武壇5ちゃんねる分壇5
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強い震脚ばかりをやるのはどうかと思うが、八極拳にも慢練・・・つまり太極拳のようにゆっくりやる練習法があるし、
急に極端な負荷をかけなければ高齢者でも低架で小八極をやるのはむしろ老化予防に役立つと思う。
健身と技撃はじつは一体のものなのよ。 でも著名な武術家って、特に長寿なわけでもないような…むしろ早死が多くない? 過ぎたるは及ばざるが如し。オーバーワークが健康によくないのは武術に限らない。 台湾の主な武術家はこんな感じやな。
韓慶堂(1900年−1976年):75,6歳で没
常東昇(1911年−1986年):やはり75歳くらいで没
衛笑堂(1902年−1984年):82歳
劉雲樵(1909年−1992年):83歳
まあ少なくとも後期高齢者になるまでは生きてはる。
で、太極拳家を見ると
鄭曼青(1902年−1975年):73歳
王子和(1911年−2003年):92歳!
杜毓澤(1897年−1990年):93歳!
潘詠周(1905年−1996年):やはり90歳以上
王晉讓(1905年−1996年):これまた同じく91歳くらい
と90歳以上は珍しくない。杜毓澤、潘詠周、王晉讓は陳家太極拳や。 プロレスラーと対戦したことで有名な太極拳の黄性賢(1910年−1992年)も80すぎまで生きてはる。
しかもこの人たちには最晩年まで自分で武術を教えてた人が多い。
10年も20年もの介護の末に亡くなったというのはあまり聞かないな。
1980年頃の台湾の医学・医療レベルで現代の日本の高齢者以上に元気やった人が多いとすれば、
やはり武術が健康のために良いというのは言えるんやない? ちなみに李元智は1903年−1972年=70歳になるかならないか。
王樹金が1905年−1981年=75,6歳。
現代の日本男性の平均寿命は80.98歳やからそれに比べれば早いが、そう極端な早死ともいえん。
二人とも日本でいえば明治生まれやもん。 劉雲樵は1902年に83歳で亡くなったが、先生によるとさすがに80歳をすぎた頃からは
かなり衰えて自分で武術の手本を見せるというようなことはできなくなったらしい。
最晩年の写真や動画を見るとおそらく慢性心不全・腎不全と思われるが全身が浮腫んでいかにもしんどそうや。
ただこれも先生が言うには1988年に蒋経国総統が亡くなったあと、
やっぱ御大将を失った精神的ストレスからか急に体調が悪くなっていったそうな。
実際80歳くらいまでは国家安全局で教官を務めてたからな。
蒋経国総統(享年77歳)があと5年10年長生きしてたら劉雲樵も90歳くらいまでは生きてたかもしれんな。 「しかし先生。まともに歩くことすらできなくなった劉雲樵はどうやって先生に八卦双鉤
→ https://www.youtube.com/watch?v=9tvXsC050yc を教えたんですか?」
「それはな・・・劉雲樵は座ったまま両手に箸を持ち、『そうじゃない!こんな具合にやるんだ!』と説明してくれたんだ」
真の秘伝を得るというのはこういう感じなのだ。技術以上に精神を受け継ぐというか・・・ >>481
>
じつは劉雲樵は
「シュワイジャオや柔道などというものは実戦では役に立たない。組む前にやっつけてしまえば事足りる」
みたいな発言をしてる。
松田先生が言うにはこう来たらどうしますか?
と尋ねると なに聞いても
『そんなのガ〜〜ンってやっちゃえばお終いだ』
と返してきたとか >>511
でも本当に「実戦用法」てのはそうとしか口では説明できないんよな。
劉雲樵は身体全体が「拳」「掌」「肘」である・・・と考えてて、これは格闘技の
「まず右で突いて、そのあと左で打って、さらにすかさず蹴りを・・・」
といった概念とは違う。
相手が攻撃してきたときに身体全体で飛び込んでいって「全身拳」で倒す・・・ということなわけ。 >>510
巨大な大カマキリみたいですね
一瞬 六合蟷螂の武器かと思ってしまいました >>512
>
相手が攻撃してきたときに身体全体で飛び込んでいって「全身拳」で倒す・・・ということなわけ。
それは劉先生が得意だったとされる寸刻みの前進歩法に乗せて打つ
片手での寸勁連打そのものですね 最終的に相手を倒すのが突きか肘か靠かはその場の状況による結果論であって、
身体全体が拳なんやからどこがどう当たっても同じなわけよ。 もっともそれは八極拳に限らず、太極拳でも形意拳でも少林拳でも究極は同じなんやろうけどな。
松田さんが台湾から大陸に鞍替えし、さらに大陸でも多くの名師と出会いながら、
結局最後までなにかにつけて劉雲樵のことに言及してはったのは、
最初に見たこの「全身拳」がよほど印象に残ってたからやないかな?
心意六合拳とか示現流とかもお気に入りやったみたいやけど、どこに行っても
最終的には劉雲樵以上のものには出会えなかったのかもしれん。
このレベルになると言葉で説明するのは不可能や。 >>355
>>516
赤国がこういうのを書いた時に
読んでいつも思う事だけど
何故、赤国が嫌われたり笑われたりするのかを
もうちょっと真面目に考えるべき
本人にそれが出来ない程アレならば
周りが注意するなり諭すなりするべき >>499
そこは突っ込みの入れ方が違う。
「煽ってないでお前が行けよ。」だよ。 全身拳ってのは初めて聞いた(と思う、師父の話す言葉は中国語混じりでよくわからない)けど、形意拳とやろうとしてることは同じだってのは分かった 慢練も低架も習ったし八極もそういうところは同じなんだなって思うよ
まぁ違うところは違うんだろうけど このあたりの実戦上のノリは、
形意拳がいわれるところの「形意は進むを知って、退くを知らず」
の攻防時における具体的内容と、
八極拳の攻防の根底は共通性がありますね。
八極拳には具体的に似たような意味内容を表す口訣があったように記憶しています。
過去のノートをひっくり返せば出てくるのですが・・・・w
異なるのは、勁道と発勁の方法から来る、細かい部分での実技の差異でしたっけ? >>519
全身拳って言葉は赤国さんの造語だとおもいますよ。 >>522
すんません
うち田舎なんで秘伝すらほぼ入荷してなく高名だろう武術家の名前すらよく知りません >>522
マジか!それは失礼。
徐紀さんってあんまし好みでないので、チェックしてないんですよねw どれもウチの曾祖父母、祖父母にも充たない年齢で死んでるんだな。 >>527
「全身一拳」とか「全身打一拳」なら聞いたことありましたw
「全身拳」が同じ意味合いの言葉だということはわかりますよ。 徐紀はやはり理論においては武壇随一といっていい。
大むかしの『武術』にも「点から線、線から面、面から球」なんて論文が載ってた。
「球」というのは全身のことで「身体全体を大きな球体のように考えて敵にブツかる」のが功夫の特徴・・・
つまり空手やテコンドーとの最大の違いだ!というような文章やった。
じつはこれ↓
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/5198C60605L._SX258_BO1,204,203,200_.jpg
に載った私の文章もいちおうオリジナルではあるんやが無意識のうちに徐紀の論文の影響を受けてると思う。
そやからウチの先生も「徐紀は軽視できない」て言うてんのよ(笑 >>528
最初から全身一拳て言えばよかったな(笑 こういう本って本当に見たこと無いなぁ
昔武術ブームがあったことすら疑わしい(笑) ただし理論はわかってもこれを実際に身体で表現するのはたいへんや。
とはいえ現代の我々は人生の大半を武術修業に費やすなんてのは現実問題として不可能なんやから、
最初にまず理論を説明しておいて、それから実技に入るってのも大事なんやないかな?車の運転といっしょ。 初めて先生に六大開を見せてもらったとき、なんか先生自体が大きなボールみたいで、
これがボウリングの球のように猛スピードで転がっていってるような印象やった。
車やバイクごと衝突するっていうか、とにかく全身が立体的に「回転」する。
纏絲勁の極致やな。 >>529
そのムック本、買い忘れて持ってないんですよね。
Aの方なら持ってるんですが。w
>>533
同意ですね。でも理論だけ知って満足しちゃう輩ばかりなんですよねぇ。
最近の新しい子は。教えなきゃ教えないで陰口言ってるっぽいしw
まぁ、所詮武術なんて誰に習おうが結局自分のもの、
自分次第なんで、どうでもいいんですがね。w よく「定式」「過渡式」と言うが、功夫の最高レベルでは定式も過渡式もない。
右肘で打った瞬間にもう左肘で打つ動きに入ってて、相手が倒れるまでこれを連発するわけ。
まあ「怒涛のラッシュ」てのはボクシングでもキックでもあるけど、これはもう頭で考えてできるもんではない。 >>534
六大開はやってないんです。
八極拳は参考程度なので、小八極、大八極の套路と簡単な用法を、
それぞれの動作について1つか2つやった程度です。
今は時々思い出して練習テーマにするくらいですね。 『秘伝』でもよく「居着かない○○」なんて特集があるやん?
確かにボウリングの球や車の車輪てのは居着かないわな?
あんなふうに前進しながら(じつはそこが歩法の巧妙なところで進むといっても必ずしも一直線に進むわけではない)、
身体全体をひとつの拳にして相手を粉砕する・・・というのが武壇八極拳の奥義。
いかにも松田さんが好きそうな技やけど、いまさらながらなんで武壇に専念しはらんかったんかが不思議や。 >>534
自分も以前から太極拳の主要武器の春秋大刀の攻撃軌道を全部繋げると
必然的に円ではなく球になる 全身を球体のように使うのでは・・
他拳法も最後はそうなるのでは?
と考察してましたが間違ってなかったのかと再確認しました
ありがとうございます
(特に陳式は八極拳のように使うとも聞きますし)
とわかった様に書き込んでおいて自分は簡化太極拳すら知らない
ヘタレですがww
>先生自体が大きなボールみたいで、
これがボウリングの球のように猛スピードで転がっていってるような印象やった。
車やバイクごと衝突するっていうか、とにかく全身が立体的に「回転」する。
纏絲勁の極致やな。 >>536
なんだか、詠春拳、螳螂拳などの連打のイメージが沸く説明ですね。
一般的にはそうなんでしょうか。
私は八極拳も形意拳も、太極拳も八卦掌もそれとは異なる攻防のイメージなんですよね。 >>516
>最終的には劉雲樵以上のものには出会えなかったのかもしれん。
松田先生は劉雲樵先生のことは、ずっと尊敬してましたが、劉雲樵以上のものに出会えなかったってのはどうかな。
少なくとも、同レベルのものは、台湾時代より後年に見てきたという意味の発言があった。
あんま言うと問題あるから、やめとくけど、勝手に上記のように決めつけるのはどうかと思ったんで、これだけ書いときます。 劉雲樵など大したことなかったというのを
必死で取り繕おうとしている赤国w という風にも見える 赤国さん達がこうして騒げば騒ぐほど
却って劉雲樵ブランドの価値が暴落してゆく・・・
気を付けた方が良いだろう
迷惑に思っている人達も大勢いるから
赤国さん達にとってはこれこそが平常運転なのかも知れないけれど
あ、15周年ですか? おめでとうございます >>516
> 最終的には劉雲樵以上のものには出会えなかったのかもしれん
松田さんはハッキリと佐川さん以上の人は居ないっていってたよ 赤国さんの書き込みが劉雲樵ブランドの価値を下げるというのはどういうことだろう。
私は、親しみこそ感じれど、価値が下がっているようには見えんけど。
劉雲樵の八極拳が他の李書文系と異なるように見えるという話にしても、
それは実伝の有無に関わらず、一門を開いた武術家なら当然のことであるし、
劉雲樵の実力や功績、立場から見れば、微々たる問題であろう。
直弟子にとっても師の実力と知見そのものが大事なのであって、
師の来歴にあこがれた訳ではあるまい。 >>547
ご都合主義という汚い心を綺麗に洗い流し
小学校の御供御からやり直さないと
君には何を言われているかは
永遠に解らないままなんじゃないかと思うよ? >>540
今日(正確には昨日)は六合刀の概要を教えてもらったんだが
防御は考えずひたすら殴りまくるという非常に私好みの泥臭い田舎剣法だった
そこから生まれた六合蟷螂拳も劈を上手く使ってバシバシ叩くもんだとか
詠春拳も両手に持ったナイフでザクザク斬りまくるスタイルだったんじゃないかとも聞かされた
刀がベースだと連打系になるんだろうし、田舎の荒くれ者相手には大雑把な戦法が良いんだと思う >>548
李書文、劉雲樵、赤国さんの師匠、赤国さんに何を期待しているのだろう?
聖人とか武神とかを期待しているのかな?
彼らとて只の人間だよ。
学ぶべきところは学び、そうでないところは、生暖かく見守る。
それで良いんじゃないかなぁ。
実際、赤国さんがどのような実力だろうと、
誰の弟子だろうと、何をどのように話そうと、性格がどうだろうと、
実際の赤国さんの生徒以外には関係あるまいよ。 てーんとてんをむーすんで♪
へーんとへんにしーまーしょー♫ >>550
その人に限らず
あからさまに間違ったことを誰もが見れる掲示板で書かれたり
他の門派の関係者や師伝に当たる人物を馬鹿にされると困る人も出てくるし
そうした言動には同門でもよろしく思ってない人は出てくるという一般論
>学ぶべきところは学び、そうでないところは、生暖かく見守る。
>それで良いんじゃないかなぁ。
黙って見守れという理由は? 図々しくないか? そこでオフ会に出席して小一時間・・・とかいうテがあるやん?(笑 「武壇スレ15周年記念オフ会」
日時:平成30年3月17日(土)14:00〜17:00頃まで
場所:日比谷公園内
備考:
@集合場所は日比谷図書文化館入口前とする↓
http://hibiyal.jp/hibiya/access.html
A雨天中止
Bできれば事前に riuyuexia@yahoo.co.jp まで氏名・年齢・住所・携帯電話番号を明記のうえで参加希望の旨連絡のこと。
飛び入り歓迎だが集合場所で14:10頃まで待ったあとは別の場所に移動する可能性が大なので、連絡が取れない人は自力で探せよ(笑
黙って見守れない人はこぞってどうぞ。熱烈歓迎!(笑 いまのところ「参加キボンヌ!」のメールが2人から来た。
まだちょっと先のことなんでスケジュールが合わなくなったりすることもありえるが、
現時点では私を含めて3名は参加するってことやな。
なんせ15周年記念やから少なくとも10名くらいは参加者が欲しいところなんやが(笑 あ、ところで>>546
546名無しさん@一本勝ち2018/01/25(木) 01:27:50.83ID:CVcTlx8F0
>>516
> 最終的には劉雲樵以上のものには出会えなかったのかもしれん
松田さんはハッキリと佐川さん以上の人は居ないっていってたよ
ソースキボンヌ。
秘伝とか武術とかにそう書いてあったのか?あんたが松田さんから直接聞いたのか? >松田さんはハッキリと佐川さん以上の人は居ないっていってたよ
松田さんがそう思ってたのならそれは松田さんの勝手や。
ただそうなるとますますおかしいねえ。
佐川はんが台湾や中国など外国に住んでたのならそうもいかんが、松田さんにしてみりゃ
その気になれば毎日でも行けるところに住んではったわけやろ。
すぐ近所に「これこそ最高だ!」という人がいたにもかかわらず、やれ台湾や、やれ滄州や、やれ少林寺や・・・てのが私にはど〜しても理解できん。
松田さんてそんなに佐川はんに嫌われてたん?(笑 >>561
そこは全然疑問ではないのでは?
彼(松田氏)は自分の事を著作家と位置づけていたのでは?
だとしたら、既に日本でも有名で、先輩も沢山いて、何か発表するたびにあちこちからやいのやいの言われる日本武術は、敬遠したんじゃないですかね。 松田先生の弟子から聞いたのですが
晩年の松田先生曰く
色々見てきたが最高の突きは劉雲樵だった。
ただ劈掛や八卦の苦手な私には
劉雲樵の技を身につけるのは少々難しいと思った。
とのことでしたよ。 私も又聞きですが、松田先生は浅山を残すべき流派として弟子に学ばせるべく入門させたと聞きました。
佐川先生以上はないと言ってるなら、それも?な話かと。 お前は間違ってる厨は自信が無いのか〜では?を多用するよねw >>562
ご自分では「自分は生涯を通じて修業者だと思っている」と仰いながら、その実体は著作者かいな?
ま、人間誰しもホンネとタテマエ、表と裏はあるからそれはそれでええけどな。
なんでも佐川道場じゃ人間関係が拗れて道場に通えなくなったとか聞いたことあるし。 >>563
私もこれまでいろいろなカンフー流派を見てきたけど、簡単とか単純とか言っては語弊があるが、
武壇八極拳がいちばんシンプルで教伝システムが合理的・・・つまり正しく学ぶにはもっとも早道やと思うけどなあ。
武壇をスルーして馬氏やの呉氏やの心意六合やのいうほうが理解に苦しむ。 >>564
もう45年ほど前に出たサンポウブックスの『少林拳入門』で松田さんは
「(台湾に行く少し前の)当時私がもっとも心酔していたのは大東流合気柔術で、その第一人者である佐川師範のもとを訪れて修業していたが・・・」
「ちょっとした事情で道場を訪れることが不可能になり、それがキッカケで中国拳法を徹底的に研究することになった」
てなことを書いてはった。
理由や事情はわからんが、松田さんは弟子も含めて佐川道場には出禁になってたのかもな?
しかしその後『秘伝 日本柔術』を書くときにはやはり佐川道場の協力なしには不可能やったはずやから、どうもそのあたりは不可解や。
まあ武術界ってのはみみっちいヤツとか女々しいヤツとかけっこう多いから(笑 松田さんは探検家気質が強いからではないかと想像している
未知の武術とか謎を発見すると取り合えず体験取材したくなるのだと思う
まず高校生の頃からあちこちの武術を訪ね歩くのは普通じゃない
今と違って情報もなく交通の便も悪いのに
また台湾でもあちこちフラフラしていたらいくつかの道場から出入り禁止になっていたし、元々そういう性格で性質なんだろう だいたい台湾に行ったのは最初は秘宗拳に興味をもった為が大きかったと読んだ事がある。
それで髭に会えて武壇に接触したら陳家太極拳だの八極拳だの貴重な拳術に会えて一時は夢中になっただけかと その後は大柳さんの成長と帰国で武壇の紹介もやりにくくなったのもあると思う 髭がベネズエラに行ったのも大きいな
台湾と違ってそうそう行ける所ではない
赤国さんも老師がスイスに移住したらきつかったと思う それでもし松田さんが武壇に残ってたとして
だれが教える事になってたのだろう?
これが前から疑問 >>576
伍松發老師かなあ?
あの人は1942年生まれで蘇c彰(1940年生まれ)、徐紀(1941年生まれ)とほとんど同年代。
しかも少年時代にマレーシア精武会で多くの武術を学んでいながら、台湾に来てからは八極拳と八卦掌に
専念しはったそうやから(武壇ができたときは八極拳班の教練やったという)松田さん的にはうってつけ。 台湾には留学に来てはったんやが、マレーシアに帰国してからでも松田さんにしてみりゃ訪ねて教えを受けられない距離ではあるまい。
なんせインドやネパールを放浪してはったくらいなんやから、日本から見りゃその途中やぞ(笑
問題は・・・伍松發老師は大の「日本人嫌い」(笑
子どもの頃(つか生まれる数ヶ月前)にマレーシアに侵攻してきた旧日本軍にお父さんを殺害されたそうで、
いまでも「東洋鬼子」とか「南京大虐殺」とか「天皇の戦争責任」とか我々日本人にとってはけっこう手厳しい言論で知られる。
松田さん自身はどっちかというと「国粋主義」的やろ?
あの二人じゃ師弟コンビとしてうまくいくかどうかは疑問やな(笑 私はときどき顔本でやりとりするが、老師は私が彭先生や金教官の弟子・・・それも何十年と師事してるということを知ってはるから
「あなたは“練武之人”だから一般の日本人とは別だ」てなことも言いはるけど、それこそ一般の日本人がいきなりマレーシア武壇に行って
「教えてください!」と頼んでも、即座に「OK!」となるかはわからんよ。
そういえば大柳さんもそんなこと言うてはった。
「日本と中国はむかしいろいろあったから、外省人の武術家から習うのはよほど信頼されないと無理・・・」
みたいなことをな。 松田さんも『拳遊記』にそこらへんの事情を書いてはる。
蘇c彰が大陸から来たグランドマスターたちに引き合わせても、なかには「日本人がなにしに来たんだ?!」
みたいな態度の老師も少なくなかったそうな。
「中国の武術家は秘密が多い、なかなか本当のことを教えない」というのはひとつには歴史的経緯もあるわけやな。 日中戦争において日本と中国のどちらに正義があったのか?どちらが善玉でどちらが悪玉なのか?
というような問題とは別に、やはり実際に日本軍と戦ったとか、家族や友人を戦争で失ったとかいう人の場合、
理屈ではなく感情の問題ですんなり日本人を受け容れられないことも多いというのはやむをえまい。
我々だっていくらフレンドリーでなにかとよくしてくれるアメリカ人の友人ができても、もし彼が
「アメリカが原爆を落として日本が降伏したからこそいまのキミたちは自由や民主主義を謳歌できるんだ。アメリカこそ正義!原爆投下には道理がある!」
とやらかしたらおそらく引くわな?それに似てるかな? 髭は内省人だからそこの感覚が外省人とは違っていたのかな >>546
僕もそれインタビューで読んだ事あります
『中国に佐川先生クラスの武術家っていましたか?』
松田先生『いない いない(笑)』
ってやり取りだったと記憶してます 中国と台湾混ぜるのかのニュアンスは記憶して
ませんが 私は35年も先生とつきあってるけど、先生のお父さんはもう25年以上前に亡くなり、生前数回しかお会いしたことがない。
ただ初めて会ったときのことはよ〜く覚えている。
北京語で自己紹介したのだが先生が「親父は台湾語、客家語、そして日本語しかわからないよ。北京語は通じないから日本語で話せ」と言う。
で、日本語で話し出したらこれはもう私の関西弁なんかよりはるかに正確な標準語でしゃべりはる。そのうちお父さんが
「あなたはなんの目的で台湾に来たのですか?」と訊くもんやから
「中国の武術を学ぶためです!(キリッ!」と答えたら
「日本には柔道も剣道も空手もあるじゃないですか?わざわざ○ナの武術を習うなんて時間のムダですよ」
と言いはったのにはワロタ(笑 みなさんご存知と思うが蘇c彰のお父さんは映画(『KANO 1931海の向こうの甲子園』)にもなった嘉義農林の野球部員で、
戦前甲子園に出場したことがある台湾球界のパイオニアのひとりなんや。
蘇c彰のお父さんもウチの先生のお父さんも日本教育を受けて日本と日本人を非常に尊敬してた。
ウチの先生が日本語を話せるのもこのお父さんの影響と言うてたしな。
同じ武壇といってもここらへんの違いは蘇c彰やウチの先生と伍松發老師では正反対・・・180°違うといっていい。
徐紀は外省人やけど、徐紀のお父さんの徐白という人は1949年から1969年までの間、蒋介石総統の要請により台湾軍を秘密裏に支援した、
旧日本軍将校を中心とする軍事顧問団「白団」の中華民国側の担当要員の一人やったというから
これまた日本人に対する見方が必ずしも反日的というわけではない。 劉雲樵はというと・・・
先生が言うには
「劉雲樵は特別日本人が嫌いとか偏見を持つとかそういうのはなかった」そうな。
これも蒋介石総統の影響が大きいと思う。
これまたよく知られてる話やが、蒋介石は最初保定軍官学校で学んだあと、
1907年(明治40年)留学生として来日し東京振武学校で軍人教育を受けた。
中華民国が台湾に遷移してからも台湾を訪れる日本の政治家や財界人と会うときは
非公式の場では日本語で話してはったという。 劉雲樵は軍人出身。いかに武術の達人といえども蒋介石総統は神様みたいなもんやから、
劉雲樵が生涯絶対に頭のあがらなかった人物といえる。あたりまえやけどな(笑
おそらく蒋介石は劉雲樵に要人警護の任務を任せるにあたり、自分が受けた日本の軍人教育に基づいていろいろ訓示したんやろう。
そやから劉雲樵の考えかたは蒋介石のそれによく似てるし、文章なんかを読んでも共通点が多い。
日本人(つか戦前の日本精神)を尊敬しているとまではいわんが、かなり敬意を表してたことは確からしい。
そもそも自分自身が名家の出身やから、日本の皇族なんかに対してもかなりシンパシーするところが多かったみたい。
松田さんや大柳さんが教えを受けることができたのもそういうところが大きいと思う。
やっぱ他の外省人武術家とはちと違うとことがあったんやないかな? >>584
>『中国に佐川先生クラスの武術家っていましたか?』
>松田先生『いない いない(笑)』
う〜ん・・・そやから「佐川マンセー!」ならそれは松田さんの自由やけど、なんか釈然とせんな。
なんやかんや言いながら台湾や中国ではけっこう邪険に扱われてたんかもね?
それとインタビュアーの「佐川先生クラス」て・・・おまえは2ちゃんねらーかよ?(笑 赤国さんが松田さんについて書いてるのを読んで思ったのは
赤国さんは物事の考え方や受け取り方が驚くほどシンプルだなと。
良く言えばストレートでシンプル。悪く言えば単純まっすぐ。
いや、医者で体育会系ならば、そういうものなのかも知れないけどな。
悪く言えばそれはトラブルの元だけど
良く言えばその立ち位置と考え方で多くの人を救ってるんなら
トータルしてそれで良いのかも。 「赤国さん、中国に彭先生クラスの武術家っていましたか?」
「いない いない(笑)」
ならまあここじゃあ笑い話になるだけやろうが、かりにも金とって売る雑誌のなかでのやりとりとは思えん(笑 佐川さんをあまりに神格しすぎ
弟子も玉石混交だし、強くなるカリキュラムという点では駄目な道場だと思う
てか今月号の秘伝に晩年の松田さんは浅山一伝流に入り直そうとしてたと書いてあったしw 浅山一伝流の記事で笑ったのは入門やお問い合わせは秘伝編集部までになっていた事w 空手をやって、大東流をやって、武壇をやって、馬氏をやって、心意把を学びに少林寺に行って、そうかと思えば呉氏で開眼したとかいって、晩年は浅山って・・・
やっぱこれじゃああきまへん。理屈はどうであれ常識で考えて・・・ エビ老師のせいで浅山一伝流の方にも迷惑かかってたんじゃないの? 松田さんが強かったのか?優れた功夫があったのか?故人の真の実力をいまとなっては確かめる術はないが、
子どもの頃から空手を学び、学連の大会で好成績をおさめ、全日本や国体、さらには世界選手権でも活躍したのち引退し、
いまは道場主となって後進の指導にあたっている空手家・・・空手ひと筋50年ていう人と同じ定規で比較できるんやろうか?
功夫と空手、どっちが優れてる?なんてのと次元が異なるような・・・ まあ松田さんのいいところは実力ではなく探究心だから... 松田さんは知りたいやりたいと思ったら我慢できないんじゃないんですかね
日本でも内弟子になってまで頑張るというタイプじゃなかったし
本を読むと和道系で練習しながら剛柔流とか協会とかに練習にいくとか節操がなかった 松田さんは「空手家ナンバーワン」としてよくこの人をあげていたが↓
https://www.youtube.com/watch?v=-yMIutE5Gl4
ここには拝師も秘伝も神秘も謎もない。ただ修練あるのみではないか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています