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☆★☆【夢】思春期の何でも語るスレ10【恋】☆★☆
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0001Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 05:45:38.500
           
       ,,;⊂⊃;,、 。” カッパッパー♪
       (,,,・∀・)/》
      【(つ #)o 巛 しぬこと以外はかすり傷☆
     (( (ノ ヽ)
            
0002Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 08:34:25.570
           
このハゲーー!!ちーがーうーだーろー!

  ノノ ハ ∩           ちがうだろー!
 川*`ω´) ☆パーン
  ⊂彡〆⌒ヽ
     (。・_・。) < コロナで禿げま
0003Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:42:56.820
夏目漱石【こころ】

岩の上から見下みおろす水は、また特別に綺麗きれいなものでした。赤い色だの藍あいの色だの、
普通市場しじょうに上のぼらないような色をした小魚こうおが、透き通る波の中をあちらこちらと泳いでいるのが鮮やかに指さされました。
 私はそこに坐って、よく書物をひろげました。Kは何もせずに黙っている方が多かったのです。
私にはそれが考えに耽ふけっているのか、景色に見惚みとれているのか、もしくは好きな想像を描えがいているのか、全く解わからなかったのです。
私は時々眼を上げて、Kに何をしているのだと聞きました。Kは何もしていないと一口ひとくち答えるだけでした。
0004Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:43:11.170
私は自分の傍そばにこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんだったらさぞ愉快だろうと思う事がよくありました。
それだけならまだいいのですが、時にはKの方でも私と同じような希望を抱いだいて岩の上に坐っているのではないかしらと忽然こつぜん疑い出すのです。
すると落ち付いてそこに書物をひろげているのが急に厭になります。私は不意に立ち上あがります。そうして遠慮のない大きな声を出して怒鳴どなります。
纏まとまった詩だの歌だのを面白そうに吟ぎんずるような手緩てぬるい事はできないのです。ただ野蛮人のごとくにわめくのです。
ある時私は突然彼の襟頸えりくびを後ろからぐいと攫つかみました。こうして海の中へ突き落したらどうするといってKに聞きました。
0005Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:43:20.450
Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうど好いい、やってくれと答えました。私はすぐ首筋を抑おさえた手を放しました。
 Kの神経衰弱はこの時もう大分だいぶよくなっていたらしいのです。それと反比例に、私の方は段々過敏になって来ていたのです。
私は自分より落ち付いているKを見て、羨うらやましがりました。また憎らしがりました。
彼はどうしても私に取り合う気色けしきを見せなかったからです。私にはそれが一種の自信のごとく映りました。
0006Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:43:30.510
しかしその自信を彼に認めたところで、私は決して満足できなかったのです。私の疑いはもう一歩前へ出て、その性質を明あきらめたがりました。
彼は学問なり事業なりについて、これから自分の進んで行くべき前途の光明こうみょうを再び取り返した心持になったのだろうか。
単にそれだけならば、Kと私との利害に何の衝突の起る訳はないのです。私はかえって世話のし甲斐がいがあったのを嬉うれしく思うくらいなものです。
けれども彼の安心がもしお嬢さんに対してであるとすれば、私は決して彼を許す事ができなくなるのです。
0007Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:43:38.760
不思議にも彼は私のお嬢さんを愛している素振そぶりに全く気が付いていないように見えました。
無論私もそれがKの眼に付くようにわざとらしくは振舞いませんでしたけれども。
Kは元来そういう点にかけると鈍にぶい人なのです。
私には最初からKなら大丈夫という安心があったので、彼をわざわざ宅うちへ連れて来たのです。
0008Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:43:48.680
二十九

「私は思い切って自分の心をKに打ち明けようとしました。もっともこれはその時に始まった訳でもなかったのです。
旅に出ない前から、私にはそうした腹ができていたのですけれども、打ち明ける機会をつらまえる事も、その機会を作り出す事も、私の手際てぎわでは旨うまくゆかなかったのです。
今から思うと、その頃私の周囲にいた人間はみんな妙でした。女に関して立ち入った話などをするものは一人もありませんでした。
中には話す種たねをもたないのも大分だいぶいたでしょうが、たといもっていても黙っているのが普通のようでした。
比較的自由な空気を呼吸している今のあなたがたから見たら、定めし変に思われるでしょう。
0009Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:43:57.190
それが道学どうがくの余習よしゅうなのか、または一種のはにかみなのか、判断はあなたの理解に任せておきます。
 Kと私は何でも話し合える中でした。偶たまには愛とか恋とかいう問題も、口に上のぼらないではありませんでしたが、いつでも抽象的な理論に落ちてしまうだけでした。
それも滅多めったには話題にならなかったのです。
大抵は書物の話と学問の話と、未来の事業と、抱負と、修養の話ぐらいで持ち切っていたのです。
いくら親しくってもこう堅くなった日には、突然調子を崩くずせるものではありません。
0010Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:44:06.150
二人はただ堅いなりに親しくなるだけです。私はお嬢さんの事をKに打ち明けようと思い立ってから、何遍なんべん歯がゆい不快に悩まされたか知れません。
私はKの頭のどこか一カ所を突き破って、そこから柔らかい空気を吹き込んでやりたい気がしました。
 あなたがたから見て笑止千万しょうしせんばんな事もその時の私には実際大困難だったのです。私は旅先でも宅うちにいた時と同じように卑怯ひきょうでした。
私は始終機会を捕える気でKを観察していながら、変に高踏的な彼の態度をどうする事もできなかったのです。
私にいわせると、彼の心臓の周囲は黒い漆うるしで重あつく塗り固められたのも同然でした。
0011Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/11(木) 20:44:34.250
私の注そそぎ懸けようとする血潮は、一滴もその心臓の中へは入らないで、悉ことごとく弾はじき返されてしまうのです。
 或ある時はあまりKの様子が強くて高いので、私はかえって安心した事もあります。
そうして自分の疑いを腹の中で後悔すると共に、同じ腹の中で、Kに詫わびました。詫びながら自分が非常に下等な人間のように見えて、急に厭いやな心持になるのです。
0012Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/11(木) 20:44:43.240
しかし少時しばらくすると、以前の疑いがまた逆戻りをして、強く打ち返して来ます。すべてが疑いから割り出されるのですから、すべてが私には不利益でした。
容貌ようぼうもKの方が女に好かれるように見えました。性質も私のようにこせこせしていないところが、異性には気に入るだろうと思われました。
どこか間まが抜けていて、それでどこかに確しっかりした男らしいところのある点も、私よりは優勢に見えました。
学力がくりきになれば専門こそ違いますが、私は無論Kの敵でないと自覚していました。
0013Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/11(木) 20:44:54.010
――すべて向うの好いいところだけがこう一度に眼先めさきへ散らつき出すと、ちょっと安心した私はすぐ元の不安に立ち返るのです。
 Kは落ち付かない私の様子を見て、厭いやならひとまず東京へ帰ってもいいといったのですが、そういわれると、私は急に帰りたくなくなりました。
実はKを東京へ帰したくなかったのかも知れません。二人は房州ぼうしゅうの鼻を廻まわって向う側へ出ました。
我々は暑い日に射いられながら、苦しい思いをして、上総かずさのそこ一里いちりに騙だまされながら、うんうん歩きました。
0014Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/11(木) 20:45:02.950
私にはそうして歩いている意味がまるで解わからなかったくらいです。私は冗談じょうだん半分Kにそういいました。
するとKは足があるから歩くのだと答えました。そうして暑くなると、海に入って行こうといって、どこでも構わず潮しおへ漬つかりました。
その後あとをまた強い日で照り付けられるのですから、身体からだが倦怠だるくてぐたぐたになりました。
0015Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:45:12.750
三十

「こんな風ふうにして歩いていると、暑さと疲労とで自然身体からだの調子が狂って来るものです。
もっとも病気とは違います。急に他ひとの身体の中へ、自分の霊魂が宿替やどがえをしたような気分になるのです。
私わたくしは平生へいぜいの通りKと口を利ききながら、どこかで平生の心持と離れるようになりました。
彼に対する親しみも憎しみも、旅中りょちゅう限かぎりという特別な性質を帯おびる風になったのです。
0016Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:45:23.530
つまり二人は暑さのため、潮しおのため、また歩行のため、在来と異なった新しい関係に入る事ができたのでしょう。
その時の我々はあたかも道づれになった行商ぎょうしょうのようなものでした。
いくら話をしてもいつもと違って、頭を使う込み入った問題には触れませんでした。
 我々はこの調子でとうとう銚子ちょうしまで行ったのですが、道中たった一つの例外があったのを今に忘れる事ができないのです。
まだ房州を離れない前、二人は小湊こみなとという所で、鯛たいの浦うらを見物しました。
0017Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:45:35.130
もう年数ねんすうもよほど経たっていますし、それに私にはそれほど興味のない事ですから、判然はんぜんとは覚えていませんが、
何でもそこは日蓮にちれんの生れた村だとかいう話でした。日蓮の生れた日に、鯛が二尾び磯いそに打ち上げられていたとかいう言伝いいつたえになっているのです。
それ以来村の漁師が鯛をとる事を遠慮して今に至ったのだから、浦には鯛が沢山いるのです。我々は小舟を傭やとって、その鯛をわざわざ見に出掛けたのです。
 その時私はただ一図いちずに波を見ていました。そうしてその波の中に動く少し紫がかった鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。
しかしKは私ほどそれに興味をもち得なかったものとみえます。彼は鯛よりもかえって日蓮の方を頭の中で想像していたらしいのです。
ちょうどそこに誕生寺たんじょうじという寺がありました。
0018Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:45:45.110
日蓮の生れた村だから誕生寺とでも名を付けたものでしょう、立派な伽藍がらんでした。Kはその寺に行って住持じゅうじに会ってみるといい出しました。
実をいうと、我々はずいぶん変な服装なりをしていたのです。
ことにKは風のために帽子を海に吹き飛ばされた結果、菅笠すげがさを買って被かぶっていました。
着物は固もとより双方とも垢あかじみた上に汗で臭くさくなっていました。私は坊さんなどに会うのは止よそうといいました。
Kは強情ごうじょうだから聞きません。厭いやなら私だけ外に待っていろというのです。
0019Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:45:54.960
私は仕方がないからいっしょに玄関にかかりましたが、心のうちではきっと断られるに違いないと思っていました。
ところが坊さんというものは案外丁寧ていねいなもので、広い立派な座敷へ私たちを通して、すぐ会ってくれました。
その時分の私はKと大分だいぶ考えが違っていましたから、坊さんとKの談話にそれほど耳を傾ける気も起りませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事を聞いていたようです。
日蓮は草日蓮そうにちれんといわれるくらいで、草書そうしょが大変上手であったと坊さんがいった時、字の拙まずいKは、何だ下らないという顔をしたのを私はまだ覚えています。
Kはそんな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったのでしょう。
0020Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:46:03.890
坊さんがその点でKを満足させたかどうかは疑問ですが、彼は寺の境内けいだいを出ると、しきりに私に向って日蓮の事を云々うんぬんし出しました。
私は暑くて草臥くたびれて、それどころではありませんでしたから、ただ口の先で好いい加減な挨拶あいさつをしていました。
それも面倒になってしまいには全く黙ってしまったのです。
0021Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 20:46:15.570
 たしかその翌あくる晩の事だと思いますが、二人は宿へ着いて飯めしを食って、もう寝ようという少し前になってから、急にむずかしい問題を論じ合い出しました。
Kは昨日きのう自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです。
精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。
ところが私の胸にはお嬢さんの事が蟠わだかまっていますから、彼の侮蔑ぶべつに近い言葉をただ笑って受け取る訳にいきません。私は私で弁解を始めたのです。
0022Ms.名無しさん
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2021/11/11(木) 22:59:53.560
私の推しです✨
https://youtu.be/VJYD9zCmvP4
みんなの推しは誰ですか?
同担拒否以外は共有しましょう(^^)
有名になってほしいからチャンネル登録してあげてください❦
0023Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:14:27.610
三十一

「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。
なるほど後から考えれば、Kのいう通りでした。
しかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使い出した私には、出立点しゅったつてんがすでに反抗的でしたから、それを反省するような余裕はありません。
私はなおの事自説を主張しました。
するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。
0024Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:14:37.820
――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。
けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。
 私がこういった時、彼はただ自分の修養が足りないから、他ひとにはそう見えるかも知れないと答えただけで、一向いっこう私を反駁はんばくしようとしませんでした。
私は張合いが抜けたというよりも、かえって気の毒になりました。私はすぐ議論をそこで切り上げました。
彼の調子もだんだん沈んで来ました。もし私が彼の知っている通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだろうといって悵然ちょうぜんとしていました。
Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。
0025Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:14:47.930
霊のために肉を虐しいたげたり、道のために体たいを鞭むちうったりしたいわゆる難行苦行なんぎょうくぎょうの人を指すのです。
Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるか解わからないのが、いかにも残念だと明言しました。
 Kと私とはそれぎり寝てしまいました。そうしてその翌あくる日からまた普通の行商ぎょうしょうの態度に返って、うんうん汗を流しながら歩き出したのです。
しかし私は路々みちみちその晩の事をひょいひょいと思い出しました。
私にはこの上もない好いい機会が与えられたのに、知らない振ふりをしてなぜそれをやり過ごしたのだろうという悔恨の念が燃えたのです。
0026Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:14:58.720
私は人間らしいという抽象的な言葉を用いる代りに、もっと直截ちょくせつで簡単な話をKに打ち明けてしまえば好かったと思い出したのです。
実をいうと、私がそんな言葉を創造したのも、お嬢さんに対する私の感情が土台になっていたのですから、
事実を蒸溜じょうりゅうして拵こしらえた理論などをKの耳に吹き込むよりも、原もとの形かたちそのままを彼の眼の前に露出した方が、
私にはたしかに利益だったでしょう。
私にそれができなかったのは、学問の交際が基調を構成している二人の親しみに、自おのずから一種の惰性があったため、
思い切ってそれを突き破るだけの勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。
0027Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:15:10.830
気取り過ぎたといっても、虚栄心が祟たたったといっても同じでしょうが、私のいう気取るとか虚栄とかいう意味は、普通のとは少し違います。
それがあなたに通じさえすれば、私は満足なのです。
 我々は真黒になって東京へ帰りました。
帰った時は私の気分がまた変っていました。人間らしいとか、人間らしくないとかいう小理屈こりくつはほとんど頭の中に残っていませんでした。
Kにも宗教家らしい様子が全く見えなくなりました。おそらく彼の心のどこにも霊がどうの肉がどうのという問題は、その時宿っていなかったでしょう。
0028Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:15:20.120
二人は異人種のような顔をして、忙しそうに見える東京をぐるぐる眺ながめました。それから両国りょうごくへ来て、暑いのに軍鶏しゃもを食いました。
Kはその勢いきおいで小石川こいしかわまで歩いて帰ろうというのです。体力からいえばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ応じました。
 宅うちへ着いた時、奥さんは二人の姿を見て驚きました。二人はただ色が黒くなったばかりでなく、むやみに歩いていたうちに大変瘠やせてしまったのです。
奥さんはそれでも丈夫そうになったといって賞ほめてくれるのです。お嬢さんは奥さんの矛盾がおかしいといってまた笑い出しました。
旅行前時々腹の立った私も、その時だけは愉快な心持がしました。場合が場合なのと、久しぶりに聞いたせいでしょう。
0029Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:15:31.150
三十二

「それのみならず私わたくしはお嬢さんの態度の少し前と変っているのに気が付きました。
久しぶりで旅から帰った私たちが平生へいぜいの通り落ち付くまでには、万事について女の手が必要だったのですが、
その世話をしてくれる奥さんはとにかく、お嬢さんがすべて私の方を先にして、Kを後廻あとまわしにするように見えたのです。
それを露骨にやられては、私も迷惑したかもしれません。場合によってはかえって不快の念さえ起しかねなかったろうと思うのですが、
お嬢さんの所作しょさはその点で甚だ要領を得ていたから、私は嬉うれしかったのです。つまりお嬢さんは私だけに解わかるように、
持前もちまえの親切を余分に私の方へ割り宛あててくれたのです。だからKは別に厭いやな顔もせずに平気でいました。
0030Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:15:41.080
私は心の中うちでひそかに彼に対する※(「りっしんべん+豈」、第3水準1-84-59)歌がいかを奏しました。
 やがて夏も過ぎて九月の中頃なかごろから我々はまた学校の課業に出席しなければならない事になりました。
Kと私とは各自てんでんの時間の都合で出入りの刻限にまた遅速ができてきました。
私がKより後おくれて帰る時は一週に三度ほどありましたが、いつ帰ってもお嬢さんの影をKの室へやに認める事はないようになりました。
Kは例の眼を私の方に向けて、「今帰ったのか」を規則のごとく繰り返しました。私の会釈もほとんど器械のごとく簡単でかつ無意味でした。
 たしか十月の中頃と思います。私は寝坊ねぼうをした結果、日本服にほんふくのまま急いで学校へ出た事があります。
穿物はきものも編上あみあげなどを結んでいる時間が惜しいので、草履ぞうりを突っかけたなり飛び出したのです。
0031Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:15:49.890
その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来ると、
そのつもりで玄関の格子こうしをがらりと開けたのです。
するといないと思っていたKの声がひょいと聞こえました。同時にお嬢さんの笑い声が私の耳に響きました。
私はいつものように手数てかずのかかる靴を穿はいていないから、すぐ玄関に上がって仕切しきりの襖ふすまを開けました。
私は例の通り机の前に坐すわっているKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです。
私はあたかもKの室へやから逃のがれ出るように去るその後姿うしろすがたをちらりと認めただけでした。
0032Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:15:58.410
私はKにどうして早く帰ったのかと問いました。Kは心持が悪いから休んだのだと答えました。
私が自分の室にはいってそのまま坐っていると、間もなくお嬢さんが茶を持って来てくれました。
その時お嬢さんは始めてお帰りといって私に挨拶あいさつをしました。私は笑いながらさっきはなぜ逃げたんですと聞けるような捌さばけた男ではありません。
それでいて腹の中では何だかその事が気にかかるような人間だったのです。お嬢さんはすぐ座を立って縁側伝えんがわづたいに向うへ行ってしまいました。
しかしKの室の前に立ち留まって、二言ふたこと三言みこと内と外とで話をしていました。
0033Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:16:07.560
それは先刻さっきの続きらしかったのですが、前を聞かない私にはまるで解りませんでした。
 そのうちお嬢さんの態度がだんだん平気になって来ました。Kと私がいっしょに宅うちにいる時でも、よくKの室へやの縁側へ来て彼の名を呼びました。
そうしてそこへ入って、ゆっくりしていました。無論郵便を持って来る事もあるし、洗濯物を置いてゆく事もあるのですから、
そのくらいの交通は同じ宅にいる二人の関係上、当然と見なければならないのでしょうが、
ぜひお嬢さんを専有したいという強烈な一念に動かされている私には、どうしてもそれが当然以上に見えたのです。
0034Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:16:15.840
ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあったくらいです。
それならなぜKに宅を出てもらわないのかとあなたは聞くでしょう。
しかしそうすれば私がKを無理に引張ひっぱって来た主意が立たなくなるだけです。私にはそれができないのです。
0035Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:16:25.010
三十三

「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私わたくしは外套がいとうを濡ぬらして例の通り蒟蒻閻魔こんにゃくえんまを抜けて細い坂路さかみちを上あがって宅うちへ帰りました。
Kの室は空虚がらんどうでしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。
私も冷たい手を早く赤い炭の上に翳かざそうと思って、急いで自分の室の仕切しきりを開けました。
すると私の火鉢には冷たい灰が白く残っているだけで、火種ひだねさえ尽きているのです。私は急に不愉快になりました。
0036Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:16:34.430
 その時私の足音を聞いて出て来たのは、奥さんでした。奥さんは黙って室の真中に立っている私を見て、気の毒そうに外套を脱がせてくれたり、
日本服を着せてくれたりしました。それから私が寒いというのを聞いて、すぐ次の間まからKの火鉢を持って来てくれました。
私がKはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんは帰ってまた出たと答えました。
その日もKは私より後おくれて帰る時間割だったのですから、私はどうした訳かと思いました。
0037Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:16:44.050
奥さんは大方おおかた用事でもできたのだろうといっていました。
 私はしばらくそこに坐すわったまま書見しょけんをしました。宅の中がしんと静まって、
誰だれの話し声も聞こえないうちに、初冬はつふゆの寒さと佗わびしさとが、私の身体からだに食い込むような感じがしました。
私はすぐ書物を伏せて立ち上りました。私はふと賑にぎやかな所へ行きたくなったのです。雨はやっと歇あがったようですが、
空はまだ冷たい鉛のように重く見えたので、私は用心のため、蛇じゃの目めを肩に担かついで、
砲兵ほうへい工廠こうしょうの裏手の土塀どべいについて東へ坂を下おりました。その時分はまだ道路の改正ができない頃ころなので、
坂の勾配こうばいが今よりもずっと急でした。道幅も狭くて、ああ真直まっすぐではなかったのです。
0038Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:16:52.310
その上あの谷へ下りると、
南が高い建物で塞ふさがっているのと、放水みずはきがよくないのとで、往来はどろどろでした。
ことに細い石橋を渡って柳町やなぎちょうの通りへ出る間が非道ひどかったのです。足駄あしだでも長靴でもむやみに歩く訳にはゆきません。
誰でも路みちの真中に自然と細長く泥が掻かき分けられた所を、後生ごしょう大事だいじに辿たどって行かなければならないのです。
その幅は僅わずか一、二尺しゃくしかないのですから、手もなく往来に敷いてある帯の上を踏んで向うへ越すのと同じ事です。
行く人はみんな一列になってそろそろ通り抜けます。私はこの細帯の上で、はたりとKに出合いました。
足の方にばかり気を取られていた私は、彼と向き合うまで、彼の存在にまるで気が付かずにいたのです。
0039Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:17:03.400
私は不意に自分の前が塞ふさがったので偶然眼を上げた時、始めてそこに立っているKを認めたのです。
私はKにどこへ行ったのかと聞きました。Kはちょっとそこまでといったぎりでした。
彼の答えはいつもの通りふんという調子でした。Kと私は細い帯の上で身体を替かわせました。
するとKのすぐ後ろに一人の若い女が立っているのが見えました。
近眼の私には、今までそれがよく分らなかったのですが、Kをやり越した後あとで、その女の顔を見ると、それが宅うちのお嬢さんだったので、私は少なからず驚きました。
0040Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 06:17:13.710
お嬢さんは心持薄赤い顔をして、私に挨拶あいさつをしました。その時分の束髪そくはつは今と違って廂ひさしが出ていないのです、
そうして頭の真中まんなかに蛇へびのようにぐるぐる巻きつけてあったものです。
私はぼんやりお嬢さんの頭を見ていましたが、次の瞬間に、どっちか路みちを譲らなければならないのだという事に気が付きました。
私は思い切ってどろどろの中へ片足踏ふん込ごみました。そうして比較的通りやすい所を空あけて、お嬢さんを渡してやりました。
 それから柳町の通りへ出た私はどこへ行って好いいか自分にも分らなくなりました。どこへ行っても面白くないような心持がするのです。
私は飛泥はねの上がるのも構わずに、糠ぬかる海みの中を自暴やけにどしどし歩きました。それから直すぐ宅へ帰って来ました。
0041Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/12(金) 09:09:17.680
三十四

「私はKに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞きました。
Kはそうではないと答えました。真砂町まさごちょうで偶然出会ったから連れ立って帰って来たのだと説明しました。
私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでした。しかし食事の時、またお嬢さんに向って、同じ問いを掛けたくなりました。
するとお嬢さんは私の嫌いな例の笑い方をするのです。そうしてどこへ行ったか中あててみろとしまいにいうのです。
その頃ころの私はまだ癇癪かんしゃく持もちでしたから、そう不真面目ふまじめに若い女から取り扱われると腹が立ちました。
ところがそこに気の付くのは、同じ食卓に着いているもののうちで奥さん一人だったのです。Kはむしろ平気でした。
0042Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/12(金) 09:09:26.430
お嬢さんの態度になると、知ってわざとやるのか、知らないで無邪気むじゃきにやるのか、そこの区別がちょっと判然はんぜんしない点がありました。
若い女としてお嬢さんは思慮に富んだ方ほうでしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。
そうしてその嫌いなところは、Kが宅へ来てから、始めて私の眼に着き出したのです。私はそれをKに対する私の嫉妬しっとに帰きしていいものか、
または私に対するお嬢さんの技巧と見傚みなしてしかるべきものか、ちょっと分別に迷いました。
0043Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 09:09:34.450
私は今でも決してその時の私の嫉妬心を打ち消す気はありません。私はたびたび繰り返した通り、愛の裏面りめんにこの感情の働きを明らかに意識していたのですから。
しかも傍はたのものから見ると、ほとんど取るに足りない瑣事さじに、この感情がきっと首を持ち上げたがるのでしたから。
これは余事よじですが、こういう嫉妬しっとは愛の半面じゃないでしょうか。私は結婚してから、この感情がだんだん薄らいで行くのを自覚しました。
その代り愛情の方も決して元のように猛烈ではないのです。
0044Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 09:09:45.380
 私はそれまで躊躇ちゅうちょしていた自分の心を、一思ひとおもいに相手の胸へ擲たたき付けようかと考え出しました。
私の相手というのはお嬢さんではありません、奥さんの事です。奥さんにお嬢さんを呉くれろと明白な談判を開こうかと考えたのです。
しかしそう決心しながら、一日一日と私は断行の日を延ばして行ったのです。そういうと私はいかにも優柔ゆうじゅうな男のように見えます、
また見えても構いませんが、実際私の進みかねたのは、意志の力に不足があったためではありません。
0045Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 09:09:53.950
Kの来ないうちは、他ひとの手に乗るのが厭いやだという我慢が私を抑おさえ付けて、一歩も動けないようにしていました。
Kの来た後のちは、もしかするとお嬢さんがKの方に意があるのではなかろうかという疑念が絶えず私を制するようになったのです。
はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は口へいい出す価値のないものと私は決心していたのです。
恥を掻かかせられるのが辛つらいなどというのとは少し訳が違います。
0046Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 09:10:02.330
こっちでいくら思っても、向うが内心他ほかの人に愛の眼まなこを注そそいでいるならば、私はそんな女といっしょになるのは厭なのです。
世の中では否応いやおうなしに自分の好いた女を嫁に貰もらって嬉うれしがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした男か、
さもなければ愛の心理がよく呑のみ込めない鈍物どんぶつのする事と、当時の私は考えていたのです。一度貰ってしまえばどうかこうか落ち付くものだぐらいの哲理では、
承知する事ができないくらい私は熱していました。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。
同時にもっとも迂遠うえんな愛の実際家だったのです。
0047Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 09:10:10.810
 肝心かんじんのお嬢さんに、直接この私というものを打ち明ける機会も、長くいっしょにいるうちには時々出て来たのですが、
私はわざとそれを避けました。日本の習慣として、そういう事は許されていないのだという自覚が、その頃の私には強くありました。
しかし決してそればかりが私を束縛したとはいえません。日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、
相手に気兼きがねなく自分の思った通りを遠慮せずに口にするだけの勇気に乏しいものと私は見込んでいたのです。
0048Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 09:10:26.010
三十五

「こんな訳で私わたくしはどちらの方面へ向っても進む事ができずに立ち竦すくんでいました。身体からだの悪い時に午睡ひるねなどをすると、
眼だけ覚さめて周囲のものが判然はっきり見えるのに、どうしても手足の動かせない場合がありましょう。私は時としてああいう苦しみを人知れず感じたのです。
 その内うち年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多かるたをやるから誰だれか友達を連れて来ないかといった事があります。
するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚いてしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです。
0049Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 09:10:34.540
往来で会った時挨拶あいさつをするくらいのものは多少ありましたが、それらだって決して歌留多かるたなどを取る柄がらではなかったのです。
奥さんはそれじゃ私の知ったものでも呼んで来たらどうかといい直しましたが、私も生憎あいにくそんな陽気な遊びをする心持になれないので、
好いい加減な生返事なまへんじをしたなり、打ちやっておきました。ところが晩になってKと私はとうとうお嬢さんに引っ張り出されてしまいました。
客も誰も来ないのに、内々うちうちの小人数こにんずだけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かなものでした。
0050Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 09:10:43.450
その上こういう遊技をやり付けないKは、まるで懐手ふところでをしている人と同様でした。
私はKに一体百人一首ひゃくにんいっしゅの歌を知っているのかと尋ねました。Kはよく知らないと答えました。
私の言葉を聞いたお嬢さんは、大方おおかたKを軽蔑けいべつするとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。
しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有様になって来ました。私は相手次第では喧嘩けんかを始めたかも知れなかったのです。
幸いにKの態度は少しも最初と変りませんでした。彼のどこにも得意らしい様子を認めなかった私は、無事にその場を切り上げる事ができました。
0051Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 09:10:51.810
 それから二、三日経たった後のちの事でしたろう、奥さんとお嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ行くといって宅うちを出ました。
Kも私もまだ学校の始まらない頃ころでしたから、留守居同様あとに残っていました。私は書物を読むのも散歩に出るのも厭いやだったので、
ただ漠然と火鉢の縁ふちに肱ひじを載せて凝じっと顋あごを支えたなり考えていました。隣となりの室へやにいるKも一向いっこう音を立てませんでした。
双方ともいるのだかいないのだか分らないくらい静かでした。もっともこういう事は、二人の間柄として別に珍しくも何ともなかったのですから、
私は別段それを気にも留めませんでした。
0052Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 09:11:01.950
 十時頃になって、Kは不意に仕切りの襖ふすまを開けて私と顔を見合みあわせました。
彼は敷居の上に立ったまま、私に何を考えていると聞きました。私はもとより何も考えていなかったのです。
もし考えていたとすれば、いつもの通りお嬢さんが問題だったかも知れません。そのお嬢さんには無論奥さんも食っ付いていますが、
近頃ではK自身が切り離すべからざる人のように、私の頭の中をぐるぐる回めぐって、この問題を複雑にしているのです。
Kと顔を見合せた私は、今まで朧気おぼろげに彼を一種の邪魔ものの如く意識していながら、明らかにそうと答える訳にいかなかったのです。
私は依然として彼の顔を見て黙っていました。するとKの方からつかつかと私の座敷へ入って来て、私のあたっている火鉢の前に坐すわりました。
0053Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/12(金) 09:11:13.000
私はすぐ両肱りょうひじを火鉢の縁から取り除のけて、心持それをKの方へ押しやるようにしました。
 Kはいつもに似合わない話を始めました。奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろうというのです。
私は大方叔母おばさんの所だろうと答えました。Kはその叔母さんは何だとまた聞きます。私はやはり軍人の細君さいくんだと教えてやりました。
すると女の年始は大抵十五日過すぎだのに、なぜそんなに早く出掛けたのだろうと質問するのです。私はなぜだか知らないと挨拶するより外ほかに仕方がありませんでした。
0054Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 13:02:45.120
マイナンバーは資産課税や預金封鎖のためのもの



【岸田政権】マイナポイント2万円をエサに国民の財産掌握。自公政権の狙いは資産税導入と預金封鎖か

新たな経済対策を検討している自民・公明両党が、マイナンバーカード所持者に対して最大2万円分のマイナポイントを付与することで、党首間で合意に至ったと報じられた。

報道によると、マイナポイントの付与は段階的に行われるといい、新たにカードを取得した人に5,000円分、カードを健康保険証として使うための手続きをした人に7,500円分。そして、カードに預貯金口座とのひも付けをした人には7,500円分のポイントが付与されるという。

預貯金口座とのひも付けに広がる不安

コロナ禍で経済的に疲弊している国民の救済のため、「年収960万円の所得制限を設けたうえでの18歳以下への10万円相当の給付」とともに、自民・公明両党の間で実施が決まった新たなマイナポイント事業。

この政策はもともと公明党が先の選挙前に掲げており、さっそくの公約実現となったわけだが、その時に言っていたのは、たしか“3万円分”のポイント付与。しかし、それがいつの間にかにしれっと2万円に減らされており、その経緯に関して詳しいことは分かっていない。

ネット上では、付与額が減ったことに対して怒る人も存在するいっぽうで、その具体的な内容としてあがっている“段階的なポイント付与”にも、「国民の個人情報を安く買い叩く」「まるでクレカの加入特典みたい」などと、多くの批判の声が。さらに預貯金口座とのひも付けに関しては、「国民の財産を把握したいだけでは?」との見方も出ている状況だ。

国による“国民の財産掌握”の先にあるものとして、国民の一部の間で危惧が広がっているのが「資産税」の導入、あるいは突然の「預金封鎖」といった事態だ。先の選挙前、自民党内で「法人の現預金課税」が議論された際にも「将来的にこれが個人資産にも範囲が及ぶのでは?」といった見方が一部で広がっていたが、今回のようにマイナンバーカードと預貯金口座とのひも付けに躍起な政府の様を見て、よりその可能性が高まったと感じる向きは結構多いようである。

(略)
https://www.mag2.com/p/money/1123679
0055Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 14:02:28.940
三十六

「Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話を已やめませんでした。しまいには私わたくしも答えられないような立ち入った事まで聞くのです。
私は面倒よりも不思議の感に打たれました。以前私の方から二人を問題にして話しかけた時の彼を思い出すと、
私はどうしても彼の調子の変っているところに気が付かずにはいられないのです。私はとうとうなぜ今日に限ってそんな事ばかりいうのかと彼に尋ねました。
その時彼は突然黙りました。しかし私は彼の結んだ口元の肉が顫ふるえるように動いているのを注視しました。彼は元来無口な男でした。
平生へいぜいから何かいおうとすると、いう前によく口のあたりをもぐもぐさせる癖くせがありました。
彼の唇がわざと彼の意志に反抗するように容易たやすく開あかないところに、彼の言葉の重みも籠こもっていたのでしょう。
一旦いったん声が口を破って出るとなると、その声には普通の人よりも倍の強い力がありました。
0056Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 14:02:45.710
 彼の口元をちょっと眺ながめた時、私はまた何か出て来るなとすぐ疳付かんづいたのですが、それがはたして何なんの準備なのか、私の予覚はまるでなかったのです。
だから驚いたのです。彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。
私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです。
 その時の私は恐ろしさの塊かたまりといいましょうか、または苦しさの塊りといいましょうか、何しろ一つの塊りでした。
0057Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 14:02:55.500
石か鉄のように頭から足の先までが急に固くなったのです。呼吸をする弾力性さえ失われたくらいに堅くなったのです。
幸いな事にその状態は長く続きませんでした。私は一瞬間の後のちに、また人間らしい気分を取り戻しました。そうして、すぐ失策しまったと思いました。
先せんを越されたなと思いました。
0058Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 14:03:05.670
 しかしその先さきをどうしようという分別はまるで起りません。恐らく起るだけの余裕がなかったのでしょう。
私は腋わきの下から出る気味のわるい汗が襯衣シャツに滲しみ透とおるのを凝じっと我慢して動かずにいました。Kはその間あいだいつもの通り重い口を切っては、
ぽつりぽつりと自分の心を打ち明けてゆきます。私は苦しくって堪たまりませんでした。おそらくその苦しさは、大きな広告のように、
私の顔の上に判然はっきりした字で貼はり付けられてあったろうと私は思うのです。
0059Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/12(金) 14:03:23.200
いくらKでもそこに気の付かないはずはないのですが、彼はまた彼で、自分の事に一切いっさいを集中しているから、私の表情などに注意する暇がなかったのでしょう。
彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。重くて鈍のろい代りに、とても容易な事では動かせないという感じを私に与えたのです。
私の心は半分その自白を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念に絶えず掻かき乱されていましたから、細こまかい点になるとほとんど耳へ入らないと同様でしたが、
それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。そのために私は前いった苦痛ばかりでなく、ときには一種の恐ろしさを感ずるようになったのです。
0060Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/12(金) 14:03:33.630
つまり相手は自分より強いのだという恐怖の念が萌きざし始めたのです。
 Kの話が一通り済んだ時、私は何ともいう事ができませんでした。こっちも彼の前に同じ意味の自白をしたものだろうか、
それとも打ち明けずにいる方が得策だろうか、私はそんな利害を考えて黙っていたのではありません。ただ何事もいえなかったのです。またいう気にもならなかったのです。
 午食ひるめしの時、Kと私は向い合せに席を占めました。下女げじょに給仕をしてもらって、私はいつにない不味まずい飯めしを済ませました。
二人は食事中もほとんど口を利ききませんでした。奥さんとお嬢さんはいつ帰るのだか分りませんでした。
0061Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/12(金) 14:03:45.580
三十七

「二人は各自めいめいの室へやに引き取ったぎり顔を合わせませんでした。Kの静かな事は朝と同じでした。私わたくしも凝じっと考え込んでいました。
 私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いました。しかしそれにはもう時機が後おくれてしまったという気も起りました。
なぜ先刻さっきKの言葉を遮さえぎって、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な手落てぬかりのように見えて来ました。
せめてKの後あとに続いて、自分は自分の思う通りをその場で話してしまったら、まだ好かったろうにとも考えました。
0062Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/12(金) 14:03:56.320
Kの自白に一段落が付いた今となって、こっちからまた同じ事を切り出すのは、どう思案しても変でした。
私はこの不自然に打ち勝つ方法を知らなかったのです。私の頭は悔恨に揺ゆられてぐらぐらしました。
 私はKが再び仕切しきりの襖ふすまを開あけて向うから突進してきてくれれば好いいと思いました。私にいわせれば、先刻はまるで不意撃ふいうちに会ったも同じでした。
私にはKに応ずる準備も何もなかったのです。私は午前に失ったものを、今度は取り戻そうという下心したごころを持っていました。
それで時々眼を上げて、襖を眺ながめました。しかしその襖はいつまで経たっても開あきません。そうしてKは永久に静かなのです。
0063Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/12(金) 14:04:08.020
 その内うち私の頭は段々この静かさに掻かき乱されるようになって来ました。Kは今襖の向うで何を考えているだろうと思うと、それが気になって堪たまらないのです。
不断もこんな風ふうにお互いが仕切一枚を間に置いて黙り合っている場合は始終あったのですが、私はKが静かであればあるほど、
彼の存在を忘れるのが普通の状態だったのですから、その時の私はよほど調子が狂っていたものと見なければなりません。
それでいて私はこっちから進んで襖を開ける事ができなかったのです。一旦いったんいいそびれた私は、また向うから働き掛けられる時機を待つより外ほかに仕方がなかったのです。
0064Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/12(金) 14:04:17.400
 しまいに私は凝じっとしておられなくなりました。無理に凝としていれば、Kの部屋へ飛び込みたくなるのです。
私は仕方なしに立って縁側へ出ました。そこから茶の間へ来て、何という目的もなく、鉄瓶てつびんの湯を湯呑ゆのみに注ついで一杯呑みました。
それから玄関へ出ました。私はわざとKの室を回避するようにして、こんな風に自分を往来の真中に見出みいだしたのです。私には無論どこへ行くという的あてもありません。
ただ凝じっとしていられないだけでした。それで方角も何も構わずに、正月の町を、むやみに歩き廻まわったのです。
0065Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/12(金) 14:04:28.010
私の頭はいくら歩いてもKの事でいっぱいになっていました。私もKを振ふるい落す気で歩き廻る訳ではなかったのです。
むしろ自分から進んで彼の姿を咀嚼そしゃくしながらうろついていたのです。
 私には第一に彼が解かいしがたい男のように見えました。どうしてあんな事を突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければいられないほどに、
彼の恋が募つのって来たのか、そうして平生の彼はどこに吹き飛ばされてしまったのか、すべて私には解しにくい問題でした。私は彼の強い事を知っていました。
0066Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 14:04:36.830
また彼の真面目まじめな事を知っていました。私はこれから私の取るべき態度を決する前に、彼について聞かなければならない多くをもっていると信じました。
同時にこれからさき彼を相手にするのが変に気味が悪かったのです。私は夢中に町の中を歩きながら、
自分の室に凝じっと坐すわっている彼の容貌ようぼうを始終眼の前に描えがき出しました。
0067Ms.名無しさん
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2021/11/12(金) 14:04:46.400
しかもいくら私が歩いても彼を動かす事は到底できないのだという声がどこかで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょう。
私は永久彼に祟たたられたのではなかろうかという気さえしました。
 私が疲れて宅うちへ帰った時、彼の室は依然として人気ひとけのないように静かでした。
0068Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 06:06:13.210
三十八

「私が家へはいると間もなく俥くるまの音が聞こえました。今のように護謨輪ゴムわのない時分でしたから、
がらがらいう厭いやな響ひびきがかなりの距離でも耳に立つのです。車はやがて門前で留まりました。
 私が夕飯ゆうめしに呼び出されたのは、それから三十分ばかり経たった後あとの事でしたが、まだ奥さんとお嬢さんの晴着はれぎが脱ぎ棄すてられたまま、
次の室を乱雑に彩いろどっていました。二人は遅くなると私たちに済まないというので、飯の支度に間に合うように、急いで帰って来たのだそうです。
0069Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 06:06:25.000
しかし奥さんの親切はKと私とに取ってほとんど無効も同じ事でした。私は食卓に坐りながら、言葉を惜しがる人のように、素気そっけない挨拶あいさつばかりしていました。
Kは私よりもなお寡言かげんでした。たまに親子連おやこづれで外出した女二人の気分が、また平生へいぜいよりは勝すぐれて晴れやかだったので、
我々の態度はなおの事眼に付きます。奥さんは私にどうかしたのかと聞きました。私は少し心持が悪いと答えました。実際私は心持が悪かったのです。
すると今度はお嬢さんがKに同じ問いを掛けました。Kは私のように心持が悪いとは答えません。ただ口が利ききたくないからだといいました。
0070Ms.名無しさん
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2021/11/13(土) 06:06:34.110
お嬢さんはなぜ口が利きたくないのかと追窮ついきゅうしました。私はその時ふと重たい瞼まぶたを上げてKの顔を見ました。
私にはKが何と答えるだろうかという好奇心があったのです。Kの唇は例のように少し顫ふるえていました。それが知らない人から見ると、
まるで返事に迷っているとしか思われないのです。お嬢さんは笑いながらまた何かむずかしい事を考えているのだろうといいました。Kの顔は心持薄赤くなりました。
0071Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 06:06:47.020
 その晩私はいつもより早く床とこへ入りました。私が食事の時気分が悪いといったのを気にして、奥さんは十時頃蕎麦湯そばゆを持って来てくれました。
しかし私の室へやはもう真暗まっくらでした。奥さんはおやおやといって、仕切りの襖ふすまを細目に開けました。
洋燈ランプの光がKの机から斜ななめにぼんやりと私の室に差し込みました。Kはまだ起きていたものとみえます。
0072Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 06:06:58.250
奥さんは枕元まくらもとに坐って、大方おおかた風邪かぜを引いたのだろうから身体からだを暖あっためるがいいといって、湯呑ゆのみを顔の傍そばへ突き付けるのです。
私はやむをえず、どろどろした蕎麦湯を奥さんの見ている前で飲みました。
 私は遅くなるまで暗いなかで考えていました。無論一つ問題をぐるぐる廻転かいてんさせるだけで、外ほかに何の効力もなかったのです。
私は突然Kが今隣りの室で何をしているだろうと思い出しました。私は半ば無意識においと声を掛けました。すると向うでもおいと返事をしました。
0073Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 06:07:08.450
Kもまだ起きていたのです。私はまだ寝ないのかと襖ごしに聞きました。もう寝るという簡単な挨拶あいさつがありました。
何をしているのだと私は重ねて問いました。今度はKの答えがありません。その代り五、六分経ったと思う頃に、押入おしいれをがらりと開けて、
床とこを延べる音が手に取るように聞こえました。私はもう何時なんじかとまた尋ねました。Kは一時二十分だと答えました。
やがて洋燈ランプをふっと吹き消す音がして、家中うちじゅうが真暗なうちに、しんと静まりました。
0074Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 06:07:16.990
 しかし私の眼はその暗いなかでいよいよ冴さえて来るばかりです。私はまた半ば無意識な状態で、おいとKに声を掛けました。
Kも以前と同じような調子で、おいと答えました。私は今朝けさ彼から聞いた事について、もっと詳しい話をしたいが、彼の都合はどうだと、
とうとうこっちから切り出しました。私は無論襖越ふすまごしにそんな談話を交換する気はなかったのですが、Kの返答だけは即坐に得られる事と考えたのです。
ところがKは先刻さっきから二度おいと呼ばれて、二度おいと答えたような素直すなおな調子で、今度は応じません。そうだなあと低い声で渋っています。
私はまたはっと思わせられました。
0075Ms.名無しさん
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2021/11/13(土) 06:07:30.510
三十九

「Kの生返事なまへんじは翌日よくじつになっても、その翌日になっても、彼の態度によく現われていました。
彼は自分から進んで例の問題に触れようとする気色けしきを決して見せませんでした。もっとも機会もなかったのです。
奥さんとお嬢さんが揃そろって一日宅うちを空あけでもしなければ、二人はゆっくり落ち付いて、そういう事を話し合う訳にも行かないのですから。
0076Ms.名無しさん
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2021/11/13(土) 06:07:40.350
私わたくしはそれをよく心得ていました。心得ていながら、変にいらいらし出すのです。その結果始めは向うから来るのを待つつもりで、
暗あんに用意をしていた私が、折があったらこっちで口を切ろうと決心するようになったのです。
 同時に私は黙って家うちのものの様子を観察して見ました。しかし奥さんの態度にもお嬢さんの素振そぶりにも、別に平生へいぜいと変った点はありませんでした。
0077Ms.名無しさん
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2021/11/13(土) 06:07:49.540
Kの自白以前と自白以後とで、彼らの挙動にこれという差違が生じないならば、彼の自白は単に私だけに限られた自白で、肝心かんじんの本人にも、
またその監督者たる奥さんにも、まだ通じていないのは慥たしかでした。そう考えた時私は少し安心しました。
それで無理に機会を拵こしらえて、わざとらしく話を持ち出すよりは、自然の与えてくれるものを取り逃さないようにする方が好かろうと思って、
例の問題にはしばらく手を着けずにそっとしておく事にしました。
0078Ms.名無しさん
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2021/11/13(土) 06:07:59.690
 こういってしまえば大変簡単に聞こえますが、そうした心の経過には、潮しおの満干みちひと同じように、色々の高低たかびくがあったのです。
私はKの動かない様子を見て、それにさまざまの意味を付け加えました。奥さんとお嬢さんの言語動作を観察して、
二人の心がはたしてそこに現われている通りなのだろうかと疑うたがってもみました。
0079Ms.名無しさん
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2021/11/13(土) 06:08:09.550
そうして人間の胸の中に装置された複雑な器械が、時計の針のように、明瞭めいりょうに偽いつわりなく、盤上ばんじょうの数字を指し得うるものだろうかと考えました。
要するに私は同じ事をこうも取り、ああも取りした揚句あげく、漸ようやくここに落ち付いたものと思って下さい。更にむずかしくいえば、落ち付くなどという言葉は、
この際決して使われた義理でなかったのかも知れません。
0080Ms.名無しさん
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2021/11/13(土) 06:08:20.300
 その内うち学校がまた始まりました。私たちは時間の同じ日には連れ立って宅うちを出ます。都合がよければ帰る時にもやはりいっしょに帰りました。
外部から見たKと私は、何にも前と違ったところがないように親しくなったのです。けれども腹の中では、各自てんでんに各自てんでんの事を勝手に考えていたに違いありません。
ある日私は突然往来でKに肉薄しました。私が第一に聞いたのは、この間の自白が私だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんにも通じているかの点にあったのです。
0081Ms.名無しさん
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2021/11/13(土) 06:08:32.070
私のこれから取るべき態度は、この問いに対する彼の答え次第で極きめなければならないと、私は思ったのです。
すると彼は外ほかの人にはまだ誰だれにも打ち明けていないと明言しました。私は事情が自分の推察通りだったので、
内心嬉うれしがりました。私はKの私より横着なのをよく知っていました。彼の度胸にも敵かなわないという自覚があったのです。
0082Ms.名無しさん
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2021/11/13(土) 06:08:40.990
けれども一方ではまた妙に彼を信じていました。学資の事で養家ようかを三年も欺あざむいていた彼ですけれども、
彼の信用は私に対して少しも損われていなかったのです。私はそれがためにかえって彼を信じ出したくらいです。
だからいくら疑い深い私でも、明白な彼の答えを腹の中で否定する気は起りようがなかったのです。
0083Ms.名無しさん
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2021/11/13(土) 06:08:50.620
 私はまた彼に向って、彼の恋をどう取り扱うつもりかと尋ねました。それが単なる自白に過ぎないのか、またはその自白についで、
実際的の効果をも収める気なのかと問うたのです。しかるに彼はそこになると、何にも答えません。黙って下を向いて歩き出します。
私は彼に隠かくし立てをしてくれるな、すべて思った通りを話してくれと頼みました。彼は何も私に隠す必要はないと判然はっきり断言しました。
しかし私の知ろうとする点には、一言いちごんの返事も与えないのです。私も往来だからわざわざ立ち留まって底そこまで突き留める訳にいきません。
ついそれなりにしてしまいました。
0084Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 09:11:52.640
四十

「ある日私は久しぶりに学校の図書館に入りました。私は広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、
あちらこちらと引ひっ繰くり返して見ていました。私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べて来いと命ぜられたのです。
しかし私に必要な事柄がなかなか見付からないので、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。
0085Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 09:12:12.110
最後に私はやっと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しました。すると突然幅の広い机の向う側から小さな声で私の名を呼ぶものがあります。
私はふと眼を上げてそこに立っているKを見ました。Kはその上半身を机の上に折り曲げるようにして、彼の顔を私に近付けました。
ご承知の通り図書館では他ほかの人の邪魔になるような大きな声で話をする訳にゆかないのですから、Kのこの所作しょさは誰でもやる普通の事なのですが、
私はその時に限って、一種変な心持がしました。
0086Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 09:12:23.700
 Kは低い声で勉強かと聞きました。私はちょっと調べものがあるのだと答えました。それでもKはまだその顔を私から放しません。
同じ低い調子でいっしょに散歩をしないかというのです。私は少し待っていればしてもいいと答えました。彼は待っているといったまま、すぐ私の前の空席に腰をおろしました。
すると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。何だかKの胸に一物いちもつがあって、談判でもしに来られたように思われて仕方がないのです。
私はやむをえず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしました。Kは落ち付き払ってもう済んだのかと聞きます。
0087Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 09:13:42.130
私はどうでもいいのだと答えて、雑誌を返すと共に、Kと図書館を出ました。
 二人は別に行く所もなかったので、竜岡町たつおかちょうから池いけの端はたへ出て、上野うえのの公園の中へ入りました。
その時彼は例の事件について、突然向うから口を切りました。前後の様子を綜合そうごうして考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に引ひっ張ぱり出だしたらしいのです。
けれども彼の態度はまだ実際的の方面へ向ってちっとも進んでいませんでした。彼は私に向って、ただ漠然と、どう思うというのです。
0088Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 09:13:53.110
どう思うというのは、そうした恋愛の淵ふちに陥おちいった彼を、どんな眼で私が眺ながめるかという質問なのです。
一言いちごんでいうと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたいようなのです。そこに私は彼の平生へいぜいと異なる点を確かに認める事ができたと思いました。
たびたび繰り返すようですが、彼の天性は他ひとの思わくを憚はばかるほど弱くでき上ってはいなかったのです。
こうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度胸もあり勇気もある男なのです。養家ようか事件でその特色を強く胸の裏うちに彫ほり付けられた私が、
これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです。
0089Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 09:14:02.060
 私がKに向って、この際何なんで私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼はいつもにも似ない悄然しょうぜんとした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいといいました。
そうして迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外ほかに仕方がないといいました。
私は隙すかさず迷うという意味を聞き糺ただしました。彼は進んでいいか退しりぞいていいか、それに迷うのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。
そうして退こうと思えば退けるのかと彼に聞きました。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰りました。
0090Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 09:14:12.010
彼はただ苦しいといっただけでした。実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。
もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その渇かわき切った顔の上に慈雨じうの如く注そそいでやったか分りません。
私はそのくらいの美しい同情をもって生れて来た人間と自分ながら信じています。しかしその時の私は違っていました。
0091Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 09:14:23.290
四十一

「私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の眼、私の心、私の身体からだ、
すべて私という名の付くものを五分ぶの隙間すきまもないように用意して、
Kに向ったのです。罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。
0092Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 09:14:33.080
私は彼自身の手から、彼の保管している要塞ようさいの地図を受け取って、彼の眼の前でゆっくりそれを眺ながめる事ができたも同じでした。
 Kが理想と現実の間に彷徨ほうこうしてふらふらしているのを発見した私は、ただ一打ひとうちで彼を倒す事ができるだろうという点にばかり眼を着けました。
そうしてすぐ彼の虚きょに付け込んだのです。私は彼に向って急に厳粛な改まった態度を示し出しました。無論策略からですが、
その態度に相応するくらいな緊張した気分もあったのですから、自分に滑稽こっけいだの羞恥しゅうちだのを感ずる余裕はありませんでした。
0093Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 09:14:41.560
私はまず「精神的に向上心のないものは馬鹿ばかだ」といい放ちました。これは二人で房州ぼうしゅうを旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。
私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐ふくしゅうではありません。
私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言いちごんでKの前に横たわる恋の行手ゆくてを塞ふさごうとしたのです。
 Kは真宗寺しんしゅうでらに生れた男でした。しかし彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨しゅうしに近いものではなかったのです。
教義上の区別をよく知らない私が、こんな事をいう資格に乏しいのは承知していますが、私はただ男女なんにょに関係した点についてのみ、そう認めていたのです。
0094Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 09:14:51.000
Kは昔から精進しょうじんという言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲きんよくという意味も籠こもっているのだろうと解釈していました。
しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。
道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲せつよくや禁欲きんよくは無論、
たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害さまたげになるのです。Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。
0095Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 09:33:39.640
その頃ころからお嬢さんを思っていた私は、勢いどうしても彼に反対しなければならなかったのです。私が反対すると、彼はいつでも気の毒そうな顔をしました。
そこには同情よりも侮蔑ぶべつの方が余計に現われていました。
 こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取って痛いに違いなかったのです。
しかし前にもいった通り、私はこの一言で、彼が折角せっかく積み上げた過去を蹴散けちらしたつもりではありません。
0096Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 09:33:48.820
かえってそれを今まで通り積み重ねて行かせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私は構いません。
私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
 私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。
0097Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 09:33:58.770
「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」
 Kはぴたりとそこへ立ち留どまったまま動きません。彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょっとしました。
私にはKがその刹那せつなに居直いなおり強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれにしては彼の声がいかにも力に乏しいという事に気が付きました。
私は彼の眼遣めづかいを参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、徐々そろそろとまた歩き出しました。
0098Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 14:31:32.180
四十二

「私はKと並んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中で暗あんに待ち受けました。あるいは待ち伏せといった方がまだ適当かも知れません。
その時の私はたといKを騙だまし打ちにしても構わないくらいに思っていたのです。しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私の傍そばへ来て、
お前は卑怯ひきょうだと一言ひとこと私語ささやいてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっと我に立ち帰ったかも知れません。
もしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょう。ただKは私を窘たしなめるには余りに正直でした。
余りに単純でした。余りに人格が善良だったのです。目のくらんだ私は、そこに敬意を払う事を忘れて、かえってそこに付け込んだのです。
0099Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 14:31:39.760
そこを利用して彼を打ち倒そうとしたのです。
 Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めました。するとKも留まりました。
私はその時やっとKの眼を真向まむきに見る事ができたのです。Kは私より背せいの高い男でしたから、私は勢い彼の顔を見上げるようにしなければなりません。
私はそうした態度で、狼おおかみのごとき心を罪のない羊に向けたのです。
0100Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 14:31:52.970
「もうその話は止やめよう」と彼がいいました。彼の眼にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました。私はちょっと挨拶あいさつができなかったのです。
するとKは、「止やめてくれ」と今度は頼むようにいい直しました。私はその時彼に向って残酷な答を与えたのです。
狼おおかみが隙すきを見て羊の咽喉笛のどぶえへ食くらい付くように。
0101Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 14:32:10.160
「止やめてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、
ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」
 私がこういった時、背せいの高い彼は自然と私の前に萎縮いしゅくして小さくなるような感じがしました。彼はいつも話す通り頗すこぶる強情ごうじょうな男でしたけれども、
一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられない質たちだったのです。
0102Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 14:32:21.590
私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は卒然そつぜん「覚悟?」と聞きました。
そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は独言ひとりごとのようでした。また夢の中の言葉のようでした。
 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川こいしかわの宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、
公園のなかは淋さびしいものでした。ことに霜に打たれて蒼味あおみを失った杉の木立こだちの茶褐色ちゃかっしょくが、薄黒い空の中に、
梢こずえを並べて聳そびえているのを振り返って見た時は、寒さが背中へ噛かじり付いたような心持がしました。
0103Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 14:32:31.860
我々は夕暮の本郷台ほんごうだいを急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うの岡おかへ上のぼるべく小石川の谷へ下りたのです。
私はその頃ころになって、ようやく外套がいとうの下に体たいの温味あたたかみを感じ出したぐらいです。
 急いだためでもありましょうが、我々は帰り路みちにはほとんど口を聞きませんでした。宅うちへ帰って食卓に向った時、
奥さんはどうして遅くなったのかと尋ねました。私はKに誘われて上野うえのへ行ったと答えました。
0104Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 14:32:40.110
奥さんはこの寒いのにといって驚いた様子を見せました。お嬢さんは上野に何があったのかと聞きたがります。
私は何もないが、ただ散歩したのだという返事だけしておきました。平生へいぜいから無口なKは、いつもよりなお黙っていました。
奥さんが話しかけても、お嬢さんが笑っても、碌ろくな挨拶あいさつはしませんでした。それから飯めしを呑のみ込むように掻かき込んで、
私がまだ席を立たないうちに、自分の室へやへ引き取りました。
0105Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 16:27:44.840
四十三

「その頃ころは覚醒かくせいとか新しい生活とかいう文字もんじのまだない時分でした。しかしKが古い自分をさらりと投げ出して、
一意いちいに新しい方角へ走り出さなかったのは、現代人の考えが彼に欠けていたからではないのです。彼には投げ出す事のできないほど尊たっとい過去があったからです。
彼はそのために今日こんにちまで生きて来たといってもいいくらいなのです。だからKが一直線に愛の目的物に向って猛進しないといって、
決してその愛の生温なまぬるい事を証拠立てる訳にはゆきません。
0106Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 16:27:53.260
いくら熾烈しれつな感情が燃えていても、彼はむやみに動けないのです。前後を忘れるほどの衝動が起る機会を彼に与えない以上、
Kはどうしてもちょっと踏み留とどまって自分の過去を振り返らなければならなかったのです。
そうすると過去が指し示す路みちを今まで通り歩かなければならなくなるのです。その上彼には現代人のもたない強情ごうじょうと我慢がありました。
私はこの双方の点においてよく彼の心を見抜いていたつもりなのです。
0107Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 16:28:07.920
 上野うえのから帰った晩は、私に取って比較的安静な夜よでした。私はKが室へやへ引き上げたあとを追い懸けて、彼の机の傍そばに坐すわり込みました。
そうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。彼は迷惑そうでした。私の眼には勝利の色が多少輝いていたでしょう、
私の声にはたしかに得意の響きがあったのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手を翳かざした後あと、自分の室に帰りました。
0108Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 16:28:22.710
外ほかの事にかけては何をしても彼に及ばなかった私も、その時だけは恐るるに足りないという自覚を彼に対してもっていたのです。
 私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間の襖ふすまが二尺しゃくばかり開あいて、
そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の室には宵よいの通りまだ燈火あかりが点ついているのです。
0109Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/13(土) 16:28:31.520
急に世界の変った私は、少しの間あいだ口を利きく事もできずに、ぼうっとして、その光景を眺ながめていました。
 その時Kはもう寝たのかと聞きました。Kはいつでも遅くまで起きている男でした。私は黒い影法師かげぼうしのようなKに向って、何か用かと聞き返しました。
Kは大した用でもない、ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだと答えました。
0110Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/14(日) 06:06:51.420
Kは洋燈ランプの灯ひを背中に受けているので、彼の顔色や眼つきは、全く私には分りませんでした。けれども彼の声は不断よりもかえって落ち付いていたくらいでした。
 Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。私の室はすぐ元の暗闇くらやみに帰りました。私はその暗闇より静かな夢を見るべくまた眼を閉じました。
私はそれぎり何も知りません。しかし翌朝よくあさになって、昨夕ゆうべの事を考えてみると、何だか不思議でした。私はことによると、すべてが夢ではないかと思いました。
0111Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/14(日) 06:07:00.630
それで飯めしを食う時、Kに聞きました。Kはたしかに襖を開けて私の名を呼んだといいます。
なぜそんな事をしたのかと尋ねると、別に判然はっきりした返事もしません。調子の抜けた頃になって、近頃は熟睡ができるのかとかえって向うから私に問うのです。
私は何だか変に感じました。
0112Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/14(日) 06:07:11.080
 その日ちょうど同じ時間に講義の始まる時間割になっていたので、二人はやがていっしょに宅うちを出ました。
今朝けさから昨夕の事が気に掛かかっている私は、途中でまたKを追窮ついきゅうしました。けれどもKはやはり私を満足させるような答えをしません。
私はあの事件について何か話すつもりではなかったのかと念を押してみました。Kはそうではないと強い調子でいい切りました。
0113Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/14(日) 06:07:22.120
昨日きのう上野で「その話はもう止やめよう」といったではないかと注意するごとくにも聞こえました。
Kはそういう点に掛けて鋭い自尊心をもった男なのです。ふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想し出しました。
すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭を抑おさえ始めたのです。
0114Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/14(日) 06:07:34.990
四十四

「Kの果断に富んだ性格は私わたくしによく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔ゆうじゅうな訳も私にはちゃんと呑のみ込めていたのです。
つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかり攫つらまえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、
頭のなかで何遍なんべんも咀嚼そしゃくしているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら揺うごき始めるようになりました。
0115Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/14(日) 06:07:43.260
私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。すべての疑惑、煩悶はんもん、
懊悩おうのう、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに畳たたみ込んでいるのではなかろうかと疑うたぐり始めたのです。
そうした新しい光で覚悟の二字を眺ながめ返してみた私は、はっと驚きました。
0116Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/14(日) 06:07:52.620
その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返いっぺん彼の口にした覚悟の内容を公平に見廻みまわしたらば、まだよかったかも知れません。
悲しい事に私は片眼めっかちでした。私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。
果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図いちずに思い込んでしまったのです。
0117Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/14(日) 06:08:01.680
 私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起しました。
私はKより先に、しかもKの知らない間まに、事を運ばなくてはならないと覚悟を極きめました。私は黙って機会を覘ねらっていました。
しかし二日経たっても三日経っても、私はそれを捕つらまえる事ができません。
私はKのいない時、またお嬢さんの留守な折を待って、奥さんに談判を開こうと考えたのです。
0118Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 06:08:10.550
しかし片方がいなければ、片方が邪魔をするといった風ふうの日ばかり続いて、どうしても「今だ」と思う好都合が出て来てくれないのです。私はいらいらしました。
 一週間の後のち私はとうとう堪え切れなくなって仮病けびょうを遣つかいました。奥さんからもお嬢さんからも、K自身からも、
起きろという催促を受けた私は、生返事なまへんじをしただけで、十時頃ごろまで蒲団ふとんを被かぶって寝ていました。
0119Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/14(日) 06:08:20.720
私はKもお嬢さんもいなくなって、家の内なかがひっそり静まった頃を見計みはからって寝床を出ました。私の顔を見た奥さんは、すぐどこが悪いかと尋ねました。
食物たべものは枕元まくらもとへ運んでやるから、もっと寝ていたらよかろうと忠告してもくれました。身体からだに異状のない私は、とても寝る気にはなれません。顔を洗っていつもの通り茶の間で飯めしを食いました。その時奥さんは長火鉢ながひばちの向側むこうがわから給仕をしてくれたのです。私は朝飯あさめしとも午飯ひるめしとも片付かない茶椀ちゃわんを手に持ったまま、どんな風に問題を切り出したものだろうかと、そればかりに屈托くったくしていたから、外観からは実際気分の好よくない病人らしく見えただろうと思います。
 私は飯を終しまって烟草タバコを吹かし出しました。私が立たないので奥さんも火鉢の傍そばを離れる訳にゆきません。
下女げじょを呼んで膳ぜんを下げさせた上、鉄瓶てつびんに水を注さしたり、火鉢の縁ふちを拭ふいたりして、私に調子を合わせています。
0120Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/14(日) 06:08:34.600
私は奥さんに特別な用事でもあるのかと問いました。奥さんはいいえと答えましたが、今度は向うでなぜですと聞き返して来ました。
私は実は少し話したい事があるのだといいました。奥さんは何ですかといって、私の顔を見ました。
奥さんの調子はまるで私の気分にはいり込めないような軽いものでしたから、私は次に出すべき文句も少し渋りました。
0121Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/14(日) 06:08:44.610
 私は仕方なしに言葉の上で、好いい加減にうろつき廻まわった末、Kが近頃ちかごろ何かいいはしなかったかと奥さんに聞いてみました。
奥さんは思いも寄らないという風をして、「何を?」とまた反問して来ました。そうして私の答える前に、「あなたには何かおっしゃったんですか」とかえって向うで聞くのです。
0122Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/14(日) 06:08:59.250
四十五

「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ」といってしまった後で、すぐ自分の嘘うそを快こころよからず感じました。
仕方がないから、別段何も頼まれた覚えはないのだから、Kに関する用件ではないのだといい直しました。
奥さんは「そうですか」といって、後あとを待っています。私はどうしても切り出さなければならなくなりました。
私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」といいました。奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでしたが、
それでも少時しばらく返事ができなかったものと見えて、黙って私の顔を眺ながめていました。一度いい出した私は、いくら顔を見られても、
それに頓着とんじゃくなどはしていられません。「下さい、ぜひ下さい」といいました。
0123Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 06:09:09.060
「私の妻としてぜひ下さい」といいました。奥さんは年を取っているだけに、私よりもずっと落ち付いていました。
「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか」と聞くのです。私が「急に貰もらいたいのだ」とすぐ答えたら笑い出しました。
そうして「よく考えたのですか」と念を押すのです。私はいい出したのは突然でも、考えたのは突然でないという訳を強い言葉で説明しました。
 それからまだ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れてしまいました。男のように判然はきはきしたところのある奥さんは、
普通の女と違ってこんな場合には大変心持よく話のできる人でした。「宜よござんす、差し上げましょう」といいました。
0124Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 06:09:19.720
「差し上げるなんて威張いばった口の利きける境遇ではありません。どうぞ貰って下さい。
ご存じの通り父親のない憐あわれな子です」と後あとでは向うから頼みました。
 話は簡単でかつ明瞭めいりょうに片付いてしまいました。最初からしまいまでにおそらく十五分とは掛かからなかったでしょう。
奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、後から断ればそれで沢山だといいました。
本人の意嚮いこうさえたしかめるに及ばないと明言しました。そんな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に拘泥こうでいするくらいに思われたのです。
0125Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 06:09:29.960
親類はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を得うるのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈夫です。
本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。
 自分の室へやへ帰った私は、事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりました。はたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、
どこからか頭の底に這はい込んで来たくらいです。けれども大体の上において、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにしました。
 私は午頃ひるごろまた茶の間へ出掛けて行って、奥さんに、今朝けさの話をお嬢さんに何時いつ通じてくれるつもりかと尋ねました。
0126Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 06:09:42.540
奥さんは、自分さえ承知していれば、いつ話しても構わなかろうというような事をいうのです。
こうなると何だか私よりも相手の方が男みたようなので、私はそれぎり引き込もうとしました。
すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でもいい、稽古けいこから帰って来たら、すぐ話そうというのです。
私はそうしてもらう方が都合が好いいと答えてまた自分の室に帰りました。しかし黙って自分の机の前に坐すわって、
二人のこそこそ話を遠くから聞いている私を想像してみると、何だか落ち付いていられないような気もするのです。
0127Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 06:09:52.950
私はとうとう帽子を被かぶって表へ出ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。何にも知らないお嬢さんは私を見て驚いたらしかったのです。
私が帽子を脱とって「今お帰り」と尋ねると、向うではもう病気は癒なおったのかと不思議そうに聞くのです。
私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、ずんずん水道橋すいどうばしの方へ曲ってしまいました。
0128Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 08:52:35.890
四十六

「私は猿楽町さるがくちょうから神保町じんぼうちょうの通りへ出て、小川町おがわまちの方へ曲りました。
私がこの界隈かいわいを歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺てずれのした書物などを眺ながめる気が、どうしても起らないのです。
私は歩きながら絶えず宅うちの事を考えていました。私には先刻さっきの奥さんの記憶がありました。
0129Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 08:52:44.970
それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想像がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。
その上私は時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりました。そうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろうなどと考えました。
また或ある時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました。
0130Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 08:52:55.280
 私はとうとう万世橋まんせいばしを渡って、明神みょうじんの坂を上がって、本郷台ほんごうだいへ来て、それからまた菊坂きくざかを下りて、
しまいに小石川こいしかわの谷へ下りたのです。私の歩いた距離はこの三区に跨またがって、いびつな円を描えがいたともいわれるでしょうが、
私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。今その時の私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても一向いっこう分りません。
ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得うるくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。
0131Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 08:53:04.340
 Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子こうしを開けて、玄関から坐敷ざしきへ通る時、すなわち例のごとく彼の室へやを抜けようとした瞬間でした。
彼はいつもの通り机に向って書見をしていました。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとはいいませんでした。
彼は「病気はもう癒いいのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。私はその刹那せつなに、彼の前に手を突いて、詫あやまりたくなったのです。
0132Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 08:53:13.060
しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人曠野こうやの真中にでも立っていたならば、
私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。
そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。
0133Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 08:53:22.090
 夕飯ゆうめしの時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い眼を私に向けません。
何にも知らない奥さんはいつもより嬉うれしそうでした。私だけがすべてを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。
その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今ただいまと答えるだけでした。
0134Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 08:53:39.430
それをKは不思議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方おおかた極きまりが悪いのだろうといって、
ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと追窮ついきゅうしに掛かかりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。
 私は食卓に着いた初めから、奥さんの顔付かおつきで、事の成行なりゆきをほぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、
私のいる前で、それを悉ことごとく話されては堪たまらないと考えました。奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。
0135Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 08:53:48.260
幸いにKはまた元の沈黙に帰りました。平生へいぜいより多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを抱いだいている点までは話を進めずにしまいました。
私はほっと一息ひといきして室へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。
私は色々の弁護を自分の胸で拵こしらえてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、
卑怯ひきょうな私はついに自分で自分をKに説明するのが厭いやになったのです。
0136Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 09:57:51.630
四十七

「私はそのまま二、三日過ごしました。その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしていたのはいうまでもありません。
私はただでさえ何とかしなければ、彼に済まないと思ったのです。その上奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、
始終私を突ッつくように刺戟しげきするのですから、私はなお辛つらかったのです。どこか男らしい気性を具そなえた奥さんは、
いつ私の事を食卓でKに素すっぱ抜かないとも限りません。それ以来ことに目立つように思えた私に対するお嬢さんの挙止動作きょしどうさも、
Kの心を曇らす不審の種とならないとは断言できません。私は何とかして、私とこの家族との間に成り立った新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。
0137Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 09:58:02.210
しかし倫理的に弱点をもっていると、自分で自分を認めている私には、それがまた至難の事のように感ぜられたのです。
 私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそういってもらおうかと考えました。無論私のいない時にです。
しかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、面目めんぼくのないのに変りはありません。
といって、拵こしらえ事を話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を詰問きつもんされるに極きまっています。
0138Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 09:58:13.580
もし奥さんにすべての事情を打ち明けて頼むとすれば、私は好んで自分の弱点を自分の愛人とその母親の前に曝さらけ出さなければなりません。
真面目まじめな私には、それが私の未来の信用に関するとしか思われなかったのです。結婚する前から恋人の信用を失うのは、
たとい一分ぶ一厘りんでも、私には堪え切れない不幸のように見えました。
 要するに私は正直な路みちを歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾こうかつな男でした。
0139Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 09:58:24.330
そうしてそこに気のついているものは、今のところただ天と私の心だけだったのです。しかし立ち直って、もう一歩前へ踏み出そうとするには、
今滑った事をぜひとも周囲の人に知られなければならない窮境きゅうきょうに陥おちいったのです。
私はあくまで滑った事を隠したがりました。同時に、どうしても前へ出ずにはいられなかったのです。私はこの間に挟はさまってまた立たち竦すくみました。
 五、六日経たった後のち、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。
0140Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 11:04:46.760
私はまだ話さないと答えました。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私を詰なじるのです。
私はこの問いの前に固くなりました。その時奥さんが私を驚かした言葉を、私は今でも忘れずに覚えています。
「道理で妾わたしが話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。
0141Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 11:04:54.690
平生へいぜいあんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは」
 私はKがその時何かいいはしなかったかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にもいわないと答えました。
しかし私は進んでもっと細こまかい事を尋ねずにはいられませんでした。奥さんは固もとより何も隠す訳がありません。
大した話もないがといいながら、一々Kの様子を語って聞かせてくれました。
0142Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 11:05:03.390
 奥さんのいうところを綜合そうごうして考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのです。
Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ一口ひとくちいっただけだったそうです。
しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を洩もらしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立ったそうです。
0143Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 11:05:12.880
そうして茶の間の障子しょうじを開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか」と聞いたそうです。
それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といったそうです。
奥さんの前に坐すわっていた私は、その話を聞いて胸が塞ふさがるような苦しさを覚えました。
0144Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 13:45:04.600
四十八

「勘定して見ると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、
私は全くそれに気が付かずにいたのです。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に値あたいすべきだと私は考えました。
彼と私を頭の中で並べてみると、彼の方が遥はるかに立派に見えました。「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」という感じが私の胸に渦巻いて起りました。
私はその時さぞKが軽蔑けいべつしている事だろうと思って、一人で顔を赧あからめました。しかし今更Kの前に出て、
恥を掻かかせられるのは、私の自尊心にとって大いな苦痛でした。
0145Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 13:45:20.500
 私が進もうか止よそうかと考えて、ともかくも翌日あくるひまで待とうと決心したのは土曜の晩でした。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。
私は今でもその光景を思い出すと慄然ぞっとします。いつも東枕ひがしまくらで寝る私が、その晩に限って、偶然西枕に床とこを敷いたのも、何かの因縁いんねんかも知れません。
私は枕元から吹き込む寒い風でふと眼を覚ましたのです。見ると、いつも立て切ってあるKと私の室へやとの仕切しきりの襖ふすまが、この間の晩と同じくらい開あいています。
0146Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 13:45:32.110
けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。私は暗示を受けた人のように、床の上に肱ひじを突いて起き上がりながら、屹きっとKの室を覗のぞきました。
洋燈ランプが暗く点ともっているのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛蒲団かけぶとんは跳返はねかえされたように裾すその方に重なり合っているのです。
そうしてK自身は向うむきに突つッ伏ぷしているのです。
 私はおいといって声を掛けました。しかし何の答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを呼びました。それでもKの身体からだは些ちっとも動きません。
0147Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 13:45:44.510
私はすぐ起き上って、敷居際しきいぎわまで行きました。そこから彼の室の様子を、暗い洋燈ランプの光で見廻みまわしてみました。
 その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の室の中を一目ひとめ見るや否いなや、
あたかも硝子ガラスで作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立ぼうだちに立たち竦すくみました。それが疾風しっぷうのごとく私を通過したあとで、
私はまたああ失策しまったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄ものすごく照らしました。
0148Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 13:45:53.440
そうして私はがたがた顫ふるえ出したのです。
 それでも私はついに私を忘れる事ができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けました。それは予期通り私の名宛なあてになっていました。
私は夢中で封を切りました。しかし中には私の予期したような事は何にも書いてありませんでした。
私は私に取ってどんなに辛つらい文句がその中に書き列つらねてあるだろうと予期したのです。
0149Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 13:46:02.880
そうして、もしそれが奥さんやお嬢さんの眼に触れたら、どんなに軽蔑されるかも知れないという恐怖があったのです。私はちょっと眼を通しただけで、まず助かったと思いました。
(固もとより世間体せけんていの上だけで助かったのですが、その世間体がこの場合、私にとっては非常な重大事件に見えたのです。)
 手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。自分は薄志弱行はくしじゃっこうで到底行先ゆくさきの望みがないから、自殺するというだけなのです。
それから今まで私に世話になった礼が、ごくあっさりとした文句でその後あとに付け加えてありました。世話ついでに死後の片付方かたづけかたも頼みたいという言葉もありました。
0150Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 13:46:15.060
奥さんに迷惑を掛けて済まんから宜よろしく詫わびをしてくれという句もありました。国元へは私から知らせてもらいたいという依頼もありました。
必要な事はみんな一口ひとくちずつ書いてある中にお嬢さんの名前だけはどこにも見えません。私はしまいまで読んで、すぐKがわざと回避したのだという事に気が付きました。
しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に墨すみの余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。
0151Ms.名無しさん
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2021/11/14(日) 13:46:23.080
 私は顫ふるえる手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆みんなの眼に着くように、元の通り机の上に置きました。そうして振り返って、
襖ふすまに迸ほとばしっている血潮を始めて見たのです。
0152Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:14:55.160
四十九

「私は突然Kの頭を抱かかえるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔しにがおが一目ひとめ見たかったのです。しかし俯伏うつぶしになっている彼の顔を、
こうして下から覗のぞき込んだ時、私はすぐその手を放してしまいました。慄ぞっとしたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。
私は上から今触さわった冷たい耳と、平生へいぜいに変らない五分刈ごぶがりの濃い髪の毛を少時しばらく眺ながめていました。私は少しも泣く気にはなれませんでした。
私はただ恐ろしかったのです。そうしてその恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺激しげきして起る単調な恐ろしさばかりではありません。
0153Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:15:03.860
私は忽然こつぜんと冷たくなったこの友達によって暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。
 私は何の分別ふんべつもなくまた私の室へやに帰りました。そうして八畳の中をぐるぐる廻まわり始めました。私の頭は無意味でも当分そうして動いていろと私に命令するのです。
私はどうかしなければならないと思いました。同時にもうどうする事もできないのだと思いました。座敷の中をぐるぐる廻らなければいられなくなったのです。
檻おりの中へ入れられた熊くまのような態度で。
0154Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:15:15.310
 私は時々奥へ行って奥さんを起そうという気になります。けれども女にこの恐ろしい有様を見せては悪いという心持がすぐ私を遮さえぎります。
奥さんはとにかく、お嬢さんを驚かす事は、とてもできないという強い意志が私を抑おさえつけます。私はまたぐるぐる廻り始めるのです。
 私はその間に自分の室の洋燈ランプを点つけました。それから時計を折々見ました。その時の時計ほど埒らちの明あかない遅いものはありませんでした。
私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、もう夜明よあけに間まもなかった事だけは明らかです。ぐるぐる廻まわりながら、その夜明を待ち焦こがれた私は、
永久に暗い夜が続くのではなかろうかという思いに悩まされました。
0155Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:15:27.460
 我々は七時前に起きる習慣でした。学校は八時に始まる事が多いので、それでないと授業に間に合わないのです。下女げじょはその関係で六時頃に起きる訳になっていました。
しかしその日私が下女を起しに行ったのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だといって注意してくれました。
奥さんは私の足音で眼を覚ましたのです。私は奥さんに眼が覚めているなら、ちょっと私の室へやまで来てくれと頼みました。
奥さんは寝巻の上へ不断着ふだんぎの羽織を引ひっ掛かけて、私の後あとに跟ついて来ました。私は室へはいるや否いなや、
今まで開あいていた仕切りの襖ふすまをすぐ立て切りました。そうして奥さんに飛んだ事ができたと小声で告げました。
0156Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/15(月) 06:15:39.780
奥さんは何だと聞きました。私は顋あごで隣の室を指すようにして、「驚いちゃいけません」といいました。奥さんは蒼あおい顔をしました。
「奥さん、Kは自殺しました」と私がまたいいました。奥さんはそこに居竦いすくまったように、私の顔を見て黙っていました。
その時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。「済みません。私が悪かったのです。あなたにもお嬢さんにも済まない事になりました」と詫あやまりました。
私は奥さんと向い合うまで、そんな言葉を口にする気はまるでなかったのです。しかし奥さんの顔を見た時不意に我とも知らずそういってしまったのです。
0157Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:15:48.330
Kに詫まる事のできない私は、こうして奥さんとお嬢さんに詫わびなければいられなくなったのだと思って下さい。
つまり私の自然が平生へいぜいの私を出し抜いてふらふらと懺悔ざんげの口を開かしたのです。奥さんがそんな深い意味に、私の言葉を解釈しなかったのは私にとって幸いでした。
蒼い顔をしながら、「不慮の出来事なら仕方がないじゃありませんか」と慰めるようにいってくれました。
しかしその顔には驚きと怖おそれとが、彫ほり付けられたように、硬かたく筋肉を攫つかんでいました。
0158Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:15:59.990
五十

「私は奥さんに気の毒でしたけれども、また立って今閉めたばかりの唐紙からかみを開けました。その時Kの洋燈ランプに油が尽きたと見えて、
室へやの中はほとんど真暗まっくらでした。私は引き返して自分の洋燈を手に持ったまま、入口に立って奥さんを顧みました。奥さんは私の後ろから隠れるようにして、
四畳の中を覗のぞき込みました。しかしはいろうとはしません。そこはそのままにしておいて、雨戸を開けてくれと私にいいました。
 それから後あとの奥さんの態度は、さすがに軍人の未亡人びぼうじんだけあって要領を得ていました。私は医者の所へも行きました。
0159Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:16:11.000
また警察へも行きました。しかしみんな奥さんに命令されて行ったのです。奥さんはそうした手続てつづきの済むまで、誰もKの部屋へは入いれませんでした。
 Kは小さなナイフで頸動脈けいどうみゃくを切って一息ひといきに死んでしまったのです。
外ほかに創きずらしいものは何にもありませんでした。私が夢のような薄暗い灯ひで見た唐紙の血潮は、彼の頸筋くびすじから一度に迸ほとばしったものと知れました。
私は日中にっちゅうの光で明らかにその迹あとを再び眺ながめました。そうして人間の血の勢いきおいというものの劇はげしいのに驚きました。
0160Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:16:22.980
 奥さんと私はできるだけの手際てぎわと工夫を用いて、Kの室へやを掃除しました。彼の血潮の大部分は、幸い彼の蒲団ふとんに吸収されてしまったので、
畳はそれほど汚れないで済みましたから、後始末は[#「後始末は」は底本では「後始未は」]まだ楽でした。二人は彼の死骸しがいを私の室に入れて、
不断の通り寝ている体ていに横にしました。私はそれから彼の実家へ電報を打ちに出たのです。
 私が帰った時は、Kの枕元まくらもとにもう線香が立てられていました。室へはいるとすぐ仏臭ほとけくさい烟けむりで鼻を撲うたれた私は、
その烟の中に坐すわっている女二人を認めました。私がお嬢さんの顔を見たのは、昨夜来さくやらいこの時が始めてでした。お嬢さんは泣いていました。
0161Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:16:34.570
奥さんも眼を赤くしていました。事件が起ってからそれまで泣く事を忘れていた私は、その時ようやく悲しい気分に誘われる事ができたのです。私の胸はその悲しさのために、
どのくらい寛くつろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴いってきの潤うるおいを与えてくれたものは、その時の悲しさでした。
 私は黙って二人の傍そばに坐っていました。奥さんは私にも線香を上げてやれといいます。私は線香を上げてまた黙って坐っていました。お嬢さんは私には何ともいいません。
たまに奥さんと一口ひとくち二口ふたくち言葉を換かわす事がありましたが、それは当座の用事についてのみでした。
0162Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:16:48.580
お嬢さんにはKの生前について語るほどの余裕がまだ出て来なかったのです。
私はそれでも昨夜ゆうべの物凄ものすごい有様を見せずに済んでまだよかったと心のうちで思いました。若い美しい人に恐ろしいものを見せると、
折角せっかくの美しさが、そのために破壊されてしまいそうで私は怖こわかったのです。私の恐ろしさが私の髪の毛の末端まで来た時ですら、
私はその考えを度外に置いて行動する事はできませんでした。私には綺麗きれいな花を罪もないのに妄みだりに鞭むちうつと同じような不快がそのうちに籠こもっていたのです。
 国元からKの父と兄が出て来た時、私はKの遺骨をどこへ埋うめるかについて自分の意見を述べました。
0163Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:16:59.370
私は彼の生前に雑司ヶ谷ぞうしがや近辺をよくいっしょに散歩した事があります。Kにはそこが大変気に入っていたのです。
それで私は笑談じょうだん半分はんぶんに、そんなに好きなら死んだらここへ埋めてやろうと約束した覚えがあるのです。
私も今その約束通りKを雑司ヶ谷へ葬ほうむったところで、どのくらいの功徳くどくになるものかとは思いました。
けれども私は私の生きている限り、Kの墓の前に跪ひざまずいて月々私の懺悔ざんげを新たにしたかったのです。今まで構い付けなかったKを、
私が万事世話をして来たという義理もあったのでしょう、Kの父も兄も私のいう事を聞いてくれました。
0164Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:17:10.020
五十一

「Kの葬式の帰り路みちに、私はその友人の一人から、Kがどうして自殺したのだろうという質問を受けました。
事件があって以来私はもう何度となくこの質問で苦しめられていたのです。奥さんもお嬢さんも、国から出て来たKの父兄も、通知を出した知り合いも、
彼とは何の縁故もない新聞記者までも、必ず同様の質問を私に掛けない事はなかったのです。私の良心はそのたびにちくちく刺されるように痛みました。
そうして私はこの質問の裏に、早くお前が殺したと白状してしまえという声を聞いたのです。
0165Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:17:25.650
 私の答えは誰に対しても同じでした。私はただ彼の私宛あてで書き残した手紙を繰り返すだけで、外ほかに一口ひとくちも附け加える事はしませんでした。
葬式の帰りに同じ問いを掛けて、同じ答えを得たKの友人は、懐ふところから一枚の新聞を出して私に見せました。
私は歩きながらその友人によって指し示された箇所を読みました。それにはKが父兄から勘当された結果厭世的えんせいてきな考えを起して自殺したと書いてあるのです。
私は何にもいわずに、その新聞を畳たたんで友人の手に帰しました。友人はこの外ほかにもKが気が狂って自殺したと書いた新聞があるといって教えてくれました。
0166Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:17:38.230
忙しいので、ほとんど新聞を読む暇がなかった私は、まるでそうした方面の知識を欠いていましたが、腹の中では始終気にかかっていたところでした。
私は何よりも宅うちのものの迷惑になるような記事の出るのを恐れたのです。ことに名前だけにせよお嬢さんが引合いに出たら堪たまらないと思っていたのです。
私はその友人に外ほかに何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の眼に着いたのは、ただその二種ぎりだと答えました。
 私が今おる家へ引ひっ越こしたのはそれから間もなくでした。奥さんもお嬢さんも前の所にいるのを厭いやがりますし、
私もその夜よの記憶を毎晩繰り返すのが苦痛だったので、相談の上移る事に極きめたのです。
0167Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:17:52.750
 移って二カ月ほどしてから私は無事に大学を卒業しました。卒業して半年も経たたないうちに、私はとうとうお嬢さんと結婚しました。
外側から見れば、万事が予期通りに運んだのですから、目出度めでたいといわなければなりません。奥さんもお嬢さんもいかにも幸福らしく見えました。
私も幸福だったのです。けれども私の幸福には黒い影が随ついていました。私はこの幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなかろうかと思いました。
 結婚した時お嬢さんが、――もうお嬢さんではありませんから、妻さいといいます。――妻が、何を思い出したのか、二人でKの墓参はかまいりをしようといい出しました。
私は意味もなくただぎょっとしました。どうしてそんな事を急に思い立ったのかと聞きました。妻は二人揃そろってお参りをしたら、Kがさぞ喜ぶだろうというのです。
0168Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:18:08.720
私は何事も知らない妻の顔をしけじけ眺ながめていましたが、妻からなぜそんな顔をするのかと問われて始めて気が付きました。
 私は妻の望み通り二人連れ立って雑司ヶ谷ぞうしがやへ行きました。私は新しいKの墓へ水をかけて洗ってやりました。妻はその前へ線香と花を立てました。
二人は頭を下げて、合掌しました。妻は定めて私といっしょになった顛末てんまつを述べてKに喜んでもらうつもりでしたろう。
私は腹の中で、ただ自分が悪かったと繰り返すだけでした。
0169Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 06:18:18.280
 その時妻はKの墓を撫なでてみて立派だと評していました。その墓は大したものではないのですけれども、
私が自分で石屋へ行って見立みたてたりした因縁いんねんがあるので、妻はとくにそういいたかったのでしょう。
私はその新しい墓と、新しい私の妻と、それから地面の下に埋うずめられたKの新しい白骨とを思い比べて、運命の冷罵れいばを感ぜずにはいられなかったのです。
私はそれ以後決して妻といっしょにKの墓参りをしない事にしました。
0170Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 08:39:44.910
「最低賃金1500円になったら何をしたいですか?」との問いに
「病院へ行きたい」と答える若者が3割で最多 衝撃的な貧困の実態が判明★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1636927253/
0171Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 09:31:59.440
五十二

「私の亡友に対するこうした感じはいつまでも続きました。実は私も初めからそれを恐れていたのです。年来の希望であった結婚すら、
不安のうちに式を挙げたといえばいえない事もないでしょう。しかし自分で自分の先が見えない人間の事ですから、
ことによるとあるいはこれが私の心持を一転して新しい生涯に入はいる端緒いとくちになるかも知れないとも思ったのです。
ところがいよいよ夫として朝夕妻さいと顔を合せてみると、私の果敢はかない希望は手厳しい現実のために脆もろくも破壊されてしまいました。
0172Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 09:32:11.430
私は妻と顔を合せているうちに、卒然そつぜんKに脅おびやかされるのです。つまり妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにするのです。
妻のどこにも不足を感じない私は、ただこの一点において彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐそれが映うつります。
映るけれども、理由は解わからないのです。私は時々妻からなぜそんなに考えているのだとか、何か気に入らない事があるのだろうとかいう詰問きつもんを受けました。
0173Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 09:32:23.440
笑って済ませる時はそれで差支さしつかえないのですが、時によると、妻の癇かんも高こうじて来ます。しまいには「あなたは私を嫌っていらっしゃるんでしょう」とか、
「何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない」とかいう怨言えんげんも聞かなくてはなりません。私はそのたびに苦しみました。
 私は一層いっそ思い切って、ありのままを妻に打ち明けようとした事が何度もあります。しかしいざという間際になると自分以外のある力が不意に来て私を抑おさえ付けるのです。
私を理解してくれるあなたの事だから、説明する必要もあるまいと思いますが、話すべき筋だから話しておきます。
0174Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 09:32:35.120
その時分の私は妻に対して己おのれを飾る気はまるでなかったのです。もし私が亡友に対すると同じような善良な心で、
妻の前に懺悔ざんげの言葉を並べたなら、妻は嬉うれし涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いないのです。
それをあえてしない私に利害の打算があるはずはありません。私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印いんするに忍びなかったから打ち明けなかったのです。
純白なものに一雫ひとしずくの印気インキでも容赦ようしゃなく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。
0175Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 09:32:46.550
 一年経たってもKを忘れる事のできなかった私の心は常に不安でした。私はこの不安を駆逐くちくするために書物に溺おぼれようと力つとめました。
私は猛烈な勢いきおいをもって勉強し始めたのです。そうしてその結果を世の中に公おおやけにする日の来るのを待ちました。
けれども無理に目的を拵こしらえて、無理にその目的の達せられる日を待つのは嘘うそですから不愉快です。私はどうしても書物のなかに心を埋うずめていられなくなりました。
私はまた腕組みをして世の中を眺ながめだしたのです。
0176Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 09:32:57.840
 妻はそれを今日こんにちに困らないから心に弛たるみが出るのだと観察していたようでした。
妻の家にも親子二人ぐらいは坐すわっていてどうかこうか暮して行ける財産がある上に、私も職業を求めないで差支さしつかえのない境遇にいたのですから、
そう思われるのももっともです。私も幾分かスポイルされた気味がありましょう。しかし私の動かなくなった原因の主なものは、全くそこにはなかったのです。
0177Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 09:33:07.580
叔父おじに欺あざむかれた当時の私は、他ひとの頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが、他ひとを悪く取るだけあって、自分はまだ確かな気がしていました。
世間はどうあろうともこの己おれは立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事みごとに破壊されてしまって、
自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他ひとに愛想あいそを尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。
0178Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 09:33:25.410
五十三

「書物の中に自分を生埋いきうめにする事のできなかった私は、酒に魂を浸ひたして、己おのれを忘れようと試みた時期もあります。私は酒が好きだとはいいません。
けれども飲めば飲める質たちでしたから、ただ量を頼みに心を盛もり潰つぶそうと力つとめたのです。
この浅薄せんぱくな方便はしばらくするうちに私をなお厭世的えんせいてきにしました。私は爛酔らんすいの真最中まっさいちゅうにふと自分の位置に気が付くのです。
自分はわざとこんな真似まねをして己れを偽いつわっている愚物ぐぶつだという事に気が付くのです。すると身振みぶるいと共に眼も心も醒さめてしまいます。
0179Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 09:33:37.040
時にはいくら飲んでもこうした仮装状態にさえ入はいり込めないでむやみに沈んで行く場合も出て来ます。その上技巧で愉快を買った後あとには、
きっと沈鬱ちんうつな反動があるのです。私は自分の最も愛している妻さいとその母親に、いつでもそこを見せなければならなかったのです。
しかも彼らは彼らに自然な立場から私を解釈して掛かかります。
 妻の母は時々気拙きまずい事を妻にいうようでした。それを妻は私に隠していました。しかし自分は自分で、単独に私を責めなければ気が済まなかったらしいのです。
0180Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 09:33:51.010
責めるといっても、決して強い言葉ではありません。妻から何かいわれたために、私が激した例ためしはほとんどなかったくらいですから。
妻はたびたびどこが気に入らないのか遠慮なくいってくれと頼みました。それから私の未来のために酒を止やめろと忠告しました。
ある時は泣いて「あなたはこの頃ごろ人間が違った」といいました。それだけならまだいいのですけれども、「Kさんが生きていたら、
あなたもそんなにはならなかったでしょう」というのです。私はそうかも知れないと答えた事がありましたが、私の答えた意味と、
妻の了解した意味とは全く違っていたのですから、私は心のうちで悲しかったのです。それでも私は妻に何事も説明する気にはなれませんでした。
0181Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 09:34:04.150
 私は時々妻に詫あやまりました。それは多く酒に酔って遅く帰った翌日あくるひの朝でした。妻は笑いました。あるいは黙っていました。
たまにぽろぽろと涙を落す事もありました。私はどっちにしても自分が不愉快で堪たまらなかったのです。だから私の妻に詫まるのは、自分に詫まるのとつまり同じ事になるのです。
私はしまいに酒を止やめました。妻の忠告で止めたというより、自分で厭いやになったから止めたといった方が適当でしょう。
 酒は止めたけれども、何もする気にはなりません。仕方がないから書物を読みます。しかし読めば読んだなりで、打うち遣やって置きます。
0182Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 10:51:02.310
私は妻から何のために勉強するのかという質問をたびたび受けました。私はただ苦笑していました。しかし腹の底では、
世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、
理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。私は寂寞せきばくでした。
どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。
0183Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 10:51:13.030
 同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、
私の観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kは正まさしく失恋のために死んだものとすぐ極きめてしまったのです。
しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向ってみると、そう容易たやすくは解決が着かないように思われて来ました。
0184Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 10:51:23.240
現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私はしまいにKが私のようにたった一人で淋さむしくって仕方がなくなった結果、
急に所決しょけつしたのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄ぞっとしたのです。
私もKの歩いた路みちを、Kと同じように辿たどっているのだという予覚よかくが、折々風のように私の胸を横過よこぎり始めたからです。
0185Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 15:01:08.340
GDP 2021年
1-3月期  0.3%
4-6月期 -0.8%
7-9月期 -3.0%
0186Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 15:03:04.120
五十四

「その内妻さいの母が病気になりました。医者に見せると到底とうてい癒なおらないという診断でした。私は力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました。
これは病人自身のためでもありますし、また愛する妻のためでもありましたが、もっと大きな意味からいうと、ついに人間のためでした。
私はそれまでにも何かしたくって堪たまらなかったのだけれども、何もする事ができないのでやむをえず懐手ふところでをしていたに違いありません。
世間と切り離された私が、始めて自分から手を出して、幾分でも善いい事をしたという自覚を得たのはこの時でした。私は罪滅つみほろぼしとでも名づけなければならない、
一種の気分に支配されていたのです。
0187Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 15:03:28.820
 母は死にました。私と妻さいはたった二人ぎりになりました。妻は私に向って、これから世の中で頼りにするものは一人しかなくなったといいました。
自分自身さえ頼りにする事のできない私は、妻の顔を見て思わず涙ぐみました。そうして妻を不幸な女だと思いました。また不幸な女だと口へ出してもいいました。
妻はなぜだと聞きます。妻には私の意味が解わからないのです。私もそれを説明してやる事ができないのです。妻は泣きました。
私が不断ふだんからひねくれた考えで彼女を観察しているために、そんな事もいうようになるのだと恨うらみました。
0188Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 15:05:22.590
 母の亡くなった後あと、私はできるだけ妻を親切に取り扱ってやりました。ただ、当人を愛していたからばかりではありません。
私の親切には箇人こじんを離れてもっと広い背景があったようです。ちょうど妻の母の看護をしたと同じ意味で、私の心は動いたらしいのです。妻は満足らしく見えました。
けれどもその満足のうちには、私を理解し得ないために起るぼんやりした稀薄きはくな点がどこかに含まれているようでした。
しかし妻が私を理解し得たにしたところで、この物足りなさは増すとも減る気遣きづかいはなかったのです。女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、
多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉うれしがる性質が、男よりも強いように思われますから。
0189Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 15:05:39.370
 妻はある時、男の心と女の心とはどうしてもぴたりと一つになれないものだろうかといいました。私はただ若い時ならなれるだろうと曖昧あいまいな返事をしておきました。
妻は自分の過去を振り返って眺ながめているようでしたが、やがて微かすかな溜息ためいきを洩もらしました。
 私の胸にはその時分から時々恐ろしい影が閃ひらめきました。初めはそれが偶然外そとから襲って来るのです。私は驚きました。私はぞっとしました。
0190Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/15(月) 15:05:53.620
しかししばらくしている中うちに、私の心がその物凄ものすごい閃きに応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、
自分の胸の底に生れた時から潜ひそんでいるもののごとくに思われ出して来たのです。私はそうした心持になるたびに、
自分の頭がどうかしたのではなかろうかと疑うたぐってみました。けれども私は医者にも誰にも診みてもらう気にはなりませんでした。
0191Ms.名無しさん
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2021/11/15(月) 15:06:03.730
 私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月まいげつ行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。
そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私はその感じのために、知らない路傍ろぼうの人から鞭むちうたれたいとまで思った事もあります、
こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、
自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。
0192Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/15(月) 15:06:12.200
 私がそう決心してから今日こんにちまで何年になるでしょう。私と妻とは元の通り仲好く暮して来ました。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。
しかし私のもっている一点、私に取っては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、私は妻さいに対して非常に気の毒な気がします。
0193Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/16(火) 06:22:26.690
五十五

「死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の刺戟しげきで躍おどり上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つや否いなや、
恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。
そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男だと抑おさえ付けるようにいって聞かせます。
すると私はその一言いちげんで直すぐぐたりと萎しおれてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、
0194Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/16(火) 06:22:37.660
何で他ひとの邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は冷ひややかな声で笑います。自分でよく知っているくせにといいます。私はまたぐたりとなります。
 波瀾はらんも曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思って下さい。
妻さいが見て歯痒はがゆがる前に、私自身が何層倍なんぞうばい歯痒い思いを重ねて来たか知れないくらいです。
私がこの牢屋ろうやの中うちに凝じっとしている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、
必竟ひっきょう私にとって一番楽な努力で遂行すいこうできるものは自殺より外ほかにないと私は感ずるようになったのです。
0195Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/16(火) 06:22:48.860
あなたはなぜといって眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはるかも知れませんが、いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、
私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、
少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。
 私は今日こんにちに至るまですでに二、三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進もうとした事があります。
0196Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 06:22:58.490
しかし私はいつでも妻に心を惹ひかされました。そうしてその妻をいっしょに連れて行く勇気は無論ないのです。
妻にすべてを打ち明ける事のできないくらいな私ですから、自分の運命の犠牲ぎせいとして、妻の天寿てんじゅを奪うなどという手荒てあらな所作しょさは、
考えてさえ恐ろしかったのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻の廻まわり合せがあります、二人を一束ひとたばにして火に燻くべるのは、
無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。
0197Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/16(火) 06:23:08.970
 同時に私だけがいなくなった後あとの妻を想像してみるといかにも不憫ふびんでした。
母の死んだ時、これから世の中で頼りにするものは私より外になくなったといった彼女の述懐じゅっかいを、私は腸はらわたに沁しみ込むように記憶させられていたのです。
私はいつも躊躇ちゅうちょしました。妻の顔を見て、止よしてよかったと思う事もありました。そうしてまた凝じっと竦すくんでしまいます。
そうして妻から時々物足りなそうな眼で眺ながめられるのです。
0198Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/16(火) 06:23:19.890
 記憶して下さい。私はこんな風ふうにして生きて来たのです。始めてあなたに鎌倉かまくらで会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、
私の気分に大した変りはなかったのです。私の後ろにはいつでも黒い影が括くッ付ついていました。私は妻さいのために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。
あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、嘘うそを吐ついたのではありません。全く会う気でいたのです。
秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。
0199Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/16(火) 06:23:30.250
 すると夏の暑い盛りに明治天皇めいじてんのうが崩御ほうぎょになりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。
最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後あとに生き残っているのは必竟ひっきょう時勢遅れだという感じが烈はげしく私の胸を打ちました。
私は明白あからさまに妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死じゅんしでもしたらよかろうと調戯からかいました。
0200Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 06:23:41.230
五十六

「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生へいぜい使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、腐れかけていたものと見えます。
妻の笑談じょうだんを聞いて始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。
私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。
 それから約一カ月ほど経たちました。御大葬ごたいそうの夜私はいつもの通り書斎に坐すわって、相図あいずの号砲ごうほうを聞きました。
0201Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/16(火) 06:23:55.170
私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが乃木大将のぎたいしょうの永久に去った報知にもなっていたのです。
私は号外を手にして、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。
 私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争せいなんせんそうの時敵に旗を奪とられて以来、
申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日こんにちまで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、
乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月としつきを勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。
0202Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 06:24:06.630
乃木さんはこの三十五年の間あいだ死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、
また刀を腹へ突き立てた一刹那いっせつなが苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。
 それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよく解わからないように、
あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑のみ込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。
0203Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 06:24:19.280
あるいは箇人こじんのもって生れた性格の相違といった方が確たしかかも知れません。私は私のできる限りこの不可思議な私というものを、あなたに解らせるように、
今までの叙述で己おのれを尽つくしたつもりです。
 私は妻さいを残して行きます。私がいなくなっても妻に衣食住の心配がないのは仕合しあわせです。私は妻に残酷な驚怖きょうふを与える事を好みません。
私は妻に血の色を見せないで死ぬつもりです。妻の知らない間まに、こっそりこの世からいなくなるようにします。私は死んだ後で、
妻から頓死とんししたと思われたいのです。気が狂ったと思われても満足なのです。
0204Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 06:24:29.830
 私が死のうと決心してから、もう十日以上になりますが、その大部分はあなたにこの長い自叙伝の一節を書き残すために使用されたものと思って下さい。
始めはあなたに会って話をする気でいたのですが、書いてみると、かえってその方が自分を判然はっきり描えがき出す事ができたような心持がして嬉うれしいのです。
私は酔興すいきょうに書くのではありません。私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として、私より外ほかに誰も語り得るものはないのですから、
それを偽いつわりなく書き残して置く私の努力は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。
0205Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 06:24:42.490
渡辺華山わたなべかざんは邯鄲かんたんという画えを描かくために、死期を一週間繰り延べたという話をつい先達せんだって聞きました。
他ひとから見たら余計な事のようにも解釈できましょうが、当人にはまた当人相応の要求が心の中うちにあるのだからやむをえないともいわれるでしょう。
私の努力も単にあなたに対する約束を果たすためばかりではありません。半なかば以上は自分自身の要求に動かされた結果なのです。
 しかし私は今その要求を果たしました。もう何にもする事はありません。この手紙があなたの手に落ちる頃ころには、私はもうこの世にはいないでしょう。
0206Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 06:25:07.280
とくに死んでいるでしょう。妻は十日ばかり前から市ヶ谷いちがやの叔母おばの所へ行きました。叔母が病気で手が足りないというから私が勧めてやったのです。
私は妻の留守の間あいだに、この長いものの大部分を書きました。時々妻が帰って来ると、私はすぐそれを隠しました。
 私は私の過去を善悪ともに他ひとの参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。
妻が己おのれの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一ゆいいつの希望なのですから、
私が死んだ後あとでも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。」

0208Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 08:27:19.290
大村秀章愛知県知事へのリコール(解職請求)運動を巡る署名偽造事件に関わったとして、
愛知県警が地方自治法違反(署名偽造)の疑いで、
運動を主導した高須克弥・高須クリニック院長の女性秘書を書類送検していたことが15日、
捜査関係者への取材で分かった。
高須氏は5月、秘書が署名簿に自身の指印を押したと説明していた。
https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/o/832393/
0209Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 09:18:21.650
行人
夏目漱石

友達

        一

 梅田うめだの停車場ステーションを下おりるや否いなや自分は母からいいつけられた通り、すぐ俥くるまを雇やとって岡田おかだの家に馳かけさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼がはたして母の何に当るかを知らずにただ疎うとい親類とばかり覚えていた。
0210Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 09:18:40.920
 大阪へ下りるとすぐ彼を訪とうたのには理由があった。自分はここへ来る一週間前ある友達と約束をして、今から十日以内に阪地はんちで落ち合おう、そうしていっしょに高野こうや登りをやろう、もし時日じじつが許すなら、伊勢から名古屋へ廻まわろう、と取りきめた時、どっちも指定すべき場所をもたないので、自分はつい岡田の氏名と住所を自分の友達に告げたのである。
0211Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 09:18:54.000
「じゃ大阪へ着き次第、そこへ電話をかければ君のいるかいないかは、すぐ分るんだね」と友達は別れるとき念を押した。岡田が電話をもっているかどうか、そこは自分にもはなはだ危あやしかったので、もし電話がなかったら、電信でも郵便でも好いいから、すぐ出してくれるように頼んでおいた。友達は甲州線こうしゅうせんで諏訪すわまで行って、それから引返して木曾きそを通った後あと、大阪へ出る計画であった。自分は東海道を一息ひといきに京都まで来て、そこで四五日用足ようたしかたがた逗留とうりゅうしてから、同じ大阪の地を踏む考えであった。
0212Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 09:19:02.620
 予定の時日を京都で費ついやした自分は、友達の消息たよりを一刻も早く耳にするため停車場を出ると共に、岡田の家を尋ねなければならなかったのである。けれどもそれはただ自分の便宜べんぎになるだけの、いわば私の都合に過ぎないので、先刻さっき云った母のいいつけとはまるで別物であった。母が自分に向って、あちらへ行ったら何より先に岡田を尋ねるようにと、わざわざ荷になるほど大きい鑵入かんいりの菓子を、御土産おみやげだよと断ことわって、鞄かばんの中へ入れてくれたのは、昔気質むかしかたぎの律儀りちぎからではあるが、その奥にもう一つ実際的の用件を控ひかえているからであった。
0213Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 09:19:12.820
 自分は母と岡田が彼らの系統上どんな幹の先へ岐わかれて出た、どんな枝となって、互に関係しているか知らないくらいな人間である。母から依託された用向についても大した期待も興味もなかった。けれども久しぶりに岡田という人物――落ちついて四角な顔をしている、いくら髭ひげを欲しがっても髭の容易に生えない、しかも頭の方がそろそろ薄くなって来そうな、――岡田という人物に会う方の好奇心は多少動いた。岡田は今までに所用で時々出京した。ところが自分はいつもかけ違って会う事ができなかった。したがって強く酒精アルコールに染められた彼かれの四角な顔も見る機会を奪われていた。自分は俥くるまの上で指を折って勘定して見た。岡田がいなくなったのは、ついこの間のようでも、もう五六年になる。彼の気にしていた頭も、この頃ではだいぶ危険に逼せまっているだろうと思って、その地じの透すいて見えるところを想像したりなどした。
0214Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 09:19:21.810
 岡田の髪の毛は想像した通り薄くなっていたが、住居すまいは思ったよりもさっぱりした新しい普請ふしんであった。
「どうも上方流かみがたりゅうで余計な所に高塀たかべいなんか築き上あげて、陰気いんきで困っちまいます。そのかわり二階はあります。ちょっと上あがって御覧なさい」と彼は云った。自分は何より先に友達の事が気になるので、こうこういう人からまだ何とも通知は来ないかと聞いた。岡田は不思議そうな顔をして、いいえと答えた。
0215Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 09:19:32.450
        二

 自分は岡田に連れられて二階へ上あがって見た。当人が自慢するほどあって眺望ちょうぼうはかなり好かったが、縁側えんがわのない座敷の窓へ日が遠慮なく照り返すので、暑さは一通りではなかった。床とこの間まにかけてある軸物じくものも反そっくり返っていた。
「なに日が射すためじゃない。年ねんが年中ねんじゅうかけ通しだから、糊のりの具合でああなるんです」と岡田は真面目まじめに弁解した。
0216Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 09:19:43.740
「なるほど梅うめに鶯うぐいすだ」と自分も云いたくなった。彼は世帯を持つ時の用意に、この幅ふくを自分の父から貰もらって、大得意で自分の室へやへ持って来て見せたのである。その時自分は「岡田君この呉春ごしゅんは偽物ぎぶつだよ。それだからあの親父おやじが君にくれたんだ」と云って調戯からかい半分岡田を怒らした事を覚えていた。
 二人は懸物かけものを見て、当時を思い出しながら子供らしく笑った。岡田はいつまでも窓に腰をかけて話を続ける風に見えた。自分も襯衣シャツに洋袴ズボンだけになってそこに寝転ねころびながら相手になった。そうして彼から天下茶屋てんがちゃやの形勢だの、将来の発展だの、電車の便利だのを聞かされた。自分は自分にそれほど興味のない問題を、ただ素直にはいはいと聴きいていたが、電車の通じる所へわざわざ俥くるまへ乗って来た事だけは、馬鹿らしいと思った。二人はまた二階を下りた。
0217Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 09:20:20.430
 やがて細君が帰って来た。細君はお兼かねさんと云って、
器量きりょうはそれほどでもないが、色の白い、皮膚の滑なめらかな、
遠見とおみの大変好い女であった。父が勤めていたある官省の属官の娘で、
その頃は時々勝手口から頼まれものの仕立物などを持って出入でいりをしていた。
岡田はまたその時分自分の家の食客しょっかくをして、勝手口に近い書生部屋で、
勉強もし昼寝ひるねもし、時には焼芋やきいもなども食った。
彼らはかようにして互に顔を知り合ったのである。が、顔を知り合ってから、
結婚が成立するまでに、どんな径路けいろを通って来たか自分はよく知らない。
岡田は母の遠縁に当る男だけれども、自分の宅うちでは書生同様にしていたから、
下女達は自分や自分の兄には遠慮して云い兼ねる事までも、岡田に対してはつけつけと云って退のけた。「岡田さんお兼さんがよろしく」などという言葉は、自分も時々耳にした。けれども岡田はいっこう気にもとめない様子だったから、おおかたただの徒事いたずらだろうと思っていた。すると岡田は高商を卒業して一人で大阪のある保険会社へ行ってしまった。地位は自分の父が周旋しゅうせんしたのだそうである。それから一年ほどして彼はまた飄然ひょうぜんとして上京した。そうして今度はお兼さんの手を引いて大阪へ下くだって行った。これも自分の父と母が口を利きいて、話を纏まとめてやったのだそうである。自分はその時富士へ登って甲州路を歩く考えで家にはいなかったが、後でその話を聞いてちょっと驚いた。勘定して見ると、自分が御殿場で下りた汽車と擦すれ違って、岡田は新しい細君を迎えるために入京したのである。
0218Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 09:20:32.320
 お兼さんは格子こうしの前で畳んだ洋傘こうもりを、小さい包と一緒に、脇わきの下に抱かかえながら玄関から勝手の方に通り抜ける時、ちょっときまりの悪そうな顔をした。その顔は日盛ひざかりの中を歩いた火気ほてりのため、汗を帯びて赤くなっていた。
「おい御客さまだよ」と岡田が遠慮のない大きな声を出した時、お兼さんは「ただいま」と奥の方で優やさしく答えた。自分はこの声の持主に、かつて着た久留米絣くるめがすりやフランネルの襦袢じゅばんを縫って貰った事もあるのだなとふと懐なつかしい記憶を喚起よびおこした。
0219Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 13:58:54.010
        三

 お兼かねさんの態度は明瞭めいりょうで落ちついて、どこにも下卑げびた家庭に育ったという面影おもかげは見えなかった。「二三日前にさんちまえからもうおいでだろうと思って、心待こころまちに御待申しておりました」などと云って、眼の縁ふちに愛嬌あいきょうを漂ただよわせるところなどは、自分の妹よりも品ひんの良いいばかりでなく、様子も幾分か立優たちまさって見えた。自分はしばらくお兼さんと話しているうちに、これなら岡田がわざわざ東京まで出て来て連れて行ってもしかるべきだという気になった。
 この若い細君がまだ娘盛むすめざかりの五六年前ぜんに、自分はすでにその声も眼鼻立めはなだちも知っていたのではあるが、それほど親しく言葉を換かわす機会もなかったので、こうして岡田夫人として改まって会って見ると、そう馴々なれなれしい応対もできなかった。それで自分は自分と同階級に属する未知の女に対するごとく、畏かしこまった言語をぽつぽつ使った。岡田はそれがおかしいのか、または嬉うれしいのか、時々自分の顔を見て笑った。それだけなら構わないが、折節おりせつはお兼さんの顔を見て笑った。けれどもお兼さんは澄ましていた。お兼さんがちょっと用があって奥へ立った時、岡田はわざと低い声をして、自分の膝ひざを突っつきながら、「なぜあいつに対して、そう改まってるんです。元から知ってる間柄あいだがらじゃありませんか」と冷笑ひやかすような句調くちょうで云った。
0220Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 13:59:03.470
「好い奥さんになったね。あれなら僕が貰やよかった」
「冗談じょうだんいっちゃいけない」と云って岡田は一層大きな声を出して笑った。やがて少し真面目まじめになって、「だってあなたはあいつの悪口をお母さんに云ったっていうじゃありませんか」と聞いた。
「なんて」
0221Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 13:59:12.920
「岡田も気の毒だ、あんなものを大阪下くだりまで引っ張って行くなんて。もう少し待っていればおれが相当なのを見めつけてやるのにって」
「そりゃ君昔の事ですよ」
 こうは答えたようなものの、自分は少し恐縮した。かつちょっと狼狽ろうばいした。そうして先刻さっき岡田が変な眼遣めづかいをして、時々細君の方を見た意味をようやく理解した。
「あの時は僕も母から大変叱られてね。おまえのような書生に何が解るものか。岡田さんの事はお父さんと私わたしとで当人達たちに都合の好いようにしたんだから、余計な口を利きかずに黙って見ておいでなさいって。どうも手痛てひどくやられました」
0222Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 13:59:23.610
 自分は母から叱られたという事実が、自分の弁解にでもなるような語気で、その時の様子を多少誇張して述べた。岡田はますます笑った。
 それでもお兼さんがまた座敷へ顔を出した時、自分は多少きまりの悪い思をしなければならなかった。人の悪い岡田はわざわざ細君に、「今二郎じろうさんがおまえの事を大変賞ほめて下すったぜ。よく御礼を申し上げるが好い」と云った。お兼さんは「あなたがあんまり悪口をおっしゃるからでしょう」と夫おっとに答えて、眼では自分の方を見て微笑した。
0223Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 13:59:33.140
 夕飯前ゆうはんまえに浴衣ゆかたがけで、岡田と二人岡の上を散歩した。まばらに建てられた家屋や、それを取り巻く垣根が東京の山の手を通り越した郊外を思い出させた。自分は突然大阪で会合しようと約束した友達の消息が気になり出した。自分はいきなり岡田に向って、「君の所にゃ電話はないんでしょうね」と聞いた。「あの構かまえで電話があるように見えますかね」と答えた岡田の顔には、ただ機嫌きげんの好いい浮き浮きした調子ばかり見えた。
0224Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 13:59:42.590
        四

 それは夕方の比較的長く続く夏の日の事であった。二人の歩いている岡の上はことさら明るく見えた。けれども、遠くにある立樹たちきの色が空に包まれてだんだん黒ずんで行くにつれて、空の色も時を移さず変って行った。自分は名残なごりの光で岡田の顔を見た。
「君東京にいた時よりよほど快豁かいかつになったようですね。血色も大変好い。結構だ」
0225Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 13:59:53.620
 岡田は「ええまあお蔭かげさまで」と云ったような瞹眛あいまいな挨拶あいさつをしたが、その挨拶のうちには一種嬉うれしそうな調子もあった。
 もう晩飯ばんめしの用意もできたから帰ろうじゃないかと云って、二人帰路きろについた時、自分は突然岡田に、「君とお兼さんとは大変仲が好いようですね」といった。自分は真面目なつもりだったけれども、岡田にはそれが冷笑ひやかしのように聞えたと見えて、彼はただ笑うだけで何の答えもしなかった。けれども別に否いなみもしなかった。
0226Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 14:00:04.110
 しばらくしてから彼は今までの快豁かいかつな調子を急に失った。そうして何か秘密でも打ち明けるような具合に声を落した。それでいて、あたかも独言ひとりごとをいう時のように足元を見つめながら、「これであいつといっしょになってから、かれこれもう五六年近くになるんだが、どうも子供ができないんでね、どういうものか。それが気がかりで……」と云った。
0231Ms.名無しさん
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2021/11/16(火) 23:28:42.710
岸田首相の街頭演説、参加の会員に日当5千円 茨城の運送業界団体
https://www.asahi.com/articles/ASPCJ5QNWPCBUJHB00V.html

「5千円、その場で封筒で」
衆院茨城6区内のある運送会社社長は、岸田首相の演説に参加し、その場で封筒に入った5千円をもらった
0232Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:39:10.960
 自分は何とも答えなかった。自分は子供を生ますために女房を貰う人は、天下に一人もあるはずがないと、かねてから思っていた。しかし女房を貰ってから後あとで、子供が欲しくなるものかどうか、そこになると自分にも判断がつかなかった。
「結婚すると子供が欲しくなるものですかね」と聞いて見た。
0233Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:39:22.510
「なに子供が可愛かわいいかどうかまだ僕にも分りませんが、何しろ妻さいたるものが子供を生まなくっちゃ、まるで一人前の資格がないような気がして……」
 岡田は単にわが女房を世間並せけんなみにするために子供を欲するのであった。結婚はしたいが子供ができるのが怖こわいから、まあもう少し先へ延のばそうという苦しい世の中ですよと自分は彼に云ってやりたかった。すると岡田が「それに二人ふたりぎりじゃ淋しくってね」とまたつけ加えた。
「二人ぎりだから仲が好いんでしょう」
「子供ができると夫婦の愛は減るもんでしょうか」
0234Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:39:33.300
 岡田と自分は実際二人の経験以外にあることをさも心得たように話し合った。
 宅うちでは食卓の上に刺身だの吸物だのが綺麗きれいに並んで二人を待っていた。お兼さんは薄化粧うすげしょうをして二人のお酌をした。時々は団扇うちわを持って自分を扇あおいでくれた。自分はその風が横顔に当るたびに、お兼さんの白粉おしろいの匂においを微かすかに感じた。そうしてそれが麦酒ビールや山葵わさびの香かよりも人間らしい好い匂のように思われた。
0235Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:39:41.380
「岡田君はいつもこうやって晩酌ばんしゃくをやるんですか」と自分はお兼さんに聞いた。お兼さんは微笑しながら、「どうも後引上戸あとひきじょうごで困ります」と答えてわざと夫の方を見やった。夫は、「なに後あとが引けるほど飲ませやしないやね」と云って、傍そばにある団扇を取って、急に胸のあたりをはたはたいわせた。自分はまた急にこっちで会うべきはずの友達の事に思い及んだ。
0236Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:39:50.190
「奥さん、三沢みさわという男から僕に宛あてて、郵便か電報か何か来ませんでしたか。今散歩に出た後で」
「来やしないよ。大丈夫だよ、君。僕の妻はそう云う事はちゃんと心得てるんだから。ねえお兼。――好いじゃありませんか、三沢の一人や二人来たって来なくたって。二郎さん、そんなに僕の宅が気に入らないんですか。第一だいちあなたはあの一件からして片づけてしまわなくっちゃならない義務があるでしょう」
 岡田はこう云って、自分の洋盃コップへ麦酒をゴボゴボと注ついだ。もうよほど酔っていた。
0237Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:39:58.950
        五

 その晩はとうとう岡田の家うちへ泊った。六畳の二階で一人寝かされた自分は、蚊帳かやの中の暑苦しさに堪たえかねて、なるべく夫婦に知れないように、そっと雨戸を開け放った。窓際まどぎわを枕に寝ていたので、空は蚊帳越にも見えた。試ためしに赤い裾すそから、頭だけ出して眺ながめると星がきらきらと光った。自分はこんな事をする間にも、下にいる岡田夫婦の今昔こんじゃくは忘れなかった。結婚してからああ親しくできたらさぞ幸福だろうと羨うらやましい気もした。三沢から何なんの音信たよりのないのも気がかりであった。しかしこうして幸福な家庭の客となって、彼の消息を待つために四五日ぐずぐずしているのも悪くはないと考えた。一番どうでも好かったのは岡田のいわゆる「例の一件」であった。
 翌日よくじつ眼が覚さめると、窓の下の狭苦しい庭で、岡田の声がした。
0238Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:40:07.390
「おいお兼とうとう絞しぼりのが咲き出したぜ。ちょいと来て御覧」
 自分は時計を見て、腹這はらばいになった。そうして燐寸マッチを擦すって敷島しきしまへ火を点つけながら、暗あんにお兼さんの返事を待ち構えた。けれどもお兼さんの声はまるで聞えなかった。岡田は「おい」「おいお兼」をまた二三度繰返した。やがて、「せわしない方ね、あなたは。今朝顔どころじゃないわ、台所が忙いそがしくって」という言葉が手に取るように聞こえた。お兼さんは勝手から出て来て座敷の縁側えんがわに立っているらしい。
0239Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:40:16.540
「それでも綺麗きれいね。咲いて見ると。――金魚はどうして」
「金魚は泳いでいるがね。どうもこのほうはむずかしいらしい」
 自分はお兼さんが、死にかかった金魚の運命について、何かセンチメンタルな事でもいうかと思って、煙草たばこを吹かしながら聴いていた。けれどもいくら待っていても、お兼さんは何とも云わなかった。岡田の声も聞こえなかった。自分は煙草を捨てて立ち上った。そうしてかなり急な階子段はしごだんを一段ずつ音を立てて下へ降りて行った。
0240Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:40:25.120
 三人で飯を済ました後あと、岡田は会社へ出勤しなければならないので、緩ゆっくり案内をする時間がないのを残念がった。自分はここへ来る前から、そんな事を全く予期していなかったと云って、白い詰襟姿つめえりすがたの彼を坐ったまま眺ながめていた。
0241Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:40:34.950
「お兼、お前暇があるなら二郎さんを案内して上げるが好い」と岡田は急に思いついたような顔つきで云った。お兼さんはいつもの様子に似ず、この時だけは夫にも自分にも何とも答えなかった。自分はすぐ、「なに構わない。君といっしょに君の会社のある方角まで行って、そこいらを逍遥ぶらついて見よう」と云いながら立った。お兼さんは玄関で自分の洋傘こうもりを取って、自分に手渡ししてくれた。それからただ一口「お早く」と云った。
0242Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/17(水) 04:40:43.340
 自分は二度電車に乗せられて、二度下ろされた。そうして岡田の通かよっている石造の会社の周囲しゅういを好い加減に歩き廻った。同じ流れか、違う流れか、水の面おもてが二三度目に入はいった。そのうち暑さに堪たえられなくなって、また好い加減に岡田の家うちへ帰って来た。
0243Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/17(水) 04:40:51.010
 二階へ上あがって、――自分は昨夜ゆうべからこの六畳の二階を、自分の室へやと心得るようになった。――休息していると、下から階子段を踏む音がして、お兼さんが上あがって来た。自分は驚いて脱ぬいだ肌はだを入れた。昨日廂ひさしに束つかねてあったお兼さんの髪は、いつの間にか大きな丸髷まるまげに変っていた。そうして桃色の手絡てがらが髷まげの間から覗のぞいていた。
0244Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:40:59.560
        六

 お兼さんは黒い盆の上に載のせた平野水ひらのすいと洋盃コップを自分の前に置いて、「いかがでございますか」と聞いた。自分は「ありがとう」と答えて、盆を引き寄せようとした。お兼さんは「いえ私が」と云って急に罎びんを取り上げた。自分はこの時黙ってお兼さんの白い手ばかり見ていた。その手には昨夕ゆうべ気がつかなかった指環ゆびわが一つ光っていた。
0245Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:41:10.230
 自分が洋盃コップを取上げて咽喉のどを潤うるおした時、お兼さんは帯の間から一枚の葉書を取り出した。
「先ほどお出でかけになった後あとで」と云いかけて、にやにや笑っている。自分はその表面に三沢の二字を認めた。
「とうとう参りましたね。御待かねの……」
 自分は微笑しながら、すぐ裏を返して見た。
0246Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:41:17.560
「一両日後おくれるかも知れぬ」
 葉書に大きく書いた文字はただこれだけであった。
「まるで電報のようでございますね」
「それであなた笑ってたんですか」
「そう云う訳でもございませんけれども、何だかあんまり……」
 お兼さんはそこで黙ってしまった。自分はお兼さんをもっと笑わせたかった。
0247Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:41:25.630
「あんまり、どうしました」
「あんまりもったいないようですから」
 お兼さんのお父さんというのは大変緻密ちみつな人で、お兼さんの所へ手紙を寄こすにも、たいていは葉書で用を弁じている代りに蠅はえの頭のような字を十五行も並べて来るという話しを、お兼さんは面白そうにした。自分は三沢の事を全く忘れて、ただ前にいるお兼さんを的まとに、さまざまの事を尋ねたり聞いたりした。
「奥さん、子供が欲しかありませんか。こうやって、一人で留守るすをしていると退屈するでしょう」
0248Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 04:41:33.880
「そうでもございませんわ。私わたくし兄弟の多い家うちに生れて大変苦労して育ったせいか、子供ほど親を意地見いじめるものはないと思っておりますから」
「だって一人や二人はいいでしょう。岡田君は子供がないと淋さみしくっていけないって云ってましたよ」
 お兼さんは何にも答えずに窓の外の方を眺ながめていた。顔を元へ戻しても、自分を見ずに、畳の上にある平野水の罎を見ていた。自分は何にも気がつかなかった。それでまた「奥さんはなぜ子供ができないんでしょう」と聞いた。するとお兼さんは急に赤い顔をした。自分はただ心やすだてで云ったことが、はなはだ面白くない結果を引き起したのを後悔した。けれどもどうする訳わけにも行かなかった。その時はただお兼さんに気の毒をしたという心だけで、お兼さんの赤くなった意味を知ろうなどとは夢にも思わなかった。
 自分はこの居苦いぐるしくまた立苦たちぐるしくなったように見える若い細君を、どうともして救わなければならなかった。それには是非共話頭を転ずる必要があった。自分はかねてからさほど重きを置いていなかった岡田のいわゆる「例の一件」をとうとう持ち出した。お兼さんはすぐ元の態度を回復した。けれども夫に責任の過半を譲ゆずるつもりか、けっして多くを語らなかった。自分もそう根掘り葉掘り聞きもしなかった。
0249Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 09:23:24.730
        七

「例の一件」が本式に岡田の口から持ち出されたのはその晩の事であった。自分は露つゆに近い縁側えんがわを好んでそこに座を占めていた。岡田はそれまでお兼さんと向き合って座敷の中に坐すわっていたが、話が始まるや否や、すぐ立って縁側へ出て来た。
「どうも遠くじゃ話がし悪にくくっていけない」と云いながら、模様のついた座蒲団ざぶとんを自分の前に置いた。お兼さんだけは依然として元の席を動かなかった。
「二郎さん写真は見たでしょう、この間僕が送った」
0250Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 09:23:34.180
 写真の主ぬしというのは、岡田と同じ会社へ出る若い人であった。この写真が来た時家うちのものが代りばんこに見て、さまざまの批評を加えたのを、岡田は知らないのである。
「ええちょっと見ました」
「どうです評判は」
「少し御凸額おでこだって云ったものもあります」
0251Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 09:23:43.700
 お兼さんは笑い出した。自分もおかしくなった。と云うのは、その男の写真を見て、お凸額だと云い始めたものは、実のところ自分だからである。
「お重しげさんでしょう、そんな悪口をいうのは。あの人の口にかかっちゃ、たいていのものは敵かなわないからね」
 岡田は自分の妹のお重を大変口の悪い女だと思っている。それも彼がお重から、あなたの顔は将棋しょうぎの駒こま見たいよと云われてからの事である。
0252Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 09:23:53.930
「お重さんに何と云われたって構わないが肝心かんじんの当人はどうなんです」
 自分は東京を立つとき、母から、貞さだには無論異存これなくという返事を岡田の方へ出しておいたという事を確めて来たのである。だから、当人は母から上げた返事の通りだと答えた。岡田夫婦はまた佐野さのという婿むこになるべき人の性質や品行や将来の望みや、その他いろいろの条項について一々自分に話して聞かせた。最後に当人がこの縁談の成立を切望している例などを挙げた。
 お貞さんは器量から云っても教育から云っても、これという特色のない女である。ただ自分の家の厄介やっかいものという名があるだけである。
0253Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 09:24:03.760
「先方があまり乗気になって何だか剣呑けんのんだから、あっちへ行ったらよく様子を見て来ておくれ」
 自分は母からこう頼まれたのである。自分はお貞さんの運命について、それほど多くの興味はもち得なかったけれども、なるほどそう望まれるのは、お貞さんのために結構なようでまた危険な事だろうとも考えていた。それで今まで黙って岡田夫婦の云う事を聞いていた自分は、ふと口を滑すべらした。――
0254Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 09:24:11.880
「どうしてお貞さんが、そんなに気に入ったものかな。まだ会った事もないのに」
「佐野さんはああいうしっかりした方だから、やっぱり辛抱人しんぼうにんを御貰おもらいになる御考えなんですよ」
 お兼さんは岡田の方を向いて、佐野の態度をこう弁解した。岡田はすぐ、「そうさ」と答えた。そうしてそのほかには何も考えていないらしかった。自分はとにかくその佐野という人に明日あした会おうという約束を岡田として、また六畳の二階に上った。頭を枕まくらに着けながら、自分の結婚する場合にも事がこう簡単に運ぶのだろうかと考えると、少し恐ろしい気がした。
0255Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 09:24:31.950
        八

 翌日あくるひ岡田は会社を午ひるで切上げて帰って来た。洋服を投出すが早いか勝手へ行って水浴をして「さあ行こう」と云い出した。
 お兼さんはいつの間にか箪笥たんすの抽出ひきだしを開けて、岡田の着物を取り出した。自分は岡田が何を着るか、さほど気にも留めなかったが、お兼さんの着せ具合や、帯の取ってやり具合には、知らず知らず注意を払っていたものと見えて、「二郎さんあなた仕度したくは好いんですか」と聞かれた時、はっと気がついて立ち上った。
0256Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 09:24:41.490
「今日はお前も行くんだよ」と岡田はお兼さんに云った。「だって……」とお兼さんは絽ろの羽織を両手で持ちながら、夫の顔を見上げた。自分は梯子段はしごだんの中途で、「奥さんいらっしゃい」と云った。
 洋服を着て下へ降りて見ると、お兼さんはいつの間にかもう着物も帯も取り換えていた。
「早いですね」
「ええ早変り」
0257Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 09:24:52.340
「あんまり変り栄ばえもしない服装なりだね」と岡田が云った。
「これでたくさんよあんな所とこへ行くのに」とお兼さんが答えた。
 三人は暑あつさを冒おかして岡を下くだった。そうして停車場からすぐ電車に乗った。自分は向側に並んで腰をかけた岡田とお兼さんを時々見た。その間には三沢の突飛とっぴな葉書を思い出したりした。全体あれはどこで出したものなんだろうと考えても見た。これから会いに行く佐野という男の事も、ちょいちょい頭に浮んだ。しかしそのたんびに「物好ものずき」という言葉がどうしてもいっしょに出て来た。
0258Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 09:25:31.430
自民党「国民の皆さんへ」→「凍えて飢えながら冬を越せ。良いお年を

松野博一官房長官は16日の記者会見で、
原油価格高騰などを受けて揮発油税などを減税する「トリガー条項」の凍結解除について
否定的な考えを示した。
「ガソリンの買い控えや、その反動による流通の混乱、国・地方の財政への
多大な影響などの問題から凍結解除は適当でない」と述べた。

https://www.sankei.com/article/20211116-5WULK3747FOAXLP3U24GRESZZM/?s=09
0260Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 16:40:19.990
 岡田は突然体を前に曲げて、「どうです」と聞いた。自分はただ「結構です」と答えた。岡田は元のように腰から上を真直まっすぐにして、何かお兼さんに云った。その顔には得意の色が見えた。すると今度はお兼さんが顔を前へ出して「御気に入ったら、あなたも大阪こちらへいらっしゃいませんか」と云った。自分は覚えず「ありがとう」と答えた。さっきどうですと突然聞いた岡田の意味は、この時ようやく解った。
 三人は浜寺はまでらで降りた。この地方の様子を知らない自分は、大おおきな松と砂の間を歩いてさすがに好い所だと思った。しかし岡田はここでは「どうです」を繰返さなかった。お兼さんも洋傘こうもりを開いたままさっさと行った。
「もう来ているだろうか」
0261Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 16:40:28.090
「そうね。ことに因よるともう来て待っていらっしゃるかも知れないわ」
 自分は二人の後あとに跟ついて、こんな会話を聴ききながら、すばらしく大きな料理屋の玄関の前に立った。自分は何よりもまずその大きいのに驚かされたが、上って案内をされた時、さらにその道中の長いのに吃驚びっくりした。三人は段々を下りて細い廊下を通った。
「隧道トンネルですよ」
0262Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 16:40:37.560
 お兼さんがこういって自分に教えてくれたとき、自分はそれが冗談じょうだんで、本当に地面の下ではないのだと思った。それでただ笑って薄暗いところを通り抜けた。
 座敷では佐野が一人敷居際しきいぎわに洋服の片膝を立てて、煙草たばこを吹かしながら海の方を見ていた。自分達の足音を聞いた彼はすぐこっちを向いた。その時彼の額の下に、金縁きんぶちの眼鏡めがねが光った。部屋へ這入はいるとき第一に彼と顔を見合せたのは実に自分だったのである。
0263Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 16:40:49.240
        九

 佐野は写真で見たよりも一層御凸額おでこであった。けれども額の広いところへ、夏だから髪を短く刈かっているので、ことにそう見えたのかも知れない。初対面の挨拶あいさつをするとき、彼は「何分なにぶんよろしく」と云って頭を丁寧ていねいに下げた。この普通一般の挨拶ぶりが、場合が場合なので、自分には一種変に聞こえた。自分の胸は今までさほど責任を感じていなかったところへ急に重苦しい束縛そくばくができた。
 四人よつたりは膳ぜんに向いながら話をした。お兼さんは佐野とはだいぶ心やすい間柄あいだがらと見えて、時々向側から調戯からかったりした。
「佐野さん、あなたの写真の評判が東京あっちで大変なんですって」
0264Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 16:41:02.480
「どう大変なんです。――おおかた好い方へ大変なんでしょうね」
「そりゃもちろんよ。嘘うそだと覚し召すならお隣りにいらっしゃる方に伺って御覧になれば解るわ」
 佐野は笑いながらすぐ自分の方を見た。自分はちょっと何とか云わなければ跋ばつが悪かった。それで真面目まじめな顔をして、「どうも写真は大阪の方が東京より発達しているようですね」と云った。すると岡田が「浄瑠璃じょうるりじゃあるまいし」と交返まぜかえした。
0265Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 16:41:10.680
 岡田は自分の母の遠縁に当る男だけれども、長く自分の宅うちの食客しょっかくをしていたせいか、昔から自分や自分の兄に対しては一段低い物の云い方をする習慣をもっていた。久しぶりに会った昨日きのう一昨日おとといなどはことにそうであった。ところがこうして佐野が一人新しく席に加わって見ると、友達の手前体裁が悪いという訳だか何だか、自分に対する口の利きき方が急に対等になった。ある時は対等以上に横風おうふうになった。
 四人のいる座敷の向むこうには、同じ家のだけれども棟むねの違う高い二階が見えた。障子しょうじを取り払ったその広間の中を見上げると、角帯かくおびを締しめた若い人達が大勢おおぜいいて、そのうちの一人が手拭てぬぐいを肩へかけて踊おどりかなにか躍おどっていた。「御店おたなものの懇親会というところだろう」と評し合っているうちに、十六七の小僧が手摺てすりの所へ出て来て、汚ないものを容赦ようしゃなく廂ひさしの上へ吐はいた。すると同じくらいな年輩の小僧がまた一人煙草たばこを吹かしながら出て来て、こらしっかりしろ、おれがついているから、何にも怖こわがるには及ばない、という意味を純粋の大阪弁でやり出した。今まで苦々にがにがしい顔をして手摺の方を見ていた四人はとうとう吹き出してしまった。
「どっちも酔ってるんだよ。小僧の癖に」と岡田が云った。
0266Ms.名無しさん
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2021/11/17(水) 16:41:19.920
「あなたみたいね」とお兼さんが評した。
「どっちがです」と佐野が聞いた。
「両方ともよ。吐いたり管くだを捲まいたり」とお兼さんが答えた。
 岡田はむしろ愉快な顔をしていた。自分は黙っていた。佐野は独ひとり高笑たかわらいをした。
0267Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 06:13:57.520
 四人はまだ日の高い四時頃にそこを出て帰路についた。途中で分れるとき佐野は「いずれそのうちまた」と帽を取って挨拶あいさつした。三人はプラットフォームから外へ出た。
「どうです、二郎さん」と岡田はすぐ自分の方を見た。
「好さそうですね」
 自分はこうよりほかに答える言葉を知らなかった。それでいて、こう答えた後あとははなはだ無責任なような気がしてならなかった。同時にこの無責任を余儀なくされるのが、結婚に関係する多くの人の経験なんだろうとも考えた。
0268Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 06:14:07.590
        十

 自分は三沢の消息を待って、なお二三日岡田の厄介になった。実をいうと彼らは自分のよそに行って宿を取る事を許さなかったのである。自分はその間できるだけ一人で大阪を見て歩いた。すると町幅の狭いせいか、人間の運動が東京よりも溌溂はつらつと自分の眼を射るように思われたり、家並いえなみが締りのない東京より整って好ましいように見えたり、河が幾筋もあってその河には静かな水が豊かに流れていたり、眼先の変った興味が日に一つ二つは必ずあった。
 佐野には浜寺でいっしょに飯を食った次の晩また会った。今度は彼の方から浴衣ゆかたがけで岡田を尋ねて来た。自分はその時もかれこれ二時間余り彼と話した。けれどもそれはただ前日の催しを岡田の家で小規模に繰返したに過ぎなかったので、新しい印象と云っては格別頭に残りようがなかった。だから本当をいうとただ世間並の人というほかに、自分は彼について何も解らなかった。けれどもまた母や岡田に対する義務としては、何も解らないで澄ましている訳にも行かなかった。自分はこの二三日の間に、とうとう東京の母へ向けて佐野と会見を結了けつりょうした旨むねの報告を書いた。
0269Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 06:14:16.450
 仕方がないから「佐野さんはあの写真によく似ている」と書いた。「酒は呑のむが、呑んでも赤くならない」と書いた。「御父さんのように謡うたいをうたう代りに義太夫を勉強しているそうだ」と書いた。最後に岡田夫婦と仲の好さそうな様子を述べて、「あれほど仲の好い岡田さん夫婦の周旋だから間違はないでしょう」と書いた。一番しまいに、「要するに、佐野さんは多数の妻帯者と変ったところも何もないようです。お貞さださんも普通の細君になる資格はあるんだから、承諾したら好いじゃありませんか」と書いた。
 自分はこの手紙を封じる時、ようやく義務が済んだような気がした。しかしこの手紙一つでお貞さんの運命が永久に決せられるのかと思うと、多少自分のおっちょこちょいに恥入るところもあった。そこで自分はこの手紙を封筒へ入いれたまま、岡田の所へ持って行った。岡田はすうと眼を通しただけで、「結構」と答えた。お兼さんは、てんで巻紙に手を触れなかった。自分は二人の前に坐って、双方を見較みくらべた。
0270Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 06:14:25.030
「これで好いでしょうかね。これさえ出してしまえば、宅うちの方はきまるんです。したがって佐野さんもちょっと動けなくなるんですが」
「結構です。それが僕らの最も希望するところです」と岡田は開き直っていった。お兼さんは同じ意味を女の言葉で繰くり返した。二人からこう事もなげに云われた自分は、それで安心するよりもかえって心元なくなった。
0271Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 06:14:33.710
「何がそんなに気になるんです」と岡田が微笑しながら煙草たばこの煙を吹いた。「この事件について一番冷淡だったのは君じゃありませんか」
「冷淡にゃ違ないが、あんまりお手軽過ぎて、少し双方に対して申訳がないようだから」
0272Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 06:14:42.910
「お手軽どころじゃございません、それだけ長い手紙を書いていただけば。それでお母さまが御満足なさる、こちらは初はじめからきまっている。これほどおめでたい事はないじゃございませんか、ねえあなた」
 お兼さんはこういって、岡田の方を見た。岡田はそうともと云わぬばかりの顔をした。自分は理窟りくつをいうのが厭いやになって、二人の目の前で、三銭切手を手紙に貼はった。
0273Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 06:14:52.490
        十一

 自分はこの手紙を出しっきりにして大阪を立退たちのきたかった。岡田も母の返事の来るまで自分にいて貰う必要もなかろうと云った。
「けれどもまあ緩ゆっくりなさい」
0274Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 06:15:04.370
 これが彼のしばしば繰り返す言葉であった。夫婦の好意は自分によく解っていた。同時に彼らの迷惑もまたよく想像された。夫婦ものに自分のような横着おうちゃくな泊り客は、こっちにも多少の窮屈きゅうくつは免まぬかれなかった。自分は電報のように簡単な端書はがきを書いたぎり何の音沙汰おとさたもない三沢が悪にくらしくなった。もし明日中あしたじゅうに何とか音信たよりがなければ、一人で高野登りをやろうと決心した。
「じゃ明日は佐野を誘って宝塚たからづかへでも行きましょう」と岡田が云い出した。自分は岡田が自分のために時間の差繰さしくりをしてくれるのが苦くになった。もっと皮肉を云えば、そんな温泉場へ行って、飲んだり食ったりするのが、お兼さんにすまないような気がした。お兼さんはちょっと見ると、派出好はでずきの女らしいが、それはむしろ色白な顔立や様子がそう思わせるので、性質からいうと普通の東京ものよりずっと地味じみであった。外へ出る夫の懐中にすら、ある程度の束縛を加えるくらい締っているんじゃないかと思われた。
0275Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 06:15:13.480
「御酒ごしゅを召上らない方かたは一生のお得ですね」
 自分の杯さかずきに親しまないのを知ったお兼さんは、ある時こういう述懐じゅっかいを、さも羨うらやましそうに洩もらした事さえある。それでも岡田が顔を赤くして、「二郎さん久しぶりに相撲すもうでも取りましょうか」と野蛮な声を出すと、お兼さんは眉まゆをひそめながら、嬉うれしそうな眼つきをするのが常であったから、お兼さんは旦那の酔ようのが嫌きらいなのではなくって、酒に費用ついえのかかるのが嫌いなのだろうと、自分は推察していた。
0276Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/18(木) 06:15:23.440
 自分はせっかくの好意だけれども宝塚行を断ことわった。そうして腹の中で、あしたの朝岡田の留守に、ちょっと電車に乗って一人で行って様子を見て来きようと取りきめた。岡田は「そうですか。文楽ぶんらくだと好いんだけれどもあいにく暑いんで休んでいるもんだから」と気の毒そうに云った。
 翌朝よくあさ自分は岡田といっしょに家うちを出た。彼は電車の上で突然自分の忘れかけていたお貞さんの結婚問題を持ち出した。
0277Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/18(木) 06:15:32.700
「僕はあなたの親類だと思ってやしません。あなたのお父さんやお母さんに書生として育てられた食客しょっかくと心得ているんです。僕の今の地位だって、あのお兼だって、みんなあなたの御両親のお蔭かげでできたんです。だから何か御恩返しをしなくっちゃすまないと平生から思ってるんです。お貞さんの問題もつまりそれが動機でしたんですよ。けっして他意はないんですからね」
 お貞さんは宅うちの厄介ものだから、一日も早くどこかへ嫁に世話をするというのが彼の主意であった。自分は家族の一人として岡田の好意を謝すべき地位にあった。
0278Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 06:15:44.290
「お宅たくじゃ早くお貞さんを片づけたいんでしょう」
 自分の父も母も実際そうなのである。けれどもこの時自分の眼にはお貞さんと佐野という縁故も何もない二人がいっしょにかつ離れ離れに映じた。
0279Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 06:15:53.830
「旨うまく行くでしょうか」
「そりゃ行くだろうじゃありませんか。僕とお兼を見たって解るでしょう。結婚してからまだ一度も大喧嘩おおげんかをした事なんかありゃしませんぜ」
0280Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 06:16:02.230
「あなた方がたは特別だけれども……」
「なにどこの夫婦だって、大概似たものでさあ」
 岡田と自分はそれでこの話を切り上げた。
0281Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 06:16:12.610
        十二

 三沢の便たよりははたして次の日の午後になっても来なかった。気の短い自分にはこんなズボラを待ってやるのが腹立はらだたしく感ぜられた、強しいてもこれから一人で立とうと決心した。
「まあもう一日いちんち二日ふつかはよろしいじゃございませんか」とお兼さんは愛嬌あいきょうに云ってくれた。自分が鞄かばんの中へ浴衣ゆかたや三尺帯さんじゃくおびを詰めに二階へ上あがりかける下から、「是非そうなさいましよ」とおっかけるように留めた。それでも気がすまなかったと見えて、自分が鞄の始末をした頃、上あがり口ぐちへ顔を出して、「おやもう御荷物の仕度をなすったんですか。じゃ御茶でも入れますから、御緩ごゆっくりどうぞ」と降りて行った。
 自分は胡坐あぐらのまま旅行案内をひろげた。そうして胸の中うちでかれこれと時間の都合を考えた。その都合がなかなか旨うまく行かないので、仰向あおむけになってしばらく寝て見た。すると三沢といっしょに歩く時の愉快がいろいろに想像された。富士を須走口すばしりぐちへ降りる時、滑すべって転んで、腰にぶら下げた大きな金明水きんめいすい入の硝子壜ガラスびんを、壊こわしたなり帯へ括くくりつけて歩いた彼の姿扮すがたなどが眼に浮んだ。ところへまた梯子段はしごだんを踏むお兼さんの足音がしたので、自分は急に起き直った。
0282Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/18(木) 06:16:22.050
 お兼さんは立ちながら、「まあ好かった」と一息吐ついたように云って、すぐ自分の前に坐すわった。そうして三沢から今届いた手紙を自分に渡した。自分はすぐ封を開いて見た。
「とうとう御着おつきになりましたか」
 自分はちょっとお兼さんに答える勇気を失った。三沢は三日前大阪に着いて二日ばかり寝たあげくとうとう病院に入ったのである。自分は病院の名を指さしてお兼さんに地理を聞いた。お兼さんは地理だけはよく呑のみ込んでいたが、病院の名は知らなかった。自分はとにかく鞄かばんを提さげて岡田の家を出る事にした。
0283Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/18(木) 06:16:33.790
「どうもとんだ事でございますね」とお兼さんは繰り返し繰り返し気の毒がった。断ことわるのを無理に、下女が鞄を持って停車場ステーションまで随ついて来た。自分は途中でなおもこの下女を返そうとしたが、何とか云ってなかなか帰らなかった。その言葉は解るには解るが、自分のようにこの土地に親しみのないものにはとても覚えられなかった。別れるとき今まで世話になった礼に一円やったら「さいなら、お機嫌きげんよう」と云った。
 電車を下りて俥くるまに乗ると、その俥は軌道レールを横切って細い通りを真直まっすぐに馳かけた。馳け方があまり烈はげしいので、向うから来る自転車だの俥だのと幾度いくたびか衝突しそうにした。自分ははらはらしながら病院の前に降おろされた。
 鞄を持ったまま三階に上あがった自分は、三沢を探すため方々の室へやを覗のぞいて歩いた。三沢は廊下の突き当りの八畳に、氷嚢ひょうのうを胸の上に載のせて寝ていた。
0284Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/18(木) 06:16:41.620
「どうした」と自分は室に入るや否や聞いた。彼は何も答えずに苦笑している。「また食い過ぎたんだろう」と自分は叱るように云ったなり、枕元に胡坐あぐらをかいて上着うわぎを脱いだ。
「そこに蒲団ふとんがある」と三沢は上眼うわめを使って、室の隅すみを指した。自分はその眼の様子と頬の具合を見て、これはどのくらい重い程度の病気なんだろうと疑った。
「看護婦はついてるのかい」
「うん。今どこかへ出て行った」
0285Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 10:32:21.270
        十三

 三沢は平生から胃腸のよくない男であった。ややともすると吐いたり下したりした。友達はそれを彼の不養生からだと評し合った。当人はまた母の遺伝で体質から来るんだから仕方がないと弁解していた。そうして消化器病の書物などをひっくり返して、アトニーとか下垂性かすいせいとかトーヌスとかいう言葉を使った。自分などが時々彼に忠告めいた事をいうと、彼は素人しろうとが何を知るものかと云わぬばかりの顔をした。
「君アルコールは胃で吸収されるものか、腸で吸収されるものか知ってるか」などと澄ましていた。そのくせ病気になると彼はきっと自分を呼んだ。自分もそれ見ろと思いながら必ず見舞に出かけた。彼の病気は短くて二三日長くて一二週間で大抵は癒なおった。それで彼は彼の病気を馬鹿にしていた。他人の自分はなおさらであった。
0286Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/18(木) 10:32:30.910
 けれどもこの場合自分はまず彼の入院に驚かされていた。その上に胃の上の氷嚢ひょうのうでまた驚かされた。自分はそれまで氷嚢は頭か心臓の上でなければ載のせるものでないとばかり信じていたのである。自分はぴくんぴくんと脈を打つ氷嚢を見つめて厭いやな心持になった。枕元に坐っていればいるほど、付景気つけげいきの言葉がだんだん出なくなって来た。
 三沢は看護婦に命じて氷菓子アイスクリームを取らせた。自分がその一杯に手を着けているうちに、彼は残る一杯を食うといい出した。自分は薬と定食以外にそんなものを口にするのは好くなかろうと思ってとめにかかった。すると三沢は怒った。
0287Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 10:32:42.360
「君は一杯の氷菓子を消化するのに、どのくらい強壮な胃が必要だと思うのか」と真面目まじめな顔をして議論を仕かけた。自分は実のところ何にも知らないのである。看護婦は、よかろうけれども念のためだからと云って、わざわざ医局へ聞きに行った。そうして少量なら差支さしつかえないという許可を得て来た。
 自分は便所に行くとき三沢に知れないように看護婦を呼んで、あの人の病気は全体何というんだと聞いて見た。看護婦はおおかた胃が悪いんだろうと答えた。それより以上の事を尋ねると、今朝看護婦会から派出されたばかりで、何もまだ分らないんだと云って平気でいた。仕方なしに下へ降りて医員に尋ねたら、その男もまだ三沢の名を知らなかった。けれども患者の病名だの処方だのを書いた紙箋しせんを繰って、胃が少し糜爛ただれたんだという事だけ教えてくれた。
 自分はまた三沢の傍そばへ行った。彼は氷嚢を胃の上に載せたまま、「君その窓から外を見てみろ」、と云った。窓は正面に二つ側面に一つあったけれども、いずれも西洋式で普通より高い上に、病人は日本の蒲団ふとんを敷いて寝ているんだから、彼の眼には強い色の空と、電信線の一部分が筋違すじかいに見えるだけであった。
0288Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/18(木) 10:32:51.720
 自分は窓側まどぎわに手を突いて、外を見下みおろした。すると何よりもまず高い煙突から出る遠い煙が眼に入いった。その煙は市全体を掩おおうように大きな建物の上を這はい廻っていた。
「河が見えるだろう」と三沢が云った。
0289Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/18(木) 10:33:00.900
 大きな河が左手の方に少し見えた。
「山も見えるだろう」と三沢がまた云った。
 山は正面にさっきから見えていた。
 それが暗くらがり峠とうげで、昔は多分大きな木ばかり生えていたのだろうが、今はあの通り明るい峠に変化したんだとか、もう少しするとあの山の下を突つき貫ぬいて、奈良へ電車が通うようになるんだとか、三沢は今誰かから聞いたばかりの事を元気よく語った。自分はこれなら大した心配もないだろうと思って病院を出た。
0290Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/18(木) 11:13:24.210
 自分は別に行く所もなかったので、三沢の泊った宿の名を聞いて、そこへ俥くるまで乗りつけた。看護婦はつい近くのように云ったが、始めての自分にはかなりの道程みちのりと思われた。
0291Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/18(木) 11:13:46.610
 その宿には玄関も何にもなかった。這入はいってもいらっしゃいと挨拶あいさつに出る下女もなかった。自分は三沢の泊ったという二階の一間ひとまに通された。手摺てすりの前はすぐ大きな川で、座敷から眺ながめていると、大変涼すずしそうに水は流れるが、向むきのせいか風は少しも入らなかった。夜よに入いって向側に点ぜられる灯火のきらめきも、ただ眼に少しばかりの趣おもむきを添えるだけで、涼味という感じにはまるでならなかった。
 自分は給仕の女に三沢の事を聞いて始めて知った。彼は二日ふつかここに寝たあげく、三日目に入院したように記憶していたが実はもう一日前の午後に着いて、鞄かばんを投げ込んだまま外出して、その晩の十時過に始めて帰って来たのだそうである。着いた時には五六人の伴侶つれがいたが、帰りにはたった一人になっていたと下女は告げた。自分はその五六人の伴侶の何人なんびとであるかについて思い悩んだ。しかし想像さえ浮ばなかった。
0292Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/18(木) 11:13:56.300
「酔ってたかい」と自分は下女に聞いて見た。そこは下女も知らなかった。けれども少し経たって吐はいたから酔っていたんだろうと答えた。
 自分はその夜よ蚊帳かやを釣って貰って早く床とこに這入はいった。するとその蚊帳に穴があって、蚊かが二三疋びき這入って来た。団扇うちわを動かして、それを払はらい退のけながら寝ようとすると、隣の室へやの話し声が耳についた。客は下女を相手に酒でも呑んでいるらしかった。そうして警部だとかいう事であった。自分は警部の二字に多少の興味があった。それでその人の話を聞いて見る気になったのである。すると自分の室を受持っている下女が上って来て、病院から電話だと知らせた。自分は驚いて起き上った。
0293Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 11:14:05.900
 電話の相手は三沢の看護婦であった。病人の模様でも急に変ったのかと思って心配しながら用事を聞いて見ると病人から、明日あしたはなるべく早く来てくれ、退屈で困るからという伝言に過ぎなかった。自分は彼の病気がはたしてそう重くないんだと断定した。「何だそんな事か、そういうわがままはなるべく取次とりつがないが好い」と叱りつけるように云ってやったが、後で看護婦に対して気の毒になったので、「しかし行く事は行くよ。君が来てくれというなら」とつけ足たして室へ帰った。
 下女はいつ気がついたか、蚊帳の穴を針と糸で塞ふさいでいた。けれどもすでに這入っている蚊はそのままなので、横になるや否や、時々額や鼻の頭の辺あたりでぶうんと云う小ちいさい音がした。それでもうとうとと寝た。すると今度は右の方の部屋でする話声で眼が覚さめた。聞いているとやはり男と女の声であった。自分はこっち側がわに客は一人もいないつもりでいたので、ちょっと驚かされた。しかし女が繰返くりかえして、「そんならもう帰して貰いますぜ」というような言葉を二三度用いたので、隣の客が女に送られて茶屋からでも帰って来たのだろうと推察してまた眠りに落ちた。
 それからもう一度下女が雨戸を引く音に夢を破られて、最後に起き上ったのが、まだ川の面おもてに白い靄もやが薄く見える頃だったから、正味しょうみ寝たのは何時間にもならなかった。
0294Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 14:47:57.270
        十五

 三沢の氷嚢ひょうのうは依然としてその日も胃の上に在あった。
「まだ氷で冷やしているのか」
 自分はいささか案外な顔をしてこう聞いた。三沢にはそれが友達甲斐がいもなく響いたのだろう。
「鼻風邪はなかぜじゃあるまいし」と云った。
0295Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 14:48:06.000
 自分は看護婦の方を向いて、「昨夕ゆうべは御苦労さま」と一口礼を述べた。看護婦は色の蒼あおい膨ふくれた女であった。顔つきが絵にかいた座頭に好く似ているせいか、普通彼らの着る白い着物がちっとも似合わなかった。岡山のもので、小さい時膿毒性のうどくしょうとかで右の眼を悪くしたんだと、こっちで尋ねもしない事を話した。なるほどこの女の一方の眼には白い雲がいっぱいにかかっていた。
「看護婦さん、こんな病人に優しくしてやると何を云い出すか分らないから、好加減いいかげんにしておくがいいよ」
 自分は面白半分わざと軽薄な露骨ろこつを云って、看護婦を苦笑くしょうさせた。すると三沢が突然「おい氷だ」と氷嚢を持ち上げた。
 廊下の先で氷を割る音がした時、三沢はまた「おい」と云って自分を呼んだ。
0296Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 14:48:15.110
「君には解るまいが、この病気を押していると、きっと潰瘍かいようになるんだ。それが危険だから僕はこうじっとして氷嚢を載のせているんだ。ここへ入院したのも、医者が勧めたのでも、宿で周旋して貰ったのでもない。ただ僕自身が必要と認めて自分で入ったのだ。酔興じゃないんだ」
 自分は三沢の医学上の智識について、それほど信を置き得なかった。けれどもこう真面目まじめに出られて見ると、もう交まぜ返かえす勇気もなかった。その上彼のいわゆる潰瘍とはどんなものか全く知らなかった。
 自分は起たって窓側まどぎわへ行った。そうして強い光に反射して、乾いた土の色を見せている暗くらがり峠とうげを望んだ。ふと奈良へでも遊びに行って来きようかという気になった。
「君その様子じゃ当分約束を履行りこうする訳にも行かないだろう」
「履行しようと思って、これほどの養生をしているのさ」
0297Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 14:48:25.280
 三沢はなかなか強情の男であった。彼の強情につき合えば、彼の健康が旅行に堪たえ得るまで自分はこの暑い都の中で蒸むされていなければならなかった。
「だって君の氷嚢はなかなか取れそうにないじゃないか」
「だから早く癒なおるさ」
 自分は彼とこういう談話を取り換かわせているうちに、彼の強情のみならず、彼のわがままな点をよく見て取った。同時に一日も早く病人を見捨てて行こうとする自分のわがままもまたよく自分の眼に映った。
「君大阪へ着いたときはたくさん伴侶つれがあったそうじゃないか」
0298Ms.名無しさん
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2021/11/18(木) 14:48:33.850
「うん、あの連中と飲んだのが悪かった」
 彼の挙げた姓名のうちには、自分の知っているものも二三あった。三沢は彼らと名古屋からいっしょの汽車に乗ったのだが、いずれも馬関とか門司とか福岡とかまで行く人であるにかかわらず久しぶりだからというので、皆みんな大阪で降りて三沢と共に飯を食ったのだそうである。
 自分はともかくももう二三日いて病人の経過を見た上、どうとかしようと分別ふんべつした。
0299Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/18(木) 14:52:52.480
【悲報】岸田政権、またウソがバレる
萩生田経産相「石油増産を要請した!(キリッ」→サウジ大臣「いや。聞いてませんけど?」
https://next2ch.net/test/read.cgi/poverty/1636080473

Uaeに原油増産要請 経産相、国内価格動向を注視: 日本経済新聞
2021年10月26日 12:11
萩生田光一経済産業相は26日の閣議後の記者会見で、
アラブ首長国連邦(UAE)のマズルーイ・エネルギー・インフラ相に原油の増産を求めたことを明らかにした。
0300Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/19(金) 07:18:54.770
        十六

 その間自分は三沢の付添のように、昼も晩も大抵は病院で暮した。孤独な彼は実際毎日自分を待受けているらしかった。それでいて顔を合わすと、けっして礼などは云わなかった。わざわざ草花を買って持って行ってやっても、憤むっと膨ふくれている事さえあった。自分は枕元で書物を読んだり、看護婦を相手にしたり、時間が来ると病人に薬を呑のませたりした。朝日が強く差し込む室へやなので、看護婦を相手に、寝床ねどこを影の方へ移す手伝もさせられた。
 自分はこうしているうちに、毎日午前中に回診する院長を知るようになった。院長は大概黒のモーニングを着て医員と看護婦を一人ずつ随えていた。色の浅黒い鼻筋の通った立派な男で、言葉遣ことばづかいや態度にも容貌ようぼうの示すごとく品格があった。三沢は院長に会うと、医学上の知識をまるでもっていない自分たちと同じような質問をしていた。「まだ容易に旅行などはできないでしょうか」「潰瘍かいようになると危険でしょうか」「こうやって思い切って入院した方が、今考えて見るとやっぱり得策だったんでしょうか」などと聞くたびに院長は「ええまあそうです」ぐらいな単簡たんかんな返答をした。自分は平生解らない術語を使って、他ひとを馬鹿にする彼が、院長の前でこう小さくなるのを滑稽こっけいに思った。
0301Ms.名無しさん
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2021/11/19(金) 07:19:05.370
 彼の病気は軽いような重いような変なものであった。宅うちへ知らせる事は当人が絶対に不承知であった。院長に聞いて見ると、嘔気はきけが来なければ心配するほどの事もあるまいが、それにしてももう少しは食慾が出るはずだと云って、不思議そうに考え込んでいた。自分は去就きょしゅうに迷った。
 自分が始めて彼の膳ぜんを見たときその上には、生豆腐なまどうふと海苔のりと鰹節かつぶしの肉汁ソップが載のっていた。彼はこれより以上箸はしを着ける事を許されなかったのである。自分はこれでは前途遼遠ぜんとりょうえんだと思った。同時にその膳に向って薄い粥かゆを啜すする彼の姿が変に痛ましく見えた。自分が席を外はずして、つい近所の洋食屋へ行って支度したくをして帰って来ると、彼はきっと「旨うまかったか」と聞いた。自分はその顔を見てますます気の毒になった。
0302Ms.名無しさん
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2021/11/19(金) 07:19:13.970
「あの家うちはこの間君と喧嘩けんかした氷菓子アイスクリームを持って来る家だ」
 三沢はこういって笑っていた。自分は彼がもう少し健康を回復するまで彼の傍そばにいてやりたい気がした。
0303Ms.名無しさん
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2021/11/19(金) 07:19:22.830
 しかし宿へ帰ると、暑苦しい蚊帳かやの中で、早く涼しい田舎いなかへ行きたいと思うことが多かった。この間の晩女と話をして人の眠を妨さまたげた隣の客はまだ泊っていた。そうして自分の寝ようとする頃に必ず酒気しゅきを帯びて帰って来た。ある時は宿で酒を飲んで、芸者を呼べと怒鳴どなっていた。それを下女がさまざまにごまかそうとしてしまいには、あの女はあなたの前へ出ればこそ、あんな愛嬌あいきょうをいうものの、蔭かげではあなたの悪口ばかり並べるんだから止やめろと忠告していた。すると客は、なにおれの前へ出た時だけ御世辞おせじを云ってくれりゃそれで嬉うれしいんだ、蔭で何と云ったって聞えないから構わないと答えていた。ある時はこれも芸者が何か真面目まじめな話を持ち込んで来たのを、今度は客の方でごまかそうとして、その芸者から他ひとの話を「じゃん、じゃか、じゃん」にしてしまうと云って怒られていた。
 自分はこんな事で安眠を妨害されて、実際迷惑を感じた。
0304Ms.名無しさん
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2021/11/19(金) 07:19:32.610
        十七

 そんなこんなで好く眠られなかった朝、もう看病は御免蒙ごめんこうむるという気で、病院の方へ橋を渡った。すると病人はまだすやすや眠っていた。
 三階の窓から見下みおろすと、狭い通なので、門前の路みちが細く綺麗きれいに見えた。向側は立派な高塀たかべいつづきで、その一つの潜くぐりの外へ主人あるじらしい人が出て、如露じょうろで丹念たんねんに往来を濡ぬらしていた。塀の内には夏蜜柑なつみかんのような深緑の葉が瓦かわらを隠すほど茂っていた。
 院内では小使が丁字形ていじけいの棒の先へ雑巾ぞうきんを括くくり付けて廊下をぐんぐん押して歩いた。雑巾をゆすがないので、せっかく拭いた所がかえって白く汚れた。軽い患者はみな洗面所へ出て顔を洗った。看護婦の払塵はたきの声がここかしこで聞こえた。自分は枕まくらを借りて、三沢の隣の空室あきべやへ、昨夕ゆうべの睡眠不足を補いに入った。
0305Ms.名無しさん
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2021/11/19(金) 07:19:41.260
 その室へやも朝日の強く当る向むきにあるので、一寝入するとすぐ眼が覚さめた。額や鼻の頭に汗と油が一面に浮き出しているのも不愉快だった。自分はその時岡田から電話口へ呼ばれた。岡田が病院へ電話をかけたのはこれで三度目である。彼はきまりきって、「御病人の御様子はどうです」と聞く。「二三日中うち是非伺います」という。「何でも御用があるなら御遠慮なく」という。最後にきっとお兼さんの事を一口二口つけ加えて、「お兼からもよろしく」とか、「是非お遊びにいらっしゃるように妻さいも申しております」とか、「うちの方が忙がしいんで、つい御無沙汰ごぶさたをしています」とか云う。
 その日も岡田の話はいつもの通りであった。けれども一番しまいに、「今から一週間内……と断定する訳には行かないが、とにかくもう少しすると、あなたをちょいと驚かせる事が出て来るかも知れませんよ」と妙な事を仄ほのめかした。自分は全く想像がつかないので、全体どんな話なんですかと二三度聞き返したが、岡田は笑いながら、「もう少しすれば解ります」というぎりなので、自分もとうとうその意味を聞かないで、三沢の室へやへ帰って来た。
0306Ms.名無しさん
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2021/11/19(金) 07:19:49.330
「また例の男かい」と三沢が云った。
 自分は今の岡田の電話が気になって、すぐ大阪を立つ話を持ち出す心持になれなかった。すると思いがけない三沢の方から「君もう大阪は厭いやになったろう。僕のためにいて貰う必要はないから、どこかへ行くなら遠慮なく行ってくれ」と云い出した。彼はたとい病院を出る場合が来ても、むやみな山登りなどは当分慎まなければならないと覚さとったと説明して聞かせた。
「それじゃ僕の都合の好いようにしよう」
0307Ms.名無しさん
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2021/11/19(金) 07:19:58.220
 自分はこう答えてしばらく黙っていた。看護婦は無言のまま室の外に出て行った。自分はその草履ぞうりの音の消えるのを聞いていた。それから小さい声をして三沢に、「金はあるか」と尋ねた。彼は己おのれの病気をまだ己れの家に知らせないでいる。それにたった一人の知人たる自分が、彼の傍そばを立ち退のいたら、精神上よりも物質的に心細かろうと自分は懸念けねんした。
「君に才覚ができるのかい」と三沢は聞いた。
「別に目的あてもないが」と自分は答えた。
0308Ms.名無しさん
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2021/11/19(金) 07:20:08.230
「例の男はどうだい」と三沢が云った。
「岡田か」と自分は少し考え込んだ。
 三沢は急に笑い出した。
「何いざとなればどうかなるよ。君に算段して貰わなくっても。金はあるにはあるんだから」と云った。
0310Ms.名無しさん
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2021/11/19(金) 10:48:36.480
政府の成長戦略、構造改革の内訳

リモートワークの推進
新たなクリーン・エネルギーへの投資支援
国産の量子コンピュータ開発
5Gネットワーク、商店街、地域デジタル化
半導体、AI、量子、バイオ等
RPA・自動化ロボット導入支援
地熱発電、洋上風力、水素ステーション、EVステーション
0311Ms.名無しさん
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2021/11/19(金) 10:51:50.630
「茂木さんが自民党で、さる役職を務めていた時のことです。
当時、茂木さんはお昼ご飯の後は歯磨きをしていたのですが、
その際、磨いた後の“使用済み”歯ブラシをお付きの女性党職員にわざわざ渡していたのだそうです。
その歯ブラシを女性が受け取るかどうかで、忠誠心を見ているのだとか」

https://news.yahoo.co.jp/articles/355b3c746d9e6c97fb13f7e6500079ffbac72ffa
0313Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 09:31:30.540
        十八

 金の事はついそれなりになった。自分は岡田へ金を借りに行く時の思いを想像すると実際厭いやだった。病気に罹かかった友達のためだと考えても、少しも進む気はしなかった。その代りこの地を立つとも立たないとも決心し得ないでぐずぐずした。
 岡田からの電話はかかって来た時大おおいに自分の好奇心を動揺させたので、わざわざ彼に会って真相を聞き糺ただそうかと思ったけれども、一晩経たつとそれも面倒になって、ついそのままにしておいた。
0314Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 09:31:41.380
 自分は依然として病院の門を潜くぐったり出たりした。朝九時頃玄関にかかると、廊下も控所も外来の患者でいっぱいに埋うまっている事があった。そんな時には世間にもこれほど病人があり得るものかとわざと驚いたような顔をして、彼らの様子を一順いちじゅん見渡してから、梯子段はしごだんに足をかけた。自分が偶然あの女を見出だしたのは全くこの一瞬間にあった。あの女というのは三沢があの女あの女と呼ぶから自分もそう呼ぶのである。
 あの女はその時廊下の薄暗い腰掛の隅すみに丸くなって横顔だけを見せていた。その傍そばには洗髪あらいがみを櫛巻くしまきにした背の高い中年の女が立っていた。自分の一瞥いちべつはまずその女の後姿うしろすがたの上に落ちた。そうして何だかそこにぐずぐずしていた。するとその年増としまが向うへ動き出した。あの女はその年増の影から現われたのである。その時あの女は忍耐の像のように丸くなってじっとしていた。けれども血色にも表情にも苦悶くもんの迹あとはほとんど見えなかった。自分は最初その横顔を見た時、これが病人の顔だろうかと疑った。ただ胸が腹に着くほど背中を曲げているところに、恐ろしい何物かが潜ひそんでいるように思われて、それがはなはだ不快であった。自分は階段を上のぼりつつ、「あの女」の忍耐と、美しい容貌ようぼうの下に包んでいる病苦とを想像した。
0315Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 09:31:55.940
 三沢は看護婦から病院のAという助手の話を聞かされていた。このAさんは夜になって閑ひまになると、好く尺八しゃくはちを吹く若い男であった。独身ひとりもので病院に寝泊りをして、室へやは三沢と同じ三階の折れ曲った隅にあった。この間まで始終しじゅう上履スリッパーの音をぴしゃぴしゃ云わして歩いていたが、この二三日まるで顔を見せないので、三沢も自分も、どうかしたのかねぐらいは噂うわさし合っていたのである。
 看護婦はAさんが時々跛びっこを引いて便所へ行く様子がおかしいと云って笑った。それから病院の看護婦が時々ガーゼと金盥かなだらいを持ってAさんの部屋へ入って行くところを見たとも云った。三沢はそういう話に興味があるでもなく、また無いでもないような無愛嬌ぶあいきょうな顔をして、ただ「ふん」とか「うん」とか答えていた。
0316Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 09:32:06.320
 彼はまた自分にいつまで大阪にいるつもりかと聞いた。彼は旅行を断念してから、自分の顔を見るとよくこう云った。それが自分には遠慮がましくかつ催促がましく聞こえてかえって厭いやであった。
「僕の都合で帰ろうと思えばいつでも帰るさ」
「どうかそうしてくれ」
0317Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 09:32:15.020
 自分は立って窓から真下を見下した。「あの女」はいくら見ていても門の外へ出て来なかった。
「日の当る所へわざわざ出て何をしているんだ」と三沢が聞いた。
「見ているんだ」と自分は答えた。
「何を見ているんだ」と三沢が聞き返した。
0318Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 09:32:29.760
        十九

 自分はそれでも我慢して容易に窓側まどぎわを離れなかった。つい向うに見える物干に、松だの石榴ざくろだのの盆栽が五六鉢はち並んでいる傍そばで、島田に結いった若い女が、しきりに洗濯ものを竿さおの先に通していた。自分はちょっとその方を見てはまた下を向いた。けれども待ち設けている当人はいつまで経たっても出て来る気色けしきはなかった。自分はとうとう暑さに堪たえ切れないでまた三沢の寝床の傍へ来て坐すわった。彼は自分の顔を見て、「どうも強情な男だな、他ひとが親切に云ってやればやるほど、わざわざ日の当る所に顔を曝さらしているんだから。君の顔は真赤まっかだよ」と注意した。自分は平生から三沢こそ強情な男だと思っていた。それで「僕の窓から首を出していたのは、君のような無意味な強情とは違う。ちゃんと目的があってわざと首を出したんだ」と少しもったいをつけて説明した。その代り肝心かんじんの「あの女」の事をかえって云い悪にくくしてしまった。
 ほど経へて三沢はまた「先刻さっきは本当に何か見ていたのか」と笑いながら聞いた。自分はこの時もう気が変っていた。「あの女」を口にするのが愉快だった。どうせ強情な三沢の事だから、聞けばきっと馬鹿だとか下らないとか云って自分を冷罵するに違ないとは思ったが、それも気にはならなかった。そうしたら実は「あの女」について自分はある原因から特別の興味をもつようになったのだぐらい答えて、三沢を少し焦じらしてやろうという下心さえ手伝った。
0319Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/20(土) 09:32:38.670
 ところが三沢は自分の予期とはまるで反対の態度で、自分のいう一句一句をさも感心したらしく聞いていた。自分も乗気になって一二分で済むところを三倍ほどに語り続けた。一番しまいに自分の言葉が途切れた時、三沢は「それは無論素人しろうとなんじゃなかろうな」と聞いた。自分は「あの女」を詳くわしく説明したけれども、つい芸者という言葉を使わなかったのである。
「芸者ならことによると僕の知っている女かも知れない」
0320Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 09:32:50.630
 自分は驚かされた。しかしてっきり冗談じょうだんだろうと思った。けれども彼の眼はその反対を語っていた。そのくせ口元は笑っていた。彼は繰り返して「あの女」の眼つきだの鼻つきだのを自分に問うた。自分は梯子段はしごだんを上のぼる時、その横顔を見たぎりなので、そう詳しい事は答えられないほどであった。自分にはただ背中を折って重なり合っているような憐あわれな姿勢だけがありありと眼に映った。
「きっとあれだ。今に看護婦に名前を聞かしてやろう」
0321Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 09:33:00.220
 三沢はこう云って薄笑いをした。けれども自分を担かついでる様子はさらに見えなかった。自分は少し釣り込まれた気味で、彼と「あの女」との関係を聞こうとした。
「今に話すよ。あれだと云う事が確に分ったら」
 そこへ病院の看護婦が「回診です」と注意しに来たので、「あの女」の話はそれなり途切とぎれてしまった。自分は回診の混雑を避けるため、時間が来ると席を外はずして廊下へ出たり、貯水桶ちょすいおけのある高いところへ出たりしていたが、その日は手近にある帽を取って、梯子段を下まで降りた。「あの女」がまだどこかにいそうな気がするので、自分は玄関の入口に佇立たたずんで四方を見廻した。けれども廊下にも控室にも患者の影はなかった。
0322Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/20(土) 09:33:11.160
        二十

 その夕方の空が風を殺して静まり返った灯ひともし頃、自分はまた曲りくねった段々を急ぎ足に三沢の室へやまで上のぼった。彼は食後と見えて蒲団ふとんの上に胡坐あぐらをかいて大きくなっていた。
「もう便所へも一人で行くんだ。肴さかなも食っている」
0323Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/20(土) 09:33:20.530
これが彼のその時の自慢であった。
 窓は三みっつ共とも明け放ってあった。室が三階で前に目を遮さえぎるものがないから、空は近くに見えた。その中に燦きらめく星も遠慮なく光を増して来た。三沢は団扇うちわを使いながら、「蝙蝠こうもりが飛んでやしないか」と云った。看護婦の白い服が窓の傍そばまで動いて行って、その胴から上がちょっと窓枠まどわくの外へ出た。自分は蝙蝠こうもりよりも「あの女」の事が気にかかった。「おい、あの事は解ったか」と聞いて見た。
「やっぱりあの女だ」
0324Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/20(土) 09:33:30.630
 三沢はこう云いながら、ちょっと意味のある眼遣めづかいをして自分を見た。自分は「そうか」と答えた。その調子が余り高いという訳なんだろう、三沢は団扇でぱっと自分の顔を煽あおいだ。そうして急に持ち交かえた柄えの方を前へ出して、自分達のいる室の筋向うを指さした。
「あの室へ這入はいったんだ。君の帰った後あとで」
0325Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/20(土) 09:33:42.520
 三沢の室は廊下の突き当りで往来の方を向いていた。女の室は同じ廊下の角かどで、中庭の方から明りを取るようにできていた。暑いので両方共入り口は明けたまま、障子しょうじは取り払ってあったから、自分のいる所から、団扇の柄で指さし示された部屋の入口は、四半分ほど斜めに見えた。しかしそこには女の寝ている床とこの裾すそが、画えの模様のように三角に少し出ているだけであった。
 自分はその蒲団の端はじを見つめてしばらく何も云わなかった。
0326Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/20(土) 09:33:51.090
「潰瘍かいようの劇はげしいんだ。血を吐はくんだ」と三沢がまた小さな声で告げた。自分はこの時彼が無理をやると潰瘍になる危険があるから入院したと説明して聞かせた事を思い出した。潰瘍という言葉はその折自分の頭に何らの印象も与えなかったが、今度は妙に恐ろしい響を伝えた。潰瘍の陰に、死という怖いものが潜ひそんでいるかのように。
 しばらくすると、女の部屋で微かすかにげえげえという声がした。
0327Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/20(土) 09:34:05.360
「そら吐いている」と三沢が眉まゆをひそめた。やがて看護婦が戸口へ現れた。手に小さな金盥かなだらいを持ちながら、草履ぞうりを突っかけて、ちょっと我々の方を見たまま出て行った。
「癒なおりそうなのかな」
0328Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/20(土) 09:34:15.760
 自分の眼には、今朝けさ腮あごを胸に押しつけるようにして、じっと腰をかけていた美くしい若い女の顔がありありと見えた。
「どうだかね。ああ嘔はくようじゃ」と三沢は答えた。その表情を見ると気の毒というよりむしろ心配そうなある物に囚とらえられていた。
0329Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/20(土) 09:34:25.420
「君は本当にあの女を知っているのか」と自分は三沢に聞いた。
「本当に知っている」と三沢は真面目まじめに答えた。
0330Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/20(土) 09:34:35.020
「しかし君は大阪へ来たのが今度始めてじゃないか」と自分は三沢を責めた。
「今度来て今度知ったのだ」と三沢は弁解した。「この病院の名も実はあの女に聞いたのだ。僕はここへ這入はいる時から、あの女がことによるとやって来やしないかと心配していた。けれども今朝君の話を聞くまではよもやと思っていた。僕はあの女の病気に対しては責任があるんだから……」
0331Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 10:46:06.440
        二十一

 大阪へ着くとそのまま、友達といっしょに飲みに行ったどこかの茶屋で、三沢は「あの女」に会ったのである。
 三沢はその時すでに暑さのために胃に変調を感じていた。彼を強しいた五六人の友達は、久しぶりだからという口実のもとに、彼を酔わせる事を御馳走ごちそうのように振舞ふるまった。三沢も宿命に従う柔順な人として、いくらでも盃さかずきを重ねた。それでも胸の下の所には絶えず不安な自覚があった。ある時は変な顔をして苦しそうに生唾なまつばきを呑のみ込んだ。ちょうど彼の前に坐っていた「あの女」は、大阪言葉で彼に薬をやろうかと聞いた。彼はジェムか何かを五六粒手の平ひらへ載のせて口のなかへ投げ込んだ。すると入物を受取った女も同じように白い掌てのひらの上に小さな粒を並べて口へ入れた。
0332Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 10:46:16.430
 三沢は先刻さっきから女の倦怠だるそうな立居に気をつけていたので、御前もどこか悪いのかと聞いた。女は淋さびしそうな笑いを見せて、暑いせいか食慾がちっとも進まないので困っていると答えた。ことにこの一週間は御飯が厭いやで、ただ氷ばかり呑んでいる、それも今呑んだかと思うと、すぐまた食べたくなるんで、どうもしようがないと云った。
 三沢は女に、それはおおかた胃が悪いのだろうから、どこかへ行って専門の大家にでも見せたら好かろうと真面目な忠告をした。女も他ひとに聞くと胃病に違ないというから、好い医者に見せたいのだけれども家業が家業だからと後あとは云い渋っていた。彼はその時女から始めてここの病院と院長の名前を聞いた。
0333Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 10:46:25.770
「僕もそう云う所へちょっと入ってみようかな。どうも少し変だ」
 三沢は冗談じょうだんとも本気ともつかない調子でこんな事を云って、女から縁喜えんぎでもないように眉まゆを寄せられた。
0334Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 10:46:35.110
「それじゃまあたんと飲んでから後あとの事にしよう」と三沢は彼の前にある盃さかずきをぐっと干して、それを女の前に突き出した。女はおとなしく酌をした。
「君も飲むさ。飯は食えなくっても、酒なら飲めるだろう」
0335Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 10:46:46.900
 彼は女を前に引きつけてむやみに盃をやった。女も素直すなおにそれを受けた。しかししまいには堪忍かんにんしてくれと云い出した。それでもじっと坐ったまま席を立たなかった。
「酒を呑のんで胃病の虫を殺せば、飯なんかすぐ喰える。呑まなくっちゃ駄目だ」
 三沢は自暴やけに酔ったあげく、乱暴な言葉まで使って女に酒を強しいた。それでいて、己れの胃の中には、今にも爆発しそうな苦しい塊かたまりが、うねりを打っていた。
0336Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 11:15:58.430
 自分は三沢の話をここまで聞いて慄ぞっとした。何の必要があって、彼は己おのれの肉体をそう残酷に取扱ったのだろう。己れは自業自得としても、「あの女」の弱い身体からだをなんでそう無益むやくに苦めたものだろう。
「知らないんだ。向むこうは僕の身体を知らないし、僕はまたあの女の身体を知らないんだ。周囲まわりにいるものはまた我々二人の身体を知らないんだ。そればかりじゃない、僕もあの女も自分で自分の身体が分らなかったんだ。その上僕は自分の胃いの腑ふが忌々いまいましくってたまらなかった。それで酒の力で一つ圧倒してやろうと試みたのだ。あの女もことによると、そうかも知れない」
 三沢はこう云って暗然としていた。
0337Ms.名無しさん
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2021/11/20(土) 11:16:12.690
        二十二

「あの女」は室へやの前を通っても廊下からは顔の見えない位置に寝ていた。看護婦は入口の柱の傍そばへ寄って覗のぞき込むようにすれば見えると云って自分に教えてくれたけれども自分にはそれをあえてするほどの勇気がなかった。
 附添の看護婦は暑いせいか大概はその柱にもたれて外の方ばかり見ていた。それがまた看護婦としては特別器量きりょうが好いので、三沢は時々不平な顔をして人を馬鹿にしているなどと云った。彼の看護婦はまた別の意味からして、この美しい看護婦を好く云わなかった。病人の世話をそっちのけにするとか、不親切だとか、京都に男があって、その男から手紙が来たんで夢中なんだとか、いろいろの事を探って来ては三沢や自分に報告した。ある時は病人の便器を差し込んだなり、引き出すのを忘れてそのまま寝込んでしまった怠慢たいまんさえあったと告げた。
0338Ms.名無しさん
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2021/11/21(日) 06:23:50.810
 実際この美しい看護婦が器量の優すぐれている割合に義務を重んじなかった事は自分達の眼にもよく映った。
「ありゃ取り換えてやらなくっちゃ、あの女が可哀かわいそうだね」と三沢は時々苦にがい顔をした。それでもその看護婦が入口の柱にもたれて、うとうとしていると、彼はわが室へやの中うちからその横顔をじっと見つめている事があった。
「あの女」の病勢もこっちの看護婦の口からよく洩もれた。――牛乳でも肉汁ソップでも、どんな軽い液体でも狂った胃がけっして受けつけない。肝心かんじんの薬さえ厭いやがって飲まない。強いて飲ませると、すぐ戻してしまう。
「血は吐くかい」
0339Ms.名無しさん
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2021/11/21(日) 06:23:59.510
 三沢はいつでもこう云って看護婦に反問した。自分はその言葉を聞くたびに不愉快な刺戟しげきを受けた。
「あの女」の見舞客は絶えずあった。けれども外ほかの室へやのように賑にぎやかな話し声はまるで聞こえなかった。自分は三沢の室に寝ころんで、「あの女」の室を出たり入ったりする島田や銀杏返いちょうがえしの影をいくつとなく見た。中には眼の覚さめるように派出はでな模様の着物を着ているものもあったが、大抵は素人しろうとに近い地味じみな服装なりで、こっそり来てこっそり出て行くのが多かった。入口であら姐ねえはんという感投詞かんとうしを用いたものもあったが、それはただの一遍に過ぎなかった。それも廊下の端はじに洋傘こうもりを置いて室の中へ入るや否や急に消えたように静かになった。
「君はあの女を見舞ってやったのか」と自分は三沢に聞いた。
「いいや」と彼は答えた。「しかし見舞ってやる以上の心配をしてやっている」
「じゃ向うでもまだ知らないんだね。君のここにいる事は」
0340Ms.名無しさん
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2021/11/21(日) 06:24:09.010
「知らないはずだ、看護婦でも云わない以上は。あの女の入院するとき僕はあの女の顔を見てはっと思ったが、向うでは僕の方を見なかったから、多分知るまい」
 三沢は病院の二階に「あの女」の馴染客なじみきゃくがあって、それが「お前胃のため、わしゃ腸のため、共に苦しむ酒のため」という都々逸どどいつを紙片かみぎれへ書いて、あの女の所へ届けた上、出院のとき袴はかま羽織はおりでわざわざ見舞に来た話をして、何という馬鹿だという顔つきをした。
「静かにして、刺戟しげきのないようにしてやらなくっちゃいけない。室でもそっと入って、そっと出てやるのが当り前だ」と彼は云った。
「ずいぶん静じゃないか」と自分は云った。
「病人が口を利きくのを厭いやがるからさ。悪い証拠しょうこだ」と彼がまた云った。
0341Ms.名無しさん
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2021/11/21(日) 06:24:19.030
        二十三

 三沢は「あの女」の事を自分の予想以上に詳くわしく知っていた。そうして自分が病院に行くたびに、その話を第一の問題として持ち出した。彼は自分のいない間まに得た「あの女」の内状を、あたかも彼と関係ある婦人の内所話ないしょばなしでも打ち明けるごとくに語った。そうしてそれらの知識を自分に与えるのを誇りとするように見えた。
 彼の語るところによると「あの女」はある芸者屋の娘分として大事に取扱かわれる売子うれっこであった。虚弱な当人はまたそれを唯一の満足と心得て商売に勉強していた。ちっとやそっと身体からだが悪くてもけっして休むような横着はしなかった。時たま堪たえられないで床に就つく場合でも、早く御座敷に出たい出たいというのを口癖にしていた。……
0342Ms.名無しさん
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2021/11/21(日) 06:24:31.130
「今あの女の室へやに来ているのは、その芸者屋に古くからいる下女さ。名前は下女だけれど、古くからいるんで、自然権力があるから、下女らしくしちゃいない。まるで叔母さんか何ぞのようだ。あの女も下女のいう事だけは素直によく聞くので、厭いやがる薬を呑ませたり、わがままを云い募つのらせないためには必要な人間なんだ」
 三沢はすべてこういう内幕うちまくの出所でどころをみんな彼の看護婦に帰して、ことごとく彼女から聞いたように説明した。けれども自分は少しそこに疑わしい点を認めないでもなかった。自分は三沢が便所へ行った留守に、看護婦を捕つらまえて、「三沢はああ云ってるが、僕のいないとき、あの女の室へ行って話でもするんじゃないか」と聞いて見た。看護婦は真面目まじめな顔をして「そんな事ありゃしまへん」というような言葉で、一口に自分の疑いを否定した。彼女はそれからそういうお客が見舞に行ったところで、身上話などができるはずがないと弁解した。そうして「あの女」の病気がだんだん険悪の一方へ落ち込んで行く心細い例を話して聞かせた。
0343Ms.名無しさん
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2021/11/21(日) 06:24:41.700
「あの女」は嘔気はきけが止まないので、上から営養の取りようがなくなって、昨日きのうとうとう滋養浣腸じようかんちょうを試みた。しかしその結果は思わしくなかった。少量の牛乳と鶏卵たまごを混和した単純な液体ですら、衰弱を極きわめたあの女の腸には荷が重過ぎると見えて予期通り吸収されなかった。
 看護婦はこれだけ語って、このくらい重い病人の室へ入って、誰が悠々ゆうゆうと身上話などを聞いていられるものかという顔をした。自分も彼女の云うところが本当だと思った。それで三沢の事は忘れて、ただ綺羅きらを着飾った流行の芸者と、恐ろしい病気に罹かかった憐あわれな若い女とを、黙って心のうちに対照した。
0344Ms.名無しさん
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2021/11/21(日) 06:24:50.730
「あの女」は器量と芸を売る御蔭おかげで、何とかいう芸者屋の娘分になって家うちのものから大事がられていた。それを売る事ができなくなった今でも、やはり今まで通り宅うちのものから大事がられるだろうか。もし彼らの待遇が、あの女の病気と共にだんだん軽薄に変って行くなら、毒悪どくあくな病と苦戦するあの女の心はどのくらい心細いだろう。どうせ芸妓屋げいしゃやの娘分になるくらいだから、生みの親は身分のあるものでないにきまっている。経済上の余裕がなければ、どう心配したって役には立つまい。
 自分はこんな事も考えた。便所から帰った三沢に「あの女の本当の親はあるのか知ってるか」と尋ねて見た。
0345Ms.名無しさん
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2021/11/21(日) 06:24:59.080
        二十四

「あの女」の本当の母というのを、三沢はたった一遍見た事があると語った。
「それもほんの後姿うしろすがただけさ」と彼はわざわざ断ことわった。
0346Ms.名無しさん
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2021/11/21(日) 06:25:08.530
 その母というのは自分の想像通どおり、あまり楽らくな身分の人ではなかったらしい。やっとの思いでさっぱりした身装みなりをして出て来るように見えた。たまに来てもさも気兼きがねらしくこそこそと来ていつの間まにか、また梯子段はしごだんを下りて人に気のつかないように帰って行くのだそうである。
「いくら親でも、ああなると遠慮ができるんだね」と三沢は云っていた。
0347Ms.名無しさん
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2021/11/21(日) 06:25:16.650
「あの女」の見舞客はみんな女であった。しかも若い女が多数を占しめていた。それがまた普通の令嬢や細君と違って、色香いろかを命とする綺麗きれいな人ばかりなので、その中に交まじるこの母は、ただでさえ燻くすぶり過ぎて地味じみなのである。自分は年を取った貧しそうなこの母の後姿を想像に描えがいて暗に憐あわれを催した。
「親子の情合からいうと、娘があんな大病に罹かかったら、母たるものは朝晩ともさぞ傍そばについていてやりたい気がするだろうね。他人の下女が幅を利きかしていて、実際の親が他人扱いにされるのは、見ていてもあまり好い心持じゃない」
0348Ms.名無しさん
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2021/11/21(日) 06:25:25.360
「いくら親でも仕方がないんだよ。だいち傍にいてやるほどの時間もなし、時間があっても入費がないんだから」
 自分は情ない気がした。ああ云う浮いた家業をする女の平生は羨うらやましいほど派出はででも、いざ病気となると、普通の人よりも悲酸ひさんの程度が一層甚はなはだしいのではないかと考えた。
0349Ms.名無しさん
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2021/11/21(日) 06:25:37.090
「旦那だんなが付いていそうなものだがな」
 三沢の頭もこの点だけは注意が足りなかったと見えて、自分がこう不審を打ったとき、彼は何の答もなく黙っていた。あの女に関していっさいの新智識を供給する看護婦もそこへ行くと何の役にも立たなかった。
0350Ms.名無しさん
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2021/11/21(日) 06:25:47.780
「あの女」のか弱い身体からだは、その頃の暑さでもどうかこうか持ち応こたえていた。三沢と自分はそれをほとんど奇蹟きせきのごとくに語り合った。そのくせ両人ふたりとも露骨を憚はばかって、ついぞ柱の影から室へやの中を覗のぞいて見た事がないので、現在の「あの女」がどのくらい窶やつれているかは空むなしい想像画に過ぎなかった。滋養浣腸じようかんちょうさえ思わしく行かなかったという報知が、自分ら二人の耳に届いた時ですら、三沢の眼には美しく着飾った芸者の姿よりほかに映るものはなかった。自分の頭にも、ただ血色の悪くない入院前の「あの女」の顔が描えがかれるだけであった。それで二人共あの女はもうむずかしいだろうと話し合っていた。そうして実際は双方共死ぬとは思わなかったのである。
 同時にいろいろな患者が病院を出たり入ったりした。ある晩「あの女」と同じくらいな年輩の二階にいる婦人が担架たんかで下へ運ばれて行った。聞いて見ると、今日きょう明日あすにも変がありそうな危険なところを、付添の母が田舎いなかへ連れて帰るのであった。その母は三沢の看護婦に、氷ばかりも二十何円とかつかったと云って、どうしても退院するよりほかに途みちがないとわが窮状を仄ほのめかしたそうである。
 自分は三階の窓から、田舎へ帰る釣台を見下みおろした。釣台は暗くて見えなかったが、用意の提灯ちょうちんの灯ひはやがて動き出した。窓が高いのと往来が狭いので、灯は谷の底をひそかに動いて行くように見えた。それが向うの暗い四つ角を曲ってふっと消えた時、三沢は自分を顧かえりみて「帰り着くまで持てば好いがな」と云った。
0351Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 06:20:57.640
        二十五

 こんな悲酸ひさんな退院を余儀なくされる患者があるかと思うと、毎日子供を負ぶって、廊下だの物見台だの他人ひとの室へやだのを、ぶらぶら廻って歩く呑気のんきな男もあった。
「まるで病院を娯楽場のように思ってるんだね」
「第一だいちどっちが病人なんだろう」
0352Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 06:21:06.130
 自分達はおかしくもありまた不思議でもあった。看護婦に聞くと、負ぶっているのは叔父で、負ぶさっているのは甥おいであった。この甥が入院当時骨と皮ばかりに瘠やせていたのを叔父の丹精たんせい一つでこのくらい肥ふとったのだそうである。叔父の商売はめりやす屋だとか云った。いずれにしても金に困らない人なのだろう。
 三沢の一軒おいて隣にはまた変な患者がいた。手提鞄てさげかばんなどを提さげて、普通の人間の如く平気で出歩いた。時には病院を空あける事さえあった。帰って来ると素すっ裸体ぱだかになって、病院の飯を旨うまそうに食った。そうして昨日きのうはちょっと神戸まで行って来ましたなどと澄ましていた。
0353Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 06:21:21.310
 岐阜からわざわざ本願寺参りに京都まで出て来たついでに、夫婦共この病院に這入はいったなり動かないのもいた。その夫婦ものの室の床とこには後光ごこうの射した阿弥陀様あみださまの軸がかけてあった。二人差向いで気楽そうに碁ごを打っている事もあった。それでも細君に聞くと、この春餅もちを食った時、血を猪口ちょくに一杯半ほど吐いたから伴つれて来たのだともったいらしく云って聞かせた。
「あの女」の看護婦は依然として入口の柱に靠もたれて、わが膝ひざを両手で抱いている事が多かった。こっちの看護婦はそれをまた器量を鼻へかけて、わざわざあんな人の眼に着く所へ出るのだと評していた。自分は「まさか」と云って弁護する事もあった。けれども「あの女」とその美しい看護婦との関係は、冷淡さ加減の程度において、当初もその時もあまり変りがないように見えた。自分は器量好しが二人寄って、我知らず互に嫉にくみ合うのだろうと説明した。三沢は、そうじゃない、大阪の看護婦は気位が高いから、芸者などを眼下がんかに見て、始めから相手にならないんだ、それが冷淡の原因に違ないと主張した。こう主張しながらも彼は別にこの看護婦を悪にくむ様子はなかった。自分もこの女に対してさほど厭な感じはもっていなかった。醜い三沢の付添いは「本間ほんまに器量の好えいものは徳やな」と云った風の、自分達には変に響く言葉を使って、二人を笑わせた。
0354Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 06:21:32.110
 こんな周囲に取り囲まれた三沢は、身体の回復するに従って、「あの女」に対する興味を日に増し加えて行くように見えた。自分がやむをえず興味という妙な熟字をここに用いるのは、彼の態度が恋愛でもなければ、また全くの親切でもなく、興味の二字で現すよりほかに、適切な文字がちょっと見当らないからである。
 始めて「あの女」を控室で見たときは、自分の興味も三沢に譲らないくらい鋭かった。けれども彼から「あの女」の話を聞かされるや否や、主客しゅかくの別はすでについてしまった。それからと云うもの、「あの女」の噂うわさが出るたびに、彼はいつでも先輩の態度を取って自分に向った。自分も一時は彼に釣り込まれて、当初の興味がだんだん研とぎ澄すまされて行くような気分になった。けれども客の位置に据すえられた自分はそれほど長く興味の高潮こうちょうを保ち得なかった。
0355Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 06:21:43.570
        二十六

 自分の興味が強くなった頃、彼の興味は自分より一層強くなった。自分の興味がやや衰えかけると、彼の興味はますます強くなって来た。彼は元来がぶっきらぼうの男だけれども、胸の奥には人一倍優やさしい感情をもっていた。そうして何か事があると急に熱する癖があった。
 自分はすでに院内をぶらぶらするほどに回復した彼が、なぜ「あの女」の室へやへ入り込まないかを不審に思った。彼はけっして自分のような羞恥家はにかみやではなかった。同情の言葉をかけに、一遍会った「あの女」の病室へ見舞に行くぐらいの事は、彼の性質から見て何でもなかった。自分は「そんなにあの女が気になるなら、直じかに行って、会って慰めてやれば好いじゃないか」とまで云った。彼は「うん、実は行きたいのだが……」と渋しぶっていた。実際これは彼の平生にも似合わない挨拶あいさつであった。そうしてその意味は解らなかった。解らなかったけれども、本当は彼の行かない方が、自分の希望であった。
0356Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 06:21:54.780
 ある時自分は「あの女」の看護婦から――自分とこの美しい看護婦とはいつの間にか口を利きくようになっていた。もっともそれは彼女が例の柱に倚よりかかって、その前を通る自分の顔を見上げるときに、時候の挨拶を取換とりかわすぐらいな程度に過ぎなかったけれども、――とにかくこの美しい看護婦から自分は運勢早見うんせいはやみなんとかいう、玩具おもちゃの占うらないの本みたようなものを借りて、三沢の室でそれをやって遊んだ。
 これは赤と黒と両面に塗り分けた碁石ごいしのような丸く平たいものをいくつか持って、それを眼を眠ねむったまま畳の上へ並べて置いて、赤がいくつ黒がいくつと後から勘定かんじょうするのである。それからその数字を一つは横へ、一つは竪たてに繰って、両方が一点に会かいしたところを本で引いて見ると、辻占つじうらのような文句が出る事になっていた。
 自分が眼を閉じて、石を一つ一つ畳の上に置いたとき、看護婦は赤がいくつ黒がいくつと云いながら占うらないの文句を繰ってくれた。すると、「この恋もし成就じょうじゅする時は、大いに恥を掻かく事あるべし」とあったので、彼女は読みながら吹き出した。三沢も笑った。
0357Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/22(月) 06:22:04.610
「おい気をつけなくっちゃいけないぜ」と云った。三沢はその前から「あの女」の看護婦に自分が御辞儀おじぎをするところが変だと云って、始終しじゅう自分に調戯からかっていたのである。
「君こそ少し気をつけるが好い」と自分は三沢に竹箆返しっぺいがえしを喰わしてやった。すると三沢は真面目まじめな顔をして「なぜ」と反問して来た。この場合この強情な男にこれ以上いうと、事が面倒になるから自分は黙っていた。
0358Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/22(月) 06:22:15.230
 実際自分は三沢が「あの女」の室へやへ出入でいりする気色けしきのないのを不審に思っていたが一方ではまた彼の熱しやすい性質を考えて、今まではとにかく、これから先彼がいつどう変返へんがえるかも知れないと心配した。彼はすでに下の洗面所まで行って、朝ごとに顔を洗うぐらいの気力を回復していた。
「どうだもう好い加減に退院したら」
 自分はこう勧めて見た。そうして万一金銭上の関係で退院を躊躇ちゅうちょするようすが見えたら、彼が自宅から取り寄せる手間てまと時間を省はぶくため、自分が思い切って一つ岡田に相談して見ようとまで思った。三沢は自分の云う事には何の返事も与えなかった。かえって反対に「いったい君はいつ大阪を立つつもりだ」と聞いた。
0359Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/22(月) 06:22:25.970
        二十七

 自分は二日前に天下茶屋てんがちゃやのお兼さんから不意の訪問を受けた。その結果としてこの間岡田が電話口で自分に話しかけた言葉の意味をようやく知った。だから自分はこの時すでに一週間内に自分を驚かして見せるといった彼の予言のために縛しばられていた。三沢の病気、美しい看護婦の顔、声も姿も見えない若い芸者と、その人の一時折合っている蒲団ふとんの上の狭い生活、――自分は単にそれらばかりで大阪にぐずついているのではなかった。詩人の好きな言語を借りて云えば、ある予言の実現を期待しつつ暑い宿屋に泊っていたのである。
「僕にはそういう事情があるんだから、もう少しここに待っていなければならないのだ」と自分はおとなしく三沢に答えた。すると三沢は多少残念そうな顔をした。
0360Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/22(月) 06:22:37.330
「じゃいっしょに海辺かいへんへ行って静養する訳にも行かないな」
 三沢は変な男であった。こっちが大事がってやる間は、向うでいつでも跳はね返すし、こっちが退のこうとすると、急にまた他ひとの袂たもとを捕つらまえて放さないし、と云った風に気分の出入でいりが著いちじるしく眼に立った。彼と自分との交際は従来いつでもこういう消長を繰返しつつ今日こんにちに至ったのである。
0361Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/22(月) 06:22:48.140
「海岸へいっしょに行くつもりででもあったのか」と自分は念を押して見た。
「無いでもなかった」と彼は遠くの海岸を眼の中に思い浮かべるような風をして答えた。この時の彼の眼には、実際「あの女」も「あの女」の看護婦もなく、ただ自分という友達があるだけのように見えた。
 自分はその日快よく三沢に別れて宿へ帰った。しかし帰り路に、その快よく別れる前の不愉快さも考えた。自分は彼に病院を出ろと勧めた、彼は自分にいつまで大阪にいるのだと尋ねた。上部うわべにあらわれた言葉のやりとりはただこれだけに過ぎなかった。しかし三沢も自分もそこに変な苦にがい意味を味わった。
0362Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 06:22:59.370
 自分の「あの女」に対する興味は衰えたけれども自分はどうしても三沢と「あの女」とをそう懇意にしたくなかった。三沢もまた、あの美しい看護婦をどうする了簡りょうけんもない癖に、自分だけがだんだん彼女かのじょに近づいて行くのを見て、平気でいる訳には行かなかった。そこに自分達の心づかない暗闘があった。そこに持って生れた人間のわがままと嫉妬しっとがあった。そこに調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味があった。要するにそこには性せいの争いがあったのである。そうして両方共それを露骨に云う事ができなかったのである。
 自分は歩きながら自分の卑怯ひきょうを恥じた。同時に三沢の卑怯を悪にくんだ。けれどもあさましい人間である以上、これから先何年交際まじわりを重ねても、この卑怯を抜く事はとうていできないんだという自覚があった。自分はその時非常に心細くなった。かつ悲しくなった。
 自分はその明日あした病院へ行って三沢の顔を見るや否や、「もう退院は勧めない」と断った。自分は手を突いて彼の前に自分の罪を詫わびる心持でこう云ったのである。すると三沢は「いや僕もそうぐずぐずしてはいられない。君の忠告に従っていよいよ出る事にした」と答えた。彼は今朝院長から退院の許可を得た旨むねを話して、「あまり動くと悪いそうだから寝台で東京まで直行する事にした」と告げた。自分はその突然なのに驚いた。
0363Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/22(月) 06:23:09.130
        二十八

「どうしてまたそう急に退院する気になったのか」
 自分はこう聞いて見ないではいられなかった。三沢は自分の問に答える前にじっと自分の顔を見た。自分はわが顔を通して、わが心を読まれるような気がした。
「別段これという訳もないが、もう出る方が好かろうと思って……」
0364Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/22(月) 06:23:18.000
 三沢はこれぎり何にも云わなかった。自分も黙っているよりほかに仕方がなかった。二人はいつもより沈んで相対していた。看護婦はすでに帰った後あとなので、室へやの中はことに淋さみしかった。今まで蒲団ふとんの上に胡坐あぐらをかいていた彼は急に倒れるように仰向あおむきに寝た。そうして上眼うわめを使って窓の外を見た。外にはいつものように色の強い青空が、ぎらぎらする太陽の熱を一面に漲みなぎらしていた。
「おい君」と彼はやがて云った。「よく君の話す例の男ね。あの男は金を持っていないかね」
 自分は固もとより岡田の経済事情を知ろうはずがなかった。あの始末屋しまつやの御兼さんの事を考えると、金という言葉を口から出すのも厭いやだった。けれどもいざ三沢の出院となれば、そのくらいな手数てかずは厭いとうまいと、昨日きのうすでに覚悟をきめたところであった。
「節倹家だから少しは持ってるだろう」
0365Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/22(月) 06:23:26.710
「少しで好いから借りて来てくれ」
 自分は彼が退院するについて会計へ払う入院料に困るのだと思った。それでどのくらい不足なのかを確めた。ところが事実は案外であった。
「ここの払と東京へ帰る旅費ぐらいはどうかこうか持っているんだ。それだけなら何も君を煩わずらわす必要はない」
 彼は大した物持ものもちの家に生れた果報者でもなかったけれども、自分が一人息子だけに、こういう点にかけると、自分達よりよほど自由が利きいた。その上母や親類のものから京都で買物を頼まれたのを、新しい道伴みちづれができたためつい大阪まで乗り越して、いまだに手を着けない金が余っていたのである。
「じゃただ用心のために持って行こうと云うんだね」
0366Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 06:23:36.520
「いや」と彼は急に云った。
「じゃどうするんだ」と自分は問いつめた。
「どうしても僕の勝手だ。ただ借りてくれさえすれば好いんだ」
 自分はまた腹が立った。彼は自分をまるで他人扱いにしているのである。自分は憤むっとして黙っていた。
0367Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 06:23:47.290
「怒っちゃいけない」と彼が云った。「隠すんじゃない、君に関係のない事を、わざと吹聴ふいちょうするように見えるのが厭だから、知らせずにおこうと思っただけだから」
 自分はまだ黙っていた。彼は寝ながら自分の顔を見上げていた。
「そんなら話すがね」と彼が云い出した。
「僕はまだあの女を見舞ってやらない。向むこうでもそんな事は待ち受けてやしないだろうし、僕も必ず見舞に行かなければならないほどの義理はない。が、僕は何だかあの女の病気を危険にした本人だという自覚がどうしても退のかない。それでどっちが先へ退院するにしても、その間際まぎわに一度会っておきたいと始終しじゅう思っていた。見舞じゃない、詫あやまるためにだよ。気の毒な事をしたと一口詫まればそれで好いんだ。けれどもただ詫まる訳にも行かないから、それで君に頼んで見たのだ。しかし君の方の都合が悪ければ強いてそうして貰わないでもどうかなるだろう。宅うちへ電報でもかけたら」
0373Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 09:28:29.710
アベノミクスの成果はすばらしい 目標は達成しませんでしたが成功です
次は経済を強くしなければなりません
つまり、強い経済によって経済を強くするということです
そのためには、まず経済を強くすることです
アベノミクスの次は、経済を強くしたい
私はこのように、強い経済によって経済を強くしたいと考えます
0376Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 16:31:26.620
        二十九

 自分は行ゆきがかり上じょう一応岡田に当って見る必要があった。宅うちへ電報を打つという三沢をちょっと待たして、ふらりと病院の門を出た。岡田の勤めている会社は、三沢の室へやとは反対の方向にあるので、彼の窓から眺ながめる訳には行かないけれども、道程みちのりからいうといくらもなかった。それでも暑いので歩いて行くうちに汗が背中を濡ぬらすほど出た。
 彼は自分の顔を見るや否や、さも久しぶりに会った人らしく「やっしばらく」と叫ぶように云った。そうしてこれまでたびたび電話で繰り返した挨拶あいさつをまた新しくまのあたり述べた。
0377Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 16:31:36.890
 自分と岡田とは今でこそ少し改まった言葉使もするが、昔を云えば、何の遠慮もない間柄であった。その頃は金も少しは彼のために融通してやった覚おぼえがある。自分は勇気を鼓舞こぶするために、わざとその当時の記憶を呼起してかかった。何にも知らない彼は、立ちながら元気な声を出して、「どうです二郎さん、僕の予言は」と云った。「どうかこうか一週間うちにあなたを驚かす事ができそうじゃありませんか」
 自分は思い切って、まず肝心かんじんの用事を話した。彼は案外な顔をして聞いていたが、聞いてしまうとすぐ、「ようがす、そのくらいならどうでもします」と容易に引き受けてくれた。
0378Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 16:31:46.180
 彼は固もとよりその隠袋ポッケットの中うちに入用いりようの金を持っていなかった。「明日あしたでも好いんでしょう」と聞いた。自分はまた思い切って、「できるなら今日中きょうじゅうに欲しいんだ」と強いた。彼はちょっと当惑したように見えた。
「じゃ仕方がない迷惑でしょうけれども、手紙を書きますから、宅うちへ持って行ってお兼に渡して下さいませんか」
0379Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 16:31:54.290
 自分はこの事件についてお兼さんと直接の交渉はなるべく避けたかったけれども、この場合やむをえなかったので、岡田の手紙を懐ふところへ入れて、天下茶屋へ行った。お兼さんは自分の声を聞くや否や上り口まで馳かけ出して来て、「この御暑いのによくまあ」と驚いてくれた。そうして、「さあどうぞ」を二三返繰返したが、自分は立ったまま「少し急ぎますから」と断って、岡田の手紙を渡した。お兼さんは上り口に両膝りょうひざを突いたなり封を切った。
「どうもわざわざ恐れ入りましたね。それではすぐ御伴をして参りますから」とすぐ奥へ入った。奥では用箪笥ようだんすの環かんの鳴る音がした。
0380Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 16:32:03.870
 自分はお兼さんと電車の終点までいっしょに乗って来てそこで別れた。「では後のちほど」と云いながらお兼さんは洋傘こうもりを開いた。自分はまた俥くるまを急がして病院へ帰った。顔を洗ったり、身体からだを拭いたり、しばらく三沢と話しているうちに、自分は待ち設けた通りお兼さんから病院の玄関まで呼び出された。お兼さんは帯の間にある銀行の帳面を抜いて、そこに挟はさんであった札さつを自分の手の上に乗せた。
「ではどうぞちょっと御改ためなすって」
0381Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 16:32:12.680
 自分は形式的にそれを勘定した上、「確たしかに。――どうもとんだ御手数おてかずをかけました。御暑いところを」と礼を述べた。実際急いだと見えてお兼さんは富士額の両脇を、細かい汗の玉でじっとりと濡ぬらしていた。
「どうです、ちっと上って涼んでいらしったら」
0382Ms.名無しさん
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2021/11/22(月) 16:32:21.150
「いいえ今日こんにちは急ぎますから、これで御免ごめんを蒙こうむります。御病人へどうぞよろしく。――でも結構でございましたね、早く御退院になれて。一時は宅でも大層心配致しまして、よく電話で御様子を伺ったとか申しておりましたが」
 お兼さんはこんな愛想あいそを云いながら、また例のクリーム色の洋傘こうもりを開いて帰って行った。
0383Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 06:17:44.880
        三十

 自分は少し急せき込んでいた。紙幣しへいを握ったまま段々を馳かけ上るように三階まで来た。三沢は平生よりは落ちついていなかった。今火を点つけたばかりの巻煙草まきたばこをいきなり灰吹はいふきの中に放り込んで、ありがとうともいわずに、自分の手から金を受取った。自分は渡した金の高を注意して、「好いか」と聞いた。それでも彼はただうんと云っただけである。
 彼はじっと「あの女」の室へやの方を見つめた。時間の具合で、見舞に来たものの草履ぞうりは一足も廊下の端はじに脱ぎ棄すててなかった。平生から静過ぎる室の中は、ことに寂寞としていた。例の美くしい看護婦は相変らず角の柱に倚よりかかって、産婆学の本か何か読んでいた。
0384Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 06:17:53.700
「あの女は寝ているのかしら」
 彼は「あの女」の室へやへ入るべき好機会を見出しながら、かえってその眠を妨さまたげるのを恐れるように見えた。
0385Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 06:18:03.520
「寝ているかも知れない」と自分も思った。
 しばらくして三沢は小さな声で「あの看護婦に都合を聞いて貰おうか」と云い出した。彼はまだこの看護婦に口を利きいた事がないというので、自分がその役を引受けなければならなかった。
0386Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 06:18:12.570
 看護婦は驚いたようなまたおかしいような顔をして自分を見た。けれどもすぐ自分の真面目な態度を認めて、室の中へ入って行った。かと思うと、二分と経たたないうちに笑いながらまた出て来た。そうして今ちょうど気分の好いところだからお目にかかれるという患者の承諾をもたらした。三沢は黙って立ち上った。
 彼は自分の顔も見ず、また看護婦の顔も見ず、黙って立ったなり、すっと「あの女」の室の中へ姿を隠した。自分は元の座に坐すわって、ぼんやりその後影うしろかげを見送った。彼の姿が見えなくなってもやはり空くうに同じ所を見つめていた。冷淡なのは看護婦であった。ちょっと侮蔑あなどりの微笑びしょうを唇くちびるの上に漂ただよわせて自分を見たが、それなり元の通り柱に背を倚よせて、黙って読みかけた書物をまた膝ひざの上にひろげ始めた。
0387Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 06:18:21.530
 室の中は三沢の入った後も彼の入らない前も同じように静しずかであった。話し声などは無論聞こえなかった。看護婦は時々不意に眼を上げて室の奥の方を見た。けれども自分には何の相図あいずもせずに、すぐその眼を頁ページの上に落した。
 自分はこの三階の宵よいの間まに虫の音らしい涼しさを聴きいた例ためしはあるが、昼のうちにやかましい蝉せみの声はついぞ自分の耳に届いた事がない。自分のたった一人で坐っている病室はその時明かな太陽の光を受けながら、真夜中よりもなお静かであった。自分はこの死んだような静かさのために、かえって神経を焦いらつかせて、「あの女」の室から三沢の出るのを待ちかねた。
0388Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 06:18:31.230
 やがて三沢はのっそりと出て来た。室の敷居を跨またぐ時、微笑しながら「御邪魔さま。大勉強だね」と看護婦に挨拶あいさつする言葉だけが自分の耳に入った。
 彼は上草履うわぞうりの音をわざとらしく高く鳴らして、自分の室に入るや否や、「やっと済んだ」と云った。自分は「どうだった」と聞いた。
0389Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 06:18:40.300
「やっと済んだ。これでもう出ても好い」
 三沢は同じ言葉を繰返すだけで、その他には何にも云わなかった。自分もそれ以上は聞き得なかった。ともかくも退院の手続を早くする方が便利だと思って、そこらに散らばっているものを片づけ始めた。三沢も固もとよりじっとしてはいなかった。
0390Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 06:18:50.080
        三十一

 二人は俥くるまを雇やとって病院を出た。先へ梶棒かじぼうを上げた三沢の車夫が余り威勢よく馳かけるので、自分は大きな声でそれを留めようとした。三沢は後うしろを振り向いて、手を振った。「大丈夫、大丈夫」と云うらしく聞こえたから、自分もそれなりにして注意はしなかった。宿へ着いたとき、彼は川縁かわべりの欄干らんかんに両手を置いて、眼の下の広い流をじっと眺ながめていた。
「どうした。心持でも悪いか」と自分は後から聞いた。彼は後を向かなかった。けれども「いいや」と答えた。「ここへ来てこの河を見るまでこの室へやの事をまるで忘れていた」
0391Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 06:18:58.850
 そういって、彼は依然として流れに向っていた。自分は彼をそのままにして、麻の座蒲団ざぶとんの上に胡坐あぐらをかいた。それでも待遠しいので、やがて袂たもとから敷島しきしまの袋を出して、煙草を吸い始めた。その煙草が三分の一煙けむになった頃、三沢はようやく手摺てすりを離れて自分の前へ来て坐すわった。
「病院で暮らしたのも、つい昨日今日のようだが、考えて見ると、もうだいぶんになるんだね」と云って指を折りながら、日数ひかずを勘定かんじょうし出した。
0392Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 06:19:08.230
「三階の光景が当分眼を離れないだろう」と自分は彼の顔を見た。
「思いも寄らない経験をした。これも何かの因縁いんねんだろう」と三沢も自分の顔を見た。
0393Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 06:19:16.390
 彼は手を叩たたいて、下女を呼んで今夜の急行列車の寝台しんだいを注文した。それから時計を出して、食事を済ました後あと、時間にどのくらい余裕があるかを見た。窮屈に馴なれない二人はやがて転ごろりと横になった。
「あの女は癒なおりそうなのか」
0394Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 06:19:26.390
「そうさな。事によると癒るかも知れないが……」
 下女が誂あつらえた水菓子を鉢はちに盛って、梯子段はしごだんを上って来たので、「あの女」の話はこれで切れてしまった。自分は寝転ねころんだまま、水菓子を食った。その間彼はただ自分の口の辺あたりを見るばかりで、何事も云わなかった。しまいにさも病人らしい調子で、「おれも食いたいな」と一言ひとこと云った。先刻さっきから浮かない様子を見ていた自分は、「構うものか、食うが好い。食え食え」と勧めた。三沢は幸いにして自分が氷菓子アイスクリームを食わせまいとしたあの日の出来事を忘れていた。彼はただ苦笑いをして横を向いた。
0395Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 06:19:37.980
「いくら好すきだって、悪いと知りながら、無理に食わせられて、あの女のようになっちゃ大変だからな」
 彼は先刻から「あの女」の事を考えているらしかった。彼は今でも「あの女」の事を考えているとしか思われなかった。
0396Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 06:19:48.050
「あの女は君を覚えていたかい」
「覚えているさ。この間会って、僕から無理に酒を呑まされたばかりだもの」
0397Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/23(火) 06:19:58.130
「恨うらんでいたろう」
 今まで横を向いてそっぽへ口を利きいていた三沢は、この時急に顔を向け直してきっと正面から自分を見た。その変化に気のついた自分はすぐ真面目な顔をした。けれども彼があの女の室に入った時、二人の間にどんな談話が交換されたかについて、彼はついに何事をも語らなかった。
「あの女はことによると死ぬかも知れない。死ねばもう会う機会はない。万一まんいち癒なおるとしても、やっぱり会う機会はなかろう。妙なものだね。人間の離合というと大袈裟おおげさだが。それに僕から見れば実際離合の感があるんだからな。あの女は今夜僕の東京へ帰る事を知って、笑いながら御機嫌ごきげんようと云った。僕はその淋さびしい笑を、今夜何だか汽車の中で夢に見そうだ」
0398Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 10:50:06.690
        三十二

 三沢はただこう云った。そうして夢に見ない先からすでに「あの女」の淋しい笑い顔を眼の前に浮べているように見えた。三沢に感傷的のところがあるのは自分もよく承知していたが、単にあれだけの関係で、これほどあの女に動かされるのは不審であった。自分は三沢と「あの女」が別れる時、どんな話をしたか、詳しく聞いて見ようと思って、少し水を向けかけたが、何の効果もなかった。しかも彼の態度が惜しいものを半分他ひとに配わけてやると、半分無くなるから厭いやだという風に見えたので、自分はますます変な気持がした。
「そろそろ出かけようか。夜の急行は込むから」ととうとう自分の方で三沢を促うながすようになった。
0399Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/23(火) 10:50:18.350
「まだ早い」と三沢は時計を見せた。なるほど汽車の出るまでにはまだ二時間ばかり余っていた。もう「あの女」の事は聞くまいと決心した自分は、なるべく病院の名前を口へ出さずに、寝転ねころびながら彼と通り一遍の世間話を始めた。彼はその時人並ひとなみの受け答をした。けれどもどこか調子に乗らないところがあるので、何となく不愉快そうに見えた。それでも席は動かなかった。そうしてしまいには黙って河の流ればかり眺ながめていた。
「まだ考えている」と自分は大きな声を出してわざと叫んだ。三沢は驚いて自分を見た。彼はこういう場合にきっと、御前はヴァルガーだと云う眼つきをして、一瞥いちべつの侮辱を自分に与えなければ承知しなかったが、この時に限ってそんな様子はちっとも見せなかった。
0400Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 10:50:28.670
「うん考えている」と軽く云った。「君に打ち明けようか、打ち明けまいかと迷っていたところだ」と云った。
 自分はその時彼から妙な話を聞いた。そうしてその話が直接「あの女」と何の関係もなかったのでなおさら意外の感に打たれた。
0401Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 10:50:37.930
 今から五六年前彼の父がある知人の娘を同じくある知人の家に嫁よめらした事があった。不幸にもその娘さんはある纏綿てんめんした事情のために、一年経たつか経たないうちに、夫の家を出る事になった。けれどもそこにもまた複雑な事情があって、すぐわが家に引取られて行く訳に行かなかった。それで三沢の父が仲人なこうどという義理合から当分この娘さんを預かる事になった。――三沢はいったん嫁とついで出て来た女を娘さん娘さんと云った。
「その娘さんは余り心配したためだろう、少し精神に異状を呈していた。それは宅うちへ来る前か、あるいは来てからかよく分らないが、とにかく宅のものが気がついたのは来てから少し経ってからだ。固もとより精神に異状を呈しているには相違なかろうが、ちょっと見たって少しも分らない。ただ黙って欝ふさぎ込んでいるだけなんだから。ところがその娘さんが……」
0402Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/23(火) 10:50:47.550
 三沢はここまで来て少し躊躇ちゅうちょした。
「その娘さんがおかしな話をするようだけれども、僕が外出するときっと玄関まで送って出る。いくら隠れて出ようとしてもきっと送って出る。そうして必ず、早く帰って来てちょうだいねと云う。僕がええ早く帰りますからおとなしくして待っていらっしゃいと返事をすれば合点がってん合点をする。もし黙っていると、早く帰って来てちょうだいね、ね、と何度でも繰返す。僕は宅うちのものに対してきまりが悪くってしようがなかった。けれどもまたこの娘さんが不憫ふびんでたまらなかった。だから外出してもなるべく早く帰るように心がけていた。帰るとその人の傍そばへ行って、立ったままただいまと一言ひとこと必ず云う事にしていた」
0403Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/23(火) 10:50:56.280
 三沢はそこへ来てまた時計を見た。
「まだ時間はあるね」と云った。
0404Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 10:51:27.170
        三十三

 その時自分はこれぎりでその娘さんの話を止やめられてはと思った。
幸いに時間がまだだいぶあったので、自分の方から何とも云わない先に彼はまた語り続けた。
「宅のものがその娘さんの精神に異状があるという事を明かに認め出してからはまだよかったが、
知らないうちは今云った通り僕もその娘さんの露骨なのにずいぶん弱らせられた。父や母は苦にがい顔をする。
台所のものはないしょでくすくす笑う。僕は仕方がないから、その娘さんが僕を送って玄関まで来た時、烈はげしく怒りつけてやろうかと思って、二三度後うしろを振り返って見たが、顔を合あわせるや否や、怒るどころか、邪慳じゃけんな言葉などは可哀かわいそうでとても口から出せなくなってしまった。その娘さんは蒼あおい色の美人だった。そうして黒い眉毛まゆげと黒い大きな眸ひとみをもっていた。その黒い眸は始終しじゅう遠くの方の夢を眺ながめているように恍惚うっとりと潤うるおって、そこに何だか便たよりのなさそうな憐あわれを漂ただよわせていた。僕が怒ろうと思ってふり向くと、その娘さんは玄関に膝ひざを突いたなりあたかも自分の孤独を訴うったえるように、その黒い眸を僕に向けた。僕はそのたびに娘さんから、こうして活きていてもたった一人で淋さむしくってたまらないから、どうぞ助けて下さいと袖そでに縋すがられるように感じた。
――その眼がだよ。その黒い大きな眸が僕にそう訴えるのだよ」
0405Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/23(火) 14:12:23.530
「君に惚ほれたのかな」と自分は三沢に聞きたくなった。
「それがさ。病人の事だから恋愛なんだか病気なんだか、誰にも解るはずがないさ」と三沢は答えた。
0406Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/23(火) 14:12:32.410
「色情狂っていうのは、そんなもんじゃないのかな」と自分はまた三沢に聞いた。
 三沢は厭いやな顔をした。
0407Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/23(火) 14:12:43.680
「色情狂と云うのは、誰にでもしなだれかかるんじゃないか。その娘さんはただ僕を玄関まで送って出て来て、早く帰って来てちょうだいねと云うだけなんだから違うよ」
「そうか」
 自分のこの時の返事は全く光沢つやがなさ過ぎた。
「僕は病気でも何でも構わないから、その娘さんに思われたいのだ。少くとも僕の方ではそう解釈していたいのだ」と三沢は自分を見つめて云った。彼の顔面の筋肉はむしろ緊張していた。「ところが事実はどうもそうでないらしい。その娘さんの片づいた先の旦那だんなというのが放蕩家ほうとうかなのか交際家なのか知らないが、何でも新婚早々たびたび家うちを空あけたり、夜遅く帰ったりして、その娘さんの心をさんざん苛いじめぬいたらしい。けれどもその娘さんは一口も夫に対して自分の苦みを言わずに我慢していたのだね。その時の事が頭に祟たたっているから、離婚になった後あとでも旦那に云いたかった事を病気のせいで僕に云ったのだそうだ。――けれども僕はそう信じたくない。強しいてもそうでないと信じていたい」
「それほど君はその娘さんが気に入ってたのか」と自分はまた三沢に聞いた。
0408Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/23(火) 14:12:55.190
「気に入るようになったのさ。病気が悪くなればなるほど」
「それから。――その娘さんは」
「死んだ。病院へ入いって」
 自分は黙然もくねんとした。
0409Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/23(火) 14:13:04.850
「君から退院を勧められた晩、僕はその娘さんの三回忌を勘定かんじょうして見て、単にそのためだけでも帰りたくなった」と三沢は退院の動機を説明して聞かせた。自分はまだ黙っていた。
「ああ肝心かんじんの事を忘れた」とその時三沢が叫んだ。自分は思わず「何だ」と聞き返した。
「あの女の顔がね、実はその娘さんに好く似ているんだよ」
 三沢の口元には解ったろうと云う一種の微笑が見えた。二人はそれからじきに梅田の停車場ステーションへ俥くるまを急がした。場内は急行を待つ乗客ですでにいっぱいになっていた。二人は橋を向むこうへ渡って上のぼり列車を待ち合わせた。列車は十分と立たないうちに地を動かして来た。
「また会おう」
 自分は「あの女」のために、また「その娘さん」のために三沢の手を固く握った。彼の姿は列車の音と共にたちまち暗中あんちゅうに消えた。
0410Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/23(火) 14:13:27.600
     兄

        一

 自分は三沢を送った翌日あくるひまた母と兄夫婦とを迎えるため同じ停車場ステーションに出かけなければならなかった。
 自分から見るとほとんど想像さえつかなかったこの出来事を、始めから工夫して、とうとうそれを物にするまで漕こぎつけたものは例の岡田であった。彼は平生からよくこんな技巧を弄ろうしてその成効せいこうに誇るのが好すきであった。自分をわざわざ電話口へ呼び出して、そのうちきっと自分を驚かして見せると断ったのは彼である。それからほどなく、お兼さんが宿屋へ尋ねて来て、その訳を話した時には、自分も実際驚かされた。
0411Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/23(火) 14:13:40.440
「どうして来るんです」と自分は聞いた。
 自分が東京を立つ前に、母の持っていた、ある場末ばすえの地面が、新たに電車の布設される通とおり路みちに当るとかでその前側を幾坪か買い上げられると聞いたとき、自分は母に「じゃその金でこの夏みんなを連つれて旅行なさい」と勧めて、「また二郎さんのお株が始まった」と笑われた事がある。母はかねてから、もし機会があったら京大阪を見たいと云っていたが、あるいはその金が手に入ったところへ、岡田からの勧誘があったため、こう大袈裟おおげさな計画になったのではなかろうか。それにしても岡田がまた何でそんな勧誘をしたものだろう。
0414Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/23(火) 18:19:46.490
【悲報】国民栄誉賞、辞退した方が栄誉となってしまう

国民栄誉賞辞退者一覧

福本豊
職業:プロ野球選手
賞の打診時の年:1985年
当時の本人の年齢:38歳

辞退理由
1983年6月に当時の世界記録となる通算939盗塁を達成し、国民栄誉賞の授与を打診されました。
福本豊さんが辞退した理由について、当時のニュースなどでの報道では「気軽に呑み屋に行けなくなる」とされました。

イチロー
職業:プロ野球選手
賞の打診時の年:2001年/2004年/2019年
打診時の本人の年齢:27歳/30歳/45歳

辞退理由
2001年:「まだ若いので、できれば辞退したい。いただけるものなら、野球人生が終わったときにいただけるよう頑張りたい」
2004年:「プレーを続けている間はもらう立場にはない。野球生活を終え、本当にやり切った時に、もしいただけるならば大変ありがたい」
2019年:「人生の幕を下ろしたときにいただけるよう励みます」
2019年の12月に4度目の授与の打診があったとみられていますが、このときも辞退した模様
0415Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/23(火) 18:23:30.730
55.7兆の巨額経済対策!と騒がれてるが、
内閣府資料を精査すればいわゆる国費としての真水は
31.9兆円.
するとこの値は菅氏の策定予算(国費)の積み残し約30兆円と同水準なので
「岸田総理が財務省に新たに出させるカネは 実質ゼロ!」

https://pbs.twimg.com/media/FEwNNvoaUAEIGXd.png
0416Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 18:45:52.250
【速報】東京都、17人感染確認 11月23日 [マスク着用のお願い★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1637653546/875
875 名前:ニューノーマルの名無しさん[] 投稿日:2021/11/23(火) 18:01:45.00 ID:QP64IB9T0
23日(火・祝)  比・16日  埼玉訂正5→6  全発表 

合計:112(−41) ゼロ26  火曜日・今年最少 

東京 17(+2)
北海道13(−22) 別に再陽性1
大阪 13(±0)
愛知 12(+5)
福岡 12(+7) 北九州市以外はゼロ

神奈川9(±0)
埼玉 6(−7)
兵庫 6(−6)
静岡 3(+1)
千葉 2(−5)
沖縄 2(−1)
京都 2(−1)
宮城 2(+2)
岐阜 2(+2)
岡山 1(−6)
栃木 1(−1)
広島 1(−1)
新潟 1(±0)
山形 1(+1)
和歌山1(+1)
愛媛 1(+1)
0417Ms.名無しさん
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2021/11/23(火) 18:46:21.610
宮崎 0(±0) 34日連続  
大分 0(±0) 30日連続
富山 0(±0) 22日連続
島根 0(±0) 16日連続
福井 0(±0) 14日連続
長野 0(±0) 12日連続
青森 0(±0) 11日連続
秋田 0(±0) 11日連続
鳥取 0(±0) 11日連続
高知 0(±0) 11日連続
香川 0(±0) 10日連続
徳島 0(±0) 10日連続
岩手 0(±0) 9日連続
熊本 0(±0) 9日連続
佐賀 0(−1) 6日連続
石川 0(±0) 5日連続
奈良 0(−1) 4日連続
福島 0(±0) 4日連続
滋賀 0(−3) 3日連続
山口 0(±0) 3日連続
長崎 0(±0) 3日連続
群馬 0(−4) 2日連続
三重 0(±0) 2日連続
鹿児島0(±0) 2日連続
茨城 0(−1)
山梨 0(±0)
0418Ms.名無しさん
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2021/11/24(水) 06:22:54.610
ラインの相手のバイト募集してます (女性限定)

30分750円 (30分間ラインの相手をしていただきます)
24歳から36歳まで(女性限定)
通話無し、ラインのトークのみです。
本人画像だけ必要です。

時間帯は夜20時から21時半くらいがメインとなります。
お給料はしっかりライン出来る方はすぐ上がります。
お支払いはPayPayです(銀行振り込みも可)

自宅で出来ます。
本当にやってみたい人だけライン下さい。

linede1000@yahoo.co.jp
0419Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/24(水) 09:06:00.440
【新型コロナ】ワクチンを大量接種した国でウィルスの感染爆発が起きている、免疫記憶が新規抗体産生やT細胞応答を妨げる「抗原原罪」 [かわる★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1637661515/
0420Ms.名無しさん
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2021/11/24(水) 10:33:49.310
「何という大した考えもないんでございましょう。ただ昔むかしお世話になった御礼に御案内でもする気なんでしょう。それにあの事もございますから」
 お兼さんの「あの事」というのは例の結婚事件である。自分はいくらお貞さださんが母のお気に入りだって、そのために彼女がわざわざ大阪三界さんがいまで出て来るはずがないと思った。
0421Ms.名無しさん
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2021/11/24(水) 10:33:58.720
 自分はその時すでに懐ふところが危あやしくなっていた。その上後あとから三沢のために岡田に若干の金額を借りた。ほかの意味は別として、母と兄夫婦の来るのはこの不足填補ふそくてんぽの方便として自分には好都合であった。岡田もそれを知って快よくこちらの要いるだけすぐ用立ててくれたに違いなかろうと思った。
 自分は岡田夫婦といっしょに停車場ステーションに行った。三人で汽車を待ち合わしている間に岡田は、「どうです。二郎さん喫驚びっくりしたでしょう」といった。自分はこれと類似の言葉を、彼から何遍も聞いているので、何とも答えなかった。お兼さんは岡田に向って、「あなたこの間から独ひとりで御得意なのね。二郎さんだって聞き飽あきていらっしゃるわ。そんな事」と云いながら自分を見て「ねえあなた」と詫あやまるようにつけ加えた。自分はお兼さんの愛嬌あいきょうのうちに、どことなく黒人くろうとらしい媚こびを認めて、急に返事の調子を狂わせた。お兼さんは素知そしらぬ風をして岡田に話しかけた。――
0422Ms.名無しさん
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2021/11/24(水) 10:34:07.000
「奥さまもだいぶ御目にかからないから、ずいぶんお変りになったでしょうね」
「この前会った時はやっぱり元の叔母さんさ」
0423Ms.名無しさん
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2021/11/24(水) 10:34:14.840
 岡田は自分の母の事を叔母さんと云い、お兼さんは奥様というのが、自分には変に聞こえた。
「始終しじゅう傍そばにいると、変るんだか変らないんだか分りませんよ」と自分は答えて笑っているうちに汽車が着いた。岡田は彼ら三人のために特別に宿を取っておいたとかいって、直ただちに俥くるまを南へ走らした。自分は空くうに乗った俥の上で、彼のよく人を驚かせるのに驚いた。そう云えば彼が突然上京してお兼さんを奪うように伴つれて行ったのも自分を驚かした目覚めざましい手柄てがらの一つに相違なかった。
0424Ms.名無しさん
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2021/11/24(水) 10:34:24.490
        二

 母の宿はさほど大きくはなかったけれども、自分の泊っている所よりはよほど上品な構かまえであった。室へやには扇風器だの、唐机とうづくえだの、特別にその唐机の傍そばに備えつけた電灯などがあった。兄はすぐそこにある電報紙へ大阪着の旨むねを書いて下女に渡していた。岡田はいつの間にか用意して来た三四枚の絵端書えはがきを袂たもとの中から出して、これは叔父さん、これはお重しげさん、これはお貞さださんと一々名宛なあてを書いて、「さあ一口ひとくちずつ皆みんなどうぞ」と方々へ配っていた。
 自分はお貞さんの絵端書へ「おめでとう」と書いた。すると母がその後あとへ「病気を大事になさい」と書いたので吃驚びっくりした。
0425Ms.名無しさん
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2021/11/24(水) 10:34:33.460
「お貞さんは病気なんですか」
「実はあの事があるので、ちょうど好い折だから、今度伴つれて来きようと思って仕度までさせたところが、あいにくお腹なかが悪くなってね。残念な事をしましたよ」
0426Ms.名無しさん
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2021/11/24(水) 10:34:42.220
「でも大した事じゃないのよ。もうお粥かゆがそろそろ食べられるんだから」と嫂あによめが傍そばから説明した。その嫂は父に出す絵端書を持ったまま何か考えていた。「叔父さんは風流人だから歌が好いでしょう」と岡田に勧められて、「歌なんぞできるもんですか」と断った。岡田はまたお重へ宛あてたのに、「あなたの口の悪いところを聞けないのが残念だ」と細こまかく謹つつしんで書いたので、兄から「将棋の駒がまだ祟たたってると見えるね」と笑われていた。
 絵端書が済んで、しばらく世間話をした後で、岡田とお兼さんはまた来ると云って、母や兄が止とめるのも聞かずに帰って行った。
0427Ms.名無しさん
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2021/11/24(水) 10:34:49.850
「お兼さんは本当に奥さんらしくなったね」
「宅うちへ仕立物を持って来た時分を考えると、まるで見違えるようだよ」
0428Ms.名無しさん
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2021/11/24(水) 10:34:58.690
 母が兄とお兼さんを評し合った言葉の裏には、己おのれがそれだけ年を取ったという淡い哀愁あいしゅうを含んでいた。
「お貞さんだって、もう直じきですよお母さん」と自分は横合から口を出した。
0429Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/24(水) 10:35:08.410
「本当にね」と母は答えた。母は腹の中で、まだ片づく当あてのないお重の事でも考えているらしかった。兄は自分を顧かえりみて、「三沢が病気だったので、どこへも行かなかったそうだね」と聞いた。自分は「ええ。とんだところへ引っかかってどこへも行かずじまいでした」と答えた。自分と兄とは常にこのくらい懸隔かけへだてのある言葉で応対するのが例になっていた。これは年が少し違うのと、父が昔堅気むかしかたぎで、長男に最上の権力を塗りつけるようにして育て上げた結果である。母もたまには自分をさんづけにして二郎さんと呼んでくれる事もあるが、これは単に兄の一郎いちろうさんのお余りに過ぎないと自分は信じていた。
 みんなは話に気を取られて浴衣ゆかたを着換えるのを忘れていた。兄は立って、糊のりの強いのを肩へ掛けながら、「どうだい」と自分を促うながした。嫂は浴衣を自分に渡して、「全体あなたのお部屋はどこにあるの」と聞いた。手摺てすりの所へ出て、鼻の先にある高い塗塀ぬりべいを欝陶うっとうしそうに眺ながめていた母は、「いい室へやだが少し陰気だね。二郎お前のお室もこんなかい」と聞いた。自分は母のいる傍そばへ行って、下を見た。下には張物板はりものいたのような細長い庭に、細い竹が疎まばらに生えて錆さびた鉄灯籠かなどうろうが石の上に置いてあった。その石も竹も打水うちみずで皆しっとり濡ぬれていた。
0430Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/24(水) 10:35:18.270
「狭いが凝こってますね。その代り僕の所のように河がありませんよ、お母さん」
「おやどこに河があるの」と母がいう後あとから、兄も嫂あによめもその河の見える座敷と取換えて貰おうと云い出した。自分は自分の宿のある方角やら地理やらを説明して聞かした。そうしてひとまず帰って荷物を纏まとめた上またここへ来る約束をして宿を出た。
0431Ms.名無しさん
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2021/11/24(水) 10:35:26.890
        三

 自分はその夕方宿の払はらいを済まして母や兄といっしょになった。三人は少し夕飯ゆうめしが後おくれたと見えて、膳ぜんを控えたまま楊枝ようじを使っていた。自分は彼らを散歩に連れ出そうと試みた。母は疲れたと云って応じなかった。兄は面倒らしかった。嫂だけには行きたい様子が見えた。
「今夜は御止およしよ」と母が留とめた。
0432Ms.名無しさん
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2021/11/24(水) 10:35:36.320
 兄は寝転ねころびながら話をした。そうして口では大阪を知ってるような事を云った。けれどもよく聞いて見ると、知っているのは天王寺てんのうじだの中の島だの千日前せんにちまえだのという名前ばかりで地理上の知識になると、まるで夢のように散漫極きわまるものであった。
 もっとも「大坂城の石垣の石は実に大きかった」とか、「天王寺の塔の上へ登って下を見たら眼が眩くらんだ」とか断片的の光景は実際覚えているらしかった。そのうちで一番面白く自分の耳に響いたのは彼の昔泊とまったという宿屋の夜の景色であった。
0433Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/24(水) 10:35:44.070
「細い通りの角で、欄干らんかんの所へ出ると柳が見えた。家が隙間すきまなく並んでいる割には閑静で、窓から眺ながめられる長い橋も画えのように趣おもむきがあった。その上を通る車の音も愉快に響いた。もっとも宿そのものは不親切で汚なくって困ったが……」
「いったいそれは大阪のどこなの」と嫂が聞いたが、兄は全く知らなかった。方角さえ分らないと答えた。これが兄の特色であった。彼は事件の断面を驚くばかり鮮あざやかに覚えている代りに、場所の名や年月としつきを全く忘れてしまう癖があった。それで彼は平気でいた。
0434Ms.名無しさん
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2021/11/24(水) 10:35:53.810
「どこだか解らなくっちゃつまらないわね」と嫂がまた云った。兄と嫂とはこんなところでよく喰い違った。兄の機嫌きげんの悪くない時はそれでも済むが、少しの具合で事が面倒になる例ためしも稀まれではなかった。こういう消息に通じた母は、「どこでも構わないが、それだけじゃないはずだったのにね。後あとを御話しよ」と云った。兄は「御母さんにも直なおにもつまらない事ですよ」と断って、「二郎そこの二階に泊ったとき面白いと思ったのはね」と自分に話し掛けた。自分は固もとより兄の話を一人で聞くべき責任を引受けた。
「どうしました」
0437Ms.名無しさん
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2021/11/25(木) 06:24:29.880
「夜になって一寝入ひとねいりして眼が醒さめると、明かるい月が出て、その月が青い柳を照していた。それを寝ながら見ているとね、下の方で、急にやっという掛声が聞こえた。あたりは案外静まり返っているので、その掛声がことさら強く聞こえたんだろう、おれはすぐ起きて欄干らんかんの傍そばまで出て下を覗のぞいた。すると向むこうに見える柳の下で、真裸まっぱだかな男が三人代る代る大おおきな沢庵石たくあんいしの持ち上げ競くらをしていた。やっと云うのは両手へ力を入れて差し上げる時の声なんだよ。それを三人とも夢中になって熱心にやっていたが、熱心なせいか、誰も一口も物を云わない。おれは明らかな月影に黙って動く裸体はだかの人影を見て、妙に不思議な心持がした。するとそのうちの一人が細長い天秤棒てんびんぼうのようなものをぐるりぐるりと廻し始めた……」
「何だか水滸伝すいこでんのような趣おもむきじゃありませんか」
0438Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:24:38.310
「その時からしてがすでに縹緲ひょうびょうたるものさ。今日こんにちになって回顧するとまるで夢のようだ」
 兄はこんな事を回想するのが好であった。そうしてそれは母にも嫂あによめにも通じない、ただ父と自分だけに解る趣であった。
0439Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:24:46.300
「その時大阪で面白いと思ったのはただそれぎりだが、何だかそんな連想を持って来て見ると、いっこう大阪らしい気がしないね」
 自分は三沢のいた病院の三階から見下みおろされる狭い綺麗きれいな通を思い出した。そうして兄の見た棒使や力持はあんな町内にいる若い衆じゃなかろうかと想像した。
 岡田夫婦は約のごとくその晩また尋たずねて来た。
0440Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:24:55.780
        四

 岡田はすこぶる念入の遊覧目録といったようなものを、わざわざ宅うちから拵こしらえて来て、母と兄に見せた。それがまた余り綿密過ぎるので、母も兄も「これじゃ」と驚いた。
「まあ幾日いくかくらい御滞在になれるんですか、それ次第でプログラムの作り方もまたあるんですから。こっちは東京と違ってね、少し市を離れるといくらでも見物する所があるんです」
0441Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:25:04.170
 岡田の言葉のうちには多少の不服が籠こもっていたが、同時に得意な調子も見えた。
「まるで大阪を自慢していらっしゃるようよ。あなたの話を傍そばで聞いていると」
0442Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:25:12.500
 お兼さんは笑いながらこう云って真面目まじめな夫に注意した。
「いえ自慢じゃない。自慢じゃないが……」
0443Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:25:21.120
 注意された岡田はますます真面目になった。それが少し滑稽こっけいに見えたので皆みんなが笑い出した。
「岡田さんは五六年のうちにすっかり上方風かみがたふうになってしまったんですね」と母が調戯からかった。
0444Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:25:30.400
「それでもよく東京の言葉だけは忘れずにいるじゃありませんか」と兄がその後あとに随ついてまた冷嘲ひやかし始めた。岡田は兄の顔を見て、「久しぶりに会うと、すぐこれだから敵かなわない。全く東京ものは口が悪い」と云った。
「それにお重しげの兄あにきだもの、岡田さん」と今度は自分が口を出した。
0445Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:25:39.390
「お兼かね少し助けてくれ」と岡田がしまいに云った。そうして母の前に置いてあった先刻さっきのプログラムを取って袂たもとへ入れながら、「馬鹿馬鹿しい、骨を折ったり調戯われたり」とわざわざ怒った風をした。
 冗談じょうだんがひとしきり済むと、自分の予期していた通り、佐野の話が母の口から持ち出された。母は「このたびはまたいろいろ」と云ったような打って変った几帳面きちょうめんな言葉で岡田に礼を述べる、岡田はまたしかつめらしく改まった口上で、まことに行き届きませんでなどと挨拶あいさつをする、自分には両方共大袈裟おおげさに見えた。それから岡田はちょうど好い都合だから、是非本人に会ってやってくれと、また会見の打ち合せをし始めた。兄もその話しの中に首を突込まなくっては義理が悪いと見えて、煙草を吹かしながら二人の相手になっていた。自分は病気で寝ているお貞さださんにこの様子を見せて、ありがたいと思うか、余計な御世話だと思うか、本当のところを聞いて見たい気がした。同時に三沢が別れる時、新しく自分の頭に残して行った美しい精神病の「娘さん」の不幸な結婚を聯想れんそうした。
 嫂あによめとお兼さんは親しみの薄い間柄あいだがらであったけれども、若い女同志という縁故で先刻さっきから二人だけで話していた。しかし気心が知れないせいか、両方共遠慮がちでいっこう調子が合いそうになかった。嫂は無口な性質たちであった。お兼さんは愛嬌あいきょうのある方であった。お兼さんが十口とくち物をいう間に嫂は一口ひとくちしかしゃべれなかった。しかも種が切れると、その都度つどきっとお兼さんの方から供給されていた。最後に子供の話が出た。すると嫂の方が急に優勢になった。彼女はその小さい一人娘の平生を、さも興ありげに語った。お兼さんはまた嫂のくだくだしい叙述を、さも感心したように聞いていたが、実際はまるで無頓着むとんじゃくらしくも見えた。ただ一遍「よくまあお一人でお留守居るすいができます事」と云ったのは誠らしかった。「お重さんによく馴なづいておりますから」と嫂は答えていた。
0446Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:25:48.100
        五

 母と兄夫婦の滞在日数は存外少いものであった。まず市内で二三日市外で二三日しめて一週間足らずで東京へ帰る予定で出て来たらしかった。
「せめてもう少しはいいでしょう。せっかくここまで出ていらしったんだから。また来るたって、そりゃ容易な事じゃありませんよ、億劫おっくうで」
0447Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:25:58.820
 こうは云うものの岡田も、母の滞在中会社の方をまるで休んで、毎日案内ばかりして歩けるほどの余裕は無論なかった。母も東京の宅うちの事が気にかかるように見えた。自分に云わせると、母と兄夫婦というからしてがすでに妙な組合せであった。本来なら父と母といっしょに来るとか、兄と嫂あによめだけが連立つれだって避暑に出かけるとか、もしまたお貞さださんの結婚問題が目的なら、当人の病気が癒なおるのを待って、母なり父なりが連れて来て、早く事を片づけてしまうとか、自然の予定は二通りも三通りもあった。それがこう変な形になって現れたのはどういう訳だか、自分には始めから呑のみ込めなかった。母はまたそれを胸の中に畳込たたみこんでいるという風に見えた。母ばかりではない、兄夫婦もそこに気がついているらしいところもあった。
 佐野との会見は型かたのごとく済んだ。母も兄も岡田に礼を述べていた。岡田の帰った後でも両方共佐野の批評はしなかった。もう事が極って批評をする余地がないというようにも取れた。結婚は年の暮に佐野が東京へ出て来る機会を待って、式を挙げるように相談が調ととのった。自分は兄に、「おめでた過ぎるくらい事件がどんどん進行して行く癖に、本人がいっこう知らないんだから面白い」と云った。
0448Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:26:08.470
「当人は無論知ってるんだ」と兄が答えた。
「大喜びだよ」と母が保証した。
0449Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:26:17.750
 自分は一言もなかった。しばらくしてから、「もっともこんな問題になると自分でどんどん進行させる勇気は日本の婦人にあるまいからな」と云った。兄は黙っていた。嫂は変な顔をして自分を見た。
「女だけじゃないよ。男だって自分勝手にむやみと進行されちゃ困りますよ」と母は自分に注意した。すると兄が「いっそその方が好いかも知れないね」と云った。その云い方が少し冷ひややか過ぎたせいか、母は何だか厭いやな顔をした。嫂もまた変な顔をした。けれども二人とも何とも云わなかった。
0450Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:26:26.350
 少し経たってから母はようやく口を開いた。
「でも貞だけでもきまってくれるとお母さんは大変楽らくな心持がするよ。後あとは重しげばかりだからね」
0451Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:26:34.920
「これもお父さんの御蔭おかげさ」と兄が答えた。その時兄の唇くちびるに薄い皮肉の影が動いたのを、母は気がつかなかった。
「全くお父さんの御蔭に違ないよ。岡田が今ああやってるのと同じ事さ」と母はだいぶ満足な体ていに見えた。
0452Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 06:26:43.160
 憐あわれな母は父が今でも社会的に昔通りの勢力をもっているとばかり信じていた。兄は兄だけに、社会から退隠したと同様の今の父に、その半分の影響さえむずかしいと云う事を見破っていた。
 兄と同意見の自分は、家族中ぐるになって、佐野を瞞だましているような気がしてならなかった。けれどもまた一方から云えば、佐野は瞞されてもしかるべきだという考えが始めから頭のどこかに引っかかっていた。
 とにかく会見は満足のうちに済んだ。兄は暑いので脳に応こたえるとか云って、早く大阪を立ち退のく事を主張した。自分は固もとより賛成であった。
0453Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 14:16:51.250
        六

 実際その頃の大阪は暑かった。ことに我々の泊っている宿屋は暑かった。庭が狭いのと塀へいが高いので、日の射し込む余地もなかったが、その代り風の通る隙間すきまにも乏しかった。ある時は湿しめっぽい茶座敷の中で、四方から焚火たきびに焙あぶられているような苦しさがあった。自分は夜通よどおし扇風器をかけてぶうぶう鳴らしたため、馬鹿な真似をして風邪かぜでもひいたらどうすると云って母から叱られた事さえあった。
 大阪を立とうという兄の意見に賛成した自分は、有馬ありまなら涼しくって兄の頭によかろうと思った。自分はこの有名な温泉をまだ知らなかった。車夫が梶棒かじぼうへ綱を付けて、その綱の先をまた犬に付けて坂路を上のぼるのだそうだが、暑いので犬がともすると渓河たにがわの清水しみずを飲もうとするのを、車夫が怒いかって竹の棒でむやみに打擲うちたたくから、犬がひんひん苦しがりながら俥くるまを引くんだという話を、かつて聞いたまましゃべった。
0454Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 14:16:59.960
「厭いやだねそんな俥に乗るのは、可哀想かわいそうで」と母が眉まゆをひそめた。
「なぜまた水を飲ませないんだろう。俥が遅れるからかね」と兄が聞いた。
0455Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 14:17:09.700
「途中で水を飲むと疲れて役に立たないからだそうです」と自分が答えた。
「へえー、なぜ」と今度は嫂あによめが不思議そうに聞いたが、それには自分も答える事ができなかった。
0456Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 14:17:20.660
 有馬行ありまゆきは犬のせいでもなかったろうけれども、とうとう立消たちぎえになった。そうして意外にも和歌わかの浦うら見物が兄の口から発議ほつぎされた。これは自分もかねてから見たいと思っていた名所であった。母も子供の時からその名に親しみがあるとかで、すぐ同意した。嫂だけはどこでも構わないという風に見えた。
 兄は学者であった。また見識家けんしきかであった。その上詩人らしい純粋な気質を持って生れた好い男であった。けれども長男だけにどこかわがままなところを具えていた。自分から云うと、普通の長男よりは、だいぶ甘やかされて育ったとしか見えなかった。自分ばかりではない、母や嫂に対しても、機嫌きげんの好い時は馬鹿に好いが、いったん旋毛つむじが曲り出すと、幾日いくかでも苦い顔をして、わざと口を利きかずにいた。それで他人の前へ出ると、また全く人間が変ったように、たいていな事があっても滅多めったに紳士の態度を崩くずさない、円満な好侶伴こうりょはんであった。だから彼の朋友はことごとく彼を穏おだやかな好い人物だと信じていた。父や母はその評判を聞くたびに案外な顔をした。けれどもやっぱり自分の子だと見えて、どこか嬉うれしそうな様子が見えた。兄と衝突している時にこんな評判でも耳に入ろうものなら、自分はむやみに腹が立った。一々その人の宅うちまで出かけて行って、彼らの誤解を訂正してやりたいような気さえ起った。
0457Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 14:17:30.670
 和歌の浦行に母がすぐ賛成したのも、実は彼女が兄の気性きしょうをよく呑み込んでいるからだろうと自分は思った。母は長い間わが子の我がを助けて育てるようにした結果として、今では何事によらずその我がの前に跪ひざまずく運命を甘んじなければならない位地いちにあった。
 自分は便所に立った時、手水鉢ちょうずばちの傍そばにぼんやり立っていた嫂あによめを見付めっけて、「姉さんどうです近頃は。兄さんの機嫌きげんは好い方なんですか悪い方なんですか」と聞いた。嫂は「相変らずですわ」とただ一口答えただけであった。嫂はそれでも淋さみしい頬に片靨かたえくぼを寄せて見せた。彼女は淋しい色沢いろつやの頬をもっていた。それからその真中に淋しい片靨をもっていた。
0458Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/25(木) 14:18:30.380
        七

 自分は立つ前に岡田に借りた金の片かたをつけて行きたかった。
もっとも彼に話をしさえすれば、東京へ帰ってからでも構わないとは思ったけれども、
ああいう人の金はなるべく早く返しておいた方が、こっちの心持がいいという考えがあった。それで誰も傍そばにいない折を見計らって、母にどうかしてくれと頼んだ。
 母は兄を大事にするだけあって、無論彼を心しんから愛していた。
けれども長男という訳か、また気むずかしいというせいか、
どこかに遠慮があるらしかった。ちょっとの事を注意するにしても、
なるべく気に障さわらないように、始めから気を置いてかかった。
そこへ行くと自分はまるで子供同様の待遇を母から受けていた。
「二郎そんな法があるのかい」などと頭ごなしにやっつけられた。
その代りまた兄以上に可愛かわいがられもした。
小遣こづかいなどは兄にないしょでよく貰った覚おぼえがある。
父の着物などもいつの間にか自分のに仕立直してある事は珍らしくなかった。
こういう母の仕打が、例の兄にはまたすこぶる気に入らなかった。
些細ささいな事から兄はよく機嫌きげんを悪くした。
そうして明るい家の中うちに陰気な空気を漲みなぎらした。母は眉まゆをひそめて、
「また一郎の病気が始まったよ」と自分に時々私語ささやいた。
自分は母から腹心の郎党として取扱われるのが嬉しさに、
「癖なんだから、放ほうっておおきなさい」ぐらい云って澄ましていた時代もあった。兄の性質が気むずかしいばかりでなく、大小となく影でこそこそ何かやられるのを忌いむ正義の念から出るのだという事を後あとから知って以来、自分は彼に対してこんな軽薄な批評を加えるのを恥はずるようになった。けれども表向おもてむき兄の承諾を求めると、とうてい行われにくい用件が多いので、自分はつい機会おりを見ては母の懐ふところに一人抱だかれようとした。
0461Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/26(金) 06:57:33.770
 母は自分が三沢のために岡田から金を借りた顛末てんまつを聞いて驚いた顔をした。
「そんな女のためにお金を使う訳がないじゃないか、三沢さんだって。馬鹿らしい」と云った。
0462Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/26(金) 06:57:41.430
「だけど、そこには三沢も義理があるんだから」と自分は弁解した。
「義理義理って、御母さんには解らないよ、お前のいう事は。気の毒なら、手ぶらで見舞に行くだけの事じゃないか。もし手ぶらできまりが悪ければ、菓子折の一つも持って行きゃあたくさんだね」
0463Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/26(金) 06:57:51.340
 自分はしばらく黙っていた。
「よし三沢さんにそれだけの義理があったにしたところでさ。何もお前が岡田なんぞからそれを借りて上げるだけの義理はなかろうじゃないか」
0464Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/26(金) 06:58:00.260
「じゃよござんす」と自分は答えた。そうして立って下へ行こうとした。兄は湯に入っていた。嫂あによめは小さい下の座敷を借りて髪を結わしていた。座敷には母よりほかにいなかった。
「まあお待ちよ」と母が呼び留めた。「何も出して上げないと云ってやしないじゃないか」
 母の言葉には兄一人でさえたくさんなところへ、何の必要があって、自分までこの年寄を苛いじめるかと云わぬばかりの心細さが籠こもっていた。自分は母のいう通り元の席に着いたが、気の毒でちょっと顔を上げ得なかった。そうしてこの無恰好ぶかっこうな態度で、さも子供らしく母から要いるだけの金子きんすを受取った。母が一段声を落して、いつものように、「兄さんにはないしょだよ」と云った時、自分は不意に名状しがたい不愉快に襲われた。
0465Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 06:58:10.490
        八

 自分達はその翌日の朝和歌山へ向けて立つはずになっていた。どうせいったんはここへ引返して来なければならないのだから、岡田の金もその時で好いとは思ったが、性急せっかちの自分には紙入をそのまま懐中しているからがすでに厭いやだった。岡田はその晩も例の通り宿屋へ話に来るだろうと想像された。だからその折にそっと返しておこうと自分は腹の中うちできめた。
 兄が湯から上って来た。帯も締しめずに、浴衣ゆかたを羽織るようにひっかけたままずっと欄干らんかんの所まで行ってそこへ濡手拭ぬれてぬぐいを懸けた。
0466Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 06:58:22.390
「お待遠」
「お母さん、どうです」と自分は母を促うながした。
「まあお這入はいりよ、お前から」と云った母は、兄の首や胸の所を眺ながめて、「大変好い血色におなりだね。それに少し肉が付いたようじゃないか」と賞ほめていた。兄は性来しょうらいの痩やせっぽちであった。宅うちではそれをみんな神経のせいにして、もう少し肥ふとらなくっちゃ駄目だめだと云い合っていた。その内でも母は最も気を揉もんだ。当人自身も痩せているのを何かの刑罰のように忌いみ恐れた。それでもちっとも肥れなかった。
0467Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 06:58:30.050
 自分は母の言葉を聞きながら、この苦しい愛嬌あいきょうを、慰藉いしゃの一つとしてわが子の前に捧げなければならない彼女の心事を気の毒に思った。兄に比べると遥はるかに頑丈がんじょうな体躯からだを起しながら、「じゃ御先へ」と母に挨拶あいさつして下へ降りた。風呂場の隣の小さい座敷をちょいと覗のぞくと、嫂は今髷まげができたところで、合せ鏡をして鬢びんだの髱たぼだのを撫なでていた。
「もう済んだんですか」
「ええ。どこへいらっしゃるの」
「御湯へ這入ろうと思って。お先へ失礼してもよござんすか」
0468Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/26(金) 06:58:39.000
「さあどうぞ」
 自分は湯に入いりながら、嫂が今日に限ってなんでまた丸髷まるまげなんて仰山ぎょうさんな頭に結ゆうのだろうと思った。大きな声を出して、「姉さん、姉さん」と湯壺ゆつぼの中から呼んで見た。「なによ」という返事が廊下の出口で聞こえた。
「御苦労さま、この暑いのに」と自分が云った。
「なぜ」
「なぜって、兄さんの御好おこのみなんですか、そのでこでこ頭は」
「知らないわ」
0469Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 06:58:50.820
 嫂あによめの廊下伝いに梯子段はしごだんを上のぼる草履ぞうりの音がはっきり聞こえた。
 廊下の前は中庭で八つ手の株が見えた。自分はその暗い庭を前に眺ながめて、番頭に背中を流して貰もらっていた。すると入口の方から縁側えんがわを沿って、また活溌かっぱつな足音が聞こえた。
0470Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 06:59:00.790
 そうして詰襟つめえりの白い洋服を着た岡田が自分の前を通った。自分は思わず、「おい君、君」と呼んだ。
「や、今お湯、暗いんでちっとも気がつかなかった」と岡田は一足ひとあし後戻りして風呂を覗のぞき込みながら挨拶あいさつをした。
「あなたに話がある」と自分は突然云った。
0471Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 06:59:12.770
「話が? 何です」
「まあ、お入はいんなさい」
 岡田は冗談じょうだんじゃないと云う顔をした。
「お兼は来ませんか」
0472Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 06:59:20.960
 自分が「いいえ」と答えると、今度は「皆さんは」と聞いた。自分がまた「みんないますよ」というと、不思議そうに「じゃ今日はどこへも行かなかったんですか」と聞いた。
「行ってもう帰って来たんです」
0473Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 06:59:29.540
「実は僕も今会社から帰りがけですがね。どうも暑いじゃあありませんか。――とにかくちょっと伺候しこうして来ますから。失礼」
 岡田はこう云い捨てたなり、とうとう自分の用事を聞かずに二階へ上あがって行ってしまった。自分もしばらくして風呂から出た。
0474Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 07:43:16.070
【MLB】大谷翔平、都内のタワマンで女性と2人暮らしをしていることが発覚
0476Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 14:08:07.820
        九

 岡田はその夜よだいぶ酒を呑んだ。彼は是非都合して和歌の浦までいっしょに行くつもりでいたが、あいにく同僚が病気で欠勤しているので、予期の通りにならないのがはなはだ残念だと云ってしきりに母や兄に詫わびていた。
「じゃ今夜が御別れだから、少し御過おすごしなさい」と母が勧めた。
0477Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 14:08:18.690
 あいにく自分の家族は酒に親しみの薄いものばかりで、誰も彼の相手にはなれなかった。それで皆みんな御免蒙ごめんこうむって岡田より先へ食事を済ました。岡田はそれがこっちも勝手だといった風に、独ひとり膳ぜんを控えて盃さかずきを甜なめ続けた。
 彼は性来しょうらい元気な男であった。その上酒を呑むとますます陽気になる好い癖を持っていた。そうして相手が聞こうが聞くまいが、頓着とんじゃくなしに好きな事を喋舌しゃべって、時々一人高笑いをした。
0478Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 14:08:28.060
 彼は大阪の富が過去二十年間にどのくらい殖ふえて、これから十年立つとまたその富が今の何十倍になるというような統計を挙あげておおいに満足らしく見えた。
「大阪の富より君自身の富はどうだい」と兄が皮肉を云ったとき、岡田は禿はげかかった頭へ手を載のせて笑い出した。
0479Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 14:08:38.100
「しかし僕の今日こんにちあるも――というと、偉過えらすぎるが、まあどうかこうかやって行けるのも、全く叔父おじさんと叔母さんのお蔭かげです。僕はいくらこうして酒を呑のんで太平楽たいへいらくを並べていたって、それだけはけっして忘れやしません」
 岡田はこんな事を云って、傍そばにいる母と遠くにいる父に感謝の意を表した。彼は酔うと同じ言葉を何遍も繰返す癖のある男だったが、ことにこの感謝の意は少しずつ違った形式で、幾度いくたびか彼の口から洩もれた。しまいに彼は灘万なだまんのまな鰹がつおとか何とかいうものを、是非父に喰わせたいと云い募つのった。
0480Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 14:08:48.610
 自分は彼がもと書生であった頃、ある正月の宵よいどこかで振舞酒ふるまいざけを浴びて帰って来て、父の前へ長さ三寸ばかりの赤い蟹かにの足を置きながら平伏して、謹つつしんで北海の珍味を献上しますと云ったら、父は「何だそんな朱塗しゅぬりの文鎮ぶんちん見たいなもの。要いらないから早くそっちへ持って行け」と怒った昔を思い出した。
 岡田はいつまでも飲んで帰らなかった。始めは興きょうを添えた彼の座談もだんだん皆みんなに飽きられて来た。嫂あによめは団扇うちわを顔へ当てて欠あくびを隠した。自分はとうとう彼を外へ連出さなければならなかった。自分は散歩にかこつけて五六町彼といっしょに歩いた。そうして懐ふところから例の金を出して彼に返した。金を受取った時の彼は、酔っているにもかかわらず驚ろくべくたしかなものであった。「今でなくってもいいのに。しかしお兼が喜びますよ。ありがとう」と云って、洋服の内隠袋うちがくしへ収めた。
0481Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 14:08:59.120
 通りは静であった。自分はわれ知らず空を仰いだ。空には星の光が存外ぞんがい濁っていた。自分は心の内に明日あすの天気を気遣きづかった。すると岡田が藪やぶから棒に「一郎さんは実際むずかしやでしたね」と云い出した。そうして昔むかし兄と自分と将棋しょうぎを指した時、自分が何か一口ひとくち云ったのを癪しゃくに、いきなり将棋の駒を自分の額へぶつけた騒ぎを、新しく自分の記憶から呼び覚さました。
「あの時分からわがままだったからね、どうも。しかしこの頃はだいぶ機嫌きげんが好いようじゃありませんか」と彼がまた云った。自分は煮え切らない生なま返事をしておいた。
0482Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 14:09:08.480
「もっとも奥さんができてから、もうよっぽどになりますからね。しかし奥さんの方でもずいぶん気骨きぼねが折れるでしょう。あれじゃ」
 自分はそれでも何の答もしなかった。ある四角よつかどへ来て彼と別れるときただ「お兼さんによろしく」と云ったまままた元の路へ引き返した。
0483Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 14:09:17.530
        十

 翌日よくじつ朝の汽車で立った自分達は狭い列車のなかの食堂で昼飯ひるめしを食った。「給仕がみんな女だから面白い。しかもなかなか別嬪べっぴんがいますぜ、白いエプロンを掛けてね。是非中で昼飯をやって御覧なさい」と岡田が自分に注意したから、自分は皿を運んだりサイダーを注ついだりする女をよく心づけて見た。しかし別にこれというほどの器量をもったものもいなかった。
 母と嫂あによめは物珍らしそうに窓の外を眺ながめて、田舎いなかめいた景色を賞し合った。実際窓外そうがいの眺めは大阪を今離れたばかりの自分達には一つの変化であった。ことに汽車が海岸近くを走るときは、松の緑と海の藍あいとで、煙に疲れた眼に爽さわやかな青色を射返いかえした。木蔭こかげから出たり隠れたりする屋根瓦の積み方も東京地方のものには珍らしかった。
0484Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 14:09:30.040
「あれは妙だね。御寺かと思うと、そうでもないし。二郎、やっぱり百姓家なのかね」と母がわざわざ指をさして、比較的大きな屋根を自分に示した。
 自分は汽車の中で兄と隣り合せに坐った。兄は何か考え込んでいた。自分は心の内でまた例のが始まったのじゃないかと思った。少し話でもして機嫌きげんを直そうか、それとも黙って知らん顔をしていようかと躊躇ちゅうちょした。兄は何か癪しゃくに障さわった時でも、むずかしい高尚な問題を考えている時でも同じくこんな様子をするから、自分にはいっこう見分がつかなかった。
0485Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 14:09:38.300
 自分はしまいにとうとう思い切ってこっちから何か話を切り出そうとした。と云うのは、向側むこうがわに腰をかけている母が、嫂と応対の相間あいま相間に、兄の顔を偸ぬすむように一二度見たからである。
「兄さん、面白い話がありますがね」と自分は兄の方を見た。
0486Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 14:09:47.340
「何だ」と兄が云った。兄の調子は自分の予期した通り無愛想ぶあいそうであった。しかしそれは覚悟の前であった。
「ついこの間三沢から聞いたばかりの話ですがね。……」
0487Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 14:09:56.990
 自分は例の精神病の娘さんがいったん嫁とついだあと不縁になって、三沢の宅うちへ引き取られた時、三沢の出る後あとを慕したって、早く帰って来てちょうだいと、いつでも云い習わした話をしようと思ってちょっとそこで句を切った。すると兄は急に気乗りのしたような顔をして、「その話ならおれも聞いて知っている。三沢がその女の死んだとき、冷たい額へ接吻せっぷんしたという話だろう」と云った。
 自分は喫驚びっくりした。
0488Ms.名無しさん
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2021/11/26(金) 14:10:06.530
「そんな事があるんですか。三沢は接吻の事については一口も云いませんでしたがね。皆みんないる前でですか、三沢が接吻したって云うのは」
「それは知らない。皆みんなの前でやったのか。またはほかに人のいない時にやったのか」
0489Ms.名無しさん
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2021/11/27(土) 06:18:52.990
「だって三沢がたった一人でその娘さんの死骸しがいの傍そばにいるはずがないと思いますがね。もし誰もそばにいない時接吻せっぷんしたとすると」
「だから知らんと断ってるじゃないか」
0490Ms.名無しさん
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2021/11/27(土) 06:19:02.480
 自分は黙って考え込んだ。
「いったい兄さんはどうして、そんな話を知ってるんです」
0491Ms.名無しさん
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2021/11/27(土) 06:19:11.080
「Hから聞いた」
 Hとは兄の同僚で、三沢を教えた男であった。そのHは三沢の保証人だったから、少しは関係の深い間柄あいだがらなんだろうけれども、どうしてこんな際きわどい話を聞き込んで、兄に伝えたものだろうか、それは彼も知らなかった。
「兄さんはなぜまた今日までその話を為しずに黙っていたんです」と自分は最後に兄に聞いた。兄は苦にがい顔をして、「する必要がないからさ」と答えた。自分は様子によったらもっと肉薄して見ようかと思っているうちに汽車が着いた。
0492Ms.名無しさん
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2021/11/27(土) 06:19:52.250
        十一

 停車場ステーションを出るとすぐそこに電車が待っていた。兄と自分は手提鞄てさげかばんを持ったまま婦人を扶たすけて急いでそれに乗り込んだ。
 電車は自分達四人が一度に這入はいっただけで、なかなか動き出さなかった。
0493Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 06:20:02.660
「閑静な電車ですね」と自分が侮あなどるように云った。
「これなら妾達わたしたちの荷物を乗っけてもよさそうだね」と母は停車場の方を顧かえりみた。
0494Ms.名無しさん
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2021/11/27(土) 06:20:11.130
 ところへ書物を持った書生体しょせいていの男だの、扇を使う商人風の男だのが二三人前後して車台に上のぼってばらばらに腰をかけ始めたので、運転手はついに把手ハンドルを動かし出した。
 自分達は何だか市の外廓がいかくらしい淋さむしい土塀どべいつづきの狭い町を曲って、二三度停留所を通り越した後のち、高い石垣の下にある濠ほりを見た。濠の中には蓮はすが一面に青い葉を浮べていた。その青い葉の中に、点々と咲く紅くれないの花が、落ちつかない自分達の眼をちらちらさせた。
0495Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 06:20:19.940
「へえーこれが昔のお城かね」と母は感心していた。母の叔母というのが、昔し紀州家の奥に勤めていたとか云うので、母は一層感慨の念が深かったのだろう。自分も子供の時、折々耳にした紀州様、紀州様という封建時代の言葉をふと思い出した。
 和歌山市を通り越して少し田舎道いなかみちを走ると、電車はじき和歌の浦へ着いた。抜目ぬけめのない岡田はかねてから注意して土地で一流の宿屋へ室へやの注文をしたのだが、あいにく避暑の客が込み合って、眺ながめの好い座敷が塞ふさがっているとかで、自分達は直ただちに俥くるまを命じて浜手の角を曲った。そうして海を真前まんまえに控えた高い三階の上層の一室に入った。
0496Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 06:20:28.400
 そこは南と西の開あいた広い座敷だったが、普請ふしんは気の利きいた東京の下宿屋ぐらいなもので、品位からいうと大阪の旅館とはてんで比べ物にならなかった。時々大一座おおいちざでもあった時に使う二階はぶっ通しの大広間で、伽藍堂がらんどうのような真中まんなかに立って、波を打った安畳を眺ながめると、何となく殺風景な感が起った。
 兄はその大広間に仮の仕切として立ててあった六枚折の屏風びょうぶを黙って見ていた。彼はこういうものに対して、父の薫陶くんとうから来た一種の鑑賞力をもっていた。その屏風には妙にべろべろした葉の竹が巧たくみに描えがかれていた。兄は突然後うしろを向いて「おい二郎」と云った。
0497Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 06:20:37.560
 その時兄と自分は下の風呂に行くつもりで二人ながら手拭てぬぐいをさげていた。そうして自分は彼の二間ばかり後うしろに立って、屏風の竹を眺める彼をまた眺めていた。自分は兄がこの屏風の画えについて、何かまた批評を加えるに違いないと思った。
「何です」と答えた。
0498Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 06:20:46.440
「先刻さっき汽車の中で話しが出た、あの三沢の事だね。お前はどう思う」
 兄の質問は実際自分に取って意外であった。彼はなぜその話しを今まで自分に聞かせなかったと汽車の中で問われた時、すでに苦にがい顔をして必要がないからだと答えたばかりであった。
0499Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 06:20:56.030
「例の接吻キッスの話ですか」と自分は聞き返した。
「いえ接吻じゃない。その女が三沢の出る後あとを慕って、早く帰って来てちょうだいと必ず云ったという方の話さ」
0500Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 06:21:05.980
「僕には両方共面白いが、接吻の方が何だかより多く純粋でかつ美しい気がしますね」
 この時自分達は二階の梯子段はしごだんを半分ほど降りていた。兄はその中途でぴたりと留とまった。
「そりゃ詩的に云うのだろう。詩を見る眼で云ったら、両方共等しく面白いだろう。けれどもおれの云うのはそうじゃない。もっと実際問題にしての話だ」
0501Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 09:31:56.710
ポルトガルは、世界でも最もワクチンの接種率が高い国の1つとなっている。
国民の大多数が実験台となり、ワクチンを接種した。
ところが、実験は失敗し、やっぱり感染者が急増した。
そして、当局は、非常事態宣言を発令した。

You@You3_JP
ポルトガルは、成人の99.2%が少なくとも1回ワクチンを接種していて
ワクチンパスポートを導入し、交通機関ではマスク着用が義務付けられている。
いずれも役に立たず、感染者数が急増中である
0502Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 16:24:30.890
        十二

 自分には兄の意味がよく解らなかった。黙って梯子段の下まで降りた。兄も仕方なしに自分の後あとに跟ついて来た。風呂場の入口で立ち留った自分は、ふり返って兄に聞いた。
「実際問題と云うと、どういう事になるんですか。ちょっと僕には解らないんですが」
0503Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 16:24:39.700
 兄は焦急じれったそうに説明した。
「つまりその女がさ、三沢の想像する通り本当にあの男を思っていたか、または先の夫に対して云いたかった事を、我慢して云わずにいたので、精神病の結果ふらふらと口にし始めたのか、どっちだと思うと云うんだ」
0504Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 16:24:49.660
 自分もこの問題は始めその話を聞いた時、少し考えて見た。けれどもどっちがどうだかとうてい分るべきはずの者でないと諦あきらめて、それなり放ってしまった。それで自分は兄の質問に対してこれというほどの意見も持っていなかった。
「僕には解らんです」
「そうか」
0505Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 16:24:59.520
 兄はこう云いながら、やっぱり風呂に這入はいろうともせず、そのまま立っていた。自分も仕方なしに裸になるのを控えていた。風呂は思ったより小さくかつ多少古びていた。自分はまず薄暗い風呂を覗のぞき込んで、また兄に向った。
「兄さんには何か意見が有るんですか」
「おれはどうしてもその女が三沢に気があったのだとしか思われんがね」
「なぜですか」
「なぜでもおれはそう解釈するんだ」
0506Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 16:25:10.060
 二人はその話の結末をつけずに湯に入った。湯から上って婦人連れんと入代った時、室へやには西日がいっぱい射さして、海の上は溶けた鉄のように熱く輝いた。二人は日を避けて次の室に這入った。そうしてそこで相対して坐った時、先刻さっきの問題がまた兄の口から話頭に上のぼった。
「おれはどうしてもこう思うんだがね……」
「ええ」と自分はただおとなしく聞いていた。
0507Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 16:25:18.700
「人間は普通の場合には世間の手前とか義理とかで、いくら云いたくっても云えない事がたくさんあるだろう」
「それはたくさんあります」
0508Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 16:25:28.580
「けれどもそれが精神病になると――云うとすべての精神病を含めて云うようで、医者から笑われるかも知れないが、――しかし精神病になったら、大変気が楽らくになるだろうじゃないか」
「そう云う種類の患者もあるでしょう」
0509Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 16:25:37.370
「ところでさ、もしその女がはたしてそういう種類の精神病患者だとすると、すべて世間並せけんなみの責任はその女の頭の中から消えて無くなってしまうに違なかろう。消えて無くなれば、胸に浮かんだ事なら何でも構わず露骨に云えるだろう。そうすると、その女の三沢に云った言葉は、普通我々が口にする好い加減な挨拶あいさつよりも遥はるかに誠の籠こもった純粋のものじゃなかろうか」
 自分は兄の解釈にひどく感服してしまった。「それは面白い」と思わず手を拍うった。すると兄は案外不機嫌ふきげんな顔をした。
0510Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 16:25:46.150
「面白いとか面白くないとか云う浮いた話じゃない。二郎、実際今の解釈が正確だと思うか」と問いつめるように聞いた。
「そうですね」
0511Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/27(土) 16:25:55.680
 自分は何となく躊躇ちゅうちょしなければならなかった。
「噫々ああああ女も気狂きちがいにして見なくっちゃ、本体はとうてい解らないのかな」
 兄はこう云って苦しい溜息ためいきを洩もらした。
0512Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/28(日) 06:26:12.790
        十三

 宿の下にはかなり大きな掘割ほりわりがあった。それがどうして海へつづいているかちょっと解らなかったが、夕方には漁船が一二艘そうどこからか漕こぎ寄せて来て、緩ゆるやかに楼の前を通り過ぎた。
 自分達はその掘割に沿うて一二丁右の方へ歩いた後あと、また左へ切れて田圃路たんぼみちを横切り始めた。向うを見ると、田の果はてがだらだら坂の上のぼりになって、それを上り尽した土手の縁ふちには、松が左右に長く続いていた。自分達の耳には大きな波の石に砕ける音がどどんどどんと聞えた。三階から見るとその砕けた波が忽然こつぜん白い煙となって空くうに打上げられる様が、明かに見えた。
0513Ms.名無しさん
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2021/11/28(日) 06:27:29.200
 自分達はついにその土手の上へ出た。
波は土手のもう一つ先にある厚く築き上げられた石垣に当って、
みごとに粉微塵こみじんとなった末、煮え返るような色を起して空くうを吹くのが常であったが、
たまには崩くずれたなり石垣の上を流れ越えて、
ざっと内側へ落ち込んだりする大きいのもあった。
 自分達はしばらくその壮観に見惚みとれていたが、
やがて強い浪なみの響を耳にしながら歩き出した。その時母と自分は、
これが片男波かたおなみだろうと好い加減な想像を話の種に二人並んで歩いた。
兄夫婦は自分達より少し先へ行った。二人とも浴衣ゆかたがけで、兄は細い洋杖ステッキを突いていた。
嫂あによめはまた幅の狭い御殿模様か何かの麻あさの帯を締めていた。
彼らは自分達よりほとんど二十間ばかり先へ出ていた。そうして二人とも並んで足を運ばして行った。
けれども彼らの間にはかれこれ一間の距離があった。母はそれを気にするような、
また気にしないような眼遣めづかいで、時々見た。その見方がまた余りに神経的なので、
母の心はこの二人について何事かを考えながら歩いているとしか思えなかった。けれども自分は話しの面倒になるのを恐れたから、素知そしらぬ顔をしてわざと緩々ゆるゆる歩いた。そうしてなるべく呑のん気きそうに見せるつもりで母を笑わせるような剽軽ひょうきんな事ばかり饒舌しゃべった。母はいつもの通り「二郎、御前見たいに暮して行けたら、世間に苦はあるまいね」と云ったりした。
 しまいに彼女はとうとう堪こらえ切れなくなったと見えて、「二郎あれを御覧」と云い出した。
0514Ms.名無しさん
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2021/11/28(日) 06:27:45.150
「何ですか」と自分は聞き返した。
「あれだから本当に困るよ」と母が云った。その時母の眼は先へ行く二人の後姿をじっと見つめていた。自分は少くとも彼女の困ると云った意味を表向おもてむき承認しない訳に行かなかった。
0515Ms.名無しさん
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2021/11/28(日) 06:27:55.870
「また何か兄さんの気に障さわる事でもできたんですか」
「そりゃあの人の事だから何とも云えないがね。けれども夫婦となった以上は、お前、いくら旦那だんなが素そっ気けなくしていたって、こっちは女だもの。直なおの方から少しは機嫌きげんの直るように仕向けてくれなくっちゃ困るじゃないか。あれを御覧な、あれじゃまるであかの他人が同おんなじ方角へ歩いて行くのと違やしないやね。なんぼ一郎だって直に傍へ寄ってくれるなと頼みやしまいし」
0516Ms.名無しさん
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2021/11/28(日) 06:28:08.220
 母は無言のまま離れて歩いている夫婦のうちで、ただ嫂あによめの方にばかり罪を着せたがった。これには多少自分にも同感なところもあった。そうしてこの同感は平生から兄夫婦の関係を傍はたで見ているものの胸にはきっと起る自然のものであった。
「兄さんはまた何か考え込んでいるんですよ。それで姉さんも遠慮してわざと口を利きかずにいるんでしょう」
 自分は母のためにわざとこんな気休きやすめを云ってごまかそうとした。
0517Ms.名無しさん
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2021/11/28(日) 06:28:19.800
        十四

「たとい何か考えているにしてもだね。直なおの方がああ無頓着むとんじゃくじゃ片っ方でも口の利きようがないよ。まるでわざわざ離れて歩いているようだもの」
 兄に同情の多い母から見ると、嫂の後姿うしろすがたは、いかにも冷淡らしく思われたのだろう。が自分はそれに対して何とも答えなかった。ただ歩きながら嫂の性格をもっと一般的に考えるようになった。自分は母の批評が満更まんざら当っていないとも思わなかった。けれども我肉身の子を可愛かわいがり過ぎるせいで、少し彼女の欠点を苛酷かこくに見ていはしまいかと疑った。
0518Ms.名無しさん
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2021/11/28(日) 06:28:29.790
 自分の見た彼女はけっして温あたたかい女ではなかった。けれども相手から熱を与えると、温め得る女であった。持って生れた天然の愛嬌あいきょうのない代りには、こっちの手加減でずいぶん愛嬌を搾しぼり出す事のできる女であった。自分は腹の立つほどの冷淡さを嫁入後よめいりごの彼女に見出した事が時々あった。けれども矯ためがたい不親切や残酷心はまさかにあるまいと信じていた。
 不幸にして兄は今自分が嫂について云ったような気質を多量に具えていた。したがって同じ型に出来上ったこの夫婦は、己おのれの要するものを、要する事のできないお互に対して、初手しょてから求め合っていて、いまだにしっくり反そりが合わずにいるのではあるまいか。時々兄の機嫌きげんの好い時だけ、嫂も愉快そうに見えるのは、兄の方が熱しやすい性たちだけに、女に働きかける温か味の功力くりきと見るのが当然だろう。そうでない時は、母が嫂を冷淡過ぎると評するように、嫂もまた兄を冷淡過ぎると腹のうちで評しているかも知れない。
0519Ms.名無しさん
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2021/11/28(日) 06:28:39.120
 自分は母と並んで歩きながら先へ行く二人をこんなに考えた。けれども母に対してはそんなむずかしい理窟りくつを云う気にはなれなかった。すると「どうも不思議だよ」と母が云い出した。
「いったい直は愛嬌のある質たちじゃないが、御父さんや妾わたしにはいつだって同おんなじ調子だがね。二郎、御前にだってそうだろう」
0520Ms.名無しさん
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2021/11/28(日) 06:28:50.940
 これは全く母の云う通りであった。自分は元来性急せっかちな性分で、よく大きな声を出したり、怒鳴どなりつけたりするが、不思議にまだ嫂あによめと喧嘩けんかをした例ためしはなかったのみならず、場合によると、兄よりもかえって心おきなく話をした。
「僕にもそうですがね。なるほどそう云われれば少々変には違ない」
「だからさ妾わたしには直が一郎に対してだけ、わざわざ、あんな風をつらあてがましくやっているように思われて仕方がないんだよ」
「まさか」
0521Ms.名無しさん
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2021/11/28(日) 09:49:05.950
【ほんこれ】『5万円の現金をわざわざ900億の手数料をかけて価値の下がるクーポンに変える意味がわからない…』
http://otanew.jp/archives/9791804.html
0523Ms.名無しさん
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2021/11/28(日) 15:04:09.250
        十三

 宿の下にはかなり大きな掘割ほりわりがあった。それがどうして海へつづいているかちょっと解らなかったが、夕方には漁船が一二艘そうどこからか漕こぎ寄せて来て、緩ゆるやかに楼の前を通り過ぎた。
 自分達はその掘割に沿うて一二丁右の方へ歩いた後あと、また左へ切れて田圃路たんぼみちを横切り始めた。向うを見ると、田の果はてがだらだら坂の上のぼりになって、それを上り尽した土手の縁ふちには、松が左右に長く続いていた。自分達の耳には大きな波の石に砕ける音がどどんどどんと聞えた。三階から見るとその砕けた波が忽然こつぜん白い煙となって空くうに打上げられる様が、明かに見えた。
0524Ms.名無しさん
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2021/11/28(日) 15:04:22.930
 自分達はついにその土手の上へ出た。波は土手のもう一つ先にある厚く築き上げられた石垣に当って、みごとに粉微塵こみじんとなった末、煮え返るような色を起して空くうを吹くのが常であったが、たまには崩くずれたなり石垣の上を流れ越えて、ざっと内側へ落ち込んだりする大きいのもあった。
 自分達はしばらくその壮観に見惚みとれていたが、やがて強い浪なみの響を耳にしながら歩き出した。その時母と自分は、これが片男波かたおなみだろうと好い加減な想像を話の種に二人並んで歩いた。兄夫婦は自分達より少し先へ行った。二人とも浴衣ゆかたがけで、兄は細い洋杖ステッキを突いていた。嫂あによめはまた幅の狭い御殿模様か何かの麻あさの帯を締めていた。彼らは自分達よりほとんど二十間ばかり先へ出ていた。そうして二人とも並んで足を運ばして行った。けれども彼らの間にはかれこれ一間の距離があった。母はそれを気にするような、また気にしないような眼遣めづかいで、時々見た。その見方がまた余りに神経的なので、母の心はこの二人について何事かを考えながら歩いているとしか思えなかった。けれども自分は話しの面倒になるのを恐れたから、素知そしらぬ顔をしてわざと緩々ゆるゆる歩いた。そうしてなるべく呑のん気きそうに見せるつもりで母を笑わせるような剽軽ひょうきんな事ばかり饒舌しゃべった。母はいつもの通り「二郎、御前見たいに暮して行けたら、世間に苦はあるまいね」と云ったりした。
0525Ms.名無しさん
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2021/11/28(日) 15:04:33.420
 しまいに彼女はとうとう堪こらえ切れなくなったと見えて、「二郎あれを御覧」と云い出した。
「何ですか」と自分は聞き返した。
「あれだから本当に困るよ」と母が云った。その時母の眼は先へ行く二人の後姿をじっと見つめていた。自分は少くとも彼女の困ると云った意味を表向おもてむき承認しない訳に行かなかった。
0526Ms.名無しさん
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2021/11/28(日) 15:04:42.350
「また何か兄さんの気に障さわる事でもできたんですか」
「そりゃあの人の事だから何とも云えないがね。けれども夫婦となった以上は、お前、いくら旦那だんなが素そっ気けなくしていたって、こっちは女だもの。直なおの方から少しは機嫌きげんの直るように仕向けてくれなくっちゃ困るじゃないか。あれを御覧な、あれじゃまるであかの他人が同おんなじ方角へ歩いて行くのと違やしないやね。なんぼ一郎だって直に傍へ寄ってくれるなと頼みやしまいし」
0527Ms.名無しさん
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2021/11/28(日) 15:04:50.190
 母は無言のまま離れて歩いている夫婦のうちで、ただ嫂あによめの方にばかり罪を着せたがった。これには多少自分にも同感なところもあった。そうしてこの同感は平生から兄夫婦の関係を傍はたで見ているものの胸にはきっと起る自然のものであった。
「兄さんはまた何か考え込んでいるんですよ。それで姉さんも遠慮してわざと口を利きかずにいるんでしょう」
 自分は母のためにわざとこんな気休きやすめを云ってごまかそうとした。
0528Ms.名無しさん
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2021/11/29(月) 05:57:33.610
        十四

「たとい何か考えているにしてもだね。直なおの方がああ無頓着むとんじゃくじゃ片っ方でも口の利きようがないよ。まるでわざわざ離れて歩いているようだもの」
 兄に同情の多い母から見ると、嫂の後姿うしろすがたは、いかにも冷淡らしく思われたのだろう。が自分はそれに対して何とも答えなかった。ただ歩きながら嫂の性格をもっと一般的に考えるようになった。自分は母の批評が満更まんざら当っていないとも思わなかった。けれども我肉身の子を可愛かわいがり過ぎるせいで、少し彼女の欠点を苛酷かこくに見ていはしまいかと疑った。
0529Ms.名無しさん
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2021/11/29(月) 05:57:46.450
 自分の見た彼女はけっして温あたたかい女ではなかった。けれども相手から熱を与えると、温め得る女であった。持って生れた天然の愛嬌あいきょうのない代りには、こっちの手加減でずいぶん愛嬌を搾しぼり出す事のできる女であった。自分は腹の立つほどの冷淡さを嫁入後よめいりごの彼女に見出した事が時々あった。けれども矯ためがたい不親切や残酷心はまさかにあるまいと信じていた。
 不幸にして兄は今自分が嫂について云ったような気質を多量に具えていた。したがって同じ型に出来上ったこの夫婦は、己おのれの要するものを、要する事のできないお互に対して、初手しょてから求め合っていて、いまだにしっくり反そりが合わずにいるのではあるまいか。時々兄の機嫌きげんの好い時だけ、嫂も愉快そうに見えるのは、兄の方が熱しやすい性たちだけに、女に働きかける温か味の功力くりきと見るのが当然だろう。そうでない時は、母が嫂を冷淡過ぎると評するように、嫂もまた兄を冷淡過ぎると腹のうちで評しているかも知れない。
0530Ms.名無しさん
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2021/11/29(月) 05:57:56.040
 自分は母と並んで歩きながら先へ行く二人をこんなに考えた。けれども母に対してはそんなむずかしい理窟りくつを云う気にはなれなかった。すると「どうも不思議だよ」と母が云い出した。
「いったい直は愛嬌のある質たちじゃないが、御父さんや妾わたしにはいつだって同おんなじ調子だがね。二郎、御前にだってそうだろう」
0531Ms.名無しさん
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2021/11/29(月) 05:58:05.360
 これは全く母の云う通りであった。自分は元来性急せっかちな性分で、よく大きな声を出したり、怒鳴どなりつけたりするが、不思議にまだ嫂あによめと喧嘩けんかをした例ためしはなかったのみならず、場合によると、兄よりもかえって心おきなく話をした。
「僕にもそうですがね。なるほどそう云われれば少々変には違ない」
0532Ms.名無しさん
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2021/11/29(月) 05:58:15.550
「だからさ妾わたしには直が一郎に対してだけ、わざわざ、あんな風をつらあてがましくやっているように思われて仕方がないんだよ」
「まさか」
 自白すると自分はこの問題を母ほど細こまかく考えていなかった。したがってそんな疑いを挟さしはさむ余地がなかった。あってもその原因が第一不審であった。
0533Ms.名無しさん
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2021/11/29(月) 05:58:26.500
「だって宅中うちじゅうで兄さんが一番大事な人じゃありませんか、姉さんにとって」
「だからさ。御母さんには訳が解らないと云うのさ」
0534Ms.名無しさん
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2021/11/29(月) 05:58:38.360
 自分にはせっかくこんな景色の好い所へ来ながら、際限もなく母を相手に、嫂を陰で評しているのが馬鹿らしく感ぜられてきた。
「そのうち機会おりがあったら、姉さんにまたよく腹の中を僕から聞いて見ましょう。何心配するほどの事はありませんよ」と云い切って、向むこうの石垣まで突き出している掛茶屋から防波堤ぼうはていの上に馳かけ上った。そうして、精一杯の声を揚あげて、「おーいおーい」と呼んだ。兄夫婦は驚いてふり向いた。その時石の堤に当って砕けた波が、吹き上げる泡あわと脚あしを洗う流れとで、自分を濡鼠ぬれねずみのごとくにした。
 自分は母に叱られながら、ぽたぽた雫しずくを垂らして、三人と共に宿に帰った。どどんどどんという波の音が、帰り道中じゅう自分の鼓膜こまくに響いた。
0535Ms.名無しさん
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2021/11/29(月) 09:23:40.170
国産ワクチン競争、トップ交代
治験で有効性確認できず
https://nordot.app/837570600464564224?c=39546741839462401

大阪大発の製薬ベンチャー、アンジェス(大阪府茨木市)が進めていた新型コロナウイルスワクチンの治験で有効性が確認できず、
実用化の時期を2021年から23年に先送りした。
0536Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 04:18:00.620
【低賃金で働く正社員が増えている】
「正社員なのに手取り14万円」 唯一の贅沢は月1度の銭湯 夢も希望も持てないです★5
手取り14万円──。
毎月の給与明細を見るたびに、関東地方で暮らす会社員の女性(20代)は嘆息する。
「夢も希望も持てないです」
最低賃金の1.1倍未満で働く人の割合は07年の1.5%から20年は3.8%、
同様に1.2倍未満は2.4%から6.9%に上昇した。
1.3倍未満まで広げると4.1%から11.7%に増えた。
また、中所得者層より上の収入の正社員も減っている。
年収400万円以上の35〜39歳の男性正社員の割合は、
1997年の約8割から17年には6割にまで減ったという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cdaba91c5969a337da8b16578aa65a187622a8a2
0537Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 04:18:46.670
コロナワクチン 接種直後に死亡は1300人超 割り切れぬ遺族の思い

◆死亡者の補償給付はゼロ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/144078/2
0539Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 06:44:11.310
        十五
 その晩自分は母といっしょに真白な蚊帳かやの中に寝た。普通の麻よりは遥はるかに薄くできているので、風が来て綺麗きれいなレースを弄もてあそぶ様さまが涼しそうに見えた。
「好い蚊帳ですね。宅うちでも一つこんなのを買おうじゃありませんか」と母に勧めた。
0540Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 06:44:25.050
「こりゃ見てくれだけは綺麗だが、それほど高いものじゃないよ。かえって宅にあるあの白麻の方が上等なんだよ。ただこっちのほうが軽くって、継つぎ目めがないだけに華奢きゃしゃに見えるのさ」
 母は昔ものだけあって宅うちにある岩国いわくにかどこかでできる麻の蚊帳の方を賞ほめていた。
0541Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 06:44:35.580
「だいち寝冷ねびえをしないだけでもあっちの方が得じゃないか」と云った。
 下女が来て障子しょうじを締め切ってから、蚊帳は少しも動かなくなった。
0542Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 06:44:46.090
「急に暑苦しくなりましたね」と自分は嘆息するように云った。
「そうさね」と答えた母の言葉は、まるで暑さが苦にならないほど落ちついていた。それでも団扇遣うちわづかいの音だけは微かすかに聞こえた。
0543Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 06:44:56.070
 母はそれからふっつり口を利きかなくなった。自分も眼を眠ねむった。襖ふすま一つ隔てた隣座敷には兄夫婦が寝ていた。これは先刻さっきから静しずかであった。自分の話相手がなくなってこっちの室へやが急にひっそりして見ると、兄の室はなお森閑と自分の耳を澄ました。
 自分は眼を閉じたままじっとしていた。しかしいつまで経たっても寝つかれなかった。しまいには静さに祟たたられたようなこの暑い苦しみを痛切に感じ出した。それで母の眠ねむりを妨さまたげないようにそっと蒲団ふとんの上に起き直った。それから蚊帳かやの裾すそを捲まくって縁側えんがわへ出る気で、なるべく音のしないように障子しょうじをすうと開あけにかかった。すると今まで寝入っていたとばかり思った母が突然「二郎どこへ行くんだい」と聞いた。
0544Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 06:45:05.030
「あんまり寝苦しいから、縁側へ出て少し涼もうと思います」
「そうかい」
0545Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 06:45:16.380
 母の声は明晰めいせきで落ちついていた。自分はその調子で、彼女がまんじりともせずに今まで起きていた事を知った。
「御母さんも、まだ御休みにならないんですか」
0546Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 06:45:26.460
「ええ寝床の変ったせいか何だか勝手が違ってね」
 自分は貸浴衣かしゆかたの腰に三尺帯を一重ひとえ廻しただけで、懐ふところへ敷島しきしまの袋と燐寸マッチを入れて縁側へ出た。縁側には白いカヴァーのかかった椅子が二脚ほど出ていた。自分はその一脚を引き寄せて腰をかけた。
0547Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/30(火) 06:45:39.870
「あまりがたがた云わして、兄さんの邪魔になるといけないよ」
 母からこう注意された自分は、煙草たばこを吹かしながら黙って、夢のような眼前めのまえの景色を眺めていた。景色は夜と共に無論ぼんやりしていた。月のない晩なので、ことさら暗いものが蔓はびこり過ぎた。そのうちに昼間見た土手の松並木だけが一際ひときわ黒ずんで左右に長い帯を引き渡していた。その下に浪なみの砕けた白い泡が夜の中に絶間なく動揺するのが、比較的刺戟強しげきづよく見えた。
「もう好い加減に御這入おはいりよ。風邪かぜでも引くといけないから」
0548Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 06:45:52.840
 母は障子しょうじの内からこう云って注意した。自分は椅子に倚よりながら、母に夜の景色を見せようと思ってちょっと勧めたが、彼女は応じなかった。自分は素直にまた蚊帳の中に這入って、枕の上に頭を着けた。
 自分が蚊帳を出たり這入ったりした間、兄夫婦の室は森しんとして元のごとく静かであった。自分が再び床に着いた後あとも依然として同じ沈黙に鎖とざされていた。ただ防波堤に当って砕ける波の音のみが、どどんどどんといつまでも響いた。
0549Ms.名無しさん
垢版 |
2021/11/30(火) 06:46:04.640
        十六

 朝起きて膳ぜんに向った時見ると、四人よつたりはことごとく寝足らない顔をしていた。そうして四人ともその寝足らない雲を膳の上に打ちひろげてわざと会話を陰気にしているらしかった。自分も変に窮屈だった。
「昨夕ゆうべ食った鯛たいの焙烙蒸ほうろくむしにあてられたらしい」と云って、自分は不味まずそうな顔をして席を立った。手摺てすりの所へ来て、隣に見える東洋第一エレヴェーターと云う看板を眺めていた。この昇降器は普通のように、家の下層から上層に通じているのとは違って、地面から岩山の頂いただきまで物数奇ものずきな人間を引き上げる仕掛であった。所にも似ず無風流ぶふうりゅうな装置には違ないが、浅草にもまだない新しさが、昨日きのうから自分の注意を惹ひいていた。
0551Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 13:35:11.060
思春期の何でも語るスレ?

引き篭もりのジジババしかいないよ
過疎5ちゃん
0552Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 20:18:18.700
 はたして早起の客が二人三人ぽつぽつもう乗り始めた。早く食事を終えた兄はいつの間にか、自分の後うしろへ来て、小楊枝こようじを使いながら、上のぼったり下おりたりする鉄の箱を自分と同じように眺めていた。
「二郎、今朝けさちょっとあの昇降器へ乗って見ようじゃないか」と兄が突然云った。
0553Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 20:18:31.110
 自分は兄にしてはちと子供らしい事を云うと思って、ひょっと後うしろを顧かえりみた。
「何だか面白そうじゃないか」と兄は柄がらにもない稚気ちきを言葉に現した。自分は昇降器へ乗るのは好いが、ある目的地へ行けるかどうかそれが危あやしかった。
「どこへ行けるんでしょう」
0554Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 20:18:46.060
「どこだって構わない。さあ行こう」
 自分は母と嫂あによめも無論いっしょに連れて行くつもりで、「さあさあ」と大きな声で呼び掛けた。すると兄は急に自分を留めた。
「二人で行こう。二人ぎりで」と云った。
 そこへ母と嫂が「どこへ行くの」と云って顔を出した。
0555Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 20:18:55.550
「何ちょっとあのエレヴェーターへ乗って見るんです。二郎といっしょに。女には剣呑けんのんだから、御母さんや直なおは止した方が好いでしょう。僕らがまあ乗って、試ためして見ますから」
 母は虚空こくうに昇って行く鉄の箱を見ながら気味の悪そうな顔をした。
0556Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 20:19:06.020
「直お前どうするい」
 母がこう聞いた時、嫂は例の通り淋さむしい靨えくぼを寄せて、「妾わたくしはどうでも構いません」と答えた。それがおとなしいとも取れるし、また聴きようでは、冷淡とも無愛想とも取れた。それを自分は兄に対して気の毒と思い嫂に対しては損だと考えた。
0557Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 20:19:14.940
 二人は浴衣ゆかたがけで宿を出ると、すぐ昇降器へ乗った。箱は一間四方くらいのもので、中に五六人這入はいると戸を閉めて、すぐ引き上げられた。兄と自分は顔さえ出す事のできない鉄の棒の間から外を見た。そうして非常に欝陶うっとうしい感じを起した。
「牢屋見たいだな」と兄が低い声で私語ささやいた。
「そうですね」と自分が答えた。
0558Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 20:19:25.980
「人間もこの通りだ」
 兄は時々こんな哲学者めいた事をいう癖があった。自分はただ「そうですな」と答えただけであった。けれども兄の言葉は単にその輪廓りんかくぐらいしか自分には呑み込めなかった。
0559Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 20:19:36.910
 牢屋に似た箱の上のぼりつめた頂点は、小さい石山の天辺てっぺんであった。そのところどころに背の低い松が噛かじりつくように青味を添えて、単調を破るのが、夏の眼に嬉うれしく映った。そうしてわずかな平地ひらちに掛茶屋があって、猿が一匹飼ってあった。兄と自分は猿に芋をやったり、調戯からかったりして、物の十分もその茶屋で費やした。
「どこか二人だけで話す所はないかな」
 兄はこう云って四方あたりを見渡した。その眼は本当に二人だけで話のできる静かな場所を見つけているらしかった。
0560Ms.名無しさん
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2021/11/30(火) 20:19:47.170
        十七

 そこは高い地勢のお蔭で四方ともよく見晴らされた。ことに有名な紀三井寺きみいでらを蓊欝こんもりした木立こだちの中に遠く望む事ができた。その麓ふもとに入江らしく穏かに光る水がまた海浜かいひんとは思われない沢辺さわべの景色を、複雑な色に描き出していた。自分は傍そばにいる人から浄瑠璃じょうるりにある下さがり松まつというのを教えて貰った。その松はなるほど懸崖けんがいを伝うように逆さかに枝を伸のしていた。
 兄は茶店の女に、ここいらで静しずかな話をするに都合の好い場所はないかと尋ねていたが、茶店の女は兄の問が解らないのか、何を云っても少しも要領を得なかった。そうして地方訛ちほうなまりののしとかいう語尾をしきりに繰返した。
0561Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 06:54:42.690
 しまいに兄は「じゃその権現様ごんげんさまへでも行くかな」と云い出した。
「権現様も名所の一つだから好いでしょう」
0562Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 06:54:53.330
 二人はすぐ山を下りた。俥くるまにも乗らず、傘かさも差さず、麦藁帽子むぎわらぼうしだけ被かぶって暑い砂道を歩いた。こうして兄といっしょに昇降器へ乗ったり、権現へ行ったりするのが、その日は自分に取って、何だか不安に感ぜられた。平生でも兄と差向いになると多少気不精きぶっせいには違なかったけれども、その日ほど落ちつかない事もまた珍らしかった。自分は兄から「おい二郎二人で行こう、二人ぎりで」と云われた時からすでに変な心持がした。
 二人は額から油汗をじりじり湧わかした。その上に自分は実際昨夕ゆうべ食った鯛たいの焙烙蒸ほうろくむしに少しあてられていた。そこへだんだん高くなる太陽が容赦なく具合の悪い頭を照らしたので、自分は仕方なしに黙って歩いていた。兄も無言のまま体を運ばした。宿で借りた粗末な下駄げたがさくさく砂に喰い込む音が耳についた。
0563Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 06:55:05.380
「二郎どうかしたか」
 兄の声は全く藪やぶから棒が急に出たように自分を驚かした。
「少し心持が変です」
 二人はまた無言で歩き出した。
0564Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 06:55:16.020
 ようやく権現の下へ来た時、細い急な石段を仰ぎ見た自分は、その高いのに辟易へきえきするだけで、容易に登る勇気は出し得なかった。兄はその下に並べてある藁草履わらぞうりを突掛けて十段ばかり一人で上のぼって行ったが、後あとから続かない自分に気がついて、「おい来ないか」と嶮けわしく呼んだ。自分も仕方なしに婆さんから草履を一足借りて、骨を折って石段を上り始めた。それでも中途ぐらいから一歩ごとに膝ひざの上に両手を置いて、身体からだの重みを託さなければならなかった。兄を下から見上げるとさも焦熱じれったそうに頂上の山門の角に立っていた。
「まるで酔っ払いのようじゃないか、段々を筋違すじかいに練って歩くざまは」
0565Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 06:55:24.730
 自分は何と評されても構わない気で、早速帽子を地じの上に投げると同時に、肌を抜いだ。扇を持たないので、手にした手帛ハンケチでしきりに胸の辺りを払った。自分は後うしろから「おい二郎」ときっと何か云われるだろうと思って、内心穏かでなかったせいか、汗に濡ぬれた手帛をむやみに振り動かした。そうして「暑い暑い」と続けさまに云った。
 兄はやがて自分の傍そばへ来てそこにあった石に腰をおろした。その石の後は篠竹しのだけが一面に生えて遥はるかの下まで石垣の縁ふちを隠すように茂っていた。その中から大きな椿つばきが所々に白茶けた幹を現すのがことに目立って見えた。
「なるほどここは静しずかだ。ここならゆっくり話ができそうだ」と兄は四方あたりを見廻した。
0566Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 06:55:34.310
        十八

「二郎少し御前に話があるがね」と兄が云った。
「何です」
 兄はしばらく逡巡しゅんじゅんして口を開かなかった。自分はまたそれを聞くのが厭いやさに、催促もしなかった。
「ここは涼しいですね」と云った。
0567Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 06:55:42.880
「ああ涼しい」と兄も答えた。
 実際そこは日影に遠いせいか涼しい風の通う高みであった。自分は三四分手帛を動かした後のち、急に肌を入れた。山門の裏には物寂ものさびた小さい拝殿があった。よほど古い建物と見えて、軒に彫つけた獅子の頭などは絵の具が半分剥はげかかっていた。
 自分は立って山門を潜くぐって拝殿の方へ行った。
0568Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/01(水) 06:55:51.670
兄さんこっちの方がまだ涼しい。こっちへいらっしゃい」
 兄は答えもしなかった。自分はそれを機しおに拝殿の前面を左右に逍遥しょうようした。そうして暑い日を遮さえぎる高い常磐木ときわぎを見ていた。ところへ兄が不平な顔をして自分に近づいて来た。
「おい少し話しがあるんだと云ったじゃないか」
0569Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 06:56:04.240
 自分は仕方なしに拝殿の段々に腰をかけた。兄も自分に並んで腰をかけた。
「何ですか」
「実は直なおの事だがね」と兄ははなはだ云い悪にくいところをやっと云い切ったという風に見えた。自分は「直」という言葉を聞くや否や冷ひやりとした。兄夫婦の間柄は母が自分に訴えた通り、自分にもたいていは呑のみ込めていた。そうして母に約束したごとく、自分はいつか折を見て、嫂あによめに腹の中をとっくり聴糺ききただした上、こっちからその知識をもって、積極的に兄に向むかおうと思っていた。それを自分がやらないうちに、もし兄から先せんを越されでもすると困るので、自分はひそかにそこを心配していた。実を云うと、今朝けさ兄から「二郎、二人で行こう、二人ぎりで」と云われた時、自分はあるいはこの問題が出るのではあるまいかと掛念けねんして自おのずと厭いやになったのである。
0570Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 06:56:13.500
「嫂ねえさんがどうかしたんですか」と自分はやむを得ず兄に聞き返した。
「直は御前に惚ほれてるんじゃないか」
 兄の言葉は突然であった。かつ普通兄のもっている品格にあたいしなかった。
0571Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 06:56:22.300
「どうして」
「どうしてと聞かれると困る。それから失礼だと怒られてはなお困る。何も文ふみを拾ったとか、接吻せっぷんしたところを見たとか云う実証から来た話ではないんだから。本当いうと表向おもてむきこんな愚劣な問を、いやしくも夫たるおれが、他人に向ってかけられた訳のものではない。ないが相手が御前だからおれもおれの体面を構わずに、聞き悪いところを我慢して聞くんだ。だから云ってくれ」
「だって嫂さんですぜ相手は。夫のある婦人、ことに現在の嫂ですぜ」
 自分はこう答えた。そうしてこう答えるよりほかに何と云う言葉も出なかった。
「それは表面の形式から云えば誰もそう答えなければならない。御前も普通の人間だからそう答えるのが至当だろう。おれもその一言いちごんを聞けばただ恥じ入るよりほかに仕方がない。けれども二郎御前は幸いに正直な御父さんの遺伝を受けている。それに近頃の、何事も隠さないという主義を最高のものとして信じているから聞くのだ。形式上の答えはおれにも聞かない先から解っているが、ただ聞きたいのは、もっと奥の奥の底にある御前の感じだ。その本当のところをどうぞ聞かしてくれ」
0572Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 06:56:31.470
        十九

「そんな腹の奥の奥底にある感じなんて僕に有るはずがないじゃありませんか」
 こう答えた時、自分は兄の顔を見ないで、山門の屋根を眺めていた。兄の言葉はしばらく自分の耳に聞こえなかった。するとそれが一種の癇高かんだかい、さも昂奮こうふんを抑おさえたような調子になって響いて来た。
0573Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 06:56:40.770
「おい二郎何だってそんな軽薄な挨拶あいさつをする。おれと御前は兄弟じゃないか」
 自分は驚いて兄の顔を見た。兄の顔は常磐木ときわぎの影で見るせいかやや蒼味あおみを帯びていた。
0574Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 07:49:24.050
「兄弟ですとも。僕はあなたの本当の弟おととです。だから本当の事を御答えしたつもりです。今云ったのはけっして空々しい挨拶でも何でもありません。真底そうだからそういうのです」
 兄の神経の鋭敏なごとく自分は熱しやすい性急せっかちであった。平生の自分ならあるいはこんな返事は出なかったかも知れない。兄はその時簡単な一句を射た。
「きっと」
「ええきっと」
0575Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 07:49:33.500
「だって御前の顔は赤いじゃないか」
 実際その時の自分の顔は赤かったかも知れない。兄の面色めんしょくの蒼あおいのに反して、自分は我知らず、両方の頬の熱ほてるのを強く感じた。その上自分は何と返事をして好いか分らなかった。
 すると兄は何と思ったかたちまち階段から腰を起した。そうして腕組をしながら、自分の席を取っている前を右左に歩き出した。自分は不安な眼をして、彼の姿を見守った。彼は始めから眼を地面の上に落していた。二三度自分の前を横切ったけれどもけっして一遍もその眼を上げて自分を見なかった。三度目に彼は突如として、自分の前に来て立ち留った。
0576Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 07:49:42.400
「二郎」
「はい」
「おれは御前の兄だったね。誠に子供らしい事を云って済まなかった」
 兄の眼の中には涙がいっぱい溜たまっていた。
「なぜです」
0579Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 13:04:26.780
ブルームバーグニュース
@BloombergJapan
経団連は2022年の春闘に向けた経営側の指針で、一律の賃上げを見送ると日経が報じた。

岸田首相が求める3%の賃上げは好業績企業を中心に対応するよう求める
0580Ms.名無しさん
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2021/12/01(水) 13:06:31.990
Bloomberg@business
Japan’s business community is supporting the government's
decision to shut its borders to new foreigners as a measure against the omicron variant,
despite earlier urging for the country to reopen
0582Ms.名無しさん
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2021/12/02(木) 09:57:08.220
「おれはこれでも御前より学問も余計したつもりだ。見識も普通の人間より持っているとばかり今日こんにちまで考えていた。ところがあんな子供らしい事をつい口にしてしまった。まことに面目めんぼくない。どうぞ兄を軽蔑けいべつしてくれるな」
「なぜです」
 自分は簡単なこの問を再び繰返した。
0583Ms.名無しさん
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2021/12/02(木) 09:57:17.370
「なぜですとそう真面目まじめに聞いてくれるな。ああおれは馬鹿だ」
 兄はこう云って手を出した。自分はすぐその手を握った。兄の手は冷たかった。自分の手も冷たかった。
0584Ms.名無しさん
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2021/12/02(木) 09:57:27.020
「ただ御前の顔が少しばかり赤くなったからと云って、御前の言葉を疑ぐるなんて、まことに御前の人格に対して済まない事だ。どうぞ堪忍かんにんしてくれ」
 自分は兄の気質が女に似て陰晴常なき天候のごとく変るのをよく承知していた。しかし一ひと見識けんしきある彼の特長として、自分にはそれが天真爛漫てんしんらんまんの子供らしく見えたり、または玉のように玲瓏れいろうな詩人らしく見えたりした。自分は彼を尊敬しつつも、どこか馬鹿にしやすいところのある男のように考えない訳に行かなかった。自分は彼の手を握ったまま「兄さん、今日は頭がどうかしているんですよ。そんな下らない事はもうこれぎりにしてそろそろ帰ろうじゃありませんか」と云った。
0585Ms.名無しさん
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2021/12/02(木) 09:57:35.910
        二十

 兄は突然自分の手を放した。けれどもけっしてそこを動こうとしなかった。元の通り立ったまま何も云わずに自分を見下した。
「御前他ひとの心が解るかい」と突然聞いた。
0586Ms.名無しさん
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2021/12/02(木) 09:57:44.720
 今度は自分の方が何も云わずに兄を見上げなければならなかった。
「僕の心が兄さんには分らないんですか」とやや間を置いて云った。自分の答には兄の言葉より一種の根強さが籠こもっていた。
0587Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/02(木) 09:57:52.100
「御前の心はおれによく解っている」と兄はすぐ答えた。
「じゃそれで好いじゃありませんか」と自分は云った。
0588Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/02(木) 09:58:00.690
「いや御前の心じゃない。女の心の事を云ってるんだ」
 兄の言語のうち、後あと一句には火の付いたような鋭さがあった。その鋭さが自分の耳に一種異様の響を伝えた。
0589Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/02(木) 09:58:09.140
「女の心だって男の心だって」と云いかけた自分を彼は急に遮さえぎった。
「御前は幸福な男だ。おそらくそんな事をまだ研究する必要が出て来なかったんだろう」
0590Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/02(木) 09:58:19.020
「そりゃ兄さんのような学者じゃないから……」
「馬鹿云え」と兄は叱りつけるように叫んだ。
0591Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/02(木) 09:58:28.850
「書物の研究とか心理学の説明とか、そんな廻り遠い研究を指すのじゃない。現在自分の眼前にいて、最も親しかるべきはずの人、その人の心を研究しなければ、いても立ってもいられないというような必要に出逢であった事があるかと聞いてるんだ」
 最も親しかるべきはずの人と云った兄の意味は自分にすぐ解った。
0592Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/02(木) 09:58:39.120
「兄さんはあんまり考え過ぎるんじゃありませんか、学問をした結果。もう少し馬鹿になったら好いでしょう」
「向うでわざと考えさせるように仕向けて来るんだ。おれの考え慣れた頭を逆に利用して。どうしても馬鹿にさせてくれないんだ」
0593Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/02(木) 09:58:46.970
 自分はここにいたって、ほとんど慰藉いしゃの辞じに窮した。自分より幾倍立派な頭をもっているか分らない兄が、こんな妙な問題に対して自分より幾倍頭を悩めているかを考えると、はなはだ気の毒でならなかった。兄が自分より神経質な事は、兄も自分もよく承知していた。けれども今まで兄からこう歇私的里的ヒステリてきに出られた事がないので、自分も実は途方に暮れてしまった。
「御前メレジスという人を知ってるか」と兄が聞いた。
0594Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/02(木) 09:58:56.840
「名前だけは聞いています」
「あの人の書翰集しょかんしゅうを読んだ事があるか」
0595Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/02(木) 09:59:06.630
「読むどころか表紙を見た事もありません」
「そうか」
 彼はこう云って再び自分の傍そばへ腰をかけた。自分はこの時始めて懐中に敷島しきしまの袋と燐寸マッチのある事に気がついた。それを取り出して、自分からまず火を点つけて兄に渡した。兄は器械的にそれを吸った。
0596Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/02(木) 09:59:17.040
「その人の書翰しょかんの一つのうちに彼はこんな事を云っている。――自分は女の容貌ようぼうに満足する人を見ると羨うらやましい。女の肉に満足する人を見ても羨ましい。自分はどうあっても女の霊れいというか魂たましいというか、いわゆるスピリットを攫つかまなければ満足ができない。それだからどうしても自分には恋愛事件が起らない」
「メレジスって男は生涯しょうがい独身で暮したんですかね」
「そんな事は知らない。またそんな事はどうでも構わないじゃないか。しかし二郎、おれが霊も魂もいわゆるスピリットも攫まない女と結婚している事だけはたしかだ」
0597Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/02(木) 10:07:18.890
重税の日本
国民負担率(税金負担と社会保障費負担)

2010年度 37.2
2011年度 38.9
2012年度 39.8
2013年度 40.1
2014年度 42.4
2015年度 42.3
2016年度 42.7
2017年度 43.3
2018年度 44.3
2019年度 44.4
2020年度 46.1

昭和45年 24.3%
平成元年 37.9%
令和 2年  46.1%

収入の半分近くが「税」として取られていることになる
  
0598Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/02(木) 10:11:00.250
自民党の悪政の結果

1990年 消費税3% 平均給料455万円

2021年 消費税10% 平均給料418万円

      
0599Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/02(木) 11:06:17.450
誰も来ないね・・

閉鎖しよ
0600Ms.名無しさん
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2021/12/03(金) 08:49:35.370
「東大王」鈴木光さんが司法試験合格、SNS閉鎖へ
12/3(金) 4:22配信
0603Ms.名無しさん
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2021/12/03(金) 09:34:09.550
        二十一

 兄の顔には苦悶くもんの表情がありありと見えた。いろいろな点において兄を尊敬する事を忘れなかった自分は、この時胸の奥でほとんど恐怖に近い不安を感ぜずにはいられなかった。
「兄さん」と自分はわざと落ちつき払って云った。
0604Ms.名無しさん
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2021/12/03(金) 09:34:23.150
「何だ」
 自分はこの答を聞くと同時に立った。そうして、ことさらに兄の腰をかけている前を、先刻さっき兄がやったと同じように、しかし全く別の意味で、右左へと二三度横切った。兄は自分にはまるで無頓着むとんじゃくに見えた。両手の指を、少し長くなった髪の間に、櫛くしの歯のように深く差し込んで下を向いていた。彼は大変色沢いろつやの好い髪の所有者であった。自分は彼の前を横切るたびに、その漆黒しっこくの髪とその間から見える関節の細い、華奢きゃしゃな指に眼を惹ひかれた。その指は平生から自分の眼には彼の神経質を代表するごとく優しくかつ骨張って映った。
0605Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/03(金) 09:34:44.690
「兄さん」と自分が再び呼びかけた時、彼はようやく重そうに頭を上げた。
「兄さんに対して僕がこんな事をいうとはなはだ失礼かも知れませんがね。他ひとの心なんて、いくら学問をしたって、研究をしたって、解りっこないだろうと僕は思うんです。兄さんは僕よりも偉い学者だから固もとよりそこに気がついていらっしゃるでしょうけれども、いくら親しい親子だって兄弟だって、心と心はただ通じているような気持がするだけで、実際向うとこっちとは身体からだが離れている通り心も離れているんだからしようがないじゃありませんか」
0606Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/03(金) 09:35:01.420
「他の心は外から研究はできる。けれどもその心になって見る事はできない。そのくらいの事ならおれだって心得ているつもりだ」
 兄は吐き出すように、また懶ものうそうにこう云った。自分はすぐその後あとに跟ついた。
0607Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/03(金) 09:35:26.770
「それを超越するのが宗教なんじゃありますまいか。僕なんぞは馬鹿だから仕方がないが、兄さんは何でもよく考える性質たちだから……」
「考えるだけで誰が宗教心に近づける。宗教は考えるものじゃない、信じるものだ」
0608Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/03(金) 09:36:00.140
 兄はさも忌々いまいましそうにこう云い放った。そうしておいて、「ああおれはどうしても信じられない。どうしても信じられない。ただ考えて、考えて、考えるだけだ。二郎、どうかおれを信じられるようにしてくれ」と云った。
 兄の言葉は立派な教育を受けた人の言葉であった。しかし彼の態度はほとんど十八九の子供に近かった。自分はかかる兄を自分の前に見るのが悲しかった。その時の彼はほとんど砂の中で狂う泥鰌どじょうのようであった。
 いずれの点においても自分より立ち勝った兄が、こんな態度を自分に示したのはこの時が始めてであった。自分はそれを悲しく思うと同時に、この傾向で彼がだんだん進んで行ったならあるいは遠からず彼の精神に異状を呈するようになりはしまいかと懸念けねんして、それが急に恐ろしくなった。
0609Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/03(金) 09:36:23.930
「兄さん、この事については僕も実はとうから考えていたんです……」
「いや御前の考えなんか聞こうと思っていやしない。今日御前をここへ連れて来たのは少し御前に頼みがあるからだ。どうぞ聞いてくれ」
0610Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/03(金) 09:36:48.240
「何ですか」
 事はだんだん面倒になって来そうであった。けれども兄は容易にその頼みというのを打ち明けなかった。ところへ我々と同じ遊覧人めいた男女なんにょが三四人石段の下に現れた。彼らはてんでに下駄げたを草履ぞうりと脱ぎ易かえて、高い石段をこっちへ登って来た。兄はその人影を見るや否や急に立上がった。「二郎帰ろう」と云いながら石段を下くだりかけた。自分もすぐその後に随したがった。
0611Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/03(金) 09:37:09.430
        二十二

 兄と自分はまた元の路へ引返した。朝来た時も腹や頭の具合が変であったが、帰りは日盛ひざかりになったせいかなお苦しかった。あいにく二人共時計を忘れたので何時なんじだかちょっと分り兼ねた。
「もう何時だろう」と兄が聞いた。
0612Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/03(金) 09:37:18.980
「そうですね」と自分はぎらぎらする太陽を仰ぎ見た。「まだ午ひるにはならないでしょう」
 二人は元の路を逆に歩いているつもりであったが、どう間違えたものか、変に磯臭いそくさい浜辺はまべへ出た。そこには漁師りょうしの家が雑貨店と交まじって貧しい町をかたち作っていた。古い旗を屋根の上に立てた汽船会社の待合所も見えた。
0613Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/03(金) 18:29:27.430
“文書交通費” 法改正は見送りへ 与野党の合意困難 自民幹部

国会議員に支払われるいわゆる文書交通費について、
野党側が日割りでの支給に改めることに加え、使いみちの公開の義務づけも求めていることなどから、
自民党幹部は、与野党の合意を得るのが困難だとして、
臨時国会での法改正を見送る考えを示しました。
0615Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:27:55.260
「何だか路みちが違ったようじゃありませんか」
 兄は相変らず下を向いて考えながら歩いていた。下には貝殻がそこここに散っていた。それを踏み砕く二人の足音が時々単調な歩行ほこうに一種田舎いなかびた変化を与えた。兄はちょっと立ち留って左右を見た。
0616Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:28:03.020
「ここは往いきに通らなかったかな」
「ええ通りゃしません」
「そうか」
0617Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:28:14.070
 二人はまた歩き出した。兄は依然として下を向き勝であった。自分は路を迷ったため、存外宿へ帰るのが遅くなりはしまいかと心配した。
「何狭せまい所だ。どこをどう間違えたって、帰れるのは同おんなじ事だ」
0618Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:28:25.940
 兄はこう云ってすたすた行った。自分は彼の歩き方を後うしろから見て、足に任せてという故ふるい言葉を思い出した。そうして彼より五六間後おくれた事をこの場合何よりもありがたく感じた。
 自分は二人の帰り道に、兄から例の依頼というのをきっと打ち明けられるに違いないと思って暗あんにその覚悟をしていた。ところが事実は反対で、彼はできるだけ口数を慎つつしんで、さっさと歩く方針に出た。それが少しは無気味でもあったがまただいぶ嬉うれしくもあった。
0619Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:28:35.830
 宿では母と嫂あによめが欄干らんかんに縞絽しまろだか明石あかしだかよそゆきの着物を掛けて二人とも浴衣ゆかたのまま差向いで坐っていた。自分達の姿を見た母は、「まあどこまで行ったの」と驚いた顔をした。
「あなた方はどこへも行かなかったんですか」
0620Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:28:44.880
 欄干に干してある着物を見ながら、自分がこう聞いた時、嫂は「ええ行ったわ」と答えた。
「どこへ」
「あてて御覧なさい」
0621Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:28:55.270
 今の自分は兄のいる前で嫂からこう気易きやすく話しかけられるのが、兄に対して何とも申し訳がないようであった。のみならず、兄の眼から見れば、彼女が故意ことさらに自分にだけ親しみを表わしているとしか解釈ができまいと考えて誰にも打ち明けられない苦痛を感じた。
 嫂はいっこう平気であった。自分にはそれが冷淡から出るのか、無頓着むとんじゃくから来るのか、または常識を無視しているのか、少し解り兼ねた。
0622Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:29:04.360
 彼らの見物して来た所は紀三井寺きみいでらであった。玉津島明神たまつしまみょうじんの前を通りへ出て、そこから電車に乗るとすぐ寺の前へ出るのだと母は兄に説明していた。
「高い石段でね。こうして見上げるだけでも眼が眩まいそうなんだよ、お母さんには。これじゃとても上のぼれっこないと思って、妾わたしゃどうしようか知らと考えたけれども、直に手を引っ張って貰もらって、ようやくお参りだけは済ませたが、その代り汗で着物がぐっしょりさ……」
 兄は「はあ、そうですかそうですか」と時々気のない返事をした。
0623Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:29:16.750
        二十三

 その日は何事も起らずに済んだ。夕方は四人よつたりでトランプをした。みんなが四枚ずつのカードを持って、その一枚を順送りに次の者へ伏せ渡しにするうちに数の揃そろったのを出してしまうと、どこかにスペードの一が残る。それを握ったものが負になるという温泉場などでよく流行はやる至極しごく簡単なものであった。
 母と自分はよくスペードを握っては妙な顔をしてすぐ勘かんづかれた。兄も時々苦笑した。一番冷淡なのは嫂あによめであった。スペードを握ろうが握るまいがわれにはいっこう関係がないという風をしていた。これは風というよりもむしろ彼女かのじょの性質であった。自分はそれでも兄が先刻さっきの会談のあと、よくこれほどに昂奮こうふんした神経を治められたものだと思ってひそかに感心した。
0624Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:29:29.010
 晩は寝られなかった。昨夕ゆうべよりもなお寝られなかった。自分はどどんどどんと響く浪なみの音の間に、兄夫婦の寝ている室へやに耳を澄ました。けれども彼らの室は依然として昨夜のごとく静しずかであった。自分は母に見咎みとがめられるのを恐れて、その夜よはあえて縁側えんがわへ出なかった。
 朝になって自分は母と嫂を例の東洋第一エレヴェーターへ案内した。そうして昨日きのうのように山の上の猿に芋いもをやった。今度は猿に馴染なじみのある宿の女中がいっしょに随ついて来たので、猿を抱いたり鳴かしたり前の日よりはだいぶ賑にぎやかだった。母は茶店の床几しょうぎに腰をかけて、新和歌しんわかの浦うらとかいう禿はげて茶色になった山を指さして何だろうと聞いていた。嫂はしきりに遠眼鏡とおめがねはないか遠眼鏡はないかと騒いだ。
0625Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:29:38.750
「姉さん、芝の愛宕様あたごさまじゃありませんよ」と自分は云ってやった。
「だって遠眼鏡ぐらいあったって好いじゃありませんか」と嫂はまだ不足を並べていた。
0626Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 06:29:48.600
 夕方になって自分はとうとう兄に引っ張られて紀三井寺きみいでらへ行った。これは婦人連れんが昨日すでに参詣さんけいしたというのを口実に、我々二人だけが行く事にしたのであるが、その実兄の依頼を聞くために自分が彼から誘い出されたのである。
 自分達は母の見ただけで恐れたという高い石段を一直線に上のぼった。その上は平ひらたい山の中腹で眺望ちょうぼうの好い所にベンチが一つ据すえてあった。本堂は傍そばに五重の塔を控えて、普通ありふれた仏閣よりも寂さびがあった。廂ひさしの最中まんなかから下さがっている白い紐ひもなどはいかにも閑静に見えた。
0627Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 06:29:59.100
 自分達は何物も眼を遮さえぎらないベンチの上に腰をおろして並び合った。
「好い景色ですね」
 眼の下には遥はるかの海が鰯いわしの腹のように輝いた。そこへ名残なごりの太陽が一面に射して、眩まばゆさが赤く頬を染めるごとくに感じた。沢さわらしい不規則な水の形もまた海より近くに、平たい面を鏡のように展のべていた。
0628Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:30:09.840
 兄は例の洋杖ステッキを顋あごの下に支えて黙っていたが、やがて思い切ったという風に自分の方を向いた。
「二郎実じつは頼みがあるんだが」
「ええ、それを伺うつもりでわざわざ来たんだからゆっくり話して下さい。できる事なら何でもしますから」
0629Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:30:19.480
「二郎実は少し云い悪にくい事なんだがな」
「云い悪い事でも僕だから好いでしょう」
「うんおれは御前を信用しているから話すよ。しかし驚いてくれるな」
 自分は兄からこう云われた時に、話を聞かない先さきにまず驚いた。そうしてどんな注文が兄の口から出るかを恐れた。兄の気分は前云った通り変り易やすかった。けれどもいったん何か云い出すと、意地にもそれを通さなければ承知しなかった。
0630Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:30:30.020
        二十四

「二郎驚いちゃいけないぜ」と兄が繰返した。そうして現に驚いている自分を嘲あざけるごとく見た。自分は今の兄と権現社頭ごんげんしゃとうの兄とを比較してまるで別人の観かんをなした。今の兄は翻ひるがえしがたい堅い決心をもって自分に向っているとしか自分には見えなかった。
「二郎おれは御前を信用している。御前の潔白な事はすでに御前の言語が証明している。それに間違はないだろう」
0631Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 06:30:41.230
「ありません」
「それでは打ち明けるが、実は直なおの節操せっそうを御前に試ためして貰もらいたいのだ」
 自分は「節操を試す」という言葉を聞いた時、本当に驚いた。当人から驚くなという注意が二遍あったにかかわらず、非常に驚いた。ただあっけに取られて、呆然ぼうぜんとしていた。
「なぜ今になってそんな顔をするんだ」と兄が云った。
0632Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/04(土) 06:30:51.480
 自分は兄の眼に映じた自分の顔をいかにも情なさけなく感ぜざるを得なかった。まるでこの間の会見とは兄弟地を換えて立ったとしか思えなかった。それで急に気を取り直した。
「姉さんの節操を試すなんて、――そんな事は廃よした方が好いでしょう」
「なぜ」
「なぜって、あんまり馬鹿らしいじゃありませんか」
「何が馬鹿らしい」
「馬鹿らしかないかも知れないが、必要がないじゃありませんか」
0633Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 06:31:02.310
「必要があるから頼むんだ」
 自分はしばらく黙っていた。広い境内けいだいには参詣人さんけいにんの影も見えないので、四辺あたりは存外静しずかであった。自分はそこいらを見廻して、最後に我々二人の淋さびしい姿をその一隅に見出した時、薄気味の悪い心持がした。
「試すって、どうすれば試されるんです」
「御前と直が二人で和歌山へ行って一晩泊ってくれれば好いんだ」
「下らない」と自分は一口に退しりぞけた。すると今度は兄が黙った。自分は固もとより無言であった。海に射いりつける落日らくじつの光がしだいに薄くなりつつなお名残なごりの熱を薄赤く遠い彼方あなたに棚引たなびかしていた。
0634Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 06:31:11.020
「厭いやかい」と兄が聞いた。
「ええ、ほかの事ならですが、それだけは御免ごめんです」と自分は判切はっきり云い切った。
「じゃ頼むまい。その代りおれは生涯しょうがい御前を疑ぐるよ」
「そりゃ困る」
0635Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 06:31:22.120
「困るならおれの頼む通りやってくれ」
 自分はただ俯向うつむいていた。いつもの兄ならもう疾とくに手を出している時分であった。自分は俯向うつむきながら、今に兄の拳こぶしが帽子の上へ飛んで来るか、または彼の平手ひらてが頬のあたりでピシャリと鳴るかと思って、じっと癇癪玉かんしゃくだまの破裂するのを期待していた。そうしてその破裂の後のちに多く生ずる反動を機会として、兄の心を落ちつけようとした。自分は人より一倍強い程度で、この反動に罹かかり易やすい兄の気質をよく呑のみ込んでいた。
 自分はだいぶ辛抱しんぼうして兄の鉄拳てっけんの飛んで来るのを待っていた。けれども自分の期待は全く徒労であった。兄は死んだ人のごとく静であった。ついには自分の方から狐のように変な眼遣めづかいをして、兄の顔を偸ぬすみ見なければならなかった。兄は蒼あおい顔をしていた。けれどもけっして衝動的に動いて来る気色けしきには見えなかった。
0636Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 09:45:51.920
南アフリカで新たに16055人の感染確認 先週から468%増加
0639Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 09:53:05.750
山口FG、アイフルとの新銀行構想が波紋…低所得者の死亡保険を返済に充てる
https://biz-journal.jp/2021/12/post_266888.html/amp

顧客に毎月10万円を貸し出し、返済は貸出金が上限に達するまで利息のみにとどめ、
顧客が死亡したら死亡保険を返済に充てるというもの。
低所得者を対象に死亡保険で返済させるというビジネスモデルだ。
0640Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 16:20:41.400
        二十五

 ややあって兄は昂奮こうふんした調子でこう云った。
「二郎おれはお前を信用している。けれども直なおを疑ぐっている。しかもその疑ぐられた当人の相手は不幸にしてお前だ。ただし不幸と云うのは、お前に取って不幸というので、おれにはかえって幸さいわいになるかも知れない。と云うのは、おれは今明言した通り、お前の云う事なら何でも信じられるしまた何でも打明けられるから、それでおれには幸いなのだ。だから頼むのだ。おれの云う事に満更まんざら論理のない事もあるまい」
0641Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 16:20:51.140
 自分はその時兄の言葉の奥に、何か深い意味が籠こもっているのではなかろうかと疑い出した。兄は腹の中で、自分と嫂あによめの間に肉体上の関係を認めたと信じて、わざとこういう難題を持ちかけるのではあるまいか。自分は「兄さん」と呼んだ。兄の耳にはとにかく、自分はよほど力強い声を出したつもりであった。
「兄さん、ほかの事とは違ってこれは倫理上の大問題ですよ……」
「当り前さ」
0642Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 16:21:00.040
 自分は兄の答えのことのほか冷淡なのを意外に感じた。同時に先の疑いがますます深くなって来た。
「兄さん、いくら兄弟の仲だって僕はそんな残酷な事はしたくないです」
「いや向うの方がおれに対して残酷なんだ」
 自分は兄に向って嫂あによめがなぜ残酷であるかの意味を聞こうともしなかった。
0643Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 16:21:10.360
「そりゃ改めてまた伺いますが、何しろ今の御依頼だけは御免蒙ごめんこうむります。僕には僕の名誉がありますから。いくら兄さんのためだって、名誉まで犠牲にはできません」
「名誉?」
0644Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 16:21:24.230
「無論名誉です。人から頼まれて他ひとを試験するなんて、――ほかの事だって厭いやでさあ。ましてそんな……探偵じゃあるまいし……」
「二郎、おれはそんな下等な行為をお前から向うへ仕かけてくれと頼んでいるのじゃない。単に嫂としまた弟として一つ所へ行って一つ宿へ泊ってくれというのだ。不名誉でも何でもないじゃないか」
0645Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 16:21:32.500
「兄さんは僕を疑ぐっていらっしゃるんでしょう。そんな無理をおっしゃるのは」
「いや信じているから頼むのだ」
「口で信じていて、腹では疑ぐっていらっしゃる」
0646Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 16:21:41.370
「馬鹿な」
 兄と自分はこんな会話を何遍も繰返した。そうして繰返すたびに双方共激して来た。するとちょっとした言葉から熱が急に引いたように二人共治まった。
0647Ms.名無しさん
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2021/12/04(土) 16:21:50.460
 その激したある時に自分は兄を真正の精神病患者だと断定した瞬間さえあった。しかしその発作ほっさが風のように過ぎた後あとではまた通例の人間のようにも感じた。しまいに自分はこう云った。
「実はこの間から僕もその事については少々考えがあって、機会があったら姉さんにとくと腹の中を聞いて見る気でいたんですから、それだけなら受合いましょう。もうじき東京へ帰るでしょうから」
「じゃそれを明日あしたやってくれ。あした昼いっしょに和歌山へ行って、昼のうちに返って来れば差支さしつかえないだろう」
 自分はなぜかそれが厭いやだった。東京へ帰ってゆっくり折を見ての事にしたいと思ったが、片方を断った今更一方も否いやとは云いかねて、とうとう和歌山見物だけは引き受ける事にした。
0648Ms.名無しさん
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2021/12/05(日) 06:10:49.030
自民党の石原伸晃氏(64)が内閣官房参与に任命されたことが12月3日に発表された。
しかし、世論の不満が噴出している。『FNNプライムオンライン』
0650Ms.名無しさん
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2021/12/05(日) 09:26:29.960
        二十六

 その明くる朝は起きた時からあいにく空に斑ふが見えた。しかも風さえ高く吹いて例の防波堤ぼうはていに崩くだける波の音が凄すさまじく聞え出した。欄干らんかんに倚よって眺めると、白い煙が濛々もうもうと岸一面を立て籠こめた。午前は四人とも海岸に出る気がしなかった。
 午ひる過ぎになって、空模様は少し穏かになった。雲の重なる間から日脚ひあしさえちょいちょい光を出した。それでも漁船が四五艘そういつもより早く楼前ろうぜんの掘割ほりわりへ漕こぎ入れて来た。
0651Ms.名無しさん
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2021/12/05(日) 09:26:40.540
「気味が悪いね。何だか暴風雨あらしでもありそうじゃないか」
 母はいつもと違う空を仰いで、こう云いながらまた元の座敷へ引返ひっかえして来た。兄はすぐ立ってまた欄干へ出た。
「何大丈夫だよ。大した事はないにきまっている。御母さん僕が受け合いますから出かけようじゃありませんか。俥くるまもすでに誂あつらえてありますから」
0652Ms.名無しさん
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2021/12/05(日) 09:26:49.630
 母は何とも云わずに自分の顔を見た。
「そりゃ行っても好いけれど、行くなら皆みんなでいっしょに行こうじゃないか」
0653Ms.名無しさん
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2021/12/05(日) 09:27:04.360
 自分はその方が遥はるかに楽らくであった。でき得るならどうか母の御供をして、和歌山行をやめたいと考えた。
「じゃ僕達もいっしょにその切り開いた山道の方へ行って見ましょうか」と云いながら立ちかけた。すると嶮けわしい兄の眼がすぐ自分の上に落ちた。自分はとうていこれでは約束を履行りこうするよりほかに道がなかろうとまた思い返した。
0654Ms.名無しさん
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2021/12/05(日) 09:27:15.170
「そうそう姉さんと約束があったっけ」
 自分は兄に対して、つい空惚そらとぼけた挨拶あいさつをしなければすまなくなった。すると母が今度は苦にがい顔をした。
0655Ms.名無しさん
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2021/12/05(日) 09:27:26.450
「和歌山はやめにおしよ」
 自分は母と兄の顔を見比べてどうしたものだろうと躊躇ちゅうちょした。嫂あによめはいつものように冷然としていた。自分が母と兄の間に迷っている間、彼女はほとんど一言いちごんも口にしなかった。
0656Ms.名無しさん
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2021/12/05(日) 09:27:35.580
「直なお御前二郎に和歌山へ連れて行って貰うはずだったね」と兄が云った時、嫂はただ「ええ」と答えただけであった。母が「今日はお止よしよ」と止とめた時、嫂はまた「ええ」と答えただけであった。自分が「姉さんどうします」と顧かえりみた時は、また「どうでも好いわ」と答えた。
 自分はちょっと用事に下へ降りた。すると母がまた後あとから降りて来た。彼女の様子は何だかそわそわしていた。
0657Ms.名無しさん
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2021/12/05(日) 09:27:45.370
「御前本当に直と二人で和歌山へ行く気かい」
「ええ、だって兄さんが承知なんですもの」
「いくら承知でも御母さんが困るから御止およしよ」
0658Ms.名無しさん
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2021/12/05(日) 09:27:56.290
 母の顔のどこかには不安の色が見えた。自分はその不安の出所でどころが兄にあるのか、または嫂と自分にあるか、ちょっと判断に苦しんだ。
「なぜです」と聞いた。
「なぜですって、御前と直と行くのはいけないよ」
「兄さんに悪いと云うんですか」
0659Ms.名無しさん
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2021/12/05(日) 09:28:06.410
 自分は露骨にこう聞いて見た。
「兄さんに悪いばかりじゃないが……」
「じゃ姉さんだの僕だのに悪いと云うんですか」
 自分の問は前よりなお露骨であった。母は黙ってそこに佇たたずんでいた。自分は母の表情に珍らしく猜疑さいぎの影を見た。
0660Ms.名無しさん
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2021/12/06(月) 09:23:29.080
        二十七

 自分は自分を信じ切り、また愛し切っているとばかり考えていた母の表情を見てたちまち臆した。
「では止します。元々僕の発案ほつあんで姉さんを誘い出すんじゃない。兄さんが二人で行って来いと云うから行くだけの事です。御母さんが御不承知ならいつでもやめます。その代り御母さんから兄さんに談判して行かないで好いようにして下さい。僕は兄さんに約束があるんだから」
0661Ms.名無しさん
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2021/12/06(月) 09:23:39.320
 自分はこう答えて、何だかきまりが悪そうに母の前に立っていた。実は母の前を去る勇気が出なかったのである。母は少し途方に暮れた様子であった。しかししまいに思い切ったと見えて、「じゃ兄さんには妾わたしから話をするから、その代り御前はここに待ってておくれ、三階へ一緒に来るとまた事が面倒になるかも知れないから」と云った。
 自分は母の後影を見送りながら、事がこんな風に引絡ひっからまった日には、とても嫂あによめを連れて和歌山などへ行く気になれない、行ったところで肝心かんじんの用は弁じない、どうか母の思い通りに事が変じてくれれば好いがと思った。そうして気の落ちつかない胸を抱いて、広い座敷を右左に目的もなく往ったり来たりした。
0662Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/06(月) 09:23:48.920
 やがて三階から兄が下りて来た。自分はその顔をちらりと見た時、これはどうしても行かなければ済まないなとすぐ読んだ。
「二郎、今になって違約して貰っちゃおれが困る。貴様だって男だろう」
0663Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/06(月) 09:24:00.640
 自分は時々兄から貴様と呼ばれる事があった。そうしてこの貴様が彼の口から出たときはきっと用心して後難を避けた。
「いえ行くんです。行くんですがお母さんが止せとおっしゃるから」
0664Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/06(月) 09:24:09.310
 自分がこう云ってるうちに、母がまた心配そうに三階から下りて来た。そうしてすぐ自分の傍そばへ寄って、
「二郎お母さんは先刻さっきああ云ったけれども、よく一郎に聞いて見ると、何だか紀三井寺きみいでらで約束した事があるとか云う話だから、残念だが仕方ない。やっぱりその約束通りになさい」と云った。
0665Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/06(月) 09:24:18.400
「ええ」
 自分はこう答えて、あとは何にも云わない事にした。
 やがて母と兄は下に待っている俥くるまに乗って、楼前から右の方へ鉄輪かなわの音を鳴らして去った。
0666Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/06(月) 09:24:33.530
「じゃ僕らもそろそろ出かけましょうかね」と嫂を顧みた時、自分は実際好い心持ではなかった。
「どうです出かける勇気がありますか」と聞いた。
「あなたは」と向むこうも聞いた。
0667Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/06(月) 09:24:38.820
「僕はあります」
「あなたにあれば、妾あたしにだってあるわ」
 自分は立って着物を着換え始めた。
0668Ms.名無しさん
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2021/12/06(月) 09:24:47.700
 嫂あによめは上着を引掛けてくれながら、「あなた何だか今日は勇気がないようね」と調戯からかい半分に云った。自分は全く勇気がなかった。
 二人は電車の出る所まで歩いて行った。あいにく近路ちかみちを取ったので、嫂の薄い下駄げたと白足袋しろたびが一足ひとあしごとに砂の中に潜もぐった。
0669Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/06(月) 09:24:56.670
「歩き悪にくいでしょう」
「ええ」と云って彼女かのじょは傘かさを手に持ったまま、後うしろを向いて自分の後足あとあしを顧みた。自分は赤い靴を砂の中に埋うずめながら、今日の使命をどこでどう果したものだろうと考えた。考えながら歩くせいか会話は少しも機はずまない心持がした。
「あなた今日は珍らしく黙っていらっしゃるのね」とついに嫂から注意された。
0670Ms.名無しさん
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2021/12/06(月) 09:25:05.900
        二十八

 自分は嫂と並んで電車に腰を掛けた。けれども大事の用を前に控えているという気が胸にあるので、どうしても機嫌きげんよく話はできなかった。
「なぜそんなに黙っていらっしゃるの」と彼女が聞いた。自分は宿を出てからこう云う意味の質問を彼女からすでに二度まで受けた。それを裏から見ると、二人でもっと面白く話そうじゃありませんかと云う意味も映っていた。
0673Ms.名無しさん
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2021/12/06(月) 12:30:07.140
北村氏は2022年からの社会保険料値上げで、
サラリーマンの税金と保険料を合わせた負担率は給料の50.05%になると予想している。

年金生活者やサラリーマンは社会保険料の負担増で
手取り収入が減り続けているにもかかわらず、「隠れ増税」で税金を貢がされている。

https://www.moneypost.jp/856224/2/
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0677Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 08:10:32.580
「あなた兄さんにそんな事を云ったことがありますか」
 自分の顔はやや真面目まじめであった。嫂はちょっとそれを見て、すぐ窓の外を眺めた。そうして「好い景色ね」と云った。なるほどその時電車の走っていた所は、悪い景色ではなかったけれども、彼女のことさらにそれを眺めた事は明あきらかであった。自分はわざと嫂を呼んで再び前の質問を繰返した。
0678Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 08:10:43.700
「なぜそんなつまらない事を聞くのよ」と云った彼女は、ほとんど一顧いっこに価あたいしない風をした。
 電車はまた走った。自分は次の停留所へ来る前また執拗しゅうねく同じ問をかけて見た。
0679Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/07(火) 08:10:54.230
「うるさい方ね」と彼女がついに云った。「そんな事聞いて何になさるの。そりゃ夫婦ですもの、そのくらいな事云った覚おぼえはあるでしょうよ。それがどうしたの」
「どうもしやしません。兄さんにもそういう親しい言葉を始終かけて上げて下さいと云うだけです」
0680Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 08:11:03.490
 彼女は蒼白あおじろい頬へ少し血を寄せた。その量が乏しいせいか、頬の奥の方に灯ともしびを点つけたのが遠くから皮膚をほてらしているようであった。しかし自分はその意味を深くも考えなかった。
 和歌山へ着いた時、二人は電車を降りた。降りて始めて自分は和歌山へ始めて来た事を覚さとった。実はこの地を見物する口実の下もとに、嫂あによめを連れて来たのだから、形式にもどこか見なければならなかった。
0681Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 08:11:12.450
「あらあなたまだ和歌山を知らないの。それでいて妾あたしを連れて来るなんて、ずいぶん呑気のんきね」
 嫂は心細そうに四方あたりを見廻した。自分も何分かきまりが悪かった。
0682Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/07(火) 08:11:21.520
「俥くるまへでも乗って車夫に好い加減な所へ連れて行って貰いましょうか。それともぶらぶら御城の方へでも歩いて行きますか」
「そうね」
0683Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/07(火) 08:11:32.680
 嫂は遠くの空を眺めて、近い自分には眼を注がなかった。空はここも海辺かいへんと同じように曇っていた。不規則に濃淡を乱した雲が幾重いくえにも二人の頭の上を蔽おおって、日を直下じかに受けるよりは蒸し熱かった。その上いつ驟雨しゅううが来るか解らないほどに、空の一部分がすでに黒ずんでいた。その黒ずんだ円えんの四方が暈ぼかされたように輝いて、ちょうど今我々が見捨みすてて来た和歌の浦の見当に、凄すさまじい空の一角を描き出していた。嫂は今その気味の悪い所を眉まゆを寄せて眺めているらしかった。
「降るでしょうか」
 自分は固もとより降るに違ないと思っていた。それでとにかく俥を雇って、見るだけの所を馳かけ抜けた方が得策だと考えた。自分は直ただちに俥を命じて、どこでも構わないからなるべく早く見物のできるように挽ひいて廻れと命じた。車夫は要領を得たごとくまた得ないごとく、むやみに駆けた。狭い町へ出たり、例の蓮はすの咲いている濠ほりへ出たりまた狭い町へ出たりしたが、いっこうこれぞという所はなかった。最後に自分は俥の上で、こう駆けてばかりいては肝心かんじんの話ができないと気がついて、車夫にどこかゆっくり坐すわって話のできる所へ連れて行けと差図さしずした。
0684Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/07(火) 08:11:43.660
        二十九

 車夫は心得て駆け出した。今までと違って威勢があまり好過よすぎると思ううちに、二人の俥は狭い横町を曲って、突然大きな門を潜くぐった。自分があわてて、車夫を呼び留めようとした時、梶棒かじぼうはすでに玄関に横付よこづけになっていた。二人はどうする事もできなかった。その上若い着飾った下女が案内に出たので、二人はついに上あがるべく余儀なくされた。
「こんな所へ来るはずじゃなかったんですが」と自分はつい言訳らしい事を云った。
0685Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/07(火) 08:11:54.580
「なぜ。だって立派な御茶屋じゃありませんか。結構だわ」と嫂が答えた。その答えぶりから推おすと、彼女は最初からこういう料理屋めいた所へでも来るのを予期していたらしかった。
 実際嫂のいった通りその座敷は物綺麗ものぎれいにかつ堅牢に出来上っていた。
0686Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 08:12:06.280
「東京辺の安料理屋よりかえって好いくらいですね」と自分は柱の木口きぐちや床とこの軸などを見廻した。嫂は手摺てすりの所へ出て、中庭を眺めていた。古い梅の株の下に蘭らんの茂りが蒼黒あおぐろい影を深く見せていた。梅の幹にも硬かたくて細長い苔こけらしいものがところどころに喰くっついていた。
 下女が浴衣ゆかたを持って風呂の案内に来た。自分は風呂に這入はいる時間が惜しかった。そうして日が暮れはしまいかと心配した。できるならば一刻も早く用を片づけて、約束通り明るい路を浜辺はまべまで帰りたいと念じた。
0687Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/07(火) 08:12:17.710
「どうします姉さん、風呂は」と聞いて見た。
 嫂あによめも明るいうちには帰るように兄から兼ねて云いつけられていたので、そこはよく承知していた。彼女は帯の間から時計を出して見た。
0688Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 08:12:36.850
LINE(ライン)は、LINEペイで約13万件の決済関連情報が漏えいしていたと発表
0689Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/07(火) 08:14:31.750
通信アプリ大手LINEは6日、
子会社が提供するキャッシュレス決済「LINEペイ」で、
国内外の利用者による決済関連情報約13万件が漏えいし、
インターネット上で一時閲覧できる状態になっていたと発表
0690Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 09:08:20.330
関西、関東より年収悪化

関西の年収500万円以下の世帯の割合は令和2年までの
20年で10・5ポイントも上昇し、47・8%に達した。
さらに、年収1千万円以上の層の減少も顕著で、関西では
平成20年に17・4%だった同層は、令和2年には9・6%にまで落ち込んだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/218e5602c899f00645d07912fededadfdc1eda23
0691Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 11:02:13.840
「まだ早いのよ、二郎さん。お湯へ這入っても大丈夫だわ」
 彼女は時間の遅く見えるのを全く天気のせいにした。もっとも濁った雲が幾重いくえにも空を鎖とざしているので、時計の時間よりは世の中が暗く見えたのはたしかに違いなかった。自分はまた今にも降り出しそうな雨を恐れた。降るならひとしきりざっと来た後あとで、帰った方がかえって楽だろうと考えた。
0692Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 11:02:21.800
「じゃちょっと汗を流して行きましょうか」
 二人はとうとう風呂に入いった。風呂から出ると膳ぜんが運ばれた。時間からいうと飯には早過ぎた。酒は遠慮したかった。かつ飲める口でもなかった。自分はやむをえず、吸物を吸ったり、刺身を突つっついたりした。下女が邪魔になるので、用があれば呼ぶからと云って下げた。
0693Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 11:02:36.420
 嫂には改まって云い出したものだろうか、またはそれとなく話のついでにそこへ持って行ったものだろうかと思案した。思案し出すとどっちもいいようでまたどっちも悪いようであった。自分は吸物椀わんを手にしたままぼんやり庭の方を眺めていた。
「何を考えていらっしゃるの」と嫂が聞いた。
「何、降りゃしまいかと思ってね」と自分はいい加減な答をした。
0694Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 11:02:45.180
「そう。そんなに御天気が怖こわいの。あなたにも似合わないのね」
「怖かないけど、もし強雨ごううにでもなっちゃ大変ですからね」
0695Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 11:02:54.240
 自分がこう云っている内に、雨はぽつりぽつりと落ちて来た。よほど早くからの宴会でもあるのか、向うに見える二階の広間に、二三人紋付もんつき羽織はおりの人影が見えた。その見当で芸者が三味線の調子を合わせている音が聞え出した。
 宿を出るときすでにざわついていた自分の心は、この時一層落ちつきを失いかけて来た。自分は腹の中で、今日はとてもしんみりした話をする気になれないと恐れた。なぜまたその今日に限って、こんな変な事を引受けたのだろうと後悔もした。
0696Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 11:03:03.460
        三十

 嫂はそんな事に気のつくはずがなかった。自分が雨を気にするのを見て、彼女はかえって不思議そうに詰なじった。
「何でそんなに雨が気になるの。降れば後が涼しくなって好いじゃありませんか」
0697Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 11:03:13.040
「だっていつやむか解らないから困るんです」
「困りゃしないわ。いくら約束があったって、御天気のせいなら仕方がないんだから」
0698Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 12:00:25.190
・10月日本 毎月勤労統計[現金給与総額](前年比)0.2%(予想 0.4%・前回 0.2%)
・10月日本 実質賃金総額(前年比)-0.7%(予想 -0.5%・前回 -0.6%)
・10月日本 家計調査消費支出(前年比)-0.6%(予想 -0.5%・前回 -1.9%)
0699Ms.名無しさん
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2021/12/07(火) 14:12:08.100
【画像】ウクライナ国境のロシア軍配備の衛星写真が公開 プーチン戦争やる気マンマン過ぎる
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1638846453/

https://i.dailymail.co.uk/1s/2021/12/06/11/51397859-10279477-image-a-27_1638789487239.jpg
https://i.dailymail.co.uk/1s/2021/12/06/10/51391783-10279477-image-a-3_1638787363217.jpg
https://i.dailymail.co.uk/1s/2021/12/06/10/51391789-10279477-image-a-4_1638787368713.jpg
0701Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:56:19.140
「しかし兄さんに対して僕の責任がありますよ」
「じゃすぐ帰りましょう」
0702Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:56:27.970
 嫂あによめはこう云って、すぐ立ち上った。その様子には一種の決断があらわれていた。向むこうの座敷では客の頭が揃そろったのか、三味線の音ねが雨を隔てて爽さわやかに聞え出した。電灯もすでに輝いた。自分も半なかば嫂の決心に促うながされて、腰を立てかけたが、考えると受合って来た話はまだ一言ひとことも口へ出していなかった。後おくれて帰るのが母や兄にすまないごとく、少しも嫂に肝心かんじんの用談を打ち明けないのがまた自分の心にすまなかった。
「姉さんこの雨は容易にやみそうもありませんよ。それに僕は姉さんに少し用談があって来たんだから」
0703Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:56:40.100
 自分は半分空を眺めてまた嫂をふり返った。自分は固もとよりの事、立ち上った彼女も、まだ帰る仕度したくは始めなかった。彼女は立ち上ったには、立ち上ったが、自分の様子しだいでその以後の態度を一定しようと、五分の隙間すきまなく身構えているらしく見えた。自分はまた軒端のきばへ首を出して上の方を望んだ。室へやの位置が中庭を隔てて向うに大きな二階建の広間を控えているため、空はいつものように広くは限界に落ちなかった。したがって雲の往来ゆききや雨の降り按排あんばいも、一般的にはよく分らなかった。けれども凄すさまじさが先刻さっきよりは一層はなはだしく庭木を痛振いたぶっているのは事実であった。自分は雨よりも空よりも、まずこの風に辟易へきえきした。
「あなたも妙な方ね。帰るというからそのつもりで仕度をすれば、また坐すわってしまって」
0704Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:56:51.220
「仕度ってほどの仕度もしないじゃありませんか。ただ立ったぎりでさあ」
 自分がこう云った時、嫂はにっこりと笑った。そうして故意わざと己おのれの袖そでや裾すそのあたりをなるほどといったようなまた意外だと驚いたような眼つきで見廻した。それから微笑を含んでその様子を見ていた自分の前に再びぺたりと坐った。
0705Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:57:00.410
「何よ用談があるって。妾あたしにそんなむずかしい事が分りゃしないわ。それよりか向うの御座敷の三味線でも聞いてた方が増しよ」
 雨は軒に響くというよりもむしろ風に乗せられて、気ままな場所へ叩たたきつけられて行くような音を起した。その間に三味線の音が気紛きまぐれものらしく時々二人の耳を掠かすめ去った。
0706Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:57:10.690
「用があるなら早くおっしゃいな」と彼女は催促した。
「催促されたってちょっと云える事じゃありません」
0707Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:57:20.220
 自分は実際彼女から促された時、何と切り出して好いか分らなかった。すると彼女はにやにやと笑った。
「あなた取っていくつなの」
「そんなに冷かしちゃいけません。本当に真面目まじめな事なんだから」
0708Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:57:28.920
「だから早くおっしゃいな」
 自分はいよいよ改まって忠告がましい事を云うのが厭いやになった。そうして彼女の前へ出た今の自分が何だか彼女から一段低く見縊みくびられているような気がしてならなかった。それだのにそこに一種の親しみを感じずにはまたいられなかった。
0709Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:57:37.890
        三十一

「姉さんはいくつでしたっけね」と自分はついに即つかぬ事を聞き出した。
「これでもまだ若いのよ。あなたよりよっぽど下のつもりですわ」
0710Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:57:46.400
 自分は始めから彼女の年と自分の年を比較する気はなかった。
「兄さんとこへ来てからもう何年になりますかね」と聞いた。
0711Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:57:54.960
 嫂あによめはただ澄まして「そうね」と云った。
「妾あたしそんな事みんな忘れちまったわ。だいち自分の年さえ忘れるくらいですもの」
0712Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:58:02.750
 嫂のこの恍とぼけ方かたはいかにも嫂らしく響いた。そうして自分にはかえって嬌態きょうたいとも見えるこの不自然が、真面目まじめな兄にはなはだしい不愉快を与えるのではなかろうかと考えた。
「姉さんは自分の年にさえ冷淡なんですね」
0713Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:58:12.480
 自分はこんな皮肉を何となく云った。しかし云ったときの浮気うわきな心にすぐ気がつくと急に兄にすまない恐ろしさに襲われた。
「自分の年なんかに、いくら冷淡でも構わないから、兄さんにだけはもう少し気をつけて親切にして上げて下さい」
0714Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:58:24.640
「妾そんなに兄さんに不親切に見えて。これでもできるだけの事は兄さんにして上げてるつもりよ。兄さんばかりじゃないわ。あなたにだってそうでしょう。ねえ二郎さん」
 自分は、自分にもっと不親切にして構わないから、兄の方には最もう少し優しくしてくれろと、頼むつもりで嫂の眼を見た時、また急に自分の甘あまいのに気がついた。嫂の前へ出て、こう差し向いに坐すわったが最後、とうてい真底から誠実に兄のために計る事はできないのだとまで思った。自分は言葉には少しも窮しなかった。どんな言語でも兄のために使おうとすれば使われた。けれどもそれを使う自分の心は、兄のためでなくってかえって自分のために使うのと同じ結果になりやすかった。自分はけっしてこんな役割を引き受けべき人格でなかった。自分は今更のように後悔した。
0715Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 09:58:38.400
「あなた急に黙っちまったのね」とその時嫂が云った。あたかも自分の急所を突くように。
「兄さんのために、僕が先刻さっきからあなたに頼んでいる事を、姉さんは真面目に聞いて下さらないから」
0717Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 12:59:34.830
米国  2021年第3四半期(7〜9月) 実質GDP成長率 前期比2.1%増
英   2021年第3四半期(7〜9月) 実質GDP成長率 前期比1.3%増
ドイツ 2021年第3四半期(7〜9月) 実質GDP成長率 前期比1.7%増
韓国  2021年第3四半期(7〜9月) 実質GDP成長率 前期比0.3%増

日本  2021年第3四半期(7〜9月) 実質GDP成長率 前期比マイナス0.9%


日本だけマイナスに沈む
0719Ms.名無しさん
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2021/12/08(水) 13:18:08.190
安倍政権 2012年12月26日〜2020年9月16日

外国人労働者数
2012年68万2450人
2013年71万7504人
2014年78万7627人
2015年90万7896人
2016年108万3769人
2017年127万8670人
2018年146万0463人
2019年165万8804人
2020年172万4328人
0720Ms.名無しさん
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2021/12/09(木) 04:25:38.910
人口ピラミッドから試算した日本の未来

●2024年
国民の1/3が75歳以上の高齢者となる
現在の年金制度が完全に破綻する

●2040年
子供を産む大多数を占める20〜30代の女性が今の半分になる
人口1億人割れ
若い女性は働き口を求め、都市部に出るため地方の崩壊が始まる
全国の半分にあたる896市町村が消滅する

●2050年
人口8000万人に減少
働き口を求めて増々都会に人が集まり、地方は県を維持できなくなる
消滅する県は、島根県、鳥取県、青森県、秋田県
和歌山県は人口が半分以下になる

●2055年
愛知県が大阪府を抜き、日本第2位の県になる
様々な産業や文化が衰退が加速する
鉄道会社は利用者の少ない路線を廃止
これにより地方はどんどん不便になり、さらに人が減少
15歳未満の子供は今の半分になる

●2060年
人口7000万人に減少
国の借金が8000兆円を超える
国民の1/2が75歳以上の高齢者となる

●2100年
人口3000万人に減少
0721Ms.名無しさん
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2021/12/09(木) 06:47:01.860
 自分は恥ずかしい心を抑おさえてわざとこう云った。すると嫂は変に淋さみしい笑い方をした。
「だってそりゃ無理よ二郎さん。妾馬鹿で気がつかないから、みんなから冷淡と思われているかも知れないけれど、これで全くできるだけの事を兄さんに対してしている気なんですもの。――妾ゃ本当に腑抜ふぬけなのよ。ことに近頃は魂たましいの抜殻ぬけがらになっちまったんだから」
0722Ms.名無しさん
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2021/12/09(木) 06:47:10.650
「そう気を腐くさらせないで、もう少し積極的にしたらどうです」
「積極的ってどうするの。御世辞おせじを使うの。妾御世辞は大嫌だいきらいよ。兄さんも御嫌いよ」
0723Ms.名無しさん
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2021/12/09(木) 06:47:23.460
「御世辞なんか嬉うれしがるものもないでしょうけれども、もう少しどうかしたら兄さんも幸福でしょうし、姉さんも仕合せだろうから……」
「よござんす。もう伺わないでも」と云った嫂あねは、その言葉の終らないうちに涙をぽろぽろと落した。
0724Ms.名無しさん
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2021/12/09(木) 06:47:33.540
「妾あたしのような魂たましいの抜殻ぬけがらはさぞ兄さんには御気に入らないでしょう。しかし私はこれで満足です。これでたくさんです。兄さんについて今まで何の不足を誰にも云った事はないつもりです。そのくらいの事は二郎さんもたいてい見ていて解りそうなもんだのに……」
 泣きながら云う嫂あによめの言葉は途切とぎれ途切れにしか聞こえなかった。しかしその途切れ途切れの言葉が鋭い力をもって自分の頭に応こたえた。
0725Ms.名無しさん
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2021/12/09(木) 06:47:45.150
        三十二

 自分は経験のある或る年長者から女の涙に金剛石ダイヤはほとんどない、たいていは皆ギヤマン細工ざいくだとかつて教わった事がある。その時自分はなるほどそんなものかと思って感心して聞いていた。けれどもそれは単に言葉の上の智識に過ぎなかった。若輩じゃくはいな自分は嫂の涙を眼の前に見て、何となく可憐かれんに堪たえないような気がした。ほかの場合なら彼女の手を取って共に泣いてやりたかった。
「そりゃ兄さんの気むずかしい事は誰にでも解ってます。あなたの辛抱も並大抵なみたいていじゃないでしょう。けれども兄さんはあれで潔白すぎるほど潔白で正直すぎるほど正直な高尚な男です。敬愛すべき人物です……」
0726Ms.名無しさん
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2021/12/09(木) 06:47:55.420
「二郎さんに何もそんな事を伺わないでも兄さんの性質ぐらい妾だって承知しているつもりです。妻さいですもの」
 嫂はこう云ってまたしゃくり上げた。自分はますます可哀かわいそうになった。見ると彼女の眼を拭ぬぐっていた小形の手帛ハンケチが、皺しわだらけになって濡ぬれていた。自分は乾いている自分ので彼女の眼や頬を撫なでてやるために、彼女の顔に手を出したくてたまらなかった。けれども、何とも知れない力がまたその手をぐっと抑えて動けないように締めつけている感じが強く働いた。
0727Ms.名無しさん
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2021/12/09(木) 06:48:03.470
「正直なところ姉さんは兄さんが好きなんですか、また嫌きらいなんですか」
 自分はこう云ってしまった後あとで、この言葉は手を出して嫂の頬を、拭いてやれない代りに自然口の方から出たのだと気がついた。嫂は手帛と涙の間から、自分の顔を覗のぞくように見た。
0728Ms.名無しさん
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2021/12/09(木) 06:48:12.620
「二郎さん」
「ええ」
 この簡単な答は、あたかも磁石じしゃくに吸われた鉄の屑くずのように、自分の口から少しの抵抗もなく、何らの自覚もなく釣り出された。
0729Ms.名無しさん
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2021/12/09(木) 06:48:21.730
「あなた何の必要があってそんな事を聞くの。兄さんが好きか嫌いかなんて。妾あたしが兄さん以外に好いてる男でもあると思っていらっしゃるの」
「そういう訳じゃけっしてないんですが」
0730Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/09(木) 06:48:30.250
「だから先刻さっきから云ってるじゃありませんか。私が冷淡に見えるのは、全く私が腑抜ふぬけのせいだって」
「そう腑抜をことさらに振り舞わされちゃ困るね。誰も宅うちのものでそんな悪口を云うものは一人もないんですから」
0731Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/09(木) 06:48:39.270
「云わなくっても腑抜よ。よく知ってるわ、自分だって。けど、これでも時々は他ひとから親切だって賞ほめられる事もあってよ。そう馬鹿にしたものでもないわ」
 自分はかつて大きなクッションに蜻蛉とんぼだの草花だのをいろいろの糸で、嫂あによめに縫いつけて貰った御礼に、あなたは親切だと感謝した事があった。
0732Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/09(木) 06:48:48.140
「あれ、まだ有るでしょう綺麗きれいね」と彼女が云った。
「ええ。大事にして持っています」と自分は答えた。自分は事実だからこう答えざるを得なかった。こう答える以上、彼女が自分に親切であったという事実を裏から認識しない訳に行かなかった。
0733Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/09(木) 06:48:57.000
ふと耳を欹そばだてると向うの二階で弾ひいていた三味線はいつの間にかやんでいた。残り客らしい人の酔った声が時々風を横切って聞こえた。もうそれほど遅くなったのかと思って、時計を捜さがし出しにかかったところへ女中が飛石伝とびいしづたいに縁側えんがわから首を出した。
 自分らはこの女中を通じて、和歌の浦が今暴風雨に包まれているという事を知った。電話が切れて話が通じないという事を知った。往来の松が倒れて電車が通じないという事も知った。
0734Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/09(木) 06:49:09.980
        三十三

 自分はその時急に母や兄の事を思い出した。眉まゆを焦こがす火のごとく思い出した。狂くるう風と渦巻うずまく浪なみに弄もてあそばれつつある彼らの宿が想像の眼にありありと浮んだ。
「姉さん大変な事になりましたね」と自分は嫂を顧みた。嫂はそれほど驚いた様子もなかった。けれども気のせいか、常から蒼あおい頬が一層蒼いように感ぜられた。その蒼い頬の一部と眼の縁ふちに先刻さっき泣いた痕跡こんせきがまだ残っていた。嫂はそれを下女に悟られるのが厭いやなんだろう、電灯に疎うとい不自然な方角へ顔を向けて、わざと入口の方を見なかった。
0737Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/10(金) 10:21:34.180
「和歌の浦へはどうしても帰られないんでしょうか」と云った。
 見当違いの方から出たこの問は、自分に云うのか、または下女に聞くのか、ちょっと解らなかった。
0738Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/10(金) 10:21:44.430
「俥くるまでも駄目だめだろうね」と自分が同じような問を下女に取次いだ。
 下女は駄目という言葉こそ繰返さなかったが、危険な意味を反覆説明して、聞かせた上、是非今夜だけは和歌山ここへ泊れと忠告した。
0739Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/10(金) 10:21:53.330
彼女の顔はむしろわれわれ二人の利害を標的まとにして物を云ってるらしく真面目まじめに見えた。自分は下女の言葉を信ずれば信ずるほど母の事が気になった。
 防波堤と母の宿との間にはかれこれ五六町の道程みちのりがあった。波が高くて少し土手を越すくらいなら、容易に三階の座敷まで来る気遣きづかいはなかろうとも考えた。しかしもし海嘯つなみが一度に寄せて来るとすると、……
0740Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/10(金) 10:22:02.560
「おい海嘯であすこいらの宿屋がすっかり波に攫さらわれる事があるかい」
 自分は本当に心配の余り下女にこう聞いた。下女はそんな事はないと断言した。しかし波が防波堤を越えて土手下へ落ちてくるため、中が湖水みずうみのようにいっぱいになる事は二三度あったと告げた。
0741Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/10(金) 10:22:10.870
「それにしたって、水に浸つかった家うちは大変だろう」と自分はまた聞いた。
 下女は、高々水の中で家がぐるぐる回まわるくらいなもので、海まで持って行かれる心配はまずあるまいと答えた。この呑気のんきな答えが心配の中にも自分を失笑せしめた。
0742Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/10(金) 10:22:19.350
「ぐるぐる回りゃそれでたくさんだ。その上海まで持ってかれた日にゃ好い災難じゃないか」
 下女は何とも云わずに笑っていた。嫂あによめも暗い方から電灯をまともに見始めた。
「姉さんどうします」
0743Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/10(金) 10:22:27.850
「どうしますって、妾あたし女だからどうして好いか解らないわ。もしあなたが帰るとおっしゃれば、どんな危険があったって、妾いっしょに行くわ」
「行くのは構わないが、――困ったな。じゃ今夜は仕方がないからここへ泊るとしますか」
0744Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/10(金) 10:22:36.490
「あなたが御泊りになれば妾も泊るよりほかに仕方がないわ。女一人でこの暗いのにとても和歌の浦まで行く訳には行かないから」
 下女は今まで勘違かんちがいをしていたと云わぬばかりの眼遣めづかいをして二人を見較べた。
0745Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/10(金) 10:22:44.750
「おい電話はどうしても通じないんだね」と自分はまた念のため聞いて見た。
「通じません」
0746Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/10(金) 10:22:52.620
 自分は電話口へ出て直接に試みて見る勇気もなかった。
「じゃしようがない泊ることにきめましょう」と今度は嫂に向った。
0747Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/10(金) 10:23:01.080
「ええ」
 彼女の返事はいつもの通り簡単でそうして落ちついていた。
「町の中なら俥くるまが通うんだね」と自分はまた下女に向った。
0748Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/10(金) 10:23:10.510
        三十四

 二人はこれから料理屋で周旋してくれた宿屋まで行かなければならなかった。仕度したくをして玄関を下りた時、そこに輝く電灯と、車夫の提灯ちょうちんとが、雨の音と風の叫びに冴さえて、あたかも闇やみに狂う物凄ものすごさを照らす道具のように思われた。嫂あによめはまず色の眼につくあでやかな姿を黒い幌ほろの中へ隠した。自分もつづいて窮屈な深い桐油とうゆの中に身体からだを入れた。
0749Ms.名無しさん
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2021/12/10(金) 10:23:19.880
 幌の中に包まれた自分はほとんど往来の凄すさまじさを見る遑いとまがなかった。自分の頭はまだ経験した事のない海嘯つなみというものに絶えず支配された。でなければ、意地の悪い天候のお蔭で、自分が兄の前で一徹に退しりぞけた事を、どうしても実行しなければならなくなった運命をつらく観かんじた。自分の頭は落ちついて想像したり観じたりするほどの余裕を無論もたなかった。ただ乱雑な火事場のように取留めもなくくるくる廻転した。
0750Ms.名無しさん
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2021/12/10(金) 10:56:52.540
音大生「大学のために上京してから、ずっとセックス、セックス、セックス。毎日セックス」 吉原ソープ・AV女優・パパ活 掛け持ち [485983549]
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0751Ms.名無しさん
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2021/12/10(金) 18:29:31.130
自民党の石原伸晃元幹事長は代表を務める党支部が60万円余りの「雇用調整助成金」を受け取ったことに与野党から批判が出ていることなどを踏まえ、先に就任した内閣官房参与を辞任しました。
0755Ms.名無しさん
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2021/12/11(土) 06:12:45.350
 そのうち俥くるまの梶棒かじぼうが一軒の宿屋のような構かまえの門口へ横づけになった。自分は何だか暖簾のれんを潜くぐって土間へ這入はいったような気がしたがたしかには覚えていない。土間は幅の割に竪たてからいってだいぶ長かった。帳場も見えず番頭もいず、ただ一人の下女が取次に出ただけで、宵よいの口としては至って淋さみしい光景であった。
 自分達は黙ってそこに突立っていた。自分はなぜだか嫂に話したくなかった。彼女も澄まして絹張の傘かさの先を斜ななめに土間に突いたなりで立っていた。
0756Ms.名無しさん
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2021/12/11(土) 06:12:53.850
 下女の案内で二人の通された部屋は、縁側えんがわを前に御簾みすのような簀垂すだれを軒に懸けた古めかしい座敷であった。柱は時代で黒く光っていた。天井てんじょうにも煤すすの色が一面に見えた。嫂は例の傘を次の間まの衣桁いこうに懸けて、「ここは向うが高い棟むねで、こっちが厚い練塀ねりべいらしいから風の音がそんなに聞えないけれど、先刻さっき俥へ乗った時は大変ね。幌ほろの上でひゅひゅいうのが気味が悪かったぐらいよ。あなた風の重みが俥の幌に乗のしかかって来るのが乗ってて分ったでしょう。妾あたしもう少しで俥が引ひっ繰返くりかえるかも知れないと思ったわ」と云った。
 自分は少し逆上していたので、そんな事はよく注意していられなかった。けれどもその通りを真直まっすぐに答えるほどの勇気もなかった。
0757Ms.名無しさん
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2021/12/11(土) 06:13:03.260
「ええずいぶんな風でしたね」とごまかした。
「ここでこのくらいじゃ、和歌の浦はさぞ大変でしょうね」と嫂が始めて和歌の浦の事を云い出した。
0758Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/11(土) 06:13:15.760
 自分は胸がまたわくわくし出した。「姐ねえさんここの電話も切れてるのかね」と云って、答えも待たずに風呂場に近い電話口まで行った。そこで帳面を引っ繰返しながら、号鈴ベルをしきりに鳴らして、母と兄の泊っている和歌の浦の宿へかけて見た。すると不思議に向うで二言三言何か云ったような気がするので、これはありがたいと思いつつなお暴風雨あらしの模様を聞こうとすると、またさっぱり通じなくなった。それから何遍もしもしと呼んでもいくら号鈴を鳴らしても、呼よび甲斐がいも鳴らし甲斐も全く無くなったので、ついに我がを折ってわが部屋へ引き戻して来た。嫂は蒲団ふとんの上に坐すわって茶を啜すすっていたが、自分の足音を聴きつつふり返って、「電話はどうして? 通じて?」と聞いた。自分は電話について今の一部始終いちぶしじゅうを説明した。
「おおかたそんな事だろうと思った。とても駄目よ今夜は。いくらかけたって、風で電話線を吹き切っちまったんだから。あの音を聞いたって解るじゃありませんか」
 風はどこからか二筋に綯よれて来たのが、急に擦違すれちがいになって唸うなるような怪しい音を立てて、また虚空遥こくうはるかに騰のぼるごとくに見えた。
0759Ms.名無しさん
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2021/12/11(土) 06:13:24.470
        三十五

 二人が風に耳を峙そばだてていると、下女が風呂の案内に来た。それから晩食ばんめしを食うかと聞いた。自分は晩食などを欲しいと思う気になれなかった。
「どうします」と嫂あによめに相談して見た。
0760Ms.名無しさん
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2021/12/11(土) 06:13:35.720
「そうね。どうでもいいけども。せっかく泊ったもんだから、御膳おぜんだけでも見た方がいいでしょう」と彼女は答えた。
 下女が心得て立って行ったかと思うと、宅中うちじゅうの電灯がぱたりと消えた。黒い柱と煤すすけた天井でたださえ陰気な部屋が、今度は真暗まっくらになった。自分は鼻の先に坐すわっている嫂を嗅かげば嗅がれるような気がした。
0761Ms.名無しさん
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2021/12/11(土) 06:13:44.520
「姉さん怖こわかありませんか」
「怖いわ」という声が想像した通りの見当で聞こえた。けれどもその声のうちには怖らしい何物をも含んでいなかった。またわざと怖がって見せる若々しい蓮葉はすはの態度もなかった。
0762Ms.名無しさん
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2021/12/11(土) 06:13:53.780
 二人は暗黒のうちに坐っていた。動かずにまた物を云わずに、黙って坐っていた。眼に色を見ないせいか、外の暴風雨あらしは今までよりは余計耳についた。雨は風に散らされるのでそれほど恐ろしい音も伝えなかったが、風は屋根も塀へいも電柱も、見境みさかいなく吹き捲めくって悲鳴を上げさせた。自分達の室へやは地面の上の穴倉みたような所で、四方共頑丈がんじょうな建物だの厚い塗壁だのに包かこまれて、縁の前の小さい中庭さえ比較的安全に見えたけれども、周囲一面から出る一種凄すさまじい音響は、暗闇くらやみに伴って起る人間の抵抗しがたい不可思議な威嚇いかくであった。
「姉さんもう少しだから我慢なさい。今に女中が灯ひを持って来るでしょうから」
0763Ms.名無しさん
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2021/12/11(土) 06:14:01.980
 自分はこう云って、例の見当から嫂の声が自分の鼓膜こまくに響いてくるのを暗に予期していた。すると彼女は何事をも答えなかった。それが漆うるしに似た暗闇の威力で、細い女の声さえ通らないように思われるのが、自分には多少無気味であった。しまいに自分の傍そばにたしかに坐っているべきはずの嫂の存在が気にかかり出した。
「姉さん」
0764Ms.名無しさん
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2021/12/11(土) 06:14:10.810
 嫂はまだ黙っていた。自分は電気灯の消えない前、自分の向うに坐っていた嫂の姿を、想像で適当の距離に描き出した。そうしてそれを便りにまた「姉さん」と呼んだ。
「何よ」
 彼女の答は何だか蒼蠅うるさそうであった。
0765Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/11(土) 06:14:20.310
「いるんですか」
「いるわあなた。人間ですもの。嘘うそだと思うならここへ来て手で障さわって御覧なさい」
0766Ms.名無しさん
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2021/12/11(土) 06:14:31.650
 自分は手捜てさぐりに捜り寄って見たい気がした。けれどもそれほどの度胸がなかった。そのうち彼女の坐っている見当で女帯の擦すれる音がした。
「姉さん何かしているんですか」と聞いた。
0767Ms.名無しさん
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2021/12/11(土) 06:14:40.310
「ええ」
「何をしているんですか」と再び聞いた。
0768Ms.名無しさん
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2021/12/11(土) 06:14:50.180
「先刻さっき下女が浴衣ゆかたを持って来たから、着換えようと思って、今帯を解いているところです」と嫂あによめが答えた。
 自分が暗闇くらやみで帯の音を聞いているうちに、下女は古風な蝋燭ろうそくを点つけて縁側伝えんがわづたいに持って来た。そうしてそれを座敷の床とこの横にある机の上に立てた。蝋燭の焔ほのおがちらちら右左へ揺れるので、黒い柱や煤すすけた天井はもちろん、灯ひの勢の及ぶ限りは、穏かならぬ薄暗い光にどよめいて、自分の心を淋さびしく焦立いただたせた。ことさら床に掛けた軸と、その前に活けてある花とが、気味の悪いほど目立って蝋燭の灯の影響を受けた。自分は手拭てぬぐいを持って、また汗を流しに風呂へ行った。風呂は怪しげなカンテラで照らされていた。
0769Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:12:43.260
        三十六

 自分は佗わびしい光でやっと見分みわけのつく小桶こおけを使ってざあざあ背中を流した。出がけにまた念のためだから電話をちりんちりん鳴らして見たがさらに通じる気色けしきがないのでやめた。
 嫂は自分と入れ代りに風呂へ入ったかと思うとすぐ出て来た。「何だか暗くって気味が悪いのね。それに桶おけや湯槽ゆぶねが古いんでゆっくり洗う気にもなれないわ」
0770Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:12:50.370
 その時自分は畏かしこまった下女を前に置いて蝋燭の灯を便たよりに宿帳をつけべく余儀なくされていた。
「姉さん宿帳はどうつけたら好いでしょう」
0771Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:12:59.230
「どうでも。好い加減に願います」
 嫂はこう云って小さい袋から櫛くしやなにか這入はいっている更紗さらさの畳紙たとうを出し始めた。彼女は後向うしろむきになって蝋燭を一つ占領して鏡台に向いつつ何かやっていた。自分は仕方なしに東京の番地と嫂の名を書いて、わざと傍そばに一郎妻さいと認したためた。同様の意味で自分の側わきにも一郎弟おとととわざわざ断った。
0772Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:13:07.130
 飯の出る前に、何の拍子ひょうしか、先に暗くなった電灯がまた一時に明るくなった。その時台所の方でわあと喜びの鬨ときの声を挙げたものがあった。暴風雨しけで魚がないと下女が言訳を云ったにかかわらず、われわれの膳ぜんの上は明かであった。
「まるで生返ったようね」と嫂が云った。
0773Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:13:15.220
 すると電灯がまたぱっと消えた。自分は急に箸はしを消えたところに留めたぎり、しばらく動かさなかった。
「おやおや」
0774Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:13:23.230
 下女は大きな声をして朋輩ほうばいの名を呼びながら灯火あかりを求めた。自分は電気灯がぱっと明るくなった瞬間に嫂あによめが、いつの間にか薄く化粧けしょうを施したという艶なまめかしい事実を見て取った。電灯の消えた今、その顔だけが真闇まっくらなうちにもとの通り残っているような気がしてならなかった。
「姉さんいつ御粧おつくりしたんです」
0775Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:13:30.260
「あら厭いやだ真闇になってから、そんな事を云いだして。あなたいつ見たの」
 下女は暗闇くらやみで笑い出した。そうして自分の眼ざとい事を賞ほめた。
0776Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:13:37.890
「こんな時に白粉おしろいまで持って来るのは実に細かいですね、姉さんは」と自分はまた暗闇の中で嫂に云った。
「白粉なんか持って来やしないわ。持って来たのはクリームよ、あなた」と彼女はまた暗闇の中で弁解した。
0777Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:13:47.830
 自分は暗がりの中で、しかも下女のいる前で、こんな冗談を云うのが常よりは面白かった。そこへ彼女の朋輩がまた別の蝋燭ろうそくを二本ばかり点つけて来た。
 室へやの中は裸蝋燭の灯ひで渦うずを巻くように動揺した。自分も嫂も眉まゆを顰ひそめて燃える焔ほのおの先を見つめていた。そうして落ちつきのない淋さびしさとでも形容すべき心持を味わった。
0778Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:13:57.410
 ほどなく自分達は寝た。便所に立った時、自分は窓の間から空を仰ぐように覗のぞいて見た。今まで多少静まっていた暴風雨あらしが、この時は夜更よふけと共に募つのったものか、真黒な空が真黒いなりに活動して、瞬間も休まないように感ぜられた。自分は恐ろしい空の中で、黒い電光が擦すれ合って、互に黒い針に似たものを隙間すきまなく出しながら、この暗さを大きな音の中うちに維持しているのだと想像し、かつその想像の前に畏縮いしゅくした。
 蚊帳かやの外には蝋燭の代りに下女が床を延べた時、行灯あんどんを置いて行った。その行灯がまた古風こふうな陰気なもので、いっそ吹き消して闇くらがりにした方が、微かすかな光に照らされる無気味さよりはかえって心持が好いくらいだった。自分は燐寸マッチを擦すって、薄暗い所で煙草たばこを呑のみ始めた。
0779Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:14:27.060
        三十七

 自分は先刻さっきから少しも寝なかった。小用こように立って、
一本の紙巻を吹かす間にもいろいろな事を考えた。それが取りとめもなく雑然と
一度に来るので、自分にも何が主要の問題だか捕えられなかった。
自分は燐寸を擦って煙草を呑んでいる事さえ時々忘れた。しかもそこに気がついて、
再び吸口を唇くちびるに銜くわえる時の煙の無味まずさはまた特別であった。
 自分の頭の中には、今見て来た正体しょうたいの解らない黒い空が、
凄すさまじく一様に動いていた。それから母や兄のいる三階の宿が波を幾度となく被かぶって、くるりくるりと廻り出していた。それが片づかないうちに、この部屋の中に寝ている嫂の事がまた気になり出した。天災とは云え二人でここへ泊った言訳をどうしたものだろうと考えた。弁解してから後あと、兄の機嫌きげんをどうして取り直したものだろうとも考えた。同時に今日嫂といっしょに出て、滅多めったにないこんな冒険を共にした嬉うれしさがどこからか湧わいて出た。その嬉しさが出た時、自分は風も雨も海嘯つなみも母も兄もことごとく忘れた。するとその嬉しさがまた俄然がぜんとして一種の恐ろしさに変化した。恐ろしさと云うよりも、むしろ恐ろしさの前触まえぶれであった。どこかに潜伏しているように思われる不安の徴候であった。そうしてその時は外面そとを狂い廻る暴風雨あらしが、木を根こぎにしたり、塀へいを倒したり、屋根瓦を捲めくったりするのみならず、今薄暗い行灯あんどん[#ルビの「あんどん」は底本では「あんどう」]の下もとで味のない煙草たばこを吸っているこの自分を、
粉微塵こみじんに破壊する予告のごとく思われた。
0780Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:14:36.830
 自分がこんな事をぐるぐる考えているうちに、蚊帳かやの中に死人のごとくおとなしくしていた嫂あによめが、急に寝返ねがえりをした。そうして自分に聞えるように長い欠伸あくびをした。
「姉さんまだ寝ないんですか」と自分は煙草の煙の間から嫂に聞いた。
0781Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:14:45.260
「ええ、だってこの吹き降りじゃ寝ようにも寝られないじゃありませんか」
「僕もあの風の音が耳についてどうする事もできない。電灯の消えたのは、何でもここいら近所にある柱が一本とか二本とか倒れたためだってね」
0782Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:14:56.180
「そうよ、そんな事を先刻さっき下女が云ったわね」
「御母さんと兄さんはどうしたでしょう」
0783Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:15:07.000
「妾あたしも先刻からその事ばかり考えているの。しかしまさか浪なみは這入はいらないでしょう。這入ったって、あの土手の松の近所にある怪しい藁屋わらやぐらいなものよ。持ってかれるのは。もし本当の海嘯が来てあすこ界隈かいわいをすっかり攫さらって行くんなら、妾本当に惜しい事をしたと思うわ」
「なぜ」
0784Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 15:15:15.570
「なぜって、妾そんな物凄ものすごいところが見たいんですもの」
「冗談じゃない」と自分は嫂の言葉をぶった切るつもりで云った。すると嫂は真面目に答えた。
0785Ms.名無しさん
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2021/12/12(日) 22:59:32.460
あなたの国では人々は何不自由なく生きているように思えるけれども
心の飢えをもっている人はたくさんいるでしょう。
誰からも必要とされず、誰からも愛されていないという心の貧しさ
それは、一切れのパンに飢えているよりも、もっと酷い貧しさなんじゃないかと私は思う。

byマザーテレサ
0786Ms.名無しさん
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2021/12/13(月) 08:26:05.670
GDP改定は年率3.6%減に下方修正、個人消費下振れ−7〜9月

2021年12月8日 8:51 JST 更新日時 2021年12月8日 10:13 JST
個人消費1.3%減、設備投資2.3%減、輸出0.9%減
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-12-07/R3PYFFT0AFFA01
緊急事態長期化が影響した個人消費は10−12月に回復へ−丸紅経済研
7−9月期の実質国内総生産(GDP)改定値は前期比年率3.6%減と、
速報値の3.0%減から下方修正された。
個人消費と公共投資が下振れた。
成長率のマイナス幅は市場予想(3.1%減)よりも大きかった。内閣府が8日公表した。

キーポイント
GDP改定値は前期比0.9%減、速報値0.8%減から下方修正
(ブルームバーグ調査の予想中央値は0.8%減)
0787Ms.名無しさん
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2021/12/13(月) 08:41:58.830
【産経新聞】「先進国で最低」日本に対してよく使われるようになった言葉 
平均賃金は韓国に抜かれ車も買えない…どうしてこうなった★17 [Stargazer★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1639328340/
0788Ms.名無しさん
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2021/12/13(月) 09:34:33.550
「あら本当よ二郎さん。妾死ぬなら首を縊くくったり咽喉のどを突いたり、そんな小刀細工をするのは嫌きらいよ。大水に攫われるとか、雷火に打たれるとか、猛烈で一息な死に方がしたいんですもの」
 自分は小説などをそれほど愛読しない嫂から、始めてこんなロマンチックな言葉を聞いた。そうして心のうちでこれは全く神経の昂奮こうふんから来たに違いないと判じた。
0789Ms.名無しさん
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2021/12/13(月) 09:35:15.080
何かの本にでも出て来そうな死方ですね」
「本に出るか芝居でやるか知らないが、妾ゃ真剣にそう考えてるのよ。嘘うそだと思うならこれから二人で和歌の浦へ行って浪でも海嘯でも構わない、いっしょに飛び込んで御目にかけましょうか」
0790Ms.名無しさん
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2021/12/13(月) 09:35:29.020
「あなた今夜は昂奮している」と自分は慰撫なだめるごとく云った。
「妾の方があなたよりどのくらい落ちついているか知れやしない。たいていの男は意気地なしね、いざとなると」と彼女は床の中で答えた。
0791Ms.名無しさん
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2021/12/13(月) 09:35:39.480
       三十八

 自分はこの時始めて女というものをまだ研究していない事に気がついた。嫂あによめはどこからどう押しても押しようのない女であった。こっちが積極的に進むとまるで暖簾のれんのように抵抗たわいがなかった。仕方なしにこっちが引き込むと、突然変なところへ強い力を見せた。その力の中うちにはとても寄りつけそうにない恐ろしいものもあった。またはこれなら相手にできるから進もうかと思って、まだ進みかねている中に、ふっと消えてしまうのもあった。自分は彼女と話している間始終しじゅう彼女から翻弄ほんろうされつつあるような心持がした。不思議な事に、その翻弄される心持が、自分に取って不愉快であるべきはずだのに、かえって愉快でならなかった。
 彼女は最後に物凄ものすごい決心を語った。海嘯つなみに攫さらわれて行きたいとか、雷火に打たれて死にたいとか、何しろ平凡以上に壮烈な最後を望んでいた。自分は平生から(ことに二人でこの和歌山に来てから)体力や筋力において遥はるかに優勢な位地に立ちつつも、嫂に対してはどことなく無気味な感じがあった。そうしてその無気味さがはなはだ狎なれやすい感じと妙に相伴っていた。
0792Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/13(月) 09:35:48.460
 自分は詩や小説にそれほど親しみのない嫂のくせに、何に昂奮こうふんして海嘯に攫われて死にたいなどと云うのか、そこをもっと突きとめて見たかった。
「姉さんが死ぬなんて事を云い出したのは今夜始めてですね」
0793Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/13(月) 09:35:57.030
「ええ口へ出したのは今夜が始めてかも知れなくってよ。けれども死ぬ事は、死ぬ事だけはどうしたって心の中で忘れた日はありゃしないわ。だから嘘うそだと思うなら、和歌の浦まで伴つれて行ってちょうだい。きっと浪の中へ飛込んで死んで見せるから」
 薄暗い行灯あんどんの下もとで、暴風雨あらしの音の間にこの言葉を聞いた自分は、実際物凄かった。彼女は平生から落ちついた女であった。歇私的里風ヒステリふうなところはほとんどなかった。けれども寡言かげんな彼女の頬は常に蒼あおかった。そうしてどこかの調子で眼の中に意味の強い解すべからざる光が出た。
0794Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/13(月) 09:36:06.800
「姉さんは今夜よっぽどどうかしている。何か昂奮している事でもあるんですか」
 自分は彼女の涙を見る事はできなかった。また彼女の泣き声を聞く事もできなかった。けれども今にもそこに至りそうな気がするので、暗い行灯あんどんの光を便たよりに、蚊帳かやの中を覗のぞいて見た。彼女は赤い蒲団ふとんを二枚重ねてその上に縁ふちを取った白麻しろあさの掛蒲団を胸の所まで行儀よく掛けていた。自分が暗い灯ひでその姿を覗のぞき込んだ時、彼女は枕を動かして自分の方を見た。
0795Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/13(月) 09:36:18.070
「あなた昂奮昂奮って、よくおっしゃるけれども妾あたしゃあなたよりいくら落ちついてるか解りゃしないわ。いつでも覚悟ができてるんですもの」
 自分は何と答うべき言葉も持たなかった。黙って二本目の敷島しきしまを暗い灯影ほかげで吸い出した。自分はわが鼻と口から濛々もうもうと出る煙ばかりを眺めていた。自分はその間に気味のわるい眼を転じて、時々蚊帳の中を窺うかがった。嫂の姿は死んだように静であった。あるいはすでに寝ついたのではないかとも思われた。すると突然仰向あおむけになった顔の中から、「二郎さん」と云う声が聞こえた。
0796Ms.名無しさん
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2021/12/13(月) 09:36:26.610
「何ですか」と自分は答えた。
「あなたそこで何をしていらっしゃるの」
0797Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/13(月) 09:36:35.030
「煙草を呑のんでるんです。寝られないから」
「早く御休みなさいよ。寝られないと毒だから」
0798Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/13(月) 09:36:43.630
「ええ」
 自分は蚊帳の裾すそを捲まくって、自分の床の中に這入はいった。
0799Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/13(月) 09:36:53.050
        三十九

 翌日よくじつは昨日きのうと打って変って美しい空を朝まだきから仰ぐ事を得た。
「好い天気になりましたね」と自分は嫂あによめに向って云った。
0800Ms.名無しさん
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2021/12/13(月) 09:37:01.670
「本当ほんとね」と彼女も答えた。
 二人はよく寝なかったから、夢から覚さめたという心持はしなかった。ただ床を離れるや否や魔から覚めたという感じがしたほど、空は蒼あおく染められていた。
0801Ms.名無しさん
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2021/12/13(月) 09:37:13.600
 自分は朝飯あさめしの膳ぜんに向いながら、廂ひさしを洩もれる明らかな光を見て、急に気分の変化に心づいた。したがって向い合っている嫂の姿が昨夕ゆうべの嫂とは全く異なるような心持もした。今朝けさ見ると彼女の眼にどこといって浪漫的ロマンてきな光は射していなかった。ただ寝の足りない※(「目+匡」、第3水準1-88-81)まぶちが急に爽さわやかな光に照らされて、それに抵抗するのがいかにも慵ものういと云ったような一種の倦怠けたるさが見えた。頬の蒼白あおじろいのも常に変らなかった。
 我々はできるだけ早く朝飯を済まして宿を立った。電車はまだ通じないだろうという宿のものの注意を信用して俥くるまを雇った。車夫は土間から表に出た我々を一目見て、すぐ夫婦ものと鑑定したらしかった。俥に乗るや否や自分の梶棒かじぼうを先へ上げた。自分はそれをとめるように、「後あとから後から」と云った。車夫は心得て「奥さんの方が先だ」と相図した。嫂の俥が自分の傍そばを擦すり抜ける時、彼女は例の片靨かたえくぼを見せて「御先へ」と挨拶あいさつした。自分は「さあどうぞ」と云ったようなものの、腹の中では車夫の口にした奥さんという言葉が大いに気になった。嫂はそんな景色けしきもなく、自分を乗り越すや否や、琥珀こはくに刺繍ぬいのある日傘ひがさを翳かざした。彼女の後姿はいかにも涼しそうに見えた。奥さんと云われても云われないでも全く無関係の態度で、俥の上に澄まして乗っているとしか思われなかった。
0802Ms.名無しさん
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2021/12/13(月) 09:37:22.610
自分は嫂の後姿を見つめながら、また彼女の人となりに思い及んだ。自分は平生こそ嫂の性質を幾分かしっかり手に握っているつもりであったが、いざ本式に彼女の口から本当のところを聞いて見ようとすると、まるで八幡やわたの藪知やぶしらずへ這入はいったように、すべてが解らなくなった。
 すべての女は、男から観察しようとすると、みんな正体の知れない嫂のごときものに帰着するのではあるまいか。経験に乏しい自分はこうも考えて見た。またその正体の知れないところがすなわち他の婦人に見出しがたい嫂あによめだけの特色であるようにも考えて見た。とにかく嫂の正体は全く解らないうちに、空が蒼々あおあおと晴れてしまった。自分は気の抜けた麦酒ビールのような心持を抱いて、先へ行く彼女の後姿を絶えず眺めていた。
0803Ms.名無しさん
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2021/12/13(月) 09:37:33.580
 突然自分は宿へ帰ってから嫂について兄に報告をする義務がまだ残っている事に気がついた。自分は何と報告して好いかよく解らなかった。云うべき言葉はたくさんあったけれども、それを一々兄の前に並べるのはとうてい自分の勇気ではできなかった。よし並べたって最後の一句は正体が知れないという簡単な事実に帰するだけであった。あるいは兄自身も自分と同じく、この正体を見届ようと煩悶はんもんし抜いた結果、こんな事になったのではなかろうか。自分は自分がもし兄と同じ運命に遭遇したら、あるいは兄以上に神経を悩ましはしまいかと思って、始めて恐ろしい心持がした。
 俥くるまが宿へ着いたとき、三階の縁側えんがわには母の影も兄の姿も見えなかった。
0806Ms.名無しさん
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2021/12/14(火) 10:32:40.700
        四十

 兄は三階の日に遠い室へやで例の黒い光沢つやのある頭を枕まくらに着けて仰向あおむきになっていた。けれども眠ってはいなかった。むしろ充血した眼を見張るように緊張して天井てんじょうを見つめていた。彼は自分達の足音を聞くや否や、いきなりその血走った眼を自分と嫂に注いだ。自分は兼かねてからその眼つきを予想し得なかったほど兄を知らない訳でもなかった。けれども室の入口で嫂と相並んで立ちながら、昨夕ゆうべまんじりともしなかったと自白しているような彼の赤くて鋭い眼つきを見た時は、少し驚かされた。自分はこういう場合の緩和剤かんわざいとして例いつもの通り母を求めた。その母は座敷の中にも縁側にもどこにも見当らなかった。
 自分が彼女を探さがしているうちに嫂は兄の枕元に坐って挨拶あいさつをした。
0807Ms.名無しさん
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2021/12/14(火) 10:32:51.380
「ただいま」
 兄は何とも答えなかった。嫂はまた坐ったなりそこを動かなかった。自分は勢いとして口を開くべく余儀なくされた。
0808Ms.名無しさん
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2021/12/14(火) 10:32:59.580
「昨夕こっちは大変な暴風雨あらしでしたってね」
「うんずいぶんひどい風だった」
0809Ms.名無しさん
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2021/12/14(火) 10:33:08.170
「波があの石の土手を越して松並木から下へ流れ込んだの」
 これは嫂の言葉であった。兄はしばらく彼女の顔を眺めていた。それから徐おもむろに答えた。
0810Ms.名無しさん
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2021/12/14(火) 10:33:19.460
「いやそうでもない。家に故障はなかったはずだ」
「じゃ。無理に帰れば帰れたのね」
0811Ms.名無しさん
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2021/12/14(火) 10:33:28.270
 嫂はこう云って自分を顧みた。自分は彼女よりもむしろ兄の方に向いた。
「いやとても帰れなかったんです。電車がだいち通じないんですもの」
0812Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/14(火) 10:33:36.390
「そうかも知れない。昨日きのうは夕方あたりからあの波が非常に高く見えたから」
「夜中よなかに宅うちが揺れやしなくって」
0813Ms.名無しさん
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2021/12/14(火) 10:33:44.380
 これも嫂あによめの兄に聞いた問であった。今度は兄がすぐ答えた。
「揺れた。お母さんは危険だからと云って下へ降りて行かれたくらい揺れた」
0814Ms.名無しさん
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2021/12/14(火) 10:33:53.630
 自分は兄の眼色の険悪な割合に、それほど殺気を帯びていない彼の言語動作をようよう確め得た時やっと安心した。彼は自分の性急せっかちに比べると約五倍がたの癇癪持かんしゃくもちであった。けれども一種天賦てんぷの能力があって、時にその癇癪を巧たくみに殺す事ができた。
 その内に明神様みょうじんさまへ御参りに行った母が帰って来た。彼女は自分の顔を見てようやく安心したというような色をしてくれた。
0815Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/14(火) 10:34:03.800
「よく早く帰れて好かったね。――まあ昨夕ゆうべの恐ろしさったら、そりゃ御話にも何にもならないんだよ、二郎。この柱がぎいぎいって鳴るたんびに、座敷が右左に動いごくんだろう。そこへ持って来て、あの浪なみの音がね。――わたしゃ今聞いても本当にぞっとするよ……」
 母は昨夕の暴風雨あらしをひどく怖こわがった。ことにその聯想れんそうから出る、防波堤ぼうはていを砕きにかかる浪の音を嫌きらった。
0816Ms.名無しさん
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2021/12/14(火) 10:34:12.630
「もうもう和歌の浦も御免ごめん。海も御免。慾も得も要らないから、早く東京へ帰りたいよ」
 母はこう云って眉まゆをひそめた。兄は肉のない頬へ皺しわを寄せて苦笑した。
0817Ms.名無しさん
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2021/12/14(火) 10:34:20.800
「二郎達は昨夕どこへ泊ったんだい」と聞いた。
 自分は和歌山の宿の名を挙げて答えた。
0818Ms.名無しさん
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2021/12/14(火) 10:34:30.380
「好い宿かい」
「何だかかんだか、ただ暗くって陰気なだけです。ねえ姉さん」
 その時兄は走るような眼を嫂に転じた。
0819Ms.名無しさん
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2021/12/14(火) 10:34:40.690
 嫂はただ自分の顔を見て「まるでお化ばけでも出そうな宅うちね」と云った。
 日の夕暮に自分は嫂と階段の下で出逢であった。その時自分は彼女に「どうです、兄さんは怒ってるんでしょうか」と聞いて見た。嫂は「どうだか腹の中はちょっと解らないわ」と淋さびしく笑いながら上へ昇って行った。
0824Ms.名無しさん
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2021/12/14(火) 21:46:01.250
「外交的ボイコット」決断先送り、岸田首相の2大疑惑 
「バイデン氏は屈辱…」習中国と密約?揺らぐ日米同盟 米が問題視する“岸潰し”
https://www.zakzak.co.jp/article/20211214-X34XVBVVYBNRXPK74WFLD44SFQ/
「〜米国は、岸田首相が6日に行った所信表明演説も問題視している。〜」
0825Ms.名無しさん
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2021/12/15(水) 13:06:30.930
        四十一

 母が暴風雨に怖気おじけがついて、早く立とうと云うのを機しおに、みんなここを切上げて一刻も早く帰る事にした。
「いかな名所でも一日二日は好いが、長くなるとつまらないですね」と兄は母に同意していた。
0826Ms.名無しさん
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2021/12/15(水) 13:06:44.580
 母は自分を小蔭こかげへ呼んで、「二郎お前どうするつもりだい」と聞いた。自分は自分の留守中に兄が万事を母に打ち明けたのかと思った。しかし兄の平生から察すると、そんな行き抜けの人ひととなりでもなさそうであった。
「兄さんは昨夕僕らが帰らないんで、機嫌きげんでも悪くしているんですか」
0827Ms.名無しさん
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2021/12/15(水) 13:06:53.510
 自分がこう質問をかけた時、母は少しの間黙っていた。
「昨夕ゆうべはね、知っての通りの浪なみや風だから、そんな話をする閑ひまも無かったけれども……」
0828Ms.名無しさん
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2021/12/15(水) 13:07:05.460
 母はどうしてもそこまでしか云わなかった。
「お母さんは何だか僕と嫂ねえさんの仲を疑ぐっていらっしゃるようだが……」と云いかけると、今まで自分の眼をじっと見ていた母は急に手を振って自分を遮さえぎった。
0829Ms.名無しさん
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2021/12/15(水) 13:07:16.170
「そんな事があるものかねお前、お母さんに限って」
 母の言葉は実際判然はっきりした言葉に違なかった。顔つきも眼つきもきびきびしていた。けれども彼女の腹の中はとても読めなかった。自分は親身しんみの子として、時たま本当の父や母に向いながら嘘うそと知りつつ真顔で何か云い聞かされる事を覚えて以来、世の中で本式の本当を云い続けに云うものは一人もないと諦あきらめていた。
0830Ms.名無しさん
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2021/12/15(水) 13:07:26.980
「兄さんには僕から万事話す事になっています。そう云う約束になってるんだから、お母さんが心配なさる必要はありません。安心していらっしゃい」
「じゃなるべく早く片づけた方が好いよ二郎」
0831Ms.名無しさん
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2021/12/15(水) 13:07:38.370
 自分達はその明くる宵よいの急行で東京へ帰る事にきめていた。実はまだ大阪を中心として、見物かたがた歩くべき場所はたくさんあったけれども、母の気が進まず、兄の興味が乗らず、大阪で中継なかつぎをする時間さえ惜んで、すぐ東京まで寝台で通そうと云うのが母と兄の主張であった。
 自分達は是非共翌日あしたの朝の汽車で和歌山から大阪へ向けて立たなければならなかった。自分は母の命令で岡田の宅うちまで電報を打った。
0832Ms.名無しさん
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2021/12/15(水) 13:07:48.680
「佐野さんへはかける必要もないでしょう」と云いながら自分は母と兄の顔を眺めた。
「あるまい」と兄が答えた。
0833Ms.名無しさん
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2021/12/15(水) 13:07:59.690
「岡田へさえ打っておけば、佐野さんはうっちゃっておいてもきっと送りに来てくれるよ」
 自分は電報紙を持ちながら、是非共お貞さださんを貰いたいという佐野のお凸額でことその金縁眼鏡きんぶちめがねを思い出した。
0834Ms.名無しさん
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2021/12/15(水) 13:08:09.230
「ではあのお凸額さんは止やめておこう」
 自分はこう云って、みんなを笑わせた。自分がとうから佐野の御凸額を気にしていたごとく、ほかのものも同じ人の同じ特色を注意していたらしかった。
0835Ms.名無しさん
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2021/12/15(水) 13:08:18.770
「写真で見たより御凸額ね」と嫂あによめは真面目まじめな顔で云った。
 自分は冗談のうちに自分を紛まぎらしつつ、どんな折を利用して嫂の事を兄に復命したものだろうかと考えていた。それで時々偸ぬすむようにまた先方の気のつかないように兄の様子を見た。ところが兄は自分の予期に反して、全くそれには無頓着むとんじゃくのように思われた。
0836Ms.名無しさん
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2021/12/16(木) 03:51:30.740
        四十二

 自分が兄から別室に呼出されたのはそれが済んでしばらくしてであった。その時兄は常に変らない様子をして、(嫂に評させると常に変らない様子を装よそおって、)「二郎ちょっと話がある。あっちの室へやへ来てくれ」と穏かに云った。自分はおとなしく「はい」と答えて立った。しかしどうした機はずみか立つときに嫂あによめの顔をちょっと見た。その時は何の気もつかなかったが、この平凡な所作がその後自分の胸には絶えず驕慢きょうまんの発現として響いた。嫂は自分と顔を合せた時、いつもの通り片靨かたえくぼを見せて笑った。自分と嫂の眼を他ひとから見たら、どこかに得意の光を帯びていたのではあるまいか。自分は立ちながら、次の室へやで浴衣ゆかたを畳んでいた母の方をちょっと顧て、思わず立竦たちすくんだ。母の眼つきは先刻さっきからたった一人でそっと我々を観察していたとしか見えなかった。自分は母から疑惑の矢を胸に射つけられたような気分で兄のいる室へ這入はいった。
 その頃はちょうど旧暦の盆で、いわゆる盆波ぼんなみの荒いためか、泊り客は無論、日返りの遊び客さえいつもほどは影を見せなかった。広い三階建てはしたがって空あいている室の方が多かった。少しの間融通しようと思えば、いつでも自分の自由になった。
0837Ms.名無しさん
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2021/12/16(木) 03:51:38.960
 兄は兼かねてから下女に命じておいたものと見えて、室には麻の蒲団ふとんが差し向いに二枚、華奢きゃしゃな煙草盆たばこぼんを間に、団扇うちわさえ添えて据すえられてあった。自分は兄の前に坐った。けれども何と云い出して然しかるべきだか、その手加減がちょっと解らないので、ただ黙っていた。兄も容易に口を開かなかった。しかしこんな場合になると性質上きっと兄の方から積極的に出るに違いないと踏んだ自分は、わざと巻莨まきたばこを吹かしつづけた。
 自分はこの時の自分の心理状態を解剖して、今から顧みると、兄に調戯からかうというほどでもないが、多少彼を焦じらす気味でいたのはたしかであると自白せざるを得ない。もっとも自分がなぜそれほど兄に対して大胆になり得たかは、我ながら解らない。恐らく嫂の態度が知らぬ間に自分に乗り移っていたものだろう。自分は今になって、取り返す事も償つぐなう事もできないこの態度を深く懺悔ざんげしたいと思う。
0838Ms.名無しさん
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2021/12/16(木) 03:52:06.460
 自分が巻莨を吹かして黙っていると兄ははたして「二郎」と呼びかけた。
「お前直なおの性質が解ったかい」
0839Ms.名無しさん
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2021/12/16(木) 03:52:18.910
「解りません」
 自分は兄の問の余りに厳格なため、ついこう簡単に答えてしまった。そうしてそのあまりに形式的なのに後から気がついて、悪かったと思い返したが、もう及ばなかった。
0840Ms.名無しさん
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2021/12/16(木) 03:52:28.460
 兄はその後のち一口も聞きもせず、また答えもしなかった。二人こうして黙っている間が、自分には非常な苦痛であった。今考えると兄には、なおさらの苦痛であったに違ない。
「二郎、おれはお前の兄として、ただ解りませんという冷淡な挨拶あいさつを受けようとは思わなかった」
0841Ms.名無しさん
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2021/12/16(木) 03:52:36.930
 兄はこう云った。そうしてその声は低くかつ顫ふるえていた。彼は母の手前、宿の手前、また自分の手前と問題の手前とを兼ねて、高くなるべきはずの咽喉のどを、やっとの思いで抑えているように見えた。
「お前そんな冷淡な挨拶を一口したぎりで済むものと、高たかを括くくってるのか、子供じゃあるまいし」
0842Ms.名無しさん
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2021/12/16(木) 03:52:45.750
「いえけっしてそんなわけじゃありません」
 これだけの返事をした時の自分は真に純良なる弟であった。
0843Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/16(木) 03:52:57.170
        四十三

「そう云うつもりでなければ、つもりでないようにもっと詳くわしく話したら好いじゃないか」
 兄は苦にがり切って団扇うちわの絵を見つめていた。自分は兄に顔を見られないのを幸いに、暗に彼の様子を窺うかがった。自分からこういうと兄を軽蔑けいべつするようではなはだすまないが、彼の表情のどこかには、というよりも、彼の態度のどこかには、少し大人気おとなげを欠いた稚気ちきさえ現われていた。今の自分はこの純粋な一本調子に対して、相応の尊敬を払う見地けんちを具そなえているつもりである。けれども人格のできていなかった当時の自分には、ただ向むこうの隙すきを見て事をするのが賢いのだという利害の念が、こんな問題にまでつけ纏まつわっていた。
0844Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/16(木) 03:53:12.850
 自分はしばらく兄の様子を見ていた。そうしてこれは与くみしやすいという心が起った。彼は癇癪かんしゃくを起している。彼は焦じれ切っている。彼はわざとそれを抑えようとしている。全く余裕のないほど緊張している。しかし風船球のように軽く緊張している。もう少し待っていれば自分の力で破裂するか、または自分の力でどこかへ飛んで行くに相違ない。――自分はこう観察した。
 嫂あによめが兄の手に合わないのも全くここに根ざしているのだと自分はこの時ようやく勘づいた。また嫂として存在するには、彼女の遣口やりくちが一番巧妙なんだろうとも考えた。自分は今日こんにちまでただ兄の正面ばかり見て、遠慮したり気兼きがねしたり、時によっては恐れ入ったりしていた。しかし昨日きのう一日一晩嫂と暮した経験は図はからずもこの苦々にがにがしい兄を裏から甘く見る結果になって眼前に現われて来た。自分はいつ嫂から兄をこう見ろと教わった覚はなかった。けれども兄の前へ出て、これほど度胸の据すわった事もまたなかった。自分は比較的すまして、団扇を見つめている兄の額のあたりをこっちでも見つめていた。
0845Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/16(木) 03:53:25.600
 すると兄が急に首を上げた。
「二郎何とか云わないか」と励はげしい言葉を自分の鼓膜こまくに射込んだ。自分はその声でまたはっと平生の自分に返った。
0846Ms.名無しさん
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2021/12/16(木) 03:53:35.350
「今云おうと思ってるところです。しかし事が複雑なだけに、何から話して好いか解らないんでちょっと困ってるんです。兄さんもほかの事たあ違うんだから、もう少し打ち解けてゆっくり聞いて下さらなくっちゃ。そう裁判所みたように生真面目きまじめに叱りつけられちゃ、せっかく咽喉のどまで出かかったものも、辟易へきえきして引込んじまいますから」
 自分がこう云うと、兄はさすがに一見識ひとけんしきある人だけあって、「ああそうかおれが悪かった。お前が性急せっかちの上へ持って来て、おれが癇癪持と来ているから、つい変にもなるんだろう。二郎、それじゃいつゆっくり話される。ゆっくり聞く事なら今でもおれにはできるつもりだが」と云った。
0847Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/16(木) 06:16:03.620
2021.12.15 16:00  女性セブン

 いしだ壱成(47才)が、女優・飯村貴子(23才)と離婚していたことが明らかになった。

「離婚届はぼくの誕生日の12月7日に書きました。
『これ、取ってきたから書いて』と妻に言われて。
奥の部屋で子供が遊んでいる間にサッと書いちゃおう、みたいな感じでした。
提出は妻が翌日に。これでぼくは3度目の離婚です」

 壱成は、そうため息まじりに離婚を明かした。
2003年に最初の結婚をし、1児をもうけたが2006年に離婚。
2014年に再婚するも2017年に離婚。そして2018年に“おめでた再々婚”した相手が、
当時19才で24才年下の飯村貴子だった。
生まれた娘は現在3才になる。

 今回、壱成は“元妻”同席のもと、取材に応じた。
1990年代には数々の人気ドラマに出演していた壱成だが、さまざまなトラブルが続き、
仕事は激減。2011年に東京を離れて石川県に移住し、
現在は妻子と築30年の一戸建てで幸せな生活を送っていた、はずだった。

「離婚理由は経済的なものです。食費も足りず、ずっとつらい状態にさせてしまっていた。
実は結婚して1年も経たない頃に
『この先もこのまま、生活がまともにならなかったら別れるからね』と言われたことがあったんです。
でも、移住してから落ち着いていたうつ病が再発してしまい、
定職に就こうとハローワークにも通いましたが、採用してもらえませんでした。

 不安定な仕事ではありますが、パワーストーンの販売やインターネットのライブ配信で
収入を得ていた時期もあったのですが……。

 改めて定職を見つけようと思い、この秋口には工場のライン作業や介護士、
車の内装クリーニングとか、全部で20社ほど受けましたが、
ぼくの“悪評”をメディアで知っていたのか、全部面接でダメ。
0848Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/16(木) 06:27:33.480
赤木雅子さんと国の裁判突然終わる 国が訴えを認める認諾の手続き 真相解明にはほど遠く
https://news.yahoo.co.jp/byline/aizawafuyuki/20211215-00272775

財務省の公文書改ざん事件で命を絶った近畿財務局の赤木俊夫さんの妻、
赤木雅子さんが国と佐川宣寿元財務省理財局長を訴えた裁判で、
国はきょう15日に大阪地裁で行われた非公開の協議で、
原告の訴えをすべて認める「認諾」と呼ばれる手続きをとり、裁判を終わらせた。
賠償は請求通り1億1000万円余りが満額支払われるが、
赤木雅子さんが求めていた上司らの証人尋問は行われず、真相解明にはほど遠い幕引きとなった。
0851Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/16(木) 16:33:06.800
「まあ東京へ帰るまで待って下さい。東京へ帰るたって、あすの晩の急行だから、もう直じきです。その上で落ちついて僕の考えも申し上げたいと思ってますから」
「それでも好いい」
0852Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/16(木) 16:33:15.270
 兄は落ちついて答えた。今までの彼の癇癪かんしゃくを自分の信用で吹き払い得たごとくに。
「ではどうか、そう願います」と云って自分が立ちかけた時、兄は「ああ」と肯うなずいて見せたが、自分が敷居を跨またぐ拍子ひょうしに「おい二郎」とまた呼び戻した。
0853Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/16(木) 16:33:23.510
「詳くわしい事は追って東京で聞くとして、ただ一言ひとことだけ要領を聞いておこうか」
「姉さんについて……」
0854Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/16(木) 16:33:34.680
「無論」
「姉さんの人格について、御疑いになるところはまるでありません」
 自分がこう云った時、兄は急に色を変えた。けれども何にも云わなかった。自分はそれぎり席を立ってしまった。
0855Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/16(木) 16:33:44.740
        四十四

 自分はその時場合によれば、兄から拳骨げんこつを食うか、または後うしろから熱罵を浴あびせかけられる事と予期していた。色を変えた彼を後に見捨てて、自分の席を立ったくらいだから、自分は普通よりよほど彼を見縊みくびっていたに違なかった。その上自分はいざとなれば腕力に訴えてでも嫂あによめを弁護する気概を十分具そなえていた。これは嫂が潔白だからというよりも嫂に新たなる同情が加わったからと云う方が適切かも知れなかった。云い換えると、自分は兄をそれだけ軽蔑けいべつし始めたのである。席を立つ時などは多少彼に対する敵愾心てきがいしんさえ起った。
 自分が室へやへ帰って来た時、母はもう浴衣ゆかたを畳んではいなかった。けれども小さい行李こりの始末に余念なく手を動かしていた。それでも心は手許てもとになかったと見えて、自分の足音を聞くや否や、すぐこっちを向いた。
0856Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/16(木) 16:33:53.480
「兄さんは」
「今来るでしょう」
「もう話は済んだの」
0857Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/16(木) 16:34:05.980
「済むの済まないのって、始めからそんな大した話じゃないんです」
 自分は母の気を休めるため、わざと蒼蠅うるさそうにこう云った。母はまた行李の中へ、こまごましたものを出したり入れたりし始めた。自分は今度は彼かの女じょに恥じて、けっして傍そばに手伝っている嫂の顔をあえて見なかった。それでも彼女の若くて淋さむしい唇くちびるには冷かな笑の影が、自分の眼を掠かすめるように過ぎた。
0858Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/17(金) 08:50:36.630
「今から荷造りですか。ちっと早過ぎるな」と自分はわざと年を取った母を嘲あざけるごとく注意した。
「だって立つとなれば、なるたけ早く用意しておいた方が都合が好いからね」
0859Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/17(金) 08:50:44.950
「そうですとも」
 嫂のこの返事は、自分が何か云おうとする先せんを越して声に応ずる響のごとく出た。
0860Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/17(金) 08:51:00.220
「じゃ縄なわでも絡からげましょう。男の役だから」
 自分は兄と反対に車夫や職人のするような荒仕事に妙を得ていた。ことに行李こりを括くくるのは得意であった。自分が縄を十文字に掛け始めると、嫂あによめはすぐ立って兄のいる室へやの方に行った。自分は思わずその後姿を見送った。
0861Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/17(金) 08:51:09.530
「二郎兄さんの機嫌きげんはどうだったい」と母がわざわざ小さな声で自分に聞いた。
「別にこれと云う事もありません。なあに心配なさる事があるもんですか。大丈夫です」と自分はことさらに荒っぽく云って、右足で行李の蓋ふたをぎいぎい締めた。
0862Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/17(金) 08:51:21.850
「実はお前にも話したい事があるんだが。東京へでも帰ったらいずれまたゆっくりね」
「ええゆっくり伺いましょう」
0863Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/17(金) 08:51:34.150
 自分はこう無造作むぞうさに答えながら、腹の中では母のいわゆる話なるものの内容を朧気おぼろげながら髣髴ほうふつした。
 しばらくすると、兄と嫂が別席から出て来た。自分は平気を粧よそおいながら母と話している間にも、両人の会見とその会見の結果について多少気がかりなところがあった。母は二人の並んで来る様子を見て、やっと安心した風を見せた。自分にもどこかにそんなところがあった。
0864Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/17(金) 08:51:42.640
 自分は行李を絡からげる努力で、顔やら背中やらから汗がたくさん出た。腕捲うでまくりをした上、浴衣ゆかたの袖そでで汗を容赦なく拭いた。
「おい暑そうだ。少し扇あおいでやるが好い」
0865Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/17(金) 08:51:51.000
 兄はこう云って嫂を顧みた。嫂は静に立って自分を扇いでくれた。
「何よござんす。もう直じきですから」
 自分がこう断っているうちに、やがて明日あすの荷造りは出来上った。
0866Ms.名無しさん
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2021/12/17(金) 08:52:07.510
     帰ってから

        一

 自分は兄夫婦の仲がどうなる事かと思って和歌山から帰って来た。自分の予想ははたして外はずれなかった。自分は自然の暴風雨あらしに次ついで、兄の頭に一種の旋風が起る徴候を十分認めて彼の前を引き下った。けれどもその徴候は嫂あによめが行って十分か十五分話しているうちに、ほとんど警戒を要しないほど穏かになった。
0867Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/17(金) 08:52:17.790
 自分は心のうちでこの変化に驚いた。針鼠はりねずみのように尖とがってるあの兄を、わずかの間に丸め込んだ嫂の手腕にはなおさら敬服した。自分はようやく安心したような顔を、晴々と輝かせた母を見るだけでも満足であった。
 兄の機嫌きげんは和歌の浦を立つ時も変らなかった。汽車の内でも同じ事であった。大阪へ来てもなお続いていた。彼は見送りに出た岡田夫婦を捕つらまえて戯談じょうだんさえ云った。
0868Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/17(金) 08:52:28.510
「岡田君お重しげに何か言伝ことづてはないかね」
 岡田は要領を得ない顔をして、「お重さんにだけですか」と聞き返していた。
0873Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/18(土) 08:00:52.720
ネトウヨ「中国政府の発表なんて信用出来るわけがない」

厚労省「基幹統計改ざんした」
国交省「GDPも改ざんした」
財務省「公文書も300箇所以上改ざんしたわ」

元首相「118回ウソつきまくった」
0874Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/18(土) 08:03:24.870
国交省・統計データ二重計上問題 実行部隊の「局長」は全員出世した!

2012.12 安倍政権発足
2013.4 二重計上スタート

2020.9 安倍政権終了
2021.3 二重計上終了
0877Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/18(土) 09:42:25.350
「そうさ君の仇敵きゅうてきのお重にさ」
 兄がこう答えた時、岡田はやっと気のついたという風に笑い出した。同じ意味で謎なぞの解けたお兼かねさんも笑い出した。母の予言通り見送りに来ていた佐野も、ようやく笑う機会が来たように、憚はばかりなく口を開いて周囲の人を驚かした。
0878Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/18(土) 09:42:34.130
 自分はその時まで嫂あによめにどうして兄の機嫌きげんを直したかを聞いて見なかった。その後もついぞ聞く機会をもたなかった。けれどもこういう霊妙な手腕をもっている彼女であればこそ、あの兄に対して始終しじゅうああ高たかを括くくっていられるのだと思った。そうしてその手腕を彼女はわざと出したり引込ましたりする、単に時と場合ばかりでなく、全く己れの気まま次第で出したり引込ましたりするのではあるまいかと疑ぐった。
 汽車は例のごとく込み合っていた。自分達は仕切りの付いている寝台しんだいをやっとの思いで四つ買った。四つで一室になっているので都合は大変好かった。兄と自分は体力の優秀な男子と云う訳で、婦人方がた二人に、下のベッドを当あてがって、上へ寝た。自分の下には嫂が横になっていた。自分は暗い中を走る汽車の響のうちに自分の下にいる嫂をどうしても忘れる事ができなかった。彼女の事を考えると愉快であった。同時に不愉快であった。何だか柔かい青大将あおだいしょうに身体からだを絡からまれるような心持もした。
0879Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/18(土) 09:42:43.330
 兄は谷一つ隔てて向うに寝ていた。これは身体が寝ているよりも本当に精神が寝ているように思われた。そうしてその寝ている精神を、ぐにゃぐにゃした例の青大将が筋違すじかいに頭から足の先まで巻き詰めているごとく感じた。自分の想像にはその青大将が時々熱くなったり冷たくなったりした。それからその巻きようが緩ゆるくなったり、緊きつくなったりした。兄の顔色は青大将の熱度の変ずるたびに、それからその絡みつく強さの変ずるたびに、変った。
 自分は自分の寝台ねだいの上で、半なかばは想像のごとく半は夢のごとくにこの青大将と嫂とを連想してやまなかった。自分はこの詩に似たような眠ねむりが、駅夫の呼ぶ名古屋名古屋と云う声で、急に破られたのを今でも記憶している。その時汽車の音がはたりと留とまると同時に、さあという雨の音が聞こえた。自分は靴足袋くつたびの裏に湿気しめりけを感じて起き上ると、足の方に当る窓が塵除ちりよけの紗しゃで張ってあった。自分はいそいで窓を閉たて換えた。ほかの人のはどうかと思って、聞いて見たが、答がなかった。ただ嫂だけが雨が降り込むようだというので、やむをえず上から飛び下りてまた窓を閉て換えてやった。
0880Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/18(土) 09:42:51.370
        二

「雨のようね」と嫂が聞いた。
「ええ」
0881Ms.名無しさん
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2021/12/18(土) 09:42:58.230
 自分は半なかば風に吹き寄せられた厚い窓掛の、じとじとに湿しめったのを片方へがらりと引いた。途端とたんに母の寝返りを打つ音が聞こえた。
「二郎、ここはどこだい」
0882Ms.名無しさん
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2021/12/18(土) 09:43:07.290
「名古屋です」
 自分は吹き込む紗しゃの窓を通して、ほとんど人影の射さない停車場ステーションの光景を、雨のうちに眺めた。名古屋名古屋と呼ぶ声がまだ遠くの方で聞こえた。それからこつりこつりという足音がたった一人で活きて来るように響いた。
0883Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/18(土) 09:43:16.770
「二郎ついでに妾わたしの足の方も締しめておくれな」
「御母さんの所も硝子ガラスが閉たっていないんですか。先刻さっき呼んだらよく寝ていらっしゃるようでしたから……」
0884Ms.名無しさん
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2021/12/18(土) 09:43:24.900
 自分は嫂あによめの方を片づけて、すぐ母の方に行った。厚い窓掛を片寄せて、手探てさぐりに探って見ると、案外にも立派に硝子戸ガラスどが締しまっていた。
「御母さんこっちは雨なんか這入はいりゃしませんよ。大丈夫です、この通りだから」
0885Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/18(土) 09:43:33.870
 自分はこう云いながら、母の足の方に当る硝子を、とんとんと手で叩たたいて見せた。
「おや雨は這入らないのかい」
「這入るものですか」
0886Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/18(土) 09:43:42.360
 母は微笑した。
「いつ頃ごろから雨が降り出したか御母さんはちっとも知らなかったよ」
0887Ms.名無しさん
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2021/12/18(土) 09:43:52.170
 母はさも愛想あいそらしくまた弁疏いいわけらしく口を利きいて、「二郎、御苦労だったね、早く御休み。もうよっぽど遅いんだろう」と云った。
 時計は十二時過であった。自分はまたそっと上の寝台に登った。車室は元の通り静かになった。嫂は母が口を利き出してから、何も云わなくなった。母は自分が自分の寝台に上のぼってから、また何も云わなくなった。ただ兄だけは始めからしまいまで一言ひとことも物を云わなかった。彼は聖者しょうじゃのごとくただすやすやと眠っていた。この眠方ねむりかたが自分には今でも不審の一つになっている。
0888Ms.名無しさん
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2021/12/18(土) 09:44:03.050
 彼は自分で時々公言するごとく多少の神経衰弱に陥っていた。そうして時々じじ不眠のために苦しめられた。また正直にそれを家族の誰彼に訴えた。けれども眠くて困ると云った事はいまだかつてなかった。
 富士が見え出して雨上りの雲が列車に逆さからって飛ぶ景色を、みんなが起きて珍らしそうに眺める時すら、彼は前後に関係なく心持よさそうに寝ていた。
0889Ms.名無しさん
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2021/12/18(土) 09:44:13.160
 食堂が開あいて乗客の多数が朝飯あさめしを済ました後のち、自分は母を連れて昨夜以来の空腹を充みたすべく細い廊下を伝わって後部の方へ行った。その時母は嫂に向って、「もう好い加減に一郎を起して、いっしょにあっちへ御出おいで。妾達わたしたちは向むこうへ行って待っているから」と云った。嫂はいつもの通り淋さむしい笑い方をして、「ええ直じき御後おあとから参ります」と答えた。
 自分達は室内の掃除に取りかかろうとする給仕ボイを後あとにして食堂へ這入はいった。食堂はまだだいぶ込んでいた。出たり這入ったりするものが絶えず狭い通り路をざわつかせた。自分が母に紅茶と果物を勧めている時分に、兄と嫂の姿がようやく入口に現れた。不幸にして彼らの席は自分達の傍そばに見出せるほど、食卓は空すいていなかった。彼らは入口の所に差し向いで座を占めた。そうして普通の夫婦のように笑いながら話したり、窓の外を眺めたりした。自分を相手に茶を啜すすっていた母は、時々その様子を満足らしく見た。
 自分達はかくして東京へ帰ったのである。
0892Ms.名無しさん
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2021/12/19(日) 09:08:46.330
        三

 繰返していうが、我々はこうして東京へ帰ったのである。
 東京の宅は平生の通り別にこれと云って変った様子もなかった。お貞さださんは襷たすきを掛けて別条なく働いていた。彼女が手拭てぬぐいを被かぶって洗濯をしている後姿を見て、一段落置いた昔のお貞さんを思いだしたのは、帰って二日目の朝であった。
0893Ms.名無しさん
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2021/12/19(日) 09:09:00.850
 芳江よしえというのは兄夫婦の間にできた一人っ子であった。留守るすのうちはお重しげが引受けて万事世話をしていた。芳江は元来母や嫂あによめに馴なついていたが、いざとなると、お重だけでも不自由を感じないほど世話の焼けない子であった。自分はそれを嫂の気性きしょうを受けて生れたためか、そうでなければお重の愛嬌あいきょうのあるためだと解釈していた。
「お重お前のようなものがよくあの芳江を預かる事ができるね。さすがにやっぱり女だなあ」と父が云ったら、お重は膨ふくれた顔をして、「御父さんもずいぶんな方かたね」と母にわざわざ訴えに来た話を、汽車の中で聞いた。
0894Ms.名無しさん
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2021/12/19(日) 09:09:09.410
 自分は帰ってから一両日して、彼女に、「お重お前を御父さんがやっぱり女だなとおっしゃったって怒ってるそうだね」と聞いた。彼女は「怒ったわ」と答えたなり、父の書斎の花瓶はないけの水を易かえながら、乾いた布巾ふきんで水を切っていた。
「まだ怒ってるのかい」
0895Ms.名無しさん
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2021/12/19(日) 09:09:26.070
「まだってもう忘れちまったわ。――綺麗きれいねこの花は何というんでしょう」
「お重しかし、女だなあというのは、そりゃ賞ほめた言葉だよ。女らしい親切な子だというんだ。怒る奴やつがあるもんか」
0896Ms.名無しさん
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2021/12/19(日) 09:09:40.770
「どうでもよくってよ」
 お重は帯で隠した尻の辺あたりを左右に振って、両手で花瓶を持ちながら父の居間の方へ行った。それが自分にはあたかも彼女が尻で怒いかりを見せているようでおかしかった。
 芳江は我々が帰るや否や、すぐお重の手から母と嫂に引渡された。二人は彼女を奪い合うように抱いたり下おろしたりした。自分の平生から不思議に思っていたのは、この外見上冷静な嫂に、頑是がんぜない芳江がよくあれほどに馴つきえたものだという眼前の事実であった。この眸ひとみの黒い髪のたくさんある、そうして母の血を受けて人並よりも蒼白あおじろい頬をした少女は、馴れやすからざる彼女の母の後あとを、奇蹟きせきのごとく追って歩いた。それを嫂は日本一の誇として、宅中うちじゅうの誰彼に見せびらかした。ことに己おのれの夫に対しては見せびらかすという意味を通り越して、むしろ残酷な敵打かたきうちをする風にも取れた。兄は思索に遠ざかる事のできない読書家として、たいていは書斎裡しょさいりの人であったので、いくら腹のうちでこの少女を鍾愛しょうあいしても、鍾愛の報酬たる親しみの程度ははなはだ稀薄きはくなものであった。感情的な兄がそれを物足らず思うのも無理はなかった。食卓の上などでそれが色に出る時さえ兄の性質としてはたまにはあった。そうなるとほかのものよりお重が承知しなかった。
0897Ms.名無しさん
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2021/12/19(日) 09:09:52.560
「芳江さんは御母さん子ね。なぜ御父さんの側そばに行かないの」などと故意わざとらしく聞いた。
「だって……」と芳江は云った。
0898Ms.名無しさん
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2021/12/19(日) 09:10:02.920
「だってどうしたの」とお重がまた聞いた。
「だって怖こわいから」と芳江はわざと小さな声で答えた。それがお重にはなおさら忌々いまいましく聞こえるのであった。
0899Ms.名無しさん
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2021/12/19(日) 09:10:13.500
「なに? 怖いって? 誰が怖いの?」
 こんな問答がよく繰り返えされて、時には五分も十分も続いた。嫂あによめはこう云う場合に、けっして眉目びもくを動さなかった。いつでも蒼あおい頬に微笑を見せながらどこまでも尋常な応対をした。しまいには父や母が双方を宥なだめるために、兄から果物を貰わしたり、菓子を受け取らしたりさせて、「さあそれで好い。御父さんから旨うまいものをちょうだいして」とやっと御茶を濁す事もあった。お重はそれでも腹が癒いえなそうに膨ふくれた頬をみんなに見せた。兄は黙って独ひとり書斎へ退しりぞくのが常であった。
0900Ms.名無しさん
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2021/12/19(日) 09:10:23.480
        四

 父はその年始めて誰かから朝貌あさがおを作る事を教わって、しきりに変った花や葉を愛玩あいがんしていた。変ったと云っても普通のものがただ縮れて見立みだてがなくなるだけだから、宅中うちじゅうでそれを顧みるものは一人もなかった。ただ父の熱心と彼の早起と、いくつも並んでいる鉢はちと、綺麗きれいな砂と、それから最後に、厭いやに拗すねた花の様さまや葉の形に感心するだけに過ぎなかった。
 父はそれらを縁側えんがわへ並べて誰を捉つらまえても説明を怠おこたらなかった。
0901Ms.名無しさん
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2021/12/19(日) 09:10:37.050
「なるほど面白いですなあ」と正直な兄までさも感心したらしく御世辞おせじを余儀なくされていた。
 父は常に我々とはかけ隔へだたった奥の二間ふたまを専領せんりょうしていた。簀垂すだれのかかったその縁側に、朝貌はいつでも並べられた。したがって我々は「おい一郎」とか「おいお重」とか云って、わざわざそこへ呼び出されたものであった。自分は兄よりも遥はるかに父の気に入るような賛辞を呈して引き退さがった。そうして父の聞えない所で、「どうもあんな朝貌を賞ほめなけりゃならないなんて、実際恐れ入るね。親父おやじの酔興にも困っちまう」などと悪口を云った。
0902Ms.名無しさん
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2021/12/19(日) 09:10:47.660
 いったい父は講釈好こうしゃくずきの説明好であった。その上時間に暇があるから、誰でも構わず、号鈴ベルを鳴らして呼寄せてはいろいろな話をした。お重などは呼ばれるたびに、「兄さん今日は御願だから代りに行ってちょうだい」と云う事がよくあった。そのお重に父はまた解り悪にくい事を話すのが大好だった。
 自分達が大阪から帰ったとき朝貌あさがおはまだ咲いていた。しかし父の興味はもう朝貌を離れていた。
0903Ms.名無しさん
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2021/12/19(日) 09:10:58.010
「どうしました。例の変り種は」と自分が聞いて見ると、父は苦笑いをして「実は朝貌もあまり思わしくないから、来年からはもう止やめだ」と答えた。自分はおおかた父の誇りとして我々に見せた妙な花や葉が、おそらくその道の人から鑑定すると、成っていなかったんだろうと判断して、茶の間で大きな声を立てて笑った。すると例のお重とお貞さんが父を弁護した。
「そうじゃ無いのよ。あんまり手数てすうがかかるんで、御父さんも根気が尽きちまったのよ。それでも御父さんだからあれだけにできたんですって、皆みんな賞ほめていらしったわ」
0904Ms.名無しさん
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2021/12/19(日) 09:11:11.790
 母と嫂あによめは自分の顔を見て、さも自分の無識を嘲あざけるように笑い出した。すると傍そばにいた小さな芳江までが嫂と同じように意味のある笑い方をした。
 こんな瑣事さじで日を暮しているうちに兄と嫂の間柄は自然自分達の胸を離れるようになった。自分はかねて約束した通り、兄の前へ出て嫂の事を説明する必要がなくなったような気がした。母が東京へ帰ってからゆっくり話そうと云ったむずかしそうな事件も母の口から容易に出ようとも思えなかった。最後にあれほど嫂について智識を得たがっていた兄が、だんだん冷静に傾いて来た。その代り父母や自分に対しても前ほどは口を利きかなくなった。暑い時でもたいていは書斎へ引籠ひきこもって何か熱心にやっていた。自分は時々嫂に向って、「兄さんは勉強ですか」と聞いた。嫂は「ええおおかた来学年の講義でも作ってるんでしょう」と答えた。自分はなるほどと思って、その忙しさが永く続くため、彼の心を全然そっちの方へ転換させる事ができはしまいかと念じた。嫂は平生の通り淋さびしい秋草のようにそこらを動いていた。そうして時々片靨かたえくぼを見せて笑った。
0905Ms.名無しさん
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2021/12/20(月) 04:27:25.920
        五

 そのうち夏もしだいに過ぎた。宵々よいよいに見る星の光が夜ごとに深くなって来た。梧桐あおぎりの葉の朝夕風に揺ぐのが、肌に応こたえるように眼をひやひやと揺振ゆすぶった。自分は秋に入ると生れ変ったように愉快な気分を時々感じ得た。自分より詩的な兄はかつて透すき通る秋の空を眺めてああ生き甲斐がいのある天だと云って嬉うれしそうに真蒼まっさおな頭の上を眺めた事があった。
「兄さんいよいよ生き甲斐のある時候が来ましたね」と自分は兄の書斎のヴェランダに立って彼を顧みた。彼はそこにある籐椅子といすの上に寝ていた。
0906Ms.名無しさん
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2021/12/20(月) 04:27:33.750
「まだ本当の秋の気分にゃなれない。もう少し経たたなくっちゃ駄目だね」と答えて彼は膝ひざの上に伏せた厚い書物を取り上げた。時は食事前の夕方であった。自分はそれなり書斎を出て下へ行こうとした。すると兄が急に自分を呼び止めた。
「芳江は下にいるかい」
0907Ms.名無しさん
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2021/12/20(月) 04:27:42.300
「いるでしょう。先刻さっき裏庭で見たようでした」
 自分は北の方の窓を開けて下を覗のぞいて見た。下には特に彼女のために植木屋が拵こしらえたブランコがあった。しかし先刻いた芳江の姿は見えなかった。「おやどこへか行ったかな」と自分が独言ひとりごとを云ってると、彼女の鋭い笑い声が風呂場の中で聞えた。
0909Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/20(月) 09:23:15.550
「ああ湯に這入はいっています」
「直なおといっしょかい。御母さんとかい」
0910Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/20(月) 09:23:24.750
 芳江の笑い声の間にはたしかに、女として深さのあり過ぎる嫂あによめの声が聞えた。
「姉さんです」と自分は答えた。
0911Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/20(月) 09:23:37.900
「だいぶ機嫌きげんが好さそうじゃないか」
 自分は思わずこう云った兄の顔を見た。彼は手に持っていた大きな書物で頭まで隠していたからこの言葉を発した時の表情は少しも見る事ができなかった。けれども、彼の意味はその調子で自分によく呑のみ込めた。自分は少し逡巡しゅんじゅんした後あとで、「兄さんは子供をあやす事を知らないから」と云った。兄の顔はそれでも書物の後うしろに隠れていた。それを急に取るや否や彼は「おれの綾成あやす事のできないのは子供ばかりじゃないよ」と云った。自分は黙って彼の顔を打ち守った。
0912Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/20(月) 16:29:18.590
「おれは自分の子供を綾成す事ができないばかりじゃない。自分の父や母でさえ綾成す技巧を持っていない。それどころか肝心かんじんのわが妻さいさえどうしたら綾成せるかいまだに分別がつかないんだ。この年になるまで学問をした御蔭おかげで、そんな技巧は覚える余暇ひまがなかった。二郎、ある技巧は、人生を幸福にするために、どうしても必要と見えるね」
「でも立派な講義さえできりゃ、それですべてを償つぐなって余あまりあるから好いでさあ」
0913Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/20(月) 16:29:27.540
 自分はこう云って、様子次第、退却しようとした。ところが兄は中止する気色けしきを見せなかった。
「おれは講義を作るためばかりに生れた人間じゃない。しかし講義を作ったり書物を読んだりする必要があるために肝心かんじんの人間らしい心持を人間らしく満足させる事ができなくなってしまったのだ。でなければ先方さきで満足させてくれる事ができなくなったのだ」
0914Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/20(月) 16:29:35.420
 自分は兄の言葉の裏に、彼の周囲を呪のろうように苦々にがにがしいある物を発見した。自分は何とか答えなければならなかった。しかし何と答えて好いか見当けんとうがつかなかった。ただ問題が例の嫂事件を再発さいほつさせては大変だと考えた。それで卑怯ひきょうのようではあるが、問答がそこへ流れ入る事を故意に防いだ。
「兄さんが考え過ぎるから、自分でそう思うんですよ。それよりかこの好天気を利用して、今度の日曜ぐらいに、どこかへ遠足でもしようじゃありませんか」
 兄はかすかに「うん」と云って慵ものうげに承諾の意を示した。
0915Ms.名無しさん
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2021/12/21(火) 06:10:41.850
        六

 兄の顔には孤独の淋さみしみが広い額を伝わって瘠こけた頬に漲みなぎっていた。
「二郎おれは昔から自然が好きだが、つまり人間と合わないので、やむをえず自然の方に心を移す訳になるんだろうかな」
0916Ms.名無しさん
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2021/12/21(火) 06:10:50.760
 自分は兄が気の毒になった。「そんな事はないでしょう」と一口に打ち消して見た。けれどもそれで兄の満足を買う訳には行かなかった。自分はすかさずまたこう云った。
「やっぱり家うちの血統にそう云う傾きがあるんですよ。御父さんは無論、僕でも兄さんの知っていらっしゃる通りですし、それにね、あのお重がまた不思議と、花や木が好きで、今じゃ山水画などを見ると感に堪たえたような顔をして時々眺めている事がありますよ」
0917Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/21(火) 06:10:59.860
 自分はなるべく兄を慰めようとして、いろいろな話をしていた。そこへお貞さんが下から夕食の報知しらせに来た。自分は彼女に、「お貞さんは近頃嬉うれしいと見えて妙ににこにこしていますね」と云った。自分が大阪から帰るや否や、お貞さんは暑い下女室げじょべやの隅すみに引込んで容易に顔を出さなかった。それが大阪から出したみんなの合併がっぺい絵葉書えはがきの中うちへ、自分がお貞さん宛あてに「おめでとう」と書いた五字から起ったのだと知れて家内中大笑いをした。そのためか一つ家にいながらお貞さんは変に自分を回避した。したがって顔を合わせると自分はことさらに何か云いたくなった。
「お貞さん何が嬉うれしいんですか」と自分は面白半分追窮するように聞いた。お貞さんは手を突いたなり耳まで赤くなった。兄は籐椅子といすの上からお貞さんを見て、「お貞さん、結婚の話で顔を赤くするうちが女の花だよ。行って見るとね、結婚は顔を赤くするほど嬉しいものでもなければ、恥ずかしいものでもないよ。それどころか、結婚をして一人の人間が二人になると、一人でいた時よりも人間の品格が堕落する場合が多い。恐ろしい目に会う事さえある。まあ用心が肝心かんじんだ」と云った。
0918Ms.名無しさん
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2021/12/21(火) 06:17:07.470
 お貞さんには兄の意味が全く通じなかったらしい。何と答えて好いか解らないので、むしろ途方とほうに暮れた顔をしながら涙を眼にいっぱい溜ためていた。兄はそれを見て、「お貞さん余計な事を話して御気の毒だったね。今のは冗談だよ。二郎のような向う見ずに云って聞かせる事を、ついお貞さん見たいな優やさしい娘さんに云っちまったんだ。全くの間違だ。勘弁かんべんしてくれたまえ。今夜は御馳走ごちそうがあるかね。二郎それじゃ御膳ごぜんを食べに行こう」と云った。
 お貞さんは兄が籐椅子から立ち上るのを見るや否や、すぐ腰を立てて一足先へ階子段はしごだんをとんとんと下りて行った。自分は兄と肩を比ならべて室へやを出にかかった。その時兄は自分を顧みて「二郎、この間の問題もそれぎりになっていたね。つい書物や講義の事が忙いそがしいものだから、聞こう聞こうと思いながら、ついそのままにしておいてすまない。そのうちゆっくり聴きくつもりだから、どうか話してくれ」と云った。自分は「この間の問題とは何ですか」と空惚そらとぼけたかった。けれどもそんな勇気はこの際出る余裕がなかったから、まず体裁の好い挨拶あいさつだけをしておいた。
0919Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/21(火) 06:17:19.440
「こう時間が経たつと、何だか気の抜けた麦酒ビール見たようで、僕には話し悪にくくなってしまいましたよ。しかしせっかくのお約束だから聴きくとおっしゃればやらん事もありませんがね。しかし兄さんのいわゆる生き甲斐がいのある秋にもなったものだから、そんなつまらない事より、まず第一に遠足でもしようじゃありませんか」
「うん遠足も好かろうが……」
 二人はこんな話を交換しながら、食卓の据すえてある下の室へやに入った。そうしてそこに芳江を傍そばに引きつけている嫂あによめを見出した。
0920Ms.名無しさん
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2021/12/21(火) 09:04:48.670
        七

 食卓の上で父と母は偶然またお貞さんの結婚問題を話頭に上のぼせた。母は兼かねて白縮緬しろちりめんを織屋から買っておいたから、それを紋付もんつきに染めようと思っているなどと云った。お貞さんはその時みんなの後うしろに坐すわって給仕をしていたが、急に黒塗の盆をおはちの上へ置いたなり席を立ってしまった。
 自分は彼女の後姿うしろすがたを見て笑い出した。兄は反対に苦にがい顔をした。
0921Ms.名無しさん
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2021/12/21(火) 09:04:56.760
「二郎お前がむやみに調戯からかうからいけない。ああ云う乙女おぼこにはもう少しデリカシーの籠こもった言葉を使ってやらなくっては」
「二郎はまるで堂摺連どうするれんと同じ事だ」と父が笑うようなまた窘たしなめるような句調で云った。母だけは一人不思議な顔をしていた。
0922Ms.名無しさん
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2021/12/21(火) 09:05:06.010
「なに二郎がね。お貞さんの顔さえ見ればおめでとうだの嬉しい事がありそうだのって、いろいろの事を云うから、向うでも恥かしがるんです。今も二階で顔を赤くさせたばかりのところだもんだから、すぐ逃げ出したんです。お貞さんは生れつきからして直なおとはまるで違ってるんだから、こっちでもそのつもりで注意して取り扱ってやらないといけません……」
 兄の説明を聞いた母は始めてなるほどと云ったように苦笑した。もう食事を済ましていた嫂は、わざと自分の顔を見て変な眼遣めづかいをした。それが自分には一種の相図のごとく見えた。自分は父から評された通りだいぶ堂摺連の傾きを持っていたが、この時は父や母に憚はばかって、嫂の相図を返す気は毫ごうも起らなかった。
0923Ms.名無しさん
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2021/12/21(火) 09:05:15.320
 嫂は無言のまますっと立った、室へやの出口でちょっと振り返って芳江を手招きした。芳江もすぐ立った。
「おや今日はお菓子を頂かないで行くの」とお重が聞いた。芳江はそこに立ったまま、どうしたものだろうかと思案する様子に見えた。嫂は「おや芳江さん来ないの」とさもおとなしやかに云って廊下の外へ出た。今まで躊躇ちゅうちょしていた芳江は、嫂の姿が見えなくなるや否や急に意を決したもののごとく、ばたばたとその後あとを追駈おいかけた。
0924Ms.名無しさん
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2021/12/21(火) 09:55:50.700
 お重は彼女の後姿うしろすがたをさも忌々いまいましそうに見送った。父と母は厳格な顔をして己おのれの皿の中を見つめていた。お重は兄を筋違すじかいに見た。けれども兄は遠くの方をぼんやり眺めていた。もっとも彼の眉根まゆねには薄く八の字が描かれていた。
「兄さん、そのプッジングを妾あたしにちょうだい。ね、好いでしょう」とお重が兄に云った。兄は無言のまま皿をお重の方に押おしやった。お重も無言のままそれを匙スプーンで突つっついたが、自分から見ると、食べたくない物を業腹ごうはらで食べているとしか思われなかった。
0925Ms.名無しさん
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2021/12/21(火) 09:56:00.370
 兄が席を立って書斎に入いったのはそれからしてしばらく後のちの事であった。自分は耳を峙そばだてて彼の上靴スリッパが静しずかに階段を上のぼって行く音を聞いた。やがて上の方で書斎の戸ドアがどたんと閉まる声がして、後は静になった。
 東京へ帰ってから自分はこんな光景をしばしば目撃した。父もそこには気がついているらしかった。けれども一番心配そうなのは母であった。彼女は嫂あによめの態度を見破って、かつ容赦の色を見せないお重を、一日も早く片づけて若い女同士の葛藤かっとうを避けたい気色けしきを色にも顔にも挙動にも現した。次にはなるべく早く嫁を持たして、兄夫婦の間から自分という厄介やっかいものを抜き去りたかった。けれども複雑な世の中は、そう母の思うように旨うまく回転してくれなかった。自分は相変らず、のらくらしていた。お重はますます嫂を敵かたきのように振舞った。不思議に彼女は芳江を愛した。けれどもそれは嫂のいない留守に限られていた。芳江も嫂のいない時ばかりお重に縋すがりついた。兄の額には学者らしい皺しわがだんだん深く刻きざまれて来た。彼はますます書物と思索の中に沈んで行った。
0926Ms.名無しさん
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2021/12/21(火) 09:56:10.670
        八

 こんな訳で、母の一番軽く見ていたお貞さんの結婚が最初にきまったのは、彼女の思わくとはまるで反対であった。けれども早晩いつか片づけなければならないお貞さんの運命に一段落をつけるのも、やはり父や母の義務なんだから、彼らは岡田の好意を喜びこそすれ、けっしてそれを悪く思うはずはなかった。彼女の結婚が家中うちじゅうの問題になったのもつまりはそのためであった。お重はこの問題についてよくお貞さんを捕つらまえて離さなかった。お貞さんはまたお重には赤い顔も見せずに、いろいろの相談をしたり己おのれの将来をも語り合ったらしい。
 ある日自分が外から帰って来て、風呂から上ったところへ、お重が、「兄さん佐野さんていったいどんな人なの」と例の前後を顧慮しない調子で聞いた。これは自分が大阪から帰ってから、もう二度目もしくは三度目の質問であった。
0928Ms.名無しさん
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2021/12/21(火) 10:01:44.540
こいつらデタラメ
【統計改ざん】統計書き換え問題 二重計上による差額「月当たり1.2兆円(年間約15兆円)」 
山際大臣「非常に軽微なもの」  
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1640007808/
0929Ms.名無しさん
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2021/12/22(水) 07:48:58.430
「何だそんな藪やぶから棒に。御前はいったい軽卒でいけないよ」
 怒りやすいお重は黙って自分の顔を見ていた。自分は胡坐あぐらをかきながら、三沢へやる端書はがきを書いていた
が、この様子を見て、ちょっと筆を留めた。
0930Ms.名無しさん
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2021/12/22(水) 07:49:11.790
「お重また怒ったな。――佐野さんはね、この間云った通り金縁眼鏡きんぶちめがねをかけたお凸額でこさんだよ。それで好いじゃないか。何遍聞いたって同おんなじ事だ」
「お凸額でこや眼鏡は写真で充分だわ。何も兄さんから聞かないだって妾あたし知っててよ。眼があるじゃありませんか」
0931Ms.名無しさん
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2021/12/22(水) 07:49:21.110
 彼女はまだ打ち解けそうな口の利きき方をしなかった。自分は静かに端書はがきと筆を机の上へ置いた。
「全体何を聞こうと云うのだい」
0932Ms.名無しさん
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2021/12/22(水) 07:49:30.740
「全体あなたは何を研究していらしったんです。佐野さんについて」
 お重という女は議論でもやり出すとまるで自分を同輩のように見る、癖くせだか、親しみだか、猛烈な気性きしょうだか、稚気ちきだかがあった。
0933Ms.名無しさん
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2021/12/22(水) 10:23:28.150
「佐野さんについてって……」と自分は聞いた。
「佐野さんの人ひととなりについてです」
0934Ms.名無しさん
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2021/12/22(水) 10:23:36.280
 自分は固もとよりお重を馬鹿にしていたが、こういう真面目まじめな質問になると、腹の中でどっしりした何物も貯えていなかった。自分はすまして巻煙草まきたばこを吹かし出した。お重は口惜くやしそうな顔をした。
「だって余あんまりじゃありませんか、お貞さんがあんなに心配しているのに」
0935Ms.名無しさん
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2021/12/22(水) 10:23:44.800
「だって岡田がたしかだって保証するんだから、好いじゃないか」
「兄さんは岡田さんをどのくらい信用していらっしゃるんです。岡田さんはたかが将棋の駒じゃありませんか」
0936Ms.名無しさん
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2021/12/22(水) 10:23:52.570
「顔は将棋の駒だって何だって……」
「顔じゃありません。心が浮いてるんです」
0937Ms.名無しさん
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2021/12/22(水) 11:08:06.270
 自分は面倒と癇癪かんしゃくでお重を相手にするのが厭いやになった。
「お重御前そんなにお貞さんの事を心配するより、自分が早く嫁にでも行く工夫をした方がよっぽど利口だよ。お父さんやお母さんは、お前が片づいてくれる方をお貞さんの結婚よりどのくらい助かると思っているか解りゃしない。お貞さんの事なんかどうでもいいから、早く自分の身体からだの落ちつくようにして、少し親孝行でも心がけるが好い」
0938Ms.名無しさん
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2021/12/22(水) 11:08:15.670
 お重ははたして泣き出した。自分はお重と喧嘩けんかをするたびに向うが泣いてくれないと手応てごたえがないようで、何だか物足らなかった。自分は平気で莨たばこを吹かした。
「じゃ兄さんも早くお嫁を貰もらって独立したら好いでしょう。その方が妾が結婚するよりいくら親孝行になるか知れやしない。厭に嫂ねえさんの肩ばかり持って……」
0939Ms.名無しさん
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2021/12/22(水) 11:08:23.870
「お前は嫂さんに抵抗し過ぎるよ」
「当前あたりまえですわ。大兄おおにいさんの妹ですもの」
0940Ms.名無しさん
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2021/12/22(水) 12:30:09.090
日韓のGDP逆転、もはや驚きも歓喜もなし
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd0bb2d7abf55225133589b767e0ed0ca5f55b87

「日韓GDP逆転?  ああ、そういう報道がまたありましたね…」
2021年12月21日に会った韓国の大企業幹部は、全く関心がなかった
かつての「大ニュース」は、もう目新しさもない
0941Ms.名無しさん
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2021/12/22(水) 12:49:07.990
元フォーミュラワン(F1、F1世界選手権)ドライバーのジャン・アレジ(Jean Alesi)氏が、
義理の兄弟の事務所の窓を爆竹で吹き飛ばしたとして、
警察に逮捕されていたことが21日、分かった。
本人は「悪い冗談」のつもりだったと話しているが、2023年に裁判が開かれるという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d791cc51f5cb78bbacc051ad71ec5d538307fb1
0943Ms.名無しさん
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2021/12/23(木) 10:06:12.680
        九

 自分は三沢へ端書はがきを書いた後あとで、風呂から出立でたての頬に髪剃かみそりをあてようと思っていた。お重を相手にぐずぐずいうのが面倒になったのを好い幸いに、「お重気の毒だが風呂場から熱い湯をうがい茶碗にいっぱい持って来てくれないか」と頼んだ。お重は嗽茶碗うがいぢゃわんどころの騒ぎではないらしかった。それよりまだ十倍も厳粛な人生問題を考えているもののごとく澄まして膨ふくれていた。自分はお重に構わず、手を鳴らして下女から必要な湯を貰った。それから机の上へ旅行用の鏡を立てて、象牙ぞうげの柄えのついた髪剃かみそりを並べて、熱湯で濡ぬらした頬をわざと滑稽こっけいに膨ふくらませた。
 自分が物新しそうにシェーヴィング・ブラッシを振り廻して、石鹸シャボンの泡で顔中を真白にしていると、先刻さっきから傍そばに坐ってこの様子を見ていたお重は、ワッと云う悲劇的な声をふり上げて泣き出した。自分はお重の性質として、早晩ここに来るだろうと思って、暗あんにこの悲鳴を予期していたのである。そこでますます頬ほっぺたに空気をいっぱい入れて、白い石鹸をすうすうと髪剃の刃で心持よさそうに落し始めた。お重はそれを見て業腹ごうはらだか何だかますます騒々しい声を立てた。しまいに「兄さん」と鋭どく自分を呼んだ。自分はお重を馬鹿にしていたには違ないが、この鋭い声には少し驚かされた。
0944Ms.名無しさん
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2021/12/23(木) 10:06:21.670
「何だ」
「何だって、そんなに人を馬鹿にするんです。これでも私はあなたの妹です。嫂ねえさんはいくらあなたが贔屓ひいきにしたって、もともと他人じゃありませんか」
0945Ms.名無しさん
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2021/12/23(木) 10:06:32.140
 自分は髪剃を下へ置いて、石鹸だらけの頬をお重の方に向けた。
「お重お前は逆のぼせているよ。お前がおれの妹で、嫂さんが他家よそから嫁に来た女だぐらいは、お前に教わらないでも知ってるさ」
0946Ms.名無しさん
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2021/12/23(木) 10:06:43.130
「だから私に早く嫁に行けなんて余計な事を云わないで、あなたこそ早くあなたの好きな嫂さんみたような方かたをお貰もらいなすったら好いじゃありませんか」
 自分は平手ひらてでお重の頭を一つ張りつけてやりたかった。けれども家中騒ぎ廻られるのが怖こわいんで、容易に手は出せなかった。
0947Ms.名無しさん
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2021/12/23(木) 10:22:20.810
「じゃお前も早く兄さんみたような学者を探さがして嫁に行ったら好かろう」
 お重はこの言葉を聞くや否や、急に掴つかみかかりかねまじき凄すさまじい勢いを示した。そうして涙の途切とぎれ目途切れ目に、彼女の結婚がお貞さんより後おくれたので、それでこんなに愚弄ぐろうされるのだと言明した末、自分を兄妹に同情のない野蛮人だと評した。自分も固もとより彼女の相手になり得るほどの悪口家わるくちやであった。けれども最後にとうとう根気負こんきまけがして黙ってしまった。それでも彼女は自分の傍そばを去らなかった。そうして事実は無論の事、事実が生んだ飛んでもない想像まで縦横に喋舌しゃべり廻してやまなかった。その中うちで彼女の最も得意とする主題は、何でもかでも自分と嫂あによめとを結びつけて当て擦こするという悪い意地であった。自分はそれが何より厭いやであった。自分はその時心の中うちで、どんなお多福でも構わないから、お重より早く結婚して、この夫婦関係がどうだの、男女なんにょの愛がどうだのと囀さえずる女を、たった一人後あとに取り残してやりたい気がした。それからその方がまた実際母の心配する通り、兄夫婦にも都合が好かろうと真面目まじめに考えても見た。
 自分は今でも雨に叩たたかれたようなお重の仏頂面ぶっちょうづらを覚えている。お重はまた石鹸を溶いた金盥かなだらいの中に顔を突込んだとしか思われない自分の異いな顔を、どうしても忘れ得ないそうである。
0948Ms.名無しさん
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2021/12/23(木) 10:22:29.400
        十

 お重は明らかに嫂あによめを嫌っていた。これは学究的に孤独な兄に同情が強いためと誰にも肯うなずかれた。
「御母さんでもいなくなったらどうなさるでしょう。本当に御気の毒ね」
0949Ms.名無しさん
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2021/12/23(木) 10:22:37.780
 すべてを隠す事を知らない彼女はかつて自分にこう云った。これは固もとより頬ほっぺたを真白にして自分が彼女と喧嘩けんかをしない遠い前の事であった。自分はその時彼女を相手にしなかった。ただ「兄さん見たいに訳の解った人が、家庭間の関係で、御前などに心配して貰う必要が出て来るものか、黙って見ていらっしゃい。御父さんも御母さんもついていらっしゃるんだから」と訓戒でも与えるように云って聞かせた。
 自分はその時分からお重と嫂とは火と水のような個性の差異から、とうてい円熟に同棲どうせいする事は困難だろうとすでに観察していた。
0950Ms.名無しさん
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2021/12/23(木) 10:23:01.890
「御母さんお重も早く片づけてしまわないといけませんね」と自分は母に忠告がましい差出口を利きいた事さえあった。その折母はなぜとも何とも聞き返さなかったが、さも自分の意味を呑み込んだらしい眼つきをして、「お前が云ってくれないでも、御父さんだって妾わたしだって心配し抜いているところだよ。お重ばかりじゃないやね。御前のお嫁だって、蔭じゃどのくらいみんなに手数てかずをかけて探して貰ってるか分りゃしない。けれどもこればかりは縁だからね……」と云って自分の顔をしけじけと見た。自分は母の意味も何も解らずに、ただ「はあ」と子供らしく引き下がった。
 お重は何でも直じきむきになる代りに裏表のない正直な美質を持っていたので、母よりはむしろ父に愛されていた。兄には無論可愛がられていた。お貞さんの結婚談が出た時にも「まずお重から片づけるのが順だろう」と云うのが父の意見であった。兄も多少はそれに同意であった。けれどもせっかく名ざしで申し込まれたお貞さんのために、沢山たんとない機会を逃すのはつまり両損になるという母の意見が実際上にもっともなので、理に明るい兄はすぐ折れてしまった。兄の見地けんちに多少譲歩している父も無事に納得した。
0951Ms.名無しさん
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2021/12/23(木) 11:08:21.640
 けれども黙っていたお重には、それがはなはだしい不愉快を与えたらしかった。しかし彼女が今度の結婚問題について万事快くお貞さんの相談に乗るのを見ても、彼女が機先を制せられたお貞さんに悪感情を抱いていないのはたしかな事実であった。
 彼女はただ嫂の傍そばにいるのが厭いやらしく見えた。いくら父母のいる家であっても、いくら思い通りの子供らしさを精一杯に振り舞わす事ができても、この冷かな嫂からふんという顔つきで眺められるのが何より辛つらかったらしい。
0952Ms.名無しさん
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2021/12/23(木) 11:08:29.370
 こういう気分に神経を焦いらつかせている時、彼女はふと女の雑誌か何かを借りるために嫂の室へやへ這入はいった。そうしてそこで嫂がお貞さんのために縫っていた嫁入仕度よめいりじたくの着物を見た。
「お重さんこれお貞さんのよ。好いでしょう。あなたも早く佐野さんみたような方の所へいらっしゃいよ」と嫂は縫っていた着物を裏表引繰返ひっくりかえして見せた。その態度がお重には見せびらかしの面当つらあてのように聞えた。早く嫁に行く先をきめて、こんなものでも縫う覚悟でもしろという謎なぞにも取れた。いつまで小姑こじゅうとの地位を利用して人を苛虐いじめるんだという諷刺ふうしとも解釈された。最後に佐野さんのような人の所へ嫁に行けと云われたのがもっとも神経に障さわった。
 彼女は泣きながら父の室へやに訴えに行った。父は面倒だと思ったのだろう、嫂あによめには一言いちごんも聞糺ききたださずに、翌日お重を連れて三越へ出かけた。
0953Ms.名無しさん
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2021/12/23(木) 11:08:38.410
        十一

 それから二三日して、父の所へ二人ほど客が来た。父は生来せいらい交際好こうさいずきの上に、職業上の必要から、だいぶ手広く諸方へ出入していた。公おおやけの務つとめを退いた今日こんにちでもその惰性だか影響だかで、知合間しりあいかんの往来おうらいは絶える間もなかった。もっとも始終しじゅう顔を出す人に、それほど有名な人も勢力家も見えなかった。その時の客は貴族院の議員が一人と、ある会社の監査役が一人とであった。
 父はこの二人と謡うたいの方の仲善なかよしと見えて、彼らが来るたびに謡をうたって楽たのしんだ。お重は父の命令で、少しの間鼓つづみの稽古けいこをした覚おぼえがあるので、そう云う時にはよく客の前へ呼び出されて鼓を打った。自分はその高慢ちきな顔をまだ忘れずにいる。
0954Ms.名無しさん
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2021/12/23(木) 11:08:47.400
「お重お前の鼓は好いが、お前の顔はすこぶる不味まずいね。悪い事は云わないから、嫁に行った当座はけっして鼓を御打ちでないよ。いくら御亭主が謡気狂うたいきちがいでもああ澄まされた日にゃ、愛想を尽かされるだけだから」とわざわざ罵ののしった事がある。すると傍そばに聞いていたお貞さんが眼を丸くして、「まあひどい事をおっしゃる事、ずいぶんね」と云ったので、自分も少し言い過ぎたかと思った。けれども烈はげしいお重は平生に似ず全く自分の言葉を気にかけないらしかった。「兄さんあれでも顔の方はまだ上等なのよ。鼓と来たらそれこそ大変なの。妾あたし謡の御客があるほど厭いやな事はないわ」とわざわざ自分に説明して聞かせた。お重の顔ばかりに注意していた自分は、彼女の鼓がそれほど不味いとはそれまで気がつかなかった。
 その日も客が来てから一時間半ほどすると予定の通り謡が始まった。自分はやがてまたお重が呼び出される事と思って、調戯からかい半分茶の間の方に出て行った。お重は一生懸命に会席膳かいせきぜんを拭いていた。
0955Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/24(金) 07:51:20.270
「今日はポンポン鳴らさないのか」と自分がことさらに聞くと、お重は妙にとぼけた顔をして、立っている自分を見上げた。
「だって今御膳が出るんですもの。忙しいからって、断ったのよ」
0956Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/24(金) 07:51:28.610
 自分は台所や茶の間のごたごたした中で、ふざけ過ぎて母に叱られるのも面白くないと思って、また室へやへ取って返した。
 夕食後ちょっと散歩に出て帰って来ると、まだ自分の室へやに這入はいらない先から母に捉つらまった。
0957Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/24(金) 07:51:38.430
「二郎ちょうど好いところへ帰って来ておくれだ。奥へ行って御父さんの謡うたいを聞いていらっしゃい」
 自分は父の謡を聞き慣れているので、一番ぐらい聴くのはさほど厭とも思わなかった。
0958Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/24(金) 07:51:47.770
「何をやるんです」と母に質問した。母は自分とは正反対に謡がまた大嫌だいきらいだった。「何だか知らないがね。早くいらっしゃいよ。皆さんが待っていらっしゃるんだから」と云った。
 自分は委細承知して奥へ通ろうとした。すると暗い縁側えんがわの所にお重がそっと立っていた。自分は思わず「おい……」と大きな声を出しかけた。お重は急に手を振って相図のように自分の口を塞ふさいでしまった。
0959Ms.名無しさん
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2021/12/24(金) 11:00:38.470
「なぜそんな暗い所に一人で立っているんだい」と自分は彼女の耳へ口を付けて聞いた。彼女はすぐ「なぜでも」と答えた。しかし自分がその返事に満足しないでやはり元の所に立っているのを見て、「先刻さっきから、何遍も出て来い出て来いって催促するのよ。だから御母さんに断って、少し加減が悪い事にしてあるのよ」
「なぜまた今日に限って、そんなに遠慮するんだい」
0960Ms.名無しさん
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2021/12/24(金) 11:00:49.620
「だって妾あたし鼓つづみなんか打つのはもう厭いやになっちまったんですもの、馬鹿らしくって。それにこれからやるのなんかむずかしくってとてもできないんですもの」
「感心にお前みたような女でも謙遜けんそんの道は少々心得ているから偉いね」と云い放ったまま、自分は奥へ通った。
0961Ms.名無しさん
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2021/12/24(金) 11:01:00.560
        十二

 奥には例の客が二人床とこの前に坐すわっていた。二人とも品の好い容貌ようぼうの人で、その薄く禿げかかった頭が後うしろにかかっている探幽たんゆうの三幅対さんぷくついとよく調和した。
 彼らは二人とも袴はかまのまま、羽織を脱ぎ放しにしていた。三人のうちで袴を着けていなかったのは父ばかりであったが、その父でさえ羽織だけは遠慮していた。
0962Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/24(金) 11:01:11.540
 自分は見知り合だから正面の客に挨拶あいさつかたがた、「どうか拝聴を……」と頭を下げた。客はちょっと恐縮の体ていを装よそおって、「いやどうも……」と頭を掻かく真似をした。父は自分にまたお重の事を尋ねたので、「先刻さっきから少し頭痛がするそうで、御挨拶ごあいさつに出られないのを残念がっていました」と答えた。父は客の方を見ながら、「お重が心持が悪いなんて、まるで鬼の霍乱かくらんだな」と云って、今度は自分に、「先刻綱つな(母の名)の話では腹が痛いように聞いたがそうじゃない頭痛なのかい」と聞き直した。自分はしまったと思ったが「多分両方なんでしょう。胃腸の熱で頭が痛む事もあるようだから。しかし心配するほどの病気じゃないようです。じき癒なおるでしょう」と答えた。客は蒼蠅うるさいほどお重に同情の言葉を注射した後あと、「じゃ残念だが始めましょうか」と云い出した。
 聴手ききてには、自分より前に兄夫婦が横向になって、行儀よく併ならんで坐すわっていたので、自分は鹿爪しかつめらしく嫂あによめの次に席を取った。「何をやるんです」と坐りながら聞いたら、この道について何の素養も趣味もない嫂は、「何でも景清かげきよだそうです」と答えて、それぎり何とも云わなかった。
0963Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/24(金) 13:59:47.090
 客のうちで赭顔あからがおの恰腹かっぷくの好い男が仕手してをやる事になって、その隣の貴族院議員が脇わき、父は主人役で「娘」と「男」を端役はやくだと云う訳か二つ引き受けた。多少謡を聞分ける耳を持っていた自分は、最初からどんな景清ができるかと心配した。兄は何を考えているのか、はなはだ要領を得ない顔をして、凋落ちょうらくしかかった前世紀の肉声を夢のように聞いていた。嫂の鼓膜こまくには肝腎かんじんの「松門しょうもん」さえ人間としてよりもむしろ獣類の吠うなりとして不快に響いたらしい。自分はかねてからこの「景清」という謡うたいに興味を持っていた。何だか勇ましいような惨いたましいような一種の気分が、盲目もうもくの景清の強い言葉遣ことばづかいから、また遥々はるばる父を尋ねに日向ひゅうがまで下くだる娘の態度から、涙に化して自分の眼を輝かせた場合が、一二度あった。
 しかしそれは歴乎れっきとした謡手が本気に各自の役を引き受けた場合で、今聞かせられているような胡麻節ごまぶしを辿たどってようやく出来上る景清に対してはほとんど同情が起らなかった。
0964Ms.名無しさん
垢版 |
2021/12/24(金) 13:59:58.340
 やがて景清の戦物語いくさものがたりも済んで一番の謡も滞とどこおりなく結末まで来た。自分はその成蹟せいせきを何と評して好いか解らないので、少し不安になった。嫂は平生の寡言かごんにも似ず「勇しいものですね」と云った。自分も「そうですね」と答えておいた。すると多分一口も開くまいと思った兄が、急に赭顔の客に向って、「さすがに我も平家なり物語り申してとか、始めてとかいう句がありましたが、あのさすがに我も平家なりという言葉が大変面白うございました」と云った。
 兄は元来正直な男で、かつ己おのれの教育上嘘うそを吐つかないのを、品性の一部分と心得ているくらいの男だから、この批評に疑う余地は少しもなかった。けれども不幸にして彼の批評は謡の上手下手でなくって、文章の巧拙に属する話だから、相手にはほとんど手応てごたえがなかった。
 こう云う場合に馴なれた父は「いやあすこは非常に面白く拝聴した」と客の謡うたいぶりを一応賞ほめた後あとで、「実はあれについて思い出したが、大変興味のある話がある。ちょうどあの文句を世話に崩くずして、景清を女にしたようなものだから、謡よりはよほど艶えんである。しかも事実でね」と云い出した。
0965Ms.名無しさん
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2021/12/24(金) 14:00:10.390
        十三

 父は交際家だけあって、こういう妙な話をたくさん頭の中にしまっていた。そうして客でもあると、献酬けんしゅうの間によくそれを臨機応変に運用した。多年父の傍そばに寝起ねおきしている自分にもこの女景清おんなかげきよの逸話は始めてであった。自分は思わず耳を傾けて父の顔を見た。
「ついこの間の事で、また実際あった事なんだから御話をするが、その発端ほったんはずっと古い。古いたって何も源平時代から説き出すんじゃないからそこは御安心だが、何しろ今から二十五六年前、ちょうど私の腰弁時代とでも云いましょうかね……」
0966Ms.名無しさん
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2021/12/24(金) 14:00:24.460
 父はこういう前置をして皆みんなを笑わせた後あとで本題に這入はいった。それは彼の友達と云うよりもむしろずっと後輩に当る男の艶聞えんぶん見たようなものであった。もっとも彼は遠慮して名前を云わなかった。自分は家うちへ出入ではいる人の数々について、たいていは名前も顔も覚えていたが、この逸話をもった男だけはいくら考えてもどんな想像も浮かばなかった。自分は心のうちで父は今表向おもてむき多分この人と交際しているのではなかろうと疑ぐった。
 何しろ事はその人の二十はたち前後に起ったので、その時当人は高等学校へ這入り立てだとか、這入ってから二年目になるとか、父ははなはだ瞹眛あいまいな説明をしていたが、それはどっちにしたって、我々の気にかかるところではなかった。
0967Ms.名無しさん
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2021/12/24(金) 16:38:56.150
【速報】高須克弥の女性秘書、不正署名に関与していた! 
高須「私は全く知らない、秘書が田中に要請されてやった。厳しく叱ったなう!★3
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1621471804/
0969Ms.名無しさん
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2021/12/25(土) 06:22:27.850
「その人は好い人間だ。好い人間にもいろいろあるが、まあ好い人間だ。今でもそうだから、廿歳はたちぐらいの時分は定めて可愛らしい坊ちゃんだったろう」
 父はその男をこう荒っぽく叙述じょじゅつしておいて、その男とその家の召使とがある関係に陥入おちいった因果いんがをごく単簡たんかんに物語った。
「元来そいつはね本当の坊ちゃんだから、情事なんて洒落しゃれた経験はまるでそれまで知らなかったのだそうだ。当人もまた婦人に慕したわれるなんて粋事いきごとは自分のようなものにとうてい有り得べからざる奇蹟きせきと思っていたのだそうだ。ところがその奇蹟が突然天から降って来たので大変驚ろいたんですね」
0970Ms.名無しさん
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2021/12/25(土) 06:22:43.110
 話しかけられた客はむしろ真面目まじめな顔をして、「なるほど」と受けていたが、自分はおかしくてたまらなかった。淋さみしそうな兄の頬ほおにも笑の渦うずが漂ただよった。
「しかもそれが男の方が消極的で、女の方が積極的なんだからいよいよ妙ですよ。私がそいつに、その女が君に覚召おぼしめしがあると悟ったのはどういう機はずみだと聞いたらね。真面目まじめな顔をして、いろいろ云いましたが、そのうちで一番面白いと思ったせいか、いまだに覚えているのは、そいつが瓦煎餅かわらせんべいか何か食ってるところへ女が来て、私にもその御煎餅おせんべをちょうだいなと云うや否や、そいつの食い欠いた残りの半分を引ひっ手繰たくって口へ入れたという時なんです」
0971Ms.名無しさん
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2021/12/25(土) 06:22:54.850
 父の話方は無論滑稽こっけいを主にして、大事の真面目な方を背景に引き込ましてしまうので、聞いている客を始め我々三人もただ笑うだけ笑えばそれで後あとには何も残らないような気がした。その上客は笑う術をどこかで練修れんしゅうして来たように旨うまく笑った。一座のうちで比較的真面目だったのはただ兄一人であった。
「とにかくその結果はどうなりました。めでたく結婚したんですか」と冗談とも思われない調子で聞いていた。
「いやそこをこれから話そうというのだ。先刻さっきも云った通り『景清』の趣おもむきの出てくるところはこれからさ。今言ってるところはほんの冒頭まえおきだて」と父は得意らしく答えた。
0972Ms.名無しさん
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2021/12/25(土) 06:23:09.790
        十四

 父の話すところによると、その男とその女の関係は、夏の夜の夢のようにはかないものであった。しかし契ちぎりを結んだ時、男は女を未来の細君にすると言明したそうである。もっともこれは女から申し出した条件でも何でもなかったので、ただ男の口から勢いに駆かられて、おのずと迸ほとばしった、誠ではあるが実行しにくい感情的の言葉に過ぎなかったと父はわざわざ説明した。
「と云うのはね、両方共おない年でしょう。しかも一方は親の脛すねを噛かじってる前途遼遠ぜんとりょうえんの書生だし、一方は下女奉公でもして暮そうという貧しい召使いなんだから、どんな堅い約束をしたって、その約束の実行ができる長い年月の間には、どんな故障が起らないとも限らない。で、女が聞いたそうですよ。あなたが学校を卒業なさると、二十五六に御成おなんなさる。すると私も同じぐらいに老ふけてしまう。それでも御承知ですかってね」
0973Ms.名無しさん
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2021/12/25(土) 09:53:38.580
 父はそこへ来て、急に話を途切とぎらして、膝の下にあった銀煙管ぎんぎせるへ煙草たばこを詰めた。彼が薄青い煙を一時に鼻の穴から出した時、自分はもどかしさの余り「その人は何て答えました」と聞いた。
 父は吸殻すいがらを手で叩はたきながら「二郎がきっと何とか聞くだろうと思った。二郎面白いだろう。世間にはずいぶんいろいろな人があるもんだよ」と云って自分を見た。自分はただ「へえ」と答えた。
0974Ms.名無しさん
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2021/12/25(土) 09:53:47.890
「実はわしも聞いて見た、その男に。君何て答えたかって。すると坊ちゃんだね、こう云うんだ。僕は自分の年も先の年も知っていた。けれども僕が卒業したら女がいくつになるか、そこまでは考えていられなかった。いわんや僕が五十になれば先も五十になるなんて遠い未来は全く頭の中に浮かんで来なかったって」
「無邪気なものですね」と兄はむしろ賛嘆さんたんの口くちぶりを見せた。今まで黙っていた客が急に兄に賛成して、「全くのところ無邪気だ」とか「なるほど若いものになるといかにも一図いちずですな」とか云った。
0975Ms.名無しさん
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2021/12/25(土) 09:53:58.800
「ところが一週間経たつか経たないうちにそいつが後悔し始めてね、なに女は平気なんだが、そいつが自分で恐縮してしまったのさ。坊ちゃんだけに意気地のない事ったら。しかし正直ものだからとうとう女に対してまともに結婚破約を申し込んで、しかもきまりの悪そうな顔をして、御免ごめんよとか何とか云って謝罪あやまったんだってね。そこへ行くとおない年だって先は女だもの、『御免よ』なんて子供らしい言葉を聞けば可愛かわいくもなるだろうが、また馬鹿馬鹿しくもなるだろうよ」
 父は大きな声を出して笑った。御客もその反響のごとくに笑った。兄だけはおかしいのだか、苦々にがにがしいのだか変な顔をしていた。彼の心にはすべてこう云う物語が厳粛な人生問題として映るらしかった。彼の人生観から云ったら父の話しぶりさえあるいは軽薄に響いたかもしれない。
0976Ms.名無しさん
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2021/12/25(土) 09:54:11.680
 父の語るところを聞くと、その女はしばらくしてすぐ暇を貰ってそこを出てしまったぎり再び顔を見せなかったけれども、その男はそれ以来二三カ月の間何か考え込んだなり魂が一つ所にこびりついたように動かなかったそうである。一遍その女が近所へ来たと云って寄った時などでも、ほかの人の手前だか何だかほとんど一口も物を云わなかった。しかもその時はちょうど午飯ひるめしの時で、その女が昔の通り御給仕をしたのだが、男はまるで初対面の者にでも逢あったように口数くちかずを利きかなかった。
 女もそれ以来けっして男の家の敷居を跨またがなかった。男はまるでその女の存在を忘れてしまったように、学校を出て家庭を作って、二十何年というつい近頃まで女とは何らの交渉もなく打過ぎた。
0979Ms.名無しさん
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2021/12/26(日) 07:59:59.370
        十五

「それだけで済めばまあただの逸話さ。けれども運命というものは恐しいもので……」と父がまた語り続けた。
 自分は父が何を云い出すかと思って、彼の顔から自分の眼を離し得なかった。父の物語りの概要を摘つまんで見ると、ざっとこうであった。
0980Ms.名無しさん
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2021/12/26(日) 08:00:10.900
 その男がその女をまるで忘れた二十何年の後のち、二人が偶然運命の手引で不意に会った。会ったのは東京の真中であった。しかも有楽座で名人会とか美音会びおんかいとかのあった薄ら寒い宵よいの事だそうである。
 その時男は細君と女の子を連れて、土間どまの何列目か知らないが、かねて注文しておいた席に並んでいた。すると彼らが入場して五分経たつか立たないのに、今云った女が他の若い女に手を引かれながら這入はいって来た。彼らも電話か何かで席を予約しておいたと見えて、男の隣にあるエンゲージドと紙札を張った所へ案内されたままおとなしく腰をかけた。二人はこういう奇妙な所で、奇妙に隣合わせに坐った。なおさら奇妙に思われたのは、女の方が昔と違った表情のない盲目めくらになってしまって、ほかにどんな人がいるか全く知らずに、ただ舞台から出る音楽の響にばかり耳を傾けているという、男に取ってはまるで想像すらし得なかった事実であった。
0981Ms.名無しさん
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2021/12/26(日) 08:00:23.010
 男は始め自分の傍そばに坐る女の顔を見て過去二十年の記憶を逆さかさに振られたごとく驚ろいた。次に黒い眸ひとみをじっと据すえて自分を見た昔の面影おもかげが、いつの間にか消えていた女の面影に気がついて、また愕然がくぜんとして心細い感に打たれた。
 十時過まで一つの席にほとんど身動きもせずに坐っていた男は、舞台で何をやろうが、ほとんど耳へは這入らなかった。ただ女に別れてから今日こんにちに至る運命の暗い糸を、いろいろに想像するだけであった。女はまたわが隣にいる昔の人を、見もせず、知りもせず、全く意識に上のぼす暇いとまもなく、ただ自然に凋落ちょうらくしかかった過去の音楽に、やっとの思いで若い昔を偲しのぶ気色けしきを濃い眉まゆの間に示すに過ぎなかった。
0982Ms.名無しさん
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2021/12/26(日) 08:00:35.120
 二人は突然として邂逅かいこうし、突然として別れた。男は別れた後のちもしばしば女の事を思い出した。ことに彼女の盲目が気にかかった。それでどうかして女のいる所を突きとめようとした。
「馬鹿正直なだけに熱心な男だもんだから、とうとう成功した。その筋道も聞くには聞いたが、くだくだしくって忘れちまったよ。何でも彼がその次に有楽座へ行った時、案内者を捕つらまえて、何とかかんとかした上に、だいぶ込み入った手数てかずをかけたんだそうだ」
0983Ms.名無しさん
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2021/12/26(日) 09:13:11.800
「どこにいたんですその女は」と自分は是非確めたくなった。
「それは秘密だ。名前や所はいっさい云われない事になっている。約束だからね。それは好いが、そいつが私わたしにその盲目の女のいる所を訪問してくれと頼むんだね。何という主意か解らないが、つまりは無沙汰見舞ぶさたみまいのようなものさ。当人に云わせると、学問しただけに、鹿爪しかつめらしい理窟りくつを何なんが条じょうも並べるけれども。つまり過去と現在の中間を結びつけて安心したいのさ。それにどうして盲目になったか、それが大変当人の神経を悩ましていたと見えてね。と云っていまさらその女と新しい関係をつける気はなし、かつは女房子にょうぼこの手前もあるから、自分はわざわざ出かけたくないのさ。のみならず彼がまた昔その女と別れる時余計な事を饒舌しゃべっているんです。僕は少し学問するつもりだから三十五六にならなければ妻帯しない。でやむをえずこの間の約束は取消にして貰うんだってね。ところが奴やつ学校を出るとすぐ結婚しているんだから良心の方から云っちゃあまり心持はよくないのだろう。それでとうとう私わたしが行く事になった」
0984Ms.名無しさん
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2021/12/26(日) 09:13:23.220
「まあ馬鹿らしい」と嫂あによめが云った。
「馬鹿らしかったけれどもとうとう行ったよ」と父が答えた。客も自分も興味ありげに笑い出した。
0985Ms.名無しさん
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2021/12/26(日) 09:13:33.950
        十六

 父には人に見られない一種剽軽ひょうきんなところがあった。ある者は直ちょくな方かただとも云い、ある者は気のおけない男だとも評した。
「親爺おやじは全くあれで自分の地位を拵こしらえ上げたんだね。実際のところそれが世の中なんだろう。本式に学問をしたり真面目に考えを纏まとめたりしたって、社会ではちっとも重宝がらない。ただ軽蔑けいべつされるだけだ」
0986Ms.名無しさん
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2021/12/26(日) 09:13:45.420
 兄はこんな愚痴とも厭味いやみとも、また諷刺ふうしとも事実とも、片のつかない感慨を、蔭かげながらかつて自分に洩もらした事があった。自分は性質から云うと兄よりもむしろ父に似ていた。その上年が若いので、彼のいう意味が今ほど明瞭めいりょうに解らなかった。
 何しろ父がその男に頼まれて、快よく訪問を引受けたのも、多分持って生れた物数奇ものずきから来たのだろうと自分は解釈している。
0987Ms.名無しさん
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2021/12/26(日) 10:32:11.500
 父はやがてその盲目めくらの家を音信おとずれた。行く時に男は土産みやげのしるしだと云って、百円札を一枚紙に包んで水引をかけたのに、大きな菓子折を一つ添えて父に渡した。父はそれを受取って、俥くるまをその女の家に駆かった。
 女の家は狭かったけれども小綺麗こぎれいにかつ住心地よくできていた。縁の隅すみに丸く彫り抜いた御影みかげの手水鉢ちょうずばちが据すえてあって、手拭掛てぬぐいかけには小新らしい三越の手拭さえ揺ゆらめいていた。家内も小人数らしく寂然ひっそりとして音もしなかった。
0988Ms.名無しさん
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2021/12/26(日) 10:32:22.850
 父はこの日当りの好いしかし茶がかった小座敷で、初めてその盲人もうじんに会った時、ちょっと何と云って好いか分らなかったそうである。
「おれのようなものが言句に窮するなんて馬鹿げた恥を話すようだが実際困ったね。何しろ相手が盲目なんだからね」
0989Ms.名無しさん
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2021/12/26(日) 10:32:33.190
 父はわざとこう云って皆みんなを興きょうがらせた。
 彼はその場でとうとう男の名を打ち明けて、例の土産ものを取り出しつつ女の前に置いた。女は眼が悪いので菓子折を撫なでたり擦さすったりして見た上、「どうも御親切に……」と恭うやうやしく礼を述べたが、その上にある紙包を手で取上げるや否や、少し変な顔をして「これは?」と念を押すように聞いた。父は例の気性きしょうだから、呵々からからと笑いながら、「それも御土産おみやげの一部分です、どうか一緒に受取っておいて下さい」と云った。すると女が水引の結び目を持ったまま、「もしや金子きんすではございませんか」と問い返した。
0990Ms.名無しさん
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2021/12/26(日) 10:32:42.970
「いえ何はなはだ軽少で、――しかし○○さんの寸志ですからどうぞ御納め下さい」
 父がこう云った時、女はぱたりとこの紙包を畳の上に落した。そうして閉じた眸ひとみをきっと父の方へ向けて、「私は今寡婦やもめでございますが、この間まで歴乎れっきとした夫がございました。子供は今でも丈夫でございます。たといどんな関係があったにせよ、他人さまから金子を頂いては、楽らくに今日こんにちを過すようにしておいてくれた夫の位牌いはいに対してすみませんから御返し致します」と判切はっきり云って涙を落した。
0991Ms.名無しさん
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2021/12/26(日) 16:53:54.170
英紙「アベノミクスは失敗だった。安倍首相は日本を不況に陥れた責任がある」

英の経済紙フィナンシャル・タイムズは
「Six Abenomics lessons for a world struggling with ‘Japanification’」のなかで、
「アベノミクスは成功したのか」という問いに対してはっきりと「ノー」と答えている。

問題点としては、まず消費増税が挙げられている。
「アベノミクスが失敗したのは、
2014年春に日本の消費税が5%から8%に引き上げられた日だった」と振り返り、
2019年の10%への増税も含めて、安倍首相は日本を不況に陥れた責任があると批判。
刺激を約束しておきながら、抑制をもたらしてしまったことが、
アベノミクスが失敗した理由だと振り返った。

また抜本的な構造改革が果たされなかったことも
失敗の原因として挙げられている。

https://forbesjapan.com/articles/detail/36843/2/1/1
0992Ms.名無しさん
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2021/12/27(月) 07:51:01.740
「これには実に閉口したね」と父は皆みんなの顔を一順いちじゅん見渡したが、その時に限って、誰も笑うものはなかった。自分も腹の中で、いかな父でもさすがに弱ったろうと思った。
「その時わしは閉口しながらも、ああ景清かげきよを女にしたらやっぱりこんなものじゃなかろうかと思ってね。本当は感心しましたよ。どういう訳で景清を思い出したかと云うとね。ただ双方とも盲目めくらだからと云うばかりじゃない。どうもその女の態度がね……」
0993Ms.名無しさん
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2021/12/27(月) 07:51:11.100
 父は考えていた。父の筋向うに坐すわっていた赭顔あからがおの客が、「全く気込きごみが似ているからですね」とさもむずかしい謎なぞでも解くように云った。
「全く気込です」と父はすぐ承服した。自分はこれで父の話が結末に来たのかと思って、「なるほどそれは面白い御話です」と全体を批評するような調子で云った。すると父は「まだ後あとがあるんだ。後の方がまだ面白い。ことに二郎のような若い者が聞くと」とつけ加えた。
0994Ms.名無しさん
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2021/12/27(月) 07:51:20.880
        十七

 父は意外な女の見識に、話の腰を折られて、やむをえず席を立とうとした。すると女は始めて女らしい表情を面おもてに湛たたえて、縋すがりつくように父をとめた。そうしていつ何日いつかどこで○○が自分を見たのかと聞いた。父は例の有楽座の事を包み蔵かくさず盲人もうじんに話して聞かせた。
「ちょうどあなたの隣に腰をかけていたんだそうです。あなたの方ではまるで知らなかったでしょうが、○○は最初から気がついていたのです。しかし細君や娘の手前、口を利きく事もでき悪にくかったんでしょう。それなり宅うちへ帰ったと云っていました」
0995Ms.名無しさん
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2021/12/27(月) 07:51:32.060
 父はその時始めて盲目めくらの涙腺るいせんから流れ出る涙を見た。
「失礼ながら眼を御煩おわずらいになったのはよほど以前の事なんですか」と聞いた。
0996Ms.名無しさん
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2021/12/27(月) 13:26:46.860
「こういう不自由な身体からだになってから、もう六年ほどにもなりましょうか。夫が亡なくなって一年経たつか経たないうちの事でございます。生うまれつきの盲目と違って、当座は大変不自由を致しました」
 父は慰めようもなかった。彼女のいわゆる夫というのは何でも、請負師うけおいしか何かで、存生中ぞんしょうちゅうにだいぶ金を使った代りに、相応の資産も残して行ったらしかった。彼女はその御蔭おかげで眼を煩った今日こんにちでも、立派に独立して暮して行けるのだろうと父は説明した。
0997Ms.名無しさん
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2021/12/27(月) 13:26:57.820
 彼女は人に誇ってしかるべき倅せがれと娘を持っていた。その倅には高等の教育こそ施してないようだったけれども、何でも銀座辺のある商会へ這入はいって独立し得るだけの収入を得ているらしかった。娘の方は下町風の育て方で、唄うたや三味線の稽古けいこを専一と心得させるように見えた。すべてを通じて○○とは遠い過去に焼きつけられた一点の記憶以外に何ものをも共通にもっているとは思えなかった。
 父が有楽座の話をした時に、女は両方の眼をうるませて、「本当に盲目ほど気の毒なものはございませんね」と云ったのが、痛く父の胸には応こたえたそうである。
0998Ms.名無しさん
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2021/12/27(月) 13:27:39.840
「○○さんは今何をしておいででございますか」と女はまた空中に何物をか想像するがごとき眼遣めづかいをして父に聞いた。父は残りなく○○が学校を出てから以後の経歴を話して聞かせた後、「今じゃなかなか偉くなっていますよ。私見たいな老朽とは違ってね」と答えた。
 女は父の返事には耳も借さずに、「定めてお立派な奥さんをお貰いになったでございましょうね」とおとなしやかに聞いた。
0999Ms.名無しさん
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2021/12/27(月) 13:27:50.920
「ええもう子供が四人よつたりあります」
「一番お上のはいくつにお成りで」
1000Ms.名無しさん
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2021/12/27(月) 13:28:07.590
「さようさもう十二三にも成りましょうか。可愛かわいらしい女の子ですよ」
 女は黙ったなりしきりに指を折って何か勘定かんじょうし始めた。その指を眺めていた父は、急に恐ろしくなった。そうして腹の中で余計な事を云って、もう取り返しがつかないと思った。
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