96年にブライアン・ハータに代わるジミー・ヴァッサーの新しいチームメイトを
選考するためのオーディションテストにザナルディ共々クロスノフも参加していたものの
結局ザナルディが選ばれることになった、と三樹書房のCART1993-2003にありますね。

さすがに当時の時点で既にレイナードの実質ワークス格だったチップガナッシでは
チームのステイタス的にも分が悪いし、ザナルディとレイナードの繋がりとかを考えても
これは予想のつくところでもあるけど。

一方でクロスノフはトヨタとは繋がりがあったからアルシェロ・ウェルズに入れたとは推察できるし
トロントでもエマーソンを先頭とする一団あたりで入賞圏内争いをしていたともいうので、
その後のトヨタエンジンのパフォーマンスの向上ぶり次第では
長い目で見ると上位入賞とか、500マイルレースなら耐久のスキルが生きて
表彰台くらいは窺えるドライバーに成長した可能性はあるかもね。

亡くなるまでレーシングオンにしばしばコラムを寄せてて、その内容では
チームの方もまだ経験が浅くて、ロードコースのイベントなのにオーバル用のパーツが付いたままとか
序盤のうちは時折そういうドタバタした面もあったとか。
まあCART経験が2年目くらいの割と新しいチームで、シーズン前半はスポンサー居ないわ
クロスノフも日本から持ってきたヘルメット被ってた
(レースによってアライかショウエイか違うとかいうレベル)っていう随分な体制だったからね。

シーズン中盤以降MCIワールドコムがスポンサーに付いて(ここで序盤の白/赤から青い車になる)、
ヘルメットもベルがサポートしてくれるようになって、
エンジンはともかくチーム体制とかリザルトの面では安定し始めた矢先の事故ではあった。

同じトヨタ勢でもイーグルが目も当てられないほど酷い戦績だったのと比べれば
レイナード使ってるクロスノフと彼のチームは一応クルマが壊れるまではレースに参加してると
言えるレベルだったんで、2年目があれば確実に良くなってただろうね。