>>67
天心流が柳生を割った設定?
宗矩公の意向を受け、宗矩公が編み出した新陰流にはない二百数十の技法を整理して別流派を名乗ってるんだから流派を割ったりはしてないだろ。

天心流兵法の由来
天心流兵法(てんしんりゅうひょうほう)は寛永年間、時沢弥兵衛(※1)師によって創出された古流武術です。
流祖は徳川将軍家の剣術指南役 柳生宗矩公に新陰流を学びました。
そして宗矩公の傍に仕えて、影として護衛やさまざまな役務に携わり、朝鮮通信使の護送でも重要な働きを果たしたと伝えられております。
役目を許されて後、宗矩公の意向を受け宗矩公が編み出した二百数十の技法を整理し独自の兵法を編み出して、これを天心流と名付けました。
これは単なる武芸の剣技としてではなく、徳川の世を影で支えるため、士林(武士の繋がり)にて用いられる上士(城士)の剣であり、異(い)なる流儀として誕生しました。