武壇5ちゃんねる分壇5
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同じ「別名」でも「號」と「字」は本来は違うもんなんやが、むかしから・・・とくに近代以降は混同されることも多い。
基本的に中国人の名前は「姓+本名(諱=いみな)」で表記されることが多いが、日本では「姓+字」のほうが有名なケースもある。
たとえば「諸葛孔明」「蒋介石」なんかがそうでこれらは中国ではふつう「諸葛亮」「蒋中正」と呼ばれている。
「孔明」「介石」は字で、「亮」「中正」が諱やな。
ところが日本では孫文を「姓+諱」で呼ぶことが多いが、これは中国では「孫逸仙(字)」あるいは「孫中山(号)」と称されることのほうが多い。
とにかく中国人は一人で複数の名前のある人が多いから、ときどき同一人物やのに聞いただけではわからんかったりすることがある。
日本と違って姓が限られてるから同姓同名がどうしても多くなり、そのためにそういうことをするんやろうけどな。 >>454
へー
でもなんで塵なんて漢字を使ったんでしょう?中国語でもちりとかほこりの意味ですよね? お聞きしてると 現在の拝師って黒帯と似たような意味だなと感じてきました 作家の故・陳舜臣氏は「これまでに3人の“陳舜臣”さんと会ったことがあります」なんて本で読んだことがあるが、
陳姓は非常に多いし、「舜臣」なんて名前(五帝の一人である舜の臣下という意味にとれる)もけっこうありがちやと思うから、
むしろ生涯で3人しか“陳舜臣”に会ってないのは少ないくらいやないか?と感じたわ。
日本なら「山本こうじ」ないし「山本ひろし」さんに10人以上会った人はようけおるんとちゃう?(笑 >>456
かつて韓国の大統領で「盧泰愚(ノ・テウ)」という人がおったが、「愚」とか「塵」とかいった
ふつう名前に使うにはネガティブなイメージのある漢字を「逆効果狙い」でわざわざ使うパターンもけっこう多いよ。
本名はともかく字や號ではとくにな。坊さんなんかもそういう法名をときどき見かける。 私の団体の例で恐縮だけど、拝師の意味合いはもう少し重要視されてる。
健身目的で入会した人はハナから考慮の対象ではないが、武用目的で入会した人の中でも拝師出来る人は僅かしかいない。
一日二時間以上の自主練を欠かさず、練習会には欠かさず出席し、3年以上続いた人が5人いたとして拝師するのは1人いるかいないかぐらい。
拝師したら上がりじゃないという赤国さんの意見には賛成。
むしろそこから本当の武術の学習と修行が始まると言っても言い過ぎではない。
あくまでうちでは。 柔拳連盟の王福来への拝師(八卦門)なんか、まさにお金を払うだけのお客さんだよ(笑) 赤國先生の弟子は、赤國先生の拝師弟子になるんですか?
それとも台湾の先生がさせるんですか? 日本の学生は本場の修行で戸惑わない為の予備校生みたいなものって言ってなかっったっけ? >いくら拝師してもそのあと数ヶ月数年で練習に来なくなった人が秘伝の奥儀を知っているはずないし
学校の部活感覚で一区切りついたらハイさよなら、後はその思い出を酒の席のネタにするってナメた奴もいるだろうが
仕事が忙しいとか家庭を持ったからって理由で来れなくなる人もいるからね
うちの古株の先輩はそんなわけでたまにしか顔を出せない(別に拝師システムはやってないが)
でも家で細々と練習は続けてるらしい
道場に足を運んで先生からレクチャーを受けるだけが修行じゃないし
生まれた順番から言ってほぼ間違いなく先生が先に死ぬことを考えたら
親離れして独り立ちしたときのことも考えなきゃいかんと思うんだよね それと別の先輩と語り合ったことだが
幼少期から武術やスポーツをやってたり、才能に恵まれた人には敵わない
私も先輩もインドア派の少年時代を送ったし、先生から面と向かって「才能が無い」と言われた
これから先どんだけ頑張っても劉雲樵というエリート官僚の域には辿り着けないだろう
そういう達人のバトンを受け継ぐのは天才にでも任せて
個々人のポテンシャルと相談してマイペースに修行するのもアリだと思うんだよ 拝師したら終わり何て話あったか?
そんなコト言ってた奴いるのか?
拝師が修行のスタートってのは当たり前だが
拝師は黒帯と同じってのは流石に舐めすぎ
赤国特有の、いつもの中身の薄い思い込みだろ まあ拝師がどうのなんて強さには全く関係ないことだよね。
それこそ達人に拝師して長年習って秘伝もたっぷり授けられているはずの人が、
ボクシングを半年習っただけの通訳にボコボコにされたなんて話があるくらいだからね。
どんな高級な技だろうと対抗性動作の中で使うという経験を積まなければ身につくわけがないw >>467
>拝師は黒帯と同じってのは流石に舐めすぎ
ちゃんとした組手の厳しい空手団体のとこ行って
同じセリフ吐けるなら大したものだがな その点ムエタイってのはよくできたシステムで、
あいつらは試合形式のスパーリングをまったくやらないが、
首相撲と対抗性動作を交えたミット打ちだけであれほどの強さを発揮できるわけ。
怪我をするリスクを最小限に抑えつつ地力を挙げられるうまいシステムだ。
中国武術ももともとはこういうシステムだったみたいなんだが、どっかにすっぽ抜けたみたいなんだよなあ >>470
>首相撲と対抗性動作を交えたミット打ちだけであれほどの強さを発揮できるわけ。
怪我をするリスクを最小限に抑えつつ地力を挙げられるうまいシステムだ。
もしかして摔角がそれに相当したのですかね?
昔は武術家が摔角やるのは当たり前だったみたいだし スイマセン 文字化けしてしまって シュワイジャオの事でした >>471
古代の相撲や角抵、そしてシュワイジャオとどのようにつながるか?
まあ俺にはいちいち調べてる余裕はないが、短打の武術がシュワイジャオを前提にして成り立っていたというのはまず間違いないと思う。
ただどんな門派でもその門派独自の対抗性動作、散手というものがあったわけで、
それが年を経るごとに失伝していったということだろうね。 それはたまたま、スパーをやらないタイのジムを見ただけで
強いジムはスパーもやるよ。 >>469みたいに
妄想の中で、しかも虎の威を借りてでしか
威張れないのが、赤国一派のお家芸w
しかも黒帯程度でwww アホかw 昔の日本だと武術の地力の原点は
子供時代の砂場相撲とチャンバラ遊びなどでしょう
中国ではそうしたものに該当するヤンチャ遊びはなんなんでしょうかね?
やっぱりシュワイジャオやチャンバラ遊びのようなのがあるんですかね? まー、日本中に黒帯は腐るほど居るからな
これは辣言が来ても仕方ない
もっと適切な例えもあるが、誰も気付かないのが赤国クオリティと信者の絆
とは言え、面白いので応援してます!
これからも頑張って下さい 拝師弟子も中国じゅうに腐るほどおるってことや。
しかも柔道、空手、テコンドーなどの黒帯のように実力を検定されたわけではないただの弟子がな(笑 >>475のように
>しかも黒帯程度でwww アホかw
なんてアホは論外やが、まあそういうのもようけおるんやろう。
簡単に言うが黒帯になるのはけっこう骨が折れるぞ。いまはどうなんか知らんけど(笑 >>471
>>472
>>473
ず〜っと前から私は北派拳法の源流はシュワイジャオやと主張し続けてるよ。
これにモンゴル人や満洲人の乗馬術や大槍術などが加わって北派武術の原型ができあがったんやないか?と思う。
昨日書いた李元智の奥さんのトウ忠義も、王子平も多くの武術を修得してはいるがその中核になるのはシュワイジャオ。
つまり子どもの頃から柔道・相撲・レスリングのような稽古で体幹をつくりあげたうえに
実際に人間同士が取っ組み合うという皮膚感覚が養われていたから、それを拳や刀でも応用できたんやないかと思う。 じつは劉雲樵は
「シュワイジャオや柔道などというものは実戦では役に立たない。組む前にやっつけてしまえば事足りる」
みたいな発言をしてる。
要は「猪木×ウイリー戦」で大山茂が
「いくら組めば強いといっても、組んでくるところを突き蹴りで倒すのがカラテだ」
と四角いジャングルで言うてたんと同じ理屈やな(笑
しかしたとえ当身が主体の武術でもある程度組み合いの稽古を積んだ人はやはり「腰が重い」し、
全身の筋力も万遍なく発達していることが多い。
劉雲樵が重視しなかったのは競技としてのシュワイジャオや柔道なんであって、
劉雲樵自身子どもの頃は遊びでよくシュワイジャオをやってたという可能性はある。 BJJ部外者「BJJみたいなイモムシゴロゴロ実戦で使えるかボケw」
BJJ関係者「実戦?んなもんチャカやろチャカ」
この議論思い出したわ なんか、徐紀老師の八極だけ違和感ある。
特に、歩法と震脚の違いがすごい気になる。
同門の劉老師や蘇老師や金老師の動画や、倉井氏の小八極演武は地面に捻じりこむ感じの歩法。
重心も、その位置からそのまま下に落とす感じ。
でも、徐紀老師のは上から踏みつける動作だし、重心を微かに上げてから落としている。
套路上の動作線も、一人だけ微妙に違う。
若い時の表演動画でも同じだったから、そう学んだだろうけど。 その人はやはり長拳の出身やから身体に染みついた動作があんなふうになっちゃうんやろうな。 ただ、もうそれこそ15年近く前にアメリカで徐紀に学んだ人と会ったことがあるが、基本の馬歩・弓歩なんかは我々のそれとまったく変わらなかった。
自分でやるのと弟子に教えるのとではビミョーに変えてたみたい。
それと長いことアメリカで活動してて、ブラックベルト誌やインサイドカンフー誌のマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれたほどやから、
ダイナミックに見せるということをかなり意識してはったんやないかな?
伝統的なコンパクトな動きにこだわりすぎると、中国本土から来た表演武術家には敵わない・・・というのがあったのかもしれん。 確かにyoutubeに上がっている台湾時代の動画はコンパクトですね 松田本の陳家太極拳の写真もそう。
ああいうのは意識してやってるんやと思う。
あの人は開明的なようでその実けっこう「隠す」しな(笑 私が徐紀のビデオを見て笑ってたらウチの先生に「徐紀はあんたが考えるほど簡単な人間じゃない!」って怒られたよ(笑
ウチの先生より一回りくらい年長なんで、先生も陳太なんかの最初の手ほどきは徐紀から受けたって言うてた。 >徐紀老師のは上から踏みつける動作だし、重心を微かに上げてから落としている。
ここだけ聞くと陳式の第一動作の金剛とうたいのようですね そこからの影響もあるのでしょうか? 日本に講習に来る以前のサンフランシスコ時代の徐紀に長拳を習った人は腕の高さが1cm違ってもうるさく言われてたと言ってたな
嫌になるぐらい細かいと >>478
>拝師弟子も中国じゅうに腐るほどおるってことや。
こういう狂った認識が、結局は崩壊した伝統の拝師観であって
赤国さんはそれに従ってるってのがミソでしょうな
元々が登場時も武壇なんて
大学のクラブ活動程度でしかないって言っちゃうお方ですから(笑) >>490
>>491
徐紀さんは普段の動画などでは隠している、というのは自分も聞いたことがあります 隠して当然、まだ弟子に隠さないだけ良師。
しかし、そんな十を隠して何言になるのか? って疑問を持ったりしないか?
そこを隠す必要性・・・・そこから何が見えると思う? >>495
そんな狂った認識の赤國をブチのめす絶好のチャンス到来!!!
これで行かなきゃ男じゃない!!!
>>327
327赤い国民党員 ◆RPLwh/ddCk 2018/01/19(金) 20:57:06.16ID:Gh48znOQ0
「武壇スレ15周年記念オフ会」
日時:平成30年3月17日(土)14:00〜17:00頃まで
場所:日比谷公園内
備考:
@集合場所は日比谷図書文化館入口前とする↓
http://hibiyal.jp/hibiya/access.html
A雨天中止
Bできれば事前に riuyuexia@yahoo.co.jp まで氏名・年齢・住所・携帯電話番号を明記のうえで参加希望の旨連絡のこと。
飛び入り歓迎だが集合場所で14:10頃まで待ったあとは別の場所に移動する可能性が大なので、連絡が取れない人は自力で探せよ(笑 なんかな、下品やな。
赤国さんの褌で相撲をとるんじゃないよ… ('ε')実力半分ていうけど年齢もあるのでは。
彼らも歳をとればいろいろ大変ですね。
ぶっちゃけ八極拳は歳をとったらあまりやらないほうがいいのでわ? 強い震脚ばかりをやるのはどうかと思うが、八極拳にも慢練・・・つまり太極拳のようにゆっくりやる練習法があるし、
急に極端な負荷をかけなければ高齢者でも低架で小八極をやるのはむしろ老化予防に役立つと思う。
健身と技撃はじつは一体のものなのよ。 でも著名な武術家って、特に長寿なわけでもないような…むしろ早死が多くない? 過ぎたるは及ばざるが如し。オーバーワークが健康によくないのは武術に限らない。 台湾の主な武術家はこんな感じやな。
韓慶堂(1900年−1976年):75,6歳で没
常東昇(1911年−1986年):やはり75歳くらいで没
衛笑堂(1902年−1984年):82歳
劉雲樵(1909年−1992年):83歳
まあ少なくとも後期高齢者になるまでは生きてはる。
で、太極拳家を見ると
鄭曼青(1902年−1975年):73歳
王子和(1911年−2003年):92歳!
杜毓澤(1897年−1990年):93歳!
潘詠周(1905年−1996年):やはり90歳以上
王晉讓(1905年−1996年):これまた同じく91歳くらい
と90歳以上は珍しくない。杜毓澤、潘詠周、王晉讓は陳家太極拳や。 プロレスラーと対戦したことで有名な太極拳の黄性賢(1910年−1992年)も80すぎまで生きてはる。
しかもこの人たちには最晩年まで自分で武術を教えてた人が多い。
10年も20年もの介護の末に亡くなったというのはあまり聞かないな。
1980年頃の台湾の医学・医療レベルで現代の日本の高齢者以上に元気やった人が多いとすれば、
やはり武術が健康のために良いというのは言えるんやない? ちなみに李元智は1903年−1972年=70歳になるかならないか。
王樹金が1905年−1981年=75,6歳。
現代の日本男性の平均寿命は80.98歳やからそれに比べれば早いが、そう極端な早死ともいえん。
二人とも日本でいえば明治生まれやもん。 劉雲樵は1902年に83歳で亡くなったが、先生によるとさすがに80歳をすぎた頃からは
かなり衰えて自分で武術の手本を見せるというようなことはできなくなったらしい。
最晩年の写真や動画を見るとおそらく慢性心不全・腎不全と思われるが全身が浮腫んでいかにもしんどそうや。
ただこれも先生が言うには1988年に蒋経国総統が亡くなったあと、
やっぱ御大将を失った精神的ストレスからか急に体調が悪くなっていったそうな。
実際80歳くらいまでは国家安全局で教官を務めてたからな。
蒋経国総統(享年77歳)があと5年10年長生きしてたら劉雲樵も90歳くらいまでは生きてたかもしれんな。 「しかし先生。まともに歩くことすらできなくなった劉雲樵はどうやって先生に八卦双鉤
→ https://www.youtube.com/watch?v=9tvXsC050yc を教えたんですか?」
「それはな・・・劉雲樵は座ったまま両手に箸を持ち、『そうじゃない!こんな具合にやるんだ!』と説明してくれたんだ」
真の秘伝を得るというのはこういう感じなのだ。技術以上に精神を受け継ぐというか・・・ >>481
>
じつは劉雲樵は
「シュワイジャオや柔道などというものは実戦では役に立たない。組む前にやっつけてしまえば事足りる」
みたいな発言をしてる。
松田先生が言うにはこう来たらどうしますか?
と尋ねると なに聞いても
『そんなのガ〜〜ンってやっちゃえばお終いだ』
と返してきたとか >>511
でも本当に「実戦用法」てのはそうとしか口では説明できないんよな。
劉雲樵は身体全体が「拳」「掌」「肘」である・・・と考えてて、これは格闘技の
「まず右で突いて、そのあと左で打って、さらにすかさず蹴りを・・・」
といった概念とは違う。
相手が攻撃してきたときに身体全体で飛び込んでいって「全身拳」で倒す・・・ということなわけ。 >>510
巨大な大カマキリみたいですね
一瞬 六合蟷螂の武器かと思ってしまいました >>512
>
相手が攻撃してきたときに身体全体で飛び込んでいって「全身拳」で倒す・・・ということなわけ。
それは劉先生が得意だったとされる寸刻みの前進歩法に乗せて打つ
片手での寸勁連打そのものですね 最終的に相手を倒すのが突きか肘か靠かはその場の状況による結果論であって、
身体全体が拳なんやからどこがどう当たっても同じなわけよ。 もっともそれは八極拳に限らず、太極拳でも形意拳でも少林拳でも究極は同じなんやろうけどな。
松田さんが台湾から大陸に鞍替えし、さらに大陸でも多くの名師と出会いながら、
結局最後までなにかにつけて劉雲樵のことに言及してはったのは、
最初に見たこの「全身拳」がよほど印象に残ってたからやないかな?
心意六合拳とか示現流とかもお気に入りやったみたいやけど、どこに行っても
最終的には劉雲樵以上のものには出会えなかったのかもしれん。
このレベルになると言葉で説明するのは不可能や。 >>355
>>516
赤国がこういうのを書いた時に
読んでいつも思う事だけど
何故、赤国が嫌われたり笑われたりするのかを
もうちょっと真面目に考えるべき
本人にそれが出来ない程アレならば
周りが注意するなり諭すなりするべき >>499
そこは突っ込みの入れ方が違う。
「煽ってないでお前が行けよ。」だよ。 全身拳ってのは初めて聞いた(と思う、師父の話す言葉は中国語混じりでよくわからない)けど、形意拳とやろうとしてることは同じだってのは分かった 慢練も低架も習ったし八極もそういうところは同じなんだなって思うよ
まぁ違うところは違うんだろうけど このあたりの実戦上のノリは、
形意拳がいわれるところの「形意は進むを知って、退くを知らず」
の攻防時における具体的内容と、
八極拳の攻防の根底は共通性がありますね。
八極拳には具体的に似たような意味内容を表す口訣があったように記憶しています。
過去のノートをひっくり返せば出てくるのですが・・・・w
異なるのは、勁道と発勁の方法から来る、細かい部分での実技の差異でしたっけ? >>519
全身拳って言葉は赤国さんの造語だとおもいますよ。 >>522
すんません
うち田舎なんで秘伝すらほぼ入荷してなく高名だろう武術家の名前すらよく知りません >>522
マジか!それは失礼。
徐紀さんってあんまし好みでないので、チェックしてないんですよねw どれもウチの曾祖父母、祖父母にも充たない年齢で死んでるんだな。 >>527
「全身一拳」とか「全身打一拳」なら聞いたことありましたw
「全身拳」が同じ意味合いの言葉だということはわかりますよ。 徐紀はやはり理論においては武壇随一といっていい。
大むかしの『武術』にも「点から線、線から面、面から球」なんて論文が載ってた。
「球」というのは全身のことで「身体全体を大きな球体のように考えて敵にブツかる」のが功夫の特徴・・・
つまり空手やテコンドーとの最大の違いだ!というような文章やった。
じつはこれ↓
https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/5198C60605L._SX258_BO1,204,203,200_.jpg
に載った私の文章もいちおうオリジナルではあるんやが無意識のうちに徐紀の論文の影響を受けてると思う。
そやからウチの先生も「徐紀は軽視できない」て言うてんのよ(笑 >>528
最初から全身一拳て言えばよかったな(笑 こういう本って本当に見たこと無いなぁ
昔武術ブームがあったことすら疑わしい(笑) ただし理論はわかってもこれを実際に身体で表現するのはたいへんや。
とはいえ現代の我々は人生の大半を武術修業に費やすなんてのは現実問題として不可能なんやから、
最初にまず理論を説明しておいて、それから実技に入るってのも大事なんやないかな?車の運転といっしょ。 初めて先生に六大開を見せてもらったとき、なんか先生自体が大きなボールみたいで、
これがボウリングの球のように猛スピードで転がっていってるような印象やった。
車やバイクごと衝突するっていうか、とにかく全身が立体的に「回転」する。
纏絲勁の極致やな。 >>529
そのムック本、買い忘れて持ってないんですよね。
Aの方なら持ってるんですが。w
>>533
同意ですね。でも理論だけ知って満足しちゃう輩ばかりなんですよねぇ。
最近の新しい子は。教えなきゃ教えないで陰口言ってるっぽいしw
まぁ、所詮武術なんて誰に習おうが結局自分のもの、
自分次第なんで、どうでもいいんですがね。w よく「定式」「過渡式」と言うが、功夫の最高レベルでは定式も過渡式もない。
右肘で打った瞬間にもう左肘で打つ動きに入ってて、相手が倒れるまでこれを連発するわけ。
まあ「怒涛のラッシュ」てのはボクシングでもキックでもあるけど、これはもう頭で考えてできるもんではない。 >>534
六大開はやってないんです。
八極拳は参考程度なので、小八極、大八極の套路と簡単な用法を、
それぞれの動作について1つか2つやった程度です。
今は時々思い出して練習テーマにするくらいですね。 『秘伝』でもよく「居着かない○○」なんて特集があるやん?
確かにボウリングの球や車の車輪てのは居着かないわな?
あんなふうに前進しながら(じつはそこが歩法の巧妙なところで進むといっても必ずしも一直線に進むわけではない)、
身体全体をひとつの拳にして相手を粉砕する・・・というのが武壇八極拳の奥義。
いかにも松田さんが好きそうな技やけど、いまさらながらなんで武壇に専念しはらんかったんかが不思議や。 >>534
自分も以前から太極拳の主要武器の春秋大刀の攻撃軌道を全部繋げると
必然的に円ではなく球になる 全身を球体のように使うのでは・・
他拳法も最後はそうなるのでは?
と考察してましたが間違ってなかったのかと再確認しました
ありがとうございます
(特に陳式は八極拳のように使うとも聞きますし)
とわかった様に書き込んでおいて自分は簡化太極拳すら知らない
ヘタレですがww
>先生自体が大きなボールみたいで、
これがボウリングの球のように猛スピードで転がっていってるような印象やった。
車やバイクごと衝突するっていうか、とにかく全身が立体的に「回転」する。
纏絲勁の極致やな。 >>536
なんだか、詠春拳、螳螂拳などの連打のイメージが沸く説明ですね。
一般的にはそうなんでしょうか。
私は八極拳も形意拳も、太極拳も八卦掌もそれとは異なる攻防のイメージなんですよね。 >>516
>最終的には劉雲樵以上のものには出会えなかったのかもしれん。
松田先生は劉雲樵先生のことは、ずっと尊敬してましたが、劉雲樵以上のものに出会えなかったってのはどうかな。
少なくとも、同レベルのものは、台湾時代より後年に見てきたという意味の発言があった。
あんま言うと問題あるから、やめとくけど、勝手に上記のように決めつけるのはどうかと思ったんで、これだけ書いときます。 劉雲樵など大したことなかったというのを
必死で取り繕おうとしている赤国w という風にも見える 赤国さん達がこうして騒げば騒ぐほど
却って劉雲樵ブランドの価値が暴落してゆく・・・
気を付けた方が良いだろう
迷惑に思っている人達も大勢いるから
赤国さん達にとってはこれこそが平常運転なのかも知れないけれど
あ、15周年ですか? おめでとうございます >>516
> 最終的には劉雲樵以上のものには出会えなかったのかもしれん
松田さんはハッキリと佐川さん以上の人は居ないっていってたよ 赤国さんの書き込みが劉雲樵ブランドの価値を下げるというのはどういうことだろう。
私は、親しみこそ感じれど、価値が下がっているようには見えんけど。
劉雲樵の八極拳が他の李書文系と異なるように見えるという話にしても、
それは実伝の有無に関わらず、一門を開いた武術家なら当然のことであるし、
劉雲樵の実力や功績、立場から見れば、微々たる問題であろう。
直弟子にとっても師の実力と知見そのものが大事なのであって、
師の来歴にあこがれた訳ではあるまい。 >>547
ご都合主義という汚い心を綺麗に洗い流し
小学校の御供御からやり直さないと
君には何を言われているかは
永遠に解らないままなんじゃないかと思うよ? >>540
今日(正確には昨日)は六合刀の概要を教えてもらったんだが
防御は考えずひたすら殴りまくるという非常に私好みの泥臭い田舎剣法だった
そこから生まれた六合蟷螂拳も劈を上手く使ってバシバシ叩くもんだとか
詠春拳も両手に持ったナイフでザクザク斬りまくるスタイルだったんじゃないかとも聞かされた
刀がベースだと連打系になるんだろうし、田舎の荒くれ者相手には大雑把な戦法が良いんだと思う >>548
李書文、劉雲樵、赤国さんの師匠、赤国さんに何を期待しているのだろう?
聖人とか武神とかを期待しているのかな?
彼らとて只の人間だよ。
学ぶべきところは学び、そうでないところは、生暖かく見守る。
それで良いんじゃないかなぁ。
実際、赤国さんがどのような実力だろうと、
誰の弟子だろうと、何をどのように話そうと、性格がどうだろうと、
実際の赤国さんの生徒以外には関係あるまいよ。 てーんとてんをむーすんで♪
へーんとへんにしーまーしょー♫ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています