【合気道】塩田将大【養神館塩田剛三の孫】6
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7のスレの話を引き継ぐと、
どんなときでも同じ技を掛けられなければならないという考えはわりと良くでるんたけれど、
技には施すべき適切な距離がある。
距離が変われば技も変わる。
やりづらくなるならそれは技を変えるべきときなんだ
また、「この技」をかけづらくしてやろうという受けは、別の「あの技」にはかけられやすくなってる
だから受けも取りも型を守って稽古するんだよ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>109
そんな考えしてる奴いるのか、面白いな。
打撃に置き換えたらそんな考えにはまさか至らないと思うが。。。 >>111
打撃に置き換えるとはどのような意味でしょうか? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>111
もちろん誰しも陥る可能性はあるよ
打撃でもありうる
一撃必殺もそれで、夢があって憧れるから陥ってしまう
しかしちゃんと相手と向き合えばその難しさありえなさに気づける 合気道が現代に合わないと思うのは、相手は普通そんな形で抑えないだろうという抑え方を前提とした練習をしている所
相手が持ち替えたりポジションを素早く変化させる事はしないという暗黙のルールで成り立っていること
暗黙のルールを知らない相手に技が掛からなくて相手を批判する始末 >>115
「持ち替えたりポジションを素早く変化」されたら、練習になりませんからね。
合気道は相手が攻撃する瞬間を切り取って稽古しています。本来相手は変化しないのではなく、変化できない前提なのです >>112
ショートレンジならショートレンジの打撃を選択するわけで、ロングレンジの技を出すことにこだわるのは無理無駄無謀
>>116
その瞬間を切り取れる前提なところが、「最後にやる武道」と言われる所以だな。これだけやっても使える場面は出てこん… その瞬間を切り取る事自体は現代格闘技でもやってるだろ。
使えるかどうかは、ざっくり言ってスパーがないことじゃないかな >>118
切り取るのを理由にしてないぞ。切り取れる前提であるのを理由にしてるんだ。あんたの言う通りスパー的なことしないと切り取れん。 切り取ろうにもそんな抑え方はしないのでそんな場面は瞬間的にも訪れる事は無いのであった こっちが刃物男になった時くらいしか起こらんからな… >>118
スパーなどまったく無意味ですね。
少しは強くはなるかもしれませんが、それは合気道で強くなったことにはなりませんから >>124
123です。
スパーを行う格闘スポーツの経験はあります。これらの格闘技でスパーの重要性はよく理解しています。スパーをしないで、基礎練習だけ行っていても強くならないこともよく知っています。巧いと強いはイコールではないことも。
その上で、合気道におけるスパーは無意味だと思います そもそも論として「今の合気道」で強くなる必要性があるのかという疑問。戦後実戦性を捨てて和合とか万有愛護とか掲げて相手と仲良くやりましょう的な武道が強さを求めるんなら、最早それは大東流とか他の古流柔術やっとけになるんじゃない? 相手の行動を察知または誘導するのは合気道に限らずどの対人競技でも求められるから、そういう意味では合気道の強さとは関係ないのかも この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
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この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
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https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>129
どうでしょう。合気道には自由技という素晴らしい稽古法がありますからね この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
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大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
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https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 でも動画楽しいな。
いろんな先生のことわかるし、塩田将大先生の魅力ということかな。 いつも他の先生から気持ちよく投げられてるけど絶対に忖度してるよな
それじゃただの演武だよ
2回目は本気で耐えてみるとか技を外してみるとか
そのくらいやらないとつまらん 本人の技量がどうであれ、道場を率いる立場で余所に教えを乞いにいくことはなかなかできない。
若手であればこその企画なのでさしあたり応援したい。
でも訪問先の傾向は偏りすぎだわ。 シャドーボクシングだけやっても強くならないよ
スパークリングと試合をしないと
だいたい合気道やってる人は、蹴りをどうやって捌くの? パンチやキックってそうそう当たるもんじゃないですよ。あれは同じ競技内で勝負しているから当たるのです レスリング、とかはタイミング外せればそうかも。合気道してる人にもそうなんかね。 >>138
蹴ってくるような人間と付き合わなけりゃいいのさ。合気道とはそんなモン。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
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https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>137
偏りすぎというか、人脈あるとこってことなのでは。 >>136
技にかかり過ぎ問題は、そもそもかからないとアップロードできないから仕方ないよね あんだけ暴れてた自演魔がここには一切近寄らないってことは自ら自演を認めたようなもの >>148
暴れているスレの方も急に大人しくなった
まあ素人の糖質が達人気取りで連投していただけだし >>151
亀仙流のカメハメ波のパクリ、いや言い方悪いね。
武天老師が出来る技のコピーとも言える波動拳ですね。
悟空師範もやっておりますね。 立ててからしばらくほとんど書き込みない日があったんで歯痒かったが、立ててよかった。
平和なスレになったぜ。 >>153
つーか上のレス見てみなよ
ワッチョイスレなのにワッチョイの意味がわからず7の自演厨が自作自演してるぞw >>151自演失敗してるぞw
べつに自演は悪とまでは思わんけどワッチョイとIP表示されたほうが互いにとって健全なのは確かだな この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 将大君と甲野さんとのコラボ面白かった。
技は流動的に変化すべしとか、熱心な人には色々やらせてあげた上で、それを超えて納得させろとか。
熱心な人の質問に言葉ではぐらかすなというのは、
合気道に限らずなんの武道でも皆心当たりがあるのではないかな はぐらかされたと思う人もいるけど、まあ、親切さなのかもしれない
甲野先生だって言葉で誘導してないわけでもないし 道場でやりたいことと動画で見せてることがなんか志向がずれてないかなー。 いろんなニカ条みれるのはよいね
中心取りに行くのが好きかな この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 剣先意識するのはかなり良いと思った
養神館が剣やってるイメージはないけど >>164
彼は合気会的な組織、あるいはカルチャースクール的な道場を目指しているのかも。塩田剛三どころか、故井上師範、竹野師範、千田師範といった実力者の技を受けずにきてしまったようですからね >>144
レスリングや空手が強い人にも同様のことを仰るのでしょうか? >>165
中心を取る、中心を攻める等よく目にしますがどういう意味でしょうか?私は意識したことがありませんので、単純に疑問です >>162
私にはただの力技に見えました。あれで納得できるかといえば、私はできないかなと感じました >>170
中心とれないと技厳しいから、技にある程度掛けられるなら意識してないだけでなんか相手に対して意識してることがそれなんじゃね >>171
年寄り出し、細いからたいして力ないけどそもそも養神館系統の受けが力いれて固めるから、ああいう技にかかりやすいだけ >>173
力いれて固めたりしませんよ。あんな受けしてたら怒られます >>172
あえて意識した事がないと書きましたが、中心なんて技かけるうえで関係ないと思いますよ。みんなもっともらしく言ってるだけで >>175
いやいや。
中心関係ないはありえないよ
構え一つでもどこに向かって構えるんだって話になるじゃん 中心という用語上の話かもしれないけど、
でも超メジャー武道たる剣道でも使われてる用語がわからんということもないはず >>176
もちろん方向や角度は関係あります。相手に響く位置や向きがありますので。逆に意識しなくとも、技をかけるには「そこ」しかないポイントはあり型通り行えばいいだけですね >>178
型通りやるならまあ、成立するんじゃない?
型が導いてくれるから
でも型を通して中心養われてるんじゃないの? 指導する立場からは中心とかいう言葉は便利なんですよね。武道的な身体の使い方を説明しやすいというか。初心者はどうしても身体の動きがバラバラですので、まとめていくイメージをさせ易いのです >>181
養神館ではそんなこと言ってませんでしたけどね笑
「手足腰の一致」は徹底して意識します そもそも『中心をとる』と、『中心をとられる』という関係性が取りと受けに起こってる
これは絶対に起こっている
意識しなくていい、というのは型通りなら成り立つ可能性派ある。
技受ける側が中心とられるからだ
しかし受けも取りもなくお互い構えたときに、中心どっちが取ってるかで技をかけに行けるかどうかが決まるじゃん?
中心取られてる方は構えが外れていくのだから。 体格や僅かな向きの違う状況でも「型通り」にやるために必要な修正が、それこそ中心を意識してないと正しく行えない気がする。 「中心」を自分が有利な位置どりという解釈なら理解できます 型稽古で技かからないなーってときに、基本動作を丁寧に見直すか、中心意識をしっかりするかみたいな方向性はある >>186
これは正しくて、武術は結局陣取りゲームをやってる
でも、相手の構造もわからない者が陣取りゲームでは勝てないわけですよ
体格、姿勢、速度、タイミングなどがわかればわかるほど有利になる。
だから相手の『中心』というのは、とくに体格姿勢重心を把握して、肝心なコア的な部分を捉えることができてるかということになる この、最近のニカ条の動画でいうと向かい合ってかなり明確に中心とりにいってるよね
でも合気道だとド正面に立たないのが主流な気もしている たとえば二ヶ条なら効かないところから徐々にずらしていくと効く位置というのはあります。しかしそれで通用するのは初歩の段階のみだと思います。そのうち通用しなくなりますよね。つまり中心云々というのは本質ではないと考えます 塩田剛三も中心力とは表現していますが、「中心」とは言っていないと思います。この意味をよく考えないと罠にはまります。何十年も無意味な稽古を繰り返すことになります 本邦の武術で古来、中心を意識するものなど本当に存在したのでしょうか。何か非常に現代的な考え方だと感じるのです >>190
いきなり中心取れるとだんだんずらす必要もないですよ >>193
あくまで分かりやすいよう例えたものです。1から10まで位置、方向の段階があったとして技の効果が出るポイントが5.5のみにあるとする意です 剣術で中心意識しないのはありえないけれども。
剣先どこに合わせるの?ってなるからね >>195
それは初心のうちだけでなく、ずっとなのでしょうか? >>196
意識の話なら、熟練すれば意識することもなく中心おさえるということになりますよ
それは何でも一緒ですね
熟練すれば手の持ち方、構え、その他何でも意識しなくてもするようになりますね
ただ中心取れてない人が、中心取れる人に技掛けることができるということは起こらないので、
中心大切だということです もちろん触れてる触れてないみたいなことは、中心取ることに関係ない
中心取ってるから動けるし、技もかかるのだから この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>197
ますます分からなくなってきました。私も初めの頃は中心「軸」を意識して稽古していました。独り稽古の際もそうですし、対人においてもそうです。長じるに従い、修行の浅い相手には姿勢だけで相手を崩せるようにはなりました。これを中心の取り合いをした結果だと言われれば、なるほどそうなのかともなりますが… たとえは違うかもしれませんが、軸の安定している独楽にフラフラの独楽は弾かれるといった程度の意味です 中心がないものなんてないんだから、自覚なくやれてるならそれでいいんじゃない? >>202
まさしく仰る通りです。中心なんてものに捉われてしまうと上達の足枷になりますよ、ということなんです 同じように丹田なんてものも無いですよね。便宜上名称を付けて、このへんにありますよって話なだけで でも、このへんの話はややこしくて、上達のコツなんて物を教えてしまうより神秘的にぼやかした方がキャッチーだし生徒が集めやすいので…悩ましいところです あ、話は変わりますが、YouTube等で格闘家や武術家とコラボするなら一番説得力あるのは岡本眞先生かなと思っております。私は面識ありませんが、動画を拝見してそう感じました >>203
足枷になるかどうかは、人それぞれだけどね 丹田は便利な言葉だけど
中心は極めて明確だろ中心ないものなんてこの世にないんだから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています