鍬海ごときが師家になれるなら権威のある本物の自分が鍬海より先に入門していれば師家になれたのに悔しい、という醜い嫉妬しか感じられないんですよ。

鶏口となるも牛後となるなかれ

権威がある流派の年寄りの下で面白くないのを修行だと履き違えて、牛後のまま自分も爺さんになってようやく流派を継承したらもう人生残り少ない。
これが権威のある流派の末路なんて夢がなさ過ぎると思いませんか?