デザインとアートは違う
自分を表現したくてデザインにくるやつは考え直した方がいい
世の中にマッチしたものをつくりたくてアートにくるやつは考え直した方かいい
適材適所なんです 最初は前者に勘違い起こしてたけどようやっとわかった。
でも明らかに今はデザインのほうが自分はすきだからがんがります。 デザインのほうが気が楽だな…
自分を表現することにトラウマ抱えちゃってるから… デザインとアートの境界線をきちんと引けるわけがないじゃん。そんなに単純なもんでは無い。商業的なアートもあるし、商業的なデザインもある。デザインされたアートもあれば、アートされたデザインもある。 >>1
だ か ら な に ?
ここで語っちゃってる奴もデザイン板とかいけよ いいことを教えてやろう。こんなスレを立ててくれたんだからな。
スペイン語で数字の「5」のことを「Cinco」って言うんだ。
OK、あぁ、わかってる。
お前のことだからとりあえずチンコを連想しただろ?
読み方をカタカナで表すとシンコって感じなんだが、
まぁ、今はそんなことどうだっていいんだ。
いいか、よく聞け。
これからは2ゲットの時代じゃなく、5に Cinco って書くことが流行る。
そう、5に合わせてただ Cinco とだけ書くんだ。
読み方のわからない厨房はチンコを連想するだろ?
まさにそれが狙いなんだ。
頭のいいお前には「5」ってことがわかるが、厨房には「チンコ」だ。
わかるか?それがお前と厨房の差なんだ。
これからはそうやって5をゲットすることでお前のすごさを見せ付けてほしい。
↓さぁ! ホントに何、当たり前に皆解ってる内容でスレ立てるんだよ…
境界のはっきりとしたデザインとアート。
グラフィックデザインと絵画で比較するなら、
違いはまずデッサンにある。GDで描くのが質感であるのに対して
形を描くのが絵画。デザインの学校ではヌードモデルを描かないし
絵画教室で工業製品のくぼんだ目盛りまで描くように指導はしない。
イラストもデザインだと考えて良い。
色の味を生かすのがデザイン、色の奥にある形を生かすのが絵画だと解釈
するのもわかりやすいかもしれない。
僕はこれら二つは共存する事はできるかもしれないが混ざり合う
事はできないと思う。 デザインとデッサンはもともとは同じ言葉。
つまり・・ てかさ、アート(芸術)の一部にデザインがあるわけで・・ S 東京芸術大学
A 多摩美術大学 武蔵野美術大学 京都市立芸術大
a 女子美術大学 愛知県立芸術大 東京造形大学
B 金沢美術工芸大学 日本大学芸術学部 東京学芸大学
b 筑波大学芸術学群 大阪芸術大学 多摩美術大学二部
C 東北芸術工科大学 沖縄県立芸術大学 京都工芸繊維大学
c 東京工芸大学 長岡造形大学 京都造形芸術大学
D 名古屋造形芸術大学 京都精華大学
d 京都嵯峨芸術大学 成安造形大学
E 名古屋芸術大学 文星芸術大学
e 神戸芸術工科大学 静岡文化芸術大学
F 宝塚造形芸術大学 明星大学 愛知産業大学 >22
俺は逆かなぁと思ってる
デザインがアートを利用してるんじゃないのかなんて。
>>24
貴方は論理的志向が欠陥していますね。
だからこそあれほどのすばらしい作品を作ることができるのですね。 多摩美に受かった友達がアニヲタ系だったのでそんな人が多いのかなと思ってたけど
割とお嬢系が多いんだ。 昨日今日、久しぶりにバイトをしたらすごく疲れた。
分かる、分かるけどどうしてもうまくいかない。
きっと俺は乞食になる運命だ
そもそもデザインはアートのひとつであって
別物に考えることは
世論の風潮が
勝手に解釈しているだけ
みんなそれに納得して染まっているだけ
たくさん本を読もう その言葉そのまま返すなら
お前は本に納得して染まってるだけって事になるのかな。
正直どうでもいいな 一応 短い言葉でわかりやすくしますよー!
デザインは生活の中に 快適な空間 を創りだすもの(その為にアイデアが必要)
アートは 空間のなかで 快適であれ 快適でないであれ 表現するもの
こうして考えると 別のもの
日本ではアートもデザインも ごっちゃ な気がする
別にそれが悪いことじゃなくて 絵がうまいことに
こだわりすぎる人が多いため アイデアに対する
評価が低い気がするけど。。。。 この国ではデザインとアートの接点とりにくいよね。
世の中を芸術的に見てる人がそもそもいないから。
職人の国ですからね。 デザインでもアートでも、
作りたいもの作れたらどうでもいいかもよ?
アートなのかデザインなのかって、
結果論な気がする ムサビのなんかのパンフレットに
「やっぱりDHCだね」という宣伝はかっこ悪い。だが
商業目的として、コンビニで買う・一般大衆不特定多数
がターゲットと言う視点から見た時には伝わりやすくて
成功である という記事を見たことがある。
結局デザイナー自信も商業的効果だけでは空き足らず
美を追求している側面はあると思う。
逆にすごいかっこいいんだけど宣伝効果としては恐ろしくだめ!という広告の例ないかな? デザインとアートは
クリエイティブの
メーター
デザインとアートの中間くらいが世の中を動かす >>1もつい最近デザインとアートは違うと気づいた。で、こんなことに気づける俺って
天才じゃね!?ってノリでたてちゃったスレってかんじだな。
つっても数年前のスレなんだがなw デザインも世の中の風潮に合わせつつ自分の表現を出さないと、人の真似しかできないデザイナーになってしまいます。
純粋芸術も、自分を表現するとともに、流行り廃りを考えないと、自己満足のオナニーアーティストになってしまいます。
一概に決め付けれる問題ではない。 >>40
初めて見た時に
すごく目を奪われるけど、
終わった時に
「何のCMだったっけ?」
…なんてのはごまんとあるだろ? 和むな〜なんて思ってたら
…創価〜学会〜
…('A`)
てのはあるねw 確信犯だな
アートはデザインではないけどデザインはアートの一部だと思う 某現代美術作家いわく
「デザインとアートを比べるのは国会とバナナを比べるようなものだ」 岡本太郎さんもそんなこと言ってた気がするな。
デザインは世の人にウケないといけなくて、常にニーズに答える必要がある。それに何をデザインするにしろ、枠は決まってくる。家具なら使えるもの、広告なら伝わるものって具合にね。
逆にアートは世の中にニーズに答える必要はない。むしろ表現自体が批判されるくらいの方が前衛的で好ましい芸術らしいよ。
長文スマソ 今べつにそんなことないでしょ。
線をやたらひきたがるやつは自分に自信がないだけ。
コンプレックスをこんな場でひけらかすなよな、みっともない。 デザイナーも「ネットカフェ難民」化
今、デザイン料の単価が底値状態。
都会のフリーのデザイナーの多くは、自宅が都会にある事が事業継続の条件。
ネットカフェ難民も増えている。
アートとデザインを混同している一部の社会意識が現に存在するからこそ、
>1のような発言もあるのでしょう。 まさにこのスレにうってつけのサイト見つけた。
ただ絵が好きでデザイナーになりたい奴って確かに多い気がする。
http://www.designer-shukatsu.com 最近は>>1が嫌がってる発想で仕事を続けた方が成功するんじゃないかと思うようになってきた
けっこうまじで デザインの世界に作家性が求められ、
コンテンポラリーは空気読まないと受けないから 役目を果たすのは善いが
あそこまで白紙だと
トイレットペーパーになってしまう・・・ だから超越《トランスゼンデンツ》は
いいんだけど
その垂直思考は
永遠に感性と悟性の隙間の海馬に
直観が入って犯罪者になる!? だからゲンダイエージェンシーでは
全員まずA10神経とられる ヘルベチカの政治思想は
きっと直観で動いたのだから
線引きが難しい 花菱賢治はTUTAYAプロジェクトのジムジャームッシュの角版で
死んだから・・・ 22年間金庫に入れて来たアートが殺されたって云ってた 俺はデザインはやらないけど
グラフィックデザインはやる
アートはCGを受け入れない
100年経っても
アートとデザインの分裂が破壊されたら
そこは監獄だ!!!!
ジャンル分裂症の入り口に
俺はそれでいいと言う
そして未確認飛行物体を
地上に落としてやる
サブマシンガンで・・・ 世界を読んだ村上は気がふれた・・・
ユニクロ読んだ方がマシだ 境界線に起った平和の神が
宗教のようにこう云う
さあ広告よアタッシュケースを持て・・・ 玉葱にありがとうも言えず
そのうちバッシングするのだろう ボブ・デュランのオーマーシーと目黒駅側の満喫のヒヤシンス
広告に落書きされて
記憶喪失で大都会に投げ捨てられた
仏師 デザインは客の意向が強いんだよ。打ちあわせまあるし。
一方、アートはつくったものを見せたり、売るからなんでもいいわけ。表現
してればいいだけだからね。
デザインは表現しても客が気に入らないと次から仕事がないな。
その違いだ。 NOWHERE-D の吉澤敬士社長は、
下記のような素晴らしい生き方をしておられる
たいへん信頼できる人物です。
このような社長と交際すると
その人も同じ生き方をしている仲間とみなされ
評判が良くなります。
【人を貶し自分はたのしく生きる方法】NOWHERE-D
http://hato.2ch.net/test/read.cgi/venture/1288890168/ アートってたんに、いままでなかったものってことじゃないの?
今までの文脈上なかったものとか、なかった視点とか。
あったものを時代に合わせて料理して
DJのように提供するのはデザイナー。
俺はこれで説明付くと考えてるけど。
なので
文脈がなければアートは評価の仕様がないし
ユーザーがいなければデザインは評価の仕様がない
宗教画の時代
↓
もっと人間社会のありのままを描きたい!
⇒ルネサンス(遠近法の発明)
↓
以降、写実性重視の時代がずっと続く
↓
19世紀ころ、写真の発明により画家達の生命ピンチ
↓
そんななか、日本の浮世絵に感銘を受けた一団
「3次元を2次元に忠実に写し取るより、
もっと感じるままに描いたらいいんじゃね?」
⇒印象派、ポスト印象派の登場
↓(ここから様々分岐、発展)
・「つか、色とかも見たとおり描かなくていいんじゃね?」
⇒フォービズム
・「形とかも見たとおり描かなくていいんじゃね?」
⇒キュビズムの登場
・「現実にあるものを描かなくてもいいんじゃね?」
⇒シュールレアリズムの登場
・「つか、もうどうでもいいんじゃね?」
⇒抽象絵画、ドリップアートとかいろいろ登場
・「つか、描かなくてもいいんじゃね?」
⇒現代アート 迷信→昔話→宗教→法律
壁画→記号→文字→ロゴタイプマーク
魚拓顔択→模写→肖像画→写真→動画
瓦版→新聞→ラジオ→テレビ→ネット
物知り爺さん→宗教家→哲学家→聖書法典→百科事典→ネット
油絵って? >>94
その物単体だけ見て
デザインとかアートとかって区別するのは不可能だから。
不可能ってかどっちでもいいんじゃない?って話。
デザインシーンで発表するか
アートシーンで発表するか。
その動画を
デザインシーンで発表したらデザインと認識されるし
アートシーンならアートと発表される。
ただそれだけのことでしょ。
どういう評価されるかは別として。 評価軸としては
アートはこれまでに無かったものがいいものと判断されるし
あったものだったら、どんだけクオリティ高くてもゴミ。
特許と一緒だね。唯一以外意味がない。
と、このように現状の
ヨーロッパのアートシーンでは判断されている。
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デザインは今まであったものでもまったく問題ない。
今の時代の空気にマッチしたアレンジで社会に影響を与えたり
専門家に影響を与えるものがいいものと判断される。
と、このように現状の
日本のデザインシーンでは判断されている。 簡単
売れたらデザイン(こいつのファッションとか)
売れなけりゃアート(自己満足) >>97
それはぜんぜん違うだろw
売れるアートもあるだろ。
専門学校の先生や
ショボ制作会社の上司が言う
アートとデザインは違うって話は
とてもずれていると思う。