正伝 大東流合気柔術のスレッド Part6
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
S川道場〜全敗の記録 <ディレクターズカット永久保存版>
「K村」 十元師範
武術ライターの長野に合気上げが完封されそれをブログや本に書かれてコケにされまくる
また、そこかしこで「合気をとった」と吹聴しているとそれを聞いて憤ったO森氏に新年会で挑まれ
何もできないまま壁際まで押し込まれる。
「Y江」 稽古歴100回以上で4元までさせて頂きました
”武道の達人”という触れ込みで出たテレビの中で、お笑い芸人に諸手を捕ませ
やっとこさ筋力で合気上げるもスパーでは突き蹴りをもらいまくり苦戦、肩で息をしていてとても
達人には見えなかった
また、門外漢のフルコン師範にもまったく合気上げができずバツが悪くなり免許皆伝を進呈。
「S久間」 当道場でも圧倒的な力を誇り「怪物」とも称される
在籍8年黒帯の時に掴んで投げて良しの北斗旗に出たがボコボコにされ2回戦敗退。
「W邊」 S川道場8年黒帯、その後独立してトータル20年の大東流歴を持つ
格闘イベント巌流島では相撲経験者(が、元力士でもなんでもない人)に15秒でKO!(発音: ケーィオー!)
また、YouTubeのコメント欄で有満に喧嘩を売っていたところ本人から立ち会いを求められ勢いよく応ずるも
返り討ちにあい敗北宣言がYouTubeにあがる
実力的に語るべき点はないが実行力がありS川道場にしてはなかなか骨のある人物である。
「H辺」 S川道場中伝三段直伝三元修了
大東流に詠春拳をミックスさせた訳のわからない流儀を立ち上げるが、満を持して試合にだした
自慢の弟子は寝技をひと月だけ習ったムエタイ選手に三角絞めでKO!
「恥本」 ワンパンマン初伝初段、(芸能人の体験入門程度だが)ボクシング、大道塾、経験有
俺に勝てたら賞金を出す、全国どこにでも勝負をしにいく、等と煽るが
ハジメ、ブラジリアン柔術家などがそれに 応じだすと唐突に「手間賃として50万円を支払うこと」
「賞金マッチは締め切った」等とゴネ初め終いには 有耶無耶にしてそのまま逃亡
闘っているのを未だ観た者は居ないが”天下無双(自称)”らしい。 今回は何が都合が悪かったんだろ
古流に寝技があったってことかな? 天理大学って新興宗教の天理教の大学なんでしょwwwwww
自剛天真流の何処に寝技なんてあるの?wwwwww
https://youtu.be/yA32io5HYic
柔道なんてやったって、こんなバカな親、指導者になって終わりwwwwww
【全柔連】小学生の柔道全国大会廃止 「行き過ぎた勝利至上主義が散見される」 [鉄チーズ烏★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1647636912/ 植芝家の財的援助で、強かったかもしれんがフーテンの武田惣角も
それなりに家族共に安寧に暮らせるくらいは助かったはず。
それに教授代理は実際に本人が允可してたわけだしな。
後からあいつは人に教えるどころじゃないなんて
どの口でいえたもんかな。所詮はフーテンだ。 いまから婚活に登録したとしてもハッシーはあかんやろうな。
後継者どうすんの?正統大東流橋本派は?
岩手大の彼を破門すべきじゃ無かったかもね >>954
幕末の頃に書かれた伝書に寝技があって現代の会派にないなら想定すべきは改変、失伝、誤伝だろう。
幕末の人間が想像で書いたと思ってるのか? 同一流派でも技術が変遷することは奇しくも橋本くんが言及してるとおりなんだよなあ
>>773
>江戸時代には、様々な流派があった古流柔術諸流派も、明治時代に作られた講道館柔道のスポーツ競技試合に迎合した所は、
>全て泡沫の如く吸収されて無くなってしまったでしょう。 >>955
この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める >>957
で?寝技が書いてある自剛天真流の伝書の写メくらいあげなよwwwwww >>958
自剛天真流は、スポーツ柔道競技に迎合しなかったから残ったんでしょ。 >>962
「現代の自剛天真流には、過去の伝書に書かれてるような寝技がない」
と橋本くんが言ってるから
途中で技法が改変、変遷することはあるという例を橋本くん自身が挙げてるでしょ?と言ってるんだけどそんなに難しいか? 素朴な疑問なんだが。
>>954の動画って、掛かり稽古ってヤツでしょ?
掛かり稽古で普通寝技はやらんと思うのだが? >>960
初伝初段にして
大東流の達人と聞こえ高いで橋本師範の技を
合気道が岩大の学生を使って盗もうとしたのですね。
なんて卑劣なのでしょう。 高弟の木村氏すら華麗に投げ飛ばし、
嫉妬を買うほどの達人
ヤクザ相手にも柔道家他、
道場破り相手にも無双
凄過ぎますね >>966
不遷流の田辺も、スポーツ柔道競技に迎合した最たる人でしょwwwwww
そりゃ、その競技の中で名を上げたのは、努力もしただろうし大変な事だろうけど、
起倒流から出た盛岡の奥田流の奥田松五郎みたいに、講道館柔道ルールに迎合して、柔道に吸収されていった人じゃないの? >>963
天理大学学術研究会って、言ってみりゃ天理教の全国の信者さんから集めた寄付で、スポーツ柔道ばっかりやって、
現役引退後に天理大学の教員になって、スポーツ柔道の指導やったり、スポーツ柔道の学術研究ばかりやってる人達じゃないの?wwwwww
そりゃ、なんでもスポーツ柔道にこじつけた様な論文を書くでしょwwwwww
論文に引用しているという自剛天真流の寝技の伝書の写真って、論文に載ってないの? >>970
もしかして天理大の先生が伝書の文章を捏造したって言ってる? そんな無理筋なイチャモンつけないといけないなんて
自剛天真流剛術(天保14年)の伝書の文章が自分の思想に都合が悪い、寝技の存在を認めることになると認めてるようなもんだね
素直に勉強になったと思えばいいだけなのに 未来ある岩大学生を実名入りで破門状を
webで晒すくらいお怒りだったのですね。
合気会本部道場には抗議しに行かれました?
植芝を出せ!とか凄んで
そこで公開でコテンパンにしないと、
岩大の彼への仕置きと、バランスが取れないですね。 大東流合気のパクリの合気道、
橋本流大東流の掛け持ち、スパイ行為は
橋本師範的に公開破門もやむなしだったのですね ハッシーの言うことの大半はイチャモンつけだからなあ。
自分の意に沿わないものは全部ウソやデタラメ扱い。
呆れるしかないわ。 >>971
ネットにあげてる天理大学の論文の該当箇所しか読めなかったから、
根拠にしているという伝書の該当箇所の写真をあげてくれって言っているだけだよ。
俺はいつも、嘘吐き植芝盛平が武田惣角先生から大東流合気柔術を習っていた根拠として、
武田惣角先生の英名録中の植芝盛平の署名捺印の箇所の写真をあげているでしょ。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
嘘吐き合気会は、ホームページで、武田惣角先生から大東流柔術を習ったけど、合気は植芝盛平が唱えたと嘘を吐き続けているねwwwwww 衰えない力の探求
大東流合気武術
八極拳、陳式太極拳
大森悟先生
月刊 秘伝最新号
https://webhiden.jp/202203/ ふるさと納税で合気のふるさとを創ろう!
東京都小平市
大東流合気武術総本部 佐川道場 跡地 佐川幸義先生顕彰 合気公園 計画
https://www.furusato-tax.jp/gcf/1511 佐川幸義先生 道場訓
合気は気を合わす事である。
宇宙天地森羅万象の総ては融和調和に依て円満に滞り無く動じているのである。その調和が合気なのである。
合気は自然の気なれば少しの蟠りも無く抗いも無く合一融和するものである。
人類社会形成に於ても、合気 即ち 融和調和が基調でなければならない。是れを合気の大円和という。
暴を奮う者に対しては、合気の理により融和致させ、敵の既発に対しては同じく合気の理により転化 又は 変更して融和致さすのである。
吾人は流祖 新羅三郎源義光公より伝承したる合気之術を基本とし、躰術(柔)、太刀之術、槍術、棒術等の武術を修業して、合気之武道 即ち 人間修養之道に迄 到達せねばならぬ。
大東流合気柔術 盛岡道場
代表師範 橋本英樹
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 明治時代の大東流には「合気」の文言あるんかいのう? >>976
伝書の文章に突っ込みどころがない・古流に寝技があったと信じたくないから
天理大批判に持っていこうとしてるだけなんじゃないの?
大麻や精神病で怪しいサイトを引用してる人間の言葉とは思えんな 惣角が大正11年、綾部に滞在し大本で教えだしてから王仁三郎の助言により「合気」というのが
導入されたってのがもはや定説だろう
合気会側の主張が正しかったわけだ https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
武田大先生に就き、大東流合気柔術 八十四カ条 御信用之手 御教授相受け候也
と植芝盛平が署名捺印している以上、大本教の出口王仁三郎や植芝盛平が合気を唱えたとするのは無理でしょう。
そして、武田惣角先生の多数の直弟子達(植芝盛平の先輩に当たる)が、武田惣角先生から大東流合気柔術を習ったと証言している訳だし。 ↑大東流に「合気」が入ったのは植芝に免状がでた大正11年が初出、まさに一致していてぐうの音も出ないと彼は言いたいんだ >>987の画像では、
・大正11年(1922年)に大東流合気柔術の教授代理を印可
・昭和6年に八十四箇条御信用の手を教授
……となってるので。
それより明治35年(1902年)に大東流が「合気」の語を使ってた、という証明にはならんがのう? 大正11年以前に「大東流合気柔術」の免状が出ていたら完全に合気会の負けだが
それ以前に「合気」という文言は佐川の日記の中にしか出てきてないからな
部外者でその日記はプラニンしか見てないんだから
しかもプラニンによれば、取材をするのにああしろこうしろと細かい指示が多すぎて
うるさくてしょうがなかった、と後に吐露している
だから「日記を見た」言ってもどの程度検証が可能だったのか分かったものではない 武田惣角先生のWikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E6%83%A3%E8%A7%92
…によれば、「明治31年(1898年)以降については、英名録と謝礼録という記録が几帳面につけられているため、いつ、どこで、誰に武術を教授したか、かなり詳細な記録がある。」とある。
「合気」の語については、そこら辺の資料の公開待ちかのう。
改編されてなければ、じゃが。 そんな決定的な証拠があるならとっくに提出してると思うけどね
時宗宗家が出征の折、英名録や巻物などを佐川氏に預けていたそうだが戻ってきたので
返却を求めたところ渋って結局、全部は返してくれなかったそうだ
だから今でも佐川氏の遺品として弟子か誰かが惣角の英名録を預かってるハズだよ
これは堀川幸道が弟子になった証拠!と言って手紙まで写真発表までしてたのに
「合気」に関してはプラニンに日記を見せただけではお粗末すぎやしないか
つまりそういうことなんだよ
ただ、大東流の側に立った観方をすれば「合気」という言葉自体はそれ以前に用いてたが
名称を「合気柔術」としたのは王仁三郎の助言だった
こういうことかもしれない 誤解の無いように書いておくと、わしゃあ大東流にも合気道にも敬意を持っておるのじゃ。
友人知人が居るとはいえ、どちらにとってもわしゃ門外漢じゃけどな。
二つを見比べ、体験させてもらうと、両者の違いがよう解る。
解りあえない点があるのも理解できんワケではないが、そこを踏まえてお互い建設的にはなれんものかのう?
合気道のお人が大東流を学べば、技術的により深い知見が得られよう。
大東流のお人が合気道を体験すれば、根本的に違う方向性のものだと解るじゃろう。
……門外漢の妄想じゃろうか?
じゃったら失礼してしもうたの。
すまん、すまん。 別に合気道の肩を持ってるわけではなく事実を言ってるだけだなので建設的もクソもねぇよ >>994
そちらさんのみじゃのうて、某自称師範も含めて、な。
「大円和」でも「和合」でも結構じゃが、合気系は総じて調和を求めるような訓示を垂れておられるような。
その割には他派関係とはギスギスしとる気がしての。
まあ、耄碌ジジイの戯言ですじゃ。
笑うてくだされ。 ただの通りがかり流れも読まずで口を出すが
>>993
>合気道のお人が大東流を学べば、技術的により深い知見が得られよう。
>大東流のお人が合気道を体験すれば、根本的に違う方向性のものだと解るじゃろう。
それはある。
俺は大東流だが、合気道に合気はないけど
それを退化と見做すより
その分?、合気道は進化したと見える個所もあって面白い。
技術的な話ならそういう態度で見て行くのが吉かと思われ。 他所を敵視してるのはほぼ佐川の系統だけで他の大東流や合気道は平和でしょう
全体がギスギスしてると思うのはあなたの思い描いた妄想 まず、「合気がある」っていう謎のマウントが眉唾だね
道場だけで炸裂する見世物芸としての意味なら確かにあるんでしょうけどな だいたい、大東流独特だと思われてる、あの見世物芸としての「合気」も、堀川系特有のものだよ
岡本正剛さんのところが典型的だが、他所であんな微妙な崩しをするところはない
だから、時宗宗家はやりすぎだと言ったし合気は後の先だとも言った
つまりそれらは一般的じゃないからだ このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 53日 5時間 19分 14秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。