>>224
煽りたいわけではないけれど「意味がない」と決めつけてるのもレッテルだと思うし
繰り返しになるけど「正しい基準も正しい道徳観もは自分が持っていてその形式に則ったものが『対話』である」
というニュアンスに聞こえてしまうことは>>224の発言内容からも感じ取れるつもりだけれど。

あと「対話」については相手の返答や反応、つまり会話や行動を吟味するという意味で実践しているつもりだし、
つまりそれってこのコミュニケーション自体がキャラの性格診断とやり方があまり変わらないよね?
と考えているのだけれども。

それとここからが大事だけれど。
いわゆる日本の報道は「政治思想的に中立中道」を為していないものは報道にふさわしくない、というのが「一般常識」でないかと思う。
一方で国際的なジャーナリズムは「中立中道などありえないのだから思想の偏り方レッテルの貼り方をあらかじめ明示しておく」というのが信用獲得のためのマナーなんじゃないかな。
と、そのように自分は考えているので、仮に自分で目的をまとめられなかったとしても「自称INFP」ってことにしておけば自分で直せない偏り方くらいは提示できるかもね、と考えている。

で、リアルの他人に面と向かって直接性格診断をしたら人格否定になるのでそういうことをするつもりはないけれど、
代わりに架空のキャラクターについて語ることで診断制度を上げるとすることになるけど、そもそも性格診断は思い込みとレッテル貼りと根拠のない決めつけの応酬から発展するものなんじゃないのかな。
軍事訓練をシミュレーターで行えば誰も犠牲者が出ない、みたいなものなんじゃないかな。

あと>>228は遠回しに「ルールが守れないなら聞きたくないし出て行ってほしい」と解釈できるよね。
ということが繰り返されていると何度か言ってきたつもりなのだけれど。