【合気道】塩田将大【養神館塩田剛三の孫】 6
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>>386
引き寄せてはいないですね。
右手の位置が変わっていないですから。
それと忖度というよりも学習行為を含む「受け」ですね。
対外的にも身内でも生じている表演という現象は。
もちろん表演と云ってもその中核に武的要素が充分に有れば立派に武術ですし、1つも掛からない部分が有ってはならないわけでもないです。
ただ表演を持ち出して「こういう具合いに掛からなければいけない」「同じ掛かり方をしていない他所は紛いもの」などといったスタンスは明確に間違っているでしょうね。
表演から少し漏れると映像のようになって、いつもとは違う絵柄になったりするわけです。
>>387
通常は挙上できますよ。
↓
https://www.beautynewstokyo.jp/%E3%81%BB%E3%81%A3%E3%81%9D%E3%82%8A%E4%BA%8C%E3%81%AE%E8%85%95%E3%81%AB%E5%B0%8E%E3%81%8F%E7%B0%A1%E5%8D%98%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%BA%EF%BC%92%E3%81%A4/
三角筋や三頭筋を故障されたのでは?
ところであなたは○山さん(敬称略)ですか。 >>388
馬鹿氏へ
実際にやってみたのかい?本当に出来んのかい?
誰だそれ?養神館の人間か? >>388
結局君は、門外漢が造語作って喜ぶことのキモさを払拭できなかったね。
で? 手首なり襟なり掴んで踏ん張るというお膳立ては受けがするにしても、
それに対して塩田剛三が特殊技法を用いることで受けが体を突っ張らせうめき声を上げるのは、
受けが技に掛かるまいとして協力皆無でも掛かる技法だからでOK?
それともそこまでが形だからそうしているだけと思ってる?
表演という言葉を使わずに答えてみて。 >>390
いじめますねー笑
答えるのは無理でしょ。だって文面から察せられる通り素人なんですから。
自称「狂気」ですけどね笑 ネーム欄にレス番書く奴をいい加減スルーしなよ
みんな釣られすぎ >>392
そうなんですよね。。
私もスルーのつもりだったんですが、やはり自分の師匠をやらせ扱いされるとちょっとね… なぜ医学が出てくるのか馬鹿の考えは凡人には理解できない。しかし、やはり二ヶ条抑えを知らないということが例示された画像から明白なのでこの件は終了だな >>389
どなたでも出来ますよ(2度目です)。
あなたはうつ伏せから背中を掻けないのですか?
>>390
前提条件の範囲はもっと広いですね。
そこの部分については321・388でもサラリと言及しています。
>>391
根気は重要ですよ。
それとまた人間違いをしています。
>>393
やらせというよりも表演ですね。
ここの機微は分解攻防や限定攻防を行なう門派の方は熟知しているのですが、云わばそれらのミニマムなバージョンです。
>>394
これも判り易い画像ですね。
>395
あなたの仰る回内も医学用語ですが。。
回内にのっとれば、円回内筋と上腕三頭筋長頭は手首を固定した場合べつに拮抗筋ではない、どころかむしろ協働します。 養神館は素手の考えで打撃をメインに考えようと
したのが失敗とオカダンさんはそんな意見でした
構えがおかしいことも言っていました オカダンさんの意見を要約するとつまり
養神館は塩田自身のコンプレックスで出来た武道なんです 必ずしも個人的な事情に帰結しないと思います。
2人体制で始まったので。 >>391
やはり彼、答えられませんでしたね。
あれが素人の限界なんでしょうね。 学習効果や、ほとんど制せられてからという概念を理解することは大事だと思います。
それこそ経験値がそれほどでもないと、この業界に起きる1つの現象についてゼロか100かといった目で見てしまいがちですが、実はさまざまな要素が重層的に現象を織り成しているのがことの本質ですね。
ちなみにほとんど制せられてから(開始)と云っても、そこからの逃げ方もまた1定のパターンを(暗黙の了解で)踏襲させられるケースが大勢を占めています(限定攻「防」)。
(ほとんど)制せられるまでの型にはまった攻撃ももちろん型にはまった範囲で本気と云えば云えるでしょうし、ほとんど制せられてからの抵抗(防)もまた型にはまった範囲で本気と云えば云えるでしょう。
それはもちろん例えば中期U系団体のようなヤラセではないですが、あくまで定石にのっとっているため少林寺拳法や玄制流のようなまさに表演とも云えるでしょうね。 >>395
貴方の条件(>>387)に
沿った画像が>>394ですよ。
二ヶ条抑については>>385。
これで総ての可能性を潰しました。
前腕が背後に挙がらないなんて事は
ありません。
加齢で可動域が減るのは
常識の中の医学に属する分野です。 また訳の分からない変なのが出てきたなあ。
これだけ付き合っても理解できないなんて、本当に時間の無駄だし不毛だなと思う。
別にROMの話しているわけじゃないんだけどな >>397
あの構えは身体の内部感覚を磨くためには非常に良くできています。また、合気道の技を行ううえで無駄をすべて削ぎ落とした、あれ以上の構えは無いとも思います。しかし基本技以外で塩田剛三はあの構えを使ってはいないんですよね… 構えや基本動作を極めたその先に塩田剛三の達人技はないんですよね…
合気道の技を行うためにはよく出来てるんですけど >>397
打撃をメインとはどのような意味なんでしょうか? >>399
うーん。個人的には館長ってコンプレックスとは程遠い印象なんですよね >>405
じぶんも当初あの構えは素直に練習したんですが
途中からよく分からなくなってきてしまいました 多くの昭和武道が構えらしきものを持っていたので
養神館もそういう方向が欲しかったのかなーと
蹴りもやっていましたから >>410
そうなのかも知れませんね。構えが生まれた当初は深い意味も無かったのかも オカダンさんの説では合気道の元々のものとされるのは帯刀下での護身術なんだそうです
なのでそういう構えは起きるはずがないとか >>412
ありがとうございます。
ただ期待していた分、その程度の理解なのかと些か残念なのは否めません。もっと本質的な話なのかと思っていました 私の考える合気道の特徴とは入身転換や体捌きにおけるフットワークにあると思います。つまり武田惣角先生が否定した部分ですね。
大東流はその場で相手を潰してしまう技が多いです。多人数相手であっても同様です。実現するために合気という技法を使うわけですね おことばなんですが本質的な何かを求めておかしくなっていったのが養神館なのではと思うんです 武田が潰すとかいうのは合気道によく聞かれるセリフですが
理解ができていない人が多いなと思います
直線的なものを嫌う傾向というのはそうやって助長していったのかもしれません 合気会だけど養神館のスタイル嫌いじゃないけどねぇ。構えをしてしまうと相手に敵意をみせて合気道の精神から反するという人もいるけどあくまでも武道だからね。
そもそも合気道は剣の理合で剣の構えからきてるのもあるだろうし >>413
上で馬鹿氏と呼ばれてる人と同じ扱いされてた人ですよオカダンは。
ただのアンチの荒しに期待しないでしょ、 >>417
じぶんは逆で合気会のほうがまだ正しいほうなのかなと思った側です
それと剣の理合いというのも完全に誤解だそうです
意図的に誤解をつくったというのがオカダンさんの説ですね
手刀は剣の動きというのも全部違います 手刀はとりあえず掴みに変化し易いですね。
現実には拳は脆いですし、手刀のほうが間合いも伸びますね。 塩田剛三はいつから合気ができるの?
武田惣角に習った時から?
合気道や現代で塩田剛三と同じことができる人は皆無? >>415
つまり、本質よりも武術として技や形を尊重すべきという意味でよろしいでしょうか >>421
これは堀川幸道先生とお会いしてからでしょうね >>421
大東流には一般修行者を含め多くいらっしゃるでしょうね。合気道では天野師範が合気を使えますね。
同じ様な「強さ」ということでいえば皆無でしょうか 剣の理合について合気道家できちんと説明している人は存じあげませんね。大東流では科学的な説明がなされていると思います >>416
潰すというよりも、結果的に受けが自ら潰れてしまうんですけどね。これは体験してみないと理解は難しいとは思います >>419
意図的かそうで無いかは別として、塩田剛三の達人技(いわゆる合気技)の理解に邪魔となるのが養神館の構えであり、基本動作であるとは思います >>427
じぶんは塩田剛三は合気道をおかしな方向へ向けた人だと思います
むしろ合気会のほうが少しくらいはましだったかなと実感しています 剣という理屈は合気道にしても大東流にしても一つも出てくるはずがない
というのがオカダンさんの話しでした
剣という考えでこのような体術があった訳ではないということです 新陰流は大東流に大正時代、逆輸入された説も有りますね。
>>421
以前にも書かせていただきましたように、例えば斎藤氏も表向きのイメージに反して普通に同じことをされましたよ。
376さんなども再現されたご様子ですね。
塩田氏との共同創業者?の方ももちろん出来ましたし、塩田氏の空勁はそちらの方経由だった可能性が大きいでしょう。 >>428
どういう意味でしょうか?「おかしくない」合気道とは何を指されていらっしゃいますか? いやいや合気道はその人の個性そのものだから。
塩田合気道とすれば塩田剛三の個性そのもの。 >>431
合気道をテレビに売り出してマジックのように人を飛ばしたり
ばたばたと倒れさせたりというあのようなものです
じぶんはそれが養神館だったとは入門時には知りませんでした >>430
>塩田氏の空勁
塩田先生は中国拳法やったことないぞ?
やはりお前中国武術かぶれか? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>436
問題に向き合うつもりでいれもらいたいです >>429
私の理解では剣の理合とは手の内、体捌き、呼吸や拍子のことと理解しております。剣の理合から生まれた体術だと思います。あくまで現段階での私の理解ですが >>437
私は館長存命中の弟子ですから、当時の状況等リアルタイムで知っておりますがその様な記憶が無いものですから… 館長はオカルト的なものは否定していましたし、触れないで飛ばす系などは出来るわけがないとハッキリ言っていました。
高名な先生や武道流派について館長による評価も知っていますが、あくまでリアリストでした >>418
そうでしたか…ただ、ネット上のトンデモ理論に影響を受ける人は少数ながら一定数いるのも事実なんですよね >>434
現象としては時々。。
↓
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs?t=76
現代風に表現されると。
↓
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs?t=56
空気投げと呼ぶと個々人で対象がバラつきますし、触れないでとしてもいわゆる気当てが入って来てしまうなあ。。
既に通じているので空勁で好いかな。。 塩田剛三って大東流なんですか?
他スレで塩田剛三は大東流ってレスを読みました。 無刀術の流れとすれば違うでしょうね。
大東流は無刀術的でないですから。
ただスポンサーが大東流の方だったのと、共同創業者の方が大東流の源流?的な方でした。
そういう意味では大東流の気風も色濃かったと云えるかも判りませんね。 >>444
塩田先々代
空勁(触れないで敵を制する)も
パフォーマンスとして
お見せになってたんですね。 分かりやすいよね。有線無線は。そこに流れというものがあって触れてるか触れてないかだけだという。
セガールがやるみたいな逆半身片手取り側面入り身投げ?だって触らずに決まるものね。
気の流れの延長というか >>445
10代で合気道の植芝盛平に師事
のちに大東流の堀川幸道に師事 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 塩田剛三の孫もそのようなおかしさを嫌になったんだろうなぁと >>447
そして大成門は瀧を遡上するという。。
・・・でもどれも実は同じものを指しているのかも判りませんね。
○田氏の系統は大成門(地球からのリバウンド)が入っているとか、いないとか。
>>448
徒手で凶刃を処する道風、ということですね。
昭和初期前後にそれが入って、そこから戦中に改めて1定の結実をみたそうです。
>>449
そうですね。
実際には一般的なイメージと異なり、よくされていました。
>>450
くっきりあらわれていますね。
漫画家の方が、プロ野球選手が無線を用いて手出しをせずに試合中の乱闘を制する場面が描いていましたが、流石に鋭い感性で本質をとらえていると思いました。 >>453
違うちがう!
ぜんぜんっ違う!
養神館崩壊の原因についてはネット上でも調べられるから >>445
そうですね。どういった分脈かは分かりませんが、後年は大東流の合気を使っていました >>457
これは難しいところで武田惣角先生は講習会形式で指導されており、一手いくらという感じだったのです。長期間継続して習った弟子は佐川幸義先生や堀川幸道先生、山本角義先生等限られているんですね。よってそれぞれの弟子によって解釈が違い、また組織だっての弟子同士の繋がりは生まれなかったんです。武田時宗宗家が大同団結を図ろうとした時期もあり、佐川幸義先生のもとへ近藤勝之先生を連れ訪れたこともありましたが、実現しませんでした >>456
そうですね。
特に戦争を挟んだのでかなり入り組んだことになったと云えるでしょう。
>>457
当初はもうやや古朴なスタイルだったそうです。
55年体制以後の時代、いわゆる合気系が世上オープンになった時分から徐々に当風の見せ芸?が浸透したとか。
>>459
厳密には初代スポンサーがでしたね。 塩田剛三の中で合気道と大東流どっちが大きかったのかな、って。 よく比べられるけどレベルはどっちが高かったんだろう?? >>464
実戦では合気道を使い、相手をコントロールする技術として大東流を使ったのではと >>454
塩田先々代のご生前に会われた中にも
>>367さまや>>454さまのよう
事実を事実のままに見る
正直な方も居るのですね。
そういう人たちのお話は信用出来ます。 別の方ですが、タイトルはお孫さんですからお孫さんにとってのご祖父ですね。
>>463
定義の問題にもよりけりですね。
当初は大東流として学ばれていますし。。
>>464
門派それ自体としてなら広くて難しいテーマかと。
とりあえず門派の完成は後者のほうが後発的、やはり55年体制前後だったそうです。
そこへ佐川氏、堀川氏が後続したとか。
>>467
有りがとうございます。
きょくりょく1皮奥の、有益な情報提供に努めて参りたいと思います。 >>469
自演じゃないですが
「先々代」がご不快なら改めますよ。
部外者に勝手に「先生」と称ばれるのを
不快に思うかたも世間には居られ
かと云って呼び捨ても気がひけるんで
「先々代」と称ばせて頂いた次第です。
貴方がお書きになった
「養神館は捕を仕手と称ぶ」にも
私従いましたんで
そういうのは遠慮なくご指摘下さい。 タイミングが。。
471の文頭は
>>469
です。
>>470
人種差別あるいはそれに類する他人観は、レベルとしては今1つでしょうね。
「なぁ、俺はあいつらベトコンたちに何の恨みもないんだよ」―――モハメッドアリ
>同側の手首を握り
>受に触れていいのはそれだけで
>どうやって倒すか
これは本当に難しくて最も根本的な命題ですね。
究極的には、これが出来なければ受けのエントリーも余り意味をなさないとすら云えてしまいかねませんし。。
「中心力」の手本として、両手対両手で足許へ跪かせてみせる方々は諸所におられました。
ただ片手はやはりお見かけしないですね。 こんな深夜、未明に本当に自演ではないのかと訝しんでしまうが…まあそうなると私も含めてすべて一人芝居という可能性も否定できないか
リタイヤした高齢者かあるいは学生か、いずれか無職だろうな。お互い余生を楽しもうか 以前にも書かせていただいたのですが、私は為替の売買を自称正業としていますので習い性としても広範な時間帯に生息しています。 なるほどトレーダーってやつか。やっとまともな会話が成立したね。
伝法な物言いは江戸っ子だから勘弁してくれ 方向性は間違ってるが、武術に対する情熱はあるようだからまともな師匠に習えば良いのにな。勿体ない >>478
簡単ですね。やり方教えれば女性でもその場で出来る様になります この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 為替を生業にするなんて数学的、物理的に不可能ですよ >>478
下げ手や4ヶ条を用いれば、というのをとりあえず除けば難しそうですね。
結局は下げるのですが。。
>>483
自称ですからね(苦笑)。
ただ一応不可能でもないです。
単純な両建てだと金利を支払うので不利として、オプションを両建て代わりに併用するイメージですね。
株式と転換社債で両建てをするようなものです。 >>444
この人の言う「気」とか「気の同調」って結局よくある催眠合気じゃね?w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています