武壇5ちゃんねる分壇25
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>>397
んな事言っても
そのように使えばそのように物事はなるもんさ
既に令和で多くの先生も亡くなられていて
これからは新しい価値観でやっていくのが良いと思う
温故知新しつつね ネタが無さそうなんで劈掛掌の話でもする?
上で八極が短打で劈掛が長打などの間違った認識を指摘する書き込みがあったんで 劈掛掌なんてみんな振り回す程度の知識のみでしょ
話題に出来るとは思えないな (゚ω゚)おやまあ、結局このスレは倉井が成り立たないみたいやねw 劈掛の用法などを見てもわかる通り概ね八極と同じように
相手が突進して来たら咄嗟に屈み相手の足を掬うとか
引き込んで後頭部を掌で打つ
ラリアットのように腕全体で相手の頸部を巻き込むように打つ
靠や頭突きとなにかと接近技法が多い
立身中正の八極とは違う鷹翅蛇身などの身法を訓練する
八極参劈掛の目的はより立体的な身法を身に付けどんな状態からも打てるようにするとかじゃないかな
末節を使って距離をとる戦い方はどんな門派にもあるわけだから
長打短打の分類ではないですよね
通臂伸肩功などを含む動きが放長撃遠に見えるという比喩で わたしは武壇さんの関係者ではないので
ここに書き込むのはどうかとも思うんですが
同じ李氏八極を習ってましたのでそこは大目にみてもらって
スレの流れを見て武術関係の話をしたくなった次第です
もし武壇武術として間違いがあれば指摘しといてください 通背拳を思い浮かべて貰えば分かるように
巻き込むとかはあんま関係ないな 俺は通背と劈掛は似て異なると考えるタイプだが、巻き込むとかはあんまり関係ないかな。背面に回って下半身を引っ掻けるという使い方も聞いたことあるけれど、それも巻き込むとは違うような。 八極参劈掛の目的は立身中正や虚領頂勁を破った劈掛では達せられないと思う なかなか一言では済ませられない内容だと思う。各八極門毎に採用・必要としている部分が違うのでは。 >>412
>立身中正や虚領頂勁を破った劈掛
逆にその身法を八極拳に取り込むのが目的
下半身は八極 上半身は劈卦な体作りというか
八極の重さと劈卦の連打を混ぜるというか
>>413
結局そこに尽きるでしょうね だから門派で分かれてるんでしょうし 単なる逆張りでなく確信があるならそれでいいんじゃないでしょうか >>415
私も少々断定的に書きましたが
八極参劈掛一つとっても流儀や先生個人でも
解釈・技術的比率も変わってくるでしょうね 酔拳野郎・今野淳、巌流島デビュー戦を見事なTKO勝利,!と言うとガンガン打ち合うような試合展開を思い浮かべるかもしれませんが、それは格闘技的な良い試合。
巌流島は武術のコンセプトを生かして良い場。では、武術の素晴らしい戦いとは何か?日本人ならおそらくほとんどの人がこう答えるでしょう。
それは「戦わずして勝つ」。そう、護身術でも同じ答えが返ってくるはず。なのに、巌流島ではそうした武術や護身術のコンセプトを試合に生かそうとした選手は誰もいませんでした。
皆、すぐ戦っちゃうんですよね。実は酔拳だけでなく、八卦掌や太極拳も逃げることを重視します。逃げながら攻める技が多い。
三歩珍拳もそうした技ですが、今野選手は見事に決めていました。
ただ、会場では私と瀬戸先生以外は気付かなかったようですが。
今野選手は、瀬戸先生の脚本通りに全て演じ、武術のコンセプトを初めて巌流島で表現しました。
デビュー戦で大観衆の前でそこまで演じるとは。やはり勝ちグセのある選手はどこか違う。酔拳野郎の今後が楽しみです。 おおももち
ニャンニャン拳法
素人のお笑い芸人やん(苦笑) 相手のほうが酔拳みたいなキャラクターや
完全にインパルスで負けとる。
素人いじめるとかカンフーにはこんなのしかおらんのかよ(笑) やっぱ違和感あるし 今後現れるであろう過去ログ閲覧する新しい住人の為にも
二代目とかSECONDとか付けようよ 新赤い国民党員さん とにかく、令和を機に赤い国民党員の復活をここに宣言する!
わかったな(笑 排便どんぶりを食ったお陰で
現在のような
狂人になった
倉井氏
ウンコイロした地獄を世界で唯一再現できる男
倉井氏
人は彼の名をいつしか
こう呼ぶようになった
ブラウン・インフェルノ
茶色の地獄
グリーン・インフェルノ
緑の地獄=食人族
いや、もっと相応しい名がある
スカトロ・インフェルノ=排便地獄
グッドネームだぜ!
イヤオッ!
オーマイ&ガーファンクル♪ >>425
大雑把に。
劈掛は丹田を中心とし背骨を軸とした剄が外から内に向かう。
通背は足から丹田と肩を通過した剄が内から外に向かう。
劈掛と通背で劈を見比べると分かりやすい。 >>435
違うように見えるけど一緒だよ
通背拳が日本では小架式の方が先に入ってきたから違うように見えるだけで
大架だと完全にブン回す方になってるよ じゃあ劈掛掌がブン回す物かと言われればそうではなく
段々小さく直線的になっていく
小架式通背拳と同じ もちろん完全な同じ物ではないし
それぞれが他の武術も吸収して発展してるわけだが
劈掛通臂同源は間違いないんだろう 通背劈卦拳って流儀もあるしね 劈卦も真面目に練功やってたら寸勁打ちやすくなるから
決して中・遠距離だけの拳法ではないし 初めに練習する時はそれぞれの武術の特色を強調して練習する
じゃなきゃ何の為にその武術を練習するのかわからない
だから初めからキックボクシングの練習をしていてはいけない
ある程度理解が深まって身体が動かさせるようになり
実戦を考えられるようになれば
今度は逆に他の武術との共通点や相互作用を考えていく
そうする事で既存の物はより良くなって使いやすくなる
ここが融合
劈掛と八極は全く違うようだけども
相互に作用を高められる部分がある
それを先人は見つけた
またそのように共通点を見い出せるようになれば
あらゆる武術も可能になっていく
同じような動作があるにも関わらず
「私のやってるのは太極拳だから
劈掛掌のやってる事とは違う」
などと殻に閉じこもれば本当に見るべき部分を見失う 劈掛の大事な要素の一つに、足より先に手が動くってのがある(少なくとも武壇はそう)
これを上手くやればノーモーション且つ重い攻撃が出来る
リズムの変化とでも言おうか
八極出身の人はガッガッガッって感じのリズムだが
劈掛を身に付ければスースースーもしくはパパパッって感じになる
あと劈掛は全身をダイナミックに動かすから
特に手先で動きがちな蟷螂には効果があると思う 劈掛掌は重要なポジションだけど
現実には難しいみたいだな >>444
現実にはって?よかったら詳しく解説願います >>445
野球の投球と同じでどうしても手だけを回転させた感じが多いなってね
身体を使わないといけないけど
これがなかなか自分の思った通りに身体は動かない
またはあんまりよく分かってないのかもしれない >>446
自分も背骨がちゃんとしなってるか
自信ないですね(やってはいるつもりですが)
でも劈卦の練功はなんかスポーツみたいで
気持ちいい汗かけるので好んでやってます >>449
まあ動画撮って無いから自分では
断言できませんね 連動してるつもりですが・・
>>447 >>450
同じ劈卦でも風格違いますね
李式は八極の延長のような力強さを感じます 八極に劈掛を加えれば鬼神もこれを恐る
誰が言ったか知らないがそこまで付加効果あるか? 季式は套路自体は大陸系だけど
中身は武壇寄り
逆に武壇の方が置きに行ってる感じがして元のから遠くなってる気がするなぁ >>452
まあ中国人は猛虎硬爬山だの絶紹だの大仰な言い回し好きだし
直訳は八極を劈卦の連打要素で打てればマジ強いよって意味でしょう
>>453
本来は独立した門派ですしね
併修すればより強いって事でしょうね >>453
劈掛掌の要点を知れば
「マジか、要るわー」
になると思う 個人的には
八極っぽい奴には劈掛掌を
劈掛っぽい奴には八極拳をやらせたい
それから逆をやる >>452
羅ドウ張系→李書文系は既に劈掛が混ざってるからそこから除外
古伝以外の回族系もそこから除外して受け取ろう 無論弊習には弊習のメリットがあろう。
だがその2つが良く弊習されるのは、単に盛んだった地域が被っていたからだよ。 >>460
それ自体は否定しないね
今のように他所の情報が伝わらない時代では
基本的に近所のものしか学べないし
何より戦う可能性がもっとも高い近隣の武術の技を
学習する必要もあるし >>459
(゚ω゚)b笑
「倉井さん、足のうらをナメさせてくださいお願いします」
wwwwww 超射精戦士倉井!
ケンザン!!
ニョウドウから出される汁は
塩酸と同質!
エイリアンの血液みてーに
全てのものを
溶かすんや!
ジュワーってよ!
逆らったやつにぶっかける!
相手は
溶けて死ぬのさ!
殺人塩酸精液!
ジュワー!
と!とける!
ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァーっ
クワバラクワバラだせ!
くせぇし溶けるし
やべーし
シヌシ!
悪魔汁信夫!
倉井人形の館さ! ヒカ掌と八極両方習っても
練習不足になるのは間違いない。
ましてや他に
八卦、秘宗、忠義、形意、陳家等を習っても
無理です。
働いて金稼がないと生活出来んので。
二兎三兎四兎は追えなくて中途半端になって、中武が好きなオタクは習ってもどっちもつかずだね。 >>465
考え方が間違ってる
小八極と大八極をやって
どちらか一つにしないと練習不足になるのか?
小八極や大八極と同じように劈掛掌も必要な事だよ だから昔の人は一つの型を1〜2年かけて練ったのだよ しっかり功を積んでから次の段階や
型に移行してまた別の功を練ったり上位互換したりする 実際に戦う事をリアルに考えないで型練っても そりゃレベルの低い踊りにしかならない
これで動いてる相手KO出来るスピード威力タイミングなのか
そこが大事かなあと思ってます >>468
実際の戦いの想定がキックボクシングじゃなければな
キックボクシングで想定してる奴は相撲相手だとどうするつもりなんだろうw 一つの套路に1年や2年掛けたと言うのは昔の話で
今とは事情が違う
年数を掛けただけなら小八極は何年もずっとやってる気分だよ 小八極には相手が回避しようが構わず叩きのめす方法があるのだから
練習時の意識の問題だわな 套路だけとは言うがな
キックボクシングの真似事してる奴も含めて
当てる練習なんかやってない
どの位置に敵が居ても打てるようにする練習
実戦云々を言うなら真後ろに敵が居ても打てなきゃおかしい
そういう練習をしてないし
方法も持ってないだろう
プリウス乗ってりゃアクセル全開にするだけで人は死ぬ
闘牛だって一気に体当たりする
そういうもんだろ 倉井のせいしんほうかいしたみてーだな
発狂倉井
流行語大賞だな
あるく
原発のぶお
ろくなもんでねーからよ
あるく
チェルノブイリのぶお
ふれてはならねー
放射能核燃料のぶお
猛毒のぶお
ったくよー!
座ー汁は猛毒!
そんだけよ! 羨ましがる事はみんなにある。
問題なのは嫉妬心によって発展性の無いものに執着してしまうことだ
他人の浮き沈みに一喜一憂し誰かをけなしても、
倉井の人生は何も変わっていない 最初に型やって功夫練って、大八極で対錬って当てる練習するんじゃないの? >>475
そういうのにはならないね
それぞれ役に立つ要素はあるけど
基本的には素直に相手を倒すだけでしょ?
もっとシンプルに考えるべきだと思うんだよ やっぱり武術は言語で捉えるべきだと思ってる
最初に型をやるのは単語を覚える事になるけど
後は基本的に会話をしつつ言葉のニュアンスや使い方の違い、感情の込め方を習得していくわけでしょ?
套路→功夫→対打→当て方じゃ
なんだか喋れない日本の英語教育みたい 倉井のぶおの
あたらしー
名前
おちんちんホラ吹きのおじいさん
小中学校では
話題のまとさ(笑) 話はまた飛びますが
劈掛にしろ八極にしろ
その人の年齢や段階によって動き方もどんどん変化して行きますね
劈掛で太極ほどの慢動作でもなく八卦ほどの螺旋ではないと表現すべきか
わたしは八卦は知らないんですが
敢えて表現すればそんな化の段階の日常の練習をしている演武の場では見る事の出来ないような動きをしている
滄州の老拳士の動画を見た事があり
非常に味わい深い動きをしていたのを覚えてますが
ここに貼ってまた見ようとして探すと見つからない
動画以外の日常でもよくある事だけどもなんだろうねこの現象は(笑 どういう方向に変化していくのを理想としているんですか? >>484
雑談なんだから直接レスしてくれれば良いのに
系統毎に段階要求やらなんやらあるけども
結局はその時の自分のレベルや功夫の深さで出来る事は限られてくるわけだから
自分を知ってその時の自分の身体を最大限にどう使うか
それが武術なのだろうと自分なりに思ってます 流れで分かるかと
春の一字についてどう思われますか >>487
すいません字輩や歌決の話しですか?
わたしは功夫もないし深い所も存じません
浅いようで深い
深いようで浅い武術が好きな人が雑談していけるようにしましょう >>482
変化すると言うか
しんどくて出来なくなる
要点だけやる >>489
それか結局は正解だと思います∧∧
武術は常に問いかけます
今の貴方に何が出来ますかと >>488
字拝などは形式的な物だろ
意識の向上を目的としてるに過ぎないと思う
弟子だから頑張らなきゃいかんな的な
実際に弟子としての振る舞いが出来るのは、ほんの僅かしか居ない
歌決は重要なコツを詩にした物だけど
それは説明を受けないと分からないよ
説明を受けているのもどれだけ居るのか怪しい
ほとんどは標語として飾ってるだけなんじゃないかな 身体が衰えてきてから分かる事もあるとみんな言うね
身体が衰えるとどうしても体力や筋力以外に頼らざるを得なくなるから
結局そういう事だろう 説明を受けた事はなるべくノートに記入して忘れないようにしないとね
後でネット調べようとしても
そんなのどこにも無いんだし 先へ進めば進むほど他派が何をやりたくて、そのような形式なのか分かってくる
例えば呉氏の小架の頂肘は衝捶の後ゆっくりと頂肘に変わる
ああ、なるほどなと思うもん
初期の練習ではアリなんじゃないかと 自分が弟子だと思えば
次の人に伝えなければいけない事を考えて
必死で覚えて書き残すだろう
そういう所も学生との違いになるんじゃないかな 昔、ウーシュウで白猿通臂の人が台湾での練習の体験を載せていたが
教わった事もやる気が無いとか書いてて信じられなかった
当時、武術を沢山教えてくれるような所じゃなくて
方法に飢えていた
先生が練習してる所も目を皿のようにして観てて
教わって無くても真似してどういう事なのか考え続けた
だから教わった事を無下扱うが理解出来なかった
弟子だから凄いとは一概に言えない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています