【F1】1994〜2000年のF1 6laps down
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ピケがドゥカルージュに大声でイヤミいってるのを、聞かないフリして
無視してるシーン映像とかはないよ、ただ映像をつなげただけ。 ちょっとスペシャルなダイジェスト版かな
少しはオマケ映像は有るけど以前に比べると雀の涙で
録画したは良いけどココ数年マトモに見てないw 数年前に一回か二回復活したけど今は無かった様な
復活した時も参加したチームは少なかったけどね
と言うか、あれレース後じゃなくて金曜か土曜じゃなかった? 当時の様な牧歌的な雰囲気が感じられるのは
セッションが雨で赤旗で何もやる事が無い時位なんだよな レースチーム、テストチーム、ファクトリーチームと
分かれる前の時代だったな、ベネトンいかだ。
無理やり復活させたけど全く盛り上がらなかった。 どこのチームか忘れたけど、ビート板みたいないかだが有ったな 復活した時のイカダはどこのチームも適当だったわw
適当と言うかやっつけ感がハンパ無い その時の様子は見てないから想像になるけど
イベントごとは時代の空気ってあると思う。
今のF1はおっさんのノスタルジーに付き合える余裕はないんじゃないかな。 ジョン・バーナードがフェラーリTDになってイタリア人スタッフに
「仕事で来てるんだから酒飲むな」と、ランチのワインを廃止させたんだっけ。 いきなり話を脱線させてすまん
井上がミナルディから参戦する予定だったのがシーズン前にポシャったのが“急遽スポンサーからの入金がなかった”と言う理由で「日本のレース界の人達は、人の米びつに手を突っ込むのが好きだよね」ってコメントしてるけど
・降りたスポンサー→ユニマット
・横取りした所→ARTA
で合ってるのかな?
ARTAの参戦時期と井上がポシャった時期が若干リンクしないような気がしないでもないけど イタリア人は飯優先、休憩優先で右京も最終的に言っても無駄って諦めたからね
右京を引き止める時にミナルディが言った言葉が
「もっとイギリス人雇うから!」だし
皆単なるレース好きの親父だから良い人ではあるんだが
>>115
ARTAが97年発足でタキの話が95年末から96年初頭だからちょっと間があるよね。
ARTAと言うより亜久里がユニマットに限らず色んな企業へプレゼンしてたんだろね
でもさ米びつの横取りはF1界でも普通にあるよね? >>116
そもそもモータースポーツに理解がある会社にプレゼンするのは当然と言えば当然だよね
「あのドライバーにスポンサーしてるから、うちは止めとくか」なんて事を考えていたら存続出来ない世界ではあると思う
大きな企業なら普通にある話なんだろうけど(最近だとタグホイヤーやヒューゴ・ボスなどが印象的)、可夢偉のすスポンサーだった病院がコンドーに付いていたのは流石にしたたかさを感じたw さっき96年カナダグランプリを見た(途中まで)
マクラーレンのハッキネンがジョーダンプジョーのブランドルとバリチェロにオーバーテークされていた。94年は信頼性がなかったプジョーエンジンが2年後にはしっかりしてるように見えます。ピストンリング2本化は成功したのだろうか。 94年もハッキネンに限れば完走したレース(チェッカーかもしれない)は全部表彰台だったから馬力にかぎればそれなりだったんじゃない? ハッキネンとクルサードって1997に勝てなければ放出だったんだよね ヤマハが超軽量エンジン作ってきたのと
ドイツだったか4輪フロントタイヤで走ってグッドイヤーに怒られたことぐらいしか覚えてない 94年は衝撃的
95年はガッカリ
96年は確かに印象が薄い 開幕の予選で川井から
「車はもういっぱいいっぱい、あとはドライバーの踏ん張りでタイム出すしかない」というようなレポートが上がってきて
なんだかなー、と思った記憶がある96年のティレル 96は軽量化されたエンジンを投入したけど耐久性がなく本来の力を発揮できず。97年は相変わらずパワー不足だったがプリジストンタイヤとシャーシーとデーモンヒルのドライビングのおかげで低速コースではそこそこ闘えたんだよね。 エンジンが軽量だった事のメリットが抜け落ちてる・・・ ウォーキンショーがエンジンいらねえから金だけ出せって言ってヤマハがキレて撤退したけど
もし素直に98年もアロウズ・ヤマハだったら
あの真っ黒マシンはもうちょっとマシな成績を残せていたんだろうか あの真っ黒マシンってモナコだけ速かったんだよな
あんまり覚えてないんだけどエンジン以外にも色々問題有ったんでない? ポール・ストッダート後にアロウズを買収しようと思って
税理士を送り込んだら、とんでもねー負債があったって言ってたね。
数日の調査で案件から外したって。 >>128
英国人はヤマハをジャドエンジンと呼んでいるからね。スポンサーバイヤマハだから。金だけだぜとなっちゃうんだよね。 F1レジェンズこの年代ガン無視なのな
丁度94年から96年辺りって一時期F1への興味が若干落ちて
標準録画から3倍録画に切り替えてた時期だったんで
高画質放送楽しみだったんだが 95年ならスパ、96年ならスペインとドイツを見たいな(´・ω・`) パッと思い出せない。87年から93年まではだいたい覚えているのになぁ。
YouTubeで93年ブラジルGP見たけど割愛一切なし(ライブ中継だから)。フジのとは違う印象だよ。セナが必死にはじめから終わりまで走っていた。シューの追撃はかなりしつこかった。最高のバトルだった。 93年のブラジルはセフティーカー走行中にライブ中継にきりかわったんだっけか?
もう25年も前なんで色々わすれちまったい あと93年ブラジルの記憶というとシューマッハが終盤やっとこさカスタマーのハーバートを抜いたのは覚えてる へ〜 大分忘れてる。
YOU TUBEで見たらザウバー勢(レート、ベンドリンガー)がアレジフェラーリをオーバーテークするのが印象的だった。この2人は翌年以降不運だったからね。
スレチだね。すまん スレ時代のブラジルというと00年はエンジンいかなきゃハッキネンが獲ってた展開だった
同じエンジンブローレースのアメリカは完走できてもシューマッハにまくられる展開だった記憶
ピットストップの時間とタイミングでそう読めたんだけどこれで合ってる? 雨のレースで赤旗中断を挟んで、録画放送が現地時間に追いついちゃったんだよね。
当時フジテレビで見てて、CM明けに録画放送から生放送に切り替わって
急にマシンの色彩が鮮やかになったのを覚えてる。
生放送になると画が綺麗になるんだなあって感心したよ。 初めてF1でセーフティカーが導入されたレースでもある 00アメリカといえばマッツァカーネがハッキネンを抑えて2位だか3位を走ったのが忘れられんw
ただピットストップ遅らせただけだけど
ミナルディがマクラーレンの前を走るってのは新鮮だった 懐かしいなマッツァカーネw
「まさかのマッツァカーネ」
このスレの中では97〜98年、00年は面白かった印象 バドエルが4位?走っててリタイヤ
マーシャルに次頑張れば良いよって慰められるも
次とか無いから(´;ω;`)
ってのもあったよね? >>143
バドエルリタイヤ マーシャルに「次があるじゃないか」といわれるが「僕にはもうチャンスはないんだ」と号泣
↓
ヴィルヌーヴが5位に上がる (このままだとコンストでBARがミナルディを逆転)
↓
2台とも止まって仕事終了のジョーダンのメカたちがミナルディの応援を始める
↓
ヴィルヌーヴストップ
↓
ジェネ5位浮上 後ろではハッキネンとアーバインが熾烈な6位争い展開中
↓
ジェネ「無線で後ろから2台来ているって言うから誰?って聞いたら「ハッキネン」って言われた
何だって?もう1台は?と聞き返したら「アーバインだ」と言われた」
↓
ハッキネンには抜かれるがジェネ6位死守 アーバイン7位でノーポイント
↓
この1点が効いてミナルディコンスト最下位にならずに済む(ビリはノーポイントでシーズン終了のBAR)
6位になるか7位になるかで大違いだった時代のお話(´・ω・`) >>136
スレチだが
ハーバートが裏のストレートでシューに抜かれたんだけど膨らんだところを抜き返えした。それでシューは最終コーナーからハーバートの後ろについてやっと抜かした。ハーバートはレース終盤だったからかなり頑張ったね。
ヒルのマシンは明らかにセナのマシンより速かった。セナに0.2秒差まで近づいたが周回遅れの処理と後半は体力切れなのかじりじり遅れていった。
シューは10位以下トップから1分遅れから怒涛の追い上げ。疲れ知らずのターミネーターだよ。
ところでセナのリアルタイム血圧京世俗では常時199ぐらいだった。F1ドライバーはすげー。 デニー・フルムってレース中に亡くなったんだよな
血管が切れたのかな、血圧上昇で 心臓発作だったはず
ストレートで壁に当たりながらもマシンを止めることには成功したのですぐに
レスキュー来てもダメだった >>145
深夜にラルトのフロアパネルを交換された恨みだろうね 高梨沙羅銅メダルか
でも、ロンデニスだったら「いいか、お前は二番目に負けた奴なんだ」とか言うんだろうな
94モナコで二位になったブランドルには一番最初に負けた奴と有難い言葉をかけていたし >>141
最近はそういった奇跡みたいなレースの覚えが無い。
古くは90年フランスGPのカペリや93年ヨーロッパGPのセナ、
96年モナコGPのパニス、97年ハンガリーGPのヒルとかさ。 ヤマハエンジンって乾燥重量100キロ切る超軽量エンジンだったんだけどね。 >>152
個人的には99欧州のハーバートと97オーストリア?のトゥルーリもそのリストに加えたい >>153
あれヤマハなの?ヒルはジャッドエンジンとみなしている。パワーもないしダウンフォースもない。だから望みはない。しかしドライビングはファンだったという。 ヤマハだよ。このスレ住民でもヤマハが金だけ出してたと思ってる人がいるとはカナC
時間無かったからOX10Cの3L化はジャッドにほぼ丸投げして
ヤマハはOX11の開発に全振りしてたのよ あのシーズンの、中盤戦から後半戦だけアロウズが化けた
95年もモルビデリの棚ぼた3位くらいで、それ以外で唯一上位陣を脅かす存在になった ヤマハは最新素材等の分野
JUDDは鉄とかアルミとか一般的な材料の加工ノウハウを持った加工屋さんをよく知ってたのでその分野
こんな感じでお互いの得意分野で担当分けてたらしい ホンダもヤマハも無駄に物造りに自信もってただけだったな
今思うと
ホンさん→パワーあるけど激重エンジン、パワー重視じゃなくて
車体とのマッチングでルノーに負けて無限残して退場
ヤマさん→F1に手を出したけど物にならないからジャッド起用 OX99だってJUDDに持って行ってベンチ掛けたら
「なんでこんだけパワー出てるのに勝てねぇの?」
って言われたんだけども
あと第二期ホンダはルノーに負けたから撤退した訳じゃないよ
(そういう意味で書いたんじゃないかもだけど) >>152
性能が上がりすぎてマシントラブルがかなり減ったからね
レギュ大幅改正の後だと晩年テールエンダーだったマルシャで走ってたビアンキがモナコで9位取ったり、09年のスパでのフォース・インディアのフィジコがポール獲得→ライコと死闘の末2位とかこの位だね。 困った事にマイク・ガスコインが
「ヤマハ?あれはJUDDが殆どやってたぞ」とかインタビューで言ってるんだよね
上でも書いたけど95年はOX11の開発が時間的にギリでOX10Cの開発がJUDDにほぼ丸投げなんだよね
あと基本はヤマハが先行開発でJUDDが現場みたいな住み分けになってるから勘違いされやすかったのかもしれない
ホンダと違って少人数だけど毎回レースに帯同して作業してるハズなんだけどなぁ
大体バッジエンジニアリングだったらTWRからハートに乗り換えろって言われて
断った末に撤退なんて事になる訳ないんだけどねぇ >>164
すまんなぁ
推測だけど95年F1に復帰したメルセデスみたいに思われてるかも。あれこそ中味はイルモアでバッチエンジニアリングだった。 ヤマハは参戦当初V8、次いでV12、最後はV10
V10は最終解としてどのメーカーも選択することになったが、
ヤマハはF1エンジンに対して哲学は無かったんだろうかね?
ホンダはとにかく重くても馬力、ルノーはバランス重視という哲学があったわけで。
フェラーリは当初V12に拘ってたが、勝つためのエンジンとしてV10を選んで勝ちまくったし。
フォードはV8に拘ってルノーV10を敵に回してV8でチャンピオンを獲得した。
昔はそれぞれ個性があって楽しかった。 そのDFRより軽いV10よりさらに軽いV12RA122E/B(〜RA122Eまではどうだったか)
ガスは積むしかなかっただろうけどね ルノーはバランスとかなんとかより新技術の導入に積極的だった印象
ターボ、ニューマチックバルブの流れで67度V10だったんじゃないかと V10だから成功したんじゃない
初志貫徹だから成功したんだ、12気筒選んでてもやり続ければ成功させてたよ
というような事をルノースポール首脳が言ってたと思った 気筒数の徹底=哲学とも言い切れない気も。
暗中模索するのも一つの哲学じゃないかなあ。
ヤマハエンジンの思想については、GPCAR STORYのティレル022号に詳しい。
共闘したジャッドとのエンジン哲学の違いとかも語られてて興味深い。 ヤマハは昔からベースエンジンの改良が得意だからね。ジャッド改がヤマハであってもいいんじゃない。 前にもどっかに書いたけど、おっさんになると
ワークスよりも、カスタマーエンジンにシンパシーを覚える。 ヤマハ勝ちかけたけど勝てなかったな
97年は最初は予選落ちしそうだったのに
ここまで1年でポジションが変わるのは珍しかったな(´・ω・`) タイヤのアドバンテージがあったからね。
翌年からはマクラーレンなど強豪もはくので勝ち目はないとヒルに見放されたようだ。 BS浜嶋がタイヤのことアロウズにレース後聞きに行ったら
撤収しててだれにも話が聞けなかったってな。
翌年マクラーレンでは、ハッキネンもクルサードも20時くらいまで
サーキットに残ってミーティングしてたって。 ヒルによると91年のブラバムヤマハV12は暴力的なパワーバンドであたかもトラクターに似ていた
望みのない車だったが運転はファンだったらしい。 98年イモラ 当時は実につまらなかったレースだった。しかし今見ると至るところにバトルが展開されていておもしろい。アレジザウバーが追い出されたベネトンを追いかけまわしていた。 >>182
ヴィルヌーヴの給油口が開きっぱなしで走ってたレースか
フェラーリのXウィングもあったなあ >>183
よく覚えてますね!フェラーリのXウィングは変だった。ティレルみたいだし。
前年チャンプのウィリアムズとベネトンのスピードがあまり変わらなかったのも驚きでした。 まさかのアーバインとハッキネンのチャンプ争いの構図に似ているのは アーバインの事は好きだが、アルボレートに匹敵するかって言われると
ぅう〜ん、ってなるw
Xウイング前提で設計されたティレルは可哀想だったな
まぁシーズン通してアップデート無しだったから遅かれ早かれ詰んだと思うけど 99年はクルサードがA1とスパでハッキネンを弾き飛ばさなければ
楽勝だったのに最終戦まで縺れたな。 本来ならセパンでマクラーレンのダブルタイトル決定よ >>192
いつもは物言わぬハッキネンが俺を優先してくれと愚痴ってたね
珍しい AS+F99年ベルギーGP号の「何をする君は敵か」のフレーズが印象的だった
実際ハッキネンはそんな気持ちだったんだろうなぁ スパはハッキネンからしたら2-1フィニッシュなのでまだいい
A1じゃ完全に弾き飛ばした上にアーバインに交わされて傷口を広げやがった
せめて優勝してダメージ最小限にしろよ
あと鈴鹿でクルサード飛び出さなきゃコンストもマクラーレンだった >>193
決定が覆ったのが鈴鹿直前だったから
鈴鹿の公式プログラムでは差し替え間に合ってなくて
「フェラーリ失格!ハッキネン連続チャンプ!コンストもマクラーレン!」ってなってたんだよな
レースの見どころも「チャンプは決定したが各ドライバーが全力でアタックしていくのでそれを楽しめばいい」とか書いてあった
>>196
あったねえw
総集編だったかな >>195
薄っすらの記憶をyoutubeにあるフジテレビの1999年総集編で
補完しているのです。OPのナレがエヴァ風でちょっと懐かし寒いw 99年のB'z松本さんの曲が好きだったわ
疾走感があっていい曲やったわ(´・ω・`) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています