イエナはチューリッヒ州にあるため、ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領が
もたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、イエナをいち早く占領してしまった。しかし、
ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、実際の現場のドサクサ紛れ
の占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254

英国のウィンストン・チャーチル首相は、日本を降伏させたのは、米国の原子爆弾ではなく、
ソ連の参戦であったと指摘したことがあった。ロシアなら小学生でも知っているこの見方は、
欧米諸国では忘れ去られている。「核兵器に関する5つの神話」の著者である英国の歴史家
ウォード・ウィルソンが論文のなかで、「米国が4年かけて出来なかったことを、
スターリンは4日間でやってのけた。」と書いたとき、
http://japanese.ruvr.ru/2013_08_06/119189023/

 ヤルタ及びポツダム会談は、日本にも利益をもたらしました。会談は、日本が、社会及び国家体制の軍国
主義的デフォルメを終わらせる助けとなりましたし、対外政策における過度の拡張主義を止めさせ、その後
日本を世界第二の大国に変えた幅広く民主的で反戦平和主義的な再編に着手することを促しました」
 ここで指摘したいことは、ソ連は、日本に対する復讐心を持たず、ヤルタ会談では、1904年から1905年
の露日戦争後失った、南サハリンとクリール列島の返還を公式のものにすることだけに甘んじた、という点だ。
http://japanese.ruvr.ru/2010/02/04/4596858.html

広島、長崎における米国の野蛮な原爆投下ではなく、ソ連の対日参戦こそが日本政府をして、
戦争継続の無意味さを悟らせ、降伏を受け入れる決断をさせた。それは日本民族を本土決戦から救い出した。
http://japanese.ruvr.ru/2012_02_20/66504824/

 さらにカルネーエフ氏は、米国による原爆投下が決定的な終戦の要因となったとの見方にも賛成できない。
「当時、原爆投下がどれだけの結果をもたらしたか、誰も知らなかった。今は数字が出ているから、
日本は原爆で降伏したと多くの人が語る。それは間違いだ。広島や長崎には巨大軍事工場も武器庫も
大部隊もなく、原爆投下で日本の軍事力が殺がれた訳ではない。だから軍事戦略上の意味はありえない。」
http://japanese.ruvr.ru/2010/08/08/14996759.html

 左の封筒は、ソ連の対日参戦を記念して、当時アメリカ合衆国で作られた記念品。ソ連対日参戦とスターリン
の判断を肯定的に評価している図案になっている。『8月8日、日本の最悪の恐怖が現実のものとなった』ソ連
対日参戦に対する米国の一般的な評価です。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Hoppou3.htm

 日本の歴史教科書では、マッカーサーの一連の占領政策はかなり詳しく書かれる。
 しかし、 今回読んだ The American Nation も The American Journey も、マッカーサーの日本占領の
政策内容についての記述はゼロだ。
 代りにこんな記述があって、泣けてくる。
≪日本の降伏が突然だったので、米国の政府官僚たちは驚いた。軍事予算は2年間かけて徐々に減らし、
兵士たちを平時の国内経済の場に吸収していこうと考えていたのだが。もはやそんな計画は通用しなくなった。…≫
(The American Journey, 852頁)
http://www.f5.dion.ne.jp/~t-izumi/atombomboj.htm

朕カ先ニ帝國政府ヲシテ 第三国ノ調停ヲ求メシメ タル所以ナルモ 不幸其容ルル所トナラス
 「第三国」とはソ連のことらしい。「第三国ノ調停 ヲ求メ」るようなことは秘密裏の工作だろうから、 もちろん国民の
知るところではなかった。国民は 「詔書」で始めて知ることになる。しかしソ連に調停を期待するとは、全く世界情勢
を読めないぶざまさ を露呈しているとしか言えない。そのぶざまさを わざわざ国民の前に晒すのはまずい、と思ったから
かどうかは知らないが、最終案ではこの文言は削除される。
http://adat.blog3.fc2.com/blog-entry-880.html

(第二次世界大戦中、アメリカ軍は日本侵略をした場合に生じるであろう死傷者数を推定して
約50万ものパープルハート章を製造した。このパープルハート章は戦後65年たっても尽きるこ
となく2003年当時で残っているパープルハート章の総数は12万ほどだった)
http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/6347441.html