新陰流総合【ワッチョイ】 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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変な政治レスに荒らされたので新しく立てました。
前スレ
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/budou/1455535036/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 本は図書館にあったんで借りて来ただけだし。
このスレ読んでも大体は把握できる。
「あそこは嘘ついてる」「偽物の演武だ」「うちが本物だ」って
どうも、おもうにはM会の人がののしってる印象。
>>481>>43
でも、その本物うんぬん言ってるM会の人のもこの系統なんでしょ?
子供の喧嘩の
https://www.youtube.com/watch?v=0gZCrOCmzXc#t=13m17s
>>307の話がどこまで本当かは知らないけど
まず、「まずいラーメン屋があった」からでないと話が合わない。
自分は特にどのグループにも肩入れしないし。正直、型に興味がない。
というか、一番、食い違いの無い公式設定に準拠しても。
厳周以前は正しい教えが伝わってて、
厳周は伝承者の一人にすぎない。
皆、まるで、なにかの創始者みたいに持ち上げてるけどさ。 形に興味が無くて、あれが子供の喧嘩にしか見えないのなら、一生新陰流を理解できないな。 正直、あれに関してはわからなくてもいいかなぁ……って。
個人的に合理主義ばかり求めるのは好きじゃないけど
さすがにあまりに隙だらけなのを
合理的だと解釈するのも、それはそれでいただけない。
う〜ん、ほかに今朝ちょっと意見やらをPNGに書いてたんだけど
どこに保存したかわからなくなってしまった。
あるいは、保存し忘れて消しちゃったか……?
書き直すと時間かかるんで、げんなりなんだな。 上の方で書かれているけど、厳周伝と宣伝している所は、柳生厳周師から奥義之太刀とか教わっていないから。
あと、隙がありまくりと思うのは、キミが実際には稽古をしていないからだし。
その場に立ってキミが打太刀やって、反撃できるかなぁ…
オレにはできないな。脳内妄想ならできるが。 >>517
ののしってるのはM会の人じゃなくて、元はM会にいたけど出てった人たちのところの人だと思うよ。
それとM会はその動画の時期の厳長先生の創作には否定的だよ。
あと伝書は、同じ型のことでも伝書によって書いてある内容が違うことはたくさんあるよ。 >>517
ラーメン屋の話は本当だよ。
で、美味いラーメン屋だったし。
美味いラーメン屋で修行したと騙るラーメン屋が、評判を落としているから、食べた事の無い人まで元のラーメン屋を不味かったのでは?と言い出す。
ラーメンに対してどういうスタンスなのかは、人それぞれだろうけど、美味いラーメンを作りたいという志がある人は、レシピだけを手に入れても、またそのレシピだけを研究しても無理な事はよく知ってる。
実際に美味いラーメン屋に行ってみないと、始まらない。
そういうラーメン屋に実際人(玄人連中)は集まっている。 >>521
>その場に立ってキミが打太刀やって、反撃できるかなぁ…
そりゃ、打太刀ならねぇ……。打太刀って、反撃していいもんなの?
https://www.youtube.com/watch?v=0gZCrOCmzXc#t=13m17s
こんなピョンピョンしてちゃ、軽く蹴っても倒れてしまいそうだし。
https://www.youtube.com/watch?v=0gZCrOCmzXc#t=14m30s
こっちも、てんでヘナチョコな太刀筋だよ。
と言うか、刃が小手や肘や脇腹や足に
たびたび当たってるのに、それで減点される訳でも無く、
ただ一生懸命にペチペチ当て合ってるだけなんだから
良いも悪いも評価できるものじゃない。
美しさを競うもんですらないから、本当に
ただ、説明できない、ナニカと言うしかない。
あえて例えるなら、真剣な顔してやるコントかな?
>>234
>昔の技術に現代剣道の概念を入れてはいけないサ。
>鍔迫り合いとか新陰流はしない。
鍔迫り合いはしないんじゃなくて、起きるもんだろう。
刀身を伝って鍔まで敵の刃が降りてくる訳だ。
そのためのガードに鍔って言うパーツがある。
起こらないなら、鍔そのものが要らなくなる。
演武で鍔迫り合いをやらないとしたら、
単に演武でオミットされてるだけ。 >>524
剣道見ればわかるけど、つばぜり合いは絡んだままガチャガチャやることで、あなたの言ってるのはつばぜり合いじゃないよ。 >>525
実はあのガチャガチャは剣道では「不正な鍔迫り合い」とされていて、あんまりガチャガチャするのはよろしくないとされている。
本来は木刀稽古法の引き技みたいなのが剣道の想定する鍔迫り合いだろう。 >>524
新陰流の場合、打太刀の反撃は良くあるヨ。
使太刀が固まっていたりすると、打太刀は容赦なく打ってくる。
約束された手順を繰り返すだけで、修行は終わったりしない。
たまに形ではなく試合形式の稽古することもあって、メチャ面白いゼ。
新陰流には色々な技があるからネ。
厳長師の映像で披露されてる試合勢法や天狗抄は、鍛錬形なので一応。
子供の喧嘩の様にしているのは、制剛流抜刀術の技をモディファイしたものだし、花車のピョンピョンは不安定な状態でも下半身で敵を抑える訓練。本伝では跳ばない。
個人的にはあの映像、大勢の人にわかりやすく簡単に、オーバーに演じてる感ある。 で、新陰流で鍔迫り合いをしないというのは、その状態になる前に相手の刀をもぎ取ってしまうから。 新陰流の人が実際斬り合う時は、相手をよーく観察して、試して動かして楽〜に勝とうとする(笑)。
一見ヘナチョコで蹴りを入れたら、裏から肩甲骨辺りにくらうかもしれないから、注意しよう。 合し打ちはそれ自体実際の戦闘には使わない。
映像の様に相討ちになるのでは、意味が無い。
けれども、「柳生厳長の映像」として残っているので、この合し打ちを新陰流の極意として勘違いしている所もあるネ。 個人研究くんはここで皆の再三同じこと言ってるのさえ理解できないのに伝書はちゃんと読めてるのか?
「厳周からちゃんと教わってないのに厳周伝だと騙ってる奴がやってる型を見て『厳周はウソの新陰流を伝えてる』って判断してるおかしさが理解できるか」ってみんな言ってるんだぞ 書き込み見てると、M会から出てった人に教わってる内容がM会のやってることそのままなわけではないだろうってのも肝心なポイントだな。
そういう人たちは解ってる気になってしまってお山の大将みたいになりたがって出ていくわけだし。 >>532
「皆伝」の人でも全ては習っていないのですか?
「皆伝(全て伝えた)」なのに…。 >>533
型を全て伝えられてても、技量や理解度は人それぞれだよね。そうすると時には型だっておかしくなっていったりもする。 >>533
あとは「記憶」も。型がたくさんあるから、記憶が曖昧。
そこで文章に頼った時、その人が根本的なことや本質を解っていない場合、おかしなものになる。 皆伝を貰うという事は通常、流儀の技術を全て網羅しているということだろう。
自分の師匠は「皆伝者にもランクがある」と、言うけれども正しくその通りだと思う。
皆伝者の中でも、口伝や砕きに対する知識などには差がある。
しかし、伝わっている術技を自分なりに解釈し、変更する事は無いと思う。
技術を変更もしくは創作するなら、別の流儀を名乗らなければならない。
そういう事は、皆伝を受けるくらいの人は理解していると信じたいが… でもそれを言っちゃうと、歴代全ての宗家および現代の相伝家にも
同じ事が言えるようになるから、やっぱり公平なんだよな
もし大本が解釈変えていたらどうするのよ って話だから
事実、現今伝わってる新陰流って、伊勢守時代のそのままじゃないでしょ 尾張柳生の場合、代々の宗家は結構いじっているみたい。
けれども、「元々の遣い方はこう」も残してはいる。それは一応上泉伊勢守の遣い方とされている。
新旧を並行して伝えているね。
過去の宗家や補佐家も、今の自分らの遣い方とそれまでに伝えられている、昔の遣い方を比べて検証しているしね。
確かに改良されてそれだけを伝えられたら、始祖を否定する事になり、おかしな事になるけど新陰流の場合は違うみたい。
この事は変てこりんな伝承が多い現代、自分が新陰流を選んだ理由の一つだけど。 連也のちょっと後にはもう開祖やらの使い方がよく分からなくなってたみたいだけどな。
たしか文献からの復元を行ってたよね? >>536
ランク付けをするわけじゃなくても、実質的に実力その他違いはあって当然だよね。
一番大切なのは、自分に皆伝を出してくれた師匠の教えをあからさまに否定するような人の言うことは信用できないってことだよ。
自分は師匠と同格もしくは師匠より上だと思ってるってことだから。そのくせ自分の権威づけのためには師匠から聞いた話などを用いていかにも自分は色々知ってます的にふるまうわけだし。 自分に教えてくれた人を越すなんて、できるのかな?
試合も無い稽古の中で。闘う事の無い現代で。
どの部分を越したと思うのだろう。
どの段階で越したと確信したのだろう。
「お前はもうオレを越えた。」と、言われた訳でも無いのに… 円満退会して、同流別会派を立ち上げたい人って結局、自分が一番になりたい人だよね。
剣術とは別の何かを会派に求めてる人だよね。
剣術だけやりたいのなら、退会する必要なんて無いもの。
ま、そういう人はどの世界にもいるけど…
普通に恩知らずだと思う。 >542
あそこの会に円満退会して別会派作った人っているの?
宗主様の著書ではそういう人はすべて破門した人のようなことが
書いてあったような覚えだが、本の出版後に会を出た人達も
結局破門された人達じゃないの? >>538
それだと単純に後の世代ほど覚える事が増えていきそうだし
改編前のものを元のクオリティ維持しながら伝えるの無理じゃなね それは厳長師までの代々の柳生家の当主達に失礼。
ちゃんと伝わっているかどうかは、やってる人にしかわからない。 やってる当人も二代以上前になるとちゃんと伝わってるかわからんよね 「ちゃんと伝わっている」と教えられながら、「本当は伝わってないんじゃね?」と、思いながら教わり続ける人はいないでしょ(笑)。
個人がその流儀の伝承を信じられるか否かは、伝承の正確性とは全く違う問題。 >>549
江戸も尾張も三学とかは同じことやってたのだから、研究なんかしなかったのでは?
この論文て、江戸と尾張が違う事してた前提の様だけど…
どこからそんな話出たのかな。 >>550
アブストだけだと何ともだけど
宗冬の時代に成立したという五巻書の文章がそのまま載ってる??明らかに五巻書を読んでる
となるのはまあ自然な流れだと思う あと陰流書を書いたのが秘伝の書を開封しないとならないくらい術伝に疎くなってた時代の厳春だから
その時代にはもう江戸尾張分離前の三学等々はそのままは伝わってなかったんじゃないの 厳春師が開封したのは、詳細な口伝メモ。
カタ等は問題なく伝わっていた。
江戸柳生の方が疎くなっていたので、将軍に新陰流を見せたいと尾張から連也が呼び出されている。 >>553
解釈が高弟たちの間でもてんでバラバラで、困ってたから開封したんじゃなかったっけ? 柳生厳長師の著書では、柳生厳春師が紐解いたのは「口伝」と書いてあるね。 >>553
家光自身子供の頃から宗矩に学んでるのだから,そういう理由で呼んだとは考えづらい
むしろ兵庫が変えた直立の構えや厳包が取り入れた合撃といった
尾張独自の技法を見たかったとした方が説明がつく >>550
厳春が連也が残した兵庫や宗厳の言葉と並行して宗冬の代に成立した五巻書の言を並べているということは
連也と宗冬の見解は一致しているという事なので
むしろこの論文の著者は初期の江戸と尾張の教えは一致してる(もしくは共通部分が多い)という主張だろう 家光上覧の時の次第は記録に残ってたと思うけど、 確か二日に渡って連也と利方は
呼ばれて、小転を何度も要求されていた事が解ってるね (例の血痕のくだりに繋がる)
尾張柳生の小転とその変化は、経験者である家光にとっても興味深かったようで・・ 宗冬の指砕いた話って厳長さんの系統以外の団体ではどういう扱いになってるの? >>564
キミの解説と古文の説明は合致しないよ。
なぜなら、キミの想像は素肌剣法。
古文は甲冑剣法を説明している。
甲冑着ている人はアニメの様にスパスパ斬れないから、ネット上で見られるなんちゃって新陰流とは、全然違う遣い方をするんだ。
例えば、長短一味はその言葉通りのナルホドな術なんだけど、キミの解説では何が長短なのかさえわからないでしょう? そもそも、5つの技名は禅語からの借用なんだから
多少、意味をあわせようとはしても
それほど一致してなくても不思議はない
それは天狗抄の天狗名が
特に技の内容と対応してないのと同じ
甲冑での剣術ってのが自分にはイメージできないが
雑兵物語なんかみるに、現実味ない感じがするな
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24331.png しかし、かりに甲冑剣術だとしたら
火乱房の小太刀を手裏剣にするって前提は
何のためにあるのかと?
それこそ甲冑に手裏剣は効かないんじゃないかと 需要があると勘違いして居座るからGIF考察君のことはもう無視しなよ
新陰流は正しく継承されてないって前提で書物だけを頼りに個人研究してる人だから、その発表会に私たちが注釈を加えてもまともに取り合ってくれちゃいない >>566
違うよ。
先に禅語があってその雰囲気の技を考えたのでは無いから。
技名と技の内容は合致しているよ。
新陰流が発生した時期に、武士達がどの様な兵法を目指していたのかを考えれば、素肌剣法は無いと思うけど。
こんな事教えるとキミの研究、一からやり直しになっちゃうかもだけど、長短一味の長短は自分の得物の長さの事だよ。
どういう事なのか考えてみてね。 >>569
>新陰流が発生した時期に、武士達がどの様な兵法を目指していたのかを考えれば、素肌剣法は無いと思うけど。
根拠は無くて想像って事? その人の想像かって…
日本の学校の義務教育では、その頃は戦国時代で鎧着て戦ってる絵とか見て、勉強するけどな。
同時期に発生している流派も、どこも甲冑剣法なのでは? 取り敢えず武道は一方通行でダメなので
GIFさん オフしましょう
交流会してお互いの考察を技術交換しながら検証するのが良いです >>571
例えば戦国時代の伝書に載ってる技に甲冑着けてる箇所を狙う技はないとか
戦国時代の兵法者が書いた伝書に剣術は普段着の相手は想定してないという言葉が残ってるとかの根拠を示せるならともかく
甲冑着て戦ってた絵を見たって言われてもそれがなんの根拠になってるのかよくわからんな
>567さんが甲冑着た相手に使えなさそうな技挙げてるけどそこに反論はないの? >>573
実際に当時の技術として伝わっているモノが、甲冑用だからとしか言い様が無いな。
理合も技法も納得できるから、説得力がある。
知らない人に説明するのは困難だけど。
あと、やればわかるけど、甲冑剣法は素肌が相手でも何ら問題なくつかえる。
それから、567さんの所は僕等の所とは遣い方が違うし、その意味もわからないのでコメントはできない。
全然違う技を例に出して、甲冑剣法では無いと言われても…という感じ。
本物の天狗抄本伝はガチな甲冑剣法だよ。 >>574
あなたのところだと
柳生石舟斎が残した「謀りと矢留め甲置く長具足多勢に無勢兵法のほか」って句はどう解釈してるの?
一般的には「策にはまった時、敵が飛び道具、鋼鉄の鎧、長もの、多勢に無勢では、剣では無理」という意味で捉えられてる事が多いみたいだねど 伊勢守は天狗抄については、石舟斎と宝蔵院ともう一人くらいにしか伝えてない。
柳生に伝わったものも石舟斎の時点で、最晩年に名称等を変更している。
技の名称が変わった火乱房と同じ技で、柳生の技では二刀を遣うのは打太刀すなわち敵。
尾張では打太刀もするので二刀も遣うが、火乱房はここでは基本的には対二刀の対処法。
口伝では対処した後、仕留める所まである。トドメ方は対甲冑で間違いない。 因みに石舟斎は柳生宗矩には伝えなかったようなので、江戸柳生には天狗抄は無い。
が、三厳は何故か知っていたという話。こういう話イイね。 >>578
宗矩が書いた型目録は元和四年に鍋嶋元茂に与えたものと兵法家伝書(進履橋)の二つしか現存してないが
二つとも天狗抄はある 率直な感想として伝承が、
「尾張柳生すごい! 江戸柳生は2流」
……みたいな印象なんだよね。
根底にルサンチマン的な物を感じると言うか。
「そのうえ、居合いまでありますよ」とか
売り込みたい感もすごいあると言うか。
……こう、骨法的なものを感じる。
ともかく歴史があって、
その他も充実してるスゴイスゴイ流派。
甲冑剣術……
あれから考えるに足先でも狙うのかな?
よろわれてない、つらぬきを刺し貫くとか? >>579
宗矩の伝書に残っているのは、天狗抄ではなく奥義の太刀。
六ツノ切合は奥義の太刀の事。添截乱截があるし。 宝山寺の宗厳の目録に注釈書いた人、宗矩の弟子なんですが。天狗抄の技を解説できるひとが天狗抄を習ってないわけないでしょ 天狗抄を知らない人が注釈つけたから、間違った認識が書かれているんでしょ。
尾張柳生の目録には口伝が付くのだから、注釈は必要無いし。
当時、石舟斎の目録に尾張の人が宗矩の弟子に、注釈を頼むとかあるかな? >>581
それは宗矩の「見之巻」には
天狗抄は型名だけで太刀名が書いておらず
逆に奥義の太刀は型名がなく太刀名だけ書いてるから混同してるんだと思う
ちなみに宗厳の目録も同様に奥義の太刀という名前は明記してない
一枚目の画像が宗厳の二枚目が宗矩が書いた目録に記された太刀名と型名の一覧表
https://i.imgur.com/A0UH7Kv.jpg
https://i.imgur.com/M0bVlBy.jpg 宝山寺にある天狗抄の絵目録は、石舟斎が上の人が言ってる「もう一人」にあげたモノでは?
もらった時点では絵だけだった筈。口伝で足りているから。しかもその人、宗矩ではなく石舟斎の弟子ですよね。
後に竹田七郎の子らが、注釈をつけてもらいたくて、天狗抄を知る人を探したが誰もいなくて、断りきれなかった旗本に無理矢理書いてもらった説が有力だと。
宗矩には天狗抄は伝わっていないのだから、江戸柳生の人はそりゃ皆断りそうです。 >>578
宗矩は天狗抄を知らなくて十兵衛は知ってたという話は月之抄や武蔵野にそう判断する記述があったの? >>584
2枚目の天狗抄の技名は、石舟斎が晩年に技名
を変更した後のモノですよね。
う〜ん…宗矩の伝書に?…
現在尾張に伝わる天狗抄の技名と合致します。
と、言うことは…
家に帰ったら、資料見てみます。 >>587
ごめん説明が分かりにくかったかも
一枚目の画像の2つの表が宗厳の目録
表の1-5(1596年) 天狗抄は太刀名がなく、奥義の太刀は型名がない
表の1-6(1602年) 天狗抄に具体的な太刀名が記され、奥義の太刀は型名がない
二枚目の画像の2つの表は宗矩の目録
表の1-7(1618年)天狗抄は太刀名がなく、奥義の太刀は型名がない
表の1-8(1632年以降)天狗抄に具体的な太刀名が記され、奥義の太刀は型名がない(太刀数六と説明だけある)
※ただし1602年の宗厳の目録と1632年以降の宗矩の目録で天狗抄の太刀名は全然違う 伊勢守も石舟斎も免状を誰かにあげる時に、人によって内容を変えてますからね。
現存してる免状にその技が書かれていないから、その人には記載された技しか伝えていないだろうという見解。今迄は。
そうは言っても、尾張柳生の口伝も相当重みがあると思いますので、難しい所。 確かに相手によってここまでしか教えないという事もあるけど
宗矩が晩年に発行した目録では奥義の太刀の構成を宗厳のものと変えたように
教える側も教わった側も技を変える事があるのが難しい
江戸柳生の資料は江戸で保管してた分は江戸時代の大火と空襲でかなり焼失したから、はっきりとした事がわかる事は永久にないでしょう多分 >>585
その旗本が宗矩の弟子だよ。
宗矩が天狗抄を知らないなら、なんで小城藩や宗矩や柳生藩のからわかれた系統の覚え書きに天狗抄があるの? http://up2.cache.kouploader.jp/koups24374.jpg
奥義の太刀だのを
秘伝しても仕方ないんじゃないかと。
そもそも、このスレでも「奥義之太刀・奥義の太刀」って
何度も名前があがってるけど、その呼称、どこが出典なの?
>>584見るに、有名な古い書にはついてない様だけど?
まさか、撃剣叢談からじゃないよね?
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24375.png >>592
出典は現在の尾張柳生の人や研究者の本なり論文だと思うけど
現存する尾張柳生の目録で「奥義の太刀」という名前が出てくる一番古いものは長岡房成の刀法録
ちなみに利方の目録では「奥位七之伝」、厳春の目録ではまた名前を秘すようになってる 宗矩に天狗抄が伝わっていないって、柳生厳長師が著書に書いてるよね。
でも、十兵衛や佐野嘉内の著書では、欠伝したのではなく、秘する為に欠いたと表現されていると、うちの師匠(尾張柳生系)は言ってる。
謎だよね。 厳長さんが正伝新陰流書いた後に発見されたり公開された江戸柳生の資料がかなりあるから
現代の人間から見て変なこと言ってるのは仕方がない
十兵衛には長い伝書がないみたいなこと書いてるしおそらく月之抄も読んでない 奥義の太刀も同じ理由で書上では、秘していたのではと。
尾張柳生での稽古上では、奥義の太刀は上泉以前からとなっています。
天狗抄奥、七太刀、奥義之太刀は公開を禁じられています現在でも。
公共の場だけでなく、関係者のみの演武会でも許可されません。 厳長師は親父さんと一緒に、十兵衛杖研究の為江戸柳生家を訪ねて、随分江戸の史料を見ていたらしいです。
月之抄は彼的には短かったのでは(笑)。
色々研究した挙句、あの見解かもしれないので謎なのです。尾張の口伝は貴重ですし。
ま、どっちでもいいけど(笑)。 正確には、”奥義”じゃなくて”奥儀” なんだけどね
” 堅く請段をもって九箇までご指南候、 基の上の儀は真実の人によるべく候 ” >>597
東京の江戸柳生家を訪ねたの?
奈良の柳生の里じゃなくて
興味深い話だけどその情報はどこに載ってたの >>597
つじつまが合わないなら、当時出版されてなかった江戸柳生系の資料はあまり見てないって事でいいんじゃない
月之抄を短いって言うよりはよっぽど合理的かと >>597
上でも一回聞いたけど
>578の天狗抄が宗矩には伝わってなくて十兵衛には伝わってたって話は何から判断したの? >>569
>先に禅語があってその雰囲気の技を考えたのでは無いから。
>技名と技の内容は合致しているよ。
そういえば、何気に意味が分からなかった言葉。
むしろ、先に禅語が有って、
それに技の形を合わせた場合なら、名と技が一致するだろうけど。
先に技があって、禅語を借りて名づけたなら
正確な一致はしないだろう。
(比較的、技に似ている名称を持ってきてるとしても)
やはり、二刀で無いんだろうな
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24396.gif
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24397.gif
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24398.gif >>602
Twitterに二刀流の話するのが大好きな連中が集まってるからTwitterアカウント作って投稿してみたら? う〜ん、Twitterやらないんで
まあいいかな(名無しのが気楽でいい)
剣術スレはあるから、あっちでよさそうだし >>604
Twitterも名無しみたいなものだよ。
残念だなあ、Twitterの連中がどんな感想を持つか気になる。 そもそも、天狗抄の太刀名が内容に対応してないとは思わないけどな
そう感じるのは間違った内容を見たか妄想してるかが原因ではないの? >>602
天心流さんのスレで出してた文献は、どなたの執筆?
自分は尾張柳生系なんだけど、あの資料の発言について、信じられない妄言と感じるんだ。
自分が教わってきた尾張柳生家の認識は、全く違うモノなので…
執筆者が気になる… 厳長先生の著書は、厳長師の弟子でさえ尾張柳生サイコー!に、盛り過ぎじゃね?感持ってる位だからネ。
厳長伝を継承している所は、別に厳長先生マンセーではないし…
敬意はメチャ払うけど…
しかし、あの本の新陰流の技術的な説明は正しいゼ。
甲冑は斬ることができない部分が多い。
だから、斬る事だけが攻撃では無いのよネ。
手首、行くよ。良く行く。
だけど、斬る為ではないヨ。別な攻撃手段だネ。 で、手首を狙って来るのは敵も同じなので、なるべく敵から遠い位置にこちらの手首は置いておきたい。
そして、廻剣の要領でやはりこちらも敵の手首を狙う。初めは。
それが車。 それより気になるのは……
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24403.png
江戸柳生と絶交したせいで
江戸柳生関係者に間違ったことを書かれ、
当時の学者は江戸柳生の資料によってたんで、
江戸時代の尾張柳生の資料は、みな間違っている。
明治まで、うちが門弟に出してた伝書はことごとく返納させてたし。
進上した書物も明治維新以後、厳周・厳長家にお預けとして家蔵し、
資料が外に出ない様にしてたから
明治までの資料も間違った書かれ方をされてる。
そんな訳で、世間じゃ間違った事ばかり書かれてきた。
とくに江戸が正統な新陰流としてるけど、
正しくは、尾張こそ正統な新陰流。
その証拠は、明治まで秘匿してきた、うちにある資料
……って解釈で言いのかな?
正直、すごいうさん臭いものを感じるんだけど……。
しかも江戸時代以来からあった名古屋の道場も
空襲で焼けちゃったんでしょ?
明治年間を通じて、(御流儀の御覧以外の)他藩へは
決して公開しなかった。
つまり、大正だか昭和だかに資料を公開するまで
一般には、ろくに知られてなかったのが尾張柳生なわけ?
厳周の先代の相伝者が徳川慶恕になってるけど、
明治16年に亡くなってる人だから
うがった見方すると関係者が亡くなってから公開したようにも見える。
とりあえず、当人には直接、確認できないよね。 どうでもいいが、著作物のページを丸々コピーして掲載するような事は感心せんな 柳生厳周師も武士だった訳だし、明治維新もあった。
新陰流に限らず、けっこう他の流派も秘匿していたのではないかね。維新までは。
尾張柳生に江戸柳生に対する、新陰流へのライバル心があったのは否めない。
ただ、早々に江戸柳生の新陰流は細くなって、継承者がいなくなってしまったからね。
せめて明治まででも、継承があればまた面白かったのに。
江戸柳生の詳しい資料を発掘してきて、世間に広めた人も厳周師の弟子だったという皮肉。
それまでは厳周厳長親子も、江戸柳生についてはあまり知らなかったのだろう。
江戸と尾張では、進化の過程が違うから最新型は違うのだろうけど、江戸は途中で進化せず絶滅しているから、比較的初期の新陰流に近いのだろうと予想できる。
尾張では初期のカタも伝わっていて、実際に絵目録などと比較してみても納得のできる伝承なので、それをもって江戸も同じだったのではという話。 江戸の資料が間違っているという表現は、例えば絵目録に註釈を書き込んだ人が、その技を知らなかったのに書き込んだとか、そういう事なのではと思われ。 江戸でも尾張でも、伝承が続いていれば互いにリスペクトして共存していただろうに。
でも、江戸は途絶えてしまったから、新陰流を知るには今では尾張しか選択できない。
近代になって、途絶えているのを良い事に、自分達は江戸柳生を知っていると商売する団体が出て来て、なんかなぁと思う。
尾張を継承している所はけっこう秘匿しているから、奇しくも厳長師の著書と一緒の状況(笑)… >>613
>江戸柳生の詳しい資料を発掘してきて、世間に広めた人も厳周師の弟子だったという皮肉。
今村嘉夫でしょ体育学者の
尾張柳生無関係じゃないの その今村さんに近づいたのが、大坪志方という人。柳生厳周の弟子。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています