【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 60laps
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
!extend:checked:vvvvvv:1000:512
あの頃のF1って良かったよね
・セナvsプロストvsピケvsマンセル
・ターボから自然吸気へ
・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
∧_∧ ※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
(´・ω・) 他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
(__) スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
前スレ
【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 59laps
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1513407767/
次スレッドを立てる時、本文(テンプレート)の最初に以下の1行を追加してください。
!extend:checked:vvvvvv:1000:512
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured 今の奴が付いてたらセナもしななかったんだろな。
つーか、つけるの遅くね?セナ事故を教訓にしてあとすぐに考案すべきだったろ。 >>131
このシンプソンは、スターウォーズモデルとも言われてたね 映画「グッバイヒーロー」 でE・アンジェリスの扱いが少なかったのは残念だった。公開の前年不幸な事故で亡くなったのに。
主役にはなれなかったが80年代前半のロータスを支えた名ドライバーだったと思うが。 コーリンにGP-3 Mansellを買いに行ったら、名古屋彰似の店員がしつこく「シンプソンどう?シンプソンどう?」とすすめてきて困った。
あまりにしつこくて、名古屋彰の上司が「この人はアライが欲しいって言ってるだろ!」と叱ってくれた。
https://i.imgur.com/lYEolEV.png カーグラで車のテストやる人でビルニューブのカラーリングのヘルメットの人いるよね たぶんCG編集部の人
親父のほうのカラーリングでオレンジのラインがグリーンになってる この頃のヘルメットだと、由良拓也がデザインしたショウエイクアトロが好きだったな
ベルは定番人気だけどいかにも重そうな、メリケンらしい野暮ったいデザインが好かなかった
ピケが91から装着したモデルから軽量化したようだが
アンジェリスはアライに変えて間もなく事故死しちゃったね
ベルガーを炎上事故から見事に救って顔に火傷あと一つ付けなかったが、エリオは窒息が原因だもんね
ポルトガル見たらまだ殆どの指テーピングしてて、指の火傷はなかなか良くならなかったようだ ホンダレオスのぼうたいもショウエイのぼうたいの型を流用してたんだけどね。
あと、アライは昔からアライ側から営業仕掛けることしていないので、ウィリアムズだからとか関係ないはず(と聞いていた)。
レオスの話は本当です。
なぜなら、ミーはレオスの人間ではないけれど、F1側の中の人だったから知っている。 >>144
色々言われているけれど、酸欠とそれとは関係ないのでは? >>129
そもそも無限V10にスイッチした理由が
フォードHBの使用料がかさんで次の年の供給断られたからって話だが 中嶋悟って、予選10位以内でスタートしたグランプリが10戦程あるけど、ポイント獲得できたのは88年のブラジルだけなんだな。
シングルグリッドが7戦あった88年は本人のミスも確かにあったけど、とにかく車のトラブルが多かったね。メキシコ、ベルギーみたいな力強い走りのレースがあっただけに残念だね。 生で見れなかったけど
メキシコのOPラップなんかもし見てたら興奮してお漏らししたかも知れん カーグラのサーキットテストの担当って塚原さんだから、塚原さんかも。
小林さんから加藤さんになって編集者がだいぶ変わったから今は知らないけど
阪さんが編集長時代は毎月買ってたなー。 一時ティレルがフロントノーズ持ち上げてダウンフォースつけるのやって、全チームで流行ったけど、
あれ今は禁止なのか?
あれって確か中嶋が考えたんだろ 他車の側面に衝突したときに危険なので高さが制限されました >>151
そうなの?中嶋にそんな才能があるとは思えん。 ドルフィンノーズのことかな
マクラーレンだけは頑なに採用しなかったな >>154
やろうとはしたけどね
MP4/5Bのテスト車とか醜悪そのものだったよ ティレルはコルセアウイングな
その前からノーズを少し上げてマシン下部に空気流してダウンフォースを得ることやっていた
ティレルと同時期にベネトンも同じこと考えていて開発していた。
ベネトンはフロントウイングの強度も考えていて吊り下げ式にした。
コルセアウイングを考えたのは、ハーベイ・ポストレスウェイトとジャン・クロード・ミジョー
中嶋じゃない。つーか釣り? ティレルも最初はベネトンと同じ方式の吊り下げ式だったらしいけどノーズ下への整流を考えて真ん中を外して
見た目がかっこ悪いからステーをコルセアっぽい斜め形状にしたってどっかで読んだ気がしたけど誰のインタビューだったかな 以前にも話題になった事があったかもしれないけど、87〜88年にコスワースDFZ積んでたチームって、ティレルやベネトン辺りを除いてエンジン剥出しの車が多かったよね。
マーチなんかがジャッドエンジンのオーバーヒート対策で後方カウル外して走ってた記憶はあるけどなんでなんかね? 現代F1は20台出走して10位以内で入賞だけど、当時は26台出走で6位だったからな。
予選中位〜下位のマシンの入賞が、いかに難しかったのが分かる。 >>161
いやいやトップチームが普通にリタイヤするのが当たり前だったから
10番手前後でちゃんと速かったら6位とるのは不可能ではなかった >>160
あの頃は70年代のロートルな技術レベルや知識でF1やってるチームが普通にいた
下手したら2年前くらいのチームの車を再整備して出てたAGSとかそういうのがあったから
空力の重要性についての知見が蓄積されたのって
フラットボトム規制が入ってシャシー上面を重視せざるを得なくなった80年代半ばくらいからなんで
87年くらいなら70年代みたいにむき出しでもええやって考えがあっても驚かん >>158
アンヘドラルウイングだったかと
ノーズを持ち上げたのはティレルよりマーチが1年早かったと覚えている 話ぶった切ってごめん
ロンが93年にマイケルアンドレッティを起用した理由ってさ、フォードの最新エンジンを獲得するため?
だとしたらモンツァで表彰台に乗った直後に切るってのもなんかおかしくないか? >>150
塚原氏と加藤氏はどっちかがマンセルでどっちかがパトレーゼの色違い、
あとテストアシスタントで機材持って助手席に乗ることの多かった女性(江木さんかな?)が
ヴェンドリンガーの色違いを使ってた。
この時期は元星野さんのレースエンジニアの編集者の人が
自分の長期テスト担当車の「体力測定」で谷田部で走る時にシンプソン・シャーク(凹凸の無い方のやつ)
使ったり、星野さんのお下がり被ったりしてたものだ。
もっと驚いたのはオートスポーツの早田氏が後にカーグラに移籍してきた点w >>165
そうだよ。だからフォードはベネトンとの契約を変更してマクラーレンにも同じスペックのエンジンを出すためにいろいろ画策した。
マクラーレンにはベネトンが使った旧スペックをベースに改良を施したエンジンを出してみたり(そのエンジンも高い競争力があった)。
そんなことを繰り返すことで、最終的にはベネトンがマクラーレンにも同じスペックを供給することに合意したんだな。
マイケルアンドレッティが表彰台に乗ったモンツァの頃には、翌年のプジョーとの話がまとまってたんじゃないの。 >>160>>163
むしろマーチは881の時点でウィング底面とノーズ底面がツライチなくらいには
リフトアップノーズ+床下依存の空力になってたから
床上側の比重は少し少な目→よし冷えないならエンジンカウル外しちゃえってのが
性能低下幅としては案外少なかった可能性。
全日本F3000でも、記録上は89年途中から90年序盤までレイナード89Dを使ってたフナキレーシングのマシンが
ハセガワのプラモで模型化された仕様では、せっかく標準装備されてるエンジンカウルを
取り外した状態で、「カウル付き仕様」のデカールとか組立指定が一切無しになってる。
エンジンカウルがサイドポンツーンの後半とかインダクションポッドと一体になってる場合は問題になるとしても、
センターの部分だけなら、少なくとも当時の空力設計のレベルでいうと
リアウィングのエアフローにはそれほど影響無かったってかね。 マイケルは記者会見で
「ルノーに乗れるって聞いてたんだけど」
とか話してたんじゃなかったっけ? 最新フォードを当て込んでアンドレッティを雇ったって話だったのか。
なんか91年あたりからマクラーレンでテスト走行をしてたから
それとはまた別の話かと思ってた。 むしろ92年頃にアル・アンサーJr.がベネトンのテストしたことがあって
そっちの方が何の目的だったんだろうという印象…。
当時アンサーJr.はシボレー・イルモア陣営のギャレス・レーシング
(ついでに言うと92年時点では例の元マーチUSAが作ったギャルマーシャーシを使用)だったけど、
別にベネトンからいえばイルモアのエンジンに興味を示すほどの理由もなかろうし。
「ミスター・オーバル」と呼ばれたリック・メアーズ(まあこの時点でベテラン)とか
両方でバランス良く勝ち星を得ていたマイケルに対して
リトル・アルは「ロード・ウォーリア」の異名を持ってはいたから
持ち込み付きNo.2的な立ち位置で使い物になるかどうかの興味でも持っていたのかね。
ジル・ド・フェランがテストドライバーしてたのに結局は乗せてもらえずに
F3やF3000の頃に貢献したレイナードのコネでアメリカに行った、というのは
ベネトン関連人脈ではよく覚えてるが。
レイナードF1計画の絡みで一時ロリー・バーンが移籍してきたから
もしかしてチャンスがあるかもとバーンが出戻るのにくっついてベネトンにテストドライバーで雇ってもらったけど
やっぱレギュラーシートには大金必須と分かって諦めて、
国際F3000とかでまだ残ってたレイナードとのコネでジム・ホールのチームに推薦してもらった流れかね。
もうちょっとベネトンで丁稚奉公して、JJとかヨス番長みたいな立ち位置でベネトンのNo.2に収まるのを選ぶべきだったか
劣勢のグッドイヤータイヤで我慢しつつ「でもアイツはタイヤが悪いから勝てないだけで手堅い結果を出してるじゃないか」
って正当な評価を得た結果ペンスキーのエースに抜擢されてアメリカでザナルディ以来の大成功を収めたキャリアが良かったかは
本人にしかわからないだろうね。 >>172
アンドレッティがシートを得るまでは確かにフォードとはあまり関係なかったかも知れないけど、いざアンドレッティが居ればフォードとの交渉はやりやすいな。 >>175
それくらい下らなくて懐かしむ人間がいない
数人が努力しても無駄
何回も消えてる マーチの881をニューウェイがデザインした時
リアウイングの内側にスポンサーのデカール貼ったら
デカールの凹凸で空気の流れが乱れだろ!って怒鳴ったと当時の雑誌に書いてあったの覚えてる
当時、エンジン冷やす為にエンジンカウルなしのマシンもあったのに
ニューウェイは正にデザインの鬼 カペリがエストリルのストレートでセナのMP4/4をぶち抜いたのは衝撃的だったなあ。チャンピオンはまだしも、GPウイナーに名を連ねるのは確実だと思ったもんだよ。
まさかこの年が彼のキャリアハイになるとはな・・・ >>179
スパッと横に並ぶ抜き方もかっこよかった。エストリルのレースはやたら楽しかったわ。 1990年あたりはカペリ、アレジはいつかチャンピオンになるもんだと思ってた モナコで壁に立てかけてリタイアしたカペリ、周回遅れにされるフェラーリ...色々衝撃的な92年 カペリはキャラミではベネトンやマクラーレンとバトル出来てたのにな
どうしてああなった 92年が641/2レベルの働きをしてくれたらカペリもアレジも違ってただろうに
あとカペリは赤城氏の去就が気になっていた時期ってのもあるかも >>117
アクティブは一応成功でしょう。
モナコやアメリカでタイヤ交換を減らして勝てた
空力や車体が古いが… モデナなんかも結構才能あったと思うけど伸びなかった アルボレートが堕ちた理由はなんなんだろう?
フットワーク無限で復活したけど >>163
1987鈴鹿の下位チームの予選タイムはF3000と同じくらい。
空力の重要性はわかってはいたが、予算の都合でということではないかな。 >>186
ホンダの桜井元総監督はロータスはアクティブを継続するべきだったと言ってたが、アクティブサスはチャップマン時代から温めたて技術でしょ。
成績不振でホンダを失ったとしても、継続してれば後に相当なアドバンテージが得られたき メリットもあるけど重さなどデメリットもあるから一旦引っ込めたんじゃなかったかな。 そんな言うなら桜井さんがどっかから資金引っ張ってきてでも継続するか
権利を買い取って(または借りて)テストチーム立ち上げれば良かったでしょうが。
うまくいったら実戦投入の優先権はロータスにありますよ、的な契約で。 >>191
当時のASICではアクティブを実現できない
アクティブにこだわりすぎたことでシャシー開発資金失ったのがロータスの致命傷 >>189
1985年タイトルとれそうだったのにマクラーレンがポルシェ経由でKKKに圧力かけて
ターボ供給を停止したのが大きい
後は89年にティレルいったまではいいがシーズン途中でベネトンの席に色気出したってことだな
ヨハンソンは本当に運がなかった感じ
フェラーリ→マクラーレンで着実に仕事してたんだけど4強の椅子が開かなかったのがね >>188
モデナはそれでもアレジの後釜としてティレルに加入した時はそれなりに期待されてはいた。
持ってなかったのはカフィ。フットワーク以外の所属チームがイタリア系縛りでもあったのかと思うくらい
こだわってたのかと。
(アンドレアモーダも元はコローニだったし)
チェザリスとかのようにこだわらなければな ガショーもチームに恵まれなかったな
唯一輝いてたのがジョーダン時代
スプレー事件さえ無ければ... 当時ジャック・ヴィルヌーヴは日本にいたんだよね。
フェラーリもNo27はアレジが体現してたけどジャックが乗ったら大変な事になると妄想してた。
後年本当にインディ500含めインディシリーズとF1でチャンピオンになるのは凄い。 久々に古舘「レイトンハウス、マウリシオ・グージェルミン」来た グージェルミンって英フォーミュラフォードチャンピオン、英F3チャンピオン、マカオウィナーでセナと同じキャリアだったんだけどな >>191
確かウイリアムズが買い取ってテストでFW11を走らせてたとか当時のきじに乗ってなかったか?
でパトリック頭が”こんなに速くアクティブは動いては駄目なんだよ”とかなんか言ってて
色々と手を加えていたような記憶がある
ただ、FW07の時にもテストをしていたのもなんかの記憶にあるがウイリアムズですら相当な時間が掛かってたんだろうな
もしロータスがそのまま93年まで継続出来た開発とかが出来るか?というと無理かな
ロータスは普通のお金持ちのお城の横にあるプレハブ小屋での組み立てだからね
ハッキネンの102の初めに乗った車を盗まれた位にただの小屋で出来てるから工場じゃないんだよね
ロータスは消えていく運命にある
そこに比べてウイリアムズとかマクラーレンはかなり技術者を集めた工場を持ち始めてて
カーボンモノコックまで作れる釜を用意したり風洞実験や12ポストリグまでを常備できる施設へと
変貌していく ロータス101のハッキネンが初ドライブしたやつ
(91年体制発表会で緑色、ハッキネンのプレシーズンテストで緑/黄色だったやつ)は
今は日本にあるんじゃなかったっけかな。
101-#01が序盤の中嶋車→テストカーとしてドネリー車
101-#03がアデレードで4位になったやつ、と
以前カーマガジンで(例のタイムトンネルフェスティバルだっけか?ネコパブ主催イベント出走時)
履歴が紹介されてて、確か2台のうちどちらかがハッキネンも乗ったやつ。
で、2台ともクラシックチームロータスジャパンで持ってたはず。
ピケのやつは本国クラシックチームロータスか海外のコレクターが持ってんのかねぇ。 あーコレだね。初ドライブした時のやつ。
https://i.pinimg.com/originals/80/b9/17/80b917c4e1d8f1f546232dd181518eb1.jpg
日本にある2台のうち1台が「コレそのもの」だっていうなら
何かのイベントの時にハッキネン呼んでデモランしてもらうなんてのも粋かもしれない。
大抵は中嶋シニアがドライブしてるけど、このマシンの「現役当時」にドライブしたドライバー2人で
2台を同時走行ってのもアリってことで。
そーいやこないだモレノさんが来日した時、「当初はドライブする予定は無かった」って言いつつ
オーナーさんの好意でクラシックF1をドライブしてトップタイムを叩き出した、なんてあったけど
モレノさんが実戦で乗った履歴のあるマシンで日本に現存するやつってあるのかね。
ホンダコレクションホールにラルトRT21-87があればあるいはってくらいか。
ベネトンB190/191の動くやつなんてのは多分無いし。 ハッキネンのデビュー戦予選13位ってあのマシンって事を考えるとかなり凄いのでは
話は変わるが、91年モレノのシーズン3チーム所属ってなかなかレアだと思う
まあ、ハーバートも後に経験しとるけど 前年のフォイテクも3チームになってる
さすがに4は居ないかな? ハッキネンの102のはロータスの倉庫から盗まれてる
ヨーロッパではかなり専門で行ってる窃盗集団があるというからそういう類 現在も走行可能な99Tってあるのかな?100Tや101はよく見るけども。 99Tだとパッシブ仕様が1台あったはずなので
(一説にはそれがモテギで展示されてる車両)、
現存車で一番コンディションの良いやつにそのパッシブカー相当の足回りを
改めて作って組み付けて、パワートレイン系を載せれば走らせること自体は出来そうなもんだけど…。
アクティブはコンピューター自体は今時の技術でエミュレーション出来たとしても
古いシトロエンみたいなもんだと思うと作動機構周りの方が危なくて乗れたもんじゃなさそうな。 なおランボルギーニエンジンの102も動くやつがある模様。
これはクラシックチームロータスの保有だったかレストアで入ってきてただけだか記憶があやふやだが。
ランボルギーニ3512は何か当時物のマシンのオーナーに使える状態で出してくれるようで、
日本でもJLOCの会長とか古参会員の人とかがLC90(確かex亜久里車)とかLC89とかミナルディ・ランボとか
その辺りを走行可能状態で所有されてる。 システムの事は全く分からないが、当時のパソコンと車体?を通信ケーブルで繋いで
データの送受信していたような?
今ではその古いパソコン(ソフト)もあるとは思えないし、当時のエンジンに現在のガソリンを
入れても始動するのかな?
過去のマシンを走れる状態で維持・管理するのはコストかかる。 >>214
FW14Bよりも去年消滅した弱小チーム()マノーのMRT05の方が速いから
MRT05に乗ってみたい
一応PUがメルセデスだしな ブーツェンは85年に2位初表彰台に上がったり、コンスタントにポイントゲットして、カスタマーBMWアロウズでも完走率高かったんだよな
チームメイトのベルガーに完全に差付けてたのに、ベネトンが選んだのはベルガーなんだよな
こんな堅実ドライバーがいいチームに入れずアロウズ残留で、86はリタイアだらけのボロボロシーズンになったのが意外
89にウィリアムズで二勝して、翌年ポカミスだらけなドライバーになったのも意外
その頃パトリシアとの関係でゴタゴタしてたんかね >>221
ブーツェンは91年リジェに移籍するわけだが、当時、中学生の俺でも彼程のドライバーがリジェなの?と思ったもんだ。当時、リジェは才能の墓場みたいな感じだったし…。 90年のカナダ。ウエット路面で追い越しを掛けたがスピンしてクラッシュ。
フランクさんはかなり憤慨していたよね。 ブーツェンのキャリアハイは2勝した89年じゃなくて非力なフォードエンジンで6回表彰台に立った88年だよね この当時は年間16戦だったから1戦あたりの密度が高かった。あと2戦くらい多くても・・・と
感じたが、現在の年間21戦は多すぎるわ。 今はポイントが異常に多い
優勝10ポイントで6位が1ポイントに戻せ >>220
鈴鹿タイムはどれくらいなの?
今のマシンでFW14Bと比較するとどれくらい違うのか興味があるw >>222
リジェは昔からお金だけはあるチーム
年間予算はベネトンやウィリアムズより多い
実際にマシン開発に使われたのかはあれだが >>222
それで考えるとブランドル(93年)はよく持ちこたえたなとも思う。 93年あたりからはギ・リジェもいなくなったし大分フランス臭は薄れたな
その後のシリル・ド・ルーブルだの鰤だのは最早チームをカネ目的で転がしてるにすぎない >>228
個人的には 9-6-4-3-2-1 は好きだったな。
1台だけ完走した優勝チームがコンストラクタポイント9で、
2-3位で完走したチームがコンストラクタポイント10で1点多くなる。
丁度よいバランスだったと思うんだよな。 91年からの1位10ポイント、有効ポイント廃止だけでも違和感あったからな
いつぞやからの2位8ポイントから頭沸いてるのか?と思う様になり
優勝25ポイントは何も言えねぇって思いしかなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています