船橋オート:オートレース発祥の地 21
初めてのデート誘ったの船橋オート
バックスタンドからレース見せたら
あまりの音の五月蠅さに驚いてたよw 就職で東京に配属されたが一年で船橋に転勤。
社宅があるとこの最寄りの駅が京成のセンター競馬場駅・・今は名称が変わったが・・
当時はパチンコやるくらいで公営ギャンブルは無縁だったが ある時そとから爆音が聞こえてきた
人に聞いたらオートレースの音だって教えてくれた・・・
そこからだな。何故か引き寄せられたわ まだ19期が単気筒だった 船橋は6場の中では1番都会だったせいか、数少ない女客や店員も奇麗な子が多かったな 昔の爆音と8車6枠のレースが見たい
どっか田舎に作ってくれないかな? お守りに 5−5、5−6、6−5を枠で買っておく。 よく人気薄の56 65は買ったよ
5枠6枠は軽ハンだから
最初見せ場あるからw >>115
それは知らないな
よく島田が3枠、片平が4枠だった記憶がある 岩田は7号車が好きだと言っていた。ダイレクトもタンク緑色だったし好きだったんだな。 3単が始まる前、1998年から2年間だけ2単8車8枠の時代があった
勝負服の色をファン投票で決める事になったが
競輪と同じ7枠橙、8枠桃に落ち着いた
その頃は6枠時代の名残で0ハンが8号車、最重ハン大外が1号車だったが
ビギナーに分かりにくいって事で0ハンから1号車に改められた 最重ハン大外は4号車が多かった
1号車は勘違いだわすまぬ I号車が最弱ってなんか違和感あるんだよな
いつも1が強い競艇やミッドナイト競輪やる
俺にとっては 3号車赤い勝負服のバイカウント田中耕三は必ず買った。1号車の0ハン池谷も良く穴を出してくれた。 片平は山側スタンドで見てると
試走もゴール後もフェンスギリギリをすごいスピードで走ってたなあ >>122
田中3号車で確かに穴だしたよね
俺も60倍の配当取らせてもらった記憶があるw
池谷は知らないけど池葉はよく取らせてもらって大好きな選手だった。死んでしまったらしいが >>114
当たりが8通りあるから
俺も迷った時は買ってた 最強地区は間違いないが一定数最弱クラスも存在した、福本良成、菅菊男、佐久間善英、斎藤昇、古谷進、小井土高盛、池谷元志、佐藤慎吾、蓮沼節夫、大川進三郎今でいうと皆B級80以降クラス
ここらが飯塚、板橋、斎藤、島田、らと混在してた、だから飯塚はハンデ140って時があった そのB級底辺クラスの選手たちが夏場の熱走路でヒラヒラと逃げて大穴をだしていた。 山側の一階に「約束〜」って叫ぶ
おばちゃん予想屋あの頃で良い歳だし、もう永い旅に出たんだろうな。
中穴辺り当てると場内走り回る予想屋もいたw ミスターの銀行レースの朱書きが良く出た時代だった
出目はほぼ決まってて、いつもいくら張るかを考えてた 往年の船橋 正月開催の枠番 0オープン
@阿久津
A片平
B飯塚
C岩田
D梅内
E池葉
F島田
G宮城 >>135
やっぱり片平島田で決まったの?w
配当2倍くらいでw こんなの阿久津の先行を片平島田岩田が捕まえて
3連単激安でしょ?wあって阿久津の3着 帰りに京成船橋の踏切そばの飲み屋街でよく飲んだな。 通はしゃがんでメンチカツ食べながらワンカップ飲むんだよ。 底辺の外飲みでビールはない。宝焼酎か大関のワンカップと決まってる。