剣術関係の雑談スレ
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剣術・居合術・抜刀術の雑談スレです。
(総合スレでは無いので注意)
ワッチョイもIPも無し。剣術関係の話題ならなんでも有り。
誰の書き込みでもOK。ただし煽り行為は禁止です。
(とくに特定の人物・店への煽り行為、
意図的な埋めなどは、おやめください。
このスレで、それらは荒らし行為とします)
前スレ的なもの
【伝統?】剣術・居合術・抜刀術総合スレ15【実戦】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1535732220/ 黒田さんとこ追ん出されたおばかさんすか
山田伝いうたら新陰っす何すか五珍書山田伝って >>355
二天一流は幕末と明治時代に途絶えてる。黒田はその黒田じゃねぇから
どうだ?よく調べただろ 真面目に自演レス無しで剣術総合スレでやろうぜ。待ってるからな 飛燕っちかと思ったら黒田荒しが暴れてて臭
山田伝は新陰っす何すか二転恥々流って
痔演は黒田さんとこだけにして臭い 尾張柳生の技術や
(ここで言う尾張柳生は。
『雷刀』だのの「尾張の新陰流には
他の新陰流に無い独自技術が在った」
うんぬんの意味ね)
尾張柳生のシステムも
(「徳川家に印可や書状を出しても、
それらは維新後に返してもらった」だの)
https://dotup.org/uploda/dotup.org2235176.png
その自称・柳生家以外に
一切、ソースが無いってスゴいよね?
……むしろ、「なんで、これを信じられるの?」ってレベルの話で。
名古屋史にも載ってないシステムな訳だし。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950893/140
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950893/141
ちなみに、名古屋史によると。
田原坂で戦死した中ノ町出身の
柳生一馬なる人物もいた様だ。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950894/191
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8D%97%E6%88%A6%E4%BA%89#%E7%94%B0%E5%8E%9F%E5%9D%82%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
これ自体は関係ないと思うけど。
以前、「本物の△△△がいるとして。もしかしたら、
田原坂あたりで死んでるんじゃ無いかなぁ?」と
思ってた頃も有ったんで。ちょっと、この記事が目に止まった。 『尾張柳生』を『江戸しぐさ』と
同様のモノだと思ってみれば良い。
まともに江戸時代のソースが無く、
近代にパッと現れてる。
証拠の伝書は所有してるらしいが見せられない。
江戸時代の記録に存在しなかった理由の
言い訳は苦しいモノばかり。
(あるいは幕末に尾張柳生の大虐殺でも有ったのかもな)
http://my.shadowcity.jp/f3273a9a.jpg
食いちがい具合から見れば……
『尾張柳生(非公開)資料』 vs 『その他、日本中の資料』
・・・・みたいな状態だよ。
どっちを信じるかは明らかだと思うんだ。
「江戸しぐさを信じてるヤツはおかしいが
尾張柳生なら信じられる」ってのは
見識を改めた方が良い。
とかく、人間は自身が思ってるより
騙されやすいもんだから
誰だって怪しい話を信じてしまうもんだけど。
怪しいと思ったら、さっさと手を引いた方が良い。
それが一番、傷が浅くすむ。 雨
田田田
田田田
田田田刀とかどっかな
成立年代がとしはる本の直後でしょ
としはる本は五珍じゃなく五巻書に自己言及しとる
その微妙なタイミングででつ造したきゃ年代の記載を隠蔽するんじゃないすか心理的に
冒頭の文字はうちの伝書の書体です雷の異体字
見てる人同士の符丁として書いといた https://dotup.org/uploda/dotup.org2242150.png
> 柳生三五郎
>・同日(明治元辰十二月六日)、
> かつ、有りし品、有りし家芸、
> 【御流儀之儀】を廃止なし仕る事に候。
http://www.tokugawa.or.jp/institute/017.0001-koukai-siryou.htm
↑の「第27冊」、番号「185」参照。
尾張藩の公文書で「御流儀の儀は明治元年に
廃止した」と有るのだから。実際、廃止されたはずな訳だ。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2242151.png
……だから、柳生厳長の言う様に
「明治以降も御流儀が継続されてた」は
パラレル・ワールドの出来事になる。
で……推測するに、御流儀之儀の任を
解かれた本物の三五郎は、
名古屋での本家を厳広(鎮雄の祖父)家に譲り。
明治の比較的、早い時期に名古屋を出てしまい。
西南戦争にも大尉として参加し。
軍人として東京に行ってしまったんだろう。
(名古屋には滅多に帰らず)
しかし、おそらく、名古屋の外では
三五郎という名をいっさい名乗らず。
ずっと柳生房義と名乗っていたんだろう。
(息子の方は台湾銀行の頭取にまでなった柳生一義で) だから、人事興信録の記事でも。
いわゆる『江戸の御流儀之儀の家系』と
『尾張藩の御流儀之儀の家系』と言う扱いして、
柳生俊郎と柳生一義の2人の名が載っているんだろう。
http://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who4-8197
↑「画像を表示」参照。
その後、厳広が明治38年(1905年)に亡くなり。
その子、厳直が大正10年(1921年)に亡くなり。
その後に鎮雄が18歳で遠縁から養子に来た。
そして、「厳周こそが本家の三五郎であり。
そっちは分家だ」と言われ、鎮雄は
それをうのみにしてしまったんだろう。
(「こころの兵法」、あとがきとP87〜88から推察するに)
さらに房義・一義の方まで
バタバタと早くに亡くなってしまったんで。
尾張柳生家にとって、本当の事を知る人間が
いなくなってしまったんじゃないかと。
(詐欺師にとっては、すごい運の良い展開になった)
だから、房義が三五郎であると証明できる資料さえ
見つかれば、この問題は完璧にカタが付くと思ってる。
ただ、今わかってる範囲でも。
柳生厳長の発言がウソだらけな上に、
「御流儀の儀が廃止された」記事まで見つかってるんで
……この時点で自称・柳生家がインチキなのは
ほぼ、証明は済んでるんじゃないかとも思ってる。 飛燕っちだ
廃止乃儀はっすねそりゃ藩にしてみりゃそういう体裁繕うでしょ
としちかさん城守って活躍しちゃったしあれしちゃったし笑
三五郎名は仮に万一三五郎房義だったにしてもっすよ
本家代々の武名っすよね共通してておかしかない
しかし不意に一三五郎表記と化して草 基本的な質問で申し訳ないのですが、居合の方々は腰に大刀差してますよね?
普通に考えて、帯からは外して右に置くか、許されて左側の床に置くと思うのですが
この質問はどのスレに持っていくのがいいですか? 居合・剣術スレで質問するなら、居合という大きすぎるククリでなく「何流では〜」と質問しないと誰も答えられないぞ。 >>367
居室限定の想定じゃなし腰に刀でいっす
座合の基本は自分から座る
立合より両足の間隔が広い間合が伸びる理念すね
置合は普通にあるよ左置きは引寄せる反動で両手を離す
右置きは他の勢いを使います ちょっと推測だよりなんで
書くかどうか迷ったけど一応、書いておく。
以下、“こころの兵法 83〜88Pから”
https://dotup.org/uploda/dotup.org2263021.png
慶應元年に鈴木家が断絶になった。
その鈴木家の屋敷が有った跡に
柳生六助家※が入った。
※ 柳生六助家 : 厳広→厳直→鎮雄、と続く
厳広は「不浄だ」として、鈴木家の
有った土地の土を掘り返して、家を建てたらしい。
厳直は竹カゴを作っていたらしいが。
竹カゴを受け取ってた人物の証言だと……
「裏長屋のように、うらぶれた暮らしで。
ザツなつくりの品。士族のなれの果てと
しての、ある種の風格は有った」……と有る。
柳生鎮雄がわの証言では……
「戦災前は屋敷に住んでいたが。大正末期から
昭和まで、母屋は山口銀行の支店長の
“社宅”のようになっていた。私たちは
道場跡に住んでいた。父たちは母屋に
つながる茶席の前の庭を隔てた仕事場で、
竹籠などを作っていた」……と話が食い違う。
……ここらの情報、ちょっと事情が見えない。
素直に考えると、『柳生六助・厳直のニセモノが居て。
その人物が贋作の竹カゴを作り、売っていた』
……と、とれる。 ここで、あえて使われている言い回しの……
【士族のなれの果て】と言う表現も、冒頭の
【断絶にされた鈴木家】にかかってそうに思う。
断絶後、鈴木家の人間がどうなったかは
わからないけれど、自分らの土地を奪われ、
柳生(六助)家を逆恨みしてても、不思議は無い。
で、鈴木家の人間だったと推測した上で。
そのニセモノの正体は柳生厳周じゃないかと思う。
つまり、柳生三五郎に成りすます前段階として、
柳生六助・厳直のニセモノをやっていたんじゃないかと。
元は武士で地元の人間だから、事情通で有り。
中流武士としての教養もあった訳だ。
息子の厳長の贋作の腕も、厳周の世代から
受け継いだものと考えられる。.
こころの兵法の作者はスットボケタ書き方をしつつ、
情報を残すんで、そういう意図で書いてそうに思う。
……ただ、あくまで、こころの兵法の作者が
当時の取材から推測しただけのモノなのか?
それとも、竹カゴを受け取ってた証言者が
実際は、もっとハッキリした証言をしてたのか?
……そこらは、わからない。
柳生厳長の売った伝書(おそらく、当人が作った偽書)を
柳生鎮雄が古書店に手を伸ばし、すべて買い取り。
(↑新陰流道業六十年回顧録 55Pより)
それが『資料 柳生新陰流』に鎮雄所有の名義で載ってたのも、
皮肉な話だが……どうもニセモノが作った厳直の竹カゴも
鎮雄が買い集めてそうなのが……なんとも皮肉な話だ。 あと、もうひとつ。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2263022.png
正伝新陰流 239〜240Pの↑の厳周が
他の柳生家を訪ねた話は
どうも本当の事らしい。
↓大正4年の雑誌【戦友 62号』に
厳周の記事で同様の事が書いてある。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1844680
↓にある表記の有る図書館からなら、
国会図書館のデジタルコレクションが見れる。
https://dl.ndl.go.jp/ja/soshin_librarylist.html
昭和32年の正伝新陰流が著された時期なら、
いい加減な事を書いても、
ウヤムヤでも済みそうだが(正直、事実かどうか疑ってた)。
大正4年なら、来訪時に会った相手らも
記憶してる人もいるだろうから多分、ウソは書きにくい。
(もっとも、詐欺師は平気でウソをつけるからこそ
詐欺師な訳で。この手の推測すら信用できない……
なんか…これを書いてる途中からウソな気がしてきた)
まあ、とりあえずは事実として。
思うに厳周は、この行脚で……
・柳生家同士に横のつながりが無い事
・ろくに資料が残ってない事
……を把握したんじゃないか推測する。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965740/1
『柳生一義(清水孫秉, 大野恭平)』も
↑の図書館のデジタルコレクションから
読めるが。ソースが、あきらかに
自称・柳生家からの情報なんで
あてに出来ない。柳生一義の死後に出された書。
……さて、これで自分が掴んだ情報は全て。
で、この話も今回で最後にする。
これ以上は捜しても何も見つからない可能性が有るし。
自分も他の作業に没頭したい。調べた範囲だけでも
自称・柳生家はウサンクサイ話ばかりだし。
厳周・厳長・延春、三者が三者とも人間性から見てクズだ。
これ以上、関わるのは時間の無駄だと感じるし。
自分の中では
【尾張柳生は、厳周・厳長が二代で作り上げた素人剣法】
……と言う判断で決定している。 >>374
ムーに掲載が決まったら知らせてくれよな >>373
成済ましたって厳ちかさん1915年の柳生家行脚時にはもう上京二年後っすよ
帰郷時には厳直さんもう亡くなりやした
影武者なんてあろえないっす
行脚時一瞬成済ましたっても厳直さん維っ新前からの定住者っすね
無理でしょ近所の眼的に
そこの綱をどうにか渡ったとして次の房義さんっすか
その十九年前に写真公開されとるし無いんじゃ流石に 黒田鉄山著の剣術精義を図書館で借りてきて読んだんだが、1980年にこれだけの物を発行したのは凄い事だと思う
ただ十手小太刀薙刀の型が基本的に対打刀で小太刀(同じ武器)同士の型がない
だから基本的に入り身して受けるか躱すかして打つってパターンしかないんだよね >>371
>素直に考えると、『柳生六助・厳直のニセモノが居て。
>その人物が贋作の竹カゴを作り、売っていた』
>……と、とれる。
どう話が食い違い
どうして ↑の引用の様に受け取れたのか分からない。
飛躍が入ってないか?
詳しい説明を頼む。 >>378
頁の制約もあるんだろうけど黒田さんは基本が剣術家だから外の物同士の話をするのを避けたのと、
十手対十手の様なシチュエーションに乏しい物は型があっても内容が薄い場合が多いから、その本でも省略したんじゃないかな?
しかし十手小太刀が入り身重点なのは分かるが薙刀がそうだってのはよく分からんな
相小太刀の型って必要性が高いかな?
小太刀対太刀のツボを押さえた上で小太刀で取る太刀型ってイメージあるんだけど 自分が圧倒的に不利な状態で始まる型が殆どだからだろう
居合しかり >>380
確かに大小差してた侍視点なら相小太刀は軽視されるのかも…
相小太刀が気になったのは片手使いの自由度の中で相手が横面や小手、突きにくる場合の形を見たかったんだよね
基本的に対打刀だと振り下ろしを最も警戒してて、下から受け流す型が多いから >>383
大小二本差しの武士が双方小太刀の状況っていわば殿中で御座る!な特殊状況だしな
俺は小太刀型は北辰一刀流しか知らないけど、空いてる左手の自由を活用する着眼よりも
とにかく正面投影面積を減らして、刀の形をした小さな盾をどう使うかって印象を受けるなあ
左手を何かに使うのは左半身で懐に入った後の押さえだけだし
お互いに小太刀の利点欠点が鏡合わせになるから、考える事が増えてかえって面倒臭い >>384
なるほど…やっぱり基本は上段の受け流しなのかな
今の自分の理解力だと、ほとんどの型が相手より低く構えて、微妙に外すなど上段への誘いを入れつつ入り身して、受け流しからのトドメ(得物による)、と見える
でも確かに相手を完璧に誘導できるなら受け流しの形が1番安全なんだろうなとは思ったけど
相手が横なぎにして来たり、切り上げて来た場合の型は珍しいのかな 上段(唐竹or袈裟)か小手のカウンターが大半だよなぁどこも
やっぱ刃物を向け合う状況だと胴や脛はいきなり狙えないって想定なのかな
まぁ無いことはないんだけど 小太刀小太刀にこだわってる奴
流派の歴史を調べなおした上に
何故、十手の型があるのかを熟考してみたらどうだろう? 師匠気取りかよ
間違ってて恥かきたくないんなら黙ってろ >>383
う〜〜〜ん。
>>385->>386
型をよく見ようよ。そこに答えがそのままであるよ? >>390
言いたいことはちゃんと言おう
それっぽいことをボカして言うだけなら素人にもできるよ? このスレからずれた話で申し訳ない。
当方、剣道→極真→キックやって来ました
極真、キックの時は剣道忘れていたが
今は木刀で素振りと剣のシャドーとキックのシャドーを中心にしてますが
剣道のスタイルのまま素手の打撃は結構良いなと気が付いた。
剣道と同じくサウスポーで正中線に拳構えて
剣道ステップでワンツーなんかは
キックのワンツーよりステップイン速い
脇締まった突き刺す左ストレートもいい感じだ
キックの選手の時に剣道思いだせば良かったとちょっと後悔してしまった。 >>395
それ面白いね
漫画の主人公みたいな思いつきだ
日本拳法の動きに近くなって行く感じがするけど >>396
そうなんですわ
自分でこれは日本拳法に似てるなと思います。
剣の構えからジャブ、ストレート打ったら脇締まった縦拳に為りますし。
この構えは(胸筋の上で脇軽く締める)
三角筋に力入らないから
全く力み無いノーモーションのワンツーになります。 キックの構え、ボクシングの構えのワンツーは幾らノーモーションを心掛けても分かりますし、いや心掛けないとノーモーションにならないが
剣道の構えは心掛けなくてもノーモーションで打てるという発見。
体幹のパワー使うから威力も出るし面白い。 一本制じゃないとどうしても近い距離での攻防が増えるし緊急時のブロックも遅れるからやらん人が多いけど、選択肢の一つとしてはアリやな
ただ大抵は両腕を肩幅くらいに開いた低い構えに落ち着くけど >>399
確かに差し込まれて接近戦ななったら
キックボクシングスタイルに戻して対処するしかないです。 ここは剣道経験者が多そうだから
イメージ共有出きるのが良いですね。
剣道と同じくサウスポー構え
拳は剣道と同じく正中線。
利き腕の右ジャブとノーモーション左ストレート。
あと左の前蹴り、三日月蹴りインローも蹴りやすいですね。
引き面と同じタイミングで右のクロスもやりやすい。
剣道経験者は試したら良いですよ
剣道が活かされる。 ベッドスリップで避けながらカウンターもやりやすい。
元々パンチより速い竹刀を避けていて
間合いの駆け引きも毎日アホほど剣道家はやってきたんだし
それが活かされる感じが嬉しい。
現役の時に剣道思い出せなかったのが悔やまれます。 剣道から総合に転向したが
出鼻技の要領でカウンター取るのは上手かったし、タックル入るタイミングもそのまま応用できたが
打撃で連打する感覚はどうしても苦労したな。
打撃を単発で終わらせる癖がなかなか抜けずに苦労した。 伝統派の空手なんかはどうなんでしょう
遠い間合いから飛び込む
両手は下気味で竹刀の構えに近い
結構剣道と親和性がありそうですが >>404
あるね。
間合いの駆け引きが似てる。
>>403
転向して間もないのかな?
気持ち凄く分かります。
自分も最初に移った所が極真だったのが
剣道を忘れてしまった理由だと思う
まあ学んで得た事も沢山あるから良いんですが。 撃剣興行は見せ物だったけど撃剣自体は稽古形態の一つだろ >>395 >>397
日本拳法というより
アメリカの軍隊でやってるマーシャルアーツに近くない?
>>403
総合を知らないのでアレなんで、済みませんが
剣道から総合への転向だったら連打の戦術を選ばず
抑え込む戦術の方がやり易くないですか? >>354
古い書き込みだし、ちょっと話の流れがつかめないけど、二天一流が幕末と明治に途絶えているって、福岡伝と新潟伝の話? 二天一流がとっくの昔に絶えているとか、江戸中期くらいに五輪書見た弟子筋の人間が二刀流として創作したとか
出どころが不明の話をたまにまとめ記事なんかでちょくちょく見かけるけど、あれなんなんだろ。 >>414
地方の伝系が確認できない時代に東京で出版した本がソースだったりしたんじゃないの
本かWikipedia編集人のどっちの筆が滑ったかは分からん
割と思い込みの強い連中が来るジャンルだし >>415
あー、なんかありそうですね。
地方オンリーで指導されている、文献にもあまり出てこない流派なんかは、よく知らない人からしたら普通に怪しく感じるものなのかもね。
二天一流の二刀流をあとの時代の人が創作したとか、講談が元だって人がたまに出てきて知恵袋とかで書き込んでるのちょくちょく見かけるけど、ああいうのも変な本読んで思い込みしたんだろうね。 居合あり、柔術あり、棒術ありで組手や練習がキツくて有名な道場どこか知りませんか?
天然理心流が気になるけど三鷹と錦糸町くらいしか名門ないような 体系としては揃ってる所はあるけど、稽古のキツさを他人に求めるような奴には教えない >>418
自主練ならともかく普通は師範に合わせるだろ
師範がゆっくり型稽古やってる中で体追い込みやっていたら即破門だろ みんみんぜみって共産主義?
なんか極左のキチガイブログを引用してたりするんだが。 >>417
剣術はおっちゃんしかいないし、キツイ稽古やってる所なんてないんじゃない? 実は武道が復興したのはつい最近。戦前戦後を調べてみるとびっくりだよ >>419
そう言う意味じゃないんじゃない?単に意識高い荒行目的なだけやろ? >>418
>>419
お前ら会話能力は大丈夫か?? >>425
これめっちゃ思うわー
勝手にリツイートしてそれにぼやいたりね 二天一流は、熊本藩と福岡藩公認で二天一流は伝えられてたんだけど、それぞれ幕末と明治に無くなった
藩が無くなって、どうなったまでは知らん
どこもそうなんじゃないの? みんな鉄砲に持ち替えて戦争を始めて、はい降参で占領軍に武器を取り上げられた
適当に残ってた物でそれ風の物を直伝と言って復元しただけかと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています