【合気道】塩田将大【養神館塩田剛三の孫】 7
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一年足らずの修行期間で道場運営しようと思ったら、子ども相手か健康増進を謳うしかないでしょう 1年足らずの修行で人に教えるとか詐欺でしょ
自分の動画で合気道の達人とか言っちゃってるのまであるし それは彼の考えですから、何とも言えませんが。私ならそんなリスキーな言動はとりませんけどね 一年足らずの経験で指導できるものって少ないですものね。スポーツジムのインストラクターなんかはすぐ出来そうですが 塩田剛三先生自身のビール瓶の話もそうだけど、なんで野蛮な危ない事やった武勇伝話したがる人定期的に出てくんの。 >>856
まあ、時代が違いますからねー。
野蛮な危ない事と捉えるか、貴重な体験談と思うかは人それぞれなんでしょうね でもビール瓶の逸話も素晴らしいと思うんですよね。私も手元に瓶がある場合は同様に使えば良いのだと理解できましたし >>857
例えば塩田剛三さんがゴリゴリの貧困や暴力に苦しむ環境に生きていて、その中でやむにやまれずやった話なら分かるのですが
彼は非常に裕福な名家の生まれで、そのエピソードも上海の女郎屋に遊びに行き値段交渉で揉めて塩田氏側の人が従業員を先に殴ったって話ですよね。そして部屋にきた人の話を聞かずにドアが開いた時点でビール瓶で刺し、おそらく後遺症を残すレベルの傷害か、もしかしたら殺している。そして相手が武器を持っていた描写もない。はっきりいって、国際的に見れば、武術家云々とは別に、日本軍側の人間が植民地で行った暴虐のひとつであるとカウントされるでしょう。そしてこれを90年代に出版している。周りの人間も止めない。
なんというか色々アウトだと思いますよ。少なくともこういう話を武勇伝としてありがたがるのは私はもうやめたいですね。 >>859
持ち上げるのは不可能では…
動かすのは可能かもしれませんが >>860
なるほど。そういった観点からのお話でしたか。
私も軽率でした。日本人が鬼畜の如き所業をおこなっていたことは恥ずべきであり、決して忘れてはならないと思います。実は、海外修行者が英語版の出版を望んでいて、内容に問題を感じていた養神館は難色を示していました >>862
そうだったんですね。その話は初めて聞きました。養親館さんは賢明な判断をされたと思います。 >>859
それでもこうだからなあ…
http://jump.5ch.net/?https://youtu.be/HA1E1e36atA?t=81 柔よく剛を制すっていう言葉を都合よく解釈して、体も鍛えずいきがってる人がちょこちょこいるね >>856
まあ、時代が違いますからねー。
野蛮な危ない事と捉えるか、貴重な体験談と思うかは人それぞれなんでしょうね 塩田さんもおまえらみたいにミジメな人生を笑ってるよ >>860 >>862
魔都と言われた当時の上海がどんな都市だったか
知ってて言ってる? >>869
当時の上海の複雑な統治事情は分かってるが、軍事作戦でもなければ敵兵でもない女郎屋とのトラブルで民間人ぶっ殺してるわけで、問題ないとはとても言えない。 >>869
小説や映画等で得た知識しかございません。
それ以上のことをご存知でしたら、ご教示いただければ幸いです こっちもよろしく!
ttps://www.youtube.com/watch?v=DuaxNKjyWZ0 >>870 >>871
場所と相手が限られた話で
とぼけられてもね…
常識があれば、何の話であって
相手が何者なのか分かりますよね?
解らないとおっしゃって逃げる様であれば、
やはりとぼけているのか、それとも
ただ常識がなく言葉が通じない人達という事で…
まぁ、何を言っても無駄という訳で、
相手にしたい人達じゃないですな。 >>860
その喧嘩に大義があったのかどうかはあなたの想像だけで詳細はわからないけど
集団で取り囲んだ時点で話し合いもクソもないと思う
ただ、塩田さんの話で一番嫌なのが戦時徴兵されたときに名士の家柄だから危険な前線には送られず
名ばかりの軍務を充てがわれ戦地で遊び呆けていたっていうやつ
塩田さんの自伝にこんなことがあっけらかんと書いてるんだが
美意識を重んずるといい若者を特攻で死なせときながら実態はこうだから
だけど、「合気道修行」って本にはその他に日本軍の鬼畜的な内容は特に無い
養神館が難色云々っていうのは完全なる妄想です >>873
昔からシナではホテルや会社、役人までも闇組織とトップは同一人って国柄だもんなあ。
今でもそうなんだけど。
でもね、韓国でなくて良かったな。そんな話してたら国に賠償請求されますよ。
何にしても女郎屋が事実なら、あえて行った方も悪いんだよ。相手は金が目当てと思うんだけどね。
スケベ心を出しとって殺しとったら、、、ほんとつまらん男になるぞ。 >>874
言っちゃ悪いがそんな要領の良さの遺伝子が口が達者な孫には出とらんことを願うね。 >>874
うーん…事実なんだけどなあ。
何度も外国人弟子が翻訳するから、英語版を出版させてくれないかって掛け合ってたぜ。目の前で起きていたことを妄想って言われてもな。
それから、「合気道修行」の話なんてしてないぜ。日本軍の鬼畜的所業を問題視して難色を示していたとも言ってないぜ。あんた、出版当時はリアルタイムじゃないだろ? >>875
方言ではニュアンスが伝わりにくいのですが… >>876
出とらん??
出てるのか、出てないのか分かりにくいです(^_^;) 取り囲んだんじゃなくて、部屋に入ってきた時点で刺してる。
あと上で他の人も言ってるように、塩田氏自身の環境立場や女を買いに行ってるってとこや武勇伝として話してるってとこ込みのトータルな話で
少なくとも持ち上げるために現代の我々が話すのはやめましょうや。 >>879
>>874
言っちゃ悪いがそんな要領の良さの遺伝子が口が達者な孫には出てはいないことを願うね。 >>875
そんな話はあんた以外は誰もしてない。
あんたが一人で勝手に言ってるだけだろw >>883の過去スレは重要ですね。
塩田君が今回UPした動画に映るのは安藤先生、パイエ先生、千野先生ばかりなのはなぜか? >>883
こんなモメてたのか。合気道のお家騒動って、普段「和」とか謳ってるぶんなんか笑っちゃうな。 >>874 戦争で合気道は使われなかった。それで良いんじゃないか? いけないのか? >>872
宮沢さま
天照会の安積代表の技法を
インチキ
と苦言なさってますね。
まあ
個人的には
インチキと云うか
非常に初歩的
と称ぶのが適切でしょう。
ただ
そう仰る宮沢さまの実演も・・・・
手を一番下まで下げ
そこで抑えてもらったら
寧ろ物凄い簡単になっちゃいますが。
自分の肘を真上に昇らせ
次に手首を突き出すだけで
挙がるので。
安積代表も宮沢さまも
もっと研究を積まれたほうが好いと思います。 >>887
ぜんぜんモメてませんでしたよ。派閥みたいなものもありませんでしたし。塩田剛三亡き後も、生前と変わりませんでした こちらは本スレではないのですが、早めにスレを消化して次はワッチョイへ。荒らしを駆除しましょう そこは合気会さんとは少し事情が違うのかも。養神館の場合、各師範は指導こそしていますがあくまでも塩田剛三の内弟子で修行中という意識があったのだと思います 会員に関して言えば、塩田剛三と関わる機会もありませんし皆の憧れ、目標は千田師範でした。古くからの会員や外国人たちは竹野師範シンパも多かったですね 「塩田泰久師範と安藤先生は通じていた」
「安藤先生と千野先生は比較的仲の良い間柄だった」 だいたい皆塩田剛三のもとに集まった兄弟弟子ですからね。小金井時代は住み込みで同じ釜の飯を食い、切磋琢磨した仲間ですから 竹野先生はちょっと根性論的な感じを受けたな
技術志向な俺は合わなかった 竹野師範の御性格でしょう。カリスマ性があり、機動隊員や外国人弟子にも慕われてらっしゃいますよね。稽古の厳しさはつとに知られていました >>892
そうなんだ。>>883のスレでめっちゃ色々かきこまれてんのはデマかいたずらの類い? >>900
いいえ。ほぼ事実です。
モメてなかったのに>>883スレの内容が養神館崩壊に繋がったということです。 宮沢さんの意識理論って木村さんと似てるよね。
合気道にも似た理論があったんかね? >>904
合気道には無いですね。
開祖や藤平先生、塩田剛三も使ってはいますが 動画は見ていませんので、あくまで意識の力を利用する技術という意味です >>908
あれだけ盤石だった組織が、たった一人に… >>690です。
ビールビンの逸話は本人いわく実際は職務上の出来事だったとのことです。
ネガティブな国務をそのまま記載するわけにも行かず、よく有る若気の至りの体裁を整えたとか。
なので是非はともかく、あの描写から学ぶのは応用力や判断力といった斯道特有の性能それ自体なのかなと思われますね。
>>813
いかにもそれらしいフォームとしては拳を持っての回転投げなど有用ですね。
決して手首を持つのではなく、またセットアップに一工夫が有ります。
>>891
仰る通りこれはテクニカルな学習者にしてみれば、非常に指摘のしどころですね。
体のラインを越えて持たせると肘を上げる動作が、通常時の肘を下げる動作に相当して来てしまいますし。。
>>904
宮沢氏は石森氏と同門だそうです。
なので小川氏系からの影響かも判りませんし、石森氏の古巣などをオマージュとしているのかも判りませんね。
>>907
>「座技呼吸法」で本気で抑えてもらって吹き飛ばせば良かったと思う。
本当にそう思いますね。
思いますが
↓
https://youtu.be/6grYHHhCxs0?t=2
↑
うーん・・・?
そこでなぜ座り直させる。。 >>910です。
まあ技に興味を持つ人はほとんどいませんからね。
技の雰囲気に興味を持つ人は多いです。
ビジネスとしてはそこが狙い目となるわけで。 >>904
「意識をゆるめれば掛かる」と
宮沢さまは仰ってますが
この実演に
意識関係ないです。
1. 肘を真上に昇らせて
2. 手首を突き出す
これだけ。
まあ意識を意識する(?)のも
色々な時に大事だとは思います。
ゆるめるのも然り。
>>910
矢張り
離れて抑えてもらわないと挙がらないのを
無意識に自覚なさってるんでしょうね。
このスレで解明された原理を
証明する資料が
また一つ加わりました。 このスレはとっとと消化して、皆さん次はワッチョイ6へ行きましょう。そして以降はワッチョイ進行で 2ちゃんねるの頃は有益な情報もいろいろあったのに、ここは虚言癖で造語症の荒らしが妄想ばかり投稿するのでひどい有り様ですね 宮沢さんの動画昔からちょこちょこ観てたけどキックボクシングとかもやってたとか。しかし( ¬ ω ¬ ) >>877
塩田さんが執筆したのは「合気道修行」くらいでほかは教本しか無かったと思うが
なんてタイトルの本のどの箇所に難色を示したの? >>923
なんで稲川義貴が塩田剛三の後継者なんだよ
塩田剛三の後継者と言えるのは井上強一位だろうが なぜ塩田剛三の後継者は井上強一位だと思われるのでしょうか。理由をお聞きしたいです 稲川さんは知らなかったな。
後継云々は柔道の仁木先生ならよく聞いた。 仁木先生は強かった。
寺田十段よか断然強かったよ。
そりゃそうか。 なんか絶対投げられないお人だったよ。
たとえ投げても立たれちゃう。 白川さんのをほんとにやってた感じ。
あと仁木先生な。 井上十段は90年代まで型を最も忠実にこなす指導者だったイメージ。
00年代から急にうまくなった。 >>912です。
>>913
大半は未遂でしたね。
まあ対手の片方の肩へ駆け上がって通り過ぎれる(本来は誰でも出来るのに)人の体は明らかに凶器ですから、学校時代から、現在の格闘家の訪問に至るまで、未然に退いてくれて助かっています(-_-;)
>>914
改めてご同意有りがとうございます。
それにしても目下のところ距離の問題が解決されている場は、かなりの少数派に留まりますね。
当門のように膝に受けが膝を載せて、膝坊主に手を推し付けるようにプレスする場が余りに特異なだけなのかな。。
>>931
あー、いかにも塩田氏好みのアクションですものね。。
余談ながら塩田氏は大車輪トークが好きでした。 >>860
これの真相はね、当時、塩田剛三は諜報工作員つまり日本のスパイ、最近の言い方をすればインテリジェンスだったんだよ。
上海の女郎屋に遊びに行ったとか、政府のお金で飲み食いしてたとかは、そのカモフラージュ。
フランス租界の売春街に行ったのは、諜報活動の一環。しかし、自分たちがスパイということがばれてしまって、大乱闘につながったということだ。
女郎屋の客引きをひっぱたいたぐらいで、殺し合いなんかになるものかw >>935のつづき
おそらく、塩田を日本の諜報機関に推薦したのは、植芝盛平だろう。
当時の植芝道場は、軍の幹部や政府の要人などが習いにきていたので、「道場の門下生でスパイとして適任者はいないだろうか」と相談されたのだろう。
戦闘能力、俊敏性、頭の回転の速さ、塩田剛三が、まさに相応しい。
これは余談だが、平井稔という人がいて、現在では光輪洞合気道の創始者となっているが、一時期、植芝に乞われて植芝道場の総務を担当していた。
その後、大日本武徳会の合気道部門の創設に関わるのだが、武徳会も軍と密接に関わっていたので、戦後GHQに解体されてしまった。
http://webhiden.jp/master/dtail/_minoru_hirai.php
「合気道」という名称を初めて用いたのも平井稔だと言われている。
平井が武徳会に行ったのも植芝の推薦であった可能性が高い。「ちょっと、行ってもらえんかな」みたいな。 >>936のつづき
軍とも大本教とも一定の距離を保っていたことが、結果、植芝合気道が大きな弾圧を受けることなく存続できたことになる。
一方、塩田剛三は中国から戻ってきたものの、スパイであることがばれないように身を隠す必要があった。
ばれてしまえば、戦犯として最悪、死刑だろう。
それで、植芝の家の離れを借りて、ある時期暮らしていた。
その後の養神館設立までは「合気道人生」に書かれているとおりである。 合気道人生のレビューをあらためて見てみたところ、ビール瓶の件は増版の際に削除されているとのこと。私が1989年ごろ購入したものは初版だったのか 「合気道修行」はどちらかと言えば読み物的なライトな体裁、「合気道人生」のほうが自伝的な位置付け。偉そうに「合気道修行」を持ち出すということは、当時を知らないのは明らか 「合気道人生」は養神館では皆持っていたが、や「合気道修行」はそれほどでも無かった 剛三が植芝に最初会ったとき蹴りかましたぐらいの気概を孫も持ってほしいもんだ 孫っていっても彼ひとりなわけではないですしね。多少の形質は遺伝しているでしょうが… >>933
晩年の井上先生はキテたよな
まさに合気道は60過ぎてからの体現者 なんか皆さん井上強一師範すごい!とか語ってますけど、それって実感なんですかね?
実際に技を体験したことのある人はどれだけいらっしゃいますか? >>943
コラボしてくれた武道家を不意打ちしたりw レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。