中国武術は実戦では使えないカス!2 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
日清戦争と日中戦争で陸軍力は強くない少数の日本兵に、
人員力では圧倒的に勝る中国兵が完膚なきまでフルボッコにされたことで証明された。
白兵戦という究極の実戦で中国武術は役に立たないカスであることが。
『実戦性』
日本拳法、クラブ・マガ、システマ、エスクリマ、コマンドサンボ>>>>>>>>>>〈越えられない壁〉>>>>>>>>>>中国武術w
前スレ
中国武術は実戦では使えないカス!
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/budou/1322375535/ うん、普通の動作が多い武術もあるんだろうけど
奇異な動作で構成された拳法もあると思う
そういうのはもうちょっと適宜使い分けるといいんじゃないかなぁって思う
まあ、自分は中国拳法あまり詳しくないんで
的外れかも知れないけど まあ確かに発頸?なにそれだが、昔からあるという面では極珍とかよりはええんやないか? 【高○吉見】岩手の空手事情【強姦魔】
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/budou/1358741930/l50
来年の岩手国体で、強姦魔に審判をさせないで下さい。
柔道の内柴のように、強姦魔がのうのうと師範面しています!
紫波町は田舎町のため、強姦の被害に遭ったと女子児童や女子高生が名乗り出ると、
強姦魔である加害者が責め立てられるのではなく、被害者が田舎の紫波町に住めなくなるのです。
田舎の場合、加害者がのうのうと地元に残り、被害者が泣く泣く引っ越すという事が多々あります。
強姦魔吉見は警察の飲み会に参加したり警察と密接な繋がりがあるため、被害者が訴えたくても訴えられないのです。
周りの大人や親御さんが訴えても、潰されてしまうのが現状で今まで手を出せないままでした。
不来方高校の空手部の女子高生が先輩の佐々木千恵に相談しても、吉見師範をかばい、ことごとく被害者を潰してきました。
しかし、吉見の強姦を察知し危険を感じ、会長をやっていた足澤整形外科の足澤院長は会長を辞めて逃げ出しました。
足澤医師を会長に据えたのは、箱石勝見師範と対等に話したい吉見の作戦でしたが、足澤先生はすぐに会長を辞めました。 それはまともに稽古してないからだろう 殺人術としては、むしろ中拳が上をいっている 八極螳螂武藝總舘系らしい
新潟の「伝統武術愛好会」
主催者の方の考えが素晴らしい
素晴らしいブログです。
ぜひ入門したい! 中国の武術や拳法が強いという都市伝説はブルースリーがルーツでしょう。
彼の映画のヒットによって、アメリカで大量に中国拳法の道場が出来ました。
ところが、ブルースリーの死後、あっという間に姿を消していきました。
なぜかというと、
ブルースリーの格闘技は彼個人のニワカ造りの歴史が浅いものだったため、
あまりにも技の種類が少なく、
拳法の道場の体裁を維持できるような体系的な要素を持っていなかったからです。
たいして教えることがない道場が、
映画スターの没後も長期間存続できる筈がありません。
ブルースリー亡き後、アメリカで忍者映画がヒットすると、
多くの道場は日本の伝説的な武術とされる忍術に注目して、
中国拳法の道場の多くが忍術の道場へと姿を変えていきました。
今でも、戸隠流の忍術(そのルーツは修験道にある)は
CIAやFBIのトレーニングカリキュラムとして採用されています。
つまり、世界最強の格闘技は日本の修験道界が伝承してきたのです。
昔の本物の忍者は、すぐに正体がバレてしまうような忍者装束など着ていませんでした。
黒い装束はそのシルエットが闇の中で浮き上がって目立つのでナンセンスです。
現在忍者装束と呼ばれているものは、お百姓の野良着(仕事着)を黒く染めたものです。
本物の忍者は、修験者などの姿で修行と称して全国の山野を闊歩し諜報活動を行っていました。
つまり、忍者=旅の修験者や修行僧や歩き巫女などであり、
彼等が身に着けていた護身用の格闘技が忍術の本当の姿ということになります。 じつは、ブルースリーのヌンチャクは、
映画の小道具が何か欲しいと、彼が沖縄のある空手家俳優に相談した結果採用されたものです。
現実には、ヌンチャクは最弱武器の類で、実戦では物の役に立ちません。
中国大陸には、先端が様々な形状の長柄武器が存在します。
それらに向かってヌンチャクを振れば、一瞬で絡まります。
ヌンチャクは片手で持っていますが、多くの長柄武器は両手持ちです。
片手のヌンチャクと両手の長柄武器が絡まった状態で綱引きすれば、
簡単にヌンチャクを絡め取られて、その直後にグサッと刺されて終わりです。
奪い取れると分かっている人なら、一瞬でブルースリーを串刺しに瞬殺出来ます。
フレイルなどの、実用に耐える同系統の武器が、
両手で持つ使い方が可能な柄の長さになっているのには、理由があるわけです。
片手持ちの短いヌンチャクは、あくまでも護身用の簡易携帯武器であって、
合戦用の長柄武器を持って来られれば、トンファーのような実用性は期待できません。
ヌンチャクと違って沖縄発祥のトンファーが高い実用性を備えていることは、
アメリカの警察が採用して広く普及していることからも明らかです。
実用性の高いトンファーではなく、簡単にナンセンス武器と化してしまう、
ほとんど物の役に立たないものを選択して愛用してしまった時点で、
ブルースリーという俳優の格闘技に関する知識と経験が底の浅いものだった現実が、
武術・格闘技の専門家ならば一目で看破できます。
つまり、映画の作り話と現実の間には大きなギャップがあり、混同出来ないのです。
沖縄の空手家に相談して愛用の武器を決めている時点で、
そこには中国四千年の伝統の歴史など、存在しないことが明らかなのです。 アメリカの人気テレビ番組ファイト・サイエンスも認定した
世界最強の格闘技、忍術=修験道界の格闘技のルーツは、役行者・小角とされます。
彼は、前鬼・後鬼という二匹の鬼を従えたとされる、半ば伝説化された謎の人物です。
現実には、役行者とは、河川の整備や農地開拓などをヤマト朝廷から請負い、
傘下の渡来氏族・秦氏の大集団を束ねて使役したところから付いたあだ名です。
秦氏のルーツは、山東半島の付け根付近に居留した、
蚩尤(兵主神)を奉斎したコーカソイド(インドヨーロッパ語族)のグループです。
秦人は柵外の人(万里の長城の外から来た異民族)という意味を持つ言葉です。
シルクロードの西から来た彼等の集落は
60%がコーカソイド(白人)だったことが判明しており、東夷とも呼ばれました。
『夷』の文字は大と弓を合成したものであり、
中国大陸東岸部に居留する、大柄で弓を引くのに長けた異民族を指す言葉です。
同族の孔子は身長が196cmもあったと伝えられています。
東夷は周王朝などを興したとされますが、怪力を出す筋肉質の巨体ゆえ飢饉には弱く、
地球規模の寒冷化に伴う飢饉とそれが原因で起こった黄巾の乱に始まる
戦国時代に大陸中央部に留まることが出来なかったため、
豊葦原瑞穂の国と呼ばれた、湿地(水田)が多かった日本に渡来しているのです。
山東半島の武器を製造するフイゴ(風)の神である蚩尤は、
東夷族(秦氏)が日本に持ち込んでからは天日矛と呼ばれましたが、
秦氏の王族は鼻が高く大柄で鬼のような外観をしていたため、
別名を都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)=角がある人のニックネームで呼ばれました。
これは、天日矛が中東で流行した牛角の兜を愛用したことによります。
都怒我(つぬが)は後世敦賀と転訛したため、敦賀駅前に彼の銅像が建っています。
秦氏=鬼のような人々を従えて使役し、水田を開拓して順次渡来入植していった、
彼等の歴史を伝説化したものが、役行者の前鬼・後鬼なのです。
蚩尤という暴風神は日本書紀には素戔嗚の名で登場して、
まるで台風の風水害を想わせるような大暴れをしたことで知られています。
八岐大蛇の体内から三種の神器の一つ草薙の剣を得たことでも有名で、武器の神の一面が見て取れます。 つまり、今では世界最強とされる戸隠流忍術などのルーツとされる修験道界の格闘技は、
鬼呼ばわりされた東夷の王族、天日矛(素戔嗚)の一族が伝承していた門外不出の格闘技が、
民間へと広まっていったものなのです。
平安京を建設し、聖徳太子に仕えた秦氏の集団が奉じる天日矛は、
仏教と習合した後は、牛頭天王と呼ばれるようになります。
秦氏は大陸の伝染病(天然痘など)対策の知識(免疫を付ける種痘)も持っていたため、
牛頭天王は伝染病の流行を終わらせたことを高く評価されて、
京都を代表する祇園祭の主神として今も厚く信仰されています。
問題の世界最強の格闘技のを生み出したルーツとされる秦氏を率いた東夷の王族ですが、
この一族は日本書紀には息長氏の名で登場しています。
天武天皇が、皇統の最も貴い母方の家(天照大神のお家)として、
真人(公家)の筆頭に据えているのです。
日本書紀に登場する神功皇后は息長氏の出身で、祖先は天日矛とされます。
ヤマト朝廷は、百済や高句麗を滅ぼした唐が、日本をも侵略しかねないと考えて、
息長氏の斎王家(日の巫女の神道を伝える天照大神の神託を司る家)の存在を隠蔽しています。
じつは、一時期は天皇よりも権勢を振ったかに見える藤原氏の祖先は、
神功皇后の審神者(神託を告げる神事に従事する付き人)であり、
真人の筆頭とされる息長氏よりも格下の、神託の内容を天皇に告げる神使の家にすぎません。
つまり、藤原氏の権勢は背後に隠された息長氏の天照大神の虎の威を借りたものだったわけです。
渡来氏族の大集団・秦氏を従えた天日矛の一族直系が、皇祖神・天照大御神の一族です。 >>56
弟子のイノサントに見せてもらったフィリピンのタバクトヨクだろ
本人も「こんなのは実戦では・・・」と言っていたらしいぞ
リーがヌンチャクという言葉を知っていたかすら疑わしい 中国語で両節棍と書いてヌンチャクンと読むことから、
沖縄のヌンチャクのルーツが中国の両節棍と考えるのが妥当だが、
中国の両節棍と沖縄のヌンチャクはサイズも構造も用法も大きく異なる。
ブルースリーは当初日本の空手家俳優と相談してヌンチャクのことを知ったが、
空手の術理に準拠しない
フィリピンのタバクトヨクの技術をショーアップして見せたため、
映画の大ヒットとその後に起こったヌンチャクブームの裏で
ヌンチャクはあんな使い方をしないと、
空手家達から冷ややかな態度を取られていた。
見世物としては軽快なアクションを楽しめるものだったが
実戦で使えないものしか披露出来なかった時点で、
ブルースリーの中国拳法が底の浅いものだったことが分かる。
ショーアクションを下敷きとしたブルースリー愛好者系列の道場が維持できず、
日本の忍術のほうが高く評価されてアメリカで流行したのは当然の成り行きだろう。
日本では、忍者が使ったとされる怪しげな術の数々は架空のもの
というイメージが根強いため、忍術を武術と捉える人は少ないが、
修験道界が伝承していた古武術と正しく位置付けることで、
この間違った先入観に基づく認識を軌道修正することが可能になる。
本物の忍術の多くは門外不出とされてきたため、
忍者の巻物に記されて巷に流出して広まるようなことはなかった。
江戸幕府は、遁甲(忍術・兵法)に関する書を厳しく取り締まり焚書としていた。 今では世界最強の格闘技とされる、修験道界が伝承してきた古武術は、
忍術としてアメリカで流行していますが、正しい古い呼び方は遁甲であり、
その総本山は、遁甲をよく知る天武天皇が真人(公家)の筆頭に位置付けた、
息長氏の皇祖神を祭祀するお家・息長斎王家です。
このお家の鎌倉時代の歴史学者は、
一族に伝わる伝承や、
邪馬台国の卑弥呼は、魏に遣わした者に周王朝の官位を名乗らせていることを理由に、
卑弥呼もまた、黄帝ゆかりの姫の姓を受け継ぐ、
東夷の王族系の太陽信仰を司っていた日女(ひめ)巫女の王(後世の斎王)だった、
という説を唱えています。
邪馬台国の主要衛星都市国家と思われる伊都国の王は、天日矛の末裔を名乗っているため、
卑弥呼もまた天日矛に連なる、渡来系の東夷の王族だった可能性が高いようです。
日本書紀は、天照大神=神功皇后=卑弥呼?といわんばかりの書き方をしています。
これは、たとえ唐の侵略を受けて皇室が滅んでも、皇祖神の一族さえ残っていれば、
皇統の再興が可能と考えて、あえて真相をボカして仄めかすに留めたものと思われます。
大きく3つの家で構成される息長氏の斎王家は、
又従兄妹までの間でしか婚姻を行わないシキタリが現代まで残っているため、
古い時代の遺伝子をそのまま受け継いでいる可能性が極めて濃厚です。
鬼のような巨体を劣化させることなく維持しており、190センチを超える人ばかりです。
伝承どおり、父方がペルシャ系、母方は縄文系の遺伝子を持つことが分析の結果判明しています。
記紀神話の世界では、皇統は素戔嗚と天照大神の一族の誓約から生まれたとされますが、
男系の継承を重んじる皇室の祖先を女神とするのは、妻問婚の習慣ゆえとも言われています。 初日の出を拝んで天照大神の神託を告げる日拝の神事(奇日(くさか)神事)を司る、
皇室と藤原氏の背後に隠された、日の巫女の神道を母系継承する息長氏の斎王家では、
男子は胤を残す役割を担う者以外用がないため、14歳になると家を出されます。
男衆達は、昔は修験者の姿になって斎王家を守護する任に就いたり、
出家して僧侶になったり、医学その他を習得して学者になったり、
宮大工や武器を製造する職人になる者もいたようです。
息長氏の斎王家を取り巻く男衆が今では複数の私立大を運営しているのは、
そういった古い秘伝を伝承する家々が現代化した姿と考えられます。
修験者は言うまでもなく、役行者・小角系の、
現在の忍術に通じる格闘技の体系の伝承主体です。
修行と称して全国の山野を駆け巡って諜報活動を行っていたのが修験者で、
本物の忍者は一目で正体を見破られる真っ黒い忍者装束など着ていなかったようです。
天狗は人を化かすとか惑わすといった伝承が残りますが、
これは、息長氏の斎王家の宮がある隠し里を発見されないように、
また、非公開とされてきた奇日神事をはじめとして、
神聖な儀式が行われている霊場に余人が無闇に立ち入らないようにする目的で、
鼻が高く巨体で知られる彼等が、人々を遠ざけようと、
さまざまな威嚇行動を取ったものが、伝説化した結果と思われます。
息長氏の傘下の秦氏の寺院などに天狗面(秦河勝の舞楽面)などが残されていますが、
http://www.ako-minpo.jp/data/d00008/p834_0.jpg
これは、息長氏が祭祀を行うときに、人を遠ざける警備員達が、
一般人を威嚇して追い払うために、着用して武器を持って舞っていたもの、
という伝承が息長氏の斎王家に残っているようです。 息長氏の斎王家(東夷の王族)をルーツとする格闘技は、
皇室が伝承主体だった、記紀神話にも登場する手乞(てごい)としても知られます。
手乞とは、お手を乞う=「ちょっとお手を拝借」と言って、ヒシイで投げる技のことで、
ひしぐとは、関節を決めるような所作を指すらしく、
現代では、相撲や合気道として一般に広まって知られています。
じつは、門外不出とされている息長氏が伝承する手乞には、
体が鬼のように巨大な息長氏の男衆に適した、現代の相撲に通じる剛の体系と
体が柔軟な息長氏の女衆に適した、現代の合気道に通じる柔の体系の、二系統が存在します。
相撲のほうは説明の必要がないと思いますが、
合気道のほうは、何やら神秘(オカルト)めいた“気”というものが介在するため、
神通力?のような怪しい格闘技?の印象が付きまとっています。
なにしろ、触れるだけで相手を無力化してしまうのですから、
インチキ?のように受け取る人が多くても仕方がないようです。
じつは、気を用いるこの系統の技を習得するのは容易ではないため、
FBIなどは機械的に脳の運動機能をマヒさせる現象を再現するために、
マイオトロンといったパルス刺激系の特殊スタンガンを開発したようです。
本物の手乞の柔の技の体系は、精神感化の一種と判明しつつあります。
ですから、感化されなければかからないわけで、
人によってマチマチですが、
つま先を持ち上げる、口の中で舌を横にちょっとずらす、といった、
体内に余計な“感覚要素”を作るちょっとした工夫で、
ある程度までならば技を回避出来ることが知られています。
もちろん、それでも高段者の技にはかかってしまい、
体が思うように動かない状態に陥ることがよくあります。 天狗は人を化かす(騙す)、という言い伝えの正体が、
息長氏の斎王家を守護する男衆達の、宮や祭祀の場から人を遠ざける、
威嚇行動だったことはすでに触れました。
では、天狗の隠れ蓑の正体とは何でしょうか?
大柄な息長氏の斎王家出身の男衆が、蓑を被ったぐらいで姿を覆い隠せるとは思えません。
大勢で山狩りをして間者(忍者)を駆逐していた猟師を含む人々なら、
蓑を被って隠れている人間など容易に見破ってしまうので、実用に耐える忍法とは言えません。
じつは、息長氏の斎王家の方々は、強力な精神感化の資質を御持ちなので、
天照大神と精神を一つにして(神憑りして)神託を下す祭祀を行っているときの彼等を
一般人が見ると足に震えが来て、とても立ってはいられない状態になります。
神が畏れ多いとされ、神前で跪いて平身低頭するシキタリが生まれた理由がここにあります。
息長氏の斎王家の御宗主様によると、
失立・失歩・失目・失禁・失神という一連の言葉が伝わっているそうです。
失立は、熊と出会って腰が抜けて立てなくなるのと同様の状態。
失歩は、恐怖のあまりフリーズして身動きできなくなる状態。
失目は、精神的ショックを受けて、一時的に目の前が真っ暗になる状態。
失禁と失神は説明するまでもないでしょう。
これらのヒステリー症状が、息長氏の斎王家の男衆(天狗)が伝承する忍法と
密接な関係を持っていることが、斎王家の御宗主様のレクチャーによって明かにされています。 失立・失歩・失目・失禁・失神といったヒステリー症状は、オカルト現象ではありません。
祭祀を司る、生き神扱いの日向の日女(姫)神(日女巫女)の御神威とする解釈が昔からありますが、
宗教的要素とは関係なく、人は恐怖すると腰が抜けたり体が動かなくなり、
場合によっては失禁したり失神もする生き物です。
恐怖に駆られると、心臓が激しく鼓動しているにもかかわらず、顔が真っ青になります。
このとき、心臓から送り出された大量の血液は、四肢の筋肉に送られています。
しかし、頭部への血流は逆に低下して、顔が青くなっていくのです。
全力疾走で猛獣から逃げるために必要なエネルギーを筋肉に送るために、
頭部や脳に行く血流を急激に低下させる体の反射的な仕組みが存在します。
その結果、多くの哺乳動物は、運が良ければ命が助かることもあるわけですが、
脳が肥大化している人間の場合は、脳に行く血流の低下は思わぬ副作用をもたらします。
脳貧血によって、運動機能が一時的な障害を受けると、腰が抜けて立てなくなったりするのです。
恐怖で体が動かなくなるのは、脳機能の一時的な低下に伴う運動障害です。
目の前が真っ暗になるのも、脳の視覚野に行く血液の減少が原因で、黒内障とも呼ばれます。
失禁や失神も、言うまでもなく脳貧血の結果です。
古くから畏れ多いとされてきた、神と精神を一つにした状態の斎女(高位の巫女)を前にすると、
その常人離れした精神的テンションの異様な高さに過剰なプレッシャーを感じて、
精神感化によって恐怖で鳥肌が立って、胆力がない者は強いヒステリー症状を体験するため、
高貴な人は御簾を降ろして御姿を隠す慣習があり、神事が非公開とされてきたわけです。
神聖な儀式の最中に失禁の粗相があってはならないので、
天狗に扮した男衆達が、祭祀の場に一般人が近付かないように警護していたわけです。 ここまで解説すれば、天狗の隠れ蓑という謎めいた忍術?の正体について、
察しの良い人はすでにお気付きと思います。
つまり、息長氏の斎王家の御宗主であらせられる、日の巫女の王(斎王)だけでなく、
男衆も、失立・失歩・失目・失禁・失神といった精神感化を引き起こす資質を有しており、
天狗を見たと認識した恐怖のあまり失目状態に陥った人々は、一時的に目の前が真っ暗になって、
息長氏の男衆が扮した天狗の姿が見えなくなっていたわけです。
こういったものが、忍者が用いたとされる、謎が多い忍法の本当の正体です。
現実に起こり得ない作り話ではなく、西洋医学の視点からも解説可能な現象なのです。
高度な合気道の技の多くも、体に力が入らなくなる系統のもので構成されており、
“気”という定義が曖昧な特殊な概念を想定しなければ説明がつかないような、
非科学的なオカルト現象の類ではありません。
ミラーニューロンが介在する精神感化系の技と判明しています。
医学を知らない昔の人々は、脳貧血や脳神経の外乱が起こっているといった理屈が分からなかったため、
修験道界や陰陽師に伝わる神通力?神威?と、
技を使う側も技に掛かる側も思い込んで使っていたようです。
そのため、怪しげな術の体系が存在するという、現実から乖離した天狗の伝説が生まれたわけです。
息長氏の斎王家の女衆が怖ろしいのは、精神感化に秀でているため、
腕力とは関係なく、合気道の技を使って腕相撲などに簡単に勝ってしまうことです。
4歳の女児が身長197センチ体重160キロを超える大男に腕相撲で勝つのを見て、
理屈が分からなければ、何かの冗談?インチキ?と考えるのが当たり前だと思います。
しかし、今日の合気道にも通じる手乞の技として見れば、誰でも習えば可能になることなのです。
したがって、息長氏の斎王家の巫女様達が、説明がつかない神通力を備えていると考えるのは迷信です。 脳の視覚野に行く血流が低下した結果起こる、失目という精神感化現象は、
西洋医学では黒内障と呼ばれています。
この症状に陥ると、視覚が一部分暗く欠けたり、すべて失われるだけでなく、
恐怖の対象だけが見えない、といった逃避系の症状を体験することもあります。
これが、天狗(修験者姿をした秦氏の忍者衆)の隠れ蓑の正体です。
それだけでなく、黒内障の症状が出ると真っ直ぐに歩けなくなることがあります。
本人は真っ直ぐ進もうとしているのに、結果的に斜めに歩いてしまう、
といった運動障害を伴うケースがあることも知られています。
恐怖の対象を弓で射ろうとしても、良く見えず、違う方向に向かって弓を射てしまい、
まったく当たらないといった事も起こり得ます。
このような一見すると不可解な現象を体験した昔の人々は、
天狗に化かされた、怪しげな術にかけられた、鬼の祟りだ、忍者の忍法だ、
などなど、その場で思い付いた適当な解釈で、伝説を生み出していったわけです。
相撲や戸隠流の忍術が、物理的な格闘技としてかなり優れていることは明らかですが、
そこに精神感化系の技が加わると、
現代のただの中国拳法の達人レベルでは、到底太刀打ち不可能です。
身長197センチ体重160キロを超える、骨太で筋肉質の、
ストロンゲストマン・コンテスト優勝クラスの鬼のような体格の人が、
相撲や修験道の体術を極めたうえで、忍法まで使うとなると、もはや最強!です。
アメリカのテレビ番組ファイト・サイエンスでは、忍者のデスパンチが最強!
という結論を出していましたが、
指先一つの軽い衝撃で神経系に偽情報を与えて、心拍を低下・停止させる、
北斗の拳の元ネタになった息長氏の斎王家が伝承する必殺奥義系の忍術も存在します。 アメリカのテレビ番組ファイト・サイエンスで紹介された忍者のデスパンチは、
日本のテレビでもとりあげられたことがあり、一時期ユーチューブでも紹介されていました。
胸を軽い力でポンと叩くだけで、心拍数が低下して脳貧血が起こって動けなくなり、
気絶したり、場合によっては心停止に至り、蘇生処置を施さずに数分間放置すれば最悪脳死に至ります。
ヘーリング・ブロイウェル反射などとも深く関係している体の反応を、武術へと応用したものです。
サッカーボールを胸に受けたときの軽い衝撃で引き起こされることもあり、
スポーツ事故の報告例も幾つかあります。
したがって、マンガなどの創作物由来のアリエナイ系の作り話ではありません。
巨体で知られる息長氏の斎王家の男衆ならば、
指先一つで軽く胸を押す程度の打撃で、容易にこの反応を引き出して、
相手を昏倒させたり、心停止に至らしめることも可能です。
通しの手法(柔らかい掌などを使って波長の長い打撃を入れる)で甲冑の上から衝撃を加えれば、
屈強な鎧武者すら素手の軽い打突の一撃で簡単に倒すことが可能なようです。
つまり、どう見てもマンガの北斗の拳のモデルになった技の体系に見えるのです。
じつは、天皇=夜の天界を統べる天皇大帝は、北辰(北極星)信仰の対象で、
北斗七星に対する信仰とも密接に繋がっています。
つまり北斗神拳のモデルは皇室が伝承する古武術(手乞/テゴイ)にあり、
皇室は息長氏の斎王家に妻問婚した家、現代風に言えば入り婿の分家ということになります。
(※男系の継承を重んじる皇室の祖先が女神の天照大神とされるのは、これが理由です)
ですから、リアル北斗神拳のルーツは母系社会の痕跡が今も残る息長氏の斎王家ということになります。
息長斎王家を総本山として、息長の男衆から日本の修験道界に伝わっていった古武術が、
アメリカで起こった忍者映画のブームとともに広まって、
人気テレビ番組で放送されてアメリカ人の間で周知されるに至っているのが現状です。
とはいえ、この技によって昏倒した人を蘇生させる適切な処置方法を知らないまま使って
数分間脳への血流が滞ると脳の機能障害や最悪脳死事故に至る可能性があるため、
アメリカの忍術の道場でも秘伝扱いで、誰にでも教えているわけではないようです。 精神感化系の遠当ての技を用いれば、触れもせずにヒステリーの諸症状を引き起こせるため、
忍者のデスパンチ系の技は、日本の修験道界の術者の間では、
胆力を鍛えた精神感化に抵抗力を持つ相手にしか使われず、出番は多くないようです。
自律神経や迷走神経の機能と深く関わっている体の反応なので、
丹田(腹部にある太陽神経叢)を鍛えて、何事にも動じない胆力を身につけることで、
この種の攻撃に対してある程度までなら抵抗力を持つことが可能になります。
息長氏の斎王家が執り行う、初日の出を拝む奇日(クサカ)神事などに列席するには、
精神修養を積んで、胆力を十分に鍛えている必要があります。
崇敬会に属していても、斎王家の御宗主様と御簾を上げた状態で目通りできるのは、
必要十分な胆力を備えた者に限られるわけです。
人間を含む高等動物の多くは、他の個体の優れた体と脳の使い方をその仕草を観察して学習するために、
ミラーニューロンを備えていますが、精神感化の諸現象はこの機能の過剰反応によって起こります。
トランス状態(脳のリミッターを外した状態)に移行して天照大神の神格を宿した斎王(日の巫女の王)の
優雅で神秘的な立ち居振る舞いに、見た人々のミラーニューロンが反応すると、
その常人離れした脳の使い方を模倣しようにも、脳に過剰な負荷がかかって到底不可能と感じてしまい、
その過大なプレッシャーが強い畏怖の感覚として表面化するのです。
脳のリミッターが外れると瞬間的に火事場パワーが発揮できることなどが知られていますが、
その代わり、筋肉が過剰な力を出しすぎて損傷するため、酷い使い痛みになったり、筋肉を傷めることがあります。
そこで、平常時はリミッターによって保護されているわけです。
脳のリミッターは脳神経が細胞単位で過労死するのを防ぐ役割も担っているため、
これを外した斎王の、常人離れした天照大神の立ち居振る舞いを見て感化を受けると、
脳が壊れることに対する本能的な恐怖から、ヒステリー系の諸症状が出てしまうのです。
これが、神憑りした高位の巫女が畏れ多い存在とされてきた、御神威の正体です。 脳細胞に過負荷がかかったとき、細胞単位の過労死を防ぐには、脳を冷やすのが効果的です。
人間ほど脳が肥大化していない猿は、汗腺をほとんど持っていませんが、
人は体表面の毛を取り除いて体の保温性を捨ててまで、汗腺を発達させて、
体の表面全体を使って効率良く脳を冷却できるように進化しているのです。
日本を導く叡智を天皇に授けるために、
天照大神の神託を下す神事を代々担当していた斎王(高位の巫女)は、
トランス状態に移行して脳のリミッターを外してでも、
国の行く末を左右する優れた神託を得ることが求められてきました。
リミッターを外せば、とうぜん脳の機能は一時的に高まりますが、
脳細胞に過大な負荷がかかる危険な状態になります。
それを胆力がない一般人が見ると、ミラーニューロンが反応して同様に脳に強い負荷が加わり、
脳が細胞単位で死んで壊れることに対する、強い本能的な恐怖心が生じます。
結果、脳を保護する目的で、自然にヒステリー系の転換反応(逃避的反応)が起こるのです。
脳のリミッターを外しても、容易に脳細胞がダメージを受けないようにするには、
体の表面全体を使って効率よく脳を冷やす訓練を積んでおく必要があります。
そのため神道界には、冷水を頭からかぶる禊と呼ばれる修行法の体系が伝わっています。
冷たい滝の水に打たれる精神鍛練の修行も、じつは脳冷却を主目的の一つとして存在するのです。
修行が不十分なニワカ宗教家がトランス状態に移行して脳のリミッターを外して
天照大神の神格に移行する神事の真似事をすると、脳が呆気なくオーバーヒートしてしまい、
精神が錯乱して世迷い事を口走る状況に陥ることがあるようです。
神憑り=精神疾患という間違った認識は、修行不足の宗教家達が原因で広まったものだそうです。
もちろん、神道界に伝わる正しい修行を幼少時から積んでいる息長斎王家の高位の巫女達は、
脳のリミッターを外して自己催眠を用いて神の人格へと移行(トランス)しても、
脳の機能に支障を来たすことはなく、優れた懸案解決の妙案を神託として下すことが可能です。
しかし、その脳の使い方は一般人から見ると尋常ならざるものなので、
本能的に発狂の恐怖を感じさせる畏怖の対象とみなされてきたのが実情というわけです。 息長氏の斎王家の斎女(高位の巫女)様達は、たいへんな汗っかきの御体質です。
少し室温が高いだけで、全身から汗が滴り落ちてしまうので、
気温が高くなると、常に扇を用いているようです。
脳冷却を必要とする家業を伝承しているので、そのような体質に進化していて当然と思います。
日本の蒸し暑い夏は大の苦手らしく、好んで標高が高い山中にお住まいになります。
高天原という言葉は、そこから生じたものです。
約7千年前に、阿蘇山よりも大きなカルデラを形成している
九州南方にある鬼界カルデラの海底火山が大噴火したことが、火山灰の地層から分かっています。
日本列島は噴煙で日が陰り、合わせて降灰の影響で農作物や木の実が得られない大飢饉が起こり、
九州から青森県まで避難した後に、丸木の双胴船を作って海外脱出した人々が大勢いたことが、
考古学的な発掘の成果から分かってきています。
この時中国大陸東岸部へと疎開したのが、息長氏の斎王家の母系の祖先(天照大神奉斎集団)です。
山東半島の付け根付近でシルクロードの西から来たコーカソイド(素戔嗚奉斎集団)の一族と混血して
東夷の王族(皇祖の一族)が形成され、集落を築いていったと考えられています。
神話や故老の話だけでなく、DNAの分析結果もこのストーリーと矛盾しないそうです。
大変な汗っかきの体質ですから、大陸でも彼女達は高地に住みたがり、
高句麗国発祥の地とされる五女山城という、
標高5百mのテーブルマウンテンを高天原としていた時代があったそうです。
日本へと里帰りした後に構えた高天原の一つは、丹生都比売神社が建つ標高4百mの高台だったそうです。
現在の西宮の斎宮が建っている芦屋市六甲奥池住宅地も、標高5百mの高台にあります。
六甲奥池の西宮の斎宮は、火災や土石流災害が多い地域ということもあって、
大半が地下施設になっているらしく、内部に奥池の水が流れ落ちる大瀑布があり、
滝を龍に見立てて昔から別名を乙姫(おとひめ/弟姫=妹姫)の竜宮城と呼ばれてきたそうです。
つまり、神宮の内部空間にも神道系の修行が出来る、涼しい滝の施設があるわけです。 骨太・筋肉質の巨体ゆえに大喰らいでカロリー食いの東夷の王族の多くは、
黄巾の乱とその後の大戦乱の原因となった飢饉が深刻な大陸中心部に残ることができず、
海の幸に頼りながら日本へと帰化(里帰り)しましたが、一部はなんとか大陸に踏み止まったようです。
息長氏の斎王家の御宗主・明姫様によると、
その一つが大陸の(朝鮮半島ではない!)高句麗国の王家だそうです。
高句麗語は日本語と数詞が完全に一致するほか(現代の朝鮮半島の言葉は一致しない!)、
高句麗国も日本の応神王朝と同じく、国母神とその息子の祖王を二霊廟を並設して祀り、
妻問婚という、倭人系特有の婚姻の慣習を持っていたようです。
言語も宗教も婚姻のシステムも共通性が見られるなら、ほぼ同族と考えて良いと思われます。
それだけでなく、本来の高天原は高句麗国発祥の地である桓仁の五女山城址(ユネスコ指定)にあった、
という伝承が息長氏の斎王家に残っていることからも、同じ東夷族と見てよいと思います。
高句麗国も古墳が多く存在し、日本の古墳時代と深い結びつきがあったことが考古学的に判明しています。
高句麗が滅ぶと王族の大半が日本に亡命しましたが、一部の血脈は渤海を経て女真族に受け継がれたらしく、
やがて勢力を盛り返して、最後には漢民族を圧倒して清という国を興し、
中国全土を平定してしまいます。
つまり、孔子の教えに始まる義を重んじる武の文化を育んだ東夷族は、
アジア大陸東部で最強の種族ということが、歴史的事実として実証されているわけです。
それだけでなく、漢字を生み出したのも東夷族だったという説が有力視されています。
殷墟などの発掘結果をもとにした、物証を踏まえた見解です。
漢字は、言葉が通じない者同士が筆談によって商取引を行ったことが発端となって広まった、
という説が有力視されてますが、これが正しいとすれば、
かつてシルクロードの西から来たコーカソイドが形成した東夷族の集落とも繋がってきます。 中国数千年の武術と、それを伝承する最強の東夷の血統は日本に渡来しており、
残念ながら今の中国大陸には残っていないようです。
例外的に、チベット方面に疎開した東夷の人々の末裔がいて、
血が薄まってはいるものの、丹の村などに住んでいるようです。
というのは、丹の村出身のアランという中国人歌手の顔が、
息長氏の斎王家の女衆の方々とよく似ているからです。
神功皇后の想像図は、明治に発行され最初に肖像が印刷された壱円札に見ることができ、
モデルとされる大蔵省の東洋的な顔立ちの女性局員よりも
ずっと西洋的な要素を持つ縄文美人として描かれています。
じつは、本当の神功皇后の肖像画のモデルは、息長氏の斎王家の女性と聞いています。
父系(素戔嗚)がコーカソイドなので、洋風に見えて当然と思います。
分家が息長丹生真人氏を名乗り、琵琶湖東岸に古墳群を残していることから分かるように、
丹(水銀朱・日の丸の色)と深い関わりを持っており、
丹の村出身のアランという歌手は、血筋が繋がっている可能性が高いようです。
アジア人でもやや彫が深い、縄文系の整形不要美人に属すると考えて差し支えないと思います。
中国大陸に残らなかったものが、息長一族と修験道界の形で日本に残り、
そこから、相撲や合気道や忍術といった国風文化として再構成されて広まって、
今ではファイト・サイエンスが世界最強の格闘技は忍術と認定するに至り、
FBIやCIAまでが、戸隠流忍術を世界最強の格闘技とみなして、
その習得カリキュラムを採用している状況にあるようです。 ファイト・サイエンスはあくまでもアメリカの娯楽番組。
世界の色々な武器を比較した回を見れば分かるとおり太陽と北風の童話式の比較で片寄った結論を出すナンセンス番組。 >>75
CIAやFBIやアメリカの警察の専門家まで、
ナンセンスな判断をしていると主張できなければ、
その論は通らない。
ファイトサイエンスの製作スタッフ達は、
独自の判断で奇をてらった結論へと視聴者を誘導する、偏向報道を試みているわけではなく、
アメリカの格闘技界の専門家達の見解を後追いして、番組としてまとめているにすぎない。
つまりネットで言えば、ウィキペディアと似たようなものだ。
日本では一笑に付されかねない『最強の格闘技は忍術!』という論が、
本格的な格闘技を修得して、実戦で用いた体験を持つ軍人が多いアメリカで、堂々と通用するのは、
テレビ番組の影響ではない。
映画の忍者ブームが火付け役だが、もしも、空手や柔道その他の有名な格闘技に比べて忍術が、
中身がない紛い物だったなら、
ブルース・リー系の道場と同じように、一時的なブームが起こっても短命に終わっただろう。
そうではなく、CIAやFBIやアメリカの警察官の間で高く評価されている事実からも、
実戦で使える優れた技の体系が存在することが見て取れる。
そして、そのルーツは中国大陸の東夷族にあったことが、歴史的事実として浮かび上がってくる。
問題は、現在の中国ではなぜその伝統が受け継がれておらず、情けない状態にあるのか、という点だ。
本格的に格闘技に関する歴史を研究をしている多くの人々が、
これを不可解と知りつつも、上手く説明できないケースが多い。
したがって、この場を借りた長文による丁寧な解説が必要となる。 日本の沖縄が発信源と言っていい、アメリカの警察で広く採用されているトンファーも
世界的に高い評価を受けていると考えていいと思います。
しかしじつは、トンファーや手裏剣や日本刀などよりも、
遥かに強力な武器が日本には存在します。
それは、五月人形の横に置かれることでも知られる打根です。
一見すると矢のような形をしていますが、槍のような太さがあり、尻に紐が付いるため、
振り回し、投げて、突いて、斬って、絡め取ってと、
遠中近の距離に応じた変幻自在の戦闘が可能な武器です。
今でこそ使い手はほとんどいなくなりましたが、
江戸時代は参勤交代の大名の駕籠に必ずといっていいほど置かれていた護身用の装備です。
この打根の使い方は、弓術の一派がかろうじて伝承しているものの、
それは失伝後に再構成されたものという見方もあります。
息長氏の斎王家が伝える武術は、門外不出とされて直接紹介出来ないそうですが、
3DCGに置き換えたものを、SecondLifeというメタバース(仮想世界)で公開し、
息長氏の斎王家の御宗主・明姫様が御自らモーション・キャプチャーでアバターを動かして、
技の一端を御披露下さったことがあります。
領巾(天の羽衣のような女性が用いるストール)を用いた印地、
忍者の隠し武器として知られる微塵(ボーラ)、
今では使い方が謎とされるチャクラム(法輪)も、
打根とある程度共通する使い方が可能だそうです。 印地とは、石を投げる技全般を指す古語のようですが、
合戦の後大量の死体を集団埋葬した跡から
投石で死亡したと思われる人骨が多数見つかっていることから、
かつて日本ではかなり普及していたと考えられています。
印地は、直接手で石を握って投げるだけでなく、
領巾(天の羽衣のような女性が用いる護身用のストール)や
手拭いに引っ掛けて振り回して殴打したり、投げたり、
布で絡めて捕縛するといった使い方もあります。
微塵(ボーラ)もまた、投げるだけでなく分銅鎖のように扱う方法があり、
印地や打根とも共通する動きが見て取れました。
じつは、チャクラムも紐やストールを用いて振り回す、似たような使い方があり、
そのほうが遥かに武器として有効で、ダメージを与えやすいように見えました。
チャクラムの使い方は一般には謎とされており、
輪の中に突き立てた人差し指を入れて、クルクル回してから投げたとか、
フリスビーのように扱ったとも言われていますが、
それでは強く投げることが難しいため、実用的な武器とは考えにくく、
多くの専門家がそれらの説を疑問視して来たようです。
暴風の激しい音に由来する名を持つ素戔嗚は、
インドの暴風神のルドラやシヴァと共通した特徴を備えており、
シルクロードの西から伝来したことが分かります。
そのため、素戔嗚(天日矛・蚩尤)の直系の子孫とされる
息長氏の斎王家の明姫様は、インドの古い武器の扱い方も伝承しているようです。
SecondLifeの祇園の神社が置かれていたSIMでアバターをモーションキャプチャーで操って、
チャクラム(法輪)の使い方を実演して下さったことがあります。 息長氏の斎王家に伝わるチャクラムを扱う体の動きを見て驚いたのは、
輪の中に指を突っ込んで回して投げるような、
お伽話の伝説の使い方とはまるで異なっていた点です。
輪に革帯を通して、そこに紐やストールを括り付けて釣り下げて携帯し、
そのまま紐やストールを持って振り回すのです。
投げる使い方もありますが、それよりも振り回す使い方が主のようです。
分銅鎖に、錘ではなく刃が付いた状態と考えれば分かりやすいと思います。
あるいは、領巾や手ぬぐいに石を引っ掛けて振り回して殴打する印地の動きのまま、
円盤状の刃物を振りまわしている、と表現することも出来ます。
そのため、普通の服を着ている状態では、錘で叩かれる以上にダメージを受けてしまい、
剃刀のような切れ味が首などに入れば即致命傷という気がします。
まるでヨーヨーのように間合いが変幻自在に変化するようにも見えるだけでなく、
剣や盾で防御しようにも、受けると輪が後ろに回り込んで斬り付けてくるため、
非常に厄介な代物だと思います。
しかし、武器の跳ね返りが予想できない未熟な使用者の体も切れるので危険です。
また、甲冑を着込んだ相手を斬ることは難しく、
打根と比較して、たいしてダメージが入らない印象を受けます。
防具が発達していなかった時代は、戦闘で有効だった武器が、
甲冑の進化と共に陳腐化していき、
そのため使い方が伝承されず、インドの神話の世界の武器に成り果てた、
と考えるのが、どうやら妥当のようです。
現代の息長氏の斎王家でも、法輪は実用的な護身用の武器ではなく、神器扱いのようです。 中国武術界では、三節棍が優勝武器とされることも多いようです。
刀剣の類で攻撃を受け止めることが困難で、一方的に攻撃され続けて逃げ惑ううちに、
したたか打ちのめされて敗れ去ることが多いようです。
しかし、三節棍は鎧を着ていればある程度衝撃が緩和されてしまい、
一撃で致命傷を負わせることが困難な武器のようです。
その点、手裏剣などより遥かに重量がある打根は、鎧の上からでも槍のように貫通し、
鎧の隙間を狙えば致命傷を与えることも容易と思われます。
さらに、息長氏の斎王家に伝わる打根は、
通常の槍先とは異なる、竹槍に通じる特殊な秘伝の形状をしており、
息長氏の男衆が経営する私立医大の外科医の教授によると、
斜めにパイプをカットした形状の内部に蜜蝋を使って封入した毒物を
突き刺すことで体内に効率良く注入することが可能なため、
軽い刺し傷程度のヒットでも、致命的なダメージを与えることが可能との見解です。
じつは、矢先にも同じような細工が施されたものがあり、
現代人はただの透かし彫りの模様のようにしか解釈していないが、
単純に体に風穴が開くだけの銃弾を上回る殺傷力を有しているようです。
昔の人はそれらを、フイゴの神・蚩尤の御神威と解釈していたようですが、
仕組みさえ分かってしまえば、オカルト発想を持ち出す必要はないわけです。 というわけで、
最強格闘技は忍術、最強武器は打根あたりでファイナル・アンサーのようです。
剣道の高段者でも、打根が相手だと、ほとんど手も足も出ないようです。
槍や薙刀が届かない距離からグサッとなるので、
長柄武器も打根の前ではあまり意味がありません。
さらに、息長氏の斎王家には、返し矢の技が伝わっており、
通常の矢は余裕で空中でキャッチされて、投げ返されてしまいます。
もちろん、神威に伴う黒内障の症状が現れると、矢も鉄砲もまともに当たらないため、
まともな戦闘自体が成立しなかったようです。
日本の並み居る豪族を征して皇室の祖となり、中国大陸を征して清帝国の祖先となった、
古代の豪傑のなかでも最強クラスの東夷の王族の子孫が、
世界最強の武術を伝承していても、なんら不思議はないと思います。
最強であることをすでに歴史的事実が証明済みなのですから。
それを、FBIやCIAが認め、
ファイト・サイエンスなどのテレビ番組を通して
アメリカ国民の間では周知の事実になっていることは、当然の結果だと思います。
このことをハッキリ認識できておらず、現実を見誤ってきたのは一般的な多くの日本人のほうです。 んで、ファイナルアンサーさんはアイマスとラブライブどっち派なの? >>55-83
>ファイナルアンサー
妄想もそこまで書ければ大したもんだ。
中二病系ラノベ作家の素質があるよ。 >>85
なんら具体的内容のない、ただ身勝手に妄想と決め付ける
無意味な冷やかしのコメントを投稿して、何がしたいのかね?
某私立大の学内ネット上の武術や精神文化関連のフォーラムや、
SecondLife(メタバース)での講演内用がソースだから、
間違いを指摘できるのは大学関係者ぐらいのものだ。
分かったつもりで独り善がりな決め付けを試みても、
何ら具体的な指摘ができないなら、
信ぴょう性を貶める印象操作を目的とした
偏向工作用の作文と受け取られるだけだ。 この際はっきりさせておいたほうがいいだろう。
武術のルーツに言及していると、空手も柔道も朝鮮が発祥といった、
トンデモ系の歴史認識の歪曲工作を試みる輩が現れることが多々ある。
殷墟の発掘結果などから、東夷族が漢字を発明したという説が有力視されているが、
優秀な東夷族はじつは古代朝鮮民族で、
大陸東岸の南京付近まで昔はすべて朝鮮民族の支配地だった、
といった、トンデモ系の歴史認識の歪曲工作が複数認められる。
※一例として大百済帝国↓
http://ks.c.yimg.jp/res/chie-ans-179/179/443/443/i320
もちろん、日本側や中国側は、
このような信頼に足る史料に基づかない架空の歴史認識を認めない。
本当に朝鮮民族が東夷族だったなら、
彼等の屈強な肉体と優れた古武術はどこに消えたのか、説明する必要がある。
それらのものを受け継いでいないなら、東夷の後裔を名乗る資格はない。
大百済帝国など真顔で主張すれば、いい笑い者にしかならないことは誰にでも分かる。
物笑いの種にしかならないような情報しか持ち合わせがないにもかかわらず、
強引に無理な主張を展開したい欲求に駆られた工作分子から見れば、
東夷と姫姓と皇室の関係を端的に示す情報は障害物以外の何者でもない。
そこで、ネット上から目障りな情報を取り除きたいという欲求を露わにした、
なんら中身のないコメントが付くことになる。
何か具体的なことを書けば、
呆気なく誤情報流布行為として駆逐されることが分かっているから、
なんら具体性のない冷やかしや決め付けのコメントに終始する傾向が認められる。 そっか、ブリキュアしか認めない派か。
やれやれだな。 なぜ現在の中国大陸に、東夷族ゆかりの格闘技が残っていないのかは、
謎としか言いようがありません。
というのは、清帝国最後の皇帝・愛新覚羅溥儀は、彼の祖先と皇室の祖先が同祖である、
という伝承を信じていたようなのです。
そこで、来日した愛新覚羅溥儀は、自ら昭和天皇に、
皇祖神・天照大神を満州帝国で祭祀したいと、分霊品の御神体の神鏡を所望したそうです。
後の国際軍事法廷では、日本から強制されて天照大神を祀ったと偽証させられていますが、
実際には、溥儀の申し出に対して日本神道界は当初否定的な見解を示したようです。
天照大神は日本の神であり、御神体を海外に輸出するなど考えられなかったようです。
溥儀にしても、清帝国の皇帝の血統を受け継いでいながら、他国の皇室の祖先を祭祀することに、
本来ならば抵抗があって当然と思います。
つまり、息長氏の斎王家が伝承している、
高句麗の王室は同族で、その血は女真族に受け継がれてい;った、
という情報とほぼ同じものを、彼等が内々に持っていたことが考えられます。
清帝国を起こした女真族最強の血統と皇室が同じ祖先を持つ、と信じていたのですから、
とうぜん、女真族の最強武術が清帝国の武人の間に伝わって残っているべきだと思います。
ところがどういうわけか現状を見る限り、
日本の格闘技よりも中国のものは圧倒的に見劣りするのですから、
どこかの時点で失伝してしまったとしか考えられません。
この謎に対して明確な答えを示せる人々は、
やはり息長氏の斎王家の方々を除いて存在しないようです。 清帝国皇帝の血統の劣化は、その外見から明らかです。
溥儀の姿は、ストロンゲストマンと言っていい
東夷の王族の骨太筋肉質の巨体からかけ離れたもので、
顔立ちも息長一族との共通性を探すのが困難だと思います。
遺伝的資質がなければ、格闘技の奥義は伝承できないため、
一つの可能性として、政略結婚などによって雑種化して、
ストロンゲストな鬼のような肉体を失った時点で失伝したことが考えられます。
息長氏の斎王家を取り巻く男衆が、今も高度な技を伝承することが可能なのは、
古い時代の身分制度に由来するエリート意識を維持しており、
今でも自由恋愛よりも、又従兄妹までの婚姻制限を優先して守っているからだと思われます。
残念なことに、皇室も公家化してしまい、今では一般人とほとんど変わらない体格です。
とても、鬼呼ばわりされた素戔嗚の、古代豪傑の子孫とは思えません。
対して、斎王家の御宗主・明姫様は剛腕で、
長さ2mを超える物干し竿のような奉納刀を左手に持って剣舞を舞います。
戦国時代にはこのような大太刀は、
拳と肘の二箇所に括り付けて固定して、馬上で片手で振り回していたようです。
普通に手に持って振り回せば、打ち込みの衝撃で手首を痛める重量のため、
女性が片手で持って振り回すなど不可能に思えますが、それに耐える剛腕をお持ちです。
聞いた話では、高校生の頃左手の握力が116キロもあったそうです。
それだけの握力を身に付けなければ、剣舞の伝承が不可能で失伝するとすれば、
遺伝的資質の劣化は絶対に起こしてはならないことだと思われます。
つまり、婚姻制限は武術の伝承にとって必要不可欠ということになります。 明姫様は、崇敬会の会食の席で、返し矢の技を披露したことがあります。
弓で射られた飛んでくる矢を空中でキャッチして、
手突矢のように素手で投げて的に当てるというものです。
同系統の技をユーチューブにアップしている西洋の弓の達人がいるので、
飛んでくる矢を素手でつかむのは、
人間に不可能なオカルト系の神技ではないことが分かります。
明姫様は卓越した反射神経の持ち主らしく、
脳のリミッターが解除された、天照大神・和魂と心を一つにしたトランス状態では、
高速で飛ぶ矢が空中で止まって見えるそうです。
野球のバッターにもピッチャーが投げたボールの縫い目が止まって見える人が稀にいますが、
その類いの卓越した動体視力の持ち主と思われます。
投げ返した矢は深く的の板に食い込んでおり、喉元に刺されば死亡する可能性もあります。
古事記などに、返し矢の技に関する伝説が残っています。
天照大神の傍らにいるある神が、
とある人物が射た矢が飛んできたのを不審に思って手に取り、
謀反の疑いをかけられた射手めがけて投げ返します。
もしも無実なら投げ返された矢によって死ぬことはないが、
謀反の心があるなら当たって死ぬだろうと、予言して占ったそうです。
残念ながら、謀反の疑いをかけられた人物は矢に当たって死んだと伝えられています。 じつは、古事記に残る返し矢の神話の伝説には、深い意味があるそうです。
古代の天皇(ヤマト朝廷の大王)は、謀反の噂のある人物を宮中の会食に呼び出して、
その席で自分の心臓に向かって矢を射らせて、
それを空中でキャッチして投げ返して見せることで、
天皇に向かって弓を引いても通用せず、倒せないことをアピールして、
無用な反乱を未然に抑止していたそうです。
つまり、古代の天皇は返し矢の技を余裕で実行できる、
卓越した動体視力や運動神経を備えた、武の頂点に立つ存在だったわけです。
大陸の高句麗の王室は、息長氏と同じ東夷の王族だったとする伝承が残ります。
建国の王は朱蒙と言い、これは善射を意味する言葉だそうです。
彼は、卓越した弓の神技の持ち主で、武芸大会でそれを披露して人望を集め、
五部族を無血統一して高句麗を興した英雄とされています。
同族とされる明姫様が返し矢の神技を現代まで伝承していても、なんら不思議はないわけです。
では、今日の皇室の方々はどうかというと、立ち居振る舞いなどから拝察するに、
そのような卓越した動体視力や運動神経を有しているようにはとても見えません。
武術の心得がほとんどない、一般人とたいして変わらない方々のように見えます。
つまり、武術の失伝はなにも中国大陸の王族に限った話ではなく、
日本の現在の皇室ですら、公家化によって、本来ならば受け継いでいるべき、
政権の維持に必要不可欠だった古武術を伝承出来ていないことが、容易に見て取れるのです。
千年二千年と優れた血統を維持し、武術の奥義を伝承し続けるのは容易ではなく、
天武天皇が真人の筆頭と定めた息長氏の斎王家と、それを取り巻く男衆の家々は、
極めて稀有で特異な例外的存在と考えたほうが良さそうです。 本当に強い血統の者は、大昔の実力社会で大王になって当然なので、
その血統が存続していれば、今でも最強の武術を伝承していて不思議はないわけです。
誰が強いの弱いのと言っても、
武力社会で、大王(天皇)や皇帝になれた強靭な肉体を持つ豪傑が最強です。
当然のように、その一族の伝承武術が最強ということになります。
皇室は世界で最も古い歴史を持つ現存する王家で、
その背後に隠され守られてきたのが、母系継承の息長氏の斎王家です。
長い皇統の歴史のなかで、何度か男系の継続が危ぶまれる事態が生じています。
神功皇后の子の応神天皇は、妊娠期間の異様な長さから天皇の子ではない可能性が強く示唆されています。
息長氏の本拠地・敦賀の神と名前を交換したという伝承から、息長氏の血を引く天皇と思われます。
継体天皇もじつは、皇統の男系が途絶えてしまったため、
何世代も遡って息長氏の血統から擁立されたとされる天皇です。
皇祖大兄(押坂彦人大兄皇子)もまた、
天皇が蘇我氏に暗殺されるなどして、男系の皇統が途絶えた可能性がある時代に、、
押坂(現在の、奈良県桜井市忍坂)にあった、息長庄の名に由来する名を持って登場しており、
息長氏から擁立された人物と思われます。
このように、皇統の存続に息長氏が深く関与していたことは確実なようです。
天武天皇が皇室の母系の最も貴い家として真人の筆頭に据えたのは当然のようです。
息長氏の斎王家が日本最強の一族であることは、すでに実証済みです。
CIAやFBIが世界最強の格闘技と認めた忍術のルーツが、
日本最強・中国大陸最強を歴史的事実としてすでに実証済みの一族というのは、
ある意味当然のことと思います。 >>57
稚拙な質問で、すみません。
「東夷」は何と読むのでしょうか・・・・ 検索で自己解決しました。
「とうい」なのですね。
それでその民族は、容貌的には美しいのですか?
彫りが深すぎて、日本人の感性にはそんなでも・・・・と映るのか、その辺興味があって。 このファイナルアンサーって
アホ姫のアダ名で有名な耀姫って奴っぽいな
>>96
「とうい」または「あずまえびす」 >>62
その斉王家はどちらにあるの?
何十年前とかではなく今現在もあるの?
具体的な道場は? 東夷という名称の使い方から、
歴史を理解せず、コピペしたのが丸わかりだな >>100
殷墟の発掘の成果などから判明した、
漢字を普及したのが東夷の王族である、という認識が起点になるのだが、
何か問題でもあるのかね?
漢字は言葉が通じない者同士が通商の筆談目的で使用して普及させたもの、
という説が有力視されつつあるが、
この場合の、言葉が通じない者とは何を指すのかが重要な鍵になる。
シルクロードの交易を担った西方の異邦人との通商が最も重要な意味を持つ。
人口の約6割がコーカソイドの特徴を持つ集落が、東夷の文化圏に含まれている。
このような事実を踏まえてのコメントなら良いが、
どうやらこういった基本的な情報を踏まえずに、
東夷はこうだと、身勝手な主張を試みる人物に見えるが、違うかね?
さらに付け加えると、
戦国時代以降とそれ以前では、
中国大陸の民族の分布図がまったく異なる可能性が濃厚になってきている。
鮮卑などが南下した影響がかなり大きかったという見方が有力になりつつある。
このような民族大移動の流れの中で、東夷を何者として括ることが出来るのかね?
イースター島まで移動した台湾の一族まで視野に入れて語る必要が出てくる。
沖縄にもピラミッドや文字が存在したことが判明して、
地中海と『海のシルクロード』で繋がっていたが、
この一派も、息長氏の祖先の東夷の王族と山東半島の付け根付近で婚姻関係を結んで
同じ倭人文化圏を形成していた可能性が高い。 漢字を通商用の言葉として広めた東夷の王族の一団(後の息長氏)は、
日本へと里帰りした後、片仮名と平仮名という表音文字を発明している。
また、二文字熟語によって語彙を増やすという工夫も試みて成功をおさめている。
ところが、東夷の王族から形だけ漢字文化を受け継いだだけの大陸に残った人々は、
表音文字の発明に至らなかっただけでなく、
語彙を増やすのに文字の数を増加させる、望ましくない方法を採り続けたため、
役人でも覚えるのが困難なほど増えてしまった文字数に悩まされることになった。
つまり、
漢字を発明して?(※この部分は諸説あって経緯が複雑で確定的なことは言えない)
実用的なものとして広めていった東夷の王族は、
日本に帰化して以降も、新たに表音文字を発明したり、
熟語を用いるといった形で、文字文化を発達させていったが、
単に漢字を譲り受けただけの人々の知能は東夷の王族に遠く及ばないため、
文字文化の新しい進化の道を切り拓くことが出来なかったことが見て取れる。
武術の伝承だけでなく、文字文化の面から見ても、
中国大陸に残った人々は、息長氏の斎王家に大きく能力的に劣ることが、
歴史的事実として明確に拾える。
中国4千年の歴史うんぬん言ってみたところで、
稲作は日本のほうが古い、ような話が出てくる結果に終わる。
縄文系の母系の遺伝子を持つ息長(天日国)斎王家の伝承は、
7千年以上(鬼界カルデラ噴火より前)受け継がれてきた内容があり、
DNAの解析結果がその正しさを裏付けている。 ちなみに千年前は朝鮮民族などというシロモノは存在せず、
半島の南部にも『縄文人』が住んでいたことが、考古学的に判明している。
これももちろん倭人文化圏に含まれる。
太陽信仰を司る日国(姫氏の国)の、
東夷の王族(息長氏の斎王家)の支配下にあった可能性が高い。
日国(後の天照国/日本)が大陸に領土を持っていたことは、
香春神社の伝承や、遺伝子の解析結果だけでなく、
高句麗国の建国神話(文献史料)からも拾える情報だ。
大百済帝国といった、
半島系の軍国主義者が現代になって創作(捏造)した地図は御笑い種だが、
東夷(炎帝一族)の日国や日王(扶余なども日国に含まれる)や、東明聖王は、
古い史料が残っているため、歴史学者も無視できない。
考古学的な成果、神話/物語の伝承、DNAの解析結果、
それに加えて、現在まで受け継がれている格闘技、
といった複数のものを相互に突き合せる作業を行っても、
矛盾が生じないものが、正しい情報と判断される。
もちろん、息長氏の斎王家には、ハズレの裏が取れない伝承も数多く存在する。
それらはお爺ちゃんお婆ちゃんが孫のために創作した昔話の類と判断されて、
とうぜん、この場に採り上げられることはない。 日本最強・中国大陸最強を歴史的事実としてすでに実証済みの東夷の王族は、
現代のアメリカでも最強扱いされている事実を提示してきましたが、
じつはファイトサイエンスが流した情報は正しくない、という突っ込みが可能です。
女性は男性の心を操る術に生まれながらに秀でているため、
神威(精神感化)を行使する手乞の柔の技(合気道系)を用いる、
息長氏の斎王家の斎女様の前では、
身長190を超える息長氏の男衆が、手も足も出ずに呆気なく負けてしまうのです。
スポーツチャンバラの合戦(集団戦)のルールで、
笑顔が愛らしい4歳の女児を相手に、刀や槍や薙刀を振り回す十数人の男衆が、
一撃すら入れることができずに次々と倒されていく様は、
もはやリアル・チート・ゲーム?としか言いようがありません。
(※武器は手の延長でしかない。合気上げなどの動作は剣道の動きに由来する)
ですから、真の世界一の格闘技は、北斗神拳の元ネタになった、
ファイトサイエンスが認定した忍者のデスパンチ系のものではなく、
触れもせずに、ミラーニューロンの感化作用を用いて相手を倒してしまう、
息長氏の斎王家が女系継承する、手乞の柔の技の体系というのが真相です。
チンパンジーの成獣の雄は、人間の目や手を怖いと感じる本能を持っているため、
デフォルトで目潰し、指折りを仕掛けてくることが知られています。
極めて好戦的で、他の群れの子供をさらって食べてしまうことすら日常茶飯事で、
そのため危険な猛獣に分類されています。(※芸に使うのは一般に子猿。成獣は手に負えない)
ところが、息長氏の斎王家のたった4歳の斎女様の手にかかると、
腕力で圧倒的に勝るチンパンジーの雄が、いとも簡単に降参して、家来にされています。
下剋上の発想でチンパンジーが背後から不意打ちを仕掛けてもまず絶対に敵いません。
おそらく普通の格闘家では、
一瞬でチンパンジーに目と指を潰されて再起不能になると思われますが、
息長氏の斎王家の日の巫女様達は、余裕で対処してしまえるほどお強いのです。 最強の血統の最強の格闘技というのは、八百長(手加減)が可能な人間が相手ではなく、
通常飼い慣らせないとされている猛獣の集団を相手にした場合でも、
対象に怪我を負わせることなく余裕で圧倒して降伏させ、
自由に家来として従わせることが可能なものだと思います。
息長氏の斎王家は、北海道で熊を神として崇める祭祀を行うときに、
野生の雄の熊を一時的に捕らえてきて、祭壇に座らせます。
そのようなことは、ストロンゲストマン・コンテストの優勝者ですら極めて困難と思います。
苦も無く素手で赤子のように熊を扱って大人しくさせる斎王家の斎女様達は、
間違いなく地上最強の格闘技を用いていると考えて差し支えないと思います。
男系の継承を重んじる皇室の祖先が、なぜ男神の素戔嗚(天日矛)ではなく、
天照大神という女神と伝えられているのか、疑問に思う人は多いと思います。
本当に素戔嗚より天照大神のほうが社会的な地位が高く強かったのか?
神代(弥生時代?)のことは知る術がありませんが、
現代の斎王家を観察すると、間違いなく女の方が男よりも強いのです。
邪馬台国の卑弥呼の没後、倭国は再び内乱が勃発して混乱期に突入し、
男王達が互いに争っても決着が付かない泥沼状態に陥りました。
それを平定したのは、卑弥呼の後を継いだ13歳の壱与という少女だったと、
魏志倭人伝に書いてあり、動かぬ史実と考えられています。
男王達が相争っても決着が付かずまとまらない、小国家連合の倭国を、
いったいどうやって13歳の息長一族の美少女が再統一出来たのか、
普通にまともに考えれば、謎すぎて説明が困難ですが、
実際の息長氏の斎王家の斎女様達の強さを目の当たりにすれば、謎は容易に解けます。
豪族達が束になってかかっても腕力で勝てる見込みがなく、
当然の成り行きだったと分かります。
つまり、最強の東夷族のなかでも強者は女性であって男性ではないことを、
歴史が証明しているのです。 すでに、神威の正体を理解している方々には自明のことですが、
息長氏の斎王家の高位の巫女様達を弓や銃で狙っても、
黒内障の症状に陥るため、狙撃に成功することはまず不可能です。
飛び道具を無効にする返し矢ですら、かなり高度な技ですが、
銃に余裕で勝てる技を伝承している武術家の一族など、他に聞いたことがありません。
よって、息長氏の斎王家の高位の巫女様達が伝承している柔の技の体系が世界最強の格闘技であり、
男では、たとえ銃器を手に逆立ちしても、絶対に勝てる見込みがない相手というわけです。
ただし、100%どんな場面でも最強とは限りません。
無敵に近いと思われる斎女様達を男衆が手籠めにする方法ならいくらでもあるそうです。
というより、妻問婚のシキタリに従って和歌(恋歌)さえ詠めれば抵抗されることはまずなく、
息長の女性は「男性に恥をかかせるようなことはしない」のがお約束のようです。
精神感化技というのは、ミラーニューロンなどが作り出しているため、
「要は姿を見なければどうということはない」そうです。(御簾でお姿を隠すのもそのため)
その他、脳の機能を弱帯電現象?によって狂わせる技もあるようですが、
これは、舌の位置を左右にずらすといった感覚要素の工夫で回避できるそうです。
したがって、妻問婚と呼ばれる古典的な夜這い形式の結婚を敢行して、
首尾よく子孫を残すことは十分に可能だそうです。
ただし、和歌が詠めないと受け入れてもらえないらしく、
一族のシキタリを知らずセンスがない部外者が挑んでもほとんど徒労に終わるそうです。
このことも、又従兄妹婚までの婚姻制限が守られてきた長い歴史が証明しているわけです。 以上のように、今まで見て来たことからすでに明らかですが、
「中国武術は実戦で使えないポンコツ!」というのは事実ではなく、
優れた三国志時代の英傑の血統を維持できず、伝承できる技量を持った子孫が存在せず、
その結果失伝しているため、現代の中国武術はカス化してしまっている、
と受け止めるのが正解のようです。
自由恋愛の発想を捨てて、血統を高める品種改良の実践によって、
犬猫の新品種の血統を作出するのと同じように、
新たな豪傑の血統を作り出せれば、
或いは中国武術界を立て直すことも不可能ではないと思われます。
一党独裁の軍事国家なので、このようなことを断行するのは、現代の日本よりも楽でしょう。
今は拡散してしまっているとしても、
三国志の時代の英雄達の優れた遺伝子を受け継ぐ子孫は必ず残っている筈なので、
優れた武術を生み出す資質を選りすぐっていけば、
取り戻すことは可能と思われます。
まず検討すべきは、スポーツ選手や優れた成績の軍人の選抜です。
しかし・・・東夷の王族とそれに従う秦人のうち、
教養と勇気と渡航できるだけの財力があった人々の多くが、
同じ東夷族の孔子が説いた、道に行き詰まったら筏に乗って東海に浮かぶ、
=東海にある蓬莱(日本)へと疎開する、という教えに従って、
黄巾の乱以降、日本の農地の開拓が進むにしたがって順次日本に渡来したため、
大陸に残った東夷族の大半が遺伝的に劣化の一途を辿る流れがあったようです。
選り勝られた勝ち組の子孫が多くいる日本に、
中国は未来永劫勝てなくて当然のような気もします。 現代の日本に、東夷の王族の遺伝子が濃く受け継がれている人々がいるなら、
日本人はなぜ小柄なのか、疑問に思う人が多いと思います。
じつは、日本人は息長氏の斎王家(天皇に向けられた天照大神の神託)によって
計画的に品種改良されているのだそうです。
人類の品種改良の基本は、犬猫や家畜の品種改良と何ら変わるところはありません。
身分制度による婚姻制限を課して、
分業社会の各階級に適した血統を作出すればいいのです。
遺伝的資質に応じた職業の世襲を奨励する社会制度によって、
各々の社会的な役割に適した血族集団を得ることが可能になります。
身分制度に基づく人類の品種改良は、何千年も前から行われてきた当たり前の社会的慣習です。
王族達は自ら戦場に赴いて積極的に互いを淘汰し(殺し)あって、
より優れた武人の血統を残す義務を負っていたので、
支配階級に生まれることは、被支配階級よりも過酷な運命を背負わされることを意味していました。
古い時代の日本の武人の戦いは、一騎討ちが基本で、
戦国時代までは足軽を用いた集団戦はほとんど行われなかったため、
農民は戦闘を強要されることなく、より農耕生活に適した方向に進化していったようです。
最もよく分かるのは、欧米人に比べて基礎代謝に必要なカロリーが少なく、飢饉に強い体質です。
3割程度燃費が良い、逆に言えば洋食を続けると3割程度太りやすい、とも言われています。
ところが、息長氏の斎王家の方々は、戦闘階級の豪傑の子孫なので、
骨太・筋肉質のまさに鬼のような巨体を有していて、一般の日本人よりカロリー食いで、
飢餓状態に非常に脆い弱点を抱えて、農民として生きるのには向いてないそうです。
一般の日本人が小柄なのは、農耕生活に適応した結果であり、
体が小さいことはデメリットではないわけです。 日本人が小柄で西洋人に体格面で劣るからといって、
潜在的な戦闘能力が低いかというと、そうではないことが分かっています。
昔の戦争では、敵の攻撃を受けて命を落とすよりも、
食糧事情の悪化に伴う病気などで死亡する従軍者のほうが多かったようです。
したがって、飢餓に強い足軽集団の存在は逆に強みになるわけです。
昔の戦争は遠戦がほとんどで、近接戦闘の機会は少なかったため、
力が弱い者でも十分に引ける特性を持つ、世界最大のサイズを誇る和弓さえあれば、
体の大きさや腕力の差などは、近接戦闘ほど大きく表面化しなかったようです。
また、日本の合戦の集団戦では、印地と呼ばれる投石技術を用いる比率が高かったことも分かっています。
弓矢を持たない人々は、河原で石を集めて手拭いなどを用いれば合戦に参加でき、
しかも近接戦ではないため、腕力の差は大きく現れなかったわけです。
今日に残る雪合戦は、本来は石を用いた石合戦でした。
5月5日の祭りとして日本全国で行われていたようですが、
負傷者や死者を出すことが多かったため、しだいに禁止されていったのです。
大将戦の一騎討ち以外に近接戦闘はほとんど行われないため、
敵の攻撃の的になりにくく、兵糧攻めなどにも強い、
小柄な体格の雑兵集団の存在は不利にならず、かえってメリットが多かったわけです。
また、小柄でも大柄の人に余裕で勝てる柔術や合気道に見られる柔の技が発達していたため、
素手の格闘戦でも、体格で勝る敵を前に怯む必要はなかったわけです。
つまり、息長氏の斎王家が主導した日本人の品種改良は、間違っていなかったことになります。
多くの一般人がエコな優れた体を持つことは、平時の個々人の生存上も有利と思われます。
幕末の日本を訪れた外国人は、世界中のどの国よりも農民が豊かな生活をしていると、
日本の農耕社会の生活水準の高さに驚いています。
世界一農民(被支配階級)が豊かな東洋の神秘の国を作出した息長斎王家の能力が、
中国大陸の官僚達の遥か上を行っていたことはほぼ間違いありません。 日本の戦争は昔は一騎討ちが基本で、足軽などを用いた集団戦がほとんど行われていなかったのが、
戦国時代になって集団戦に移行した理由についても言及しておきます。
大和と書いても、倭と書いても、日本と書いても、ヤマトと訓読みします。
じつはこれらは皆当て字で、日本書紀の世界では本当の大和民族の実態は隠蔽されています。
国史の書と位置付けられていながら、日本という国号が定まった経緯すら書かれていません。
百済と高句麗を滅亡させた唐が日本まで侵略の手を伸ばしかねない当時の国際情勢を考慮して、
天武天皇は遁甲(忍術・兵法)の策の一つとして、大和民族と日本国成立の真相を伏せたのです。
日本という国号は、日下(ひのもと/くさか)という地名が元になっています。
本来は日下と書くべきところですが、下の文字は卑字ということでこれを避けて、
本の字に置き換えて日本と書いてヒノモトと訓じることにしたわけです。
では、生駒山の山麓に残る日下(くさか)とは、いったいどういう意味を持つ地名でしょうか。
じつは、朝日を貴ぶ太陽信仰の国・日本では、初日の出を拝む日拝の神事が至高の祭祀です。
この神事を奇日(くさか)神事と呼びます。
奇(く)しくも=霊験あらたかな、日(か)=太陽、を拝む元旦に行われる神事です。
本来は、クシカ神事とするべきところですが、言いにくため転訛が起こって、クサカ神事となったわけです。
同じような例に、奇蛇(クシ・ナギ)の剣が転化して、クサナギの剣と呼ばれている例があります。
八岐大蛇の体内から得られた天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は、蛇行剣の形状をしており、
霊験あらたかな蛇の剣を意味する、奇蛇の剣という別名で呼ばれていたのですが、音から草を薙いだという神話が創作されて、ことの真相が隠蔽されて今日に至るのです。
西暦採用以前の古い時代の日本の元旦は、冬至とされていた頃もありました。
日下と書いてクサカと訓じる理由は、冬至の日の出を拝む神事と密接に関係しているわけです。 日本では古くから神体山に神が宿っているとされてきました。
大阪では生駒山、奈良盆地では三輪山などが有名です。
元旦(冬至)の初日の出が神体山の山頂から昇るのが見える日下の地で、
初日の出の日矛(陽光)を鏡(古代は池などの水鏡)で反射して行われるのが奇日(くさか)神事です。
神体山の山頂から射す日矛には、神体山に祀られている太陽神の力が宿っている、
と昔の人々は信じていたようです。
日下は、日本の太陽信仰を代表する最も貴い神事が行われる土地なので、
神事の名から日下と書いてクサカと訓読みするようになったわけです。
生駒山山麓の日下の地は、まさに冬至の初日の出が山頂から昇るのが見える場所です。
三輪山に対しては纏向遺跡がこれに相当し、湧水点まで掘り下げられた土坑が幾つも発見されています。
つまり、金属鏡が登場する以前は水鏡を用いて太陽信仰の神事が行われていたことになります。
唐の侵略の手が日本に伸びて、たとえ皇室が滅ぼされても、息長氏さえ残っていれば皇統の再興が可能です。
そう考えた天武天皇は、
奇日神事を行う皇祖母神のお家・息長氏の斎王家に危害が及ばないように、
奇日神事や日本の国号の由来など、斎王家に繋がる情報を日本書紀に収録せずに意図して伏せたのです。
倭と百済の連合軍が唐と新羅の連合軍に大敗して百済の滅亡が確定した事件が起こっているため、
いつ日本が滅ぼされてもおかしくない状況下で当然の処置だったと考えられます。
天智天皇は、唐の侵略を恐れるあまり日本各地に城を築きましたが、
防備にあまりにも国力を注ぎ込みすぎたため、苦役に耐えかねた人々の心が離れてしまい、
天智天皇の没後、内乱に至りかねない不安定な状況が生まれました。
息長氏の斎王家はこの社会体制の世襲の存続を認めず、伊勢の大神の名で神託を下して、
武力を用いてこの過ちを註した英雄に皇位を授けて天武天皇としたのです。 大和と書いても、倭と書いても、日本と書いてもヤマトと訓読みさせるのですから、
当時の情勢から、これらは全て真相を隠蔽するための当て字と考えるのが妥当です。
真相を今に伝える息長氏の斎王家の御宗主様に拠ると、ヤマトは本来は八真人と書くそうです。
八(ヤ)はたくさんのという意味で、真人(マト)は中国では神仙のことを指しますが、
日本では真人は高貴な身分の人(有力者=豪族)を意味する言葉だそうです。
真人の筆頭に据えられた息長氏の斎王家を中心にした、
多くの真人(豪族)の連合体がヤマト朝廷の正体であり、
豪族(後世の公家)の連合政権という意味を持っているわけです。
この情報を公開してしまうと、真人の筆頭の息長氏が唐の侵略の標的にされかねないので、
大和や倭や日本という複数の表記をヤマトと訓じさせることで、真相が分からないようにしたわけです。
じつは、伊勢神宮(内宮)や伊勢の斎宮もダミーです。
ですから、伊勢神宮で伊勢の斎王が天照大神の神託を下す神事を正式に行った事実は、
一件も記録がありません。
唯一、酒乱状態で神託らしきことを口走ったせん子女王の斎王託宣事件の記録がありますが、
国政を左右するようなものではなく、
個人的な日頃の鬱憤を晴らす言葉を、神託という体裁をとって口にしたにすぎない内容でした。
あってはならない前代未聞の珍事件として、藤原実資によって無難に処理されています。
伊勢の斎王が天照大神の神託を下す本物の日の巫女の王(日向の日女神)でなかったことは、
歴史的経緯を観察すれば自ずと分かる歴然とした事実なのです。 世界最強と目される格闘技を伝承する息長氏の斎王家の宮は、
天照大神が住むとされる高天原(隠し里)、
現在の芦屋市六甲奥池住宅地という、標高5百mの高台にあります。
六甲山は古くから修験者達の修行の山とされ、社家郷山と奥池は彼等によって守護されてきました。
日の巫女の王(日向の日女神)が住まう高天原の宮があるのですから、
伊勢神宮で神託を下す神事が行われることはなかったわけです。
この宮は大半が地下神殿となっていて、内部に奥池の水が流れ落ちる大瀑布が存在するため、
それを龍に喩えて、別名を竜宮城とも呼ばれてきました。
乙姫は弟姫(おとひめ)という意味で、
九州の大日女(おおひるめ)に対する紀州の稚日女(わかひるめ)のことを指します。
稚日女を祀る神戸の生田神社は、息長氏の斎王家の日の巫女達が修行をしていた、
布引の滝の川の出口付近に建っていたことが分かっています。
奥池の地下にある竜宮(真の西宮)の遥拝施設の名残りが現在の廣田神社です。
皇室や藤原氏の背後に隠されて守られてきた息長氏の斎王家が、
大和民族を代表する、初日の出を拝んで天照大神の神託を下す、奇日神事を担当してきた、
という極めてシンプルで分かりやすい構図が存在します。
天照大神の神託を用いて大和民族を導く品種改良を主導したのも当然のことと思います。
その結果、同じ東洋人でありながら、朝鮮半島や中国大陸の人々と日本の大和民族では、
かなり顕著な能力差が存在し、戦争をしたときにそれがはっきりと表れたわけです。
遺伝的資質に差があれば、より優れた武術の獲得が可能になるのですから、当然の結果です。 つまり、東夷の王族の精神感化力=御神威を前にすると、
一般の兵士はあまりの恐ろしさに身がすくんでしまい、
集団ヒステリーの状態に陥って、戦力外になる時代があったということです。
神武天皇の皇軍の人数がほんの僅かだったり、日本武尊の冒険がほとんど単独行動に近いのは、
大軍を引き連れていっても、たいした意味を持たなかったからと考えられます。
この現象は、格闘技や御神威のことをよく知らない人から見れば、
眉唾のように感じられて当然と思いますが、
現代の格闘技界でも観察することが可能です。
一例として、
ケネディ大統領の弟を護衛するシークレットサービスの大男が、
小柄な塩田剛三に、一瞬で身動きできなくされた動画を見ることが可能です。
まるで蜘蛛が押しピンで止められたような状態に陥っています。
単純な腕力を考えれば、まったくありえないことです。
鍛え上げられたシークレットサービスが、反射神経で大きく劣るとも思えません。
合気道の『気の作用』として説明しようと試みる人がいますが、
『気』の正体について、論理的に明確に説明できる合気道の指導者を見たことがありません。
精神感化現象として説明する息長氏の斎王家の御宗主様の説を採る以外に、確実なものはないと思います。
まともな戦闘にならず、何人いても足手まとでしかないのですから、
日本武尊達が軍勢を大勢引き連れていなかったのは当然でしょう。
黒内障の状態に陥れば、自分が思う方向に歩くことすら出来ないので、投石や弓矢も意味をなしません。
そこで、八真人(ヤマト)民族の支配階級同士の一騎討ちが習わしとなっていたわけです。
時代が下って、皇室から枝分かれした武家の血が薄れて御神威が失なわれていった結果、
足軽による集団戦闘が意味を持つようになり、合せて下剋上が可能な戦国時代に突入していったわけです。 誰も読まない
ウザイ解説を
延々と貼るのはやめてくれ 日本人が当時白兵戦最強だっただけで
中国武術が弱いわけではないだろ なんとか拳って色んな門派があって型は立派だけど、散打させるとみんなできそこないのキックボクシングみたいになってガッカリ。
なら最初からキックボクシング習えよと思う。
陳呉比武見て腰抜かしそうになった。 見方を変えろよ
中国拳法が優れてないのではなくて、キックやボクシングが優れているんだよ
いうなればキックボクシングは最終形態だ
それにしても呉陳比武はひどい
https://www.youtube.com/watch?v=GYhqePytIGs
こっちの方がはるかにいい
ちゃんと技らしいものを繰り広げている
無名の拳士だと思うが立派だ こういう直線的な組手なら日本拳法や空道のほうが遥かに優れてる おっしゃるように中国拳法は組手を主体にしたものではないから日本拳法などの方が優れているように見えるね
中国拳法は理屈はものすごいんだけどなあ
結局、強くなるように訓練してるんではなくて理論を全うするために訓練しているようなところがあるから全然強くはならないんだよな 色々こねくり回しすぎてきちんと術理を理解してマスターした頃にはヨボヨボの爺さんになっている
爺さんになってしまったら当然体力やスタミナがついてこなくて強いと言っても現役の格闘家とガチでやり合うのはムリがある
日本の古流柔術も当て身でリアル北斗の拳みたいなことをやろうとして人体やその急所を研究しまくったんだけど(その成果は柔術/柔道整体に活かされてる)、結果内容が複雑化しすぎて覚えるのが大変な割にとても実戦で使えるような代物ではなくなってしまった
(指圧じゃないんだから戦闘しながらピンポイントでここのツボを突いて次にここを…なんてできっこない)
やっぱりシンプルが一番なんだよ 朝鮮人漫才師 浜田屁こきは小向美奈子(16歳当時を)愛人にしていた・
ロリコン変態ジジイ朝鮮人-松本人志ドン引き発言集
・喫茶店に入ったらそこにいた女のほとんどが俺とやった女だった(自伝「遺書」にて)
・ダブルやトリプルや〜と毎日ムチャクチャしてた(自伝「遺書」にて)
・これから4Pするんや〜と車から外へ歩いてる人へ叫んだ(HEY!HEY!HEY!にて、つんく証言)
・女子中学生大好き(ラジオにて)
・15歳ぐらいがストライクゾーン(ダウンタウンDXにて)
・3日前にナンパしてセックスした女をまたナンパして「えぇ〜マジぃ?」と言われた(自伝「遺書」にて)
・中学生の頃、下着泥棒していた(ラジオにて)
・精子を顔にかけたり、顔を足で踏むのが好き(HEY!HEY!HEY!にて江口洋介とのトークにて)
・鼻にチンポすりつけてそのまま出したい願望がある(松紳にて、紳助、人生で初めて鼻フックマニアに出会えて感動)
・性病検査に行きたくない理由は、自分が性病を撒き散らしてる張本人だったらイヤだから(松紳にて、紳助ドン引き)
・平成生まれとセックスしたい。平成生まれは貴重でしょう(平成14年あたりの松紳にて)
・乳さえ出たら小学生でもイケる(ラジオにて、高須ドン引き、山崎邦正爆笑、その後「下の毛のないくらいの子がいい」発言)
・女は30歳まで。女の30歳は男で言えば50歳。(様々な媒体で発言)
・赤ん坊の前でタバコ遠慮する風潮が嫌い。吸ったってええやん(ラジオにて)
・みんな長生きしすぎ。80歳になったら全員処刑したらええねん(ラジオにて)
・HEY!×3にて浜田が松本に対し「こいつ14歳ぐらいの子と付き合ったりしてたで」と言われ、
「ほんま告訴するで」と反論するが浜田強気で「ええで、事実やし、俺勝てるで」と言われ沈黙、
その後ゲストのウーアに「ロリコンで有名やったですもんね、だから15の時ナンパされに行きました」と言われ赤面。
・HEY!×3にてELTの持田香織に「昔松本さんにナンパされました」と言われ赤面。
浜田が「いくつの時?」と聞くと持田が「16歳ぐらいの時です」と言い、さらに赤面。 詠春高手 MMAに絞め落とされて負けちゃった
MMA教練秒殺!沒想到繼太極之後國術再次…… https://youtu.be/JFTpZNJS-TA @YouTubeさんから >>136
その八卦使いが武術家としてどの程度の事ができたか不明だから何とも
自由攻防でなければ抵抗する相手をふわっと崩せたり打撃を強烈に効かせたりできるようなマスターなのか怪しいな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています