剣術関係の雑談スレ
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剣術・居合術・抜刀術の雑談スレです。
(総合スレでは無いので注意)
ワッチョイもIPも無し。剣術関係の話題ならなんでも有り。
誰の書き込みでもOK。ただし煽り行為は禁止です。
(とくに特定の人物・店への煽り行為、
意図的な埋めなどは、おやめください。
このスレで、それらは荒らし行為とします)
前スレ的なもの
【伝統?】剣術・居合術・抜刀術総合スレ15【実戦】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1535732220/ 全日本戸山流居合道連盟理事長で、東京町田誠斬会会長で、町田時代祭で流鏑馬や居合演武を披露し中心的役割をしていて、
戸山流PR の「日本刀真剣斬り」という半自伝本も出している籏谷三男(嘉辰)は、背中にばっちり入れ墨も入れている反社会(ヤクザ)あがりで逮捕歴もあるのに、経歴詐称しているので、
ヤクザあがりの入れ墨者が経歴詐称して「サムライ」を名乗っているのは、社会や門人を欺き、日本武道の恥と思料するし、
この者はタイに偽物の日本刀製造工場を持っていて、戸山流香港支部を中継して日本はじめ戸山流支部がある世界中で偽物の日本刀を約40万円もの高額で流布させているので、
公益性を鑑みて、ここに伏せ字なしで経歴詐称の事実を指摘させていただきます。 >>270 そもそも親中派である現状がもう善意は置き忘れて来たみたいなところがある >>269
遠距離からならともかく、斬り合いの間合いギリ外ぐらいから刀飛んできたらもう対処不能だもんな
捌いたはずの刀が相手の手を離れて飛んできたとか恐怖でしかない 十寸延金で秘剣とか言われるくらいだからね
でも一対一専用だろうし鎖帷子以上の防具の相手に効くかどうか 全日本戸山流居合道連盟理事長で、東京町田誠斬会会長で、町田時代祭で流鏑馬や居合演武を披露し中心的役割をしていて、
戸山流PR の「日本刀真剣斬り」という半自伝本も出している籏谷三男(嘉辰)は、背中にばっちり入れ墨も入れている反社会(ヤクザ)あがりで逮捕歴もあるのに、経歴詐称しているので、
ヤクザあがりの入れ墨者が経歴詐称して「武士」を名乗っているのは、社会や門人を欺き、日本武道の恥と思料するし、タイに会社登記してないヤスキ鋼の偽物の日本刀製造工場を持っていて、戸山流香港支部を中継して日本はじめ世界中に偽物の日本刀を流布させているので、
公益性を鑑みて、伏せ字なしで経歴詐称の事実を指摘させていただきます。 >>276
武道武術だと、親中派になるよね?孫子、孟子が何かと出てくる 受け流しと擦り上げ(弾き)と切り落としってどう使い分けする? >>280
あの人が元極道って本当?
木工所に勤務してたんじゃなかった? 剣剣剣 剣 剣
剣 剣 剣 剣
剣 剣 剣
剣 剣
剣 剣, 剣剣剣 剣 剣
剣 剣 剣 剣
剣 剣 剣
剣 剣
剣 剣、 学校の授業やイベント、ライブとかが中止になってるし
稽古はともかく道場主催の演武会とかはやりにくそう うちの道場もう俺一人だけになったんで
怖いものないんすわ(涙 英信流七段教士だけど巻藁一本切れないロリ専キモヲタへえとの子は荒らしが得意 1回休んだり、続けてるのを乱されると、やめてもいいんだよねって思いこんじゃって剣を捨てちゃうんだよね 居合いで、鞘を引いて剣を抜く流派じゃなくて
剣だけを抜く流派あるけど
あれって鞘を切ったりしないの? 剣剣剣 剣 剣
剣 剣 剣 剣
剣 剣 剣
剣 剣
剣 剣、 剣剣剣 剣 剣
剣 剣 剣 剣
剣 剣 剣
剣 剣
剣 剣 英信流七段教士だけど巻藁一本切れないロリ専キモヲタへえとの子は荒らしが得意 >>299
一人で形打って撮影して
セルフチェックするしかないです(半ギレ 1人稽古は素振りだけじゃなく立木打ちやりたいけど近所迷惑考えてやれてない こないだ立ち木相手に落ちた枝を振ってたら、立ち木に枝を折られた
何を言ってるか分からないけど、修行が足りないと思った たまたま、徳川吉宗は江戸時代はって思いを馳せてググったら
享保元年(1716)にインフルエンザが流行って月に8万人死んだらしいね
皆さん、気をつけましょうね 異人がウイルスを持ち込むたびに日本は被害を被ってきたからなー
しかも乾ききらんジメジメした防具で日のあまり入らん武道場で近距離鍔迫り合いで息吐いて顔の汗をゴシゴシ拭ってさ
剣道の稽古こそ自粛すべきかもわからんね 実際ウチの近所だと部活も市の体育館も自粛してるわ
強豪校とか町道場は知らないけど いつまで施設の閉鎖続くんだよ
稽古できないじゃん・・・ なんか漫画読んでたら竹刀には殺傷能力があると言い張る剣士が出てきて笑った >>314
そりゃそうだけどさ
技と膂力があれば割り箸だって人を殺せるわけで
だからって
「割り箸には殺傷能力がある」
という評にはならないし、カッコつけてたら滑稽だろ? コロナで時代が昔に戻り、
裏庭で師匠と2人だけで稽古、みたいに形になっていくんじゃないの。 そのひと基本脳内ソースでしか話さないから
話半分で聞いといた方がいいよ 歴史小説で馬術であぶみ使ってたら下手くそ言われるようなもん ごく普通のことなのに自分が嫌いな人が使ってるから嫌いってなのに
自分勝手な理屈つけただけってことか なるほどマッチーらしいな >>265
刀投げはかなり当てやすい反面、どれだけの殺傷力があるのかとか、どれだけの制圧力があるのか?
とかの面で疑問があるな
レイピアの刺し傷とかで(当時の医療では助からない)致命傷を負うも、一日とか活動してた事例とか結構あるし
拳銃でも似たような事あるから、メイン武器を失うのに釣り合うだけの制圧効果があるのかが疑問
革鎧相手とかでも、かなり微妙そうだし まあどうひっくり返っても勝てないような相手に対抗する唯一の手段としては飛刀術はアリなんじゃないか?
少なくとも剣で戦って普通に勝てる相手に使う技術ではないよな。 >>315
割り箸
割りと人死ねるでしょ
目んたまつついて、まんま押し込みゃ一丁あがり
腕もなんも必要なしんぐ >>325
あれ鍔迫り合いから持って投げやすい
>>326
誰でも当てれるから怖い 当てたとして眼球はともかく眼底骨まで破れるかねぇ
バキじゃねーんだぞ 鍔迫り合い、発声なし、で剣道の稽古する道場があって笑った
でも、うらやましくもあるわ 気味のわろい二股撓い
こいつがメンドーでやして
鍔迫り合いにめっさ強い
迂闊に打ったら挟み込まれて撓いごと崩されちゃうし
過去のおはなしでやす 女の人にスカートを穿かせて生のおちんちんを擦り付けられる風俗を探しております
どこにありますか? https://twitter.com/inuchochin/status/1271062542446505984
まあ、↑このテクは典型的だよね。
(これに賛同するうんぬん以前に、自分が前から
思ってた事が、まんま書いてある感じ)
と言うか、最近、ある流派の伝書が
「ほぼ確実に偽書だ」って証拠を見つけてしまった。
さすがに言い逃れできだろうってレベルの証拠で。
…正直、前から怪しいとは思ってたんだ。
文字通り、写真やコピーは公開してるのに
「本物は家訓で見せられない」とされてた。
(あきらかに詐欺師にだけ都合の良い家訓だ)
厳しい家訓が本当に、
長い昔から有ったなら
うかつに写真だって公開できなかったはずだし。
そもそも、その家訓が出来た時代に
つまるところ、写真なんて概念は無かったに
きまっている。
「なんで写真なら見せられて
原本の方を見せられないんだ?」って
普通に思うべき事だもの。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 誤字になってた
さすがに言い逃れできだろうってレベルの証拠で。
↓
さすがに言い逃れできないろうってレベルの証拠で。 抜き斬り系な人の語感だねしゃあない
手を返す抜刀や佩く抜刀じっさいやるんだろか
ウチじゃ下袈裟みたいに言う 東京の碧榕館が気になる。
もともと、碧榕館の元祖は明治44年に
当時、台湾銀行頭取だった柳生一義が
台湾銀行の行員のために寄付した道場だった。
そこで教えていたのは
柳生の剣……等ではなく。
講師を招いた、柔道と剣道だった。
(碧榕会の「柳生頭取の片影」より)
「碧榕館」と言う名称自体も
当時の台湾総督だった
佐久間左馬太が命名したモノで。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2221289.png
なんで、それが東京の道場にまで、
その名称が使い回されたのか?
台湾総督が付けた名称なんで
もともと、禅用語や柳生とも一切、関係ない。
(柳生一義も「佐久間に聞く機会が無かったので
意味を知らない」とスピーチで言い。
「ガジュマルの樹の様に台湾の熱暑に耐えろ」
……的な意味ではないかと推測している)
佐久間の命名なのは↓のサイトでも確認できる。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2221291.png
>台北と淡水
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=00472129&POS=5
https://dotup.org/uploda/dotup.org2221292.png >>338
黒田さんとこ荒らしてるおばかさんすね
抜き斬りが造語っておたく日本語やり直したほうがいっすよ武術鑑賞の前に
>>339
榕樹じゃなくて榕のめさ太っいご神樹が小笠原にありやす
転なつうかころなから村を護ってくれてるんすね屹度 柳生一義は
無住寺だった芳徳寺の再建に
資金を出した人物でもある。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2222721.png
他方、柳生厳周と(厳周の息子の)厳長の方は、
当時の芳徳寺が無人だったのを良い事に
石舟斎の位牌を盗み出してしまっていた。
その後、「尾張柳生の人物が
盗まれた位牌を持っている」と地元民にも知れて、
駐在署の署長に訴えられたので。
大正11年の芳徳寺の落慶式に
位牌を返却しにいった…と言う恥ずかしい過去が有る。
(こころの兵法、参照) ていうか、無住で村の者も売りに出そうとしてた荒廃した寺の中のものを
一族関係者が持ち出して何が悪いんだよ 寺の物は俺たち村民のもんじゃ! って言いたいのか >>342
何で剣術総合スレに来ないの?やましいことがあるのかよ。昔やってただろ
毎回、何が言いたいのかはっきり言え >>345
柳生本家は、お前みたいな頭のおかしいのに絡まれまくって、剣を捨てたらしいよ
他もだいたいそうよ
剣術総合スレにこいよ。自演レスすんな すでに『影目録』が偽書なのも判明している。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2230029.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org2230030.png
上泉秀綱が柳生宗厳に1566年に
与えたとされる『影目録』の冒頭部と同じ文を、
その12年も前の1554年の『兵法之落索(月之抄 収録)』で
宗厳自身が書いている矛盾を説明できない。
(なんで師匠が弟子の文を、
その弟子に与えるための目録でパクってるのかと)
https://dotup.org/uploda/dotup.org2230027.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org2230028.png
もし、まだ『影目録』の方を本物としたいなら、
『月之抄』の方を偽書にしなければいけない。
しかし、写真でしか公開されてない『影目録』と
『月之抄』では信用度が違う。
『影目録』は土俵にすら上がれていない。
『影目録』と言う、尾張柳生にとって
根幹的な設定の伝書が偽書だったなら。
他の非公開の伝書も偽書と見て、
差しつかえないだろう。 大正4年の『剣道の発達』に収録されていた
疋田流の伝書『燕飛』を書き写したモノが『影目録』だ。
(そして、この『燕飛』自体が。
冒頭部の文を宗厳の『兵法之落索』から
パクってきた上で『上泉秀綱が書いた書』に偽装していたので。
『疋田流 燕飛』『影目録』、どちらも偽書だと断定できる)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1017872/213
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1017872/214
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1017872/215
詐欺・盗み・伝書偽造……
わかってる範囲でも
厳長の人生は犯罪のオンパレードだ。
(厳長に好意的な弟子ですら
「厳長は創作をする」と本で書いている)
これだけ信用ならない人物がソースで、
「でも、壮大な尾張柳生の設定だけは真実」
……なんて事がありえるんだろうか。
そろそろ、
「アイツら、根っからの詐欺師だったんじゃ?」と
思い始めなきゃいけない時期だろう。 >>348
誤字ってた。
>大正4年の『剣道の発達』に収録されていた
>疋田流の伝書『燕飛』を書き写したモノが『影目録』だ。
↓
>大正14年の『剣道の発達』に収録されていた
>疋田流の伝書『燕飛』を書き写したモノが『影目録』だ。 帽子を差し出すのを土下座というwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>347
お前みたいのが引っ掛かるように柳生新陰流は出来てるんだよ 柳生新陰ちゃいまんがな新陰でんがな
んでまじれすすると燕飛は山田伝です無問題 >>352
それ、お前の自演なの?黒田スレではもう相手しないから ちょっと読んだ五輪書を入れてくる辺り、自演君の自演レスなんだろうけど。バレてるからね 黒田さんとこ追ん出されたおばかさんすか
山田伝いうたら新陰っす何すか五珍書山田伝って >>355
二天一流は幕末と明治時代に途絶えてる。黒田はその黒田じゃねぇから
どうだ?よく調べただろ 真面目に自演レス無しで剣術総合スレでやろうぜ。待ってるからな 飛燕っちかと思ったら黒田荒しが暴れてて臭
山田伝は新陰っす何すか二転恥々流って
痔演は黒田さんとこだけにして臭い 尾張柳生の技術や
(ここで言う尾張柳生は。
『雷刀』だのの「尾張の新陰流には
他の新陰流に無い独自技術が在った」
うんぬんの意味ね)
尾張柳生のシステムも
(「徳川家に印可や書状を出しても、
それらは維新後に返してもらった」だの)
https://dotup.org/uploda/dotup.org2235176.png
その自称・柳生家以外に
一切、ソースが無いってスゴいよね?
……むしろ、「なんで、これを信じられるの?」ってレベルの話で。
名古屋史にも載ってないシステムな訳だし。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950893/140
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950893/141
ちなみに、名古屋史によると。
田原坂で戦死した中ノ町出身の
柳生一馬なる人物もいた様だ。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950894/191
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8D%97%E6%88%A6%E4%BA%89#%E7%94%B0%E5%8E%9F%E5%9D%82%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
これ自体は関係ないと思うけど。
以前、「本物の△△△がいるとして。もしかしたら、
田原坂あたりで死んでるんじゃ無いかなぁ?」と
思ってた頃も有ったんで。ちょっと、この記事が目に止まった。 『尾張柳生』を『江戸しぐさ』と
同様のモノだと思ってみれば良い。
まともに江戸時代のソースが無く、
近代にパッと現れてる。
証拠の伝書は所有してるらしいが見せられない。
江戸時代の記録に存在しなかった理由の
言い訳は苦しいモノばかり。
(あるいは幕末に尾張柳生の大虐殺でも有ったのかもな)
http://my.shadowcity.jp/f3273a9a.jpg
食いちがい具合から見れば……
『尾張柳生(非公開)資料』 vs 『その他、日本中の資料』
・・・・みたいな状態だよ。
どっちを信じるかは明らかだと思うんだ。
「江戸しぐさを信じてるヤツはおかしいが
尾張柳生なら信じられる」ってのは
見識を改めた方が良い。
とかく、人間は自身が思ってるより
騙されやすいもんだから
誰だって怪しい話を信じてしまうもんだけど。
怪しいと思ったら、さっさと手を引いた方が良い。
それが一番、傷が浅くすむ。 雨
田田田
田田田
田田田刀とかどっかな
成立年代がとしはる本の直後でしょ
としはる本は五珍じゃなく五巻書に自己言及しとる
その微妙なタイミングででつ造したきゃ年代の記載を隠蔽するんじゃないすか心理的に
冒頭の文字はうちの伝書の書体です雷の異体字
見てる人同士の符丁として書いといた https://dotup.org/uploda/dotup.org2242150.png
> 柳生三五郎
>・同日(明治元辰十二月六日)、
> かつ、有りし品、有りし家芸、
> 【御流儀之儀】を廃止なし仕る事に候。
http://www.tokugawa.or.jp/institute/017.0001-koukai-siryou.htm
↑の「第27冊」、番号「185」参照。
尾張藩の公文書で「御流儀の儀は明治元年に
廃止した」と有るのだから。実際、廃止されたはずな訳だ。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2242151.png
……だから、柳生厳長の言う様に
「明治以降も御流儀が継続されてた」は
パラレル・ワールドの出来事になる。
で……推測するに、御流儀之儀の任を
解かれた本物の三五郎は、
名古屋での本家を厳広(鎮雄の祖父)家に譲り。
明治の比較的、早い時期に名古屋を出てしまい。
西南戦争にも大尉として参加し。
軍人として東京に行ってしまったんだろう。
(名古屋には滅多に帰らず)
しかし、おそらく、名古屋の外では
三五郎という名をいっさい名乗らず。
ずっと柳生房義と名乗っていたんだろう。
(息子の方は台湾銀行の頭取にまでなった柳生一義で) だから、人事興信録の記事でも。
いわゆる『江戸の御流儀之儀の家系』と
『尾張藩の御流儀之儀の家系』と言う扱いして、
柳生俊郎と柳生一義の2人の名が載っているんだろう。
http://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who4-8197
↑「画像を表示」参照。
その後、厳広が明治38年(1905年)に亡くなり。
その子、厳直が大正10年(1921年)に亡くなり。
その後に鎮雄が18歳で遠縁から養子に来た。
そして、「厳周こそが本家の三五郎であり。
そっちは分家だ」と言われ、鎮雄は
それをうのみにしてしまったんだろう。
(「こころの兵法」、あとがきとP87〜88から推察するに)
さらに房義・一義の方まで
バタバタと早くに亡くなってしまったんで。
尾張柳生家にとって、本当の事を知る人間が
いなくなってしまったんじゃないかと。
(詐欺師にとっては、すごい運の良い展開になった)
だから、房義が三五郎であると証明できる資料さえ
見つかれば、この問題は完璧にカタが付くと思ってる。
ただ、今わかってる範囲でも。
柳生厳長の発言がウソだらけな上に、
「御流儀の儀が廃止された」記事まで見つかってるんで
……この時点で自称・柳生家がインチキなのは
ほぼ、証明は済んでるんじゃないかとも思ってる。 飛燕っちだ
廃止乃儀はっすねそりゃ藩にしてみりゃそういう体裁繕うでしょ
としちかさん城守って活躍しちゃったしあれしちゃったし笑
三五郎名は仮に万一三五郎房義だったにしてもっすよ
本家代々の武名っすよね共通してておかしかない
しかし不意に一三五郎表記と化して草 基本的な質問で申し訳ないのですが、居合の方々は腰に大刀差してますよね?
普通に考えて、帯からは外して右に置くか、許されて左側の床に置くと思うのですが
この質問はどのスレに持っていくのがいいですか? 居合・剣術スレで質問するなら、居合という大きすぎるククリでなく「何流では〜」と質問しないと誰も答えられないぞ。 >>367
居室限定の想定じゃなし腰に刀でいっす
座合の基本は自分から座る
立合より両足の間隔が広い間合が伸びる理念すね
置合は普通にあるよ左置きは引寄せる反動で両手を離す
右置きは他の勢いを使います ちょっと推測だよりなんで
書くかどうか迷ったけど一応、書いておく。
以下、“こころの兵法 83〜88Pから”
https://dotup.org/uploda/dotup.org2263021.png
慶應元年に鈴木家が断絶になった。
その鈴木家の屋敷が有った跡に
柳生六助家※が入った。
※ 柳生六助家 : 厳広→厳直→鎮雄、と続く
厳広は「不浄だ」として、鈴木家の
有った土地の土を掘り返して、家を建てたらしい。
厳直は竹カゴを作っていたらしいが。
竹カゴを受け取ってた人物の証言だと……
「裏長屋のように、うらぶれた暮らしで。
ザツなつくりの品。士族のなれの果てと
しての、ある種の風格は有った」……と有る。
柳生鎮雄がわの証言では……
「戦災前は屋敷に住んでいたが。大正末期から
昭和まで、母屋は山口銀行の支店長の
“社宅”のようになっていた。私たちは
道場跡に住んでいた。父たちは母屋に
つながる茶席の前の庭を隔てた仕事場で、
竹籠などを作っていた」……と話が食い違う。
……ここらの情報、ちょっと事情が見えない。
素直に考えると、『柳生六助・厳直のニセモノが居て。
その人物が贋作の竹カゴを作り、売っていた』
……と、とれる。 ここで、あえて使われている言い回しの……
【士族のなれの果て】と言う表現も、冒頭の
【断絶にされた鈴木家】にかかってそうに思う。
断絶後、鈴木家の人間がどうなったかは
わからないけれど、自分らの土地を奪われ、
柳生(六助)家を逆恨みしてても、不思議は無い。
で、鈴木家の人間だったと推測した上で。
そのニセモノの正体は柳生厳周じゃないかと思う。
つまり、柳生三五郎に成りすます前段階として、
柳生六助・厳直のニセモノをやっていたんじゃないかと。
元は武士で地元の人間だから、事情通で有り。
中流武士としての教養もあった訳だ。
息子の厳長の贋作の腕も、厳周の世代から
受け継いだものと考えられる。.
こころの兵法の作者はスットボケタ書き方をしつつ、
情報を残すんで、そういう意図で書いてそうに思う。
……ただ、あくまで、こころの兵法の作者が
当時の取材から推測しただけのモノなのか?
それとも、竹カゴを受け取ってた証言者が
実際は、もっとハッキリした証言をしてたのか?
……そこらは、わからない。
柳生厳長の売った伝書(おそらく、当人が作った偽書)を
柳生鎮雄が古書店に手を伸ばし、すべて買い取り。
(↑新陰流道業六十年回顧録 55Pより)
それが『資料 柳生新陰流』に鎮雄所有の名義で載ってたのも、
皮肉な話だが……どうもニセモノが作った厳直の竹カゴも
鎮雄が買い集めてそうなのが……なんとも皮肉な話だ。 あと、もうひとつ。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2263022.png
正伝新陰流 239〜240Pの↑の厳周が
他の柳生家を訪ねた話は
どうも本当の事らしい。
↓大正4年の雑誌【戦友 62号』に
厳周の記事で同様の事が書いてある。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1844680
↓にある表記の有る図書館からなら、
国会図書館のデジタルコレクションが見れる。
https://dl.ndl.go.jp/ja/soshin_librarylist.html
昭和32年の正伝新陰流が著された時期なら、
いい加減な事を書いても、
ウヤムヤでも済みそうだが(正直、事実かどうか疑ってた)。
大正4年なら、来訪時に会った相手らも
記憶してる人もいるだろうから多分、ウソは書きにくい。
(もっとも、詐欺師は平気でウソをつけるからこそ
詐欺師な訳で。この手の推測すら信用できない……
なんか…これを書いてる途中からウソな気がしてきた)
まあ、とりあえずは事実として。
思うに厳周は、この行脚で……
・柳生家同士に横のつながりが無い事
・ろくに資料が残ってない事
……を把握したんじゃないか推測する。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965740/1
『柳生一義(清水孫秉, 大野恭平)』も
↑の図書館のデジタルコレクションから
読めるが。ソースが、あきらかに
自称・柳生家からの情報なんで
あてに出来ない。柳生一義の死後に出された書。
……さて、これで自分が掴んだ情報は全て。
で、この話も今回で最後にする。
これ以上は捜しても何も見つからない可能性が有るし。
自分も他の作業に没頭したい。調べた範囲だけでも
自称・柳生家はウサンクサイ話ばかりだし。
厳周・厳長・延春、三者が三者とも人間性から見てクズだ。
これ以上、関わるのは時間の無駄だと感じるし。
自分の中では
【尾張柳生は、厳周・厳長が二代で作り上げた素人剣法】
……と言う判断で決定している。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています