とりあえずお初です。
自分の判定基準がwikiとかなりズレているのでむしろ気になって来ました。
このページをざっと眺めて最初に気になったのは、心理機能と実行能力の関連性についての話題。

ものすごく面倒くさい話をすると、
作者によって得意不得意は異なるし、性格描写そのものは上手くなくとも面白い作品はたくさんある。
仮に性格描写が得意だったとして、作者ごとに、特に描写が正確なキャラ、描写するのが苦手なキャラ、作者自身の思い違いが発生しているキャラみたいのが乱立しているのが現実だと思う。
ただ、かなり高いレベルの作者は「キャラの性質を明確にするために能力や設定をデフォルメする」という傾向がおそらくあって、
描写が苦手な作者は「話の都合でキャラが激しくブレる」けど稀に誤魔化しの技術が卓越していてどうにかなっているケースもあると思う。

ここまでは大したことは言っていないけれど、つまり、作者が最初に想定したイメージを忖度して判定するか、客観的事実をもとに作者の想定をあえて無視して判定するか毎回基準をコロコロ変えなければ精度が上がらないのではないか、と。
酷いことを言うとそれってつまり根拠のない主観でみんな好き勝手に白黒つけるってことじゃんと言われかねないのだけれども。
とりあえず自分は作者の想定と仕上がりが大きく異なるとハッキリわかったときは両方説明するというスタンスを取っている。

ここまでが前提。

実行能力については、おそらく環境の影響が強くて、暗記コピー能力特化系の万能の天才はおおよそSJの過剰表現と見なしていいと思っている。
社会のルールに依存適応しきれないまたは自由なのがP、効率よくやりたがるか集団扇動の罠から事前に回避行動を取りたがるのがN。
でもってNPは「コピー能力が最も低い」ので社会のレールに乗ることができず亀になりがちだが、停滞した社会ではソロ活動で社会で不正解とされた手段で鍛錬を積むことがあり、稀に時代の流れが変わってSJをごぼう抜きすることも無くはない。
しかし社会に適応しつつ賢く立ち回るのがカッコいいと思っている人はNJの天才を理想として描写したがるだろうなと思う。
ついでに言えばNPが考えたことをNJがコピーして自分がオリジナルだと主張すれば割と多くの者はそのNJをNPだと錯覚するだろう。
というわけで消去法で周囲に嫌われても構わんという態度を一貫していればP、そうでなければPっぽい能力を持っていても本当はJ。

長くなりすぎたのでとりあえずはこんなところで。