全日本F2・全日本F3000を語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
グループA、グループCなどはありますがフォーミュラ回顧スレは無かったので立てました。 最終年の87年はエントリーゼロで選手権不成立
全日本タイトルがないF3000クラスのみ成立 もう15年くらい前だけど
全日本F3000を語るスレ
http://mimizun.com/log/2ch/f1/990850947/
ビトクのオーナーも書き込んでいた ニューマン(゚Д゚)ハァ?ス ◆sFz/Haas氏が懐かしい 1995くらいは鈴鹿のコーナリングは全日本のが速かった >>6
F1よりコーナリングが速いのはスウィフト以降もそうやで
ダラーラは数字出てるがスウィフトも中嶋一貴がそう話してた。 F2時代初期はエントリーが少ないから出走するだけでポイント獲得な西日本サーキット戦 >>002
87年のF3000は、ただの勝手レース
F2が潰れるにしても、タイトルが掛かることは、最初から有り得なかった >>3
嘘だろ。。 15年も前の2ちゃんに俺の書き込みがあるなんて・・・。w >>11
糞スレ99パーセントの2chで稀に見る良スレだったよ。 87年は有力チーム・ドライバーがF3000に移行したのを
チャンスと考えてF2参戦を考える人いなかったかな?
何年から前のイギリスF3Nクラスの桜井君みたいにさ F2の不成立が「確定」してからなら、タイミング的に新規のシリーズは間に合わない
だから、F2が消えたなら消えたで87年はプロトとツーリングとF3以外の全日本は無いはずだったし、
ノンタイトルならグラチャンもあったのだから、F3000は88年からやればいい
たった一年もじっとしてられない連中が馬鹿なんだよ >>13
86年シーズン閉幕直後くらいのカーグラの記事によれば、
少なくとも当時の見積もりでいえば高回転型のF2よりF3000の方が
圧倒的にエンジンのリビルドコストが掛からないと見られていたらしいよ。
もちろん先鋭化した後年にはそうではなくなっていくけど。
しかも車は欧州から中古車を引っ張ってくれば悪くない値段で買えるから
(実際プライベーターの先頭を切って清水先生がローラT86-50を引っ張ってきてるし
おそらく3リッターGCカーの大半は欧州物の中古車)
「車体は手持ちのものを使えてもエンジン代がちっとも安くない」って状況に耐えながら
もはやステイタスも何もありゃしないチャンピオン狙う価値があるかということになるかと…。
マウラーとかマーチ842とかにBMWエンジン(まーOX66でも良いが)積んで
エンジン労って回転数落として走ってたらF3000勢の何周遅れになるんだと思ったら
並みのレーサーだったら惨めで耐えられなくなるか命の方が惜しくなりそうだ…。 87年は、F2の最終戦のみF3000混走とかだったろ
それも、F2のシーズンが成り立っての話
ほぼ1シーズン、F2の高コストに耐えられた上で、最後にF3000マシン投入してみろっての
実際、F2が不成立になった時点で、87年中のF3000は無いはずだっての つ〜か、「ノンタイトルのF3000」に仮にF2が混走したところで、「全日本F2」のタイトルは無いし、
そんなもんに参加する奴は居ないよ 全日本F2の「不成立」が確定する前提はおそらく
多分年間エントリー登録(あの最初にカーナンバー確定とかの都合で申請だけするやつ)で
必要最低数が集まらなかったからでしょ?
F3000混走可が最終戦のみになるか全戦OKになるかの議論の時系列はよく覚えてないけど
骨董品走らせてたプライベーターさんですら参加登録しなかった、
清水先生に至ってはスピードスターやアドバンと並んで先頭切って(中古とはいえ)
F3000買ってきちゃったとなればねぇ…。
しかも確か当時「鈴鹿F2シリーズ」ってあったから(確か最後の86年は
最終戦の鈴鹿で中嶋さんがトラブルに見舞われて「鈴鹿選手権」だけ星野さんに持っていかれた)
エントラントと鈴鹿だけでもF3000やる気になっちゃったら止められないね。 V6のF2エンジンが実際に市販されてみたら、到底やっていかれないことが分かった
もちろん、ホンダが先に市販していても同じことが起きたはず
西と東で別個にF3000ベース(あくまでF3000そのものではない)のシリーズをやること
までは止められないが、あくまで非公式戦だよ
鈴鹿中心の5戦、富士中心(グラチャン)の4戦みたいなね
要は、87年はプロト・ツーリング・F3以外は非公式だったということ 分不相応なことをしてF2を潰したんだから、F3000はDFV限定+コントロールタイヤで
出直すくらいでなければね
ケジメは必要だよ、マッチじゃないが まー回転数青天井+(事実上85年型以降はF3000の改造品とはいえ)独自シャーシよりは
エンジンもシャーシも欧州で使ってると同じだから量産効果が期待できるうえ
9千回転縛りになったという方が、むしろ「分相応で安上がり」になったんじゃ?
立ち上げの時点では、件の86年末のオフシーズンテストの時期に
ハイニ・マーダー御大が直々にセールスに訪れたというぐらいで
日本のユーザーに都合しても十分なくらいDFVのタマはあったということで、
逆に言えばいつまで部品が出るかも分からないBMW M12/7
(ある意味MF308ワンメイク末期の頃みたいな状況ね。あの頃も欠品出始めてたっていうし)や
カスタマー供給されるとはいえ安いとはいえないOX66を使い続けるよりは
かえって手っ取り早い状況だったんじゃないの。 88年からF3000のシーズンが始まる予定だったんで、それを前倒しには出来なかったということ
87年にやっていたのは、全てリブレだよ
中途半端であることを、もっと明確にすべきだったとは思うね
鈴鹿では「鈴鹿F000シリーズ」、富士では「富士GCシリーズ」
「日本F3000シリーズ」などとは、おこがましいってこった >>23
ある意味ではJAF主導じゃなくてエントラントと興行サイド主導で
トップカテゴリすら動かせる、という画期的な道を切り開いたということだね。
ある意味手続きは後からついてくると言わんばかりだけど、
逆にJAFの方が強制手段を打つ手無し、だったんだからこりゃやったもん勝ちだ。 ケンマツが1986末期にこれ以上悪役になるのは嫌だと言っていたな。 ホンダが先にバラ撒いてたら、誰が悪者になっていたんだろうか。。。 中立の場所でやってりゃ、コストアップ要因のV6エンジンすら認められなかったろう
それを15台走らせるのにどれだけ掛かるか判らんからな
ホンダの都合で捻じ曲がっただけだ だから、国内シリーズだったらってことを言ってる
全日本はインターのシリーズでは無いのだから、タイヤ・エンジンが限定されるのは当然だろ つ〜か、88年からの全日本F3000だってワークスや5バルブ何でもアリだったら
早期に潰れていたろ
身分不相応なことをやれば、当然そうなる >>30
V6は、ルノーのほか、フェラーリというかディーノもある。
ルノーのV6は、全日本F2(高原、中島、アルヌー)、富士GC(長谷見)、富士LD (長谷見、星野)が
使っている。(使いまわしていた?!) 日産ワークスの星野、長谷見が耐久レースでアルピーヌルノーに乗っていたなんて…
当時日産がルノーの子会社になるなんて誰が予期したか… オイルショックで純レーシングカーに関しては休止状態だから
それはまぁ特例で、ってことだったんじゃ?
少なくともマツダロータリーを使うか海外のエンジンかと言われれば
海外のエンジンでトップカテゴリ参戦を認める方が
メーカーにとってもドライバーの技量維持とかの面でプラスになるし。 F2でホンダ、GCでヤマハを使えば良かったに、星野一義も 87年は同年のGCみたいにDFV対OX66見たかったなぁ 87年のGCは、3リッター勢の圧力で中途から2リッターにハンデ載せたじゃん
あんなの、ただのデタラメだよ
チャンピオンはアグリが取ったからいいようなものの ああそっか、中途の改変のせいでGCのチャンピオンは星野か
それじゃ、由良拓也も激怒するわな >>40
中途の改変なんてしていないし シーズン初めから亜久里はチャンピオン争いになんて
絡んでいない。
嘘ばっかり書いて なんなんだお前は?ww 「シーズン中途での改変は無かった、間違いだ」、と言うだけで詳しい説明は無しか
タチが悪いな >>44さん、同感です。
全日本、国際問わずマニアックな楽しみありましたよね。 バブルの頃はどこも満員だったな。
今の3倍か4倍は入ってたんじゃないか? 同じMF308でも、これでもかってぐらいに違いがでるのが面白かった。
チーム間のちょっとしたエアロ開発とかも良かった。 でも、そこは例えばムンクラはエンジンの劣勢
(服部によればCOXチューンの無限は実質的に素組みに近い仕様だったとか)を
空力モディファイで取り返す、とかいうようなチャレンジも見られたわけでしょ。
レイナードの性能が徐々に安定しはじめて以降はローラユーザー全体として
空力面での劣勢を取り返すためのモディファイが必要、と認識するようになって
例えばステラはレイナード用のフロントウィングを加工してローラに取り付けたり
(第4戦富士で大破したスコット車用のスペア?)、
セルモは支柱吊り下げ式に改造した後ウィングそのものも3D形状に新造したり、とかね。
で、そういう手直しの余地があったからこそ、ローラから日本に新車セールスも兼ねて
94年か95年頃に派遣されてきた若手エンジニアが
「日本人はワインでも熟成するかのように古いマシンを上手く活用する、
それゆえT92-50すら未だ現役だ…なんて見たまんま報告書まとめたらボスに怒られる」
とか言ってたそうで…。 膨大なドラッグを発生させておいて、チューニングも何も無いだろうよ 富士で見たニッコーセミデラコンマーチ792にはフロントウイング付いてなかった。 マーチ792は、最初の1〜2レース以外つけていないよ。 AYKのカウリングを着けたGCマシンが見たかったなぁ 青柳金属工業ね
ノバ53SとAYKスペシャルと、2種類のカウリングが選べた F2とGCのハイブリッド、サンダーLMカッコ悪かった… >>55
時代がちょっとずれてるよ。
NOVA53SはRX1200用、AYKsplはRX3000用でMCSと2種類が設定。 そっか、自分のはRX3000だったのかな
買ったのは、1980年の春頃 AYKのまさに最後期にスーパーパーセック買ったら
「GC88」と称するMCS8的なものが付いてましたですだ。
あの頃に戻れるならボディだけ何枚でも欲しい。 >>52-53
792はシーズン中の改良進化が激しかったからね
JAF富士GPの藤田車は、スライディングスカートとか
あの時点で最新仕様車だった記憶
星野はドラッグの少なそうな旧車532Pを持ち込んだりしてたけど
高速サーキットでのグランドエフェクトカーの威力を
見せつけられたレースだったね >>61
皆が頑張ったわりに1年で見捨てられた不運のマシン792
GCがなかったらどうなっていたんだろ? 不運というより、ウイングカー自体が少なかった訳で
もっと悲惨だったのは、78年デビューのシェブロンB48で、、、 シェブロンってとトミカでモデル化されてたあれ?
長谷見さんのおかげもあるけど案外ニッチな車種がモデル化されてるんだよな
昔のトミカ…。何故かKE007ではなく009が出たり…。 >>64
トミカが出ているのは B42
B48 は、F1のアローズFA1みたいなやつ トミカを観客席に投げていた長谷見さん。
それにしても、パトレーゼって
アローズA1もシャドウDN9両方乗っていたんだな。 >>69
今聞くと意外とあぶないなトミカ投げw
ま、箱入りとか、さらにその上から紙袋に入ってれば大丈夫だろうけど。 シェブロンは76・77年のJAF鈴鹿GPのウイニングマシンのメーカー。
エンジニア(解良氏)の技術的興味で作った感のある Niki 02 より、
B48のやっちまった度は高いと思う。シェブロン自体、しばらくして潰れちゃったし、、、
※B48は、トニーサウスゲート氏のデザイン。 シェブロンはデレック・ベネット御大がなんかで事故死したのがきっかけで迷走してつぶれちゃったんじゃなかったっけ? >>73
ロンドーみたいに創設者の死後に開発を引き継いだ結果なのかもしれないけど
80年代後半くらいのルマンで前輪にまでスパッツの付いた
特撮じみたCカー走らせてたの思い出した…。 >>74
昔はみんなそーだったよ。
星野さんが日産ワークスのスーツでルノー乗ってた。 >日産ワークスのスーツでルノー乗ってた
それが今じゃ当たり前になっちまったからなぁw 1991年にJ−FOMULAって言う速報誌が出てた。
今思えば夢のようだ。 あったね!F3000専門誌!あの年は富士で何回もレースして最高だったなぁ! >>80
あの年富士は4回だったけど、雨で1戦が順延(12月)、もう1戦は中止になった。
インターF3の予選の前座として土曜開催になった最終戦で右京がチャンピオン決めた。
バブルも弾けてF3000にも陰りが出たころだったな。「来年もよろしくお願いします」と編集後記にあったんだが…。 J formula 以外に何かの雑誌の別冊でまるまる1冊F3000って雑誌見たなぁ。
星野さんがアシックスのドライビングシューズを袋に仕舞ってる写真しか覚えてないけど^_^; 日本からF1復帰を狙うガイジン、FI行きを狙うガイジンがいたし、
次は誰がF1に行くのかという面白さがあったな。
あのころが異常だったともいえるが、今はそういう面白さはない。 今はF1底辺チームのシートより、SF&WECワークスドライバーの方が魅力あるのかもね。
ロイックがSF復帰の噂あるし。 生きてりゃ今年で53歳、亡くなったのは36歳だもんなぁ 沖田浩之だよ
小河氏は、92年に36歳で亡くなってるから、今月15日で60歳かな 私は高橋徹財命中はレース興味なかったが、知ってる人から見てF1行けた人?
萩原光はまああのままいけばレイトンからF1行ったの間違いなかったろうね。 その二人なら高橋のほうが才能は有ったと思うけど
どっちにしてもF1てレベルじゃなかったわ
高橋は中嶋がいなくなってからの全日本でチャンピオン狙えたかもしれないけど
萩原は全く持ってそんなレベルではなかった 能力的にどうだった、というのは今となっては難しいところだけど
2人とも当時の三強(星野・中嶋・松本)より若かったのは確かで、
「たった一度のポールポジション」によれば「高橋徹と鈴木亜久里は同い年」
とのことだったから、
年齢的にも時代的にも87年に中嶋さんがF1に行って流れが出来た後にはチャンスはあったかもね。
萩原選手の後援者だったレイトンの赤城氏は、萩原選手を失った後の話とはいえ
確かにマーチと組んでカペリを擁してF1に参戦、ということになったから
レイトンハウスマーチF1計画が萩原選手込みの2カーで実現した可能性もあるし、
「亜久里と同い年、実績は同等以上」となれば高橋徹選手に先に声が掛かっても不思議はないかな。 高橋徹は難しかったと思うよ。
確かに当時のインパクトは大きかったけれど、後々のドライバーを見ていると右京や虎之助の方が勢いがあった。
上手くヤマハ枠にのれていたら右京の代わりになっていたかも?程度じゃないかな 高橋徹はマツダワークスの話があったみたいだから、耐久の方で活躍したかもね。
萩原光はF1乗れるような才能はなかったように感じるが。 中嶋が体力的にアレだったから、他の日本人ドラでも華奢なのは厳しかったろうね
運転以前の問題として (放置が)長すぎたんだ…腐っていやがる!(違
ttp://page15.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t465222229
置いとく場所は無いわけじゃないが流石にココまで干からびてるとタダでもきつい…。
それでも「タブ以外全部交換しちゃう種車なら安い!」とか
車両としてレストアする以外の使い道(例:徹底的に汚れ&錆落ししてゲーム部屋の筐体とか)に
大金注ぎ込んだりできるのが金持ちの嗜みだろうか。
それ以前にシャーシプレート見ただけで誰の車両か分かるのが本物? 高橋徹と同時期かちょっと前に、カート上がりの佐野和志というドライバーがF2で走ったけど、前評判ほどじゃなくてすぐに居なくなったような。
中野信二がF1行けたなら、服部や本山でも行けただろうな。 >>100
佐野は徹より後にF3じゃね?
服部は行った・・・と言えるのか?
厳密には予選落ちはデビューではないから
個人的には中谷が見たかった だが92年のブラバムじゃ下手すると完膚なきまでにキャリアに泥を塗る可能性…。
デイモンやヴァン・ドゥ・ポールをしてどうしようもない車で最後のグリッドを争うよりは
誰が見ても酷いとしか思えないアンドレアモーダの方が下手すりゃまだダメージ少ないよ。
モナコの結果を踏まえてすら「あれはモレノさんが凄すぎるだけだ」って言ってもらえるし。 そういえば「実は何だかんだで持ち込み」という状況での選択でいうと
92年の選択肢ではマーチって線は無かった?
要はベルモンドより高額を持ち込めればシートを押さえられたともいえるし、
資金不足の割には戦績や決勝出走率も悪くはない。
逆にここでチームメイト(ヴェンドリンガー)にやられるのも傷が深いが…。 >>102
佐野和志はインパルからF3出てました。
シフトチェンジがヘタクソで、全然ダメだったと当時のメカから聞きました。 佐野ねぇ、今みたいな育成システムがあればねぇ・・・
シフトなんか今やパドルだし・・・ 当時とてドグミッションには違いないから
クラッチ踏まずにカチカチ入れちゃった方が捗るんでは?
それはそうとホシノレーシングでF3乗って成功した人ってのも少ないような…。
星野さんを勝たせるためのチームとしては優れていても育成チームとしては難がある? 高村一明とかF3000乗れそうだったのに遂に乗れなかった
テストでは一度くらいは乗せてもらえたのかな 佐野はF3で御役御免だったのか・・・。
本山はいつぞやの鈴鹿で金曜FP1だけジョーダンに乗れたけど、そこで終わったな。
遅くなかったが金積めないんで、レギュラーとして乗れなかったからな。
黒沢琢哉とかCARTに半シーズン出たりして、条件さえ揃えば上位を走れたわけで、当時の日本人の若手は世界で十分活躍できるレベルだったが、世界に出られたのはホンのわずかだったな。 中野信治って
イギリス行っているから、英国F3やっているのかな?
と思ったら ボグソール・ロータス だったのね。 中野はイギリスから帰国してすぐに
F3とF3000を掛け持ちさせられたのはちょっと可哀想
どっちもノーポイントだったし そのことが可哀想だというより両方とも歴史的な地雷だったラルトを使わされたことの方が…。
F3なんか菅生で燃やして次の1戦だけ急遽RT35を用意出来たのに
またRT36を補充されてしまうという…そのままRT35使うかレイナードにでもしろよw ラルトで快走したシューマッハはやっぱり凄いって事ですね。 92年頃にラルトのエンジンカバー外して走ってたチームあったよね? >>114
いやRT23は後輪のハブボルトが緩む(ASに技術解説書いてた人によれば左右とも正ネジのせいらしい)
という持病こそあるものの、ローラやレイナードより少し落ちる程度だから
それほどどうにもならない車というほどじゃないのよ。
むしろローラT91-50よりはシーズン序盤はまだマシだったかもしれないくらい。
92年のF3000規定に照らして「サイドポンツーン先端部の形状とクラッシュテストの実試験以外は全てクリアしてる」
といわれてたものをわざわざ必要以上に台無しにしてしまったのがRT24で
(一方レイナードの91D→92Dはフロントサスの形状変更で車軸前進、ノーズとサイドポンツーンとロールバーの変更、
クラッシュテスト実試験クリア、という小規模変更だけで92年仕様に対応して成功した)、
RT35を単純にカーボンファイバーで作り直せば良いだけのものを訳の分からない全面新設計にして
台無しにしてしまったのがRT36。
確か全日本F3000の最終戦時点では出走ゼロ、国際F3000で1台のみ(ジャンバティスタ・ブーシ車)、
それ以外は全て撤退するかレイナードに乗り換えられるかになり、
英国F3でもまともに走らせることが出来たのはアランドッキングだけ、という…。
全日本F3組でもマカオやインターF3にRT36出してきたのは
中企(中野信治)とホシノレーシング(高村)くらいじゃなかったかな…。
東名スポーツはRT36買ってあったけどシーズン末のFIA-F3用はレイナードに買い直しちゃったし。 RT36と言えば土屋圭市もずっと使い続けてたイメージ
5ZIGENのカラーリングがRT36に似合ってたけど成績は悲惨(最高位7位、予選落ち1回) この時代にF1並みの太っいタイヤ履かせてみたかったな 確か92年以降のF1がF3000とそっくり同じサイズだったような…。
逆にF3000は寸法の上限規定が少し小さいので
(ただしF1で爪先ルールが適用される前の88年以前と、F3000でも適用された92年以降であれば
寸法上はF3000ベースの改造車でF1に参戦することも可能ではある)
相対的にいえば車体に対するタイヤのボリュームはデカいんじゃないかな。
バローネだかフォルティがF1計画の基礎段階で
自分のところのF3000にGY履かせてテストしたことはあったと思うけど…意味あったんかなアレw。
逆にエンジンメーカーのテストベッドとして使われたF3000の改造車体
(確か無限が中古F1を手に入れる前には中古F3000でも試験してた)とかだと
F1エンジンとF1シャーシでテストしてる例もあるかと。
ところで本日のヤフオク「中古車-その他メーカー」カテゴリからのご案内。
ttp://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d187537287
本物のレイトンの車だとすればBMWエンジン→86年仕様ということで間違いなく、
萩原選手のために用意された個体であることも間違いない(85年にF2で乗った車両?)として、
4月のあの事故のあと、F2はカペリが乗り替わりだけどGCは誰かが引き継いだ? そしてこれもまだ売りに出てた。整備すれば動くかどうかは気になる。
ttp://page16.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u88807610
とはいえ、これは売主のせいでもなんでもないけど
モノコックの内部形状を見ると、コレで事故ったら痛そうだなと思ってしまう…。
もちろん走ってる時の剛性配分や、想定される耐用年数(2〜3年程度?)に照らした
耐久性という面では十分に頑丈な造りではあるんだろうけど
この時代の選択肢の中から1台やるから選べと言われたら
既にカーボンになってるダラーラかレイナードを選んでしまう…。
ttp://page15.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t465222229
こないだも載せた放置期間長そうなレイナードの方が
(実際には走行に耐えられる状態かどうかは疑わしいけど…)
中にくくりつけられて2階から落っことされる程度ならまだ生存性が高そうに思える…。 ケイジが富士のストレートエンドで引っ繰り返った時のペラペラのマシンに比べりゃ天国だろ そう思うとマンフレート・ヴィンケルホックはよくアレで懲りなかったと…。
ロルフ・シュトメルン同様生涯2回目の「でっかい車の事故」で死んだけど…。
一方そういう危険な時代のシングルシーターと、あげくスポーツプロトでも
何度となく事故を経験してるのに無事に引退したのがデレック・デイリー…。 鈴鹿グランプリで長谷見さんをはさみ跳びでオーバーテイクしたガビアーニってのもいたねぇ。 むしろ和田さんにパイルダーオンしたベッペと呼ぶべきかと >>124
鈴鹿のヘアピンでしたね、
当時、中学生だったが目の前で見ました。
なかなか衝撃的で792のウイングカーの腹がバッチリみれました! >>126>>127
GCは関谷さんが乗り替わりですか…。
確かこの車、レイトンハウスがレース撤退してしばらく後くらいまで営業してた
レイトンの服屋のひとつに最後まで飾られていた車両らしく
当時オートスポーツの記事でも取り上げられてた。
それにしても今まで持ってて何で売りに出しちゃうのかちょっと不思議…。 >>120
MCS6+BMWだから85年に使ったGCカーを展示用にレイトンカラーにしたのでは?
86年はMCS7でヤマハエンジンだった。 >>120
おい!ここを見てる大金持ち!
今すぐ買って整備して鈴鹿のサウンドオブエンジンで走らせろ!
全裸で見に行くぞ俺は! 昔「レーシングカー持ってる人スレ」ってのがあってだな…。
レイナード923持ってるって人は降臨したことがあった。
あとは元静マツの真っ白いマツダ757のオーナーさんが、これからレストアするという頃に
Gr.Cカースレに降臨したことも…あの個体は最近出来上がったらしいが。 30年前の4月7日の夕刊で事故を知った
世間一般は、その翌日の岡田某の自死のほうを覚えているだろうが ほしい(爆)。
ttp://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m157794586
まあ、宝くじ買って抽選日になる前にオク終わってるだろうがw。
っていうかコックピットはもっと絞られてるのかと思ったらちょっと意外。
買わないのに車体番号や履歴を聞いたら申し訳ない気がする…。
ttp://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m157673257 やっぱ最速の外人といえばロス・チーバーだよな。
奴がF1でどこまでやれんのか見たかった。
世界と日本の差を知る指標になったと思う。 F1には乗ってるけどバイドラーはもう一度見たかった >>145
チームメイトのフレンツェンに負けたね。 アーバインのギャラが2億円とかだっけ?
よくもわるくもバブルだったなぁ
全員がDFV+コントロールタイヤでやってりゃ、そこまでエスカレートすることも無かったんだろが 速いというか成長したって感じだけど
ラルフ・シューマッハ。 >>143
そこに金を掛ける余地がなくなればシャーシ複数買って選別とかいうことになるから無意味。
今のスーパーフォーミュラだってスペアモノコックからネジ一本に至るまで
補修部品のストック量に関するルールは無いんだから
理論上は大物部品10台分、細かい部品はそれこそ数十セットとかを用意して
その中から当たりを選別することは不可能ではないでしょ?
残りは捨ててもいいし貧乏チームに投げ売りしてもいい。
ダラーラワンメイクのインディで何でペンスキーやチップガナッシが速いか
考えりゃー分かるんだよ。 >>151
自動車メーカー・タイヤメーカーのマネー抜きじゃ、消耗戦やるったって限度があるだろ?
日本のチームの「自己資金」なんて知れてるんだからさ
ペンスキやら何やらは、参考にもならんよ チーバーは当時から速いけど性格に難ありのイメージだったけど
数年前のインタビューでも「僕は働くのが嫌いだから投資で食べてる」的な事言ってて
相変わらず性格変わってないなと思った >>152
当時の全日本F3が一体どうなってたと思うのさw。
流石に必要数を大幅に上回る台数を買って選別、なんてところまでは(多分)行かなかったと思うけど
Tカー持ってたり買った新車を使わなかったりハズレシャーシをシーズン中に買い替えたりは当たり前と
下手すりゃ今のスーパーフォーミュラより金掛かってんじゃないかというレベルよ?
マカオに船便で車を送る締切日の都合で直前のレースは普段の車では走れなかったけど
何だかんだで代わりに使う車に困ったという話は聞いたことがない。
メーカーの資金がじゃぶじゃぶ注ぎ込まれてたのはトムスと童夢くらいのもので
他のチームはほぼスポンサー様から回ってきた資金でレースをしてたわけよ。 >>153
航空券送ってくれれば喜んで日本へ行くなんて言ってたね。
いまだに日本に来てないのは誰も航空券を送らないから? >>154
元々の地力が無いから、そんなの続かなかったろ? >>155
鈴鹿のファン感あたりに呼んでも良さそうだけど
誰も呼ばないって事は、御察し下さいって所か >>158
それ以前に当時のレイナードで走れる個体って日本に何台くらい…。
この時代のは大部分が豪州に流れちゃったのかメーカー問わず意外と無いという印象。
>>157
バブルが弾けて皆コケた、はタイヤマネーやメーカーマネーが入ってたはずのカテゴリでも
結局は同じことでしょ。F3000は予選落ちが時々出るかどうかになり
JSPC(→ICL)なんて参戦数激減でカテゴリ丸ごと瓦解しちゃった。 というか、もし自分が大富豪で、乗ってもらうにふさわしい車両を持ってるなら
サウンドオブエンジンとかファン感みたいな走らせる機会のあるイベントで
ちょっと高くついてもチーヴァー呼んで乗ってもらうってのはやりたいなw。
当時の本物(チームルマン時代は大抵シャーシナンバー1番か2番だったらしい)は
海外にあるんじゃなければ多分まともな状態では現存しないと思うから
「レプリカだけど良いですか?」になってしまうんだろうが…。
しかも無限MF308はもう部品出ないというからDFVやらACやらジャッドKVの搭載車ということになり…
そうなると色だけ一緒で別の車でしかないがなw。
余談だが確か和田さんが92年に乗ってた(というかシーズン序盤で早くも放棄したw)
日石カラーのラルトRT24Jは確か欧州のコレクターさんがジャッドに換装して所有してる。 >>160
バブル以前に、エンジン・タイヤに自腹切ってまでエントリー出来るチームがどれだけ居たと思う?
実際はその時点で既にメーカーマネーに頼ってたわけだから、最初からそれが無ければ、バブルマネーがやってきたところで、
素通りして他のジャンル(モータースポーツ以外)に流れ込んで行っただけだよ
サーキット自体、メーカーが下駄をはかせることで成り立ってるわけだし
だから、ペンスキや何やらと比べること自体が間違い >>162
ホシノレーシングが松浦に替えた時とかタイヤはともかくエンジンは買ってたんじゃないの?
逆に全日本F3000で「タダエンジン+タダタイヤ」のチームがどれだけあったか聞かせてもらいたいわ。
ヨコハマは大半が無償供給だったんじゃないかと言われてはいるけど
(ただしシェアは少ない)DLの京極さんをして「使用料取ってるチームもある」というんだから
BSの無償供給なんてのはむしろ少ない方なんでは。
なお、有償供給組は国際F3000のエイヴォンより高いくらいの金額を支払ってる。
エンジンの無償供給に関しては92年のハギワラレーシング(ジャッド)以外で聞いたことはない。
あとは87年のホンダ&ヤマハワークスくらいで、そんなのそれこそ極少数でしょ。
…考えてみたら92年のハギワラレーシングはエンジンこそ無償だったとはいえ、
あるいは関谷さんや萩原任氏の人脈でタイヤまで無償で手に入れていたとしても
あんな真っ白い車でよくレースになってたもんだと思うよ。
逆に、あれより遅い奴らが恥ずかしいだけで走るだけなら案外安いんじゃないの?w そういえば童夢が阪神大震災によるDL供給停止でYHに変更
→シーズン途中でBSに変更、の時は、YHは無償だとしてもBSの使用料はどうだったんだろう。
逆にあそこの場合はエンジン代がどうかという面はあるが。 ま、DFV+ワンメイクタイヤでやってみたことは無いんだから、今となっては何も言えないな
エンジンやタイヤにしたって、契約内容も何も明らかになってなかったしね
各チームの背負ってきたスポンサーだけで15台揃えられたのかどうかは、判らんなぁ
特定メーカーの紐付きなんかじゃ、話にもならんし
ま、今みたいに「ホイール代を捻出できないチームのせいで83年以前に決められたF3000規格の
ホイールを使い回す」なんてことは想像もしなかったよ レイトンハウスとフットワークがF1チーム経営出来ちゃった時代と
今とを比べるわけか…。
ましてや当時は自社製シャーシでチャンピオン争いの出来た童夢が今やry レイトンの資金は、御存知「富士銀行不正融資事件」のアレだし、
フットワークは、オオハシ会長がトチ狂ったせいで会社が傾いた ついでに言っちゃうとピレリは仮にも「オーガナイザーの望んだスペックのタイヤ」
という厳しいハードルを了承してF1のワンメイクタイヤを供給してるのに対して
BSは去年一杯でMotoGPもスーパーフォーミュラも止めちゃうんだもんな…。
「こういうスペックでやりたい」「このタイヤサイズでやりたい」という意向があったら
それに合わせたものを作れるのが大手タイヤメーカーたるものであって、
そういう意味ではここ数年のBSがどれだけ本気だったのかは疑わしい。
スーパーフォーミュラを引き継ぐ形になるヨコハマはコジマKE007用のタイヤだって作ってくれちゃうし
(他にもスターフィールド所有のマツダ767Bもヨコハマを使用)
ミシュランは原則的に過去に生産したタイヤの金型は保存してあるので注文があれば作れる、
ましてやそれらの何分の一の企業規模だか分からないエイヴォンが
タイレル6輪のフロントタイヤですら作ってくれるというのにね。
日本最大の、かつ世界に冠たるタイヤメーカーが
「要求されたサイズに合わせたものを作る」ということもできないようじゃ
市販車のエコやコンパクトネスの要求に合わせるという点でも将来が懸念されるね。 >>167
金の出所の話をしだしたら…おっと誰かがry >>168
相手側が「初めに競技ありき」ではなくなってる以上、もう付き合い切れないってことだろ
波乱が必要ならば、エンジンメーカーのリスクで高回転競争でもやれば良い
F1でもSFでもそうだが、メーカーが何種類のタイヤを用意しようが、縛りが無ければ全ての
チームがノンストップで走るに決まってる だからCARTはノンストップじゃ絶対走り切れないタンク容量なんじゃないのさw。 最大で800kmってのは、ガソリン燃料だったとしてもノーストップでは厳しい距離だろう
最初の積載量が多く重くなり過ぎるから、どの道1回以上は止まることになる
アルコールの場合は更に容量が増えてしまうから、止まる回数はより多くなるのかも知れない
それよりもまずイベントの性格が違うから、F1やらSFと比べても仕方無い
向こうだって「競技」を全面に出してはいないだろ 考えようによっちゃスタート時の搭載燃料が多すぎて装備重量が重くなると
走りが鈍重になってレースがつまらなくなるということも言えてくるからねぇ。
タイヤにしたってロングライフにするためにハードコンパウンドにして
コーナーリングスピードが遅すぎたり恐々走ってるようじゃつまらない。
それじゃ超スプリントにすりゃーいいかといえば
全員がチーヴァーと星野さんでもなければ盛り上がりそうにない。
タンク容量の匙加減は案外簡単に出来るし
(90年代のF3000マシンもコクピット後方のタンクスペース全ては使い切ってなくて
実は多少増やせる余地がある車種が大多数だったというし)、
タイヤだってサプライヤーとのご相談でどうにでもなる。
仮にタイヤ競争のあるレースでも間で給油を挟まざるを得ないとなれば
そのためのロスタイムを計算すればついでにタイヤ交換もしちゃった方が良い、
とかいう選択肢も出てくるでしょ? 2010年にF1が給油を再び禁止にした時、各車200〜250リッター以上を積んでスタート
してたと思うが、その程度じゃ分割する意味は無い
だから、圧力式の給油機を引っ込めた途端、給油も「自動的に」禁止になったわけ
トータルのタイムが落ちるのは確定だから
従って、タイヤ交換も発生しない
原理原則を外したら、元も子も無くなるんだよ 逆にGr.Cが900kgくらい(正確には旧C1相当だけでも年代によって800〜1000kg)で
100リッターほどしか積んでないわけよね。C2は700kgで55リッターらしい。
それを考えたら600kgほどの車体に200リッター以上ってドラッグレーサーかと…。
実はF1でも88年のターボ締め付け規定の「150リッターで305km」てのが適正値じゃないかね。 確か 童夢 RL81 DFV が 2.35 km/L 位
Gr.Cカーも、悪い車は 1.6km/h、良いほうは、2.5km/L
(規定から離れているのもどうかと思うが)
F1でピットストップが始まったのは
ソフトタイヤ+加圧給油した方が、200なんぼ積んでハードタイヤ走るより速かったから。
タイヤに関しては、トラクションの関係があるから燃料と関係があるとは限らないと思う。 >>176
規定より燃費の悪い方はもう途中でペースカー入るのを当て込んでたり? >>177
単純に技術力がなかったり、ドライバーが飛ばしすぎた場合、
Gr.Cカーでも、決勝1.6 km/L なんておバカ燃費が出る。
70年代後半のF1が、1.6 - 1.8 km/L らしい。(燃料タンクのサイズから推察)
80年代後半が 150L で300 km 前後走るわけだから 2 -2.2 km/L位の燃費となる。 F1のターボの件は、係数を段階的に引き上げることが出来ていれば、最終では係数4の750ccでNAと釣り合って
いたと思うし、燃料消費もNAと同等だったろう
実質3000ccのエンジンであれば、ガス欠なんてのも有り得ないわけよ そしてもちろんF3000の方がF1よりタンク容量は小さいのよ。
マーチ87PとかダラーラF3087改の話とか有名でしょ?
その当時のF3000はモノコック成型技術(複雑な形状をカーボンで作れなかった)の関係で
リアバルクヘッド手前部分が寸胴に作られていたからベース車の時点で空洞部の容量を目一杯使い切っていて
モノコックに手を加えずに容量を拡大することがほぼ不可能だったのだけれど
(だからマーチ871は多少後ろに伸びてる)、
形状自由度が上がった後年には大半のメーカーがカウルに隠れる部分を下膨れに作って
低重心化のためにフューエルセルを低く積んで上側を余らせる構造にしてる。
だから構造的にはF1と大差ないくらいまで容量を増やすことは可能で、
逆に減らすのならポルシェ956/962CみたいにFRPブロックを敷いたり
フォーミュラニッポンや米国のショールームストックレース
(日本でいうNゼロとN1の中間みたいなもの)で性能調整に用いられるように
タンクにピンポン玉みたいなものを沈めてデッドスペースを作ったりできる。 コース上でサイドバイサイドをやるのが本分なんだから、ピットなんか二の次だろ
ノーストップでやれるならそうすればいいし、逆にピットを前提に考えるなら、
1回程度で済むようなハンパな距離設定じゃ無駄ってことよ
スプリントならスプリントらしく、耐久なら耐久らしく F1てのは300だか305kmだかの規格で、F3000は200kmでしょ?
マーチ87Bを改造した87BBが300km分の燃料を積めないのは当然で、
専用車の871では、それは当然解決されてる
87Pってのが何だか知らんし、ダララのことは覚えていない >>173
燃料搭載量が多かったり、タイヤ交換が不可とか、タイムダウンするタイヤだと
車の性格が変化するから、抜きやすくなんだよ。 あくまでF3000の話だと思うけど
インディ用ならマーチ87Cとかがあったような無かったような
87Cも、確か失敗作 マーチのフォーミュラパシフィック・アトランティックようは 末尾 A >>182
昔のグラチャンは途中で給油してるのであって…。
ヤフオクに出てるレイトンの個体もクイックチャージャーが顔出してるでしょ?
さてマーチのタイプナンバー一覧表である…ちゃんとありますよ87P。
ttp://www.marchives.com/chassis_1.htm 87BBってのが仮称なのか?
そんで87Pってのも決勝には出てないようだが、予選落ちしたのか?
まあ、本題とは関係無いがな レイトンマーチのGCマシンが走ってたころは、もう給油ルールは無かったな
F3000の規格で200kmを超える距離は想定外だし、300kmでやると判ってるなら、
最初から5割増のタンクを積んだマシンを設計するだけの話よ
プロトカーはベースマシンが無いんだから、競技規則に合わせて設計するのが当然だろ
「現物合わせ」のカテゴリーとは違うよ ・レースの本分は、トラック上での抜きつ抜かれつであることを忘れるな
・たった1回程度のピットストップの為に機材や人員を用意するのは無駄
0で済む距離か、数回必要となる距離にすべき >>188
87年のブラジルに持ち込まれたけど決勝出走してないらしい。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/1987%E5%B9%B4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA
言われてみれば確かに23台しか居ないので(リジェ・コローニ不出走、ラルース・AGS・オゼッラ・マーチが1台)
予選落ちするわけはないと思ったらエンジントラブルとな。
この時点でレースエンジン1機しか無かったらしいとは聞いてるが
(871がデビューして程なくスペアエンジンが確保されるが最初のうちは耐久用のDFL…w)
2回目の予選が妙に遅いのはそれが原因か?
まあレイトンにしろ翌年のダラーラにしろ「燃料タンク容量が足りなくて完走できない」
なんて状況でも怒られなかったんだからアンドレア・モーダから見たら平和な時代だよw。 >>189
富士GCの場合、86年まではレースディスタンスが 200 km〜 200 マイルと変化があったけど
それ以降は 200km 程度のレースになったから、当然給油する必要はない。
給油がつきもののイメージがあるGr.Cカーだって、200km程度の距離だったら給油しない。 >>192
F2の規定はもう忘れたが、200kmやそれ以上の距離は想定してなかったと思う
カウリングの分、そっくり重量が増えてるわけだから、まともに考えりゃF2
以下の距離でしかレース出来ないでしょ
F2ベースのマシンで長距離をやりたいというのは、単に貧乏人の発想だよ
一発で積むのが躊躇われるような量ってのは、300リッターとかそれ以上だから、
それ以下で済むんだったら、専用の車両を用意して300kmでも400kmでもやればいい グループCは特殊なレースだから横に置くが、一般に1000kmが基本のレースを
やるんであれば、当然燃料の一発積みは非現実的なので分割することにはなろう
それでも、2回程度のピットで済ますことは可能
今はルマンでも4回のピット毎にタイヤ交換してるくらいだから、タイヤが先に
ギブアップってこともない(逆に言えばタンクの容量は今の2倍でもいけるのだが、
規定で抑えていて80リッターかそこらしか無いはず)) 元々のボディワークの大半は取り去られて(ノーズコーンやサイドポンツーンも)
それをカウルで置き換えるんだから、それだけなら大して重くはならないんじゃ?
もちろん制限重量の絡みはあるから実際にはもうちょっと増えるとしても
ムンクラはじめ各社の市販カウルキットの重量ってどれくらいだったんだろう。
まあ…いくら最後期はバブル真っ只中とはいえカーボン製じゃなかったにしても。
いっぽうレーシングスピードなら空力もバカにならないことを考えると、
似たような前面投影面積でCd値が優れるというGCカーの特性に照らして
燃費は案外似たようなもんなのでは。 …そーいえばMCS5以降は床板も大部分が無いな。
あれも昔は厚手のベニヤだから結構重い。
前にローラT88-40マツダ/R&Dのカウルレス画像見たら
床があるのはモノコックの底側開口部の下だけで、大部分の構造物は
下から見える構造だったし。 レーシングカーとして突き詰めて行けば、軽く仕上げることは可能だが
コスト上昇してしまったらF2ベースでやる意味が無くなる
だから、エントラントが余計な事考えないようにF2より重い設定にしたんでしょ
ラップタイムで言えば、87年頃の比較だと富士ではCカーが最速、それ以外ではF3000、
GCはどのコースでもF3000より遅い、みたいな感じだったよ
本気で短距離用のスポーツカーを造ったらどうなるか知らんけど、コスト面で無理だったかと NASCARのポイッと放り投げるやつ使うか。標準化されてればコスト掛からんし。
…ってアレ、車体の方はフタが閉まるから大丈夫だろうけど
放り投げた缶に残った燃料で火事になったりはしないのかw 今は、昔のようにピットロードで全開走行も出来なくなってるから、ピットそのものが一層不利になってる
鈴鹿だと30秒近いロス、それに加えて1リッター給油するのに0.5秒のタイムロス
ノーマルの給油機を使う限り、短距離のレースではピットインを考える必要は全く無い
仮に200リッター積んで400km走るにしても、1ストップ組(タイヤも200km用を使用)に勝ち目は無い
タイヤだって、何十年前の物とは違うから グラチャンだかの話があったけど、本当に給油が有効なら燃料を二分割してたはずだけどね
実際、「途中で残り半分入れた」なんて話はあまり聞かなかったような >>205
GCのレギュで義務があるのは20L。
しかも、落差の少ないポリタンクでの給油だからよ。
しばらくたってから、落差をつけるために >>201 の8耐
みたいなタンクを作り始めたわけ。 GCの場合、そもそもピットイン義務を設けたのは
ピットに入れることで半強制的に順位を移動させることが目的。 やっぱ、F2やF3000みたいな競技性の強いカテとは違うのね
ていうか、最近のFNとかSFも「パン喰い競争」と揶揄されるようなことやってるから、
モータースポーツ自体が難しくなってるのかも知れんね まあF1と同じでよっぽどチンタラ走らない限り
絶対レースディスタンスもたない(安全上はともかくグリップ的に)
というタイヤにすりゃー良いわけだね。
そしたら給油するまでもなく1回は入らないとレースにならなくなる。
その分だけグリップが高ければ「ライフが短いのはお察し」であって
別にイメージが悪くなるも何も無いはずなのに
ワンメイクタイヤサプライヤーが難色を示すことのほうが理解できない。
…別にロス・チーヴァーばりの超次元ラップでレース折り返しくらいまで走れても誰も文句言わないぜとw。 言い尽くされてることではあるけど、仮にタイヤ競争があったとしても、
1ストップ以上を選択するチーム・メーカーは無いし、ノーストップ前提で
何種類かのタイヤを用意したとしても、それで生じるタイム差は知れてる
短距離規格のレースをスッパリ諦めるくらいのことをしないと、もうどうにもならない
車両規格のゼロからのやり直しについては、それ以上に抵抗が大きいだろうから、
それは言っても仕方無いか そりゃー似たような車があったらそれ買ってきた方が早いからさ。
Gr.Cの草創期にはポルシェ956以外にIMSA-GTP用のシャーシ引っ張ってきて使う向きがあったり
逆にGTPでもポルシェ956が「爪先ルール」にそのままでは対応できないのを
わざわざ北米の顧客たちがヴァイザッハを突ついて962作らせたわけでしょ。
インディライツだってCART傘下で行われていた頃はマーチやローラのF3000の改造品だったのだし
トヨタエンジン時代のアトランティックもF3の改造車が多かった。 金さえ払えば手に入る道具、金さえ払えば使える施設、それが無いと何も始まらないね
あっちのメーカーやこっちのメーカーの顔を一々立てていたら、レースが曲がってしまう 昔グランチャンで、給油タンクを突き刺したまま走ってるマシンを見た! 熊倉「このままでは高さ制限に違反しますね。またロールバーより上に構造物を取り付けることは…あ、取れました」 初期のGCみたく300マイル とか 500km とかあった時代だったら
また違うんだろけど 500kmなら、250リッター前後で済んでしまう
給油作戦は厳しいかも知れないが、当時ならタイヤ交換のピットくらいは有り得たかな >>207
強制ピットインで順位変動とか
セミ耐久な長距離で途中給油を必須にするとか
2ヒート制で逆転の可能性を残すとか
昔の方がレース主催者側の工夫があったような気がする
マシンが速いだけじゃレースは面白くならないんだよな
レースはタイムトライアルではない
相互の関係(競り合い)があるからこそレース そういえば昔SUGOで事故がらみとはいえ
3〜4ヒートやって中断終了、優勝者は1周もラップリーダーとっていない。
なんてあったな。
クラッチトラブルでスタートが切れない・アクシデントの可能性があるから中断終了となった訳だけど、
複数ヒート(レース)制やるときは、
1ヒート目はスタンディング、2ヒート目ローリング(SC)にした方が良いんじゃないかな。 >>218
ヤラセがあってはならないでしょ、競技の看板を背負ってる以上は
・2ヒートについては、1ヒート目で壊した場合の為に2セットの車両が必要になる
・ピットの必然性が生じる為には、今の時点では相当な長距離化が必要になる
この辺の問題があるから、どちらも難しい
レース形式にこだわるなら、原点に戻って車両規格(速度を含む)しかないんだよ
F1の連中が悪足掻きしてるから、中々先に進まないけどね 「素の状態」で競り合いが出来る車両ってことになると、今の考え方を止めて
速度(ラップタイム)についても、再検討しなきゃならなくなる
それが受け入れられないなら、レースの看板を下げろってことよ
鈴鹿サーキット1分30秒のラップタイムと「競り合い」が両立するとは思えないしね >>220
昔の2ヒートの場合、タイム合算かそのレース独自のポイントの合計だから
1ヒート目で車を壊したら当然2ヒート目はリタイヤ。
現在でも、1ヒート目は事実上の2次予選(予選レース)、
2ヒート目が決勝(順位決定)なので、2台用意する必要はない。 >>222 訂正
現在でも、1ヒート目は事実上の2次予選(予選レース)、
2ヒート目が決勝(順位決定)なので、2台用意する必要はない。
これも、旧規則でした。失礼。 だから、過去には2ヒートを全面的に導入するってのも当然検討されてるよ
何でそうならなかったかと言えば、「壊しちゃったので2ヒートには出ません」と
いうのが言い訳として厳しいからだろが
短いレースを2回、それをシーズン通してやることにならなかった理由を考えて
みなよ、それのほうがインチキピットよりはまともな考えではあるんだけどね F3000〜FNの間には、最大300kmまでやったり2ヒートやったりの試行錯誤はあったわけ
前者については、さらに長距離化しないとピットストップの必然性は生じないってことで断念
後者も、やはり機材の問題があったんだろうよ
チャンピオンを狙うようなとこは、2台用意することになるわけだから >>220
>>ヤラセがあってはならないでしょ、競技の看板を背負ってる以上は
何が「ヤラセ」なの?
意味わかんねw スピード競技なんだから、ピットでタイム落とすようなことは出来ないわけ
昔はタイヤがプアだったから、短い距離で止まる必要があっただけ >>「壊しちゃったので2ヒートには出ません」というのが言い訳として厳しいからだろが
>>スピード競技なんだから、ピットでタイム落とすようなことは出来ないわけ
自分が勝手に思い込んだおかしな前提を元に意味不明なことを書くヲタクがいますw
だったらレースじゃなくタイムトライアルやれば?
そんなの誰も金払ってまで見ないだろうけどw
おまえみたいなのが一番レースってものを理解してないんだよ >>227
自分のお気に召せば演出で気に食わなければヤラセっていう極めて分かりやすい基準ですよw 2ヒートの拡大については、チーム側の反対で無くなったんだよ
余計に金が掛かることになるから
長距離も、似たような理由だろうよ
いっそ、スーパーフォーミュラとやらもグラチャンみたにポリタックでやって
笑い者にでもなるか 別に距離的に必要であればNASCARみたいな燃料缶でも
Gr.Cでやってたような重力落下式でも良くて、
導入してすぐにフェルスタッペンが火達磨になるような無駄ハイテクに頼る必要もない。 >>232
雑誌のバックナンバー見ていたら、20L 10秒で入れた例もあるみたいね。
考えてみたら、今の給油装置って、加圧している訳でもないし、絞りが入っているから
20L 程度だったら意外と差がないのかもしれない。 鈴鹿で300km程度でやるのに燃料消費が150リッター程度
半分の75リッターを途中給油するのに、ピットロードのロスを含めて65秒以上掛かる
それを取り返せる見込みが無ければ、真っ直ぐの方が早い
今は、重力式だろうが何だろうが給油機の速度は秒速2リッター程度に制限されてるから、
手持ちもそれ以外も、大差は無いはず
より高いところからホースを繋げば速度は上がるが、それも禁止されてるし プロトカーの場合は、「現車ありき」のカテと違って、距離に合わせてどうにでもデザイン出来る
今まで、最大でどれだけの燃料を積載したことがあるかは知らんが、軽く300リッターは超えてるだろう デザイン出来たって誰が何台を幾らで作るの?
面白くもないイラストと能書きばっかで実車はほとんど作らなかったコンストラクターが
あるというかあったというか…だけどさぁ。
生産ロットが見込める企画に一口乗せてもらうか、アリモノを手直しするかの方が
数段話が早いよ。それなら量産立ち上げのための最小限の台数ってのを考えなくて良いから。 大は小を兼ねると言うが、逆は無理なんだよ
200kmのレースをやっていて、より長距離がやりたくなってきたら、
規定を入れ替えればいいってだけよ
ハヤシミノルの言い分じゃないが、タンクの小さい車両の使い回しを
永遠に続けるわけにはいかないんだよ
いつかはシャーシの寿命が尽きで全てが終わる 貧乏人や国が思い思いにレースをやるのはいいが、相応の看板でやれってことよ
決して、背伸びはするな いやいやイギリス人だってロットの捌けない車なんか作らないからw。
ラルトは92年型のF3000もF3もしくじった(ダメ車だったうえに何台も売れなかった)ことで
メジャーカテゴリの大半から撤退する羽目になったし
ローラ・カーズをしてSWC用のT92/10をユーロレーシングに頼まれて2台作ったら
支払い踏み倒されて大損害だったんだぜ?
ラルトは間違いなく自業自得としても、ローラT92/10の場合は2台だけだったせいで高くついて
それでユーロレーシング側に払える金額で上がらなくなったという面もある。
エンジンだってイチから作って幾らも数が出ないとなったら大変な金額になるんだから
(4輪用の4ストロークより数段単純な構造の2ストロークだった頃の2輪世界GPでも
例えば年に数台程度しか生産されないホンダNSR500はエンジンだけで何千万とかのレベルになる)、
貴方の言う通りの形で自動車レースを出来る国なんて世界中のどこにも無いだろうね。 それこそメーカー自らプロジェクト丸抱えで必要経費全て支払いますからという場合
(この場合は1台単価が数億円とかになっても、どうせ売るわけじゃないから構うこたぁ無いし)とか
逆にどっかの大富豪(例:ウォルター・ウルフとか)の情熱が突っ走り過ぎてマジでワンオフ、
とかいうことになれば、それが1台であれ1ダース程度であれ「ロット丸ごとお買い上げ顧客」だから受けるとしても
コンストラクター自らの企画として立ち上げる場合には
ある程度の数(20年位前のローラやレイナードの話ではどうも最低6台程度らしい)作れる見込みがなきゃ
売れる値段じゃ作れないと。
で、まあコンストラクターさんのいう「売れる値段」ってのが
ユーザー側にとって内容に照らしてすんなり支払える金額かは別の話なのであって、
プロジェクト全体として軌道に乗るには1ダース2ダースとか、
果ては全世界に売れちゃって数十台から何百台の桁であってくれれば有難いに越したことはない。
もしくは「もう何十台出てるやつの手直しだから安く上がるよ」とかね。
初期のレイナードのF3000は形状的には(剛性配分は違うとしても)
F3の後ろ半分膨らましただけの設計だったというし、
もしくはタンクさえデカけりゃいいならマーチ87B→87P→871的設計変更でもよし。
タブ自体は基本的にそのまま流用出来るならF3-フォーミュラアトランティックとか
F3000-インディライツ-初期FN-末期F2-GCみたいな超絶有効活用も出来るでしょ?
マーチ86JとかローラT88-40とかは大した台数出てないんじゃないかと思うけど
おそらくは種車に照らして腰抜かすような値段ではないでしょ? ユーロレーシングのT92/10(この件に懲りたローラは「もうメーカーのプロジェクトじゃなきゃ受けない」とw)の一件と
マーチの話で思い出した…。全生産1台でルマン商会お買い上げのマーチ88Sってのがあったね。
実生産されたものとしてはマーチ最後のGr.Cカーのやつ。
あれはルマン商会が、というか事実上日本たばこ産業様お支払いだったと聞いているけど
割と凡庸な設計の割に軽く1台1億円を超えていた、というのが明らかになってたなぁ…。
ノバが後年導入したR91CK=R90C-07はT90/10の7台目だから
内容に照らしてそんなトンチキな値段じゃーないだろうが。 だから、日本の場合はまず受け皿の問題があるから、大したモータースポーツは出来ないんだって
メーカー傘下の施設でやるものについては、中立性が保てないから各自の看板でやるしかなかろ
メーカーの持ち出しで、道具も含めた負担をすればいい
ま、学芸会にしかならんけどな ま、サーキット側(トニー・ジョージとハルマン家)がレースを支配しようと
立ち上げたはずのIRLが、いつの間にかシャーシとエンジンのメーカーに操縦されちゃって
昔のCARTと大差ない形態に落ち着いちゃったりしてますがね…。
NASCARだってビッグ3とグッドイヤーがいなけりゃ回らないし。
声高に日本異質論を叫ぼうとして却って日本のレースを異質にしようとしちゃいけません。
欧米ガー言ってたら旧東側みたいになっちゃった的なもん。 こんなもんでも有り難いと思えば有り難いんだろが、多くのファンが去っていってしまったよ 鈴鹿サーキットの人間が、「日本でのサーキット運営は10倍掛かる」って言ってたからな
トヨタだろうがニッサンだろうがBSだろうがDLだろうが、その時点で利用してる者が10倍の
負担をしてくれるならともかく、その保証は無いんだよ
「転嫁は事実上不可能」ってのが答えよ 1978:国内規定のF2000 から 国際規格のF2 に変更
1978:鈴鹿F2シリーズに 外国人招待選手制度。
1978:JAF鈴鹿GPにウイングカー。シェブロンB48 登場。Rパトレーゼのドライブで3位
1979/12:筑波でノンタイトル戦
1980:・F2サイドスカート禁止。地上最低高 4cm
・タイヤ1セッション1セットに制限。予選義務周回数5周
1980/6:ヨーロッパF2 Rd.6 シルバーストン にラルトRH6 ホンダ(N マンセル) 登場。
1980/9:ヨコハマタイヤ参戦。マーチ802BMW 高橋健二
1980/11:ブリジストン ラジアルタイヤ投入
1981:ホンダV6 国内登場。(ラルトRH6/80 中嶋悟)
1982:JPS がF2 Rd.2 の大会スポンサーに。
シリーズチャンピオンにはF1のテストドライブの機会をあたえると発表。
1982:トヨタ18R-G改 登場
1982/11:JAF鈴鹿GP 公式練習にてSヨハンソン(スピリット201 ホンダ)が 1:47.74 (200.64km/h)を記録。
1982/12:中嶋悟、ロータス91 DFV テストドライブ
1983:ハイドロトリックサスペンションなどの車高調整装置禁止
1983:ヒーローズレーシング No.1ドライバーにルーキーの高橋徹を起用。
1983:Rd.1 高橋徹 2位
1984:ヨーロッパで ”2L”2 の後継カテゴリーとして “2.5L”2案とF3000案が持ち上がり、F3000案に決まる。
3000ccNA12気筒、リミッターで9000rpm、540kg、寸法はF2と同じ(リアウイングはことなる。)、フラットボトム(84F1規定)、
1984:日本では ヤマハの参入をうけ ”2L”F2 を1988年まで継続を決める。
1985:・フラットボトム・音量規制 115dB
1986/3:ヤマハ初勝利 Gリース クレコ・マーチ86J OX66
1987:・予定より1年まで倒ししてF2 から3000 に移行 >>247 訂正
1984:ヨーロッパで ”2L”F2 の後継カテゴリーとして “2.5L”F2 案と F3000 案 が持ち上がり、F3000案に決まる。
3000ccNA12気筒、リミッターで9000rpm、540kg、寸法はF2と同じ(リアウイングはことなる。)、フラットボトム(84F1規定)、 ラマースじゃね?と思ったけどそりゃーF3000の方ですか。 >>249
ご指摘ありがとうございます。
改定版つくるときには、直しておきます。 >>251
ついでに87年の「まで倒し」→「前倒し」も訂正お願いします。 2.5リッターのF2ってのは見事に意味無いなぁ…。そのまま使えるエンジン無いし。
それなら実績のあるDFVがとりあえずそのまま使い回せるという点で
コストの読めるF3000規定は正解だっただろうと。
車体側もマーチにしろラルトにしろ初期のものはF2の正常進化型で
さらに極一部はF1の中古車まで使われた、というのを見るに
目論見どおり行ったんでは。 初期の F3000 は、特認車両として リミッターを付ければ F1 でも出場できた。 開始価格が上がった代わりに最落無しになった件…ってまあこんなもんで適価かな。
ttp://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k211069635
画像が増えてるのも外野としても喜ばしいこと。
シャーシナンバーのプレート(これは「842-3」で読み間違いは無い?)の他に
イギリスのコンポジット製品屋さんのプレートも付いてるけど、これはどういうこと?
モノコックアッパー部分のカーボン部品を作った業者さんの管理番号とかかしら。 >>256
これが 「842-3」 で間違いなければ 萩原光 車 1986/12:鈴鹿にてF3000テスト
1987/3:予定より1年前倒ししてF2 から F3000 に移行
・Rd.7 から5バルブヘッドのヤマハOX77 エンジン登場。
1987/4:予選時のタイヤが1セッション1セットから2セッション2セットに変更になる。
1988 F:FIA/FISA の技術規則改定により5バルブヘッド禁止となるが、
88年限り日本での使用を認められる。
他の禁止事項としてアクティブサスペンション、楕円ピストン
・無限 MF308エンジン登場
・ムーンクラフトがオリジナルシャーシ製作・参戦。(MC030,MC040)
1989: F3000規定にクラッシュテストが盛り込まれる。
1989/7:Rd.5 SUGO 和田孝夫アクシデントでサスペンションを損傷した状態で走り続け優勝。物議を醸し出す。
2位の中谷とは0.32秒差。インタビュアーの“今日は、ぶっちぎりでしたね。”に
和田が"全然ぶっちぎりじゃないじゃない!"とぶちぎれる。(若干脚色あり)
1989/11:小河等、大どんでん返しシリーズチャンピオン。
小河はサスペンショントラブルでリタイヤするが、タイトルを争っていたチーバーもファイナルラップで他車と接触リタイヤ。
1990:富士GCが無くなったことにより8戦から10戦にレース数が増加。
エントリー数も予選落ちが出るほどに増加。89年23台、90年28台
1990/7:SUGO アクシデントが相次ぎ、第3ヒート終了時点で中断終了。
1周もラップリーダーになっていないMマルティニが優勝。 1990年のエントリーは30台超えたぞ。
予選は2グループに分けられた。 >>259
ぶつかった相手が和田さんだったら例えキレてなくても平謝りするしかない…。 >>260
自分もエントリー数 28 ではないと思ったのですが、
公式プログラム掲載の数字を採用しました。
>>259 しゃれっす 89年F3000の放送は録画だったので、最終戦の放送は
現地録画 +TV局に小河選手を招いての収録。
つまり、今のBS版スーパーフォーミュラ中継の原型なのだぁ。 89年までは鈴鹿のF2、F3000は1週か2週遅れ(CBC製作)だったが、
90年から当日深夜に。しかし何故か高田純二が出て来て大顰蹙。 90年のF3000第2戦富士の映像ってどこかにないですかね? 全日F3000の予選2回目が決勝日の朝だったのは
95年でしたっけ?94年もでしたっけ? >>266
服部がチネチッタカラーで走ってた年だったと思う。 >>267 3Qです。
"チネチッタ"というと、95年
ハンゾーがレーシングスーツで映画を見るCMが流れた年
と、狭い地域でしか判らないことを書き込むのであった。 >>266
95年の1シーズン限りだな。
日曜だけ見る分にはお得だが、その分土曜日の面白さが減るので元に戻ってホッとした覚えがある。
個人的には、この予選方式では最後の最後にコースレコードを叩きだして影山兄がポール獲った最終戦が印象深い。 >>261
その和田さんを病院送りにしたガビアーニ >>262>>265
調べてみたら、90年4月のキャビンインターナショナル、エントリー32台。
2組に分けて予選行い4台予選落ち。
しかしポールのチーバーがスタートできず岩城晃一が繰上げで決勝出れた。 朝一予選、富士なんかだと公共機関で行くと間に合わないんだよね。
予選用タイヤがあった時代は、5周×2回しか走らない。
極端なこと言ったら、1回目の予選では走らず、2回目2セットなんてことも。
そんな状態だから予選日は、ほとんど観客がいなかたった。
30台越えの時代だと、ベテランでも予選落ち。
マッチ ではなく、ホッチ も予選落ちしたんだよね。(トラブルとはいえ) 俺は富士近いから朝の予選見れたが、朝は普通にウォーミングアップ走行がいい。
ウォーミングアップ走行で散々写真撮影して決勝はジックリ見る。
予選だと皆さん走らないから… >>271
岩城滉一はピットスタートでしたね。
決勝は星野、小河、右京、和田の順位だったような。 いっそ各組2本ずつの予選を土曜にやった後で
朝に予選落ちした連中にもう一回タイムアタックをやらせて
各組最後尾より速かったら入れ替わり、とかいうゲームにしたらいいんですよ。 コクピットのボタンを押すとレース中に5回だけレブリミットを解除できる。 1990:・富士GCが無くなったことにより8戦から10戦にレース数が増加。
・エントリー数も予選落ちが出るほどに増加。(33台)
予選をA組、B組の二組に分けて行うことになった(この方式は1992年の開幕戦まで行われる)。
・前年までF1ドライバーだったJハーバート、Vヴァイドラー、Cダナー、Eベルタッジアが参戦した。
また Mサロ、Eアーバイン等F1浪人級ドライバー参戦
・Jハーバートはシーズン途中から F1 のロータスでも走ることになった。
1990/7 :SUGO アクシデントが相次ぎ、第3ヒート終了時点で中断終了。
1周もラップリーダーになっていないMマルティニが優勝。
1991 :国産F3000マシン。童夢F102 登場。
1991 :年間11戦に
1991/7 :Rd.6 SUGO にMシューマッハ参戦。決勝2位。
その後、F1第11戦ベルギーGPでF1デビューした。
1992 :・F3000 技術規則改正
・シーケンシャルミッション導入
・シーズン途中から HHフレンツェン 参戦
1992/5 :Rd.4 鈴鹿 死亡事故発生
1992/7 :Rd.5 童夢初優勝。Mアピチュラ DOME F103 無限
1992/8 :Rd.6 SUGO Mマルティニ燃料の指定銘柄を間違えて購入。失格となる。
1992/8 :Rd.8 富士 チーバーが23台抜き、2位入賞
1992/11 :Rd.11 鈴鹿 服部が独走体制で初優勝。 >>279
あちらこちらのスレにこういう まとめ(なのか?)みたいなのを
書いているのって同じ人?? サックウエルが 全日本F2(F1も) 最年少参戦 なのかな。
全日本経験 F1ドライバーとなると、
ワーウィックとか、中嶋、ヨハンソン、ブーツェン とか、、、ジャコシショウ(違う)、、、
スポット参戦を含めると、、、列記したら収拾つかなくなる。 >>281
サックウェルが日本で唯一富士で優勝したクルマですね。
ノバの直線重視富士スペシャル。この時確かシャンパン抜かなかったようだね。
客を馬鹿にした話だなぁ。 >>284
ちゃんと表彰台に上がって表彰を受けたんだから
お客を馬鹿にしてはいないと思うが・・・。
というかあれはあれでカコ良かったと思った。w
なにかポリシーがあって シャンパンは抜かないのかな? HEY GUYS
「センモニフエチ」って知ってる?
昔、映画館とかに置いてあったタン壺(みんながカ〜ッペ!とタンを吐く壺)に ストロー突っ込んで全部飲み干すらしいよ。ゴックンゴックン! ストローが透明だから飲んでるのが丸見え!
たまにハナクソが詰まるらしいけど、思いっきり吸って食べるらしい。スッポン! ちなみにストローは絶対に洗わない方針だそうです。
「MJエロオヤジ」もいるようです。 タン壺を熱いご飯にぶっかけてジュルジュル流しこむように食べるそうです。 ごはんの上にハナクソとか鼻毛が丸見え!
汁はご飯の隙間を通って下に溜まるけど、全部飲み干すそうです。ゴクゴク
漏れは4千円で入手したぜ❤。
スカキン!
COMING SOON。 覚え違いかもしれないけど
サックウェルって、事故でレーシングドライバーやめて
福祉施設のバスの運転手になって、依頼があれば乗る。
なんかドラマにあったような経歴じゃなかったっけ。 スクールバスの運転手→学校の先生じゃなかったかな…。
まさかあの某ドラマの制作関係者にサックウェルのファンが居たわけでもあるまいw あのドラマって、当初 F3000 にする予定で
諸般の事情で F3 になったんでしょ。 あくまで個人的印象だが、サックウェルは全日本トップフォーミュラ期待外れ外人第1位だなw
ちなみに2位はナスぺッティ、3位はハーバート。
実のところ、現在注目のバンドーンも実はそっち側じゃないかという疑惑が頭から離れんのだが・・・。 ナスペッティは国際F3000でも何か優勝経験者の中では実に大したことないイメージ…。
ポーで後ろから突っ込んで背骨負ったり翌年もどこかで横転してお湯浴びしたりしてるし
そういうレベルの期待のほうがw。 >>293
それでもF1経験者だったから期待はされてたんだぜ サックウエルは ポーイチ なんだよね。
そーういえば、ポーデニー(ジャンアレジ)も全日本経験あるんですよね。 F2とF3000の車両規定は違うんじゃないか?
エンジンと車輪は別物だったはずだが
当時のレーシングオンか何かの記事だと、外寸も別立てだった気がする 確か、当時のF1は横幅が2150mmでF3000が2000mm、F2が同じく2000mmだったとは思えないのだが >>297
1984:ヨーロッパで ”2L”2 の後継カテゴリーとして “2.5L”2案とF3000案が持ち上がり、F3000案に決まる。
3000ccNA12気筒、リミッターで9000rpm、540kg、寸法はF2と同じ(リアウイングはことなる。)、フラットボトム(84F1規定)、
F3000案であって決定とは違う可能性があります。
あとタイヤサイズの関係で変わった部分もあるようです。
ちなみに 85J の幅が1800mmちょい、86B が2000mm。 あ〜そっか、決定案じゃなかったわけね
パワーが段違いだから、全幅もモノコック幅もF2とは別物にすることになったのね、最終では
車輪やリムのサイズも一新されてるはず
ま、パワーユニットを入れ換える時は、それまでの車体規格がリセットされるのは当然だけどさ >>299
マーチの場合、モノコックは同じだったみたい。
あと細かいところでは、地上高も違うみたいね。
F3000 でも初期のものと最後の方の車では
燃料タンクとかホイルベースとかの寸法関係って結構違うみたいよ。 あぁ、全幅・車体幅の規定は別物だったってこと
モノコック幅と書いたのは紛らわしかったわ レイナード883と88Dはモノコック前半部の形状は同じだったというくらいで、
車体規格そのものは違っても共通化出来る設計は引き継ぐというのは
至って合理的な技術者の発想でしょうなぁ。
古くはノバ513がFJ1300とF3で使い回しで、あげく(実際にそう使われたかはともかく)
当時の文献によればF2000への転用すら可能な設計だったというし。
V6の搭載を想定していた後期のF2であればそのまま、あるいは若干の設計変更で
DFVを搭載することは不可能ではなく、それなら車両規定上両立する範囲で
双方を共用する、ということは普通にありえたと。
>>300
92年以降は爪先ルールが適用されるので総じてホイールベースは伸びます。
あと、エンジンが低重心仕様になって搭載位置が下がったのがいつからだったか…。 フォーミュラ3000の規定って、当時のF1と当時のF2を混ぜあわれたような規定なんだよね 最初は暫定仕様でも、時間の経過とともに特化していったわけでさ
ま、上下のカテと被ってるようでは、クラス分けの意味を為さなくなるしな >>303
古くはノバ513がFJ1300とF3で使い回しで、あげく(実際にそう使われたかはともかく)
NOVA513 は中嶋悟のドライブで78年イギリスF3出ている。
NピケとDワーウィックのおかげでえらい目に合うんだけど。 つ〜か、トムス031Fとかいう、とんでもないF3専用車というかトヨタ専用車があったじゃん 当時はトムスGBを前線基地にF1に進出する計画があったはずなので
あの先に幻のトムスF1のアウトラインが存在していたという可能性…。
まだF3特化型設計のダラーラ全盛期を迎える前で
F3と上位フォーミュラの空力や構造設計に決定的な違いは無かった時代だからねぇ。 FJ1300 と F3 では、10ps位しか違わないからね。
実際、全日本の初年度は、F3 FJ 混走だし
ラルトRT-1 は、F3,FP(FAt.),F2 いろいろ使っているね。 使い回しにも程があるラルトRTゲック。おっとRT1 ラルトRT1 以降は
F2:RT2、F3:RT3、FP&FAt.:RT4、RT5、、、なんだっけ
と専用になったのかな。
ラルトRT2 の コピーから発展型 トールマンTG280、そのまた改良 ローラT850
なんてのもあったり
昔のラルトはアルミパネルの継ぎ目から張り替えるだけだから
造った後からでもどうにでもなっちゃったってのもあるかとw
92年のF3のルール変更の時とか、ラルトRT35の基本構成そのまんまで
素材だけカーボンに置き換えたコピーシャーシ的なものを作ろうというコンストラクターが
出てこなかったというのはむしろ不思議…。
平面の組み合わせだから作るだけなら簡単そうなのに。 ナップって車のフロントとラルトRT35のリアのニコイチの車両あったな >>313
それなら現存していたようでつい最近まで売り物になっていた件。
ttp://jota-garage.com/stock/st9/JK26.html
種車のJK26自体は事実上のオペルエンジン専用シャーシとして
(専用設計のシーケンシャルミッション以外なら他社製エンジンとの組み合わせも可能だったが
実際には日本に来たこのオペル仕様の1台しか製作されなかった模様)作られたものの
性能面でダラーラを超えられずにシーズン序盤でダラーラ・オペルに置き換えられた
…という顛末だったと。
で、いったんお蔵入りになったのが運用元の東名スポーツで改造されて
翌94年にテスト的に小泉和寛の手でこの仕様でスポット参戦した、と。
商談がまとまったようだけど、基本このままで使うつもりで買ったのか
元のナップJK26にレストアしようと思って買ったのかも気になるな…w 長谷見がGCに持ち込んだ、マーチとローラの合いの子を忘れるなよ! 長谷見さんがGCで走らせたFP用ラルト(?)にサンダーのカウル載せて、隙間に空き缶並べて急増したマシン、誰か覚えてない? FPがF2000になり、それ用のFJ20長谷見さんがテストしたのは記憶にある。 トムスが 83富士1000km レース中に急きょ製作したマシン
ドムス83C あのシリーズって、市販のポルシェだけでは成立しなかった?
本気出す前のトヨタ・ニッサン車は邪魔でしか無かったなぁ
星野も「勝てばいいんだったらポルシェ買ってる」とか言ってたけど、
実際はしなかったしね ターボ時代の規定だと、ワークスカーが各社2台ずつでも計10台
それも、勝てないとこから早々に撤退するだろうし
プライベーター同士で、ドングリの背比べってわけにはいかないよ
ヘタすりゃ、ワークスはシーズン半ばでポロポロ居なくなるから で、実際に居なくなったメーカーワークスがどれくらい居た?
あいにくとどれくらい本気だったのかも怪しいアルバ・スバルくらいしか
聞いたことないなぁ…。 ニッサン、トヨタ、ジャガー、ポルシェ、メルセデスのワークス・ガチンコ時代なんて、
あっても数年で終わってたよ
1年目で1社、2年目で1社抜けた時点で空中分解必至
実際は、プライベーターのポルシェで勝ち目が無くなった時点で終わったが なんでCカーの話題が F2 F3000 スレに書いてあるんだ? メーカー憎しタイヤ競争憎しを声高に言いたい人が住み着いているから…。
実際には82年にカテゴリが発足して「本当にプライベーターポルシェがどこでも使い物にならなくなる」
までということだと10年以上続いてるんだからGr.C/GTP系ってのは
なかなかの匙加減だったもんだと思うが…。
普通のシリーズ戦はともかくルマン・デイトナ・セブリングといった長丁場のクラシックイベントでは
(日本だって鈴鹿1000kmとかは案外競争になってた記憶があるし)
ワークス勢が潰れて意外な展開になることもあった。
しかも安くはないとはいえ一応は日産やトヨタの型落ちをプライベーターが使うことも出来たり
北米マツダもその後の急激な景気後退が無ければRX-792Pを量産供給する計画があった
(となれば当然R26Bエンジンは日本から供給されることになる)、
NPTIはGTP-ZXTをバスビー、NPT-90をモレッティに提供したりしてて、
訳知り顔の素人より実際に参加してるプライベーターの方がよっぽどしたたかだよ。
そういえば、結果は伴わなかったもののサンテックレーシングのジャガーは
あれは買ったか借りたか知らないけど幾らくらいで調達出来たんだろう。 >>319
コーラの空き缶がどうのは覚えてるけど、アレってサンダーのカウルだったの?! IMSAはハンデレースじゃんかよ
GTクラスのアウディの4輪駆動なんか、思い切りハンデ掛けられて1年で撤退したし
日本で、そんな「ハンデ師」なんか居るのかよ
メーカーの機嫌を伺ってる連中ばかりじゃ、そんなの無理だ IMSA-GTPにハンデなんかないよ
時代遅れの空冷エンジンで幅の広いベンチュリートンネルを設けられない車と
日産GTPは 同じ 2バルブ ターボエンジン枠
日産GTPがスプリントで圧勝
エンジンのタイプごとに性能調整するレース >>330
当時、自動車工学にも記事が出ててびっくり。
500mlのコーラの空き缶を左右のカウルの間に並べてフロントノーズを形成したとかいう記事。
さすがにそれ見てぶっ飛んだわ。
その記事ではサンダーのカウルの流用と書いてあった記憶が。
その仕様は1レースだけで次からはMCSを載せたが、ホイールベースが合わなくてリアのタイヤハウスの前寄りにタイヤが納まってた。 HEY GUYS
「センモニフエチ」って知ってる?
昔、映画館とかに置いてあったタン壺(みんながカ〜ッペ!とタンを吐く壺)に ストロー突っ込んで全部飲み干すらしいよ。ゴックンゴックン! ストローが透明だから飲んでるのが丸見え!
たまにハナクソが詰まるらしいけど、思いっきり吸って食べるらしい。スッポン! ちなみにストローは絶対に洗わない方針だそうです。
「MJエロオヤジ」もいるようです。 タン壺を熱いご飯にぶっかけてジュルジュル流しこむように食べるそうです。 ごはんの上にハナクソとか鼻毛が丸見え!
汁はご飯の隙間を通って下に溜まるけど、全部飲み干すそうです。ゴクゴク
抜かした香具師に徹底抗戦するぜw。
スカキン!
COMING SOON。 >>331
「2輪駆動で当たり前のレースで4輪駆動」なら
それがプライベーター達に行き渡ってる2輪駆動車と有為な性能差があって、
かつカスタマー供給されないならレギュレーションで何らかの調整がされるのは当然じゃない?
もしアウディが4駆マシンをプライベーターにも常識的な条件で一般供給するといえば
多少は状況も変わったとは思う。
コレ的な話でいえば、R32GT-Rと他のマシン(シエラとかスープラターボAとか)が
大差が付いた時点で「GT-Rは4駆だからあれが同じ条件じゃマズいでしょう」
って言えたかどうか的なね。「排気量に加えて4駆ならプラスx0kgくらい付けましょう」とか。
スーパーツーリングの時はFFとFR/4WDでは所定の重量差があるところに加えて
ワークス枠とプライベーター枠でも重量差や別枠タイトルが設定されていて、
結果プライベーターに供与されないチェイサーと一般供給されていたBMW-E36では違った。
それはひとつの適切な匙加減だったのでは。 1993 :エントリー26台に減少
1993/11 :有効ポイントが同点ながら2勝の星野が1勝のアーバインを下してチャンピオン。総得点だったらアーバインに。
1994 :3日間日程から2日間に。予選用タイヤ禁止
・コスト抑制を目的にタイヤ3セットルールを導入。事実上の予選用タイヤの禁止。
・後のルマンウイナーTクリステンセン参戦
1994/10 F:Rd.7 以降、”若手有望F3選手起用プロジェクト”高木虎之介、中野信治、影山正美を起用。
1995 阪神淡路大震災の影響でダンロップタイヤ供給休止に。
1995 決勝日当日朝に予選2回目を実施(94?)
1995/5 :Rd.4 鈴鹿 近藤真彦参戦 10位
1995/7 :Rd.5 SUGO 若手が表彰台独占(高木虎之介、山本勝巳、中野信治)
高木最年少PP・優勝
1995/9 :Rd.6 富士タイヤウォーマー禁止
1995 F:Rd.8 高木・星野のマッチレース
1995/11:最終戦 ポイントリーダーの高木がアクシデントに合いリタイヤ。鈴木利男が逆転チャンピオン。
1996 F:全日本選手権フォーミュラニッポンへ >>336
実際、GrAではGTRワンメイク状態、2クラスもBMWワンメイク状態
複数メイクが残ったのは3クラスだけだった
勝ち残りが決まった時点で、カテゴリーの寿命は尽きたってことよ
GrCの場合、同じ燃費で勝てないメーカーが撤退していくのはどうしようも無いし、
そこにハンデを付けたらカテの意味が無くなる >>339
「メーカー決め打ちで個別ハンデを付ける」というのは
必ずしも良い方法とはいえないケースがある
(あくまで「どこのメーカーでも突出すればハンデを課す」という公平な運用でないと荒廃する)けど
駆動形式とか過給機の有無・個数みたいに明確に基準として切り分けられる要素があれば
そこで性能調整をする選択肢は別に妙なことではないかと。
だから例えばGr.Aなら2駆か4駆かの性能調整であれば
GT-Rや、例えばもし三菱GTOとかスバルとかが参戦すれば2駆より増量されることになる。
FIA-STでも前輪駆動より有利と判断された後輪駆動や4駆は増量されたでしょ?
それでもFFと4WDを併用していたアウディは普通にライバルと互角の走りをしていたし
プライベーターのBMWもカスタマーエクシヴと比べて勝負にならないということはなかった。
IMSA-GTP式の排気量に加えてターボの個数による切り分けも行われて
「3リッターでシングルターボ」までと、それより大排気量だったりツインターボだと重くなる、
とかいうのも別に理不尽な基準というわけではないかと。
これがWSPCのIMSA-GTPクラスになればさらに燃費規制も課されるわけだけど、
当然ながら同じIMSA仕様962でもシングルターボとツインターボではドライバビリティが違うので
同じ重量と燃費だから同じスピードで走れるって話にはならないでしょ? GrCは燃費以外フリーなんだから、メルセデスみたいな大排気量+ローブーストが
有利ならば、他もそれに倣えば済む
ジャガーだって、親会社がフォードだったのだから、4〜5リッターのターボを用意出来た
同じような仕様でも勝てないなら、それまでの話
自分は、そっから先が見たかったんだけどね
更に燃費規制が強化されれば、更に排気量は縮小されてたろうし そりゃーワークスチームは提示されたレギュレーションに沿って何でもやりゃーいいが
プライベーターは購入可能な道具で何とかするしかないわけでね…。
それならメーカーから提示されたオプションのお品書き
(例:ポルシェだとGr.C用の水冷ヘッド/全水冷系とかIMSA用空冷シングルターボ系等々)と
エンジンチューナーによる仕立て直しが可能な範囲、ということに。
だから例えばNPTIはR90CKで戦う二度目のデイトナ24時間の時には
VRH35Zをベースにわざわざ3リッター化したスペシャルを用意して合わせてきたり
IMSAのレギュラーシーズンでもVG30を2.5リッター化して重量区分をさらにひとつ下に、
とかやってきたわけよ。
「3リッターターボなら重量区分がひとつ下がる、タービン1個ならさらに下がる」
ということなら例えばDFVとかフォードEDとかジャッドKVとかをベースに
ターボ付けたものを使おうというプライベーターだって出たかもよ? 「番外」のIMSAのことを言われても判らん
世界戦だの全日本だのって言ってやってるようなもんは、カッチリやらないと駄目でしょ
背負ってる物が違うんだから
なんか、それまでの7リッターが北米のレースで制限されて6リッター化を余儀なくされた時に、
ウォーキンショーが「冷蔵庫じゃないんだから、そう簡単に変えられるか!」と憤ったとか >>334
コーラといえば昔クラッチが滑ったときにクラッチにコーラを入れるっていうやつ、あれ効果あったのかな? 鈴鹿グランプリにズラッと並んだウォルターウルフカラーのマーチで ウルフレーシングは招待選手枠だから
ロズベルク、サックウエル、ファビ、ブーツェン、ニーデル、、、
いろいろ乗っているんですよね。 後年には萩原光車がウォルターウルフカラーだったような…。 4月7日で、あれから30年じゃないか
生きてりゃ、この7月で還暦だった。。。 >>351
84〜85年の2年間だな。
その間にサブでレイトンハウスのスポンサーを得て、翌年おなじみのカラーリングになるが・・・。
ただ結局F2では表彰台に上がれなかったし、「あともうひと伸び欲しい」印象のままで世を去ったのが未だに惜しまれる。 そりゃ〜、80年代に活躍したドライバーはジジイだろ 他界した人もいるし そーやって考えると星野さん長谷見さんは元気だなぁ。
あっ国さんも! 星野氏がフォーミュラやめるちょっと前のあるイベントにて
服部半蔵いわく ”星野さんの年まで走り続ける自信ないよ。化け物だよ。”
” このスレの人達に需要がありそうなものをドゾー。
ttp://www.rc-trg.com/gcCbody.html
ttp://www.rc-trg.com/mcs4.html
もっともデカールは一切付属しないので作例の通り塗るのは容易ではない…。
ヘタレな私は中嶋企画のGTカー用デカール辺りを流用して中嶋カラーにするか
そうでなければ(年式からいえばおかしいが)86年のジェフ・リース車にするかと…。 今号のレーシングオン読んでたけど、ジェフ・リースの日本人の
奥さんて亡くなってたんだな… >>357
中嶋が83年に乗ってたのはMCSV/REだからWは使ってないだろ。
そう言えば、第3戦で勝ったのがGCのロータリー最後の勝利だったな・・・。 >>359
ラジコンのボディにリアリティを求めてはいけない。 横浜銀○のメンバーの元・彼女も、事故の巻き添えで無くなってたな
そのメンバーのほうは、その後覚せい剤で何度も。。。 最終コーナーの外側で観戦してて、巻き添えになった
当時は、スポーツ紙とかにも載ってたはず
「翔」の元・彼女だった人ね >>359
当時の中嶋がF2はホンダ、GCはマツダ、耐久はトヨタ乗ってるの知ると、
星野の日産離脱話とはいったい何だったのかと思う。 >>366
中嶋とか関谷は、メーカーではなく販売店(碧南マツダ、静マツ)との契約だったから動けた。
星野はメーカーとの契約だから動けなかった。 >>358
うわそれ可哀想やな・・・。幸せであって欲しかったが・・・。
>>363
>>365
それも可哀想・・・。まさかトオルの事故でじゃないよね? >>368
そのまさかだと思うが。
翔云々は知らんが、実際にあの事故で観客の女性が巻き添えで亡くなって裁判沙汰にもなってるし。 >>367
結局、星野は金=確実な勝利が目当てだからだよw
i&iに誘われたときも動かなかった
動こうと思えば動けるんだよ
動いた中嶋はF1への道が開けて星野は悔し泣き
それもまた人生 家庭環境にしても、星野と中嶋では違うし
会社を持っている星野じゃ、
ルマンのような単発ならともかく、ヨーロッパに行かれないでしょ。 星野さんや長谷見さんは、もし78年以降日本でF1開催が続けられていたなら
レギュラーで乗られるチャンスがあったかもね。あとスポットでもいい成績残すとか。
>>369
そのまさかですか・・・。裁判になったよね。トオルを訴えるのは無茶苦茶だと思ったが
被害者としては訴えたくもなるだろうな。それでもトオルを訴えるのは筋違いだとは思うが。
訴えるならあの事故のあの(以下略 78年に中断したのは無理も無かったでしょ
運営費・改修費・開催費その他を転嫁しきれなかったわけだから
87年からのアレにしたって、誤魔化し(ホンダランド→鈴鹿サーキットランド)
では無く名実ともにホンダ資本と切り離していたら、早晩同じことになっていたよ
GPなんて、国がかりで誘致したって持ち切れなくなって投げ出すのは珍しくも無いんだから >>372
ホンダの誘いを断ったのもIMPULが理由らしいからね
本人も心残りになっているみたいだが、90年の日本GPは見てみたかったな >>375
本当そうだね
翌年の服部みたいに事前テストと100万円の報酬があったらベネトンのオファー受けたかな >>373
長谷見氏は、当時の経済状況では資金的に無理と何かの雑誌でコメントしていた。
82年ごろ、鈴木利男がマーチ・ワークスF2の8000万だか1億を集められなくて断念している。
仮にインパルがなかったとして、
本人の海外生活への対応力が疑問だし
化粧品の販売員の星野氏の奥さんと、キャビンアテンダントの中嶋氏の奥さんでは差があると思う。
子供だって一樹が77年生まれで、お姉さんもいるわけで、学校の問題もあるだろうし、、、 中嶋氏にしても、82年末のロータス テストのあと
83年もヨーロッパで活動すれば、テストドライバー契約できたかもしれないけど
ヨーロッパに居ないんじゃ契約できないし、向こうも呼ばないでしょ。
といった趣旨のコメントしている。 90年日本GPベネトンに星野が乗ってれば勝ったと妄想してます。 大規模なサーキットが採算ベースに乗らない、という時点で日本では無理
もし78年からも富士で継続されてたとしたら、どれだけの資金が必要になったと思う?
中立の場所でやらなければ当事者同士で意地の張り合いになるし、受益者負担ということになれば、
今度はそっちの側が「こんなに高くつくなら、海外でやったほうが安上がりだ」と言って放り出す
右を向いても左を見ても、日本のモータースポーツ真っ暗闇 >>379
ピケと星野という強烈なツーショットが見れたのか
一方で星野が乗ってたらモレノはずっと不遇のままだと思うと
あれで良かったのかもしれん 星野をだましてベネトンに金を払えばよかった。(金子) 死んだ子の歳を数えるのが好きだな
アグリだってベネトンから声が掛かったとき自分のスポンサーの東芝とベネトンの
スポンサーの三洋電機のバッティングで辞退したんだから、背負ってるものの
多い星野には無理だっての >>381
それじゃまるであの2位でモレノさんが不遇を脱したみたいじゃないか。 >>385
一瞬でも輝いたのは事実だろ
色んな意味で モレノを押し出したアゴ男は、もう目覚めることは無いのだろうな >>385
F1ではあれがピークみたいなことになっちゃったけど
アメリカではスーパーサブ経由でレギュラーシートを獲得して
トップドライバーの1人たる地位を獲得したじゃないか。
レギュラーシート定着にはフォードの後押しもあったとのこと。 そういえば、小島エンジニアリングがF1進出(パーマネント)の話もあったよね。1979?
あの話って何でつぶれたの?そもそも胡乱な話だったの? >>389
提携先が潰れたから。
でも結果論でいえば、やらなくって良かったかもね。 モレノって86年のインターF3000でグージェルミンとシリーズワンツーだったっけ
ラルト・ホンダだったか カペリじゃなかったっけ。
レーオン立ち読みした。
リース再再婚したのか。
嫁の眉毛が不自然…
今日は萩原の命日か…
ということは明日は岡田有希子の… >>383
真実はラルースは潰れるから安心してベネトンに移籍できると信じてたら、
ラルースは潰れなかったとw
亜久里もベネトン行ってたら、1勝くらいしたんでね? そっか、カペリが1位でグージェルミンが2位か
記憶が曖昧になってきたなぁ
萩原が、1985年度で29歳
岡田は、同じ年度で18歳だったわけよ カウ―ゼンのF2は全日本でも走ってたな。
終始多数派だったマーチ(&クレコマーチ)以外だと、全日本で走ったF2シャーシは、
日本製:ノバ、KE/コジマ、SE、サンダー、ニキ
ドイツ製:カウーゼン、マウラー
フランス製:AGS、マルティニ
イギリス製:ブラバム、ローラ、シェブロン、サーティース、トールマン、ラルト、スピリット
こんなもんかな?
もしかしたら初期にはポンコツのロータスとかも出てるのかな?
>>396
勘定にいれるか微妙なところで 三菱(コルト)。
ロータスは1.6L F2 だなぁ。
GRD の F2 って参戦していないみたいね。 HEY GUYS
ローラのモノポストは有りますたっけ?
COMING SOON。 HEY GUYS
ヒーローズが使ったローラ製トールマンのことだね。納得
COMING SOON、 >>379
既に40超えていて300km集中力を維持するのは難しかったと思うね。
F3000の1.5倍の距離。 星野さんの体力は、化け物ですよ。
星野さんの年まで走り続ける自信ありませんよ。(半蔵) >>402
1991年の全日本F3000のタイトルを獲得した片山右京は1992年のF1で苦しそうだったけど。
個人差はあるんだろうが、30代半ばを過ぎると急激に心肺機能と筋持久力が落ちてくるらしい。
サッカー選手なんかもそのあたりで。 >>404
95・96年頃でも、服部や虎、シューマッハ弟が
速さはともかく、あの年齢でもフロントランナーで在り続けていることに驚異と感じていたことは事実。 コントロールタイヤだったら、フォーミュラはとっくに引退してたよ
その場合、テストの回数も激減してたろうし >>372
i&iに誘われたとき星野はインパルやってないよw
動こうと思えば動けたんだよ >>406
服部選手が国際F3000に出るために(現地では名門ASRの車両をレンタル)
まずは味見とばかりに、とりあえず全日本で乗ってたレイナードそのものに
エイヴォンを履いて菅生で走ってみた時の感覚では
やっぱりグリップが低い分だけ体力的負担が少ないことに違いはなかったそうですが?
いっぽう国際F3000で走り慣れてた野田秀樹は
「日本のタイヤはハードプッシュし続けるとタレるから相手との距離を開けて
冷やさなきゃいけない局面も出るけど、エイヴォンならずっと押していける」と。
そうなったら星野さんでもクニさんでも腕が上がるとか首がとかいうことなく
それこそバターになりそうなくらいグルグル回って平気で、
タンクスペースの上までガスバッグ一杯に入れて(これでF1くらいの容量になる)
そのうえに途中で給油1回挟んで500kmレースとかやっても大丈夫そうだw。 >>407
日産系の人に評判が悪い生沢のところに、日産契約ドライバーの星野が行くかね。 タイヤに関しては、コントロールタイヤの場合、星野氏に不利になると思うけど。
コントロールタイヤになるということは、”他の人より柔らかいタイヤを使う”ということができないわけで
相対的に遅くなる可能性もあるんじゃないの。 資金にしてもタイヤにしても特別待遇だった
97年のBS一本化を前に引退してしまったから、他と同じレベルの道具で、
あの年齢でどれだけやれたかは判らずじまいよ 95年と96年について言えば、BSユーザー同士・YHユーザー同士ならタイヤは同じ条件だったと思う
違うセットの中からクジ引きで4輪分をバラで抜き出していたから、スペシャルも無かった
何でもアリだったのは94年までかな ヨーロッパでの活動を期待して移籍先としてえらんだ中嶋も
中途半端な形で終わったわけだし まあ、国際F3000でもタイヤウォーマー認められてた時には
当然資金面で潤沢なチームはそれらを使っていたわけだけど、
ウォーマー禁止になった後でもトップチームは「ブラケット」っていう
電熱線の入ってない保温だけのカバーを持ち出したりしてたのだよ。
日本でもウォーマー禁止のカテゴリでタイヤを日向ぼっこさせる風景はよく見られるけど
それを通り越して、例えばウォームアップセッションとかでひとっ走りしてきた後
せっかく暖まってるタイヤが冷えないように断熱材入りのカバーで覆っておくわけ。
日本のF3でも、「雨が降っててウェットだけど多分レース序盤くらいで晴れる」
となった時、クリステンセンはスリックで序盤を慎重にいけば良しと判断した一方
アンソニー・リードはウォームアップセッションの間じゅうレインタイヤ履いた車を振り回しまくって
グリッドに付く時にはきっちり「浅溝レイン」を用意してきた、とかね。
道具がひとつになっちゃうと逆にドライバーやエンジニアの能力やら
チームの資金力や品質管理能力やらがモノを言ってくる、となって
なおさら経験と総合力のレースになっちゃうよ。
ローラ/シボレー/グッドイヤー時代のインディカーなんてまさにそんなもんでしょ。
経験豊かなベテランを擁するトップチームが無双で、
若手がヒョイッと出てきて勝てるもんじゃない、と。 自分だけがいい格好をすれば、エントリーが細ってシリーズそのものが台無しになる
自分勝手な「ホンダ流」みたいなものが通用するのは、サーキットの赤字を被ってるからで、
日本以外では、そんなことをしたら叩き出される
タイヤ競争時代のF3000その他について言えば、レースとテストのどっちが本分だか判らない
ような度を越した状況だったわけで、あれはどう考えても間違いだった
テスト日数の制限も無かったし F2をホシノレーシングにしたのは83年だけど、FPとかSSは前からホシノレーシングじゃなかった? でもチーヴァーのインタビューによれば
プレシーズンテストで凄い良いタイムが出て楽しかった、みたいなことも言ってたから
「レースとテストとどっちが本分だか分からないくらい」って状況をむしろ利用して
テストに積極的にお客さん呼び込んでも良かったかもね。
もちろん目の肥えた玄人さんとか当時結構居たガイジンレーサー追っかけさんとかは
インターネットも普及してない頃にテストの日程確かめて見に行ったりしてたようだけど。
「お目当てのマシンやお目当てのドライバーが走ってる」ってのが目的なら
それは十分楽しむ価値があるよね。 タイヤワークスが無けりゃ、負担の掛かるテストなんか当然制限されてたろ
一般のスポンサーにとっては、客の居ないところでいくら走ったって意味無いんだし
そのテストだって、本来はメーカー各自がテストチームを組めば済んだことだよ
シリーズのレギュラーとは別立てでね いや、それじゃGYワンメイクだった時のF1の合同テストって何やってたのw。
タイヤメーカー側も今のタイヤの方向性で間違いないかどうかを確認したいし
チーム側もタイヤに合わせたマシン開発の方向性を掴んだり、
何よりコースに出られる機会を得ることで新しいチャレンジをしたり、とかあるわけでしょ。
国際F3000もあれこれ凄く厳しくなるまでは、エイヴォン主催じゃなかったと思うけど
チームレベルでコース貸し切ったり走行枠使ったりしてプライベートテストしてた。
だからエディ・ジョーダンとかイル・バローネとかそういう資金的に潤沢なチームは
ガンガンテストして自社開発した新しいパーツも取り付けて、とかやってたわけでね。
むしろタイヤ屋さん基準にしろエンジン屋さん基準にしろ知り合いのチーム同士にしろ
割り勘でコース借り切って結果として安く走れるっていうテストセッションが
豊富にあればあるほどチャンスが平等化されてチーム格差が減るんじゃないですかね?
今のスーパーGTの制度とか全然良いと思わない。実際に参戦してるチームと別に
メーカーワークスは開発車両とテストドライバーを別に持ってたりするし、
実際やるチームがあるかどうかはともかく理論的には
「実戦に出てるとは別の個体をもう1台購入して、別のドライバーがS耐やらSCRに参戦する、
あるいはあくまでコレクション車両ですとばかりにサーキットで『虫干し』する」
とかいうことはGT300のGT3ユーザーですら出来ちゃう。
そんなことならGTA主催でゲップが出るほど走れる機会があっても良いし
スポーツ走行枠での走行とかは一定の範囲で妨げない、とかあっても良いじゃない。 F1には「エンジンのワークス」が居るだろがよ
それが無かったら、シャーシの為だけに過剰なテストをする理由は無いんだよ
バーニーじゃないが、それだったらレースを開催したほうがいいんだから
ま、過去の反省から今はテストが厳しく制限されてるんだし、それが正解ってこと
以前、関谷正徳が言ってたが、午前中の走行分だけで、午後の時点では既にシャーシに
ヘタりがきていたそうだ
それくらい、行き過ぎたテストをしてたんだよ 逆にそれだったらDFRとかジャッドとか積んでるチームは
テストなんか来ないで家帰って寝てた方がマシだったことになりますよね?
ところがそうじゃなかった。
例えば91年のポールリカールに、チームの台所事情が火の車のラルースも
(1台だけを持ち込んでシェアする形とはいえ)来てたし、
ロータスもハーバートがルマンのお疲れ休みで初日をパスしたものの
そのこと以外は平常通りで参加してましたよ?
さらには、一応はエンジンこそランボルギーニから出してもらってるとはいえ
大したチームじゃない(ことに加えて金だって無い)モデナランボも
サイドポンツーン周りのエアフローに関して解決策を見つけ出したかったらしく
ノーズ側面に流動性のある塗料を塗って流れをチェックしたりなど…。
彼らはシャーシ1台くらいヘタらせたとしても走る時間が欲しかったでしょうねぇ。
もちろんワークス系エンジンサプライヤーは山ほどのエンジンをスクラップにしてでも
走行データや様々なバージョンのテストに費やしたかっただろうけど。 四半世紀前のことまで覚えてないけど、91年はGYとPIでタイヤ競争してなかったか?
それだったら、弱小チームだろうがテストに参加しなきゃならなくなるよ
エンジンやタイヤの会社は抜け駆けしてでも十分仕上げてからレースに参加したい
だろうが、それはキリが無いから制限しましょうってのが今なんだろ
全員がテストをしても、逆に全員がテストをしなくても、結局は同じことだから
それらは全てレースウィーク中にやってくださいってことよ >>409
生沢の評判はレース界の人間は全て知っていた
中嶋も知っていたが中嶋は行ったよ
星野は行けなかった
その後の星野はF1に関しては言い訳ばっかり 四半世紀前のことを覚えてない人がよくF2のことを覚えていられるものだ…。 >>424
中嶋はあのままヒーローズに留まっても星野が居る限りセカンド止まりなんだから
多少リスクがあっても移籍を画策するのは当然だと思うが。 HEY GUYS
ヒーローズ在籍時にノバ製マシンでPlease Mr.星野氏は欧州F-2に中嶋は英国F-3に
スポット参戦出来たので別に生沢氏のチームに移籍しなくても欧州参戦の道は有った。
COMING SOON。 中嶋にF2遠征の立場が回ってくるとでも?それと中嶋のF3はヒーロズでなくNOVAによる貧乏遠征だぞ。 HEY GUYS
こまけぇこたぁぃぃんだょ>>428!
COMING SOON。 HEY GUYS
正しい日本語で頼むぜw
誤:無知はすっこでろ
正:無知はすっこんでろ
COMING SOON、 >>428
日本人のみのチームは、あまりよくない。
ヨーロッパのチームに入って、コミニュケーションできるようになっていないと通用しない。
という説もありますからね。 >>429
星野とか長谷見って、F1とはGのレベルが違うとはいえ
最も忙しい時期で年間200日位ドライブしているし
ルマンでは、1時間半から2時間ドライブしている。
星野がF1テストやっていたのは、87年から何年までだったっけ? 景気が良くてメーカーが出てきてる時に、偶々その資金で豊富なテスト走行出来た奴
以外はキャリアの積み上げが不可能
だから、日本より安い費用で走り込める海外勢に押されるんだよ \ | /
_ ∩ _
――――┴┴――――、 __________
// ,,,,,,,,//、----、|| ̄|\\ /
__//___[゚_// (▼▼ リ||_|_\\_< >>433 何だって?
(00HHHH00( | ̄ ̄∪ ̄| .| )_ \__________
[∈口∋ ̄_l ̄l⌒l_____|___l⌒l _______|」
 ̄ ̄`ー' ̄ ̄`ー' `ー' `ー'
※このあと破壊オチをする予定なのでさっきまで430だったのが入れ替わってます HEY GUYS
F-1チャンプを38歳で獲得したUSAのマリオちゃんが40過ぎてF-1辞めたのは
ウイングカーを操る体力がもぅ残って無かったからですな。
COMING SOON。 78年の星野氏のヨーロッパ遠征ってドライブシャフトの不具合があったとはいえ
4レースだかの予定を2レースで中止している。
中嶋のイギリスF3遠征も1レース目のアクシデントにあって予定通りにいっていないし
どちらもことも成功したとは言えない。
中嶋のクラッシュの動画どっかにあがっていないかな。なかなかでっせ。 HEY GUYS
Please Mr.星野氏の欧州F-2挑戦中断は仲間割れじゃねぇの?。
COMING SOON、 >>442
おっと、中嶋の英国F3参戦のビデオが発売されていたので
それが出るかと思ったら、別のが出てきたな。
サンキュウです。 HEY GUYS
松本氏の欧州スポット参戦は81年型落ちマーチ/BMWを現地チームからDUNLOPタイヤと共に
出走しているけど2ラップ遅れの15位に終わっている。
COMING SOON。 HEY GUYSも、これからは古本じゃなくって、YOUTUBEを漁ってみたらどうか?
当時に日本に伝えられなかった画像が膨大にあると思うぞ。 >>452
ところで KE F1 の記事。アップするって話どうなった。 HEY GUYS
そんなしょうもねぇ話を未だ覚えているのかょ>>453?
ぇぇ加減に忘れろ、アフォがwww。
COMING S00N。 KEといえば、前にF1系のスレッドで言って
なぜかフルボッコにされたことがあるんですけど、
小島エンジニアリングの車って、最近発行の資料には平気で
「コジマKE007」だの「コジマKE009」だの書いてありますが、
同時代の資料を見るとほぼ例外なく「KE」は型番のサフィックスではなく
76年までは車名が「KE」で型番は「007」他、
77年以降は車名は「コジマ」、型番はやっぱり「009」とかになってる。
つまり型番はずっと数字だけで、
77年のはじめくらいに車名の改名があったようにしか見えないんですけど
この認識は間違っていますかね? 昔からコジマがコンストラクター名でKE007などが車名だと思っているけどこの理解じゃいかんの? HEY GUYS
KE:コジマエンジニアリング(コンストラクター名)
KE-001〜KE-011(車名)
COMING SOON。 トミカのやつはコジマKE009って言ってたような…。
それにしても何で007スルーして009出したんだろう…。 >>455
最終的には親分さん本人に聞くしかないだろ
多分「そんなん、どっちでもええよ」と言われるだろうがw >>457
ささいなことで、すま、、、セクハラだからいいか
KEと番号の間に "−"入らないよ。 ペペ・ラセールとか、ラ・セーヌの星の時代か、懐かしいな。。。 HEY GUYS
そ〜言えばKEのシャシーにスズキの水冷3気筒2サイクルエンジンを搭載して
入門カテゴリーのレースに勝ちまくったPlease Mr.片山氏は死去していたらすぃな。
COMING SOON。 >>436
グループCプロトなんてF1と比較すると旋回時の横方向の加速度は小さい。
当時のF1の減速時の加速度は3G グループCプロトの旋回時の加速度は2.5G以下
ハーフマラソンやっている人が同じペースで30km走れないでしょ。
人間、疲労すれば集中力は落ちる。 競技の規格が違えば、全てが変わる
実際、短距離と長距離じゃ装備も最初から違うんだろうし
「使い回し」じゃ、済まされないってことよの XJR-14とかMX-R01辺りになるともうゲロっちゃうほど凄いんじゃないかね…。
MCS4も当時の基準だったらとんでもなかったんじゃないかと思う。
さすがに全くの完調で稼働する個体が残っているかどうかは分からないけど
そこに「サイズ互換の今時のタイヤ(エイヴォンじゃなくて最新の車両に使うそのもの)」
でも履かせたら、クラッシュする前にどこがぶっこわれるんだろうってくらいに…。
アメリカの実戦で使うことに特化して作られた種類のIMSA-GTPマシン
(日産マーチ85Gがアンダーパネル規定で揉めた通りで空力周りの基準が違う。
だからイーグルの後期型とかRX-792Pみたいなある意味えげつないデザインになる)も
ダウンフォース発生量は尋常でないそうで、
だからこそNPTI組にとってはルマンなんて鼻糞ほじるようなレースだったんだろう。
…そう考えたらインディ500なんて一体どんな身体構造なら出来るんだアレw >>466
昔ね、ほんの30分ほどのレースから24時間耐久までを1種類でこなす
TT-F1っていうバイクレースがありまして…。
もちろん細かい仕様は替える(灯火類や大容量のオルタネーター、
さらにクイックチャージャーや車軸のクイックリリース等が追加される)し
エンジンスペックも多少は替えるけど、
フレームやら足回りから基本的に作り変えるなんてことまでやるのは非常に稀有。
上野真一が全日本で乗るやつも平とロバーツが8耐で乗るやつも
フランスヤマハがルマンやボルドールで乗るやつも基本的に同じ車体…というか
好事家の人が集計したデータによると、フランスに持ち出した車体の中に
ホントに全日本や8耐で走った履歴のある車体が存在するってさ。
見た目にはライト無しののっぺらカウルかライト1個(8耐)か2個(24耐)か、
ということと、各々のスポンサーカラー以外の違いは見受けられない。
最も長距離や高耐久性(運用コストの制約等でメンテナンスフリーが要求される、等)
のある仕様に合わせて作ってあるものをスプリントでは肉抜きして運用するのか
スプリント用のものを耐久レースでは長持ちするように使うかは別としてね。
ニュル24時間だってFIA-GT3やら、昔はFIAスーパーツーリング(ご承知の通りスプリント用だ)
で出走した例だってありますからねぇ。 仕様的に共用できる部品は共用した方が、
開発コスト、製造コスト下げられるからね。 8時間仕様のヨシムラスズキに惨敗した24時間仕様のRCB勢は残念だったなぁ
ヨシムラのは、絶対に24時間完走は無理だったろうに 8時間も完走できるか分からなかったよな
あれは運の良さ
ヨシムラだけじゃなく8耐というレースも運が良かった TZ500だか350だかは、予想通り8時間持たずにリタイヤだった 逆にそんなもんで完走できたら当時的にはおかしいw
87年の鈴鹿4耐でスーパーモンキーのNSR250RKが少しガス濃いめにした程度で
2位表彰台をもぎ取ってみせた、とかいう辺りが
2ストロークの耐久性のターニングポイントかなぁ…。
その後には少なくとも4耐やジュニア6耐では2st勢の上位完走が珍しいことではなくなった。
8耐では適した新型車が投入されなかったことで2st勢は厳しくなっていったけど…。
それでもRG500ガンマ辺りは10位前後で完走することもあったという記憶。 浅見さんがTZ750でボルドール24時間に出て二位になったのは79年だっけ?
ホッケルのクランクシャフト使って。 皆さん、よく覚えてらっしゃる。。。
ま、いくらホンダが良い格好したいからといって24時間レースが可能なコースを用意せずに
耐久を引っ張ってきたのは間違いだったってことよ
受け皿が無いのにフライングは駄目 「鈴鹿8時間耐久」そのものが、ホンダの作り出したフィクション
87年からのF1やWGPの開催も同じ ヨシムラのGSX-Rは結構後年までアンダーカウル付いてなかったから
ハーフカウルだったよな…などとどうでもいいことをw そういえば86年のヤマハワークス総崩れ
(正確にはYZFで唯一生き残った塩森/平塚組がしぶとく4位入賞してるけど)
だった8耐でヨシムラを抑えて2位に入ったオーストラリアヤマハのFZが、
鉄フレーム+85年のワークスお下がりカウルで一見やっつけ仕様のように見えて
恐るべき快挙…と思いきや
最近のRACERSでのFZR特集によれば
「あれは実はデイトナ200マイルでローソンをエースに据えて走るために作った
究極のスーパーバイク仕様のうちの1台でしたてへぺろ」
だそうで…w
無論あのバンクを200マイルも大概タフなレースだけど
それを小改修して有望な若手に乗せれば2位入賞出来ちゃうんだもんなぁ…。
まあ脱線をある程度元に戻すとしたら、
例えばトップフォーミュラ転用時代のGCカーでJSPCに出て良いですと言ったら
(RSカテゴリと同様燃費規制に関しては車両性能に合わせて現実的な範囲でね)
どのくらいの距離のレースなら勝負になるんだろうね。
3ローターとかDFV(レギュレーションで認めればDFLでも)
とかだったら意外と走っちゃう可能性も? 鈴鹿 : GCやめて、Gr.Cスプリントに替えてはいかがですか?
富士 : ヤダ!
そしてGCシリーズは崩壊するのであった。 だから、富士だけの4戦シリーズとして生き残ることは出来たんだって
毎週毎週どこかでビッグレースが開催されていて、その過密日程に
耐えられなくなったタイヤ会社がギブアップ(彼等の自業自得ではあるが)
したのが廃止の原因
だいたい、主要4カテゴリー全てのバッティングを避ける為に、毎週1カテゴリーしか
消化出来ないなんてのが馬鹿げてたわけよ
菅生でF3000やってる時に、オートポリスでGrAをやったっていいんだし TOPカテゴリーでドライバーの多くが被るからムリじゃん
参加チームも被るからムリじゃん GrCとGC、F3000とGrAのの同週開催はアリだったろう
星野みたいなのはGrCとF3000で満足してりゃいいんだし、
池谷みたいなのはGCとGrAでオッケー
それだったら、3月半ばから12月アタマまでギチギチってことも無かったろ CGTV 星野一義特集
自身がF1レギュラー参戦が出来なかった事についても金子・星野が語ってる。
https://www.youtube.com/watch?v=BhFAgRrATHE 日産が看板ドライバーの星野をご自慢のGT-Rに乗せないとかあり得んぞw
これだからフルカウルの空論はwww 初めにニッサンありき星野ありきで考えてるわけじゃないんでね、こっちは
どうしてもGrAに出なきゃならんのなら、他のシリーズをキャンセルすれば良かろう
ワークスマネーあっての星野なんだから、それもアリ
「4つのカテを全て重複しないように日程を組む」ってのが土台無理な話なんでね
だいたい、何かありゃ総崩れになるような日本のメーカーなんざ最初から勘定に
入れてないっての
散々いい格好をしたホンダが、リーマンショックで無様を晒したのを忘れたのか 1971:“富士GCシリーズ”開始
・排気量無制限
1973:・参加車両 2L以下。
※DOHCエンジンの場合。ロータリーはレシプロ換算2.5L
・Rd.2,Rd.3 に2ヒート制導入。
・最終戦で死亡事故
1974:Rd.2で死亡事故。30°バンク廃止
1975:シグマ(後のサード)GC75トヨタ2T-Gターボで参戦
1975:・Rd.4 アルピーヌA441、J.P.ジャブイーユのドライブで登場。
・Rd.2 2ヒート制、ストレートにシケイン設置
・Rd.4 2ヒート制、
1976:ロータリーはレシプロ換算3L
1976:鈴鹿で2Lスポーツカーレース“ジュエルシリーズ”開催
富士側とトラブルとなり、この年で終了。
1977:クローズドボディの紫電登場。
1979:単座席化、車重575kg(旧600kg)、燃料タンク 100L
・全戦20L以上の給油義務ルール導入。
1979:GC/F2 兼用マシン サンダーLM39 登場。 >>483
良く分からんのだけどF3000とGCってタイヤの「サイズ」自体は違ったの?
そうでなければ例えば耐久に混走するマシンとしてならば
エイヴォンを履くことも物理的には可能だし、旧スペックの在庫処分で
国内メーカーに「とりあえず履いて走らせるタイヤを供給してもらう」てのも可能でしょ?
逆にスポーツプロト用のタイヤで寸法互換するなら耐久レース限定なら
それでもいけた、という可能性はあるよね。
鈴鹿1000kmでRSカーが混走していたような感じで富士限定でGCが混走する
(もしくは無論、それ以外のコースでも支障が無ければOK)ということなら
池谷氏とかキンコーさんとか岩城さんとかはGCカーの方で耐久出たかもね。 机上の空論でこれだけ長文を書くバカキモヲタ
>>484で全て論破 >>490
追加
1978:ノバ53Sが国産マシン初のシリーズチャンピオン獲得 JLMC に GC21 出ていたけど
給油に時間がかかるは、バッテリーは交換しなければなくなるは、
なかば走行会のようなイベントだったから参加できた。って感じだったな。 >>491
タイヤのサイズ(規定)自体は同じ、中身はどうか知らんけど
もし90年以降もGCを存続する道があったとすれば、タイヤ競争を廃止して
エイボン一本化くらいしか無かった(3社の何れかじゃまとまるはずも無いし)
ま、87年まではF3を含む5つのカテで無節操にタイヤ競争やってたくらいだったから、
「F3に続いてGCも」というわけにもいかずに押し出されて消滅したわけ
この件は、タイヤ会社の自業自得だよ ドライバーやチームの数が限られてるのに、分不相応な数のレースを抱え込んだのがそもそもの間違い
F3000もGrCもGrAも元から別個のシリーズだし、同じ週末に開催されること自体に問題は無い
3月中旬から12月上旬まで毎週1つのカテのレースしか消化できないとなれば、梅雨も夏も秋の長雨の
時季も全部使って39レースしか出来ない
それが馬鹿げてるって言ってるんだよ >>494
まあ、あれは大改造するだけ費用のあるチームも無かったってのも
無視できないところかと…。当時はバッテリー点火でオルタ自体無いのが
一般化してたようだったし。
DFVファミリーなら耐久仕様がある(現に米山二郎さんは日本で使ってた)し
ロータリーのスポーツキットもスプリント/耐久コンバチ仕様だから
「耐久もレースに含まれる(または自分のチームはそもそも耐久にしか出ない)」
というならそれを想定した準備は出来るかと。
ちなみにIMSA-GT系のマシンだとファイナルドライブの側にオルタネーターが付いてて
(デフに掛けてるって聞いたかリジッドなのを良いことにドラシャに掛けてるんだかは忘れた)
エンジン掛かってても走ってないと発電出来ないとかいう案外ビックリな構造…。
>>495
あぁ、フォーミュラブラバムは長くダンロップワンメイク
(震災の影響でダンロップがレースタイヤの供給を縮小せざるを得なくなってから
ヨコハマに供給元が変わる)だったんですよ…。
ということは生産キャパ的な問題は無いのであって、
「F3000やGr.Cに対してメインストリームレースではない、
マシン性能の割には廉価で出来る中古車再活用のセミプロ/アマチュアカテゴリ」
として割り切るつもりなら、それこそ市販品のタイヤみたいに
程々の進歩があれば良いわけよね。
耐久混走ならポルシェより圧倒的に安くついて、多分スパイスより速いし
RSカーよりは圧倒的に速い…結構良い選択じゃないの? F2でホンダ使ってるのにGCでヤマハは使えない、みたいな話と同じで
仮に一本化しても、それで揉めたでしょ
F3000でBSユーザーのホシノが、GCはワンメイクだからDLやYHで良いわけ?
だから、落としどころとしてはエイボンだし、それで駄目なら終わりよ これはスペシャルケースだけど、片山義美さんが
GY と DL 同一イベントで使ったことがあった。
というのは、アメリカから来日したチームを応援するために加わった片山氏が
いつもこれくらいの本数でレースしている。というチームに対して
タイヤ本数が足りないのではないかと不安を感じ
DLのサービスに余分に持ってきてほしいと依頼。
片山氏の不安が的中、途中から DL と GY を取り付けての走行となった。
ホッチ、JSPC で DL、IMSA で GY 履いたことなかったっけ。
鈴木利男の F3 で GY(ブリティッシュ、バンダーベル) と BS(ヨーロッパ) とか、
シリーズ・カテが違った場合、無いわけじゃないですよ。
JSPCのニッサンワークスがBSに一本化するのにだいぶ時間掛かったでしょ
国内では、遺恨やら何やらで簡単にはいかなかったということ HEY GUYS
何ちゅうたって長谷見氏がDUNLOPだったからねw。
COMING SOON。 だいたいが90年代の全日本F3なんてBSワンメイクだったから
ヨコハマの顔を自認してた某氏だってBS履いて走ってたわけじゃないですか。
あとはダンロップの場合、サイドウォールに描くステンシルは同じでも
住友製とUKダンロップ製その他、とかあったわけですからね。
あと92年のデイトナ24時間の話だとすれば、あの特殊な走行環境に対して
BSがすぐに使えるタイヤを持ち込める状況になければ
そりゃー実績のあるGYを使うことになったのは当然だと思いますよ。
記憶にある限りだとDL(ある意味当たり前)とYHとTY(これはライツィンガーの240SXかな?)は
デイトナ24時間用のタイヤ供給してたはずですが。
マツダだって日本のマツダスピードはダンロップを履くのがおなじみでも
アメリカのIMSAチームはRX-792PやマンデヴィルのRX-7 GTOはもちろん
確かダウニングさんの車もGY履いてたはずだし。
まあ、しがらみ云々言うよりベストチョイスをしろってことです。 別にヲナニィとナルシストとアッーの競演を見ることに
耐えられないならここに居なくても良いんだよ? 当時の状況を本当に知りたいのであれば
数年前の類似スレ探して見た方が良いと思う。 最初からワンメイクでやってるはずのF3が、何で87年までマルチメイクだったのか
GCにしたって、タイヤメーカーが「レース数が多くなり過ぎて抱えきれない」と言ってるので
90年からワンメイクでやります」で済むならそうしてたはず
「レースをやる前からタイヤ競争やることが決まってる」ことが、そもそもの間違い
F3000だって、国内レベルでやるならDFV限定+タイヤワンメイク以外は有り得ないはず
イギリスやイタリアの国内F3000と同じなんだから 国内F3て、マルチメイクでやるもんなのか?
それは知りませんでした 「F3レースの在り方」について、ちゃんと説明はして下さいよ
「国内レベルでやるなら、F3もF3000もワンメイクが当然でないのか」と
言ってるんだから イギリスやイタリアの選手権の場合、上にヨーロッパ選手権や F1 があるが
日本の場合、80年代後半〜90年代前半ならまだしも
F1への道筋が無い時期の場合、その地域の最終目標となる。
ステップアップカテゴリのヨーロッパと終着点の日本では立ち位置が違うと思う。 丁寧な方で助かります
事情が違うんであれば、最初から「リブレ」であってもいいわけですよね
上のカテにしても下のカテにしても
図体の大きな国では、そうやってるみたいだし
ガワだけ持ってきて違うことをやるってのが、どうなのかと
F3の車体を流用したいだけなら、まったく別の名称でやるべきでしょう
とにかく、やってることの何もかもが「安易」なんですよ 今はF3000の次の次の車両規格でやっているはずなのに、足回りだけは未だに
1985年以来(規則が作られたのは恐らく83年以前)のF3000がベース
ここには古い方が多いから判ると思いますが、13インチなんてのは70年代
以前の規格ですよ
一新されていれば、どうやったってF3000と同じ寸法のタイヤにはならないし、
リム径だって今更13インチは有り得ない
出鱈目な連中がやってるから、いつまでも出鱈目なんですよ F1の方ではタイヤの寸法自体は度々変更されていますが、13インチの件は長い間放置
それで、ピレリが18インチだ19インチだと言い立てている状態
ミシュランも、ピレリの供給継続が決まる前は「うちが出るなら18インチ以上で」と
主張していた 運用規則で替えればいい程度のことで、独自車両規則ねェ。
現在のSFは、車両規則上はでは ダラーラ(型式忘れた) 以外のメーカーでもいいし、
タイヤも規制されていないんだよね。
運用規則で シャーシはダラーラ、タイヤはヨコハマ になっているだけで、、、 誰が何を負担するかも決めずにモデルチェンジをした結果、跡になってチーム側から
「車輪の規格が変わったらホイールの入れ換えをしなきゃならなくなるから、
一切変えないでくれ」という声が上がった結果だよ
だったら事前に「F3000ベースでの続行」を主張すべきだったでしょ、素人じゃないんだから
3リッター・9000回転の規格を維持したとしても、車体や足回りが85年当時のままで済まされる
とも思えないが、その辺がギリギリのところ
パワーユニットを変更してしまったら、もうF3000は関係無いんだよ
20年前の古い規格の更新も出来ないなら、そのまま打ち切りにでもしとけっての 87年に、頼まれもしないのに一年前倒しでF3000に以降、エンジン・シャーシ・タイヤ・
ホイール全部入れ換えてるんだから、「知らなかった」とは言えないはず
部品代すら惜しむようになったら、もう御仕舞いだよ あぁ…それがですね…。
GMホールデンの約4リッターのV6(というのは要はインディライツ用のビュイックの同等品)
で開催されていたこんなレースがありましてね…。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Formula_Holden
車体は中古の(いや必ずしも中古じゃなくても良いんだと思うが)F3000とか
F3000規定に準拠した車両を使うことになっており
例えば豪州の事実上の「国産車」だと↓のシュライクとか。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Shrike_(racing_car)
まあ…そして2000年時点でマーチ87Bが入賞したとか
ttps://en.wikipedia.org/wiki/2000_Australian_Drivers%27_Championship
2004年(主に部品枯渇を理由にF3000ベースで行われた最後のシーズン)に
ローラT87/50が入賞したとかいうなかなか物凄い記録があるわけです…。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/2004_Australian_Drivers%27_Championship
「85年当時の規格」とやらが2004年まで続いちゃってて
しかもその2004年時点のコントロールタイヤでローラT87/50が
入賞可能なレベルで走れちゃってるっていうw
「NASCARなんてタイヤサイズ何年変わってないんだよ」とか思ったら
(多分パイプフレームのマルチメイクだった頃からCoT規定への移行の時には
サイズ変わってないのでは)
タイヤサイズなんて弄らなくても「タイヤの方に車体を合わせるモデルチェンジ」で
不都合無いんじゃないですかね。 それにしても2004年のフォーミュラホールデンのリザルト見て思うのは
ローラT87/50で「ゴールドスタークラス」(ってのが総合タイトル的なやつ?)
ですら最終戦ダブルヘッダーで2つとも入賞して計7ポイント取ってる人が居るのに
それに届かないレイナード(2台の92Dと…年式不明の2台もレイナードだから88年以降に間違いない)
の4人ってのが一体何やってたんだろうと…w
っていうか、コレまさか入賞ゼロの連中がさらに何人か欄外に居る訳じゃないよな?w その番外レースだって、本家のF3000規定が終了した04年いっぱいまでなんだろ?
日本のは、08年までやってたんだからな
それでも使い回しに飽き足らず、足回りの規定をいまだに流用し続けてるわけよ
タイヤ会社は、作り直しなんかいくらでも出来る
ただ、部品代を惜しむ連中のせい 08年いっぱいで廃止すべきだったということ
どうせ、自前じゃ競技規則も競技車両規則も回せない素人連中なんだし バブル時代、F3000、GC、グループA、JSPC、それにF1ともぜんぶ被らずカレンダーができていた。
あと日産Cカーのタイヤだが、88年以降BS→89年ル・マンからDL→90年鈴鹿1000kmから星野車のみBS
→91年からBS→92年デイトナのみGYです。 >>521
本家のF3000規定っていうか、マルチメイクで開催されていた
1995年までの、ですね(基本的にレギュレーションが共通な98年までの全日本車両はOK)。
それでも85〜95年までのFIA-F3000規定は一見同じように見えても結構変遷していて
大きく分けても
・1985〜91年(爪先ルール無し、クラッシュテスト無し)
・92〜93年(爪先ルール、クラッシュテスト導入、コクピット開口部前端までのサイドポンツーン最低幅規定あり)
・94年(サイドポンツーン寸法規定撤廃)
・95年(国際F3000のみF1の「94スペイン規定」相当の簡易ステップボトム導入)
…という風になるので、
本来のFIA-F3000ルールに照らすと87年型が2004年まで走ってるって有り得ないわけですよw。
最長で欧州では91年の最終戦、日本では車両デリバリー関連の特別ルールで
92年の開幕戦まで、ということになります。
さらに欧州では96年からローラワンメイクになって
96〜98年がT96/50、99〜01年がT99/50、02〜04年がB02/50と3回モデルチェンジしてるので
当然そのワンメイクのモデルチェンジ時期より前の仕様で国際F3000に出ることは出来ません。
タイヤサイズとかは把握してないけどサプライヤーが一貫してエイヴォンであることに違いはなく、
また96年以降のエンジンは一貫してザイテック・ジャッドKV
(これは実戦投入されたのはまだマルチメイクだった92年から)ですからねぇ。 「全日本F3000→フォーミュラニッポン」の方にしても
基本FIA-F3000ベースのマルチメイク(〜98)→独自ルールのマルチメイク(99〜02)、となって
レイナード倒産に伴う部品供給不安(これは豪州と似たような事情)に伴って
03年から数年毎のワンメイク車両更新を行っていて、
「前の世代の車は当該レースに使うことは出来ない」ということに違いはないですから
「85年から08年まで同じ規定を引っ張ってた」ってのは無理のありすぎる話ですねぇ…。
もし同じルールなら85年当時のアルミの弁当箱のラルトが08年当時も走れてなきゃいけません。
豪州では「あくまでルール上は」2004年までそれは可能で、
だからローラT87で最終年の最終戦ダブルヘッダーで入賞しちゃう猛者が居たわけですがw >>525
F3のワンメイクは実現したが、その後のレース数増加でシーズン外(寒冷)の
3月や12月中旬以降まで使う羽目になった
国内・国際レースを全て消化する為には、重複開催は避けられなかったと思う
でなければ、レース数を無闇に増やすべきでは無かった >>525
タイヤについては、自動車メーカーとドラの契約よりタイヤメーカーと
ドライバーの契約が優先してるような状態がおかしいということ
何で、2台しか無いマシンをBSとDLに振り分けなきゃならないのか >>528の訂正
シーズン外(寒冷)の 「3月」や「11月中旬以降」まで使う羽目になった >>527
長文のアンタにはあんまり書きたくないんだが、F3000規定のキモは3000cc・9000回転なわけで、
それを85年から20年経過を区切りとしてで打ち切ったということだろ
9000回転というのは、あくまで当時のエンジンを前提にしたものであって、20年後ならベースの性能
自体が違うのだから、F3000の新規定があったとしても「レブリミット9000回転の再現」は有り得ない
80年代前半の頃は、15000回転オーバーなんて非現実だったろ
シャーシについてはアンタが散々書いてるからタイヤのことを書くが、サイズについても中途で見直しが
あったとしても不思議は無いし、13インチのリム規定も20年後の時点では同じく非現実だろ
一番金の掛かるエンジン規定の入れ換えは短期では出来ないし、逆に言えばそれを実施する時に部品代を
惜しむというのは話がおかしいと言ってる
09年と14年に2回連続で実質フルモデルチェンジをやってるわけだから、そのタイミングで全てが切り替わる
のは当然だろ
5年おきの大変更なんて、普通はやらないからな 日本一国じゃ、インターF3やインターF3000は出来ない
国内F3や国内F3000では、「間尺が合わない」と言う
「だったら最初から別物を用意しろよ馬鹿タレ」ってことだ
リブレでやるも良し、シャーシだけ流用して「別名称の」シリーズをやるも良し、だ いやぁ…ジャッドKVは同じ92年型の無限MF308比で
(この頃にはDFVもチューナーによる改良が進んで、無限より数kg重い程度だが)
一挙25kg軽い114kgにまとめて、丈を詰めるために超ショートストロークなんです。
それでも9000回転のルールに合わせた出力特性で設計してる。
DFVやRA386ファミリー(ジャッドBVとMF308)も、骨格部品自体はキャリーオーバーしつつも
中の部品は新陳代謝のごとくアップデートされて、ボア×ストロークなんてのも
当然見直されるし、標準仕様なら160kg前後あるはずのDFVが
いつの間にか無限と大差のない140kg前後まで軽量化されていたわけですよ。
さらに、コスワースACこそ今もって詳細が明らかでないものの
(92年にカーグラにクルサードが書いてたコラムによれば
「フォードHBのF3000仕様が近々投入されるらしい」という旨の記述があるので
HBと設計上の関連性はあるのかも)、
ジャッドKVは新設計というよりは、まずはBV系の改良型
(低重心&ショートストローク化された先行開発型を日本では91年の菅生からジェフ・リースが使用)、
さらにそもそも車体側のエンジンコンパートメント部のサイズはDFV互換であることから
ボアピッチやクランク周りの設計に関しては旧ホンダジャッド系から引き継がれた面が大きいわけです。
こういう風に「レギュレーションが安定してるから色々出来る」ってのは
CARTなんかもそうですよねぇ…。ブーストこそちょくちょく変更されるものの
「2.65リッターでシングルターボ」という基本構成は変わってなくて
エンジンコンパートメント部のサイズ(少なくとも長さ方向)はDFX互換だから
DFX/DFS系やイルモアシボレーA/Bなんかは結構ライフサイクルも長く
フォードは後の世代も結構マイナーバージョンアップで引っ張ってるわけです。 20年も引っ張れたのは、気筒数の少ないエンジンを投入して全てをブチ壊すようなメーカーが無かったから
85年からある程度時間が経過した時点では、9000回転をクリアするのに8気筒分は必要も無かったはずだが、
それをやったらF2のホンダV6と同じことになるから、誰もやらなかったというだけ
カテが終わった04年の時点では、完全に時代遅れの規定だったんだよ >>534
3リッターで6気筒にして9000回転で
お客さんが困らないだけのマイレージを確保出来たというわけですね?
実際そんなこと誰がやりましたか?
インディの場合は規定が違うから(8気筒なら2.65リッターで程々の過給圧、
「OHVであること」と一時期を除いて量産ブロック縛りでインディアナポリスのみ
3.43リッター+高過給圧可)ビュイックやメルセデスが専用品を用意したけど
それらはターボでも燃費やドライバビリティの面で問題を抱えていたし、
ましてやNAで使い物になるわきゃー無いですから。
…そうでもなきゃGr.Cの時の日産が何を好き好んで
それなりに評価の定まったVG30(少なくともコレをベースにDOHC化とかいう選択肢はあった)から
地雷レベルのVEJ30に切り替えようなんて判断を下すわけですかw。
ましてや市販車の例を見る限り4発だと上限2.5リッター程度が定石のようなので
まさか3リッター規定で4発でやれというんじゃないですよね?w
>>535
メカの話って3行とかで済ませるには凄く難しいから…。
あと値段も絡むし。ジャッドKVの1992年ハヤシレーシング扱い価格は1800万円
(ECUは別料金で確か150万かそれくらい)。 だから、3リッター8気筒である点を動かさなければ、軽量化くらいしかやることは無いんだよ
誰かが抜け駆けして形式を変更してしまえば、F2のホンダV6と同じでカテゴリーが崩壊する
既存のV8では勝ち目が無くなるわけだから
20年の間にエンジンの基本性能自体が上がってるわけだから、後の時点では9000回転程度しか
使わないのであれば他の選択も有り得たと思うよ
高回転が要らないと判ってるのであれば、V6以下の可能性はあった
ただ、やらなかっただけ 規定が作られた83年以前と、最終年の04年では、同じ3リッターエンジンであっても、
可能最高回転数には大きな差があったということ
ま、5バルブが封じられた時に、ヤマハが完全自製のエンジンを投入し、それを「市販」したと
してもカテゴリーは終わったと思うし、有利だからといって抜け駆けをする者が出れば、同様に
カテが終わってしまうということだよ 英語版Wikipediaのまとめでは
ttps://en.wikipedia.org/wiki/International_Formula_3000
>The rules permitted any 90-degree V8 engine,
>fitted with a rev-limiter to keep power output under control.
>As well as the Cosworth, a Honda engine based on an Indy V8 by John Judd also appeared;
>a rumoured Lamborghini V8 never raced.
>In later years, a Mugen-Honda V8 became the thing to have,
>eclipsing the DFV; Cosworth responded with the brand new AC engine.
>Costs, not unlike the senior series, were getting out of control.
…てなことになってるね。最初はシリンダー数が12気筒までで自由だったような記憶もあるけど
91年頃の規定変更で「90度縛り」が導入された(これで単純に3リッター化しただけではHBは使えなくなった)し、
90度縛りの前に既に8気筒縛りも入ってたと記憶してる。 そうなったらそもそも6気筒抜け駆け自体がフィクションということになるけど…
F2時代のV6ならともかく(これは当然相対的に小排気量だから回って当たり前)
3000ccのV6で9000回転回して480馬力そこら出して1レースだけでも持つ可能性があるのか、
それが実際にV8と比べてコンパクトネスとかの面でもアドバンテージを持ちうるのか、
そりゃー実際に当時やった例を挙げてから言ってくださいよw。
NASCARのブッシュ・グランナショナル(後のネイションワイド→エクスフィニティ)のV6は
OHVのV6にしてはえらい回すと聞くけど、それでもスプリントカップカーのV8と同じで
8000も回るかどうかの話(ま、OHVにしちゃ常識外れて回るのは確かだが)ですからねぇ…。
フォーミュラホールデン用のV6(これもOHVだけど…インディライツ用と同じで、インディ・ビュイックのターボ無し)も
ワンメイクだからパワー絞ってる面はあるにしても3.8リッターで324馬力程ですから
まー大したことは無いですね…。
ちなみにインディ500で使ってる「フルスペック仕様」のターボ付きはこちら。
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/53/BuickV6-Indy_Racing.jpg
これだと55インチブーストなら1000馬力程度で、
屈指のインディカー使いスコット・ブレイトンにポールポジションを天国への土産にさせるほどの
爆速を発揮するわけですが…まあ超ドッカンでドライバビリティは最悪だし
V6だからといって小さくはないし、基本的には低回転型ですね。 ってか「3リッターでDOHCのV6」てのは、量産市販車用なら重いのは当たり前として
(逆に件のGM製ビュイック・リーガル系V6は構造の単純さもあってまだ軽い方)
金に糸目を付けずに作っちゃう状況を想定すると…スーパーカーにでも積むような
6リッターV12の前後割りってことですね。ちょうどマクラーレンF1(スポーツカーの方)
に載ってたやつ的な。
ロードカーのスペックでは最高出力回転数は7,400rpm、
マクラーレンF1 LMは「リストリクター抜きで最高出力680bhp/7,800rpm、
レッドラインは8,500rpmである」とのことなんですが、
これ半割りで単純計算したら340馬力から頑張って400馬力程度、
9,000回転レベルを常用しようとしたら結構リスキー、というところでは。 だからよ、早い段階で3リッター・9000回転という規定は陳腐化していて、
ほっておいたら他のエンジン形式が試される可能性があるから、先んじて封じた
ってことなんだろ
人為的にあの規定を20年持たせたというだけで、続いたとかそういうもんじゃないよ
エンジンの入れ換えには金が掛かるから 何でもかんでも混ぜるんではなく、純レーシングエンジンに限定した話をしてくれないと
3リッターのV6とV8なら、回転数の差は単純に1.10064倍
シリンダーあたりの排気量は、500ccと375cc
83年当時の3リッターの限界値が幾つか知らんけど、仮にV8が11000だとすればV6は10000
実際はそれ以下だったかも知らんね、なんせ30年以上前だから
前者が10000なら、後者は9090か 1980・ペリフェラルポート13Bロータリー 車重625kg
・ロータリーエンジン フェールインジェクション禁止
・サイドスカート禁止
・タイヤ1セッション1セットに制限。予選義務周回数5周
1981:・ペリフェラルポート13Bロータリー 車重575kg
・ロータリーエンジン搭載車に音量規制 5m 離れた場所で120dB
1982:トヨタ18R-G改 登場
1983:トヨタ18R-G改 2126cc 仕様を特認。車重 625kg
1983:Rd.2 および最終戦で死亡事故発生。
1983:最終コーナー手前にシケイン設置(Bコーナー)
1984:・地上最低高 6cm、
・シャーシ構成部(モノコックなど)の最大幅100cm、
・底面のウイング構造、ディフューザー禁止
※後輪の車軸の後部分のボディ底面はタイヤ幅の下に空気の整流を助ける構造の部品、パネルを取り付けてはならない。
※シャーシ構成部・サイドポンツーン部は平らに作られ空力学的影響をもつ構造およびパネルの取り付けを禁止する。
1984/7:菅生でノンタイトル戦開催
1985:・音量規制 115dB
・給油義務をなくし、無給油と必然的に給油が必要になる距離の2分化を検討。
1985:Rd.1 で死亡事故発生。
1986:給油義務廃止、無給油で走れる周回数40Lap・ 45Lap199.845km に短縮。
1987:排気量2L(DOHCの場合)から3Lへ
3Lエンジンのリミッター回転数 8500rpm、9000rpm で揉めるが 9000rpmとなる。
3Lレシプロ 610kg
2Lレシプロ6気筒 560kg 4気筒 550kg
ロータリ 540kg
1988:菅生・鈴鹿を加え、「GCシリーズ」へ
1989:全日本選手権となる
1989/7:Gr,Cカーと混走のスプリントレースの提案が出るが却下される。
1989/10:終了 >>545
ま…そもそもNA化以降のF1からして
W12試した人は居てもV6試した人って居ませんからねぇ…。
フォードEDはHBをそのまんま3リッター化したもの、
ゼテックRの95年型も同じく前年型の排気量だけ詰めたものですけど
「V6にしてさらにコンパクトネスを」なんて試みは誰もやらなかったじゃないですか?
同じ排気量でシリンダー数が少ないエンジンの方が上までスムーズに回るということは通常無いし、
それならV8のまんま肉抜きして軽くする方が正常なアプローチですよ。
あとは…DFVだって振動はそれなりにあると言われてたのに
もし6気筒やら4気筒にしたら、エンジンそのものはもちろん
車体や人間がどーなっちゃうんですかね…。
振動で壊れるからエンジンも車体も頑丈にしなきゃいけない、じゃ
シリンダー数減らしてコンパクトネスを追求する意味が無いし、
そもそも「他のエンジンメーカーの主流になっている車体にポン付けで載せられる」
とならない理由(エンジンサイズにせよ振動対策のための強化にせよ)が出来ちゃったら
そこでハンデが生まれちゃいますよね…。 >>546
Gr.Cとの混走スプリントってのは感覚的にはスーパーカップやインターセリー的な…。
でも、それをやっちゃうとGr.C側のチームの負担が大幅に増えてしまうし
それならまだGCマシンが耐えられる距離の耐久ラウンド(500kmレースくらい?)に
GCカーの方を混ぜてもらう方が現実的に思えそう…。
鈴鹿1000km辺りになるとお祭りだから「なんとか走り切れるようにマシンを労ってでも出たい」
って話は出てくるかもしれないとしてね。 あんたが書いてる通り、8気筒以外をわざわざ禁止したってのは、その可能性があるからだろ
バンク角にしたって、弄れば振動の問題はついて回る
それでも、「トータルで有利」と判断されれば持ち出されかねない、という判断なんだろがよ >>541
wikiなんて2ちゃんとかヤフーなんちゃらよりはマシだが、玉石混交。
お前の書き込みデタラメ
>>542
バルブ並列配置の2バルブのエンジンが大きなパワー出るわけない
インディ用のビュイックV6は8500くらい回せてピストン速度高め
>>543
アホ? レース用のエンジンとロードカーのエンジンではトルクカーブが全然違う
BMWのF2用エンジン ストローク80mmでかなりピストン速度高め
トヨタのスポーツー耐久用の3Sはストローク86mmでピストン速度高め
ジャガーXJR11の3500ccV6エンジンもかなりピストン速度高め
>>547
スポーツカー耐久用のジャガーV6、PRVのV6 90度のV6
200km程度なら問題ない
あいかわらず長々とデタラメなこと書いてますね 昔、フルカウル野郎と同じこと思った
毎分9000回転リミットならV6の方が、F1のようにテールをきれいに絞り込めて空力的に有利、
コーナリング速度が高くなって有利だろうなと。
競争力のあるエンジンを出すには時間と金が掛かるし、そんなもの投入したらすぐに規制されるのは明らかだから
誰もやらなかっただけで。 >>550
あぁ、デタラメだって言われるのは結構だけど実際それで誰かやったの?
何もレースカテゴリはF1とF3000しか無いわけじゃない。
Gr.C-1990は割とやりたい放題、SWCも3.5リッター・最大12気筒の縛りがあるだけだから
ある意味自由度は高かった。
その中で「誰もやらなかったフォーマット」に実現性はあったの?
…そうそう。ジャガーとセカテバのV6はターボ載ってたうえでの話でしょ?
それはエレクトラモーティヴのVG30ともそれほど大差は無い。
「NA縛り、9000回転縛りのあるレースでV6の3リッター」ってのを
ホントにやった例があるかどうかを聞いてるんだからね?
あと、後ろを小さくして絞り込むことの方を考えるなら
多分ジャッドKVみたいにV8のまま丈を詰める
(ショートストロークなのでヘッドの位置がVアングルの中心方向へ寄る)
方が良いんじゃない?
V8だから基本的な構成に大きな影響はなく、でも空力アドバンテージを狙って手を加えたいチームは
エンジンカウルやサイドポンツーンを作り直せば良いのだから手直しはたやすい。
むしろV6にして1気筒当たりの排気量が増えてしまうと、前後は短く出来ても
上下とかVバンク中心方向寄りとかのマスを詰めるには不都合だからメリットになりにくい。
…この辺はインディにおけるイルモアやコスワースのマシンと
ビュイックのマシンのエンジンカウルの形状の違いを見比べれば分かると思いますがね…。
排気量が同じでない(DFX/DFSやイルモアは2.65リッターでビュイックは3.43リッター)とはいえ
V8系は基本的にDFVと形状互換。なのにV6のはずのビュイックの方がエンジンカウルでかいんですよ。
最末期のメナードビュイックになるとサージタンクがデカくなるせいもあって
(これはNAでも回転特性によってエアボックスやファンネルのサイズが変わるので他人事ではない)
いったい何が中に入ってんだろうと思うくらいリアカウルがデカいですからねぇ。 …と、そういえば何で童夢は(後にキャスピタにジャッドGV積むにも関わらず)
F3000用のF102〜104Rでジャッドと組もうとは考えなかったんだろう。
確かに「童夢ワークスカー」は盟友博俊さんとの付き合いで無限以外の選択肢は無かったにしても
92年にヒーローズに供与した車両は松浦DFVを積んでいたのだから
持続的に使えてチーム力のあるユーザーに悩んでいたジャッドの輸入元伊太利屋ハヤシレーシング
(92年にはノースポンサーで真っ白のレイナードのハギワラレーシングに無償供与、
翌93年は確かハヤシレーシング自らノースポンサーのローラで走っていたはず)
と組んで「コンパクトなエンジンがマシンに与える効果」を研究するには千載一遇のチャンスだったはず。
パワーに勝るMF308やDFVを積むマシンとはまた違う「多少パワーが劣るものの25kg軽くて丈の小さいエンジン」は
コンストラクター的には非常に興味深い素材であり、その後のプロジェクトの展開からいっても
効果的なサンプルであったはずですけどねぇ…。
しかもヒーローズと付き合いの長かった松浦さんはDFVの開発が一段落ついたあと、
ヤマハのF1プロジェクトにジャッドが噛んできた影響もあってかジャッドKV-IIも手掛けるので
(これは5ZIGENのマシンで使われた)、
「童夢F10x系+ジャッド」の機会は幾らでもあったと思うんですよ。
要はジャッド用に最適化したF10xを仕立ててヒロムさんに任せれば良いんだから。 2.65と3.43ということは1.3倍だから、比較の対象にならないよ
同じ排気量でないと
F3000規定がどの時点で陳腐化したのかは判らんけど、随分長いこと引っ張ったとないう印象
20年も経ったら、エンジンの性能なんて比べ物にならないくらい変わるから 横浜タイヤ復帰 F3000の頃は横浜は何で出ているんだろう?と思ってた 昔は、「2社供給の場合は最大で2/3、3社なら最大1/2の台数分を供給をする用意をしておくこと」なんてルール無かったし
今なら、競争が認められても各自がまずBSかDLを選ぶことになるんじゃないのかな
BSとDLで1/2ずつなら、結果的に3社での競争は成立しない
2社で競争になったとしても、一方を希望するエントラントが1/3を割り込んだ時点で撤退を余儀なくされるだろうよ
そんで、振り出しに戻って新規参入があるまではワンメイクということに >>554
でもDFX/DFSの原型はいうまでもなくDFVだから
元々2.65リッターで設計したんではなく3リッターのエンジン
(しかも60年代の設計だから結構肉厚)の中身小さくしたものなんですよ?
シボレーイルモアやジャッドホンダ(後のMF308の原型)も
基本的にDFX積んでる車にポン付け出来るようにサイズ互換。
ついでにOHVはヘッド周りが小さいのでサイズ的には案外有利なんです。
ttp://palmeter.com/wp-content/pics/C5R-001-06.jpg
6リッターくらいあるV8が当時の標準的なGTカーの前輪の直径と
大して変わらない高さにこうやって入っちゃうんだから。
F3000のジャッドKVなり、CARTのシボレーCやフォードXB以降の各エンジンが
長さ方向は車両への搭載互換性を確保するために基本的に踏襲する一方で
高さや幅、Vバンク垂直方向へのサイズはどんどん小さくなっていったというのは
それは時代や排気量(CARTなら当然2.65リッターに特化すれば良い)に合わせて
小さく軽くしていくことが可能になったからですよ。
CARTが2.65リッターV8シングルターボか3.4リッターOHVストックブロックV6シングルターボしか
事実上の選択肢は無い、というルールは、DFXデビューイヤーから推測するに
1975年からCARTの終焉(2007年の第2戦ロングビーチで終了)まで
連綿と32年間続くわけですが、史上最軽量はイルモアの最終型IC108Fで
110.2kgだそうです。計測基準が分からない(ターボ・補機込みか素の単体か)けど
F3000用の3000ccV8であるジャッドKVより約4kgほど軽いことになりますね。
出発点であるDFXは当然にしてDFVより軽いわけがない(ターボが付くため)
と考えれば驚くべき進歩ですよ。
そういうエンジンの進化という方向でいえば、むしろレギュレーションは
変えなければ変えないほどしのぎを削りあうことになるのでは? いやまあ、ほっといても出力は上がってしまうわけでさ
最近のことまでは判らんけど、F1が3リッターV10から2気筒分を落として2.4リッターV8にしたりしたでしょ
18000回転で制限しても、その有り様なわけよ
次は1.8リッターV6にでもするのかなと思っていたら、別の規則になったみたいだけどさ
北米のレースでも、フォードとホンダが回転数とブーストを維持したままでの排気量縮小を主張したのに
対し、トヨタがブースト引き下げでのパワーダウンを主張、その為にブースト圧が低くなり過ぎて
シングルバンクターボみたいなことになったわけで、排気量引き下げに進むのが順当だったと思う
過給圧を下げ過ぎればターボの意味が無くなるし、回転数を下げ過ぎればマルチシリンダーの意味が無くなる 1964年 ドイツGPでデビューしたホンダF1 エンジンは1500cc V12(RA271)で出力は200馬力を超えていた。
http://www.jp-autoauction.net/2015/07/06/honda-f1/ >>558
シングルサイドはあれはターボチャージャーのアプローチにおける
ひとつの有効な技術的チャレンジではあったと思うんだよ。
掛かるべきブーストが少なくてよければ何気筒かそのまま大気放出しても良いということで。
ダウンサイジングターボとか色々な新機軸に向かう中で案外と市販車にも使われるかもしれない。
あとはシーケンシャルターボの1パターンとかね。
そして排気量ダウンということになればそれはコストに影響するけど
ブースト弄るだけならPOVと、あとメーカー側はとりあえずはECUとウェイストゲート辺りの改良
(無論その次にエンジンのインナーパーツの最適化という作業は出るが)で対処出来るから
通常のマイナーバージョンアップでしょ?
ちなみにホンダとトヨタの撤退に伴ってワンメイク供給することになったフォードは
従来型のXFをベースにワンメイク用に耐久性を高めた「XFE」(XF・エンデューロ)では
回転数落とす代わりにブースト上げてパワーとスピードを据え置きつつ
リビルドサイクルを1200マイルと大幅に伸ばしたんでなかったかな…。
元々がブースト圧で破裂するほどの超高ブーストで回ってるわけじゃないから
そういう芸当も出来るわけですけど。 出力抑制の為、排気量の引き下げを実施
その後のワークス撤退・ワンメイク化で、回転数を下げ、その分をブースト上げで帳尻合わせ
排気は下がったまま
こんなもんだろ
わざわざ、面倒な言い方しなくていいから え?排気量はずーっと2.65リッターのまんまですよ?
XF→XFEではもちろん単純にブーストを弄っただけでなく
耐久性を引き上げる方向で各部の改良もしたようですが、それもまたマイナーバージョンアップ。 ホンダ・フォードの主張通り排気量を引き下げ、その後にワンメイク化した折には
回転数とブーストで帳尻を合わせって意味
ブースト下げは既に限界まで達してたわけだから、そっちで誤魔化したのが間違い
お疲れ様でした。。。 >>552
アホ? ターボチャージャーは振動を抑えるための装置なのか?
1986年のWSPCのC2で強かったエコッセC286のエンジンは90度V6
1992年に出走予定だったジャガーXJR17のエンジンは3.5Lの90度V6
スパイスSE91Pアキュラのエンジンは3Lの90度V6
ボア95mm ストローク70.5mm で約500cc
ボア94mm ストローク72mm で約500cc
ボア93mm ストローク73.5mm で約500cc
ボア92mm ストローク75mm で約500cc
BMWのF2用エンジンはストローク80mmで毎分9500回していた
90年頃は急速燃焼させる技術が向上していて大きめのボアでも良い燃焼が得られるようになっていた。
当時のF1用のV8エンジンはかりボア大きかった。
>>534の言うように90年頃ならV6有利だ。 >>552
>>534の奴が言っているのは、「9000回転リミットならV6の方が有利だが、そもそもF3000規定というのは
過度なエンジンの競争を抑えるという趣旨で始まっているのだから、その趣旨に反するような
ことをするところはなかった。」ということだろう。 他人の言いたいことがわからない人? ストローク77.7mmの3.95DFL、1000kmレースで毎分9000以上回していた
ストローク68.6mmのDFZ、24時間レースで毎分1万くらい回していた >>547
90年代のF1、回転数の制限なんかあったか?
シリンダー数を増やすのは高回転化しやすくするため
トヨタがF1用12気筒エンジンを開発していたのは割と有名な話 >>564
「同じ排気量の同じ気筒配列の」6気筒と8気筒で
どちらが振動小さく上がりますか、という単純な話ですが…。
直列の6気筒なら完全バランスするから例外だったかな?
搭載自由度という意味では非現実的なものになるけど。
振動の話についてターボと関連付けてモノを言ったというなら
それがどの箇所だったか挙げてみてください。
で、例えば2.5リッターくらいまでなら(ロードカーだと大抵バランスシャフト込みだけど)
直4でやろうというメーカーもありますけど
3リッタークラスを直4でやろうってメーカーは滅多に無いですよね? まあ、もちつけよ
レースカーの場合は、振動は二の次になってるとは思うけど >>565
>9000回転をクリアするのに8気筒分は必要も無かったはずだが、
>それをやったらF2のホンダV6と同じことになるから、
>誰もやらなかったというだけ
この論旨だと「規定上は出来るから抜け駆けできる可能性はある」
ってことですよね?
つまり、氏は「上限9000回転(実質性能で同等になればそこまで回さなくて良いが)で
3リッターV6のレーシングエンジンを作れば、450〜500馬力級のV8と同等以上の勝負が出来る」
とは思っておられるんではないでしょうか?
だから「いやそりゃ違いますよ。上限9000回転でも6気筒にするメリットは無いし
それゆえ他カテゴリでもNAでそういうものを作った実例が無いじゃないですか」と。
C2は燃費制限が厳しいからそもそも馬力を稼ごうにも限界があるし
アキュラ・スパイスの出ていたGTPライトは市販車用エンジン必須・排気量上限有りだから
そうなればNSX用の軽量なアルミブロックV6を使うのは必然でしょう。
BMWのF2は9500回転回った、とのことですが
これのピストンやコンロッドをまんま流用して6気筒に並べ替えれば
ちょうど3000ccになるとして、それは450〜500馬力を安定して発揮したうえ
振動面でも車体やドライバーにV8以上のストレスを加えないというレベルでも大丈夫なんですか?
ttp://omega-bmw.jugem.jp/?eid=111
うむ「11,800馬力まで回す条件で320馬力」ですか…。
回転数青天井で1.5倍計算すると概ね目標値の480馬力に達しますが
上を9000で切った場合にはそこまで出ますかね? >>569
でもまあ「標準的なエンジンで使った時にモノコックとか重要部品はとりあえず
ユーザーにとって必要な寿命(量産レーシングカーなら通常1〜2年)、
ネジとか消耗部品だって最低限1レースはクラック入ったり破断したりしない程度」
てのは必要ですよね?
ほとんどのF3000マシンがDFVやジャッドホンダ系を前提に
その辺の疲労強度・耐振動設計をしてきているのであれば
それより振動の大きいエンジンが載った場合には問題が出るのでは。
もちろん「抜け駆け中の抜け駆け」なら
モノコックなんて使い捨てだぜヒャッハーと言わんばかりの真似も出来ますけど
そこまで予算突っ込む価値のあるレースなんだろうか的な…。 取り合えず、市販車や市販ブロック前提のカテとかは外そうよ
F3000構想が持ち上がった83年以前の時点でV6エンジン搭載に車体トータルでのメリットが
あったかどうかまでは判らんが、日進月歩の世界だから、その後に状況が変わったのは間違い無い
ホンダはF2でV6を積む為に車体の改変はしてるはずだから、メリットを生かそうとすれば何でもやる可能性はあるよ、
ホンダ以外であっても他のカテであっても >>570
http://omega-bmw.jugem.jp/?eid=111
これに書いてあることがデタラメなことぐらいリアルタイムで知っている奴ならすぐわかる。
毎分11000以上回していたのはストローク60mmのF1用エンジンだ。
ローバーV6、PRVのV6、ジャガーV6、アキュラV6の例を出したのは、
3Lの90度V6ならスプリントレースで特に問題になるような振動は出ないと言っているんだ。
バカ? 技術規定が違えば有利な気筒数は違ってくる。3L、9000回転リミットのF3000の話だ。
お前は他人の言いたいことがわからないよね。アスペ? >>568
80年代に使われたレース用V6エンジンの例を出したら、
お前は>>552でそれはターボが載っていると書き込んでるよね。
直4の話なんかしてねーぞ。 で、まあM12の実用回転数が9,500でもなんでもいいんですが
当時の技術水準でV6作って、かつ「上限9,000rpm縛り」で
実際に450〜500馬力を安定して出せて1レースだけでも壊れないエンジン作れたんですか?
レギュレーション上可能で、かつ優位性が得られる可能性があるなら
せめてバブルの真っ只中くらいには「空気を読まない」とやら言われるような
日本のどこかのメーカー辺りが試してもおかしくないところを
誰もやらなかったわけですよね?それが答えですよ。
単に「試したところで何のメリットもないから誰もやらない」と。
そういえば90度縛りになる前にスバルさん辺りは何で出てこなかったんですかね…。 だからよ、もっと良く読めっての
5バルブがいきなり禁止になったくらいだから、どっかがDFVと形式の違うエンジンを
持ち出しても、翌年から禁止になったんじゃないかってことよ 他が4気筒でやってるのに「3気筒」を持ち込んだり、後の4ストローク時代には
他が4気筒でやってるのに「5気筒」を持ち込んだメーカーもあったろ?
隙間がありゃ、どっからでも入って来るんだよ。。。 「オートバイと違って傾ければ良いわけじゃないですから」
NSが3気筒だったのは車体全体のコンパクトネスという意味で
明確なメリットが見込めたからで、別におかしいこっちゃないと思いますよ?
2ストロークならクランクケースも一次圧縮に必要なだけの容積を必要とするので
小シリンダー化は腰下のサイズにも効くし。
ましてや車体はその小さいエンジンに合わせた専用設計なんだから当然です。
例えば後年のNSR-V(2気筒)にNSR500の4発は載らないですよね?
逆に4ストロークなら同じ排気量であれば多気筒化した方が原則的には回るので
重量やサイズ、さらに奇数シリンダーであることによる振動バランスとかいう
問題点をクリア出来れば5気筒なのはおかしいことではないですね。
あっちは逆に誰も真似しなかったことの方が奇妙。
ろくに勝てずに撤退した日本メーカーすら2社ほどあるわけだし…。
かつては「逆さV型2気筒」だとかアルミフルモノコックなんて超絶メカをやったうえに
タンデムツインを市販しちゃったような会社が
「よっし向こうが5気筒ならこっちはry」とか言わないとかねぇ…。 >>575
ID:gC+uS+5a0 ID:SkYNqcWo0 D:f7SJrpTX0 ID:qFy+AVaO0 ID:sATjvM0g0
知恵遅れアスペ君って、まともな根拠も出さずに「ボクがそう思うからそうなんだよ」を繰り返すよね。
他人の言っていることを理解できない、他人の言いたいことが理解できないんだろけどさ。 >>575
バカ?
BMWのF2用のストローク80mmのエンジンが9500回せるのだから、1980年代末なら余裕で9000回せる
90年のホンダF1用V10エンジンと同じボア93mmならストローク73.5mmで約500cc。
HBと同じボア94mmならストローク72mmで約500cc。
かなりピストン速度抑えられる。余裕で9000回せる。
>>534の言っていることはおかしくない。 だが誰もやらなかった。それが答えじゃない?やっても意味が無いと断言できる理由が
当のエンジン屋さんの中にすらあったと。
ホンダは当時既にインディ用のジャッドホンダAV(後のRA386/387系)という
DFV互換サイズのエンジンが存在していたから、F2用をスケールアップしたV6は
もとより考えの中にもなくて不自然ではないけど
(開発時期からいえば最初っからF3000に転用するつもりでインディでテストしていて不思議でもない)、
OX66しか手持ちのなかったヤマハは「V6の方がいける可能性がある」となれば
66をベースにスケールアップしたV6という選択肢もありえたけど、実際そうはならずに
DFVに5バルブヘッドを載せる方を選んだでしょ?
まあ、後のCARTでも、「V8であるものをあえてV6にしよう」というわけではないけど
トヨタ(RV8A)やメルセデスイルモア(IC108E)が驚異的なまでにコンパクトなエンジンを
作ってきましたが、これらは彼らの歴代最悪レベルの失敗作になってますね。
市販シャーシが幅を利かせるカテゴリで他社と大幅にサイズや特性の違うエンジンを作っても
それはシャーシとのマッチングに悩まされるだけだし、
そのために特化させた専用シャーシ(トヨタならイーグル、メルセデスはペンスキー)を
大枚はたいて用意したところで、データ収集量に悩んだりハズレシャーシだったりすれば
エンジンのメリットを生かせず仕舞いとなります。
F2の時はルノーにせよホンダやヤマハにせよ「V6だけどBMWやハートの直4と大差ないサイズだよ!」
ということで多分車体にもさほどのモディファイを加えず積めたんだと思いますが
(無論ホンダ/ヤマハマウント仕様のマーチってのは存在しただろうけど、モノコックの基本形まで違うわけじゃなかろうし)
「V8並みにデカいV6」を作って何かメリットあるか、となりますよね。
そんなことやってる暇にV8の肉抜きに励んだ方が能率的な仕事ですよ。 ステップアップカテゴリーで 技術開発競争 ねぇ。
UFO じゃなかった AFO ヤマハも、「DFV流用で、ヘッドを改造するくらいなら大丈夫だろう」と思っていたら、
出した途端に締められたわけ
だから、その後はDFVと異なる形式は誰も持ち出せなかったと思うよ
F2に続いてF3000も消滅したら、後が無いから >>586
ま、実際には欧州のDFVチューナー達の間でも相当どえらいことになってて
(松浦氏曰く「向こうでもインナーパーツは全部彼らのオリジナルでしょう」)
ニール・ブラウン・チューンの無限が途中で尻尾巻いて撤退する羽目になってるくらい、
ましてや日本ではトップカテゴリーですからね。
禁止されてなくて有利なら何でも出てくる予知はありますよ。
でも「ぼくのかんがえたさいきょうのれいあうと」なんてものは無く
90度縛りになる前も後もV8以外の構成は出てきません。
90度縛りの他にもエンジンパーツにカーボンやチタン使うの禁止、とかいう話が
90年代初頭にFIAのお達しとして追加されたわけだから
実際にそれもやってたところがあるわけですよ…。
現に国際F3000でエアファンネルすらカーボンで作ってたところがあったし。
F3だって94年からかな?可変吸気が禁止になるので
(日本では戸田レーシングかどっかのMF204がサブチャンバータイプを採用してました)
「縛りの厳しいステップアップカテゴリだからこそ」過激な技術競争が起こりうるんです。
そういえばF3って「最大」4気筒だったか完全に4気筒縛りだったかなぁ…。
そのうえリストリクターで高回転は詰まるという意味では
これもまた3気筒を持ち込める予知はあったかもしれないけど…
まぁ誰もやりませんでしたよね。
BMWの現行2シリーズで3気筒1500ccなんていうのがあるし
日産も同じく3気筒で1.2リッターなんてのがあるんだから
ライフ無視でゴリゴリ削りまくれば排気量は結構出せたかもしれませんが
なにぶんダラーラのシャーシに載せるのに何のメリットも無いし…。 だから、いきなり違う構成のエンジンを2台とか出したら、狙い撃ちで排除されたっての
それが無くたって、アンタの言う通りエスカレートは止められないから、F3000の末期の規定は、
ああいうことになったんだろ
80年代前半とかそれ以前からモータースポーツに関心持ってるんなら、それくらい判れよ ホンダVSヤマハだと燃えるな。
今のSFもトヨタのバッジ、ヤマハに変えれよ。インパルにトヨタのステッカーは似合わないと言うか違和感。
今はnismoのステッカーあるんだっけ? >>588
F3000 バンク角の指定とか90年代半ばだけど 出典元は? まさかwikiじゃないよな >>585
バカ?
OX66 ボア 85.07mm ストローク 58.5mm
ボアを87mmまで拡大できたとしても、1気筒あたり500ccにするとなるとストロークは84mmにしなければ
ならない。 3リッターまで拡大するの無理がある やるわけない。
F1でコスワースHBとか空力的に有利なバンク角75度のV8エンジンが投入されているわけだけれど、
F3000では出てきていない。
お前は他人の言いたいことがわからないよね。 >>534が言っているだろ。
F2(F2000)時代はエンジンの開発競争があったが、
FISAの方針は、エンジンの開発競争をするのならF1やSWCでやってくれということで、
F3000でのエンジンの開発競争は抑える方針だったのだから、DFVやMF308が無力化するような
エンジンを誰も投入しなかったって。 どうやらこのスレにポルシェでV12作った天才エンジニアに匹敵するほどの
天才が居て、とても氏には追いつけないなということは良く分かるんです…。
私は正直なところ、積むべき車体を無視してエンジン設計しようとは思えませんから。
だからイルモアやジャッドがそうしたみたいに「よっしV8のエンジンベイに収まるサイズでV10作ってやる」
って方がスルッと受け止めやすい。
逆にCARTでのIC108Eみたく小さすぎて一般の市販シャーシに合わせるには
ゲタ噛ませないとうまくいかない、というのでは成功するわけもないというのも理解できるし。
アレが軽量化とコンパクトネスを過大に追求しなければ
グレッグ・ムーアは運命の最終戦までにもう少しポイントを積み上げていたでしょうね。
>>589
いや、別にブロックの金型作っちゃったんなら2台(となると実質1チーム)なんてケチなこと言わず
最低数台単位では出してくればいいんですよ。かつプライスタグ付けて応じるチームがあるなら
別に何台分でも。考えてみてください。92年の全日本F3000でジャッドKVはたった1台ですよ?
でも、「1台1800万円(ECU別途)」って値段付けてて、使いたい人は買えるんだからそりゃOKなんです。
>>591
90度縛りはオートスポーツの91年版イヤーブックだったかなぁ…。
F3の可変吸気NGとかもそうだけど紙メディアで見ましたよ?
タナケンさんほどの資料の山じゃないけど、たまにはカビ臭い活字の山に潜るのも良いものです。 …ってそういえばジャッドホンダやイルモアがインディ用の2.65を作った大差ない時代に
ポルシェも同じようにV8作ってたんですよね…。
それならF3000に出してくるのは別に難しいことじゃなかったような…。
アレも資料はあまり見受けられないけど、DFX互換なら多分90度なのだろうし。
ヤマハがザクスピードとベルント・シュナイダーに可哀想なことをした
あのOX99も75度だったはずだけど、「90度縛り」の規定になる前だったら
F3000用のベースエンジンにするのは無理ではなかったはず…。
まずはヘッドだけ4バルブにすりゃーいいし。 良く考えろ
5バルブが「わざわざ」禁止されたってことは、それよりも大きな変更が認められるはずも無いわけ
釘を刺された以上、誰もが余計なことは考えなかったということ
アンタはリアリティの無いことばかり書いてるが、本当にあの時代を経験した上で言ってるのか? むしろV6で有利と思える線が少しでもあったというなら
高回転追従性に優れる5バルブとV6という組み合わせを既に確立していたヤマハが
「最初っから」OX66のスケールアップ版(中身を大きくするだけか拡大コピーかはともかく)で
打って出たのでは、ということですけど?
それでV6禁止といわれれば急造品としてOX77が登場したり
そのうえ5バルブ禁止となれば「4バルブのOX88」的なものが登場したりと
そういう流れになっただろうと。
実際には誰もV6有利なんて考える余地は無かったという意味では
「本当にあの時代を経験したうえで言っているのか」と疑われるのは
最初にV6有利論を言い出した人の側じゃないですかね。 上の方で誰かが書いてたかも知れんが、同じV6でも2リッターと3リッターじゃ別物だからな
ボアアップやストロークアップで2リッターが3リッターにはなるはずはない
最初から、そんな無駄の多い設計してるわけが無いから
シリンダーあたりの容積が違うんだから、中身についても全部やり直し
中身を大きくするとか拡大コピーとか言ってる時点で意味不明だ まー流石にOX66のボア&ストロークアップだけで
排気量が1.5倍増しに出来るようならまさに苦労はありませんねぇ。
ただ、「拡大コピー的な設計思想」というのは
小型車をメインにやってたメーカーがミドルクラスに参入する時とかに
往々にしてあることじゃないですかね?1500〜1600ccクラスの既存のユニットと
きわめて類似した構成でガタイが大きい(単純に等倍というには若干コンパクトな場合も)
1800〜2000cc程度の4発なんていうのは。
2500くらいの直4となると流石にバランスシャフト突っ込むでしょうけどw。
…逆に三菱みたいにどうでもいいくらい小さいエンジンにまで
バランスシャフト入れてた会社が…だから燃費がry 市販車の話で誤魔化すな
お前がOX66のスケールアップとか言い出したんじゃないか
中身を大きくするというならエンジンブロック流用だろうし、拡大コピーというなら1.144倍の3乗ということだろ?
そんな簡単な話で済むわけが無い その「OX66の1.144倍の3乗(実際にはもう少し小さく上がる可能性もある)」で
出来るわけが無いという根拠ってあります?
大きい方を小さくするよりは難しくないですよ?
いっぽうジャッドGVは最初はF1用の3.5リッターV10として
当時イルモアと最小・最軽量を争うほどのコンパクトネスを実現していたのに
翌年にはSWCに投入されてルマン24時間にすら耐える頑丈さを実証したうえ
程なく同じブロックで耐久レース用に4リッター化したGV4が投入され、
今や5リッターのGV5と5.5リッターのGV5.5にまで派生するわけですよね?
挙げ句は試作のみとはいえリカルドと共同開発したターボディーゼル仕様まで。
3500ccを1.5倍すると5250ccらしいですから…
そうですね、レース用の2リッターV6をそのまま中身だけ大きくして
1.5倍の排気量にするのも無理ではない気がしてきましたw。 1986年のF2ってなんて面白かったのだろう?
HvsY、大型スポンサー参入etc >>596
お前は他人の言いたいことがわからないよね。
>>534が、F3000技術規定ができたころとその後では技術レベルが違うと言ってるだろう。 >>593
F3000規定のエンジンのバンク角が指定されたの92年か93年だ。
バンク角の指定の方が先 90度のバンク角ならシリンダー数が12でもいい時期があった。 1983年頃、ストローク64.8mmのDFVが毎分11000ぐらい回せなかったのに
1990年頃、ストローク68.7mmのDFRが毎分11250ぐらい回していた
技術レベルが向上している
1990年ごろ、ストローク58.8mmのDFYと同じストロークなら12500近く回せただろう >>601
BYZERO86J-HONDAの事ですね〜 ByZEROって何だろと思ってたら大沢商会だったらしいっていう…。
結局その後に商品展開とかはあったのかなぁ。
後年アルファロメオジャパンを設立することとは直接関係無かろうし…。
>>602
その頃にV6の3リッターで8,000回転でうまくいくとはまず誰も思わず、
ましてや車体とのフィッティングを考えたらなおのこと上手くいかないと思ったから
誰もやらないのは当たり前、ていうのがまさに当時の実感ですよ。
>>603
つまりモデナランボ辺りを中古で手に入れてry
…HKSのあのV12ってVアングル幾つでしたっけか? 5バルブは、87年半ばに日本のF3000に登場し、88年いっぱいで使えなくなった
ヨーロッパで禁止になったのが、88年からか89年からかは忘れたがな
他と違うことをやった途端に穴が塞がれて投資が無駄になる
だから、誰もやらなかったというだけの話よ >>600
相変わらず、人の書いたことを判ってないな
「拡大コピー」などと雑な表現をしたから、「ただ図面を拡大し、その通りに部品を造ればいい」と
受け取られたんだろが
他の話を持ち出して誤魔化しにかかってるようだが、ワークスが「形式が同じだけで
排気量の大きく異なる」エンジンを造るなら、躊躇無く新設計しただろうよ
長い時間を掛けて騙し騙しやってるわけじゃないからな >>607
ヨーロッパは88年から禁止だった気が。 >>609
そうらしいね
国際F3000では、間髪を入れず禁止になったと
「コスト上昇を招く」という大義名分があれば翌年からでも禁止出来るんだから、
それまであったような「規則改定の時間差を狙っての投入」も出来なくなったわけだ ま、実際には「最初に新機軸を試してみたら穴塞がれた」が
そのヤマハの5バルブだったわけだから、
85〜87年の間には「DFVライクなデザインではない何か」をあえて試そうという機運は
存在してもおかしくはないわけだよね? >>606
お前の言ってることは「アスペのボクがそう思うからそうなんだよ」ということでしょう。
まともな根拠を出さないでいつもそうでしょ。 知恵遅れの実感でしょう。 お前の実感って。
BMWのF2用エンジンがストローク80mmで9500回していた。
1990年頃、インディ用のビュイックV6が9000くらい回していた(インディアナポリスのような全開率の高いコースはエンジンへの負担が大きい)
レース参戦なしでお倉入りになったジャガーXJR17の3000ccのV6エンジンは9000回転で最高出力を発生
(スプリントなら数レースリビルトなしに使用する予定だっただろう)
だからさぁ、1990年ごろはF3000 規定ができた頃と技術レベルが違うといってるだろ。
何?フィッティングって V8→V12 V8→V10 とかじゃない V8 →V6 だよ
だからさぁ、75度のV8とか V6が投入されなかったのは、技術的問題ではなく、F3000に多額の資金を投入するほどの価値がないとか
FISAの意に反するようなことをしてはまずいということだろうって。
F3000規定はF1でアクティブサスペンションが投入されてからすぐにアクティブサスペンションが禁止になっているんだから。 2輪の市販車の販売競争から始まったHY戦争が4輪のF2に飛び火した辺りの状況って、
当時の子供の年齢では理解出来なかったと思う
今の40代後半以上じゃないかな、何となくでも覚えてるのは >>612
V8→V10の場合は例えばDFRとかフォードHBを基準として
無限やルノーに載せ替える場合はそのままエンジンベイに落とし込むのが難しい一方、
ジャッドやイルモアみたいに「V8並みに軽く小さいV10」ならば
事実上そのまま滑り込ませたうえ、高回転高出力といったマルチシリンダーのメリットは
丸々享受できますね。
逆にV8入れてたところに同じ排気量のV6を入れるということになると
V10との比較の場合とは逆にV6の方が多少小さく軽くまとまるのが通例ですが、
ストレスマウントが一般的なフォーミュラカーのエンジンベイに収める場合に
「短い分だけ余った空間」をどう調整するんですか?そのことの問題ですよ。
短くなった分だけそのままミッション以降が前進する方向でホイールベースが短くなり
エンジンカウルやサイドポンツーンも作り直し、で辻褄合わせた場合に
それでまともに走れる車にしようというのもなかなかの大仕事になるとして、
せっかくエンジンが小さくなったのに鋳物か削り物のゲタ(当然それなりの剛性が要る)
突っ込んで丈合わせるとなったらメリット台無しじゃないですか。
あとVアングルが90度じゃないV8というと…
当時の時点で既にフォードHBとかジャッドEVとかありますからねぇ。
それらを3リッター/9000回転仕様にした場合に大変なことになるかどうかですね。
実際クルサードのカーグラフィックのコラムでは「HBベースのF3000エンジンが近々出る」
という記述もあったので、当時業界関係者の中ではそういう話になってたんでしょう。 あのさ、小型軽量を目指してシリンダーを増やすんじゃないんだよ
最初から妥協してるんだから、本来のパフォーマンスなんか発揮出来るわけない
仮に6気筒が既存のシャーシと合わないとなれ ば、他のコンストラクターに発注してでも、間に合わせる
8気筒が無用の長物になれば、今度は6気筒用のシャーシが当たり前になる
そういうどんでん返しを恐れての、5バルブ禁止だったということ
そこまで考えてくれないと ByZEROって西武セゾングループで出してたキャンディじゃなかったっけ? >>615
どうしても大多数を占める「DFVサイズ互換系V8」を積むユーザーから上がってくる
車体側のデータフィードバックが全く共有できないことになるので
専用シャーシってのは不利だと思うんですが…。
トムスのF3用だって圧倒的だったのは横置きミッションすら採用してた1年目だけで
92年の032Fは同じトヨタをラルトに組み合わせたトム・クリステンセンとか
無限ラルトのアンソニー・リードに普通に良い勝負されちゃってますよね?
しかも当時V8用F3000をやってたところ以外の「他のコンストラクター」
ってどこだろう…。モノコックが内部剥離してすぐダメになっちゃったあそこですか? >>614
https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/736x/c2/d8/38/c2d838e3042bc5fc0c3519f3d4568972.jpg
85年ころのBMWとホンダのエンジンを載せた車とではベルハウジングが違うだろう。
1986WSPC富士の予選で中嶋がトップタイム出したが予選スペシャルだとして失格になった車、
ベルハウジングを変更して軸距を10cm伸ばしている。 長めのベルハウジングを使えばいいだけ
http://bright-cars.com/uploads/ferrari/ferrari-f1-87-88c/ferrari-f1-87-88c-03.jpg
フェラーリF187、F186までエンジンとデフの間にギアボックスを横置きだったが、オーバーハングに
ギアボックスを縦置き。F187の方がF186よりも軸距が長い。エンジンが短くてベルハウジングが長いと
何か問題でもあるのか? アスペ君は知障でもあるのか?
http://www.ultimatecarpage.com/images/car/3291/538.jpg
この車、ギアボックスをオーバーハングに縦置き。アスペ君の池沼理論だとV10ではなくV12を載せたほうが
良かったということになるな。 V12載せればベルハウジングを短くできるのだから。 >>614
アスペ君の言っていることは、意味不明、デタラメ、支離滅裂だな
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/f1/1460895585/
このスレで忌み嫌われてここに引っ越してきたのかい? >>619
それらの例に挙がった殆どの車はメーカーが大枚はたいて作った
オリジナルマシンであって、「その特性は自社の車体デザイナーやエンジニアが熟知してる」
て種類のものでしょうが…。
プジョー905が縦置きなのは「一応は耐久マシンだから」
信頼性を考慮して実績のある縦置きオーバーハングを採用したというのもあると思いますよ?
この当時の横置きは遠心力でギア抜けする場合もあり高度な設計が求められたといいますから。
「プジョーやトヨタ3S-Gやフェラーリターボを積んでいてシャーシ関連のノウハウを共有できる車」
なんてのは別に無いんだから、それらはシャーシの設計の行き掛かり上
いちばん無理のないサイズ(トムス86Cの36Tは「富士で最速になるための最適化仕様」)
に仕上がっていればよいだけですよね。
F2でBMWとホンダV6(さらにヤマハV6も)を積んだ車は
そりゃーベルハウジングの「形状」は違うのは当然でしょうね。
こっちは出力軸周りの形状やら車体寸法やら前後重量配分やらを
極端に変動しないように調整するためのパーツですから。
ただ、直4→V6なら明らかに高回転高出力化が見込めるから多少の重量増なら受け入れられても
V8→V6で同等のパワーが発生するかは疑わしい、となると
そうまでして「車体の側に合わせるような収め方で」積んでメリットあるか?て話ですが。 ところでトムスの36Tは別に「予選スペシャルだから」
失格になったわけじゃないですよ?
別にプライマリーカーとTカーが全くの同一仕様でなければならない義務は無いし
(だから年式やら各部のスペックが旧型でも、とりあえず動くやつをTカーにしたりもする)、
それなら逆に考えて「予選タイムアタックに使う方をプライマリーの36番」
で登録しておけば良かったんじゃないですか?
で、そのマシンにトラブルが発生しちゃって決勝は走れませんって顔をして
最初っから決勝仕様で組んであった車の方をTカーとして出してくるなら
ルール上はそれで問題無いわけです。IMSAみたくバックアップカー乗り換えの場合は
本来のグリッド放棄して最後尾から出なきゃいけないってルールでも無いし。
他人のことをあれこれ言う割には色々なところに当時の物事に対する
事実誤認が結構お有りなようですが?
…まさかフォーミュラカーのエンジンの積み方が分からないのに
F3000のエンジンの話してたとは思えませんが…。
前後がエンジンで繋がってるんだから寸法や断面積が大きく違うようなものを作ると
影響を受ける範囲はものすごく多いですからね?
ま…ミッシェルテツ先生みたいにガソリンタンクを間に挟みますかね?
で、本来のフューエルセルの部分は上が凄く余るからマーレイ先生みたく
スケートボードスタイルの怪作を…あぁ某近未来的な国産F3000作った会社が乗ってきそうw >>621
アスペ野郎の書き込んでいること支離滅裂。 何が言いたいのかわからない。
ギアボックスの話なんかしていないしていない。ほんとにお前は他人の言いたいことがわからないな。
80年代頃までは、エンジン→ベルハウジング→デフ→変速機という並び順が主流だったという話だ。バカ。
12気筒の方がピストン速度を抑えられるが、プジョー905は、エンジンを短くしたい、軽くしたいという
理由で10気筒だ。アスペ野郎の知障理論だと、ベルハウジングは短いほうがいいからエンジンはできるだけ長い
方がいいということだよな。ボアピッチを大きくすればエンジンなんていくらでも長くできる。
エンジン屋はギリギリまでボアピッチを詰めてエンジンを短くしようとする。アホか。
エンジンはできるだけ短いほうがいい。
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/f1/1460895585/
お前、ここで、何を言いたいのかわからない、話がずれてる、意味もなく長いだの散々言われたよな。
しばらく書き込まないから勝手にやってろ。 >>534の話を検証してみる。
F1のエンジンの規定が8気筒2400cc以下になったとき、エンジンの出力は落ちるが、
エンジンがコンパクトになる分、速くなる部分はあるという話だった。
短く軽量なV6を載せれば旋回性能は高くなる、エンジンが短ければテールを絞り込みやすくなって空力的に有利。
ストローク80mmのBMWのF2用エンジンが9500くらい回しているのだから、ストローク75mm以下とかなら余裕で9000回せて、
ある程度のライフを確保できる。
アスペ野郎はわかっていないようだが、エンジンの最高出力を決める大きな要素は、総排気量、回転数。
1気筒あたり700ccとかそれ以上になると効率が大きく下がるが、3000ccの6気筒なら1気筒あたり500cc
V6有利。間違いなく速い車になった。そんなの投入されたらシリーズ壊れるけどな。 「スレッド・キラー」
彼自身が、V6エンジンと同じく破壊者であったという。。。 >ベルハウジングは短いほうがいいからエンジンはできるだけ長い方がいい
いや…誰もそんなことは言っていませんが?
F1みたいな事実上のコンストラクター・チーム製が義務化されている、
または多くのエントラントがその形態を取っている種類のレースを別とすれば
そこで主流となっているカスタマーエンジンの平均値に合わせてシャーシが作られるか
主流となっているカスタマーシャーシの平均値に合わせてエンジンが作られるのが通例で、
そこから大きく外れるのは賢明なこととは言えない、という話ですよ。
別にマーチ87BでもローラT87/50でも買ってきて、そこにV6積んで
短くなった分だけシャーシメーカーの想定とは違ったものになるバランス補正は
全部ウチ(エンジンメーカー)がやるから、というならそれはおやりになれば良いですが
もくろみ通りの旋回性能や空力性能が得られるのか、
「結局はV8勢と同じサイズに補正した方がまだマシだった」となってしまうかというのは
リスク要因にはなりますね…。
下手すると日産がマーチシャーシ改造しながらGr.Cやってた頃くらい金かかりますよ?
あれエンジンもやって、汎用物だったシャーシを自社のエンジンに最適化させる仕事もやって、
ですから。
マーチT810(あれは一応エレクトラモーティブの注文でVG30前提で設計したらしい車)を
日産GTP-ZXTに作り直すのにどれだけ金使ったかも分からないし…。
少なくとも当のニスモはマーチと同時進行でやってる場合じゃないから放り出しましたよね。 >>626
馬鹿アスペは痴呆が始まっているのかよ
馬鹿アスペの書き込んでいることはよくわからないが、
>>614で「小さいエンジンを載せてもメリット台無しじゃないですか」と書き込んでいるだろう 馬鹿
馬鹿アスペは支離滅裂だな
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/utu/1461263167/
ここに移動しろ >>622
アスペ君は医療機関で診てもらったほうが良かったんじゃないですか。
他人の言いたいことがわからない 書き込んでいることが、支離滅裂、意味不明
http://www.racingsportscars.com/photo/1989/Le_Mans-1989-06-11-037_T.jpg
トヨタチームトムス、1989年のル・マン24時間の予選で、Tカーでタイムアタックしている
トヨタチームトムスは2度も同じ失敗をしたことになるが そして1989年のJSPCでは正規に登録されたTカーの用意が無かったために
タイトルを失うことに…。
日産はレースによっては23番だけTカー(大抵は1年落ち)を
持ってきていたという記憶…。 Cカースレじゃないから細かいことは書かないけど
Tカーの運用ルール、よくわからないねぇ。
レースカーとTカーが別の車種なのに、2台とも予選順位認定されていて
決勝ではTカーをレースカーとして登録し直したこともあるし、、、
ちなみに、チームは トムスとサード さすがにトラスト辺りをしてトヨタから借りた92C-VのTカーに
手持ちのポルシェ962GTIを登録したり
挙げ句は956の予備にローテックを登録したり、なんてことはなくて
せいぜい型落ちくらいの話よね?
全日本F3000でTカーが登録されていた91年までの場合でも
当年型を2台揃えられたチームはさすがにあったかどうか…という感じで
大抵は1台は前年使ってたお古ってケースが多いと思う…。
マーチからローラやレイナードに乗り換えたようなチームの中には
Tカーは余ったマーチ、なんて例もあっただろうし、
実際に持ち込まれたTカーのメーカーが違ってた例の中には
91年のアド・レーシング(シーズン序盤はT90/50がメインでレイナード91DがTカー、後半は逆)、
87年のレイトンハウス(シーズン途中でローラに替えたので、それ以降はマーチ87BがTカー)
とかの例が…。
実際にレースで使った例で記憶にあるのは87年の開幕戦で、
長谷見さんの87Bがトラブル起こしてTカーの86B(タイヤテスト用に使ってたもの)
で出走した例とか。
一方分かんないのは86年のF2最終戦のスタート直後の多重衝突で、
松本恵二選手のマシンがダメージ大きかったからと
No.2ドライバーの森本選手のマシンに乗り替わりしちゃった点…w。
要は80年代の日本のレースでは割とその辺が弾力的に運用されてたけど
「車種は違ってもいいけどきちんと登録しなきゃ駄目よ」とか
予選でのタイムの扱いの話とかは徐々にFIA準拠になっていったのでは…。
逆に90年以降のGr.C末期のルマンでは予選専用TカーアタックOKになってますね。
日産の24Tもそうだし、プジョーも92年辺りにそれやってたような…。 当時見てもあの森本が車取り上げられたやつはイロイロとあれアリなの?と思った。
確か松本も結局セッティングが合わないとかでリタイアしてると思ったが…
まぁあれは松本でなくチームの判断かもしれんが… F1だと87年オーストリアGPのスタート赤旗2回とか
マイク・サックウェルの幻のF1デビュー戦とか、
Tカーが無かったり使い切っちゃった場合に
2nd/3rdドライバー用として持ち込まれてた車がエースドライバー用に
持って行かれちゃう、というのは時々例はあるけどね…。
アンドレアモーダ時代のモレノもしょっちゅうマッカーシーの車使ってるしw
まあ、F1の場合はTカーというより実質「1人に2台とか2人に3〜4台」
みたいなもので、どれが誰の車という点に厳格じゃないのかもしれないけど…。 >>633
Tカーはチーム全体で使いまわすことが可能な予備車両でドライバーが自由に選択できた。
予選タイムなどの有効性はタイムを出したドライバーに適用され車は本来の自分の車でもTカーでもパートナーが乗ってた車を使ってもかまわなかった。40代〜の人間は特に違和感感じないよ。 >>634
逆に例えばJSPCで大抵エントリーリストに載ってた23T
(ニスモのTカーは多くはこの車番で登録されていた)は、
24号車の方に何かがあったら乗り替わり可能だったのかなと…。
その場合カーナンバーを24Tに貼り直せば良し、とかあるのかしら。
ttp://www.racingsportscars.com/
ここに載ってるデイトナとかルマンとかのフォトギャラリー欄を見ると
Tカーはおろか自チームの他の車(92年のデイトナに至ってはニスモ-ノバ間ですら)でも
エントリー登録上は乗れる状態にしてたり、実際にプラクティスセッションで乗ったり
そうやって「万が一の時は乗り換えられる既成事実を作る」
みたいな運用がされてたりする。 1991年
富士 4戦
鈴鹿 4戦
オートポリス
MINE
菅生
11戦
現在
鈴鹿 2戦
富士
オートポリス(中止濃厚)
菅生
もてぎ
岡山
計7戦
富士でもう1戦やるべき >>639
昔、フォーミュラ ミラージュに出ていた、、、
と思ったら、松本和子 だった。 さっきテレ東のスポーツ番組で、諒くんを軸にした小河家の特集をしてたけど
小河等選手の奥さん(諒くんのお母さん)が旦那さんのF2時代のマシンを見つけて
レストアして保管してる、という話は前に何かで読んだけど
(それは等選手のご実家にほど近い専用ガレージに他の遺品と一緒に綺麗に保管されてた)、
あの92年の初夏の惨劇の時のステアリングそのものも小河家にあるんだってね…。
諒くんが現物を手にして説明してたけど、確かに正面から見ると普通のDカットに見えるけど
横にして見ると衝撃で生々しく歪んでるのが見えた。 昔、イベントで
うるさい子供がいるなあ。といった雰囲気だったのが、
トムスの大岩氏が ”すみません、小河選手の息子さんです。”といった瞬間
会場の雰囲気が ”まあ元気なお子さんで、、、”といった感じになった。
いい加減なものである。 ドライバーさんのお子さんというと関谷さんの娘さんである。
時代劇の浪人みたいな顔したお父さんからどうしてあんな娘さんがw キカイダー(実写版)に出て来る「ワルダー」みたいだもんな 奥さん元トヨタプリティだし、母方は美人の家系だろw 関谷さんの娘は中嶋次男のファーストキスの相手(お互いにかなり小さい時だけど) あれ?チームルマンの本間さんだか土沼さんの息子さんと
「結婚するの♪」って言ってたらしいって話だったんだけど…w ワルダーなんて知らん。
ガタイダーとかビジンダーとか ノリダー なら聞いたことがあるが、、、
(若干違うのが混ざっているが気にしない) 「アンドロイド」という言葉が、40年後に別の意味で使われるようになるなんて想像もしなかったな そしてCカースレではプロトタイプカー撲滅派を呼び込んで駄目にしました スリーボンドNOVA532P
眠くなったらスリープノン。 スリープノンでNOVA532Pだと従野さんじゃないのかな?
グラチャンのスリープノン争奪戦思い出します。 >>663
78年のJAF鈴鹿GPだと桑島選手
79年だと従野選手 >>665
俺は買い手を紹介しただけだから、見ても触ってもいないんだよ・・
いや中古車販売のハナシです。 久々に興味深い出品物が…。
ttp://page22.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/l355526395
これ漢検協会に展示されてたやつと違う?w F2、いやGCだったかな?長谷見が日産エンジン出したこと無かった? F2では出てこなかったはず。
GCではちょっとだけ出てましたね。
でもL18改ではBMWにかないっこない。 FJ1300なら長谷見&星野が…。
シャーシの型番から見る限り多分欧州のF3車両でやってたんだろうけど
あんなGCとかわらん顔ぶれでやるようなレースだったんですかw
ニコ・ニコルさんとか後の2輪の名門チーム高武の大将も出てたなぁ…。 L18改、北さんが76年の鈴鹿GPに走らせたのが唯一のモノポスト搭載事例? >>669
F2000 レースに FP で出走したことがあった HEY GUYS
L18怪はPlease Mr,長谷見氏がGCマーチに搭載し秘密裡にテストしていたけど
結局BMWやMAZDAには及ばないと判断され実線投入は無かったのだろ
田中健二郎氏がAUTO SPORTS誌で暴露していたよw。
COMING SOON。 >>678
スレ違いになるが珍車ブリティッシュバーンの人だっけ? 元トヨタワークスだった見崎清志が、わざわざF3に乗った理由って何? HEY GUYS
元TOYOTAワークスと言っても自販チームと自工チームには大きな差が有って
彼にはTOYOTA-7等のプロトタイプマシンに乗る機会が与えられなかったからさ。
COMING SOON。 バブルの頃の話?
まぁ金があったから…
フロムAの人=ブリティッシュバーンの人 HEY GUYS
彼はPlease Mr.徹生沢氏に続いて英国のモノポストレースにほぼフルシーズンチャレンジしているんだよ。
PORCH-E906にも乗っていたし、マシンにI want Sponcerと書いたシェブロンにも乗っていたし
DFVを搭載した童夢のGr.Cにも乗っていたな。
COMING SOON。 TOYOTA-7のV8エンジンはDFVのコピーだったとの話は本当ですか? HEY GUYS
YAMAHAが三菱商事を通じて購入したDFVを参考にしたのだろ〜けど
カムカバーの結晶仕上げまでソク〜リで
HONDAのPlease Mr.故良夫中村氏でさえCG誌のコラムで
不快感を露わにし鳥ますた。
COMING SOON >>689
まるでインディカーでシボレーイルモアが無双しだした頃、
当時アルファロメオユーザーだったパトリックレーシングが
自社で所有していたシボレーエンジンをアルファロメオに研究用に貸し出したら
元に戻せなくなってバラバラのままイルモアに送り返す羽目になったのでバレた、
というお茶目な話のようですね…。
しかも、新スペックのアルファロメオ・インディはシボレーそっくりになっていたというオチまで。
「メンテナンスする時は送り返してね」の条件付きだった可能性は高いにせよ
買い切りで所有権が認められてるエンジンなんだから
軒先に晒して朽ち果てるまで放っておけばよかったのにw HEY GUYS
三菱はブラバムBT-30のF-2シャシーに自製のエンジンを搭載してCOLT F-2の名前で生沢氏に
ステアリングを委ねた。
ISUZUはローラT-70Mk3のシャシーに自製のカウルを被せてISUZU R-7とした。
TOYOTAはコスワースDFV以外にも3S-GをBMW M12/6とソク〜リに改造した。
HONDAだって1,5L F-1作る時にマセラッテイシャシーを買った。。。。
ニッサンだってシボレー5.5Lを搭載したR-381を日産製と偽ったw。
やることは皆同じwww。
COMING SOON。 HEY GUYS
ハンス.スタックJrが鈴香に持ち込んだワークス.マーチ762/BMWを日本人(名前忘れた)が
購入した?
COMING SOON。 >>692
いやまあシャーシ自体は外国や外部のスペシャリストの製作でも
エンジンが自社製だからコルトF2とかいすゞR7とか呼ぶのはアリだと思いますよw。
後にも「シルビアターボC」とか「スカイラインターボC」、
「日産RxxC」(あ、R390もそうか)の例もあるし。
この手のやつでいうとアメリカでもIMSAのコルベットGTPもローラ製、
BMW-GTPはマーチ製(86Gなので日産R86Vの兄弟)だったりしますね。
あと、内部仕様が公開されちゃってるような種類の市販エンジン
(DFVにしろBMW M12系にしろ)は中開けられちゃって
ライバルメーカーに「中身が」そっくりなものを作られちゃうのは
アリとは思います…ただデッドコピーじゃなくて外観くらいは
自社のアイデンティティというものをねw
他のパターンでいえばフォードコスワースや
イルモアシボレー/メルセデスがそうであるように
外部スペシャリストが作ったエンジンにバッジネーム載せてもらうのは
それはそれで許容範囲ともいえるし…
こっち系の例はジャッドマツダとかジャッドヤマハですねぇ。 >>695
3S-Gが出てくる頃にはM12/6なんぞとうに時代遅れだぞ、それF2やGCで使った18R-Gの間違いじゃないのか?? HEY GUYS
こまけぇこたぁぃぃんだよ!>>699。
COMING SOON。 >>694
いまGTは日産の圧勝だけどインパルとかコンドーのSFトヨタユーザーからコッソリとトヨタのNRAエンジンが日産に…なんてことは無いのかね? >>702
ラルトF3でもこういうのあったし…。
フォーミュラカーが手に入ると人はこういう塗装にしたがるのだろうか。
せめて実在した仕様に…マルボロとかラクダ色ry
そういえばステラからF3000に参戦した92年シーズンの開幕戦で乗った
ローラT91-50は、元小河等車でもあったはずだけどアレはどうしたんだろう。 >>707
スーパーフォーミュラのやつは供給メーカーの一括管理になってて
基本的にレースウィーク中以外はチームの手元に無いんだったような記憶が…。
プライベートテストが行えるわけでもないから持ってる必要も無いし。 HEY GUYS
鈴香のレースでPlease Mr.星野氏のマシンに搭載されたHONDAのV6が
アフターフアイヤーのトラブルでエキゾーストパイプが真っ赤になって
リタイヤしたことが有りますた。
COMING SOON。 HEY GUYS
眠くて
黄色のマウラーを黄色のマフラーと勘違いしますた。
スミマセン。
COMING SOON。 最大で35台くらいエントリーして、土曜で御終いになったのが7台とかね もう金曜の早朝に予備予選するか日曜の早朝にコンソレかバンプデイ入れた方がw。
バンプデイを入れた場合、予選落ちドライバーが再アタックして
各組最後尾のドライバーより速いタイムが出れば蹴落としてグリッド獲得、
その次に遅かったドライバーのタイムを超えればもう一人敗者復活、
というのが制限時間の間だけ繰り返されるという。
91年のオートポリスの長谷見さん(翌年のMINEの星野さんと違って普通に予選落ちしてる)
とかはこの制度があったら敗者復活したんだろうか。 バブル期はアメリカとかオーストラリアでオフシーズンテスト&CM撮りの時代 90年の初戦では、国光が予選落ちしただろ
テレビの取材が入っていたというのに。。。 岩城滉一が全戦予選落ちしたんだよなあ。
(1レース繰り上がり決勝進出) >>721
決勝走ったのって90年の第2戦富士だよね
ピットスタートだったはず 予選日の先輩カメラマンと後輩カメラマンの会話
先 : 岩城の写真、とっておけよ。
後 : 岩城の写真、需要あるんですかぁ
先 : もしクアライアントから依頼があったらどうするんだ。
明日は撮れないんだぞ! ピット裏で殴ってる写真撮ったのはフライデー?
フォーカス?
フラッシュ?
エンマ? GCやF3000の頃は、お行儀良くなってたはずだから、そうだろうね 確か夏の筑波の時だったかな。
あれでライセンス停止の処分になってはいるが、処分実施はシーズンオフという温情判決だったw タイヤメーカーのギブアップでGCが廃止にならなけりゃ、そっちでそれなりに走ってたろうなぁ
富士の4戦だけなら、何年かやってたかも知れない
やっぱ、所構わずタイヤ競争やってたのが間違いだったか
国内メーカーがガタガタ言うなら、吊るしのを買ってくればいいんだし ∧∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|| (゚Д゚,,) | ガタガタ言ってんのは
||⊂⊂ .| < タイヤじゃなくて
|| .| |〜 | >>728のハブベアリングだぞゴルァ!
巛 し`J \_____________
∧_∧
(∀`; )しかもラルトRT23/DFVなんて変態マシンを
(つ||⊂ ) 吊るしのまま使ってるから
( || │ 右のリアホイールナットも緩んでるモナ
(iiiiiiii___) >>728
80年代後半はあまり客入ってなかったらしいよ
JSPC(富士LD)が人気出てきてたし、国際規定のF3000があればね >>730
うん、そうなんだけど、消滅後のF3000がエントリー溢れちゃったのを見ると、
両方あったほうが収まりは良かったと思う
コントロールタイヤなら存続は出来たし、15台程度にはなったはず フランスのプジョースパイダーカップ
(92年にもLMP同等の扱いでルマンに出走可能で、
ウェルテルが作った車両は後に自社のルマンカーの原型にもなった)
ほどにもね…。
RSとレギュレーション擦り合わせて混走可能にして
富士以外でもイベント開催する、逆に鈴鹿のRS勢が富士に遠征して
一緒にレースするとかいう形が取れたらよかったかも。
シリーズが長期的に続けば当初の由良さんの目論見通りで
F3チームの中古車の売却先のひとつとして成立することにもなったし。 90年のF3000は、決勝出走枠を28台に拡大することが無ければ毎回9台が予選だけで終わってたことになる
今考えれば、勿体無い話ではあったna >>734
プジョー905スパイダーあったなぁ
当時の雑誌でも殆ど取り上げられなかったけど
日本でいうザウルスみたいなもんかなと思ってた 実際モノはそんなもんだったらしいよ。大会スポンサーであり
かつエンジンサプライヤー(確か405ターボかなんかの2リッター直4ターボ)
のプジョーがデザインした指定品のカウルを載せて、確かタイやもワンメイク。
ただしシャーシだけはウェルテルを含めた複数から選べたはず。 今日本屋で「80年代レーシングカーのすべて」なんてエロ本を発見!
出てるよ〜黄色いマウラーが!
バイゼロ86Jホンダも出てる。 バイゼロってなんだったっけ?
どっかの商社が倒産して西武だかに拾われたんだっけか >>738
ありがとう。即買い。星野ひかるや白石ひとみの無修正並の懐かしエロ本だなw F2、GC共用マシン、サンダーLMが載ってないのが残念… >>730
むしろJSPCの方は国産ワークスカーの台頭で
市販マシンや払い下げ車・中古改造系で安価に競争力を保つのも
厳しくなってきたという問題もあったから、
そこにGCカーを突っ込んじゃう選択肢もあったんじゃないのかな。
そこからまた元のF3000に完全復元することを前提としなければ
給油用の穴を開けるのは問題ないし(もしくは給油レース時代の装置でもいい)
3リッター規格になって以降のF3000は大半カーボンモノコックだから
初期のラルトで参戦しようとかいう変態さんでも居ない限りは
安全性の懸念も少ない。
元々がスプリントマシンだから懸念される耐久性の部分は
エンジンのレブリミットとか規定重量、タイヤのグリップとか
そういう辺りで調整すれば良い。 >>742
F2は初年度のみでGCでは数年使ったんだっけ?
GCでも単純にフォーミュラに後付けでタイヤハウス付けたようなデザインだと空気抵抗が大きくて平凡なデザインに変わっていた記憶がある カウリングってのは、重量増加分の仕事はするからな、キッチリと
ホイールハウズ部分以外はペタペタってのが正解かもな >>744
ミドルフォーミュラの名門ウェストが元々はFJJ(後のF4)として開発した
WEST936をベースにサイクルフェンダーとか付けて作ったRSマシン
(タイプナンバー自体はWEST936で同じ)も
当初はアラードJ2Xとかプジョー905Evo2「スーパーコプター」みたいな
ある意味前衛的な形だったものが、
車体と離れたサイクルフェンダーの穴が塞がったりと段々平凡な形に…。
しかも最初に導入したおなじみ大城先生からして
結局程なくオスカーSK52に乗り換えちゃったりして、
2台程度出走してたのが早々に絶滅してしまったという…現存車あるんだろうか。 一度間違ったものを刷り込まれると修正が難しいってのを痛感する
フォーミュラカーなんて、ただの懐古趣味・時代錯誤なのにな >>743
鈴鹿サーキットから提案があったけど
富士側に却下された。 >>734 RSとレギュレーション擦り合わせて混走可能にして
JLMCで混走している
やや GC21 の方が速いけど給油で、、、 っていうかJLMCの時のGC21って
大半の車がバッテリー点火+オルタネーターレスのまま走ってたとかで
車載バッテリーの残量が怪しくなるとバッテリーごと替えてませんでしたかw
あれを何とかすればだいぶマシだった気もするのです…。
実際コレクター所有の中古F3とかではオルタ&スターターモーター付きも
少なからずあったと。 >>747
当時のドライバーがF3000が最も動きがシャープと言っている
F3000>グラチャン>グループCプロト
近藤真彦がポルシェ962はF3なんかよりもツーリングカーのBMWM3に近いとテレビ朝日の放送で語っていた
ドライバーの腕前を競うには単座のオープンホールが最適 まあマッチの乗った962Cってのは多分あのタイサンのGT仕様で
ハンデウェイトがえらく載った仕様
(といっても、それでも並みのツーリングカーより充分軽いんだが)
ではあるんだけどね。
関谷さんも「マクラーレンF1も実は案外乗用車寄り」みたいなことを。
フォーミュラはタイヤ周りの乱流「さえ」上手く整理出来ればよくて、
だから規制の厳しくない頃はフロントウィングの翼端板周りや
サイドポンツーン後端に仕掛けをして「タイヤ前側に風が回り込まない」とか、
さらに前輪側はターニングベインなんかを付けてタイヤの後ろで乱れない処理もしてたでしょ。
物理的なフェンダーは無いけど見えない空気の壁で出来たフェンダーがあるってのは
それはそれで合理的な設計だよ。
実のところ今でも、わざわざ「エコカー」と呼ばれる車種なら当たり前として
割と普通の乗用車でもタイヤ周りの整流に関してはあのアイデア使われてるからね。
タイヤの前側に流れ込んで「そのままだとタイヤが踏んづける」空気を逃がしたり
タイヤハウスから吐き出して後ろで乱れる空気を上手く整流すれば
かなり空気抵抗が削れるってことで。
レーシングスポーツカーや「スーパーカー」の比じゃなくタイヤの下側が露出してる
量産市販車においてはこれは重要な要素。 あ…いや三州瓦カラーのあのロングテール962GTIにもマッチ乗ってるか。
あれは1994年規定のフラットボトム/ロングテール仕様とはいえ
一応きちんとGr.C規定なやつだ。
しかもGTI-RLRだから同等の改造をした普通の962Cよりは
剛性もダウンフォース発生量も多くてシャープに動くやつ。
そう考えると速さはともかくマッチの「色々なレーシングカーを乗り比べた経験」
てのは案外バカにならないな。
古くはニスモワークスのR30スカイラインGr.Aにも乗ってるし
80年代後半から90年代初頭のF3、あげくF3000に本物のGr.Cまで経験してると。 長文でもそれでいい、と思わせるような文章じゃないとな。 >>752 >>753
もしかして、特殊学級でしたか?
「ドライバーの腕前を競うという趣旨のレースには単座のオープンホイールの車が適している」という話を
しているのだけど。 昔書いたけど、確かにドライバーの腕前を競うにはオープンホイールが最適かもしれんけど、
安全性考えるとグラチャンみたくカウルがある方がいいのじゃないかと思った。カウルがあることで
リスクが増える部分もあるだろうけど。でも結局ヨーロッパの「文化」としてオープンホイールなんだ、
という話なのかな。日本の力士が頑なに廻し使うようなもんだと。 そこはインディカーのオーガナイザーとダラーラが
ある意味で最善の妥協策的な解決を導き出したでしょ。
あれでも空飛んじゃうほどのアクシデントはしばしばあるけど
そのくらい派手に当たった時はGCカーでも飛んじゃう
(しかも床面積がでかいから飛んだ後はメルセデスCLRや911GT1みたくなる危惧も)
のでは。
それにしても、NHKの番組宣伝で「レッドブルエアレースのラウジッツ戦を近々オンエア!」
とか言ってるのを見るたび、この時期にラウジッツでやるって何とも皮肉な話だなと…。
無論ザナルディの事故を思い出してしまうというのもあるけど、
もしオーバルコースの上をエアレース機で周回してみたとして
当時のチャンプカーの方が速いんじゃね?と。 あれ、脳に先天的な欠陥があって、文脈を理解できない。
単語に反応して長々とゴチャゴチャ書いてるだけ。
その書いていることも主観だけのもの 物事を客観的に見るということができない知的ボーダー。
知識を詰め込む能力は人並みにあるようだが、考える頭がない。 星野はテレビ中継しているのにアホなこと言ってるな 笑
スポンサーから何か言わないのかな 何であんな客入ったのかな?バブル時代。
エントリーも30台超えて予選落ち出たし。 >>766
予選、台数が多すぎてA組、B組に分けた年もあったんだっけ? >>766
F1ブームの余波でミニF1って見られ方してたから バンドーン程度ならヨハンソンの方がよっぽどインパクトあったわw ヨハンソン、リース、アチソン、チーバーあたりは全盛期の星野とやりあってたからな インパクトはシューマッハー弟よりヨハンソンの方が感じたな。
F1ではシュー弟の方が遥かに出世したが。 俺はバンドーンは率直にすごいと思うけどね。
まぁ来年みてりゃわかる…と思ったが、車がアレでは活躍できるかどうか…
アレジだって日本に来たけど、大したことなかった。
F1はまた別なんだろうね。
アチソンはそんなにインパクトなかったな…
俺的にはモレノのほうがすごいと思った。 デラ ロサ は
”チームスタッフが顔に落書きした”のと ”J-Mens" しか印象がない あの年のNOVAのローラは秀逸だった。
相棒の飯田は圧倒的に遅かったから、ロサの強さが目立っただけでは? HEY GUYS
鈴香で圧倒的な速さを見せたJ.ラフィトとシェブロンも忘れないで下さい。
COMING SOON。 >>777
アドバンも本命はモレノだったみたいだね。でも当時のモレノは生意気で
F1のテストとか真面目にやらないとかで顰蹙を買っていた記憶が。
その後F1ブームが来て、一般人の認識では日本GPでピケに次いで2位になりピケと抱き合い号泣。
その後シュー兄にベネトンを追い出されるというやさしい可哀想な禿のおじさん、という所だろうがww
デラロサは96年は凄い危ない奴で結構他人を巻き込んだクラッシュしていた記憶があるのだが、
翌年は超安定してて危険な事もなくチャンプになってびっくり。96年最終戦でも誰かを強引に押し出したと思ったが
本人は2位になってるんだよね。危なかったてのは誰かとの勘違いなのかな・・・。 禿のおじさんったって確かあれで亜久里と(ということは高橋徹とも)
歳変わんないんだったと思ったぞw
逆にいえばロータスでマンセルの代役に乗って予選落ちした時が
あの風体で凄い若かったということだ…。
同じ頃に欧州選手権ではマーチやローラが一応はカーボンモノコックになってる中
アルミの弁当箱のラルトで鬼のように速かったんだから
まあ少しばかり生意気でもわからないことはないw
しかし旧弊ヘナヘナ系最右翼のラルトでも前衛ガチガチ系最右翼のレイナードでも
同じように速いってのはあの禿ただの禿じゃねぇ…。 あーそうそう見た目は老けてたけど若かったんだよねモレノw
確か85年シーズン後のオーストラリアでのFPかなんかのレースで
F1チャンプ連中を蹴散らして優勝した事も印象深い。 >>785
自己レス
84年のオーストラリアのフォーミュラ・アトランティックだった。 >>788
「オレ様列伝」しつこくネタにされてたけどこれは... HEY GUYS
時計回りFISCOの6kmで初来日してポール to winを獲得したF-1パイロットって
J.スチワート位のモンでせうか?
COMING SOON。 逆回りショートの日本インディもスチュアートが勝ってるんだよな。 HEY GUYS
J.サーティーズも地震のTS-10/BDAで勝っているけど左回り4.3km。
COMING SOON。 HEY GUYS
漏れの勝手だわな>>796!。
COMING SOON。 HEY GUYS
占術板のカキコは漏れの幅広い知識に嫉妬したニセ者。
漏れはモタスポ板とPure Aidio板しか今はカキコしてね〜からね。
COMING SOON。 ここは昔の事しか語らん、じいいのたまり場でしかないがな
知識に嫉妬ですかあ?
タイヤグリップの「不安定な状態」すらも知らなかったのに(笑
これで思い出したかな〜 「半角知ったか」・・・ あの、コパスレなんかに興味があるなんて爆笑ものですよ。
おれはただただ、バカにするがためと、遊びで書き込んでるだけだからねえ。
コパなんぞ理論もへったくれもないし、クネクネのように、教祖様のいう事なら盲信することと同じことで、
そんな、何も探究心のない奴しか来なくて、ずっと以前から過疎っているスレなんだからよう(笑
車だって同じだよ。俺たち凡人は、ある程度の理論と使い方を知らなきゃ速く走れないからねえ。 >>797
KE007 009 の資料のアップ まだぁ〜 HEY GUYS
汚舞>>803も本当にしつけぇ〜な〜。
COMING SOON。 HEY GUYS
漏れをリスペクトしているなら
ワンパターンは止めて気の利いたカキコを汁!>>806.
COMING SOON。 HEY GUYS
マウラー、マルテイニ、トールマン、ラルト、サーテイズ、ロータス、GRD。。。
これ等のマシンは今どぉなっているんだろ?
COMING SOON。 マウラーがグスタフ・ブルナー
トールマンがロリー・バーンだったっけ シェブロンとかも現存マシンあるんすかね?
B35/40、 B40、B40/42、B42、B48とか
GCのB19、B21、 B23、 B36とか >>818
結構前になるけど B19 は
JLMC のサポートレースに出ていたね HEY GUYS
シェブロン追加
B21P:ExワークスTOYOTAの鮒子田氏がシェブロンから買ってきた元ワークスカー
B23/26:風戸氏がマーチ/BMWの禁を破ってM12/6を搭載した。
でもシェブロンはB19からB36まで殆ど外観が同じですな。
COMING SOON 松本恵二、容姿もヘルメットもカッコ良かったな〜。
サウンドオブエンジンとたかでたまだまだ見たかったな〜。。。 F2の頃に出たと思われる恵二さんのドラテク本を読んだ事があるけど
峠で速く走るなら反対車線も使えとか書いてて笑ってしまった >>822危ないなw
ガキの頃、早逝した父親を慕ってくれてた方がF2観戦で西日本サーキットに連れて行ってくれたな。
その時のエントリーすげーよ。
星野一義、高橋国光、や中嶋悟が走ってた。
その後、二輪でレースやったけど、すり鉢とS鉢はタイヤマイヤ注意されたし注意した。 >>822危ないなw
ガキの頃、早逝した父親を慕ってくれてた方がF2観戦で西日本サーキットに連れて行ってくれたな。
その時のエントリーすげーよ。
星野一義、高橋国光、や中嶋悟が走ってた。
その後、二輪でレースやったけど、すり鉢とS鉢はタイヤマイヤ注意されたし注意した。 >>822
あの手のドラテク本は ほとんど清水和夫が書いていたという噂がww >>824
大事なことだったんだねw
80年前半くらいかな?
タイヤマイヤって何? >>826ゴメン夜勤明けで寝ながら書いてたw
タイヤマネジメントって書く積もりがw オカモトスペシャルが売りに出てる件…。
ヒストリックレーシングカーイベントでちょくちょく走ってたやつだよなコレ。
http://page24.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q138956370 とても簡単な自宅で稼げる方法
念のためにのせておきます
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
3OOE9 ハセガワのF3000プラモ類を見ていての疑問。
フナキレーシングのクラブアングル・レイナード89Dは
ボックスアートや箱・説明書の実車写真でもエンジンカウル非装着、
説明書の指定でもエンジンカウルは不要部品扱いで、カウル装着時用のデカールが
一切付属しない状態(インダクションポッド部に貼るデカールがある仕様)ですけど、
実際全くエンジンカウル付けて走ったことって無いんですか?
「開幕前のテストでは付けたけど、外した方が何らかメリットがある、もしくは
あってもなくても空力面で差が見受けられないと判断したので、ならば軽い方が良いと外した」
とかいうのは、ローラT89-50は無いのが標準だったから考えられない話ではないけど。 型番上は存在すると聞いていたが姿を見たのは初めてだ…。
http://www.dlg.speedfreaks.org/archive/cars/ralt/autos/4539.php
ディテールを見ると、「猛烈に無個性」というのはまあ置いといて
88年型だと思ったら想像以上に良く出来てるし、それまでのラルトから思えば驚くほど細いw
問題はこんなん作ってたにも関わらず、その次のRT23と24が何であんな太ましいものにry ちなみにこっちのサイトに売り物と詳細画像が。
http://indycompetition.com/a1gpgp2f300indylights.html
それにしてもフォーミュラニッポン・スイフトまで持ってる人がアメリカに居るのかい。 星野・高橋健二・ジェフリース・中島悟らが走ってた頃のPOTENZAのCMがかっこよかったな。 コンディションは幾らか残念なものの外観仕様が興味を引くこのマシンは
現役当時は誰の乗ってたやつですかね。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b330579537
多分これムーンクラフト製アップデートエアロキット装着車の1台ですよね?
元ギルバート・スコット車と思われるトリコロールカラーの車両
(そもそもアレはT92-50だし)は蓮池レーシングサービスにあるようで
http://hrs-car.co.jp/
かつ出品車両は比較的モノコックの車番が早い方で、数少ない93年型のMCSキット施工済み車。
ということはまさかのexホシノレーシング車とか? ホイールにserumoって書いてある?
コスモオイルカラーっぽい気も… 93年のコスモオイルならアーバイン!?
と、思いきやwikiを見ると93年はT92だったらしく、翌94年の黒沢たくや車? 94のセルモ黒澤はT92⇨T94…だったと思う
あと考えられるのはステラの93ラッツェンバーガー⇨94AGスコット車かな
これもMCSカウル
あと94年途中にステラがもう1台T93+MCSカウルを出してた(和田久)
このヤフオクの個体はミッションがT93純正の横置きなのが鍵になりそう(自分で出しておいてアレだがステラはT92の縦置きに換装してたはずなので) ホイールと色からしてセルモじゃないの?
93に投入予定がいいセットが出せず結局使わなかったとかそんなんで… T93の初期評価は「これならT92の方が上」で前年車両を継続使用してたチームが大半だった気がするが。 マルティニが「ギア入らない」って激怒して、フレンツェンは器用なので
スムーズにギアシフトをする方法を発見することは出来た。
だが本質的な問題はもうそんなレベルじゃなかった、っていう最初のシェイクダウンの時の顛末思い出した。
スクーデリアイタリア・ローラ・フェラーリに使ってるケーシングと同じやつで、
F1用だと6速のギアが入るべきところにスペーサー突っ込んであるとかいう卒倒レベルの無茶設計で、
だからF3000用としては幅広過ぎるうえに重くて使い物にならない、
ましてやF1用としても「F3000で既に重いようなものがF1で使い物になるわけがない」っていう。
その上でシーケンシャルなのに入りが悪いとなると、そりゃもう何考えて仕事したらそうなるんだとw
結局手っ取り早い対策はT92-50用の縦置きに交換すること
(レイナード89D→90Dの例と同じで、縦置きと横置きのミッションとデフの位置関係の違いから
長さが変わる件に関してはオイルタンクかなんかを間に入れて翌年の仕様変更の準備はしていたらしく、
不幸中の幸いでホイールベースの辻褄合わせは比較的容易に解決した)ということで
売却済みとかの理由で車体ごとT92-50に戻せない事情のあったチームの多くは急遽それで対応。
でも代理店たるノバはそれをやっちゃうわけにはいかないし、
「ギアボックスごとの交換」を敢行出来ないお客さんへのサポートも当然の義務ということから
ローラの尻叩いて対策品のきちんと軽量化されたミッションケースとか、
コツを必要とせずに操作できるシフトドラムとかを用意した、てな顛末だったと。
で、T94-50以降も基本仕様はこのT93-50用改良版の横置きが標準仕様だけど
ホシノレーシング辺りは横置きシーケンシャル自体に決定的に信用無くしてたんで
オプションで縦置き仕様のT94(こっちがT94-51)という仕様も用意されることになったんですと。
ちなみに欧州F3000がワンメイク、全日本がマルチメイクのまま継続されるようになって以降は
欧州用が-50、全日本標準仕様(横置きシーケンシャル)が-51、縦置き仕様が-52とのこと。 ちょっと翻訳してみるわw
T93は横置きミッションがF1と共用でデカくて重いので、T92のものに換装するチームが続出。
代理店のノバは対策しつつ純正品を使用。
翌年以降はオプションで縦置きシーケンシャルとH型6速もオーダー可能になる。
こんなところかw そういえば「売却済みで旧型に戻せないパターン」で思い出した。
92年の開幕戦はローラ勢は全員新車が間に合ってなくて
(オーダーが早かった極一部のチームには渡ってた説もあったけど使われてない)、
全員がT91-50かT90-50で臨んだ(童夢からF103を受領して持ち込んでたヒーローズも最終的に前年の右京のローラを使用)
という所で、何故かヴァイドラーの車が前年の最終戦で優勝した時の自分の車じゃなくて
急遽伊太利屋ハヤシレーシングから前年後半にジェフ・リースがジャッドエンジン(KVの先行開発型にあたる
外観はBVのままボア×ストロークだけ弄ったものだった模様)積んで使ってた車を回してもらったんですと。
最終戦で優勝したわけだし別に壊しちゃったってことは多分無い。それに91年まではTカー使用可だったので
T90-50も手元に残ってたっておかしくないのに何故というミステリー。
ノバの3台目として金石勝智がデビューしてた(スポンサーのライベックスの経営破綻で序盤限りで撤退)けど
ヴァイドラーが乗ってた分がこっちに回ったって訳でも無いですよねぇ。
そういうことならよっぽどルーキーの金石車の方が他から回してもらった車だったり、
もし手元にあればT90でも構わないって話になるところなので
やっぱりヴァイドラー車が売却されて残ってなかったオチかと。 さらにはムーンクラフトも、やっぱり92年型の新車(こっちは最終的にレイナードを導入)が
間に合ってなくて2台ともローラだった訳ですが、
前年の後半時点では確かトステムカラーの中谷車がMCSカウル付きT91-50(前半は同種の改造をしたT90-50)、
PLUSカラーの服部車も後半からMCSカウル付きになる(中谷車と入れ替えたのかカウルだけ用意したのか不明)ので
当然前年の最終戦時点で使ってたMCSカウル装着済みの2台が揃うものと思いきや、
ブラバムからのF1デビューが頓挫して急遽ムンクラの2台目として全日本F3000を継続することになって
プレシーズンテストに臨んだ中谷の車両が無塗装カーボンブラックのノーマル新車のT91-50だったという。
このノーマル新車のT91-50自体がそもそもどこから出てきたのかが不明なのはもちろん
開幕戦でトステムカラーに塗られて出てきたその中谷車はMCSカウル未装着のままという
「去年使った車体はおろかカウルもどこ行ったんだ」の何重にも重なるミステリー。
「MCSカウル施工済みの中古のT90やT91」というのは、英国や豪州までは確認していないものの
少なくとも日本国内では誰も使ってないし。
なおのこと運の悪いことには、新車で確保したばっかり。だから開幕戦を終えたら高く売れたであろう車が
あのレース終盤の大事故でたった1レースで全損になってしまったという点でもあり。
ヨコハマタイヤのOBだった人が東京R&Dの協力で立ち上げたんだったアド・レーシングは
早々にレイナード92Dが手元に届いたうえに前年使った91Dも手元に残してあって、
でも結局は新車の方を使ったんだったはず。91年もレイナードとローラT90-50の2台揃えだったかと思いきや
程なく財政難で畳んでしまうという、結局金があるのか無いのか分かんないチームだった。 書籍に掲載された統合失調症「支離滅裂な思考・発言」という吹き出し付きイラストをパロディー化し、セリフ部分を改変するインターネット上の「遊び」が、出版元による注意喚起から1か月以上経ってもやまない。
書籍は統合失調症に関するもので、「支離滅裂な思考・発言」は統合失調症の一症状を紹介したイラスト
「支離滅裂な思考・発言」が示しているのは、ナツメ社(本社・東京都千代田区)が出版した『図解雑学「心の病と精神医学」』に掲載されたイラスト。
統合失調症の症状として、シンプルな描線の人物が「今日は晴れですね。晴れといえば、僕の誕生日は来月だけど君はお肉が好き?」と話す吹き出しが付けられている。
この一コマがシュールかつ汎用性が高いなどとして、セリフや人物を改変する「大喜利」がツイッターをはじめネット空間で横行。
2018年6月ごろから目立つようになり、タイムラインをのぞくたびに一度は見かけたというユーザーもいるだろう。
だが、過熱するユーザーはこうした呼びかけにもパロディー画像を返信。「フリ?だよね?」などと悪ふざけする人さえある。
あるツイッターユーザーが2018年11月6日、「【 使わないで下さい 】 支離滅裂な思考・発言 の画像 出版元より声明文が出ています」と呼びかけ、
ナツメ社の発表文のスクリーンショット画像も添付。2万5000回以上リツイートされるなど注目された。
ナツメ社の注意喚起が「患者やその家族への配慮」を求めるものであるため、
「統合失調症と闘っている患者と家族がいるんだから、『支離滅裂な思考・発言』コラの使用は慎んでくれっていう旨のツイートにこういうリプしてるやつら本当に胸糞悪い」
「このリプ欄でも分かるがキッズは注意したところで止めないし、沈静化するのを待つしかないだろうな」
と、そのメッセージを受け止めたり、過熱するパロディー投稿に不快感を示したりする向きもある。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181111-00000002-jct-sci&p=1 >>846
まあ補足しますと、「F1と共用で本来6速対応」だったからサイズが嵩むって方はともかく
(当時ヒューランドのお品書きでは歯車そのものは「TPT」ってタイプがF1用と3000用の
横置きミッション向けでは共通。リバース+5組か6組かの違いだけ)、
それが並みのF3000用より重いってことの方が問題だと思うんですw
ホントにF1用だったらそれこそ高価な素材使って薄皮1枚みたいなもん作ってでも
凄い軽いのに高剛性ってのが出来るんじゃないかと。
もちろんそれがF1だと何レースともたない(トップチームは1〜2レースで捨ててたとか聞いた)
として、F3000なら大事故で割ったりしない限りは
出走・購入台数分にスペア1個あれば足りるんで、その点では決して理不尽に高くつかないはずです。 してくださいw
私の頭じゃ「幾ら1段多かったからってF1用のギアボックスがF3000用より重い」
てのがどう考えても理解出来ないし、F1用の要求性能クリアしたらF3000で使う分には
クラッシュとか内部構造の破損による所謂「破裂」みたいなやつとかで割っちゃった場合を別として
普通に使ってる限りにおいてワンシーズンどころじゃなく持つだろ、としか思えないんで。 一般に言われてるところでは当時のF1が700馬力でレース距離300km強、車重500kg、
F3000だと480馬力前後で車重540kgでしたっけ?
ただ日本の場合はタイヤの関係で駆動系のストレスはF1と大差ないほど掛かってる説もありましたが。
で、F1の場合はチームの財政状況にもよるけどケースからドラシャから全部1レース使い捨てでも良し、
F3000だとクラックチェックとかをして使える物は継続使用することもあるので
ミッションケースみたいな大物は破損がなければ1シーズン使いますよね。
中谷選手のレイナード92Dが外れモノコックでミッションケースにストレスが加わる傾向があって、
剛性が落ちたように思うのでとレイナードにスペアがあるか問い合わせたらたまたま在庫が無かったとか。
そういえば91Dの時はエンジンとミッションの間を繋ぐ補強ブレース状のパーツがあって、
チームによって付ける付けないの違いがあった(チーヴァー車が無し、ミカ・サロ車が有り)
なんてのもあったので、92年のムンクラがどうしてたのかも謎ですが。
無しで使うことも出来るってことは、モノコックの個体差やらタイヤの相性やら色々な要素によって
そこで調整しろって種類の物なんだろうし。 ハセガワの1/24スケールF3000プラモシリーズが順次再販中。
リリース済みとかアナウンス済みがキャビン(ローラ・レイナード両方)・伊太利屋・ワタナベ・
PLUS・スピードスターといった辺り。
煙草ルールをクリア出来そうにないキャメル・EJR(キャビンは終売になったからセーフの模様)
と、需要的に微妙なポールスチュワートの国際F3000の2チーム分に加えて
ワコール童夢(ローラ・レイナード)といった辺りが見送りで他は大半出る感じか。 JT、セゾン、トステム、サントリー、PLUS、ワコール、いい時代だった。
1990年
鈴鹿ラウンド CBC(TBS系) 4戦
富士ラウンド テレ朝、テレビ大坂(テレ東)2戦、TBS
西日本 山口放送(日テレ系)
菅生 東日本放送(テレ朝系)
今じゃ考えられない…。 >>859
なんでバラバラのままだったんだろうね。Fポン直前にようやくフジに統一されたけど。
なにより駄目なのはTBS系は全国ネットとは言えなかったからな。TBSこそ頑張って
全国ネットすべきだったのに。 西日本の日テレ系がよく解らないけど
鈴鹿は SMSC
富士、菅生は ViCIC が主催者だよね。
あと時代的に 地方は 民法2局で
テレ朝が無かった可能性があるね。 放送内容は鈴鹿地元のCBCが一番堅実で見応えあったけどな。
フジとかF1ブームに乗っかったミーハーイメージしかないwww 言われてみりゃCXはフォーミュラニッポンになるのが決まったところで
シーズン丸ごとの放映権買ったけど、
それまで全日本F3000放送したことがまるで無いどころか
F1以前にモータースポーツイベント自体を放送したこと自体がかなり稀有なような。
日テレは富士スーパースプリント(2輪)を放映して、若き本間利彦に早くから注目したりと
意外にもモータースポーツとの関わりは長いし、
TBSは76年の富士で開催したF1グランプリだって放映してたり
系列局のTBCが2輪のシーズン最後のお祭りレースの冠スポンサー&TV制作・放映したりと
モータースポーツ慣れしてる。インディ500も長いことやってたし。 90年代のTV中継だと、
テレ東?12ch?も結構やっていなかったっけ? そういえば昔は、鈴鹿の場内放送って
CBCのアナウンサーじゃなかったっけ? >>862
だからこそTBSはちゃんと全国ネットやるべきだったんだよね。
そういやウチの所にまだテレ朝系が出来てない時なので直接は見てないが、
テレ朝の初F3000中継の時、フォーメーションラップで各車ウェービングやってる時
実況アナが「4輪ドリフトですね!」とほざいたそうだなwww さースリップストリームからーサイドバイーサイドー!
シュワンツ前に出るか!おっとレイニー押さえた!これは凄い凄い!
2台がもつれ合う/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\最後の130Rへ!激しいブレーキング競争
さースリップスト| うるさい黙れ |バイーサイドー!これは福田さん
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\_____ _/ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∨ (゚Д゚ )
<⌒/ヽ-、__ノヽノ |
/<_/____/ < < モーターランド
モーターウイークリー
ハヤシ サウンドストリート 90年の鈴鹿F3000開幕戦2&4のCBC、高田純次のバラエティと化して最悪だった。 でも89年までは関東は1週もしくは2周遅れの録画だったんだよね。
90年に当日深夜になり(5月はインディがあったから翌日)、91年から当日昼間録画。
92年は小河さんの事故を半ライブで見ることに…。 90年のモタスポメディア事情
F1 当日深夜録画
WSPC BSでナマもしくは1周遅れ録画。地上波で周遅れダイジェスト。
WRC BSでダイジェスト
インディ 500はTBSでナマ。他のシリーズはBSで録画。
IMSA 日テレで深夜にダイジェスト。
JSPC 富士と鈴鹿はテレ東で周遅れ録画。菅生は宮城テレビ(日テレ系)で当日深夜録画
JTC レースドニッポン周遅れ録画(テレ東)、インターTEC当日昼録画。
インターF3 フジで当日深夜録画 昔 CBCラジオで日曜日の午後9時半くらいから
モータースポーツ番組やっていたとおもうんだけど
番組名何だったっけ >>861
山口にはTBS系と日テレ系の局しかなかったんじゃなかったっけ
西日本がMINEに改名されてからテレ朝系の局ができたけど
おかげでFポンになっても地元の放送局がないもんだから
・イベントの問い合わせ先 広島のテレビ新広島
・中継スタッフ フジからの派遣
・実況アナ フジからの派遣or九州かどこかから派遣
とかごちゃ混ぜな感じになってた モータースポーツダイジェストという名番組を忘れてはいけない… プレイドライブとレーシングサービスワタナベがスポンサーだったな。モタスポがメジャーになってきた1986年頃終わった。 ワタナベと言われて自動車教習所の方かと思った。
っていうかあの松本恵二さんのスポンサーしてた教習所って
未だにどこにあってどんだけ儲かってたのかも知らない。
今思えば幾らバブルの頃ったってF3000とGCの1年分かよと。 ヨコハマタイヤのCMに
昔のF2の映像が使われてるね。 しかし国内トップフォーミュラーが大盛況だったのは、バブルの一時期だけだったのでは?
客、スポンサー、エントラントが。
おれ80年代前半は知らないのだが、F2はけっこう盛り上がってたの?国際性はあったから。
確かスポットで欧州勢来日してたんだよな? ジャコメリっていわれてライフで予備予選落ちまくってた人と思ったり
アルヌーって言われて妖怪通せんぼじじいと思ったりするのがモグリってレベルだわw
しかし型番からいえば当然あるはずだとは思ってたけど
リザルトから見るにコジマKE008ってのは、76〜77年時点で作られたと思われるものが
78年時点でまだ優勝するレベルで走ってるってことは結構成功したF2マシンなんですね。 優勝は番狂わせだったと思う
星野脱落、中島トラブルか
あの当時はシャシー設計寿命は長かった。
国内だと傑作マーチ742が長年走った後で、基本設計が同じNOVAシリーズも長寿。シャシーがヘタったら国内でマーチレプリカを作っちゃったらしいし。
革新的だったマーチ782も国内ではすぐには結果が出ず。
だから、確か77年から参戦したKE008でも設計は問題なかったかと。
79年からウイングカー本格参戦で前年設計は毎年陳腐化するようになった。 ジャコメリ : タイヤトラブル
パトレーセ : オーバーヒート、失敗作シャーシ
ピローニ : 操作性に問題、(フットボックスが狭かった?)
アルヌー : エンジントラブル
ワォーイック : 中嶋に追突
星野 : トップ走行中、ドライブシャフト折損
中嶋 : 体力不足(中盤まで2位で後方を抑えるも、最後はあっけなく陥落) ほぼ全員F1トップクラスで活躍した豪華メンバー
アルヌーににしたってルノーではプロストより格上だったような
F2上位は全員F1進級が普通だった時代
F3からF1に行ったプロストが珍しかった
ルマン商会が保有マシンに積極的に外人を乗せてたよき時代 記憶よりも日本人少ないのな
外人がいないと寂しいレベル と言われても
中嶋 VS 招待外国人(アルヌー除く)を軸にレース進行して
最後に 国さんが持って行った。
って印象しかないもん。 国さんはこの頃は、ポール取ったりトップを走ったり優勝したりはほとんどなかった。このときも走り勝った印象ではなかったよね。 このレースで国さんは低迷から抜け出したんだと思う。
KE008のホイルベースの問題とか色々有ったからね1978年は。
あのレース今宮さんも西山さんもとても高評価をしているよね。
国さんの写真集の後ろに記載の解説を読むと生で見ていないのが本当に残念。
翌1979年はまた調子が悪くなってしまうけど(exジャコメリ車を手放したあたりから)
GCのインター200でスピードスターGC1(KE008+13B)でまた復活。これはテレビ観戦していたんで
長谷見MCSとのバトルは見応え有った。 ニューヒーロー! ナカジマ!
老戦士! 高橋国光! 70年代後半〜80年代前半はモタスポ暗黒期。まあ今も変わらんが。
まだ当時俺はヲタじゃなかったが、それでも80年代前半の鈴鹿F2はカルト人気はあって、
世間の話題にはならん割には客は入ってたんだろ?当時はF2もまだ国際カテで招待外人いて。
同じ頃富士GCはガラガラで、そのくせ入り口には珍走団が集まって来ていたと。 そういえば86-87年のポストシーズンテストでは
ホンダとBSが持ち込んだ、86年シーズンの中嶋/サックウェル車(乗り替わりでシェアしてるので1台)だったとされる
ラルトRT21/無限RT386(エンジンテスト用に途中から387だった可能性も)
は日本に送り返されて走ってるんですが、
マーチ傘下の「新生ラルト」になってレイトンハウスとか中企とか比較的多くのチームに使われた
91年のRT23以降を別として、それまでのラルトのF2/F3000マシンってのは日本で実戦に使われた例はあるんですか?
F3だとあまりに時代遅れになり過ぎてダラーラに取って代わられるまで定番車種だったのに
トップフォーミュラでの戦績は意外と聞かないので。 >>891
盛り上がりは小さかったけど暗黒期という印象ではないな
バブル崩壊で一気に沈んだショックみたいのがないから RT-1は77年だったかに持ち込まれ、いつから参戦してかは忘れたけどその年のJAFGPにカプリコン1カラーのD.サリバンが乗ってた。
戦績は高原さんや桑島さんが乗ってもさっぱり。
干されていたとこを和田さんが78年のG20に借りだして速さを引き出した事が有った。それが和田さんの転機に。
RH-6は81年の2&4に中嶋さんが一度だけ参戦。次戦からマーチ812になってお役ごめん。走行シーンはつべのキヤノンAE-1プログラムのCMで見られる。
82年のG20、GPにヨーロッパからファクトリーが参戦するまで国内F2では走って無いはず。
記憶が曖昧ですまんが83年は記憶なし。84年のJAFGPには最後のユーロピアンF2チャンピオン凱旋で参戦してた。
84年は生沢さんのとこがD.スコット/T.ニーデルがラルト走らせていたけど
パッとしなかった。 F2 以外では
FP で RT-1、RT-4、F3 で RT-1、RT-3
GCに RT-4 シャーシが使われたことがあったと思う。
i&i が使用した RH-6 80 は
後に 81 風のカラーリングにして展示していた。 https://youtu.be/9H7abbMpGks?t=565
FPのラルトRT-1
83年のGCで長谷見ラルトRT-4って小さいんでつるしのMCSカウルじゃなくって少し小型のワンオフだったなあ >>891
70年代中盤がオイルショックによる暗黒期で
70年代後半は立ち直り始めて
池沢さとしの漫画”サーキットの狼”がヒット>スーパーカーブームが
モータースポーツの飛び火した感じだったと思う。 つまりはライバル陣営もアルミツインチューブモノコックで当たり前って時代には
F2でも少数が使われたこと自体はあって、基本的にはあまり成功しなかったので
少数派のまま終わっちゃったって感じですか。
その後はF1とトレンドを同じくして三角断面アルミハニカムモノコックになり
F2最後期→F3000初期ともなるとカーボン/アルミ混成やフルカーボンまで移行するので
旧来の形のままだったラルトをあえて使おうというチームが出てこなかったというくらいに。
GCなら使えるってのは空力的な問題はカウルで対策できるってところなのかも。
F3では全く使い物になってなかったRT36/37系の極太カーボンモノコックも
ウィングカー規定で使われる北米フォーミュラアトランティックでは各々RT40/41として
傑作に列せられるというし。
F3000の話に戻ると、91年に事実上チームルマン運用のマシンが
レイナード91Dはチーヴァーの1台しか無いのに、ラルトRT23は2台あった
(ハーバート車と、第4戦鈴鹿まで伊太利屋のジェフ・リース車、第5戦でサントリーのシューマッハ車になり
本来ならシーズン最後までシューマッハが乗るはずだったもの)というのも不思議な話。
そういえばシューマッハ兄弟は「自分が今まで乗ったマシンはコレクションする主義」ってことからいうと
菅生で乗ったラルトも後にお買い上げになったのかどうかと。
ラルフの方は日本で乗ったレイナード持ってるそうなので。 80年代前半 世間的盛り上がりは皆無でも、星野vs中嶋、来日外国勢でヲタの間では盛り上がる
80年代後半 F1ブーム、バブル景気で国内トップフォーミュラも空前の盛り上がり
バブル崩壊以降現在まで 超絶不人気が30年続く。存続してるだけ偉いが。 いや90年代前半というか半ばくらいには
イケメンガイジンレーサーブーム的な感じで意外と女性ファンに盛り上がってた部分がw
当時雑誌にイラストや漫画投稿してた人の何人かが実は一流の同人作家の人だったと後に知って驚いた。
F1は年に一回の鈴鹿以外は観に行かなきゃいけないけど
国内選手権なら観に行けちゃう上に、彼らがファンサービスに結構熱心だったせいもあるかもしれない。 >>902
イケメンって誰ですか
興味なかったので全く知らなかった 一般的なレベルでカッコいい方に入るかどうかは別として
チーヴァーは孤高の雰囲気込みで人気があって、
ハーバートやアーヴァインは普通にカッコいい枠扱いだった記憶。
ジェフ・クロスノフも人が良いんで人気、ミカ・サロはブロンドが綺麗で人気とか
クルム伊達マイケルさんだって若い頃はカッコいい枠に含まれてたんだぜw
そんなくらいだからジャック・ヴィルヌーヴに至ってはもう大人気よ。 >>904
ありがとうございます
よくわかりました
まあ、白人はドライバーじゃなくても六本木でモテモテですしね
それも報酬の一部と考えて滞日してくれれば盛り上がるしいいことですね あるイベントにて
司会者:最近ドライバーの間で釣りが流行っているですってね。
どこに行くんですが?
黒琢:六本木
司会者:釣るものが違いませんか?
M伊達・DXロサ(動揺)
司会者:なんかあったの?
M伊達・DXロサ:女の子に人気がある店としてJ・MENS を教えられて行ってきた。
(日本語に翻訳される前に 場内大爆笑)
司会者:私と黒琢、何やり取りしていたかわかってる?
M伊達・DXロサ は日本語を勉強することにしたとさ むしろ黒澤さんが若手らしからぬ無骨な雰囲気だと思ってたのに
当時から案外お茶目なお兄さんだったとはw Fポン始まってしばらくは結構盛り上がってたね。
美祢でも毎年客多かったよ。Fポンだからスレ違いになっちゃう?
しかし虎ちゃんは景気良かったらF1でもう少しマシな車に乗れただろうに・・ そりゃまあF3000で結構な数の予選落ちが出るっていうより
予選2組もやるような状態(ある意味だったらF1みたく予備予選やれって数)ってのは
そりゃ流石に尋常じゃないって話には。
うまくコストをコントロールすればフルグリッド埋まるか埋まらないか、
時々は107%ルール以外の原因で予選落ちが出ることもあるとかいう程度で安定してるのが
程良い状態だとは思うんで、
「バブルの揺り返し」みたいなところで少し減り過ぎた時期というのもあるかもしれない。
モータースポーツの広告効果というのを過大評価し過ぎたところが一気に引き上げたみたいな感じで。
逆に最近は「即効薬じゃないけど長くやってると安定して効く」を再評価する向きで戻してきたり
経営陣が根っから大好きなんで道楽半分でっていう、ある意味で大昔にあったような形態が
復活してきたりというところで戻してきてるけど。
ドラゴソさんとかプラネックスの久保田さんみたいなのは、
ある意味伊太利屋の林さんやTAISANのリッキー千葉さんみたいなもんとも言えるし。 菅生の翌戦の富士の公式プログラムはシューマッハがエントリーリストに載っている
インタビューも掲載されてるし、当初は続けて乗る気満々だったんだろうな
F1デビューのチャンスがあったから流れちゃったけど 本間氏の著書では、
残りの全日本の契約をする矢先に F1 が決まった。
みたいな印象だったけど、実際には
F1優先の特約かなんかで契約破棄されたのかな? ミカ・サロのアドレーシングとの契約は
最初っから「F1が決まったらそれを優先する」という内容にしてあったとは
デビューレースの91年オートポリスをレポートしたオートスポーツの記事で吉田監督が語ってた。
まだキャメルカラーのレーシングスーツ着てたんだから当時はなかなかユルい時代。
今だったら本来のスーツが間に合わなくて古いやつ使うっていったらロゴ全部外すか隠すのレベルだろうに。
ハーバートがF3000の日程の方を優先してたのは、チームルマンとの契約が外せない内容になってたのか
ロータス側の懐事情からいって、重なるレースだけでも持ち込みのあるドライバーを乗せた方が良いんで
「本来の交代回数を超えるやむを得ない理由」のアリバイ作り的に「日本のチームとの契約があるんで」って話にしつつ
なおかつハーバートの方にも安くないギャラが入るから誰も損しないという裏技だったのかとか。
シューマッハも日程が重複しないレースに関しては全日本F3000走ってギャラ稼ぐ手はあったと思うけど。
>>911
むしろアービンって読み方初めて見た。 国際F3000時代はASがアービン表記だったような >>915
ハーバートは彼の希望でそうなったんだよ
証拠はないんで長文以外は汲んでレスしないでくれ ってと逆にチームルマン的には重複するレースはF1の方を優先してくれてもよかったと。
理由がどこにあったかはともかくロータス的にはそれでバーテルス乗せられたことで
資金的にはだいぶ潤ったんで八方丸く収まったんですね。
逆にハーバートがF1の方に乗ってたら、別のルーキーがチームルマンのラルトに乗って
幻のF3000デビューを果たせていたのかもしれなくて、それが誰になったかも興味のあるところ。
チームルマンか、サントリーWESTレーシングのマネジメントしてたテイクワンか
どちらかに人脈のある若手が乗る流れだろうけど。 成る程ミハエル・バーテルズが「バートレス」って書いてあったり
フィリップ・ガシェが「ガショー」って書いてあったりオートスポーツの呼称に癖があった頃。
でも90年のルマンの頃の号では既にアーバインって書いてあったようにも。
この頃NASCARにはアーニー・アーバン(E・アーバン)って人が居て、
さらにはその後NASCARにはクリス・アーウィンって人が出てきて誰が誰だかということに。 何の気なしに買った投げ売り品のミニカー
Mercedes-Benz 190E 2.3-16 (DTM車両)
フォルカー バイドラー車であった。 内容的に一番盛り上がった(ただしヲタの間の内輪)のは80年代前半F2。
一般的に一番盛り上がったのはF1ごっこやってたバブル時代の3000。
実はそれ以外で盛り上がった時期は無い。 >>922
「バブル期」って括るけど、実際にはラルシューとか高木虎之介とか本山とかが走ってた
マルチメイク最終期くらいのフォーミュラニッポンまでは結構盛り上がってたんで
景気実態としての部分とは案外ズレてる。
ローラクライシスで事実上ワンメイク状態→レイナード倒産で今度は規則からローラワンメイクってのは
それ自体が理由で盛り上がらなくなったわけでもないだろうけど、
この頃にはやっぱりモータースポーツ業界に入ってくる資金という意味合いでの景気がよろしくなかった
(だからこそローラが開発技術でも品質管理でも酷い物作るとか、レイナードが倒産するとかいう状況だったし)
ってのが日本にも波及してたのが理由かしらん。
スポンサーがつかなきゃ台数が走れないとか、何とか出てきたところだって
安全に関わる部分は当然きちんとやるけど、昔みたいにじゃぶじゃぶ金掛けて
走行毎に何もかも新品みたいな勢いで、部品寿命なんか気にしないでガンガン走れとは言えないし。 バブル崩壊の1993年はガラガラでエントリーも減った。
1996年Fポンと名前変えて一時的に客増えたがすぐに減った。 むしろ92年の方が、旧型車使えた開幕戦とか新車に切り替わった直後のシーズン序盤は
まだ予選落ちが出るくらいには余力が残ってたのに
シーズンが進むにつれてスポンサー企業が倒産するとか、契約通りの金額が焦げ付くくらいには
経営が左前になって撤退するとかいう展開で台数が減っていったというふうに
急激に駄目になっていったという点では印象的。
それでも2000年くらいまでは「フルグリッドにほんの少し割れ」くらいでは続いてたし、
99年の第二次ローラクライシスの時に、空力周りを大改造して使うと決心したムンクラと
「馬鹿げてるって言われても、ローラで走り続ける意味を見出す」って公言して走り続けた
柴原眞介の2台を除いては全部レイナードに乗り換えるくらいの規模だったんだから
今思うとありゃー結構凄かったなと。
実は一番厳しかったのは、本来3年更新のはずを5年に引き伸ばさなきゃいけなかった
スイフト使ってたあの時期だったんじゃ。
それでも、「アメリカ製の大雑把感」があれこれ言われはしたものの、モノ自体は頑丈だったおかげで
5年もたせることに成功した(海外での中古車販売情報を見たら、ホシノレーシングは合計4台持ってたようなので
途中で1回新車に買い直してたことが分かったけど、懐事情の厳しいチームはホントに同じ車5年使ったかもしれないし
とりわけ基本設計レベルでの安全性が5年経って旧態化してなかったのは大きい)ってところではあの車に救われた。 ホントだ、調べたらデルフラーがいつ替えたって記録がはっきりしないw
(Wikipediaだと「99年のフォーミュラニッポン」では通年ローラのような記述、
ダンディライアン自体の記事だと替えたように書いてあるけど時期がわからない)
後年にはタイトルも獲得するしトップチームの一角に成長するダンディライアンも
この当時はまだ新興チームだったからそうなるか。
JTCCの時はFETのお下がりらしいAE100カローラ使ったあと
トムスだったかTRDの軒先にあった開発用のモノコック譲ってもらってエクシヴ作ったとかいうし
「メインスポンサーがドコモ」って華やかさの割に案外ギリギリでやってた感が。
INGINGもこの頃は大差ないレベルのローカルチームだったんだから、
この辺りがトップ争いするところまで来るなんて想像も出来なかった。
あと、ダンデの社長さんってのが元フナキレーシングの人ってことになると、
独立した時期は多少前にはなるけど、フナキが本格的な活動自体を停止した時期との繋がりでいえば
何らか引き継いでる部分はあるという考えでよろしいんで? 1990年ころのN1の方が今のSFより客入ってたな。 90年だとまだN1耐久ラウンドシリーズにもなってない頃で
そうなると筑波ナイターと富士のレース(当時は6耐?)くらいしかメジャーレース無いし、
そこは流石にちょっと怪しいような。 富士6時間とかけっこう客来てたジャン。あと筑波ナイターも。
GC末期と今のSFがどっこいか? 1990年富士
4月 6万
8月 6万
9月 5万
10月 7万
※主催者発表 サントリーの参入は1989年から。
WESTって缶コーヒー出て、そのカラーリングだったがこれすぐに没になり絶版。
F3000もSUNTORYのロゴだけになり地味に(シューマッハもこれ)。
92年BOSSになりマルティニがチャンプ獲得。
BOSSはその後永ちゃんほかでロングセラーになったが、モタスポはこの年限り、Jリーグへ。 >>934
サントリーの参入は1990年
1991年は確かにSUNTORYロゴがメインだったがWESTロゴも入ってる(エンジンカウルなど)
1992年は当初は熱血飲料だったけど途中からBOSS、そしてマルティニがチャンプ獲ったのはアコムローラ
BOSSは1993年まで継続、最終戦でダニエルソンが初優勝
何一つ合ってないぞw ってかそもそもサントリーカラーって基本テイクワンじゃなかったかしら。
91年がちょっと変則的で、マネジメントだけテイクワンがやってて
レースオペレーションとドライバーはチームルマンっていうような参戦形態。 >>937
変則的なのはそこじゃないでしょ、それを言うなら90年だってレースオペレーションはノバだし
91年エントラント名にテイクワンが入らなかったのが変則的(それぞれルマンとムーンクラフト) 自社ガレージを持たないチームが外部にメンテ委託するのは当然で、別に変則的でもないだろうw
この頃だと星野さんでもメンテはセルモ委託だし。 90年 テイクワン+ノバ WEST中谷 PLUSヴァイドラー
91年 テイクワン+ルマン SUNTORYハーバート テイクワン+ムンクラPLUS服部
92年 テイクワン自社 熱血ダニエルソン PLUS田中実
93年 テイクワン自社 BOSSダニエルソン その同じ91年にF3ではヴィクター・ロッソ車はトムス委託(車そのものは031F)だったはずで。
委託するのはよくあるけど3チーム跨いじゃうって珍しいなと。
92年のキグナストーネンはレースオペレーション自体はステラが一括して
ラッツェンバーガー車(最初からローラ)がステラ自社メンテ、
ギルバート・スコット車(第4戦で全損するまでレイナード)はメンテのみR&Dに外注ってなってたけど。
93年のカプコンは色だけ一緒でチームごと違った
(和田久車がハギワラレーシングで石川朗車がチームルマン)。 93年以降、スポンサーはみんなJリーグに流れたな。 おかげで後進国の国内リーグとは思えんほどスポンサーがついたが、結局はwww >>942
トステムとかイエローハットは鹿島アントラーズに行ったな
由良さんだったか
「あの時モタスポ界全体でもっとスポンサーを大切にしていればよかった」
みたいなことを後に言ってた >>943
今スーパーフォーミュラーがJリーグと比べてもらえる立場だと思ってる? 92年5月の鈴鹿F3000、小河が入賞している。二輪は違うのかと思ったよ。 あれはむしろ成立周回数をクリアするために
1コーナーでクラッシュした2台(小河車とAGS車)を除く全車が整列したまま
コントロールラインを跨ぐという手順を踏んだのに、
その「手続き」に参加してない2台を含めてフルポイントで結果成立というところを不思議に思った。
クラッシュで赤旗が出た前周の順位で確定にしてハーフポイントにするか、
赤旗中断後にグリッドに戻ってきた車両のコントロールライン通過順でフルポイントで確定
(これだとAGSと小河は各々-1LAPの最上位扱いになる)かというところだと思ったのに。 あれ、ハーフポイントじゃなかったっけ?
まぁ、亡くなった方に敬意を表しポイントを与えたいっていうことで、反対する人もいなかったとかじゃなかった? いや、フルポイントだよ
フルポイントは全周回の75%(鈴鹿は35周だから26.25周)
27周目完了直前の26周目に赤旗提示、全車ホームストレートのコントロールライン前に停車
その後、全車がコントロールラインを跨いで27周を完了、Uターンしてピットを逆走してパルクフェルメへ
27周マイナス1周だから26周目の順位採用 つまりリザルトがフルポイントの周回数をクリアしてなくても、中断時点での周回数がクリアされてれば良いって事 バブル時代のスポンサー(自動車関連除く。バブリー企業じゃなくプロ野球、Jリーグチーム持ってもおかしくない企業)
JT
トステム
サントリー
プラス
カワイスチール
ワコール
オムロン
日本信販
こんなもん? 星野一義を超えるのは誰だ!? 全日本F3000選手権【Best MOTORing】1991
https://www.youtube.com/watch?v=8qo61lV_7bA
これ むちゃくちゃおもしろいなww 詳しい人 教えてください。
F2、GCシャーシの呼称で、クレコ・マーチ842とか85J があるのですが、
クレコ って何ですか??マーチ86J〜88Bの時代は クレコ呼称無い様ですが…? すいません。伊太利屋NIKKEI89DのNIKKEIって日本経済新聞のことですか? パルスポーツってBSのワンメイク化後撤退したけど
会社はどうなったの? タイヤ競争がもっと早く終息していたら星野や国光の引退は前倒しになってたね、他のベテランも
特別扱いがなけりゃ他と同じタイヤで同等に走れなくなったらオシマイだから どうしたロリコンドルオタ
あっちで虐められたのか?w >>968
BSだとひと頃は星野→中谷→服部と3グレードのタイヤがあったと書いてあったね 故・萩原光がF3で中子修と1981シーズンのチャンピオンを争っていた頃
ttps://youtu.be/FfBPGlKXWGU 萩原が逝去前年に出演した「結婚!志願ショー」の動画持ってるマニア居ないかなあ。 レイナード89Dの仕上げと部品の品質がローラ並みに良かったらなぁ… >>973
地元で有名なヤンキーだったのに大学に行ったというのは
お坊ちゃんだったのかな? 1990年代以降は、ドライバー養成機関を経由しないとプロドライバーにはなれなくなった。
街道レーサー出身ドライバーはもう現れないだろう。 >>980
飲食とか、不動産とか手広くやってる家の子。 萩原って芦川よしみと噂になってなかったか?
あれは弟だったか? >>983
なってたが、オースポのコラムにも大ファンと堂々と書いてた。今思えば赤木オーナーの愛人だったのでは? >>980
逝去後に出版された著書で、暴走族に入っていた事をカミングアウトしていた。 >>986
だから、東海大相模の高校の先輩だって。萩原は大学も体育学部だからな。 マンモス大学の先輩後輩で 付き合いなんてないんだろ」
いや そうではなく 食事に行ったりしていたそうだ ソースが貼られる
だからなんの先輩だよ 研究室?部活?
↑なんですかこのクソ偉そうなキチガイは?? 神様か何かですか? >>989
画像読んでないだろ
高校って部分が切れてんだよ、どこがソースだ阿呆
役に立たない画像で威張るバカがどこにいるよ >>991
切れてるけど、「僕の2年上の先輩が萩原さんと親しくて」と読めるじゃない。あなた低学歴で仕事も出来ないでしょう? >>994
だから何の先輩かそれじゃわからんだろ
マンモス大卒で同じ大学ってだけで有名人のことを先輩って呼んでるやつがいるからね
高学歴だとこういう推論をするんだよ ひょっとしたら日大や東海大はバカだから言うかもな
早稲田でも言うやつはたまにいるけど白眼視されるな >>995
マンモス大の同窓なだけで面識はないんじゃないのか というお前の疑問に
分かりやすく
食事に行く間柄の先輩後輩だ って新聞記事を貼ってやっただろ
お前 池沼だろ
考える知恵がないだろ もう1000なのか
さようなら 気の毒な人・・・w このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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