武壇5ちゃんねる分壇43
>>201
おやおや
即使えるという割には3ヶ月もかかるのですか
悠長な話ですなあ シークレットサービスのつかえるって 自分は無傷で相手を倒すのとはちょっと話が違う気がする
銃構えて発砲してくる相手に三か月で鉄山コウで体当たりして自分も負傷するけど相手を弾き
飛ばして要人守れればいいって考え方だし。 ムエタイを研究すると技術は中華武術と同じところも多い
とは言え、目的の違いは大きい 君は練習はたくさんしているかもしれないけど
本はまったく読まないんだね 競技だと攻撃手段は決まっているので当然返し技も研究し尽くされてる
競技での攻防を想定しているからだね
だから競技では有利だ 右腕を軽く伸ばし、手はグーにして、甲を上に
向けます。
手首に左手を被せ、五指を手首の外側に、引っ
掛けます。
これで右腕を水平に、外に向け動かそうとし、
左手はそれを阻止します。
おそらく殆どのかたは、右腕を外に動かせない
でしょう。
次に右手を、今度は掌を上に向けて、同じ事を
試みます。
すると打って変わって、殆どのかたが、右腕を
外に動かせるんじゃないでしょうか。
土曜 (6月15日) は、この仕組に気がついて、
また新しい技を考えてみました。
いっけん物凄い (?) 技も、タネを明かせば、
単純なからくりだったりします。
>>24も>>152も、同様でした。
バカバカしいほど簡単な事でも、愉しめるのが
中武のよさなのかも知れません。 ムエタイは競技ムエタイも良いけど古式ムエタイも好き
今の古式は想像で復刻したもので綿々と続いてるものでは無いらしいけど 有るっちゃあるが体型丸ごと残ってるかは不明
復元で有名なムエボーランは五祖拳みたいな足し算な感じらしい >>218
組み合わせる意味がわかりません
目的が違う物では必要とする技術が違います 組み合わせを考える時点でその人が思い浮かべる戦い方が間違ってると言えます
他から学ぶ事と組み合わせる事では全然意味が違ってしまいます >>217
ムエボーランって偽物説あるけどヤッサイや脳天への肘落としとか首相撲で圧迫する技術とか
どうみても競技用じゃない技が見受けられるんである程度説得力はあるんだよな >>222
古流合算系で偽物ではないんだよな
貫手の低姿勢の三戦とか元の技法が伝わってるか疑問が残る物もあったりするけど まぁ競技ムエタイも多くの中武も基本姿勢は骨盤後傾系なんで両者の相性はいいハズだけどね 問題は競技と私闘は全く別物なのに
私闘を経験するわけにはいかないので
多くの人が競技を戦いだと誤解していること
どこかの軍隊では白兵訓練をMMAに変更したことで戦死者率が増えてしまったとか >>225
> どこかの軍隊では白兵訓練をMMAに変更したことで戦死者率が増えてしまったとか
なんでそんな嘘言うの? ナイフで暴れてる奴にMMAの関節技掛けたけど効かず
逃げられて警察官が殺害された マジレスすると現代の戦争や軍隊では兵站こそ最も重要なんで戦略や戦術まして兵士の白兵戦技術など二の次三の次もいいとこ >>228
> どこかの軍隊では白兵訓練をMMAに変更したことで戦死者率が増えてしまったとか
??? 警察官が殺害される動画観たけど
足関節掛けようとするのが間違ってる
間違うのは普段にそんな技術を学んでるから出てしまう
緊急事態だと考える能力は低下して
いつもやってる行動が出てしまうんだよ
常日頃から動作に気をつけなければいけない
武術の奥義だよ
思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。
マザー・テレサの言葉 マザー・テレサも虚像がすっかり崩れ去って久しい怪人。
youtubeにそれの解説動画はごまんと有るから見てみなさい。
おぞましいの一言だ。 武術は神秘技を使う物だと誤解してるが
スタンスの違いなんだよね 武術は神秘技ではないし
脱力インチキタイムでもない
それらのすべてを否定する またURLが貼られた時に貼るわ
どうせどこかで参考に貼られる 水曜 (6月19日) は、他人様 (ひとさま) の脚を
調律する方法を、考えました。
あくまで脚にしか触りませんが、狙って脳まで
トロトロの気持ちよさを、届けます。
重い病で立てないかたに試みたら、ヒトの支え
無しで、杖や手摺も使わずに、立って、歩ける
ようになりました。
まるで奇蹟のように思うでしょう。
じゃなければ、作話 (さくわ) 。
でもこれは、魔法や複雑極まる機序ではなく、
至って簡単な仕組です。
>>214に書いたのと同じく、バカバカしいほど
単純で、僕は中華武術の探究をとおして、気が
つきました。
中武は使い方、工夫次第で、人類の福音 (ふく
いん) にも、なるようです。
―――個人的には、中武への関わり方は、人の
数だけあっていいと思います。
形 (かた) に入れ込むのもありですし、実戦の
探究も、勿論オーケー。
中武を通した気づきや発見を、なにか他の事に
役立てるのも、間違いじゃないでしょう。