力は必要ない [無断転載禁止]©2ch.net
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力は必要ないとする武道って沢山ある。合気道は言うまでもないが極真でも「線を養成する」とか言ってる人がいたり
ある種武道に身をおくものの夢みたいなところがあると思う
しかも、みんな言ってる事がちょいちょい違う
何が本当なんだ? 「無駄な力は必要ない。」
と言い換えればこの手のキャッチフレーズが叙述トリックと分かる。
無駄ではない効率的な有効な力の運用を説いているだけなのだから。 力が必要ないなら若い人よりジイサンが強くなきゃおかしい
力が無いとキレもなくなるし圧力も無くなる
技術的な差なんて上級者同士になると実は大差ない
そうなると勝敗はフィジカルでほぼ決まってしまう
あとは運と相性か 前から首を絞められたら、空手の十字受けで相手の手の外から腕をクロスして相手の腕の間に拳を入れて腹まで落とす。
日本の大学の武道科学がネットの動画、画像、文章の技を検証しているようですよ。 前から首を絞められた時の十字受けの腕のクロスは頭上からですね。 首を絞められたら十字受けは頭上から。ヒント、目線。 剣道の面の振り方が胸で止まるのに対して、
剣術が腹まで落とす振り方で印象的です。 「効率の良い力の使い方」の意味で言う武道と、必要ないのではなく「力の意識が邪魔になる」
という意味で研究してる武道と二種類あるようだ。 去年ゴミにお金を貸した。
あまりの生活苦を見かね、「じゃあ少し援助するから○○まで来て。君最寄の駅は××でしょ?
××までは確かバスで百ウン十円だったよね。××から△△駅まで一駅だから、
そっからタクシーで来れば、初乗り料金で○○まで来れるよ」と、丁寧に道順までアドバイス。
そしたらゴミは(うほっ、カナメさんが貸してくれる♪)と調子に乗り、なんとゴミの家から直接タクシーで××に乗りつけた。
貸したあと「絶対教えたルートで帰るんだよ」と注意したけど、あれじゃ多分タクシーで家までゴーだったろうね。
このケースのお金が言わばチカラに相当するかな。
賢い人は効率の良いルートを使うから、お金(チカラ)をあまり使わない。
賢くない人は効率の悪いルートを使うから、お金(チカラ)を無駄に浪費する。
要は借金するようなゴミは氏ねって事です。 必要ないって言っても一般人以上の腕力は必要だし稽古していく中でついて行くでしょ 力が足りないのを技で補ってるだけだよ。力士に勝てるわけねぇじゃん でも力士の力って、鎧を着たみたいな物だからね。もし遣るとなったら其処を突くしかない。
例えると、重い剣みたいな物。重さが有るから、一旦振りかざして手を離せば勝手に重さで斬ってくれる。
しかし、その重さ故に一旦下し始めると途中で止めたり況してやすぐ上げるとなるととてつもない力を要する。
何が言いたいかって、力士の力の要は脂肪と言う自身では動く力の無い鎧と言う事。 運ちゅう流の平山行蔵は、雷電に押し勝ったんじゃなかった? ナイフの理想と現実。
合気道で対処するなら、切り落としの転換だよね。
[ニコニコ動画] ナイフの代わりにペットボトルでも、同じ練習出来るよね。
ナイフの理想と現実。[ニコニコ動画] >>1
中国武術では用意不用力と表現され、力は拙力とも表現されます。
筋出力を力とすれば、筋出力無くしては日常動作もままなりませんから、日常動作も力ということになりますが、自覚的には日常動作は意思のみで成就され、力は介在しません。
こうした日常的な、力感のノイズ無く、意思有れば完了する状態を志向することが中国武術のポリシーです(便宜上のご説明です)。
つまり中国武術では日常動作に則して、常識的な観点から力のリストラを再定義していると云えまして、日常的且つ常識的であるだけにあらゆる流派、種目、ジャンル、動作に適用出来る規範ではないかと思われます。
>>4-6
絞め手の肘が、絞め手の胴体で閊える場合はどうされますか。
>>9
いらしていると思いました。
>タクシー
ここでタクシーは、軽率なイメージや、性急に成果を求める余りの誤った練習方法にも相当しそうな印象を受けます。。。
>>11
力士に相撲や力比べで、必ずしも対抗する必要は無いかも判りません。。
フィジカルで包み込まれる相手に、双差しや四つに組まれて逆転する手法の、有りや無しやにでしたら興味が有ります。 いやー、なんかよく言われる力なき正義に意味はあるのかみたいな話を >>15
ペッドボトルはディスアームしやすすぎて参考にならん 力が必要ないと思われてる合気道にしたって
塩田剛三は木村政彦と腕相撲で勝ったり負けたりの剛腕、
本人自身が「俺は力で人に負けたことはない」と言ってたというし
佐川幸義氏にしても腕立て伏せをものすごい回数やってたというし
俺は柔道経験しかないけど理にかなった形で技がかかるときはまさに
楽々という感じで技がかかるのを実感した
だけどそれは相手に当たり負けしない、押し負けしないレベルの体力が
ないとできない
と思う 武道は勝つことが目的じゃなくて
生き残ることが目的
戦わないといけないときは武器使うし
複数に襲われたら、逃げる体力残さないとやばい
一対一で素手で急所攻撃もなしなスポーツルールなら、力あるほうが有利 >>25
むしろ何でもしないといけない実戦の方が基本的体力の必要性は増すのでは。
人間だけ相手にしてれば良いわけじゃないし。 >>26
体力は多いほど有利、男に女子供が勝てないのは体力の差があるから
では同じくらいの体力同士では?
なら出力の出し方が上手いほうが強い
少ない力で最大の効果を
それが力を抜くということ >>26
体力(スタミナ)は重要だよ
最も重要と言っていい
例えばイギリスのSASでも、優れた隊員としての資質で最も重要視しているのはスタミナで、はっきりいって体躯の立派さやストレングスの強さとかはどうでもいいって感じ 結局、叙述トリックってことね
力は必要なのにあえて力を抜くという言語表現を使ってるだけ >>30
違うよ?
何のために細かく説明したり、 さすがの中国武術では言葉そのものを分けて「勁」と「拙力」みたいに表現してるか考えてみろよ
明確に別のものとして扱う必要があるからだよ
別のものとして扱うってことは使い方その他も違うからだ
日本にしても「力はいらない」っていう表現で、「じゃあ筋肉いらないじゃん! 力完全になくしたら立ってられない!物も一ミリも押せない! 」とか
極論に振れてギャーギャー騒ぐのは、そっちのほうが只の馬鹿でしょw
最低限の常識が無い >>31
例えば柔道とかレスリングとか、めちゃめちゃ合理的に力を使ってるよね。
あれを力比べとか言っちゃう人が居るから極論になる。 必要以上の力、とか無駄な力とかじゃないんだよ
だから叙述トリック〜とか言ってるのは何もわかってない只の馬鹿
例えば、「腕をおしつけ相手を押す」という至極単純な例で説明すると
「腕の筋肉の収縮力をつかって押す」のと「腕は力の動力線なだけで、実質押すのに使われている力(F)は体全体の荷重移動」
では明確に「違う」だろ? 武術ではこういう場合後者のような「力の使い方」をする
叙述トリックとか言ってる奴は、前者でしかものを見れていないから間違ってるんだよ
「腕の筋肉の収縮力をつかって押すけど、必要以上に筋肉を使わないっていみだろ?」みたいな勘違いをしている 結局、力は必要ないの?必要あるの?
力は必要なら終了だろ
やっぱり力は必要ないって言いたいならまず自分が肩の力を抜けよw
2ちゃんねるで無駄な力を使い過ぎだろw >>35
後者の限界についてはどう思ってるのかな。
実際に相手も動いたりしてる場合はそれだけのFでは不十分な事も多発するよね。 王宗岳の論曰く、
「無過不及、隨曲就伸。人剛我柔謂之「走」、我順人背謂之「黏」。動急則急應、動緩則緩隨。雖變化萬端、而理唯一貫。由着熟而漸悟?勁、由?勁而階及神明。然非用力之久、不能豁然貫通焉!」
(意訳:”敵と絶対に力比べするな!、 一瞬ぶつかるように見せて身体を展開させて相手の側面、背後を襲え!”)
「斯技旁門甚多、雖勢有區別、概不外壯欺弱、慢譲快耳!有力打無力、手慢譲手快、是皆先天自然之能、非關學力而有為也!察「四兩撥千斤」之句、顯非力勝、觀耄耋能禦衆之形、快何能為?」
(力と速さで勝とうとしている所が多いが、そんなのは何の知恵も持たない野生のものだ そのような稚拙な力を使わずに巨漢を倒せる技を察せよ!
私はできるぞ!? 皆は知らないだけだ! ) >>37
不十分である場合はそれは理屈を体現できていないだけ
38で紹介したが、”ぶつからない”(ぶつかってはいけない)のだから
君がいう”不十分な場合”を無くすための理合なんだよ 力の比べあいをしない為の理合ってのは合気系だったり内家系では特に研究されてきた
”接触面を不動にして、他を動かす”という基本もその一つ
手首を掴まれたとしても肘や肩、股関節その他はフリーなのだからそこを動かして身体全体を通して連動させろ、とかね
接触面を不動にしていれば(力を入れなければ!)相手は無意識反射が出来ずに必ず”一歩”(0.5秒とよく言われる)反応が遅れる、という科学的事実
力の発生どころがつかめなけらば連動させてきた力の移動に対抗できない…
これらが具体的な力を使わない技術の一例 言い方が悪かったかな。
防御の技術というのは、いわば相手の技術を潰す技術だ。
よほど技量が上でなければ常に技を成功させることは出来ないと思うんだけど、どうかな。 >>41
> よほど技量が上でなければ常に技を成功させることは出来ないと思うんだけど、どうかな。
そんなの当たり前だろ
少なくとも同じ理合で戦ったのなら技量が上のほうが勝つ
理合がまったく違ったとしても、仮に客観的に見て理論が上のほうでもその人の体現力が低ければ、そして結果的に相手を上回ることができなければ技は成功しないし負けるだろ
それは単純に論理の問題だ 力の使い方の話に逃げてはあかんよ
力がなければ使いようがない
力あっての技だからな
力の否定は無意味な論争よ >>43
で、技の成功失敗って1か0かでは無いと思う。
防御する側も当然100%無効化するのは難しい訳で。
そういう時、技の成功まで届かない差分を前者の力等で補うって発想にはならない?
もちろん技の練習では避けるべきだけど。 >>45
> そういう時、技の成功まで届かない差分を前者の力等で補うって発想にはならない?
> もちろん技の練習では避けるべきだけど。
ならない
てか、なってはいけない
当たり前でしょ、 理想としている理合で「駄目」って言われてるもので補うとかありえんわ
それじゃいつまでたっても何にもならん >>46
うーん…
技術のかけあいについて、筋力等の要素がプラスに働く事は無いと考えてる?
ライト級の格闘家がヘビー級に勝つのが難しいのは純粋に技術が劣るからと思う? 自動車にしても自転車にしても動かすには動力が必要だろ。
人が何かをする際には必ず力が必要なんだよ。
効率云々はその後の話。 その動力に筋力を使うのではなく
重力を使うのが武道
正確には重力により体重を使う 力は体に入れては駄目(力む状態)
体の外に出して効果でる(打撃-力-とか)
出した状態を力を抜く、と表現している
でも元々の力がないなら、出せる力もしれてるから、力もいる(体力) >>47
貴方は根本的に思い違いをしているんだよ
あのね? どちらが絶対に敵に良い・悪い、かの話じゃないんだよ
「力が要らない」という理合をもってしているところは、それを理想にしているというだけ
そういう所に、筋力使うこともあって良くない?なんて聞いても意味が無い
そんなの聞かれても、「良いとは思わない、我々はそういう理合をつくり、その境地に至るように努力している」というだけ >>53
俺も善悪つけられるとは思ってないよ。
ただ勝負における体力の重要性をどの程度と見てるのかと思って。
その感じだと、相手がどんなに屈強でも、負けたのなら自分の技量が及ばなかっただけの事で、あえて体を鍛える事はしないかな?
それはそれで凄い覚悟だと思う。 相手の力を利用するのが至高
柔道もかつてはそうだった
押さば引け 引かば押せ
円の境地に達すれば
押さば回れ 引かば回れ
体の小さいものも相手の隙を狙いじっくりと責めることができた
ところがスポーツ化されて世界のJUDOになった結果
とにもかくにも責めたてないと反則を食らうルールに改悪されていった
今や人間のやる動物同士の決闘になり下がった
相手の虚を突く その一瞬の好機を逃さず耐える
この武術、武道としての輝きを奪われてしまった
ルール改悪は今でも続き足取りすらも反則に
オリンピックは要らない はいはーい
好機を狙って??
体が小さい者が大きい人倒すには、その大きい人が出した力を利用しなければ寧ろ大変ですよ。 相手の力の利用〜ってのは実際にはちょっと非現実的だと思うけど 全然www
簡単な例上げると、相撲とかでも相手にぶつかると思わせてかわし手を着かせる物。
合気道の殆どの技は相手の力の利用ですし。
先ず重要なのが、読みです。利用するったって力の質とか方向とか、その力の性質が瞬時に把握できなければ利用は叶わない。
合気の基本は、相手や自分の区別なく、その場に在る力の利用。
相手が力(力点)なら自分がそれを使う(支点)って事。 力は基本的に必要だよ。合気はあれは全く違う世界で別のもの。 >>60
合気道って柔道みたいに何らかの仕掛けでこちらから崩しに入ることって無いの?
相手のミスを待つだけ? >>17
たとえば柔道に払腰という技があります。
同側の前襟を持ち、体を反らし受を胸に着け、乗せる技です。
打ち込みもこのかたちに行うわけですが、「何としても受を引きつけたい」、そう逸ってしまったら、
途端奥に手が伸び、打ち込みも体の反りを作る事なく、ガチガチに自体を固定するほうへ向かいます。
これでも結果が出せなくはない、むしろ体が固まるとこれを選んだほうが良く、
しかし固めるぶんの、その意味で無駄な出力が強いられ、これが即ちチカラと、定義しうるでしょう。
払腰を基準にすると、前襟体反らしは十代前半、奥襟は十代後半からほぼ皆と、かなりわかりやすく塗り分けられます。
十代なかばが、人がチカラに変わる転換点なのかも知れません。 × ガチガチに自体を固定する
○ ガチガチに自他を固定する どっかのスレで肉体労働者が書いてたけど
腕なんて細くても関係ない
背筋と脚の筋肉があれば良いと書いてたのが結論 力がいるかいらないか、なら、いる
力を入れるか入れないか、なら、いれない
力いらない✖
力をいれない○ >>63
NHKのミラクルボディで柔道やってた時、原沢の内股を分析してた。
筋肉の稼働部位を可視化できる装置で見ると、上半身の筋肉は殆ど使われていなかった。
特に重量級はでかいから腕力で投げてる様に見えがちだけど、実際はそうではない。
あなたも見た目だけで判断してるかもよ。 >>69-70
羽賀さんは動画を見ても事実前襟でされているし、人格者でもあります。
その人格が力みの無さに繋がっているのでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=pjFOPMKq2yQ
―――ただ、その科学分析って、「投げ込みで」だよね・・・・?
いや勿論投げ込みでさえ、奥襟でやる人が多いのは事実です。
投げ込みだけでも、↑のようにやるのは素晴らしい。
でもそれを乱取で同じように出来るかと言うと、難しかろうというのが、ここでの話なわけです。
重量級とは幾らでも乱取経験があるし、羽賀さんの試合動画を見ても、それは明らか。
実戦で力まないのが主旨なので。 http://m.pandora.tv/?c=view&ch_userid=monako5&prgid=54021327
ほい。前襟掴んでるように見える? >>62
有るよ。相手の力を利用=相手のミスではないけどね。
そもそも、力って入れる物では無いんだよ。
例えば、力を入れて腕をてか肘を曲げるとする。でも肘を曲げるだけと考えたら力何て入れないでしょ?それ。
合気の場合、常に力は理に準ずるから力は要らないって考えだね。
だからただ歩くだけ、体を動かすだけそれも力要るじゃん何てバカな話なら確かに力は要るってなるねwww 説明が難しいんだけど、力を入れるってなると其処には無駄が出来るんだよね、力の無駄。
力を入れて歩くとして、其処には力の無駄が有る。
力を入れて…ではなく、何々をするなんだよね。 この説明やこの手の話は益多 肇さんが詳しいですけどね。 >>75
ありがと。
その肘を曲げるだけ、の時に、基礎的な筋力が高い方がより大きな効果が期待できるって発想にはならないのかな?
一般的な体格の人がやるのと、鍛え抜かれたヘビー級格闘家がやるのとでは効果は違わない?
相手が普通人と格闘家の場合でも同じ。
いくら体を鍛えても、発揮できる効果は違わないと考えるのかな? >>78
> その肘を曲げるだけ、の時に、基礎的な筋力が高い方がより大きな効果が期待できるって発想にはならないのかな?
こいつ理解できてねーなw
> 一般的な体格の人がやるのと、鍛え抜かれたヘビー級格闘家がやるのとでは効果は違わない?
違わないような物理現象を使ってるんだよ >>79
うん。今一理解できてない。
仮に50sの人と100sの人が全く同程度の技量だった場合、互角の勝負になる? >>80
なる
双方ともに理想の術理の体現に到達していれば、の話だがね
そしてその場合は針ヶ谷夕雲の言う所の”相抜け”というものになる >>80
ならない、もちろん100のほうが強い
例えば走る競技で全く同じフォームだとしても
身長150と180の人なら後者のほうが速い 筋肉モリモリの倉本先生も技を使う時は
力が邪魔になるってよ。
もちろん、あくまでも無駄な力ね。 筋肉がモリモリだと筋肉に頼ってしまう
そうするとその箇所の筋肉だけの力だけしか使えない(力を入れるとその箇所で力が止まる) 力を入れないで全身の力を使うほうが1箇所の力より遥かに強い力になる
そして、そういう使い方をしてると無駄な筋肉が落ちていく >>81
その水準に達するまでは、体格差、体力差は影響するって事だよね。
現代だから別に戦わなくても生きていけるけど、そうはいかなかった時代もあるよね。
過程として、技量が低い時代に体力を鍛えるのも否定されるべき? >>88
> 過程として、技量が低い時代に体力を鍛えるのも否定されるべき?
当たり前だろう?
過程の時こそ”間違ったこと”をやらないように気を付けるべきなのは自明だ
間違った癖をつけるようなマネしてどうすると? 馬鹿なのか? 体力はつけよう
明日戦争が始まったとして技より体力の場面だからな >>89
なるほど
お前が理論倒れのバカなのはよく伝わる ましゃーないな、所詮塩田さんの動画もインチキ呼ばわりする次元の人に理解求めても無駄って事でしょう。 >>35
>「腕の筋肉の収縮力をつかって押す」のと「腕は力の動力線なだけで、実質押すのに使われている力(F)は体全体の荷重移動」
それこそ叙述トリックじゃん
前者だって体全体の荷重移動使わなきゃ何も押せやしないし、後者も腕の筋肉の収縮力使ってるんだから >>82
それは理想論。もっと言えば机上の空論。
良く漫画で有るよなー、小さい虫が人サイズだと…って。
何も解って居ない、150が180になっても同じく動けると考えるその浅はかさ。
あのね物事には適性が有る様に、物質にも適度ってもんが有る。
長くなるなー…言っても解らんだろうから取り敢えず説明無しで。
ヒント言うと、お前の考えなら世界一背が高い人に速い人のフォーム教えて走らせれば誰も勝てないって事になる。
適度を超えた時点でそれは負担でしかない。
体重50の人と100の人ってお前の一番バカな所、全く同じ姿勢同じ攻撃同じ身の熟しと勘違いして居る。
その体重にはその体重に適切な姿勢に動きが有る。
腕の長さで考えてみろ、同じく突き打って同じ結果になるのか?
長い方が当たるとか喰い込むとか結果に違いが出る、んな常識も無いのか?
違いが有るのに同じくなる(勝負が着かない)って事は、同じ事をしてないって解るんだがな、普通なら。
軽いには軽い利点が有り、重いには重い利点がある。 合気道:フラフープを使って「力が要らない」を実感する
https://www.youtube.com/watch?v=XxivsA4XnCg&index=1&list=PLwKB2SM_aN3gZ6EML-iS302CY1TaKtRMm >>60実際には力士のが
ほとんどの利他信徒よか
やらかい力の運用を心えているわけで。 >>94
それぞれに利点があるってのはそうだろうけど、それは互角とは違うでしょ?
全く同じ動きをしたらって事じゃなくて、同程度の技量って事で。
体重による階級制がある全ての格闘技は技術が無さすぎてそうなるって主張なの? >>89
理想の術理に到達する前の修業段階ではどの程度の体格差なら覆す事ができるのかな。
それとも、そもそも体格差なんてそれぞれの利点があるから覆すという概念すら無いものなのかな。 >>98
いや物に依って体重に左右されるスポーツが多いって事。それは体重が有ったり、大きい方若しくは小さい方が有利になる。
そう言った物が無い実践的な場では、各々の特性を生かせるから大概勝ったり負けたり。
ごめんちとうんこ ただいま!!
そのレベルに足を少しでも踏み入れて居ないと理解出来ないかも知れないが、例えば蜂との対峙。
そんな虫に『飛んではダメ、毒針もダメ、正々堂々(?ではないのだがw)殴り合って下さい』なんて設定で遣り合って何になるのか。
蜂は蜂なりに軽さを生かして飛び、大きい者にも屈せぬ様毒針(技)を手に入れた。
だから、単純動作つまり拳を突きだすとか蹴るとかそう言った動作は磨かずとも出来る物。
それ故、技術の無い者同士なら先ず体格差に屈する。極端に言えば、幼稚園児と大人とか横綱。
蜂の毒針やハブの毒とかそれ程に練らなければ中々遣り合える次元には達しないのが真実だね。
まぁ実際の話なら可能性は有るが。だってそんな大の大人が幼稚園児に武器処か本気も出さんだろうが、園児の方は毒を用意するかもしれん。
は?例えになって無いwwと思ったそこの君、武術を解って居ない。
幼稚園児に対し相手の大人や力士が”自身の絶対的有利に油断する”と言う園児の最大の武器を使わずして何が武術か。
だから、極論大きさに有利性が有るのはスポーツや制限を設けた物って事になる。
ちと難しい話かな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています