というわけで、人格批判の意図はないのだけれど、少し前に自分と話が噛み合わなかったINTPの人とINFPの人は、
社会適応できるから社会正義の観点からモノを語れるという倫理観に疑問を持たないという点でINTPでもINFPでもない、
というのが自分の考え。
不快に感じたらごめんなさいだけど、ここは長文の主題ではなくオマケなのでスルーしてもいいです。

自分は自称INFPだけど、仮にENFPの人やINTPの人がこの場所にやってきて自分語りをしたとしても、
そもそも一般的に納得できる説明をするのが困難なので、
「ENFPやINTPはお前みたいな奴ばかりじゃない」
「お前の一般的じゃない個人的感想なんて当てにならない」
「お前が自己主張することでENFPやINTPのイメージが悪くなるんだ。お前は黙っていろ」
という展開になるのはごくごく自然なことであるし、既に自称INFPの自分がそういう経験をしたことはスレを読めばご存じの通りだと思う。

だから、NP系の人の生の声というのはとかく排除されがちで、そういう存在を無かったことにして空想上のNP系のイメージを議論し合い
「ENFPはこんな感じ」「INTPはあんな感じ」といった形で話が進んでいくことになるので、キャラクター診断におけるNP系はかなりの割合で見当違いだと思うのだけれど、
「空想上のNP系のイメージ」が情報として蓄積されすぎて整合性が明後日の方向にぶっ飛びすぎて戻ってくることができず、
どうしても自浄作用が働かないままキャラクター診断にエラーが蓄積され続ける、というのが、この場所の実状ではないか、と思う。