【公式】合気道関係総合スレ11【ワッチョイ】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
しかし武道系Youtubeの見出しは達人だらけやなあ。
ワイの師匠が「達人」つって紹介されたらえらく違和感を感じるやろなあ。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>1
スレ立て乙です
皆に聞きたいんだけど
既に稽古やってるorこれから再開という道場はどのような感染対策をやっているのか教えて欲しい
所属道場が来月から再開なので参考にしたいのでお願いします >>5
一応合気会本部からはこういう基準で、てお達しが出てるのだけど、今俺が所属している道場は実質何もしてない。
生徒が自主的にマスクしてるだけ。
だけど、先生はホントはマスクも外して欲しいみたい。さすがに強制できないから「付けてると苦しいだろ?」くらいしか言わないけど。
合気会の基準はここからPDFで見れるハズ。
http://www.aikikai.or.jp/about/information/detail.html?news_id=346 入口にアムロ消毒液と
先生自らマスクして本のお達したがらと全員マスクでやってるわ
あと更衣室に人が多い時は先生が見ていて待つように言っている 合気道を否定する気はないのですが、
合気道しかしてこなかったのに「強さ」とか「武術」や「護身」について語る人に疑問を感じざるを得ないのは自分だけ
でしょうか?
型稽古しかしていない人の「合気道」は、ハッキリいってダンスやおじいちゃんおばあちゃんが朝やってる健康太極拳と同レベルと思うのですが。
他武道や他格闘技なども経験して、組手や乱取、スパーリングなどの稽古も行うことが、本来の「武芸」の習得方法ではないでしょうか?
理論や知識だけあっても、実戦で通用しなかれば何の意味もないと思うのですが。 意味があるかどうかはその人が決めることだから
健康体操多いにけっこうじゃないか
平和のために役立てばそれでいい >>10
そりゃその通りよ。特に合気道はやり玉に上げられるけどそれは別の武道にも言えるはず。 >>10
>型稽古しかしていない人の「合気道」は、ハッキリいってダンスやおじいちゃんおばあちゃんが朝やってる健康太極拳と同レベルと思うのですが。
そうですね。「健康合気道でけっこう」て道場も多々ありますからね。
>他武道や他格闘技なども経験して、組手や乱取、スパーリングなどの稽古も行うことが、本来の「武芸」の習得方法ではないでしょうか?
私もそう考えたことがありました。
合気道の師に経験しに行きたい、て話をしたら「止めないけど、合気道真面目にやってたら他の武道やってる時間は無いよ?」と言われましたね。
ま、結局やったんですが。(苦笑)
合気道の組手や乱取り、スパーリングの技術は、今のところ確立してないのですよ。
一部、試合のある合気道の流派では当然やっているようですが、それもルールを限定しないと合気道ぽい動きにならないようで。
私が思うに、合気道は武器を持ってるときにそれを奪おうとする相手に対して掛ける技を、体術に応用したもので。
もともと攻める技術になってない。
剣術の裏芸のようなものではないだろうか、と。
組手や乱取りは、攻と防が揃って成り立つもの。もともと成立しにくいかと。
開祖のお弟子さんの多くは他武道で二〜三段は持ってた人たちなので、攻防の感覚が既にあった。
開祖が説明無く技を掛けるだけの教え方でも、自分たちで研究できた。
現在も、そのやり方で武道経験の無い人にも教えるし、今や教える人も他武道経験の無い人が多いので、攻防の感覚から離れていることを教えてる人もいます。それでは組手も乱取りもできませんね。
そういう人に教わって、合気道で身を守ろうというのは至難の業となりましょう。
…でも、現代なら、それはそれでアリなのですよ。だって、「健康合気道でけっこう」なのですから。
まあ、だったら「強い」だ「護身術」だ語るな…て話になるんですけどね。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
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大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>10
疑問はごもっともだけど其れを道場で言ったら村八分でしょうね
逆にその疑問に応えられる指導者なら他武道経験者でしょうけど今のご時世幾人居られることやら
ウチは合気道!合気道は武道!
と言うけどあくまでもその指導者の合気道(もっと言うと指導者の価値観や経験値)での話であってその道場内や仲間内でしか成立しない世界 >>17
>疑問はごもっともだけど其れを道場で言ったら村八分でしょうね
先生には言えないだけで、皆、心のなかでは疑問が燻ってると思いますよ?
本音トークするとけっこう出てくるし。
乱取りじゃないけど、普段の稽古では見ないようないろいろな状況で、こう来たらどうする?てのをやってみると、皆の目の輝きが違いますしね。 強いだ、護身術だ、ってこと話すセンセに会ったことがない。
武道だから、こーゆー風に考える、ってのはあるけどねえ。
あと、一般的な合気道を武道的な解釈で批判するみたいなのはよくある。 >>10
合気道しかやってないと理論すら間違ってるからね
打撃寝技組技のどれも経験が無いので机上の空論になる >>19
目の輝きw
確かに
でも中には疑問を素直に指導者にぶつける強者もみえますが大半がマトモに答えてもらえず失望して去って行かれる
段位が欲しい人は黙々と茶番に付き合ってますけどね >>22
>でも中には疑問を素直に指導者にぶつける強者もみえますが大半がマトモに答えてもらえず失望して去って行かれる
横面打ちよりはフック、胴への体当たりで突くのではなく顔面へのワンツーを見慣れてる現代人ですからね。
なんでこうなの?実際に打ってこられたらどうするの?て素朴な疑問は生じるでしょう。
それらに対し、「じゃあ、やってみようか。」と応えてくれる先生は少ないみたいですからねえ。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 塩田剛三「呼吸力が出た瞬間は嬉しさというかパラダイスというか、途轍もなく素晴らしい心持です。文字通りの無我。相手に抗う心は皆無で自分も相手も無い。
全部自分の五体と成り皆自分に付いて来る。植芝先生が言った『自然と一体になる』の意味が漸く少し分かった気がします」『合気道修行』124p コロナで道場が休みになってもう一年…
何か身体を動かしたいと思って調べたらウチから自転車で5分の場所で合気道教えてるトコ(公民館)を発見。
今更「強くなる」とか「護身」とかはあまり気にならず、やってて楽しいか面白いかを一番重視してます。
もうすぐ50歳の身体が固いオッサンですがこの歳から合気道を始めても大丈夫なものでしょうか?
ちなみに武道経験は柔道、伝統派空手それぞれ初段です。 >>10
形稽古を猛スピードで本来は行うはずなんです。何万本もね。
そして実戦は入身をした後で当身で終了なはずなんです。
そして農作業や林業で筋骨隆々であるべきなんです。
当身は危険だから省略してし待ったようです。
ウェイトトレーニングと入り身と当身を猛スピードで型の練習を
すれば使えると思いますね。 >>27
受け身や座り技の膝行が辛いとか。
それに道場や師によってかなりバラツキがあるようです。
自分の求めているものを明確にしてから探した方がいいかもしれませんね。 >>27
柔道空手の癖も抜けてると思うから大丈夫だと思う
ただ柔道空手のような勝ち負けや優劣は捨てて欲しい
それが合気道修練で一番の妨げになる この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>32
その通り!
70から始める人だっているのに何が心配なのか >>27
>コロナで道場が休みになってもう一年…
一年前は何の道場に通われてたんですか? 皆さん有難うございます。
もう少し色々調べてみようと思いますが、この歳から始めても大丈夫そうなので安心しました。
ちなみに去年まで通っていたのは空手の道場です。
コロナがもう少し何とかなるまでは再開は難しいみたいです… >>35
空手は伝統?フルコン?
うちに両方の元が何人かいたけどフルコンは五級受ける前に全滅
強くなりたいが目的のフルコンと合気道はあまり相性が良くないみたい >>36
伝統派です
ノンビリまったりやってました。 >>37
見学に行かれてよく考えられた方がいいですよ
もし空手も続けられるなら尚更です
指導者によっては未だに二足の草鞋を嫌う人もいますから この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 かけ持ちを嫌がる指導者の方も居るのは考えてませんでした。
今の道場はわりとかけ持ち自由で、先生自身もボクシング習いに行ってる様なトコだったので。
一度見学に行って色々聞いてきます。
アドバイス有難うございます。 ワリと空手のクセって抜けにくいらしく、知り合いの空手経験のある先生とか今の道場に来てる人とかもクセを抜くのに苦労したみたいです。
全く違うものとして見た方が良いかも知れませんね。 >>41
うちも空手並修の方が半身が三戦になっちゃって固めないって師範に言われてた 俺が色んな人に教えてきた実感では、空手経験者が一番教えやすかった。
ちなみに俺自身は空手の経験はない。
最初にちゃんと立ち方構え方を教えておけば、変な半身になったことはないなあ。
それに足の運びも正確に覚えてくれる。
四方切りを教えて、一発で覚えてくれるのは空手やってた人だね。
合気道歴20年以上の人でも、入身転換と転回の足捌きがごっちゃになってる人がよく
いるんだけど、空手やってた人はそういうことないんだよね。 >>43
空手でも伝統派じゃない?
自分も手解きさせてもらった人に有段者いたけど形をきっちりやってる人なら運足とか確実に覚えてくれる人多かったな >>43
俺は逆で教えずい人がいた
空手は伝統にフルコンに流派も多いから空手って一括りなのも
一人は伝統で少林流
もう一人は極真
糸東流の方は教えやすかったし覚えも良かった >>44
うん
今まで御縁があったのは松濤館、和道、糸東だったかな?
フルコン系の人とは縁が無かった。
空手の流派も関係するかもしれないけど、どんな系統の合気道に入門されたのかも
関係すると思う。
相性の良い、悪いってあるんじゃないかな? 松涛関係やったことあるけど
足運び5種類くらいあったな >>47
形の分解や応用やってると合気道と共通部分が多いからかも
まあ武道はある一定のレベルになると共通点が増えるから解説説明しなくても理解してくれる人居たけど参、四段ぐらいじゃないと厳しいかもね
だから昔は他武道の高段者の入門者が多かった? >>48
そうですね効率的な動きに共通点増えてきますね
そして攻撃側の練習量も全然違いますし
型稽古でも攻撃で倒そうという意思が合気道より高いですしね
基本合気道やる時は突きを加減してるけれども
2-3段程度の人だとたまに、入ってしまうのがなんだかねー この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs ぶっちゃけ、合気道四段の先輩をサンドバッグにする自信あるわw
まあ、事実上、そんなわけにも行かないので以下略。 そんなこと考えながら稽古するのは不毛だからやめたら? あのー邪心を消し去るのが武道修行ですから(笑)こりゃダメだ ぶっちゃけ、弓道四段の先輩をサンドバッグにする自信あるわw ぶっちゃけ空手四段なら手玉に取れるわw
まあ、事実上、そんなわけにも行かないので以下略。
と言われたらどう思う?
空手や仮にも武道と名の付くものを学び有段者なら品位を落とすような発言をしなさんな 武闘派のマジヤバい合気道家に会ったことないんやろな。
オレも会ったことないけど。 確かに、武闘派のヤバい人にあったことはないな。
何を仕掛けても返してくる人、手を乗せられたぐらいの感覚しかないけど身動きできなくさせる人…とかのスゴい人にはあったことあるけど。
>>51の言葉が足りなかったかな。
あれは>>49の
>基本合気道やる時は突きを加減してるけれども
>2-3段程度の人だとたまに、入ってしまうのがなんだかねー
に対して、「段位の差じゃなくて人の差じゃね?」てのが言いたかったんだが? 武闘派って・・
今はいるかもしれないけど、分からないよね。
昔は漫画の登場人物のモデルになった某先生とは別に、それと同レベルの先生方が
複数いらっしゃったけどね。 武闘派などというもんは、合気道とは言えまへんな。
合気道修行中の一過程としてそう見えるかも知れまへんけどな。
強い弱いや勝つ負けるなどとごちゃごちゃ言うてるうちは合気道ではおまへんわ。 武闘派ではないけど相手にしたくない感じの人はいるよね。
マスターもそうやけど白川竜次師範とか普段は柔らかい技をやってるけど
いざとなったら相手をぶっ壊すことに躊躇しなさそうな目と雰囲気があってこわい。 >>61
> いざとなったら相手をぶっ壊すことに躊躇しなさそうな目と雰囲気があってこわい。
白川はんにはワテもそんな印象を受けましたな。
ワテはもう人をぶっ壊すことはおまへんけど。 >>61での「壊す」ってニュアンスは
理合もわからず力任せに雑にやるというよりは
理合もわかった上で的確に急所を突く感じやね。
「斬る」って言い換えてもいい。 白川とか壊す気でやっても年寄りか貧弱な奴にしか通用しないだろ 通常の技の形に持っていけるなら、壊すのはそんなに難しくはないのでは?
四方投げ・入り身投げ・一教なんて最初に習うような技でもケガさせようと思えば出来るんだし。 普通に合気道やってる奴等に壊すだけの能力ねえだろ
ちょっと痛めた程度だろ
試合でやってみろよ 鍛えた人間には通用しません。
抵抗されます。幻想持つなよ。 >>70
抵抗するから壊れるんだすけどね。
あんさん、合気道の経験はありまっか? あるよ、何人か師範に四方投げや小手返しかけてもらったが抵抗したらまったく壊すなんて無理だったが
折れるとか言ってたけどバカバカしかったわ >>72
その下手くそな師範たちの名前、明かしたったらどないだすか? 鍛えた人間には通用しないとか言ってたら相対的なものだからそりゃ何でもそうだろって感じだ。
言うまでもないこと。 ま、鍛えた人というより、わかってる人には通用しないという感じだすやろなあ。
逃げられたら終わりっちゅうか、関係を切られたら終わりっちゅうか。 ムキになって勢いつけて力いっぱい折りにきてたのは今思い出しても笑える 通常の形に持っていけるなら、つーたろ?壊す技は通常の形の一部変形なんだわな。
通常の形にすらさせられないなら、そもそも話にならん。
まあ、大体の人が暴れる人相手に稽古通りの技は掛けられないだろうけどな。 >>77
それほんまに合気道の師範だすかあ?
道場の名前言うてみなはれ。 で、後で全体重かけるだの折れるだの形にならないだの色々グチャグチャ言ってたけど
いやお前勢いつけて力ずくで折りに来てただろと
口だけのこんなのばかりですわ >>80
そうだね!
口だけのこんなのばかりだよ!
だから辞めた方がいいよ!
その方があなたの為! 相手が力を入れられない・頑張れない…て状況を作らないと、合気道の技はほとんど使えないと思うんよな。
普通に立ってる人の手を取って関節技に…て、そんなのが簡単に掛かるなら総合格闘技の立ち間接はもっと極ると思う。
じゃあ、頑張れない状況をどう作るのか?てのが問題になるわけで。
@当て身ですぐには動けないくらいにダメージ与える
A相手がアンバランスになるような位置関係に持っていく
B頑張るのがそもそも間違い、合気道の稽古とはそういうものではありません…と口車に乗せる
…くらいが思い当たるところかな。
大東流の人に言わせると、「そもそも合気が無いのに出来んだろ」て話になるのだが。その話は別の問題になっていくのでここでは割愛したい。
さて、では@〜Bをやるとどうなるか?
@をやると、ウチの系統ではないところから「空手じゃないんだから」と言われる。
Aは合気道っぽい。これをやろうとすると、実際には相手もそれに応じて変化するので大変難しい。
理論的には相手の動きがあって、それに同期するように応じた良い位置関係になれれば良いのだが。
塩田剛三先生じゃないが、それこそ日常生活レベルから気を遣って同期できるように修練つまんと出来ない気がする。
Bは…ズルじゃん!て気になるが、ケンカじゃあるまいし習いに来る人たち相手なら、指導者の言うことを素直に聞こうとしてるから。指導する側には楽だし好都合。Aのためにやってるんですよ、逆らってはいけません!と言えばスジ通るし。
健康体操でけっこう!て言う人には最適かも。
他に詰めるやり方とかもあるけれど、合気会ではあまり見た記憶がないな。 >>83
なにやら深そうなご意見。
詳細をお伺いしても? >>82
Bが大半なんだろうけど指導者が格好つけて合気道は武道です!とかドヤ顔の自己マンの技を披露して受けに回った時にかからないように誘導したりかかりもしない自分の技のカタチに当て嵌めようとするからタチが悪い
この際武道と語らず健康体操の一環とはっきり言えばいざこざも起きず平和に自分達のテリトリーで伸び伸びと自己主張できるだろう 自分でもわかっておられることをわざわざ聞かないで欲しい。 強いか弱いかなんてことは他人の評価ですからね。本人が何の目的で武道をやってるかが大事。 >>72受け身がとれる投げ方をしてる以上は壊すことは出来ませんから。そんなことは目的としてないんで受け身がとれる投げ方をしてる。関節にしたって合気道に逆関節はないんですからね。
よーく考えれば合気道が何を目的としてるか分かるはず 白川はんとが、合気道技で総合格闘家をぶっ壊して欲しいでんがなw うーんもし彼に才能があって勝つにしても合気道の技は全く使わないと思うよ
そんな余裕無いから 思想的に考えれば、「相手を壊そう」て発想自体が合気道の思想から外れる気がしますけどねえ? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>69
合気会は経年劣化かしらんけど
肩とか腕とか壊してる長い人多いな 向かってくる相手は力が入ってるからさ。力を入れてない相手に敵意はないわけで喧嘩をする必要はないわけでね じゃあ力を入れないで動きながら
ジャブ、右ストレート、左フックとコンビネーション連打してくる相手は? 打撃に力を入れる入れないはないんじゃない。当たれはダメージを食らうわけで。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 ただ自分があえて思うのは蹴りや柔道の足払いのような時の対処法だね。 足払いも小内、小外も道着をつかまないと掛けられないから
合気道の考え方としてはつかまれる前に対処するということだけど
実際には難しい
蹴りはどうしようもないと思う
想定外だしローキックやソバットみたいなのはくらうだろ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
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「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 学生の頃の、自分が演武している動画を見ていたら
昔の方が今より上手く見えて、凹んだ。 上手下手の基準が未だフィジカル的な基準に依っているんでしょうね。
若い頃の溌剌とした動きのほうが上手く見えてしまうその見方がアップデートされていない事のほうが根深いかもですね。 >>107
それって根本的に何も変化ないまま
歳だけとったって事で健康維持にしかなってないやん アップデートって難しいのよ。
単純に上書き出来るものじゃ無し。
前のスタイルを全部 とまではいかないが
かなーりぶっ壊さなくちゃいけない。
それが出来なくて、出て行った人は数知れず。 身体壊したりした人は、治ってから技のタイプが変わるケースがあるよねえ。 指導者や高段者で未だ昔感覚が抜けない人てどうなの? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 昔ながらの稽古をするって意味なら、オレ的には大歓迎。 さあて
そろそろ稽古再開かな?
ワクチン接種も始まってるし、マスク有で普通の稽古が出来ると予想してるんだが
支部の幹部先生達は老人ばっかりだし、日本人的な同調圧力に弱そうだからなあ。
でもいい加減審査もやらないと本部に登録料が入らないから
再開して頂戴、なんて要望が入ってるかもしれん。 合気会本部なら、稽古再開の段階をけっこう前に示してなかったっけ? 本部じゃない都内だけどこないだ審査もしてたぞ
スポーツセンターは今年も使えないんかな この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
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https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 俺の所属道場は来月から再開
感染予防対策は昨年少しやったときよりかなり細かくなった
再開しても誰も戻ってこなかったりしてw そんときは所詮その程度の指導者だったってだけさ
こういうところで日頃の人徳が出るんだろうね スポーツセンターの方は
熱心な老人多かったんだけど
2年くらい出来なそうだ
生きてても身体動かなくなってるかもなあ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 公共のジムは使えるんだけどなあ。
結構老若男女利用している。
それを見てるから
うちの支部はビビり過ぎてると思うんだよね。
去年まで武器技だけの非接触稽古で通してきたのに
緊急事態宣言出たら即休止。
首都圏からかなり離れているんだけどねえ。 都内でも感染者多いのは23区内で
市内は半減するんだけどな 武器術の稽古中心でも楽しいのでいいのですが気になるのは合気剣と剣術は違うという話。
私の行ってる道場でもコロナ以降合気剣をやる時間が増えたのですが一般的な剣術とはどう違うのかが気になります。
個人的には合気剣は腰高だなと感じているのですがここら辺は関係してるのでしょうか 知らんけど盛平も
習いに来てるのも銃剣やってたのならそれに近いんかな? >>130
幼少時に剣道をなさってた二代道主、吉祥丸先生は「普通の剣道とは違い体術が混じってる」とか書いていたような。
柳生新陰流と合気道をやってた知人に言わせると、「普通、剣術はなるべく遠くで斬ろうとするが、合気剣は接近していくところが異常」て言ってましたね。
私自身は銃剣道と合気剣しか知らないので、よく解ってませんが。 皆さんの間合いてどんなもんです?
徒手、剣、杖によって間合いが違うと思いますが この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 歩いててもわかる体幹の弱い、あんなぬるそうな人にいくら教えても何時まで経っても使えんと思う
https://youtu.be/3G4j9UtFRMY >>138
使える使えないって、彼らが一体何に?
ワテは彼らが使えるようになるために教えているのではありまへん。 今話題になってる、植草はんの竹刀稽古だすが、ワテのところは竹刀よりも危ない木刀を使うことも多いだす。
たまに居合刀を使うこともおます。
どこぞの会派で居合刀を使って稽古して目に当たってしまいその会派では、居合刀を使ってはならん、となったようだす。
道具というのは使いようによっては安全にも危険にもなります。
相手の練度に合わせる力量も必要だすやろ。
今は世間の香川はんへの攻撃が強いようだすが、怪我するほうも悪いとワテは思いますな。
香川はんにも焦りがあったのかも知れまへんが。 GWの昇段試験が延期になるかもしれん
コロナ休み続いて回数も微妙に足りないし 裏山にうろつく野犬たちを撫で斬って鍛錬に励むかな。 >>141
大阪ですか?
こちらはサイタマーで明後日から再開です >>144
いいなあ。
こちらは関西圏。 大阪がぎりぎり通勤圏内になる地域。
職場の総務の人達が、マンボー出た出たと騒がしいから、不安。
早く普通の稽古がしたいよー
呼吸投げをしたい。20本交代で2時間ぐらい・・・
ジムじゃなくて稽古で汗かきたい。 >>142
俺は去年稽古日数満たしていて審査直前に稽古休止に
来月再開したら俺の審査だけはやるって言ってたけど一年明いてるとキツいな 明日審査なんだが自由技が鬼門
毎回あーあれやっときゃよかったってのが一つ二つ出る。技が頭から抜ける >>151
先生が救済処置で稽古開始一時間前に補習していただけることになった >>149-150
ありがちありがち。
先生によってあの辺の解釈も違うようで、中には「疲れて何も考えられなくなってから出てくるのが本当の技だ」とか言って、ひとつの技しか出ない状況にあえて持ち込む人もいる。
どうであれ、今までしてきたことが自分のベストだから、事前にネガティブな気持ち持っててもしょうがない。
そして、理想的な動きは常に実際の動きの上にあるものらしく、七段とかの先生でも「自分の動きは見たくない」て人はいる。現在の自分に満足なんか誰もしてないんだろうね。
まあ、満足しちゃったら成長が止まってしまうから当然なんだけど。
審査頑張ってね! 合気道の練習参加してきたけど
とても気を合わせるとは考えられなかった
教え方もあまりよろしくない
先生方も人ができてるとは考えられなかった
あれ以来肩が凝ってしょうがない、その時点で気も何もなかったということ
まやかし千万 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>154
あまり相性の良くない道場に行っちゃったんだね。
合気道と一口に言っても道場によって本当に全然違うから
ひとくくりにせずいろいろ探してみて欲しいとは思う。
合気道に限らず師を探すのに3年かけろって言うぐらいだからね。 >>156
わかった、合気道の中でも色々探せるってことだな。ありがとう
ところでこのスレの人たちに聞きたいんだが横受け身のとき体を床につけるときに逆の手を腰に当てるように何回も言われたんだがあれってどういうことなんだ?
柔道だったら両方の手を床に打ち付けるだろ、何で腰に当てる?
あと前受け身でも床に前のめりに倒れたときに仰向けの状態で顔をつぶされるとまずいから受け身とったときに顔を前にあげろ下を見るなって教えられたんだけどこれって顔あげたらあげたでサッカーボールキックくらったらどうするんだろうとか思ったんだけど
というか前受け身で床にバンッて仰向けに倒れて顔だけ上に向けるって体の動きとして硬くない?
実際倒れるときにあの倒れかたでやれないだろ
体験だったから投げられるとかまではやれなかったから詳しくはわからないけど受け身練習して投げられる投げるの段階までいったときにあの受け身で投げられるの無理そうなんだけど >>157
横受け身?なんだろ?それ?
ウチには前回り受け身(跳び受け身含む)と後ろ回り受け身、入り身投げに対するちょっと特殊な受け身しかなかった。
結果的に横にも受け身はできるのだけど、「横受け身」として習ったことはなかったな。
まあ、合気道にもいろいろなスタイルの道場があるからなあ。
あ、今思い出したけど、前受け身って、身体を前にスライドさせるような感じのヤツかな?
本部とかではやるみたいだけど、ウチの系統には無かったな。 嫁さんと付き合い始める前
「合気道って相手と気を合わせてするんですか?」みたいなことを聞かれたんだが
その時
「気なんて合わせられないですよ・・・」って正直に答えたことが好ポイントだったらしい。
俺はそんな問答忘れちゃってたんだけどね。
後年
「合気道とは気云々・・」って、知ったかぶったいかにも名人達人さんみたいなことを語っていたら、
多分付き合ってなかっただろうと言われた。。
これから合気道を始めてみたいって考えてる人達はどうなんだろ?
「合気道は気を合わせる道、相手と気を合わせて力が無くても人を制する事が出来ルンデス」
って喋る人の道場じゃないと魅力を感じない、入門したくないのだろうか??
「身体能力・筋力あったほうがいいに決まってます。無くても稽古を楽しむことは出来るけどね」
って言う所はダメなのかな? 開祖を実際に見れば合気道がどういうものなのかを雰囲気でわかるようなところがあったと想像するね。
たぶんそれを正確に言語化するのは難しくて、なんだか曖昧で胡散臭いに表現にならざるをえないだと思う。 昨日から稽古再開したけど体験希望者がいるのに驚いた
体験したからって入会するとは限らないし冷やかしもいるし >>159
検索してみたけど確かにメジャーな受け身じゃないようだな
前回り受け身と後ろ回り受け身が一番検索にあがってくるし
実際は前方回転受け身とかなのねそれなら受けやすそう。
俺の教えられた横受け身は、右横受け身だったら蹲踞(そんきょ)の状態から右足を左足の後ろから左の方にスライドさせながら
体を右に倒して右手で床を叩きながら受け身を取る、そのとき左手は左腰に当てる
前受け身はよくアメリカの警察とかが犯人にやる地面に伏せて頭の上に手を組めの状態あるじゃん?
あれの手だけ地面に顔が上にある位置で置いて顔だけ前を見た姿勢で受け身をとる
調べてもこういう受け身の映像でてこなかったし、体験だったからとりあえずこれだけやらされたのかも
ちなみに合気会系
受け身ひとつにしても何でこういう受け身なんだろうって思いながらやってたせいで練習も気持ち半分だったわ
けっこうフォームとかにこだわって実際に受け身とるときにできそうになかった
>>160
体験の自分が言うのもあれだけど、相手と気を合わせてなんか言う人は少数派なんじゃないかな
そもそもほんとに達人だったら自分を達人だと思わせないと思うしw
でも相手の力利用して投げるのは事実だし、相手の力みとか感じて投げるわけだから
師範レベルにはそういうものもあって当然だと思うけど そういや教えてくれた講師たち腕ぶっとかったわ
あれって稽古してれば自然になるもんか ベンチプレスかなんかやってるのかと 合気道は蹲踞ってあんまり聞かんなぁ
さてはその先生柔道出身なのかもな
たしか横受身って柔道なら基礎技術だったよね >>164
なるよ、たぶん小手返しとか2教とかで自然に太くなる >>163
>前受け身は(中略)あれの手だけ地面に顔が上にある位置で置いて顔だけ前を見た姿勢で受け身をとる
たぶん、一教とかの抑え技に対応する受け身なんだろうな。
頭や顔から畳に落ちやすいので、前にスライドさせるような受け身でぶつけないようにする。その際には顔は下ではなく、前を向くように指導してるのをどこかで見た記憶がある。
ウチの系統には無い練習なので、細部は解らない。 参考までに書いとくと、俺が昔居た道場には畳を叩く受け身は存在しない。
コンクリートやアスファルトで叩くと自らの力で手を痛める…てのが理由だそうな。
逆に、しっかり叩きなさい!と教える道場もある。
叩く方法、叩かない方法の両方をやる道場もある。
養神館と合気会では前回り受け身の足の出方が違うとも聞くし、受け身は案外統一されてないんだよな。 柔道だと初心者は畳を叩けとは教えられるが
実際の試合では相手に投げられたとき
体をひねったりブリッジしたりして背中から落ちないようにして
一本を技ありに、技ありを有効に軽減しようとするから
結果的に叩くやつはいない >>164
木剣等の武器振ってれば自然に太くなる。
>>170
柔道的な動作を嫌ってるんじゃないかという人はたまにいるな。
畳の下に衝撃吸収用のバネがある道場なら、合気道の投げ技程度なら羽打ちしなくてもいいかもしれんが、
板の上にそのまま畳を敷いた道場だったら、羽打ちしないとキツイ時がある。 キツいかどうかより、現実問題どうするか、て問題があるんだよな。 羽打ちは音を立てる事によって技が派手に見えて演武用だけど音を立てるという事はそれだけ衝撃がある事だからそういう受けをしていると畳以外での受けはできないよ
↑と昔教わりました
今では初心者相手や手本演武には音を立てて自分の稽古の時は極力立てないようにしてる 演武用の技術ならなんで演武を主目的としていない柔道初め他武道でも採用されてるの? まあ、いろんな考え方をする人がいるんだなあ、ってことだな。
俺も師匠からは後ろ受身と前受身しか教わっていないけど。
飛び受身が必要な技では、みんな自然に羽打ちしてたもんなあ。
若くて必要な筋肉がちゃんとついている細マッチョなら
羽打ち無しでも奇麗な受身を取れるかもしれんが
腹が出て体力筋力も落ちてるオッサンに合気落としとか腰投げ系の技かけると
ダメージが身体に残って健康を害しちゃうよ。
羽打ちしないで、身体を守れるの?って思うんだが。
飛び受身無し、前回り受身と後ろ受身だけで済むような技しかやらないなら
そういう道場では必要ないかもね。 羽打ちって、結局、頭を床にぶつけないために反動付けるためやってるだけじゃないの?それ以外の理由あるん? >>154
うん。
合気道は気を合わせるというのが特徴だと思うんだけど。
単純にいうとカウンターの練習ってこと あながち間違いでもないと思うのだけど?
ただ、カウンターと言うとボクシング的な動作を思い浮かべるが、合気道ではそれだけではない、てことでは? カウンターで当身を当てることもできるし
当身を当てずに避けることもできる。
どんな敵の攻撃でも避けることができれば不戦にして不敗だからね。 合気道は気を合わせるとかいういい加減な言葉は信じるなよな。
むしろ相手の気に合わせずに自分の気も断つ が正しいだろうよ。
そうでないと喧嘩なんかで相手の血気に合わせてたら自分の技なんて出ん。 あんまり言葉にとらわれるなよ
相手に合わせるのはどう考えても必要だから
そもそも相手の力も利用して投げるのに
力みとかにこっちも無視して投げようとしたら抵抗されるから
技をかけようなんてしてたら相手の不規則な動きに対応できない
こちらも力んだらほんとに泥仕合だ これ朝倉未来じゃん
こんなやつに投げとか無理
争わないのがほんとの護身術だね
グローブしてるし普通の殴り合い 合気道が「相手の気に合わせる」などというのは、合気道に真剣に向き合ってない人たちの誤解だすよ。
藤平先生がわざと嘘を広めたということもありますね。
合気道開祖のお言葉をよく見ればわかりますよ。 気を合わせるのでは無くて気を使う
先輩や先生には忖度して受けを取りご機嫌を取る事が大事 気を合わせるってカウンターの練習ってことだよ。
敵の攻撃に合わせて動く練習。 へずまりゅうでも朝倉未来ぶん投げたのに合気道は最初から無理宣言
雑魚雑魚雑魚 敵の攻撃に対してカウンターで入身をして敵の死角に入る。
死角に入ってから当身をくらわすと武術なんだが
死角に入る練習に特化すれば合気道になるんじゃないか。
死角に入る練習と当身をあてる練習があるんだが死角に入る練習に特化していくってこと。
常に敵の気を読み気に合わせて死角に入れば敵とぶつからないで済むということだろう >>186
ところで益田さんは、Twitterの武クラには絡まないのですか?元弟子の胴締め(KFC)さんとかいますよ >>192
> ところで益田さんは、
私は益田ではありまへん。
>Twitterの武クラ
知りまへん。
>元弟子の胴締め(KFC)さん
そんな弟子はいてまへなんだ。 >>186
うんまあ気を合わせるを重視したければ
心身統一行けって事だ 気は見えないから分かりにくい。
力はわかるから力の流れの稽古を行うのはわかる。
いわば硬い稽古だね。
でも硬い稽古ばかりだとスピードで遅れをとるから気の流れの稽古を
する。
殴ろうという気持ちがあって力が発生する。
敵の気を読んで合わせて動くんだね。 それも合気道の動画で捜しても見たことないんだけど。 動画に全てアップされてる訳じゃない。
講習会や普段の稽古を勝手にインターネットに挙げることを禁止している道場や先生もいる。
たまに海外の方が探しやすいこともある。
合気道じゃなくてaikidoで検索すると貴重な技や型が見つかることがある。 ようつべでなんでも見つかると思ってちゃいかんね。
ネットで発信するのはお調子者のほうが多いんだから。 オレのおすすめの合気道系Youtuberたち
https://www.youtube.com/watch?v=AsNy-36JivM&ab_channel=%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E6%B3%95%E7%BE%A9NORIYOSHIMIYAZAWA
https://www.youtube.com/watch?v=8Pm9-hxpy4c&ab_channel=%E5%90%88%E6%B0%97%E9%81%93%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%ABAIKITUBER%E5%B0%86%E8%BB%8D
https://www.youtube.com/watch?v=dF8ysnROHMw&ab_channel=enkuNariyasuToyosaki 合気道の気とは攻め気である
隙があれば刺しに行き切りに行き殴りに行くことである >>208
そんな事を言ったらダメだよ
争わないんだから
開祖も言っていただろ? その通り
それがわかってないから何時までたっても技が出来無い奴が合気道にはごろごろいる この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 自分の気が積極的に出てる時って自分の体が宙に浮いてるような重力を感じてないような感覚におそわれる時がたまにある。
気とは呼吸力だと思うんだけど総合的なもんで体力気力がのっていると本当に体が動く動く >>211
攻める気ない奴に技かけるのが
上手いのが沢山居るやろw >>215
あら。
大変。
うちはマンボウでたから稽古再開が延期になった この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs オリンピックとは悪魔崇拝
ブリタニカ国際大百科事典
Baal=バアル → バビロニア語Bel=ベル → ギリシャ語Belos=Zeus → 日本語ゼウス
https://www.britannica.com/topic/Baal-ancient-deity
末日聖徒イエスキリスト教会 聖句ガイド
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/gs/baal?lang=jpn
バアルはバビロンのベルやギリシャのゼウスと同じとも考えられる
バール(バアル)について記載された文献あれこれ
http://www5.cncm.ne.jp/~ryuji-t/kenkyu/baal.htm
町の両区域ともその中央に囲いがあり、一方は壮大堅固な壁をめぐらした王宮であり、他方は「ゼウス・ベロス」の青銅の門構えの神殿である。
「ベロス」はバールのギリシア的転訛で、ゼウスと同一視して、「ゼウス・ベロス」となっている。
バアルとは誰?
https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-who-baal.html
バアル礼拝は官能主義に根ざし、神殿での儀式的な売春行為を含んでいました。
オリンピックの起源 // 悪魔バアルを祀る人類最大の宗教儀式
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/48895b3900d2803866456995e3be643d
悪魔バアルを祀る宗教儀式 | mariaのブログ
https://ameblo.jp/the-snark2/entry-12412725822.html
古代オリンピック 生きた人間の心臓をつかみ出す
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/7a/09fd10fe20481f1c4331a6727eca5da5.png
現れた4つの預言一気読み
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/contemporary/1561503978/
結論
古事記に登場する日本の最高神・天之御中主神の正体は、旧約聖書の創造主YHWH
オリンピックとはモーセの十戒で禁じられている偶像崇拝。悪魔バアル崇拝こそが新型コロナの根本原因 ウチもマンボウでさらなる時短になってしまった、、、 ダメだもうこれ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs youtubeで90年代の合気道の動画見てるけど今の本部の師範先生たちの指導員時代が見てて面白い
若い頃の方がみんなスピード感とキレがある。年取るとどうしてもゆっくりな方向になってしまうのだろうか
きっと技の熟練という意味では今のほうがいいんだろうけどなんか釈然としない。まぁベテランになっても速度出してる関師範とか超例外はいるけど… 合気道の人って
身体の鍛え方創り方を知らない人が多すぎるような気がする。
だから年を取ると太ってゆっくり演武になっちゃう人が多いんじゃないかな?
例外はいるけど。
鍛錬法は個人の工夫任せだもんなあ。 合気道の教室一回一体けどなんか講師の発言とか雰囲気が小学校とかの道徳っぽい雰囲気があってきもかった
年代は若い感じなのに・・・
あと練習終わったら道場にいる全員に手ついてお互い挨拶させられたけど全然挨拶に心こもってなくて、だったらやるなと。
宗教っぽくなるんだなあんま礼儀とか重要視しだすと。小さい女の子が笑顔で挨拶してくれたのは嬉しかったけど他のやつら義務としか考えてねーし心ない礼儀って馬鹿らしい
あと師範クラスがたまに指導しにくるたびにいちいち床に手ついてお礼してたのもウケたw
逐一指導にくるんだがその度地面に手つけて感謝みたいな >>228
お互いに礼をする意味をわかっている指導者が少ないからね
昔の人達はそれなりの事をやって技に説得力があったから多少後輩に対しての無礼があっても通用してる時代だった
最近の定年前後世代辺り?は自分達が押し付けられてきたものを後の世代にやるのは当たり前な人が多い
技の内容も合理性に欠けて説明出来ない人がいるが今の若い世代にそんな態度が通じるはずがない
これだけ情報が開示されてる時代なのに学ぼうとしない
教え方も学ぼうとしない
自分の我を通したい
俺偉い
みたいな人が増えた気がする
合気道なんだから受けに助けてもらって技が成立している事を考えれば自然と頭が下がるはずなんだが… 確かに毎回土下座はなあ もう令和なんだから立礼でいいと思うんだが
イギリス株が4,50代も重症化するとか 主な年齢層も危険になってきたな
マスクしてても受け身とってたら飛沫拡散しまくる
当分は合気道は無理だわ 道場に入る時座礼して入らない道場があるのは納得できん 座礼の時は若干上目遣いで最後まで相手から気を許さず目の端っこでとらえ続ける >>228
白帯は皆、有段者の袴を畳めって先生が居て不快だったわー この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs そうだ座礼だw
俺も土下座しか思い浮かばなかったけどあったなそれが >>234
へえ、そんなことが。
変な道場だなあ。 >>238
大学の合気道部はそんなもんだったな。
一般の白帯の人にはそんなことさせやしなかった。
あくまで畳むのは学生の白帯だけね。 大学生は未経験で入部して来てどれくらいの期間で黒帯とるものなんでしょうか >>240
大体2年で有段者。
年に三回審査がある。
一年生のうちに5級、4級、三級を取って
二年生で2級、、1級、そして年度末ごろに初段を取得
そして三年生になったら有段者として新入部員を指導する立場になる。
一般の人だと稽古日数が不足するし、短期間で技を覚えられないから
毎回昇級ってわけにはいかない。
週に4〜5日稽古出来る大学合気道部員だから可能。 大学生ってあっというまに上手になる人が多いよね。
集中的に稽古できる賜物か。うらやましいぜ。 20代は仕事しながら週五で通ってたわ
その後、伸び悩んで健康体操にした 伸び悩むというか、二段くらいから目新しい技をあまり見なくなるような。 >>245
> 伸び悩むというか、二段くらいから目新しい技をあまり見なくなるような。
初段の段階で技は一通りできるようになっているはずで
そこから先は技の精度を高める段階だと俺は考えている。
いつでも、どこでも、誰とでも自分の技が有効になるまでは稽古は続く。 まあ仕事で週1-2回になったせいもあるけど
実感出来る成長ってだんだん少なく遅くなるよね >>225
歳とって遅くなるのは合気道がガチな武術はないからだろう
剣道は遅くならんからな >>248
剣道八段の審査で高齢者見てたけど遅いよね? 合気道の普通の稽古だけじゃ、”鍛錬による身体の変化”ってあまりないんだよね。
だからふくよかな方の身体が引き締まることも、
筋肉量に不自由されている方が細マッチョになることもない。
稽古で着けた筋肉だけでいい、、みたいなことを仰る先生の話を真に受けて
道場以外での鍛錬を疎かにしているから、年を取ると、年相応の体力しかないから、
遅ーい、ゆーっくり、の技しか出来なくなる人が多いんだろうね。 黒田鉄山氏が若い頃、祖父の泰治氏が「どうだ、見えないだろう」ってみせてくれた居合型が
当時の鉄山氏にはただのゆっくりした型にしか見えなくて困惑したけど、
今の自分ならあれが「速い」型だということがよくわかる、ってどこかに書いていたな。
「フィジカルなスピードが速い」ってことだけが「速い」わけではないっていうことなんだろう。
氏の居合型や素振りを見てるとそれがよくわかる。 https://www.youtube.com/watch?v=8drDerhPOj0&ab_channel=BUDOJAPANCHANNEL
これの廻剣素振とか非常にゆっくりなんだけどなんか寒けがするよね。 >>233
マジでそんなこと言われる?
それ一回やったら「礼はキチンとしましょうね、」って諫められたぞ俺 黒田先生は糖尿病になりかけて腕立て伏せ千回腹筋五百回を毎日日課でやっている。
プロ武道家ということもあるが若い人より基礎体力があるだろう。
子供の頃からやってきた型稽古だけでは糖尿病のカロリー消費の運動にならないので腕立て伏せ腹筋を始めたとか。
黒田先生の稽古、運動量に比べたら働きながらの道場通いは遊びみたいなもの。 体重軽い人の多いけどそこまで回数できる腕立てや腹筋に意味はないと思う
カロリー消費目的兼用ならスクワットかバービーがいいと思う この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
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https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>255
高回数のトレーニングはスピードを上げるんだよ。
短時間で行うようにすると運動になる。 本部道場って開始時左後ろがぽっかり開いてるんだけどさ。暗黙の了解というか厄介な人を避けようとして自然とそうなってる感じが。
ひどい爺さんとかが大体そこに座ってるんだよね。もちろん道場埋まるようなときはそんなことやってらんないんだけど、みんなそういう人とは組みたくてなるべく遠くでスタートしようとする。
他の道場でも厄介なのとかいる?動けもしないのに延々教えたがるとかろくに受けも取ら/れないとか。 技は下手でも
型の動きの順番だけできる人は
白帯には役に立つよw 本部道場ってさぁ。一回組んだ相手と最後まで変わらんと聞くが本当?信じられない >>260
感染防止対策でそうやってるみたいだね
でも一人でも感染者がいたらあまり意味なしな気もする >>260
初心者クラスは技毎に近くにいる人と組み直し
一般クラスは変更なし(一部師範は変更有り)
元々こうだけど今はコロナで一切の変更無しということになっている
コロナはさておき俺も変更ありの方がいいと思うんだけどな ずっと変更ないと
良い稽古になる人と組めば良いけど
下手すれば無駄な時間になるかな この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
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https://youtu.be/7d7yIfsT0rs いろいろな人とやった方が、自分の技の出来不出来が解るし、良いと思うが。コロナ禍の今のご時世ではねえ。
本部のHP見た限りでは一応距離を置いてるんだな、とは思うけど。今度の変異株はそれでもヤバそうな気がする。 >>232
それはテレビの影響で本来の土下座を勘違いしているから
正しい土下座の仕方はウンコ座りが正しい座り方(byちこちゃんに叱られる)
江戸時代の絵を見るとみんなそうなっている
ちなみに多くの人が土下座と勘違いしているのは跪拝 どうでもいいが、今の世間で土下座と言えば、額を地面につけるくらいに落とす形になる。
合気道に限らず武道で座礼をするとき、そこまで頭を落としたりはしない。
座礼を土下座、ていうのは無知なのか悪意があるかじゃないのか。 最初の師匠は
見取り稽古の前後に受けを取る人とちゃんと互いに座礼するような方だったんだよね。
それが当たり前だと思っていたんだけど・・・・
今の道場長は自分だけ立って、相手が座礼するスタイル。
そういうとこ、今は多いのかな??
立ち技は立礼でいいと思ってるからなのかな??
おいらが代稽古する時は絶対にオレも相手と一緒に座礼するようにしている。 正式な座礼の仕方は左手右手の順で手を置いて手の三角形の中に鼻を埋めると教わったような。まぁ俺のとこは前方に開祖の写真があれば稽古お願いします。ありがとうございました。って感じかな。
充実した稽古が送れると本当に感謝しながら礼をしてるわ。
剣の時は開祖に刃を向けないで前方に置き座礼が終わればまた左に置く。
剣を右に置けば右から刀は抜けないので本当に敵意はないって意味らしいがね。 >>268
地面にはつけないけどスレスレにはなるだろ
実際土下座に近い
あそこまで頭落として礼すること普段あるか?
座礼を知らなかったら土下座がそれを表すのに近い >>270
>正式な座礼の仕方は左手右手の順で手を置いて手の三角形の中に鼻を埋めると教わったような
合気道では教わらなかったが、居合の先生がそう教えてるのは見たことがある。
座礼で頭を下げてる時に頭を踏まれても、咄嗟に下に向けてた掌を横に立てれば鼻を潰されない、てね。
合気道的には、踏まれる距離まで相手に反応しない、て時点でアウトでは?とか思いながら見てた。 >>271
「近い」と「同じ」は全く違うね。
無知だった、てことか。なるほど。 礼っても昔はいざ知らず現代では卑屈とも取られかねないことする必要はあるのだろうかな。
野外ではやれることじゃないし犬の糞でもあったら困るだろう。貴重な伝統だとは思うけど。 土下座や跪拝と異なり、座礼ではお尻を上げない。必然的に頭はある程度浮くんだよね。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 鳥舟振魂やってる道場の人に聞くけど
手は右手左手どちらが上? >>270
女性がするものと思われているが本来三つ指をつくのは武士の座礼の心得のひとつ
突然頭を踏みつけられたり押さえ付けられた時に指をクッションにする為のもの
ルーツは殿様の理不尽に耐える裏テクみたいなものだから正式なとも言えない気がする 形ばかりのどうでもいい事だな
だから生け花教室なんだよ どーでも良いが。
三つ指着くって言うけど、俺は旅館でもどこでもそんなことする女性を見たことがないな。
小笠原流(徳川幕府が採用した礼法)によると、そもそも三つ指なんて正しい礼とはされてないらしい。
なお、居合の礼で左右の指を揃えるよう教えるのを見たことはあるが、合気道では左右の手の間隔が開いた礼をする先生もよく見る。
ちなみに柔道の座礼のYouTubeを見ると、左右の手の間隔は開いているな。
https://youtu.be/UtJe9UHOKQ0
合気道としては、特に統一はしてないんじゃないか? 柔道の座礼は両手の間隔はかなり開く
両手の人差し指を伸ばした線がだいたい自分の下げた額あたりで交わるようにと教わる
あと柔道では両膝は男は拳2つ分ほど開き、女子はつける 合気道家は適当だから、合気道やるなら適当でいいよ。
先生に、合わせることをまなぶんだ。 でも合気道ってマジでてきとーだよな
正しい礼とか教わってないし正しい歩み方も教わってないし正しい受身も教わってないわ
先生のマネしてね、で全部やってきたわ >>288
合気会か?合気会は特にバラバラだからなw 柔道だと昇段の形審査で座礼、立礼も減点対象になるんだよな 開祖があまり教える人ではなかったらしいからなあ。
開祖に直接習いました、て人たちの間でもかなり相違がある。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>292
> 開祖があまり教える人ではなかったらしい
開祖は教えまくってましたよ。
残ってる映像でも技をかけながらも常にしゃべったはりますやん。 なにやっても良ぇ良ぇそれでええ
コツを教えるとそんなこと教えちゃイカン!と激怒したとか聞いたけど いわゆる「コツ」とか「正解」みたいなものを伝えるような教え方ではなかったんやろね。
そもそも「唯一絶対的に正しい型」みたいなもんがあるという認識そのものを否定しはってたんでは。 カメラの前では省略したり変えたりしてたから、開祖の動画見るなら参考程度にしとけ…て、直弟子だった人に言われたな。
基本、秘密主義だったんでしょ。稽古の心得にも公開するな、て書いてたくらいだし。 何を教えてもらいたかったかが、お弟子さんによって違ってたからちゃいまっか。
技術を教えてもらいたかったら、何も教えてもらってないとか。
開祖は枝葉ではなく根幹を教えていたのでは? >>295
> なにやっても良ぇ良ぇそれでええ
> コツを教えるとそんなこと教えちゃイカン!と激怒したとか聞いたけど
へえ、そんな話が合ったんだ・・ 初めて知った。
でもなんか、やっぱり って納得できるな。
コツとか術理とかトリックとかいうのは所詮、本質的な事じゃないんだろうな。
俺の最初の師匠も、そんな事一回も教えてくれたことなかったしなあ。
ひたすら「型」だけ教えてくれた。
「型」通りに動けば技はかかる。かからないのは動きが型から逸脱しているから。
コツみたいなのは自分で勝手に掴め・・・・なんてことを実際に言われたことはないけどね。 俺は今の道場主から「自分で考えさせなければいけないから、細かく教えるな」と言われたな。
前の道場主もほとんど言葉の説明がなかった。でも、今思えば各人のレベルに合わせて、ちょっとだけヒントを与えてくれてたように思う。 教え過ぎては言えないと言うのは正しいのだけどそれは豊富な稽古量があると言う前提
稽古が足りない者ほど楽をしたがりコツを知りたがる。教え過ぎないのも相手のことを
思ってのことなのだけど楽をしたがる者はそうは思わない。指導のせいにしたり合気道
そのものせいにする者もいる
強い信念があれば無視すれば良いだけのことだけど武道の目的が変化しつつある中で
伝統と言う言葉で済ませ旧態依然の侭で良いのだろうかと悩みはどうしてもあるけどね >>301
それは、あるよなあ
ヒント出してても自分で思いついた方が覚えが良い
実際、開祖の弟子に実力者多かったんだから一見、おかしな教え方だけど教えるの上手いんじゃないのかな?
近頃は何も教わらないまま順番だけ覚えて黒帯になってるのも多いようだけどw 塩田剛三が細かく動きとかを理屈化したらしいな。
植芝師匠はそういうことを言わなかった
と塩田の著書に 藤平光一も開祖がもっと力一杯やれ!とか教えてたので
嘘教えてると著作に書いていた。
開祖がワザとなのか天然なのか
それとも教えたくなかったのか オレは説明やマニュアルみたいなものから本質を掴むことが苦手なんで
あんまし先生が言っていることは厳密には聞かずに先生が行っている技の雰囲気みたいなものから学んでいたりするんだけど
逆に言葉による説明のほうが本質が理解しやすい人もいたりするから教え方も合う合わないがあるだろね。 開祖は天衣無縫な人だったらしいから状況によって常に変化してたんだろうね。
だから嘘を教えているというよりその時、その状況においてはちからいっぱいやれ、と言うことが正しかったのでは。 まあ最初のうちは体作りも兼ねて
力一杯ってのもアリかもしれないけどね 後年は精神論というか宗教のほうにいっちゃったから
細かいことは虚しいとか思ってたかも >>310
ほんとにGWいっぱいで自粛解除してほしいよ
絶対延長くるだろ 三千世界 一度に開く尻の穴 艮のコロナ神の世に なりたぞよ
神が立ち現れて この世の建て替え立て直しを いたずぞよ 緊急事態宣言と蔓延防止指定受けてないところは割りと普通にやってるけど
警戒して来ない人が多い 第四波はヤバい気はするね。
俺もあまり道場に行きたくはないが、今のところ未だ全日本はやる気らしいので。行かざるを得ない。 >>315
全日本は関係者のみってなってますけど本部で稽古なさっているのですか? >>316
いいえ。地方ですが、先生の受けをしないといけない、てだけです。 羨ましい・・・・
ウチは武器技だけの稽古もダメだって・・・・・ >>317
旅費や移動で感染リスクが増えたり色々な事を含めて大変ですね >>319
そうですね。公共機関による移動は無しで、バスか何か貸し切って人員をピックアップしていくらしいです。
実際には主催する本部の方が大変な気がします。 このスレみてると
結構緩い道場が多いな・・・・・・・・・・
めっちゃ羨ましいわ。
こちとら、6月まで活動停止だ。
その後もどうなるか分からん。
コロナの根絶なんて不可能だし、今後第五波、第6波どころか20波30波起きるに決まってる。
去年も6カ月しか稽古やらなかったし・・・
それも完全非接触で・・・・
早く体術やりたい。 教えたこと、忘れちゃってるだろうな・・・・・・・・・・・・ 「合気の使い手」って呼称、なんか恥ずかしくない?
番組見てないから、本人がどう名乗ったのか知らないけど。 教えを受けた技を何が何でも忘れない思いで必死になって毎日反復稽古をする人は今の時代にはいない。
戦前はかなりいたみたいですが。
現代は技を忘れちゃったよなんだっけ?でしょう。
合気道以外の演武大会でも次の技はなんだったかという感じで頭で思い出している人はいます。
忘れないように豊富に稽古できないからしょうがないでしょう。 俺はむしろ「忘れろ」と教わったけどなあ。
戦前の話だけど。2000の技を教わって、そのどれもできないから基本の技に集中してたら、習ってない技が出た、て話がある。
バリエーションの数え方もあるだろうけど、俺が整理したところ十数個の技を核として、それ以外は核からの応用で説明が着く。まあ、その核自体も元を辿れば一教・四方投げ・入り身投げに行き、更に深めれば呼吸力に行き着くようだから。基本の鍛練をしっかりやって、後はいろいろな人といろいろな経験を積んで、センスを磨くのが良いのでは? >>332
仰る通り。核に精通しないと。というかそれしかないよね。
じゃないと1000や2000の技を使えるはずがない。 >>331
ああいうのも演武なら演武でいいんだけど、もっと自由さを認める方向で広げていけないのかね。コンビネーションやローキックとか >>334
「演武会って何のためにやるんだ?」という問いになるんだけどね。
格闘技術の披露会を目的としているなら蹴り技込みのコンビネーションをしても良いと思うけど。
演武会の目的ってそれなの?
演武会の目的についてちゃんと考えたことも聞いたこともないので何とも言えないんだけどね。 >>334
コンビネーションやローキックどころか合気道でマトモに突き蹴りが出来る人が何人いる? >>332
漢字の書き方覚えるのと似たようなもんよ
縦線、横戦、ナナメ、丸くらいが
書ければあとは組み合わせるだけでだいたいどんな漢字でも書けるだろ? 僕はキックジム、フルコン道場にかよいながら合気道にも通ってます、合気道でキックパンチをさばけることを目標に練習していきますという人なら突き蹴りパンチキック習うから練習生レベルで突ける蹴れるだろう。
ジム、武道道場両方に通えるのも若いときだけですが。 >>248
動き自体遅くなっても間合いの取り方制し方が上手くなるから、結局相手からすれば速く感じるんだよ 合気道の当身は突きや蹴りにこだわらずともよい。
肩や背でも当てるからミット打ちなどいらない。当てるところに集中させるものです 背中で当てるのも塩田剛三くらい出来ないと使えないだろう。
塩田の弟子は全員同じことが出来ない。 背中で当てる、て実は後ろ取りの基本中の基本なんだが…。
まあ、省略してるところも多いからなあ。知らなくてもしょうがないか。 隠し事、というと語弊があるね。
そもそも現代の合気道は、戦前とかの昔のやり方と同じではないのよ。方向性として。
それを良しとするか悪しとするかは、先生と本人次第じゃね? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 大阪今日の会見の様子じゃ自粛延長確定だな
道場の休みも延長
昇級昇段審査いつになることやら
級なら救済措置で無試験でもいいと思うけど段位は審査経ないと意味ないしな 稽古日数よりも、技をちゃんと覚えているかどうかで審査してくれりゃいいんだけどね。
だらだら道場に通って、あたしゃ審査なんて興味ございません。って人よりも
目標決めて、短期間で必要な技を覚えてくれる人の方が上達するからなあ。
まあそれも、活動再開しなくちゃいけないけど・・
なんか、ぐれいとりせっと後に普通の稽古が出来るビジョンが見えない。 ございません、というか
師匠にそろそろ受けなさいって言われたらイヤ受けるもんじゃないの?
しかも昇級なんて大した金もかからんし断る理由なんてないと思うが
まだ昇段ならわかるけどお金かかるとか落ちるのイヤだとか指導に回るのイヤとか >>349
東京も最低2週間の延長でワクチン効果出てきて重傷者減るって試算出たそうだから
また5月一杯延長かもな 大都市の道場は稽古をするのが難しくて大変だな。
ウチみたいに地方都市の個人経営の道場は稽古をしている。
マスクと手指消毒してだけど。
稽古に来る人は10人にも満たないから特定も簡単。
公共施設を使っている団体は施設が使えず稽古ができないけどね。
稽古が再開できたとしても休みすぎてやる気を無くして退会する人が続出しそうだ。 >>353
うちは一応首都圏の公共体育館借りてる道場だけどとりあえず使えるから稽古してる
参加者は平均四名でマスクに手指消毒に手袋着用
ワクチン接種率が上がるまではこの状態が続くと思ってる この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 サッカーゴールにパチンコ玉を通すことに例えられてるマスクよりも意味がない。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 前回引き落とし止めてくれたけど
止めたくないみたいで
再開したわwww Standing on "AME NO UKIHASHI "5 おむすび会 20210515
https://www.youtube.com/watch?v=1CmYKWkcq6I >>366
武道初心者が軽い気持ちで近所の合気道道場に入る場合
そこが詐欺道場か、まっとうな所か判断出来ないよ。
といっても、どんな道場なら「詐欺」と言えるか悩ましい所だな。
護身の役に立ちませんって位じゃ今時詐欺扱いできないよね。
指導者が合気道未経験なのに経歴詐称して、
「私は合気道十段です」と言ってテキトーなこと教えて法外な月謝を
とったら流石に詐欺といえるだろうけど・・ >>367
おいおい「詐欺道場」の定義も無しに「詐欺道場」を語るか? 格闘技志向でないと詐欺なんでしょ、そういうアタマ。 合気会ってくくりじゃ広すぎて答えようがない。
玄人向け武術志向から、一般向けゆるーい運動みたいなナニカまで いろいろ・・
あと、それがさらに、保守派と革新派に分かれる。 合気道を植芝家の武道だとおおむね合意しているひとの集まり、でしょ。 記者「塩田剛三氏や加来耕三氏が、開祖が兵隊五人に25m向こうから鉄砲で撃たせ、入身で避けて投げ飛ばしたという逸話を紹介していますが」
藤平光一「嘘ですよ。師匠が出来れば弟子もその半分の2.5人くらい相手に出来ると言いたいのでしょう。それだけの事です」
『合気ニュース』109号 2.5人って・・
二人以上、三人未満って事をいいたいのかな?
1対2なら危うく、1対3なら迷わず逃げる程度の、とあるラノベ主人公並みだな。 藤平先生自身が嘘つきだから他の人も嘘ついてると思ってるだけだろ 藤平さんみたいに正直な人は教える時もしっかり教えてくれそう
塩田剛三みたいな雰囲気達人はまともに教えようとしない 塩田剛三の映像見て「雰囲気達人」って思っちゃう人もいるんだね。
ちなみに藤平光一の稽古はこんな感じ
https://youtu.be/khaefuOGHJM Standing on "AME NO UKIHASHI "6 おむすび会 20210522
https://www.youtube.com/watch?v=-wpvW2KMOok 合気会、緊急事態宣言でも普通に稽古してるのな
頭おかしい 合気道ってメンタル弱い人がすがるように稽古してたりするので
稽古自粛で心を病むほうが感染するより深刻な場合もあるからね。
合気道にかかわらず飲食の営業もそうだけど個別のケースがそれぞれ違うから一概には言えないよね。 俺の行ってるとこは自粛要請中は休み
自粛延長だから来月も休みになるのかな
自粛要請の内容緩和するってお上は行ってるけど道場再開するのだろうか
今年に入ってからほとんどいけてないよ >>389
す、すごい呼吸力!
氣が下丹田、中丹田、上丹田に漲ってて下半身、体幹がしっかり安定しつつ相手と同化している!
ぜひこの方にご教授いただきたいものだ。 >>383
デモが見たい場合はこっちの方が分かりやすいだろ
https://youtu.be/VFjiSf5qvBo
アメリカに広めたのは藤平先生でここに出てるのは弟子だけど
最初の頃はデモするにもデカイくて力強いわ忖度なんかないわで大変だったと言ってたそうな。
それでだいぶ技が変わったらしい。 >>393
めっちゃ苦労しながらもちゃんと投げてるじゃん。
演武じゃなければそうそう綺麗な技にはならんよ。
柔道の試合なんかそうだろ。
逆にこんなデカイ外人がガチでレスリング風にクビをかかえにきてて、当身や怪我させる技を使わずに演武みたいな技ができるとても?
マッチョ信仰なアメリカで広めたってことはこんな事を繰り返して技を修整していったんじゃないの。 多田宏先生って稽古年数で言えば開祖越えてるだろうに何であんな雑な演武なんだろ? うーわ本部道場やりやがった。これ大失態だろ
>>395
歳を考えろ歳を
動いてるだけでも奇跡だ 今日は内輪だけの全日本だったか
普通に稽古だったから忘れてた Standing on "AME NO UKIHASHI "7 おむすび会 20210529
https://www.youtube.com/watch?v=rk-FPogwoDA 佐川幸義先生 道場訓
合気は気を合わす事である。
宇宙天地森羅万象の総ては融和調和に依て円満に滞り無く動じているのである。その調和が合気なのである。
合気は自然の気なれば少しの蟠りも無く抗いも無く合一融和するものである。
人類社会形成に於ても、合気 即ち 融和調和が基調でなければならない。是れを合気の大円和という。
暴を奮う者に対しては、合気の理により融和致させ、敵の既発に対しては同じく合気の理により転化 又は 変更して融和致さすのである。
吾人は流祖 新羅三郎源義光公より伝承したる合気之術を基本とし、躰術(柔)、太刀之術、槍術、棒術等の武術を修業して、合気之武道 即ち 人間修養之道に迄 到達せねばならぬ。
大東流合気柔術 盛岡道場
代表師範 橋本英樹
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>404
見た
なんかレベル落ちた気がする。
それに観客居なくてさみしいね。
あと、
本部道場委嘱指導員ってどういう立場? >>408
俺はダウンロードして見たい師範や先生のだけ見た
委託指導員って本部から委託されて外部指導やってる感じなのかな? 年取ったんだろ
髪の毛も無くなったしな
昔のマスターも懐かしいわw 全日本開催したぐらいだから
そーろそろ、此方の道場も稽古再開してくれるといいんだけど・・・・・
昇級審査も受けさせてあげたいし、
3級2級まで取ってくれた人なら、そんなに技を忘れてはいないだろうけど
5級未取得の人は、全部忘れちゃってるんだろうな。 たぶんオリンピック後も長期の自粛期間あるんだろうな やめてー
オリンピックを無理矢理開催すれば、みんな、「大丈夫なンじゃね?」って意識が変わるかもしれないし
それに、その頃にはワクチン接種数も増えてるだろうから
普通に稽古できるようになってるハズ。 オリンピックを開催したら政府も都も国民に対して自粛要請なんてできない。
だから、オリンピック開催=国民の行動制限は無し、となって稽古も自由だ。 Standing on "AME NO UKIHASHI "8 おむすび会 20210605
https://youtu.be/kJITs75fDyk しつけられてても、
訓練されていないのばっかりになっちゃったよね。 塩田剛三「植芝道場を出てからは反逆児の様に言われますが、戦後は私が植芝道場の宣伝と開拓をやったんです。
戦前も私の親父がどれほど植芝道場に金を注込んだ事か…先生が私を連れて行くのは金銭的裏付けがあったから…
そして私も特別待遇という事になる」
『植芝盛平と合気道1』189p マンボウ地域だけど普通に稽古してる 合気会ね
クラスターになったら解散する覚悟があるのかね この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 適切な感染症対策をとっていれば、稽古もありじゃない? メンタルが弱い人が合気道にすがっているというより生まれてから武道に向いてない人が入会して体動かしているだけじゃないの。 マスターの触らない合気道面白いな
俺もあるはずの階段がなくて転んで前歯折ったわ
最近は階段も合気使うんやな 止まってるエスカレーターを登るときの感覚が合気だよね この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 佐川幸義先生 道場訓
合気は気を合わす事である。
宇宙天地森羅万象の総ては融和調和に依て円満に滞り無く動じているのである。その調和が合気なのである。
合気は自然の気なれば少しの蟠りも無く抗いも無く合一融和するものである。
人類社会形成に於ても、合気 即ち 融和調和が基調でなければならない。是れを合気の大円和という。
暴を奮う者に対しては、合気の理により融和致させ、敵の既発に対しては同じく合気の理により転化 又は 変更して融和致さすのである。
吾人は流祖 新羅三郎源義光公より伝承したる合気之術を基本とし、躰術(柔)、太刀之術、槍術、棒術等の武術を修業して、合気之武道 即ち 人間修養之道に迄 到達せねばならぬ。
大東流合気柔術 盛岡道場
代表師範 橋本英樹
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php >>429
受身の練習って大事だなw
外人はパルクールっぽく捉えて受身大好きだよな。
人によってはいろいろ工夫してる。
街中での護身としては手のひらをつける受身の方が実用的に思う。 >>434
拝読しました。
とても腑に落ちる内容でいろいろ勉強になりました。
もっともこれはいろいろ衰えてみないと見えてこない境地かもしれませんね。
ありがとうございます。 剣術の極意「無形の位」を自然にやってる人がいる件:合気道で考える上手なコミュニケーション
https://note.com/matsurugi/n/n0c17078caab6 20日で自粛解除みたいだけど来月23日からのオリンピック期間はまた自粛なのかな?
昇段審査が丁度そのあたりだからややこしいことにならなかったらいいな 多田宏「『槍には自信がある!』と大先生は仰っていた。『俵を積み替えるくらいお茶の子さいさい』と。
東に積まれた米俵(60kg)を真槍で突き跳ね上げて西に積み替える。
山本権兵衛伯爵は大先生の槍をご覧に成り『明治維新以来初めて活きた槍を見た』と言われたのです」
『開祖の横顔』253p ウルグアイの大麻解禁をテーマにしたコメディ映画「ハッパgogo 大統領極秘指令 」原題 GET THE WEED(大麻を獲得せよ!) を日本公開から2年越しでやっと鑑賞しました。
Google play で400円と大分お安くなっていますので、見逃した方は是非御覧になって下さい。
世界一貧乏な大統領の異名を持つ、ホセ・ムヒカ元大統領、オバマ米・元大統領も登場し、フィクションとは言え、世界の大麻(マリファナ)解禁の現状が良く理解出来ると共に、
日本の大麻解禁を阻んでいるのが、単に自民党、厚労省のお役人、製薬業界、医師会、薬剤師会などの既得権益に群がっている勢力のエゴに過ぎない事が理解出来ます。
大麻は、新型コロナウィルスを始め、エイズ、テンカン、リウマチ、ガン、うつ病などあらゆる疾患に効果を発揮する優れた生薬であると同時に、何処でも誰でも栽培可能な丈夫な植物でありますので、
日本でも全面解禁する事で、医療費の大幅な削減が可能となり、実質破綻を来している健康保険制度も回復し、
健康保険に注ぎ込まれ続けている消費税の撤廃も実現します。
日本国民全員の力で、誰でも自由に大麻の栽培、所持、使用の出来る日本を取り戻しましょう!
https://www.8855movie.com/ 今は米俵など手に入れる人はいないし柄が丈夫な槍なんて売ってないです。
超人話で喜ぶ合気道愛好者。 埼玉県連が7月に本部道場長招いて合同稽古やるけど
このご時世にチャレンジャーだと思う
当然所属道場は不参加 米俵を槍で移し替えるなんてどんなすごい妙技を使ってるんだろうって
昔は思ってたけど、まず単純に体の強さが一定以上になることだよね。
あとは米俵と自分の位置をまるまる入れ替える、まですることなく
単純にちょっぴりうっちゃり気味に米俵と体を入れ替える感覚でやると
比較的楽に運ぶことができる、みたいな?
まあやったことはないんだけどね。 そういう米俵運べない、現代ならセメント袋持ち上げて運べないくらい非力なら基礎体力癌をないことになるので何の武道を稽古しても難しい。
新宿で合気会の道場生らしき人が何人かで歩いているの見たことあるけど、とてもセメント袋運べるようには見えなかった。
指導者が非力な人にうまいこと言って月謝取っているのだろう。 骨格は大人になるとほぼ成長しないけど筋肉は老人になっても成長するからね
武道家として適切な筋力は付けないとだめだよ
合気道家は特に筋肉を敵視してる人多いように見えるけど体格に勝る側が格闘では有利なのは常識だよ 遠藤征四郎「大先生の言われる『相手を見ない』とは凝視しないという事
。一つ所に心が留まると目もそこに留まり自分を固めてしまう。目の問題は心の問題です。
技の修業と理=心の修業は稽古の両輪ですが、私達はただ技の修業ばかりやって、それで満足してしまう嫌いがある」
『合気道探究』41号63p >>444
じゃおじいちゃんは何の武道を稽古しても難しいな。
箸より重いものを持てないおじいちゃんですからははは >>444
俺は仕事で米俵より重い70Kg近いコイルを肩に担ぎ上げるけど合氣道は下手だぞw
重いものを扱うのはコツと物の重心バランスを保ち軽くすることが重要で
それがわからないやつは力でやるから長続きしないし疲れるし長い間には体を壊す
角落としなんて正に受けのバランスを見極めないと何時までも力で押し倒していつか行き詰まる 肩に担ぐのは可能でも槍で米俵は不可能だな、米俵が持たない あんた米俵の強度とか知ってるの?自分は知らんけど。
知らん奴が想像するよりも丈夫で、
切れない部分を太い紐になってるところに引っ掛ければできるんじゃない。
体が十分に強ければ。 >>449
あとそういう、植芝開祖は噓つきだ!と、
自覚はどうあれ結果的に先人を謗るようなことを言っていると
武道から汲めるものが無くなっていくと思う。
例えば植芝開祖の武道は○△□で説明できる、という話も
謗るようなことを言う人はなーに言ってんだこいつで終わると思うわけ。
でもそうでない人はもう少しいろいろ汲むことができるかもしれない。
○△□は段取り的には□○△が分かり易く、植芝開祖にとっての□○△の内実は
□・・・北海道開拓のガテン系仕事など、体を強くする
○・・・起倒流や大東流など、体をほぐす
△・・・柳生心眼流など、速さを追求する
体を強くし、強くする副作用として硬くなった体をほぐし、
ほぐれた状態を厳密に守って速さを追求する、というのが植芝開祖の考える
武道全般のの上達過程だったかもしれない、とかね。○△□の順序は
□○△でも△□○でも□○○□△△○□△○でも構わないと個人的には思うけど。
合気会HPでは柳生心眼流は植芝開祖がたまたま修行したことがあるだけで
特に見どころはない、みたいな感じじゃない?そうなのかなーまーそれは置いといて
>>444のおじいちゃんなんてずーっと先人の悪口言いまくってて、
なーんも武道から汲めなくなっちまってんだから。心から悔い改めない限りそれは続く。
あんたもそうなりたいの?よく考えた方が良いと思うな 知ってる人は知ってるんだろうけど
昔>>444のおじいじいに植芝開祖は関節のカスを取る、
という話を教えてもらったのよ。この板で初めて知ったの。自分は。
それで段々この話は植芝開祖が大東流のどこに妙味を感じたかを示唆する
良い話なんじゃない?と思うようになったの。
大東流の惣角先生に技を掛けられて植芝開祖はすごく泣いたって話があって、
その後植芝開祖が何を感じたかというと、
あれ?俺のパフォーマンス上がってね?
惣角先生に技を掛けられてガテン系の仕事で強くなることと引き換えに
硬くなった体がほぐれて、俺のパフォーマンス上がってんじゃね?
ってことだったんじゃないかと思うわけよ。
○△□のうち○の妙味を大東流に感じた体験が>>444のおじいじいが話してた
植芝開祖は関節のカスを取ると言っていた、という話に表れていると。
おじいじいおじいじい言ってやってっけど
他の誰でもない>>444のお前が自分のことをジジイだ老人だ何かをするには
もう遅いと思ってんだろーー!!!
今の60歳ってまだまだ若いだるるるぉおう!!?
いろいろ知ってるのかもしれないけど>>444のお前が知ってることってお前が
自分の体をコツコツ動かしていかない限り十分には役に立ちませんからーー!!!
まー自分にも人徳がありませんからね。>>444を改心させるような人徳がね。 〇△□っていうとどうしても
大昔の漫画に出てきた架空武道、「神骨拳法」を思い出すなあ。
たしか△で受けて、〇で攻めて、□で固めるっていうコジツケ設定を当時は面白がっていたよ。
それ以外にも、その頃は珍しかった諸賞流や大東流っぽい古流柔術らしき技が出てきて、
それら影響されて合気道始めたってヤツもいたなあ。
おれもちょっとは合気道始める時に影響受けた。
合気道ではイクムスビ △ タルムスビ 〇 タマツメムスビ □
で気、流、柔、剛に対応してるんだっけ?
□が柔と剛?
それとも〇が流と柔? 砂泊かん秀
「転換法は今のスピード時代には意味が無い。突きは避けるだけで、捌く必要は無い訳です。
盛平先生は『どちらが速いかが問題だ』と言われました。パッとぶつかる速さでは無く、触れた瞬間に力を抜いて相手の中に入り一体となる。
完全に結んでしまうのです」
『植芝盛平と合気道』185p そのイクムスビ、タルムスビなる用語が神道用語であるなら神道に入門するか、かなり勉強しないと何のことかわからないでしょう。 >>451
植芝盛平は巨木を根っこごと動かしたとか大本のほうの師匠は1トンの石を片手で楽に転がしたとか
言ってる人だからな
たかい地位にある人達から評価されたひとなので弱かったなどと言うつもりはないが
何もかも鵜呑みにするのではなく現実的に考えるのも武道だと思うけど Standing on "AME NO UKIHASHI "9 おむすび会 20210612
https://www.youtube.com/watch?v=xBa_sJsggvY まあ体力、筋力はないよりはあるほうがいいに決まってる
近年は特に、齢をとるほど筋肉量の重要性が言われるようになった
確かに合気道では力任せの技はよくないとされることが多いけど
それと基礎体力は別の話だし もちろん柔道選手みたいなガチムチにする必要はないので
テニスとかバトミントン選手みたいな体力をつけたい 兵農一致で 農作業していれば自然についた筋力なんだろうけどな 農機具使わない畑仕事は現代人の体力ではきつすぎて毎日は出来ませんよ。
やればわかるけど小さい畑でもかなりへばります。 >>438
俵星玄蕃(時代劇の架空のキャラ)のエピソードだろそれ デブで有名だった西郷隆盛でさえ全速力で一里半くらい走れたそうなので当時から植芝盛平壮年時代の武道を考えてもしょうがないです。
長時間仕事に取られて走れても休みの日くらいでしょう。
道場稽古など時間は短いので行けば誰でも出来ますが。 西郷隆盛と植芝盛平とでは50年くらい時代がちがうので一緒にするのはどうかと思うが
それでもまあ生活様式の変化で150年くらい前の人とは体力筋力の比較ができないという点は同意。 >>466
上野にある西郷隆盛像は別人だって。
実際はもっと痩せてたそうな。
植芝盛平に弟がいた説って誰か知ってる? 合気ニュースから出ていたような本って
いまはあまり読まれていないのかな? >>470
なるほど。親英体道って植芝盛平の甥っ子だったんだ。
サンクス。 >>471
新しい人は読んでいないと思うよ。
大多数の人はそんな書籍があることも知らないし
知ったとしても読もうとしないと思う。
大型書店じゃないと取り扱っていないし、
合気ニュース社も、どう出版に変わってかなり経つから
今じゃKindle版でしか購入できない書籍も多い。
支部の人達にどんな合気道関係の本読んだ?って聞いても
何を読めばいいか分からないって人と、本部系の教本1、2冊だけ持っているって人ばっかりだった。 >>473
そうかー、だから色んな話が通じてないんだねえ。 教本っても吉祥丸道主の教範合気道の改訂版持っているけど見てもさっぱりわからない >>475
本部系と非本部系では足運びに差があるけれど、
個人的にはあの本は良書だと思うけどなあ・・
俺が持ってるのは元になった(?)「絵説合気道入門」の方だけど
運足図をこの本よりも詳しく細かく書いている本って無いんだよね。
流気図のある本も日本では見たことがない。
吉祥丸先生だけじゃなく、藤平先生とかの合気道観も盛り込まれているんじゃないかな?
あと、写真ではなく全てイラストってところが個人的には好み。
俺は本部系じゃないけど、初心者の頃、結構参考にさせてもらった。 >>476
本部と非本部というのがよくわからないけど
何年か前から本部も足捌きが変わってきいるのか
特に正面打ち入身投げが従来は受けた方の足が入身するのが今は逆の足から入身
これだとなんばにならないからちょっと無理がある 奥村繁信「大先生は戦前戦後で違います。私が初めて会った時はまだ55〜6歳でしたから力もあり余っていて、晩年の舞の様な動きでは無かったです。
書道と同じ、楷書・行書・草書と段々崩れて来た。後年は精神的に高みに行かれて動きが柔らかくなったのでしょう」
『開祖の横顔』182p 白田林二郎(昭和六年頃入門)「当時井上鑑昭さんはたまに御出でになりましたが稽古はしなかったね。
したんでしょうけど思い出はありません。ちょっと井上先生は植芝先生から離れておったみたいな感じで
『与一はもうしょうもないわ』という様な感じの存在であった様ですね」
『合気ニュース』62号9p 塩田剛三
「技が一度成功しても、相手の体格や力が違えば同じ方法では無理が生じる。状態の変化に応じ、こちらも相応しく変化して行くのが本当です。
先生が『覚えて忘れろ』と言うのは『前がこうだったから…』という拘りを捨て、全く新しい状況に対処する気で行けという事です」
『合気道修行』166p 動画から、482の男性と483の先生では比較するのも失礼なほど実力差があることが分かりますね 道場ようやく再開するみたいだけど毎年恒例の8月の長期休止はやるのか心配だ
今年になってから録に練習出来てないからやめてほしいのだけれど >>489
いなあ。
ウチは多分、このまま9月まで休止しそうな気がする。
マスク着用のまま35度環境で稽古はできないからなあ。 マスクは最低あと5年はしなければならないそうです。
理由は企業がマスク増産工場を建設したのでいきなり装着しなくていいにはならない。
武道も長期間マスク着用ならやっていられないと辞める人も出てきます。 わりと気温が低い今日@関東だけどマスク付けての稽古は辛い
先生が会員全員がワクチン接種したらマスク無しを考えているようだけど何時になるやら 大人は時間感覚が気長だから悠長だけど、 子供の場合はそうはいかないからね・・彼等は大変だよね
直ぐに、中学卒業、高校卒業 って節目が来ちゃうからね、 まともに取り組めない事にいつまでも関わっていても意味がないと
思ってしまっても仕方がない、、 俺むしろ一生マスク武道でいいんだけど
おっさんジジイの口臭減るし
ひげもある程度まで剃らんでいいし
稽古後のダラダラおしゃべりもなくなるし >>488
きみら生徒さんは師匠を過大評価しすぎだな
合気道なんて上手いか下手かしかない
それは武道の強さとは関係のないことだよ 藤平光一
「植芝先生は『リラックス』を体現した人だった。それだけで十分後世に残る価値がある。
一般に流布する500mを一瞬で駆けたとか大木を引き抜いたとか壁抜けをした等のいい加減な武勇伝は、殆ど出鱈目だ。
これでは先生の真の業績迄嘘になってしまう」
『氣の確立』15p Standing on ”AME NO UKIHASHI” 10 おむすび会 20210619
https://www.youtube.com/watch?v=mhg2k2gcqJ8 >>497
運動や身体の状態を表現する日本語は少ないね。
だからいろんな誤解や伝わらないものが流布する。
「力を抜く」と言うのも表現として誤解を生む。
リラックスと言うのはそれを表現しようとする一つの試みだね。 >>497
綾部で大木を根っこごと動かしたってのはインタビューのなかで自分で言ってたよ
拳銃弾の一斉射撃を避けたのは塩田剛三が自分の目で見てたとインタビューで答えた
壁抜けは武田惣角のエピソード DVDBOXだったか、背広姿の塩田先生が講義してる様子が収録されてある
末期癌で寝たきりだった植芝翁を屈強な若者4人が全力で抑え込んだところ、
若者が全員投げ飛ばされたとか、そんなこと喋ってる
塩田先生って、そういう人なんですよ お前にとってはそれでいいんじゃん。
日課の腕立て250回できるようにもならず
踵と親指付け根浮かして親指重心で動き回れるようにもならず
そういう人なんですよそういう人なんですよと口先で味わえる愉悦に一生溺れてれば。
お似合いだろうから >>501
長いこと合気道やってるとラポール体質になるんでほんとに技が掛かってるのか
自分で飛んでるのかわからなってくる
だから4人が飛ばされたっていうのはわかなくはない
それと拳銃を避けたってのは明らかに次元の異なる話だ 多田 宏
基本の足捌き、体の動き手捌き等は下丹田を中心として行い丁寧に身につけること。
基本の手順を覚え、稽古を重ねることによって、その動きの角が次第に取れ、動きが無理なくできるようになる。
その動きに「伸び」が出るようにするのが肝要。 マスク稽古って意味ないよな
受け身で転がってウイルスまき散らす
うちの道場は換気が悪いからどーしよーもねぇ
未だに参加してる連中の気が知れん 非接触稽古自体が意味ない というか普段稽古してるその稽古は それが合気道の稽古に必要な稽古だからやっている
何か別のものに置き換えられるものじゃない それをコロナだから、飛沫が飛ぶからと 他の何かに変えてしまったら
普段やってる稽古はやらなくていいのか? って話になる コロナ対策やってます!という方便の為、誤魔化しの稽古をやるならやらない方がマシ
やるならやれ 出来ないなら やるな それだけ ただ不思議と合気道クラスターって聞かないよな
柔道も空手も剣道も >>514
剣道は出てる
あの基地外じみた奇声上げて鍔迫り合いしてたら飛沫感染するわな 剣道は一番声出すもんな
空手柔道合気道も声出すが、剣道が一番声がでかい 剣道でぉメーンとか言ってるけどいちいち技名言う意味あるか?
「かめはめ波!」「ペガサス流星拳!」みたいなノリ?漫画かよ 攻撃性のリミッターを外すためにはいろいろ工夫がある。 >>517
昔の剣道はダメージがないと浅いと認められなかったらしい
現代のような映像でチェックすることも出来ず審判によっては
攻撃を見落とすことも多々あった。だから攻撃をアピールする必要があったと
開祖も攻撃が早すぎて審判に認めて貰えなかったと愚痴っていたそうだ Standing on ”AME NO UKIHASHI” 12 おむすび会 20210703
https://www.youtube.com/watch?v=pR_gRuh3_UQ 木村政彦先生と植芝盛平先生が戦う寸前に。
牛島辰熊先生が植芝先生に「私の一番強い弟子と立ち合ってもらえますか」と申し出たというエピソード 柔道でも基本的に大声ではないが技をかけるときには声を出す
そのほうが力が入ると科学的に証明されているし
特に捨身技の場合は審判が技として取ってくれない場合があるので
「ヤー」とか声を出すように指導される コロナ感染しても道場に通ってることは保健所に言わないよね
道場に対しても申告しない人もいるだろう Standing on ”AME NO UKIHASHI” 12 おむすび会 20210703
https://www.youtube.com/watch?v=pR_gRuh3_UQ 稽古再開してやっと有段者がボチボチ参加し始めて今日先生に
去年から延々になってた審査やるから参段の稽古しておくようにと言われたんだけど皆目見当がつかない 自分もぼちぼち審査受けるってとこにコロナ来たから
当分はブランクを取り戻す基本の稽古からだねー
試験はずっと先かも(泣) 合気道スレでたまに「宇宙と一体になることが〜」とか見かけますが
これってごくごく当たり前で、我々は意識せずとも普通に生きたるだけでこの状態ですよね?
我々の身体←食物(稲etc)から出来ている
稲←土(に含まれる栄養分)から生える
土←生物の排泄物(我々のウン○)や死骸その他諸々を栄養分にしている
我々は自然環境に生かされているのに、身体を境界線と勝手に認識して、自然環境と切り離して個に執着してる 一体となる、と表現しているけど
元々一体であることをわかるという意味。 宇宙と一体になってもボコボコに打たれてたら説得力がないだろう そりゃボコボコに打たれないための訓練をしなけりゃね。
格闘技なんかどうでしょう。 昇段審査受ける方は規定の日数はクリアしてらっしゃるのでしょうか
下駄履かせたり別の救済措置を設けたりということになると厳しい状況でもコツコツ通って基準クリアしている方との軋轢のようなものはありませんでしょうか >>539
規定日数クリアしていてもレベル低い人
していなくてもオーバークオリティの人
要は審査を見てる側が納得できればいいと思われますがウチは…指導者の好みで落としたり通したりしてるようにしか思われない節があります 型稽古しかない(畳水練の不具者しか生産出来ない現代合気道)の段位なんて何の意味があるんでしょうか マイクロプラスチックによる海洋汚染が懸念されてる昨今
ポリエステル製やナイロン製の衣料品からもマイクロプラスチックは発生しており、洗濯により河川海洋へ垂れ流されている。
将来的に魚類や海藻類など食べられなくなるだろう
日々の生活においても発生しており、目に見えないだけで微細ながらも肺など気管へ吸い込まれている
コロナにより不織布のマスクが必須となったが、不織布はポリエステルなどから出来ている >>541
> 型稽古しかない(畳水練の不具者しか生産出来ない現代合気道)の段位なんて何の意味があるんでしょうか
あぁ〜いるよね、こういう合気道を馬鹿にして溜飲を下げたいだけの奴。
1回だけマジレスすると、まず、あなた自身は型稽古をしたことがありますか?
もし無いなら型稽古にどのような意味があるのか理解すること、もしくは実感することはありません。
型稽古の動きの中には技を習得するのに必要な要点が詰め込まれています。
どこが要点なのかは自分で気づくこともあれば、指導者から学ぶこともあります。
試合形式では見落とされがちな所を型稽古ではじっくりと学ぶことができます。 >>540
そこまではっきり実力差があるなら問題は出ないと思いますが現実には規定満たす為にしっかり練習に参加されてるかたの方が修練が進んでらっしゃる場合の方が多いと思います
級や初段あたりまでは特に
勿論皆さん大人ですからコロナ過での今の状況は理解してらっしゃるとは思いますがしこりが残るようなことにならなければ良いなと思いまして >>543
学生は入試のために学校で授業を受けます
(=インプット)
予想問題集や過去問解いてどれくらい理解してるか、学期試験や模試でどれ位の実力があるか把握する
(=アウトプット)
これらの両方のトレーニングをして入試(いわゆる本番)に臨む。
武芸武術でいうと
型稽古で足捌き体捌き等その他技法を学ぶ
(=インプット)
室町以降の剣術で言うところの自由組み打ちや現代風に言えば乱取り稽古やスパーリング また試合などにも出て
どれくらい技法を使いこなせているか どれくらいの実力がついてるかを把握する
(=アウトプット)
でいつ起こるか解らない有事(厨二的表現になりますが実戦)に備える、有事にならないよう心掛けが一番大切ですが。
古来より日本の武芸武術はインプット+アウトプットの両方を行うのが本来の稽古法であり、
インプットのみで入学試験に臨むのは不十分なのと同じく 型稽古のみでは武芸武術を習得出来ないかと思います。 >>543
合気道は武芸武術を母体とした「武道」であるならば、
武力を行使する必要はありませんが、土台として実戦形式の稽古もしておくべきかと 合気道は「あえて」乱取や試合を稽古の体系に加えなかったわけで
それがやりたいなら並行して空手や柔道を学べばいいよ >>547
あえて「現代合」気道と言ってるんですが
>>547
君に言われるまでもなく、柔道や空手、剣術などで土台が出来てる人や併修してる人はいると思いますけど >>547
初期合気道(翁先生の頃)は他武道他武術を修めてきた者が合気道を修めるというのが当然だったのではないでしょうか >>547
大元の保護下で合気道を広めていた時期もありましたけど、
専科門下生ではなく、華族や文化人など、パトロンや宣伝目的で指導していたのでは? それで老若男女ができる精神武道でいられるならそうしたらいい。 お歳を召してから試合だの乱取り稽古をしろとは言いませんが(怪我もあるし逆に健康を損なうので)
若いうちは他武道格闘技でも良いから乱取りスパーはしといた方が良いかと
誤解を招かないよう、もう一度言いますが
『若いうちは』乱取りスパーなどある武道や格闘技はやっといた方が良いかと 合気道を習う前に他武道で乱取り稽古 スパーリングなど経験しておくのは推奨ですが
合気道しか経験したことのない者同士で乱取り稽古したところで
くだらない手首の極め合いになるだけかと
合気道探究の役に立たないと思います
S◯や覇◯がその典型かと そういう人達がね、畳水練の不具者(口先だけの妄想野郎)になるんですよ 何か一つの事を一生懸命やる事だよ 空手やっても半チク、柔道やっても半チク、合気道やっても半チクじゃ しょうがないだろう 現代合気道のような型稽古の経験しかないと
取りが手加減してくれていること
受けが技に掛かってくれていること
そんなことすら気付かない人間になっちゃいます 芽が出ないのは種だけではなく畑にも問題があると思いますよ IDNGにしてスッキリ
あの連投塩田孫スレのやつに似てたな 取りが手加減とか受けが掛かってくれてるとかちゃんとした型稽古やれば、そもそも出てこないんだよな
型稽古の段階に応じやるべきことをやるだけなのだから 最近の人って、
型(足捌き、フォーム)を覚える事よりも
技の掛け方を知りたいって人の方が多い傾向があるのかな? それは昔からだと思う
それに加えて今の人は腰高で足がバタ付く 合気道は合気道の技を学ぶのであって
つかみありの技や寝技をやりたければ柔道
打撃をやりたければ空手やボクシング
全部やりたいなら総合をやればいいし >>569
合気道にもつかみ技がありますし、当て身(打撃)もあるんですが…
そもそも、このスレの口先妄想野郎どもの言葉を借りれば「合気道は多対一も対武器も想定してる総合武術」なんでしたっけ? >>569
ではお尋ねしますけどあなたのおっしゃる合気道の技とやらを説明してください 槍術と柔術
剣術と柔術
セットで考えるとわかるかもしれないね。
敵の槍を素手で奪い取る、敵の剣を奪い取る技と考えるとわかるかもしれないね >>574
その方式だと先ず剣術や槍術を知らないと無理ですよね? そもそも剣術とか他を知らない人が増えすぎた
今の合気道やってる人でマトモに剣で斬ることが出来る人何人いる?
槍でちゃんと突ける人何人いる? この手の話の結論は
「目指したい方向があるならそれに向かって個人でやればいい」
以外にはないだろ。
武道とか武術とか格闘技とか戦闘術とか様々あるけど
技が成立する前提条件や得意不得意な状況とか対応可能な状況の限界は必ずある。
何か完璧なモノがあるかのように振る舞い、「君の稽古してるそれは違う」と指摘することにどれだけの意味がある?
他者の修行を間違っているかのように指摘している人は、何が「正しい」のかをまず語るべきだ。 杖道は昔は優れた剣の技を扱う受がいたけど今は消滅したので杖側の稽古の質が落ちてしまったという。
おそらく稽古の質は永久に改善しない。
杖の技を導く人がいなくなってしまったので。
合気道その他の武道でもいえる。
ボクシング等は優れたトレーナーが消滅してないので質は落ちないだろう。 高齢化社会だからステッキ術とかやればけっこう流行るかもしれんな
ヨーロッパには技術もある いま創始すればきっといちばん需要があるのは
ビニール傘護身術 >>579
少なくとも進まない事はない
自分はいくつか平行してやっているけど其々がお互いを活かす事ができてる
要はやる気とやり方次第です
ただ嫌がる指導者も居るからやるなら御内密に 素人のパンチも避けれないのに剣とか槍とか杖とかwww 素人のパンチってどこに飛んでくるか分からないから対応は難しい。
玄人の方が当たれば効くけど軌道がきれいな分だけ対応しやすい。 カクトーギやってる人はよく分からんだろうけど
通常の一般市民の住む世界では殴る蹴るの事態が発生するだけでアウトですから >>579
剣というより半身の構えからして槍術じゃないかな。
でも剣術はとても良いと思うな。 自分の経験からいえば、才能のある人間はどんどん上手くなって上へ行くし
才能のない人間は、何を横に広げて手を出しても ダメなものはダメという印象だな
またそういう人間ほど心揺れが大きくて、右に行ったり左に行ったり取り組み方が定まらない
ま最終的には他人の評価だよね、 上手い人は周りの人も評価してくれるし、人もついてくる
独り善がりな人間は、最終的にボッチになっちゃってるよね うん
いいじゃないのそれで
独り善がりなんでしょ?
ならなりたくて孤立してるんだからそれで正解じゃん 致命傷なのは独りよがりの指導者が増えたこと
何故先生と呼ばれるようになると自分を客観的に見る事が出来なくなるのだろう?
合気道に限った事ではないけど 合気道で学ぶ「失敗」と「あきらめ」の使い方:自分より大きなものを動かす方法について
https://note.com/matsurugi/n/nec4a1c2252f1 >>593
無駄に道場が増えちゃったからね。
道場を立ち上げる心意気は大変立派な事だと思うけど、
指導者の実力が伴っていないことがよくあるからなあ。
合気道の技の構造を理解して、
それに基づいた修得、上達の理論を持っている指導者って少ないと思う。
反対に、指導者としての実力があっても、個人の事情で道場を作ることが出来ない人も多いよ。 >>595
実力のある人は下手くそのことが理解できずに教えるのが下手だったり人嫌いで性格に難がある場合があるからね。
下手くそだが性格の良い指導者が好まれると思うな。
まあ基本的に武道の実力のある人って人から好かれるような性格はしていないと思うな。
そして教える能力もない。
人から好かれて教えるのが上手い人はほどほどの能力の人だと思うな。
下手じゃないと下手くその気持ちがわからないから教えられない。 >>596
ここ近年その下手くそが下手なまま有段者になって勘違いな指導を新人さんにするから困る
自分ができてないという自覚がない、若しくは袴着けたら俺偉い状態になるのか挙げ句の果ては変な自己流を教え始める
結果最近の審査を見てるとこの人上手い!と思える人が皆無になった 下手くそっていってもなぁ。上手いってなにかねということになる。 級の審査技については、とりあえず、規定の技を正確な動きで覚えていればいいと思う。
上手に相手に技をかけるところまでは要求しない。
下手クッソでもいいし、ましてや強くなくてもいい。
だけど、上手な技の掛け方の”パーツ”の一部を覚えているだけで、
正確な動き、型、を覚えていない人が結構いるんだよね。
不正確な動きを、なんとなく・・・ で身に付けちゃってると後々修正が難しくなる。
そういう人が先輩になって、新しく入ってきた人に教えると滅茶苦茶・・・・
後になって 基本技って何? とか 審査技って何を教えりゃいいの?
ってことになっちゃう。 転勤で道場変わりまくった俺からすると基本技とかいわれましてもという感じだなー >>600
その通り
だけど必ず正確な動きとは?とか言ってくる輩がいるよ
必ず 合気道に「正確な」動きは無いと思うぞ。
だいたい、相手になる人の身体は個性がバラバラで同じ動きでは対応しきれない。
大まかな流れは同じになるけど相手に合わせた調整が必要になる。
相手が変わっても同じ動き方で技ってかけられるの?
それができない俺が下手なだけか? >>603
それはある程度のレベルか指導者クラスの話でしょう
入門したての人に
自由にやってください、それが合気道です
とでも言うのかね? 非常に極端な事例なんだが、
ある有段者が初心者に入身投げを教えていたんだけど、
入身投げの足の運びを 入身 → 転換 でしなくちゃいけないのに
足をテキトーにザザザザって後ずさるような動きで教えていたんだな。
手の動きでしか技を認識出来ていない。
先生がそれに気付いて直ぐに教えるのを止めさせていた。
たまに、その程度の事を、先生の手本通りに「正確」に教えられない人がいるんだよね。
どうしてそうなっちゃったかというと
以前教えていた人が、技を創る段階の固い稽古を「意味がない」とすっとばして、
技を使う段階(と当時の指導者は思っている)の柔らかい円の動きの稽古を優先させた結果、
センスのある人しか上達出来なくて、上記の様なちょっと技の認識が残念な人は
何も身に付かない(でも審査は落とさない)ってことが起きちまった。
そのセンスがあるって人でも体捌きの理解が”不正確”だから、
転換と転回の区別がついていないとか、結構ある。 指導者クラスでも?な人が増えたから仕方ない
今のご時世運足をきっちり説明指導できる指導者何人いる? 運足って言うと
送り足、歩み足、継足 と勘違いする人がいるかもしれないから
入身、転換、転身とかを示す体捌きって呼んだ方が良くない? 吉祥丸
「出口王仁三郎師と入蒙した際、馬賊に襲われモーゼル銃を向けられたが
発射寸前白い光の走り来る気配が『よう見え』咄嗟に身をかわし敵の懐に飛び込み倒したという実談を開祖は好んで話した。
その様な武道の一瞬の『先』の閃きは、日露戦争に於ける実戦体験に遡れよう」
『植芝盛平伝』68p 飛んでる銃弾を避けたんじゃないよ
射手の気の起こりを読んで避けたんだよ。
弾丸は自分を向いて飛んでくるに決まってるのだし、
予備動作を見て取るくらいのことは格闘技の人でもやってるじゃない。 打つ瞬間の体の強張りを感じ取ってタイミング読んだ、とか考えることはできるっちゃできる 昔の銃は火薬が発火して発光してから弾丸が飛んだらしいから
銃が旧式だったから火薬が光ったとも考えられる んな即物的に考えるなよ。
射撃を避けられた、そのときの意識を後から他人にわかるように言葉を選んで喋ってるんだから。 中村天風とかの武勇伝もそんなだぞ
暴動鎮圧にいけといわれてさっさと赴いて
あいてのもっている牛刀を取り上げて手でシゴいて、「斬れねえじゃねーか」と
返却してからビビったところを取り押さえ、全員平服と
まるで男塾だ
気が狂ったかのような気迫のなせる業というのを、当時はよく語り継がれているのよね。ホントかウソか。
ある意味ホントだと思う方ですけど。 伝聞なんてのは聖書の中の伝説と同じようなもんだ モーゼが海を割ったというのと
開祖が銃弾の弾を避けた、ってのは性質的には全く一緒だよ 信仰を補強させる為の物語だよ
ま、一見荒唐無稽な伝承にも、痕跡が合ったりする事もあるから ばっさりと妄想とか創作とは言い切れない事もあるけどな 動画サイトで公開されている様々な道場の稽古風景を観ていると
今通っている道場に通えなくなる事態が起こったら合気道の稽古を辞めようかと思うね。
あまりにも技の型が違っている。
合気道を辞めて他の武道に乗り換えた方がこれまでの稽古の蓄積が活かせるような気がする。 616さん、それ以外にも合気道を見限ったみなさん
一度でいいので岩間に行ってみてください
そして出来たら本部で、難しいなら支部道場で稽古してみてください
その後もう一度合気道について考えてから決断していただきたいです >>616
これから先、どうなるか分からないからな。
道場を閉めるところだってあるだろう。
オレもそうなった時は、近隣の他道場へ移る気はないんだよね。
本部系、岩間系、養神館、その他普通の合気会系いろいろあるけど・・
突き詰めたい合気道の方向性が自分の中で決まっちゃったから、
もしそんなことになったら、出来れば自分で道場を立ち上げたい。
多分、支部の傘下道場が全て活動終了になることはないだろうから
大丈夫だと思うんだが・・ >>616
辞めてもいいんじゃない?
自分もキリのいいところで距離を置こうと思ってる 指導者の技に対する理解の仕方がバラバラすぎて困るんだよね。
今通っている道場の指導者の解釈・理解が絶対に正しいとは言わないが、
少なくとも自分自身はそれを納得している。
同じような理解・解釈をしている指導者の道場でないとお互いにギクシャクするだろうね。 合気会は公認道場でも明確な基準があるわけでもないし道場代表者に対しての認定試験もないし
こうやりなさいというマニュアルもないから道場毎同じ技を稽古しているのに違う
例えるなら合気会は同じ飲食チェーンのFCなのに店ごとに味が違う養老乃瀧とかラーメンショップで
逆に養神館はセントラルキッチンで調理された料理を温めて提供するファミレスと同じでどこで食べても同じ味
均一化が図られてる悪く言えば指導者の個性が出せない雇われ店長
どちらが良い悪いは置いといてこんな感じなのかなと 前者が正しいに決まってるじゃん 神社と一緒だよ 神社だって同じ祭神祀っていて
同じ系列の神社でも、地域によって祀り方が違っていたり、勧請している神様が違っていたり風習は様々だ
合気道は西洋の一神教宗教じゃないのだからそれでいい それが日本的カミサマとの関わり方というものだよ 初心者の指導はどのようにしてらっしゃいますか
合気道は技の掛け方が道場ごとどころか個人でも結構違いますよね
指導係一人たててその方基準でやるようなのがベストでしょうか
教える方によってまちまちですと混乱されますよね >>623
うちは普通に稽古に放り込んじゃうし相手変えるから体の転換が有段者になったと思えば
難しい応用技で初心者同士になるときもあるけどわからなくても稽古させる
そういう時は休憩時や稽古後に先生や有段者がフォローやアドバイスをするようにしてる
それにうちは初心者や白帯ができているのに受けない地蔵有段者や口合氣で稽古にならないようなのもいないから割と定着率が良い 岩間もなー。永遠に固い稽古で止まってるところとかあるからな。 >>621
なるほど
なかなか上手い例えで非常にわかりやすいです
>>622
正しい?のか? まあ相手に木刀を持たせて振らせてみて自分は素手で飛び込んで相手の木刀をもぎ取れるか
やってみたら正しいかどうかはすぐにわかるよ。 >>623
受身は最初は後ろ受身が出来ればいい。
武道未経験者に最初から前回り受身を教えて、初日はそればっかりでダメダシしてる有段者がいたからな。
俺が教えるようになってからはそういうのは止めさせた。
使うようになるのはもっと後、多分回転投げか呼吸投げを教える時だから焦らず覚えてけばいい。
体術は逆半身の四方投げを最初に教える。
まず剣の動きで単独動作を見せて、その動きを覚えてもらう。初心者は木剣もたなくても素手でOK。
次に、その動きのままで出来る四方投げを教える。その時後ろ受身の取り方も教える。
相半身だと手首をこねくり回しちゃうから剣の動きから乖離し易い。だから逆半身。
四方投げの表裏出来るようになったら、一教、次は入身投げ。
要は五級の審査技から順番に教えてるな。
転換はもっと慣れてから教える。最初に教えちゃうと上手く出来なくて絶望してる人が結構いる。
姿勢や足の運びを正確に覚えることを最優先。
動画でよくある技のコツをクドクド語ることはしない。円の動きや相手と気を合わせるなんてのは段とってからでいい。
でも実際は3級ぐらいから教えるんだけどね。
基本技はとにかく何度も繰り返して、各人の修得段階を意識し、稽古する技を選んでいる。 開祖は座り技をたくさん稽古させたというけど
座り技の稽古の利点は何だろう?足の指が鍛えられるのかね 座り技で稽古することの利点は、受けが後ろに逃げない。
若しくは受けの身体が明後日の方向に逃げない。
だから取りは技の稽古をしやすい。
また、稽古場所が狭くても稽古ができる。
自分の感覚では腕力に頼りそうになるのでその点を気を付けている。
座り技で下半身の強化ってできるの? 上体をねじらない動きが身につく利点が大きいと思うがなあ 去年コロナ流行初期に時短練習やってたのですが夏の間だけでも平日朝に1時間でやってほしいな
自宅勤務(テレワークでは無く自宅で開業)だと仕事と日常生活の区切りが付けづらく夏は特に個人的に暑さに弱い関係で生活サイクルガタガタになっちゃうんですよね
子供時代のラジオ体操代わりに朝合気道活動何てのが有れば生活にメリハリが付きそう 朝練は指導者が勤め人だと難しいですよね。
希望者がそれなりにいるなら自主練習の許可を得て行うのも有りだと思います。 >>628
転換軽視して体の転換の稽古をみっちりやらないから何時まで経っても合気道の技が出来ないんだよお前らは 素手から稽古するのもまず間違い
剣から始めるんだよ 武道に関してずぶの素人相手に剣の稽古から初めても意味が理解できずに戸惑うだけだとは想像できないのか?
合気道の理合いが剣に由来していることを説明しながら素手と剣を同時に稽古する。
素手の動きが剣でも表現できる(実際は逆だけど)ことを示すことができれば素人さんでも理解がしやすい。
素人が持っているイメージと違うことを説明も無しに教えてたって理解できずに早期退会につながるだけ。 >>637
説明もなしに、とか有利な条件を勝手に付け加える。そういうとこだぞ 入門して最初に杖、木刀素振りから入る合気会、養神の道場はないでしょう。
故齊藤さんの剣法は排斥の方向です。
齊藤さんの自宅横の通路を塞いでしまったし。
齊藤さんの死後に早急に動いてやることが凄いわ。
新興宗教団体活動のような感じ。 齊藤さんて不思議だよな 開祖のやり方のままをその通りやってるんだろうけど、不思議と開祖とはあまり似てないんだよな
逆に、熊野の引土さん辺りの方が見た目が開祖っぽいよな やっぱ体格が違うと同じ事やってても、同じように見えなくなるのかね・・・ 剣がわからない、体の転換が出来ない奴は一生合気道理解出来ないから
まあそれでもよくね?別にお前ら合気道理解する必要ねえだろ バット3本とか八角で素振りする一番の理由はパワーをつけるためじゃなく、全身でバランスよく動く感覚を身につけるため。
剣を使うことで腕だけに頼らない正面打ちや重心を崩さない転換が身につく、と考えている みなさんは、どんな合気剣の稽古をしてるんでしょう?
所謂、岩間系?
それとも別の大先生系の師範(多田先生、引土先生、白田先生etc)が編み出した(?)合気剣?
西尾流?
剣道や居合道の経験者が自分で考えたもの?
完全に我流? 剣という割にはまともに振れない(斬れない)人が大半だからなぁ
ましてや手の内なんて… 殆どの合気道家は柔道家に勝てないよね
オリンピック見てると凄く思うわ 殆どの弓道家は柔道家に勝てないよね
オリンピック見てると凄く思うわ 一流柔道家から合気道に移ってきた人ならワンチャン
そもそも一番伸びる時期の10代20代での練習料が桁違いでしょ
合気道なんて週一、多くても週3、4日
これで比べよう何て考えがおこがましいよ >>647
まあそうだよね。
でもね、若いうちだけなんだよ。ハードな筋トレ、乱取りなんて。
そして肉体的には強いけど精神的には育たない。
精神的な成長はハードな練習だけではできないからね。
それと武器ね。包丁一本持てば柔道なんて無力だよ。
闇討ち、毒殺、武器、銃、なんでもありだからね。
精神面の成長がとても価値があるということだよ。
まあ柔道選手の練習量は技の習得のためには見習うべきではあるが
精神面の鍛錬は嘉納治五郎先生も言っているが道場稽古以外で行わないといけないんだよね。 >>650
その道場稽古以外での精神面の育成が難しいんだよ。 勝負至上主義はむしろマイナスすらありうる
嘉納治五郎は賢かったから全て読んでた
あれだけ注意したのにそれでも(悪い意味での)スポーツ化は止められなかった >>646
剣道でもそうなのだから合気道では言うまでもないということですな
開祖や嘉納治五郎先生にしても賢かったのは事実だけどやるべき事をやった上での結果を出したからなぁ
今の人はやるべき事をやらずに結果や結論だけを求める人が増えた >>653
>今の人はやるべき事をやらずに結果や結論だけを求める人が増えた
これだけYouTubeやネット動画等で情報が得られる時代だから仕方ない
昔は実際に現地に赴いて手ほどきを受けるしか方法が無かった インスタント時代ですねぇ
これでは誰も本質に気づけません 自粛要請出ても時短とマスク着用で道場続けてくれないかなぁ
今年はずっと自粛でまともに道場に通えていない 個人道場は融通利きそうでいて、 世間体の事とかもあるから意外と慎重姿勢だよな
あそこの道場、あんなに人集めて! なんてご近所から思われたら困るだろうしな
でもだったら、有志で公営体育館なりを借りてやればいいんじゃねえの?
時短営業にはなってるかもしれないけど、開いてるだろ 8月2日から月末までってなってるけど今の感染状況じゃ延長確実だろうし2月、下手したら3ヶ月また道場閉鎖になるのか
ほんとに時短でいいからちょっとだけでも開けてくれないかな >>656
その通り
>>655
YouTubeやネットの問題じゃなく人の質でしょう
画像や動画を見て辿りつける境地程度なら誰も道場に通う必要もない >>661
あるけど柔道や剣道のように公になってないだけ 合気道程度の運動量ならやった方がむしろ健康増進にならないか よし!じゃあ剣杖やろう!
コロナで道場が閉まっちゃう→一人でできる剣と杖の稽古をする→岩間の技術が注目される→植芝盛平の残した本来の合気道が広まる→合気道家みんな嬉しい!!😆
もう乗るしかないぜぇ😎 また緊急事態宣言出るから体育館の休館や時短で稽古が休みになりそう 岩間系以外の武器技法もけっこうあるからなあ。
流石に全部知ってる人っていないだろうな。
スタンレー・プラニン氏なら全部”知って”いたかもね。 心身統一は剣と杖を白帯からやるよ。
黒帯からは杖投げとか剣取りもやる。 合気会でも型通り予定調和でやってる道場もあれば
術的なものに重点置いてる道場もある 少なくとも命がけの勝負を前提として技を身に付ける人はいないよね。
試合云々って話じゃないよ。
斬れる名刀を創るか、それとも模造刀か、オモチャの刀で満足できるかって意味ね。
そういう事を教えることが出来る人もいないし。
きちんと技を掛けようとすると「危ないからそういうのはやめろ」っていう人が必ずいる。
勿論、受けに斟酌しないで身体を壊すような掛け方をしちゃいけないけど
その辺の閾値のような感覚が物凄く甘くなってる気がする。
昔は大学合気道部員が主流だったのが、今では高齢の初心者が主流になちゃったことにも
原因があると思うんだけど・・
それに今時の人は、地味な繰り返し稽古で技を研ぎすますよりも
お手軽に”術”を覚えたいって人の方が多数派なんじゃないかなあ。 合気会には何十年もやって柔道中学生に技がかけられないようなのがゴロゴロしてるからなあ じゃああなたは1人で危険な技でも稽古すればいいんじゃないですかね
目に指入れて金玉潰してください 合気道はまあ武道体操だよね 実質 合気会としてもそういう感じで和合とか健康増進とかを
重視した試合の無い、皆で楽しむ武道体操をコンセプトに据えて 普及拡大を目指してる感じだしね
それで、今の時代一定程度の需要もあるのだからそれでいいと思うよ〜
ヘンに実戦格闘技とか乱暴な事やってると、タトゥーとか反社とかのイメージついちゃうしさw ただ長く通ってるって理由で段をやり過ぎ
そのせいで勘違いする奴が大勢いる >>679
皆さんの審査料登録料で成り立ってますの合気会
皆さんの視聴料で成り立ってますのNHKと同じ コロナでもみんな段位が上がっていく不思議を見られるかも知れない。 ファンタジーを追求するものなのでボブサップを投げられるという人も出てくる。
そりゃサップがパンチキックしてこないで立っていれば何か出来るでしょう。
発言者は親子でプロですから。
何か青少年をだましているような感じがしないでもない。 西野合気道は以前盛況だったが今はどうなんでしょう? 上半身の脱力を習得しないまま有段者になるって疑問に思う。
というか、よくその程度の実力で昇段審査を受けようと思ったよな。
上半身の脱力ができないのに技を習得しようとしても剛気合になるだけなのに。 合気会の段持ちは問題点が多過ぎる
問題箇所あげたらきりがない >>688
三段くらいまでは剛気道でいいと思う。
むしろ初段くらいで柔気道しか出来なかったらその方が問題。
見るに耐えない程の有段者がいるのは、本人の資質よりも指導者側に問題がある。
「君はまだ受けるな」と言えないような先生と回りの道場生が悪い。 何段とかじゃなくて白帯からちゃんとやれや
合気道は元々素人がやれる武道じゃ無かったんだが 武道素人が素人のまま黒帯になってまたそれを素人に教えるって悪循環を繰り返してるのが一般的な合気会
何をやったら駄目で良いのか悪いのかが全くわかってない 柔道の段を持ってないと入門できないようにすればいい この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>694
> 柔道の段を持ってないと入門できないようにすればいい
今のスピード&パワーで相手を組み伏せるレスリングもどきなんて稽古したら
力ずくの身体の使い方しかできなくなる。
馬鹿も休み休み言えって。 >>696
>>力ずくの身体の使い方しかできなくなる。
お前レスリングも柔道もやった事無いだろ
何かしらの武道か格闘技やり込んでから合気道やれって感じ 寧ろ合気道しかやってない奴が力ずくでしか出来ない奴のが圧倒的に多いんだよなあ いいんじゃない?自分はダメではないと思うよ
富木先生のとことかそんな感じだし
ただし間違いなく裾野は狭まるよね
そのまま柔道やる人が半分転向めんどくさくて辞めちゃうのが半分ってとこか?
こうして講道館が儲かって合気会は潰れちゃいましたとさ 自分は武道体操でいいと思うな。
古流のように妄想殺人術をありがたがる必要もないし
軍格みたいに行きもしない戦場を想定する必要もない
総格のように馬乗りタコ殴りもない。B柔はちょっとやってみたいけど。
所詮は平和な日本に住んでて本業は別にあって道場通いの練習生じゃん。
柔道が強いのは弱い人は淘汰されて追い出されてるからで、
合気道にそういう人がいても他人がとやかくいうことでもない。 強くなる気が無い奴や才覚が無いのが出鱈目な事教えてるのは害悪でしかない
その手の奴に限って偉そうだし 武道体操って何だ?
体操やりたいなら体操やれや
形骸化したものは武道では無い 会員集めの為にクソ素人にも門戸開いてからこう言う勘違い馬鹿が大量にのさばるようになった
武道って事考えろや
柔道なり剣道なり最低限は武道をやってるし程が別の仕事を持った専業で無い人間だ 自分が運営している道場や団体で
門下生が自分に内緒で自分の意向と違う勝手なことを教えてたら腹も立つだろうが、
自分も一門下生でしかないなら他人の振る舞いなど余計なお世話だろう。
師範の運営に委ねればいいだけ。教わる方だってバカじゃなければ
いろんな人から教わって、妄想には社交辞令で話を合わせて、
取捨選択して身につけていくだろう。 何十年もやって雑魚ばっかなのは何でだろうねえ
素人のパンチが捌けないし柔道中学生に技がかからないようなのばっかり >>650
ろくにカラダを鍛えることもしないで何が精神的に〜なんだか
怠け者の分際で外に向かって偉そうに口だけ講釈並べてるアイキドー屋のクズみたいな言い訳精神がお前らの言う精神的に育つことなのかw >>706
あなたの思ってる合気道は正しいの?
もしかして道主ですか? 新宿の本部道場行っても「クセすごい人いるなぁ」とはなれど「うまくなったな俺」とはならない不思議 高校大学の柔道強豪校部員を倒せるのは通いの門下生ではなかなかいないでしょうね。
あくまで本業がある傍ら稽古なのでそれ以上にならない。 なんで柔道家を倒す必要あるのん?
それよりも柔道家にもっと強くなってもらうのが合気道の仕事でないのん? 柔道家に合気道やってる奴が何を教えるんだ?w
強くなる方法を知らないのにw 合気会で合気道を体現してたの翁先生と先代道主くらいで大半はコスプレだよ なるほど、このやり取りが「群盲象を評す」ってやつか。 良いじゃん、合気道は一生理解出来なくて単なるお布施要員でコスプレして気分だけ味合うってのも 自己満タコ踊りやってる分には別に好きにしたら良いんだけど、他の競技や武道に上から目線やめろよってこった。
タコ踊りの分際で。 朝倉未来も塩田孫合気道と石井ジークンドーとではリアクション全然違ったからね ウェイトやってもなかなか筋肉つかないんだよなあ
柔道の人とかどうやってるんだろ。 トレーニングの方法も合気道やってるのは知らないからな 裾野を広げる活動と頂点を上げる活動は分けて考えるべきだろう。 合気道の問題の一つに植芝盛平、塩田剛三は相撲、空手、柔道などにも通用した話が大々的に広まってそれ以降の弟子が相撲取り、空手、柔道に向かい合えば弱くて何も出来ないこと。
稽古法が間違っていて手首取りの型を稽古しても相撲柔道レスリングが本気で来たり空手が倒しに来るのとは違う。
いくら稽古しても突き蹴り対処組うち対処は出来るようにならないからSAハテンなどが出来た。 藤平さんのグラップリング動画見れば一目瞭然でしょう
十分捌けてる って評価するヤツもいるけど
所詮相手も雑魚みたいな感じだし、雑魚相手の本気でなんとかもがいて やっとこさ抑え倒せてるとはいっても
もっときちんとした格闘技学んでる人相手だったら たぶんこれじゃ無理だろうな・・・て思うよな 最高段位でもそんなもんなんだからさ 藤平って合気道しかやってないんだろ
合気道ってのは色んな武道武術を経験してからやるもんだ そういう強い人が仮に入ってきてもあきれてやめていくと思うよ
このスレだけでも身の程知らずの人多いよね
週一の練習で他流派の猛者や圧倒的に体力・体格に勝るアスリート投げれると思ってるような人
強い人が入ってきたらその手の馬鹿どもは無理やり技掛けようとして無茶なことをする >>731
正解なんだろけど今のご時世それを言うと時間が無いだの必要無いだの今の合気道には必要ないだの言い訳大会になるだろうね
>>732
ウチは指導者からしてそんな感じ
他の武道とは違うと言いながら他を全く知らない くだらね
俺は合気道が好きなんだよ
なんでわざわざ他のやんなきゃいけないんだ 単純に考えて攻撃側が手刀主体で、顔を連続突き、顔、腹の連続突き、そこから蹴り、などを受がやらなければそれに対して体が動かないから。
元の流派が古武道で刀の切りをさばく武道という観点で稽古するしかなくなる。
他は刃物相手の護身武道として。
女性など現行の稽古で刃物はさばけるようにならない。
男性がさばけるようになる可能性がわずかにあるくらい。
週に一回くらい刃物を模したものを使って稽古しても技が完成しなくて無理。 ○○に対応できないって話、全ての事象や相手に対応可能な武術や格闘技ってあるのか?
対応できる範囲なんて個人の能力によるところがほとんどだろう。 合気道は何かに対応できないんじゃない。何にも対応できないの。
アイキドーの猛者さんは黙って自分たちだけで妄想に閉じこもってればいいの。他の武道や競技にちょっかいさえかけなければ気にも止めまい。 空手や柔道の話をすると、合気道はいつも武器の話にすり替える この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>743
> 合気道は何かに対応できないんじゃない。何にも対応できないの。
おいおい、自分が何も対応できないからって他の人まで巻き込むなよ。
要はお前が合気道の稽古をしても何も習得できなかったことの逆恨みだろ。
お前の実力と他人の実力を一緒にしないでもらいたいね。 武道という立場で話すからややこしくなるんじゃないの?
健康体操です
関節柔軟に効きます
とか語って大人しくしてたら誰も噛み付いてこないだろうし其方の価値観や世界観でどうぞて事になるだろうに 日本では私闘が法律で禁じられている 競技として試合がある訳でもない
結果的に覚えた事を発揮する場所がなければ やってる事に直接的な意味はないという事になる
間接的にこういう事に活かせる、運動不足解消になるとか、子供の思いやりの心を育てるとか、 まあそんな感じの目的になっちゃうよね
後はもう武道風社交ダンスだよな 特に最近の華法に流れた演武を見てるとそんな感じだよね プロレスラーみたいに技術無いだろw
技術レベルもシバター以下 >>750
お前のレベルと一緒にするな。
プロレスに技術が無いって言っている時点でレベルがお察しだけどな。 >>747
そうすると「武道」の定義から始めないと話にならないのは分かっているか?
まともな「議論」をしたいのならまずは言葉の意味を定義して、共通認識とする。
俺としてはそういう方向で進めてもらいたい。 プロレスラーみたいに技術無い=合気道やってる奴にプロレスラーみたいな技術は持ってない
>>749に対してのレスだ
理解できるか?合気道やってると小学生レベルの日本語もわからなくなるのか? 打撃 わからない、知らない、やろうともしない
投げ わからない、知らない、合気道のぬるま湯練習で出来てる気分になってるだけ
極め わからない、知らない、合気道のぬるま湯練習で出来てる気分になってるだけ
それで武器がどうかというとわからない、知らない、合気道のぬるま湯練習で出来てる気分になってるだけ >>752
武道は、武士道の伝統に由来する日本で体系化された武技の修錬による心技一如の運動文化で、心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う、人間形成の道であり、柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道の総称を言う。
日本武道館より
らしいけどあなたの言う武道の定義とは? 打撃怖い怖い関節痛い痛い、偉い先生相手には演技します、下の物にはパワハラマウントかけます
強い相手からは逃げます
これが合気道の精神らしいよ 合気道道着に包まれている肉体は打撃に耐えられるように出来ていない。
攻撃は刃物なので鍛える必要がないという。
かといって、ランダムな打撃、刀の切りに対して動ける達人は消滅。
戦前合気道は個人で鍛えた人も多かったが
大衆に普及させる目的で厳しいトレーニングは行われなくなった。
突きが腹に当たれば前のめりに倒れるガラスのボディが合気道。
すね、手、前腕も鍛えられてないので衝撃に弱い体が特徴。
交通事故で大怪我を負わなくなるという昔からの宣伝も門下生が必ずそうなる保証がない。
護身目的も使えるようになるか不明。
コンビネーションパンチはかわせるようにならないのであまり実用的ではない。
本気で倒す気でしがみつかれたり足にタックルされても
週1から週3稽古ではほぼ対処は無理。
戦前のように稽古をやらないと見込みがない武道。 空手で肘から手までを何十年鍛えまくった人の手刀、腕刀が当たれば合気道では骨、筋肉を痛めてしまう。
予告されない突き、木刀打ち、手刀打ちを見切ったりした塩田のような合気道家も消滅。
今後は合気道達人は半永久的に出現しない。
敵の攻撃を何とかしようと稽古努力を重ねても徒労に終わる武道。
敵と一つになる無力にするというのも不可能で、あくまで対立に終わるのが合気道。 合気道を貶めても貶めても
親の遺産にただただウジムシパラサイトした60歳 なーむー 中国武術を貶めても貶めても
親の遺産にただただウジムシパラサイトした60歳 なーむー >>763
それどの武道でも一緒じゃね
もう現れる必要がないんでしょ >>763
ウジムシパラサイトジジイ60歳の人生が何の価値もない無意味なゴミクズであることと
何の関係があるの? 合気道の稽古は形ではない。
植芝盛平先生独特の修練によって磨き上げられた「気の流れの練磨」という、技に生命を吹き込んだ「積極的な打ち込み稽古」とも言うべき稽古法である。
多田 宏 気というのは実体の無い概念です 概念をさも当たり前のようにあるかのように扱うのは
ただの宗教だと思います そう、合気道家は当然のように気という言葉を常用し過ぎる
少なくとも、公益財団法人として公益の中で活動する団体が常用していい言葉ではないと思う 最初から気とか言うからおかしな輩が増えたんだよ
ていうか教え方が下手な高段者が増えすぎ
常に自分の技に疑問を持って受けに忖度させてないか気をつけてる高段者は何人いる?
視野を広く持ち他を学び初心者の言動に常に気をつけ自分の技法に溺れることなく研鑽を続ける
その姿を後進に見せる事が本当の指導だと思う 達人気取りの馬鹿が指導員になるから下手糞を量産するんだよ 入り身投げなどが実際の戦いでかかって頭から落として殺せるという指導者もいる。
生徒が話聞いて凄いと持ち上げる。
指導者と実用の話をしている生徒を見ていると頭が痛くなるような生徒しかいない。
それが新宿若松町にある元締め道場だもの。 ググれば見つかると思うけど、過去に入身投げの間違った稽古で悲しい事故が起きたことはある。 そういう事故で大学の合気道部が無くなったりもしてるんだよね >>773
うちの先生は元大東流だから入身投げで投げずに首取って膝に乗せて水月に当身って言う
もちろん合気会の形準じた稽古をやった上で有段者にしか言わない この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>776
別に大東流でなくてもやってるとこあるけどねえ?それは?
むしろそちらが原型と合気道の道場で教わったが。 合気会はいろいろなスタイルの集合体だからねえ。入り身投げひとつ取ってもいろいろな考え方が存在してるし。
どれが正解とも言えない世界ではある。
まあ、道主のやることが一番権威があるのだろうから、その意味では大東流ポイ技には合気道として否定的かもね? 正しくは
技については他の大先生直弟子師範と同等レベルを超える”権威”は無いけど
組織のトップとしてのは全然権威は無い >>784
誤爆した
組織のトップとしてのは全然権威は無い 誤
組織のトップとしての権威はある。 正 今の合気会道主の合気道は開祖というよりは、吉祥丸2代の合気道だからな 開祖とはやり方違うよね
もっというと入身投げなんか吉祥丸さんとも違うよな 吉祥丸さんはけっこう間空けてくというか・・当身も下から当ててくタイプだし この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
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https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 誰誰の技はあーだこーだ言ってもさ、結局のところ
自分が納得できる技を磨いてい良くしかないんだろうね。 >>790
そうだね。
その結果として合気会には多様なスタイルが存在し、本部は「規範合気道」を出版して「あるべき姿はこれ」と示してるワケだ。
よほどの時間掛けないとまとまらんだろうなあ。 規範合気道に基づいた技をやったら怒られたけどどうしたらいい? >>792
どこでやったのか書かないと何とも言えない その場の指導責任者が言ってるのと違うことをしたらそりゃ叱られるだろう。 知らないけど大東流だけでは入門者が少なくて金が入らないから合気道も道場で教えているんだろうね。
元大東流の指導者は。
人生なんでも先にたつのはお金なので。 >>792に対しては>>794に同意。
これが合気会の良い点でもあり、悪い点でもあると思うな。
転勤や旅行でいろいろな地域の道場を見せてもらったが。全く同じ…てところは無かったな。本部ですら指導者により技が違う。
「規範合気道」で予習してきて、道場に入門して稽古してみたら技が違った…なんてのも時々聞く話。
熱心な人ほど予習してくるから、他人事ながら見てて気の毒。
良い点としては同じ会員証のもと、いろいろな道場で学ぶことが出来る、てとこだと思う。
生徒が断りなく他の道場に学びに行くと先生が困っちゃうけど。 吉祥丸先生の立派だったのは、合気道は植芝翁のものであって、自分は象徴としての道主であるという立場を貫いたことだと思う。
だから、翁先生の高弟の先生方も、反発することなく若先生と呼んで慕っていた。
また、養神館や心身統一も全て合気道であり一つのものだとして、破門するようなことがなかったのも流石だ。
それによって、全ては合気会に含まれる、という無言の宣言になっていた。 >>798
植芝盛平翁の流れをひとつに纏めようとされてたのは立派だと思います。
開祖の原則公開禁止の考えを立てつつ、世間一般に広められるように技を改変して世界中に広げた功績、その功罪は批評する人による…てとこでしょうか?
結果的に合気会は、植芝家を支持して合気会の繁栄を願うことが共通点の、多系統の合気道家の集合体になったように思います。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 藤平さんは15歳で柔道黒帯、
丸山さんはプロレス経験者 本物??
第一条、二条は一教の左右っぽい。
第十五条は半身半立ち両手取り四方投げ?
上段が受けで下段が仕手の動きかな?そうじゃなさそうな動きもあるね。
巻物の最後は武田惣角先生の門人である植芝先生が那須某彌廣さんに印可したってこと? >>802にある巻物、珍しいと言えば珍しいけど、開祖は大東流の教授代理してたので「ここまで教えましたよ」て意味で巻物出しててもおかしくはないでしょ。
昭和6年くらいに望月稔氏が合気柔術秘伝ナンタラとか言う巻物もらってるらしいし。
昭和17年(だったかな?)に平井稔氏が皇武会(後の合気会)から武徳会へ出向く際に、武徳会から「段位は?教士なのか範士なのか?」とか問われて、実力が真ん中辺りだから、こんなものかな…てな理由で四段にした、てな話があり。その頃の皇武会にはまともに段位制度がなく、けっこういい加減だったのよね。
合気会が段位制度を正式に決めたのは昭和38年のことらしい。
その巻物にわざわざ反応する理由がよく解らないな。 偽物じゃねーの?って言ってるだけだろ。コミュ症かよw やけに紙も印字もきれいだしな 最近作られたものみたいにみえる たしかに大正時代のモノにしてはやたらとキレイではあるなあ。
出展者はこのての古い文書ばかり出してるけど、入手ルートはどうなってるんだろ?
どうでもいいけど16万出して欲しいとは思わんな。好事家ってのが買うんだろうか? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 自分で取った訳じゃない免状を大枚はたいて買うつもりは毛頭ないけど、
巻物って存在感があって、努力の結果授けられるなら嬉しいかも・・
秘伝の巻物って子供の頃は憧れのアイテムだったからな。
今の免状は、五段で観音開きの免状、六段以上で桐の箱入。
高い登録料取るんだから、どうせなら技の目録とかが書かれた巻物貰いたいなあ。 武道というのは技と体だから。
技の稽古もいいけど並行して筋トレをしないといけない。
パワースピードスタミナで劣っていると技はかからない。
体力的に同等の相手とだけ技の戦いになる。
しかし競争で勝つための筋トレは厳しいから嫌われる。
厳しい筋トレを課したら誰も合気道をやらなくなるだろうね。 じゃあ、今の貧弱なパワーとスタミナで勝てる相手だけ相手にするからええわ その方が手っ取り早いw >>812
斎藤守弘先生が武器技で巻物出してたらしいね。
合気会側がご子息に、それをやめないなら出ていけ…て言ったのが、岩間が分裂した直接の原因と聞いたな。
西尾先生や針すなお先生のとことかどうしてるんだろう? 体の杖は合気道の体術から自分が考案したものだと経緯を明らかにしてるからいいんじゃないか。 >>815
西尾先生は刀法の免状を出していたよ。
お亡くなりになってからは、後進の方達が刀法限定で別の組織を立ち上げて、そこで免状を出してるところもある。
別の組織って言っても、合気会西尾派所属の人が合気道の稽古時間内に刀法の時間枠を取って稽古しているだけ。
西尾派全体で足並み揃えているわけじゃないみたい。
刀法は稽古してるけど免状は出せなくなったってところも多いんじゃないかな?
但し、本部から合気刀法を名乗る事は禁じらた。だから単に刀法とか西尾刀法とかの名称にしてる。
合気刀法って名称だと海外から、本部道場なら教えてもらえると勘違いして来る人がいるって聞いた。 >>815
やめないならでていけ、ではなくて
岩間側から「武器技の免状ださせてくれ」が
先でしょう。
こんなの合気会が飲めるわけない。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>816
針先生のは「体の杖」て名前なのか。それなら問題無いかもね。
>>817
うーん、やっぱりそうなるか。
本部は「素手の稽古をとおして合気道の理に精通すれば、剣を持てば合気剣に、杖を持てば合気杖になる」て考え方らしいから。武器技の稽古を否定はしないけど、必須とは考えない…みたいなんだよね。
>>818
上述の理由で、本部が許すわけおまへんがな。
聞いた話だと斎藤守弘先生が巻物だとか出したのは武器技の保存が目的だったようで。本部の方向性とは異なるんだよな。 >>素手の稽古をとおして合気道の理に精通すれば、剣を持てば合気剣に、杖を持てば合気杖になる
ならねえよw >>821
俺もそう思う。
結局は自分で研究するしかない、てこったね。 実際に稽古を継続していってならないものをなるように信じたり思うのは宗教です。
構造が瓜二つです。 >>821
正解
先人達の足跡を辿ればわかると思うんだけど今はまず結論ありきで教えるからおかしな事になるんだよ 先代の吉祥丸先生はご自分の合気剣を使っていらっしゃったけど、
本部の誰もそれを受け継いでいないのが不思議。
本部道場長の大澤先生(没後十段)が、木剣を振っていたら、
大先生からそんなことはするなと言われたって本に書いてあった。
それでかな??
昔、地方で吉祥丸先生の講習会に参加する機会があったんだけど、
その時、本部道場から一緒に来てくれた指導員?らしき人を相手に、剣の理合で技の説明をしようとしたら
その人、剣の受けがさっぱり出来なくて、グダグダになっていた。
吉祥丸先生は「教えていないからなあ(しょうがない)」みたいなことを仰っていたけど・・
超天才ならともかく、凡人には教えなくちゃできないよね。
俺の勝手な憶測だけど吉祥丸先生は本当は合気剣も教えたかったんじゃないかな?
どうだろう? 針すなおさんは、多田先生に杖を教わっておいて、勝手に飛び出したようなものだからなあ。 >>825
>俺の勝手な憶測だけど吉祥丸先生は本当は合気剣も教えたかったんじゃないかな?
>どうだろう?
吉祥丸先生は、本格的に合気道やる前に剣道習ってたんだよね。
開祖のお弟子さんに剣道家も居てて、その方たちに習ったらしい。どこかでその人たちとの記念写真みたいなのを見たことがある。
斎藤先生が残そうとした合気剣は、開祖が東京を離れて岩間に住んでから作り上げたものと言われているのだけど、成立時期が俺にはよく解らない。吉祥丸先生が岩間で開祖と剣の稽古をする写真が残っているが、そこで学んだものが斎藤先生と同じかは解らない。
開祖から「本部道場で剣を教えても良い」という許可を得たのは斎藤守弘先生ただひとり…て話があるが、それが本当なら吉祥丸先生のはどうだったんだ?て素朴な疑問が湧く。
あくまでも想像だが、吉祥丸先生は、合気道普及を優先させる過程で武器技を履修項目から外したんじゃないかな?
開祖の岩間の剣はよく解らない、開祖との矛盾を訊かれたとしたら充分な回答は返せないだろうし、更には生徒にお金を掛けさせ、時間も取らせ。練習で怪我でもされたら困りもの…とか考えたのではないか?と推測。
伝え、広めたいのは合気道の精神性であって、開祖の全てではなかったろうし。 >>826
え、そうなの?
杖道も習ってて、その杖に合気道の発想から言えばああできるこうできる…て創作し纏めたものだと思ってたよ。 >>生徒にお金を掛けさせ、時間も取らせ。練習で怪我でもされたら困りもの
多分これが正解だと思うよ
すぐ出来るようになったら困るから 開祖や吉祥丸先生は少数を習熟させるより大人数に広める戦略でいったんでしょ >>831
>開祖や吉祥丸先生は少数を習熟させるより大人数に広める戦略でいったんでしょ
開祖はどうかなあ?
あまり広めたがる人じゃなかったような。少なくとも戦前の著書(非売品)とか見ると、秘密主義なのか技を広めることを嫌ってる。
練習上の心得として、悪用を恐れるため他人に見せるな…みたいなことを書いてるし、「真の武は 筆にも口にもすべからず ことふりすれば神は許さじ」てな言葉まで出てくるしね。
二代道主は、戦後に「日本の素晴らしさを世界に知らしめたい」てな思いで合気道の公開を決めたようだから、広める気まんまんだったけど。 開祖も未熟な指導者を全国に派遣してるから広める事を優先したと思うけどね、晩年は >>833
開祖が晩年にやってたことはなんとも言えんね。俺としては。
一応というか建前というか表向きというか、昭和17年に開祖が岩間に引っ越した理由は隠居なんよな。
後は息子に任せた、と。
で、任された息子さんは合気道公開に踏み出す。正式に踏み出したのは昭和38年。
任された息子さん…吉祥丸先生は、原則公開禁止の方針を打ち出してた開祖に対し、公開することを報告するのだが。
激しく怒られることを覚悟(開祖は怒るとめっちゃブチキレるらしい)していたが、怒りに顔を真っ赤に染めながらも「…お前に任せたのだから、お前の好きにするが良い」てなことを言ったらしい。この辺りは吉祥丸先生の著書に書いてあり、親の情と感じたそうな。
一度認めた以上は息子に協力して、それっぽい動きをしてたように俺は思うのだけどねえ?
晩年の開祖の近くに居た人たちに聞いた話と、一般に広まってる開祖の姿ってちょっと違うように思うんだよね。 開祖のやってる合気道と合気会とかで広まってる合気道は別物だしw 戦前は武道は社会的に認められていてパトロンがついたから少数精鋭主義でもやっていけたが
戦後は武道禁止になってパトロンがいなくなり大衆に普及していかないといけなくなった
のではないかな?
武器と素手については戦場で素手で戦うわけがなく槍や刀を使う。
その槍や刀の体捌きを素手に応用するというのが自然だろう。 私は合気道は半身の構えから槍術だと思う。
敵の槍の突きを避けてつかみもぎ取る練習というのがとても良い稽古になると思うね。
敵の剣による斬撃を避けて手首をつかみ剣をもぎ取る練習も良いだろうね。 >>836
>戦後は武道禁止になってパトロンがいなくなり大衆に普及していかないといけなくなった
>のではないかな?
開祖を、現代の我々の常識に照らして考えるのはどうかな?
現在の凡百な我々と違い、開祖は豪農の一人息子で、お金にはそんなに困らなかった…穏やかに暮らしてれば、けっこう裕福な生活が出来たろう。
若さゆえの大望を持って大阪で大商人を目指したり、身体壊して宗教と鍛練にハマったり、軍隊に入ったり、親に除隊されてからも北海道の開拓者になったり、宗教家の警護で中国に渡り現地で戦ったり…と、波乱万丈。
彼の武道修行の道はまさに命懸け。それを飯の種にしようとも思ってなかったのではないかな?
まあ、武道関連で財産を食い潰し始めたので、財産管理は奥さんに移ったらしいが。 >>839
いちいち合気道で学ぶような事じゃないんだよね
入る前に知っとけと この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 非接触稽古限定中は、初心者に剣と杖の型ばっかり教えていた。
はやく稽古再開したい。 剣とか杖だとかってのはその理合面でどうとかっていうより、
単に、記紀神話に由来するものとして重視されてるだけで、そこを特に考えないのであれば
合気道だから、特別に剣とか杖が重要という訳じゃないよ
合気道に通じるという意味では、剣が包丁に変わろうと、野球のバットに変わろうと同じ事
なにか道具に頼るというよりは、やはり基本は自分の身一つだからね 非接触稽古限定でもいいから道場再開してほしいよ
新聞じゃ今回の自粛要請は解除の目処が立たないみたいに書いてる 一応、岩間の合気剣と合気杖を体験程度に練習したことがある。
素手の技ほど器用に動けない分、武器技の方が術理が解りやすいと思うな。
ただし、岩間の武器技が100%素手に変換されるワケじゃないらしい。
西尾刀法は全て体術に繋がるのかな?一度学んでみたいものだけど、どこで学べば良いのだろう? このスレに書き込んでるのは個人の解釈の差はあれど、そこそこ分かってる人が多そうだから、
けっこう高い割合で剣杖を出来る人が居ると思うよ。
どんな合気剣(岩間系、西尾系、その他先生系、自己流)かは分からないけど。
今のコロナ禍で、非接触稽古なんか剣杖できなくちゃやってられない。
だから剣杖やらない道場は稽古再開しないって所もあるんじゃないかな? >>847
うちの道場は剣と杖の審査が普通にあるよ ウチは
二段 太刀取と組太刀
参段 上記+杖取と剣と杖の組杖
四段 上記おさらい 西尾さんの刀法は自身が稽古をした英信流居合の要素も入っているという。
当時の東京で稽古した弟子は英信流居合、夢想流杖術を習った人も多かった。
合気道では武器術がいまいちわからないので習った流れの関係。 剣=正面、横面打ち
杖=片手、両手取り
これが理解できていたら非接触でも稽古できるはずなんだけどね >>848
> 西尾刀法は全て体術に繋がるのかな?一度学んでみたいものだけど、どこで学べば良いのだろう?
15本の内、最初の一本目と最後の15本目以外は体術と剣対剣、剣対杖の型に繋がってる。
ちなみに刀法と体術の関係は以下の通り。
初発刀 なし
受け流し 一 教
後ろ切り 回転投げ
前後切り 相半身四方投げ
左右切り 逆半身四方投げ
柄押え 逆半身片手取り二教
手首押え 相半身片手取り二教
かわし突き 突き三教
付け込み 突き小手返し
詰 め 入身投げ
三 方 三 教
四 方 正面打ち・横面打ち 四方投げ
抜き合わせ 五 教
とどめ 四 教
据 物 なし
上記はデンマークでの講習会動画がようつべでアップされており結構詳しく説明している。
刀法に含まれていない体術も例外はあるが、その多くが剣対剣(組太刀)、剣対杖の型に繋がってる。
岩間系とかの普通の合気剣との違いは、
組太刀ではあまり相手の剣と打ち合わない。切り下ろす時の姿勢が岩間系よりも腰を入れない。
斬る事を意識しながら刃筋を立てて剣を相手の身体に触れる事が結構ある。だから間合いも結構近い。
立ち方は普通の合気道の様に裏三角や撞木の足じゃなく、どちらかというと剣道の立ち方に近い。 >>855
おお、ありがとうございます!
私の近所にはおそらくやってるところが無いので助かります!
ついでと言ってはなんですが、普通の居合とか経験しておくとプラスになると思いますか?
一応それなら通勤経路近くにあるのですが。 剣道に近い立ち方なら人間の体に深く切り込めないが、別の意味があるのだろう。 ボクシングとか総合やってたら、喧嘩も怖くないかなぁ
合気道だけじゃ全然駄目だわ 朝倉みくるさんが渋谷でやった企画のタバコポイ捨てを注意して喧嘩売られて格闘家だとばらして私と喧嘩しますかって言う胆力の養成は合気道では無理でしょう。
キック、フルコン、ボクシングなら真面目に練習していればプロまでならずともそれなりに度胸はつく。
合気道ではいちゃもんつけられて殴りあいをやる度胸はつかないです。
男の本能的強さは増幅しない。 >>859
度胸は○○を習ったからってつくもんじゃないよ
度胸の無い人はどうやっても無理
格闘技やっても自分より強い奴なんて星の数ほどいるんだから 度胸って生まれつきなのか、育つ過程で身に着くものなのか…。
乗り越えた修羅場の質と数によるんじゃないか?と思うのだけど。 約束どおりに動く相手にしかかからない技をいくら鍛えても度胸も体力も技術も身につきません。
身につくのは勘違いした誇大妄想のみ。 間違いではないが、それに応じた稽古を既存の合気道団体に求めてもな。 試合に出る、ってのは経験になるよね。
昔、フルコンの真樹日佐夫さんが大会挨拶で
「今日、この場に立っていることで、君たちは人生の一回戦に勝利している」というような意味のことを言ってた。
自分を倒しに来る人と向かい合う経験ができるというのは、試合のある武道の利点だ。 試合のある武道ですか、なるほど! これはいいこと聞きました!
よーし、コロナ開けたら弓道習いに行こう! マキってヤクザに媚びうってイキってただけのオッサンじゃないの? >>869
真樹さんがどういう人かはともかく、この発言は真理だと思う。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>856
プラスにはなると思いますけど、合気道の剣の理合として再構築するにはかなり苦労されるかも。
体術との親和性みたいなものは、岩間系やその他大先生系の合気剣の方が分かりやすいんですよ。
同じ構えで体術も武器も出来ちゃいますから。
入身、転換、転回、転身といった合気道の体捌きの延長でできますからね。
但し、居合や刀法だとそういった合気道の体捌きじゃ無くなっちゃいますから。 >>872
なるほど。了解しました。ありがとうございます! >>873
なるしかない、てことはないわな。
試合で競いあうことが無い、てのが気に入ってる人も居ることだし。
以前、巌流島に出ようとした合気会の人が居たの知ってる?
スパーの様子とかもYouTubeで公開したり、試合の予定も組まれたりした。で、インタビューで「試合で合気道の強さを示し、人気を得て、合気道だけで食っていけるプロを作りたい」てなことを答えた辺りから上(合気会本部?)からの止めが入ったように思う。
勝手な推測だが。個人として参加する分には容認できても、「試合するプロ合気道」というものを合気会としては容認できなかったのではないかな?
どうしてもやりたいなら合気会から縁を切れ、てなったのではないかと推測。
どうしても試合がやりたいなら、そういう合気道団体(昭道館や正風会、合気道SAや覇天会)に所属するか自分で作るかしかないのでは? 試合したかったら脱退すればいいのに、
何を惜しんだんだろうな。 試合をすると結局は勝負の結果だけに拘りだしてそれ以外のことを疎かになるって言うよね。
柔道がそれで迷走したと思っているんだけど違う? 合気道の技を鍛錬する面白さはあるんだよ
ただ結局仕手受け共に約束事に慣れてしまい、現実世界とかけ離れてしまう
武道とは強さも同時に求める場合が多いがその自信がつかない >>877
柔道が迷走しているように見えるのは世界のJYUDOにした功罪
嘉納治五郎も草場の陰で泣いているかもしれないがそれによって
小さな日本の一武道ではなく誰もが知る世界のJYUDOになった
合気道もこれ以上AIKIDOにしたらそうなるだろうな
ただそれが良いか悪いかと言うのは見方次第 学校体育としての柔道ならフランスの方が日本人よりよほど上手くやってるけどね。
怪我人出してないし。 >>877
試合と昔日の技とは別物だからじゃない?
柔道が迷走してるかは知らないけど。 「試合をすれば〜」という意見があるけど
そもそも試合はお互いに守るべきルールを定めて行う。
それって「実戦で使えない云々」の意見の答えにはなっていないよね。
生きるか死ぬかまで行きつく「実戦」に対応するには個人技では軍隊格闘技になるだろうし
国家レベルまで広げれば政治の技術になる。
そう考えると「実戦に使えない云々」の話って不毛だな。 今の合気道は戦前のように肉卵牛乳を他人よりたくさん食って飲んで鍛えまくって稽古したというものではないので。
腹を鍛えて突かれても平気なようにしたり。
高めの所から背中から落ちて鍛えたり。
植芝弟子は全員金持ち息子だったけどそこまでやったので。
フランスに渡って合気道指導した阿部さんなど日本でやくざと喧嘩争いして倒していたんだから。
銀行の頭取息子の上流階級だったが。 実戦と一口に言っても、いろいろなレベルがあるのよな。
そういう事態に会っても、意識するしないに関わらず何らかの自分ルールが存在するし。(例えば、口論レベルから始まったケンカで普通はいきなり眼や金的は狙わんわな?)
だから、「実戦」て話はメンドクサイのよ。
競技にはルールの中で発達する技術もあれば、負ける悔しさ、強くならなきゃ、て気概も学べる。
型とかでは競技にしにくい技を学べるし、じっくり取り組むことができる。
どちらも上達する方法であって、理想は両立できるのが良いんだと思う。
とはいえ、合気会は健康会員や交流を楽しみにしている会員の方が多いし、試合の無い調和の世界を標榜しているのだから、競技的なものはやらないし今さら変更もしないだろうなあ。 その殴り合いなる前の気迫が、今の合気道には無いんだよな
結局取っ組み合いした事無いから余裕が無くなる 西尾派の人と何度も手合わせしたけれども技のキレは本当に抜群だった。
剣の理合や武器の理合で教えない合気道は偽物なんじゃいかと >>885
それは合気道の稽古をした結果としての問題なのか、それともそういう人が合気道を選ぶという問題なのか…。
いずれにしろ。よほどの負けず嫌いでない限り、必死にトライアンドエラー繰り返しつつ成功経験積まんと気迫なんて生まれないのでは? 偽物かどーかはしらねーけど
武器面白いからやろーぜ >>877
試合化すると競技のルールに過適応した者が勝つことになる。
柔道の場合、打撃がルールで禁止されているから試合ではお互いに頭をくっつけて
技をかけているが実戦は打撃がありだから殴られてしまう。
実戦では通用しない柔道になってしまう。 >>862
育った環境だろうね。
厳しい環境で育てば度胸がなければ生きてはいけないからね。 >>884
結局は強くなるには他者との競争に勝たなければならない。
それは他者よりも質と量で豊富な稽古をせざるおえなくなり厳しい稽古に
なり一般には普及しない。 >>887
気迫は敗北した悔しさから何クソ、リベンジしてやるということで育つ。
合気道は試合と競争がないから敗北や悔しさがないんだろうね。
気迫のないものを引き寄せる魅力はあるし敗北や屈辱や悔しさがないから
気迫も育たないね。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 試合制度合気道というのは喧嘩じゃないが人間としての技の勝負は必要という考え。
真実は師範になっても先生が教えないまま死んだので弟子は攻撃が読める技の能力がつかなくて自由に打たせる試合に走った。 植芝翁は戦争に行ってるし、若い頃は他流試合のようなものも結構やってたらしい。
そういうものを経験してその上の境地に至ったというのはわかるけど、試合すら経験したことがない人が、争わない境地に至るなんてことが可能なんだろうか? 試合すら のその すら の部分に曖昧さを残してるんだよ
試合の具体的に何をどこまで経験する事によって、 曰くその境地に至れるの?
なんとなくでものを語ってる程、 武術の世界は甘くないよ 超能力なんかでなくても相手の意図をズバズバ読む人はいるでしょう。
天分もあるでしょうけどどれだけ相手のことを知ろうと思うかですよ。 >>899
試合ってどういうものか、説明しないといけないのかなあ?
自分に対して投げる、締め落とす、関節をきめる、殴り倒す、蹴り壊す。そういうことを本気で狙って来る相手と向かい合うってこと。
俺は合気道から格闘技に行ったから、合気道の人たちが試合経験もなしに実戦はどうとか理屈をこねるのを聞くと、歯痒いと言うか失笑すると言うか。 本気の手押し相撲なら経験あるぜ!まぁ殺し合いとまではいかないが >>892
>それは他者よりも質と量で豊富な稽古をせざるおえなくなり厳しい稽古に
なり一般には普及しない。
おいおい、競技空手の人口は合気道より多いと思うが?
たしかに競技の世界でトップに登り詰めようとしたら過酷な道だが、そこらのオッサンでも組手はやってるよ? 伝統派空手の町道場だと成人のコースだと組み手無しでも黒帯出してるとこもあるとか 仮にも武道を名乗るのなら、護身ぐらいは出来なければね。
アイルランドのテコンドー選手 暴漢に襲われてボコボコに [448218991]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1629001938/ あ、>>905てもしかして盛岡の変人か?
関わらない方が良いね。 素人のオッサンに殴られたんだっけ?
ボクサーが何十キロか体格がデカイチンピラに壁に押し付けられてボディブロー食らい、悶絶した…なんて話も聞いたことがあるな。
ケンカと試合は違うよ、て話は知り合いの空手家から何度か聞いた。 塩田剛三
「私は植芝先生が55歳頃の一番強い時の薫陶を受けてますから。終戦後の先生とは比べ物にならないくらい凄かった。
今の合気道は中身がカラッポなんです。すぐてっぺんを真似てしまう。
始めは力を入れて自分の全精力を出す、それが段々合気になって行くんです」 塩田の爺は 自分すげえ言いたいのに、自分の時代の師匠は凄かったとか
話盛りたいだけのパフォーマーだから 相手にすべきじゃない >>907
現代剣道は、うるさいだけで武道とは言えないだろう。
合気道も論外だね。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 開祖の戦前の著書「武道」を読んでると、養神館が結構戦前のスタイルを残してるんだな、て思うよ。
開祖自身は時代により技が変わっていくので、岩間時代になるとまた変わってくるみたいだがね。
開祖の弟子の一人、竹下海軍大将の残した記録によれば。対柔道とか対空手を意識した技も戦前はあったらしい。 >>916
袴も指導者以外はとか戦中から戦後の合気会の風習そのまま引き継いでるしと
先日の稽古で師範と話したばかり
だから今の養神館に故きよき合気会が残ってるのかな?とも 養神館の構えの足って、どこから来てるの?
ほかの武術でみたことないんだけど。 >>919
なるほど。
でもそれを読むと、足を左右に開くのなら、養神館とは違うのでは? >>920
養神館は撞木足じゃないね。
皇武館時代の塩田先生の先輩も同じ立ち方になってた。
多分当時一緒に工夫されたんじゃないかな?
岩間の裏三角の足で背筋を伸ばして胸を張った構え。 富木流の手刀合わせと言うのを動画で観たのですが、カンフーの推手みたいで面白そうだと
思いました。喧嘩で使える格闘技と戦えるとまでは分かりませんが、ケガも少なくて対人練習
が出来ると思ったのですが、富木以外はあまりやらないのですか? 合気道関係の資料を見てると撞木とされとるんだけどね。まあ、言葉はどうでもいいか。
あの立ち方の特徴は、真後ろに振り返る動作が簡略化されるのよね。
空手を体験したことがあるが、空手だと基本動作として習うものは、真後ろに向きを変えるのに二動作掛かる。
合気道のあの立ち方だと、一動作で後ろを向いて、左右は違えど同じカタチになる。
相手とがっちり組むとか、向かい合って動き回るには不利なので、近代武道ではちょっと考えられない立ち方ではあるね。 体術で解釈するより
剣を持った状態で瞬時に前後左右、四方何れかに方向を変えられると考えれば理に適ってる。
真正面にいる1人の相手を相手にするには弱点が結構あるんだよね。 「稽古するときは四方に敵が居ると思え」、「四方に敵が居る時は、ただ独りの敵と思い戦え」みたいな道歌があるが。合気道の基本的な設定はそっちなんだよね。
だから前後斬りを含めた半身から半身への移行とか表裏が重要なのであって。
1対1の格闘を設定してたら他の武道や格闘技の方がよっぽど手っ取り早いことしてると思うのだけど。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs ワンパンで沈むクッソ弱すぎる佐川道場のヘボ構成員に口を挟む権利はない >>926
折れない腕というよりは、いわゆる「壁推し」では?壁を推しながら姿勢や力の出し方を鍛練するヤツ。
二人で向かい合ってやることもあるけど、攻防付けてやることは滅多にないな。ウチの系統では。
返し技の基本ではあるけれども。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 最終学歴→鍼灸学校、運動歴→ワンパンマン養成所初段
これはもう笑うしかないだろう この5ちゃんねるというのは誰でも合気道論合気論のようなことを好きに書き込んでいっぱしになったような感じで凄いねえ。
私のように教えてお金もらっている側でも理屈、理論等書いたりもしないのに。
教える側は自分に腕前が近づいてこられたら立場がなくなってくるから一辺通りしか教えませんから。
これからも私、他の全国津々浦々にいる指導者にお金を払って習ってください。
こちらは懐が潤いますからね。 >>934
教えてる?嘘つけ
多くの指導者はほとんどボランティアだわ。 自分以上の弟子を育てられない指導者は、三流以下だ。 926さん
今だにリンクのコピーの仕方が分からないのですが手刀合わせを指導者の講習会
の動画でやってるのがあるのですが、踏み込めば技が出せるギリギリの間合いを
維持して手刀を合わせて動きながら踏み込んで間合いを詰めようとしたり潰され
ないように手刀を合わせて下がったりしていて崩れたら技をかけれると軽く演じ
ている動画があります。 一教の抑えってあやふやなまま放置している人が多いよね。
少なくとも指導者を自任する人は出来ないとね。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>937
リンクのコピーを教えてあげましょう。
その動画を見るブラウザは、何を使っていますか? やれば?
ただ緊急事態宣言出てるからやってるとこ見つけるのが大変かもね 抗体依存性感染増強! RNA逆転写! スパイクタンパク! 血栓! イスラエルなんか全国民ワクチン打ったのに最近また増加し始めたからね この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php 自粛ほんとに9月12日で開けるのかな
どうみても感染拡大修まりそうにないんだけど
早くても10月末だと思う >>948
そうなるかもね
所属道場も使ってる体育館が時短してるだけで普通に使えるから稽古してるけど
うちは少年部抱えていて子供の無症状感染が増えてきているから
師範が来月は休もうと言ってる この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
インチキ合気の数々
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https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>948
都市部の人達がお盆(8/15)前に帰省して地方に拡散
地方で夏休み明けに学校が始まる
どう考えても10月には収まらないかと
この冬まで(もしくはもっと先まで)続くの間違いないでしょう 今回の感染収まりきる前に次の流行が始まるかもしれませんね 合気道で試合
使える合気道
戦後沢山の先輩が悩んできた事だろうな 開祖の直弟子たちはそんなに悩んでないのでは?て気もする。 それらは戦争経験者が多く、実戦とは何かを経験してるから 戦争経験に限らず、開祖の直弟子て大概他の武道の有段者だからね。
別武道とはいえ、そもそも試合経験者がほとんど、てのはある。 植芝さんの弟子達は禁止されてても腕試ししに、繁華街繰り出してたみたいだし 酔っぱらい同士でケンカになって、勝ったつもりで歩いてたら後ろから刺された、てヤツだな。
相手は兵隊で、向こうに非があるとはいえ。殺されるような事態を容認できんわな。指導する側としては。 いつになったら道場再開するんだろう
来年春まで自粛で閉鎖なのだろうか >>967
あながち文化部でも間違いじゃない。
レスリングも肉体を使うチェスだと言われているからね。
チェスは文化部だろ。 稽古場の施設が何時まで空いているかが稽古再開できるかの前提条件だよな
午前中にやってるようなところはわりと稽古再開してるのでは
合気道に限らず色んな習い事やってるし 関東で緊急事態宣言出ていても体育館が時短閉館になっているだけで普通に利用出来るけど
感染者増加と少年部もやっていて子供の無症状感染の問題もあり来月からしばらくお休みになった よく少年部続けていかれるな・・・ うちは少年部というのは特別設置はしてないけど
会費が安い事もあって、割かし子供とかファミリー層多かった けど
去年の緊急事態宣言で、一気にみんなやめたわ まあ思いっきり濃厚接触の運動だから当然ちゃ当然だけど
ま、有難い事に、それでも数人残ってくれてるアホな子もいるけどなぁw 畳に飛散した唾液や汗など体液だらけの上に固技でうつ伏せになる。
どう考えても感染リスクたかいかと 「武技を争って、勝ったり負けたりするのは真の武ではない。真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。
即ち絶対不敗とは絶対に何ものとも争わぬことである。
勝つとは己の中の『争う心』にうちかつことである」 合気道開祖・植芝盛平 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
偽合気の合気道の数々
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>976
合気道クラスターなんて報道された瞬間に流派会派を問わず合気道道場は壊滅するわ >>973
厳密には親子教室
最初は親と子がごちゃ混ぜで稽古していたのを一般部の一部から分けないと稽古が…という意見が出て
親子でやりたい参加者だけ別けて独立させた
四月末から一般部親子教室ともに再開したら親子教室が一気に四組入会
一般部は風前の灯に
ワクチン接種が済んでも一年以上稽古してないから高齢者は戻ってこないだろうな多分 >>977
自分が争いを望んでいなくても相手が争いを望んで攻撃してくるんだよ。
攻撃をしてくる敵を争わずに制するには入り身と転換ができなければならない。
入り身と転換ができるようになるには争いで勝つ稽古を積んで強くならなければならない。 やってない人やできない人ほどやり尽くした先人や偉人の名前や言葉に頼って極論で逃げるのはどの世界も同じか 別に喧嘩に強くなりたいわけじゃないし
合気道が好き
喧嘩はどうでもいい >>986
正義の無い力に意味がないとの同様に
力の無い正義には何の意味もない
と、どこかの漫画で読んだこともあるような、ないような 思い出した
ダイ大のアバン先生の言葉だった
ダイ大、名言が多かったなぁ 正義なき力は無能なり。 力なき正義も無能なり。 [ 出典 ]. 大山倍達 力なき正義は無力である。正義なき力は暴力である 出典 宋道臣 力無き正義が無力なら 欧米人に格闘技で勝てないアジア人は
欧米人に対して正義を主張する事が出来ない事になるじゃん この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
偽合気の合気道の数々
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 自粛の弊害
https://toyokeizai.net/articles/-/448798
運動不足でコロナ死亡率が倍に
運動不足、外出規制によるストレスでの睡眠不足は感染リスクを高め、ワクチン効果を激減させる マスクは偽りの安心感を与えるわりに身体に害
マスクの予防効果は限定的にも関わらず過度につけてると。
温度、湿度が高い時は人間も呼吸で熱を放散する。
マスクはそれを妨げて熱中症予備軍を作る。
また呼吸により多くの酸素を取り入れる事で身体はエネルギーを産み出す。
マスク越しの浅い呼吸はエネルギーの低下を招く。
当然、運動量も減る。
どちらも免疫の活性化には反する事で、免疫が弱まれば感染に弱くなり症状悪化を招く。
マスクは呪いの魔除けグッズではない。
不必要な時までマスクをしてれば却って感染症を悪化させる。 「考えながら合気をかけた時期もある。初めから合気が使えたわけではない。考えて行えば終いには無意識にでるようになる。考えて行う事。」
佐川宗範 そういえば「考えてたら間に合わないよ」て先輩には言われたなあ。
要は練習不足、てことなんだよな。 >>989
合気道的にはEVIL HEARTの台詞
力は心を支え具現し
心は力に道を教える
これのほうがしっくりくる 型稽古なんだから
最初は頭で、いーち、にーい、さーん、しいー、ごおー、で確認しながらじゃないと動けないけど
脳に刻み込まれれば、1→5までの動きを自動で出来るようになるからね。
身体を使うことは、みんな同じ。 このスレッドは1000を超えました。
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