武壇5ちゃんねる分壇25
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排便どんぶりを食ったお陰で
現在のような
狂人になった
倉井氏
ウンコイロした地獄を世界で唯一再現できる男
倉井氏
人は彼の名をいつしか
こう呼ぶようになった
ブラウン・インフェルノ
茶色の地獄
グリーン・インフェルノ
緑の地獄=食人族
いや、もっと相応しい名がある
スカトロ・インフェルノ=排便地獄
グッドネームだぜ!
イヤオッ!
オーマイ&ガーファンクル♪ >>425
大雑把に。
劈掛は丹田を中心とし背骨を軸とした剄が外から内に向かう。
通背は足から丹田と肩を通過した剄が内から外に向かう。
劈掛と通背で劈を見比べると分かりやすい。 >>435
違うように見えるけど一緒だよ
通背拳が日本では小架式の方が先に入ってきたから違うように見えるだけで
大架だと完全にブン回す方になってるよ じゃあ劈掛掌がブン回す物かと言われればそうではなく
段々小さく直線的になっていく
小架式通背拳と同じ もちろん完全な同じ物ではないし
それぞれが他の武術も吸収して発展してるわけだが
劈掛通臂同源は間違いないんだろう 通背劈卦拳って流儀もあるしね 劈卦も真面目に練功やってたら寸勁打ちやすくなるから
決して中・遠距離だけの拳法ではないし 初めに練習する時はそれぞれの武術の特色を強調して練習する
じゃなきゃ何の為にその武術を練習するのかわからない
だから初めからキックボクシングの練習をしていてはいけない
ある程度理解が深まって身体が動かさせるようになり
実戦を考えられるようになれば
今度は逆に他の武術との共通点や相互作用を考えていく
そうする事で既存の物はより良くなって使いやすくなる
ここが融合
劈掛と八極は全く違うようだけども
相互に作用を高められる部分がある
それを先人は見つけた
またそのように共通点を見い出せるようになれば
あらゆる武術も可能になっていく
同じような動作があるにも関わらず
「私のやってるのは太極拳だから
劈掛掌のやってる事とは違う」
などと殻に閉じこもれば本当に見るべき部分を見失う 劈掛の大事な要素の一つに、足より先に手が動くってのがある(少なくとも武壇はそう)
これを上手くやればノーモーション且つ重い攻撃が出来る
リズムの変化とでも言おうか
八極出身の人はガッガッガッって感じのリズムだが
劈掛を身に付ければスースースーもしくはパパパッって感じになる
あと劈掛は全身をダイナミックに動かすから
特に手先で動きがちな蟷螂には効果があると思う 劈掛掌は重要なポジションだけど
現実には難しいみたいだな >>444
現実にはって?よかったら詳しく解説願います >>445
野球の投球と同じでどうしても手だけを回転させた感じが多いなってね
身体を使わないといけないけど
これがなかなか自分の思った通りに身体は動かない
またはあんまりよく分かってないのかもしれない >>446
自分も背骨がちゃんとしなってるか
自信ないですね(やってはいるつもりですが)
でも劈卦の練功はなんかスポーツみたいで
気持ちいい汗かけるので好んでやってます >>449
まあ動画撮って無いから自分では
断言できませんね 連動してるつもりですが・・
>>447 >>450
同じ劈卦でも風格違いますね
李式は八極の延長のような力強さを感じます 八極に劈掛を加えれば鬼神もこれを恐る
誰が言ったか知らないがそこまで付加効果あるか? 季式は套路自体は大陸系だけど
中身は武壇寄り
逆に武壇の方が置きに行ってる感じがして元のから遠くなってる気がするなぁ >>452
まあ中国人は猛虎硬爬山だの絶紹だの大仰な言い回し好きだし
直訳は八極を劈卦の連打要素で打てればマジ強いよって意味でしょう
>>453
本来は独立した門派ですしね
併修すればより強いって事でしょうね >>453
劈掛掌の要点を知れば
「マジか、要るわー」
になると思う 個人的には
八極っぽい奴には劈掛掌を
劈掛っぽい奴には八極拳をやらせたい
それから逆をやる >>452
羅ドウ張系→李書文系は既に劈掛が混ざってるからそこから除外
古伝以外の回族系もそこから除外して受け取ろう 無論弊習には弊習のメリットがあろう。
だがその2つが良く弊習されるのは、単に盛んだった地域が被っていたからだよ。 >>460
それ自体は否定しないね
今のように他所の情報が伝わらない時代では
基本的に近所のものしか学べないし
何より戦う可能性がもっとも高い近隣の武術の技を
学習する必要もあるし >>459
(゚ω゚)b笑
「倉井さん、足のうらをナメさせてくださいお願いします」
wwwwww 超射精戦士倉井!
ケンザン!!
ニョウドウから出される汁は
塩酸と同質!
エイリアンの血液みてーに
全てのものを
溶かすんや!
ジュワーってよ!
逆らったやつにぶっかける!
相手は
溶けて死ぬのさ!
殺人塩酸精液!
ジュワー!
と!とける!
ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァーっ
クワバラクワバラだせ!
くせぇし溶けるし
やべーし
シヌシ!
悪魔汁信夫!
倉井人形の館さ! ヒカ掌と八極両方習っても
練習不足になるのは間違いない。
ましてや他に
八卦、秘宗、忠義、形意、陳家等を習っても
無理です。
働いて金稼がないと生活出来んので。
二兎三兎四兎は追えなくて中途半端になって、中武が好きなオタクは習ってもどっちもつかずだね。 >>465
考え方が間違ってる
小八極と大八極をやって
どちらか一つにしないと練習不足になるのか?
小八極や大八極と同じように劈掛掌も必要な事だよ だから昔の人は一つの型を1〜2年かけて練ったのだよ しっかり功を積んでから次の段階や
型に移行してまた別の功を練ったり上位互換したりする 実際に戦う事をリアルに考えないで型練っても そりゃレベルの低い踊りにしかならない
これで動いてる相手KO出来るスピード威力タイミングなのか
そこが大事かなあと思ってます >>468
実際の戦いの想定がキックボクシングじゃなければな
キックボクシングで想定してる奴は相撲相手だとどうするつもりなんだろうw 一つの套路に1年や2年掛けたと言うのは昔の話で
今とは事情が違う
年数を掛けただけなら小八極は何年もずっとやってる気分だよ 小八極には相手が回避しようが構わず叩きのめす方法があるのだから
練習時の意識の問題だわな 套路だけとは言うがな
キックボクシングの真似事してる奴も含めて
当てる練習なんかやってない
どの位置に敵が居ても打てるようにする練習
実戦云々を言うなら真後ろに敵が居ても打てなきゃおかしい
そういう練習をしてないし
方法も持ってないだろう
プリウス乗ってりゃアクセル全開にするだけで人は死ぬ
闘牛だって一気に体当たりする
そういうもんだろ 倉井のせいしんほうかいしたみてーだな
発狂倉井
流行語大賞だな
あるく
原発のぶお
ろくなもんでねーからよ
あるく
チェルノブイリのぶお
ふれてはならねー
放射能核燃料のぶお
猛毒のぶお
ったくよー!
座ー汁は猛毒!
そんだけよ! 羨ましがる事はみんなにある。
問題なのは嫉妬心によって発展性の無いものに執着してしまうことだ
他人の浮き沈みに一喜一憂し誰かをけなしても、
倉井の人生は何も変わっていない 最初に型やって功夫練って、大八極で対錬って当てる練習するんじゃないの? >>475
そういうのにはならないね
それぞれ役に立つ要素はあるけど
基本的には素直に相手を倒すだけでしょ?
もっとシンプルに考えるべきだと思うんだよ やっぱり武術は言語で捉えるべきだと思ってる
最初に型をやるのは単語を覚える事になるけど
後は基本的に会話をしつつ言葉のニュアンスや使い方の違い、感情の込め方を習得していくわけでしょ?
套路→功夫→対打→当て方じゃ
なんだか喋れない日本の英語教育みたい 倉井のぶおの
あたらしー
名前
おちんちんホラ吹きのおじいさん
小中学校では
話題のまとさ(笑) 話はまた飛びますが
劈掛にしろ八極にしろ
その人の年齢や段階によって動き方もどんどん変化して行きますね
劈掛で太極ほどの慢動作でもなく八卦ほどの螺旋ではないと表現すべきか
わたしは八卦は知らないんですが
敢えて表現すればそんな化の段階の日常の練習をしている演武の場では見る事の出来ないような動きをしている
滄州の老拳士の動画を見た事があり
非常に味わい深い動きをしていたのを覚えてますが
ここに貼ってまた見ようとして探すと見つからない
動画以外の日常でもよくある事だけどもなんだろうねこの現象は(笑 どういう方向に変化していくのを理想としているんですか? >>484
雑談なんだから直接レスしてくれれば良いのに
系統毎に段階要求やらなんやらあるけども
結局はその時の自分のレベルや功夫の深さで出来る事は限られてくるわけだから
自分を知ってその時の自分の身体を最大限にどう使うか
それが武術なのだろうと自分なりに思ってます 流れで分かるかと
春の一字についてどう思われますか >>487
すいません字輩や歌決の話しですか?
わたしは功夫もないし深い所も存じません
浅いようで深い
深いようで浅い武術が好きな人が雑談していけるようにしましょう >>482
変化すると言うか
しんどくて出来なくなる
要点だけやる >>489
それか結局は正解だと思います∧∧
武術は常に問いかけます
今の貴方に何が出来ますかと >>488
字拝などは形式的な物だろ
意識の向上を目的としてるに過ぎないと思う
弟子だから頑張らなきゃいかんな的な
実際に弟子としての振る舞いが出来るのは、ほんの僅かしか居ない
歌決は重要なコツを詩にした物だけど
それは説明を受けないと分からないよ
説明を受けているのもどれだけ居るのか怪しい
ほとんどは標語として飾ってるだけなんじゃないかな 身体が衰えてきてから分かる事もあるとみんな言うね
身体が衰えるとどうしても体力や筋力以外に頼らざるを得なくなるから
結局そういう事だろう 説明を受けた事はなるべくノートに記入して忘れないようにしないとね
後でネット調べようとしても
そんなのどこにも無いんだし 先へ進めば進むほど他派が何をやりたくて、そのような形式なのか分かってくる
例えば呉氏の小架の頂肘は衝捶の後ゆっくりと頂肘に変わる
ああ、なるほどなと思うもん
初期の練習ではアリなんじゃないかと 自分が弟子だと思えば
次の人に伝えなければいけない事を考えて
必死で覚えて書き残すだろう
そういう所も学生との違いになるんじゃないかな 昔、ウーシュウで白猿通臂の人が台湾での練習の体験を載せていたが
教わった事もやる気が無いとか書いてて信じられなかった
当時、武術を沢山教えてくれるような所じゃなくて
方法に飢えていた
先生が練習してる所も目を皿のようにして観てて
教わって無くても真似してどういう事なのか考え続けた
だから教わった事を無下扱うが理解出来なかった
弟子だから凄いとは一概に言えない 武板の人間が興味あるのは格闘技でどう対応するとか
そんなしようもない事ばかりなんだね >>500
ワロタwwww
エビ老師にさんざん荒ら出ていけとか言ってたくせにwwwwww riuyuexia@yahoo.co.jp
復帰嘆願のメールアドレスw 格闘技に対応してもしようがないと思うんだけどね
格闘技やりゃ良いのに 中国武術の武しか見てないから、だろうね
精神面の事をもっと知りたいです
人は我を侵さず。我もまた人を傷つけず。
こんなのとかでいいから 精神を語るなら誤解が多い
相手と戦わない合気道的な発想は精神ではない
あえて言うなら拳児にも書いていたように
「手を出す時は、心に情けを残すな。心に情けが残っている時は、手を出すな」だ 相手は自分の反応で倒さなきゃいけない
そんな時に迷い(雑念)があれば力は滞る
劉雲樵もそんな事を言ってたんじゃないかな 基本的に練習した事で相手を倒さなきゃいけない
そんな時に
(これは合っているのか、効くのか)
(これは格闘技のルールだから使って良いのか悪いのか)
なんて考えるのが雑念でしょ 情け残すなって無理だろ
手を出すときは生き死にまでやるっていうのか
北斗の拳かよ 昔暴力団員の首を掴んで無抵抗になったのに壁に押し付けて自分の手が壊れるまで殴っことがあったのだけど
殺人者にはなりたくないので決定的なことは出来なかった 本当にネットの書き込みだけは強いよね
中拳がボコられてる動画はいくらでも出てくるのに、中拳が格闘技を圧倒してる動画は未だに出て来ないよね。 >>511
言葉の意味を技術に転換しなきゃいけない
迷いが出たら相手に付け入る隙を与える事になる
やるなら機械的にやってしまう
やらないなら中途半端にもやらないと言う事
これで分からなければそこまで出来ないって事 倉井がおまえらを捨てたんじゃない。
おまえらが倉井を捨てたんだ。 リングに立つのが赤国さんだったら牽制を打つだけで絶命に追い込んでいただろうな >>515
強いのは個人なんだよ
格闘技の種類や先生が偉いじゃない
中拳にしても格闘技の名のある者たちが研究に学ぶのはよくあること プロレスラーとか舞台役者さんとかと同一に見てるのかも
それはそれで光栄な事だけど
彼らは見せるのが仕事なわけでそういうのとは違う
格闘技の試合前にインタビュアが「どんな試合を見せてくれますか」と質問するけど
という事は試合を作っている意味になっちゃうね >>507
でも、「徳」とか「道」を重視するんじゃないの?
合気道以外にも心がけはあるんじゃない? >>515
中拳が格闘技を圧倒してる動画も一応はあるけどな
数は少ないな 徐暁冬(中国散打+MMA)が呉氏八極拳と戦う話はどうなったんだ? 中拳が格闘技にボコられてる動画が圧倒的に多いのが中拳が何よりも弱い証拠
強くなりたきゃ中拳とかやるな
口だけだから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています