【公式】合気道関係総合スレ16【ワッチョイ】
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合気道関係の総合スレです
初心者から有段者まで、会派・流派問わず語りましょう
※このスレはコテハン禁止です (粘着も来ないで)
前スレ
【公式】合気道関係総合スレ15【ワッチョイ】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1665274964/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured >>899
「合気道」と「合氣道」はあえて使い分けされているのでしょうか? >>900
すいません。
誤字です。
どちらも「合気道」です。 >>898
スーパーセーフって、空手の試合などで被ってる面みたいなやつですよね?
打撃などから顔面は守れても、手首などの関節に対する極め技には意味がないのでは? >>902
そりゃあ、そうですよ。
顔面防具ですから。 先人達「手首って怪我しやすいし、完治しにくいから武道ライフに関わるよね」
柔道「うちは乱取りでは、上半身の極め技は肩、肘関節まで」
合気道「うちは手首を極める技法が主体だから、型稽古だけで行きます」
あなた「だったら、スーパーセーフ着けて乱取りしたらいいんじゃね?」 柔道は肩関節は反則だよ
抑え込みのときも、腕を取ったら相手の背中の中央を越えて
折り返すと待てがかかる これ理解してない人が多いんだけど
相手の関節の可動域内で抑える→固める
相手の関節の可動域を越えて折り返す→極める IJF禁止事項一覧を確認しましたら
反則負け(重大な違反)の項目の2番目に
「肘関節以外の関節を取ること。」が有りました。
調子に乗った書き込みしてすみませんでした。 >>904
ムキになってやるもんじゃないんでね、タップすれば良いと思いますがね。
力加減できないなら、乱取りはやらない方が良いですよ、
それに、本気で抵抗する相手に合気道の立ち関節はそう簡単には極まらないですよ。 立ち関節が決まるには相手が決まるような動きをしてくれないと難しい
柔道だったら、肘を伸ばして奥襟を取りにくるとか ブラジリアン柔術にもリスト極める技がある。
それで普通にスパーリングしてるけどね。
当たり前だけど、お互いに怪我させるまではやらんし、仮にヒートアップしてたら指導者も止めるけどな。
合気道はそういう経験も乏しいでしょ。
不慣れな指導者の下では乱取りやらん方がいいよ。 そんな難しく考えなくても当身ありのマススパーするだけで充分に合気道の技も練習できるよ。
もちろん型稽古通りの技じゃないし、最初はうまくいかなくて悩むけどね。
カリの手技や詠春拳のチーサオとか取り入れると相性はいいよ。
ボクシングやキックに使う足捌きは結構重要
マススパーならそんな細かいルールもいらんしね。
ある程度攻者と守者を分けてみても面白い。 >>909
抵抗する相手に合気道の立ち関節
なんて言ってる時点で合気道の形稽古勘違いしてるってわかるので何話しても無駄
結局は実戦の雛形としか理解してない
こういう人が無理矢理乱取りやるとSAみたいな奇形ルールの無意味なことやりだす
合気道と併修で空手やボクシングやっときゃいいんだよ どうせ馬鹿だから理解せずまた話撒き散らすだろうから先に言っておくが
その技(本来「技」とか呼ぶのも間違い)の形にならないなら無理にその形に向かう必要がない
簡単な事だし稽古でもよく説明する先生いるのにこの程度の認識もないとかスレで論評ごっこしてるやつそもそも合気道の稽古してないやつがいるだろ 合気道で「これ、いざという時にどう使うの?」と思う迷子もいるのも事実でしょう。
だから、乱取り希望論も出てくるんだと思うけど、実際にやる人はどれだけいるのか。
道場内を見渡しても、付き合ってくれる人はそうそういないんじゃないですかね。
仮に有志が集まっても、リーダーの独りよがりになると思います。
ネットの掲示板なんで無いものねだりの書き込みをするのも自由ですがね。
合気道に物足りない人は、他へ移った方が良いですよ。
方向性が違うのに無理してやるのも時間が勿体無い。 >>914
> その技(本来「技」とか呼ぶのも間違い)の形にならないなら無理にその形に向かう必要がない
おっしゃる通りです。
やりたい技を力任せに無理矢理やるのではなく、流れに応じて技を使用するべきだと思います。
ただ、隙を作って相手を誘う、やりたい技を使える状況にもっていく
ということが出来るよう乱取りやスパーって必要なのでは?
(合気道だけの技術で乱取りは基本反対ですが) >>913
> なんて言ってる時点で合気道の形稽古勘違いしてるってわかるので何話しても無駄
>結局は実戦の雛形としか理解してない
貴方の「型稽古」の定義がよく解りませんけれども、型稽古で養った精妙な身体操作や感覚など、貴方の言う「実戦」で使用するのであれば、それは「実戦の雛形」と言えるのでは?
「型稽古」の定義を広く捉えるか、狭く捉えるかの違いであるに過ぎずませんが。
型稽古を「実戦」と直接結びつける思考もどうかと思いますが、型稽古で身につけた基礎は結局のところ、貴方の言う「実戦」で使用することになるのでは? Q
合気道は型稽古しかしないが実戦でも使えるか?
A
練習していないことは上手くなりません。身に付けたい技術を練習しているところを自分で探しましょう。
Q
合気道は実戦で使うのが難しいのに何で練習してるの?
A
目的は人それぞれ。
Q
合気道にも自由組手を取り入れと良いのでは?
A
自由組手を取り入れることで型稽古で学んだことの応用方法、自由組手で学んだことを型稽古に活かす良い循環が生まれることが期待される。
Q
じゃあ何で自由組手を練習に取り入れないの?
A
自由組手をするルールが整備されていない、合気道単独では自由組手をするのに十分な技術体系がない、練習が厳しくなり合気道人口が減るリスクがあるため。ただし、冨木流、合気道SA等一部団体は自由組手形式の練習を実施している。 Q
合気道は型稽古しかしないが実戦でも使えるか?
A
形稽古には原理を学ぶゆっくりした稽古と実戦のための高速の稽古があります。
実戦に敵の強弱があり敵が弱ければなんでも通用しますが敵が強ければ
組手の稽古をしても通用しません。
Q
合気道は実戦で使うのが難しいのに何で練習してるの?
A
敵が弱ければ実戦で使うのは難しくありません
Q
合気道にも自由組手を取り入れと良いのでは?
A
合気道の開祖の思想として争いを否定してます。
争いを目的とするのならば合気道の否定であり違う武道を選ぶべきです
Q
じゃあ何で自由組手を練習に取り入れないの?
A
真の武道は絶対不敗であり絶対不敗とは絶対に何者とも争はないということであり
自己の争う心に打ち勝つことです。そして自己の天命を全うすることです。 >>921
これは一般論とはほど遠くて同意が得られないだろう
高速の型稽古をするとなんで実戦で使えるのかの説明が欠けている
冨木流、合気道SAが合気道なのに組手をしていることについて説明が欠けている よく議論される趣旨は、簡単に言えば「いざという時に合気道だけで対応できるか? もしできなければ合気道は弱いと言わざるを得ない」という流れだと思います。
しかしこの「いざという時」の定義が曖昧なので、話が噛み合わないことがほとんどですが、例えば以下の記事を読むと、相手の上を見たらキリがないのと、どうしてもヤルのであれば中途半端はダメということもわかり、現在学んでいる合気道のレベルとは異なることがわかります。
https://jp.quora.com/%E4%BB%8A%E8%A9%B1%E9%A1%8C%E3%81%AE%E8%B7%AF%E4%B8%8A%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC-%E6%9C%9D%E5%80%89%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E9%81%B8%E6%89%8B%E3%81%A8%E9%99%B8%E4%B8%8A%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E4%B8%8A%E7%B4%9A
なお、万一の場合に相手にとどめを刺すところまでゆけば、法治国家の日本では自分自身にも法的な問題が降りかかってくるわけですから、好んで戦いを求めるものではないという意味で、現代の合気道の理念に戻ってゆくものと思います。 >>923
ちなみに以前にも書きましたが、私が酔っ払いに殴られて一教で抑えて警察に引き渡した際に、相手の腕からメリメリと音がしたので少々痛めたかと思いますが、さらに骨折などをさせてしまえば、私も何らかの罪に問われていたかもしれません。
この事例は相手がたったの一人で単なる酔っ払いのオッサンだったので余裕があったわけですが、もっとヤバい状況では一旦始まってしまえば徹底的にやらねばこちらが危ないという一方で、やり過ぎても法的に不利になるかもという冷静さを保てるかどうか、という難しさもありますね。 乱取やあ組手までいかなくても当身の研究はしといたほうがいい そんなに乱取りだ実戦って言ってるなら合気会や養神館の合気道じゃなくて富木やSAやれば済むことでは? >>926
有志集めて変な事やるよりも、そっちの方が良いですね。 >>926
富木やSAだと、どういう理由で実戦で役に立つのですか?(実戦の定義にもよりますが) 合気同家はもう少し筋トレしたほうがいいな
柔道みたいにガチムチになる必要はないが
バトミントン選手みたいな体をめざそう >>929 バトミントンではなく剣道をすべき。
>>922
合気道を作ったのは開祖。開祖の直系は合気会。 合気会との関係を考えればわかる。 高速の形稽古が実戦に有効かどうかはパンチでわかる。高速のパンチが当たるのは説明するまでもない。 剣道や高速型稽古とは、警視庁の機動隊みたいなこと言いますな。 現代剣道はあまりプラスにならんように思う
動きが偏りすぎて。
塩田剛三(偉大な固有名詞として敬称なし。最近日本語をよく理解しない人がいるので注釈)曰く合気道は当身が七割(八割?)。
当身の稽古でボクシングや空手やればいいと思う
稽古の形を実戦でそのまま使う雛形と勘違いするからあの形の関節技をなんとかして取りに行こういこうとして、無理なのを「合気道は実戦では(以下略)」とか言いたがるのは本当に愚か。
合気道の形稽古やりつつ当身の稽古やって得られる複合的な感覚で結果として相手が倒れたり取り押さえられたらそれでよくて、あの稽古の形をなんとかして実戦で実現しようなどと固執する必要など無いという極めて当たり前の感覚をなんでこんなに理解できないのか。
合気道の稽古でも、わざわざちゃんとこういう事言う先生もいるのに。
入り身投げの類も、初動で相手の側面から後ろにうまく入れたら(もちろんそこが難しいというのはあるが)あとは髪でも襟首でも持って引きずり倒しても何の問題もない。
学生の時に教わった先生はあっさりそれ教えてくれたけど、やたらと形を実戦そのまんまと捉えるような人は聞いたことないのかね。
稽古でやってるような手を差し入れて投げ倒すようなフィニッシュの形にこだわる必要はどこにもない。
髪なり襟首なり持って引きずり倒す時にまさに普段の稽古でやってる体捌きや体幹を保ち重心を安定して移動するような動きでやればそれは充分形稽古の成果と言っていいはず。 >>932
そんな事、みんな分かってるでしょうよ。
髪つかむとか物騒な話を説明で聞いたって、大人なんだから、話半分でしか聞かないよ。
説明で聞いて出来るなら、誰も苦労しないよ。
安全なゲーム(試合)の場でいいから、色々と試して応用力を上げたいって言ってるだけでしょ。
あとは出来れば、1対1の小競り合いでうまく対処したいってくらいだよ。 >>933
練習していないことでも出来るようになる前提か、練習しないと出来るようにならない前提かで話が噛み合わないと思う
自分は約束稽古以外の動きを予測して柔軟に対処する応用力を身に付けるには、約束稽古以外の練習が必要と思う
何故ならば、他のスポーツでも同様に上手くなりたい技術があればそのための練習を創意工夫して行っているから 実戦とかはどうでもいいが
合気道も体術である以上、腹の出たおっさん体型はみっともない >>934
敵の攻撃は無限にパターンが存在する。
無限に対応策を練習することは不可能。
少ないパターンを徹底的に練習して実戦では練習していないことでも
臨機応変に応用していくべき。 なんか話がごくごく当たり前のことになってきてますね
柔道でもボクシングでも自分の得意な形や技に持っていけるよう、パターン(引出し)を増やす為に練習する
当たり前のことでは? パターンは少ないけど徹底的に磨くか
付け焼き刃でもパターンを増やすか
その辺りのバランスは個人の自由ですけど >>934
その通りかと思いますが、合気会や養神館の道場でやるのは無理かなと。
勝手な事やると、支部長に迷惑をかけてしまいそうです。 >>940
となると、これも>>524>>919の通りだけど身に付けたい技術を練習しているところを自分で探すしかないってことになると思う >>941
現実的には、他と併修するしかないと思います。
試合に出たいなら、オープントーナメントに出るかですかね。
極端な例と思いますが、SAの櫻井先生の事例もあるかと。
養神館で試合を反対されたため、他の道場にも通って研究し自流を立ち上げました。
思う存分やるなら、そんなやり方もあるかと思います。 乱取りや試合よりも、それ以前に
合気道の戦い方のベストプラクティスが見てみたいけどね
徒手空拳のタイマンでいいから
道場内で話をしても
走って逃げる
酩酊した酔っぱらいに技かけた
ってくらいの話しか聞かない
本で読んでも
鉄砲の弾を避ける
ドア開けるのに合わせ割れたビール瓶で相手の顔を刺す
耳の遠いふりして喉をつく
なんて、まるでマンガだし話半分で聞くしかない
動画で藤平先生のを見ても、揉み合ってるだけだし
結局、ベストプラクティスが無いので、自分で工夫するしかない 合気道の技術のみで乱取りしたり、ベストプラクティスを模索するなどより
合気道とか空手なり柔道なりボクシングなり、自分が必要と感じるものを普通に併修したら終わりなだけでは?
>>932のように形に拘らなければ、型稽古だけでも実戦で十分な成果が出ると考えている人もいらっしゃいますし
「いやいや、そんなん酔っ払いとか素人にしか通用せんやん」というお考えの人は、お好きに他武道他格闘技かじれば良いだけかと >>943
セガールやジョンウイックなどはどうですか? >>944
932は当身の稽古でボクシングや空手やればいいと言ってんのになんでそんな嘘つくのさ >>944
だから、そう書いてんじゃん
>>947
参考にはなりますが、
型稽古ですし、挙動が多いのと、相手が受けモードかなと >>937
想定する攻撃パターンは無限にあって、少ないパターンでも徹底的に練習することに意義があるのは同意する
問題は少ないパターンの練習の仕方
野球ならカーブが来るとわかっていてカーブを打つ練習と、ストレートかカーブどちらが来るかわからない状態でカーブを打つ練習で必要な技量は異なる
「臨機応変」な対応は臨機応変に対応する練習するのが近道 >>943
合気道の戦い方っても戦うことを良しとしてないんだからあえて言うなら話術とかじゃないの
あとはまあ白川先生が福地選手と手合わせした時に胸を押して崩す動きが合気道的で良いんじゃないかな >>950
だから無限に存在する敵の攻撃に対応して無限に練習するのは不可能と言っている。
ストレートの速度、コース。カーブの速度、コース、変化度。無限にある。
少数のパターンを徹底的に練習して実戦では練習してないことでも
臨機応変にできるようにしておくべき。
つまり練習してないことでも対応できるようにしておくということ。 >>951
そう。
合気道は争いを否定しているのだがスレのみんなは争いを目的としているんだよ。 >>952
臨機応変にできるようにしておくべきはそうだと思う
皆さんそうありたいだろう
ここで問題はどうすれば臨機応変にできるようになるかということ
論調は大きく二つ
一つは型稽古のままでも出来るようになる派
もう一つは型稽古以外の練習も取り入れないと出来るようにはならない派
大半のスポーツは型稽古もするが型稽古以外も行う
合気道は型稽古しか行わない
だから疑問が呈されている 養神館の故井上先生のインタビュー記事
http://www.isami.co.jp/gutsto/pdf/vol13/13_9.pdf
色々と試したけど、どうしても試合化は出来なかったようです。 >>955
合気道はスポーツではない。一般の武道とも違い争いを否定している。
争いたいなら他の武道をすべき。 >>955
運動神経の良い者は武道をやってなくても臨機応変に戦える。 >>958
型稽古以外の練習を取り入れないと出来るようにはならない派に対する答えとしては
そもそも合気道ではあらそいが否定されている理念に反するため、他の武道なり格闘技なりを練習する
ってことですね 見た目だけでも他武道に馬鹿にされないよう
筋トレしろよ >>961
筋トレ大事ですよね
そもそも出力が増える方が出来ることが増えますし
ジョギングとかで持久力をつけることも忘れてはなりませんが >>960
いや。
運動神経の良い者は武道や格闘技を学ばなくても臨機応変に対応できるということ。
知能の優れている者は臨機応変の対応を要求されるような修羅場に近寄らないということ。
スポーツは争いに勝とうとする遊び。争わない、争いに巻き込まれないという
高度な術の存在を無視している。 >>964
申し訳ないけど、もう少し論理的に説明してもらわないと理解出来ない >>965
理解できないと何もできないのが君。
理解できなくてもとっさに動けるのが運動神経の良い者。
理解したり練習したりしなくてもできる動物としての運動神経があって
武道の稽古っていうのはプラスαなんだよ ところで九州説では邪馬台国はどうなったんだ?
1,ヤマトに東遷した(武力侵攻)
2,自然消滅した
3,ヤマトに滅ぼされた
4,遷都した(平和裏の政権交代)
5,その他 受けを忖度とか言ってるやつってどんだけ遅れてるんだろうなー。
やってないやつがしつこくしつこく書いてんだろうけど。
受ける時の手の取り方や身体伸ばしながらとか投げの動き、力のかかり方とか
細かく感じ取りながら体幹から動いていって、とか受けの方がむしろ稽古として
大きい気がするけどねー
受けたくさんとって良い受け取るひとは取りの方の上達も早いってのは
昔からの経験則だけど。
稽古の形は実戦の形でないってのは当たり前のことだとおもってるのに
あの形がそこいらで喧嘩する時とか「抵抗されたらかからない」とか「正面打ちってwwwww」とか言ってるやつ
ほんと何周遅れてんだろうって。
ランドリにしたって、昔から「当て身でやり合うボクシングや空手と併修はおすすめ」ってのは
言われてたとおもうんだけど、最近の動画見るだけでわかった気になって掲示板荒らしたいような類の人間にはこういう実感はわかんねえのかね。 忖度というか受け癖は付いてると思う。
実際には受けなんて取らずに抵抗するので、合気道の思い通りにはならない。 なるほど。コレが周回遅れの型を実戦の雛型と思い込んでる頑迷な人間の認識か 荒らしだから放置が良いよ。
書いてることが支離滅裂すぎるからちょっとアレなんだと思う。 荒らしてんのはお前じゃないの?
最初の方でアークセーでしつこく長文連投してたのお前? 黒田のおっさんが大好きなやつがずっと張り付いてるよな 重めの木刀を毎日振るとかしろ
武道家とは思えない体つきのやつが多すぎる こちらでは威勢の良い人が多いようですが、合気道の道場には、女性やシニアや体力に自信がない人も多いです。
それが合気道の良いところですよね。
そういう方々の受け皿になっていますから。
そんな世界に乱取りや筋トレを言っても、難しいでしょう。 支離滅裂だとか言ってるやつ絶対合気道やってないな。
きちんとしたところでやってれば実感としてわかることを羅列してるんだから。 >>969
型の稽古勘違いしてるからこういう感想になる。
しつこく荒らしてるやつかこいつが。 >>971
合気道にかぎらず
○○は弱い
とか言いたがるやつは脳が弱いw
強弱は人に属するものだ。 少し荒れてますね。
個人的に噛み合ってないなと感じるのは、
型稽古は理屈を覚えるのに良い稽古なのはYes
型稽古の形と実戦が違うのもYes
それは他の武道でも同じで、例として空手の形もそうかと。
しかし、他の武道や格闘技は、型稽古以外もやっている
打ち込み、乱取り、試合をやって、運用力を高めている
合気道は何でなんでそれらをやらないの?と、素朴な疑問を感じるのは理解できます。
私も養神館合気道をやっていた時に少し思ってましたので。
ただ、現実としてカリキュラムに無いので、合気道で乱取りやりたいと思った事は無いですけどね。
そのやり方だから入門された方もいるので難しいでしょうね。
私は柔道もやってたので、柔道の乱取りで色々と試してました。 >>981
>型稽古は理屈を覚えるのに良い稽古なのはYes
こんな認識だから変なこと言うしその自覚もないから頭が弱いと言われるんだよなーこの人
荒らしてんのやっぱりこの人だよ。
理屈とか言ってる時点で自分が型を実践の雛型としか捉えてないっていう認識持てないあたり相当頭がアレ >>983
Q
型稽古しか練習していないと臨機応変に対応できないと思います
A
合気道では開祖が争いを否定している
運動神経が良ければ臨機応変に対応出来る
そもそも武道を学ぶ必要がない
↑
これを見て合気道に携わる人間のレベルが判断されると思うとかなり困惑するんだが 黒田鉄山は型稽古についての認識を世間に改めさせたが、同様に型稽古で
稽古する合気道の型稽古は鉄山のような厳密性は伴っていない。団体により
大きく異なり、最大手の合気会においては団体内でもかなり異なる教え方で
稽古がされていたりもする。しかし、鉄山のような精密、厳密とは程遠いこの
様相でも、実は型稽古の効用がありうるのでは、というのが合気道業界の中では
黙然として感じられる人には認識されていたからこその、合気道の普及、広がりではないか
と考えている。
塩田剛三は実はその辺を早くから明確に著書や映像の記録などで語っているが
残念ながら普及のためとはいえ目立つ本人の技などに紛れてしまい、弟子も
また合気道の型稽古について誤解を広める方向でしか動けなかったりなどで
残念な結果になっている。
藤平光一も同様、本人はできたが「言葉による説明」に頼りすぎ、本人の
傲慢な人格も相まって弟子がほとんど全て誤解を広めるような結果に終わっている。
藤平光一が合気会を割って出たのち結局すぐに合気会に戻った人たちも多い。
結果言葉での説明は通り一遍で各師範の裁量で聞こえが悪いが好き勝手に
教えた多様な稽古によって広がった合気会の稽古が、実は型稽古の、黒田鉄山が説くような
厳密、精密性と異なりながらも有用な体感を得る方法となったの開祖植芝盛平
のおおらかで明るい考え方の現れのようでもある。 合気会の稽古が各師範、支部、指導者によって大きく異なることは
問題のように思えるが、これはまず一つ、普及のためにとにかく合気会という
一つの団体にゆるくまとまることによって、人の移動を可能にしたことが大きい。
同じ合気会傘下ということで、指導系統の違う先生の元でも稽古してみることが
実は大変意義のあることというのは多くの人間が経験し実感することである。
そして、その自分が教わった稽古、指導と全く異なることをしつつ、同じ
「合気会合気道である」ということについて、謙虚に稽古していくと必然的に
同じような感覚を皆持ち、同じようにほぼ必ず同じことを実感を伴って言うようになる
「全部同じことですよ」と。
全日本演武大会も実はそのきっかけになる。
習いたての初心者にとっては、全く自分たちの道場と違うことをする各地の先生、道場
をみて、いろいろ思うことがある。
また、長くやっていても狭量で凝り固まった感覚の鈍い人間は他の師範、道場のやりかたを
批判したり、バカにしたりするようになる。
しかし、理解できるものは違う。「全部同じことである」と。
そしてこれは言葉にするものではない。容易にできるものではない、というのもわかる。
さらに、これは特別な選ばれたものでなければ得られない、天才の感覚でもない。
学生などの時にある程度の密度でやりこんで、そして違う指導系統などに触れて
その時に謙虚に学ぶことができれば凡人でも容易にわかることである。
さらにいえば、「別の何かに触れたことによる」のは、合気道以外の武道、武術、格闘技
であっても当然同じことになる。 合気道の型稽古は結局は稽古の仕方も実は関係なく、また、さらにいえば
「技」の形も最終的には関係がなくなる。
これは、実は開祖も、塩田剛三も端的に同じようなニュアンスのことを言っており
開祖は「覚えて忘れろ」「動けば技となる」などと言い、塩田剛三は
「中心力」「集中力」あるいはそれらを合わせたようないみでその発現を「呼吸力」と
呼び、結局はそれらが相手との間でうまく発揮させた結果の形が何らかの「技」という
形になるのであって、あの「形」をやろうと思ってやるのは間違いである、と言っている。
稽古の指導者の示す稽古における「技の動作、形」が異なることは実は瑣末なことで
その奥にある何かの体感を得る必要がある。このことを合気会の、一見出鱈目、無統制に
見えるようなバラバラの教え方によって気付かされる人は実は多く、黙ってその効用を
認識しているはず。
さらにいえば、その型稽古の中において、受けを取るということの重要性を
認識するようになる。 特に合気会の指導の多様性の中においても結局受けの効用は皆共通して説かれる。
塩田剛三も、開祖植芝盛平の受けをたくさん取ったのが勉強になったと言う。
受けをとるのはヤラセで技を受けることではない。合気道において黒田鉄山のような
厳密性、精密性がなくとも受けをとることはそれ自体が取りの稽古として成り立っている
ということである。これは合気会の多くの師範も説明することであり、単なるヤラセの受け
忖度などではなく、受けを取る動作の中で、相手の動作を受ける中で得られる感覚の何かが
養成されるということとしか言いようがない。
黒田鉄山のような型の厳密さ、精密さを要求するのとは別に、型を受けることにより
鍛錬となるというのが示されているというのが合気道の稽古の面白いところというのは
別に、天才でなくとも、合気会の多様な師範、指導に触れて真摯に稽古したことのある
凡才でも容易に気づきうるところのものである。
しかしながら凡才であれば、狭量、高慢、独善に陥れば、合気道の稽古の利点、合気会の多様さ
などの恩恵を見逃すのもまた容易となってしまう。
特に、言葉では説明、認識させることができないのが本来の武術などの感覚である
ということを忘れがちになる。また、見ただけで理解した気になるというのも傲慢、高慢な
凡人の陥りがちなものである。
言葉でわからない、伝わらないから稽古するしかない、と説明すると、曲解して、
まるで、それを天才でなければわからないものなのか!と嘲笑する、全く話にならない馬鹿も
現れる始末。
天才だろうが凡才だろうが身体を操作するものは身体訓練は必要である。
どれくらい必要であるか、などの差は天稟の差はあろうが、自らの身体で訓練は必要なものだ。
天才であろうが凡才であろうが、稽古で実感するしか現状は手段はない。
合気会多田師範は、科学の進歩で稽古によって得られる体感が再現しうる時代がくるのでは
という意味の話をしているがこれはおそらくまだ遠い先の話となるだろう。 >>983
Q
型稽古しか練習していないと臨機応変に対応できないと思います
A
スポーツと合気道を比較して試合の練習をするべきと言う意見があるが
合気道はスポーツとは違い争いを否定している。単純にスポーツと比較することはできない。
練習しないと臨機応変に対応はできないと言うが人には動物としての運動神経があるから
練習をしていなくても臨機応変に対応はできる。
その動物としての能力にプラスαとして武道の稽古をするとより高度な対応ができるだろう。
練習してないと何もできないと言う意見はとっさに状況を判断して動くと言う動物としての生存本能が著しく欠落していると言わざる得ない。 >>990
回答有難うございます。
これも一つの考え方としてテンプレに残すのが良いかと思います。
様々な考えがあるなかでスレを見た人の参考になればと思います。 >>989
言葉で説明できないというのは理解できていないということだと思う。 ♪言葉にできるなら~少しはましさあ~ 互いの胸の中は~手にとれるほどなのに~ つるぎわざ筆や口にはつくされずことぶれせずに悟り行へ
合気とは筆や口にはつくされず言ぶれせずに悟り行へ
植芝先生 道歌より >>994
開祖が言葉で説明しないから優秀な弟子以外育たなかったから
藤平光一氏や塩田剛三氏が言葉で教えてくれるようになったんだから感謝しないと。 >>992
こういう頑迷なのがまさに言われてる対象なんだろうなぁ
開祖は理解してなかったと?
言葉で説明した(とこの頑迷で傲慢な人が言う)とされるとーへーさんや塩田剛三は優秀な弟子が育ったか?
言葉で聞いて理解、実現できるなら稽古なんて不要なんだけどそんなことはありえないのになんでこんなに理解能力がないんだろうね。 >>996
正確に言うと体系化した稽古方法を考案したって事だろ >>996
開祖は理解していても技を示すが教えなかった。 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。