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世界の甲冑武器術・柔術 [転載禁止]©2ch.net
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0001某研究者
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2015/03/11(水) 15:19:00.50ID:BDsSA2a40
日本や西欧に拘らず
世界で使用された甲冑を装備して行う武器術・柔術に関して
議論や情報提供をして貰いたい訳だが
0260某研究者
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2015/08/09(日) 16:05:10.26ID:g34dd0i70
同程度の長さの槍・薙刀同士の試合で
片側が槍を短く持つか逆に持つ等して
接近戦に持ち込むと言う事は有るのかどうかだが
0262某研究者
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2015/08/13(木) 20:03:26.22ID:hvvOgR7s0
寺川奈津美ちゃんで抜くとしたいが
0263某研究者
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2015/08/14(金) 21:14:35.76ID:nrKRxPxG0
桑子真帆アナで抜いた訳なのだが
0264某研究者
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2015/08/19(水) 15:44:26.30ID:ZTIFxUbq0
数打物の刀に高価な鮫皮等は使われたのかだが
薩摩拵の様に牛革が貼られていた可能性も有るのかだが
目貫は何も紋は無いか薩摩拵の様に無いと言う事なのかだが
ハバキ・鍔も何も紋は無いのかだが
鍔のサイズは薩摩拵の様に小型の可能性も有るのかだが
0265某研究者
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2015/08/20(木) 19:15:17.10ID:6wrH4dBt0
薄いプレートアーマーより鎖帷子の方が重いと言うが
プレートアーマーの装甲の薄い手足は
鎖鎧より軽いのかだが
関節部だけは鎖は入っていると言う事だろうし
肩の下に鎖が入る場合も有る様だが
ガントレットは板金が二重に成っている部分が有るから
此処も鎖より恐らく重いと言う事だろうか
0266某研究者
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2015/08/21(金) 15:20:05.43ID:/XJ8YQZr0
袖或いは籠手と胴の間の肩に隙間の有る具足は
下に満智羅が装備されてこの部分の隙間が亀甲金や鎖・骨牌金で埋められる場合も有るのかだが
満智羅では無く具足下着に鎖や亀甲金・骨牌金が仕込まれる場合も有ると言う事かも知れぬが
隙間が有る様に見える具足も嘗ては
小鰭が装備されていた可能性も有ると言う事なのかだが
0267某研究者
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2015/08/22(土) 11:23:18.20ID:xPD+ThQ00
江藤愛アナで抜くとしたいが
0268某研究者
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2015/08/23(日) 11:10:32.13ID:N6RN9hQm0
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/219517885?size=1024#content
上の横手が刀身の横から出た手違十文字槍と言うのは
通常の十文字槍と比べ扱い易いのかどうかだが
斬る或いは太刀打で殴る際に横手が引っ掛かり邪魔と成る可能性は無いのかだが
0269某研究者
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2015/08/25(火) 20:18:26.90ID:EP6oMGh60
寺川奈津美ちゃんで抜くとしたいが
0271某研究者
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2015/08/28(金) 14:34:43.31ID:gyBE/R940
雑兵物語に足軽の刀の栗形が刀を落とさない為に丸くなり機能しておらず
刀が片手で抜けないと言う描写が有るが
騎馬武者の刀も同様なのかどうかだが
騎馬武者の刀は紐で固定されているのでは無いのかだが
0272某研究者
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2015/08/28(金) 14:37:16.75ID:gyBE/R940
トルコや印の甲冑は放熱の為に鎖が多いと言うが
胸甲に鎖を使うより
手足のバズバンド等の板金装甲を鎖化した方が良いと言う事は無いのかだが
ヘルメットは日本の兜の様に
板金に穴を空けると言う方向は無いのかどうかだが
0274某研究者
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2015/09/01(火) 20:18:23.90ID:IJ881fSO0
http://photozou.jp/photo/show/1849954/200511501
上の蒙古襲来絵詞では
騎馬武者が刀を左前に構えているが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/227204014
上の平治物語絵巻では馬上の騎馬武者は
右前に刀を構えているが
何れが正しいのかどうかだが

http://blog-imgs-32.fc2.com/c/r/o/crossroad3147/122942571649478c3479415.jpg
上の結城合戦絵詞では
太刀は右前に構えられて居るが

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2589645/30
上の法然上人絵伝の一部では
基本的に右前に刀は構えられているが
左の大鎧鎧兜を装備した騎馬武者は良く見ると
鍔元(西欧剣で言うリカッソ)を左手で持って
左前に刀を構えている様に見えるが
此れは屋内戦故に刀を短く構えようとしたのかだが
右前に構える方向も有ったのかどうかだが

太刀は基本的に右前で構えて
大鎧の場合は右側面のプレートアーマー的な壺板の防御力を
活かすと言う方向なのかだが
0275某研究者
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2015/09/07(月) 16:40:02.96ID:Q7TBHLLc0
板金鎧に焼きを入れると言うのは
そう難しい物なのかだが
大面積の物の火加減が難しいのかどうかだが
0276某研究者
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2015/09/07(月) 16:44:31.04ID:Q7TBHLLc0
鉄腕ゲッツが板金鎧で放熱が出来ず倒れる騎士を記述しているが
倒れない者もまともに戦闘等出来たのかどうかだが
0277某研究者
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2015/09/08(火) 09:02:54.50ID:9lBzlube0
熱が溜まりそうな騎士の下馬戦闘でも
1422年6月30日のアルベドでは
余り装甲の無いスイス傭兵を撃破しているだろうが
この際の気温はどうなのかだが
0278某研究者
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2015/09/09(水) 17:37:17.99ID:O8WpZDRx0
http://photozou.jp/photo/show/1849954/227538323
此れが載る文献は不明だがホウテンゲキ成る物が有るが
中国の物とは違う様に見えるが楠木正成と関連は有るのかだが
ピックとしても使用は可能なのかだが
0280某研究者
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2015/09/10(木) 13:40:03.93ID:EZ/xrskb0
槍も使えない様な雑兵が使用する数打物長巻と言うのも大量に作られたのかだが
重量は5kg以上も有るから命中すれば威力は有るだろうが
槍より大量には流石に配備は無いと言う事なのかだが
明や朝鮮軍が言う日本刀と言うのは此れの可能性は有るのかだが
徒武者の刀も含まれるのかだが
0281某研究者
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2015/09/10(木) 13:41:01.18ID:EZ/xrskb0
槍も使えない長巻を持つ雑兵と言うのは装甲も無かった可能性は有るのかだが
関ケ原合戦図では具足は装備している様に見えるが
0282某研究者
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2015/09/10(木) 13:48:59.49ID:EZ/xrskb0
blog.goo.ne.jp/kelu-cafe/e/50637b7487e11ab6fc2578d1ec6ee425
幕末の山浦真雄の刀も古刀に比べると強度は低い可能性も有るのかだが
数打物の古刀よりは可也耐久性は上の可能性も有るのかだが
0283某研究者
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2015/09/10(木) 13:58:43.70ID:EZ/xrskb0
http://blog.goo.ne.jp/kelu-cafe/e/50637b7487e11ab6fc2578d1ec6ee425
>第八の古刀の長巻と第九の奥州物の古刀は、一振りは干し藁だけで止め、
一振りは同じ竹入干し藁に一太刀あびせただけで大曲りとなる。

古刀も曲がっては居るが
鉄が劣化していた可能性も有るのかだが
0284某研究者
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2015/09/11(金) 09:39:31.06ID:/TGdkqm30
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10138087505
>裏刃が使えるからです。これはとても便利です。
ミスしてもすぐ切り返せる、相手の防御に対して回り込むように鋭角に攻撃できる。まっすぐなので失敗しても突きにつなげられる
西洋剣術は一撃必殺よりも手数を多くして相手のミスを誘い連続攻撃でイニシアチブを取るように考えるので、連続攻撃では裏刃があるとスピーディだし攻撃の選択肢が多くなります

等と有るが甲冑相手に裏刃での攻撃等
通用せぬ様にも見えるが
装甲の薄い雑魚兵相手には使えると言う事なのかだが
甲冑相手では両刃採用での強度低下や重量増等のデメリットが
問題と成ると言う事は無いのかだが
0285某研究者
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2015/09/11(金) 15:27:16.01ID:/TGdkqm30
騎士の剣の場合は装甲の無い様な雑魚兵を裏刃で倒すより
騎士を倒す為に特化した方が良いと言う事は無いのかだが
0286某研究者
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2015/09/13(日) 15:26:58.03ID:hWJFrmrr0
http://textream.yahoo.co.jp/message/1835208/nrbbkbeebfmjaaa1a1a4da4ja4aca4ja47a4ja4ha4j/1/6905
>永禄11年に足利義昭を一乗谷に迎えて開かれた宴の余興で、8人がかりで運んだ刃渡り九尺五寸(約2.9m)の太郎太刀と、6人がかりの次郎太刀を左右の手に持って軽々と振り回し、一同の度肝を抜いたという。

このレベルの大太刀で二刀流等は有り得たのかだが
槍を2本同時に使うのはイスラムの絵には有るが
日本では此れは有り得たのかどうかだが
0287某研究者
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2015/09/13(日) 22:10:48.76ID:hWJFrmrr0
ディフェンスが苦手な剣士等も漫画等には出て来るが
装甲の無い状態では此れは危険かも知れぬが
装甲の有る場合は此れで受けられる分は受けて
最大限攻撃と言う方向も有り得ると言う事なのかどうかだが
0288某研究者
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2015/09/14(月) 15:29:01.08ID:gPvG7eqt0
当世具足の場合完全甲冑では無いから
装甲の無い部分は回避を行う必要は有るだろうし
この部分の回避力は素肌剣術でも残り得ると言う事だろうか
0289某研究者
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2015/09/15(火) 10:55:11.97ID:FAuG9Qlb0
甲冑剣術で鎧での防御に慣れているが
素肌剣術の防御が苦手な者でも
鎖を装備すれば防御力の低下は幾らかはカバー可能と言う事なのかだが
0290某研究者
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2015/09/16(水) 10:54:16.13ID:ou7U5W3C0
袖の無い日本の鎖帷子と言うのは今の所見ないが
袖の短い物も 
http://junkissa.jp/blog-entry-205.html
上の物以上に短い物は今の所見ないが
襟の無い鎖帷子と言うのも余り見ないが
http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n146588479
http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/page/yanada-yanadasensou.html
上に有る物は襟は無い様に見えるが
戦国期の物はどうなのかだが
0291某研究者
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2015/09/16(水) 11:16:22.91ID:ou7U5W3C0
http://runomi.at.webry.info/201007/article_7.html
アイヌの持つ太刀の外装は見ない物が有るが
此れは和人が作成した物なのかだが
実戦用の拵と同じ物なのかどうかだが
0292某研究者
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2015/09/16(水) 12:38:42.41ID:ou7U5W3C0
http://military38.com/archives/19964352.html
>長刀など持たる敵を九尺一丈の鑓にて突事は相打に罷成候
>三尺二三寸の刀にても相打になり候

九尺(2.7m)−一丈(3m)の槍でさえ三尺ニ三寸の槍と相打ちと成る危険が有るなら
此れより長い太刀では九尺−一丈の槍が不利に成る可能性も有るのかだが
0293某研究者
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2015/09/16(水) 12:44:30.44ID:ou7U5W3C0
雑魚足軽の二間・三間槍よりも 騎馬武者の九尺の槍の方が
厄介と言う事は無いのかだが雑魚足軽の二間・三間槍なら
騎馬武者の二ー三尺の刀でも対抗出来る可能性は無いのかだが
0294某研究者
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2015/09/16(水) 13:45:43.04ID:ou7U5W3C0
http://www5f.biglobe.ne.jp/~tetsu2003/paradise0106.htm
塚原卜伝の三尺の刀で梶原長門の薙刀がやられているが
此れの全長はどの程度だったのかだが
0295某研究者
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2015/09/16(水) 16:39:06.80ID:ou7U5W3C0
upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a5/Antique_shinto_samurai_nagamaki_1.jpg
長巻も上の様に半分程度の部分に鍔が有る物が多いのかだが
九尺の槍も半分程度の部分を左手で持って使用する物が多い訳だろうか
中巻野太刀の紐も中央部程度迄は有る可能性も有るのかだが
0296某研究者
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2015/09/17(木) 10:30:14.00ID:yKCBLpFB0
甲冑剣術にのみ慣れている者は
敵に装甲の無い状態でも
甲冑の隙間の位置を攻撃したり
甲冑を打ち砕く様な強い斬撃を出す可能性も有るのかだが
0297某研究者
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2015/09/17(木) 10:56:42.82ID:yKCBLpFB0
甲冑の隙間の位置への攻撃は
外れても敵に装甲が無ければダメージを与えられるかも知れぬが
甲冑を打ち砕く様な大振りの攻撃は
カウンターを受ける危険も有る訳だろうか
0298某研究者
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2015/09/17(木) 11:00:11.79ID:yKCBLpFB0
雑魚相手で1対1なら此れに装甲が無く共
騎馬武者の甲冑剣術で十分倒せると言う事かも知れぬが
0299某研究者
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2015/09/17(木) 11:17:10.63ID:yKCBLpFB0
身長も180−185cm程度なら
サッカーの世界最速クラスのロッベンやロナウドと同程度だろうし
スピードは落ちない可能性も有るだろうが
此れ以上ではどうなのかだが
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14116467199
ベルセルクのガッツの身長は189cm等と有るが
この辺りではスピード低下は無いのかどうかだが
0301某研究者
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2015/09/18(金) 16:52:20.80ID:oZ/EIBXN0
photozou.jp/photo/show/1849954/227876373
管の有る鍵槍(管鍵槍)と言うのも有るのかだが
十文字槍や大身槍で管の有る物も有るのかどうかだが

photozou.jp/photo/show/1849954/227876336
此れは小袴にも鎖や亀甲金が入る着込なのかだが
具足の下に此れは装備される物なのかだが

photozou.jp/photo/show/1849954/227876343
此れも着込と有るが前部の隙間は埋まるのかどうかだが
具足の下に装備する物では無いと言う事なのかだが
鉢金の様な物は烏帽子や頭巾等の下に装備するのかどうかだが

photozou.jp/photo/show/1849954/227876397
火縄銃の雨覆が有るが照準器に迄何故かカバーが有るが
前方を開けないと精密な照準は無理では無いのかだが
0302某研究者
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2015/09/29(火) 18:52:26.12ID:mN4oOIC20
http://page15.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t447827351
上の槍の石突の付近に胴金の様な物が有るが此れは装飾なのかだが 
安い槍の柄はコストを減らす為に
角ばっている物が多いと言う事は無いのかだが
0303某研究者
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2015/10/02(金) 09:53:17.37ID:/Jw5uTtC0
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2590870/5
上の十二類合戦絵巻(模本)では
槍と刀を同時に構えている者も居るが
此れは果たして二刀流の様に同時に使用された物なのかだが
0307某研究者
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2015/10/03(土) 15:35:22.20ID:cLdqrGx+0
>>306
揺糸部分に鎖や亀甲金の無い着込等も有るが
此れは上に上の鎖(或いは亀甲金等)を装備した可能性も有るのかだが
0308某研究者
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2015/10/04(日) 18:39:21.87ID:ZDZftpvA0
具足を二重に着る二領具足等と言われる者も居るが
草摺の位置の違う具足を装備して
雑兵物語で良く攻撃されると言う
草摺の隙間を鉄板札で防護と言う様な事は有り得たのかだが
0309某研究者
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2015/10/04(日) 19:52:47.17ID:ZDZftpvA0
https://twitter.com/boukenkyuu/status/650613045933150209
上の絵の様な位置に草摺の有る具足を重ねて着れば
草摺の隙間は埋まるかも知れぬが
左の具足は草摺の位置が違っていたかも知れぬが
0310某研究者
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2015/10/04(日) 21:50:45.53ID:ZDZftpvA0
太平記に
http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki11-20/taiheiki-14-3.html
>武蔵守高師直の家来、野木与一兵衛入道頼玄と言う、 胴丸の鎧の上から伏縄目威し(斜線文様や波形に染めた革で威したもの)の大鎧をぴっちりと身に付け、  

等と有るから
野木与一兵衛は胴丸の上に大鎧を装備していたのかだが
鎌倉期の胴丸は室町期に腹巻と呼ばれている物だから
草摺7-8間の此れを大鎧の下に装備し
結果草摺の隙間は埋まったと言う事なのかだが
草摺の隙間を埋める意図は有ったのかだが
0311某研究者
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2015/10/05(月) 15:01:28.87ID:DYPRGtss0
胴部が伊予札・草摺が本小札の腹巻が確か有ったが
胴の装甲が草摺より薄いのは不可解であるし
此れは大鎧や胴丸の下に装備して
草摺の隙間を埋める為の物の可能性は無いのかだが
0312某研究者
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2015/10/05(月) 16:15:58.22ID:DYPRGtss0
http://joukamatikankou.blog.so-net.ne.jp/2014-08-25-1
上の成瀬吉正の和製南蛮胴は大阪冬の陣の際に
大型の狭間筒で撃たれたと言う記述も有るが
厚みはどの程度なのかだが
フサリアの甲冑も同程度の大型マスケット銃で撃たれても
15m迄は耐えられると言う事だっただろうか
大阪夏の陣もこの甲冑を使用したと言うが
凹みは直さなかったのかどうかだが
0314某研究者
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2015/10/06(火) 11:32:48.98ID:HE9TTbc60
http://photozou.jp/photo/show/1849954/228734474
上のタイプの丸胴を胴丸の下に装備すれば
草摺の隙間はほぼ埋まるかも知れぬが
右側側面は無理である訳だろうか

http://business4.plala.or.jp/kyuko/html/katcyu/katcyu027.html
上の様な鉄板札使用の鉄腹巻の上に
鉄板札を使用した胴丸を装備すれば
草摺の隙間も埋まり防御力も高いのかも知れぬが
上の腹巻は1580年以降には使われたのかどうかだが

http://www.karakusa.jp/gusoku1html.html
>鉄黒漆塗紺糸素掛威腹巻 江戸時代 

上は新しい形式の鉄腹巻だが
戦国期に此れは使用されたのかどうかだが
此れを胴丸の下に装備して草摺の隙間を埋めると言う事は
行われたのかどうかだが
0315某研究者
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2015/10/06(火) 21:38:54.29ID:HE9TTbc60
太平記で因幡堅者全村が手突矢を使用しているが
此れ以降で手突矢を戦場で使用した例は有るのかだが
手裏剣術が戦場で使用された例は有るのかどうかだが

大鎧の栴檀板は脇の隙間だけでは無く
壺板と小札部分の接合部の防護も考慮している可能性も有るのかだが
0317某研究者
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2015/10/07(水) 15:51:43.64ID:fdHcbUxB0
http://photozou.jp/photo/show/1849954/209363473
大太刀・箙の同時装備と言うのも有るのかだが
乗馬戦闘すると馬に大太刀の鞘が当たらないのかどうかだが
上の様に柄が短い大太刀はまともに扱えたのかだろうし
此れは間違いでは無いのかだが
0318某研究者
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2015/10/09(金) 12:25:57.19ID:4/p65TAV0
大鎧の下の腹巻の装備も草摺の隙間を埋めるだけでは無く
壺板と小札部分の隙間も埋まるだろうが
当世具足の胴の丁番の有る接合部も槍に弱いかも知れぬし
此れも下に腹巻を装備すれば隙間は埋まると言う事だろうか
0319某研究者
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2015/10/09(金) 12:40:02.98ID:4/p65TAV0
巨大な鍬形や立物・変わり兜は実戦用では無いと言う意見も有るが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/105491430
上の様に武器を構えた状態で巨大な鍬形の有る兜を装備している絵も有るから
果たして正しいのかどうかだが
0320某研究者
垢版 |
2015/10/09(金) 18:30:39.71ID:4/p65TAV0
https://twitter.com/boukenkyuu/status/652382933991292928
上は後三年合戦絵巻(1347年成立)の一部だが 
状態は悪いが立挙の有る脛当が書かれている様に見えるが
この部分は大半は鎧直垂に隠れて見えない訳だが
基本的に此れと同一の物が装備されて居ると言う事なのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/652384809306578944
上も後三年合戦絵巻の一部だが
顎の装甲の有る半首の様な物が書かれているが
此れは面頬では無く基本的に半首と言う事なのかだが
鎌倉期に此れは有ったのかどうかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/652390797447335936 
上も後三年合戦合戦絵巻の一部だが
巨大な立挙の有る脛当が有る様にも見えるが
此れは
http://photozou.jp/photo/show/1849954/202339631
上に有る脇楯の下に届く大立挙の脛当と同一の物の可能性も有るのかだが
0321某研究者
垢版 |
2015/10/10(土) 08:42:41.35ID:35BjD9li0
https://twitter.com/boukenkyuu/status/652474114754482177
上も後三年合戦絵巻の一部だが
諸籠手の人物は貫を履いているし
歩兵が此れを履くとは思えないから
諸籠手を装備した南北朝期の騎馬武者と言う事なのかだが
0322某研究者
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2015/10/10(土) 09:25:52.06ID:35BjD9li0
鎖帷子は着ないが
草摺の隙間の防御力を増す為に
鎖袴だけを履くと言う例は有るのかどうかだが
0323某研究者
垢版 |
2015/10/11(日) 15:16:07.48ID:es5BIuzK0
https://twitter.com/boukenkyuu/status/653090562338238464
上は14世紀(1351年成立)の慕帰絵詞(ボキエコトバ)の一部だが
左の兵は腹の下部だけ小札が有る様な鎧を装備しているが
此れは何なのかだが
右の兵の胴丸鎧らしき物は草摺の間数が腹巻の様に多いが
南北朝期の騎馬武者はこうした物は装備したのかどうかだが
0324某研究者
垢版 |
2015/10/12(月) 07:44:54.38ID:tnr6vam90
http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki21-30/taiheiki-22-1.html
>畑六郎左衛門、敵外に引へたる程は、態あり共被知ざりけるが、敵已一二町に責寄せたりける時、金筒の上に火威の胄の敷目に拵へたるを、草摺長に著下て、同毛の五枚甲に鍬形打て緒を縮、熊野打の肪当に、
>大立揚の脛当を、脇楯の下まで引篭て、四尺三寸太刀に、三尺六寸の長刀茎短に拳り、一引両に三■の笠符、馬の三頭に吹懸させ、塩津黒とて五尺三寸有ける馬に、鎖の胄懸させて、

>畑六郎左衛門は敵軍がまだ遠方に控えている間は、意識して無視を続けていましたが、敵がすでに一、二町付近まで攻め寄せてきた時、突入に移るため、鉄板で補強した胴の上に、
>緋縅で敷目(鎧の札が三列になったもの)に嚇した鎧を草摺りを長く垂らして着け、同じ錣を五段に下げ鍬形が打たれた兜の緒を締めて、熊野産の頬当てに、膝頭まで届く長い脛当てを草摺りの中にまで引き上げて身を守りました。
>そして四尺三寸の太刀と三尺六寸の刀を柄の先の方を握って、
>一引両(新田の紋)に三州浜の紋が付いた笠印を三頭の馬に付けて、塩津黒と言う五尺三寸もある馬に鎖の付いた兜を装着した上、

上の太平記の記述は
http://photozou.jp/photo/show/1849954/202339631
上の畑時能の武装が書いてあると言う事の様だが
馬に鎖の兜を装備と有るが
上の絵では皮鎧らしき物に成っているから
此れは誤りなのかだが
長い草摺を装備した大鎧と言うのは
http://www.toyota-rekihaku.com/bunka/02_kougei/win/01.html
上に似た様な物なのかだが

>金筒の上に火威の胄の敷目に拵へたるを

此れは鉄板で補強した胴と有るが
鉄板と言うのは初期の桶側胴の様な物なのかだが
0325某研究者
垢版 |
2015/10/12(月) 07:45:22.24ID:tnr6vam90
https://kotobank.jp/word/%E9%A6%AC%E9%8E%A7-35134
>『太平記』に畑六郎左衛門が愛馬に「鎖の冑 (甲〈よろい〉の誤り) 懸けさせ」とある。

等と有るが
鎖の兜が誤りと言う根拠は有るのかどうかだが
0326某研究者
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2015/10/12(月) 09:06:37.11ID:tnr6vam90
>>324
金筒はかなどう共読むらしいから

https://kotobank.jp/word/%E9%87%91%E8%83%B4-465137
>かな‐どう【金胴/▽鉄胴】

>鎧(よろい)の胴の一。鉄板を蝶番(ちょうつがい)で合わせた胴。鉄板の表面を布帛(ふはく)で包んだ錦(にしき)包みや緞子(どんす)包みがあり、鎧の下に着用した。

http://www.weblio.jp/content/%E9%87%91%E8%83%B4
>かな どう [0] 【金胴】
>鎧(よろい)の胴の一。鉄板を矧(は)ぎ合わせた四枚の板を蝶番(ちようつがい)でつないだ胴。後世の,最上胴(もがみどう)。

上の鎧の下に着用したと言う
金胴の可能性も有るのかだが
太平記の鉄筒がこうした構造であると言う証拠は
果たして有るのかどうかだが
0327某研究者
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2015/10/12(月) 09:08:30.86ID:tnr6vam90
>>326

http://www.weblio.jp/content/%E9%87%91%E8%83%B4
>かな どう [0] 【金胴】
>鎧(よろい)の胴の一。鉄板を矧(は)ぎ合わせた四枚の板を蝶番(ちようつがい)でつないだ胴。後世の,最上胴(もがみどう)。

最上胴は4枚胴では無く
5枚胴では無いのかだが

http://www.kjclub.com/jp/exchange/photo/read.php?tname=exc_board_14&;uid=5674&fid=5674&thread=1000000&idx=1&page=1&number=32&f=a.j_subject&word=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BE%8D%E3%81%AE%E9%8E%A7
上の一番下の毛利元就の具足は四枚胴と言うが
此れが出たのは戦国期では無いのかだが
0328某研究者
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2015/10/12(月) 09:11:09.29ID:tnr6vam90
>>326
https://kotobank.jp/word/%E9%87%91%E8%83%B4-465137
>かな‐どう【金胴/▽鉄胴】

>鎧(よろい)の胴の一。鉄板を蝶番(ちょうつがい)で合わせた胴。鉄板の表面を布帛(ふはく)で包んだ錦(にしき)包みや緞子(どんす)包みがあり、鎧の下に着用した。

金胴は鎧の下に装備したと有るが
此れだけを装備した例と言うのは
南北朝ー室町前期には有るのかどうかだが
0330某研究者
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2015/10/12(月) 09:49:53.78ID:tnr6vam90
西欧のコートオブプレートの登場時期は
確か13世紀後半だろうが
日本の最上胴に似た金胴の登場時期は何時なのかだが
モンゴル軍の槍に対抗する為に此れが出て来た可能性も有るのかだが
室町後期の最上胴が出る前迄
金胴は胴丸や腹巻の下にも
装備されていたと言う事なのかどうかだが
0331合気道屋com. ◆MASTERmyNHT/
垢版 |
2015/10/12(月) 09:53:09.04ID:NA4KwVU40
これけっこう面白かったのに、もう完結しちゃったんやなあ。
https://www.youtube.com/watch?v=p4_OaD81BsQ&;list=PLRaNqHpjzx_cD6HHx-WjeVZmOqyN8jSIZ&index=10
0332某研究者
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2015/10/13(火) 09:02:46.14ID:vSO444SZ0
http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki21-30/taiheiki-22-1.html
>緋縅で敷目(鎧の札が三列になったもの)に嚇した鎧を

此れは幅広の三目札を使用した鎧と言う事だろうが
室町期には有ったのかどうかだが
此れと最上胴の様な金胴を重ねて着た場合
胴部はモンゴルが使用する様な通常の槍の突きや
片手剣は通用するのかどうかだが
金胴も対モンゴルの為に出て来た物なのかどうかだが
0334某研究者
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2015/10/13(火) 14:49:52.50ID:vSO444SZ0
http://captain-plump.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/basara-28de.html
> 「煉革黒漆塗紺糸素懸威最上腹巻」 室町後期

此れは室町後期の腹巻だが
草摺は5間に見えるし
この時点でも草摺5間の腹巻が有るのかだが
桃山期には果たして同様の物は有るのかどうかだが
 
戦国時代後期の腹が出た腹巻では
草摺5間の物は恐らく無いと言う事なのかだが
 
https://kotobank.jp/word/%E5%96%89%E8%BC%AA-597131
>喉輪
>喉と胸の上部を防護する甲冑(かっちゅう)の小具足。涎懸(よだれかけ)ともいい、同様のものに曲輪(ぐるわ)がある。発生したのは南北朝時代ごろで、
>室町時代に流行しておもに胴丸(どうまる)、腹巻に添えられた。

南北朝期の喉輪が書いてある絵と言うのは
見ない訳だが
 
http://photozou.jp/photo/show/1849954/229071819
草摺が7段と通常より長い南北朝期の大鎧も有る様だし

http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki21-30/taiheiki-22-1.html
>緋縅で敷目(鎧の札が三列になったもの)に嚇した鎧を草摺りを長く垂らして着け、

此れは上の太平記の物と同様の物の可能性も有るのかだが
草摺が六段の物や七段より多い物も
同時期には有るのかどうかだが
0335某研究者
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2015/10/13(火) 19:25:15.60ID:vSO444SZ0
http://www.weblio.jp/content/%E8%87%86%E7%97%85%E9%87%91
>おく びょうがね −びやう− 【臆病金】
>室町時代に盛行した大立挙(おおたてあげ)の臑当(すねあ)ての,後ろのすき間に当てる細長い鉄板。

脛当の背後に付ける臆病金と言うのは
南北朝期には無かったと言う事なのかだが


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%B9%E5%B7%BB
>室町時代中期になると背部に背板(せいた、または臆病板とも呼ばれた)と呼ばれる部品が、主として高級な腹巻に付けられるようになる。

臆病板は室町中期の登場と言うが
臆病金よりは後の登場なのかだが
0336某研究者
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2015/10/13(火) 19:49:55.22ID:vSO444SZ0
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0049550
上は結城合戦絵巻の模本だが
臆病金らしき物が有る様にも見えるが
脛当後部を完全に塞ぐ様な物は有るのかどうかだが
0337某研究者
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2015/10/15(木) 14:59:42.61ID:oXI1hdBt0
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0090836
十二類合戦絵巻には臆病金が多数書かれている様にも見えるが
騎馬武者以外が此れを装備したのかどうかだが

http://sengoku-neta.blog.so-net.ne.jp/2010-02-28
上の武田信玄の肖像画では
腿の後部を覆うタイプの古い宝童佩楯が書かれている様に見えるが
此れは少なく共1540年頃迄は使用されて居たのかどうかだが

aoijapan.jp/%E7%B1%A0%E6%89%8B%EF%BC%9A%E7%84%A1%E9%8A%98
裏籠手にも完全に総鎖が入る籠手等も有るのかだが
戦国期にこの様な物は有るのかどうかだが
南蛮鎖で無い物が入る物は有るのかだが
0338某研究者
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2015/10/17(土) 19:03:51.22ID:vs+Uu1ZD0
http://photozou.jp/photo/show/1849954/157760115
十二類合戦絵巻には15世紀前期の金砕棒(金撮棒)が書かれているのかだが
上の絵では形状は良く分からぬ訳だが


https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7e/Masuda_Motoyoshi.jpg
上の益田元祥の肖像画の鎧は
16世紀後半―17世紀前半では古い形式の大袖・大立挙脛当てが有るが
大袖は消えたが古いタイプの大立挙脛当は
可也後迄残った可能性も有るのかだが


http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki1-10/taiheiki-8-2.html
>八尺余のかなさい棒の八角なるを、手本二尺許円めて、誠に軽げに提げたり。

240cmの金砕棒の内
グリップ部は60cm程度なのかだが
此れより先の部分を持つ事も
有り得たと言う事なのかどうかだが
0339某研究者
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2015/10/17(土) 22:24:54.41ID:vs+Uu1ZD0
http://mimizun.com/log/2ch/whis/1105869242/
>樫木の棒の一丈余りに見へたるを、八角に削て両方に石突入れ・・・

此れは全体を持てる棒なのかだが
石突は突きを考慮した物なのかどうかだが
0340某研究者
垢版 |
2015/10/18(日) 10:16:45.51ID:EfBkZARe0
http://photozou.jp/photo/show/1849954/203644223
大鎧に喉輪が装備されている絵は
上の足利尊氏の1358年の物しか見ないが
喉輪も良く見る物とは形状はやや違うが
絵が間違えている可能性は有るのかどうかだが
0341某研究者
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2015/10/20(火) 12:24:24.83ID:mHOrnQOy0
槍・薙刀の間合いで組討にいきなり持ち込まれるのかと言う事は有るだろうし
古い甲冑槍術・薙刀術でも槍の構えは刀よりやや高い可能性は無いのかだが
0342某研究者
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2015/10/20(火) 12:27:53.84ID:mHOrnQOy0
剣術でも相手が槍・薙刀の場合は
即座の組討は考慮する必要は無いかも知れぬし
構えは低くない例も有るのかどうかだが
0343某研究者
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2015/10/20(火) 15:16:56.29ID:mHOrnQOy0
薙刀・騎馬武者用槍の1.5mも無い間合いでは
即座に組討に持ち込まれる可能性は無いのかだが
距離を考えるに即座に低く構えて対処する事は可能なのかどうかだが
0344某研究者
垢版 |
2015/10/23(金) 11:53:14.65ID:0BEnJKHb0
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri05/ri05_02035/ri05_02035_p0007.jpg
上の前九年合戦絵巻の一部の中央の鎧は
胴丸鎧なのかどうかだが

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri05/ri05_02035/ri05_02035_p0025.jpg
上の前九年合戦絵巻の一部の右端に
熊手を掛けられた騎馬武者が居るが
鎌倉期でも熊手は海上だけでは無く地上戦でも多用されたと言う事なのかだが
薙鎌と言うのも有るが此れも騎馬武者を落馬させるのに
使用されたのかどうかだが
此れ等も戦国期には槍に取って代わられたと言う事なのかだが

南北朝期の金胴は最上胴とほぼ同様と言う意見も有るが
此れの装備率はどうなのかだが
同時期の西欧のコートオブプレートも
http://www.hoashantverk.se/hantverk/hoas_rustningar/index.html
ウェズビの遺品等を見る限り板が固定されず細分されている物も多いが
此れは農民用と言う意見も有るが
騎士の物はプレート的だったのかだが

コートオブプレートも背面には鉄板は余り無いから
此処に矢を受けると鎖を貫通されて
致命傷に成り得ると言う事だろうか

戦国時代前期の槍の多用で金胴の装備率は果たして上昇したのかだが
最上胴も銃登場前には単体で使用されるのでは無く
弓に強い小札胴丸の下に装備していた可能性は有るのかどうかだが

プレートアーマー登場後でもブリガンダインを装備した騎士は居る様だが
15世紀後期に盾が廃れた後は
ブリガンダインではランスを防護出来ぬだろうから
騎士は基本的にプレートアーマー装備と成ったと言う事なのかどうかだが
0345某研究者
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2015/10/23(金) 11:55:27.70ID:0BEnJKHb0
http://w3.shinkigensha.co.jp/book_naiyo/4-88317-849-8p.html
>しかし下級の重装甲兵たち、たとえばサージェントや従騎士、そしてときとして騎士ですらも、胸甲と腹当ての下にブリガンダイン(*革や布を芯地にして金属板をつけた胴鎧)をつけるにとどまったようだ。

等と有るが
15世紀後期以降の盾が廃れた時代では軽騎兵でさえも
プレートアーマーで槍を防いでいた可能性も有るのかどうかだが

プレートアーマーの防御力向上で
15世紀後期には盾が廃れたと言うが
https://www.youtube.com/watch?v=qhknaG9ifbs
上の様なハンマー・ピックの威力を見る限り
防御力は果たして十分と言えるのかだが
斧やハンマーは兎も角
剣やランスなら十分防げたと言う事なのかどうかだが

プレートアーマーも腰部側面に板金の隙間が残る物が多いが
15世紀後半のイギリスのプレートアーマーは此処は板金で塞いであるし
ゴシック甲冑も此処は塞がっている物も有るが
15世紀前半の物は此処は基本的に隙間が有る様に見えるが
マクシミリアンアーマーやフィールドアーマーにも
此処の部分に隙間が有る物が大半に見えるが
剣や槍で此処を狙われてやられた者は
余り居なかったのかどうかだが
0347某研究者
垢版 |
2015/10/25(日) 18:17:05.95ID:y1qPK7XL0
臆病金も十二類合戦絵巻を見ると
正面の脛当との間に隙間が有るが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/101075299
上の二人武者絵では隙間は小さいか
或いはほぼ無い事が表現されている可能性も有るのかだが
0348某研究者
垢版 |
2015/10/29(木) 17:42:59.89ID:EOKUNjRa0
photozou.jp/photo/show/1849954/229537749 
此れは黒田官兵衛の有名な鎧だが
脛当は臆病金の様に後部迄装甲が有ると言う事なのかだが

photozou.jp/photo/show/1849954/228734762
この上杉景勝の鎧の脛当の後部も可也装甲が有るが

photozou.jp/photo/show/1849954/229538895
上の臆病板と言うのは臆病金の間違いでは無いのかだが
着装法は此れで果たして良いのかだが

大鎧も鉄板札を使用しているかも知れぬ金胴で補強されたなら
胴以外の部分も鉄板札で補強された可能性は無いのかどうかだが
当世具足では鉄板札の袖・喉輪・筒籠手・筒脛当は可也有るが
鉄板札の佩楯は余り無い訳だろうか

銃登場前でも
通常の本小札の喉輪の下に板金の板札を使用した喉輪や
通常の本小札製や骨牌金・鎖製の佩楯の下に板金の板札の佩楯を
槍対策で果たして装備していたのかどうかだが
0349某研究者
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2015/10/29(木) 17:44:29.62ID:EOKUNjRa0
鎌倉期等の熊手に鎖が装備されているのは
中国の鎖龍蛇の影響と言う可能性は無いのかだが
此れは同時期に日本では使用されたのかどうかだが
新紀元社武器事典では江戸期の登場と有るが
果たしてどうなのかだが

契木に鎖竜蛇が装備されたタイプも
新紀元社武器事典に記述が有るが
鎖を装備する契木の登場時期は江戸期と有るし
此れは鎌倉期等には果たして使われたのかどうかだが
 
フサリア・コムラーデの鎧はマスケット銃を15m迄なら防護可能と言うが
六匁筒なら0距離でも貫通出来ない可能性も有るのかだが
短砲身の士筒だと口径はマスケット銃と同じだが
此れも0距離で貫通出来ぬ可能性も有るのかだが
馬がやられる可能性も高い訳だろうし
至近距離では装甲の無い或いは薄い場所を撃たれる可能性も有る訳だろうか
 
http://arms.cybrary.jp/db/impact/flail/changshaozi.html
中国の多節棍も一旦忘れられたが
宋時代に復活したと言うから
此れが鎌倉期等に日本に輸入され
契木や鎖打棒等に成った可能性は無いのかどうかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/658952172508327938
此れは後三年合戦絵巻の一部だが
初期の槍らしき物を装備した兵が居るが
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2573526/18
上の模本を見ると手鉾と有るが
槍の可能性も有るのかだが
0350某研究者
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2015/10/29(木) 17:45:27.11ID:EOKUNjRa0
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%99%E5%88%80#.E5.A4.A7.E8.96.99.E5.88.80
>『大友興廃記』には柄の長さ一丈(3.03m)、刀身の長さ六尺(約180cm)という「大長刀」が記されている。

大友興廃記は江戸初期(1635年)の物であるから
この様な物が戦国期以前に果たして存在したのかどうかだが

僧兵が裏頭の内部に 
http://photozou.jp/photo/show/1849954/101057769
上に有る様な下散シコロや鎖・亀甲金・綿等のシコロを装備した兜を
付けている可能性と言うのは有るのかどうかだが

http://www.st.rim.or.jp/~success/benkei_imaj_ye.html
源平盛衰記の三井寺の僧兵は兜を装備している様だが
この上に頭巾が装備された可能性は無いのかどうかだが
0351某研究者
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2015/10/29(木) 17:46:16.50ID:EOKUNjRa0
体重250kgの真柄直隆でも
幕末の75kgの破邪の御太刀は果たして振るえるのかどうかだが
刀身2.16m 24kgの祢々切丸は
振るえる可能性も有るのかだが
 
http://dic.pixiv.net/a/%E5%A4%AA%E9%83%8E%E5%A4%AA%E5%88%80
真柄直隆の太郎太刀は175・240或いは288cmと言うし
2.16m・24kgの祢々切丸より重い可能性も有るのかだが
熱田神宮宝物館に奉納されている太郎太刀は221cm・4.5キロと有るが
此れは実戦用としては軽過ぎる可能性は無いのかだが
0352某研究者
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2015/10/30(金) 18:52:25.01ID:A4ItEIKn0
足軽や雑魚兵は手足を片方斬れば
戦闘不能と成るかも知れぬが
騎馬武者・徒武者や騎士は果たしてどうなのかだが
士気の低い者も居ると言う事では無いのかだが
0353某研究者
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2015/11/10(火) 16:59:55.89ID:JVCm41Jr0
柏書房 日本甲冑大図鑑には
総面は南北朝頃からの登場と言う記述が有るが
当時の絵でこの様な物は今の所見ないが
 
刀剣春秋 甲冑面もものふの仮装だと
甲冑面に垂が付いたのは南北朝期頃と有るが
此れも当時の絵で有る物は今の所見ないが
 
南北朝ー室町前期或いは南北朝時代永徳年間成立の
秋夜長絵巻に半頬の垂が書いてあると言うが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/229762391
上が其れの様だが
此れは半頬の垂では無く喉輪の様にも見えるし
喉輪と併用された物なのかどうかだが
 
刀剣春秋 甲冑面もものふの仮装だと
鼻の有る総面は室町前期以降の登場と有るし
鼻の有る半頬も同時期の登場と言う事なのかだが
0354某研究者
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2015/11/10(火) 17:01:49.79ID:JVCm41Jr0
秋夜長絵巻では後三年合戦絵巻と異なり
槍も割りに登場しているから
南北朝期よりはやや後の物の可能性も有るのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660235522233643008
秋夜長絵巻のこの恐らく騎馬武者には
宝幢佩楯が有る様に見えるが
遺品と異なり上部の縅糸が恐らく表に出ているが
此れは誤りでは無いのかだが
母衣は未だ固定され無いと言う事なのかだが
面具には垂が有るのか・垂に見えるのは喉輪なのか
或いは喉輪の上に面具の垂が有る可能性も有るのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660240567343820800
この秋夜長絵巻の兵の面具にも垂が有るのかだが
分割らしき物を見る限り喉輪の様にも見えるが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660241178504224768
此れも秋夜長絵巻の兵だが
シコロが1段の兜の様な物を装備しているが
此れは陣笠の原型の可能性も有るのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660241961375260672
此の秋夜長絵巻の兵も宝幢佩楯が有る様に見えるが
籠手を良く見ると裏籠手に迄鉄板が有る様にも見えるが
此れは他の兵では見ないし
間違いの可能性も有るのかだが
0355某研究者
垢版 |
2015/11/10(火) 17:03:04.82ID:JVCm41Jr0
https://twitter.com/boukenkyuu/status/660242570962862080
此れも秋夜長絵巻の一部だが
此れはソケット式の槍が有ると言う事なのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660242333628108800
此れも秋夜長絵巻の一部だが
槍印の有る槍が有ると言う事なのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660243361794621440
此れも秋夜長絵巻の一部だが
騎馬武者の被っている物は
烏帽子では無い様にも見えるが
左の騎馬武者は宝幢佩楯を装備している様にも見えるが

http://www.daitouryu.com/japanese/column/top/tanomotoshirou/col_tanomotoshirou17.html
>大太刀長巻(ながまき)は、柄を、これまでの大太刀以上に長くすることで、斬馬刀(ざんばとう)としても用いられた。この長巻は、薙刀としての用途にも優れ、騎乗の武士を馬ごと斬り据える事ができた。

等と有るが
此れは長巻とは異なると言う事なのかだが
中巻野太刀よりは握れる部分は短いのでは無いのかだが

http://photozou.jp/photo/show/1849954/229782762
秋夜長絵巻の面具は上の図31の様な物であり
垂は喉輪とほぼ同様の物が装備された可能性も有るのかだが
図32−2の素掛縅の垂が付いた物は秋夜長絵巻の段階では恐らく無いだろうし
図32−1或いは32−3の様な物を
喉輪と同時に装備していた可能性も有るのかどうかだが
0356某研究者
垢版 |
2015/11/10(火) 17:06:50.81ID:JVCm41Jr0
https://twitter.com/boukenkyuu/status/660331310657835008
此れも秋夜長絵巻の一部だが
籠手には鎖が有る様にも見えるし
裏籠手にも鎖は有るのかどうかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660334606047023104
此れも秋夜長絵巻の一部だが
面頬では無く頬当てに見える様な物も有るが
絵が荒いだけの可能性も有るのかだが

https://twitter.com/boukenkyuu/status/660337573735174144
此れも秋夜長絵巻の一部だが
籠手に鎖や筏の様な物が装備されている様にも見えるが
果たしてどうなのかだが

http://blogs.yahoo.co.jp/kuroken3147/GALLERY/show_image.html?id=52270936&;no=5
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541044/13
上の結城合戦絵詞には喉輪が恐らく書かれているが
此れ以前の物は
http://photozou.jp/photo/show/1849954/203644223
上の1358年の足利尊氏の絵しか今の所見ないが
此れは面具の垂の可能性も有るのかだが
 
https://twitter.com/boukenkyuu/status/660647896543420416
此れは1517年成立の清水寺縁起絵巻の一部だが
妙に巨大な垣盾が有るが
此れは乗馬した騎馬武者の保護を考慮したのかだが
機動性は有るのかだろうし
銃の時代にこの様な物は使用されたのかどうかだが
0357某研究者
垢版 |
2015/11/10(火) 17:08:37.44ID:JVCm41Jr0
http://auctions.c.yimg.jp/img249.auctions.yahoo.co.jp/users/8/7/7/4/gemayama-img411x600-1386753864v0jyyc87782.jpg
足の後部に迄板金の有る甲懸も有るのかだが
戦国期には果たして有るのかだが

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c4/Shosokawa.jpg
上の細川澄元の佩楯は宝幢佩楯に似ているが
足の後部は防護されず下端は分割されていない様に見えるが
此れは正しいのかだが
足の後部も防護する宝幢佩楯で
下端部が分割されない物は有るのかどうかだが

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/06/%C5%8Cuchi_Yoshioki.jpg
上の大内義興の佩楯も後部は防護しないが
下端部は分割されているし
宝幢佩楯に似ているが

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7e/Masuda_Motoyoshi.jpg
上の益田元祥の佩楯は
伊予佩楯と言う事なのかだが
他の部分の装備の古さを考えると
室町前期或いは此れ以前の物と同形式の物の可能性も有るのかだが

稲富祐直も具足を二重に着ていたと有るが
此れは胴だけなのかだが
太平記でも大鎧の下に胴丸や金胴を装備している者は居るが
籠手等を二重に装備していた武者は見ない訳だが
0358某研究者
垢版 |
2015/11/10(火) 17:10:08.03ID:JVCm41Jr0
新紀元社 日本甲冑図鑑には
大鎧には喉輪を胴の下にしか装備出来ない等と有るが
http://ikkaiyoroi.com/tabi31.jpg
http://ikkaiyoroi.com/tabi34.jpg
上の写真では問題無く胴の上に装備出来て居る様に見えるが
果たしてどうなのかだが
 
歩兵の熊手・薙鎌は
戦国期の槍の多用時に廃れたのかだが
騎馬武者は一部熊手を装備した者は居た訳だろうが
鎌は十文字槍に置き換わったと言う事なのかだが
歩兵の袖搦も槍の多用で消えたと言う事なのかだが
此れを装備した騎馬武者は同時期に居たのかどうかだが

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fd/K%C3%B4gake_armored_tabi_1.JPG
上の甲懸は丁番で板金が接続されている様に見えるが
此れで果たして高速で歩けるのかどうかだが

https://twitter.com/katchusi/status/616437816453509120
上の二人武者絵の馬鎧は
南北朝期にも有る物なのかだが
馬鎧も鎖の馬兜以外太平記には出て来ない訳だが
0359某研究者
垢版 |
2015/11/10(火) 17:12:22.64ID:JVCm41Jr0
http://photozou.jp/photo/show/1849954/229939065
笠ジコロ使用では顔の側面が防護出来なく成るから
此処を守る為に半頬が出現したと言う事なのかだが
初期の半頬は矢張り垂は無い様だが
喉輪との隙間が完全に埋まる構造では無いと言う事なのかだが

http://photozou.jp/photo/show/1849954/229939072
上のイラストの様な形式の甲懸は見ないが
果たして現実に有る物なのかだが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/203644223
上の足利尊氏の物が似ていなくも無いが
装備位置はやや上の様にも見えるが

http://photozou.jp/photo/show/1849954/229939879
笠ジコロも一番上の物が合理的と言う事は無いのかだが
重心を下げる為に下の様な形状と成った可能性も有るのかだが

新紀元社 日本甲冑図鑑には
南北朝期の鳩尾板・栴檀板は騎射戦が廃れた為小型化したと有るが
室町前期迄は騎射戦は有る様に見えるし
鳩尾・栴檀板の小型化は打物戦での腕の動作にも
対応した故と言う事は無いのかだが
 
https://twitter.com/boukenkyuu/status/661706326028910594
細川澄元の肖像画の佩楯も
良く見ると下部に切れ目が有る様にも見えるし 
此れも宝幢佩楯の腿後部を防護しない物かも知れぬが
0360某研究者
垢版 |
2015/11/10(火) 17:13:42.94ID:JVCm41Jr0
切っ先のみ刃が付いた刀と言うのは
野口一成の物以外にも有るのかだが
切っ先にのみ刃を付けて或いは全体を刃引きして
棒の様に扱う刀と言うのは果たして有るのかどうかだが

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2590869/29
上は十二類合戦絵巻の寛文期の写本だが
此の様な大型の鍵が付いた熊手と言うのも
実戦使用されたのかどうかだが

http://nihontou.jp/choice03/iai/kobuki/62.jpg
上の熊手は商品の様だが
柄が補強されて居るが
現実の水軍が同種の物を使用した可能性は有るのかどうかだが
 
https://twitter.com/boukenkyuu/status/662098055836008448
此れは1517年成立の清水寺縁起絵巻の一部だが
僧衣の下に籠手・脛当迄付けた僧兵が書かれているが
騎馬武者はこの時点では未だ大袖は有るだろうし
僧衣の下に鎧を着たのは歩兵のみと言う事なのかだが
後の時代ではどうなのかだが
壺袖・当世袖なら僧衣の下に装備出来る可能性も有るのかだが
 
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1a/Ashikaga_Yoshihisa.jpg
上の足利義尚の肖像画だと
佩楯は鎧直垂の下に装備されている様に見えるが
当世具足で同様の例は有るのかどうかだが
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