目付というか、意識の範囲というか
例えば相手がナイフを持っていた場合どうしてもこちらの意識がナイフに対して点や線として集中、狭窄しがちになって固定化されやすい
ところが相手のナイフに対してこちらが刀のようなデカい刃物で対峙したときは面の要素が出てきてパーソナルスペースの相互関係が変わってくる
パーソナルスペースと意識や気のバリアは目付けの仕方でかなり変わってくると思う
ちなみに、相手の意識バリアを押して突破しようとする意識でゆっくり手を出すと相手はそれに対抗できるが、相手に吸い込まれるように手を出し、水槽に腕を突っ込むと水位が上がってくるかようにパーソナルスペースを侵食すると、相手は非常に不安かつ浮ついたような胃の辺りが気持ち悪い感覚を覚える
抵抗する意識と身体的防御反応をするための意識的な支点を失うからだ
人が色んな意味で安定するために自分から発信して返ってきた情報で支点を作りだすことをしている
点から線、線から面という意識の仕方、目付の仕方
は相手に貼り付くようにとか、相手の腕を先端から肩に向かって擦っていくという戦闘法にも大きく関わっている
相手との距離を点から点への移動としてスピードで埋めるのと
展開された立方体が折りたたまれて面同士が重なるように相手と接するのかでは基本的に戦闘概念を捉え直す必要がある
推手がなぜ∞を描くのかも本来人との関係性というのはただの点同士の距離ではないというところから来ていると思う
それを理解している人の推手は相手に触りに行くのではなく、相手の方がぶつかる気配なく知らぬ間に手前に吸い寄せられ掌を身体に当てられている
なんというか凄く調和しているというか、一方的に調和させられている
打たれると後ろに派手に飛ばず手前に引き倒されるというのはこの構造による

結局何が言いたいかというと、目付は大事だよw