【合気道】塩田将大【養神館塩田剛三の孫】6
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こっちのスレだと強制コテハンで自演が使えないのでやべぇやつは来ない。よって塩田将大さんの話がゆっくりとできる!はず。 https://m.youtube.com/watch?v=uGOny1EBx8s
まさか鬼滅の刃を使ってくるとは 笑
こういう緩いかんじの武道系YOUTUBERはそんなに多くないから単純に応援したい https://m.youtube.com/watch?v=uGOny1EBx8s
まさか鬼滅の刃を使ってくるとは 笑
こういう緩いかんじの武道系YOUTUBERはそんなに多くないから単純に応援したい 俺は渋川剛気とか塩田剛三から合気道始めたクチだけど、今の人は何から入るんだろうな。
将大さんのYouTubeみて楽しそう、キツくなさそう、安全、みたいな印象持って始めたり、子供に始めさせるパターンが増えていくと良いな。
(なお怪我はしないがそれなりに痛いもよう) バキで一番競技人口増えたのって合気道な気がする。あと日本拳法とヤクザ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>8
うちにバキじゃなくてEVIL HEART読んでって方がいる
かなりレアケース
俺もEVIL HEART好きだから道場の飲み会でその方と熱く語るのが楽しい >>14
打ちきられる直前に出てきた双子の兄貴が十兵衛がいないうちに宗矩殺っちまおうぜと誘ってきた >>11
し、しらねぇ…ヤンジャンに合気道漫画なんてあったのか
>>12
無刀ブラック一瞬だったなほんと。
あとは最強の弟子ケンイチとか、喧嘩商売にも出てたな。芝原剛正は性格がモデルに似てそう 武道やっててよかった!となるタイミングは暴漢に対処するとかじゃないと訪れんかな。
あとは会社の大先輩と共通の話題ができるとか? >>18
職業点々としたけど
武道歴が決め手みたいに、入れてくれたことが何度かあるよ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>22
やってることも似てるから、もしこのセンセがインチk、思い込ませの類だったら塩田剛三ももしかして…となってしまうな。
師範の方が未来とやったらどんな絵面になるのやら この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 綺麗に(かっこよく)見える技がいい技かはわからんが、いい技は綺麗に見える、というのは痛感した。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 間違いなく塩田将大のせいで合気道の武道としての価値は下がった まぁ、最終的に塩田剛三みたいになるなら、その過程の貴重な映像記録になるだろう。
千野さんに技かけてもらえるの羨ましいわほんと スポーツセンターでやってるとこは
1年稽古してないとかもあるし
壊滅しそう 白川さんはヤッチくんにバッサリいかれてたな。南無三 お前ら小金井とは言わんが落合に来てたら、根性叩き直せてたのにな この人は自分で自分の事強くないと分かってるんだろうね。 偉くならないうちにお馬鹿なこといろいろやっておこうというのは良いことだと思うよ。
たとえば50歳過ぎてこんなことできないでしょ。
でも訪問する相手を見ると結局「格闘技志向」と「大東流的合気」から逃れられてない気がする。 >>40
>訪問する相手を見ると結局「格闘技志向」と「大東流的合気」から逃れられてない気がする。
柔道と実戦で鍛え、合気道以外に大東流の合気を身につけたおじいちゃんへの道の
最短コースじゃん 当身◯割と言うならスパーもフェイントもある当身の練習をしっかりしなきゃな。日本拳法行こう はたしてそれは当て身でダウンを取るという意味なのかな? 俺はそうは思わんな。スパーリングが必要なのは不意をつくタイミングや感覚を学ぶためだ >>48
須一先生は確かにいわゆる合気とは違う気がするのですが、鈴木堅之先生に師事したとあるので合気はご存知のはずなんですよね… >>42
スパーはあまり参考にはならないと思うのです。そういう実戦に役立つ呼吸は剣術などの方が身につくのかな >>44
経験的に街場の実戦でそういう状況が発生したことってないですね。ただ、平常心や心に余裕を持つためにはスパーも悪くはないと思います >>37
笑
養神館はそんな雰囲気でもなかったですよね >>32
確かに否定できませんね。まだ指導する実力ではないのに、道場主になってしまいましたからね。視聴者は合気道家として見るわけで… >>50
甲野善紀氏はどうなのでしょう…
あの身体操作って明らかに合気道とは違うんですよね。。知っていても良いとは思いますが、知らずにいても良いとも思えるのです 背も低いし技術も無い
せめて体を鍛えたらどうかと思うのだが
若い時に体作りから逃げて口先ばかりだと大成しないぞ >>57
拠り所は厳しい稽古をしたと思い込んでいる国際専修生なわけですが、もうこの頃には指導者もおらずその体をなしてなかったと思われ… 良い先生だと思いますよ。動画もいろいろ楽しそうだし。 >>47
これはまあ、よくあるよ。こいつより下手なやつもたくさんいるけど、大したことはやってなくね? >>58
千野先生編の5:20あたりから受けを取る人物が正しく養神館で修行した人。忍田君や塩田くんとの違いは歴然。塩田君のお付きの様に映っているが、実際は彼の大先輩。塩田剛三の弟子である >>62
千野先生に直接習うにはどこの道場に行けばいいの?
本部道場はどこなの? >>48
その宮沢さんは、本物の合気は護身術として役に立たないと述べてるが
合気はもともと武術として発明されたものなんだが?
創始者の武田先生は協調性ゼロの人格破綻者だしね >>64
検索すれば出てきますよ。Facebookもされてますので >>66
千野先生の指導が受けられるのは保谷道場ですか? >>65
合気も極めれば他の技が要らないようになるのでしょうね。ただそこまで到る者は少ないのかも >>67
主催されている道場のどこでも指導が受けられると思いますよ >>69
千野先生は支部道場を巡回されてるんですか? もしかして、千野先生は塩田先生を越えてるんじゃないですか? そんなんわからんやろ。
どの先生も師匠死んだら突然できないことができるようになるしな ここで話すのはあれだし養神館ディスるつもりはないけど正直な感想
養神館龍に体験に行ったけど形ばかりで取りも受けもこう動いてって踊りだったよ
これなら出稽古に行く元養神館で塩田館長の稽古を受けた方の方が昔の養神館を知るという意味では勉強になる
ちなみに俺は合気会の有段者 >>72
塩田剛三をですか?
だとすれば、それはないと思います >>75
正直で良いと思います。幻想を抱かれてもあれなので。養神館出身の実力NO.1はまだこちらにお名前の上がっていない師範ですね つま先立ちにしたりしてるのを見て、凄いとかそういうことではないしな >>80
安藤先生も千野先生も養神館のトップではありませんでしたよ なぜみんな師匠が死んだら突然技ができるようになるの? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 養神館に限定して申し上げれば、塩田剛三存命時には各師範とも達人技のようなものは披露されることはありませんでしたね。
ただ師匠が亡くなったから出来るようになったわけではなく、披露出来る立場や環境が変化したということだと思います 未来氏とコラボとか、なかなかアウトローな人たちと対話してて面白い。
剛三先生もいろんな形で強面な人達相手にしてたんだろな。 甲野善紀との対談はおもろかったな。内容もそうだけど理解不能で呆気に取られてる感じも。
かなり長い時間話したなあれは。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI スパークリングしないと、強くならないという当たり前の理屈。 この先生の突きは、なんで威力があるの?原理がサッパリわからない。
誰か教えてください
https://youtu.be/iE6RLfW6NPE この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>100
同じ塩田先生の弟子でも、千野先生の技は明らかに筋力だと納得できる。
技を掛ける瞬間、千野先生の体がブルッと震えるから。怪しげな気の技ではない。
安藤先生の技は何か怪しい。 >>94
そう言うな。今更合気道にそんなモン求めるくらいなら、柔道かブラジューでもやってりゃいい。 >>99
動画の冒頭で説明してらっしゃいます。
突きではなく当身ですね 安藤先生のも嫌いじゃないな
触れてなくても技はかかるしな 7のスレの話を引き継ぐと、
どんなときでも同じ技を掛けられなければならないという考えはわりと良くでるんたけれど、
技には施すべき適切な距離がある。
距離が変われば技も変わる。
やりづらくなるならそれは技を変えるべきときなんだ
また、「この技」をかけづらくしてやろうという受けは、別の「あの技」にはかけられやすくなってる
だから受けも取りも型を守って稽古するんだよ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>109
そんな考えしてる奴いるのか、面白いな。
打撃に置き換えたらそんな考えにはまさか至らないと思うが。。。 >>111
打撃に置き換えるとはどのような意味でしょうか? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>111
もちろん誰しも陥る可能性はあるよ
打撃でもありうる
一撃必殺もそれで、夢があって憧れるから陥ってしまう
しかしちゃんと相手と向き合えばその難しさありえなさに気づける 合気道が現代に合わないと思うのは、相手は普通そんな形で抑えないだろうという抑え方を前提とした練習をしている所
相手が持ち替えたりポジションを素早く変化させる事はしないという暗黙のルールで成り立っていること
暗黙のルールを知らない相手に技が掛からなくて相手を批判する始末 >>115
「持ち替えたりポジションを素早く変化」されたら、練習になりませんからね。
合気道は相手が攻撃する瞬間を切り取って稽古しています。本来相手は変化しないのではなく、変化できない前提なのです >>112
ショートレンジならショートレンジの打撃を選択するわけで、ロングレンジの技を出すことにこだわるのは無理無駄無謀
>>116
その瞬間を切り取れる前提なところが、「最後にやる武道」と言われる所以だな。これだけやっても使える場面は出てこん… その瞬間を切り取る事自体は現代格闘技でもやってるだろ。
使えるかどうかは、ざっくり言ってスパーがないことじゃないかな >>118
切り取るのを理由にしてないぞ。切り取れる前提であるのを理由にしてるんだ。あんたの言う通りスパー的なことしないと切り取れん。 切り取ろうにもそんな抑え方はしないのでそんな場面は瞬間的にも訪れる事は無いのであった こっちが刃物男になった時くらいしか起こらんからな… >>118
スパーなどまったく無意味ですね。
少しは強くはなるかもしれませんが、それは合気道で強くなったことにはなりませんから >>124
123です。
スパーを行う格闘スポーツの経験はあります。これらの格闘技でスパーの重要性はよく理解しています。スパーをしないで、基礎練習だけ行っていても強くならないこともよく知っています。巧いと強いはイコールではないことも。
その上で、合気道におけるスパーは無意味だと思います そもそも論として「今の合気道」で強くなる必要性があるのかという疑問。戦後実戦性を捨てて和合とか万有愛護とか掲げて相手と仲良くやりましょう的な武道が強さを求めるんなら、最早それは大東流とか他の古流柔術やっとけになるんじゃない? 相手の行動を察知または誘導するのは合気道に限らずどの対人競技でも求められるから、そういう意味では合気道の強さとは関係ないのかも この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
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本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
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この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>129
どうでしょう。合気道には自由技という素晴らしい稽古法がありますからね この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
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この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
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植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 でも動画楽しいな。
いろんな先生のことわかるし、塩田将大先生の魅力ということかな。 いつも他の先生から気持ちよく投げられてるけど絶対に忖度してるよな
それじゃただの演武だよ
2回目は本気で耐えてみるとか技を外してみるとか
そのくらいやらないとつまらん 本人の技量がどうであれ、道場を率いる立場で余所に教えを乞いにいくことはなかなかできない。
若手であればこその企画なのでさしあたり応援したい。
でも訪問先の傾向は偏りすぎだわ。 シャドーボクシングだけやっても強くならないよ
スパークリングと試合をしないと
だいたい合気道やってる人は、蹴りをどうやって捌くの? パンチやキックってそうそう当たるもんじゃないですよ。あれは同じ競技内で勝負しているから当たるのです レスリング、とかはタイミング外せればそうかも。合気道してる人にもそうなんかね。 >>138
蹴ってくるような人間と付き合わなけりゃいいのさ。合気道とはそんなモン。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>137
偏りすぎというか、人脈あるとこってことなのでは。 >>136
技にかかり過ぎ問題は、そもそもかからないとアップロードできないから仕方ないよね あんだけ暴れてた自演魔がここには一切近寄らないってことは自ら自演を認めたようなもの >>148
暴れているスレの方も急に大人しくなった
まあ素人の糖質が達人気取りで連投していただけだし >>151
亀仙流のカメハメ波のパクリ、いや言い方悪いね。
武天老師が出来る技のコピーとも言える波動拳ですね。
悟空師範もやっておりますね。 立ててからしばらくほとんど書き込みない日があったんで歯痒かったが、立ててよかった。
平和なスレになったぜ。 >>153
つーか上のレス見てみなよ
ワッチョイスレなのにワッチョイの意味がわからず7の自演厨が自作自演してるぞw >>151自演失敗してるぞw
べつに自演は悪とまでは思わんけどワッチョイとIP表示されたほうが互いにとって健全なのは確かだな この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 将大君と甲野さんとのコラボ面白かった。
技は流動的に変化すべしとか、熱心な人には色々やらせてあげた上で、それを超えて納得させろとか。
熱心な人の質問に言葉ではぐらかすなというのは、
合気道に限らずなんの武道でも皆心当たりがあるのではないかな はぐらかされたと思う人もいるけど、まあ、親切さなのかもしれない
甲野先生だって言葉で誘導してないわけでもないし 道場でやりたいことと動画で見せてることがなんか志向がずれてないかなー。 いろんなニカ条みれるのはよいね
中心取りに行くのが好きかな この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 剣先意識するのはかなり良いと思った
養神館が剣やってるイメージはないけど >>164
彼は合気会的な組織、あるいはカルチャースクール的な道場を目指しているのかも。塩田剛三どころか、故井上師範、竹野師範、千田師範といった実力者の技を受けずにきてしまったようですからね >>144
レスリングや空手が強い人にも同様のことを仰るのでしょうか? >>165
中心を取る、中心を攻める等よく目にしますがどういう意味でしょうか?私は意識したことがありませんので、単純に疑問です >>162
私にはただの力技に見えました。あれで納得できるかといえば、私はできないかなと感じました >>170
中心とれないと技厳しいから、技にある程度掛けられるなら意識してないだけでなんか相手に対して意識してることがそれなんじゃね >>171
年寄り出し、細いからたいして力ないけどそもそも養神館系統の受けが力いれて固めるから、ああいう技にかかりやすいだけ >>173
力いれて固めたりしませんよ。あんな受けしてたら怒られます >>172
あえて意識した事がないと書きましたが、中心なんて技かけるうえで関係ないと思いますよ。みんなもっともらしく言ってるだけで >>175
いやいや。
中心関係ないはありえないよ
構え一つでもどこに向かって構えるんだって話になるじゃん 中心という用語上の話かもしれないけど、
でも超メジャー武道たる剣道でも使われてる用語がわからんということもないはず >>176
もちろん方向や角度は関係あります。相手に響く位置や向きがありますので。逆に意識しなくとも、技をかけるには「そこ」しかないポイントはあり型通り行えばいいだけですね >>178
型通りやるならまあ、成立するんじゃない?
型が導いてくれるから
でも型を通して中心養われてるんじゃないの? 指導する立場からは中心とかいう言葉は便利なんですよね。武道的な身体の使い方を説明しやすいというか。初心者はどうしても身体の動きがバラバラですので、まとめていくイメージをさせ易いのです >>181
養神館ではそんなこと言ってませんでしたけどね笑
「手足腰の一致」は徹底して意識します そもそも『中心をとる』と、『中心をとられる』という関係性が取りと受けに起こってる
これは絶対に起こっている
意識しなくていい、というのは型通りなら成り立つ可能性派ある。
技受ける側が中心とられるからだ
しかし受けも取りもなくお互い構えたときに、中心どっちが取ってるかで技をかけに行けるかどうかが決まるじゃん?
中心取られてる方は構えが外れていくのだから。 体格や僅かな向きの違う状況でも「型通り」にやるために必要な修正が、それこそ中心を意識してないと正しく行えない気がする。 「中心」を自分が有利な位置どりという解釈なら理解できます 型稽古で技かからないなーってときに、基本動作を丁寧に見直すか、中心意識をしっかりするかみたいな方向性はある >>186
これは正しくて、武術は結局陣取りゲームをやってる
でも、相手の構造もわからない者が陣取りゲームでは勝てないわけですよ
体格、姿勢、速度、タイミングなどがわかればわかるほど有利になる。
だから相手の『中心』というのは、とくに体格姿勢重心を把握して、肝心なコア的な部分を捉えることができてるかということになる この、最近のニカ条の動画でいうと向かい合ってかなり明確に中心とりにいってるよね
でも合気道だとド正面に立たないのが主流な気もしている たとえば二ヶ条なら効かないところから徐々にずらしていくと効く位置というのはあります。しかしそれで通用するのは初歩の段階のみだと思います。そのうち通用しなくなりますよね。つまり中心云々というのは本質ではないと考えます 塩田剛三も中心力とは表現していますが、「中心」とは言っていないと思います。この意味をよく考えないと罠にはまります。何十年も無意味な稽古を繰り返すことになります 本邦の武術で古来、中心を意識するものなど本当に存在したのでしょうか。何か非常に現代的な考え方だと感じるのです >>190
いきなり中心取れるとだんだんずらす必要もないですよ >>193
あくまで分かりやすいよう例えたものです。1から10まで位置、方向の段階があったとして技の効果が出るポイントが5.5のみにあるとする意です 剣術で中心意識しないのはありえないけれども。
剣先どこに合わせるの?ってなるからね >>195
それは初心のうちだけでなく、ずっとなのでしょうか? >>196
意識の話なら、熟練すれば意識することもなく中心おさえるということになりますよ
それは何でも一緒ですね
熟練すれば手の持ち方、構え、その他何でも意識しなくてもするようになりますね
ただ中心取れてない人が、中心取れる人に技掛けることができるということは起こらないので、
中心大切だということです もちろん触れてる触れてないみたいなことは、中心取ることに関係ない
中心取ってるから動けるし、技もかかるのだから この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>197
ますます分からなくなってきました。私も初めの頃は中心「軸」を意識して稽古していました。独り稽古の際もそうですし、対人においてもそうです。長じるに従い、修行の浅い相手には姿勢だけで相手を崩せるようにはなりました。これを中心の取り合いをした結果だと言われれば、なるほどそうなのかともなりますが… たとえは違うかもしれませんが、軸の安定している独楽にフラフラの独楽は弾かれるといった程度の意味です 中心がないものなんてないんだから、自覚なくやれてるならそれでいいんじゃない? >>202
まさしく仰る通りです。中心なんてものに捉われてしまうと上達の足枷になりますよ、ということなんです 同じように丹田なんてものも無いですよね。便宜上名称を付けて、このへんにありますよって話なだけで でも、このへんの話はややこしくて、上達のコツなんて物を教えてしまうより神秘的にぼやかした方がキャッチーだし生徒が集めやすいので…悩ましいところです あ、話は変わりますが、YouTube等で格闘家や武術家とコラボするなら一番説得力あるのは岡本眞先生かなと思っております。私は面識ありませんが、動画を拝見してそう感じました >>203
足枷になるかどうかは、人それぞれだけどね 丹田は便利な言葉だけど
中心は極めて明確だろ中心ないものなんてこの世にないんだから 丹田というとオカルト的だったりもするし、姿勢や重心の複合的なものだったりもする。
中心は複合的な要素はあるけど、明確だよということ。
言うまでもないかもだけど。
でも中心わからない人にとっては同じように感じるということか? >>206
岡本先生はすごいけど武術的にはどうなんだろう?そういう動きしてるのは見たことないな
力学的な話の印象だけど >>210
失礼ながら武術家としての強弱は計りかねますが、起居動作もままならぬ印象ではありますので。ただ、技術的には実践でお示しになられますし、説明もわかりやすく十分説得力はあるのかと >>208
中心は重心とは違う概念ということでしょうか?
例えば片足立ちし剣を大上段に構えた際の中心とは何を指しますか? >>212
ものを持ったり動かしたりするということなら重心と言ってもいいでしょう。
正方形の重心は対角線の交点ですが、中心とイコールですね。
片足立ちで大上段て想像つかないしあなたのイメージと一致する気はしないけど、
向かい合って打ち込まれんとする状況なら概ね胸よりちょい高いとこくらいになるんじゃない?
上段打てなくなるところを抑える。 >>213
では中心とは隙を無くすことに解釈は近いのですか? どの様な状況でも中心は存在する?
極端な例ですがドロップキックをしている時も中心の概念?はありますか >>214
自分の中心を守り、相手の中心をとれてる状態ならスキは無いといえるよ 塩田将大先生の動画はコメント読むのもまあまあおもろいな 日本の中心は何処にあるのかな?皇居? 赤坂御用地? >>218
そういう観念的なことなのですか?
たとえば剣でお互い切り結ぶと、未熟な方がはじかれますよね?それとは違う? >>221
中心守って中心とるのは観念的なことではないよ?
剣で切り結ぶのも、タイミング同じなら中心とれてるほうが勝つよ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>224
この手の稽古、鍛錬は10代の頃に散々やりました。おかげで腕だけ異常に太くなりました笑 >>223
中心守って、中心取る目的はなんでしょうか。
どこに斬り込もうがタイミングが早い、スピードが速いほうが勝つと思うのですが 中心とられたら、打撃でも掴みでも剣でも、一瞬だけど防御や反撃出来なくなるんですよ。
例えると正中線に急に包丁突きつけられるみたいな。そうなると攻撃や防御や反撃どころじゃなく一瞬固まっちゃうでしょ。 >>228
卓球と一緒よ。中心に来たら逃げにくいし攻撃も出来にくいでしょ。
とは言うけど合気道にそんなこと考えて仕かけてる、受けとか言ってんのかな、そんなの見ないけどね。 >>230
一般部はともかく上級者は当然考えてるんじゃないの。コラボした安藤先生や千野先生がそういう事を考えてない事はないでしょさすがに >>231
良く見てよ、勘違いせんでね。安藤先生や千野先生とかのこと言ってんじゃないでしょ。こんな人達に中心取って仕かけてるのか。
こんな人達に中心攻めると逃げにくい様に、受けとか言ってんのかな、
合気道にそんなこと考えて仕かけてる人達、そんなのあんまり見ないんだけど。 >>231
いや、逆に安藤先生も千野先生もそんな事考えてないと思いますけど… >>229
私はそんな経験したことないですね…
先をとられて動けないとか、睨まれて動けないとかは経験しましたが したことないならそれでいいんじゃない?
中心とるって普通に武道ではよくある、基本的で普遍的な技術だから、いまさらそんなのないとかいわれてもそうですかって感じなんだよね。
いつかわかる日が来るかもしれないし、関係ないまま終わるかもしれない。
それはもうわそういうものだなとしか。 中心がないわけがないし、中心はずしたら相手に中心とられるんだから。 うーん…私の周りで中心云々と言っている人に会ったことないですけどね。本当に普遍的なことなのだろうか 中心を取らせずに相手の目の死角上を描く攻撃や、中心先に取って守り難くして間合いを寄せて動けんようにする攻撃とかしないの。
合気道の受けとか言ってんのかな、そんなこと考えて仕かけてる人達、そんなのあんまり見ないんだけど。そう言うのしないと取りとか言ってんのかな、そんな人も上達しませんよ。 >>237
剣道 中心とる
合気道 中心とる
とかでググったかな? 受けが中心抑えてくるから取りはそうさせまいとしながら中心取り返していくことが型になっている >>237
まあ言葉なんてしょせん単語ですから。
先という言葉で、結局は中心の説明してる先生もいますし。
まあ合気道だけでなく武道全般で言われる概念ですから。
中心という言葉にあまりこだわらなくてもいい。
極端な話、中心という単語使わずとも中心取ってるような人もいるわけだし 中心の取り合いの事を、
先の取り合いとか虚実の取り合いとかの言葉で説明される先生もいますから。
ファッション、洋服、身なり、
どれも似たような事を指しています。それと同じ事です 安藤先生はなんも考えてないよ
あんな番組に出ちゃうんだもん 少なくとも、塩田剛三時代の養神館では中心なんて言ってる者は誰も居なかったですね。
合気会さんでは、一般的な概念なのでしょうか… 養神館で「中心」に近いものがあるとするならば、それは構えですね。構えでは軸がしっかりしているのに、動き出した途端に軸が消えてしまう。そこを消えないようにするのが稽古ですね。塩田剛三が構えがいちばん強いと申しておりましたのは、そういう意味です。
止まっていても、動いていてもしっかり軸がある状態を作る。「歩く姿が武」であるの解釈のひとつと私は考えております 受けの中心がどこにあるかより先にイニシアティブをとっておく「入身」がそれに当たるでしょう。
絶対の先です。 >>244
そんなテレビ番組があったのですか?
何も考えてない…
ご性格でしょうかね笑 >>242
そうなんですね。最近は中心って概念が一般化しているんですねえ。
その辺は時代とともに変化していくのかもしれませんね。気功とかヨガとかが流行した名残りなのかも >>238
御免なさい…。方言表現なのでしょうか?仰ることのニュアンスが肯定、否定のいずれなのかはかりかねるので、標準語に変換していただけると有り難いです >>253
私は嫌いというよりも、武術家たるものそんなものにとらわれて稽古してはいけないなというスタンスです。
YouTubeでも見かけますよね「中心とったから動けないだろう?とか、先をとったからあなたは死んだ」等の動画を。そんな動画を見ると「いや、動けるだろう」と思ってしまいます 開祖が手をパッと出して弟子が転がるのは本物だとわかります。動画で見てわかるぐらいすごいタイミングですから、目の前に立ったら転がるしかないのだと想像できます。
でも、それとは違いますよね?中心を取り合うって。「あ、俺が中心とった!」とか「中心とられたぁ」ってまるでファミコンゲームみたいじゃありませんか >>254
そういえば思い出しました。「中心が〜」と言っていた者が一人だけおりました。
彼は嘲笑されていましたし、指導者からもワケの分からないことを言うな!合気道や武道はそんな物じゃないと怒られていました。ほんの30年前のことですよ。当時は一般的ではなかった証左です 中心わからないならわからないでいいよ。
メジャーな用語なのに、自分がつかわない言葉を、ことさらに否定するどころかファミコンゲーム扱いする時点で不誠実だよ みんな、このスレは強制コテハンなんだぜ?賢く使おうな >>259
そんなことを申したつもりはございません。
剣道はリスペクトしておりますので そして荒らすつもりも、争うつもりも毛頭ありません。考えを申したまでです。
中心を取り合うのが武術だ、というお考えも結構だとは思います。あくまで私は立場を異にするというだけですので お前と同じことを言ってる奴は馬鹿にされていた
お前の言ってることファミコンゲームみたい
これで荒らしてないという精神のあなたには2度と来て欲しくないです。お疲れ様でした。 中心を取るって言ってるけど正中線の取り合いのことだからね。武道には共通する概念で
合気道も普段から攻める役の人は正中線を取って攻めたりするんでしょ。
それを如何に安藤先生とかが動いて技をかけるか、ってことだよね。
https://www.youtube.com/watch?v=EScOKQy3EhE 荒らしとその分裂体以外はわかってるさ。
そんなことよりさっき上がった動画の話しようぜ!
…100の質問だったか… 開祖から生まれ先達や我々が伝えた合気道がこうして曲解され、変質していってしまうのは悲しいことです >>268
どのように曲解されるんですか?
ご自分は曲解してないと?
エゴがすごくないですか? それで、引き付けるとか言われてるんだけど、動画全体に言えるのが先生でない人について最初からそれなりに自由に逃げれる体制もしてなくて
又構えを備えてそこから先生の正中線を取ろうとしても動いてはいないこと。例えばレスリングの様に両手で構えつつ先生の正中線にタックルの
場合や空手道の様に少し遠間から動きの中で先生の正中線上を攻めて来たり近間でも先生の動きに反応した相手が正中線を取ってタックル、突き、
蹴りして来た場合など。素人じゃあないんだから習うのは良いけど塩田さんの方が正中線も取ろうとしないで先生を前にして無防備過ぎだと思った。
https://www.youtube.com/watch?v=wu0739ZWFpM この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 相手が掴んでくる刹那にちょっと誘導して相手が不利な位置関係、体勢に持ち込むのかっこいいよな。
受けが過剰だと最初から不利な場所で掴もうとしちゃってるけど。 >>276
相手の掴みに合わせて少し早く手を引っ込めてやると、相手は本能的に追おうとする。
このときに引っ込めるのが早すぎると掴めないし、
遅すぎると相手を崩す前に掴まれてしまう。
大東流でも合気道でも少林寺でも見かけるやり方。元々は大東流が発祥なのかな >>254
なんでここには来られないの自演サン?という煽りに激昂して来たのでやっぱり自演サン >>277
柔道のレベル高い選手とかは反射的にできるんかな…? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>277
いつそうするかというところを学べるようになっているかが、形の見どころ >>279
分からんけど柔道で使ってる人がいても不思議じゃないかも 武術は中心(正中線)を取り合うものというのが、どうしても理解できません。正中線上は急所が集中しているので守るべき、というのならまだ分かります。
皆さんが何故そう考えるに至ったかに興味があります。師匠や先輩から教えられた、書物などの資料を読み知識を得た等です。
煽っているわけではありません。是非お聞かせ願えないでしょうか >>907
スレ違いです。他の合気スレに行ってください。 安藤先生との動画みてたけど、フォーム崩れがないよね。
なんとなく合気会の某不思議演武をされる師範と動きがよく似てる。
安藤先生は合気会岩間派出身の養神館師範だし、
某師範は皇武館時代の塩田先生の兄弟子の技を受け継いでるから
辿る道筋が似ていてもおかしくないんだよな。
相手を吸収する、引き付けるってのは、自分のフォーム、中心がしっかり出来てないと感覚が掴めないのかな? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>283
安藤先生の動画を見たけど>>285で誰かから言われてるように攻める側が先生の正中線を
取りに行くべきところですが全くそれはせずに逆に自分の正中線を攻めてもらおうと空けて
攻めているんだよ。だから先生に引き付けられて先生の中心とかで返されてる。攻めてる方が
先生の中心線を取ろうとしてないのに武術は正中線を取り合うものという理解はできないよね。
攻めてるようなかっこうをしているだけであって攻めてる人にその攻めの中味が無いからです。 取りに来た手をぬるっとつかみ返すみたいなのが養神館にあるけど似たようなもんだな >>289
まあ、受けに行ってるから意図的に空けてる可能性はあるよな >>289
そのへんは忖度があるかもね。まあ合気道に限った事じゃないけど。
だからといって中心の取り合いが否定されるものではないよ。実際上手い人が存在してるんだから >>292
中心の取り合いは前提及び演武でも先生に対して攻める方の人は肯定した動きでないとおかしいと言ってるんですが。
実際に上手い人が存在してるんでしょうから、攻める人が半端な動きではなく中心線を取った体勢の状態でこれを返す
ような技術が見れる合気道の先生の動画もある筈なんですよ。 演武はスパーとは違うので綺麗に見えれば何でもありなんだよ バライティ番組でハリセンで後ろから思い切りぶん殴られなかったら塩田剛三の生き写しと言われたのに >>295
あれチャレンジしたのはむしろ好感度あがったよ
偉いよ チャレンジ精神だけで褒めたらダメだろう
結果をだしてこそのプロ
面白いかどうかで判断するなら塚原卜伝みたいにサッとかわしたほうが
おおっ!となるやろ
ヤラセであればああいう絵にはならない 演武でも攻める人が半端な動きではなく中心線を取った体勢の状態でこれを返してるような技術が見れる合気道
の先生の動画はないのでしょうか。 そうでないと合気道は先生でも先に中心取られたら何もできてないことになる。 おお、日野先生も来たんか。たくさん交流できて羨ましい。合気道は相手に拮抗を作らせれるかが勝負なんかな。 >>289
いや…安藤先生は中心で返すとかそんな事してませんよ。。 むしろ安藤先生と日野先生がコラボしたらどうなるんだろうか?まあ共通点も多いとは思うが… 良いかも知れませんね。それで日野さんが全否定されるっていう展開 まあええよねそういう機会ができるなら、塩田先生の成果だな 武術的な上手いヘタ以前に日野先生は説明が分かりやすい >>283
私が答えます。
まず初めに貴殿の反目意見は概ね正しいです。
真正面から受け止めず入身転換もどきなレスをしてる人に構う必要はございません。では本題です。
中心とは必ずしも正中線の事ではありません。
中心=正中線と思うからどんどん話がズレます。
中心=正中線とか言ってる人は申し訳ないけど、理解が浅すぎます。
同様に中心=真ん中も否です。
扇子の中心はどこか、真ん中はどこか、と考えるのが分かりやすいです。
これで察する事が出来ない人は稽古が足りないかやり方が間違っているか、体操みたいな事をしているだけです。
故に中心を取るのです。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>309
>>308のレスって7の持論語りの人だね
書き方でわかる >>304
そこまで差があるだろうか?日野さんからも学ぶべき点は多いとは思うのだが >>313
逆に私はここまで学ぶものが無いのか…と思いました。甲野さんや日野さんが出てきた当時に感じた胡散臭さは正しかったんだなと >>312
微妙なところですね…同一人物のような気もするし そうですね。少し言い過ぎたかもしれません。
参考になる方も多いのでしょう。
ただ、養神館の黒帯なら誰でも出来る初級レベルの内容だったな、という感想です >>318
それ本当?
マスターが養神館黒帯に指導してる動画があるが
臂力の養成イロハのイから教え直してもらってる感じだったが >>312
誰の事か知りませんが別人です。
正中線とは線
中心とは点
線は点の集まりですが、点には点の線には線の役割があります。
中心=正中線と語るなど聞き齧った事を間違って理解してるだけですな >>318
と言う事は将大さんは養神館の黒帯初級レベルって事ですか? >>324
彼の実力についてはネット上でも過去スレでも言及されているはずです >>322
本当ですよ。養神館の黒帯なら、ですが。
彼に指導されるって…あり得ないですね笑
養神館とは本部道場のことを指しています スパーリングをしない合気道は
どこも弱い
護身術として役に立たない 法的な意味も含めて護身するなら合気道で良いかもな。 >>347
そうですね。剣はやらないですねえ。
短刀は短刀操法を徹底的にやりましたね。
今でも身体が勝手に動きます
「短刀操法一本目用意ッ!!」切り傷とアザだらけでした笑 >>348
剣はどうでしょう。養神館草創期にはあったのかもしれませんね。
現在では基本動作を木刀で行うぐらいでしょうか この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 相手を爪先立たせる型の受けだから爪先立ちしてるだけのような その「つま先立ち」なる受けは何を見れば確認できますか? 最近はそんな受けするようになってるんですか…昔は勝手に受けを取るな、自分から飛ぶなって厳しく言われたものですが 勝手に受けを取ること、自分から飛ぶことと、つま先立ちになることは関係ないけど。 >>370
あの逸話は武道家たるもの如何なる時も油断するべからず、という教訓ということで語られていたと思うのです。それがいつしか指一本でKOしたとか不意打ちしたとかが殊更にクローズアップされるようになり、些か違和感を覚えております。
あまつさえ、不意打ちをしたから卑怯だとの言説も認める始末で…。不意打ちも技術だと思いますし、私も良く使いました >最近はそんな受けするようになってるんですか…昔は勝手に受けを取るな、自分から飛ぶなって厳しく言われたものですが
https://www.youtube.com/watch?v=HA1E1e36atA
それが本当のことなのだろう。 それと将大さん痛くもないのにオーバーに喚き過ぎ。出す気がなくても声が出てしまう技ならあんな声は出ないよ。演技だな。 岡本正剛のVHSで合気掛けられた弟子があーーーーーーってメッチャ長い声出してるのは本当に出てしまった声か演技かどっち 当たり前の話だけど大東流の先生の技は誰にでも効くわけではありません
技が効きやすい人程道場に残るので道場内ではよく効くのです 合気道やってる人から見て、この人どのくらいのレベルなの?
あまり熟練してるようには見えないんだけど >>356
この人とは誰を指していますか?
塩田君ですか? >>354
これは仰る通りで、傾向としては女性や子ども、男性でもいわゆる運動神経の悪い人にはかかり難いですね。
あとは剛柔流や上地流のような流派、あるいは中学武術を修行した人や、力士のような筋肉量の多いタイプもかかり難い印象です >>359
数多いる黒帯の一人といったところでしょうか…
養神館では初段か二段だったと思います。
彼は黒帯になってすぐに養神館から離れていますので、あとはご想像ください >>350
そうですね。合気をかけられて出る声には大きく二種類あるでしょうか。不意を衝かれて「うわっ」という感じと、呼吸筋が緊張して呻くような「ううっ」というものです 声なんて出す気なければださないんだよ
声出してる時点でお察しだよ >>364
うーん。どうでしょうか。
運動神経が鈍い人は出ない傾向かも。
受けで声が出る人は技も上手い、センスがあるといった共通点がある印象です アホなこと言うなよ。気合の様に技は仕かける方がその時かけることはある。かけられてる方は瞬間苦痛がないと出さんよ。
かけられてああーとか長いこと声だして口あけてたら危ないから極力出さないんだよ。
本気ではないしセンスなんて無いから女みたいにやられ続けてる間もずっと出せるんだ。相手も武道もなめてるよな。
https://www.youtube.com/watch?v=I2cArLxYznQ いやいやそれ以前だよ
声出したとしても、その後出さないように修行積めばいいだけなんだよ
声出すっていうのは、道場や指導者がそれを放置してるってことなのよ
何回やっても声出ますなんてありえないんだよ
修行が足りないか、わざとか、放置のどれかなんだよ
武術であんなふうに声出してたら不利なんだから より声を出す受けの方が技が上手く見えるから残されたんやろなぁ。 >>366
??
どういうことでしょうか?
生理反射の類ですから、自分ではどうにもならないのですが… >>367
修行したら出なくなるものなのでしょうかね。考えたこともありませんでしたが…
声を出していたら不利とは?? >>368
受けが勘違いというか、サービス精神というか発揮している場合はあるでしょうね。見ていればわかりますけど。
ご指摘の通り、これは逆にインチキっぽく映りますから避けるべきと考えますが >>371
たとえばどの様な鍛錬を積めば出なくなりますか? 声を出さないように心がけるところから始めましょう。
周りを見ましょう。みんな全く同じようには声を出していないはずです。
声量、出し方などに違いがあります。
あまり声を出さない人のマネをしてみましょう。 将大先生は大して上手くないだろうけど
ネットで塩田くんとか言ってる人が将大先生より上手いのかは疑問ですね >>374
ああ…
そういう意味でしたか。。
たしかに攻撃する意思が弱いと声もでませんからね。これは合気がかかり難いひとの特徴と共通します。
館長の襟を持った飯島さんがスルーとしゃがんでしまったのはその為ですしね。彼女が相撲や柔道、レスリング経験でもあれば抵抗しようとした結果声が出たでしょうね >>375
医師や法曹と違いますからね。
目方が下の者に先生とは言いません あ、もちろん他流や他の組織の指導的立場にある人に対してはどれだけ若年であろうと、未熟であろうと「先生」とお呼びします >>377
内輪ならそうでしょうけど、わざわざ他団体の道場長をみんなが見る場で『くん』呼びするのはまあ、そういうお人柄が伝わりますね。 >>379
安藤先生も天野さんも塩田君と呼んでたはずですが? >>375
ふつう大して上手くない人のことを先生とは呼ばないけどね この塩田将大さん、格闘系の関連によく動画出てくるけど
1回だけ見たかな
総合格闘技のやんちゃそうなのとのコラボだったか
内容は覚えてないけどフィジカル違いすぎて
最近は甲野さんとか日野さんとか古武術系も出てきたな
見てないけど
黒田さんとかなら絶対見るけど
正直合気道が実戦で使えるとは思ってない
武術的には限定された状況下でのピンポイント技法かなって感じ
格闘技というより体育とかスポーツ的な稽古事に近い印象
有名な塩田剛三にしても芸人相手の番組見たら
同門の演武で使いまくりのいわゆる合気っぽい?達人っぽい?
不思議っぽい技はまったく使ってなかった
演武という約束された形式的な動きの中で効かせることはできても
やはりそこから外れて動く外部の人には使えないんだろうなって >>382
握手合気くらいやってくれたら楽しいんだが >>375
正直言ってどの武術でもある程度しっかり納めた人なら塩田君の技量が低い事は分かります。 >>380
ほんとは失礼ですよお二人共
というか達人シリーズは塩田先生が教えを請いに行くシリーズだけど、
そのときの達人たちの態度で社会性とかわかってしまいますね
内輪ならいいんですよ。
カメラ意識してないなら君呼びするのは自然と思いますが、それが社会性ですね。
>>381
先生とお呼びするのに、上手い下手は関係ないと思いますけど 本当に誰にでも合気が掛かるならそれこそ柔道やMMAでも通用するはずだけどそんな事は絶対に無いです
しかしながら非常に掛かりやすい人が居るのも確かです
先生はそういう人達に囲まれると勘違いする危険があります
時々外部の人に合気を試した方が良いと思います >>385
私は失礼だと思わないし相手に先生と呼ばれたいとも思いませんね
教えを乞う立場の者が相手を先生と言うのは自然ですが塩田君は習う側ですよね >>387
そうですよ習う側が先生というのは当たり前です
その時教える側はどう接するのか、というのにお人柄が見えますねという話です
ネットで
『俺は先輩だ。元同門だ。だから相手が他団体の道場長になっても君て呼んでやるんだ』
なんてダサいよねという話ですね 安藤さんも天野さんも塩田君の大先輩だし塩田君が自分の道場を持ったとしても塩田君と呼ぶのはとても自然な事ですね
それとは別にここで塩田君と呼んだら失礼というのも全く分かりませんね
そう呼んでる人達は塩田君より年長で彼の生徒でも無いのだからね >>389
ちょっと待ってください
道場長になるって事はそんなに偉いのでしょうか?
馴れ合いでお互いに先生と呼び合うとか正直気持ち悪いです >>385
そうなのですね。「社会性」知りませんでした。私も気をつけたいと思います。
ただ、私が彼なら安藤先生から「先生」と呼ばれることは撮影を中断してでも固辞するとは思います 例えば塩田君の生徒も一緒に出演したとして塩田君に対しては塩田先生と呼び生徒の方には生徒君と呼ぶのは構わないという思想なんでしょうかね
私はそういうのを見たら嫌な気分になります
どっちも君で良いでしょう 塩田君は自らの道場ではどう呼ばれてるのですかね。塩田先生?それとも塩田さん?
ちなみにお父上は養神館で「先生」とは呼ばれてませんでしたね >>393
同感です。私が彼の動画で非常に違和感を覚える点です。彼にとって大先輩や先生に当たる者を同行させときながら、あたかも彼の弟子のような体裁になっているからです >>389
そのお人柄を疑われている本人です。
まあ、お互いの関係性がありますのでね…対外的には先生と呼ばねばならぬのなら以後そう心がけます。ダサくはなりたくないので >>393
他団体の先生の生徒さんなら『さん』付けなのでは?
なんで『君』か、『先生』の二択なの?
それがまさに『社会性』ですよ…ほんとに… >>395
本来大先輩でありながら、ご自分の団体の道場長を立てられているんでしょう。
尊敬できますね。それが社会性ですね。 話は変わるけど、養神館はどういう制度で当初行くつもりだったんかな?
合気会は家元制度じゃん? とんでもないのがいるよな。タイトルに 塩田剛三の合気道 って付けて動画発信してるだろ。
そう言う名目で実際に出してるのは各団体の先生の合気道とかですよね。そこからその先生に失礼だろ。
学ぶと言いながら 俺の身内の合気道だってタイトルつけてその人を虚仮にしてるよな。塩田で良いよ。 それは別に、ご本人と先生と塩田剛三先生に対する思いの関係性で問題ないなら、問題ないと思いますけど >>391
さん付けで十分ですよね
馴れ合いで先生とか呼び合ってるのは、見てて気持ち悪い >>405
日野先生は満州のご出身だそうですね。日本では間違いなく第一人者ですし、欧米でも任期だそうです >>401
当初は鐵太郎さんが館長を継ぎ、指導部は全員そのまま残留する計画だったはず >>408
今こんな感じになってしまったのはなぜなんです? >>411
こちらのスレで申し上げるのは憚れますゆえ、どうぞネット検索なさってください。
過去に2ちゃんねるでも話題になっております この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>411
2ちゃんねるの過去ログ【養神館】塩田泰久【合気道】を読んで頂ければ、当時のことがお分かりになるかと 読み返していて、書き込みも当時はそれなりのクオリティがあったのだなと思いました。皆ある程度の経験者だと読み取れる内容でした >>411
養神館〇〇とかの勢力が強くなって本部の統率力が弱くなってしまったのと
決定的だったのが合気会=植芝家のように世襲が上手くいかなかったのも衰退の原因
とにかく塩田館長のカリスマ性が強すぎたんだな 実際は分裂や崩壊の兆しなど全くなかったんです。内弟子一丸となって養神館を守っていこう、いや…というよりも皆さんが思っているより会員にとっては館長の存在はそれほど影響なかったんですよ 誰がどのように免状出す路線で行くつもりだったのかは気になっています その方が宗家(家元)で、館長は井上先生ということでしたっけ?
全然揉める要素なさそうに見えますね。 >>425
私の記憶では宗家という制度は前面に出して無かったはずです。
たしか館長を鐵太郎さんに、という話でした。
井上先生は外部(警視庁)の先生でしたので、館長になるといった話は現実的ではなかった印象です まったく揉めてなど無かったですし、館長逝去後も通常通りでした。安藤先生の龍なんかも会員が3人ぐらいしか居ないころですので >>42
館長が免状を出す方なんでしょうか?
養神館合気道と、その家元(宗家)と、館長と、財団法人養神会のトップと、そのへんの所が有耶無耶なように見えますね。 そういえば、鐵太郎さんは養神会の会長と秘伝で拝見した記憶がありますね
あのころは館長はどなただったんだろ? >>430
鐵太郎さんが会長で館長は空席でしたか…
当時の空気感としては誰も気にも留めて無かったですね。
養神館の拠り所は千田師範で、実力は群を抜いていたわけですし 宗家というのは今になって考えると、泰久師範のために創ったのかもしれませんね 合気会だと若先生は本部道場長やるので、そういう運営上の構築してこなかった的なことなんでしょうか 館長になると追い出されるシステムみたいになってしまった 実力に関係なくトップは世襲が一番いいんだよ。
達人の子供に生まれるという理不尽に耐えているそれだけで尊重する理由になる。 >>435
仰る通りです。
だから鐵太郎さんだったのです 鐵太郎さんの現在については存じ上げません。
もうとっくに定年退職されているでしょうし 今はどうなってるのか全然お名前も知らない方ばかり。 そうですね…さびしい限りです。
道場長は高島君なんかと同時期に修行したようですね この先10年間ぐらいで、表に出てなかった弟子たちが活動を始めるかなと想像してます。
または千野先生がそうであったように、注目されるようになるのかな それぞれが好きなように発展させてから
もと同門どうしでゆるく連合するのがよろし。 >>447
そう思います。SNSがありますからね。
国内が衰退しても、養神館の場合は外国人弟子が海外で活発に活動してますからしばらくは大丈夫でしょう この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 武田鉄矢って養神館だっけ?
俺合気道なんだけど
体験に来た女性に何故合気道?って聞いたら武田鉄矢のラジオ聴いて興味がと言っていて
やっぱり芸能人が話題にすると影響力あるんだな >>431
故井上氏と安藤氏と先野氏なら誰が上手いの? 武田鉄矢は柔道黒帯で蟷螂拳や。松田先生に習ったが、言うこと聞かず我流になった。 松田さん自身がシナ拳を学ぶだけの者と言ってたけど我流化して教えたような。ってか武の才能ってあったのか疑問。 合気や身体操作はこの位にしてそろそろガチ剣道柔道を訪ねてはどうか >>455
塩田君が合気道家としてある程度のレベルに達しているのであれば、それも良いとは思いますが… >>454
合気道如きの奴が、松田隆智さんの武の才能なんて、どの口が言うの?(笑)
松田さんは、半分ヤクザの世界に関わっていた人だよ。組に所属していなかっただけでな。
「謎の拳法を求めて」の復刻版の巻末の生前最後のインタビューを読んでみろ。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>465
松田隆智先生のことですよね?
まさか松田敏美先生ではないでしょ >>460
>松田さんは、半分ヤクザの世界に関わっていた人だよ。組に所属していなかっただけでな。
知ってたよ。同じく大山氏とも繋がってたことも。でもシナ拳を我流化して教えたのは事実だろ。
その後に中国人本家の中拳なんかと違ってリズム付けてるし中味も伝えて教えてないんじゃない。
その時点で彼の武才には疑問があるし、論理をヤクザの世界で武道の世界を言うのはどうなんかな。 >>470
ワッチョイもIDも一致してるし間違いねぇな 笑 確か松田隆智さんは合気道習ってものにならずに空手とか行って学んでも、これもものにならんから
中国拳法に行ったんじゃあないですか。自分欲望が強かったんだね。記憶が間違ってたらすみません。 大分、記憶が違うな。そもそも、松田隆智さんが習ったのは合気道ではなく佐川幸義先生の大東流合気柔術だし、
最初は空手から始めたんだよ。 合気道って大体経験ない人や格闘家にかけるときは、@関節痛くするA力いっぱい手首を握ってくださいB片腕に対して両腕でかけるC相手にもうかなり崩れてるような体勢になってもらってからかける
らへんのどれかだね。お弟子さんにやるようなほんとにちょっと動いただけで吹っ飛ぶような技はやらない。 >>475
そう言う技やったら普通のラリアットになって終わりそう >>474
そうだったんですか。記憶があいまいで申し訳なかったです。
でも空手も大東流合気柔術もやっても自分のものにはならんかったんだろ。動画見てても武術の才はあんまり無い
のは俺のような者が見てもわかるくらいですから。チンピラヤクザとしても中途半端で。梶原一騎と近い類の人です。 >>477
少なくとも君みたいな合気道の奴は、チンピラ以下だろうけどね。 >>479
ところで貴方、橋本さん本人で間違いないのかな? >松田さんは、半分ヤクザの世界に関わっていた人だよ。組に所属していなかっただけでな。
半分ヤクザの世界に関わっていた人だよ、って刑事なんかじゃない以上チンピラ呼ばわりされても本人でもないのに人をチンピラ以下呼ばわりすんな。
組に所属していなかっただけの半分ヤクザの世界に関わっていた人が先生と呼ぶほどそんなに偉くて武才があるのか。
逆にそんなの先生と言ったり擁護できるのは自分から自分のことをチンピラ以下と自覚してると思われるから気をつけた方が良い。 少なくとも、植芝盛平みたいなホラ吹きのペテン師よりは武才があっただろうな。
日本の中国武術関係者は、大体松田さんの事を先生と呼んでいたんだから、そういう人達に言ったら?
要するに、喧嘩も出来ない、他武道の人間に全く技も掛けられない合気道如きの奴が、松田隆智さんの武才が云々なんて言えないだろって話だ。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>475
塩田剛三さんもテレビで芸人相手に
「いわゆる合気っぽい技」使ってなかった記憶
ホントに外部の人間にも効かせられるなら当然使うと思うんだよね >>485
成立しない、という言葉の意味がよくわからない。「なんでもいいから掴みかかってきなさい」でいいんじゃない?それで関節ゴリゴリ決めない技でお弟子さんと同じように抑え込めたらOKじゃん。一応「相手は痛みを感じないんだ」てのがその手の技の代名詞なんだし危険じゃないんでしょ。 手を触れずに弟子を崩したり投げたり飛ばしたりする、
気功の達人みたいな人が時々メディアに取り上げられて
そのうちの一人が総合格闘技と手合わせしたら瞬殺されたって動画あるけど
合気道の達人もそれに近いと思うね
自分たちの道場内ではなぜか綺麗に決まる不思議系の技、
必ずしもインチキということではなくておそらく解明されてない作用
(催眠系の同調みたいな?)があってのことだと思うけど
それは催眠でいうラポールができてないと効かないんだろうと >>486
なんでもいい、までいかなくても「せーので思いっきり握ってください」くらいだったら誰にでもかけられるレベルではあって欲しいな。 解明はされてるし、誰にでもかかるわけじゃないのもみんなわかってるよ。 >>487
拳銃を知らない赤ちゃんと知ってる成人に拳銃を向けたら成人だけ射線を回避するように自ら動く。
例え弾が入ってなくても、精巧なオモチャでも。
とび受け身とか触れずに倒れる入り身投げなんかはそれに近いだろうね。 >>490
それで思い出したが史上最強の弟子ケンイチって漫画に出てくる
柔術家の奥義だったかな
相手の先読みの回避反射を利用して投げる(相手が勝手に投げられる)
てのがあったなー >>483
言うねー笑
ところで植芝盛平を前にしても同じ態度とれるのかい? >>486
合気かけたうえで投げられたり、関節極められると危険ですよー >>486
それは当然できますよね。そうでなければ看板出せないでしょうから でも弟子のようにはなりませんよ。弟子とて長年修行を積んでいて、対外的には先生ですもの。
弟子は技に耐える、技を回避する力があるのでああなるんです >>492
植芝盛平のじじいは、もうくたばって居ないから、植芝盛平を前にする事はあり得ないが、
仮に植芝盛平を前にしても同じ事が言えるよ(笑) この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
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「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
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https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>494
できてる動画とかどっかにあったりしませんか?自分が調べる限りではやっぱいわゆる「合気」をお弟子さん以外の、特に自由に動く相手にかけてる映像が皆無なんですよ。やっぱり関節極めて「いてててて!」か、良くて強く手首 ↑すみません続きです。
良くて強く手首握ってくださいって感じの技だけなんですよね。
乱取りのような形であの不思議な技がかかっているところを見たことがない。 >>495
技を回避できる力があるのではなく、むしろ技に付き合ってあげてるように見えます。 >>502
「相手のワンツーに対するカウンター」という技を見せるとして、相手がジャブで止めたら技が成立しないが、そこでちゃんとワンツーを出す受けは「技に付き合ってる」と解釈する? >>503
たしかに「技を見せる」というレベルの話ならそうですね。言い方を変えます。
「自由に動き自由に力を入れる相手にはかからないのでないか。あるいはまさにその『技を見せる』度の次元でしか使えない技術なのではないか。」
という意味で「付き合ってあげてるように見える」と書きました。
「約束の範囲でしかかからないように見える」とかの方が分かりやすいですかね。
表現が適切でないようなので訂正します。 >>506
何を指して仰られているのかわかりませんが、技って約束の範囲でかけるものですよね?
それはどの格闘技でもそうなのでは どういうことなんだろう?
いつも感じるのは、懐疑的な意見や否定的な人たちとのズレなのです。
殴りかかってきた敵が触れた瞬間に吹っ飛んでいかなければ納得しないということなのでしょうか 塩田剛三は何をしてもいいぞ、って10人の機動隊員に自由に攻撃させて技かけてますけどね。
これは当時の格闘雑誌かなにかに載ってるはず >>510
それは動画とかで残ってる話なのかな
話だけならいくらでも達人伝説作れるからね
実際の動きを見ないことには そんなに疑うなら体験でも行けばいいのに、そんな話はとんと聞かないですよね。昔は道場破り的なのもいたけど 女子の空手選手がテレビ番組で塩田師範と自由技やった動画ならどこかにアップされてるかもね。
個人的には恥ずかしい動画だと思っているけど 動きを見てわかるものがあるでしょ
演武とか型であっても同じく、説得力の有無というのは厳然とある
黒田鉄山さんとか動画で見て、あーこれはすごいわって思うし
でも聞いた話や読んだ話だけでこんな凄いことやってるから
自分の目で見なくても本物だとかは・・・
そういうのを素朴に信じてた時代がかつてありましたけれども >>506
それはまさにその通りだと思う。
そんで合気道の約束の範囲はすごく限定的。
そもそも相手の行動と同時に行動開始することを要求してるから、相手の行動のタイミングを読めるないし誘導できるレベルじゃないとそもそも技に入れん。 あーなんとなく分かりました。
私もドップリなので、そういう感覚を忘れていました。たしかに体験したことがないと想像もできないのかも 絶対的なスピードとかは分かりやすいですからね。
スポーツなんかでも、実際に競技者に解説してもらわないとスゴさが分からないって事があるのは私も理解できますし 例えば自分の重心がわからなくなる、って経験したことはありますか? 重心を崩されるってやつとは違いますよ。自分の重心を無くされてしまう的なことです >>514
体験とは?現在の法体系内じゃまともな体験は無理でしょ。「刑事事件になるような手合わせをやりたいんですけど?」という道場破りを受けてくれる所ってあるの?ぜひ教えて貰いたいんだけど? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>514
朝倉未来って格闘家の人がそういうスパーリング的なオファーを出したら断られまくって企画が成り立たなかったってさ。 自分(元柔道部)の個人的な話で言うなら、友達の合気道やってるヤツと乱取りみたいなことは何度もしたことある。正直ぜんぜん話にならないくらい弱かったけど、まあまず達人ってわけじゃないからなんとも…
でも「素人が油断して胸ぐら掴んでくる」みたいな状況に対する立ち関節としては普通によくできてると思うけどね。「合気」は知らん。 >>508
びっくりした。
技は約束の範囲でかけるものじゃないっすよ。
少なくとも例えば柔道やブラジリアン柔術の技は、自由に動き全力で攻撃してくる相手を押さえるものです。
もちろんそれぞれにルールはありますが、ルールがあることをもって約束の一種だとするのは極論でしょう。 >>513
まあ言うわけないよね→井上尚弥にヤラセ。いわば自由組手をしてる映像があるんだから。それくらいシンプルでハードルが低い話です。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>508
ルールはお互いを縛る規則、規範 約束はお互いの合意、取り決め
技の範囲の約束って言われると難しいけど。闘技においてお互いに約束するのはやらせって言われてないか。
やっぱ競技ではルールの範囲内での技ででしょう。競技ではなくてお互いに自他の技の向上を目指すんなら約束もあたるな。 >>528
そうですか。乱取りじゃなければ柔道四段ぐらいなら投げれますけどね。 >>529
約束って言葉の捉え方が違うのかもしれませんが、例えばこういうパターンにはこういう技という意味です。寝ている相手にダッキングしないでしょっていう。言葉遊びではなく 若い頃には実業団の女子選手二人投げたこともありますよ。なぜ投げられたのか分からずにびっくりしてましたけどね 別に我々も踊りの稽古しているつもりもありませんし。どうやったら人を投げることが出来るのかを研究しているわけで まあ、警察の柔道特練や学校の助教なんて柔道家じゃないって言われたらそれまでですが 実戦性・・・
合気道にしろ大東流にしろ
まぁ殺し合いとか路上のファイトまでは求めないが
さしあたり柔道の大会に合気道で参加して通用するか?
ってことだね
別に総合格闘技の大会でもいいが
そいえば昔、K-1にテコンドーの世界チャンピオン?が出て
ぜんぜん通用してなかったな >>528
> 「素人が油断して胸ぐら掴んでくる」
こんな状況に対応出来ない武道なんてそもそもあり得んだろ
油断してる素人相手なら俺でも一瞬で倒せるわ ひとつ言えることは投げる技術はあるが、投げられない技術は持ち合わせてはいないので、柔道の試合に出たところで負けますよ でも別に柔道の試合で強くなることを目的にしていないしなあ、というところです でも合気道の先生って実に偉そうに威張って強そうに見せてるんだけど、これって、何とかならんかね。 >>535
その「こういうパターンにはこういう技」の適用範囲が狭いんじゃないですか合気道って。
「ダッキングできます」は、普通「約束組手ならダッキングできます」じゃなくて
「自由に殴ってくる中でダッキングができます」なので。
で、別にできなくても型として文化としては価値はあるんだからクリアに言えばいいと思うんですよ。合気は特定の条件で協力しておけばかかりますよって。 >>541
先生方がよく説明するように襟つかまれた瞬間に合気?やればいいのでは? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs ある程度身の危険を感じる様な状況を経験しないと実戦的な強さは身につかないでしょ
こじんまりとした稽古だけやって強くなれるわけない >>547
少なくとも私は合気道で強くなりましたし。
何を選択するかは個人の自由だと思いますよ。他の格闘技愛好者も、大半は合気道修行者と変わらないですもの 私を含めて周囲は皆さんのお好きな実戦とやらを新宿、六本木、そして当時危険だった大久保でもやってましたし 普通にやっぱ立ち関節技が使えるんだから素人よりかは全然強いよ。いわゆる合気を動く相手にかけられる人が実在するかは怪しいが。 今はもちろんやらないですよ。昔は喧嘩ぐらいなら簡単な調書巻いて終わりでしたから >>545
ガッチリ掴ませても「エイ」と言う掛け声とともに弟子が崩れるやつも、無関係者相手にできそうだけどな 色々と研究してましたねー。今日は相手の目潰してみようとか、指折ってみようとか、ジャリ銭握って殴ったら効くのかなとか、こめかみとか首すじ、鳩尾や金的攻撃してみようとか。あ、膝はどうやったら折れるのかなあとか。結局上手く折れなかったですけど笑 >>552
普通に、youtubeにある格闘家と合気道のコラボとかで「イテテテ!」ってやってるような技は立ち関節の一緒でしょう。立ち関節ってのは別に蔑称なわけじゃないし。 >>554
合気上げ?みたいな「ガッチリ全力で手首掴んでそのまま動かさない」系の技は弟子ほどじゃないけど効いてる印象。ただかなり特殊な条件なので、もっと乱取り的な映像がないものか。 関節技って昔は無かったかなー。
プロレスラーの藤原さんがきっかけでしょう >>558
大雑把に言って、立った状態で関節極める技全般です。合気道の技にもここに分類されるものはあって、ここの技は普通にいろんな状況で有効だと思います。 >>560
いや普通に柔道や空手も含め昔からいろんな流派にあるでしょう… 関節技ではないけれど、養神館には四か条締めって稽古があるんです。千野先生の四か条は効きますよー。下手したら2週間ぐらい箸が握れなくなる。ブチブチッて音がするから、筋か何かが切れてるんでしょうね笑 いや、本当に無かったんです。お若い方ですかね。技をかけるなか流れの中で、関節を利用して相手を制する等はありますが、関節技で相手を制するって発想自体が一般的で無かったというか。
だから藤原喜明さんがフィーチャーされたんです 私が経験した中で使えたのは小手返しですかね。
木刀奪うときに使ったんですけど、相手飛びましたもんね。そのあと逃げられて状況変わらなかったんですけど笑 >>564
柔道、特に高専柔道は?木村政彦vsグレイシーは?全部藤原さんより遥かに前です。 >>564
柔道、特に高専柔道は?木村政彦vsグレイシーは?全部藤原さんより遥かに前です。 道場で投げたら間髪置かずに(ひっくり)返せ!って厳しく言われていた意味がわかりました。投げても手首極めてるくらいじゃすぐに立ち上がられちゃうんですよね笑 藤原喜明もそもそもカールゴッチの弟子なわけで、昔から関節技なんてあったに決まってんじゃない。 グレイシーなんて誰も知らなかったですもん。
まったく一般的じゃなかったんですよ。本当に。
格闘技なんて言葉もほとんど使われてなかった。
柔道、空手、ボクシング、合気道、、、です なんていうんですかね、格闘技の技術として当然あったんですけど関節技で倒すとかそういう類いの扱いではなかったんですよね いや知られてなかった程度の話なら分かりますが
「知られてなかった」って話を「なかった」って最初に表現してたのはおかしいのでは… その辺りはご容赦ください。我々の世代は大学行ってないので >>573
学がないと自覚してるならまず連投をやめて、言いたいことをまとめてから投稿して。
あと適切な表現かちゃんと確認して。
あなたが間違ったことを言って、指摘を受けて「学がないので」なんて繰り返されたらたまったもんじゃない。
他人の迷惑は関係なく、間違った表現を確認することなく垂れ流す。それこそが学のないものの行いだよ。 >千野先生の四か条は効きますよー。下手したら2週間ぐらい箸が握れなくなる。ブチブチッて音がするから、筋か何かが切れてるんでしょうね笑
本当のことでしたら、それは先生がアホなだけです。技かけさせて貰ってる相手に何てことしてんだ、としか思わんな。 誤解されてるようですが、四か条締めという稽古方法です。お互いに四か条をかけ合うのです 逃げれば腱や筋も損傷せずよいのかもしれませんがそこは意地と根性で耐えるのです 関節を極めてるってことは意地と根性で耐えるもんではないし、中途半端なもんでない限り逃げれるもんでもないよ。
手首や肘を壊したいのなら別なんだけど。四か条抑えって関節を極めるもんではない気がするし。 ITの不思議なところは、知らないことをさも訳知り顔の人が現れて適当なことを真実のように語ること どうしても長文になりそうになる。SNSは我々世代には難しい さて稽古に行ってこよう。先日相手に怪我をさせてしまったので少し気が重い 健や筋、痛めてなにしてんだ。
稽古に支障があるじゃん。
本当のことだとしたらダメな指導者やんか >>585
それあんたやんけ。関節技はなかったとか。 お互いに関節技かけあって痛めても我慢するって色々頭悪すぎるでしょ…柔道やBJJじゃ絶対ありえない。これで大半の人は弱いんだから色々残念だね。 >>577
長文より嫌がられるのは、どうでもいい短文を連投するかまってちゃん。
その調子じゃ孫にも嫌われてるな。
間違えたとわかっても「私は馬鹿だから」と開き直るやつが好かれるわけないか。
>>590
兎跳びで膝腰痛めるみたいな間違った努力は、こういう頭悪い連中が続けちゃうから無くならないんだな。 相手を無抵抗な状況に極めておいて下手したら2週間ぐらい箸が握れなくなる。ブチブチッて音がするまで・・・アホの極みだな。千野って人は。関わらん方が良いな。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 高速道路逆走してるおじいちゃんは、
「皆が高速道路逆走してる。」
って思うらしいよ やわらぎ道の人最近見てるんだけどすごいね。ゆるめのマススパーではあるけど、動く小比類巻相手に合気的な技かけてるじゃん。 https://m.youtube.com/watch?v=thW3ctGJU4c&feature=youtu.be
こういう、触れ合気解明しました系の動画はよく出てるけど、無忖度系ユーチューバーと生配信しないかな この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>井上師範の抜きって合気と同質でしたか?
違いましたね。合気の場合は接点を利用して重心を奪われますが、井上師範の抜きはあくまで力の流れを誘導されるものでした 井上師範が有名になったのも意外でしたが、養神館の人間にとって安藤先生が有名になったのは本当に驚きだと思います 安藤先生より上位の師範が抜けてしまったこと、それから塩田師範との関係性でしょうか この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 有名になっても意外ではないパターンは、合気道家として「強い」「上手い」「センスがある」だと思います あの「触れない合気」みたいなやつ、手首を何がなんでも頑張って握ってくるっていう演武上の習慣を利用してるんだと思うけど、うーんなんだかなあとも思っちゃう。お弟子さんはどう思っているんでしょうか。 私は弟子ではないので、彼らの気持ちまではわかりません。ただ、安藤先生のもとへ久しぶりに遊びに行ったときのこと、塩田剛三の様な崩しを見た時の気持ちは今でもハッキリ覚えています 有名になるのに強さとか関係ないだろ。
自己プレゼン力が大切だよ。
塩田せんせいだってそうじゃん むこうの塩田将大スレは何が目的なのだろう。養神館の者なら嘘や妄想ばかりの書き込みだとわかるはず >>615
そうは言っても武道の世界ですからねえ。本部ではまったく目立たなかった安藤先生が、浦安支部という自分の城を築いたことが始まりですね 当時の安藤先生は出稽古先持ってたかなあ?
いずれにせよ、奥様が亡くなられたことが大きかったんじゃないですかね。自分で出稽古先作っちゃった形で、養神館では異例でしたよね あの頃、本部の指導部はどうでしたか…千田師範という絶対的な存在はありましたが、櫻井師範が退職され中野師範もほぼお見えにならず、森先生はオーストラリアへ 中堅に安藤先生、千野先生がいてあとは小山田さんをはじめ若手ばかりになっていたかな 千野先生がなぜか「最後の内弟子」と謳ってますが、実際にはまだその下に6人(7人)いますね あっちのスレに上がってくる話って、現実感無いんですよね。仁木先生は高専柔道の方を指してるんだと思いますが、お名前を伺ったこともないですからね おそらく「養神館」や「合気道」で検索したり、「秘伝」などの雑誌から得た情報から勝手にストーリーを創作しているのだと思います 過去スレでことさらに連呼する「ゲジョウ」なる人物は「下条小三郎」を指すのでしょう。おおかた、鶴山先生の話などから作り出した話なのではないかなと 水産大が安藤先生だったかな?
その後千野先生に引き継いだのか…記憶が曖昧です。明治学院が森先生で、桜美林が中野師範だったのは確実 >>629
ご自分の教室作られて自分の輝ける環境を構築されたんだなと。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>630
結果としてはそうなのかもしれませんね。
当時としては内弟子が外に自分の道場を持つなど考えもつかぬ異例でしたが 感覚としては企業内起業みたいな感じでしょうか。合気会さんはそれを積極的に行い、組織を大きくされたのだと思います 今までなかったことをされて一躍名を上げられたのだから、優秀で確定だなと思いました。 道統言い出したらそれはもはや合気会と植芝家の話になりますけど この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>279
気空術の畑村さんは大東流の流れでしたよね >>277
20〜30年前のビデオで島田明徳さんが解説しながら実演してたっけなぁ
腕を出して、それをつかみに来たところを寸前ですーっと動かして誘導しちゃう
「腕をつかもう」という指令が脳から発せられて、目の前に目標があると
脳内指令が改めてキャンセルするまで動きを止められず釣られていっちゃうんだよね
寸前に目標があって「つかめる」という認識を切らさないことが重要で
パッと逃げちゃうと即座にキャンセルされるとかそんな仕組み >>642
養神館では主に2通りの方法を用います。
「誘い」とか「誘導」と呼ぶテクニックです。
相手の掴もうとするスピードより少しだけ速く、そして少しだけ早くスタートします。あまり長い時間は使えませんから、関係性が切れる前に技を施します。
もうひとつの方法は相手の掴み切る刹那に、目標をストンッと無くしてしまうものです。仰る通りパッと引いたりすると、相手との関係がキャンセルされてしまうのであくまで「ストンッ」とです >>301
9段允可というのは違うような…
私の手元に8段允可免状(植芝先生からのもの)の写真がありますが、昭和29年と記されています。いろいろな話がごっちゃになっているのでしょうね 自伝にしてもインタビューを元にライターが構成し書いているものですし、館長自身も記憶が前後している可能性もあると思うのです >>294
塩田剛三のものと堀川幸道先生の合気は技法的には同じです。合気で崩してからの操作が違うのでしょう。そのため違って見えるのだと思います この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、他武道に全く通用しないのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 あっちのスレでもタイミング見て誘導を。またワッチョイなしスレを立ててくると思うので やはりスレ立ててきましたね…
どうせまた自演で盛り上がりや流れを作るんでしょうね。マジで厄介なヤツですね https://m.youtube.com/watch?v=18WE3qqJYTU
阿吽会の手押しは方向をずらすのとは違うんだな。
相手の押してくる力を自分側の体重増につなげて拮抗を保ったまま位置を移動する感じか。
物理の気圧問題に出てくるピストンみたいだな。 >>653
阿吽会のそれって大東流や塩田剛三の合気と同じ? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>102
水ダウの安藤先生ほどガッカリな達人は見たことなかったわ
殺気を感じて背後の攻撃を避けるとか吹かしておきながら
思いっきり後ろからしばかれてて爆笑の照れ笑いしてたし
あの多人数掛けの稽古はいったい何の意味があったんだか
「塩田剛三の最後の弟子」とかマンガじゃあるまいし・・・
まあどの武道家も大なり小なりインチキな人たちばかりなんだけど
中達也先生とか甲野善紀先生とか安藤先生とかみんな黒田鉄山先生の猿マネばっか
スタンレープラニンが宇城憲治先生を合気エキスポに招待してたけど
宇城先生以上の達人は合気会には一人もいないだろうなあ
植芝翁も草葉の陰で泣いてるよ 関節がないとか喧嘩しまくってたとか妄想マンわいてたのか
ボロが出て逃げたな この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。 植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>659
宇城先生の統一体って時系列的には心身統一合気道と関係あるのかな? ちがう意味づけしてたように思う。
どの著書だか忘れたけど。 本物の合気が降臨
天下無双 正伝大東流合気武術総本部 宗範 佐川幸義先生 顕彰
佐川幸義先生・合気写真集
大東流合気佐門会 編
どう出版 7月中旬発売予定
https://www.dou-shuppan.com/books/sagawa-pb/ 佐川幸義先生 道場訓
合気は気を合わす事である。
宇宙天地森羅万象の総ては融和調和に依て円満に滞り無く動じているのである。その調和が合気なのである。
合気は自然の気なれば少しの蟠りも無く抗いも無く合一融和するものである。
人類社会形成に於ても、合気 即ち 融和調和が基調でなければならない。是れを合気の大円和という。
暴を奮う者に対しては、合気の理により之をなだめ融和致させ、又 敵の既発に対しては同じく合気の理により敵の攻撃に随い転化 又は 変更して融和致さすのである。
吾人は流祖 新羅三郎源義光公より伝承したる合気之術を基本とし、躰術(柔)、太刀之術、槍術、棒術等の武術を修業して、合気之武道 即ち 人間修養之道に迄 到達せねばならぬ。
大東流合気柔術 盛岡道場
代表師範 橋本英樹
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php 皆様の温かい御支援のお陰で、大東流合気武術総本部
佐川道場 跡地利用 合気公園計画のクラウドファンディングは、第3期目も目標達成間近です!
衷心より感謝申し上げます。ありがとうございました!
ふるさと納税で、“合気のふるさと”を作ろう!
佐川道場跡地の「合気公園」建設 寄付のお願い
第3期 目標金額 100万円
10月31日まで
https://www.furusato-tax.jp/gcf/1801 >>666
ウシロはインチキだと思う
小島一志も動画で言ってる >>661
合気道は総合では使えないが
ニックディアスは合気道やってた そりゃ「グラップラー刃牙」の登場人物みたいな人は創作としても
約束事の無い攻防の場で「おっ凄い」ってものを見せてくれる人が少しは居て欲しい。 植芝盛平は神道系の宗教団体の大本の熱心な信者で植芝は合気道を大本の
布教活動に利用しようと考えて武術の基本を正しく伝える事よりも普及す
る事に熱心になり、そのため今の合気道は実戦ではほとんど使えなくなっ
ている。 より簡略化して普及に務めたのは吉祥丸だろう
でもとりあえず合気会に所属して会員集めをした
日本各地の古流柔術が混ざってて独自の稽古をつんでるから
合気会名乗ってても結構違うことしてる 合気道は試合とかもないし、稽古と演武しかない世界だから、言ってしまえば口の上手いパフォーマーが
人を惹きつけて、会員という信者を拡大できる そういう業界だなって思う
そういう意味ではあまり拡大志向になりさえしなければ、誰もが独立できる分野だから、 今はどこみても
猫も杓子も合気道の会ばかりだよねw はっきりいってこの業界はインフレし過ぎだよ、最近 実戦じゃ少林寺拳法に勝てない
不思議さじゃ堀川系合気には勝てない
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