【合気道】塩田将大【養神館塩田剛三の孫】 6
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
新作おめでとうございます。
ほんじつ胸の着衣で倒す技について問われましたが、意外にもできる技だというのが余り知れ渡っていない様子でした。 塩田ご令孫
(「ごれいそん」と読み
お孫さんの意味
要するに塩田将大の事です)
東京理科大のご出身なんですね。
優秀 Σ(・ω・`)
それなら
科学的思考がお出来になるでしょう。
技を工夫する才能も
これから開花が期待される o( ’∀ ’)o
なお
大東流の佐川幸義は
東京物理学校という
東京理科大の前身のご出身。
て事は塩田ご令孫
佐川幸義の後輩なんだ ヽ(゚∀゚ )ノ 意外な関係ですね。
ここの関連門派は理系と相性が好いのかも。
戦前の拓殖大はエリート校だったそうですし、知的思考が斯界のベースとなり得るのでしょうね。
>>4
持ち返さずに腋やカラーのみで施技する返し技です。
中央にそういう人を1人置いて、傍らの計2人をぶつけて3人倒すトリックを用いられる方もいらっしゃいますね。 >>6
そう云えば塩田剛三の父君も
医師でしたね。 云われてみればそうでした。
やはり基礎的な人体知が、理系的ロジックと合わさって機能していた可能性が大きいですね。 >>8
父君の塩田清一は
どちらの大学を出られたんでしょうね?
新宿で開業なさってたんで
同地の東京医大の前身
日本医学専門学校(現
日本医科大学)あたりかな・・・・ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>9
時の加藤海軍大将が顧客でしたので、海軍系の慈恵医大だったかも判りませんね。
塩田氏が(今や黒歴史として?)笹川氏と接近したのも、児玉氏を介して笹川氏と関わりが有ったとも云える頭山氏が塩田清一氏の顧客だったからなのかなと論察していたりします。。
>>10
まあとりあえず前回のスレッドを轍を踏まないように、もう若干サイズを削りましょう。
冒頭の3行程度で論旨は伝わるかと思われますよ。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>11
なるほど
慈恵医大の可能性もありますか。
・・・・気になるのは
清一医師が
柔道と剣道の町道場(これが養神館)を
ひらいてもいた点です。
つまり腕に覚えがあったという事。
柔道部を基準にするなら
慈恵医大よりも
明らかに日本医科大のほうが
強いのです。
なので日医大かと思ったのですが・・・・
まあ部の強さは
あくまで私の時代の話ですけどね。
私事ですが
日本医科大のブログにあたったら
私が学生時代に交流した事のある
一コ上のかたの記事が出てきました。
http://blog.livedoor.jp/nihon_med_judo/archives/50148330.html
同じ60kg級
大学はちがえど
このかたの創意工夫に
好い影響を頂いたものです。 連投すみません <(_ _)>
塩田剛三の
この動画初めて観ました。
https://youtu.be/cy--WZQ-JgE?t=283
最後の海外演武だそうです。 >>13
競技力の観点は面白いですね。
私には無かった着想です。
チームの歴史は慈恵が古い様子ですが、まあどういう影響関係が有ったかが重要ですからね。
特徴的な気風と人脈がどのように形成されたのか。。
ちなみにうがった見方をしますと、塩田氏がここの門派と接触したのも、清一氏の顧客だった頭山氏が出口氏とつながっていた筋からなのではないかと。
細密な真相も、もし今上塩田氏がご存じなら明かしていただきたいところだったりしますね。
>>14
やはり初見で離れない技は難しいのかな。。
映像の中盤で明らかに俯せの方が一度腕を離してから形に戻していますし。。 こちらの場面です。
↓
https://youtu.be/cy--WZQ-JgE?t=635
↑
たぶん平生から、離さないようにとする不文律が内在していたのでないかと。。 >>15
>>17
ほんとだ
離してから戻してる (´・ω・) ・・・・
まあ
全部が全部
実際にお出来になる技を見せてたわけじゃなく
こういった「演武」も
所々混ぜるかただったんでしょうね。 実はあの形で俯せにしてピンするほうが、冒頭の小手捻りで片手で固めるよりもかなり難度が下がりますからね。
示指に胸でプレッシャーがかけられますので、場合によっては手をほとんど外して腋に添える程度で固定できかねない。
それで対手の手が外れていますし、冒頭はやはり表現の範疇だったのかなと思いました。
ただもちろん非常に斬新なアイディアに満ちた施技の数々は、ちょっとやそっとでは余人が及ばない体用が込められていそうですね。 >>17 >>18
大東流の立場で言わせてもらうけど
君達、合気を掛けられたことないの?
あれは合気を掛けて外れたから塩田さんが掛け直してるんじゃないのかい?
そうするとあー云う反応になる
俯せの人が一度腕を離してから、形を戻してるんじゃないと思うんだけど?
何度か合気を掛けられる経験を持ってれば解る筈だけど?
合気道にも合気揚げはあるんだよね?
合気揚げだけでもいいから
合気を掛けたり外したりを繰り返してごらんよ
言ってることが分かるから。 >>20
なるほど。
そういった見方も有るのですね。
ただあの場面で技を掛けるなら肘に手を添え直すような気もします。
腋はあくまで胸で固めるときの専用かなとも。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>22
>ただあの場面で技を掛けるなら肘に手を添え直すような気もします。
あれ? 塩田さん、肘に手を添え直してないかな? >>20
受の異国のかたの右前腕が
そのかたの背後に跳ね上がったのは
合気を掛けたから
という事ですか (´・ω・)?
・・・・
うーん (´・ω・)
あの瞬間
塩田剛三は
ご自身の右前腕甲側を
受の右上腕掌側にしか載せてませんよ。
あれで受の右前腕が
受にとって背後に跳ね上がるって
力学的にも
生理反射の観点からも
ありえないと思うんですが。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>24
腋に添えたままの右手のほうのことですね。
ちなみに右手のみで固めても本当に逃げられ易いのは頭の側へですが、胸でコントロールすればそれでも捉えることができて驚かれることが。。
>>25
あの場面で再度腕を上げるには前腕まで右手をスライドさせないと難しいかも。 >>25 >>27 合気が懸ってるのは受け側の腕、肩、広背筋ですよ?
接触部位は関係ありません。
合気を懸ける、懸けられた経験さえあれば
そうなるとどういう反応になるかお分かりですよね?
塩田さんは、それはもう見事なものです。 肩まわりを介して腕が挙がるということですか。
そういう解釈も有るのかなと思います。
その一方で、繰り返させていただきますと胸でコントロールはされなかったのかなとも。
実はあそこで右手を離しても胸のみで固めることも可能ですし、胸のみで極められもしますからまた別枠の技なのですかね。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>29 胸でも出来る。全部で出来る。もっと全体的なものでしょ?
合気なんて立ってる人の掌に指で触れるだけでも
腰を崩した姿勢のまま立って金縛り状に固める事も出来るのだし
接触しなくとも受験さえ噛み合えば、立って仰け反ったままの相手を固めたままに出来る
そう考えたら、そんな細かい分析で、
あれは〜の筈、いや、これはこうだろうとやるのが馬鹿馬鹿しく思えませんか? RIZINで見事に勝ちました 朝倉海選手に
インタビューします
アナ「実に素晴らしい試合でしたね」
朝倉「はい、ありがとうございます。まずは僕と試合をしてくれた堀口選手に感謝です」
アナ「試合前に作戦があるので勝利すると断言してましたけど、作戦は上手くいきましたか?」
朝倉「はい、作戦は兄貴が考えてくれて上手くいきすぎて短時間でKOできて自分はもう少し楽しみたかったです」
アナ「どんな作戦だったんですか?」
朝倉「全部は言えませんが、堀口選手は伝統空手で実際には当てれない空手なのでパワーがない分今回もカウンター狙いで来ると読んでました」
アナ「当てない空手なんですか?」
朝倉「はい、伝統空手は寸止め空手と言われ実際には直前で止めてポイントを加点するエアー空手ですのでパンチ力は要りませんので」
アナ「不思議ですよね、そんな止める打撃で僕のスタイルは100%空手ですと言われてますよね」
朝倉「そこは堀口選手もお世話になった道場に気を使った大人の対応ということで勘弁してやって下さい」
アナ「あ、そうですね。弱い空手とは言えませんよね(失笑)
朝倉「僕の場合は兄が極真空手二段と極真系大道塾から独立した禅道会は実戦空手と寝技ありの空手なので僕も実戦空手を使ったので今日の結果に繋がったと思います」
アナ「空手でも全く違うんですね。参りました」
アナ「どうです、堀口選手と再戦のオファーがあれば?」
朝倉「はい、勿論受けますし次もKOして勝ちますので応援して下さいね」
アナ「はい、次の試合も頑張って下さい」
アナ「それでは勝利しました朝倉海選手に拍手をお願いします」
会場「☆拍手!!(゚∇゚ノノ\☆(゚∇゚ノノ\☆(゚∇゚ノノ\喝采!!☆」 全体感といったフィーリングは理解できます。
全身は何かしら連関していますしね。
あの場面は、何を表現しようとしていたのだろうという疑問自体は有ります。
右手はなぜ離さなかったのだろう、とか。 >>28
前腕が背後に跳ね上がるかに関しては
とりあえずもう一度
きょう(金曜)の夜練で
実験してみますね o( ’∀ ’)o
>>29
胸だけで Σ(・д・;)
それは凄い・・・・
そのへんもきょうあたり
実験します (`・ω・´)
>>31
えぇー Σ(゚Д゚;)
接触せずに!
受験・・・・て何ですか (;・∀・)
面白いお話いっぱい
有難う御座います。
私も個人的には
今週も研究が大きく進んだんで
正誤
優劣関係なく
他人の知る
時に私にとって未知の世界が聞けるのは
大好きです。
>>31さまのご遍歴にも興味津々 o(・ω・)o 前腕の伸展は上腕三頭筋腱反射ですね。
伸展までの反射が起きるときは反射亢進とされる症状ですが、その場合でも刺激部位は肘頭(まで)ですね。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>31
きのう(金曜)
夜練で実験しました。
うつ伏せの受の右腕を
その腕の上腕の背中側(三頭筋)に触れただけで
背後に跳ね上げるのは
出来ませんでした。
・・・・
むう (´・ω・)
勿論
「自分が出来ない =
その現象はこの世に存在しない」なんて
短絡しちゃいけないでしょうけど
それを解かったうえで
あえてどうしても思うのは
これはかなり存在しないっぽい現象の気が・・・・
まず力学でこれが可能かと
時間を掛け色んな力の加え方をしましたが
受の右前腕を持たない以上
それはどうあっても不可能でした。
次に生理反射で可能かと
調べてみました。
少しずつ順番に書いてきますね (´・ω・`) >>36
そう云えば太気門とも接触が有ったそうですね。
塩田氏が上位概念としていた王樹金先生とのコンタクトも太気門のツテだったのかな。。
>>37
佐川氏にも翁先生でなく王先生から練功法が伝わっていたと聞き及びます。
どちらの方もリベラルだったのですね。
>>38
非常に細い可能性としては、肩には異例に痛感神経が集中しているのでそこを何らかの手法で刺激したとも。。
虫歯治療で文字通り跳び上がる方がいますからね。 >>39
一応
使える「つもり」ではあります (´・ω・`)
・体格でずっと劣るのに
(私58kg
相手95kg)
合気揚が出来る
・しかも腕(私の腕)を捻らず出来る
・袖と襟を持つだけで
胴や腰を相手に触れず
投げる事が出来る(柔道のいわゆる空気投)
・格闘技のマウントポジションを
発勁で返せる
ざっと並べましたが
(実際はもっといっぱいあります)
これらは共通
一貫した原理で行えます。
常人じゃ不可能な事が
ある一つの定理によって成せるのは
少なくとも
とても合気らしいと自分では思うんですが・・・・ 肩には腕と指全部の神経繋がってるだけだよ
どっか詰まってたらそりゃ痛いけど ワンタッチで動くのは1本の骨格筋までですね。
肩から手ですと骨格筋が途切れているので難しい。
>>41
前回のスレッド画像を検証している方々がいました。
↓
http://blog.livedoor.jp/strapple_ace/archives/1795702.html
↑
これで返ったかどうかはともかく、検証のスタンスに非常に共感できました。
>>42
肩の皮膚を損傷したことが有りまして、それで身をもって知りました。
画像は大変に痛そうですね。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>41 合気や発勁をどういうものだと考えているのかで、また事情が変わるから・・・
袖と襟を持つだけで投げる技なんて、
古流ならどこでもあるし合気関係なくても出来る
マウントポジションを返す技も発勁関係ない
実際、合気や発勁をどういうものだと考えてるのよ? >>31 あと、離れてても触わらずに合気が使えるって言ってた
大東流の人、その人にも聞いてみたい。
どういうもの、何処から何処までを合気だと思っているのよ? >>43
なるほど
勉強になります。
ただ
最近新しい臓器が見つかったニュース
ありましたよね?
人体は
知られ尽くしてるようで
未発見の臓器なんてのすら
出てくる始末。
なので>>40さまも
そういうの見つけた人なのかなと思い
伺ってみた次第です。 >>44
あ Σ(’∀ ’)
実験するなんて
素晴らしい方々です。
・・・・
む (´・ω・)
むむ (´゚ω゚)
むむむむむう (;´゚ω゚д゚)
受(マウントをとってる人)の手首を握る
捕(マウントをとられてる人)の手が
原画と反対です (;- _ -) ・・・・
絵や動画が
資料として目の前にあっても
人はなかなか
正しく受け取れないんですねえ (・ω・`)
肩が痛感神経の塊なのは
知識じゃなく経験でしたか。
勉強になります
有難う o( ’∀ ’)o >>46
最小限の力と手順で
威力と迅さを出せる術。
それが合気だと
私は考えてます。
その術は
先日ニュースになった
未発見の臓器じゃありませんけど
未発見の機能を
使う事で成立させてます。
私も
この機能の全容を知るわけじゃないですが
掘り進むと想像以上に
体の隅々まで根を伸ばしてるのが
判ってきました。
なので難しい問題を解こうとする際
たとえばマウントの脱出法を探すとしたら
この機能から逸れないよう
どこかに根が伸びてるんじゃないか
という探し方をします。
そしたら
ほぼ必ず見つかります。
私の合気の理解は
ざっとこのような感じでしょうか。 こんばんは。流れ関係なく大変恐縮ですが、武田流中村派を習っているものです。ツベで叩かれがちな、試合をする合気の流派です。ご質問等ございましたら、是非していただきたいです。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>49 別に手が絵と反対だったからって何なんだ? >>49
条件を揃える(忠実に再現する)取り組みは、非常に重要なベースでしょうね。
ただ叩き台としてでも試し始める方々が生まれてくれて、大変に嬉しい状況だとは思いました。
>>51
いらっしゃいませ(・・・と私が迎えるのも何ですが・・・)。
秘の打ちなどは、普段から、自ずと養成されるような動きが一般的な技にも含まれているのでしょうか?
なにぶん思考実験を繰り返すのみの(汗)浅学な立場ですから、具体的な諸門派の方々に語っていただけると幸いです(__) >>54
こんばんは。温かくお出迎えいただきありがとうございます。
秘の打ちに関しては、正直あまり教わっていない部分が多く、門下生でも未知の領域です。
指導体系の中には、打ちに対しての立ち関節技・釣技・腰技・足技等の投げがあります。
型試合の捕技乱取では攻撃(打ち含・突・蹴・掴み・手首捕)に対して正しい技を投げられるよう、訓練をしています。
一方、攻防一体型試合の綜合乱取では、皆さまご存知の手刀打ち➕カウンター含む投げ技を繰り出していきます。
今は安全性を担保する為に、肘打ち、目線を狙う水平打ち、カウンターの入り身打ち等が禁止されているので、これらルールの皮を剥いでいけば秘の打ちに近づいていけるのではないか、、とボンヤリ思っています。
流派の中でも個々人の性格で捕技をやるか、綜合をやるか、くっきり分かれやすいのですが、私はどちらの乱取もバランス良く行っているタイプの人間です。 >>54 左右反転しただけで条件がそんなに変わるのか? って話なんだが? >>55 普通に投げの原理を当て身に応用してるだけでは? >>54
ちがうちがう ヾ(・ω・)ノ
手の「向きが」反対なんです。
棒状の物を握る時
順手と逆手があるのは
小学校の鉄棒で習ったと思います。
棒が自分に向いてる時
笛の持ち方が順手。
竹刀を持つ
雑巾を絞るのが
逆手です。
画像をもう一度ご覧なってみて下さい。
原画は逆手(雑巾持ち)です。
https://livedoor.blogimg.jp/strapple_ace/imgs/6/5/65b6b195.jpg
ところが研究されてるお写真は
順手(笛持ち)になってます。
https://livedoor.blogimg.jp/strapple_ace/imgs/8/6/864255d5.jpg
これだと
原画のようには捻上げる事が出来ないのです。
・・・・でも>>54さまの仰るとおり
真摯に研究されている
もうその時点で
尊い行為でしかありません。 アンカーミス。
私の書いた>>58は
>>56さん宛てでした。
すみません (´・ω・) >>51
>>55
はじめまして。
武田流中村派は
お名前だけ聞きかじってましたが
実態は
ほぼ存知ませんでした。
なので色々
教えて頂ければ嬉しいです。
乱取稽古を行う伝統武術は
かなり少数と云うか
絶無に近いと思いますが
それは流派の成立時からあったのですか?
一日の稽古で
乱取は一度に何分で
何本くらい
>>55さまの所ではしてるのでしょうか? >>58
持ち方は違ってもそれぞれのやり方があって、
ムリとか不可能ではない >>55
!
実践者の方からの詳しいお答え有りがとうございます。
幅広いアプローチをされている方ならではの明瞭なご解説と聞こえました。
非常に、多くの種類の攻防体系が備わっているのですね。
安全性と現行の自由攻防の関係も初耳でした。
少し感じたのですが、一部のルールで一部の技を制限することで、むしろ地力が練られるパターンも有るのかも?
私事としてはさいきん肘の急所を掴む程度しかせず、ただ攻防に慣れていないものでその前に後手に回ってしまう場面がほとんどです。
なので攻防をされている方が、そうした得意な形に入れるようにする過程などに、いろいろと興味を持っています。 >>60
こんばんは。
武田流中村派は合気道と名のつく流派の中では異質、亜流と見られている流派ですからね。笑
ですから、こういった場で少しずつご紹介させて頂いて少しでも皆さまに身近に感じて頂ければ幸いです。
ちなみに私は大学時代に始めた身で、他大学の他流派合気道部と交流する機会もちょくちょくありました。技の名称は違えど原理や考え方で近しい部分を共有出来たことは大変良き思い出です。この場で皆様からも様々ご教示、意見交換等出来たら幸いです。
※と言っても私は一門下生ですから、拙い理解とレベルであることはご容赦くださいませ。
さて、乱取の成立時期ですが、私も詳しいことは存じ上げておりません。
ただ、全日本大会が昨年で56回目でしたから単純にざっくりと引き算をして、1960年前後には試行版の乱取形式を行っていたのではないでしょうか。最古参の大学組織、立教大学と日本大学合気道部の成立ももうじき60年ですし。
先代の中村久氏(私たちの宗家です)も、大庭先生の下、修行時代から乱取形式の模索を続けていたそうです。
ただ、当時の技は受け身を簡単に取れるような技が少なかったそうで(関節極、当身、等々)、乱取形式をやりやすくする為に元技を試行錯誤の上に現行使用する乱取用に変化させていったそうです。
余談ですが当時は現在より人数が多く、男子は綜合乱取、女子は捕技乱取をやるべきだという風潮もあったそうです。
人数が多い→道場が狭くなる→釣技等の振り回す系の技を簡略化するという流れもあったそうです。
話がだいぶ長くなりましたね。
乱取は、捕技乱取で1回2分、綜合乱取で1回3分半です。
捕技乱取は捕(投)、受を40秒で交代します。
40秒経つと極技を一本行い、交代します。〆のラーメンみたいなものでしょうか。
大体稽古時にはこれを3本くらい行います。
乱取は最後に行うことが多いです。
綜合乱取はスペースも使う為、稽古時に行うことはあまりありません。
ですが、手刀の打ち合いによる打込乱取は毎回行っています。
これを1分×3本。こんなものでしょうか。今は安全性を考慮した打ち合いですが、しっかり間合いを見切る、自分の投げや打ちをしやすい間合いを作ったり、相手の機先をずらして撹乱したり、、そういった勘を養うのにも良い稽古かと思います。 >>63
乱取の導入
そんな旧くから Σ(・ω・;)
少し検索してみたところ
打ってもいい組んでもいい
今で云う総合格闘技の乱取は
1978年
士道館という
極真空手から分かれた流派が
戦後は最も早く始めたそうです。
次が1981年
これも極真空手から分かれた大道塾。
でも>>63さまのお話を聞くに
武田流中村派は
それらをだいぶ先取りしていた
という事になりますね。
工夫力
先見性が素晴らしい o( ’∀ ’)o
綜合乱取
三分半もやるんですか Σ(・ω・;)
それはキツイ・・・・
そういう稽古をされてると
皆さま強くなるでしょうね。
塩田ご令孫も出稽古されるといいかも。 >>63
武田流の方からここまで詳細に語っていただいたのは初めてなので、非常に勉強になります。
せんじつ亡くなられた大東流(合気道)の著名な指導者の方も、武田流を都内で学ばれていたそうですね。
個人的に自由攻防を本当にときどき行なうに過ぎなく、稀によその方々と交流すると充分に対応できない場面が多々なので、自由攻防と絡めたご内容に興味をかきたてられます。
拝読しますと、一口に自由攻防と云ってもざっと3種類は有るのですね。
3種類を適宜つないで運用することで、間合い感覚や機先の機微が自ずと要請されて行く、といったアプローチでしょうか。。
やはり1技1技単発をじっくり熟成するのみでは、いざ攻防局面となって遅れをとりがちなのも無理がなかったのかも、と客観的に実感しました。 >>65
打込の場合は単撃、連撃、受け返し(カウンターですね。体捌きでカウンターしやすい位置に相手を誘導します。)、フェイント等々、、フェイントも上下左右に振ったりと種類様々ですから打込だけでざっくり10種類くらいは組み合わせて攻撃してます。(上下左右に振ると自然と斜めの角度も使うようになります。)あくまで私の場合はですが。臨機応変な打ちに対して、如何に効果的に投げに入るか、投げ手は投げのプレッシャーを用い打ち手を“崩し”に掛かり、打ち手は投げにプレッシャーを与えるよう工夫します。打ちが主流の時代もあれば、投げが主流の時代もあり、交互に歴史が積み重なったようです。打ちも投げも一級品の選手はなかなか出てきません。投げではなく、手刀打ちで勝負する選手の試合だと、「投げが使えてない」「どこが合気だ」とツベに書かれますけど、あれは投げができないプレッシャーが相手にあるか、投げの形を知らないからそうなってしまうんですね。相反する相手の力を効果的に利用し、合理的な形で相手の虚をつくのが上手い選手は投げも打ちも上手になります。強引な投げや試合運びだと投げも打ちも決まらないです。 >>65
文字数制限で文章をだいぶ簡略化致しました。所々ご無礼、生意気な文章表現となってしまい申し訳ございません。よろしくお願い致します。 >>67
投げも打ちも両方同じ原理でやれば、
個人の得手不得手は置いといて
どっちも使えるようになる感じです? >>69
そこが目標です。笑
相手の虚をつく、機先を制す、「あっ」と思わせた隙に技に入るのは投げも打ちも似てると感じてます。 >>67
相手によっては
そう投げに行けるものじゃありませんよね。
>>67さまは荒唐無稽な事を仰らず
流石
やってるかたはちがうな
と敬意をおぼえます。
ところで
甲を上にした突き
いわゆる正拳
パンチが主流の
この現代にあって
手刀打ちのメリットは何だと
>>67さまはお考えですか‥‥? >>66
練神会の方です。
大東流の方に、合気道として学ばれたそうですね。
>>67
またも詳しく有りがとうございます!
打ち技の種類やタイミングが多彩、且つ打ち技と投げ技の相互圧力がそれぞれの攻め手(や攻守)を、機能するものとしているのですね。
巧いコメントもできませんが、何か滔々と雰囲気が伝わって来ます。
打ち技、投げ技、単品で切り出して無責任な評価ができないほど、実は相互の圧力が旺盛なのですね。。
実践をされている方ならではの、改めての視点なのでしょう、とひしひしと実感しました。
合理的な形で虚を、というのも恐らくよほどの合理の模索なのかなと外部からは思えます。
少し妥協して強引な区間を含む、などはつい行なってしまいがちなのでそこは念頭に置かねばと身につまされました。 中断していた>>38を
少し再開します。
反射にはざっと
生理的反射と
心理的反射があります。
武道
武術
格闘技
略して武格に於ける反射は
実際に痛みを覚えての生理的反射と
痛みや危険を予期しての心理的反射が
合わさったものと思われます。
痛みを伴わず
体が大きく動く生理的反射には
膝のお皿の下を叩くと下腿が跳ね上がる
膝蓋腱反射(しつがいけんはんしゃ)が
あります。
しかし
これしか無いようです。
肩附近に
膝蓋腱反射に相当するのがある
可能性は
排除して好いでしょう。
残るは痛みや危険による
生理+心理反射になります。 パンチも、ボクシングやMMAではグローブありきだからね。
初期のUFCで手を骨折した選手が続出したことを考えても、実戦で使うのはちょっと
ハードルが高い。軍隊格闘技では鉄槌や掌底が推奨。
空手みたいに時間をかけて拳を鍛えるなら、また別だけど。 そこのあたりも、現行の競技と必ずしも適合しない理由でしょうね。
鉄槌を微修正すれば手刀にもなりますし。
>>73
右手で腋を開かれてから前腕を掬われると強く固まるので、事前にリスクを察して条件反射的に手が挙がったとも考えられますね。
ところで遅ればせながら29の胸で固める一般的な画像を紹介しておきます。
↓
https://www.babashinbun.com/wp-content/uploads/2014/09/IMG_1432.jpg
↑
お尻で固める(極める)こともできますが。。 >>74
武田惣角の拳打は
掌が上
または親指が上
だったそうです。
佐川幸義は甲が上になる
いわゆる正拳を採り入れたそうです。
塩田剛三は
甲が上の手刀を
真横にいる敵にキメたりしたそうです。
このへんの異同は面白いですね。 >>75
腕を背後に挙げられると
左右前後
いずれの向きにも
動かす力が弱まりますよね。
なので画像のように
胸を推しつけられたり
>>75さまの云われるように
お尻をあてられるだけで
もう動けない。
ご実演は養神館の千野進氏ですね。
塩田先々代を
最もコピーしたと云われるかただとか。
・・・・素晴らしい動きが数ある中
否定箇所を述べて申し訳ないですが
対角の拳を持ち
倒すのは
相手が大きいと(110kg)出来ませんでした。
https://youtu.be/Z1m5im39PKI?t=328
これを可能にする方法も
書いてみたいと思います。 あー、倒れていませんね。。
・・・ただ、拳を持ってどころかもっと難しい握手から、何もせずに平気で倒してしまっている方々と比べると、真摯に正面からテーマへ向き合っている方なのかなとリスペクトできます。
真下系はとかく難しいですよね。
初手のいわゆる下げ手ですら、本気で取り組まないと一生できるようにはなっていないものですからね。 >>77
「痛みを伴わず」
「体が大きく動く」
生理的反射は―――
です。
たとえば
焼けた鉄板に間違えて触ったら
ウワッチイ ヾ(゚Д゚;)ノ !と
手が大きく跳び退るでしょう。
でもこれは
熱さという痛覚によるものです。
痛み
そして>>73に書いた危険予知
これらに起因しない反射で
「大きく」動くのは
(「大きく」ですよ
あくまで「大きく」)
膝蓋腱反射しか無いと思うんですが
いかがでしょう (´・ω・`) >>79
技術が無いと
当たり前ですが相手は倒れません。
対角の拳を持って倒す
名づけるなら拳投
それを本当に可能にする方法は
以下になります。
1. たとえば右手で相手の右拳を持つ
2. 自分の右肘を
(以後
体の部位の名称が出たら
特に断りがない場合
自分のとします)
ほんの少しひらく
これはひらけます。
3. ひらきながら
物凄いちょっと引く
ほとんど引いてないレベルに留めます。
この最初の手順2. 3. が
途方もなく大事なのです。
次レスに続く (゚Д゚) 4. 右手を
しゃがみながら素早く引き
5. まだしゃがむ動作の最中に
今度は素早く推します
手順4. 5.
「しゃがみながら素早い引き推し」は
人によって
ちょっとだけ難しい動作と
感じるかも知れません。
でも何回か練習すれば
ほぼ誰でも出来ます。
逆上がりなんかのほうが兆倍難しい。
6. もはや手順じゃないですが
相手がストンとしりもちをつく
これが拳投の答です。 最初の2. 3. は
動作としてあまりに小さいんで
いっけん技の成立に関係ない
省いても好いように思えるでしょう?
でも省いたら
4. 5. を履行しても倒れないのです。
肘を大きくひらいてもダメ。
かと云ってその調節は
難しくありません。
調節と云うほどでもない。
地味と云うか
動作として小さいながら
とても大事な発見でした。
これなら相手が100kg超えても
トトトト・・・・と膠着せずに
ストンとスムーズに倒れます。 これよりも上の段階
しゃがまずに倒す方法も存在します。
それは大袈裟に云えば秘宝であり
誰も知らない
合気のしくみを明かす事になるので
書きません。
ただ
合気が解かれば
合気によらないで解決する方法
云わば便法(べんぽう)も
解かるのです。
まだお出来にならない段階だったり
あるいは出来ると仰るものの
「私は出来る」としか云わない
つまり便法が書けないかたは
上記論理で
個人的には
まだ合気に達されてないと判断します。
握手でしりもちをつかせる
云わば握手投なんて
拳投の遥か先
影すら視えない段階です。
難問中の難問なのをお解かりな時点で
>>75さまは解いてらっしゃるんでしょうね。 >>80
末端が稼動するのはアキレス腱反射と前述の上腕三頭筋腱反射も挙げられますが、2関節をまたぐのは後者ですね。
それでも伸展まではつうじょう動かない。。
>>82
沈む技自体がこんにち瀕絶種ですよね。
元来の武術は上下動で施技する物と思います。
>>83
本当の掛かり方をすると、柔らかくありながら膝や腰を強く攻めてしまいますね。
それだけに廃れた側面も有るのかな。。
>>84
有りがとうございます。
私の守備範囲はせいぜい便法までですが、それでも旦那芸や単なる力をぬくだけ、持たれた向きのまま真下へ落とす、手刀を切り落とすなどではとても不可能なことは理解しているつもりです。
両手で持たれた持ち返さない四方投げで、回転途中の段階で真下へ倒す近道手法などは例えば珍しく手刀ですね。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 握手落としの新規映像を発見しました。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=dAtfDP_2eXQ
↑
過去もっとも真理に肉迫したアプローチだと思いました。 >>85
前スレでお教え頂いた
四方投のフィニッシュ
素晴らしかったです。
脱力に関しては
握手投とはまた別ですが
塩田ご令孫の
それ(脱力)を技術としている動画があります。
https://youtu.be/FzQn7U9MvaY?t=236
基本的な話
脱力は技術じゃないんですよね。
人が文字などの情報を伝達するのに
昔は紙に書いたのを
物凄い距離を歩いて運びました。
距離を歩く=チカラとして
電信技術の発明により
チカラは要らなくなりました。
但しそれは電信技術があってこそです。
電信技術も無いのに
単に「距離を歩かない」だけで
情報が運ばれるわけじゃないんですよ。
技術があるからチカラを使わないで好い。
こういう人の勘違いは
脱力を技術だと思ってるところです。 >電信技術も無いのに
>単に「距離を歩かない」だけで
>情報が運ばれるわけじゃないんですよ。
非常に判りやすい説明だと思いました。
仰る通り、脱力はあくまで雑力という夾雑物についての要件ですから、そのようにネガティブファクターがないだけでは技の効果というポジティブファクターには直結しないですね。
必要条件と(必要)十分条件は違う、と云い換えても好いでしょうか。
それとコメント欄も面白かったですが、テノデーシスは解釈が反対でしたね。
手首が掌屈すると手指が拮抗的に伸張するのがそのアクションなので、同じ原理からするとあの技はむしろ指が離れてしまいます。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>87
「手首ではなく肘を回す」
https://youtu.be/dAtfDP_2eXQ?t=108
この箇所は勉強になりました。
・・・・ただ
そのあと潰せるかと云えば
潰せません。
ビクともしない。
そもそも
手首を持たすのと握手じゃ
手一個ぶん
場所がちがうんで
握手は場所が浅過ぎて体重が載りません。
まだまだです。
とは云え
山崎氏や石森氏に「較べれば」
>>87さま云われるよう
ずっと真理に肉薄してると思います。 >>89
テノデーシス
>>89さまの仰るとおりです。
あれは多分演武だと思います。
あの体勢で手が離れないなんて
ありえない。
>>73の続きですが
残る「痛みや危険による生理+心理反射」
これは痛くないほう
苦しくないほうへ
逃れる動作となって顕れます。
一言で
動きやすいほうに動く。
では腕が背後に跳ね上がるのは
動きやすい向きかと云うと
およそ腕に於いて
最も動きにくい向きです。
痛さ
苦しさを伴います。
よって
あの向きに反射はありません。
背後系は
そっくり演武だと思って
いんじゃないでしょうか。 >テノデーシス
が判り辛かった方もいらっしゃるでしょうから、簡単な実験を紹介します。
腕を手前に伸展して手首を背屈(甲側へ折る)すると、自然と指が曲がりますよね。
ここで指を伸ばすことは難しい。
この指が曲がった状態のまま、肘を曲げてみて下さい。
ふと指の曲がりがほどけます。
最初の指が強く曲がるテンションが、簡単に云うとテノデーシスですね。
生体の保護反応です。
そこで指を伸ばすと肘関節が危ないので、人体はそのように危機を回避するようにできています。
>>91
コメントを有りがとうございます。
手首1関節の壁を、どうやって越えるかですね。
>>92
このように離れないのは合理的ですね。
↓
https://youtu.be/DEW86DaE8K0?t=114
↑
まさに手首の背反による指の屈曲というテノデーシス(を阻害すること)で、離れない技の典型でしょう。
75の画像も同様の原理です。
手首を掌屈させると、握り拳に対する小手返しの時のように指がむしろほどけて伸びるんですよね。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 補足すると、手が離れない小手捻りは心理的には起き得る現象です。
「フェイスガードを完全に捨てた、死に体になってはならない」前提条件が不文律として成立していれば、あるていど推し返してから、活きた手をリリースせざるを得ません。
すると確かに放せないですね。
生理反射や力学では難しいです。 >>93
テノデーシスのご説明
わかりやすい Σ(’∀ ’)
演武の動画も
ちゃんと掌を抑えてて
あれなら受が逃げられないのも
理に適ってます。
演者は沖縄古伝空手
心道流の宇城憲治(うしろ・けんじ)ですね。
宇城氏は発明の才がお有りで
電子部品の特許を
なんと三十も取得されたそうです。
そこまで技術に向き合うかただから
武術の演武も
あまりにひどいお芝居は
なさらないのでしょう。 >>95
>活きた手をリリース
手を活かしたままリリース、のほうが伝わりますね。
これは四方投げの入りかけで肘をのせて潰した場合も、もっと(離れないことが)成り立つ現象です。
>>96
どういたしまして<(_ _)>
あのテノデーシスや、コテ返しで起こさせない施技は、抵抗の具合いを感知するのに打って付けですね。
広い会派がベーシックなメニューとすべかと思われます。
宇城氏の発明力は本当に素晴らしい!
まるで96さんの仰る体の激変された方のようです。
より人口の大きなビジネスシーンでそれだけの実績を出されているとは、やはり常人とは目のつけどころが違うのでしょうね。 >>97
前スレに書かせて頂いた
このかたに関し
矢張り宇城氏同様特許が多いという話を
前スレじゃない大分以前に書かせて頂いたの
よく憶えて下さってますね (;・∀・)
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1601549266/832-834
初めて読む人もいるでしょうから
書きますと
19歳で特殊な感覚が灯り
上記リンク先に加え智慧もひらかれ
瞬く間に特許を三十も取得しました。
宇城氏と同数ですが
今35歳なので
比しても
かなりのハイペースと云えるでしょう。
今は会社を辞め
パテント(特許使用料)で左団扇です。
どんなに武格や
ボディワークに打ち込んでも
殆どのかたがこの人に成れません。
頭脳労働の大切さを教えてくれた
範たるご存在だと思います。 30件は本当に凄いですよね。
おそらくは個人でなく企業名義なのでしょうけれど。。
ちょうど30件のホルダーとしては名古屋工大やキヤノン電子がランキングされています。
何でもないことでも、地道に1つ1つ解こうとする取り組みが大切なのかな、などと凡人なりに解釈してみました。。
そう云えばこちらは天才型でしたか、プロ野球のドラフト首位候補だった選手がたしか、リンク先の方どうようトレース能力に長けた方でしたね。
非才だけに氏名を失念してしまいました(;^_^A >>99
多分
杉浦健二郎(すぎうら・けんじろう)の事だと
思います。
雑誌『Nunber』の記事より引用します。
┃
┃ 高校時代はバドミントン部。
┃ 大学で草野球に目覚め、
┃ 打てば吉田正尚、
┃ 投げれば150km。
┃
┃ 両投げ両打ち。
┃ 中央大学法学部在学中。
┃
┃ 何刀流なのかは本人もわかっていない。
┃
┃ このコロナ禍が、
┃ 我々から未だに隠しているもの――。
┃
┃ 今季から独立BCリーグに参入した新球団
┃ “神奈川フューチャードリームス”
┃ 秘密兵器、
┃ 杉浦健二郎という異能の投手である。
┃
┃ (略)
┃
┃ 「腰の動きなどを中心に全体像を見て、
┃ そのイメージを
┃ 自分の身体に当てはめれば
┃ その形になるというか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています