【F1】1994〜2000年のF1 6laps down
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MP4/10やF310を超えるダサダサマシンは出て来ないと思ったけど、Xウィング、ダンボノーズ、ちりとりノーズ、ティンコノーズと想像の上を行くダサダサマシンが生まれるとわ(´・ω・`) F310ってダサいって印象しかないしシューマッハも嫌ってたらしいけど
あの年の3勝は結構印象的で良く覚えてる
カタルニアは特に名レースだったし
にしても直線で頭傾ける必要があるマシンってw
>>28
あれはマシンだけじゃなくスタッフの多くを持ってきただけだからそう揶揄された フェラーリの96年の襟巻きみたいなコクピットプロテクター、フェラーリほどのチームなら
シーズン中にモノコックから再設計とか出来そうなのに。
あれがそのままで、更に途中から無理やりなハイノーズになって余計かっこ悪くなった。 96年はV10の投入があった上に、
カーボンケーシングの新ミッションがトラブりまくって、
その対応で余裕が全くなかった
モノコック再作成なんてさすがにね
リアの空力パッケージもミッショントラブルのせいで本来のモノが使えず、
暫くは95年型ディフューザーを暫定使用してたくらいだしね 1996はミッション横置きか縦置きかで分かれていたからね
フェラーリ、ウィリアムズ、リジェ→横置き6段
マクラーレン(6速)ベネトン(7速)他→縦置き
ミナルディが無駄に横置き バーナードは空力では保守的だけどメカでは先進の塊だからな。信頼性が結果的に低い。 バ−ナードはクセはあるが凄い人だったんだがオールドタイプだったんだわ
新しい波についていけなかった人
それでも偉人 アロウズはバーナードが来てちょこっとだけ速くなってたな。
まあアロウズだからまともなエンジニアはいなかっただけだろうけど。 >>33
無駄に横置きというがディフューザーの自由度を求めて横置きがスタンダード(つまり保守的技術)になっていったのが
95年からのステップボトムルールに向けて縦置きにしてボトム部分にすっぽり収めるのが新しい試みになりつつあった頃だと思うんだが 静岡に住んでるとたまにニュースキャスターとして実況鈴木アナが出てくる。
アーバンテサンバインからもうすぐ20年だね。 >>37
フランク・ダーニーがまともじゃないとかどういうつもりだよ
明るくて良い人なんだぞ
と言うか、ちょっとだけじゃなくかなり速くなった
最終戦であわやポールなレベルで フランク・ダーニーなんて実績ゼロ
>>41頭が産まれつきおかしいね、あなた リアルタイムで97年を見てない人がこの年のヒルのリザルトを見たらえっ?てなりそう フランクダーニーとアランジェンキンスは評価が難しいよね。いいとこまで行ったんだけどね。無難だけど速くないみたいな感じかな。 ダーニーはFW11本でF1は空力という持論を披露していた
一方バーンは空力はグリップを得るためにあると F310ってシューマッハ本人がシーズン終了後、見たくも無かったって言う位のクルマ。 アランジェンキンスは大きなレギュレーション変更がなければそこそこ良い車作ると思う
バーンやニューウェイの車の理解は出来るけど一から考えるのはちょっと微妙
フランク・ダーニーはデザイナーとしてはイマイチだけど
現場を指示するエンジニアとしては割と良くて
考え込んだり落ち込んだりしないし明るいキャラでピットの雰囲気が非常に良くなるらしい >>47
面白い。
そもそもロスブラウンはアロウズでイマイチなデザイナーだったよね。それから耐久で頭角をなして、バーンと組むようになってから1流デザイナー入りしたよね。あとガスコインも1流ではあるんだろうけど色々あるよね。 ベネトン以降のロスブラウンは戦略家だよね
ガスコインは開発の方向性の根拠で揉めてトヨタを追い出されたとか >>39
夜のニュースで毎回出てるぞ
昔は声枯らして間違えまくりのキャスターとは思えない程落ち着いたベテランキャスターになってる エスパルスの試合の中継で声が裏返りすぎて「ヨンセン」が「ニョンセン」になってたなw<アーバンテサンバイン
春高バレーの中継で「1ポイント目からマッチポイントみたいな実況をする」ってことで
フジモタスポ班に引き抜かれたんだそうだ ニューウェイとバーンだけがチャンピオンマシーンを作れて
後はダーニーやジェンキンズはフォロワーだな。
素早く追いつくのもTDの力
今だとジェイムズ・キー >>49
「アラン・ジェンキンスは全く才能がないから レギュレーション変更の年はいい車を作れない
それで他の速い車をマネしたものを翌年に作る それでそこそこ速くはなるけど
改良されたトップチームには追いつけない 来年のスチュワートはマクラーレンやフェラーリそっくりの車作るんじゃない?」
Byアグリ・スズキ でもフットワーク位の規模のチームならそれで良いんじゃない?
と思うんだけどね
その次にちゃんと解釈した車作ってくるから結構優秀だと思う
ゲイリー・アンダーソンの名前が全然出てこないけど
21世紀に全く対応出来なくなるとは思いもよらなかった
「かっこ悪くなったが数値が良いので仕方がない」ってニューマシンお披露目の時の話が結構好きw 亜久里が言うと弁解がましいというか、負け犬の遠吠えになってしまう。
そうは言うけどチームメイトは一定の結果を出してるわけだし。 >>56
>来年のスチュワートはマクラーレンやフェラーリそっくりの車作るんじゃない?
ジェンキンスを解雇したスチュワートはゲーリーアンダーソンでグランプリ1勝コンストラクタ4位を獲得したのであった
そのジェンキンス雇ったプロストは・・・
1998年よりランクアップした ジェンキンスが基本設計したSF3をゲイリー・アンダーソンが修正して
混乱の1999年ヨーロッパGPを制覇していたな エアロダイナミキストがTDになれるのって90年代後半で終わってたんだね ゲイリーアンダーソンは何でジョーダンから移籍したの?ジョーダンは誰が次いだのかな? ゲイリー・アンダーソンの後任はティレルが消滅してチームを離れた
マイク・ガスコイン 198の序盤戦が大コケした責任取らされたんだっけ<アンダーソン
前半戦ノーポイントから
まさか後半トップ4の一角を崩すとは 99のジョーダン無限がポール取ったときは期待感が凄かったなぁ
チャンピオンもワンちゃんあるかと思ってた(´・ω・`) >>64
ヒルとラルフの勢いはすごかった。もう少しマシンの改善が早ければ、ウィリアムズも喰えた。
>>65
最後の2戦にフェラーリとマクラーレンの意地を見た。ジョーダンができたことは、無限の鈴鹿スペシャルぐらいだったから。 98年はニューウェイとバーン以外はほぼ大ゴケしてるんで
何処がフォローしてくるかが見ものだったかな
>>60
アラン・ジェンキンス
ゲイリー・アンダーソン
エグボール・ハミディ
この三人が関わってて誰の功績か結局判らないと言う奇妙なマシンだよね
三人がバラけた先での活躍も微妙だったし >>65
フレンツェンリタイヤから始まった大荒れのヨーロッパGPの結果次第ではかなり面白くなったんだけどね 1999はマクラーレンのパクリマシーンばっかだったよね
BARとかさ >>56
グラ特1998.3月号要約
アラ・ジェン「本当はSF1を発展させたかったけどフォードがV10エンジンを
再設計、んでシャーシも全面再設計したよ」
車体横幅1800ミリ規則変更に対して
「今回ルール改定があったからアップダウンを経験するだろうね」
「他のデザイナーの仕事に関しても、当分のあいだ神経質に
ならざつを得ない」
↑
このインタビュー見てこの人だめだろうなと思っていたら
シーズン半ばにゲイリー・アンダーソンに変えられてて笑いました。 ゲイリー・アンダーソンといえば今は亡き「AS+F」の「100の質問」みたいなコーナーで
「夜もテクニシャンですか?」って質問に
「下積み時代に働いていた洗濯機の工場のご婦人たちには絶賛されたぜハッハッハ」みたいな答えを返していたのが忘れられない >>67
エグボール・ハミディのアロウズはよく走ったよね。スーパーテックのエンジンがよかったからかもしれない。 ひでえの見つけた
F1の歴史上最も酷いドライバー
危険運転でライセンスを剥奪された唯一のドライバーだって…
日本人って地位が低いな
Was this man the worst driver in F1 history? >>69
前年あれだけ成功すれば、それもまた当然だろう フェラーリコピーが全然いなくて
なんでやねんとちょっと思った それを1999にニューウェイに全くトレンドを変えられちゃったのが
笑えるって話しなんだけどね>>74 当時は一応二つのトレンドが有ったから良かったけど
2001年以降はフェラーリの後追いばかりになって
シーズンが長年退屈極まりない事に 速かったよ。所詮のティレルなんでムラはあるけどね。
規制前も結構速かったけど空力的に単純なマシンで規制の影響も他所より少なかったのが幸いした。
フットワークも規制前は速かったけどかなり凝った作りだったので影響も大きく
予算も無かったのでリカバー出来なかった。
ただエンジンパワーがそれ程でもないジョーダンもカッコ速かったよね。 94ティレルの設計はハーベイ&ガスコインだから92ザウバーに似ているね(レオレス&ガスコイン)。
雨の92ヨーロッパGPでザウバーが予選6、7。ウォームアップでトップ。空力増強パーツを作ったのにピーターザウバーから却下される。しかし決勝ではトラブルに追突で両方リタイヤ。ガスコインはかなり悔しかったそうだ。
その後ピーターから何故か煙たがられていた空力担当のガスコインはハーベイに誘われティレルにテクニカルディレクターとして復帰した。 +1な
なんでラジコンボデーに採用されたか長年疑問だったんだが
GPカーヒストリーの説明を読んで納得した ごめんごめん GPカーヒストリー読んでコメント書いたからね ガスコインのインタビュー記事だよ >>84
ああ、型を抜くのが簡単な形状だったから選ばれたとか
この年のトレンドはコークボトル下を絞る形状だったからね >>80
この時代のザウバーが後半失速するのは予算の都合じゃ無くて保守的すぎるからかもね
ティレル022と似てるのは作った時期が近くて中の人が一緒だから仕方ないってのが本人の弁
ちなみに93年のザウバーもハーベイ関わってるよ こないだの2000ベルギーGP見てて思ったけどイリヤ婦人って
ダイ・ハード3に出てくるあの怖い女にそっくりだよな
実際、恐妻家だったとか・・・ ヒルを評価する人は多い。私もだけど。しかしF3時代にヒルはマーチンドネリーに全く敵わなかった。しかしドネリーの評価が高いイメージはないね。
91年イギリスGPでブラバムヒルは1人予選を通過した。自伝を読んだらバンデポールと交代で乗る予定だったがヒルがタイムを出すのに手こずったのでバンデポールが乗る時間がなくなっただけらしい。 今気がついたシリーズ
広末とライコネン 目の辺りが似ている このスレの年代だったかな?
地上波のF1中継終了後、F1モノコックが放送されていたよね?
川井、土屋、長坂、塩原が出演していたと記憶してる。 やっていたね。うろ覚えだがグッズを売っていた番組かな? >>93
あったねえ
23時45分〜25時30分 F1
25時30分〜26時 プロ野球ニュース
26時すぎ〜 F1モノコック(Fポン中継と被る日は繰り下げ)
こんな感じだったかな
いつだったかなぜか烏骨鶏の卵が取り上げられて
アミーゴ伊藤が「この番組はF1モノウコッケイです」って言ったのが今も忘れられない
あれは何でF1の番組で通販したんだろうか… >>98
csではやっとるで
あんまり面白く無いけどさ
オフショット的な映像があんまり無いんだよね ピケがドゥカルージュに大声でイヤミいってるのを、聞かないフリして
無視してるシーン映像とかはないよ、ただ映像をつなげただけ。 ちょっとスペシャルなダイジェスト版かな
少しはオマケ映像は有るけど以前に比べると雀の涙で
録画したは良いけどココ数年マトモに見てないw 数年前に一回か二回復活したけど今は無かった様な
復活した時も参加したチームは少なかったけどね
と言うか、あれレース後じゃなくて金曜か土曜じゃなかった? 当時の様な牧歌的な雰囲気が感じられるのは
セッションが雨で赤旗で何もやる事が無い時位なんだよな レースチーム、テストチーム、ファクトリーチームと
分かれる前の時代だったな、ベネトンいかだ。
無理やり復活させたけど全く盛り上がらなかった。 どこのチームか忘れたけど、ビート板みたいないかだが有ったな 復活した時のイカダはどこのチームも適当だったわw
適当と言うかやっつけ感がハンパ無い その時の様子は見てないから想像になるけど
イベントごとは時代の空気ってあると思う。
今のF1はおっさんのノスタルジーに付き合える余裕はないんじゃないかな。 ジョン・バーナードがフェラーリTDになってイタリア人スタッフに
「仕事で来てるんだから酒飲むな」と、ランチのワインを廃止させたんだっけ。 いきなり話を脱線させてすまん
井上がミナルディから参戦する予定だったのがシーズン前にポシャったのが“急遽スポンサーからの入金がなかった”と言う理由で「日本のレース界の人達は、人の米びつに手を突っ込むのが好きだよね」ってコメントしてるけど
・降りたスポンサー→ユニマット
・横取りした所→ARTA
で合ってるのかな?
ARTAの参戦時期と井上がポシャった時期が若干リンクしないような気がしないでもないけど イタリア人は飯優先、休憩優先で右京も最終的に言っても無駄って諦めたからね
右京を引き止める時にミナルディが言った言葉が
「もっとイギリス人雇うから!」だし
皆単なるレース好きの親父だから良い人ではあるんだが
>>115
ARTAが97年発足でタキの話が95年末から96年初頭だからちょっと間があるよね。
ARTAと言うより亜久里がユニマットに限らず色んな企業へプレゼンしてたんだろね
でもさ米びつの横取りはF1界でも普通にあるよね? >>116
そもそもモータースポーツに理解がある会社にプレゼンするのは当然と言えば当然だよね
「あのドライバーにスポンサーしてるから、うちは止めとくか」なんて事を考えていたら存続出来ない世界ではあると思う
大きな企業なら普通にある話なんだろうけど(最近だとタグホイヤーやヒューゴ・ボスなどが印象的)、可夢偉のすスポンサーだった病院がコンドーに付いていたのは流石にしたたかさを感じたw さっき96年カナダグランプリを見た(途中まで)
マクラーレンのハッキネンがジョーダンプジョーのブランドルとバリチェロにオーバーテークされていた。94年は信頼性がなかったプジョーエンジンが2年後にはしっかりしてるように見えます。ピストンリング2本化は成功したのだろうか。 94年もハッキネンに限れば完走したレース(チェッカーかもしれない)は全部表彰台だったから馬力にかぎればそれなりだったんじゃない? ハッキネンとクルサードって1997に勝てなければ放出だったんだよね ヤマハが超軽量エンジン作ってきたのと
ドイツだったか4輪フロントタイヤで走ってグッドイヤーに怒られたことぐらいしか覚えてない 94年は衝撃的
95年はガッカリ
96年は確かに印象が薄い 開幕の予選で川井から
「車はもういっぱいいっぱい、あとはドライバーの踏ん張りでタイム出すしかない」というようなレポートが上がってきて
なんだかなー、と思った記憶がある96年のティレル 96は軽量化されたエンジンを投入したけど耐久性がなく本来の力を発揮できず。97年は相変わらずパワー不足だったがプリジストンタイヤとシャーシーとデーモンヒルのドライビングのおかげで低速コースではそこそこ闘えたんだよね。 エンジンが軽量だった事のメリットが抜け落ちてる・・・ ウォーキンショーがエンジンいらねえから金だけ出せって言ってヤマハがキレて撤退したけど
もし素直に98年もアロウズ・ヤマハだったら
あの真っ黒マシンはもうちょっとマシな成績を残せていたんだろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています