武壇5ちゃんねる分壇5
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>>349のつづき。
ところがそういうのを1年半ほどやって、まあみんなだいたいの套路はいちおう覚えた。あくまでも覚えただけやけどな。
そやからいまは套路を実戦用にバージョンアップするため對拆に力を入れてる。
ただ對拆は套路の一人練習の数倍の体力が要る。
チンタラ流してやるスパーリングなんかよりはるかに消耗が激しい。
ウチの先生や私が對拆を教えるときは個々の動作は真剣勝負と同じ勢いでやらんと意味ないと考えてるんで、30分もやればみなヘロヘロや。
そんなわけで最近は全力で練習するんはせいぜい2時間から3時間が限度やな。
で、残りの2,3時間はおもに私のレクチャー。
拳法の理論とか動きの法則性とか、もちろんこれらも身体を動かしての練習には違いないが、肉体の訓練というよりはむしろ頭脳の訓練。 >>351
熱烈歓迎よ。
私とスパー・・・だけやのうて、そこそこ心得があるならできればゴンさんのような私の学生にも教えてやってちょうだい。
ええ経験になると思う。 ウチの先生が言うには八極拳の練習を真面目に全力でやれば、まあ2,30分が限度なんやと。
実際私もそう思う。
もちろんあいだに休憩を入れながらふつう数時間はやるが、長くやればええってもんやないし、
フルパワーで長時間やったら身体を壊してしまう。
筋トレ、ボディビルなんかといっしょや。
早く筋肉をつけようと思ってオーバーワークすると逆効果やろ?
ある程度限界まで自分を追い込むことは大事やが、そういう訓練は一日中やるもんではないし、できるもんでもない。
ふだん各自が自分たちの生活のなかで自主練習する際には一日2時間とかそういうんやのうて、
大八極なら大八極を5分でも10分でも全力を尽くしてやれば、その日はもうとくに時間を決めて練習する必要はない・・・
と指導してる。 ウチの先生が若い頃、なにかの会合に劉雲樵を車で送っていったことがあるそうな。
集まるのはグランドマスターばかりやから弟子とはいえ若者は中に入れない。
会合が終わるまで外で待ってないとあかんかったんやが、他の老師の弟子たちがその時間タバコを吸ったり、あれこれ雑談してるあいだ、
先生は一人で近所の公園の立ち木を相手にずっと八卦掌の練習をしてたらしい。
会合が終わって老師たちが出てきた。
劉雲樵は他の鞄持ちの若い連中の雰囲気を見て、彼らがいままでどうやって待っていたのかがすぐわかった。
もっともウチの先生とて汗ひとつかいてないのだが、1,2時間のあいだずっと練習してたということはやはり一目でわかる。
劉雲樵は先生の背中や脚を触って
「よし、どうやら基本功は十分できたみたいだな。明日から連環掌を教えよう」
とか言うたそうな。
カンフーマスターはなかなか秘伝を教えない、秘密を隠す人が多い・・・というが、そうではない。
「良師は得難し。されど良徒はさらに得難し」という諺が武林にはあるんや(笑 先生の見ている前で先生の指示どおりに練習するなら誰でもできる。
しかし先生のいないときに自分で自分の練習をコーディネートして先生がいるとき以上の訓練を自らに課すというのは難しい。
肉体的な労力以上に相当な頭脳と精神力がなければこれはできん。
それで先生はいつも言うてる。
「功夫の修練は肉体の訓練に非ず。頭脳の訓練である」と。 スレ主の先生の動画をもっぺん貼って、見てもらえば? 松田先生の本を読んでいたら劉雲焦が懐かしそうに馬英図の名を口にしたと書いてあった。
二人は面識があるのだろうか?それとも単に噂で聞いてただけ? >>356
> 「功夫の修練は肉体の訓練に非ず。頭脳の訓練である」と。
でもさ頭使って考えると伝統的な中国拳法では強くなれないって結論に行き着かない?
今の時代色々動画とか上がってるけど
それで伝統的な中国拳法が結果出してるの無いじゃん
蘇東成さん見たいに伝統を捨てて対格闘技を研究して改良しまくって行かないと駄目だと思うんだよね 一般的な格闘技的に解釈せずに中国拳法が想定してる戦闘状況を考察する
まずこの時点で頭を使う
型に散りばめられてる技や身体操作を正しく理解する
例えば冲捶なんか馬鹿正直にやったら普通にテレフォンパンチで当たるワケがない
冲捶の身体操作を維持しつつ当てやすくするにはどうするか
ここでも頭を使う
冲捶に関しては具体例が力劈に入ってるが、何も考えてないとその正体が冲捶だと気付けない 中国拳法で強くなるということを格闘技の試合等で実績を示すことというのなら確かに伝統的な形を練習するだけでは強さは得られないな。
ただ蘇東成でもブルース・リーでもべつに「伝統を捨てた」わけではないと思うよ。
伝統武術をやり込んでそれが骨の髄まで染み込んでいるからこそ新しいものを編み出せた。
私もいま現在はそういうのを研究中や。
もはやこの年になって「謎の拳法」「貴重な套路」を新たに覚えたいとは思わん。
30年以上練習してきた拳法の技をいかにして実戦武術として後世に伝えるか・・・だけが課題やな。 むかし関西で散打大会をよくやっていた某八極拳家が
「フルコンタクトの打ち合いをするのであればローキックは不可欠。
しかし伝統の八極拳の形にはローキックがないので私は空手やムエタイからこれを取り入れた」
みたいなことを雑誌や本に書いてた。
散打の試合で実績をあげようというのが目的ならいろいろな格闘技を研究し、
試合で有効と思われる技を取り入れるのは当然やし、むしろ研究熱心やと思う。
ただこの場合もあくまでも伝統的な八極拳を身体に叩き込んだうえでやらんことには
木に竹を接いだようななんとも正体不明のカンフーになりかねないし、実際試合を見た人は
「あれが八極拳?キックやフルコン空手とどう違うの?」とよく言うてたもんや。
件の男は「これが本物の八極拳だ!見てわからんヤツは見るな!」的な態度やったが(笑)、
試合とか競技とかをメインに据えて考えるとどうしてもそんなふうになっちゃうんよな。 その男は
「『これは八極拳ではない!』と言う奴らは八極拳の実戦を見たことがあるのか!?
漫画みたいなものに幻想を抱いてるのではないのか?!」
と力説していたが、少なくとも私やいまは亡き野田さんは八極拳の実戦を見たことがある。
それは競技試合の場で示される強さとは全然違うものやが、八極拳の形を十分に分析しておかなければ絶対できないもんや。
件の男こそ何回か中国に行って八極拳を学んだものの、八極拳の実戦を見たり体験したりしたことはなかったんやろう。 ここんとこ散々松田批判をしてきたけど(笑)、あの人の場合伝統武術の恐るべき威力を説く一方で
格闘技的な強さはまた別にある・・・と考えてたような気がする。
これらはどちらが上か?下か?ということではなく、表裏一体で分離はできないもんなんやが、
松田本があまりにインパクトが強すぎて、ただ伝統の形さえ繰り返しておれば強さが得られる・・・と盲信する信者と
てっとりばやく結果を出すために伝統の形を「無益だ」と切り捨ててしまった「革新派」との
極端な二極分化が生じてしまったようにも思う。
21世紀に入ってからようやく伝統と革新の融合に着目しだした伝統武術家がちょこちょこ現れるようになったが、
なにしろ日本の伝統武術界は裾野・底辺が非常に小さいので、まだまだ十分に研究が進んでいるとは言い難いのが現状や。
蘇東成やブルース・リーは格好のモデルケースなんやけどな。 名無しの私だと勘違いしていた人が何人かいたが、久しぶりに登場するかな。
古武道でも、本当に精神を集中して稽古すると一時間以内が限度だと言う有名指導者もいるけどね。
有名な組手中国拳法ではタントウは15分で良くて強くなる、体の調子も良くなるよ、という指導がある。
その時間で体の調子が良くなるはずもないのだが、指導者が中国の理論を解っていない。
赤国先生が云ったように、件の流派は空手の高段者が多いから中武で立ったり動いたりしても、練習しなくても同じなんですよ。
実は、雑誌にたまに名前が出る件の流派の埼玉県入間市で指導者になっている或る人は、私が日本武術を教えた人だけどね。
若い頃は自由に生きてオランダに行ってカレンバッチに習っていたりしたが、今は落ち着いて或る職の正職員で働いている。
一般庶民は自由に生きるのは長くは続かないわけです。 本物の練功の基準としては。凄く厳しいものであることです。
低い馬歩、長いタントウ、低架で動く、トウロの途中でしばらく静止するのを繰り返したり、動き続けるから厳しいというのは本物の練功ではないです。
本物のは高架でも、冬に人が来ない野外で練功して汗がたくさん出てきます。
呼吸法が凄く辛くて厳しい。
習い始めは息がもたないのです。
動作も凄くきついので、私は高級呼吸動作段階は出来ない。
本物の練功は、高い教授料を老師に払い、昔の裕福で働かなくて生活出来る中国人が毎日やったのです。
来日した中国人が言っていた、功夫がつきますという子午功等とは関係はない。
日本に入る中国のものは殆どが眉唾物です。 中国人の名師が言う「武術をやる条件は昔から有銭没病です」という意味は、入門したときから健康でお金をたくさん持っていることですが、これは99%の中国人のことです。
本物の理屈は、入門した時になかなか治りがたい病気があっても体を良くして功を積んでいくのです。
日本と中国で幼少時に病弱、線病質で、練習して治っていった話がありますが、これは元から体は丈夫な人です。
本物の練功とは関係がないですね。
日本の表現で、病みぬいて治っただけです。
本物の方法なら成人してから入門しても病気は良くなっていくはずです。
もちろん方法も限界はありますけどね。
体が良くなっていかないなら偽物内容ですね。 >>363
>少なくとも私やいまは亡き野田さんは八極拳の実戦を見たことがある
具体的にどんな闘い方だったかを聞かせて欲しいですな 「俺は血液検査を良くするために中国武術をやっているんじゃない」という人もここに出ましたが、数値が良くなってないなら単純に肝陰、肝気が充足していないことになります。
肝は胆気でもありますので、武術をやっても普段は気が小さい傾向のはずです。
警戒心があるのではなく気が弱い。
理論がわかれば判定できますが、日本人はあまり理屈がわからないようです。 登場しなくていいよ…このアホで自己顕示欲満載の自称老師は… 自称老師は、己の幼稚さと頭の悪さは最低限自覚しとけよ。 いらない順w
クソコテ》標準エビ》合気道屋》話題のない名無し》ゴン》話題のあるエビ》赤国》話題のある名無し http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/budou/1310456417/334
1,大倉伝淺山一傳流体術武徳会
2,坂井英二
3,〒191-0002東京都日野市新町3-8-1-209
事務局・宮本隆正(エビ)
4,稽古は、剛力を排し、取られた部位を上下に動かさず、その
場で無理なく相手の力を消し制する「理と法」を修得して行
きます。補強鍛錬などはせず、型稽古のみで体を作ってゆき、
技の迅さと威力を重視します。大倉直行先生正伝の技術稽古
です。
5,日時 火曜日19時〜20時30分
場所 東京多摩地区公共体育館
6,現在は設立していませんが、神奈川地区でも稽古可能です。
7,入会金10000円、月謝5000円 ※稽古毎に体育館使用料100円
8,不可 >>369
パッ!と動いて、サッ!と入って、ガツンッ!と一発・・・て感じかな。
互いに睨みあった状態であれこれ・・・ていうんじゃない。 拳児で髭老師が他派の武術家を箭疾歩で一瞬にして倒す・・・てのがあったやろ?
「実際の八極拳は漫画とは違う」とは言うたがあれだけは嘘偽りはない。ウチの先生もあんなやしな。
大陸の馬賢達も「実戦では一発で勝負は決まってしまう」て言うてはった。
実際散打試合に出た馬賢達は全試合ほとんど1,2発で相手を倒して優勝したそうな。 私自身いまでこそ武術と格闘技はまったく別のものということが具体的にわかるようになったけど、
若い頃はなまじ格闘技の経験があったから八極拳が空手やキックを正直混同してたもんや。
個々の技は違うが戦いかたの原則は同じやってね。
その先入観というか思い込みをようやく打ち砕けたのは20世紀も終わりになる頃に「大内八極拳」を知ってからやな。
もちろん侍衛の八極拳に関してはそれまでも先生からいろいろ聞かされてたけど、
自分自身のあらゆる考えかた、動き、拳法の技を完全に侍衛のそれらにスイッチできるようになったのは21世紀に入ってからや。
そのあとの2003年から武壇スレが始まったわけ。 × 八極拳が空手やキックを
○ 八極拳と空手やキックを 武術としての八極拳を完成させるのに格闘技の試合を経験するというのは正しい方法やと思う。
で、試合をするからにはそのルール内でもっとも有効なテクニックや戦法を研究すべきというのも確かや。
散打の試合をやるのならローキックやタックルを取り入れるのもよかろう。
ただこういうふうに試合をして「伝統的な八極拳の技では試合に勝てない=役に立たない」と主張するのはちと乱暴やな。
柔道の選手がキックのルールでキックの試合に出て「柔道の技は役に立たない」と言うてるようなもん。 >>382
> 柔道の選手がキックのルールでキックの試合に出て「柔道の技は役に立たない」と言うてるようなもん。
「技」という言葉の解釈の仕方が問題だすな。
投げや押さえなどの技ではなく、身体操作や戦術的なテクニックみたいなものを技に含めて考えてもらえると、空手の型が使える使えないなんて阿呆な論争も無くなるのだすが。 >>362で書いた関西の某は「打ち合いの試合をやらなければ武術の完成もない」と主張してた。
私も彼のこの理屈には異論はない。禿同や。
ただこの男のヘンなところは当初は八極拳を究めるための手段にすぎなかったフリーファイティングがいつしか目的になっちゃったこと。
伝統的な技法だけでは対処できないから試合では格闘技の技術も採用する・・・というのが
どういうわけか格闘技の技がない八極拳は八極拳ではない!みたいな主張に変わっていっちゃったことなんよな。
彼が自分なりの「新・八極拳」という流儀を創始したのならそれはそれでええ。
ところがこれまた不思議なことに、この男は自分が教わった中国の宗家筋こそが「真正の八極拳である!」と譲らず、
「武壇、長春、馬氏等々は八極拳と名乗っているだけで八極拳ではない!」
「本当の八極拳の秘伝は宗家のところにしかない!」
などと言い続けた。
格闘技の試合をすれば宗家の八極拳でも十分な力は発揮できないはずやし、そやからこそ自分は格闘技の技を取り入れておきながら、
なぜかそれ以外の系統には最初から「秘伝が伝わってない」と拘る・・・
いま思ってもまったく意味不明な男やったな(笑 >>383
キックのテクニックをまったく知らない柔道家がリングでキックの試合をしても勝てるはずありませんよね?
ただ柔道で相当な稽古を積んだ人間なら、その基礎の上にキックの技を身につければ、ただキックだけを習った人よりもより早くより強くなる可能性は大きい。
柔道とキックでは同じ格闘技でも正反対かもしれないけど、そういう目に見える違いよりその人の根幹となる運動能力こそが重要なわけでしょう? >>
パッ!と動いて、サッ!と入って、ガツンッ!と一発・・・て感じかな。
互いに睨みあった状態であれこれ・・・ていうんじゃない。
松田さんは、ドテドテと動いて、バタバタと入って、ドデン!…て感じに見える。 あまり秘伝、秘伝とは言いたくないが、伝統武術の形を実戦で活用するためにはやはり特別なコツとか秘訣とかがあって、
これらは師から伝授されないかぎり自分で考えてもなかなかわからないことが多い。
師にしてみればこれは一種の「企業秘密」「軍事機密」やからそう簡単に公開することはないし、
そうであるがゆえに秘伝と称されるわけ。
件の関西の某はやたら「ホンモノの秘伝」に拘っていたが、秘伝というのはどんな流儀でも他派には見せないから秘伝なんであって、
自分のところで秘伝とされている方法よりさらに巧妙かつ有効な方法が他派にある可能性もありえる・・・
という思考がまったくゼロやった。
さらに自分が学んだ系統の秘伝にしても、それを本当に知っていれば手段としての散打が目的に変わってしまう・・・
てなことはそうそうないと思う。
つまりこの男は人一倍秘伝に執着しながら、じつは自分のところの秘伝を見たこともなかったんやないかな?
要するに「八極拳の本当の戦いかた」は知らなかったわけよ。 「あれこれ言うがおまえは八極拳の実戦を見たことあるのか!?」と大声で吠えてた男こそが
じつは八極拳の実戦を見たことがなかった・・・という、まさにかつての日本の中拳界を象徴するようなトホホやった(泣 >>377
長嶋茂雄みたいな説明ですなw
具体性が無い しかし当時はその関西の某に言われっぱなしだったという >>389
そやからオフ会で確かめてくれと言うてるんや(笑
>>390
当時はネットもなかったしな。500円にしてもいまの時代では到底あんな真似はできんかったやろて。 いまは亡き野田さんとは会ったことはないし、特別交流したいとも思わんかったが、
当時の限られた媒体で某を批判したのは私が知るかぎりでは野田さんだけやったと思う。
その点に関してはいまでも大いに尊敬してる。 大阪城公園で練習してたんだろ
見学に行って腕組みしながら笑ってやればよかったじゃん >>392
同じ武壇系統でも全然交流無いってのもあるのですね
所で松田先生は小八極拳の型を拝師弟子にしか
教えなかったそうですが 赤国さんの所もそうなの
ですか? 七堂さんの名前でググると合気道の先生になってますね。
http://www.aikikai.or.jp/search/result_detail.html?lang=JP&id=1509
そこに開門の副会長さんが通っていらっしゃるようで…副会長さんによる?八極拳と合気道の技を使って散手?をしている動画がYouTubeにありました。
https://youtu.be/1YDrAKixKwA
いろいろな発展の仕方がありますねえ…。 >>396
('ε')いまどきそんなことしてる人はおらんべw 七堂さん!呉氏開門八極拳の著者でしたっけ?大判の立派な本でしたねぇ。うちにもどっかで埃をかぶってるくらいだから、結構売れた本なんじゃないかな。所詮武術本なんで、がっぽりとはいかなかったでしょうけど(笑 てか松田さんって何の資格で拝師弟子とってたんでしょう?どこの伝人でも無いですよね? 拝師を受ける資格って何でしょうね?
なんだか拝師を受けるだけなら誰でも出来るような気がしますが…。
伝人というか、拳譜に名を残す?かしないと拝師受けられないものなのですかね? 伝人かどうかはともかく、少なくとも師から開門を許可されてないと不味くね?延長にあるとはいうものの、拝師後に習う内容を知ってないと拝師した弟子に適切な内容を教えられない訳だし。 >>403
マジ?
髭老師ってそんなに気安いのかなぁ? 拝師を受けることは師に許可されたら受けられると思いますが
拝師弟子を自分が取るということは伝承者として認められないとダメなのでは?
自分もあんまり知りませんけど 髭老師に拝師した人は結構いると聞いたことがある気もするけど
松田さんは髭老師と関りがあったのは短期間では?
いつの話なんだろう 雑誌秘伝の松田さん追討記事みてると、かつて陳式太極拳を修了した学生に渡していた認可状の紙には
「日本初代陳家太極拳伝人 松田隆智」って書いてあるのを写真で確認できるし、当時の認識はそうとうゆるかったんじゃないの。 こうなってくると、「拝師ってそんなに大事なの?」て気がしないでも…。 台湾武術で坐盤式にして手をハシ拳にして脳を使う練習がありますが、あれではヤコピー線から上足底に意識が落ちてしまうから能力開発にはならない。
台湾人が言うことを何でも信じてしまう。
中国人でも本物の練功を習うのはかなり難しいですよ。 ぶっちゃけて言うと拝師ってのは一定期間以上習ってお金を納めれば出来るわけだからね >>397
槍の身法が無いですな。
別にローキックをやってはいけないということはないけど
八極拳だと名乗るなら八極拳の身法を使うべき あまり言いたくないが、拝師した人がそういうトウロと似た脚の形で立って脳髄を使う方法しか習えてないから仕方がないです。
私が何回も書いたように、本物を習えるのはバクチ、賭け事です。
私が遠回しに書いているような、真冬に発汗するような秘伝の呼吸等、99%以上の人は習えてないでしょうね。
それが本物の気勁養成法なんです。 ところでさ、七堂さんがやってた半歩理論とか言うやつ、
あれってどんなもんだったかもう一度確認したくてHP探したんだけど見つからない。
知ってるやついたら教えてくれ >>385
打撃の人が組技を習得するより、組技の人が打撃を習得する方が難度が高い「らしい」です
身体能力というより心理(所謂ハート)の部分で
勿論個人差はあるでしょうが >>408
>>410
いや、だから拝師することと拝師弟子を取ることは全く意味が違って・・・
って分かってるとは思いますけど
拝師はこれから本格的に習えますよってことだから
拝師しただけで実力がない人っていうのは当然いますね
少なくとも形式的には大きな意味を持つことですが つまり松田さんは勝手に弟子を取っただけで
山田さんの拝師は公式には認められないということか >>416
石井慧は柔道金メダリストだが打撃の才能が無くMMAで苦労してる >>385
柔道ベースでキックとは西良典のようですな。
彼のロブカーマン戦での見せ場は開始直後の足払い。
西はブランクのあるアマチュアだったけど、柔道がこういう見せ場を作ってくれた上
「寝技ありだったら勝っていた」とかいう解釈も可能
https://youtu.be/rtpFw5biFRQ >>420
石井は試合になってるから大分強いと言えるだろ。
シュレックなんて試合になってねーんだぞ。
https://youtu.be/3XFg1LuCYn8 >>419
教練として教える許可を貰っていれば勝手に教えたという事にはならない。
うまく言葉が見つからないけど、拝師はその門派の直径で、教練は拝師から教える許可を貰った指導員。
システムは門派によって違うかもしれないが、拝師は弟子を取れるが、教練は生徒までって感じかな?
おおまかだけど、弟子=一族 生徒=月謝を払って習いにくる客。
あまり上手く説明できなくてすまん。 ところで、開門弟子の梁紀慈老師については情報が少ないよな。
「武藝」の記事と、その記事書いた本人と思われる人のカキコくらい? >>424
早くから渡米され、台湾にはあまり戻ってきはらんからな。 ボストンで健雄國術館という武館を開いてはる。もう30年以上やってはるんやないかな?
武館では梁紀慈老師と奥様の韓玲玲師母が指導にあたっておられるが、韓玲玲師母は韓慶堂大師の娘さんや。 でも確か1941年生まれで今年77歳になる徐紀より年上やったんやないかな?
つまりもう80歳近いってことや。
ウチの先生の評は「とにかく真面目を画に描いたような人。君子だな」。 キックの武田幸三とかボクシングの竹原慎二は柔道出身だったな 現代では拝師の定義も様々なのでしょう。私のとこでは拝師した弟子と一般の生徒では教授内容がだいぶ違います。イメージとしては概要と詳細といった感じかな。なので拝師して数年は修行したものじゃあないと細部を知らんという感じになりますね。 道場や指導者によって方針が異なるだけで拝師の定義自体は同じだと思いますよ いや? 拝師してなお、お客様という処も最近は多いw 最近は外国人用にお金で買える表向きの拝師も流行ってるよw だからそこは道場や指導者の方針に当たるところだよね
拝師自体の本来の定義は変わらないはず
形式と実質上の違うというか・・・
拝師してもすぐに極秘伝が習えるとは限らないしね そうじゃなくて、形式が酷くなったトコが増えたので
本来の定義が揺らいでるって話
そうやって本来の定義をかたくなに押し通してるトコが極端に減ったら
方針や形式の違いという言葉では済まされない位に多くが失われる
そして今はまさにその過渡期を超えつつあるのかも知れない・・・
悪貨は良貨を駆逐する
駆逐された後で、本来の通貨とは・・・という話しをしても
そんなものはもう何処にもないかもしれない
っつか、もうその時は国が滅んでるかも知れない
今はその滅びの直前かも…って話だよ いや、言いたいことはわかりますよ
自分もよそのことはほとんど知りませんが、そんなに最近はひどいんですか?
表向きだけの拝師があったとして、本当の意味での伝授を受ける人もいるでしょうから
伝統武術そのものが絶えることはないでしょうけど、拝師というものの価値は下がりそうですね 確かにそのような「お金で買える拝師」も伝統武術を穢す行為であり
拝師の価値を貶めるものでもありますね 拝師というのはもともと少林寺などの寺院や道観で師から允可されて正式に弟子=僧侶or道士になるという儀式やった。
それが民間に広まり、青幇などの黒社会でも同様の形式で「○○一家の構成員」になるという儀式に変わっていった。
拝師の場合形式的には「師弟」関係やが、これは日本のやくざの親子盃と同じで「親分子分」の関係に近い。 武林つまり武術界においては老師を「師父」というし、その奥様つまり姐さんは「師母」やし、「一日為師、終生為父。」などともいう。
それどころか戦前までの中国では師は後継者と見込んだ一番弟子を「婿養子」にすることがよくあった。
上で書いたように梁紀慈先生は韓慶堂大師の娘さんと結婚してるし、
李元智の奥さんは王子平と並んで「滄州二傑」と評されるトウ(にんべんに冬)忠義の娘さん。
この場合は完全に「婿殿」「義理の息子」になるわけやが、みながみな師の娘と結婚できるわけがないので
拝師によって一門は擬制の血縁関係を構成してたということ。
「師兄」「師弟」なんていうのもそういうところに由来する。 日本の大相撲でもある部屋に入門すれば師匠は「親方」、その奥さんは「おかみさん」になり、
部屋の中では力士たちはお互いに「兄弟弟子」になる。
つまり相撲の場合、「部屋に入門する」ということそれ自体が「拝師」に相当するわけやが、
たとえば私がいまからどこかの相撲部屋に入門するのは不可能やわな?
相撲部屋に入門して力士になるということは「相撲で飯を食う」つまりプロフェッショナルになるということ。
つまり拝師ももともとは「老師に師事し、いずれは自分も武術専業で食っていく道を選ぶ」という位置づけやったわけ。
これは僧侶にしても黒社会ややくざにしてもまったく同じこと。
それがいつしか形式だけが残り、べつに特別武術のプロになる必要性もそのつもりもなくても
武術を学ぶために道場に入門することを拝師と呼ぶようになっていったわけ。 いまでもマジで師の道場を引き継ぎ、ほぼ専業に近いカタチで武術教師をやる人間の場合はむかしでいう拝師も当てはまるやろうが、
私も含めてほとんどの武術修業者はそこまでやる人は少ないやろ?
つまり入門式=拝師というのは現代では完全に昔日の定義とはかけ離れていることが多い。
拝師をしたから秘伝が習えるんやない。
なぜなら現代ではほとんどの人は道場に入門した時点ですでに拝師してるんであって、
問題はそれから何年も熱心に修業を積んだ人だけが結果的に秘伝まで学ぶことができるということ。 専業武術家を目指すことが本来の意味であったかは疑問ですが、正式に一門の人間になるということであり、
場合によっては後継者になることもあるので、結果としては確かにそうかもしれませんね。 >問題はそれから何年も熱心に修業を積んだ人だけが結果的に秘伝まで学ぶことができるということ。
仰る通りだと思います たとえば私の場合、べつに先生の武館やその一門を引き継ぎ、武壇の一派として生計を立てよう・・・
なんてまったく考えてへんわけやから、拝師はしたけど本当の意味での拝師かどうかは疑問やな。
その一方で師に師事することすでに35年。
先生のウチにホームスティしたり、先生がウチに泊まったり、先生の娘の結婚式では家内とともに「親族一同」の席に座らされたりと
じつは私は先生に関して武術の技を教えてもらってるときよりもむしろお互いの私生活での関わりのほうが強く印象に残ってる。
拝師を疑似家族の関係を結ぶことと定義するなら確かに私は先生の多くの弟子のなかでもかなり「血が濃い」はずや。
実際みなの前で先生は私のことを「大師兄」と呼ぶからな。 ところで関東のみなさん、雪はだいじょうぶか?
私のところもけっこう降ってきたんで今日は明るいうちに帰ってきた。 >>444
ただしそれは単なる「むかしからの知り合い」てことだけ(笑
実際私の功夫は私よりひと回り以上若い台湾の教練たちの半分にも及ばん。
彼らは順序としては師弟になるし、彼らも私のことを大師兄として敬意を表してはくれてるが、
日常的に・・・場合によってはほぼ毎日でも先生の指導を受けられる環境にある彼らには
私が逆立ちしてもかなわないのは当然やろう。 先生に拝師した弟子のなかには私が初めて先生から教えてもらったときにはまだ生まれてなかった人もおるわけでな(笑
ただ彼らが知ってることはやはり私も知ってるし、場合によっては彼らが知らないことも私は知ってたりする。なんせ年季が違う。
だから同じ「拝師弟子」「入室弟子」である以上、何年かやってれば秘伝であろうがなんであろうがいちおう誰でもひととおりは習うわけや。
問題はたとえば同じ「六大開」でもその質とか練度とかやな。
繰り返すが台湾に住んでてその気になればいまからでも先生の家に行って練習を見てもらえる彼らの六大開は
もう20年も前に学んだ私の六大開よりやはり優れてるよ。こればかりはどうしようもない。 そうはいってもそれほどの功夫のある先生の弟子・・・つまり教練は先生の数多い学生・弟子のなかでも片手で数えるくらいやけどな。
先生はもう30年以上スイス人に教えてるし、台湾で武術教師を専業にしてもう15,6年になる(それ以前はおもに鍼灸で生計を立てていた)が、
これまで指導した学生は3000人とも5000人ともいう。
もちろんそのなかにはちゃんと伝統的な拝師式・入門式をやった人も含まれているんやが、10年以上継続的に武術を続けている人はごくわずか。
おそらく20年以上続いているのはその数千人のなかでも私とスイス武壇の総教練であるエリックくらいなもんやろう。
これまたやはり松田本の影響からか?あるいは500円がデタラメ言いすぎたせいか?
日本では無意味に拝師に拘る人をよく見かけるが、こんなのはホンマに馬鹿げてる。
いくら拝師してもそのあと数ヶ月数年で練習に来なくなった人が秘伝の奥儀を知っているはずないし、
知ってたところでその真意を理解できようはずもない。 ちなみに我が忘塵武壇では練習生はみな忘塵のロゴが入った白いTシャツを着るが、教練は紺色のTシャツないしポロシャツや。
この紺色のシャツを着ることができるのは世界でも私を含めて両手で数える程度しかおらん。どうや?すごいやろう?(ドヤ顔w ちなみに大内八極拳でも教練ワッペンをいただいてるが、さすがにこっちの練習に出るときにこれを着けたことはない(笑 なんにせよ發勁や点穴がなにか神秘的な秘技なのではなくただ単なる技術であるのと同様に
拝師というのは確かにあってもそれ自体に特別な意味はない。
私は拝師というのはセンター試験みたいなもんやと思ってる。
一定の条件を満たしておればセンター試験は誰でも受験できる。
しかしそのなかで次に東大法学部に合格し、さらにそこでもトップの成績を収めてキャリアで財務省に入り、
最終的に事務次官まで登りつめることができる人というのは何千人何万人に一人やろ?
その人がそこまでの地位に行くまでにはもちろん最初にセンター試験(=拝師式)を経たのは当然やが、
センター試験さえ受ければ誰でもあとは自動的に事務次官(=秘伝)に到達できるはずがない。
「拝師拝師」とありがたがってる人は私から見れば「俺はセンター試験受けたぞ!」と言うてるようなもんや。
そらまあ受けたのは事実でも、その得点が100点とか200点で次は東大やの、
ましてや財務事務次官やの夢見るアホはさすがにおらんやろう?(笑 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています