【自由人】G.ベルガー【記憶に残る男】
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記録よりも記憶に残る男
ゲルハルト・ベルガーを語るスレです。 セナに優勝を譲られたこと、怒ったマンセルにメキシコでアウトから
ぶち抜かれたこと。 '93の日本GP予選で暫定のトップタイムを出したとき、
興奮したのか違う世界に入っていたのか凄い目つきだった。
総集編で見た。 現代のドライバーにはない色気があるよな
95以降の不細工なマシン規定以前のフェラーリが似合う男だよな ついにベルガースレまでw
一番ジーンと来たのは97年ドイツGP。ピットアウトで僅かにフィジケラに先行許す。
かと思ったらすかさずオストシケインでオーバーテイク! >>13
あれは何なんだろうな?
同じストップアンドゴーのモンツァではさほどじゃないし。 >>11
前年トップ走行中のエンジンブロー
病欠明けのポールトゥウィン
などなどあり、なんか感動したよ。
そして次戦のヒルアロウズの走りにまた涙!
92オーストラリアの第2期ホンダ最後の優勝に「ありがとうゲルハルト!」(by馬場アナ)も
印象に残ったな
予選でセナを最も苦しめたチームメイト
91年終盤には3連勝した事もあったね 何だかんだ言ってベルガーは好きだなあ
イタズラ好きってとこが良い 92年は獲得ポイントでもセナと1点差だったよね
最終戦で逆転すりゃ面白かったのに ベネトンの初優勝もベルガー、ラストウィンもベルガー
ホンダ第二期のラストウィンもベルガー >>18
総集編の「ベルガーが一発見舞った」(by城達也)も >>27
マクラーレンとフェラーリが1・2、27・28どちらかを付けてる時代はよかったな。
そういや27とフェラーリ、ビルヌーブ云々って、もう言われなくなったな。 かなり強引ではあったが、ローズヘアピンでアレジを抜いた時はすげぇとオモタ
ベルガー曰く「これぞプロのバトル」、
ブランデル曰く「オープニングラップじゃあるまいに馬鹿みたい」。 90年鈴鹿のセナプロ接触後、トップに立つも、
わずか1周でばらまかれたグラベルに乗って
スピン→サンドトラップにはまってリタイアには
ずっこけたなw
130R6速のまま突っ込むのベルガーだけ
オールージュもだっけか (パタパタパタ…)
やっぱり、ヘリでの送り迎えはいいよねぇ。
サーキットがあんなに小さく見えるよ。
ところで、アイルトン…
(ポィッ)
(ひゅうううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ…キラッ
あのアタッシュケース、大事にしていたって盗られちゃうにきまっているよ。
やぁ、お帰り。
やっと帰ってきたのか、遅かったね。
こっちは先にくつろいでいるよ。
それにしても、キミの持っているトランクケース。
とてもいいモノだねぇ。
がっしりしたキャスター付きだし、
なにより、気密性がとっても高いじゃないか。
あ、そうそう、
こんな日はホテルのプールでのんびりリラックスして…
って、おい、どうしたんだよ。
顔真っ青にして走り出すなんて…
あっ、そっちじゃなくて向こう側だよ、プールは。
それに気密性高いからちゃんと浮いているってば〜〜〜 やっぱり飛行機でも長旅はちょっと疲れるなぁ
さて、あとはサーキットに向かうだけだw
あっ ボスどうしたんですか
さっさとサーキット行きましょう。
あらま、アイルトンがまだ来ないんですか?
僕のそばで通関してましたよ
ちょっともめていたみたいですけどね。
…ボス、その表情はなんですか?
いえいえ、何もしてないですよ、たいしたことは…
いえ、だからほんのジョークですって
なんであんなに慌てるんだろうねぇうちのボスは
パスポートに無修正写真貼り付けただけなのに
こんなんで勝てるのかなぁ、不安になっちゃうよ… 初めて生で見た87年の鈴鹿、ベルガーの印象と言えばこれ。
その年のフェラーリ、前戦までは全然だったのにポールトウウィン、ウイリアムズホンダの凱旋、チャンピオン争いを楽しみにしていたので意外だった。
87年の鈴鹿は他にもマンセルのフリー走行クラッシュ、セナがピケを押さえ込んだ結果、ピケのエンジンブローなどドラマ一杯、中嶋のパトレーゼ第1コーナー大外狩りもこの年だっけ。
>>39
俺はテレビだったけど87年鈴鹿でベルガー知ったよ。
始めてのゴールデンでの放送だったし、何となくホンダの無敵ぶりでも見るかと。
そしたらあれ?って拍子抜けしたw 昨年の年末に、ベッテルへのコメントで登場してきて嬉しかった。
トロやめたあとはなにやってるんですか?家業? 最近ロンデニスとの見分け方が難しくなってきた
でもまぁ、良い感じの歳の取り方はしていると思う
ナニーニ辺りは昔の面影が無くなっているからな 大手運送会社の息子でマクラーレンのセカンドというのがクルサードと丸かぶり セナ用の狭いコクピットで苦労したよな…
90年アメリカGPではそれが原因でアクセルとブレーキを踏み間違えてリタイア
端から見れば凡ミスだが、クルーは誰もベルガーを責めなかった だが作業的に間に合わないなら安全上やってはいけないことはやらないってのは健全だな。
で、無理だったんだからその結果ドライバーが本来のパフォーマンスを発揮できないのは仕方ないと。
数年後にどっかのチームがステアリングシャフトの位置を上げるために落ちてた鉄パイプをry >>48
良くても悪くても印象に残らないニックさんに謝れってことだろ 日本GPではまずは130Rからってのがベルガーファンのお約束な
イメージがある ベルガーは鈴鹿で2勝してるんだし(その内の一つはインチキだがw)高速
コーナーがあるコースが得意って事なんだろうね。ホッケンハイムも結構
強かったしね。ただモナコだとかハンガリーは得意じゃないね。
テクニカルなコースはベルガーの性格上合わないだろうw 94のモラコはがんばってたと思う。
ミラボーでブランドルに大外刈りされたけど、、、 コバンザメオーバーテイクうまかったよね。失敗が多いけどw >>55
でもまあセナがマンセルの鼻先押さえてくれさえすれば
マフラー割れてペースが落ちるまで大差でトップ走れた、ていうのはなかなか大したもんだと思うぜ。
…そういえばあの時ってマンセルはセナに牽制されっぱなしだったけど
ウィリアムズのもう1台のパトレーゼは何してたっけ? マクラーレン時代のベルガーはパトレーゼとよくバトルしてたな
91年のイギリスとか92年のポルトガルGPと92年のオーストラリアGPとか 92年のアデレードだけはマクラーレン勢は速かったな >>54
87年鈴鹿初開催の時、他のドライバーは5速にシフトダウンしてたのに、ベルガーだけ6速左足ブレーキングでコーナーリングしてた。当時のターボ時代はまだ6速までしか無かったから、スゲーって思ってた。89年F189(640)で、7速セミオートマV12NAになって封印したけど。 ベルガー程チームメイトと揉めない人って珍しいけどね。
セナとは親友だったし、アレジとも凄く仲良くなっちゃったし・・・・
マンセルとも良い関係だったしなあ。アルボレートやブーツェンとはあんま
仲良くなかったけどね・・・・・ アルボレートとの時はメカに車に細工されたりして
色々ややこしかった様だな
メカと言えばファビとの凸凹コンビはメカさん大変だったろう
あの取り合わせはありえない身長差(w ファビとベルガーは身長差はあったけど
髪の毛のふさふさ度では一緒だった マンセルはベルガーを良い奴だったって褒めてたけどな。
片方は愛妻家で片方はプレイボーイだったんだけどさ・・・・・
女好きのピケとは決定的に合わなかったマンセルだけど同じ女好きのベルガー
とは相性が良かったって訳だw そう言えば92年のメキシコGPのフリー走行でベルガーが乗るマクラーレンが
アマティが乗るブラバムを追い越す事無くずっと後ろで走った事があったな。
トロトロ走ってる車を追い抜かなかったのはベルガーの騎士道精神の賜物だ
ろうなw
残念ながらアマティは同郷の先輩のラウダの愛人になったけどw 抜こうとしてラインがクロスしちゃったら危ないってぐらいに
相手を信用してなかっただけの気もする…。
しかし国際F3000の2年目はそんな酷くなかったのにF1上がってきたら何であのありさま…。
レイナード91D/DFVとブラバムなんて予選やフリー走行走るだけの分ならそんなスピード違わないだろうに。
…あるいは良くできたF3000のバランス感覚からいえば乗れたもんじゃないぐらい酷いクルマだった? 今は亡き(生きてるけどw)ブリアトーレの冴えたジョーク
パドック内の公共トイレの前にて
右京『遅えな・・・・。何をしてんだろ?』
ブリアトーレ『ゲルハルトが中でヤッてるのさ』 大学時代、
「有賀さつきとヤッているか否か論争」
ってのを、友人連中と居酒屋でしたことあるのがいい想い出 オレが F1 を好きになったきっかけのドライバー
毎日仕事で終電帰り状態でもう辞めたいと思っていた時、
偶然テレビをつけたら1988のドイツGPだった。
燃費の悪いフェラーリで必死にホンダを追いかける姿になんか目頭が熱くなるほどカッコ良かった!
それから猛烈なベルガーファンになって F1 を観るようになったんだよなー。
ベルガーを応援しに鈴鹿に何度か行ったが一周一位でリタイヤした時はズッコケたよ。
おかげでツアー代10万円が僅か数分で吹っ飛んだ w w w
さすが記録より記憶に残るドライバーだ。でもベルガーだから許す (*´Д`*) 〜з ガーティの記憶に残るレースを語ろう!
まずは、88年最終戦オーストラリア。スタート前プロストに、『ターボ車最期のレースなんで全開で走る。燃料もたないんで完走は出来ないから、俺の事は気にしないでくれ。』 と宣言。 で、中盤までトップ独走も周回遅れに突っ込み終了。w
結果は残ってなくても記憶に刻まれたレースだった。
>>75
その話、有名だよね。
でもマクラーレン勢は「あんなペースで燃料が持つはず無い!」って困惑したみたいだがw
フェラーリもベルガーだから許可したんだろうね、さすがベルガー >>75
自分は1990年のカナダGP
1位でゴールするもフライングペナルティで1分加算されながも4位。
いやぁ、まるで「尻に火がついてように」速かったw >>77
ベルガーは晴れるのにかけてリアウイング思いきり寝かせてた。TVで見てもセナのウイングとの角度の違いがひと目で分かった。 タラレバだけど、フライングしなかったら独走優勝出来たし、その後のベルガーのマクラーレンでのキャリアが大きく変わってたかも。 >>78
自分も激しく同意、カナダGPでは速さと勢いがあったし戦略も当たってたからね。
・予選2位、1位セナとの差+0.066秒
・ファステストラップを記録 70周目 1:22.077秒
ファイナルラップでファステストラップをたたき出すくらいだから全周全力走行だったんだろう。
カナダで一勝でもすればプレッシャーから解放されフェラーリ時代みたいな能天気で速いベルガーに戻ったと思う。
よく「ベルガーがフライング気味にスタートして」って表現する記事があったけど、
だれがどう見ても立派なフライングだよねw ttp://www.youtube.com/watch?v=7t4dXKCwWBE >>80
どうせフライングなら、ビビってブレーキ踏まずに、そのまま突っ走れば最初からトップ独走で表彰台立てたのにと当時は思ってた。 >>81
言われてみればそうだ!
でも紳士(おちゃめ?)なベルガーはちゃんとブレーキを踏むのであったw 初開催87年日本GPの勝利は鮮烈だった。 ウイリアムズホンダ無双の状況の中、敵地スズカでポールトゥフィニッシュ。 130Rを6速のまま左足ブレーキングだけで回った逸話とか。 あとF187もリアウイングが小さくてカッコよかった。 >>83
ベルガーは予選結果についてこう答えてるね。
「ファビにちょっとさえぎられてしまった」
「コース後半の6速で回るコーナーで、タイヤふたつとも芝生に出してしまった。きつかった。」
「このミスがなければ、1分39秒8がでるはずだったんだけど、十分だった」
それでもポールタイムの1分40秒042、信じられんw
91年鈴鹿はシケイン指定席で観戦してたけど、
フリー走行、予選、決勝(エキゾーストパイプ破損するまで)全てでセナを圧倒する脅威的な速さだった。
ただ目の前に落ちてる部品がベルガーのだと知った瞬間にやけ酒したけどね! 鈴鹿で勝つ前に、ポルトガルであと少しで勝てそうだったよね。
ジリジリと詰めてくるプロストからのプレッシャーで、ブレーキバランス?と消化器ボタンを押し間違えて、足下泡だらけ。 で、ブレーキングで足滑らせてスピンw ベルガーらしいポカだった。そろそろ勝ちそうな伏線ではあった。 その前に本によるとマクラーレンのヨハンソンにブロック(チームからの指示で)されてかなり5秒もタイムロスしたらしいよ。
ベルガーってアルボレートとヨハンソン嫌いだよねw >>86
>その前に本によるとマクラーレンのヨハンソンにブロック(チームからの指示で)されてかなり5秒もタイムロスしたらしいよ。
そうだったのか〜。教えてくれてありがと。
>ベルガーってアルボレートとヨハンソン嫌いだよねw
そういえば、アルボレートとの確執あったね。エンツォがベルガーに移り気したのをアルボレートが嫉妬したのかなw
でも、鈴鹿でベルガーがポール取った時に、アルボレートがマシンを下りたベルガーに笑顔で祝福してる写真を当時のグラ特で見た時は、爽やかなシーンに胸熱だった。
自伝ではアルボレートとその取り巻きのことを
鬼か悪魔のような書き方してるからなw
まあマシンに細工されたと分かればそうなるか ブーツェンのことも嫌ってたよね。そうして見るとイメージとは裏腹に
仲良くやってきたアレジやセナがむしろ例外になるんだよね。 >>89
アレジと仲良いといえるようなまでの関係になったのなんて97年からだけどな
95〜96なんか険悪だし トロロッソの共同オーナーを抜けたタイミングは良かったと思う
てか今のダメダメフェラーリを復活してほしい むしろマッサと代えてベルガー、アレジ、マンセル乗せときゃいいよ >>90
今も渋い。
セナとアルボレートは死んじゃうし、プロストは借金王、
ピケは息子の件でF1を去り、マンセルはルマンで痛い目に…
あの時代を満喫し、最後まで生き残り、引退後も適当に存在感を出して、
人生に勝利したのはベルガーだ。 マンセルは勝ち組晩年。最近ビートルズより上の勲章を貰っていたぞ。見た目若いしいい歳のとりかた。
金もいっぱい持ってそう。
完全勝ち組のヒル、マンセルは実際レースでも勝っているから置いておくけど、
最近よく見るジョニーやベルガー、アレジ、アーバイン・・・・
数勝止まりだったけど人生には勝利したのを感じる。 >>93
どうすんだよ、マッサより本当に速かったら(笑)
ただですら人気は1億倍あるんだから そしたら、三度フェラーリを復活させた男になる!
それにしても G・ベルガーの経歴はおもしろい。
ATS→アロウズ→ベネトン→フェラーリ→マクラーレン→フェラーリ→ベネトン
ベネトンとフェラーリには二度所属してスレタイどおりまさに自由人w 「使えねえ」「二度とくんな」みたいな烙印を押されて去ったドライバーではこうはいかない
ある程度チームと良好な関係を保ちつつ、実力も認められながら
引き抜きなどの事情によりチームを去ったからこその二度目のお誘いがあったんだろうなあ ロンも「君の席はいつでも空いている」とか言ってたっけ
まぁ社交辞令もあるだろうけど・・・ フェラが94年はアレジセナで行く可能性あったからだよ
だからこそベルガーもロンも頻繁にいつでも戻れる、空けてやるて言ってて
まぁセナがベルガーと組みたがったことでフェラ側が拒否ってアレジベルガー続行になったけど そういう話を聞くたびにベルガーってみんなに愛されてんだなぁって感じる ヽ(*´∀`)/
ただ、90年カナダGPみたいな走りをなぜいつも出来ないんだーってヤキモキさせられたけどw
肝心な所でポカやったりアレジの車載カメラあたって優勝のがしたりメキシコでマンセルと壮絶なバトルしたり・・
勝てるレースでも最後まで観ないと判らない、そこがベルガーの魅力でもあった。 ベルガーって数勝クラスドライバーでは、ほぼ随一チームと揉めずに移籍したヤツ
でも、同じチーム2度ってマンセルもそうなんだよね(笑) 90年鈴鹿を見に行ったんだが、 セナプロが1コーナーで消えてがっかりした後、ベルガートップで今シーズン初優勝!と気を取り直した直後に2コーナーでスピンした時はずっこけた。 亜久里キライだったけど仕方なく応援。あれで3位になったので救われた。 1995年に「ゲルハルト・ベルガーの好漢日記」という本が出版されているらしいんだけど
どれだけ探してもどこのお店にも在庫がない
どこかで手に入りませんかね? バーガーさんはアロウズ時代は ブーツェンと比較して 速かったの? >>108
1985年のアロウズはトラブルが多く比較しようにも…
ベルガーいわく「F1でドライブした中で最低のマシン」と wiki にも書いてあるお。
ブーツェンは速いというより堅実なドライバーって印象が強かった。
>>107
新品は難しいんじゃないな。
自分は「ゲルハルト・ベルガー/極限に挑む」と「ゲルハルト・ベルガー/F1チャンピョンシリーズ」は持ってる。 古館節は苦手だけど
89年〜91年頃の「振り向けばブーツェン」はなかなか的を射ていると思う あんましベルガーとブーツェンって相性良くなかったん
だよな。揉めそうにない二人だけど・・・・
ベネトンのメカニックだった津川氏に拠るとブーツェンは
メカニック達から好かれてたらしい・・・・
ウィリアムズでは冷たい仕打ちを受けちゃうんだけど・・・・ 優勝した90年ハンガリーはピット戻るとスタッフみんな帰っちゃたらしいから・・・・
彼と言えばセナの物まねが秀逸
「アイ・チンク」(ワザとヘタクソに言う) ベルガーはターボ車やV12エンジンのジャジャ馬マシンを乗りこなすイメージがするな。実際V8には乗ってないし。 鈴鹿のS字は世界有数のヘタクソで観客の失笑独り占めだったけど、
何故かその鈴鹿で速いゲベさん(笑) >>114
ほんと、なんで速いんだろうな???
10年レコードとか尋常じゃないだろw 130Rとか高速セクションの走りが尋常じゃなかったんじゃないっけ?
まあベネトンB186/BMWなんてマジキチマシンを知る漢の中の漢だから不思議は無い。 高速コーナーでのマシンの限界を肌で察知する能力が高いのと
人より恐怖心が若干希薄な人なんだと思う(度胸がある、というのとはまた別で) エマーソン・フィッティパルディがインディに来たマンセルを評して
「人には電球を交換している時に誤ってソケットに触れて感電して
(…アメリカ人は電球替える時に電源切らないのかという疑問があるがw)
大抵の人はそのビリッときた感触に懲りて注意深くなるが
中にはそのビリッが病みつきになってしまう人間がいるんだ。
ナイジェルはインディ500の終盤でホイールを擦った時、きっとそのビリッが病みつきになってしまったのさ」
とか言ってたけど…ベルガーもそのタイプの人なんだろうかねw。 鈴鹿は何回も行ってる。全部S字
フェラーリでも× マクラーレンでも× ベネトンでも× ドタバタ走りの典型
そこだけしかナマで見てないので、何でタイム速いのか不可思議。
>>119
マンセルは痛い目みたそのS字では神級に美しい。「病みつき系」かな? 鈴鹿はリズミカルに走らないとタイムが出無いとか言われるけど、ベルガーの場合は強引な走り?
>>118氏が言う通り高速コーナーで天性な速さ(恐怖心が希薄w)を発揮してるのが一番の理由で
低速コーナーでのロスを補えるほど高速コーナは速いって事なのか。
鈴鹿、ドイツGPでは異常に速いのもうなずける。 鈴鹿S字はスーパーライセンス取得者ではドベ級
しかし鈴鹿130Rでは唯一全開でいけたキチガイ
90年ロドリゲスではあんな強引にマンセル抜くクソ度胸
同レースで最終コーナーをアウトから同じくマンセルにあり得ない抜かれ方をする詰めの甘さ
ブッチで勝っても(90年カナダ)1分ペナルティでポシャ(笑)
しかし、ここぞという弔い合戦(88年モンツァ、97年ドイツ)にはしっかり勝つ!
憎めないナイスガイ・・・・・ >>120
1・2コーナーで見たネルソンピケは あんた何時の時代のドライバーなんだ?
って突っ込みたくなるような 高橋国光みたいな太古のラインで走ってた。w >>32
ベルガーとブランデルはマクラーレンで2ndと3rdだったと思うが
ブランデルも結構醒めてるからか現役時代はもひとつだったんだよな(実力不足だった気もするが)
ベルガーから盛り上げ方を学べばよかったのに
でもその性格から冷静に若手を育成しているらしいけど 93年鈴鹿予選に限って言えば、鈴鹿のセクター1のタイムも悪くない。 93年鈴鹿でベルガートップタイム
それを見たプロストの表情がw 89年鈴鹿でセナのスーパーラップを見た時のベルガーの表情 「NAになり空力全盛時代であの体型では、1周コンマ何秒のハンデがある」
って言ってたけど、それでもやっぱり速いマンセル・・・・とベルガーは凄いよ ベルガーは二度フェラーリとベネトンをドライブして
いるんだけどどっちからも好かれてたんだろうな・・・
多分マクラーレンからもお呼びが掛かってただろうね。
初期のATSやアロウズ以外は全て所属チームで優勝して
いるのも凄い。だってセナでさえトールマンとウィリアムズ
では優勝してないし・・・・ F1ドライバーってもちろん速さは大事だけれど、
雇うチーム側からするとドライバーの「性格」もとっても重要な要素。
特にセカンドドライバーに関しては「チームやファーストといい関係を築けてなおかつ速い人」
というのが理想なわけで、そういう意味でベルガーはまさしく適任であり
チームを巣立った後でも再び来て欲しい人材であり続けたんだろう。
ただしベルガーの場合は、ファーストに座る人間が自分が認める速さや
人間性を持った人でないと協力しようとしなかったけどね。 セナともマンセルともアレジとも仲良くやれるんだ
からベルガーって人間が大きいんだろうね。
多分プロストとも女の奪い合いが無けりゃピケとも
仲良くやれただろうなw
アルボレートは例外的に好きじゃなかったらしいけど >>133
セナに対しては完全セカンドというのを受け入れていたと思うけど、
マンセルに対してはどうだったんだろ? ジョイントNo.1だと思っていたのかな >>135
フェラーリでは当初ジョイントNo,1だったんだけど
マンセルが最初にブラジルで優勝しちゃってから
比重がマンセルに傾いたってベルガー本人が言って
たな。プロストやマンセルなら冷や飯を食わせた
チームに一矢報いようとするけどベルガーはそんな
気はサラサラ無かったらしい。 >>136
フェラーリのみでの実績ではベルガーが明らかに上だから、ジョイントNo.1だったと思う
でも、タンブレロでの火ダルマで確定したって感じかな ベルガーがインディ500出たら速くないのかな?
全部高速コーナーじゃん。 でもフェラーリと同様にベネトンでも二度雇われたんだからベルガーと
ベネトンのボスって特に不仲じゃないんじゃないの?
ウィリアムズがBMWエンジンだった頃、よくベルガーがピットに来てフランク
と談笑してたよな。ベルガーは一度もウィリアムズに乗る機会が無かったが
乗ったら上手く行ってたかもな。ただブーツェンが言ってたがウィリアムズ
は誰も笑わないチームなのでベルガーの悪戯には寛大じゃないかも・・・ >>144
ピケがテストドラに悪戯とかしてたけどヘッドはそのことを良い思い出だと語っていたぞ 何かの本では87鈴鹿の走りを「S字での絶妙なドリフトコントロール」って評してたなw
まあ、インチキ臭い本だったがw >>148
その本家にあったかもw
リフォームでどっかいったっぽいけど。
プロストだと直線ではブレーキせず曲がり始めてからゆったりと長くするとか
セナはズバッと一気に向きを変えるとか書いてた本 >>149
まさにその本!
ちょっと小さめのサイズのやつ。
あの頃は情報量が少なかったから、本や雑誌に頼るところが大きかったかな。 でもプロストのブレーキングはちょっと変ってるって話は多いよね。
中嶋とか、あとケケも真似しようとしたけど無理だったとか。 89のサンマリノ以降ちょっと遅くなったって本人も認めてたね。
あとは上位陣の中ではタイヤの使い方がイマイチだったなあ。
ファンだったけどね。
陰険、傲慢なF1トップドライバーの中で人格者だったしセッティングがビタっとハマればセナより速い。
あんな個性はもう生まれないだろうね。 ターボ全盛期、NA期、アクティブサス時代、3L時代。アクティブサスのフェラーリでは勝てなかったが、これだけ長い間一線で活躍したレーサーはベルガーくらいだなと思う。
ピケ、プロスト、セナ、マンセル、シューマッハ、ハッキネン、ヒル、ジャック。これだけのチャンピオンと後のチャンピオンと渡り合った。
いや、今なお現役の人はそれ+
アロンソ、ライコネン、ハミルトン、バトン、ベッテルですから 90年はサンマリノ、カナダを勝ちきれていればセナにプレッシャーをかけれていたかもしれない。
それよりも87かな。フェラーリのシャシーパフォーマンスが最初から出ていれば…。 アクセルワークを多用する走り方だったな。今宮純が「アクセルばたばた走法」って呼んでたw 91年のポールを取った時のシケインのカメラ。既にシフトダウンを終えてシケインに突っ込んでいたのは、ベルガーだけだった。
他のドライバーは音声でシフトダウンの音が聴こえていたというのに…
どんなシフトダウンしていたんだか… 96にヒルを追い出してでもウィリアムズ入りしてれば、チャンピオン取れてたかもなあ。 '96はヒル&ベルガーのウィリアムズだったら鉄板でベルガーチャンピョンだな
タイヤテストはヒルにやらしとけ
ギャラの吊り上げしているうちにジャックに割り込まれてパー ベルガー「やったー優勝したよー」
ピット(シーーーン) >>166
逆にウィリアムズというチームを意識改革してしまうかもしれないぞw
後年モントーヤがラルフの車にエロ写真だったか貼った時とかも
多分現場のメカニック達は面白がってたんだろうし
フランクの車椅子にロケット花火つけるぐらいやってもおかしくない。 やっぱり89の事故から思い切りの良い突っ込みが中途半端になってクラッシュが増えた気がする。
それまでは神業オーバーテイクも結構あったんだけど。
しかし、90〜92でマシンが一番悪い92に一番勝っているのが意外性の男の面目躍如だなw
90年はチャンスだけなら、サンマリノ、カナダ、鈴鹿あたりだと思うけど。
90年は勝てそうで勝てないのが本当にイライラしたw >>173
90鈴鹿は
オープニングラップトップで帰ってきたのに…
すっかり忘れてた
そしたら、ポールスタートのアメリカも勝つ可能性
メキシコ、フランス、イギリスの3連戦も勝てそうでタイヤズルズル。
一緒にタイヤズルズルだったセナを横目にプロストが3連勝で、チームはセナ優先でNo.2待遇 ベルガーのF1での勝ちパターンって
ポールから先行逃げきりか
中盤から終盤に上位がリタイアして勝利か
チェッカー寸前で譲られたり…
97ドイツは強かった
初優勝の86メキシコはピレリタイヤ無交換作戦だって事は知ってるけど
何番手スタートかは知らん
とにかくマンセルやセナみたいにコース上でガンガン抜いての勝利は無いよね
>>176
確かにその勝ち方ばっかだなw
セナは先行逃げ切り形だと思う。オーバーテイクも旨かったけどね。
マンちゃんは逃げようとするけど自分のミスで失敗して逆ギレして追い回すタイプw
プロストは典型的な追い込み形。
プロストは予選順位にあまりこだわらなかったのと
スタートがあまり上手くなかったので、追い込みが多くなってたような気がする。
慎重でイケイケってタイプじゃないんだよね。 オートテクニック誌87年頃のに、セナ、プロ、マン、ピケとベルガーのドラテクを比較して、ベルガーは幻の多角形コーナリングだと好評価してたよ。それがドタバタ走りとかに見えるんだろうかね。
その記事を読んで、ベルガーのファンになったなぁ。
記憶に残る勝利とエロ本が思い浮かぶドライバー、それがベルガー。 自伝に「皆初めてのコースは俺は速い」って書いてたけど確かに金曜の予選の暫定ポールとかスーパーラップは多かったなあ。
あと、マクラーレンに初めて乗った時にレースディスタンスのテスト走行した時プロストより大分ギアボックスが傷んでいたってのは
らしいと思った。クルマに優しい走りではないもんなあw。まあ、セミオートマからマニュアルに戻ったばっかりってのもあったと思うけど。 89年だったかシーズン終了後に、鈴鹿で2番グリッドからスタートさせてピットインするまでの周回数走らせたら
プロストより0.5秒速かったってテストのことかな?
セナとシケインで接触するまでのプロストは本当に速かったので、ベルガーには期待したけど
所詮テストだし、セッティングも気温や路面条件も違うし
プロストは周回遅れとも出会ってたはずだし、こんな結果アテになるんかいなとも思ったなぁ。 多角形コーナーリングは、ツーリングカー上がりだからとか雑誌で見た記憶がある。
先行逃げ切りは89のエストリルもあったな。この年はリタイアが多かった。エストリルの高速1〜2コーナーが見た目にも速かった。 ケンサワか誰かが旧DTM(もうITCになった頃かもしれない)で
メディア向け同乗体験イベントみたいなやつで当時のトップドライバー達の隣に乗せてもらったら
フィジケラだったかヴルツだったか当時のカート上がり&フォーミュラ有望株の若手と
シュナイダーやルートヴィッヒではまるで乗り方が違ったとかいう話はしてたな。 確かマイルドアンダーステア好みだったよね。
アレジはオーバーステア気味なクルマの方が好きみたいで毎年クルマの傾向で若干速さに優劣がついてたのは面白い。
ちょっと遅くなってもアレジとタメ線の速さだったのは興味深いけどね。
今のシュー、ライコ、ウェバー、マッサあたり見れば、若いベルさんなら現在のF1で通用しますな 落ちないように書き込み
ベルガーさんの髪も落ちませんように 金はたらふくあるんだから自毛植毛でもすれば良いのにな。
まあ、太って昔のモテ男の名残は既に無いが。 初めてマクラーレンを走らす時にコクピット狭すぎて
シート外して座って隙間にクッション詰めて走ったって記事みた覚えがある 今はF1から離れているから今現在の話題はちょっと無いよね。
まぁ、現役の時にこのスレがあればアッと言う間に埋まっていただろうけどw
なんせ他人のアタッシュケースをプールに浮かべるわ、ヘリからポイするわ
自分のボスをワニ沼に突き落とすわ、走行中にキーを抜くわ
いきなりPブレーキをかけるわで他にも色々やりたい放題だからなぁw >>87
ベルガー・バーナードとアルボレート・エンツォの対立じゃなかったかな。 久々に俺さま烈伝のベルガー編を読んだけど、
BMW乗っててベルトしてなくて車外に投げ出された時のお話ってホントのお話? BMWで事故って首にヒビが入ったってのはホント (^^;) >>196
ベルガー・バーナード対アルボレート・マラネロエンジニアで
エンツォはどちら贔屓でもなかったと思う。
87にマクラーレンに移籍してたらその後はどうなってたんだろう。
ベルガー対プロストの予選対決も見たかったな。
まあ、ベルガーのいたずらをプロストは許さんだろうなw >>203
「バーガー、あ、いや、ベルガーは…」とわざわざ言い直すのが津川流w 生まれた時代が悪かったよな。名ドライバーが本当に多い時期だったし。
高速コースが時代と共に減っていったのもベルガーにとってはマイナスだった。 >>204
ジョーホンダは バルガーと言ったあと ベルガーと言い直してたな。。w 87年はまだ行状を知らない雑誌が「オーストリアの貴公子」とか書いてたなw
普通の奴が仕掛けないコーナーで抜いていく走りが好きだった。
その分リスキーなんだけどね。
抜く時は強引だけど抜かれると分かった時のラインの開け方は凄くクリーンなドライバーだった。
セナは本当に車一台分しか開けないから厭らしいドライバーとしか思えなかったなあ。 同時期にベルンハルトランガーが活躍してたのでややこしい名前だと思っていた。 ハンガロリンクとか意外と速いんだよな、この人w
反対に高速でもポールリカールとか苦手だったw
エストリル、ホッケンハイムは何時でも抜群に合ってたなあ。 エストリルの最終コーナーはおもろかったもんね
マクラーレンの時はキツそうだったけど >>176
86年メキシコGPでベルガーは予選4番手 今宮純には「アクセルばたばた走法」って言われてたよなw
ストップ&ゴータイプのサーキットも強かった。
アデレードとかジル・ヴィルヌーヴとかな。 レース中のファステストは多いのに、レース運びは上手い印象が無かった。
92年のカナダくらいかなあ、上手いと思ったのは >>218
確かにね。
ただ、印象の問題かもだけど
アデレードはブッチしたセナとマンセルが共倒れでパトレーゼも抜きあぐねてリタイアで転がり込んできた感じ。
カナダはトップグループから離されてないし、マンセルのアクシデントを利用してパトレーゼ抜いているからかなあ。
珍しくクレバーなレースしてると思ってw ポイント数で肉迫したからじゃあないが、マクラーレンでの三年間で一番まともにセナとやりあえたのは92年だったな。 本当に残念だが、90年の前半戦で1つか2つ勝ててセナにプレッシャーかけれていれば分からなかった。悩み出したらドライバーは遅くなるしね。
前半はワンツーグリッド多かったし、セナに予選で3勝してるし。 ピレリタイヤの初優勝。鈴鹿初優勝。エンツォ逝去モンツァ優勝。第二期ホンダ最終戦優勝。
他にもあった気がするが、なんかこう色々と華があったよな。 >>18
遅レスだが、馬場アナは印象的な実況が多いな。
おめでとうティエリーブーツェン!とか。
人柄が温かいんだろうな。 >>224
彼の初勝利はベネトンの初勝利でもあるけど、ピレリはF1草創期に勝ってるので初勝利じゃないぞw そうだったのか。
色々と記憶が…
タイヤ無交換のベネトン初勝利だっけか…? そうそう。
グッドイヤー勢がタイヤ垂れまくって、ピレリでも一番柔らかいタイヤ選んだベルガーが無交換で勝ったんだよな。
ベネトンの初優勝だった。 まあバカのように勝ちはしないが印象に残る勝利を記録する
ドライバーだったって事だ。 1989年はマンセルよりリタイアが目立ったな。セミオートマとギヤBOXがまだ成熟しきれていなかったのかね? 信頼性が極端に低かったんだよなぁ。
ただ、普通に完走すれば表彰台率100%(9/9)だったね。 特にマニエッティ・マレリの電子部品が弱かったらしい。
セミオートマは当時ドライブの負担は減るけど電気系トラブルが起きる温床だったからな。
前半戦はマンセルが速く後半はベルガーが速かったというのも面白い。
予選も割とこの二人は拮抗してたし。 エストリルかどこかでピットアウト直後に派手にコース横切ってクラッシュしたのってベルガーだっけ >>237
あれはアクティブサスが誤作動したんだから許してやれ クルサードのピットウォール突撃と同様に、本当はメカニカルトラブルが原因なのに
またやったか…と思われてしまうのも人柄なのだろうか。 90ハンガリーのナニーニとか、92エストリルのパトレーゼとか まあ、あれはパトレーゼもアホなんだけどなw
でも昔は思い切りよく抜けたのが後年はクラッシュに繋がったのも確か。 >>236
http://www.youtube.com/watch?v=FiFyk5xcpB8
ベルガー FFのシビックに乗っても上手なんだよなー。
右ハンドルで 左手でシフトするのに苦労しているけど。w ベルガーは当時のF1でも少数派になってたハコ上がりだもんな >>243
ちゃんとシフトダウンできるかどうか分からないのに 130Rに飛び込むのは止めてー!w 後年はスピードは落ちたけどセナに教えられたのかブロック巧くなってたよなw
94のシューマッハ、96のヒルをホッケンハイムで完璧に抑えた。
ホッケンハイムは高速だけど抜きにくいサーキットというのを差し引いても素晴らしかった。 今年の日本グランプリにゲルハルト来るのか…行きたいな… 自伝を読んでても先行逃げ切りを理想にしてる感じだった。
追い込みタイプでは無かったな。
フルタンクでオーバーペースでタイヤを駄目にしてしまうレースも多かった。
路面にビッタリつくセッティングが好きなのも仇になったか。
だからフルタンクで速い87年みたいなマシンなら抜群のパフォーマンスだったんだよなー。 1994のサンマリノ後のベルガーの記者会見には感動したなあ。
「今日走らずとも明日、もしくは近い内に走らなければならないとしたら今走るのが自分に与えられた道である」って。 ゲルハルトレース100選
97年 ドイツ(最後の勝利)
88年 イタリア(エンツォに…)
92年 オーストラリア(ホンダに…)
94年 ドイツ(ここからフェラーリは毎年勝ってる)
87年 日本(初の鈴鹿)
96年 ドイツ(エンジンブローがなければ…)
90年 カナダ(フライングがなければ…) ゲルハルトレース100選2
86年 メキシコ(初優勝)
86年 サンマリノ(初表彰台)
87年 オーストラリア(連勝はこれだけ)
90年 サンマリノ(マンセルを360度スピンに追いやる)
87年 ポルトガル(初PP ただしレースは…)
93年 日本(あのマシンで予選で一時トップに!) ゲルハルトレース100選3
89年 サンマリノ(ホントに危なかった)
90年 日本(オープニングラップトップ でも2週できなかった)
86年 ベルギー(せっかくのフロントローが…)
93年 ポルトガル(サス壊れる 危なかった)
91年 日本(譲られた優勝 ただしポールタイムは10年破られず!) モナコで文字通り大暴れしてたのは93年だっけ?
ヒルだかのサイドポンツーンに突撃したり、まさにめちゃくちゃだった。 でも93モナコはベストレースの中の一つだけどな。
あの年のみどころは、他にはハンガリーと日本くらいだし。 エストリルはマシントラブルが起きなければシューマッハの前で復帰できて優勝できたかもしれなかったレース エストリルというとパトレーゼ吹っ飛ばしたというほうが…。
「ライバルチームのNo.2を震撼させたぜ!」 ゲルハルトレース100選4
92年 カナダ(優勝&ファステストラップ)
89年 ポルトガル(優勝&ファステストラップだが、セナとマンセルの接触があり印象薄い)
86年 オーストリア(フロントローからトップ快走するが…怒りのファステストラップ)
86年 ドイツ(初ファステストラップ)
95年 イタリア(ファステストだがアレジ車からカメラが…)
90年 アメリカ(マクラーレンでの初レースでPP&ファステストだが…) >>269
そのせいで予定されていた日本GPでのデモランがキャンセルだってさ… 「日本のファンの皆さん、こんにちは。今までずっと私を応援してくれてありがとう。
鈴鹿サーキットから、私が優勝したマクラーレン・ホンダを鈴鹿でデモランすることの
招待を受け、とても嬉しく思いました。皆さんに会えるのをすごく楽しみにしていましたし、
とっても好きな鈴鹿サーキットに戻れるのを心待ちにしていました」
「しかし、残念ながら、そして素晴らしいことでもあるのですが、今年、私に赤ちゃんが
生まれます。その時期がちょうど鈴鹿に行く時期と重なるため来日をキャンセルさせて
いただきます。今年皆さんに会えなくてとても残念です。来年か再来年、また私が招待
されたら、鈴鹿サーキットを走行したり、皆さんと一緒にパーティしたりすることを願って
います。皆さん、ぜひ、悲しまずに今回のことをご理解いただきたいと願います。そして、
あらためて鈴鹿に行くことを約束します」
http://as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=50252 メルケルといいあっちのセレブは
スキーで無茶して怪我するのが流行ってるのか…。 年取ると体が思うように動かんから、呑気に滑ってるスキーでもあっという間に
危険なスポーツと化す。
アメリカだが、数年前に頭を打って家に帰ってから具合が悪くなって死んだ
女優がいたな。 >>260
89サンマリノよりも93ブラジルのほうが危険だったと思ってる イタリアで、アレジの車載カメラが吹っ飛んできてサスを壊してクラッシュしたのも
ヤバかったよな、ヘタすりゃマッサみたいになってたというか、確実に死んでた。 マンセルも、二度目の(そして今のところ最後の)インディ500で
周回遅れのドライバーかなんかが上から降ってきたってのがあったな。
二人とも何度も危うく死ぬか誰か殺すかみたいなことを散々経験してるけど
実際そうなる前に引退した、という点では
一般的に世間が評価する以上に賢明な人物なのかも。
ジル・ヴィルヌーヴみたく限界を超えた走りが案の定限界を超えすぎちゃって壮絶な最後を遂げたり
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AC%E3%82%B9
ウィリー・メレスみたくかねてより大事故や怪我が多かった人が
最後には廃人同然になったうえの謎の死、なんてことも…。 こないだのオーストリアグランプリに写ってたね〜
頭がきてたね〜 パーカー姿だったね
「眉毛から上の印象が変わりましたが」ってうるさいわ竹下w ベルガーは想定内だが
往年の実況アナ馬場鉄志が激変してて引いた。。。 ブーツェンはセナと個人的に結構仲が良いとは
オレ様烈伝のブーツェン回で書かれてた(あれのご意見番は林信次さん辺り?)からねぇ。
カペリがフェラーリのレーシングスーツ着てるってことは92年の序盤だと思うけど
マクラーレン・ウィリアムズ・フェラーリ・ベネトンの両ドラとリジェ・フットワーク(ミケーレ)から1人ずつってことは
単純にドライバー&コンストラクター順じゃないよな。
当代トップ4チームのドライバー+その辺に居た知り合いに「ほらお前も混じっとけ」的な感じ?w 有賀さつきと結婚してやってれば
あんなのとくっつかずに済んだのに ベルガーは高速で回り込むコーナーがあるコースでは速かったな
仮にインディに行ってたら伝説的なドライバーになってたかもな オーストリアは地元だからともかく
今シーズンはよくF1のピットあたりに出没してるね
そろそろ何か企んでるのかな https://pbs.twimg.com/media/CIBGgwuW8AAZVIZ.jpg
Danner, Patrese, Berger, Lauda, Alesi, Piquet, Martini, Prost >>293
Thannk you!
頂きました^^ >>293
アレジもいいオサーンなんだから
俺も歳をとる訳だw フジF1初年度から見てるオヤジとしては
87のラスト3戦の優勝目前スピン、完勝、圧勝の3本です。 >>85
消火器誤作動は88年
87年は単にプロストのプレッシャーに負けた 1997鈴鹿でヒルにぶつからなければ一位とれたのにね ベルガーです みんな応援ありがとうございます 日本の女の子達にもよろしく ■DTM運営組織のITR e.V代表が交代。ゲルハルト・ベルガーが新チェアマンに就任
https://www.as-web.jp/overseas/100769?all
<以下、記事抜粋>
これまでDTMは、H.W.Aなどメルセデスベンツのモータースポーツ活動の礎を築いた
アウフレヒトが『DTMの父』として長年代表を務めてきた。アウフレヒトは今日のDTMの
繁栄を築いたほか、“クラス1”規定設立に向け、スーパーGTのプロモーションを務める
GTアソシエイションとも長年交渉に当たった。
ベルガーは1997年を最後に現役を退いた後、BMWのモータースポーツディレクターや
レッドブル/トロロッソに携わり、2012?14年にはFIAのシングルシーター・コミッティの
委員長に就任するなど活躍していたが、今回DTMのチェアマンとしてシリーズの変革を
担うことになった。 MotoGP第11戦オーストリアのスターティンググリッドにベルガー
GPレジェンドのミック・ドゥーハンと談笑していました
解説者によれば、2007年にGPマシンに試乗したこともあるとか
でも、そのチェックのシャツはちょっと・・・ ベルガーを略してゲベと呼んでる奴は何人いるんだろう とても簡単な自宅で稼げる方法
念のためにのせておきます
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
JZ2LT ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ これは人権侵害でも、人種差別でも、ヘイトスピーチでも、ヘイトクライムでもなく、事実であり、現実であるのに、こういう歌を歌ったぐらいで逮捕して、
刑務所や収容所にいれることが、人権侵害であり、差別であり、言論の自由、表現の自由、思想良心の自由、その他の自由に対する、ヘイトクライムであり、それらへのテロ行為なのだ。
↓
最悪のテロ国家(ハッピーバースデートゥーユーhttps://nico.ms/sm1313852の替え歌)
※イスラエルの諜報組織にして、世界最悪にして、最強の国営凶悪テロ集団。今も中東やeuなどで元気にテロを実行中。
1
最悪のテロ
最悪のテロ
イスラエルが国を挙げてやるテロ
※モサドのテロ
2
最悪のテロ
最悪のテロ
イスラエルが仕掛けるイカレタ戦争と虐殺
真のテロ国家 ピケや2輪のドゥーハンは杖歩行、セナは墓の下、シューマッハは植物人間、
マンセルやプロストはゴルフ三昧、ベルガーは子供ができた、
五体満足で次の人生を謳歌してる人が結局勝ち組なんだろうな。 https://youtu.be/-FXg5ppMyDA
腕時計のストップウォッチで測ったら2回目に1:34:74が出て鳥肌が立ったw
前年のセナより2秒以上速くて10年間破られなかったって凄いよな。流石プレイボーイw ジャンアレジのスレが無いと思ったらアレジって優勝1回しかしていないんだな。ベルガーの方が格上だね。 アレジ優勝、懐かしいなあ
レースが長引いて、表彰式が始まったとこでフジの朝の情報番組に切り替わってしまった 古本屋で手に入れたゲルハルト・ベルガー自伝を読んでいるが
まぁとにかくページ数が多いのと登場人物多過ぎて何が何だか
訳が分からなくなる。しかし86年シーズン辺りから大体知ってる名前とかが
出てくるようになって半分くらい読み進めてからようやく面白くなってきた。 >>315
幻のF189 (後の018)が載ってるのってその本かしら? >>316
普通に89年シーズンのF189は写真で載ってるけど『幻の』とは?
実戦で使われなかったモデルがあるとか? >>317
30年程前の模型誌にフィクション漫画としてハーベイミジョーがバーナードを出し抜いて89年モデルを開発してたって話があって
その漫画の参考文献にベルガーの自伝が挙がってたから記述があるのかなーと思って
因みにその漫画のオチはミケーレハーベイミジョーがケンティレルとヒースロー空港で握手してるのをベルガーバーナードが発見する、
という物 ベルガーの自伝を読んだ限りではフェラーリ在籍時にチームのあまりにダメダメな
体質にベルガー自身、かなりウンザリしてたようだ。名門と言われるチームでも
中身はやっぱりそんなもんなんだって思った。 >>315
その本、デビューしたATS時代のことが詳しく書かれてないんだよ
ものすごく意味あることのはずなのに ATSデビューがなかったも同然の扱いになってる
アロウズが実質デビューなどとほざいてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています