伝統空手とフルコン空手どっち派? ★3
空手で他の格闘技を倒して最強を目指す→最近を目指すってそんなショボい事ですか?→じゃあ空手をやってどうなりたい?何を目指している?→「」
という状態で「」の中の具体的な答えが知りたいだけなんだが?別に空手やる目的は人それぞれだし否定をするつもりもないけど、答えもなく人の意見に突っかかるだけじゃ話にもならないだろ。 相手のルールの中でも空手で勝てたら最高なんだが、難しいだろうなぁ
それは逆もまた同じであって 極端な話、ストライカーがグラウンドに持ち込まれる時点でそのストライカーの打撃が雑魚ってだけの話では? >>78
でもそれこそがストライカーがストライカーとして勝つ理想として目指すべきところじゃね? >>79
それは理想でも現実は一線級の寝技師にグラウンドに持ち込まれるのが普通だから。まんがのようにはいかない 普通出来るかどうかで考えるようじゃそりゃ無理だろうさ
詩文が出来るかどうかの問題であって、理想として今の自分には不可能でも、将来の自分には可能とそれを求める事が強くなるという事じゃないだろうか? >>76
本来、空手には投げ、関節技があったのだが柔道との差別化のために
打撃だけになったとか。
柔道も本来は打撃があるのだが危険で練習できないから
打撃なしの練習になってしまった。 実戦は武器あり。素手最強を目指すのは間違い。
空手家は武器を持った時に本領を発揮する。
空手には関節技も投げもあった。
K1に出た空手家は皆空手をやめボクシングの
パンチを練習した。
空手の引き手って良くないのだろうか?
ボクシングと空手どっち派?
と言う議論もできる。 寝技というのは相手が複数の場合、ボコボコに
蹴られるだろう。
ナイフ一本持っていればタックルなんて簡単に
防げる。 空手の意味は危機に遭遇した時に生存確率を
あげることができるということだろう。
自衛能力をアップする 武器持ってる奴が強いよ
それと無敵状態の人
こういうの相手にするなら逃走しかない 自分の都合の良い展開ばかり能書き垂れるようなやつは、何を持っても殺されるぞ?w 本来ナイフなどなくても空手はMMAにも余裕で勝てる
指先や剣先手刀を鍛えるから
タックルに来た相手を生涯、不具にもできる
ただルールがある試合でそれはやってはいけないので
空手本来の持ち味が潰されてしまう
それで素手がどうこう言われても流石に不公平
そこに武器を持てば更に空手は強くなるし
それが古い空手の本来の姿
何処で人は空手を誤解してしまったんだろうな?? 武器って凶器だけじゃない
近距離から細かい砂掛けられたら負ける >>88
薩摩藩の琉球侵攻の時は琉球の軍はボロ負けだったけどな。
「武器を持っても強い空手家」はその時何をやってたんだ?
戦闘キ○ガイの薩摩は相手が悪かった? >>92
そのアホタレじゃないけど
その頃にはまだ現行の空手はなく極一部が福建少林拳やってるに過ぎないし
実態としては金欠で武具殆どないタイミングで無抵抗に近かったらしい 琉球侵攻って一ヶ月位で終わってて、薩摩にまともに抵抗したのは徳之島の島民位だったって話だけど。
沖縄本島の軍って何やってたのかな?
薩摩藩と戦って苦しめた琉球の武人・・・みたいな方達の話も聞かないし。
結局琉球侵攻があったのは1609年だから、その頃は空手や琉球の武器術?って存在してなかったって事かな?あんまり歴史詳しく無いけど。 >>94
大して戦闘もせず一ヶ月位で降伏(敗戦)してるから、フォローのしようが無いですよ。 薩摩藩と戦って苦しめた琉球の武人って話は
時々聞くけど? >>98
具体的にお名前わかりますか?
煽りとかじゃなくてマジに知らないんで・・・ >>95
金欠でまともに装備品なかったから抵抗のしようがない
>>101
そいつのは捏造だろうけど、いた話はあるからいたんだろうなとは思うよ
まあそんなの闇討ち前提だから名前なんか残る訳もないが そもそも空手家という個人と薩摩軍という軍で比べる時点で論点ムチャクチャなんだよなあ >>103
いやいや個人じゃなくて琉球王国の武士達は空手や武器術をやっていた、と俺は思っていたんだけど?
空手は素手でも武器を持っても強いと主張するから「そんなに強い空手家が揃っていたならなんで薩摩の軍勢に無抵抗で降伏したの?」っていう疑問を投げかけたんだが? だから琉球侵攻があった1609年には空手が完成していなかったのか、それとも琉球の武士の武芸は空手も含めて大した事はなかったのか、判断が出来ないと思って聞いたんだけど。 >>104
琉球の武士が個人で空手やってたとして、それはあくまでも個人の武術的な話でしかなく
集団戦闘技術が要の軍と比べる事がムチャクチャな事には変わりないんよなあ
空手に集団戦闘の技術や戦術があるはずだっていう主張ならまだ話は通じるだろうけども
まあ、琉球侵攻で薩摩の鉄砲隊相手に2~30人ハチの巣にされながら、こん棒や竹やりで10数人の被害与えただけ琉球の空手かなんか知らんけど武力は捨てたもんじゃないだろうよ
でも対集団における個人武力なんて、どんだけ脅威でもそんなもんでしかないって話なんよね >>105
記録などで判明してるのは江戸時代初期(琉球王国)初期の戦時用の主武器は弓が主軸の和式の武術
独立した空手や中華武器の古武道の痕跡は見当たらず、白鶴拳の書籍があったことから士族の愛好者がやってた程度だと思われる
現行の空手に繋がりそうなのは1700年代まで出てこない
武器庫がスカスカだった理由は不明のままだが
時期的に琉球統一からインフラ整備の資金で底をついたタイミングとかかもな >>102
>いた話はあるからいたんだろうなとは思うよ
天狗とか河童とか八岐大蛇とかも昔に居たって話はありますけど
もしかしてそれだけで頭から信じちゃうレベルの人ですか? >>106
ん~~~という事は、琉球王国には個人の武芸はあっても集団として動く兵法?はなかったって事かね?
薩摩の方は個人の武芸はもちろんやってて、その上で集団での戦い方も研究してた・・・つかバリバリの戦国時代だから琉球とは戦争の経験値が違いすぎたんだろうな。 >>107
>白鶴拳の書籍があったことから士族の愛好者がやってた程度だと思われる
興味深いですね。その白鶴拳の書籍というのは何のことを指していて
具体的にどれくらいの年代に存在が明確に確認されているものですか? >>109
琉球の武士だって武士なんだから雑兵統率して戦う事はできるだろう
でもそれは空手家が武装して戦う事と別の話ってだけ
そういうとこの区別が付いてないからトンチンカンな比較しちゃうんだぞっていう話だよ >>111
まあ宮本武蔵だって戦場(島原の乱)では一兵卒で戦ってたから、やはり集団を指揮して戦うのと一対一で戦うのは別の能力が要るんだろうな、とは理解している。
空手も一対一の武技であって、武器を使ったとしても集団同士での戦いにはあまり役に立たない個人の為の護身術として発展してきたと改めて思った次第。 比較するのが意味ないってだけで個人の武芸が意味ないっていう話じゃないんだよなあ
それ、空手だけじゃなく武士がやってる武芸も個人の為の護身術だって言ってるのと変わらんと分かってるんか? どうでもいい話だが宮本武蔵の「枕をおさえる」って教えを見るたび
遠まわしな表現に思えるんだよなぁ
あれ本当は弟子が写本する時かもしくは本人が書くときに腕をおさえる、を
単に間違って枕をおさえるって書いちゃっただけなんじゃねーかな?とも思うんだが >>113
個人の武芸が意味ないとかは一言も言って無い。個人の武芸と集団を動かす能力は別とは言ったが?
剣術も槍術も弓術も自分が生き残る為のスキルだから護身術じゃないのかね?護身術って言葉を貴方と私で違う意味で使ってるのかな? あぁ、意味がないって言ったのは指揮して戦う事に対してで、武芸については集団戦であまり役に立たないって言ってたね
あと控えめに言っても弓術を護身術だ言うのはマジ意味分からん
あんな遠距離から一方的に撃ち殺す武器使って護身もクソもないだろうに >>116
敵も弓を使ってるなら別に気にしないでも良くね?
普通の市民生活で弓を使ったら過剰防衛だとは思うけど。
琉球侵攻の話に戻って悪いけど、刀や槍が現役の武器だった時代だから個人でも武勇に優れた豪傑ってのが琉球王国にいたなら、それなりに活躍して名前も残ってて良さそうなモノだけど、そういう方の記録は確認出来てなかったんで解せぬなと・・・ 一方的に撃ち殺せる武器を相手が持ってたらそもそも敵に回したくはないわな
その時点で充分護身の役割を果たしてるかと それより士族がやってたとかいうのの元になった白鶴拳の書籍
ってのがなんの事なのか非常に気になるんだが >>119
それ私も気になる。
今で言うような技術書が当時もあったのか、どこの系統の白鶴拳だったのか
。武備志の事?だったのか。 いや〜〜、東恩納や宮城が中国に行って持ち帰ったとかいう武備志だとか
中国から沖縄にやってきた呉賢貴が持っていた武備志だとか
いやいや首里手の大家の糸州が所持していたものを写本した武備志だとか
時系列も入手系等も無茶苦茶のバラバラなのに何故だか中身は一緒とかいう不可思議で
胡散臭くて1934年以前には歴史にその名が確認できない伝書なんかじゃなくて
きっと由緒ある白鶴拳の伝書(それも練習できるほどの内容)なのでしょう。多分。
士族がやっていた、という根拠も合わせて是非とも詳しくお聞きしたいですな。 よくわからんが、同じ本なら内容が同じなのは不思議でも何でもなくね? >>122
前回りすら出来ない荒らしのアスペ猿田には触れないほうが良いぞ
猿田の脳内設定に合わないのは文字資料以外全てゴミが基点の出禁モンスターだから >>122
茅元儀が編纂した武備志の方ではなく、いわゆる沖縄伝武備志(誌)の話だが
内容があまりに雑駁すぎて整合性がなく一門の伝書というにはとても呼べない
お粗末なシロモノ。書店で量産されてる訳でもなければ一門などの共同体で
複数の人間が写筆していたものという訳でもなく、中国に住む誰かが個人的に
集めていた資料をまとめて冊子にした、というのが一番似つかわしいかな。
そんな個人の冊子が大昔何かの拍子で沖縄に流れ着いて長い年月の間糸州など
士族の間で代々写本されていたまではまあいいんだが、糸州が没した10年後に
たまたま沖縄にやってきた中国人がたまたまその個人的な冊子を持っていたり
唐手の源流の拳法が分からないけど中国に行ったらたまたま同じ内容の冊子を
手に入れて持ち帰ったという偶然の一致。そして肝心なことに中国現地でこの
冊子が歴史上確認できない上に現在でも存在していない。
そっからさらに10年以上経った1934年に今度は沖縄で代々写筆されてきた武備志とやらが
世に公開されたけど、それもたまたま内容は同じで、そして前にも書いたように1934以前には
歴史上その名が確認できない。肝心の中国に原本も記録も時点で詰んでる。そんな状態なのに
時代をまたいで別々の人間が都合よく同一のものを別々に入手してる時点でやはり無理が出る。 >>126
そうか、武備志の話より猿田は前回り覚えるのが先だな つまり沖縄という狭い範囲の中「のみ」で何かがやりとりされるなら話は通るんだが
中国とか別の国を絡めて持ち帰るだのもたらされただの、とかなるから現実的に考えて
無理な矛盾や破綻がおきる。ここら辺は武備志ではなく型に話を置き換えても同じだな。
沖縄で代々伝えられていた型があるんだけど、そんなのとは別にたまたま中国に行ったら
たまたま同じ名前でたまたまよく似た構成の動作の套路を持ち帰りました、とかね。
そして代々伝えられてきた型も持ち帰った套路も何故か中国では同一のものが確認できません
そんな不思議な話。そこを不思議と思えない人が世の中に居るのが実は一番不思議なのかもな。 中国で存在確認できませんって、文革あった中国なら普通にありえる話じゃね
武術家も随分と弾圧されてそれこそ白鶴拳とかみんな台湾に逃げちゃってるし
国内じゃ雑に扱われてたものが国外で評価高まって大事に残ってるなんて話も曜変天目とか浮世絵とか割と思いつくけど
そんなの絶対ありえないって単なる妄想じゃね? 空手ってカポエラみたいなもんでしょ
とりあえず相手の意表を突いて反撃
だけども武器もつ相手には無理
そんなもんだよ
強くなりたいならムエタイ習いなさい
打たれて強さもムエタイのが上 >>130
ムエタイってカポエラみたいなもんでしょ
とりあえず試合前に八百長の相談仕掛けて相手に意表を突いて反撃
だけども武器もつ相手どころかムエタイルール試合以外には無理
そんなもんだよ
強くなりたいならムエタイ習うのは止めなさい
打たれて強さもムエタイ以外のが上
ムエタイジムでムエタイルールでボコボコにされた上で丁寧に返されムエタイに媚びうる猿田のトラウマなんて知らねえよ これは>>129に一票
>>126=>>128は歴史考察としては浅い
文献に残ってるものしか見えない、見ようとしないのは
生きた歴史を見ていない
そういう錯誤を侵している >>131
長文お疲れ!誰も駄文読まないから
ムエタイ強い、寸止め、腹ポコ弱い!!空手は立ち技最弱 ムエタイだろうが空手だろうがMMAだろうがそのスタイル事態に最強なんてねーんだよなあ
結局はそれをやってるその人が強いっていうだけの問題
まあ、重量級をボッコボコにできるような軽量級が居るってんならハッキリ言ってその格闘技強すぎね?ってなるんだろうけどありえないじゃん? さて、今夜も武備誌について語ってみましょうかね。
もし変なところで投稿が止まったら、まあ規制食らったと思ってくれ。
じゃあ始めよう。前提知識↓
宮城が中国に行ったとされる年 1917年 1915年 1936年
呉賢貴が中国から沖縄にやってきた年1926年
摩文仁賢和が十八の研究という空手の本を出版、付録に武備誌初登場
出版した年は1934年で、由来は巻末に糸州が支那の武備誌という拳法の
書籍を写したものを拝借して自分も写し保管していたが、友人の勧めもあり
本邦初公開とのこと。摩文仁がいつごろ写筆したのかは不明だが、糸州の没年は
1915年なので、少なくとも1915年以前に沖縄に存在していたことになる)
この武備誌、いったいどこからやってきたのでしょう?
まず宮城が1915年〜1917年に持ち帰ったとするなら、それ以降の都市である1926年に
呉賢貴が持参して沖縄に来るのは不可能になる。では逆に呉賢貴が中国から持参した場合
それ以前の年に宮城が持ち帰るのは不可能になる。どちらかがウソをついているのですが、
実は宮城が持ち帰っただの呉賢貴が持ち込んだだのは、当事者が亡くなった後世に高弟達が
言い出したことで、2人が沖縄に持たらした明確な記録も証拠もありません。言うなれば
持って帰った帰った詐欺ですな。ついでに言えば2人が生前に武備誌について言及した記録もなし。 では、呉賢貴にしろ宮城にしろ、中国から持ち帰ったのではなく摩文仁が所持
していた武備誌を後世中国拳法との関連を強めたい一部の高弟達が目をつけて
その武備誌は宮城先生が持って帰った、あるいは宮城とツルんでいた呉賢貴が
持って帰った、と言い出した。こういう展開になりますが、問題はじゃあその
摩文仁が糸州から借りて写本したという武備誌は本当に糸州が持っていたものを
写本したのか?というと、前にも書いたように1934年以前の記録がまったく存在
しません。1934年は摩文仁が「十八の研究」という型の本を出版した年で
その本の付録として武備誌は初めて世の中に登場しました。
で、ここでちょっと面白いのが、1934年に出版された十八の研究には、武備誌は
確かに付録として掲載されているのですが、問題はその武備誌の全頁どこを探しても
羅漢拳の掲載は無く、まして白鶴拳なんてものも登場していません(笑)
この時点ではこれら2つの拳法とはまったく接点がなく無関係となっております。 十八の研究は現在復刻されていて、ちょっと大きめの本屋か図書館に行けば
閲覧できるので自分の目で確かめたい人は是非どうぞw
で、十八の研究とは別に現在では武備誌を翻訳した本も存在します。
そして興味深いことに戦前の1934年に出版された十八の研究の武備誌には無かった
白鶴拳や羅漢拳の名称や技名やその他諸々が多数登場、大増頁で情報がてんこ盛り。
不思議なことがあるものです。はてさて、こんな無かった内容を誰が盛ったのでしょうねえ?
ああ、そういえば戦後に開祖の宮城亡き後、高弟たちによる実質の後継者争いの中で
宮城先生から賜りし武備誌を所持している俺こそが正統なる伝承者だ、みたいなことを
言い出したある一派がありました。私はこの一派の人たちが怪しいと睨んでおります。 まとめると、
戦前の時点では、宮城も呉賢貴も武備誌なんか知ったこっちゃなく、摩文仁が本の付録
として武備誌を初公開した(この時点で白鶴拳や羅漢拳などの記載はなし)
戦後開祖格の唐手家が亡くなってから、宮城の師匠である東恩納は中国でルールーコーに
習ったのがどうこうとか宮城は白鶴拳にぞっこんだったとか、戦前にルールーさんも白鶴拳も
名称まったく出なかったのに、急に高弟たちが言い出して中国拳法との関係を強調し出す。
同時期に後継者争いも勃発。そもそも宮城の時代から組手をロクにやってないんだから
どの高弟たちも似たり寄ったりの腕前なので、腕っ節が強いやつが正統、という訳にはいかず
ドングリの背比べで膠着状態。ならば免許皆伝のような証があればいいということで、戦前に
出版された付録の武備誌に白羽の矢が! ついでに白鶴拳とか羅漢拳とか中国拳法との関係も
こじつけちゃえってことで、ページ増し増し。
現在に至る、と。 >>129
>そんなの絶対ありえないって単なる妄想じゃね?
そんなの絶対ありえない、なんていつ言ったんですか?
不可思議で胡散臭い本だと言ってるだけですよ
>中国で存在確認できませんって、文革あった中国なら普通にありえる話じゃね
>国内じゃ雑に扱われてたものが国外で評価高まって大事に残ってるなんて話も曜変天目とか浮世絵とか割と思いつくけど
雑に扱われはすれど現物はありますよね?
例えば浮世絵なんて握り飯包む紙代わりに使われてたともいわれてますが
握り飯を包んでシワになった浮世絵自体は別に消滅していません。茶碗も同じで
中国で陶片が見つかっております。雑に扱われるるが現物や破片が存在する絵や碗と
痕跡がまったく存在しない武備誌を一緒にしないでくださいな。
この世から痕跡を完全に消すのは思いのほか難しい。
武備誌はその冊子自体が中国に存在せず、また冊子ではなく中身である
古法大剛論章や解脱法など中国語で書かれたものがありますが、これらも
同様に中国で同じものが見つかっておりません。冊子全体ではなく、中身の
断片的な情報すら各地で見つかっていない。おそらく他の六気手や約束組手の
ような図も同様でしょうね。茶碗でいえば破片すら見つかっていないという有様。
文革でも、さすがに地面を全部掘っくり返して茶碗の破片をひとつひとつ探して始末する
なんて事はさすがに出来なかったみたいですね。この世から完全に痕跡を無くすのは難しい。
でも何故だか武備誌だけはそれが出来たみたいでw >>132
>文献に残ってるものしか見えない、見ようとしないのは
>生きた歴史を見ていない
生きた歴史ですかあ。それを言うなら、じゃあそもそも糸州が所持していたという武備誌を
摩文仁以外の誰が写筆したというんでしょうね? 摩文仁だけなんですよ。
糸州は摩文仁以外に高弟は他にもいたし、弟子の数だけでいうなら自宅でも学校でも多数
教えていたけど、誰も武備誌を写本してないんですよねえ。別に唐手関係者に限らず、
糸州は役人だったんだから顔は広いはずだし郷土や中国の研究職に着いてる知人は居ただろうに
やはり武備誌を借りて写本したなんていう人はいない。写本ではなく、糸州に閲覧だけでも
させてもらったとか、あるいは糸州はそういうのを所持しているだとか、そういう伝聞や記録も
もちろん残っていません。不思議ですねえ。
あー、なんか既視感あると思ったらあれだ。夫婦手を本部のみがあるある言ってたときと同じだ。
本部にとっての夫婦手が、摩文仁にとっての武備誌なのかもしれませんな。同じ穴のムジナです。 あ、浮世絵の話が出たのでちょうど良いから話すけど
あまり知られてない話だけど浮世絵のルーツは沖縄だよ
いわゆる琉球絵画というやつ
例えば浮世絵で有名な作品、寛政三美人とか見返り美人とか
あるいは美南見十二候や、それこそ冨嶽三十六景なんかも実は
全部これらが書かれるもっと前の時代に沖縄ですでに同じ構図の
琉球絵画が存在している。本土の人たちはこれらの作品を見て
影響されたりパクったりしたんだろうねえ。
ちなみに中国の水墨画もルーツをたどると琉球絵画に行き着く。
琉球絵画の技術をまとめた冊子が昔の中国で大流行してさ
中国の有名な絵師たちはみんなこぞってその本読んで真似したんだよね。
まあ、中国は文革で、日本は戦争で、痕跡が全部無くなっちゃったけど
本当なんだよ、存在したんだよ浮世絵の元になった絵も、技術書もぜ〜んぶ。
だけど文革と戦争のせいでねえ・・・いや〜まいったまいった(笑)
だから存在が確認できません、でも普通にありえる話でしょ?w おわり 結局、同側手足のナンバ歩き信者とかと一緒で、夢を見たい人、あるいは夢を壊されたくない人は
こちらが何を言ったり提示したところで理解できず(というか理解はしても)否定をしたがるのが
お決まりのパターンだから、ある意味で言うだけ無駄な面もありますな。
まこと、無知を愚かだとは思わないが真実を知って尚判断を誤るは愚の骨頂、です。
さて、何で武備誌の話になったかというと、元をただせば白鶴拳の伝書がどうこうで
士族がやってたという話が発端。べつにまだ武備誌と決まったわけじゃなし
もしかしたら知られていない白鶴拳の伝書が存在するのかもしれないから
その回答でも待ちますか。
それまでは、みなさん何だっけ、ああひとつ前の護身術がどうこうの話題とかでもどうぞ↓ >>143
猿田君また前回りの練習さぼってますねw
ムエタイ最強説みたいな70年前の夢見てる猿田は結局、同側手足のナンバ歩き信者とかと一緒で、夢を見たい人、あるいは夢を壊されたくない人は
こちらが何を言ったり提示したところで理解できず(というか理解はしても)否定をしたがるのが
お決まりのパターンだから、ある意味で言うだけ無駄な面もありますな。
まこと、無知を愚かだとは思わないが真実を知って尚判断を誤るは愚の骨頂、です。
猿田君が執拗に空手に執着するのは発達障害の拘りでしかなく
空手道場に色帯でギブアップしたという自らの過去の失態を空手に仮託してるだけなのです。
疑問に思ったことを直接聞くようなコミュニケーション能力もなく検討違いの物を調べて嘘だ嘘だとこき下ろしたいだけなんです。
ムエタイに関しては発達障害のイキリでジムに突撃しボコボコにされた挙げ句、丁寧にお客様として帰されたということだけなんです。
因みに猿田くんの運動能力は武板絡みの動画で上がってたりしてますが
前回り受け身が出来ずにぐちゃぐちゃかつ勝手な我流を混ぜようとして怒られてたりする恥ずかしい人となっております。 >>143
∧ ∧
(・∀ ・) 前回り出来ない猿田のレベルには関係ないから死んだら良いんじゃない?ムエタイが強いんじゃなくて猿田がしょっぱいだけだよね
ノ( )ヽ
< > 肝心の船越のことを書き忘れてた
元祖唐手古書といえば船越の琉球拳法唐手なのだが、十八の研究同様この本にも付録がある
この本が出版されたのは1922年。そしてこの本の付録に、なんと武備誌の内容の一部である
古法大剛論章と解脱法が載っているんだなこれがw
ほら見ろ、やっぱり武備誌は摩文仁以前に存在したろ!
って誰か突っ込んでくれないかなぁ〜(チラッチラッ
さすがにスレ違いだから皆ウンザリしてるだろうけど、でもこの件について質問や
指摘をされたら無視するのも失礼だから、俺も仕方なく投稿を続けざるをえないよなあ
あ〜困ったなぁ、質問されたらどうしよう(チラッチラッ まあ、いいか
じゃあみなさん個人の武芸と戦争での強さの関係とかの話題の続きをどうぞ↓ 沖縄の古流派でも自由組手を導入している所が結構あるみたいだけど全空連式とフルコン式のどっちが多いんだろうか
うろ覚えだけど沖縄剛柔流明武館は両方やってるって黒帯ワールドで見た気がする >>139
絶対ありえないっていう主張じゃないなら別にどうでもいいよ
こっちもそれが絶対ホンモノだって言いたいわけじゃないし、そもそもそんなん知らんし
単純に随分と自分に都合のいい解釈したことを根拠に否定しようとしてんなあって思っただけだし
あと、昔から一度に大量に作られた陶磁器や版画と基本手書きで写本するしかない本とじゃ歴史に消えてく可能性は段違いなんだよね
これまでに歴史に消えてった本がいったいどれだけあったことか >>147
どういう意見を書き込んでも良いと思うが、アク禁に巻き込まれるので長文連投は程々にしてください。 >>134
同じ能力の人が違う武術を
やったらどの武術が強いか?というように比較するんだよ。 >>128
中国の餃子と日本の餃子は違うから
拳法も違っていても不思議ではない。
中国拳法と沖縄独自の武術の融合が起こったと言える >>117
文化の違いもある。
武道を尊ぶ文化と武道を卑しむ文化だ。 同じ能力の人っていう条件がもうただの妄想じゃん
違う武術やっててどう同じ能力と判断すると言うんだろう? >>112
空手の型を見ると前後左右の4人の敵に対しているから対複数と
考えるべき >>154
同一人物が並行して違う武術を学べばいいんだよ >>149
>絶対ありえないっていう主張じゃないなら別にどうでもいいよ
あ、逃げた(笑)
>こっちもそれが絶対ホンモノだって言いたいわけじゃないし、
あ、日和った(笑)
>そもそもそんなん知らんし
よく知らねーなら言うなよアホ(笑) >>149
>単純に随分と自分に都合のいい解釈したことを根拠に否定しようとしてんなあって思っただけだし
都合の良い解釈? はて?
摩文仁よりももっと身近で実力もあった糸州門下の高弟である本部は武備誌についてな〜んも言ってないし
それどころか船越だって武備誌についてな〜んも言及してないし、宮城だって許田だって喜屋武だって上地だって
誰であってもそう。摩文仁以外に武備誌がどうとか言ってないのは、俺の都合の良い解釈じゃなくて、れっきとした
ただの現実ですよ? それともアレかな、中国で武備誌の写本が見つかってないどころか、断片的な頁の内容すらも
類似のものが見つかってないってのを指してるのかな? それも都合の良い解釈ではなくただの現実ですよw
例外として、孫子の兵法とかあそこ辺の頁は有名過ぎるから関係各所で散見するけどね。でもそんなのはあくまで例外。
武備誌のあの約束組手の図でさえ、同じものは見つかっていない。後世にそれを元に実際に約束組手を再現して
みました、とかならあるけどね。あの約束組手も摩文仁が武備誌を初出しした時よりも戦後になって頁数が増えてる。
やらしいことに「白鶴手」だの「五十四歩」だの「二十四変化」だの唐手との関係を匂わせる挿絵を増頁。
翻訳本を出すときに増やしたのではなく、翻訳本はあくまで戦後になってからもっとずっと後になってから
訳したものであって、摩文仁の武備誌に色々付け加えたのは戦後すぐになってからだろうな。
もし摩文仁が頁数の関係で武備誌を全部載せ切れなかったとしても「拳足筋骨立様」なんていう導引図
とすら呼べないお粗末な挿絵ではなく、もっと白鶴拳の歴史なり羅漢拳の技の数々なり色々と興味深いものを
載せれたハズだもの。それを出来なかったのは、そもそもその時点では存在していないから載せようが無かった。 海南神技是空拳 空手を嗜む人にとっては有名な一句です。
船越先生は空手のことを本当に大事に思っていたんですねえ。
本土への空手の普及に際して、上記のような中国風の発奮詩を自作するくらいですもの。
教員だし、元からして教養のある人だから戦前の雑誌や新聞の寄稿などでも同様に自作の
漢詩のようなものを色々と文末に掲載していました。「松濤」なんていう号があるくらい
ですから、まあ昨日今日ではなく若い頃からそういうったものは作りなれていたんでしょうね。
だからといって、船越が片棒を担いだとは思えません。船越はあの時代の唐手家にしてはめずらしく
型すら創作しなかった。正確には創作したら「創作」だと認めていた。初心者用の太極の型とかね。
でも、その創作型すら太極くらいであとは着手しなかった。他の唐手家が創作したにも関わらず
シレっと昔から沖縄に伝わる型、あるいは中国行って学んできた型ですとか散々やってる中で
そういうのをしなかった。そんな船越さんが武備誌の片棒を担ぐかというと・・・おそらくNO。
ただ、積極的に加担はしなくても、さりとて拒絶はせず黙認くらいはしたことと思われます。
例えば、依頼されて何かを提供とかはしないけど既存のものを使うのは自己責任でどうぞ? 的なw
ここら辺の考察、ミステリーは空手史の醍醐味ですね。なかなか分かってくれる人はいませんが。 >>149
>絶対ありえないっていう主張じゃないなら別にどうでもいいよ
まあ、断言するとアンチが挙げ足を捕りますしねー、めんどくさい世の中です。
ですので、訂正します。
絶対じゃないけど、限りなくありえないと思いまーす\(^o^)/
>一度に大量に作られた陶磁器や版画と基本手書きで写本するしかない本とじゃ
>歴史に消えてく可能性は段違いなんだよね
その割には、目的も手がかりもないのに、何故だか宮城さんも呉賢貴さんもピンポイントで
偶然内容が同じ手書きの武備誌をゲットして持ち帰ってる始末。どんな確率なんだよwと
それと、みんな大好き白鶴拳も沖縄の唐手が中国に伝わったものですよ? 証明する伝書もあります。
え、そんな伝書は中国では存在確認出来ないって? 文革あった中国なら普通に燃やされたんじゃね?w
日本にはその伝書残ってないって? いやいや最近まで残ってたけど戦争で焼けちゃってね。
本当に残念なことです・・・。このように歴史に消えてった本がいったいどれだけあったことか >>150
はい、了解です。
そもそもスレ違いですしね。みなさんも興味ないから多分読んでないだろうけど
読まなくても長文の連投は荒しと一緒なので、そろそろ自粛します。お騒がせしました。
では、空手の型を見ると前後左右の4人の敵に対しているから対複数と考えるべきかどうか
みなさまの見解をどうぞ↓ ちなみに私の見解は対複数であり同時に対複数じゃないと思ってます。 >>162
自粛じゃなくて自分で前に言った引退と切腹しろよ
自分で言ったことだろきちんと守っれや嘘つきクソムシ >>158
逃げるも何も俺は最初からおまえさんの根拠のないところを突っ込んでるだけで
その本が本物だという前提の主張は一切してないんよね
おまえさんが勝手に思い込んで発狂してるだけなんよ
そういう思い込みの強さが人とは違う真実を見せちゃってるんだろうなあ >>164
はいはい、何でも文革のせいにしててくださいねー(笑) 戦争で焼けたでも可w
じゃあスレ違いなので次の話題をどうぞ↓ 沖縄空手と本土の伝統空手も違うよな。
自分は筋トレをガンガンしている沖縄空手が好きだな。 筋トレもそうだけど部位鍛錬も本土の空手家よりしてる傾向あるよね >>167
沖縄の剛柔流とかチーシーとか使ったりしてとても良い。
部位鍛錬も悪くはないがそれをするなら武器を持った方が早い気がする。
巻藁鍛錬はとても良いが。 フルコンタクトも伝統も本土の空手は組手試合の為の練習に偏っているのかもですね。 昔々にとある剣術家と、とある武将の家臣が剣術について話していて口論になって、じゃあ実際に立ち会おう!って事になって双方木刀を持って対峙して
剣術家が振り下ろした木刀を家臣が左腕で受け止めて右手の木刀で突きを入れて剣術家を倒した。
剣術家は「腕で剣を受けたら切り落とされるから、そんなの有り得ん!」といって抗議したけど、家臣は「いや、俺はずっとこれで戦って来たんだけど?」といって自分の鎧兜入れてた箱から篭手を出して剣術家に見せた。
使い込まれた篭手は刀傷だらけだった・・・
何かの本で読んだ話だけど、戦うって言っても条件が違えば色んな戦い方が有るんだなと改めて思った。 フルコンか伝統(寸止め、ライトコンタクト)か、とはいうけど
じゃあ間とって防具空手は?という選択が出てこないのは納得できません!? いちいち防具を着けたり外したりするなんてまだるっこしい
剣道じゃあるまいし