日本の国語教育22
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>>528
そう氏ね氏ね言うな。
自分の表現力の低さを露呈してるだけです。 来年1月に発売予定の「新明解国語辞典(第7版)」(三省堂刊)にネットスラングの「ぬこ(猫の意味)」が新語として収録
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news2/1285149441/ >>525
「漢文利権」があるようだが、漢文より中国語を学んだほうが有意義だと思う。
古典も教養でしかないのだから選択性で十分。 あぁ〜はっ!
精!ビガマラっ!
ほぉーおぉ〜
精!ビガマラっ!
ほぉーおぉ〜
精!ビガビガマラっ?ビガビガマラっ
ビガビガマラっ?
ビガビガマラっ
精!ビッビガマラマッラ〜!
ビガマラっ! 高校入試合格BON!国語―学習指導要領準拠
これ最強だよwww一度使ってみてww ◆yk/JpL/Z9U の目的は信者を獲得することです。だから 2ch 教育・先生板
にスレを立てることに固執します。
学校の国語教育は本当に無駄だと思いながら現代文の授業してるわ。
そもそも大学入試がおかしいからな。まさに受験にしか役立たないテクニックだと思う。
「このときの登場人物の心情に当てあまるものを次から選べ」とか意味わかんねーし。
言葉遣いとか文書の書き方とかやりたいけどそんなもん行政も生徒も保護者も望んでないしな。
せめて文学の授業時間と日本語の授業時間は分けてカリキュラム組めるよう校長に頼んでも変わらない。(言い分は理解してもらえるけど)
文学って美術とか音楽とかと同様の芸術文化だろ。興味ない奴は興味ないでいいし好きな本を好きな読み方してりゃいいよ。 俺も同感。国語の授業に文学を入れるからおかしくなる。
国語の授業は表現と論理的文章だけ扱えばいい >>536
久々に教育・先生板らしいまともな問題提起!
高校時代の英語の先生(見た目はじいさんだった)は、教材に英語の小説を使って、
語法だけでなく、小説の内容の時代背景の説明やら、登場人物の心情の読み取りやらを扱ってくれて、
当時は「なんでこんなんせなあかんねん」と思っていたけど、今思うといい授業だった。
国語も、論説文とか趣味で読むエンタメじゃなくて、純文学に触れさせるのはいいことだと思うけどね。 個人的な価値観なんてどうだっていいんだよ。まずは学習指導要領をしっかり踏まえた授業をしろ
ってことなんだが、国語の学習指導要領って他教科に比べて中身なさすぎだろw
中一、中二、中三、国語総合と比べても、国語という強化が具体的にどういう体系を持っているのか分かりにくすぎ。
いっそのこと今塾とかでやっているような国語の授業にしたほうがいいんじゃねえのか? 大学の抗議や企業の新人研修の話題で
『最近の若者は敬語を使えない、レポートが書けない、電話応対ができない』
みたいな苦情がよく出るけどそれらこそ義務教育の国語でやっとくべき内容だと思うよ。
文学に関しては俺は一応作家論とかテクスト論とか文体論とか物語論etcの
文学理論を紹介しながらやってるから授業作りに困るって事はない。
むしろ大学生向けの参考書を噛み砕いて説明するだけだから楽。
ただやっぱり受験にはそんなもん出ないし指導要領で定められてるわけじゃないから
他の国語教師には強制できないし俺もやめろと言われたらやめざるをえないけど。 いいんだよ、国語は。暗記、論理的思考、科学的な考察は他の科目に任せておこう。
(国語にもそういう要素はあるけど。)
最も多感な時期にある生徒たちの感受性を高めるのは俺たちの任務なんだぜ!
5科目の中のオアシスとして、面白く、楽しく、感動的に授業すればいいんじゃないの? 俺が受けてきた国語の授業も8割雑談だったな。
おじいちゃん先生が子供の頃田舎だったから戦時中全く変わらず生活してたとか
ねらーみたいな懐疑的な性格の先生が太陽光発電はぼったくりだと主張してたとかくらいの事しか覚えてない。
俺も雑談多いかな。一応漫画・アニメとか映画とか演劇とか文学に少なからず関係あって生徒が好きそうな事話してるけどね。
ただ個人的な趣味だけど論理的思考はやりたいな。高校数学で扱う程度の十分条件、必要条件なんて国語でやる事だと思うしな。
政経の円高とか円安の誤解(円が安くなるから円安になる、みたいなの)も読解力の問題だと思うし。 雑談と思わせちゃったら邪道だと思うよ。
いかに授業内容をふくらませるかだと捉えて欲しいな。
その手段としての興味付けならアリだし、俺もやっている。 とにかく学習指導要領がいかんだろ。
いくらなんでも内容が抽象的すぎる。
数学なんかのそれと比べたら目も当てられないねw >>545
確かにそう思う。
小学校では算数と並ぶ花形科目なのに、中・高はコピペみたいな指導要領。
なんでかなあ。 大体教科書会社によって、定番教材以外内容がまるで違うってのが教科として破綻しているだろ 確かにねえ。そこが教員の腕の見せ所だとは思うが、
教科書会社と教員任せっていうのもどんなもんかね。
ところで、>>541 の言う「大学生向けの参考書」って何?
興味あるから読んでみたいな。
こういう名文を書ける子に指導すべき。
朝日新聞の記事 昭和50年4月19日
http://www.asahicom.com/anotoki/asiayasasisa.htm
「アジア的優しさにあふれている」ポルポト軍
中国共産党に支援されたポルポトは政権掌握後、「アジア的優しさ」をもって国民の三分の一にあたる300万人を殺し、
自国民が他国に逃げないよう国境に地雷を埋めまくりました。
http://www.musicasenlinea.com/videos/cambodian-genocide-pol-pot-and-the-khmer-rouge-;1-SI8RF6wDE.html
CAMBODIAN GENOCIDE - POL POT AND THE KHMER ROUGE
クメールルージュ 赤いクメール 教育に貢献したいのなら教員じゃなくて政治家か役人になってくれ。現場で云々するのは無理。
他の教科の教師も少なからず思ってることだろうけど現代文に関しては特に思うわ。
自分でも授業内容の意義が全く分からん。 さんざん学習指導要領の批判してきたが、その学習指導要領でさえ一応指導項目が決められている。
にもかかわらずそれを無視したような指導が横行しているよな。
たとえば、中学校の読むことの中にある言葉の意味に関する事項。
授業の中でそれを意識して指導の中に取り入れている国語教師は多くはないだろう。
底辺校なんかいくと、具体的と抽象的という言葉の意味すら分からないとか、学習指導要領を無視した授業の横行している証拠じゃなかろうか。
学習指導要領では口語文法を扱うことになっているし、教科書にもその部分があるにもかかわらず口語文法を一切指導しない国語教師もいるようだな。
そら、高校で文語文法の習得なんてできるわけねえわw そら国語教師なんてほとんどが大学で文学の勉強してきた輩なわけだし
言語学的な文法にはちんぷんかんぷんよ。
分かるのはポストモダンだとか脱構築だとか云々だけだろ。
やっぱり文学と言語は別に教えるべきなんだっての。
理科の物理と化学が別れてるって事くらい自然な事に思えるんだけどな。
外国を見ても実践してる国はないんだよな。 国語教師は思想学や文化論にかぶれたスノッブが多すぎ
やたら難解な言葉使いたがってかえってバカに見える
何が脱構築だよ http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/tyugoku-no-tabi/tyugoku-no-tabi.html
「中国の旅」報道について―「ウラづけなし」報道の原点―
1「レールは敷かれているし・・」
1971年8月から12月まで、本多勝一記者の手になる現地ルポ「中国の旅」連載を開始、
これをもって朝日新聞社は手持ちの媒体―「アサヒグラフ」「週刊朝日」「朝日ジャーナル」―を総動員、日本軍断罪の一大キャンペーンを始めたことはすでに記しました
連載は「平頂山事件」に始まり、「万人坑」「南京」「三光政策」とつづきました。読んでいて気持が悪くなった、と感想をもらす人もあるくらい、日本軍の残虐さであふれかえっていたのです。
この頃、中国では「文化大革命」の最中で、日本のメディアは「さすがは革命の先輩国」とばかりに、「ブンカク、ブンカク」と報道に熱中したものです。
「文化大革命を中傷し、国内状況をゆがめ、反中国の行為にでた」との理由で、北京駐在の特派員は国外退去処分をうけました。「朝日新聞」一紙をのぞいては。
本多勝一記者の約40日間の中国"取材"は、このような朝日の半独占状態のなかで行われたことになります。 取材の状況を本多記者は次のように書いています。
●「本舞台での取材そのものは、ある意味では楽な取材だと言えるでしょう。レールは敷かれているし、取材相手はこちらから探さなくてもむこうからそろえてくれる。
だから問題は、短時間に相手からいかに大量に聞き出すか、しかも正確に聞き出すかと、そういう問題になる。」
驚くべき発言でしょう。中国側の用意した"被害者"などから、大量に聞き出してそのまま連載したというのですから。
まさに、レールは敷かれていたのです。しかも、このことに本人は何の疑問も持たないようで、●「楽な取材」だったというのです。
読者は「大朝日」が報じたのですから、さぞ、十分な調査をしたうえでの報道と思ったことでしょうが、とんでもない食わせ物だったわけです。
この連載は同時に取材した"事件"、例えば「防疫惨殺事件」などが付け加えられ、単行本、文庫本となりました。
さらに、『中国の旅』の写真版と称する『中国の日本軍』(創樹社、1972年)も発刊されました。(略) ●『加害者とされる日本側の裏づけ調査をまったくしていなかった』
のにです。
2「代弁しただけ、抗議をするのなら中国に」
もちろん、連載に対して抗議の声があがりました。撫順炭鉱に勤務した久野氏は、同鉱に関する記述は事実と著しく異なる、と自著とともに本多記者に抗議の手紙を送りました。
本多記者の回答から「追記」の部分を引用します。(左写真は本多記者の返信)
●「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば中国側に直接やっていただけませんでしょうか。
中国側との間で何らかの合意点が見つかったときには、それをまた本で採用したいと思っております。」(1986年3月9日付け書簡) 人をバカにした実に不誠実な回答だと思いませんか。いったい、だれが記事の責任を負うというのでしょう。
新聞社が、書いた記者が責任を負うのはあまりに当たり前なことではありませんか。
このようなことをヌケヌケと書く、しかも相手は80歳を過ぎたお年寄り(明治35年生まれ)ですよ。卑劣さもきわまれりと思います。
朝日新聞社への抗議の例はこれだけではありません。抗議に対して、朝日は無視あるいは玄関払いを以って応じたのです。個々の例は各テーマの記述でふれることにします。 3教育現場に深刻な影響が
このようなルポが学校にまで入りこみました。教師が生徒指導のために使う「虎の巻」があります。分厚いもので、『指導資料』と書いたものが多いようです。
大分前になりますが、『中国の旅』がどの程度、学校教育に浸透しているのか、中学用、高校用の「虎の巻」を調べたことがあります。高校用には多数が顔を出し、中学校用にも何例かが見られました。
中学校のある教師が次のように報告しています。
●「南京虐殺を教えるとき、教師は本多勝一氏の『中国の旅』のもっとも悲惨な個所を読み上げ、
日本の過去の暗部を『これでもか、これでもか』とさらしてきた。そうすることが、二度と過ちを繰り返さない唯一の方法であるかのように」 教育というより現在の日本語の問題だけど、
政策の名前とかにカタカタ英語使っていいのか?
アジェンダなんとかとかそんな政策名作ったりしてるけど政策でそんな名前つけていいんだろうか。
あと会社の役職名とかもやたらカタカタ英語名が氾濫してる。
しかも、仕事の分野とかあるいは会社単位ごとにいろんなカタカタ英語の役職名を使ってるから、そんな役職の名前聞いても何の役職なんだかよくわからん。 もっとも悲惨な個所は、おそらく次のようなものでしょう。
●「ときにはまた、逮捕した青年たちの両手足首を針金で一つにしばり、高圧線の電線にコウモリのように何人もぶらさげた。電気は停電している。こうしておいて下で火をたき、火あぶりにして殺した。
集めておいて工業用の硝酸をぶっかけることもある。苦しさに七転八倒した死体の群れは、他人の皮膚と自分の皮膚が入れかわったり、骨と肉が離れたりしていた。
『永利亜化学工業』では、日本軍の強制連行に反対した労働者が、その場で腹を断ち割られ、心臓と肝臓を抜きとられた。日本兵はあとで煮て食ったという。・・」 この話、信じられますか。日本兵が中国人の腹を断ち割り、肝臓を食ったという話は、中国側の「証人」がよく持ち出すおなじみのものです。
ですが、人の肝臓を食う習慣が中国にあったのは間違いなく、最近も多数の人の腹を断ち割って、肝臓を食ったという確かな話が、中国人のレポートにあり、日本語訳されて出版されています。
ですが上の引用、『中国の旅』からとったものではなく、三省堂発行・高校用教科書の『指導資料』からのものなのです。
また、別の教科書の『指導資料』には、「中国での日本軍の残虐行為は本多勝一著『中国の旅』『中国の日本軍』が必読文献。とくに後者の写真は良い教材となる」と書いてあります。
必読文献には仰天します。信じたから書いたのかもしれませんが、いかに『中国の旅』が教師に影響をあたえ、生徒の「歴史イメージ」に決定的な役割を果たしたか、想像がつくと思います。
まったく、常識を疑います。ですが、夏休みなどに『中国の旅』の感想文を書く宿題が出されるのですから、「東京裁判」が諸悪の根源などという議論など、ほとんど役にたたないと思うのですが。
つけ加えますと、「百科事典」に採用されているものも目につきます。 「周恩来秘録」高文謙著、文芸春秋刊。
にて蒋介石に負けての大敗走を「大長征」と
言い換え、敗走中、飢えた兵士がお互いを食いあったことが共産党最高幹部の口から
出ている。人食い人種というのはここでも間違いない。さらに、抗日戦争
を戦ったというのが現在の共産党支配に絶対必要なレガシーであるが、
謝幼田著の「抗日戦争中、中国共産党はなにをしていたか」草思社、
で抗日戦争を 戦ったのは蒋介石国民党で
共産党は微々たるゲリラ戦が散発的にあったに過ぎない
ことが暴露されている。 >>562
てめぇ! 書くなら小林の戦争論が流行った10年前だろうし、どうしても書きたかったら日教組批判スレだろうが。
国語教育で、本多の本や毛語録でも使っていると思ってんのか、オオボケヤロウ。
時も場所も間違えて、どうする。今頃、洗脳が解けた転向サヨクかよ! 食人宴席―抹殺された中国現代史
カッパ・ブックス
鄭 義 (著, 原著), Zheng Yi (原著), Ko Bunyu (原著), 黄 文雄 (翻訳)
中国が国をあげてひた隠しにしてきた「衝撃的な事実」が、これでもかこれでもかと書かれている。
、
実は、心理学では己を語る事項を「他へ転嫁する」ことを「投影」または「投射」というそうだ。
しつこいんだよ。やるなとは言わねぇから、よそでやれ。
お前が突撃する相手は教職員組合か、左翼系社会科教師だろうが。
場所間違えました。すんません。
大昔の生徒です、ごめんちゃい。 >>567
表現「できる」ようにすること。
そのためには、他者が表現したものを正しく理解する力と、行間を補う知識や想像力が必要。
そのためには、基本を抑え、先人が残した多彩な表現に触れることも必要。
文章すら正確に読めない。読めても字面だけで、相手の真意を読み解くことができない。
人の受け売りやコピペは得意だが、自分の考えを自分の言葉で語れない。
そんな一部の2chの住人を見ると、多くの人が当たり前に身に付けている能力を
授けてもらえなかったわけだから、教員に批判的になってもしょうがない。
表現する力も、受容する力も、共感する力も不足しているために、実社会からはじき出され、
いつまでも学校や教員に欲求不満の矛先を向けている人々を見るにつけ、無下にうたてしう覚ゆ。 国語科教科内容の系統性はなぜ100年間解明できなかったのか
という本があった。内容よくわからないけど、タイトルだけ見るとよさげ。
全国の国語教師が疑問に思っていることについて言及してくれてそう >>569
ネットにあったさわりだけ読んだけど、参考意見として面白そうだね。 今んとこかわないと手に入んなそう。どっかの図書館にないかな 学習指導要領とか全て無視して、ふと思ったことを書くと、実は国語科って体育と並んで最強の「実技科目」なのではなかろうか。
なぜなら日々常に使うものだから。(算数もそうか。読み書き算盤、文武両道。だから寺子屋の頃からあるんだね。)
外国人が始めて日本語を習うのなら、それは「勉強」なのかもしれないけど、
日本人が「現代文」をやるのは実技。普段、意識しない文法だの古典だのをやるのは「勉強」。
そう捉えると、いいのかもね。
もし国語が実技であるのなら、一番大切なことは興味を持たせること。
もっと簡単に言えば、面白いと思わせることなんじゃないかなあ。 実技であるなら、大切なのは「できる」ようになること。
読み取ることが「できる」
それについて、考えることが「できる」
感じることが「できる」
そして、自分で表現する欲求が高まり、表現することが「できる」
さらに、面白く、美しく、あるいは複雑に表現したいという欲と挑戦が始まると、楽しいね。
2chやブログにハマるのは、出版や上演しなくても、簡単に自分の意見を「表現」することができ、
身近な人だけじゃなくて、見ず知らず人の反応をすぐに「読める」からやんね。
便利な世の中になったね。これだけ簡単に表現できる世界が広がったんだから、尚更国語という科目は大切だね。
ただーし!コピペ多用で自らの言葉を語れず、他者の意見に耳を傾けられない阿呆も多いのは、国語教育の失敗!残念無念。 >>574
あと、2ちゃんに多い表現されてないことを自分の都合がいいように解釈すること
例えばAとBとが対立しているとき、
Aを庇っただけで、Bの工作員だとかB擁護だと抜かす奴。
こういうのは国語力が身についていない最たる例だね 私の現代文の授業、ほぼ三分のニは寝てる。起きたら私語はじめるので、あえて起こさない。私語の注意は徹底的にしたら「寝りゃいいんでしょ」という空気が蔓延した。 問題の1つは、もともと国語の才能がある人(学校の先生)が、
国語が得意な生徒に向けた授業をしており、
国語が不得意な生徒を対象にした授業をしてない点にあると思う。
国語が不得意な生徒をターゲットに、基礎的な国語の能力をつける教育こそが必要かと。
現状では、特に論理的に書く力が足りない人が多いのが残念至極。
作文の時間は、感想文書かせるのではなくて、論説文を書かせる教育をやって欲しい。
・・・大学入試で書く力をもっと試すようになれば、状況は改善するのかな。 いや、だからね、指導系統がわかりにくいのが問題なんだよ。
一応建前では学習指導要領は学年を追っての系統性があることになっているが、
算数数学英語理科社会に比べたら
系統性(笑)どこが?って感じの内容ですから 当方教員ではないので・・・
指導系統がないことも現場の教えにくさの原因の1つなんですね。
ただね、なにを教えるべきかってことを考えた時ね、
今まで自分が受けてきた国語教育は、文学作品の解説の割合が高くて、
最低限の「読む力」「書く力」を身につけるための技術の割合が低かったんよ。
そして、それは自分の教育体験だけではなくて、
最近大学で理系の学生の卒論・修論にアドバイスするときにも、
科学の内容よりも前に、文章の書き方を直さなきゃいけないことが多いんですよ。
こういうことに時間取られると、国語教育はなにやってるのって怒りを感じるんですよ。
生徒さん達の「読む力」「書く力」を鍛えてください。頼みます。 昼食後の国語授業はやりたくない…みんな寝てるし…自分も学生の頃寝てたけどねw >>581
それは笑い事なんか?
寝るなよアホ
勉強せんやつが教員になるな。
お前のような奴がおるから日本はあかんねん 私立の場合と違って公立は模試の偏差値を過年度と比較されたりはしないんかな?
職員会議で結果報告とかない?
寝ててもいいって、そんなのあかんやろ
寝てていいなんて教員が決めることじゃないやろ。それで学習指導要領の目標が達成できるならええけど。 教員で「しゃべるくらいなら寝てた方がいい。困るのは自分」
とかいう奴いるけど、寝てていいなんて教員が決めることじゃないのよ
どういう授業であれ寝かせたらあかん。
授業のよい悪いに関係なく。 学生時代に勉強しない奴が教員になって、大学生活でアホ面こいて遊んだ思い出を生徒に話して「大学は楽しそう」みたいに思わせるのはやめてな。
バイトして社会経験積んで〜とかより、やはり勉強が大事
勉強ばかりでは視野が狭くなるというのは大間違い。バイトやサークルで思い出作る以上に尊く、大事で貴重な経験ができるのが勉強 教員目指す奴や理系には勉強することを薦めているよ。
だが文系は普通に営業やるのがほとんどなんだから、リア充になることを薦める
今や勉強ばっかやってて就職に有利になるの金融くらいだろ >>586
お前はそう助言して人生変わったら生徒にどう責任とるんや
無責任なことぬかすな。
お前は考える力の意味がわかってるか? お前ら最近の就活経験したことあるのか?
営業職は十中八九学業以外に力を取組んだことはなんですかと聞いてくるし、勉強のことを聞かれることなんて勉強以外の1割にも満たないぞ リア充…
この言葉もなぁ…
リア充がよくてそうでないのが悪いといえるのかね。
一つの視点でしか物事を考えられないアホよ。
無責任な助言はやめて。明日から一切するな まあお前はせいぜい頑張って真面目系クズを量産してくださいよw 誤解してもらいたくないが、本当は俺もお前と同じ考えだよ。
だけど、現実は甘くない。長いものには巻かれるしかないのが現代社会だよ >>588
パソコンに切り替えたけど
あのな、高校教員が大学卒業後のことまでアドバイスする権利はないねん
大学でいろいろ進路も変わるだろうし、院に行く人もいる。営業をやめて
教員になるものもいる。
高校までの教育ではそういった自分自身の人生上の問題を、自分の力で
どうすべきか考えて、自分で解決して、自分で道をみつける力を身につ
けないといけないんや。それが考える力、生きる力やろ。
国語では文章の読解を通じての思考力、物の多様な見方、そして日本の
文化の誇りを育てないといけないんじゃないかね。 >>591
じゃあ、文系だけど勉強しててよかった〜っていう人の人生を
歩ませる権利はなくなるんやな。
お前はそういう道をつぶしたんや。そういう可能性を今までずっと
つぶしてきたんや。無責任なアドヴァイスのもと。
現実は甘くない?お前の知ってる現実がすべてじゃないんや。
アホ。お前何か勘違いしてるやろ。無責任なアドヴァイスやめてな。
そういう考えだから学校の常識世間の非常識って言われるんだよ
現実社会で通用しない学校の建前生徒に押し付けてどうする?
生徒はそれで幸せか?本当に生徒の幸せ考えるなら建前主義は捨てるべきだな >>593
勉強してよかったーなんて、いまの日本では文系に限ってありえない。
だいたい勉強ばっかしている奴は頭でっかちとか思われて社畜上司に嫌われるだけ >>594
「学校の建前」というのはどういうことかな?
具体的に。学習指導の目的のこと?
お前の主観で生徒の人生を決めるなよ。
ちょっと関係ないけど
俺の高校時代もな「浪人はつらい。俺が経験したからわかる」
って言って浪人反対した先生いるけど、俺は浪人して本当に
考える力、物を考えるってこんなにすごいことだと思ったし
それが大学でも役に立ったし、よかったと思う。じゃあ、
この「浪人はつらい」って言った教員ってどう責任取るつもり
なんやろ >>596
俺は思ってるよ。勉強しててよかったって。
教員にならなくても思ってたと思う。俺はいろいろな文学を
読んで、いろんな見方を(少なくとも主観的には)すること
ができたし、大学時代ほど知に触れられる機会ってなくなる
からな。もちろん、勉強以外も大事だけど、やはり勉強が大事
だいたいリア充の定義って何よ
友達と遊んで彼女作って、バイトして充実してるのがリア充?
そんなものは召使に任せておけ 和歌は理想主義者すぎるよ。だから教員やるとギャップ感じて辞めたくなる >>600
でも俺は教科指導に関しては結果出してるで でも寝るより私語の方が有害。寝る奴は起きると私語。だから注意するとふてくされて寝る。その中間はない。そういう奴に時間を割くのは真面目に聞く生徒の時間の無駄。だから起こさない。 >>602
どっちが有害とかは関係ない。というか俺は学生時代目の前で寝てる
やつに心底むかついてるタイプだったし、そう思う人は多いよ。
私語も寝るのもどっちもめいわく。やっぱり勉強する雰囲気ってあるからな
俺は絶対寝てたら怒る。出席扱いにしないと脅しをかけるてるけどな。
理想を追うと手に入るものも入らなくなるからな。
寝かしとけって考えが一概に間違いだとは言えない 携帯に戻るが、
他人が寝てる環境って真面目な生徒には迷惑やねん
環境に無関心な奴以外はな。 まぁ俺は女子校で生徒は割りと言うこと聞くからそう思うだけかもしれんけどな
寝てていいわけはないんやけど 何か言えや
あっみんな明日仕事やな
俺は明日、研究日やけど
私立は土曜日あるから三連休がなかなかない 私が授業の力がないのは認めた上で、寝る奴を起こさないのは私語もあるが、寝る奴が多過ぎるから。まず私語をつぶす→寝る→寝る奴に当てる→わからんから長い間沈黙→こちらでヒントを出しつつようやく答える→答えた頃に周りみんな寝てる→寝る奴に当てる、この繰り返し。 >>608
なるほど。。まあ、いろいろあるわな。俺もよく考えたら他人にごちゃごちゃ授業の
あり方についていえる立場でもないし。
明日も仕事? 明日も仕事。非常勤だから昼からだけど。ここチャットじゃないからね。ではおやすみなさいませ 現状の実力を認識したうえで現実を踏まえてせめてもの策として起こさないのは大正解。
ただ一生これでいいと思っていたら大間違いだぞ >>616
もうお前も終わったころに出てくるな
ややこしいから
言葉の論理力を養う授業と現代用語を知るための授業と試験問題を解くための勉強と文学の授業で分けたい
論理力はとんち問題や論理パズルを使ってるから生徒は喜んで取り組む。
文学の授業も正解なんてなくて好きな読み方すればいいって教えてるからか、生徒は楽しそう。
ただ現代用語と試験のための授業は寝る奴すげー多い。
俺も試験のための授業なんてなんの能力も養えないと思いながら授業してるんだけど
入学試験や入社試験で現代文の問題が存在する以上やらんといかんな。 >>618
論理パズル?お前、ほんまに現代文きちんと教えられてるか?
現代文で試されるのは読解力やで。読解力なかったら大学で文
献読めないやろ
ちょっと
2010年度東京大学の国語
河合塾の解答ですが、大問1の(5)の解答では完全な正解にはならない。
正しい解答に直してみ。
http://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/10/t01.html
論理力なしでどうやって読解するつもりだ?
まさかフィーリングで読解した気になっているのか?
文学畑の人間が陥る発想だな >>621
違う。
読解力ってのは字面だけ読むんじゃなくて、意味をきちんとわかること
「逆説的な〜」という言葉、字は読めても意味がわかるか。わからなかったら
当然、読めない。論理力はきちんと読解する過程で自然に生まれる。
筆者の言いたいことを読み取る時に言い換え表現なんて探す人いるけど、
言い換えないときも結構ある。
フィーリングなら絶対早稲田の現代文なんか解けないし、記述問題が苦手
なはず。
「超自然」という言葉、意味わかってないのに「とっても自然」なんて
誤った解釈のまま読み進めるから問題が解けない。きちんと読み取る力
を養わないと。
俺は受け持ったクラスの子の偏差値、結構あげたで
内容理解の後に論理把握というのは全員ができるわけじゃないよ
普通は論理把握を踏まえてから内容理解をさせる
一部のできる生徒しか見えていない教え方だと思う >>621
ひょっとしたら俺と考え方は一緒なのかもな。本文の意味を徹底的に
精読するって姿勢は。
現代文はパズルやクイズじゃないよって言いたかっただけ。 >>625
とっかかりはパズルやクイズであるべきだろう。
じゃなきゃ表現力に結びつく読解力にならない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています