全日本F2・全日本F3000を語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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グループA、グループCなどはありますがフォーミュラ回顧スレは無かったので立てました。 最終年の87年はエントリーゼロで選手権不成立
全日本タイトルがないF3000クラスのみ成立 もう15年くらい前だけど
全日本F3000を語るスレ
http://mimizun.com/log/2ch/f1/990850947/
ビトクのオーナーも書き込んでいた ニューマン(゚Д゚)ハァ?ス ◆sFz/Haas氏が懐かしい 1995くらいは鈴鹿のコーナリングは全日本のが速かった >>6
F1よりコーナリングが速いのはスウィフト以降もそうやで
ダラーラは数字出てるがスウィフトも中嶋一貴がそう話してた。 F2時代初期はエントリーが少ないから出走するだけでポイント獲得な西日本サーキット戦 >>002
87年のF3000は、ただの勝手レース
F2が潰れるにしても、タイトルが掛かることは、最初から有り得なかった >>3
嘘だろ。。 15年も前の2ちゃんに俺の書き込みがあるなんて・・・。w >>11
糞スレ99パーセントの2chで稀に見る良スレだったよ。 87年は有力チーム・ドライバーがF3000に移行したのを
チャンスと考えてF2参戦を考える人いなかったかな?
何年から前のイギリスF3Nクラスの桜井君みたいにさ F2の不成立が「確定」してからなら、タイミング的に新規のシリーズは間に合わない
だから、F2が消えたなら消えたで87年はプロトとツーリングとF3以外の全日本は無いはずだったし、
ノンタイトルならグラチャンもあったのだから、F3000は88年からやればいい
たった一年もじっとしてられない連中が馬鹿なんだよ >>13
86年シーズン閉幕直後くらいのカーグラの記事によれば、
少なくとも当時の見積もりでいえば高回転型のF2よりF3000の方が
圧倒的にエンジンのリビルドコストが掛からないと見られていたらしいよ。
もちろん先鋭化した後年にはそうではなくなっていくけど。
しかも車は欧州から中古車を引っ張ってくれば悪くない値段で買えるから
(実際プライベーターの先頭を切って清水先生がローラT86-50を引っ張ってきてるし
おそらく3リッターGCカーの大半は欧州物の中古車)
「車体は手持ちのものを使えてもエンジン代がちっとも安くない」って状況に耐えながら
もはやステイタスも何もありゃしないチャンピオン狙う価値があるかということになるかと…。
マウラーとかマーチ842とかにBMWエンジン(まーOX66でも良いが)積んで
エンジン労って回転数落として走ってたらF3000勢の何周遅れになるんだと思ったら
並みのレーサーだったら惨めで耐えられなくなるか命の方が惜しくなりそうだ…。 87年は、F2の最終戦のみF3000混走とかだったろ
それも、F2のシーズンが成り立っての話
ほぼ1シーズン、F2の高コストに耐えられた上で、最後にF3000マシン投入してみろっての
実際、F2が不成立になった時点で、87年中のF3000は無いはずだっての つ〜か、「ノンタイトルのF3000」に仮にF2が混走したところで、「全日本F2」のタイトルは無いし、
そんなもんに参加する奴は居ないよ 全日本F2の「不成立」が確定する前提はおそらく
多分年間エントリー登録(あの最初にカーナンバー確定とかの都合で申請だけするやつ)で
必要最低数が集まらなかったからでしょ?
F3000混走可が最終戦のみになるか全戦OKになるかの議論の時系列はよく覚えてないけど
骨董品走らせてたプライベーターさんですら参加登録しなかった、
清水先生に至ってはスピードスターやアドバンと並んで先頭切って(中古とはいえ)
F3000買ってきちゃったとなればねぇ…。
しかも確か当時「鈴鹿F2シリーズ」ってあったから(確か最後の86年は
最終戦の鈴鹿で中嶋さんがトラブルに見舞われて「鈴鹿選手権」だけ星野さんに持っていかれた)
エントラントと鈴鹿だけでもF3000やる気になっちゃったら止められないね。 V6のF2エンジンが実際に市販されてみたら、到底やっていかれないことが分かった
もちろん、ホンダが先に市販していても同じことが起きたはず
西と東で別個にF3000ベース(あくまでF3000そのものではない)のシリーズをやること
までは止められないが、あくまで非公式戦だよ
鈴鹿中心の5戦、富士中心(グラチャン)の4戦みたいなね
要は、87年はプロト・ツーリング・F3以外は非公式だったということ 分不相応なことをしてF2を潰したんだから、F3000はDFV限定+コントロールタイヤで
出直すくらいでなければね
ケジメは必要だよ、マッチじゃないが まー回転数青天井+(事実上85年型以降はF3000の改造品とはいえ)独自シャーシよりは
エンジンもシャーシも欧州で使ってると同じだから量産効果が期待できるうえ
9千回転縛りになったという方が、むしろ「分相応で安上がり」になったんじゃ?
立ち上げの時点では、件の86年末のオフシーズンテストの時期に
ハイニ・マーダー御大が直々にセールスに訪れたというぐらいで
日本のユーザーに都合しても十分なくらいDFVのタマはあったということで、
逆に言えばいつまで部品が出るかも分からないBMW M12/7
(ある意味MF308ワンメイク末期の頃みたいな状況ね。あの頃も欠品出始めてたっていうし)や
カスタマー供給されるとはいえ安いとはいえないOX66を使い続けるよりは
かえって手っ取り早い状況だったんじゃないの。 88年からF3000のシーズンが始まる予定だったんで、それを前倒しには出来なかったということ
87年にやっていたのは、全てリブレだよ
中途半端であることを、もっと明確にすべきだったとは思うね
鈴鹿では「鈴鹿F000シリーズ」、富士では「富士GCシリーズ」
「日本F3000シリーズ」などとは、おこがましいってこった >>23
ある意味ではJAF主導じゃなくてエントラントと興行サイド主導で
トップカテゴリすら動かせる、という画期的な道を切り開いたということだね。
ある意味手続きは後からついてくると言わんばかりだけど、
逆にJAFの方が強制手段を打つ手無し、だったんだからこりゃやったもん勝ちだ。 ケンマツが1986末期にこれ以上悪役になるのは嫌だと言っていたな。 ホンダが先にバラ撒いてたら、誰が悪者になっていたんだろうか。。。 中立の場所でやってりゃ、コストアップ要因のV6エンジンすら認められなかったろう
それを15台走らせるのにどれだけ掛かるか判らんからな
ホンダの都合で捻じ曲がっただけだ だから、国内シリーズだったらってことを言ってる
全日本はインターのシリーズでは無いのだから、タイヤ・エンジンが限定されるのは当然だろ つ〜か、88年からの全日本F3000だってワークスや5バルブ何でもアリだったら
早期に潰れていたろ
身分不相応なことをやれば、当然そうなる >>30
V6は、ルノーのほか、フェラーリというかディーノもある。
ルノーのV6は、全日本F2(高原、中島、アルヌー)、富士GC(長谷見)、富士LD (長谷見、星野)が
使っている。(使いまわしていた?!) 日産ワークスの星野、長谷見が耐久レースでアルピーヌルノーに乗っていたなんて…
当時日産がルノーの子会社になるなんて誰が予期したか… オイルショックで純レーシングカーに関しては休止状態だから
それはまぁ特例で、ってことだったんじゃ?
少なくともマツダロータリーを使うか海外のエンジンかと言われれば
海外のエンジンでトップカテゴリ参戦を認める方が
メーカーにとってもドライバーの技量維持とかの面でプラスになるし。 F2でホンダ、GCでヤマハを使えば良かったに、星野一義も 87年は同年のGCみたいにDFV対OX66見たかったなぁ 87年のGCは、3リッター勢の圧力で中途から2リッターにハンデ載せたじゃん
あんなの、ただのデタラメだよ
チャンピオンはアグリが取ったからいいようなものの ああそっか、中途の改変のせいでGCのチャンピオンは星野か
それじゃ、由良拓也も激怒するわな >>40
中途の改変なんてしていないし シーズン初めから亜久里はチャンピオン争いになんて
絡んでいない。
嘘ばっかり書いて なんなんだお前は?ww 「シーズン中途での改変は無かった、間違いだ」、と言うだけで詳しい説明は無しか
タチが悪いな >>44さん、同感です。
全日本、国際問わずマニアックな楽しみありましたよね。 バブルの頃はどこも満員だったな。
今の3倍か4倍は入ってたんじゃないか? 同じMF308でも、これでもかってぐらいに違いがでるのが面白かった。
チーム間のちょっとしたエアロ開発とかも良かった。 でも、そこは例えばムンクラはエンジンの劣勢
(服部によればCOXチューンの無限は実質的に素組みに近い仕様だったとか)を
空力モディファイで取り返す、とかいうようなチャレンジも見られたわけでしょ。
レイナードの性能が徐々に安定しはじめて以降はローラユーザー全体として
空力面での劣勢を取り返すためのモディファイが必要、と認識するようになって
例えばステラはレイナード用のフロントウィングを加工してローラに取り付けたり
(第4戦富士で大破したスコット車用のスペア?)、
セルモは支柱吊り下げ式に改造した後ウィングそのものも3D形状に新造したり、とかね。
で、そういう手直しの余地があったからこそ、ローラから日本に新車セールスも兼ねて
94年か95年頃に派遣されてきた若手エンジニアが
「日本人はワインでも熟成するかのように古いマシンを上手く活用する、
それゆえT92-50すら未だ現役だ…なんて見たまんま報告書まとめたらボスに怒られる」
とか言ってたそうで…。 膨大なドラッグを発生させておいて、チューニングも何も無いだろうよ 富士で見たニッコーセミデラコンマーチ792にはフロントウイング付いてなかった。 マーチ792は、最初の1〜2レース以外つけていないよ。 AYKのカウリングを着けたGCマシンが見たかったなぁ 青柳金属工業ね
ノバ53SとAYKスペシャルと、2種類のカウリングが選べた F2とGCのハイブリッド、サンダーLMカッコ悪かった… >>55
時代がちょっとずれてるよ。
NOVA53SはRX1200用、AYKsplはRX3000用でMCSと2種類が設定。 そっか、自分のはRX3000だったのかな
買ったのは、1980年の春頃 AYKのまさに最後期にスーパーパーセック買ったら
「GC88」と称するMCS8的なものが付いてましたですだ。
あの頃に戻れるならボディだけ何枚でも欲しい。 >>52-53
792はシーズン中の改良進化が激しかったからね
JAF富士GPの藤田車は、スライディングスカートとか
あの時点で最新仕様車だった記憶
星野はドラッグの少なそうな旧車532Pを持ち込んだりしてたけど
高速サーキットでのグランドエフェクトカーの威力を
見せつけられたレースだったね >>61
皆が頑張ったわりに1年で見捨てられた不運のマシン792
GCがなかったらどうなっていたんだろ? 不運というより、ウイングカー自体が少なかった訳で
もっと悲惨だったのは、78年デビューのシェブロンB48で、、、 シェブロンってとトミカでモデル化されてたあれ?
長谷見さんのおかげもあるけど案外ニッチな車種がモデル化されてるんだよな
昔のトミカ…。何故かKE007ではなく009が出たり…。 >>64
トミカが出ているのは B42
B48 は、F1のアローズFA1みたいなやつ トミカを観客席に投げていた長谷見さん。
それにしても、パトレーゼって
アローズA1もシャドウDN9両方乗っていたんだな。 >>69
今聞くと意外とあぶないなトミカ投げw
ま、箱入りとか、さらにその上から紙袋に入ってれば大丈夫だろうけど。 シェブロンは76・77年のJAF鈴鹿GPのウイニングマシンのメーカー。
エンジニア(解良氏)の技術的興味で作った感のある Niki 02 より、
B48のやっちまった度は高いと思う。シェブロン自体、しばらくして潰れちゃったし、、、
※B48は、トニーサウスゲート氏のデザイン。 シェブロンはデレック・ベネット御大がなんかで事故死したのがきっかけで迷走してつぶれちゃったんじゃなかったっけ? >>73
ロンドーみたいに創設者の死後に開発を引き継いだ結果なのかもしれないけど
80年代後半くらいのルマンで前輪にまでスパッツの付いた
特撮じみたCカー走らせてたの思い出した…。 >>74
昔はみんなそーだったよ。
星野さんが日産ワークスのスーツでルノー乗ってた。 >日産ワークスのスーツでルノー乗ってた
それが今じゃ当たり前になっちまったからなぁw 1991年にJ−FOMULAって言う速報誌が出てた。
今思えば夢のようだ。 あったね!F3000専門誌!あの年は富士で何回もレースして最高だったなぁ! >>80
あの年富士は4回だったけど、雨で1戦が順延(12月)、もう1戦は中止になった。
インターF3の予選の前座として土曜開催になった最終戦で右京がチャンピオン決めた。
バブルも弾けてF3000にも陰りが出たころだったな。「来年もよろしくお願いします」と編集後記にあったんだが…。 J formula 以外に何かの雑誌の別冊でまるまる1冊F3000って雑誌見たなぁ。
星野さんがアシックスのドライビングシューズを袋に仕舞ってる写真しか覚えてないけど^_^; 日本からF1復帰を狙うガイジン、FI行きを狙うガイジンがいたし、
次は誰がF1に行くのかという面白さがあったな。
あのころが異常だったともいえるが、今はそういう面白さはない。 今はF1底辺チームのシートより、SF&WECワークスドライバーの方が魅力あるのかもね。
ロイックがSF復帰の噂あるし。 生きてりゃ今年で53歳、亡くなったのは36歳だもんなぁ 沖田浩之だよ
小河氏は、92年に36歳で亡くなってるから、今月15日で60歳かな 私は高橋徹財命中はレース興味なかったが、知ってる人から見てF1行けた人?
萩原光はまああのままいけばレイトンからF1行ったの間違いなかったろうね。 その二人なら高橋のほうが才能は有ったと思うけど
どっちにしてもF1てレベルじゃなかったわ
高橋は中嶋がいなくなってからの全日本でチャンピオン狙えたかもしれないけど
萩原は全く持ってそんなレベルではなかった 能力的にどうだった、というのは今となっては難しいところだけど
2人とも当時の三強(星野・中嶋・松本)より若かったのは確かで、
「たった一度のポールポジション」によれば「高橋徹と鈴木亜久里は同い年」
とのことだったから、
年齢的にも時代的にも87年に中嶋さんがF1に行って流れが出来た後にはチャンスはあったかもね。
萩原選手の後援者だったレイトンの赤城氏は、萩原選手を失った後の話とはいえ
確かにマーチと組んでカペリを擁してF1に参戦、ということになったから
レイトンハウスマーチF1計画が萩原選手込みの2カーで実現した可能性もあるし、
「亜久里と同い年、実績は同等以上」となれば高橋徹選手に先に声が掛かっても不思議はないかな。 高橋徹は難しかったと思うよ。
確かに当時のインパクトは大きかったけれど、後々のドライバーを見ていると右京や虎之助の方が勢いがあった。
上手くヤマハ枠にのれていたら右京の代わりになっていたかも?程度じゃないかな 高橋徹はマツダワークスの話があったみたいだから、耐久の方で活躍したかもね。
萩原光はF1乗れるような才能はなかったように感じるが。 中嶋が体力的にアレだったから、他の日本人ドラでも華奢なのは厳しかったろうね
運転以前の問題として (放置が)長すぎたんだ…腐っていやがる!(違
ttp://page15.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t465222229
置いとく場所は無いわけじゃないが流石にココまで干からびてるとタダでもきつい…。
それでも「タブ以外全部交換しちゃう種車なら安い!」とか
車両としてレストアする以外の使い道(例:徹底的に汚れ&錆落ししてゲーム部屋の筐体とか)に
大金注ぎ込んだりできるのが金持ちの嗜みだろうか。
それ以前にシャーシプレート見ただけで誰の車両か分かるのが本物? 高橋徹と同時期かちょっと前に、カート上がりの佐野和志というドライバーがF2で走ったけど、前評判ほどじゃなくてすぐに居なくなったような。
中野信二がF1行けたなら、服部や本山でも行けただろうな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています