木村政彦 3
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柔道家と総合格闘家としての木村政彦スレです、プロレスと力道山の話は禁止
したい場合はスレタイ「木村政彦はなぜ」もしくはプロレス板へ
前スレ
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1551748349/ 云い伝えによると十兵衛は、
安坐から跳躍し
(「あんざ」。あぐらの事です)
天井を蹴り上げる事が出来たそうです。
ウッソー (´・ω・`)
一族で異常な跳躍が伝えられるのは、
十兵衛だけです。
そしてその十兵衛が、
石舟齋の大悟を書いている。
ここになにか意味が (´・ω・`) ・・・・?
私が個人的に、
これも無刀捕とはまたちがう
ある技を求め長年月(教授関連の柔道技です)、
ついに
|
. \ __ /
. _ (m) _ ピコーン
. |ミ|
. / `´ \
ヘ⌒ヽフ
(・ω・`)
( つとヽ ポン !
閃いた、その時―――!
同時に廊下のエピソと、
パズルのピースが合わさったんです。 そっか (´・ω・`)
そだったんだ (´・ω・`)
転びそうになった瞬間
石舟齋は肘が―― (´・ω・`) ――(略)
その柔道技(教授技)は、
出来るようになりました。
そして探究もしてなかった
「刀に素手で勝つ」
物は試しにやってみたら、
これも教授技と同じように
出来ちゃいました (´・ω・`)
剣道の有段者に
思いきり斬りかかってもらって
スイスイ捌き
とりおさえる事が (´・ω・`) ・・・・
それだけじゃありません。
「安坐から天井を蹴り上げる」
これも同じ事が、
出来るようになったんです (´・ω・`)
それこそ刀を相手に、
二コマ漫画にするとこんなふうなのも。
これも無刀捕っちゃ、無刀捕 (´・ω・`)? ┏━━━━━━━━━━━━━━━
┃
┃ (`д)/
┃ ,| ブフ (・ω・`)
┃ ,/ > ィ°___ ノ° ク タ 〜
┣━━━━━━━━━━━━━━━
┃
┃ ((・ω・`))
┃ ゚(( ))° ビヨヨーン
┃ Σ(`д)/ ゙ー'゙ー'゙
┃ ,| ブフ
┃ ,/ >
┗━━━━━━━━━━━━━━━ 多分>>706さまは、
この一連、急ごしらえの話と思うでしょう。
無刀捕をよく知らないから
(史実も技術も)、
と云うか他すべて
何も解かってないから、
異常な跳躍などという
いかにもセンセーショナルな話を展開し、
けむに巻こうとしている―――
そうご覧になるのは、
おそらく正しいと思います。
・・・・実は初秋、>>547に
伏線を張っときました (´・ω・`)
具体的な方法は、
やっぱり技術なんで明かせませんけど、
同一原理による結果を並べれば、
解かるようになってなくも (´・ω・`)
・転倒を立て直す
・無刀捕
・スーパージャンプ
・着衣双手背負を肘傷めずに
これらは本当の話でしょうか?
だとしたら、共通因子は・・・・?
まあ読み飛ばすのがいちばんです (´・ω・`) >>708
>この時の喩りが、
>具体的にどんな技か、
>十兵衛は「解釈が分かれてる」と断った上で
>ご自身の技術は明かしてません。
十兵衛が言ってるのは、この時の喩り≒祖父・石舟斎が編み出した西江水の用法から親父の宗矩がやり方を変えたって話であって
石舟斎の喩りがどんな技かについて解釈が別れてるなんて言ってないよ
具体的に内容記述してるし >>708
>一説に無刀開眼とも云われる
この部分聞いたことがないから(少なくともソースの十兵衛が書いた伝書には載ってない)、誰が唱えた説なのか気になって
尾張柳生系の伝承でも江戸柳生系の伝承でも上泉から印可もらったときに無刀取り披露したことになってるでしょ?
それでどこから出てきた話なのかなあって思ってさ >>709も初めて聞く逸話だ。
剣豪関係の逸話そんなに詳しくないから、出典知ってたら教えてほしいな 高専柔道は寝技だけでも一般的な柔道より弱い
高専は弱い奴同士でやる柔道 >>721
柔道経験あるのか?キツイ寝技の練習をたくさんしているだけでそれだけで尊敬に値するけどなあー
それに高専柔道部はブラジリアン柔術の技術を高専柔道にいれたんだろ?相当強そうだぞ? 高専が稽古量すごかったのは戦前の話
高専やってたことで知られる作家の井上靖は餃子耳だけど増田は綺麗なまま 人それぞれ耳の形も作りも硬さも違う
耳の質によってはならない人もいるのでは? きょう練習の帰り
くるまでとおった村に
神社を発見 ( ’∀ ’)
境内をポーン
ポーン
スーパージャンプで
ひとしきり遊んだら、
「力石」ってのがあるのに
気がつきました (´・ω・`)
(「ちからいし」と読みます)
でかい (´・ω・`) ・・・・
https://pbs.twimg.com/media/ELvRq22UEAA8U-Q.jpg
隣に置いた柔道衣
3号だけど
それでも大人用なのに
こんなに小さく (´・ω・`) ・・・・
案内板によると、145kgらしいです。
江戸時代の村人は
こんなの競って挙げたんだって (´・ω・`)
こういう先に
教授や畠山重忠の世界があるのかな (´・ω・`) >>721
「高専柔道」と
一言で云っちゃうと、
戦前の
旧制「高」等学校と
旧制「専」門学校で行われていた
寝技「柔
. 道」
て意味になりますよ (´・ω・`)
その大会は
木村政彦ひきいる拓大予科でさえ、
寝技で駆逐されました。
なので、
まさかそれを云ってませんよね。
てなると、七帝柔道ですか (´・ω・`)
七帝柔道と
講道館柔道を(講道館柔道の「猛者を」)
その寝技に於いて的確に較べるのは、
そう簡単じゃないです・・・・
長い
長〜い
一大論考を要します (´・ω・`) 基本的な話、
寝技は(寝技の実力は)
大まかに
下記の三種に分類されます。
≪1≫ 伏さった相手を
畳から引き剥がして抑える
または絞める
関節をとる
≪2≫ 仰向けで下から攻めてくる相手を
脚を越え抑え込む
≪3≫ 仰向けで下から攻め
返して抑え込む
または絞める
関節をとる
このうち≪1≫は、
講道館柔道が、得意です。
どうしても、引き剥がす力を要すため、
フィジカルモンスターが有利だからです。
講道館柔道の優位を説く人は、ここだけを
観てそう云う人が、少なくありません。
確かにこういう
引き剥がすのは、講道館柔道が上でしょう。
https://youtu.be/UZBgD_6O9Aw?t=214
動画は実業団73kg級
一昨年二位の選手です。(動画自体は今年の)
つづく ( ’∀ ’)ノ >>727
あなたは何者ですか
ブラジリアン柔術の人ですか >>728
好きで色々 (´・ω・`)
≪2≫は話が
≪3≫と多分に一体なんで、複雑です。
柔道の「下」(下からの攻め)は、
脚を相手の下半身に掛けるんで、
「上」はズボンが持ちやすく、
また「持って動きやすくも」あります。
ブラジリアン柔術で云う、ズボンパスですね。
スボンパスは
「持つ場所」
「動き方」
「相手の脚を振り回す力」
この三点の正度強度が
成否を分けます。
しかし
柔道は持ちやすい
動きやすいだけに、
力が強くて速ければ、
持つ場所がめちゃくちゃだったり
軌道が雑でも、
パス出来ちゃう。
これが七帝の下にとり、由々しき問題に
なってくるわけです (´・ω・`) ・・・・ >>727
この技(亀を横三角で返して腕固定しての押さえ込み)は木村が編み出した技だとなぜ殺に書いてあったけど本当なのかね? 木村政彦のような木を根こそぎ倒すような大外刈覚えたいものだ。 佐竹がニールセンに仕掛けた頭突き、みたいな要領だと大外刈などに応用できるかも。
つりてでぶん殴り、あるいは頭突きかましてからの大外刈足払い系統の技など。 >>736
ではタイソンのフックを振りぬいた後のエルボーみたいなもんか てか道着を握ってる時点で
普通はパンチしようとしても威力がほとんど殺されるわけで
その威力が相手にダメージ与えられるほどほどの腕力を持ってた
木村だからこそできたわけで、ずるいとは微塵とも思わんな
審判に隠れてやってたわけでもなし
道着から手を放して殴ってたわけでもなし >>732
横三と腕縛りと腕緘は
(最後は「うでがらみ」と読みます)
ちょうど順番に連絡(変化)してく技なので、
腕緘が得意な選手は、必然的に腕縛り、
そして横三が得意の場合が多く、
技の草創期なら、
その選手がそのまま創始者の可能性も、
高いと思います。 火薬・羅針盤・活版印刷も木村が発明した可能性が高い 今週読んだ
早坂吝って人の本に
(「はやさか・やぶさか」)
「シチリアンスチレット」が(→>>666)
出てきました。
シチリア島に伝わる、
短刀術なんだって (´・ω・`)
ナイフを最初から出してんじゃなく、
隠し持って突然ずぶりが、特徴だと・・・・
まあ居合みたいなものですね (´・ω・`)
でもこの他色々
イタリアの民族武術調べても、
レオナルドダヴィンチの描いた正対(→632)
どこにも無いんですよね (´・ω・`) ・・・・
古代パンクラチオンを伝える絵にも
正対は一点も出てこない (´・ω・`)
正対は
日本の柔道が登場するまで、
どこの国にも無いんです (´・ω・`)
ダヴィンチは
これがなぜ描けたのでしょう (´・ω・`) ・・・・
木村政彦と似て、
オーパーツな人ですね (´・ω・`) ・・・・ 歴史の記録が全て残ってるわけでもなし
ころんだ状態で戦っちゃいけないなんてルールがあったとも思えない
グラウンドファイトは転倒したときに自然に発生するもので
それこそ人間に進化する前からあって当然なものだと思うよ 古い日本映画見てたら投げうってからマウントパンチというシーンがあった
柔道やってる設定だった
半世紀くらい前の映画
見た人いないかな?俺の記憶違いだろうか?
それは眉唾にしても「馬乗りになって殴る」という表現はもっと前の文献でも見た事あるぞ
かなり昔からあるんじゃないかと思うんだが 例えば新渡戸稲造の「自警録」の
第九章 「心の独立と体の独立」
に載ってる。寝技の応酬ではなくただ馬乗りになって殴っただけだが
コレは違うか 新渡戸稲造の「自警録」より
“””
僕は突然床よりムッと起き上がり、彼の上に馬乗りに乗り、彼の頭を目がけて鉄拳を食くらわし、
「俺の飯を食ってるくせに、なぜ反対するか」
とどなったことがある。
””” 新渡戸稲造は嘉納治五郎と旧知の仲
いだてんに登場した嘉納治五郎の愛弟子の杉村陽太郎とも国連事務局次長の役職の先輩後輩関係 ググったら新渡戸は柔術やってたという論文があった
出典が書籍なので事実と思われる >>748
>>752
新渡戸稲造
私教養なくて
よく知らない人でした (´・ω・`)
ごめんなさい (´・ω・`) ・・・・
検索し
私なりに簡単に云うと
「日本初
世界で活躍した教育者」
だったんですね。
拓大の名誉教授でいらしたそうです。
つまり・・・・
木村政彦と一緒だ ヽ( ’∀ ’)ノ
学ばれた柔術
何でしょう (´・ω・`)?
ご生地の盛岡に
諸賞流というのがあって
(「しょしょうりゅう」と読みます)
それは藩の重要人物しか学べなかったらしく、
イナゾーのお父様が
まさに藩の重要人物だったんで、
この流派かな (´・ω・`) ・・・・ イナゾーの柔術の理解は
「人がどういう仕組で立っていて
どこを押せば倒れるか
解剖せずに学べるのが柔術なのである」
マウントパンチを
あまりに早い時代に書けた事もですが、
一流の人物は物事を的確に捉える感性
智慧があるんでしょうね (´・ω・`) ・・・・
「私は少年の時から
好き嫌いを超越しようと努めてきた」
遺された言葉も、
規範にしたいのいっぱいあります (´・ω・`) 塩田剛三のエリオ評。
http://blog.livedoor.jp/gibson3457/archives/22213927.html
読みやすく訳すと
「強い武徳会の
実は出身だった前田光世は
弱い講道館に嫌われて海外に出された。
木村は講道館の飼い犬だった。
強さじゃもちろん前田が上。
前田に劣る木村に敗れた
エリオグレイシーとかいうブラジリアンは
しょせんスポーツマンじゃのお」
塩田剛三
晩年ほんとにこんな事云ったの (´・ω・`)?
・・・・気になるのは
塩田士の武徳会推しなんですよね (´・ω・`)
前スレに私
塩田士の参段は武徳会のじゃないかと
推理を書かせて頂きました。
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1551748349/897
この推理と
今回出てきた発言は、
つながると云えばつながります。
(´・ω・`) ・・・・ >>753
新渡戸稲造の『武士道』海外翻訳出版が、柔道の海外普及に直接繋がってるな
『武士道』出版が1900年
講道館四天王の山下義韶の渡米が1902年
セオドア・ルーズベルト大統領が『武士道』に感銘を受けて、山下を合衆国海軍兵学校の教官にしている
あと嘉納治五郎と新渡戸稲造は武徳会の発行していた『武徳誌』の編集顧問を二人でやってる
>>755
嘉納が当初からスポーツを目指したとか言ってる時点で間違ってるからな
あんまり参考にならなさそうな感じ というか前田光世の経歴的に京都に行ってた時期って無いよな
青森から東京だし、その後渡米だし
武徳会が設立したのも前田上京の1895年の同時期だけど、東京の講道館に通いながら武徳会にも通うのは無理があり過ぎる というか前田光世と木村政彦を逆に解釈してるんじゃないのか?
前田光世自体は横山作次郎の直弟子で、富田常次郎が厳選して渡米に同行させた講道館のエース
講道館三羽烏の二つ名も持っている
木村政彦は、竹内三統流学んで牛島辰熊に師事して当初は武徳会で段位を取ってる
どうも逆に考えてるっぽい あんまり講道館と武徳会を別物的に見過ぎる必要も無いと思うんだがな
磯貝一、永岡秀一、田畑昇太郎、栗原民雄とか武徳会のトップ陣も講道館殿堂な訳だし
武徳会って結局講道館から派遣された人物が柔道を教えていた場な訳だし >>758
木村と親交があった塩田がそんな勘違いするのも変だし
塩田の生前時点でそんなに有名じゃない前田光世やグレイシーについて塩田が言及するのも違和感があるし
(何でか知らんが)木村を貶めたいコジが塩田の発言捏造しただけじゃないの >>756
なるほど、
イナゾー
柔道の海外普及に
ひと役買った人なんですね ヽ( ’∀ ’)ノ
そんな大事な話
教科書に載せてほしかった (´・ω・`)
前田光世が武徳会の人って話
確かに新説ですね。
聞いた事ありません (´・ω・`)
・・・・少し気になるのは
前田光世が修行時代
東京の新宿という場所にいた事です。
(「しんじゅく」と読みます)
新宿はずっと後年
陸軍と妙に関係のある場所になりました。
戸山学校、731部隊・・・・
そしてその陸軍の
大将だった小松宮彰仁という人をトップに置き
(「こまつのみや・あきひと」)
武徳会はスタートしたそうです。 つまり新宿は
いつからか判りませんが
武徳会にどこか関係のある地だった可能性
あるんじゃないかと (´・ω・`) ・・・・
同じ新宿に
居と道場を構えてた塩田お父君は
そのへん
何か知ってたのかも知れません (´・ω・`)
全ては大昔の出来事で
たどる細い糸すら残ってませんが (´・ω・`)
もちろん
塩田剛三の証言が
(証言「として出てきた話」が)
正しいと云い張るわけじゃないですよ。
この話に一縷の真実性を見出すなら―――
って趣旨の
あくまで勝手な分析に過ぎません (´・ω・`) >>758
ボケが始まってたのだろう
老いは誰でも訪れる >>757
検索し
こんな記事を見つけました。
http://btbrasil.livedoor.biz/archives/54739105.html
前田光世は1901年から1904年まで
学習院大学の助教を務めたそうです。
今でこそ学習院は
東京に在りますけど
それは1905年
現在地に移転したもので
当時は京都に在ったそうです。
つまり前田光世は
三年間京都にいた Σ(・ω・`;)
学習院の在ったのは京都の上京区
(「かみぎょうく」と読みます)
そして同じ上京区内に
武専が在りました。 前田光世は1901年
学習院生を相手に掛け試合
何と関節技で敗れてしまったと。
・・・・ひょっとして
この敗戦がご自身許せず
寝技の穴を埋めるべく
武専に通ったんじゃないでしょうか。
そして三年を過ごすうち
心も武専の戦士になっていた (´・ω・`) ・・・・
更に云えば
前田をくだした大角桂嚴という人は
東京医科大学の建学者の一人だそうで
同大学は新宿に在ります。
塩田剛三のお父君・塩田清一は
小児科の医師で
病院と柔道剣道の町道場を
新宿にひらいてました。
場所的に東京医大
もしくはその前身
日本医大ご出身だったかも知れず
そこの部活か何かで
大角氏と面識があった可能性があります。
前田光世が武専に傾いてった話は
そのとき聞いたのかも (´・ω・`)
(´・ω・`) ・・・・ >>764
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E9%99%A2_(%E5%B9%95%E6%9C%AB%E7%B6%AD%E6%96%B0%E6%9C%9F)
東京の学習院は1877年(明治10年)から
嘉納治五郎も普通に講道館開きながら学習院で教授とか教頭とかやってたし 私の中で新渡戸、嘉納、高橋是清の活躍が点と線で繋がりました >>769
高橋是清さん
(「これきよ」って読むんですね)
不勉強で知らなかったけど
二二六事件てので
撃たれた人なんだ (´・ω・`) ・・・・
1936年2月26日
現場
赤坂のご自宅なんですね。
赤坂って確か
牛島塾があった場所じゃ・・・・
と思い
地図を広げてみたら
Σ(・ω・`;)
現場と牛島塾
250mぐらいしか離れてない。
1935年から塾にいた木村政彦
この騒ぎ
耳にした
まさか目にしたかなあ (´・ω・`) ・・・・
そんな八十年以上むかしの出来事に
おもいを馳せた新年 (´・ω・`) いだてん見てなかったのかよ
柔道家で出たのは嘉納先生以外には、徳三宝(九段)、三島弥彦(弐段)、杉村陽太郎(六段)、
ぐらいだったけど
三島弥彦の親父が、講道館柔道が社会に出るきっかけとなった警視庁武術大会開いた三島通庸だったりとか
天狗倶楽部に前田光世が所属していたりだとか
講道館四天王話とか、日本レスリングの父が嘉納治五郎の秘書の柔道家・八田一朗だとか
幾らでも話拡げられるのに触れなかったな 新渡戸稲造も前の5千円札の人なのにな
知らないなんてどういう社会生活送ってるんだよ でもニニ六事件と牛島塾を繋げて考えるのは良い発想
当時実際どうだったのかね
且つ牛島辰熊の思想としてはどう捉えていたのか >>776
牛島の思想に興味があるなら保坂正康「昭和史 七つの裏側」という本をお勧めするよ。
牛島の東条英機暗殺未遂に関するインタビューが載ってる。
牛島は天覧試合敗退以降一介の柔道家であることに疑問を感じ、
後進の育成などに目を向けた。牛島塾もその一環。
牛島の思想としては尊皇ってのが幹にあって
それ以上は、自分は一介の柔道家に過ぎないとして
自分を謙虚にみつめてたみたいだね。 家探検してたら
和室の入った事ない部屋発見。
中に
じーちゃんがもらった賞状あった ( ’∀ ’)
https://pbs.twimg.com/media/ENdZQ_cU4AE8cWv.jpg
賞状のあとのほうにある
中曽根康弘って名前
(「なかそね・やすひろ」と読むそうです)
検索したら
昭和の総理大臣で
去年亡くなったんですね (´・ω・`)
海老原義彦って人は
(「えびはら・よしひこ」)
年賀状がありました。
私ほんと
何も知らないなあ (´・ω・`) ・・・・
色々聞いときゃよかった。 >>774
現金
あまり見る機会がなくて (´・ω・`) ・・・・
帰省中
初めて聞いたんですけど
うちは教科書にも載ってる戦国武将の
子孫らしいです。
ほんとかよ (´・ω・`)
でも小さい頃から
家になんかいつも十人以上いるなあとか
(親族以外)
庭に森があるのは
なんでだろーと思ってた (´・ω・`)
ヤな話
物心ついてから
敗走し落ち武者狩りに遭う夢に
よくうなされました。
今回知って検索したら
その武将も
敗走からひどい落ち武者狩りのすえ捕縛
頃されたそうです。
まだ魂は
安まってなかったのかな (´・ω・`) ・・・・
木村政彦みたいな従者がいれば (´;ω;`) なに親の自慢しとんじゃコラ
お前自身は一族の名に泥を塗る落ちこぼれだろ 平家かな
それにしても教養がない。留学でも
してたの でもつい先日の中曽根元首相死去のニュースも
知らなかったみたいだしな
引きこもりなんじゃない? 中曽根総理を知らん日本人ているのか・・
つかほんとに日本人か?? >>781
ご先祖さま
「智はあっても勇がない」と
批判的な扱いに
歴史上なってるようです。
夜襲をかければ勝ってたらしく
でも
「卑怯なマネはしたくない (`・ω・´) キリッ」
結果
フルボッコにされました (!!!ノω・`)
・・・・ひょっとして
卑怯が嫌いなご先祖さまの遺伝
もっと云えば魂が
木村政彦に共鳴したのかも (´・ω・`)
>>783
賞状
もう二枚ありました。
計三人。
ああいうのがゴロゴロある家
たぶん日本人だと
思うんですけど (´・ω・`) ・・・・
広間も
ひとめで古いし (´・ω・`) ・・・・
https://pbs.twimg.com/media/EN-WGCYUYAEy8ci.jpg >>786
小早川さま
検索したらお父君
毛利元就なんですね。
うちのご先祖さま
検索して出てきた父親の名前
そんなに知られてない印象 (´・ω・`)
有名じゃないけど
豪族 (´・ω・`) ?
とかいうのだったと。
附近一帯の土地の名が
ご先祖さまの姓でした。
今でも名残はあって
たとえば私も生まれた時
プレゼントが山1個とか。
毛利と云えば
毛利秀元という人
(「もうり・ひでもと」と読みます)
毛利元就のご令孫ですが
家来を碁盤に立たせ
その碁盤を片手で持ち歩けたそうです。
こんな感じですかね・・・・
https://i.ytimg.com/vi/lU5zMcAVrJA/hqdefault.jpg
これをおとなでやれる人、いるのでしょうか?
木村政彦なら、もしかして (;´・ω・) ・・・・ >>779
教科書に載ってる戦国武将
敗走して捕縛
>>785
夜襲を助言された
智はあっても勇がない
>>789
父親は有名じゃない
一致するのは石田三成だが そういや
ばーちゃん
ひーばちゃん
視ただけで寸法が判った。
巻尺あてず
眺めただけで
合う服つくってくれた。
>>725の黄色い柔道衣も
うちでつくってもらったヤツだよ o( ’∀ ’)o
(柔術衣じゃないよ。
破けない厚い生地)
距離を機械つかわないで
「121メートル」
m9っ -д-) ビシッ
ぴったし目測出来た。
ご先祖さま
検地で活躍したらしいから
(「けんち」と読みます。
初めて知った・・・・ )
やっぱり同じ異能あったのかな (´・ω・`)
数学者のガウスが
こういうの持ってたそうです。 分かるぞ
今の時代ではほとんど評価されない職人的才能だろ
そういう人いるねん
手前味噌ながら親類では俺の母親と俺がそうだ残念ながら母親は人間国宝にはなれなかったが
そういう才能を持っている人って見ると分かるよ
最近では洋服の直しを依頼しに街の仕立て屋に行った時に会った店主の女性
さすが腕一本で店をやってるだけあってビンビン俺のセンサーが反応したよ
格闘もそうで格闘センスってあるよね
どんな格闘技やらせても上位にいっちゃう人とか
不思議だよね
木村先生も何やらせてもうまかったんだっけ
格闘センスについてだけどヒョードルとか絵が趣味らしいね
繊細な何かを持っているのかな
そういうのが格闘に活きるのってあると思います 木村と引き分けた石川隆彦は囲碁6段らしいが当時の6段ってどんなもんなんだろうね? そりゃあアマだろ
囲碁は初段からプロだしな(将棋は四段から)
昔はどうだったかは知らんけど >>793
見ればわかるって
普通じゃないですね (;´・ω・)
>>793さまのご家族
陶芸
または彫刻ですか・・・・?
異常ながんりき(眼力)
備わるお仕事らしいんで・・・・
私のばーちゃん
ひーばーちゃんは
服は趣味で
専業主婦だったから
技術面は職人レベルか判りません。
12年前
私が24の時
( ´・ω・) カラー柔道衣ほしい
( ´・ω・) 青じゃ普通だから黄色がいい
一週間後
( -д-) 上衣の上半分と下半分
ズボンの生地と色はこれでいいか
部品のサンプル送ってきた o( ’∀ ’)o
https://pbs.twimg.com/media/EOnmDnMU0AAyFr8.jpg ポケットテッシュと並べると
小さいから
これが完成品じゃないの判ると思います。
あと市販の柔術衣買っても
こんなの付いてこないんで
これが柔術衣じゃない証拠にも (´・ω・`)
二重に織られた完成品
その一週間後
もう届いた o( ’∀ ’)o
(ちなみに柔術衣は一重です)
染め物の設備
趣味でもともとあって
織るのも足踏み式の
江戸時代の (´・ω・`)?って
はたおり機でつくったみたい。
柔道衣は
扱った事ないほど硬いから
出力あげるため
自分で改造までしてた (´・ω・`) ・・・・
完成品
12年つかって
ほつれ色落ちありません。
ざっと
技術のほうはこういう感じ。 ひーばーちゃんのばーちゃんも
同じ能力あったらしいです。
藩主の細君だったから
やっぱり専業主婦 (´・ω・`)?
になるのかな・・・・
一族以外に
似たのやれる人
ひとりお会いした事あります。
工作機メーカーの開発主任で
眼をつむって機械
数十秒〜数分
手に持って撫でたり傾げたり。
そしたら
「どこそこがわるい」
「ここに改善の余地がある」
チリほどの狂いが判っちゃう・・・・
学は無いけど
製品をどんどん発明
特許いっぱい認められ
会社大きくなったの
その人のおかげなんだって。
>>793さまの会った洋服屋さんも
たぶん同類なんでしょうね (´・ω・`) なんで「彫刻ですか?」と
お尋ねしたかと云うと・・・・
ルネサンスイタリアに
ベンヴェヌート・チェッリーニという
彫刻家がいました。
この人が>>793さま同様
異常ながんりきがあり
視ただけでその人がどういう性能か
わかったそうです。
あと武道で云う
「隙」なんかも
わかったと・・・・
ひとりで三十人を相手にし
あっというまに全員斬ったそうです。
みかねて
王宮一の剣士が刺客に送られてきても
それも秒殺。
剣は学んだ事がなく
武器は彫刻のノミだけでした。
そういうのは
隙がわかるから出来たみたい。
きっと>>793さまも
格闘技とかしないで強いでしょうね・・・・
私じゃ無理だ (´・ω・`) アマならまぁそこそこ強いってレベルだろ
金払えば貰えるんだし そんなたいそうなもんじゃないよ
職人以外の才能はさっぱりわからないよ 増田せんせいは木村政彦を講道館殿堂入りさせててないことをぼやいてたけど、
実際殿堂入りしてない人ら並べて考えてみると木村先生の優先順位は少し低くなるかな
木村政彦より優先順位上なのは、前田光世、川石酒造之助、小泉軍治、谷幸雄、松前重義
ここら辺はまず確定
あと考えるのは、
ワシリー・オシェプコフ、モーシェ・フェルデンクライス
富木謙治、望月稔、辺り こういうのは実力だけではなく柔道への貢献度も考慮されるもんだよ >>803
ロシア柔道の祖ワシリーさん
ウラジオストクに
こんな像建ってるみたいです。
http://curiosity-travel.com/wp-content/uploads/2019/10/IMG_3840-1024x768.jpeg
ワシリーさんのご師匠が
苫米地英俊って人で
(「とまべち・ひでとし」)
小樽高商の教授でした。
ウラジオストクでは
嘉納先生
ワシリーさん
苫米地教授が
三先人としてお写真並べられるほど。
https://livedoor.blogimg.jp/tomabechi1/imgs/3/8/38303f6c.jpg
苫米地教授の小樽高商の生徒さんに
村井顕八という人がいて
(「むらい・あきや」)
北米、南米、中国、ヨーロッパを
他流試合で転戦したそうです。
育てた生徒の実力とスケール
教授ご自身のロシアでの評価
(お名前のついた大会が今も残るそうです)
ひょっとして殿堂入りに近いご存在かも
知れないですね ( ’− ’) ロシアへの普及はワシリー氏の活躍で行われたとはいえ
だいぶ遅れたよね
それ以前は敵国だと認識してたから普及活動しなかったのかな
サンボの祖でもあるんでしたっけワシリー氏は
あなたの話興味深いなあ
経歴からすると
他流試合のやり方は知ってはいないだろうけども
柔術は少しは知ってたのかもね 木村は死んでも誰も銅像立ててくれなひw
逆に生きてるうちに銅像が立つ奴は人間のクズ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています