【自由人】G.ベルガー【記憶に残る男】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
記録よりも記憶に残る男
ゲルハルト・ベルガーを語るスレです。 抜こうとしてラインがクロスしちゃったら危ないってぐらいに
相手を信用してなかっただけの気もする…。
しかし国際F3000の2年目はそんな酷くなかったのにF1上がってきたら何であのありさま…。
レイナード91D/DFVとブラバムなんて予選やフリー走行走るだけの分ならそんなスピード違わないだろうに。
…あるいは良くできたF3000のバランス感覚からいえば乗れたもんじゃないぐらい酷いクルマだった? 今は亡き(生きてるけどw)ブリアトーレの冴えたジョーク
パドック内の公共トイレの前にて
右京『遅えな・・・・。何をしてんだろ?』
ブリアトーレ『ゲルハルトが中でヤッてるのさ』 大学時代、
「有賀さつきとヤッているか否か論争」
ってのを、友人連中と居酒屋でしたことあるのがいい想い出 オレが F1 を好きになったきっかけのドライバー
毎日仕事で終電帰り状態でもう辞めたいと思っていた時、
偶然テレビをつけたら1988のドイツGPだった。
燃費の悪いフェラーリで必死にホンダを追いかける姿になんか目頭が熱くなるほどカッコ良かった!
それから猛烈なベルガーファンになって F1 を観るようになったんだよなー。
ベルガーを応援しに鈴鹿に何度か行ったが一周一位でリタイヤした時はズッコケたよ。
おかげでツアー代10万円が僅か数分で吹っ飛んだ w w w
さすが記録より記憶に残るドライバーだ。でもベルガーだから許す (*´Д`*) 〜з ガーティの記憶に残るレースを語ろう!
まずは、88年最終戦オーストラリア。スタート前プロストに、『ターボ車最期のレースなんで全開で走る。燃料もたないんで完走は出来ないから、俺の事は気にしないでくれ。』 と宣言。 で、中盤までトップ独走も周回遅れに突っ込み終了。w
結果は残ってなくても記憶に刻まれたレースだった。
>>75
その話、有名だよね。
でもマクラーレン勢は「あんなペースで燃料が持つはず無い!」って困惑したみたいだがw
フェラーリもベルガーだから許可したんだろうね、さすがベルガー >>75
自分は1990年のカナダGP
1位でゴールするもフライングペナルティで1分加算されながも4位。
いやぁ、まるで「尻に火がついてように」速かったw >>77
ベルガーは晴れるのにかけてリアウイング思いきり寝かせてた。TVで見てもセナのウイングとの角度の違いがひと目で分かった。 タラレバだけど、フライングしなかったら独走優勝出来たし、その後のベルガーのマクラーレンでのキャリアが大きく変わってたかも。 >>78
自分も激しく同意、カナダGPでは速さと勢いがあったし戦略も当たってたからね。
・予選2位、1位セナとの差+0.066秒
・ファステストラップを記録 70周目 1:22.077秒
ファイナルラップでファステストラップをたたき出すくらいだから全周全力走行だったんだろう。
カナダで一勝でもすればプレッシャーから解放されフェラーリ時代みたいな能天気で速いベルガーに戻ったと思う。
よく「ベルガーがフライング気味にスタートして」って表現する記事があったけど、
だれがどう見ても立派なフライングだよねw ttp://www.youtube.com/watch?v=7t4dXKCwWBE >>80
どうせフライングなら、ビビってブレーキ踏まずに、そのまま突っ走れば最初からトップ独走で表彰台立てたのにと当時は思ってた。 >>81
言われてみればそうだ!
でも紳士(おちゃめ?)なベルガーはちゃんとブレーキを踏むのであったw 初開催87年日本GPの勝利は鮮烈だった。 ウイリアムズホンダ無双の状況の中、敵地スズカでポールトゥフィニッシュ。 130Rを6速のまま左足ブレーキングだけで回った逸話とか。 あとF187もリアウイングが小さくてカッコよかった。 >>83
ベルガーは予選結果についてこう答えてるね。
「ファビにちょっとさえぎられてしまった」
「コース後半の6速で回るコーナーで、タイヤふたつとも芝生に出してしまった。きつかった。」
「このミスがなければ、1分39秒8がでるはずだったんだけど、十分だった」
それでもポールタイムの1分40秒042、信じられんw
91年鈴鹿はシケイン指定席で観戦してたけど、
フリー走行、予選、決勝(エキゾーストパイプ破損するまで)全てでセナを圧倒する脅威的な速さだった。
ただ目の前に落ちてる部品がベルガーのだと知った瞬間にやけ酒したけどね! 鈴鹿で勝つ前に、ポルトガルであと少しで勝てそうだったよね。
ジリジリと詰めてくるプロストからのプレッシャーで、ブレーキバランス?と消化器ボタンを押し間違えて、足下泡だらけ。 で、ブレーキングで足滑らせてスピンw ベルガーらしいポカだった。そろそろ勝ちそうな伏線ではあった。 その前に本によるとマクラーレンのヨハンソンにブロック(チームからの指示で)されてかなり5秒もタイムロスしたらしいよ。
ベルガーってアルボレートとヨハンソン嫌いだよねw >>86
>その前に本によるとマクラーレンのヨハンソンにブロック(チームからの指示で)されてかなり5秒もタイムロスしたらしいよ。
そうだったのか〜。教えてくれてありがと。
>ベルガーってアルボレートとヨハンソン嫌いだよねw
そういえば、アルボレートとの確執あったね。エンツォがベルガーに移り気したのをアルボレートが嫉妬したのかなw
でも、鈴鹿でベルガーがポール取った時に、アルボレートがマシンを下りたベルガーに笑顔で祝福してる写真を当時のグラ特で見た時は、爽やかなシーンに胸熱だった。
自伝ではアルボレートとその取り巻きのことを
鬼か悪魔のような書き方してるからなw
まあマシンに細工されたと分かればそうなるか ブーツェンのことも嫌ってたよね。そうして見るとイメージとは裏腹に
仲良くやってきたアレジやセナがむしろ例外になるんだよね。 >>89
アレジと仲良いといえるようなまでの関係になったのなんて97年からだけどな
95〜96なんか険悪だし トロロッソの共同オーナーを抜けたタイミングは良かったと思う
てか今のダメダメフェラーリを復活してほしい むしろマッサと代えてベルガー、アレジ、マンセル乗せときゃいいよ >>90
今も渋い。
セナとアルボレートは死んじゃうし、プロストは借金王、
ピケは息子の件でF1を去り、マンセルはルマンで痛い目に…
あの時代を満喫し、最後まで生き残り、引退後も適当に存在感を出して、
人生に勝利したのはベルガーだ。 マンセルは勝ち組晩年。最近ビートルズより上の勲章を貰っていたぞ。見た目若いしいい歳のとりかた。
金もいっぱい持ってそう。
完全勝ち組のヒル、マンセルは実際レースでも勝っているから置いておくけど、
最近よく見るジョニーやベルガー、アレジ、アーバイン・・・・
数勝止まりだったけど人生には勝利したのを感じる。 >>93
どうすんだよ、マッサより本当に速かったら(笑)
ただですら人気は1億倍あるんだから そしたら、三度フェラーリを復活させた男になる!
それにしても G・ベルガーの経歴はおもしろい。
ATS→アロウズ→ベネトン→フェラーリ→マクラーレン→フェラーリ→ベネトン
ベネトンとフェラーリには二度所属してスレタイどおりまさに自由人w 「使えねえ」「二度とくんな」みたいな烙印を押されて去ったドライバーではこうはいかない
ある程度チームと良好な関係を保ちつつ、実力も認められながら
引き抜きなどの事情によりチームを去ったからこその二度目のお誘いがあったんだろうなあ ロンも「君の席はいつでも空いている」とか言ってたっけ
まぁ社交辞令もあるだろうけど・・・ フェラが94年はアレジセナで行く可能性あったからだよ
だからこそベルガーもロンも頻繁にいつでも戻れる、空けてやるて言ってて
まぁセナがベルガーと組みたがったことでフェラ側が拒否ってアレジベルガー続行になったけど そういう話を聞くたびにベルガーってみんなに愛されてんだなぁって感じる ヽ(*´∀`)/
ただ、90年カナダGPみたいな走りをなぜいつも出来ないんだーってヤキモキさせられたけどw
肝心な所でポカやったりアレジの車載カメラあたって優勝のがしたりメキシコでマンセルと壮絶なバトルしたり・・
勝てるレースでも最後まで観ないと判らない、そこがベルガーの魅力でもあった。 ベルガーって数勝クラスドライバーでは、ほぼ随一チームと揉めずに移籍したヤツ
でも、同じチーム2度ってマンセルもそうなんだよね(笑) 90年鈴鹿を見に行ったんだが、 セナプロが1コーナーで消えてがっかりした後、ベルガートップで今シーズン初優勝!と気を取り直した直後に2コーナーでスピンした時はずっこけた。 亜久里キライだったけど仕方なく応援。あれで3位になったので救われた。 1995年に「ゲルハルト・ベルガーの好漢日記」という本が出版されているらしいんだけど
どれだけ探してもどこのお店にも在庫がない
どこかで手に入りませんかね? バーガーさんはアロウズ時代は ブーツェンと比較して 速かったの? >>108
1985年のアロウズはトラブルが多く比較しようにも…
ベルガーいわく「F1でドライブした中で最低のマシン」と wiki にも書いてあるお。
ブーツェンは速いというより堅実なドライバーって印象が強かった。
>>107
新品は難しいんじゃないな。
自分は「ゲルハルト・ベルガー/極限に挑む」と「ゲルハルト・ベルガー/F1チャンピョンシリーズ」は持ってる。 古館節は苦手だけど
89年〜91年頃の「振り向けばブーツェン」はなかなか的を射ていると思う あんましベルガーとブーツェンって相性良くなかったん
だよな。揉めそうにない二人だけど・・・・
ベネトンのメカニックだった津川氏に拠るとブーツェンは
メカニック達から好かれてたらしい・・・・
ウィリアムズでは冷たい仕打ちを受けちゃうんだけど・・・・ 優勝した90年ハンガリーはピット戻るとスタッフみんな帰っちゃたらしいから・・・・
彼と言えばセナの物まねが秀逸
「アイ・チンク」(ワザとヘタクソに言う) ベルガーはターボ車やV12エンジンのジャジャ馬マシンを乗りこなすイメージがするな。実際V8には乗ってないし。 鈴鹿のS字は世界有数のヘタクソで観客の失笑独り占めだったけど、
何故かその鈴鹿で速いゲベさん(笑) >>114
ほんと、なんで速いんだろうな???
10年レコードとか尋常じゃないだろw 130Rとか高速セクションの走りが尋常じゃなかったんじゃないっけ?
まあベネトンB186/BMWなんてマジキチマシンを知る漢の中の漢だから不思議は無い。 高速コーナーでのマシンの限界を肌で察知する能力が高いのと
人より恐怖心が若干希薄な人なんだと思う(度胸がある、というのとはまた別で) エマーソン・フィッティパルディがインディに来たマンセルを評して
「人には電球を交換している時に誤ってソケットに触れて感電して
(…アメリカ人は電球替える時に電源切らないのかという疑問があるがw)
大抵の人はそのビリッときた感触に懲りて注意深くなるが
中にはそのビリッが病みつきになってしまう人間がいるんだ。
ナイジェルはインディ500の終盤でホイールを擦った時、きっとそのビリッが病みつきになってしまったのさ」
とか言ってたけど…ベルガーもそのタイプの人なんだろうかねw。 鈴鹿は何回も行ってる。全部S字
フェラーリでも× マクラーレンでも× ベネトンでも× ドタバタ走りの典型
そこだけしかナマで見てないので、何でタイム速いのか不可思議。
>>119
マンセルは痛い目みたそのS字では神級に美しい。「病みつき系」かな? 鈴鹿はリズミカルに走らないとタイムが出無いとか言われるけど、ベルガーの場合は強引な走り?
>>118氏が言う通り高速コーナーで天性な速さ(恐怖心が希薄w)を発揮してるのが一番の理由で
低速コーナーでのロスを補えるほど高速コーナは速いって事なのか。
鈴鹿、ドイツGPでは異常に速いのもうなずける。 鈴鹿S字はスーパーライセンス取得者ではドベ級
しかし鈴鹿130Rでは唯一全開でいけたキチガイ
90年ロドリゲスではあんな強引にマンセル抜くクソ度胸
同レースで最終コーナーをアウトから同じくマンセルにあり得ない抜かれ方をする詰めの甘さ
ブッチで勝っても(90年カナダ)1分ペナルティでポシャ(笑)
しかし、ここぞという弔い合戦(88年モンツァ、97年ドイツ)にはしっかり勝つ!
憎めないナイスガイ・・・・・ >>120
1・2コーナーで見たネルソンピケは あんた何時の時代のドライバーなんだ?
って突っ込みたくなるような 高橋国光みたいな太古のラインで走ってた。w >>32
ベルガーとブランデルはマクラーレンで2ndと3rdだったと思うが
ブランデルも結構醒めてるからか現役時代はもひとつだったんだよな(実力不足だった気もするが)
ベルガーから盛り上げ方を学べばよかったのに
でもその性格から冷静に若手を育成しているらしいけど 93年鈴鹿予選に限って言えば、鈴鹿のセクター1のタイムも悪くない。 93年鈴鹿でベルガートップタイム
それを見たプロストの表情がw 89年鈴鹿でセナのスーパーラップを見た時のベルガーの表情 「NAになり空力全盛時代であの体型では、1周コンマ何秒のハンデがある」
って言ってたけど、それでもやっぱり速いマンセル・・・・とベルガーは凄いよ ベルガーは二度フェラーリとベネトンをドライブして
いるんだけどどっちからも好かれてたんだろうな・・・
多分マクラーレンからもお呼びが掛かってただろうね。
初期のATSやアロウズ以外は全て所属チームで優勝して
いるのも凄い。だってセナでさえトールマンとウィリアムズ
では優勝してないし・・・・ F1ドライバーってもちろん速さは大事だけれど、
雇うチーム側からするとドライバーの「性格」もとっても重要な要素。
特にセカンドドライバーに関しては「チームやファーストといい関係を築けてなおかつ速い人」
というのが理想なわけで、そういう意味でベルガーはまさしく適任であり
チームを巣立った後でも再び来て欲しい人材であり続けたんだろう。
ただしベルガーの場合は、ファーストに座る人間が自分が認める速さや
人間性を持った人でないと協力しようとしなかったけどね。 セナともマンセルともアレジとも仲良くやれるんだ
からベルガーって人間が大きいんだろうね。
多分プロストとも女の奪い合いが無けりゃピケとも
仲良くやれただろうなw
アルボレートは例外的に好きじゃなかったらしいけど >>133
セナに対しては完全セカンドというのを受け入れていたと思うけど、
マンセルに対してはどうだったんだろ? ジョイントNo.1だと思っていたのかな >>135
フェラーリでは当初ジョイントNo,1だったんだけど
マンセルが最初にブラジルで優勝しちゃってから
比重がマンセルに傾いたってベルガー本人が言って
たな。プロストやマンセルなら冷や飯を食わせた
チームに一矢報いようとするけどベルガーはそんな
気はサラサラ無かったらしい。 >>136
フェラーリのみでの実績ではベルガーが明らかに上だから、ジョイントNo.1だったと思う
でも、タンブレロでの火ダルマで確定したって感じかな ベルガーがインディ500出たら速くないのかな?
全部高速コーナーじゃん。 でもフェラーリと同様にベネトンでも二度雇われたんだからベルガーと
ベネトンのボスって特に不仲じゃないんじゃないの?
ウィリアムズがBMWエンジンだった頃、よくベルガーがピットに来てフランク
と談笑してたよな。ベルガーは一度もウィリアムズに乗る機会が無かったが
乗ったら上手く行ってたかもな。ただブーツェンが言ってたがウィリアムズ
は誰も笑わないチームなのでベルガーの悪戯には寛大じゃないかも・・・ >>144
ピケがテストドラに悪戯とかしてたけどヘッドはそのことを良い思い出だと語っていたぞ 何かの本では87鈴鹿の走りを「S字での絶妙なドリフトコントロール」って評してたなw
まあ、インチキ臭い本だったがw >>148
その本家にあったかもw
リフォームでどっかいったっぽいけど。
プロストだと直線ではブレーキせず曲がり始めてからゆったりと長くするとか
セナはズバッと一気に向きを変えるとか書いてた本 >>149
まさにその本!
ちょっと小さめのサイズのやつ。
あの頃は情報量が少なかったから、本や雑誌に頼るところが大きかったかな。 でもプロストのブレーキングはちょっと変ってるって話は多いよね。
中嶋とか、あとケケも真似しようとしたけど無理だったとか。 89のサンマリノ以降ちょっと遅くなったって本人も認めてたね。
あとは上位陣の中ではタイヤの使い方がイマイチだったなあ。
ファンだったけどね。
陰険、傲慢なF1トップドライバーの中で人格者だったしセッティングがビタっとハマればセナより速い。
あんな個性はもう生まれないだろうね。 ターボ全盛期、NA期、アクティブサス時代、3L時代。アクティブサスのフェラーリでは勝てなかったが、これだけ長い間一線で活躍したレーサーはベルガーくらいだなと思う。
ピケ、プロスト、セナ、マンセル、シューマッハ、ハッキネン、ヒル、ジャック。これだけのチャンピオンと後のチャンピオンと渡り合った。
いや、今なお現役の人はそれ+
アロンソ、ライコネン、ハミルトン、バトン、ベッテルですから 90年はサンマリノ、カナダを勝ちきれていればセナにプレッシャーをかけれていたかもしれない。
それよりも87かな。フェラーリのシャシーパフォーマンスが最初から出ていれば…。 アクセルワークを多用する走り方だったな。今宮純が「アクセルばたばた走法」って呼んでたw 91年のポールを取った時のシケインのカメラ。既にシフトダウンを終えてシケインに突っ込んでいたのは、ベルガーだけだった。
他のドライバーは音声でシフトダウンの音が聴こえていたというのに…
どんなシフトダウンしていたんだか… 96にヒルを追い出してでもウィリアムズ入りしてれば、チャンピオン取れてたかもなあ。 '96はヒル&ベルガーのウィリアムズだったら鉄板でベルガーチャンピョンだな
タイヤテストはヒルにやらしとけ
ギャラの吊り上げしているうちにジャックに割り込まれてパー ベルガー「やったー優勝したよー」
ピット(シーーーン) >>166
逆にウィリアムズというチームを意識改革してしまうかもしれないぞw
後年モントーヤがラルフの車にエロ写真だったか貼った時とかも
多分現場のメカニック達は面白がってたんだろうし
フランクの車椅子にロケット花火つけるぐらいやってもおかしくない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています