、「F1チャンピオン・ルマン・インディ500」にリーチだと
多分ジャック・ヴィルヌーヴとマンセルしか居ない。 あ…いやマンセルはインディ勝ってないや。
むしろエマーソンの方が一応引退はしてるけどルマン勝てば
「F1チャンピオン・インディ500・ルマン」の3冠いけるのか。 >>834
ロータス絡みのCMも、ファンだった自分としては好きだったな。
塩野義製薬がCMでは目立ってたね。
スポンサーも日本企業が多かった。
田宮模型、日立、コマツ、イエローハット等々…
アクティブサスは、コマツ製だったかな。 >>880
間違いといえば、中学生だったとき、レイトンハウスを「ベネトンハウス」と覚えてた同級生が…
うちの嫁は、「高山右近」と「片山右京」がごっちゃになって「片山右近」って。 モナコGP・ルマン・インディ500‥
昔だったら難コースゆえの毎年のGP優勝者に送る
”リンクマイスター”ってのも有ったんだけどね。 >>885
ベントンハウスという店はサンフランシスコにあったよ
当時、日本にないデザインのTシャツを買った >>883
当時のガキ使のトークでまで言ってたからね。
>>885
ビートたけしが、右京のことを、「高山右近さん」ってボケる。 >>881
CARTのワールドワイド化に反発してIRLを設立してシリーズがスタート、両者の対立が本格化したのが1996年。
インディ500という切り札を持つIRLにチップガナッシが寝返ったのが2000年。
焦ったCART経営陣がIRLにすり寄ろうとして参加チームに無断でIRLと同じ車にしようとして
参加チームや自動車メーカーを怒らせた挙げ句
IRLに逃げられたのが2001年末。
仮にセナが生きていたとして、セナがF1を引退すると予想される時期とCART、IRLが対立してる時期がモロに被る。
とすると、セナは生きていたとしてもインディ500には出なかったんじゃないか?
組織同士の政治的対立を嫌がって。 そのときゃCART斜陽真っ逆さまなんで気にする事も無い時期。
セナかF-1引退後、実際出たかどうかは分からんけど‥大ニュースにはなったろうね。
※もともと後のCART仲間が、USACの古臭い方針(米人強い、一番。ぐるぐる回るのが大好き。)
にウンザリして「我ら袂を分かつ。」で 枝分かれしたのが最初なんよね。
モナコ優勝、インディ500優勝、ル・マン優勝 このうちの1つでも優勝すればそれなりに称賛されるからな。
佐藤琢磨もその1人か。 片山右京てお爺さんが片山左京だったっけ?
古舘がポールポジションかなんかで話してたような >>892
右京のおじさんだね。
右京が生まれた時に左京おじさんが来たから
「じゃあ右京にしようか」で決まったってw >>881
マンセルがセナとおふざけとかありえんわ セナはプライベイトの時間は他のドライバーとあまり接点が無かったからな。 >>889
しいて言うとCARTがUS500を引っ込めて日程が被らなくなって以降は
チップガナッシとかモー・ナンとかチームグリーンとか幾つかの有力チームは
(最初のうちはペンスキーも)掛け持ち出走してたでしょ。
その辺りの時期だとCART出ながらインディ500だけ出るって線はあったかと。
どちらかというとトヨタとホンダの機嫌を損ねる結果となったことで
両メーカーと繋がりの強いチームが順次完全移行を選ぶに至ったという面のが強いかと。
エンジンは何でも良いってチームはフォードワンメイク化以降も残ってたけど、
意外にもホンダエンジンチームだと思われてたフェルナンデスも2003年に至るまで
CARTの出走続けてたりするし。
トップチームと言って良いもんか分からないがコンクェスト・レーシング
(エリック・バシェラールが立ち上げたチーム。ザナルディの「最後の13周」用の車提供したところ)
に至っては、CART最後のシーズンまで掛け持ち続けてる。 >>896
ピケはセナの葬儀には一切出席していなかったよね。逆にピケらしいと思ったぜ。 現役選手に関しては、葬式に出る出ないはパンピーの常識を当て嵌めなくていいと思ってる。
片山敬済だか忘れたけど、死を身近に感じると自分のパフォーマンスが落ちるから葬式には一切出ない、みたいな発言を読んだこともあるし。 >>898
ピケは元々不仲だったが、名代として弟分のモレノは出席してた気が ザナルディはCARTで活躍したけど、「アレックス・ザナルディ」ってなってなかった?
NHKのBS1で当時録画放送されていたけど、アメリカではそう呼ばれてたのかなぁ。 そうよ。
アメリカではその通名でやってた。
JJレートみたいなもんじゃないの。 ツガーさんも、グランプリボーイズの中でナニーニのことをアレックスと表記してたような? >>901
アレクサンダー、アレクサンドロス系は英語圏での愛称はALEXだよ >>901
ギリシャのアレクサンドロス
アレッサンドロはイタリア語名
英語圏ではアレキサンダーAlexander
なんでアメリカではアレックスにしたんだろうね 〉チップガナッシとかモー・ナンとかチームグリーンとか幾つかの有力チームは
懐かしい名前でたなあ。
ガナシとグリーンはともかく、モー・ナンさんは今なにしてるんやろ‥。 カフィも87年の中継だとアレッサンドロカフィだったぞ
それがいつの間にかアレックスに変わってた
あと、ジョニーも愛称だしな アレクサンダー・ブルツもアレックスに。
マッシミリアーノ・パピスもマックス・パピスになった。 マンセルも石橋とカート対決してたんだな。抜きつ抜かれつ勝てると思わせて最終コーナーで抜くあたりはさすが。 >>911
セナ、マンセル、アレジ、亜久里が出たな。 生ダラは引退直後の中嶋悟が出たときに
「マッチとかのタレントレーサーについてどう思うか」という質問に対し、
「いやぼくもこうやってテレビ出てるからね)と答えてたのが印象的だった マッチはいろいろ言われるけど、富士のインターF3でも予選ヒートを勝ち上がってバリチェロやクルサードたちも居る決勝走ったりしてるんだよな。
真面目にやってたし、悲惨なほど遅いってこともなかった。
今やチームを持ってレース業界でそれなりの立場を手にしたのも、ずっと本気だったからだろ。 ttp://takagiri.jp/essay33.html
>その年、関谷正徳さんがテレビ解説だったので、相談してみたが、
>関谷さんと話し合いに入ると、機嫌が悪かった。
>「テレビ局がレースをすると、とんねるずのカート大会みたいなことを
>させられるんじゃないの?」というのが関谷さん最大の危惧だった。
>我々コアメンバーは「真摯にレースに取り組むこと。今まで伝えきれなかった
>レースの文化を伝えること」などを説明するうちに関谷さんも理解し、
関谷さんはカート対決がお嫌いだった模様 >>914
GTでもポルシェ962Cで勝ってるんだよな
この車で負けたらおかしいレベル差ではあったが >>914
才能無くとも長くじっくり我慢して続けてると、この位は走れるようになる‥の良い見本。
当時は才能あるのが若いうちにやめてしまう(とくに金の事で)‥なんて事が多かったから。
始めの頃はその特別待遇に、有力プライベータ―からも文句たらたら状態だったんだけどね。 レースやってれば妬みやっかみだらけだよ。
トップチーム+トップドライバーの組み合わせからはあまり出てこないけどね。 ↑いや、さすがに言われてもしょうがないレベル。
当時、車のCM絡みなんで会社の上からの指示も有ったんだろうと思うわ。
今では皆の笑い話だろうけど。
まあ、その位才能は無かった、本人も誰だったか対談で笑いながら喋ってたし。 別にマッチだけレギュレーション違反のクルマを使えた訳でもないだろ。グリッド上で最速を争う1台だったとは思うけどさ。
本人談の「俺は才能無いな」を額面通りに受け取ってどうすんの。
そりゃマッチがF1に乗るような才能があったとは思わんけど。 愚か者は明菜の金をレースにつぎこんでたんじゃなかったっけ? 優れた才能があるドライバーならば、運転技量に優れ、レース界や製造メーカーの上層部からも注目されて
各カテゴリーをとんとん拍子にステップアップしていくだろうな。 >>923
当時、1位中森明菜の難破船で2位が尾崎豊の核という
どん底のようなチャート週だったらしい マッチはドライバー辞めてからのチーム運営での、モータースポーツ界への貢献が半端ないと思う マッチというより近藤監督という呼び名の方がしっくりくる 人は持って生まれた才能があるからね。どんなに運転を練習しても遅いドライバーは遅い。 >>929
マッチがジャニーズに入らなければ
コンドーレーシングも近藤監督も誕生しなかったのだから皮肉なものだ。 スーパーフォーミュラでも、マッチのところのキャシディが勝ったな。 パトレーゼは当時最多出場の割に上手さや狡猾さや粘りといったものが感じられないドライバー
良い所でマシントラブルが発生するのも彼のドライビングスタイルが車に負担を強いるものだったとの裏付けである
にしても87年ブラバムのカラーリングと渾然一体となったヘルメットと斜めになったカーナンバー7が鈴鹿で一時6位に躍り出た瞬間から完全なファンになってしまったのだから仕方ない 91イタリアで鮮やかにセナをパスしたと思ったらスピンしたり、92ハンガリーも勝利を逃すし、所詮は空き巣狙い。 92年はマンセルは遥か彼方で見えないが
パトレーゼの後ろ姿は見えるという評価だったな 1992のホッケンハイムのパト。最終ラップではセナを抜きにかかりコースアウト。
現代F1では一か八かの追い抜きはほぼ皆無になったけど、当時はこんなシーンが観られたから
面白かったわ。 速いベネトンブランドルの後にパト乗って本当にガッカリした。で予想通り遅かった。 93年のパトは常に顎の後ろだったから気持ちが滅入ったわ。 そうは言っても得意のハンガリーではヒルさえ居なければ勝ててた訳で 93年のパトレーゼ、黄色いスーツが個人的に似合ってなかった気が…
青のイメージが強いんだよな。 パトは好きなドライバーの1人だったけど、93年は見る影もなかったな。 鰤子飼いのミハエルとウォーキンショー子飼いのブランドルで対等に競い合えた92年と違って、パトレーゼは完全なNo.2だったからな。ミハエルの横柄な態度に涙したエピソードも含めベネトンのパトレーゼは不憫で仕方なかった ハンガロリンクで2位になったけど、前が勝手に潰れただけだからな
フェラーリ勢やアンドレッティとペースがほぼほぼ一緒だった
いかんでしょ パトレーゼは、アクティブサスの挙動に慣れることができなかったそうだ。
確かに、91年はマンセルよりもポールの回数が多かったけれど、92年からは、予選からして、チームメートに大差を付けられていた。 この人は‥颯爽デビューした翌年から、結構辛いF-1ドライバー人生歩んだから‥。
90年代なんて完全下り坂、ピケと組んでたブラバムの頃がピークやね。 >>942
ブランドル切ったのを鰤が相当後悔したようで、今でもブランドルに数年おきに会う度に「あの時はスマンカッタ」と謝っているそうな でも、93年のブランドルも随所でいい走りを見せていたね
あのくそダルそうなマシンで13ptを獲得した走りは流石と思わせるには十分だった
ブランドルは一般社会でも見られがちな仕事は出来るけど出世には縁が無いタイプだったんだよ 92年のホッケンハイムで、顎とパトレーゼが延々とバトルしてたのが印象的だった。
アクティブが苦手ってのはあるだろうけど、それでもB193と争っちゃうほど戦闘力低くないだろうに…と。
なのにベネトンに移籍したら、こりゃボッコボコにされるだろうなと思ったら案の定。
どうして鰤はパトレーゼを取る気になったのやら。 >>948
直線の速さで圧倒的にルノーエンジンに分があるはずだったのに随分苦労してたね
抜き方も鮮やかなオーバーテイクではなくミハエルのブレーキロックの隙を突いてのものだったし
その後のセナには遊ばれていた感すらあった
単純にドライバーの腕にクローズアップをしたランク付けをしたら92年のパトレーゼはベンドリンガーやアルボレートより下だったと思う まあそのアルボレートも、
93オフのベネトンのテストでは、パトレーゼの出してたタイムよりはるかに遅かったし、
レートよりも2秒も遅くて結局シートは奪えなかったな おいおいミケーレ・アルボレートさんは伝説のカーナンバー27の系譜の人だぞ >>948
B193がアクティブ積むので、開発ノウハウが欲しかったんだろうね そのミケーレおじさんにフルボッコにされたあg、おっと電気系トラブルだ アルボレートは存命なら62、3歳くらいなのかな。グットウッドなんかで、ライバルだったピケやアルヌーが当時の車に乗って嬉しそうに走ってるのを観てたら寂しくなったよ。 >>952
フェラーリで一番長く27番を付けてたわりに影が薄い気がする。
85年にフェラーリがアルヌーの抵抗を振り切ってベロフを獲得してたら
86年いっぱいで放出されたんじゃないか? 同じ27番のアレジと比べても、アルボレートの方が勝利数が多いのに、アレジの方が印象が強い。
日本のF1ブームの時期と、アルボレートの全盛期がずれているのが原因か? 全てに渡って地味な堅実なドライバーだから。
派手なドライバーの方が印象に残る‥特にフェラーリは。 アルボレットさんはベルガーには今でも悪口言われてるけど、
フェラーリやめるときにスタッフ全員にお土産渡したとかなんとか。 アルボレートはフェラーリ内紛に巻き込まれた犠牲者の一人だろ。ナンバーワンだったし仕方ないね。
87後半にベルガーがナンバーワンになったらアルボレートを上回ったけど、その前はアルボレートの方がリードしていたわけだし、ベルガーとしては拮抗した相手だったんだろ。
対抗心がある(あった)からこそ未だにアルボレートを悪く言うんだろう。 >>966
アルボレートは濃い目のイケメンだった印象だが?
好みは人それぞれだけど。 >>967
昔にベルガーの自伝を読んだらアルボレートとファビはボロクソに言われてたな ファビは予選速かったからなぁ
もっと良いマシンに乗って欲しかった 86地元オーストリアでファビにポール奪われた(ベルガー2位)のが滅茶苦茶悔しかったらしい オーストリアではファビに逆転されてPP逃したんよね… ベルガー曰く、アルボレートは最初から敵対心を持っていて会話はほとんど無かったって言ってた。
たまに話を聞いたと思ったらワザと正反対のセットアップを試していたこともあったって。
アルボレート曰く、後からフェラーリに入ってきた奴らは86年の成績だけでベルガーを贔屓する
(ベルガーFL2回優勝1回で総合7位、アルボレートPPFL優勝無しで総合9位)ので
どうにもならなかったって言ってた。 ベルガーって日本じゃ好漢扱いされてたけど、話を聞く限りだとセナと組むまでは
出世の為なら容赦なく他人を蹴落とすタイプだったんじゃなかろうかと思う >>977
>>出世の為なら容赦なく他人を蹴落とすタイプ
そもそもモータースポーツのレーサーなんて全員そうだろうな。お人好しは勝てない。 25年前のスパじゃ全然踏めずアゴに周回遅れにされて悲しかった>パトレーゼ メディアは好漢と言ってはいたけど、
いろんな面白い逸話的なも見聞きしても、「調子のいい奴」であって、内容は決して「好漢」ではなかったぞ。
91エストリルだかでパトレーセを上空に吹き飛ばしてパトレーセに落ち度を指摘されたら、
「次回ピットに入るときにはお前の自宅に電話しようか?」と相手を小馬鹿にして取り合わないとか、
人としてもレーサーとしてもクズだと思うよ。 >>978
↑ほお、デパイエに息子いたんか、知らんかったわ。 >>977
ふつうじゃね? 若くしてフェラーリに移籍できるレベルのドライバーがアルボレートに気を使うようなレベルなら、
フェラーリに行けるわけねーし >>981
92のエストリルの、パトレーゼの有名過ぎるクラッシュシーンだね。 >>981
スポーツ走行の時とかはウィンカーの無いレーシングカーは
手を挙げたりして合図をするように、というルールがあったり、
例えばバイクの鈴鹿8耐とか見てると最終コーナーの「PIT IN SIGN」って看板が出てる辺りで
ピット側の足をスッと出す(ルール上は左手を挙げるのでも良いらしい)光景が見られるけど、
F1の決勝レース中に実際に合図してからピットに入ってるのを見たこと無い気もする。 かといって、F1にウィンカー付けても…何だかなぁって。 アルボレートがベルガーを贔屓する人物の筆頭にジョン・バーナードを挙げていたが
ベルガーがアルボレートより速くなったのは
バーナードが「新規定(3.5gNA)車の設計を始めたい」と言って
現場に来なくなってからなんだよね。 >>985
画質悪くて見づらいと思うけど、1986年モナコGP決勝のアイルトン・セナ。
https://i.imgur.com/FbivlJR.png >>989
真後ろにクルマが居ると分かってる時は本来ちゃんとやるものなのか。 >>990
カート上がりだと習慣で
ピットインピットアウトに手挙げてしまうに1京ジンバブエドル 事実、前車のドライバーが手を上げても後続車のドライバーは認識できるのかね? 92年のマンセルはなかなか譲らない周回遅れによく腕を振り上げてた >>981
マンセルに幅寄せして360度スピンさせるベルガーがクズなのは否定しないが
そんなベルガーがGPDA復活させた功績があるのも事実
憎まれっ子世に憚る ともいえる 「ベルガーはどうしようもなくスケベな奴だけどどうしようもなくいい奴なんだ」
By川井一仁 マンセルは切れたら世界一速いドライバーたけどそこに至るまでにムラっ気がありすぎてなぁ このスレッドは1000を超えました。
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