ハウルの動く城を解説したい
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金曜ロードショーで何度目かのハウル見たけど、初見の時は色々わからなかったことが今回は完璧に理解できた。 だんだん長文になるな。まだ自分の中でも理解が足りないから、短くまとめられないのかも。
「解った!」っていう感じはしてるんだけど。
ここから更に文が混乱するかもしれないけど、
動く城のドアの、円盤と鍵穴の上の 黒 が示すものや、ソフィの魔法について書いてみたい。 ここからは心理学的領域の先の、神智学とか、
スピリチュアルとかニューエイジのなかでも高度な概念の領域になってくる。
だから抵抗を感じる人も多いはず。
だから駿はメッセージを物語に託してそれ以上を語らないんだと思う。 千と千尋でリンと釜爺が
「なにがどうなったの?」「分からんか、愛だよ、愛」
というやりとりをするけど、
あれはじいさんのセンチメンタリズムとか、情感もあるけど、それ以上の意味もある言葉で、
今から書こうとすることも、結局まとめるとその一言で済む、という気がしてる。
解る人には解るし、解らない人の心にもなにかは残る。それでいい、というわけだ。 ソフィが子供に「そうさ、この国で一番こわ〜い魔女さ」という場面があるけど、
これって実は本当っていうか、ハウルよりサリマンより一番高等な魔法を使うのがソフィなんだよね。
なんで高等かっていうとそれは代償のいるレベルを超えているから。
もっと言うとそれは、魔法以上の 創造 のレベルだから。
だから宮崎駿は作中でソフィが魔法使いであるとは決して言わない。 1はよく分析出来てると思う。
俺は原作読んでないんであれだけど、
荒れ地の魔女は何故、ハウルに執着し、何故、心臓なのか。
魔女は「若い子の心臓はいい」と言うんだけど、これらは単純に、若くてイイ男が好きで、対象の根源を欲するという、悪魔的な感覚として捉えていいのか。それだとちょっと安直な気がする。
ラストで心を取り戻したハウルが、俺の記憶の限りでは、それまでと同じソフィの白髪を見て「綺麗だ、星色に染めたね」と言う。
これらが分からない。
それからこれは ながら見で分からなかったんだけど、老いた魔女が先生から贈られた葉巻を吸う、この葉巻の効果と、葉巻を吸った理由について教えてほしい。
ついでに ソフィが過去に遡って、ハウルとカリシュファー?に「未来で待ってる」と言う。彼らと目が合うんで気がついてるはずなんだけど、
このシーンの意味は?ドラマチック狙いなだけ?原作にはあるのかなこれ。 魔法は代償が必用と言う人があるけど、それは悪魔絡みの私欲を叶えるための魔法に限られるんで、代償うんぬんは作中で言及されていないと思うんだけど。原作読んでないんであれなんだけど。
また、どなたかが、解除の呪文はソフィのオンリーみたいに書いてた気がしたが、先生は荒れ地の魔女の魔力そのものを解除したわけだから。 ソフィが作中で使ったと思しき魔法は、まずカルシファーの守りを解いて動く城に入る、
老婆化をコントロールする、ハウルの深層心理やその先の領域にアクセスする、
動く城を解体する、カルシファーに水をかけても死なない、
もうほぼ力尽きているハウルにキスをしてカルシファーのところへ移動する、
キスでカブの呪いを解く、などまだまだあって、
なんなの万能なの?、
ご都合主義乙wwつまんねwとか思ってた。初見の時は。
はっきり代償があったのは髪を与えてカルシファーの力を増したとこと、
あと、星の色に染まったという髪。
これは「どうかカルシファーが千年も生き、ハウルが心を取り戻しますように」の代償だろう。 お、長めのレス、というか質問が来た。
じゃ、さきにそっちの答えられるやつから書くね 荒れ地の魔女は 欲 そのものの権化と理解すればいいと思う。
欲しいったら欲しい、手に入れるまで欲しがる。ていう行動原理なんだ。
なぜ、とか手に入れてどうする、は知性とか理性に属してくる。
きっと彼女は欲しいという思いが生まれた瞬間からもう盲目的に欲しい!しかないキャラ。
王様とかサリマンへの執着もなんか、50年待った、とか言ってたじゃん?
50年だよ?まあいくつかは知らんけどさ。
コントロールされない欲が人を執念、執着、妄執のかたまりにしてしまうっていう例でもある。 葉巻は、サリマンの作戦では。
サリマンは荒地の魔女がハウルと一緒にいることを知っている。
荒れ地の魔女がハウルの心臓が欲しい事も知っている。
で、ソフィの母を使ってハウルの居場所はわかったけど、
カルシファーの守りが強くて、使い魔を送り込むことができない。
だから荒れ地の魔女と葉巻を使ってカルシファーを弱らせようとした。
荒れ地の魔女は疑似家族のなかに組み込まれてるけどさ、
別に味方になったわけでもないんだよね。かといって敵でもないのがミソなんだけど。
ハウルがピンチになれば心臓を手に入れるチャンスだから、
「これでカルシファーを弱らせなさい」というサリマンの誘いに乗ったわけ。
でも覗き見は気に食わないから黒い虫は「カルちゃん燃して」と。
その虫もカルシファーを弱らせてたね。 なんでハウルとハウルの心臓に執着するのかと言う問い。
葉巻の流れはそんなだったんだね。
魔女の意識がだんだんしっかりするのは、ソフィの魔法だよね。
原作ではソフィは魔法が上達すると書いてたけど、どういう魔法を使うようになるの? 「未来で待ってて」のあたりは丁寧にやりたいからちょっと待ってほしい。
で、自分めっちゃ何回も代償って言葉使っててごめんだけど、
それは解説だからであって、作中にはそういうモロな言葉の表現はないね。
物語だから言及はなくて、暗示やメタファーがあって、
それを読み解いていくってことを今やってるつもり。野暮っちゃー野暮な話ではあるけど。
王に扮したハウルが言う
「サリマンの魔法でこの城には爆弾は落ちないが、代わりに周りの街に落ちる、
魔法というのはそういうものだ」
これね。これ大事なセリフ。
宮崎駿が魔法をどういうものとして描いているか、
そして実は、その魔法を超えるというレベルについても描かれている。
そんな話をするのはまた明日になりそう・・・。
ハウルと荒れ地の魔女の出会いについては描かれてないから、
何があったかはわかんないし、そこはおはなしの本筋じゃないから描かれていないんだと思う。
自由に想像していいんじゃないかな。
原作は自分もうろ覚えっていうか忘れたごめん。でも映画とは全然違うよ。 悪魔絡みの私欲を叶えるための魔法
あー、そういう事を言ったのはサリマンだよね。
それはサリマンの話術っていうか。
まあ事実なんだけど、本当のことを全部は言ってないっていうか。
そこもなるべく書いてみる、また明日ね。 これからもたまに質問とか、自分なりの考察のレスがあるかもしれないので、
名前つけてくれると分かりやすいな 名前をリクエストされるとは。スレらしくなってきた〜 昨日質問いただきましたハウルと荒れ地の魔女についてもう少し考えた。
つまりハウルと荒れ地の魔女の関係に、
なんか象徴的とか心理学的な意味がないかってことを聞かれてたのかな。
この2人って実は作中では会話する場面が一回しかないよね。
「あなたとはいつかゆっくり話がしたいわ」「僕もですマダム、でも今は時間がありません。」
この2人に関してはこのセリフが全てなんだな。
というのも、ハウルは情動や感情で、荒れ地の魔女は欲。
この2人の示す心の働きはきわめて近いところにあるんだよね。
だからこの2人は荒れ地の魔女が欲しがって、ハウルが逃げるの平行線っていうか、
クロスして関わることで生まれるドラマチックっていうのがあんまりないっていうか。 あ、これ毎回名前入力すんのか。忘れそう・・・
で、まあ荒れ地の魔女が「若い心臓はいいよ〜」とかいうところもあるけど。
なんかおぞましい若返りの魔術とかに使うのかなーくらいの感じじゃないかな。
この世界の魔法の概念だと、他人の心や力を奪ってそのまま自分の力にする、
なんてことはできないはずだから。 そんで、自分だけ解ってて説明が足りてなかったから補足。
「サリマンの魔法でこの城には爆弾は落ちないが、代わりに周りの街に落ちる、
魔法というのはそういうものだ」というモロなセリフの他にも
魔法には相応の対価とか、代償が必要である。と暗喩している場面は繰り返しあって、
カルシファーの「そいつら後悔することになるな、まず人間には戻れないぜ」とか、
鳥化や攻撃の魔法を使ったあと、ハウルの姿がひどく疲れて透けた様子だったり、
ハウルが花畑で飛行機を攻撃したとき手が異形になっていたり。
ソフィがカルシファーに髪を与えて力を強めたり、
「どうか〜しますように」で髪が星色に染まったり、
あと、サリマンの魔法だと荒れ地の魔女に360度で光をあてて、
影で籠目籠目をするやつには、誰かの手が電源を入れるカットがあるよね。
ああいう風に、電球のセットとか電気とかも対価に相当する、と読み取れる。 カブとサリマンについても先に書いとこ。
カブはかかしだよね、かかしっていうのはオズの魔法使いに出てくるかかしなんだ。
ドロシーやかかし達はエメラルドの都の魔法使いオズに、それぞれ願いを叶えてもらいにいく。
かかしの願いは「こころがほしい」だ。
つまりカブはこの物語全体を象徴している。
ソフィ、ハウル、荒れ地の魔女はそれぞれ心の重要なはたらきを示すのに、
物語開始時、それぞれ欠陥を抱えてる。
ソフィ(知)は自分を抑圧しているし、ハウル(情動)は一部が解離している、
荒れ地の魔女(欲望)は野放しでやりたい放題だ。
それが紆余曲折を経ておのおの完全性を取り戻したとき、
この物語全体が、ひとつの完全なこころ を示すものになる。
その瞬間、こころを得たかかしはかかしから人間へと生まれ変わる、というわけ。 カルシファーの名前が「熱量」を表すカル(calorie)と悪魔を表すルシファー
を足したものだっていうのはググればすぐ出てくる公式っていうか周知の話なんだけど、
サリマンの名前の由来って調べてもでてこないよね?自分は見たことない。
でも自分はサリマンは
サタンとアーリマンを足した名前
なんじゃないかと思ってる。サタンは有名な悪魔だよね、
アーリマンもゾロアスター教の悪神なんだ。 意外に思うよね?
だってサリマンはまあ悪役だけど、
上品な老婦人で、物腰も話し方も柔らかでさ。素晴らしい宮殿の奥の美しい温室にいて、
足が悪いのか豪華なんだけど車椅子に座ってて、魔法学校の校長で、国の要職についててさ。
荒れ地の魔女みたいなのを懲らしめて、
まあハウルには良い母役ではなかったのかも知れないけど、
なんかこうとにかく正しくて立派な人なんですってオーラ全開だからね? 上記の特徴のすべてはサリマンの巧妙な目くらまし。
サリマンはハウルにとっては「支配する母性」だけど、
宮崎駿がサリマンという存在で暗喩しようとしたものは、
もっとマジ半端なく恐ろしい存在だ。この地球で生きる人類すべての脅威と言っていい。 サリマンが示すものについて書くのは怖い。
58の対価や代償の話の続きなんだけど、恐らく対価は他者に支払わせることも可能だ。
それはいわゆるイケニエとか犠牲とか人柱とか、そういう方法だ。
ハガレンで一国の人民すべてを対価に・・・
というやつがあるけれど、それもできるし、
マギのマグノシュタット編の、最下層民の生命力をじわじわと生かしながら奪う・・・
というあれもできる。
サリマンの流れ星をいくつも使役する魔法の対価はどんな方法で支払われていると思う?
ハウルはなぜ戦場の空を飛んでいたんだと思う?
「ひどい戦争だ、南から北まで火の海だ」と言っていたけど、
その戦争はハウルとどう関係するのか、描写があったっけ? ハウルが魔法の実質について語るところの真意は、視聴者の抱える所である所の魔法万能論を覆すのと同時に、えてして自らの願望を満たす場合にのみ効力を発するものだという旨であり、皮肉。
代償は悪魔が要望するもので、悪魔と契約していないソフィやサリマンは魔法を使ってもノーリスク。
宮崎駿作品には基本的に悪役が出ない。ラピュタくらい。サリマンは政治を行うことから清濁合わせ飲むが、悪者ではない。
明確な悪者である原作のボスキャラが映画では割愛してある。カブに呪いをかけ、戦争を焚き付けたのはそいつと考えるとスムーズ。ヒンに呪いをかけ犬にしたのもそいつ。 もうほんとさあ・・・
ハウルだって才能ある魔法使いだっていうのに、全力で逃げに徹して、
サリマンの前に顏を出すことすら恐ろしくてできない。
ましてや言い返すなんて無理無理絶対無理っていうのも、
ただ臆病ってだけじゃないんだ。良くわかるよ。
やってることだけでもも吐き気を催す邪悪!だというのに、
その上であの柔和な笑顔で自分は絶対に正しいのですよってアピールしてくるってさぁ・・・
そんな奴を一見あそこまで魅力的に描いた駿も凄すぎて怖いけどざぁ・・・ でも、本当にサリマンのモデルになる存在がいるんだよ、この世界には。
陰謀論とかでググったら分かるよ。接するだけでも影響あるから深入りしないほうがいいけど。
サリマンの闇を理解するほど、
「お言葉ですが」と言ってのけたソフィ
戦ってはダメだと言って、ハウルの心に完全性を取り戻したソフィの光も理解できる。
心を完成させて愛で満たし、対立の段階を超える、
そうすればサリマンは手を引く。「仕方ないわね」と苦笑するだけで執着はしてこない。
彼女は超合理主義とでもいうか、無駄な事はしないからね。 >64 あ、原作知ってる人なんだ。教えてくれてありがとう。
そうだね、サリマンには知恵ある政治家っていう一面もあるよね。立派な教育者とかね。
それも間違いないと思うよ。
サリマンの行いに救われた人だってきっといると思う。ハウルもそうかも知れないし。
でも自分はサリマンは悪魔と契約どころか悪魔そのものだとすら描写されている、
と理解しているんだ。
多分、魔法とか、悪魔という概念が意味するものが、ダイアナウィンジョーンズの考え方と
宮崎駿の考え方とで違うと思うんだ。まあ小説はほぼ忘れたんだけど・・・
千と千尋とか、ポニョでも垣間見える、宮崎駿が描写する世界観を自分なりに解説しております。
>視聴者の抱える所である所の魔法万能論を覆す
そうそう魔法って言っちゃうとなんでもできる万能の力かな〜って思っちゃうからね。 サリマンの「仕方ないわね」は、それまでの危惧だった戦争と、戦争の原因である王子の呪いが解けた事、心配していたハウルの契約が解けた事、一同の円満ぶりを見せられた事が重なり、気の抜けた心情を表している。
原作ではサリマンの身体が犬、ヒンの材料となっている。では映画のヒンは誰なのかと。
サリマンの身体、サリマンの片割れ→夫ないしフィアンセだろう。これで浮気者とのセリフに納得がいくし、ほんらい裏切り者であるはずのヒンを呆れ程度で許してしまう寛容や信頼関係の根拠になる。
上記を踏まえて、サリマンのハウルへの執着の度合いと動機について、ネットでは妄想交えて過剰に語られるが、そうでもないんではないか。
かなり力のある魔法使いなんで戦時中は手中におさめたい。手のかかる教え子である。それ以上の執着はないとするのが素直な見方。
ハウルの地毛は黒なんで、サリマンが従者をハウルに寄せたんではない。あの世界の美少年の記号的な表現だと思われる。
宮崎駿は記号表現をあんまり使わない人なんで、この点については違和感ある結び。ここから逆算すると上記の考察も覆るかもしれない。 >宮崎駿作品には基本的に悪役が出ない
そうそう、色んな立場の人がいて、それぞれ背景があるからね。
善とか悪とか単純にわりきれないんだよね。
だからもしハウルが対立に勝利して少年誌的にサリマンをぶっとばして無力化したりしたら、
王国も混乱するし、周辺国も混乱するしで、サリマンがコントロールした戦争状態より、
もっと泥沼の悲劇に・・・、とか、有り得るわけだなあ。 >68 おおおそうなんですか。面白いです。ちょっと考えさせてほしいです。
とりあえず理解できたと思った事は書けるだけ書いてしまおうと思うんですが、
原作を読んだらまた理解が変わったりしそうです。ありがとうございます。
スレたてて良かったなあ。 ヒンがサリマンの足など、サリマンの一部であるなら、
彼女もソフィ達が成した完全性の中に組み込まれている、ということもあり得ますね。
対立を超え、支配を退け、敵だったものをも統合に巻き込み、さらに大きな調和を完成させる。
ということまで描写されているというのか・・・。
そういえばヒンはサリマンの足元に座っていましたねえ・・・。 ヒンの道案内としての力量の巧さも、サリマンの一部であるなら説明できるし、
サリマンが温室から一歩も出てこないという事も、ヒンという存在を生み出した代償なのか。
足が象徴する移動する力をまるごとヒンにしちゃったって事か・・・ うろ覚えだけど、原作じゃサリマンは男でハウルの同期。魔女と魔女を操るボス悪魔と対立する。これらに敗けて身体をバラバラにされ、犬の材料の一部となる。
なぜあえてサリマンを犬と同時に登場させたかと言う部分で、サリマンと犬とは別人格でありながら等しい存在であるという暗示だろうと。じゃあ旦那か恋人でしょう、と。
足ってのも面白いね。足が確認できる描写はなかったろうか。 今夜も書いていくけど、ちょっと時間ができたから覗きに来た。
解っていることを書くだけだから、すぐ終わるだろうとおもったけど、長くなったなあ。
サリマンだけど、彼女も色んな面がある存在なのは間違いないよな。
その最も最もダークなサイドを書こうとして、昨日はちょっと興奮してたわ。
想像だけど、もし魔法の対価に他人の命を使っているだろう!と暴いて責めたとしても、
サリマンはあの柔和な態度で言うと思うよ「それは仕方のないことなのです。」ってね。
自分が殺さなくても人は勝手に争って死んでいくから、ちょっと利用してるだけ、とか
どっかのアリの王様みたいに、質を考慮に入れて選別してる、とか、
殺さないでちょっとずつ貰ってるだけ、魔法の恩恵は皆に還元してますよ、とか色々思いつくな。
そういうやつをぶっとばすのは、もうハガレンでもマギでもハンタでも、多くの物語で語られていることで、
ハウルはもっと高度なレベルの解決を描いていくんだ。 悪魔っていうのも、その多くはキリスト教によって追いやられた、
その土地の神様達だったりするからね。
サタンも元は人に知恵(の実)を与える慈母神だったんだと
ジョーゼフキャンベルの本で読んことある。 >足が確認できる描写
はなかったけど、サリマンが金髪少年に車椅子を押してもらっていること、温室から出てこないことが、
彼女が 移動する力 をまるっと失っているってことを示していると思う。
足がなくても魔法で移動すればいいじゃんってのは、できないはず。
油婆風にいうなら、「そういうきまりなんだよ」っていうことだと思う。 質問なんですが
マルクルはいつからハウルといるの?
家族が欲しそうだったからやっぱり捨て子とかだったのをハウルが拾って弟子として自由に城に住まわせてたのかな
父親かわりになって育ててるって感じでは無かったよね
行くところがないならここにいれば?みたいな雰囲気で。 さあ、そろそろ 魔法 というのはなんなのかについて書いていけるかな・・・。
動く城の扉の、「この黒いところはどこに行くの」「ハウルさんしか知りません」という、
黒いところってなんなのっていう話。
この長文だらけのスレをここまで読んでくれるほど、ハウルの動く城を知りたい人なら
ここからのクッソ怪しい話にもつきあってくれると信じるよ。
サリマンも「逃がしませんよ」と杖をついたとき、地面に一瞬黒い穴が開くよね。
あれも同じところへアクセスしたって表現だ。
そういえば、まずサリマンから波が迫ってくるのは、海は母の象徴だからだね。 >>77
と思ったら質問だーしかも知らないやつだー。
それはページの外の物語だからなぁ。
魔法使いは独立したら弟子をとらなくてはならない、とか決まりでもあるのかもね。
お腹すいたからまた深夜に来ます >>77
マルクルが家族が欲しそうっていうのは
「ソフィ行かないで、僕ソフィが好きだ」とか「僕たち家族?」って言うからね。
そう思うよね。
マルクルって、キャラの背景とか、動機づけが全然描かれない。
彼はソフィに懐くし、ヒンを「飼っていい?」と聞く、荒野の魔女に孫のように寄り添うし、労わる。
彼は子どもらしくふるまい、メンバーを家族として繋げていくけど、
それはメンバーと物語にとって必要なことなんだけど、
でも彼がなぜそうするかっていう動機はまったく描かれていない。
だから子どもらしくてかわいいけど、あまり魅力的ではないと思ってたな、最初のころは。
でも宮崎駿がさ、そんな不手際なキャラ造形するわきゃなかったわ。こども大好きおじさんなんだから。
マルクルってさ、声が神木隆之介だよね。
前作で坊だった彼がまた登用されていることでも、
油婆と坊の関係の物語がハウルの動く城に引きつがれているのを感じるんだけどさ、
もっと言うと、つまりマルクルって坊なんじゃないかな。
家族の中で育つって、子どもにとって必要なことだったのに、坊はその機会を奪われていたよね。
千尋と冒険して、成長して帰ってくるけど、
駿はもっと坊を描きたかったんじゃないかな。できれば救済を与えてあげたかった。
だからマルクルの動機や背景は、ハウルじゃなくて千と千尋の中にある。
「家族の中で育つ子ども」だね。
質問ありがとう。マルクルについて書き足りてなかったし、
書きながら考えがまとまりました。
さて・・・
秘密について書こうとすると、質問が来て流れが変わるっていうのは、
まだ早いか、今自分がやろうとしてる書き方じゃマズイってことかなぁ・・・ ん?言葉足りないかな?
だから、マルクルは坊の「家族のなかで育ってみたかった」っていう思いを
ひきついでいて、それを昇華するキャラってことなんだけど。
そいうえばハウルが「マルクル、掃除婦さんに掃除もたいがいにしろって言っておいて」
ってソフィが目の前にいるのにわざわざマルクルを伝令につかうのも、
マルクルがメルクリウスでメッセンジャーなことを言いたい場面だよね。
ハウルのヘタレっぽさの表現にもなってるけど 神木隆之介と言えば千と千尋とハウルの間の時期かな?キリクの主演もやってるよね。
あれも対立を争いを超えて解決する素晴らしい物語で、そこもハウルに通じるものがある。
しかもハウルは難解だけど、キリクは明快にそれが解るし。 はえー
千と千尋の物語も引き継いでいるとは...
宮崎駿の映画は考察聞くのも面白いねぇ
返信ありがとう
今日録画してた金曜ロードショーほぼ初見で観て気になって質問してしまったw流れぶったぎって悪いw
これからの解説も楽しみにしてる! 秘密については慎重にやるべきなようなので、ずばり書こうとしないで外堀から埋めていこう。
ただ、この世界には、対価や代償がいる魔法と、
そのレベルを超えた真の魔法、 奇跡 や 創造 と呼ぶような何かがあること、
そしてそれは、本当は誰でも、
魔法の勉強なんてしたこともない平凡な帽子屋の娘のような誰かでも、
その領域に触れることができるものなんだってことを前置きしておく。
魔女の宅急便の、やさしさに包まれたならっていい曲だよね。
あの曲も、そういうことを歌っていると思う。 まだ、動く城そのものについてのトピックが残ってた。
城、っていうと普通はもうちょっと貴人が住む豪華な建物とかを想像するんだが、
どう見てもあれってガラクタの山に足が生えて
怪物になって動いてるって見た目だと思わない?
確かダイアナウィンジョーンズの本だと、
もうちょっと動く城っていう言葉どおりの見た目だったと思う。 しかも外からみると巨大なのに、中の生活空間は広いとは言えない。
めちゃくちゃに散らかって天井から埃が垂れ下がるレベルの汚部屋であることを差し置いても、
暖炉のある一階はキッチンとダイニングと玄関がひとまとめにあって、
二階はマルクルの私室、ハウルの私室、ベランダも大して広くない。
あろうことかトイレ、風呂は同室だ。ユニットバスの城なんか聞いたことねーわ。
当然客間もないからソフィは一階の隅で寝てたよね。 動く城は、ハウルの心がどういう状態なのかを表している。
実はあらかたの人間たちの心もこういう状態にある。
ガラクタの山をまるごと、大量のエネルギーをつぎ込んで動かしているのに、
実際に使う空間は狭いし、散らかっていておよそ快適とは言えない。
ハウルの私室をぎゅうぎゅうにしているのも魔女除けのまじないだと言ってて、
仕事部屋や書斎なんかもないから、暖炉の前で本読んで道具使って炊事して飯食って・・・
ていう生活が見えるようだ。洗濯なんかしてたとは思えん・・・。
ガラクタの山の動く城は、まず中をソフィによって掃除される。
そして引越しの魔法で、家族の住める広さと快適さになる。
引越しを見て、ハウルはいつでも魔法で部屋を片付けられたのでは、と
思った人もいただろうが、それはしないっていうかできないっていうか。
ハウルの心そのものの姿だからね。
そして終盤では解体されて、あらかたのガラクタを捨ててコンパクトになる。
ラストでは木なんか植えて、庭もついて、居心地の良さそうな家になって、
空を飛んでいく。
空を飛ぶのは宮崎駿が好む表現だけど、
この物語で示されたようなプロセスを経て、人間の心ってものが完全性へ近づけば、
マジで人は空ぐらい飛べるかもって思う。 ハウルの動く城では、みんな姿がどんどん変わるよね、
ソフィも荒れ地の魔女もハウルも、マルクルの変装はおまけかなって気がするけど。
彼らの外見の変化は、すべて内面の変化にシンクロしている。
意味のある描写なんだ。
動く城もそう。変わる事には意味があって、物語は読み解かれるのを待っている。
ガラクタってのは、なんのメタファーなのか?
それは人間の心をがんじがらめにしている色んな思い込みのことだ。
言い方は色々ある。
思い込み、常識、トラウマ、しがらみ、行動パターン、ルーティン、過去の再生・・・
しきたりとか規範とか信条とか信仰とか、まだまだあると思うけど。 人間存在は、本来奇跡や創造の領域から生まれてくるんだけど、
生まれて来るとそのことを忘れる。
そして親や自分を育てた人間、周囲の環境から実に様々な思考パターンを吸収して育つ。
そして人格が形成されたころにはガラクタの山のような膨大な思考パターンを
自動再生しながら生きている、というような状態になる。
もちろん人によって程度の差はあるけどね。
ここから脳や心のはたらきをパソコンにも例えていくね。
ガラクタの城を動かすのに大量のエネルギーをつぎこみ、
なのに実際には大して使えてないってのは、
デスクトップがアイコンでいっぱいで、色んなプログラムやアプリが開いて機能が衝突とかしてて、
処理が落ちてて、ネットも電波が弱い、みたいな散々な状態だ。
自分のパソコンがそんな風にパフォーマンスが落ちてると気が付いたら、どうする?
まずアイコンはゴミ箱に捨てて、ゴミ箱を空にする。
アプリは閉じて、いらないのや衝突してるのがないか調べてアンインストールする。
ネットは接続を確認して、安定して容量の大きい回線に、そんで再起動するやん?
ソフィのお掃除はこれに相当する。
ヒーリングってまずはクリーニングなんだよね。 話が抽象的過ぎるか?
なんか例をあげるなら、ソフィの心も城であらわしたとしたら、やはりガラクタがある。
「私は美しくない」「自分は長女だから」
「帽子屋をやりたいかはわからないが、父の店を守らなくては」
で、ハウルなら
「美しくなくてはいきている意味がない」
「母性に愛され、認められていたい」
こういうものがガラクタの思考パターンだ。
こういう思い込みは数限りなくあって、人間存在のパフォーマンス(性能)を落としている。 人の脳や心を、パソコンに例えたけど、
実はハウルはパソコン本体は処理が落ちたガラクタの城の状態なのに、
ネットだけはめちゃめちゃに強力、といった状態だと言える。
サリマンの「あの子は心をなくしたのに、力があり過ぎる」みたいなセリフはこれのことだ。
魔法や創造に続く黒い空間は、ネットに例えると理解しやすい。
また、ハウルはドアの向こうに体ごと飛び込んでしまうけど、
サリマンは杖を使い、黒い穴の空間もごく小さいく開ける。
この差は二人の力の使い方、習熟度を表している。
本体の性能が落ち、心が欠けた状態で、体ごと黒い空間へダイブするのは危険な行為だ。
ソフィは扉の向こうへ行くとき、本来の年齢の姿だったし、
指輪というコンパス(目的地を指すもの)と
ヒン(現実への帰り道を知るもの)という道案内があった。 ぬうう 書いてる自分もまどろっこしいこの感じ・・・。この例えで
わかるかなぁ、わっかんねえだろうなあ・・・・(古い) そうそう、このトピックも書かなきゃ。
サリマンの追っ手を撒いたハウルが透けて半人半鳥の血まみれで帰ってきた後で、
ソフィは娘の姿でハウルの私室に入るよね。
ソフィが娘の姿で身支度するのに違和感を感じない事、最期に寝ててはっと起きる感じな事で
あの一連のシーンは現実ではソフィは寝てて夢を見て、
でも2人の心のなかでは本当に起きたこと、ていう場面なんだけど、
ソフィがドアを開けると、部屋がトンネルになってるよね。
そしてなぜか道が二股に分岐しているんだ。
そしてソフィは片方を選んで進む、そしてそこには神話の怪物みたいなハウルがいる。
これはハウルの深層意識のほうへと進んだってことなんだ。
そしてそこが夢のなかで、本来の姿だから、ソフィはハウルに「愛してる」と言うことができる。
現実のソフィだとまだ言えないよねwそして「もう遅い」とか拒絶されるから老婆に戻って目が覚める。
で、もう一方の道はどこへ続いていたんだと思う?
それは、ソフィが指輪とヒンを伴って行く扉の向こうの黒い空間のことだ。
そこは魔法やきまりごとのあるところ、流れ星の存在がいるところ、
そしてその先の創造の領域へと続いている。 なんでもう夜明け・・・時間かかり過ぎてつらたん・・・
ちょっと時間おくわ。
読んでくれてる人ありがとう、
きっといつかあなたも優しさに包まれてカーテンをひらけますように。 今週の金ローはトトロだ。
あれに「夢だけど、夢じゃなかったー!」ていうセリフがあるけど、
ソフィがトンネルを進んで怪物ハウルに会うシーンはまさにその言葉のとおりだった。
これから書く創造の領域でのできごとも、もし理解できて、更に実践もできれば
「夢だけど、夢じゃなかったー!」っていう感覚で掴めてくる。・・・はず。 今日は録画したハウルもう一回見てきた。
そしたらまだまだ書いたら面白いだろうな〜っていうトピックがあった・・・。
ソフィも魔女なんだと繰り返してきたけど、
いつからソフィは魔法を使えるようになったのか、今日解った。
あれだ、あの空中散歩だ。
ハウルに寄り添われながら「足を出して、歩いて」「上手だ」って
あれが魔法の手ほどきになってるんだわ。
あと指輪はハウルとカルシファーの方を指すほかにも
「無事に行って帰ってこれますように」ていうまじないがかかってた。
扉の向こうの黒い空間のなかで、目的地に行ったところまでで壊れちゃうけど。
帰り道にはヒンがいた、と。
黒い空間にアクセスする時は、十分に注意が必要で、
我流では危険が伴うってことも宮崎駿は描写している。 黒い空間に体ごとダイブするような接続をすることに、どういう危険が伴うのか・・・
色々考えられるけど、まあ魔王になるとか、荒れ地の魔女のようになるってサリマンは言ってたね。
堕落する、堕天使になるっていうか、菩薩の死、なんて言葉もある。
力のあるヒーラーや、スピリチュアルなマスターが陥りがちな罠だ。
具体的にいうなら、病気になる、酒色におぼれる、金を集める、人を支配する・・・
目がどろっと濁って肌艶が悪くなり、太るか逆にガリガリになるとか・・・
うさんくさい新興宗教の親玉みたいに多くの人の人生を狂わせるとか、死ぬとか。
死んだあとも、よろしくない存在になって彷徨うとか。
そんな感じかなぁ、あんまり考えたくないけど。 今日ハウルの冒頭を一緒に見てた人が言ったんだけど
「この妹は帽子屋はしないのか?」って。
そりゃ〜向いてないね。だって妹が働いてるのお菓子屋さんだよね。
お菓子屋さんって女性客が多いところなのに、
妹の前には大勢の男性客が押し寄せて、親切に声をかけてくるスタッフも男性ばかり。
妹は容姿が華やかで、性格も良くて、もう大人気のモッテモテ。
ソフィだけじゃなく、おおかたの女性が劣等感を抱く要素がてんこもりだ。
一方、ソフィの帽子屋にあるのは女物の帽子ばかり。
この店で妹が商売しても、男が詰めかけて、女は来なくなるだろうね。
母もどう見ても妹と同じ属性だ。
だから余計にソフィは「この店を守れるのは自分だけ」とか思ってたんだろう。 100レスまで来たぞ・・・。ちょっと頑張ったんじゃないか自分。
これ「未来で待ってて」まで書き終わったらまとめサイトとかに載らないかな・・・。
不思議ネットさ〜んファンでーすオナシャースww >>80の話題、マルクルは坊なんだって思って見たら、
もうそうとしか見えなくなった。声だけじゃなくて顔も似てる。
ちょっとツリ目気味の三白眼に、輪郭がちょっと角ばってる感じ、
髪が上に立ってるのも赤ちゃんぽいし。
坊があんなとこに閉じ込められてないで、普通に子供に育ったらきっとあんな感じじゃなないかな。 さて、魔法の力は黒い空間から来る、
黒い空間の入り口の辺りには人間の無意識・深層意識、ユングの言う集合的無意識なんかもある。
次に対価や代償のいる魔法、きまりごとの段階、流れ星の存在のいる層がある
そして、黒い空間のもっとも深奥というか、最上層には 奇跡 創造 の領域がある。
黒い空間を進む道のりにはロードマップがあるってことを言いたいんだ。
これを作中だけから読み取るのは無理だと思う。
素養とか才能で解る人もいると思うけど、予備知識がいる。
そのロードマップは普通の生活では感じないけど、
人間存在が道を求めだすと、向こうからやってきたり、そこにあったことに気が付いたりする。
それは古い知恵や、神話のなかにある。
禅みたいな精神修養とか、密教、精神世界のメソッドは
ロードマップの通りに道を進んでいく練習方法だ。
最後に参考文献を書いておかないとな、と思ってる。 ソフィは最初は無意識に奇跡を使っている。
これって実は多くの人間も普段から同じことをしている。
人間存在は奇跡や創造の領域から生まれてくるからね。(これマジな)
小さいころは神様がいて、不思議に夢を叶えてくれた っていうのはそういう意味だ。
心がガラクタの山の状態でも、その領域との接続は弱まりはしても切れてしまったりはしない。
生きている、存在している、っていうエネルギーは常にその領域からやってきている。 そして母と和解した後、ソフィの姿は完全に元の年齢に戻っているよね。
あのかーちゃんはサリマンのパシリだったけど、
ソフィを愛していないってわけじゃない、自分の方が大事なだけで。
大事なのは「ごめんね、全部私が悪いの」って言って抱きしめてくれたこと。
そしてソフィも母を抱きしめた。
ここでソフィの心は「美しくない」とか諸々のガラクタの思考パターンを解放したんだ。
髪は白いままなんだけど、ここからソフィの心は完全性を取り戻した。
それは扉の向こうの黒い空間を自らの意志で進み、
最奥、最上層の領域の力を行使できる準備が整ったよ、っていうこと。 ソフィは、サリマンとは戦っちゃいけないってことが解っていた。
勝ち目もなかったけど、勝つとか負けるとかそういうレベルじゃ、
ハウルの呪い(母性の支配)は解けないから。
だからソフィは扉の先の黒い空間へ歩いていく。
ここからの行いはカウンセリングなんてレベルじゃない、最も高度なヒーリングだ。
危ないから、良い子は絶対マネしちゃいけない。
黒い空間を進んでいくと、ハウルが少年時代を過ごした水車小屋に着く。
これはハウルの原風景、心の核になっている心象風景だ。
「ソフィなら自由に使っていいよ」という許可をハウルが事前に出していたから、
ソフィは他人の心の中に踏み入ることができた。
許可なしに他人の心に踏み入る(物理)とか、しちゃいけないのは感覚的にわかるよね。 水車小屋のドアを開けると、流れ星が降っている。
一瞬サリマンの魔法のシーンが差し挟まれるのは、
サリマンもハウルもこの星を捕まえて契約して行使する、という同じ魔法を使っているということだ。
流れ星の存在が、水面を走った後、沈んでいくシーンがあるけど、
あれは流れ星の存在には肉体がなく、この三次元の現実の層では
少しの間しか力を行使できず、還っていく存在である、ということだ。
流れ星の存在のいる層には色んな存在がいる。
悪霊、妖怪の類から、八百万の神々、精霊、天使、神霊・・・
ま、見たことはないけど名前は知ってる力ある存在のおおかたはこのへんだ。
千と千尋の舞台もこのへんに設定されている。異界とでも言うのかな、
あそこでは逆に三次元の物質的存在である千尋の姿が透けていってたのはそういうこと。
ハクが千尋に「何か食べないと消えてしまう」と食べさせると、千尋は透けなくなるよね。
逆にハウルでは流れ星存在に、心臓という自分の血肉、物質の依り代を与えるんだ。
すると流れ星はカルシファーになる。 ハウルだって才能ある魔法使いだって言われてるのに、
流れ星ひとつを行使するのに対価、代償として心臓なんて重要なものが必要なのにさぁ、
サリマンは流れ星をいくつ行使してたよ・・・、
カルシファーがひときわ大きな流れ星だったことを考慮して差し引いてもさ、
サリマンが使った対価の大きさは相っっ当のものだと思うよ。
ま、普通に考えて人柱だと思うね、自分は。
先日は興奮しちゃったから、サリマンについてはもう少し詳しくやろうかな。
まあ淡々とやれるか自信はないけど。 さて、いよいよ「未来で待ってて」だ。
もうさあ、こんな難解なクライマックスの物語、見たことないよ。
駿ハンパないって、そんなんできひんやん普通!おかしいだろ!って言いたい。
自分もクリエイターの端くれだから、あのキャプテン君の気持ちが今よくわかるわ・・・ ソフィは水車小屋を出て、
ハウルが心臓と心の一部を代償に星と契約しカルシファーになったのを見た。
ここまではハウルの記憶というか、過去の再現だ。
そして指輪が壊れて、ソフィの足元に黒い穴が開く、
ソフィはそこに落ちるっていうか、体がその黒い穴にある状態で、ハウルとカルシファーを見るよね。
この時の足元の黒い穴が、秘密だ。
あの黒い穴には、色んな呼び方がある、色んな呼び方は同じものを指しているんだけど、
そのどれもが完璧ではない、なぜなら、それは言葉で表せるようなものじゃないからだ。
原初の神話的混沌、カオス、乳海、プラーナ、空、大日如来、ブラフマン、
あらゆるものの創造の源のエネルギー・・・
ま、そういう領域だ。 あの領域に達して使うのが 奇跡 創造 だ。
それには対価も代償もない。善も悪も、因果も時間も、あらゆる法則も、
何もかもすべてを超越しているし、
もっと言うと
この世界はすべてはあの領域のエネルギーの一瞬のふるまいに過ぎない。 やべ、震えてきた。やはり秘密について語るときは慎重に、だな・・・ ハウルの心を表すガラクタの城もこの時には解体されていたよね。
ソフィは母と和解した時、
ハウルは城が崩れ落ちて、コンパクトに再生された時、準備が整ったんだ。
ガラクタの思考パターンのあらかたを解放することが、
こういう高度なヒーリング 奇跡 創造 を自らの意志で行う準備を整えるってことだ。
こういったことに興味のある皆様には、
ゆめゆめ準備を怠らず、また道標も用意し、できるなら師やガイドのもとで、
こういう力は使って頂きたいと思います・・・。 サリマンが星の子使うってなんの事かと思ってたけど あの紙みたいな人型のやつの事なんだね
あれは星の子じゃないよ てか普通に観てたらわからんかね
ググッたら、まんだらけ人間とか言う魔法だか術だかなんだってよ とにかく体がその黒い穴にある状態っていうのが最重要だ。
そしてそこからハウルとカルシファーを見る、
マジであの状態だとなんっでもできちゃうから、ピントを合わせることが大切だ。
そして「私はソフィ、未来で待ってて、必ず行くから」と言う。
あの領域は、「過去から現在へと時は流れ、それは不可逆である」
みたいな時間の法則よりも上位の層だ。
だから時間を超えた操作もできる。
(代償のいる魔法のレベルだと、過去改変は相当に厳しい
時間の法則のようなきまりごと、というのは霊的存在より上位の層だからだ。)
ソフィが花畑で「不思議、ここに来たことがある気がするの」って言ってたよね。
それも時間を超えた操作があの時のソフィにも届いていたからっていうか、そんな感じだ。
実は、ガラクタの城が崩壊した時点でハウルの呪い(母性の支配)は多分解けている。
支配を受け入れる思考パターンはガラクタだからね。
残る問題はハウルとカルシファーだ。
この2人を契約から解き放って、それぞれに完全性を取り戻す。
だが、ハウルは魔法の使い過ぎで人の心を失い怪物になってしまう寸前・・・というか、
もうほぼほぼ手遅れだったと言っていい。魔王、怪物になってしまう。
だから「待ってて」なわけだ。
魔王、怪物になるのはちょっと待て、と。行ってなんとかするから、と。
このソフィの命令によって、ハウルはもはや人の形もなくして力も尽きているにも関わらず、
ギリギリ怪物にはならないで、ドアの外で「待ってる」わけ。 む、やはりサリマンについて書くと良くないか・・・?
>>114 ありがとう、忠告として受け取るよ、痛み入ります。 そしてああいう領域にアクセスしたあとは、帰り道も重要だ。
黒い穴に吸い込まれたソフィは、空の上、雲より高いところから落ちてくよね。
あれはとても高い高〜い最上層に行ってきたんだよっていう表現だ。
そして指輪は壊れてしまったが、ヒンが帰り道を知っている。
ヒンはサリマンの足だと教えてくれた人がいたけど、
サリマンも、雲より下まで降りてきた、この辺までは良く来ているはずだからね。
そして黒と、赤みがかった道を歩いてドアを通って、帰ってくる。 >>116忠告つうか原作由来の公式らしいよ
アニメにだってあのシーン以前に紙の人みたいなの使うシーンあった気がする
言い方きつく感じたならごめんよ なんも考えてなかった で、カルシファーも水をかけられて、おまけに荒れ地の魔女に握りしめられているのに、
ソフィーを「待ってた」
水をかけられても死ななかったのは、ソフィが「待ってて」とあの領域で命令したからだ。
あの「待ってて」は時間を超えて効果をもたらしている。 >>118 いやいやいやありがと。
118が「なんも考えてなかった」これ自分にとっては意味ある言葉なんだ。
原作とか公式設定もまたこれから読もうかな。
間違ってることも、正確じゃないこと、伝わってないことも多々あると思うんで、
ひととおり終わったら質問してほしいな〜と思ってる。
アスぺなのかなかなか質問の意味がくみとれないんだけどww っていうかもう終わるなこれ。
「未来で待ってて」の意味伝わったかな?
色んな要素が入り乱れているし、通常では使わない概念がてんこ盛りだから、
こんな解説だけで解った人がいたらむしろビビるけど。もはや師と仰ぐけど。
あと別にソフィはタイムスリップはしてないんじゃないかな。
映画公開時は「時をかける少女」とか、シュタゲとかまどマギとか、
時間を行き来する話が流行ったから、
ハウルも「ハウルの子供時代にいるんだ」っていうセリフで過去に行ったかと思うんだけど、
あれはハウルの心の中にある過去の風景、記憶を見ているってこといいんじゃないかと。
「未来で待ってて」は時間を超えて作用する奇跡。
この「待ってて」でハウルとカルシファーは魔王になったり死んだりはしないでソフィを「待ってた。」
そして「どうかカルシファーが千年も生き、ハウルが心を取り戻しますように」で、
ソフィの髪は星の光に染まり、
ソフィの髪の色を代償にカルシファーはまた星から火の悪魔っていうか火の精霊になって戻ってきた。
だからハウルじゃなくてソフィーの手元にくるんだな。 長らくお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
ここからは質問に答えたり、書き足りない事や、また気が付いた事があったら書いたり、
ハウル愛を語りあったりして、ぼちぼちでいいんじゃないかと思います。
名前に使った
ピリアっていうのはフィリア (古代ギリシア語: φιλíα 英語: philia)
愛 ですね。
哲学のことをフィロソフィーっていうけど、知を愛するってこと。
ソフィー(知)ときたらフィリア(愛)だよな、と思って使いました。
でも○○フィリアだと、○にネクロとかペドとか入ることもあるからね。
聞きなれないギリシア語にした。
「わからんか愛だよ、 愛 」
って釜爺が言うけど、ほんと愛って大事。
っていうか、うっかり書き忘れたけど
秘密 の名前の最も本質に近い呼び方は 愛 なんですよ。 このスレやりながら気が付かせてもらったんだけど、
サリマンの象徴するものについて書こうとすると、
自分は、そして人間たちのほとんどはバグをおこすようになっている。
これは脳や心がパソコンなら、ウィルスが仕込まれているってことだ。
だから冷静に、淡々とは書けないし、だらだらやると荒れると予想される。
でもやっぱり正確じゃなかったから、1レスだけ書いて終わらせてほしい。
できるだけ、アンインストールはしてきたと思うから。
サリマンは「支配する母性」だと繰り返してきたよね。
でも、サリマンはハウルの先生ってだけじゃない。
大臣たちを自分の前に呼びよせて、戦争を終わらせる算段をするという、
もうそれは要職どころか国のトップだろう、加えて魔法学校の校長、トップでもある。
サリマンは支配する母性以上の 「支配」 そのものの象徴として描かれている。
これはそろそろ人類が超えていかなくてはいけない大きなテーマなんだってさ。
それには対立ではなく、心を完成させることなんだよ、とハウルの動く城は教えてくれる。
駿はマジで天才だ、漫画ナウシカでも墓所とその番人という支配者の存在を描いていた。
でもあん時ゃまだ、そういうやつを巨神兵のビームでぶっとばす、だったから、
駿もその段階があって、超えてきたんだねえ・・・。 神隠しといえばさ、今日のニュースは面白かった。
2歳だかの子供が行方不明になったのを、
大分からボランティアで探しにきてみつけたじいちゃんだ。
じいちゃんが子どもにアメをあげたっていうので、
自分はハクが透けていく千尋になにか食べさせたところを思い出したよ。
七歳までは神のうちって言うけど、見つかってよかったね。
あのじいちゃんはかなりガラクタがとれているか、ネットの接続が強力な人だ。
素朴な田舎のじいちゃんて感じで、見てて楽しかった。 秘密の領域を指す言葉に 空 があって、
この世界はすべてはその領域のエネルギーの一瞬のふるまいに過ぎない。
って>>111に書いたけど、
色即是空、空即是色 っていうのはそういう意味。
般若心経はとても優れた 古い知恵 だ。
写経でも読経でも、心のなかに染みこませていくことで、
見えない世界を進んでいくときのロードマップをダウンロードしていることになる。
般若心経を読むとか、
やさしさにつつまれたならを口ずさむとか、
それから金ローでハウルを見ることも、
気が付いて進んでいっていいんだよ、ていうメッセージなんだ。 何度見ても分からなかった事が色々と理解できました
ありがとう
既女板で質問しても「宮崎駿も何も考えてないんじゃない?」と流されてきました
見た物をそのまま受け止める、良く言えば素直な性格なので、
細かい描写にそれぞれ意味があるなんて考えた事も無かったです
サリマンの事をあんなに怖がっていたのに、
何で国王に変装して豪快に現れたのかな?別人みたいだなとか、
なんで星が火のカルシファーになったのかな?とか
サリマンが杖をついて黒い穴が広がったのも、ただ単に魔法がそういう形で広がったとしか見てなかった
>>1から読み直して、改めてハウルを見たいです >>126
うおおありがとう。
王様の場面は面白いよね。本物の王様が出てきてバカ笑いして去って行った後の
あの一瞬流れるしら〜っとした空気、めっちゃ笑えるwもうちょっと間があってもいいくらいw
どう見てもあの王様はアホの子だよね。
それまでのハウルの変装が立派っぽかったから、対比で余計にアホに見える。
ソフィが「みんなのこと考えるのが王様でしょ」なんて言ってたのが、あまっちょろい考えで
ハウルは「ソフィはあの人達を知らないんだ」ってやれやれって顔してた。
王様が明らかなお飾り、傀儡なんだという描写は
そこもサリマンが実際の権力者なんだと読み取れるところだ。
魔法学校のシーンはないけど、
サリマンはさ、軍隊や水兵、飛行機や爆弾などの現実の武力も行使できるし、
雑魚魔法使いが変身した怪物や、コブ人間?も差し向けてくる。
見える世界と見えない世界の両方を掌握して、君臨しているってことなんだ・・・。
またサリマンについて書いてもうた・・・ごめんなさいごめんなさい・・・ >>126 あと自分でもスレ読み直したけど、
やっぱちょいちょい間違ってたりもしたw最初のほうとか特に。
「解った」と思ってても正確に説明するのは難しいものでした。
>>71で、敵だったものをも統合に巻き込み、さらに大きな調和を完成させる
って書いたけど、
ソフィを追いかけてヒンもハウルの心の中、そしてあの黒い穴に飛び込むよね。
あそこで、サリマンの心の中でも決定的になにかが変わったと思う。
奇跡 創造 愛 の領域に触れることはとても素晴らしいことだ。
それまでの人生のすべて、カルマのすべてに魂のレベルで変化が起きることも十分ありえる。
サリマンは支配のパターンを持っているから、
あの雲より上の領域に自分の意志でアクセスすることはできない。
あの雲はきまりごとや法則の層の表現なんだ。
雲の下の空は異界なんだけど、そこを朝焼けか夕焼けの金色で表現してあることから、
宮崎駿と自分は同じ本を読んだか、同じソースで情報を得た気がしてるw
とにかく、
サリマンの一部であるヒンがソフィについていって、
そして秘密の領域に触れた。
そこでサリマンの心にも変化が起き、ハウルへの執着を手放した。
だから「しょうがないわね」の苦笑で済むんだ。
支配するものにも、救済がある。と描かれている。
これはとんでもなく偉大なことではないだろうか・・・。 統合と調和に巻き込まれたことによって、
サリマンは支配や執着のいくらかを手放した。
物語の後では、ひょっとしたらより善き為政者、より善き教育者になって、
あの戦争ばっかりみたいな感じの世界を良い方へ導いてくれるかもしれないね。
ヒンが分離したままなのがアレだけど。
なんせ政治や魔法に卓越した、優れた人物であることには間違いないんだから。 >>126 カルシファーについてもう少し。
>>107で、
ハウルでは流れ星存在に、心臓という自分の血肉、物質の依り代を与えるんだ。
すると流れ星はカルシファーになる。
これさらっとやったけど意味わかるかなぁ。
何かを使って召喚する、契約して行使するっていう
イメージやモチーフはほかの作品でもよく扱われるよね。
Fateだっけ、サーヴァントを召喚するときもなんか対象の英霊に関係あるアイテムがいるとか、
安部晴明とか陰陽師は札をつかったり、人形とか形代(かたしろ)使ったり、名前をつけたりする。
FF7だと召喚獣使うのにマテリアが必要だったり、マギだとジンと金属器とか、
ポケモン使う時はいっぺんバトルに勝ってモンスターボールがいるとか。
枚挙に暇がないほど何度も何度も物語はこういうイメージを使うんだ。
これは実に人類にとって馴染みの深いパターンで、
異界の存在の力は条件によって、この現実で肉体や物質の依り代を得て力を発揮できる。
その方法に通じているのが、魔女、魔法使い、魔術師、陰陽師・・・とか呼ばれる人達なわけだ。
そんなわけで、
心臓という物質の依り代を得て、流れ星は受肉してカルシファーになるんだけど、
なんで水でも風でもなくて、火の悪魔なんだろね、ていう。
それは多分ハウルが情動、感情のキャラだからかな。
情熱 という言葉には 熱 が入ってるし、
感情を表すとき、燃えるような思い、とか
火や熱のイメージが浮かぶのは人類共通なんじゃないかと。 ハガレンの等価交換の錬金術は、もうちょいと高位な方法論だ。
異界の存在を仲介せず、図形などによって直接に法則やきまりごとの層にアクセスしている。
何と何が等価に値するのかは、実際の錬金術のメソッドを納めないとわからないが、
それは厳密なものなのだと、 等価交換 をハガレンは何度も念押しして言っているよね。
そして真理の扉があり、その奥がある。
あの奥にアクセスするときは十分に準備を整え、注意しないといけないということも、
エルリック兄弟の失われた肉体は教えてくれる。
黒い空間に不完全な状態でアクセスをするとああいうふうに、
持っていかれる、というのも有り得る。 >>126
何で国王に変装して豪快に現れたのかな?別人みたいだなとか、
ハウルはビビりだからね〜。ソフィがかっこよく啖呵をきった後ですら、
そのままの姿では出て行けなかったんでしょう。
王様だったら堂々とした態度でサリマンの前に出ていける人だし、
サリマンも王には「恐れ入ります」とか敬意ある態度だった。
やたら堂々としてたのも、本物の王のアホっぷりと対比する演出のほかにも、
恐ろしさの裏返しで虚勢をはっていたのかな。
黒髪に派手外套なんて恰好で出ていっても、
サリマン「よく来ましたねハウル、さあさあ私のところへ帰って来なさい、
私はあなたのためを思って言っているのですよ。」
ハウル「 」 gkbr
っていうやりとりになってしまいそうww
金髪ハデ外套はサリマンの趣味で、支配の影響下にある姿、
ゲルが出るほど落ち込むのは「母性の支配」を自覚した痛みのあらわれ、
ベットで寝てたり、毛布巻きは、ひとつ乗り越えた痛みを癒している姿
王様の顔と軍服は、直接対決の装い。軍服はモロ戦闘衣裳だもんね。
で、黒髪に白シャツ黒ズボンはかなりすっきりした本来の自分に近い姿
ラストはピンク?なんか色のついた服着てるね。
じゃ、白と黒はフォーマットで、
ピンクは自分なりの好きなものを見つけはじめたってことかな。 凄い…どうやったらここまで本当の答えにたどり着けるような考察が出きるのだろうか…できたら教えてほしい >>133
うへへ、そうかなぁ、そぉぉかなぁ〜〜
ありがとう、
でも自分も映画は公開時に見に行ったけどポカーンだったよ。
駿さん千と千尋で燃え尽きちゃったんじゃねwwとすら思ったww
実際は千と千尋を受け継いで、更にとんでもない昇華に至ってた作品だったんだがw
ここまでも色んな作品を例に挙げたけど、
自分は昔から漫画や児童文学や神話が好きだった。
中二病の時期なんかそれはそれはもう・・・おっふ
そういう下地があって、
それで、道を求めたいな、と心のどこかで思ってたから、
ある日、メソッドの方からやってきてくれた。
その方法論がハウルの世界とバッチリ噛みあってたから、
自分でも今回の金ローは大興奮でした。
そういえば参考文献を書かないとって言ってたな・・・
ちょっと本棚ひっくりかえしてきます。 そういえばさっき魔術師って言葉をつかったけど、
魔術師オーフェンも素晴らしい物語だった。
あれは 魔法 と 魔術 には明確な差があると設定されていたけど、
オーフェンで言うところの魔法が 奇跡 創造 真理の扉の向こうの領域の行為だ。
異界の存在を介さず、イメージと命令で結果を現出させる魔術は
ハガレンの錬金術と同じ層へアクセスして行使する能力だ。
あれも終盤あたりで、神々は全知全能、故に 零知零能
っていう表現があるけど、
まさにまさにそれは秘密の領域のエネルギーのことだ。
対価も代償もなく、善も悪も、因果も時間も、あらゆる法則も、
何もかもすべてを超越している創造の源のエネルギーは、
無限に無辺に、ただただ そこにある という感覚がする。
優れた物語の作者たちは、みんな見えない世界のロードマップのことを
直感で理解している、というか、モノづくりのインスピレーションは
そこからやってくるんだろうな。 だんだん年齢がバレるけど、
スレイヤーズの金色の混沌も、すべての母なるたゆたうものとかって、そういうことだな。
ただロードオブナイトメアには人格がある。それは正確ではない。
指向性がある存在は、きまりごとや法則の雲の下、霊的な存在ということになる。
そうです、ドラグスレイブの呪文を全覚えしてキャッキャしてた年代です。 >>126です
さらに詳しくありがとうございます
そういえば、魔女の宅急便はキキの成長物語で、
キキが成長するとウルスラになり、
ウルスラが成長するとおソノさんになり、
おソノさんが成長するキキの母親のコキリさんになると聞きました。
そう考えると、宮崎駿さんの映画はほとんどが成長物語なのですね! ハウルがへたれでビビりっていうのは、城の中で朝食を食べようとしたときに魔女からの手紙を見て、食欲なくしてしまって自分の分の朝食をカルシファーにあげちゃったね。
でもって、「北へ100キロほど移動して」とかカルシファーに言って、大急ぎで魔女から逃げ出した。
初めて見たとき、「逃げるんかいっ ヘタレっ」って思ったわ 興味深い考察読ませて頂きました、ありがとうございます
あのシーンにはこんな意味があるのかと驚きました
と同時に宮崎アニメの凄さも感じました
スレ主さんの知識や観察力や推察力も凄すぎます
ジブリ祭りの最後に、米林監督のメアリと魔女の花もやりますが、あれも何かメッセージとかあるんでしょうかね
クリエイティブなお仕事をなさっているんですね、漫画や小説関係でしょうか?
あとここまで読んでみて、上橋菜穂子先生の作品も好きだったりしますか?
なんとなくそんな感じがして ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています