【合気道】塩田将大【養神館塩田剛三の孫】6
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丹田というとオカルト的だったりもするし、姿勢や重心の複合的なものだったりもする。
中心は複合的な要素はあるけど、明確だよということ。
言うまでもないかもだけど。
でも中心わからない人にとっては同じように感じるということか? >>206
岡本先生はすごいけど武術的にはどうなんだろう?そういう動きしてるのは見たことないな
力学的な話の印象だけど >>210
失礼ながら武術家としての強弱は計りかねますが、起居動作もままならぬ印象ではありますので。ただ、技術的には実践でお示しになられますし、説明もわかりやすく十分説得力はあるのかと >>208
中心は重心とは違う概念ということでしょうか?
例えば片足立ちし剣を大上段に構えた際の中心とは何を指しますか? >>212
ものを持ったり動かしたりするということなら重心と言ってもいいでしょう。
正方形の重心は対角線の交点ですが、中心とイコールですね。
片足立ちで大上段て想像つかないしあなたのイメージと一致する気はしないけど、
向かい合って打ち込まれんとする状況なら概ね胸よりちょい高いとこくらいになるんじゃない?
上段打てなくなるところを抑える。 >>213
では中心とは隙を無くすことに解釈は近いのですか? どの様な状況でも中心は存在する?
極端な例ですがドロップキックをしている時も中心の概念?はありますか >>214
自分の中心を守り、相手の中心をとれてる状態ならスキは無いといえるよ 塩田将大先生の動画はコメント読むのもまあまあおもろいな 日本の中心は何処にあるのかな?皇居? 赤坂御用地? >>218
そういう観念的なことなのですか?
たとえば剣でお互い切り結ぶと、未熟な方がはじかれますよね?それとは違う? >>221
中心守って中心とるのは観念的なことではないよ?
剣で切り結ぶのも、タイミング同じなら中心とれてるほうが勝つよ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>224
この手の稽古、鍛錬は10代の頃に散々やりました。おかげで腕だけ異常に太くなりました笑 >>223
中心守って、中心取る目的はなんでしょうか。
どこに斬り込もうがタイミングが早い、スピードが速いほうが勝つと思うのですが 中心とられたら、打撃でも掴みでも剣でも、一瞬だけど防御や反撃出来なくなるんですよ。
例えると正中線に急に包丁突きつけられるみたいな。そうなると攻撃や防御や反撃どころじゃなく一瞬固まっちゃうでしょ。 >>228
卓球と一緒よ。中心に来たら逃げにくいし攻撃も出来にくいでしょ。
とは言うけど合気道にそんなこと考えて仕かけてる、受けとか言ってんのかな、そんなの見ないけどね。 >>230
一般部はともかく上級者は当然考えてるんじゃないの。コラボした安藤先生や千野先生がそういう事を考えてない事はないでしょさすがに >>231
良く見てよ、勘違いせんでね。安藤先生や千野先生とかのこと言ってんじゃないでしょ。こんな人達に中心取って仕かけてるのか。
こんな人達に中心攻めると逃げにくい様に、受けとか言ってんのかな、
合気道にそんなこと考えて仕かけてる人達、そんなのあんまり見ないんだけど。 >>231
いや、逆に安藤先生も千野先生もそんな事考えてないと思いますけど… >>229
私はそんな経験したことないですね…
先をとられて動けないとか、睨まれて動けないとかは経験しましたが したことないならそれでいいんじゃない?
中心とるって普通に武道ではよくある、基本的で普遍的な技術だから、いまさらそんなのないとかいわれてもそうですかって感じなんだよね。
いつかわかる日が来るかもしれないし、関係ないまま終わるかもしれない。
それはもうわそういうものだなとしか。 中心がないわけがないし、中心はずしたら相手に中心とられるんだから。 うーん…私の周りで中心云々と言っている人に会ったことないですけどね。本当に普遍的なことなのだろうか 中心を取らせずに相手の目の死角上を描く攻撃や、中心先に取って守り難くして間合いを寄せて動けんようにする攻撃とかしないの。
合気道の受けとか言ってんのかな、そんなこと考えて仕かけてる人達、そんなのあんまり見ないんだけど。そう言うのしないと取りとか言ってんのかな、そんな人も上達しませんよ。 >>237
剣道 中心とる
合気道 中心とる
とかでググったかな? 受けが中心抑えてくるから取りはそうさせまいとしながら中心取り返していくことが型になっている >>237
まあ言葉なんてしょせん単語ですから。
先という言葉で、結局は中心の説明してる先生もいますし。
まあ合気道だけでなく武道全般で言われる概念ですから。
中心という言葉にあまりこだわらなくてもいい。
極端な話、中心という単語使わずとも中心取ってるような人もいるわけだし 中心の取り合いの事を、
先の取り合いとか虚実の取り合いとかの言葉で説明される先生もいますから。
ファッション、洋服、身なり、
どれも似たような事を指しています。それと同じ事です 安藤先生はなんも考えてないよ
あんな番組に出ちゃうんだもん 少なくとも、塩田剛三時代の養神館では中心なんて言ってる者は誰も居なかったですね。
合気会さんでは、一般的な概念なのでしょうか… 養神館で「中心」に近いものがあるとするならば、それは構えですね。構えでは軸がしっかりしているのに、動き出した途端に軸が消えてしまう。そこを消えないようにするのが稽古ですね。塩田剛三が構えがいちばん強いと申しておりましたのは、そういう意味です。
止まっていても、動いていてもしっかり軸がある状態を作る。「歩く姿が武」であるの解釈のひとつと私は考えております 受けの中心がどこにあるかより先にイニシアティブをとっておく「入身」がそれに当たるでしょう。
絶対の先です。 >>244
そんなテレビ番組があったのですか?
何も考えてない…
ご性格でしょうかね笑 >>242
そうなんですね。最近は中心って概念が一般化しているんですねえ。
その辺は時代とともに変化していくのかもしれませんね。気功とかヨガとかが流行した名残りなのかも >>238
御免なさい…。方言表現なのでしょうか?仰ることのニュアンスが肯定、否定のいずれなのかはかりかねるので、標準語に変換していただけると有り難いです >>253
私は嫌いというよりも、武術家たるものそんなものにとらわれて稽古してはいけないなというスタンスです。
YouTubeでも見かけますよね「中心とったから動けないだろう?とか、先をとったからあなたは死んだ」等の動画を。そんな動画を見ると「いや、動けるだろう」と思ってしまいます 開祖が手をパッと出して弟子が転がるのは本物だとわかります。動画で見てわかるぐらいすごいタイミングですから、目の前に立ったら転がるしかないのだと想像できます。
でも、それとは違いますよね?中心を取り合うって。「あ、俺が中心とった!」とか「中心とられたぁ」ってまるでファミコンゲームみたいじゃありませんか >>254
そういえば思い出しました。「中心が〜」と言っていた者が一人だけおりました。
彼は嘲笑されていましたし、指導者からもワケの分からないことを言うな!合気道や武道はそんな物じゃないと怒られていました。ほんの30年前のことですよ。当時は一般的ではなかった証左です 中心わからないならわからないでいいよ。
メジャーな用語なのに、自分がつかわない言葉を、ことさらに否定するどころかファミコンゲーム扱いする時点で不誠実だよ みんな、このスレは強制コテハンなんだぜ?賢く使おうな >>259
そんなことを申したつもりはございません。
剣道はリスペクトしておりますので そして荒らすつもりも、争うつもりも毛頭ありません。考えを申したまでです。
中心を取り合うのが武術だ、というお考えも結構だとは思います。あくまで私は立場を異にするというだけですので お前と同じことを言ってる奴は馬鹿にされていた
お前の言ってることファミコンゲームみたい
これで荒らしてないという精神のあなたには2度と来て欲しくないです。お疲れ様でした。 中心を取るって言ってるけど正中線の取り合いのことだからね。武道には共通する概念で
合気道も普段から攻める役の人は正中線を取って攻めたりするんでしょ。
それを如何に安藤先生とかが動いて技をかけるか、ってことだよね。
https://www.youtube.com/watch?v=EScOKQy3EhE 荒らしとその分裂体以外はわかってるさ。
そんなことよりさっき上がった動画の話しようぜ!
…100の質問だったか… 開祖から生まれ先達や我々が伝えた合気道がこうして曲解され、変質していってしまうのは悲しいことです >>268
どのように曲解されるんですか?
ご自分は曲解してないと?
エゴがすごくないですか? それで、引き付けるとか言われてるんだけど、動画全体に言えるのが先生でない人について最初からそれなりに自由に逃げれる体制もしてなくて
又構えを備えてそこから先生の正中線を取ろうとしても動いてはいないこと。例えばレスリングの様に両手で構えつつ先生の正中線にタックルの
場合や空手道の様に少し遠間から動きの中で先生の正中線上を攻めて来たり近間でも先生の動きに反応した相手が正中線を取ってタックル、突き、
蹴りして来た場合など。素人じゃあないんだから習うのは良いけど塩田さんの方が正中線も取ろうとしないで先生を前にして無防備過ぎだと思った。
https://www.youtube.com/watch?v=wu0739ZWFpM この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 相手が掴んでくる刹那にちょっと誘導して相手が不利な位置関係、体勢に持ち込むのかっこいいよな。
受けが過剰だと最初から不利な場所で掴もうとしちゃってるけど。 >>276
相手の掴みに合わせて少し早く手を引っ込めてやると、相手は本能的に追おうとする。
このときに引っ込めるのが早すぎると掴めないし、
遅すぎると相手を崩す前に掴まれてしまう。
大東流でも合気道でも少林寺でも見かけるやり方。元々は大東流が発祥なのかな >>254
なんでここには来られないの自演サン?という煽りに激昂して来たのでやっぱり自演サン >>277
柔道のレベル高い選手とかは反射的にできるんかな…? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>277
いつそうするかというところを学べるようになっているかが、形の見どころ >>279
分からんけど柔道で使ってる人がいても不思議じゃないかも 武術は中心(正中線)を取り合うものというのが、どうしても理解できません。正中線上は急所が集中しているので守るべき、というのならまだ分かります。
皆さんが何故そう考えるに至ったかに興味があります。師匠や先輩から教えられた、書物などの資料を読み知識を得た等です。
煽っているわけではありません。是非お聞かせ願えないでしょうか >>907
スレ違いです。他の合気スレに行ってください。 安藤先生との動画みてたけど、フォーム崩れがないよね。
なんとなく合気会の某不思議演武をされる師範と動きがよく似てる。
安藤先生は合気会岩間派出身の養神館師範だし、
某師範は皇武館時代の塩田先生の兄弟子の技を受け継いでるから
辿る道筋が似ていてもおかしくないんだよな。
相手を吸収する、引き付けるってのは、自分のフォーム、中心がしっかり出来てないと感覚が掴めないのかな? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>283
安藤先生の動画を見たけど>>285で誰かから言われてるように攻める側が先生の正中線を
取りに行くべきところですが全くそれはせずに逆に自分の正中線を攻めてもらおうと空けて
攻めているんだよ。だから先生に引き付けられて先生の中心とかで返されてる。攻めてる方が
先生の中心線を取ろうとしてないのに武術は正中線を取り合うものという理解はできないよね。
攻めてるようなかっこうをしているだけであって攻めてる人にその攻めの中味が無いからです。 取りに来た手をぬるっとつかみ返すみたいなのが養神館にあるけど似たようなもんだな >>289
まあ、受けに行ってるから意図的に空けてる可能性はあるよな >>289
そのへんは忖度があるかもね。まあ合気道に限った事じゃないけど。
だからといって中心の取り合いが否定されるものではないよ。実際上手い人が存在してるんだから >>292
中心の取り合いは前提及び演武でも先生に対して攻める方の人は肯定した動きでないとおかしいと言ってるんですが。
実際に上手い人が存在してるんでしょうから、攻める人が半端な動きではなく中心線を取った体勢の状態でこれを返す
ような技術が見れる合気道の先生の動画もある筈なんですよ。 演武はスパーとは違うので綺麗に見えれば何でもありなんだよ バライティ番組でハリセンで後ろから思い切りぶん殴られなかったら塩田剛三の生き写しと言われたのに >>295
あれチャレンジしたのはむしろ好感度あがったよ
偉いよ チャレンジ精神だけで褒めたらダメだろう
結果をだしてこそのプロ
面白いかどうかで判断するなら塚原卜伝みたいにサッとかわしたほうが
おおっ!となるやろ
ヤラセであればああいう絵にはならない 演武でも攻める人が半端な動きではなく中心線を取った体勢の状態でこれを返してるような技術が見れる合気道
の先生の動画はないのでしょうか。 そうでないと合気道は先生でも先に中心取られたら何もできてないことになる。 おお、日野先生も来たんか。たくさん交流できて羨ましい。合気道は相手に拮抗を作らせれるかが勝負なんかな。 >>289
いや…安藤先生は中心で返すとかそんな事してませんよ。。 むしろ安藤先生と日野先生がコラボしたらどうなるんだろうか?まあ共通点も多いとは思うが… 良いかも知れませんね。それで日野さんが全否定されるっていう展開 まあええよねそういう機会ができるなら、塩田先生の成果だな 武術的な上手いヘタ以前に日野先生は説明が分かりやすい >>283
私が答えます。
まず初めに貴殿の反目意見は概ね正しいです。
真正面から受け止めず入身転換もどきなレスをしてる人に構う必要はございません。では本題です。
中心とは必ずしも正中線の事ではありません。
中心=正中線と思うからどんどん話がズレます。
中心=正中線とか言ってる人は申し訳ないけど、理解が浅すぎます。
同様に中心=真ん中も否です。
扇子の中心はどこか、真ん中はどこか、と考えるのが分かりやすいです。
これで察する事が出来ない人は稽古が足りないかやり方が間違っているか、体操みたいな事をしているだけです。
故に中心を取るのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています