輪るピングドラム187 STATION
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※ワッチョイはスレ立てるごとに消えるので適宜増やす
■僕の愛も、君の罰も、すべて分けあうんだ。 きっと何者にもなれない お前たちに告げる
@TVアニメ『輪るピングドラム』公式サイト及びツイッター
・http://penguindrum.jp/
・http://twitter.com/penguindrum
@まとめWiki http://www48.atwiki.jp/penguindrum/
@こっそりピングドラム(「輪るピングドラム」をスタッフがこっそり語る番組)
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@TV各局放映及びWEB動画配信日程 平成23年7月より同年12月迄放送。全24話。
・毎日放送 (MBS) 毎週木曜日 26:10〜 7月7日より
・東京放送 (TBS) 毎週金曜日 26:25〜 7月8日より
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・日本BS放送 (BS11) 毎週金曜日 23:30〜 7月15日より
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■前スレ
輪るピングドラム186 STATION
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ranimeh/1560793446/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 偶然かどうか知らんが
「空とぶゆうれい船」作中で人類を裏で支配しようとする組織「ボア」と
オウム真理教の「ポアする」は似た字面だなぁ。。。 イクニさんがツイートしなくなってラパンから新作が発表されて
アニプレックスでは謎のアニメ、コードネームの「O」
これはかなり怪しいですね。
18日に一体何があるんだ。。。 さらざんまいの時はアニプレックスも制作の中の一社だったのか そういやピンドラに集中してたから
さらざんまいの小説と公式ガイドブックとかまだ読んでないわ
にしてもさらのシリコマンダーズとかユリ熊のユリクマニクルは劇中に登場しなかったのに
ピングループだけは登場してた事になるんだな そういやピンドラに集中してたから
さらざんまいの小説と公式ガイドブックとかまだ読んでないわ
にしてもさらのシリコマンダーズとかユリ熊のユリクマニクルは劇中に登場しなかったのに
ピングループだけは登場してた事になるんだな 仮にこの新アニメサイトがイクニ作品だとするなら
鳥を無くしてXに改名した元twitterに対するO、と私は思うなぁ。
Oに注水(水と言ってもエメラルド色だが)するような演出は気になるが
さらざんまいにもこんな演出はあったし。
・・・これで別監督だったら恥だな。 そろそろイクニさんの新作をと期待しすぎちゃってたなw
何か色々な事があったせいでイクニさんがラパンで仕事しにくくなった結果
他でと勝手に考えを巡らせてしまってた
しかし武内さんの物語シリーズだったか
私は最初の方で意味分からなくなって見るのを止めてしまって
今の内容は分からんが好きな人は好きだろうな にしてもせっかくピンドラスレに来たなら
現在再放送中の感想でも書いたりすればスレも盛り上がるかもしれんのにw ピンドラファンってネットの(間違った)考察に群がって
本当に正しい考察してる人を排除しようするイタい奴が多いよなぁ、と私は思っている
前スレでも「ゆりと彼女の父は好きな人を虐待洗脳しようとする似たもの同士」
とピンドラの謎を解く大きなヒントを出したのに即排除しようとする
間違った解釈を妄信した奴らだけだったからなぁw
ヒントが間違っていたらその対応もアリかもしれなかっただろうが
結局「大当たり」、ピンドラの世界の中心にある運命の一部だったのが救えない。
思考停止とは恐ろしい、透明な嵐と何も変わらない。
居なくなってくれてありがとう、とたまには毒を吐くw 大好きな作品の見たくない部分は見て見ぬフリをしちゃうよなぁ。
ゆりは毒親の可哀想な被害者で居続けて欲しいよねぇ・・・
だから「生娘のあなたには世界の半分しか見えない!」
まぁ百合が好きな私も桃果とゆりの関係は本物だと思っていたから
ゆりそっちのけで多蕗との妄想日記を書いてた事実をどう受け止めていいか分からなかった。
桃果もみんなと同じく「自分という箱」に入れた日記があったのだと気づくのに時間がかかってしまった。
だから私も他人の事ばかりは言えないのだ
ただ、それを自覚して自ら変えた分賢いとは思ってるけどw ピンドラって作品は作中で示された事が真実ではない事多いのだ
陽毬の病気にしたって「呪い」とか非科学的な理由で済まされるはずが無いし
時系列を整えればダブルHデビュー後に入院した事実は間違いない。
また、陽毬がダブルHと別離した理由だってテロを起こした高倉父母に「だけに」責任がある訳でもない。
陽毬自身が「ダブルHと離れたくない」と自分と言う箱から手を伸ばす努力をしてれば
後々まで引きずる事は無かったのかもしれない、病気の原因は陽毬自身の問題でもある。
また、そんな風に陽毬が病気になっていく様を間近に見ていた高倉兄弟が
何も出来なかったまま1話のような余命宣告シーンをやっていたら
「創作の世界」とはいえ「この人たちは何をやってるのかな?」と私は思ってしまう。
考察に対し描写が不足してるのだろう。
仮に私の中にピンドラへの盲目的な愛があれば「そういうものなんだよ」とか
「陽毬の心の痛みの隠し方が上手すぎたんだよ」と自らフォロー出来るかもしれないが
そこまでの愛情は無いので「愛があれば」そう解釈出来ると思っておく。 ピンドラは「親だけ」に責任がある話じゃないんだよなぁ・・・
今までそれが分かってない感想や考察ばっかで溢れてたから
「生娘のあなたには世界の半分しか見えない!」状態だった。
で、これからピンドラ世界における「運命」の重要性を証明した私の解釈に影響されたピンドラ考察が増えてくかもなぁ。。。
或いは増えず「分かったフリ」をしたままのピンドラファンが大勢のままの状態が続くかもしれない、今後どうなるか?だな。 ピンドラファンお決まりの台詞「愛の話なんだよ」がいい例だ。
「分かったフリ」してでも迎合したいからこんな他者に内容の伝わらない台詞が流行る。
例えば勝手に付け足して
「世界から消えてしまう運命を負った人を変える愛の話」とかにした方がまだピンドラの世界観が伝わるのではないだろうか? 「(世界から消えてしまう運命になってる人が再び世界とつながれるように運命を乗り変える為の)愛の話」の方が
より伝わるかな、長いけどw 13話が放送されたか
作中で言われた東京スカイメトロ開業10周年って
やはり最終話の「10年前の高倉兄弟が『箱の中』で林檎を分け合って後に兄弟になる運命となった年」って解釈で良いのだろうな。
ピンドラ劇中の10周年を迎えた地下鉄・荻窪線とは「高倉兄妹の運命の列車」の事なのだろう。
そんな高倉兄妹専用の架空の地下鉄だから「現実の世界」では'11年8月4日にリニューアルし、
風景が変わっていて存在しないはずの高倉家内で写真として飾られていた「思い出の水族館」である「サンシャニー国際水族館」に
1話や9話の表示通り同年10月15日に行けたのだろう。
そして冠葉が晶馬や陽毬と兄妹になって一緒に暮らす一方
真砂子は兄を奪われ、闇に置き去りにされたような状況になっているので
真砂子はTV中継に突っ込みを入れてるんだろうな。
また'95年3月20日のサリン事件の日、ピングフォースが爆弾テロで壊した多数の地下鉄路線の一つに
「桃果、多蕗、ゆり」の三人が乗っていた運命の列車もあったのだろうな、12話の通り。
ピンドラ劇中ではテロ事件の影響で約6年間も地下鉄が運転出来る状態では無かったが
現実のサリン事件では事件当日に日比谷線以外は早くも全線運転再開してたらしいからなぁ。
「ピンドラの世界」は'95年のサリン事件から'01年の東京スカイメトロ再開までの間
この様に我々の「現実の世界」とは歴史が違うようだが
その事実に劇中の人物は誰も疑問に思ってる感じでも無いし
やはり我々の「現実の世界」とは全くつながりの無い世界、神様ピングループが創った「創作の世界」なのだろうな。 本当、「現実の世界」ではないと一つ一つ説明するのも面倒な仕様だな、ピンドラは。
でも仕組みは分かってきたからな。 ピンドラ世界の'95年3月20日に起きたテロ事件の際、ゆりだけは地下鉄に乗らなかったのか
そして多蕗も寝坊したおかげで事件に巻き込まれなかったと。
でも3人の運命の列車は破壊され桃果も日記を残して消えた。
ゆりは飼育当番に関わってなかったのだろうか?
ここら辺曖昧だよなぁ。。。 というかピンドラの世界は
6年間も地下鉄と言う交通網が無い状態でどう生活が成り立ってたんだ?という話だよ。
それも含めてメタファーなのか?
少なくともその6年間だけでも他の交通手段を新たに創って補ってないと東京の機能が破綻するはずだろろう。 twitterトレンドを見て「えっ?今日はカレーの日じゃないでしょ」って一瞬思ってしまうピンドラ信者がここに 地下鉄が6年なかったってどういうこと?
そんな描写あったっけ? ああ、現実世界でいうと営団地下鉄が2004年に東京メトロに変わった話かな?
だとするとそれまでずっと営業停止してたと解釈するのはやばすぎるだろ >>866
ピンドラの世界では東京スカイメトロに変わった時、地下鉄も「懸垂式モノレール」に作り変えてる。13話の描写をよく見なさい。
その間は営業停止して工事しなければ作り替えられない、と私は思うぞ。
懸垂式モノレールの地下鉄といっても東京メトロには地上区間もある路線があるので
その部分は一体どうなってんだ?って話だが。 ピンドラの設定を知らないにわかさんでも
そこにわざわざ突っ込んでくれたのは初めてなので新鮮な気分だ
13話でも「新しい都市の交通網として誕生した東京スカイメトロ」って言ってるしなぁ。。。
まったく地下鉄一つ見てもピングループによる世界の創り直し方は異常だぜ、気が狂ってる そしてピンドラの世界の地下には「足場」があるのかどうかも分からない。
9話の地下のそらの穴分室から落下したプリクリが「その世界」では着地出来なかったように
地下はこどもブロイラーとか奈落に通じてるのかもしれない。
ピンドラ世界では'95年のテロ事件の影響かなんなのか分からんが
地下に「足場」が無くなったから懸垂式モノレールを創ったのかもしれない。
また、例えば'95年の新世紀エヴァンゲリオンの舞台、第三新東京市の地下にはジオフロントという巨大な空洞があって
使徒と戦う際に地上のビルなどの建物は地下に引っ込むという演出になってるし
地上と地下の行き来は地下鉄のようなケーブルカーを使っている。
そして銀河鉄道の夜の旅の舞台も宇宙、当然だが足場が無い。
ピンドラの地下もエヴァの地下や銀河鉄道の夜の宇宙と同じものではなかろうか? つまりピンドラの世界では地下空間に足場が無くなって宇宙のような状態になったから(重力はあるようだが)
地下鉄の再開に6年間かかったのだろう、と私は推測している。
>>866
さて、「足場が無い地下」で今までのそして現実のような地下鉄が運転できると思う?
そしてそんな地下空間で一から交通網を創らず営業を続けられると思ってますかね? ホント銀河鉄道の夜とかエヴァとか
他の作品の設定を知らないと理解しにくい世界観とか面倒な作品だな、ピンドラは。
これを面白い捉えるかは人次第だが、幾ら考えても分からんのが面倒だと私は思う。
9話の地下61階のエレベーターの演出はエヴァンゲリオンの地下に引っ込むビルみたいなもんかな?と私は思ったな。
サンシャイン60を地下に引っ込めたようにも受け取れるし。
そして9話の地下61階の図書館の分室からさらに落ちる、という演出で
地下がどれだけ広い空間になってるか常識的に考えたら想像つかないもんかね。
まぁ「足場の無い地下空間」に今までと同じような地下鉄を新たに創るのに6年で済むのか?
ってのは私は専門家では無いので分からんし「創作の世界」の技術がどうなってるのかも分からんので
そこまで考えるのは無駄な気はするがw ユリ熊嵐の世界で惑星クマリアが爆発し熊が人を襲うよう凶暴化したから
人は壁を作って世界が熊と人で二分され断絶したように
ピンドラの世界もテロ事件の影響で
「ピングループの地上の世界」と「ピングフォースの地下の世界」が断絶したのでは?と私は推理している。
だから地上のピングループ世界の視点で見ると地下には足場が無くなって
それでもその空間を有効活用しようと懸垂式の地下鉄を創ったのでは?と私は考えている。
で、地下空間ごと排除したピングループ視点では透明に見えても
ピングフォースは企鵝の会と名前を変え、変わらず地下でテロ計画を練っていると。 となるとピンドラの世界では
次に地下鉄テロ事件が起きて
乗客が車外に脱出しようとしたら「地下の世界」に真っ逆さまになるかもな、酷いw
何故東京スカイメトロが地下鉄に懸垂式モノレールを採用したか?
何故、9話のサンシャニー水族館の地下61階の深さから更に落ちるのか?
この2つを考慮しただけでもピンドラ世界の地下が如何にヤバイ事になってるか想像つくだろうw 賛同者?
「箱の回想の謎」をネットで初めてかつ唯一解けたイクニファンの私には
他ならぬイクニさん自身が承認してくれてるだろうと勝手ながら確信してるよ。
まぁイクニさんは答えに繋がる発言はしないだろうし何が正解かも言わないだろうけどね。 ピンヌドラム始めてみた時は意味不明だけど大物ぶった雰囲気してるなと思った
何が言いたいかはなんとなくは分かるんだけどそれ以上に意味不明の積み重ねでさっぱり分からない部分が多く、さてこれだけの大作ならいつか時間が取れた時にでも見直す機会でもあるだろお、と思ったけど全然機会ない
映画化だか総集編化だかされたんでしょ?
どうだった?感想以外を教えて
長いのをチロチロ観るのもいいけど短い方も観てみたいとも思ってる ま、東京スカイメトロの「懸垂式モノレール」は
本当は「地下の企鵝の会」よりの子供なのに
「地上のピングループ」にへばり付くようにして社会で生きている高倉3兄妹の暗喩だった、って事なんだろうな。
「TSM10周年」と「箱の回想の10年前」が一致してる事からも分かるように。
TSMが運転し始めたから冠葉と晶馬が林檎を分け合って「未来に陽毬の本当の兄弟になる」という運命を予め経験したのか
それとも兄弟が林檎を渡す為に手をつないだからTSMが開通したのかは分からんが。。。
・・・にしても放送当時に作られたピンドラのまとめwikiの年表には肝心のTSM10周年が記載されてないのが
「惜しい!」というか隈なく年表整理してそれに気づいてたら
「箱の回想の謎」も私以外の誰かが先に解いてたかもしれんのになぁw まぁピンドラは2クール24話と情報量が多すぎだもんな
例えば「とある回のネタA」と「それ以外の回のネタB」が繋がってるとして
その組み合わせをの数を導くには単純計算で24*23=552パターンとなって
我々視聴者はその中から一つの正解を探さないといけない。
ユリ熊嵐なら12*11=132
さらざんまいなら11*10=110
と話数の多いピンドラが一番難しいし
ユリ熊嵐と比較してもピンドラは約4倍難しいのだろう、と私は思っている。 ユリ熊嵐も意味不明で大物ぶってて全然わからなかった
個人的にはわけわかめ具合ではユリ熊嵐の方が上だと思う
驚くほどわからなかった
ただ、最後の方の雰囲気から察するにちゃんと理解して観てたら大物ぶりではユリ熊嵐の方が上だと思う
いつか見直す機会作りたいなとは思ってんだけどそう都合よく機会は転がってなくて少し無念
いっそBlu-rayとか買おうかとも迷うけど悲しいし悔やしいからやめとく ユリ熊はアマプラのDアニメで配信されてるから、1ヵ月だけ入会する方法もあるね ユリ熊嵐
あの突き抜けた意味不明な世界観の中で
根幹となるテーマを一つに絞って(私は好きを諦めない)それだけを集中して描いているから
作品自体は抽象的ながらもウテナやピンドラよりわかりやすく
純粋な美しさをはなつ作品だと思う ユリ熊嵐の方がウテナより難しいと私は思うなぁ。
ユリ熊嵐は最終話まで見てようやく明かされる世界観と人間関係の中心を知ってから
世界観がどうなっていたのか考えてくタイプなので。
だが読者によって解釈が分かれる「銀河鉄道の夜」を元ネタに使ったピンドラと違って
羆嵐は読者のほぼ全員が解釈一致する話だろうし羆嵐だけが元ネタな訳でもないし
「イクニさんがどう銀河鉄道の夜を解釈してピンドラ作中で使ってるか」みたいな
複雑な事も考えなくてもいい。 ウテナは基本的に王子とその妹(魔女)と姫の三角関係
元ネタは「眠れる森の美女」とか「白雪姫」みたいな魔女が出てくるタイプの絵本で
魔女を王子の妹にした変則パターンだと思っておけば分かり易いし。
ウテナは重要な回を中心にして理解していけば39*38=1482なんて
ピンドラの約5倍も苦労する必要は無いだろう。
基本は「共依存に陥ってる二人」から「目当てのキャラ」を解放する為に
自己犠牲をする「3人目の別のキャラ」という「三角関係」を描いてるのがウテナだからなぁ。。。
29話の「枝織・樹璃・瑠果」もメインの「暁生・アンシー・ウテナ」も同じ三角関係。
その2つの三角関係を比較しながら世界観も読み解いていけばそんなに難しくないだろう。
ただし黒薔薇編の核心部分はそこそこ難しいと思う。
youtubeの考察動画見て「時の流れ」に関してそんな凝った演出してたのか!と初めて気づいた位だし。 そしてさらざんまいは説明さえ聞いてれば分からない事はほぼ無いだろうw
大体説明してくれるしその説明は信頼出来る、ピンドラTV版と違って。
ピンドラは2クール持たせる為なのか10年間も視聴者に余韻を残したくて難解にしていたのか
わざと混乱させてくるような説明もあるから
納得出来ない説明については私は信用してないわw
さらざんまいやピンドラ劇場版が視聴者に対して素直な作風だとするなら
ピンドラTV版は面倒なツンデレの作風だな、誰にもその性格は読めない。
「考察したいけど初心者です」って人に私はピンドラはオススメしない。 イクニ作品の個人的難易度はこんな感じ
Hard ピンドラ(他作品を理解していたとしても難しいレベル
10数年間ネットでは内容に関して他人に説明出来るほど理解していた人は一人も居なかったでしょうw
説明していたとしても大体は間違った妄想止まりだっただろうしね、描写に見落としのある「りんごの計算」をネタにした考察はよく見かけたように)
Normal ユリ熊嵐(噛み応え十分、5年間は考察で楽しめた。性癖に合えば完璧)
Easy さらざんまいorウテナTV版(初心者向け)
??? 劇場版ウテナ(尺が短すぎて考察不可、しかし雰囲気だけを楽しむなら初心者向け) 「りんごの計算」は本当に正確なのだろうか?
私はそうは思えない。
例えば、画像の20話で晶馬は陽毬に林檎を分け与えてるようだが(何故か1/4)
本編20話では「KIGA林檎を一個丸ごと」渡しているし
その後の21話の夏芽父の葬式後の写真でも「陽毬はKIGA林檎一個丸ごと」持っている。
また13話の回想でホテルに泊まった時も陽毬は「KIGA林檎を一個丸ごと」持ったまま寝ている。
本当に晶馬から半分林檎を受け取っていたらどのシーンも半分になっているはずだ。
「りんごの計算」の画像に矛盾が出てくる。
では20話の回想で「何故、晶馬は陽毬はKIGA林檎を一個丸ごと与えたか?」だが
晶馬にとってはKIGAの会の事務所にあった林檎は特に好きでもなかったからだそうだ(小説版)
だから陽毬に丸ごと林檎を与え、その後も陽毬はKIGA林檎を肌身離さず持っていた、と解釈出来る。
また、最終話の「箱の回想」と同様に「20話の回想」も「晶馬と陽毬の未来に起こると予め決まっていた運命」
つまり「晶馬が陽毬に罪の果実を丸ごと与えた」から後々、陽毬に罰が集中する運命になったのだろう。
(*現実では親が犯罪を起こしたらその子供達は社会から平等に罰を受けてしまうのが普通なのに面倒な設定だ。
だから罰から逃れた冠葉は気軽に女遊びが出来て欲求不満を解消していたのだろうがw)
そして20話の通り「高倉家の罰は僕だけのものだ」と思い込んでいる晶馬だからこそ
最終話まで誰とも果実を分け合わず意固地に自身の胸の内に林檎をしまい続けていたのだろう。
その晶馬の心境を考慮すると「20話回想で晶馬は陽毬と果実を分け合ってない」という証拠が更に増える。
そもそも最終話の箱の回想に出てきた林檎と
20話のKIGA林檎は同じもの、という客観的な証拠すら無い。
「りんごの計算」は多くのピンドラファンの考察の基になっていた。
これらの解釈通り、「分かり易い間違い」があったのに誰も気づかず何故か皆信じていていた。
考察とは「物事を明らかにするためによく考え調べること。」だが
ピンドラ放送から十数年経った今、アニメ本編をじっくり見て自分達の間違いを見つめ直す良い機会ではないか?
と私は思っている。 東京スカイメトロが出来て10周年、そして「箱の中の回想」があったのも10年前。
23話の回想通り「運命の列車」は「未来に起きる運命」を予め乗客に見せる列車なのだろう、いわゆる「未来予知」のようなものだ。
「銀河鉄道の夜」のジョバンニがカンパネルラが水死する運命を列車の旅で予め見たように。
そして「さらざんまい」でもサッカーボール(尻子玉)をつなげるのを諦めなかった三人が
サッカー選手になってる運命「未来の漏洩」を見たように。
ピンドラ世界の「運命の列車」は10年前に変わった。
それによって「失われた子供達にも未来はある」と回想で見せるような「人の心」が反映されたシステムに変わったのだろう、と私は考えている。
逆に変わる前の15話、18話のゆりや多蕗が見た回想は露骨に親からの虐待から回想が始まっていて
二人の子供が親のような事をしない為に躾けていたのだろうが、大人になった二人の子供は結局、親と同じような事件を起こしそうになった。
東京スカイメトロの前身だった「T-tube」は'95年のテロ事件が起きるまでは
「子供に親に虐待されたシーンを見せ続ければ、子供は親と同じ轍を踏まないだろ」みたいな思想で回想を見せるシステムに陥っていたのでは無いだろうか?
運行会社が「利便性に傾倒」した結果だ。 ピンドラ世界では10年前、東京スカイメトロになって地下鉄は懸垂式モノレールに変わった。
だが乗り物の外側が変わっただけでなく内側にも変わった事が一つだけある。
それは「中吊り」だ。
23話アバンの回想では列車に中吊り広告があった、よくある普通の列車のように。
それがTSM荻窪線にリニューアルした後はダブルHの「本日の標語」に変わった、本日の運命が分かるようになっている。
中吊り広告をよく見ると
広告を出した出版社は「週刊実話」つまり21話で高倉家にやってきた記者の会社だ。
小説版によると「真偽の分からない娯楽記事」を載せる雑誌らしい。
21話でも記者は「高倉家の過去」を暴いて苹果と陽毬の分断工作をしていた。
逆に「本日の標語」のダブルHは苹果に「陽毬の大切にしていた言葉」の新曲CDを託した結果、乗り換え後の世界で二人は友達になっていた。
「さらざんまい」と比較すれば気づくが
21話の記者がやっていた事は「過去の漏洩」と同じだ。同じ目的を持つ友達(共犯者)の仲が悪くなる。中吊り広告を出していた時代もきっと同じだったろう。
そしてダブルHの「本日の標語」はアサクササラテレビのラッキー自撮り占いと同じ。友達(共犯者)の仲を深め幸せにする。「未来の漏洩」につながる。
つまり週刊実話の記者はピングループの腕時計をしてはいるが
10年前の東京スカイメトロに変わった時、列車のシステムから追い出された者たちなのだろう。 ピンドラファンもイクニファンも
さらざんまい放送当時だけでなく今に至るまで誰一人として気づかなかったが
ピンドラとさらざんまいはシステムが本当によく似ている。
まるで'11年の放送当時はファンの誰も理解出来なかった
「輪るピングドラム」の世界観を解くヒントを劇中に込めたかのように。
「箱の中の回想」の演出意図は12年間誰も気づかなかったからなぁ。
アニメだけでなく小説版まで読んだ熱心なファンにも。
ここまで気づけたのはユリ熊嵐を自力で解いた私位だろう、るる賢〜い! 10年前、東京スカイメトロに変わった「運命の列車」は
乗客に起こる運命を予め見せるシステムだ。
だから「箱の中の回想」を経験した晶馬は
その後の両親が指名手配された失踪後の飢餓の中
冠葉と「大切な人に言葉を伝える」約束を叶える為に林檎を分け合って「陽毬の本当の兄弟」となり
陽毬を笑顔にする為に高倉家をリフォームした。
そして最終話、晶馬は「運命の続き」として冠葉に林檎を返す事で
冠葉と「兄弟の上下の無い対等な関係」になれた。
だから20話の回想で晶馬に果実を丸ごと貰った陽毬も
最終話で「その運命の続き」として冠葉に半分の林檎を手渡した。
だから16話のフグ毒で死に掛けた真砂子も回想で
予め23話の冠葉が「運命の列車に乗ってテロ活動をする」運命を見た。
「運命の列車」は「銀河鉄道の夜」と同じ。
列車の旅から降りて現実に戻る乗客の未来に起きる事、つまり運命が予め見えるシステムなのだ。 また、1話アバンの晶馬の台詞
「『あの時』から僕たちには『未来』なんて無く、
ただきっと『何者にもなれない』って事だけがはっきりしてたんだから。」
の『あの時』とは「13話の両親の指名手配の時」だろう。
確かに彼らの『未来』は絶望的だった。
しかしその後の高倉家のリフォームで『何者にもなれない』晶馬も『陽毬の本当のお兄ちゃん』になれたし
最終話の運命の歯車「こどもブロイラー」によって透明にされた乗り換え後の世界でも
「熊のぬいぐるみ」に込めた手紙によって「晶馬たちの命」は陽毬の中で未来に繋がっているのだ。
その陽毬に幸せな『未来』を与えられた結末は両親指名手配時の『未来』が無くなってしまう前に
兄弟(晶馬だけ?)が「箱の中」で運命を見ていたからだ。
未来が無くなる前の光・希望を回想によって思い出した。
運命とは因果、原因と結果がつながっているもの指すのだ。
それは「過去と現在」「現在と未来」も同じだろう。 20話の「運命の果実を一緒に食べよう」と
24話のそれは本編の描写通りぜんぜん違うものだ。
20話は「果実を分け合ってない」が「運命の続き」として最終話で「初めて」分ける演出となっているし
その半分の林檎は冠葉に届く。
かつ「箱の回想」で冠葉が林檎を分け与える事によって「兄弟という上下関係」になる運命となった冠葉と晶馬だが
「運命の続き」で晶馬が冠葉に林檎を返す最終話によって「対等の関係」になれた。
ピンドラは面倒なほどニュアンスが細かい。
「りんごの計算」という大雑把で分かり易い画像がファンに流行った理由もわかるものだ。
私も分かり易いものには飛びつきたい、しかし「本編の描写から間違ってる」ものは考えてしまうのだ。
「それ本当に正しいの?」と ここで私のスタンスを話すが
私は「りんごの計算」を描いたピンドラファンの人を例え内容が間違ってるとしても悪だとは思ってはいない。
スキをテーマにしていたユリ熊嵐が大スキな私がそんな事を思うはずが無い。
また「りんごの計算」をダシにして考察をしているファンも悪だとは思わない。
但し、何者の考察にも囚われず自由にピンドラを考察している私に対し
「りんごの計算は正しい!」と自論(他者の間違った解釈に乗っかってるのに気づいてない思考停止の馬鹿)
を振りかざして来る面倒なピンドラファンが絡んできた事は何度も経験し、腹が立っているので
その手のファン達が再び私に絡んできたら今度はトコトン相手をしたい、と思うw あ、でもこのスレで「りんごの計算は正しい!」と自論を展開するピンドラファンには
私から絡んでいくと思うからヨロシクw
間違ったものは訂正してかないとなぁ、お互いの納得いくまで 私は間違ったものに対し「見て見ぬフリ」は出来ないからなぁ。
自省もしてるし、これから本当にピンドラを理解しているファンを増やす為でもある。 このスレはお互いのスキがぶつかりあう場所だから仕方ない。
ユリ熊嵐の屋上でありスキが試される断絶のコートでもあるし
ウテナの決闘広場でもあるのだから。
「あなたのスキは本物?」
皆さんのピンドラへのスキや「りんごの計算」へのスキを存分に語ってもらいたい。 しかしピンドラを理解すると逆にユリ熊嵐で分からなかった部分も
何となく「こうじゃないか?」と思えるようになるなぁ。
ピンドラを読み解くのは面倒だがリターンはある。
例えばユリ熊嵐のユリ承認バンクで銀子の「紅羽、私はあなたを食べる」という夢を2度見た後の
ユリ熊8話の「約束のキスを私に」で紅羽がデジャヴを感じた通り
紅羽が見た白昼夢はピンドラの「運命の列車」の演出と同じく未来予知だったのだろうな、とイクニさんの演出意図が読めるようになるし。 そしてユリ熊嵐を理解しているから私だからこそ
1話と最終話の賢治について話す少年達や
最終話で冠葉に林檎を返して「上下のある兄弟」から「上下の無い対等の関係」に変わる凄さも分かるのだろう。
ピンドラ最終話の「貰った林檎を返す」事とユリ熊嵐の「スキを返す・約束のキス」は一緒。
つまりユリ熊嵐のユリ承認で変身するウィニングモード(半熊半人)と
箱の中で飢餓に苦しみ、箱から出た後に賢治について語るペアルックの少年達は同じ演出なのだろう。
再び林檎を分け合った高倉兄弟も俗世のしがらみや断絶を越え「対等の関係」やユリ熊嵐でいう所の「本当の友達」になれた。
ピンドラ劇場版決定の時に1話のペアルック少年のデザインをしていたアニメーターさんが後悔していたインタビューを読んだ事があるが
ユリ熊嵐のウィニングモードと比べたらそりゃ後悔もするだろうな。
そしてユリ熊嵐の最終話、約束のキスを果たした紅羽と銀子が断絶を越え旅立ったように
冠葉に林檎を返し一緒に果実を食べた兄弟二人も楽園から追放されたアダムとイブのように
別の世界へと旅立っていった、というオチなのだろうピンドラも。 私にとってピンドラはずっと煽ってくる印象の悪い作品だったなぁ。
12年間ネットのファンの誰も理解出来てないし説明も出来なかった状態なのに
「愛の話なんだよ、何で分かんないかなぁ」と最初と最後で煽ってくるし
「何者にもなれない」は劇場版まで何の意味があったのか分からなかったし。
そしてサリン事件のオウムが起こした事件をモチーフにし
その子供も同じ罪を犯したのに
フィクションとはいえ、それ正しく償われたのか誰にも分からないまま夢オチで終わってるし。
だが「箱の回想」の演出意図を解けた'23年5月18日から
私がネット初のピンドラを理解出来たファンになるのもきっと運命だったのだろうなw まぁ1話のペアルック少年は地味だからオチが成り立つのであって
実際にウィニングモードみたいなのだったら伏線として濃すぎるから演出意図が似たものでも比べるのは違うけどなw ピンドラのアニメーターさんの後悔を反映させると
ユリ熊嵐で例えるなら絵本「月の娘と森の娘」の二人の娘の衣装をまんまウィニングモードにするようなものだろうしなぁ。
そうすると伏線が成り立たなくなってしまう。 「創作の世界」で現実と同じ事件を起こしたら
必ず現実と同じように裁かれなくてはいけない、と言いたい訳ではないが「やりたい放題」だなぁとは思うし
夢オチはその方面では投げっぱなしだな、とも思う。
まぁ最終話の眞悧の台詞の通り「利己的なルールが支配した世界」なんだろうが
私から見たら「やりたい放題」だな。
冠葉に殺された週刊実話の記者は乗り換え後の世界ではどうなったんだろ?
自分が殺される悪夢を見て飛び起きたから今後は強引な取材は気をつけよう、とか思ったんだろうか。
そっちの描写もしてフォローすべきだったと私は思うのに、ホント説明不足の尺不足。
小説版で書いとけば脚本さんの作業だけで済むだろうに。
ユリ熊嵐でも三毛別羆事件をモチーフにしてるが
あれは「熊に人間のルールは通用しない」で納得するし
現実の世界でも人を襲った熊は殺処分されてしまうので納得する、分かり易い。 まぁ「熊に人間のルールは通用しない」けど
では「人になりたい熊は?」と考えると
物語や世界観に深みが出てそこが面白いしんだよなぁ、ユリ熊嵐は。 ま、21話の冠葉に殺された記者は乗り換え後の世界で夢を見ていたってのは私の勝手な解釈で
殺されたせいで子どもブロイラーで砕かれたように乗り換え後の世界では存在そのものが消えてて
冠葉は酷い事をやったしその罪の償いも行われてない、って後味悪い解釈もあるけどな。 >>905
まぁ運命がテーマの話だからね、彼らに共感しちゃったらきっと辛いでしょう。
私は理不尽は理不尽でもご都合の理不尽だなぁって思うけど。
特に妹想いの高倉兄弟がダブルHに捨てられた陽毬の心の痛みに気づかずに余命宣告を迎える最初から
テロ事件を起こすまでに至る最後までの運命のずっとね。
高倉兄弟が持ち前のブラコンを発揮して気づいていればテロ事件を起こす運命にはならなかっただろう、と私は推測してるし。
まぁその場合でも伯父の家売却問題が冠葉一人に圧し掛かっただろうとは思うが。 '11年の洋画、空飛ぶペンギンを見た
ペンギンがクール便で送られてくる元ネタはこれの原作だったんだなぁ
放送当時に気づいて自サイトに書いてた人は二人居たようだが、情報助かるわ。
コメディで楽しかったな
ピンドラもこれ位最初から最後までコメディなら陰鬱な気分にはならなかったのだが
ペンギンが離婚した家族のつながりを再生するというピンドラと同じ作風。
ペンギンを飼育する為に部屋を寒冷地風にリフォームした所は
両親が失踪して泣いてる陽毬の為、兄弟がリカちゃんハウス風に家をリフォームしたシーンを思い出した。
そしてどっちも「居場所」の話でもあった、銀河鉄道の夜もだが。
物語の途中でペンギンを育てるのを諦め動物園に引き渡したが暖かい家の中ではペンギンは飼えない。
ピンドラ21話で家族を続けるのを諦めた晶馬が陽毬を伯父の家に行くように説得したシーンを思い出し
居場所を選べない陽毬とペンギンが重なった。
ピンドラの一番の謎も解けた事だし
これからは元ネタを見て理解を深めてくか。 空飛ぶペンギンの劇場公開はアメリカではピンドラ放送開始の三週間ほど前で
日本では公開されなかったそうだが
アメリカのアニメファンは映画の公開で元ネタも分かり易かったのかもなぁ。
また「空飛ぶペンギン」劇中でペンギンをクール便で送ってきたのは主人公の死んだ父親だったので
ピンドラでもペンギン達を送ってきた人物も剣山の関係者、つまりピングフォースなのかもしれんな、写真の通り南極に行った事があるようだし。
しかし9話で箱からピングフォースのシールが剥がれている。
これはどういう意図なのだろうなぁ?
23話では桃果の能力を封印するかのように眞悧はシールを貼り
劇場版ではシールを貼ってプリンチュペンギンを洗脳していたようだが。
仮に9話で眞悧の成すがままに陽毬がキスを受け入れた場合だと
ピングフォースのシールも剥がれなかった、という事なのだろうか? 眞悧のキスと眞悧のシール貼りは似たような演出、という事なのかなぁ?
キス繋がりでアンプルも。
つまり23話のあのシーンは眞悧が桃果の凸にキスしたようなものって事か? 結局「なぜ21話で晶馬は高倉家を出て行く陽毬に熊のぬいぐるみを持たせなかったのか?」
という意味不明な問題も「二人がそういう運命だったから」が答えだったのだろうなぁ。
制作者的にはそれが答えなのだろうが
視聴者側としては納得出来る答えにはなってないがw
何故なら、昔の晶馬は「陽毬にとって熊のぬいぐるみが何なのか」分かってなかったから
陽毬がこどもブロイラーに行く時に置いていった気持ちは分からないだろうが
熊のぬいぐるみの中に大切な手紙を入れた今の晶馬には「熊のぬいぐるみ」が大切なものだと分かってるはずなので
陽毬が忘れていった後はボ〜っとアルバムなんか見ずに
郵送の準備でもしておくのもまた彼っぽいと私は思うのに。
制作者と視聴者の解釈の違いなのだろうな。
制作者はどうしても「陽毬が熊のぬいぐるみを置き忘れた」という状況を作りたかったのだろう。
「そういう運命にしたい」のだから。
漫画版で陽毬は「伯父の家は氷の世界なんかじゃないけれど」と言ってるが
それも十分酷い想像かつ例えだなw
まぁこれも私の考察通り「20話の回想とリンクした"運命"だった」という事だろう。
ホント面倒な作品だ。
こっちとしては「熊のぬいぐるみの中に手紙が入ってる事を知らない21話の晶馬は偽者だ」とすら考えたのに。 陽毬はこどもブロイラーに行く時も伯父の家に行く時も熊のぬいぐるみを手放したが
この行動も陽毬という娘を捨てて居なくなった実母と同じ。
人形は陽毬にとっての娘のようなもの。
捨てる遺伝子は同じ、決まった運命。
そういう運命だが、兄弟は最後かつ劇場版に命をかけて熊のぬいぐるみを届けたのだろう。
そして陽毬が手紙を読む事で何者にもなれなかった冠葉と晶馬は「乗り換え後の世界」でも「陽毬にとっての兄」だったと証明出来た。
運命「こどもブロイラー」がすべてを奪ったとしても「大切な人に伝えたい言葉」が人の世界で輪ってくのだ。 ま、上手く辻褄を合わせようとするなら
結局、冠葉も晶馬も「兄としての自信」が無くなってたのだろうなぁ。
21話で陽毬が熊のぬいぐるみを忘れた時も届けるべきなのか?と思ったのだろう、おそらく。
劇場版の公開挨拶でもイクニさんと木村昴さんが追加シーンでの台詞について話してた通り。
ピンドラは冠葉と晶馬にとって兄としてのアイデンティティが揺らぎ失われそうな話だったのだろう。
私としては「面倒な奴ら」で潮干狩りで陽毬を見つける思い出の時だけで十分家族で兄だったと思うのだが
それに後からそんなに必死になるなら何故、不治の病になる前の
ダブルHに捨てられながらもグッズを集め応援してた陽毬の心の痛みに気づかなかったのだ?という話でもあるが。
ま、ユリ熊嵐のユリ裁判と同じように事ある毎に「兄としての存在」を試されてるという状況だったのだろうな。
プリクリはライフ・セクシーのような役割か。 ピンドラは運命の話だ。
愛の話ではなく(運命を変える)愛の話と言った方がより分かり易い。
さらに「(世界から消えてしまう運命になってしまった子供が再び世界とつながれるように運命を乗り変える為の)愛の話」
と言った方が分かり易い。
また、捨て猫にサンちゃんと名づけたから
その時の事を忘れたとしてもペンギンに再び3ちゃんというあだ名をつけたのもまた運命。
陽毬と晶馬が出会った時から「予め決まっていた運命」
そんな感じに私たちの暮らす現実世界から運命の理がちょっと大げさになった運命の世界なのだ。
そして、晶馬は陽毬に要らないKIGA林檎を丸ごと渡してしまったから
陽毬に高倉家の罰が集中する運命になった、と晶馬は勝手に信じ込んでいたのだろう13話や20話の通り。
一々感情的になって喚き散らして晶馬はそこが面倒な奴だったな、親が罪を犯したら社会は子供全員に罰を与えるというのに。 放送当時ここ(2ch)で作ってたまとめwikiも
「りんごの計算」と似たような表が書いてあるようだな。
ttps://w.atwiki.jp/penguindrum/pages/15.html
おそらく2chの連中も絵を見て「同じ解釈になった」と興奮しちゃって
その解釈を信じたファン達は下手に自信がついてしまったのだろうなぁ。。。
実際は間違ったものを10年間信じ続けていたのだが。
お前ら、晶馬が陽毬にあげたKIGA林檎は丸ごとだったシーンをもう一度確認しろよ。。。
「りんごの計算」の絵を描いた人だけが間違ってた訳ではない、2chを通じて「計算が出来る」と勝手に信じて増えていったネット民みなが間違ってたのだ。
本編をよく見れば20話で陽毬は晶馬から「林檎を丸ごと貰ってる」という見方が正しい。
そして丸ごと渡したから後々陽毬に高倉家の罰が集中する運命になった、と晶馬が信じ込んでいるという解釈が正しいのに。
しかも陽毬が林檎を丸ごと持ってる描写は数度あったのに何故「りんごの計算」を信じているファンは皆、確認を怠っていたのかなぁ?
思考停止してたからかイクニさんの演出意図が分からなかったのか皆同調圧力に呑まれていたのだろう。
まぁ本編の見落としして間違った考察をするのは誰にでもあるものだ。
私も一時期「乗り換え後」の池辺家内部の背比べに気づかず「兄弟のリフォーム時に世界線が変わっていた」と間違った考察していた事があったので
とやかくは言えん。
実際は「乗り換え後の世界」は「10年前の兄妹3人の出会いから運命が変わって、陽毬は池辺家の養子になっていた。」という解釈の方がより正しかった訳だが。
現在ピンドラの再放送中で次回は20話だが
これからの放送ではどれ位のピンドラファンがまだ「りんごの計算」を信じているのかも見ていこうと思うw、ツイッターとか そういや、陽毬を庇ったせいで怪我をした母が病院に運ばれたから、その後テロリストだとバレた。みたいな書き込みを見たが
それ位でバレるなら嵐の日に陽毬が熱出してテロ犯の父が背負って病院行った過去の時点でばれてる筈だろうし
母は'95年のテロ事件当時は晶馬を出産直後でテロ事件には参加してないのだから
簡単にバレるとは思えないなぁ。
可能性があるとするなら「病院で高倉夫妻が揃った状況」が
病院内の人間に嵐の日の陽毬の入院時より気づかれ易かった、という所かな。
それに嵐の日は他人の事や過去のテロ事件を考えてる余裕なんて無いだろうしな。
つまりその解釈もアリという事だろう。 ホントこの作品はどうなってるのか一々考えるのも大変なものだ。
例えば、熊のぬいぐるみに入った手紙にしても陽毬が一度でも抱きしめれば
「乗り換え前の世界」だろうと気づいたはずである。
しかし気づかなかった理由はおそらく
小説版に書いてある通り破れた部分には「盲腸の手術痕」という設定があるからだろう。
兄弟が行った「手術」は間違いなく「下手」だったのだ、抱きしめたらまた傷口が広がる位。
だからずっと人形は抱きしめられないままだったのだろう。
陽毬は兄弟と違って裁縫が得意なのだから後々自分で直せば良いものを
兄弟が直してくれた事に意味があると思っていたから
直さず抱きしめもしなかったので乗り換え後の世界まで手紙が残っていたのだろうな。
つまり人形に手紙が入れられた時から乗り換えるまでの3年間に加え
乗り換え後の世界で10年間
足して約13年もの間、熊のぬいぐるみは一度も陽毬に抱きしめられる事無く
乗り換え後の世界の陽毬は人形遊びを卒業してしまい
危うく捨てられる所だった、のかもしれない。
そして最終話の3月20日を越えた春の時期にようやく兄弟が繕った縫い糸が切れたのだろう。
10年以上切れなかったとは糸自体は割と丈夫だったのだろうなぁ。
そして10年以上経ってるから手紙も古く黄ばんで居た、と。
私はそこまで繊細な人間では無いのでここまで高倉兄妹の関係性を読み解くのに時間がかかったなぁ。。。
しかし私以外のピンドラファンも誰もここまで読んでる考察は見た事が無いので
やっぱりこれも私が初めてなのだ。 だったら尚更、21話の晶馬が人形を陽毬に届けるべきなんだけどなぁ。
そして21話で人形を「大切なもの」だと言ったばかりの陽毬が池辺家に持ってくのを忘れるのは不自然だと思ったが
まぁ良い歳した女の子が親戚に厄介になる時に人形を持ってくのも変、という考えもあるのかもしれない。
陽毬自身は分別をつけようとしたのかもなぁ。
池辺家に厄介になる以上、子供っぽさや「可愛い」とかは捨てなければいけないと。他人行儀だが。
さらざんまいのサッカーボールを捨てた悠みたいなものか。
ホント細かい所まで読まないといかんのがピンドラの彫りの深い所でもあるが面倒な所でもある。
「手術が下手だったから抱きしめられなかった」のならそう小説に書いといてくれよ。
イクニさん、読者に「察する力」を求めすぎじゃないの?
でも「20話の回想とリンクした運命にしたかった」という制作者目線の理由もあるのだろうし
陽毬を捨てた母親と同じ行為をしている状況も作りたかったのだろう。
また、21話の陽毬は晶馬と別れる為にマフラーを返し、晶馬の決断を認め「20話の回想」という運命とは違う道を歩もうとした。
話は逸れるが、20話の回想で晶馬が子供ブロイラーで陽毬を見つけられた理由は陽毬がマフラーをつけてたからと推測。
で、マフラーが無くなったから陽毬を見つけられなくなったんじゃないかなぁ?と勝手な妄想。
そして、最終話
晶馬は「運命に無駄な事なんて一つもない」と言っていた苹果に感化されて
「20話の回想」も無駄にせず「陽毬を介して冠葉に林檎を返す為」に使ったのだった、運命のリサイクル。 資源ゴミと不燃ゴミの違いが地域によって変わるように
「子供にとっての大切なもの」も育てる親によって変わるものなのか。
可愛いものが好きな親なら大切にしてくれるし
可愛いものが嫌いな親ならゴミのように捨てられる。
池辺夫妻がどっちのタイプかと言ったら
最終話の乗り換え後の世界でも熊のぬいぐるみがあったように
大切にしてくれる方だったのだろう。
熊のぬいぐるみも「乗り換え前の世界」と変わらずリサイクルされていた。
ピンドラ世界にとって「分別をつける」ってのは
ゴミの仕分けでもあるし
大人が用意した居場所に子供が適応する事でもあるのだろうなぁ。。。
子供にとってどんなに大切なものだろうと居場所(運命)が変わる時、勝手に分別されたり自分で分別したりして
要らない物はこどもブロイラーで粉々にされてしまうんだ。。。 21話で池辺家の子供になる為に熊のぬいぐるみを置き去りにした時の想いを
分別をつける為だと仮定するなら
結果的に陽毬の取り越し苦労だったって事なのだろうな。
・・・と言っても「運命の乗り換え」の設定は我々の暮らす現実世界ではあり得ないもので
「銀河鉄道の夜 第三次稿」のジョバンニの切符みたく「乗り換え前(夢)の世界」で貰ったアイテムを
「現実(乗り換え後)の世界」に持っていける、という設定になっているのだろうし
それで熊のぬいぐるみも持っていけた。
また、「乗り換え後の世界」では陽毬は10年前から池辺家の養子で
熊のぬいぐるみも10年前からずっと兄弟に補修されたままの状態という奇妙な設定で
(乗り換え前の世界では兄弟が補修した時期は3年前)
一般的なループものにおける世界線の並行移動では説明出来ないものだろう。
やはり「銀河鉄道の夜 第三次稿」の設定を元に「運命の乗り換え」を説明するのが一番分かり易いのだ。 こどもブロイラーにいつの間にか多蕗もそうだろう。
要らない個性を砕かれて社会に適応し易い透明な存在になる。
しかし未来に発芽する鳥篭の中の「生き物がスキ」という気持ちまで自ら捨てようとしたので
桃果に止められたのだろう。
そして救われた多蕗の生き物への想いは実り、彼は生物教師になれたのだった。
ピンドラは「(世界から消えてしまう運命になってしまった子供が再び世界とつながれるように運命を乗り変える為の)愛の話」である。
ピアノが出来なくなった多蕗は世界から消えてしまう運命だったが
「生き物がスキ」という欲求が彼を世界につなぎとめたのだ。
そして世界から消えてしまう多蕗の運命を変えたのは桃果だろう。 細かい所まで見るようになって今更気づいたがこの作品の地下鉄は懸垂式モノレールなのに
13話とか24話での桃果と眞悧が立つ場所には線路があるんだよなぁ。
モノレールに線路が必要なはずも無く13話みたく天井にレールがあるのが普通だろうに。
つまり桃果と眞悧の居た場所はモノレールになる前の「'95年以前のT-tube時代の線路」って設定なのだろうな。 21話が再放送されたか。
18話の回想でこどもブロイラーから多蕗を救ったのは桃果だが
あれは今回18話のラーメン屋跡地で高倉夫妻の遺体を見つけ途方に暮れた多蕗を見つけるゆりとの運命も暗示していた、と私は解釈している。
何故なら18話の桃果の「帰るわよ!」の台詞と
21話のゆりさんの「さぁ帰りましょう、私たちの家に」の台詞がそっくりである。
何より「18話の桃果」が「15話の桃果」よりキツそうな性格をしてる理由は
「18話の桃果にはゆりさんのイメージが入っているから」だろうw
つまり多蕗の18話の回想も「多蕗と桃果が出会った時から予め決まっていた運命」で
その後「運命の乗り換え」で桃果は自身の運命をゆりに譲った。
だから最後に多蕗はゆりと結ばれた、と私は解釈している。
桃果が運命日記の通り「多蕗に恋していた事実」には間違いないだろう。
「多蕗のピアノを隠れて毎日聴いていた」という苹果と同じストーカー気質を告白しだす所からも分かるように。
そして5話の日記通り、桃果はその恋心を「自分という箱」に隠していたのも間違いない。
だから15話回想でゆりが日記に触れるのを止めさせた。
仮にゆりに日記を見られたら「3人の友達関係」という桃果の大切な世界が壊れてしまうのだから。
にしてもあの状況でもよく「乗り換えに近づいては駄目!」と中二病的な台詞が出てきたもんだw
15話は昔は感動したのだが節々の違和感に気づき、その理由を考えて世界観が分かるようになってくると
「うーむw」って感想になるな 同様に15話の回想の桃果には「多蕗のイメージ」が入ってるのだろう。
だから15話の桃果は多蕗みたく草食系で生き物に優しくて「他の回の桃果より女の子っぽい」
そして「22話のゆりが多蕗を病院のベッドで見舞うシーン」も「15話のゆりが桃果を病院のベッドで見舞うシーン」とリンクしている。
つまり15話の回想は「桃果とゆりが出会った時から予め決められた運命」
そして桃果は自身の運命を「運命の乗り換え」で多蕗に譲った。譲ったから多蕗がゆりと結ばれた。
私事だが15話の桃果は多蕗のように女の子っぽいから
百合が好きな私に一度刺さったのだろうなw
「何故桃果の性格が回想によって変わるようにしたのか?」という疑問からイクニさんの真意に気づくと
百合好きとして鳥肌が立ってくるようだ
「なんてモノ(ノンケ)を百合だと錯覚させてくるんだ」って感じでw まぁ回想と違って「本当の桃果」は運命日記や妹の苹果に受け継がれた遺伝子通り
妄想癖が強くてストーカー気質なのだろうなぁw
劇場版で初めて真の桃果が登場したが
私のイメージとちょっと違うというか
「多蕗に恋したけどゆりに譲ったから二人は現世で仲良くやってて自分ここで一人寂しい」現世の未練を
ちょっとでも語ってくれたら
私の桃果のイメージと重なったのに・・・って思ったな。
それとも10年も前の事だったら流石に吹っ切れてるのかなぁ。
プリンチュペンギンは多蕗とゆりの息子のペンギンか?
と劇場版公開前に一時期妄想していたのを思い出す。 この作品には「自分の運命は他者に譲る事が出来る」みたいな設定がある、と私は思うんだよなぁ。
でなければ最終話の「乗り換え後の世界」で高倉夫妻とは血のつながりの無い陽毬が
池辺家(旧高倉家)で養子をやってるはずも無いのだから。
陽毬が高倉夫妻の実子である晶馬から運命を譲られたから
本来、池辺の養子として育てられるはずの晶馬の代わりに
池辺の養子になる運命に変わったのだろう、と私は思っている。 で、冠葉は真砂子に夏芽家の跡取りになる運命を真砂子に譲って
陽毬の代わりにこどもブロイラーで粉々にされる運命を引き受けたから
最終話でガラスのように砕かれた、のかもなぁ。。。 「運命の乗り換え」の設定がある程度分かってくるようになると
冠葉は少なくとも2度は自力で乗り換えしてたんだろうなぁ、と思えるようになった。
一度目は夏芽父が真砂子とマリオを手元に残すと言った時。
冠葉が自分を残すよう父を説得し、妹弟の運命を変えたのはまさに「運命の乗り換え」で
冠葉の熱意が父の本来の方針を変えた、という事だろう。
ピンドラ世界の子供たちは皆、自分の居場所を決められないけど
きっと自身の居場所を他者に譲る事は出来るのだろう。
そして父を説得し方針を変えさせた冠葉の熱意は正に「蠍の炎」そのものだったのだろうと推測する。
だが乗り換えが終わった後、冠葉は父から愚痴を聞かされる羽目になったんだろうなぁ
「お前を選ぶんじゃなかった」はおそらく冠葉が運命を変えた代償だったのだろう。
・・・一時期、夏芽父は冠葉が後腐れなく高倉家の子供になれるよう
あえて突き放すように「お前を選ぶんじゃなかった」と言ってたのかなぁ?と想像したが
22話で父はどの子を選ぶか言ってたし、そこは素直に受け取るべきだったって事だな、
ピンドラは素直に受け取れない描写が多いのでうがった見方をしてしまうが。 冠葉2度目の「運命の乗り換え」は
高倉家の壁をペンキで塗った「高倉家のリフォーム時」だった、と私は推測する。
仮に冠葉が高倉家をリフォームを提案しなければ
少なくとも兄妹3人は池辺の伯父が親戚と手分けして育てる為に離散する運命だった、と推測される。
そして晶馬も一時その運命を受け入れていた。
しかし冠葉がリフォームを提案し「責任は俺が取る!」と兄らしい姿勢を見せたので
晶馬は冠葉を初めて兄だと認め、3人で家族として再び生活していこうという希望を持てた。
つまり、冠葉の熱意(蠍の炎)が運命を変えた。
この2つのシーンから分かる通り
「蠍の炎」の本質とは「他者の信念を変えるだけの熱意」と推測される。
また、最終話の罰を受けてでも陽毬を救う為に呪文を唱えた苹果も
不変の呪われた運命を受け入れかけていた晶馬を変え、彼も自己犠牲をしてでも陽毬を救うと決めた。
つまり呪文を唱えた苹果の行動が晶馬の意識を変えたのだ。 そして高倉家をリフォームし運命を変えた代償が
熊のぬいぐるみを破った事じゃないかなぁ?と推測している。
人生や運命は幸福な事ばかりではなく
しわ寄せでどこかに不幸も起こる、それが代償ではないだろうか。
にしても熊のぬいぐるみを破った兄弟は
何故「大スキだよ」と手紙を書いて人形のお腹の中に入れておいたのだろうか?
「箱の回想」と「高倉家のリフォーム」を合わせて考えると
本来、兄弟は高倉家のリフォーム完成時に陽毬に「大切な人に伝えたい言葉」も言うつもりだったのだろう、と考えられる。
そして兄弟も満足し、例えその後に兄妹3人の生活が終わる運命が来たとしても受け入れられたのだと思う。
しかし熊のぬいぐるみを破ったせいで陽毬を泣かせてしまい兄弟の計画は完璧に上手くはいかなかった。
だから兄弟は「今度は上手くやりたい」と熊の中に手紙を閉まって
兄妹3人の生活が始まったのではないだろうか?
といつもよりも妄想を広げてみた。
明日はサリン事件の日か。。。 高倉家のリフォームし「責任とってでも兄妹3人で暮らす!」と決めた冠葉の熱意は
晶馬だけでなく池辺の伯父の方針も変えたのだろうしなぁ。。。
晶馬の意識が変わるのは分からないでもないが
池辺の伯父はテロ事件の兄宅を目立つ壁に塗った甥に対して
血の気が引いたり逆に冷静になって「駄目だこいつ、早く親戚で手分けして育てないと」とか思ったりしなかったのかなぁ?
子供を育てた事が無いから基本的に放任主義なのだろうか? 仮に冠葉が運命の乗り換えをしなかったら
高倉家の子供は真砂子、晶馬、陽毬、マリオの4兄弟になっていた可能性もあった、って事なんだろうな
・・・纏まるのか?
マリオを中心にして皆で可愛がれば纏まるのだろうか?
そして夏芽冠葉は祖父に訓練されて女に不自由する事なくサクセスロードを歩いていったのだろうか?
代わりに大切な人との運命の出会いは中々無さそうな気はするけど。 高倉家のリフォームは運命の乗り換えというより
自分たちの居場所を作ってる、運命を作っているとも言えるのか。
コメンタリで木村昴さんも言っていた様に。
そしてその作った運命は劇場版の追加カットのように砂浜に立てた砂上の楼閣のようなものでもあって
脆く壊れてしまうのだった。
つまり高倉家のリフォームは「運命の乗り換え」には当て嵌まらないのだろうな。
終わるはずだった高倉兄妹の運命を続けるための行動って所か。 今日は地下鉄サリン事件の日
この作品の兄弟は親と同じ運命に導かれたようにテロ事件を起こさざるを得なかった可哀想な子供たちのように
見えるがそんな事は無い。
陽毬が「デビューしたダブルHに置いてけぼりにされたようで辛い」という気持ちを兄弟に打ち明けていれば
彼女は病気にはならなかっただろうし
兄弟だってその陽毬の気持ちを汲み取れる機会は幾らでもあっただろう。
そうすれば1話みたいな不治の病で妹死亡どころか冠葉も人殺しまでする必要は無かった筈だ。
この作品は愛も罰を分け合うという教訓が込められているが
「お互いの気持ちを話し合う」という当たり前かつ大切な教訓も込められてるのだ、とファンも気づけたら良いなぁ。
そして22話で冠葉の行動を見て見ぬフリをした事を後悔し自殺した陽毬を反面教師として
プリプリのように家族の運命に口出しする位の気概を持ってくれたら言うことは無いんじゃなイカ? イクニさんも何でこんな作品を作ったのかと考えるが
'11年に起きた震災とかつての'95年という時代に繰り返される運命を感じちゃったんだろうな。
これはピンドラ劇中の箱の回想の「予め決められた運命」で設定レベルで盛り込まれている。
また「銀河鉄道の夜」もよくある一般的な解釈で伝えられる「死者を運ぶ列車」ではない。
イクニさん独自の解釈であろう「運命共同体に未来に起きる事を予め見せる回想列車」として作中で用いていたのだろう。
また、闘病していたウテナ役の川上とも子さんの死と
宮沢賢治の妹トシ子が重なってしまったのだろうし、私にはそう思えた。
繰り返される運命、人は何の為に生きるのか。
サリン事件の再来は創作ゆえに過激な運命を求めていたのだろうなぁ
あの当時も現実でも事件まで繰り返されなくて良かったわ。 サリン事件もホント狂乱した集団によるテロ事件と他人事のように思わず
心の隙間を突かれたら誰でもああなってしまう可能性がある、と肝に銘じておかないとな。
人相手なので教訓にパターンがあって分かり易いし伝え易い三毛別羆事件より厄介なのが癪だが。 事件の日に際して何故私がピンドラを理解するのに時間がかかった理由も考えると
私は「運命」にとことん興味が無かったからだろうなあ。。。
運命はオカルトだと思っているのか
繰り返されるキャラの台詞も馬の耳に念仏とばかり聞き流していた。
ピンドラ劇場版からだったからなぁ、運命に本格的に興味を持ち始めたのは。
「犬神家の一族」を見たのも運命に興味を持ち始めるきっかけだったのかもな
ピンドラばかり見ずにパロディ元も見たりして視野を広げたから
結果的にピンドラを俯瞰して見れるようになったのかもしれない。 だけど分かるようになっても私は運命には興味無いわw
さらざんまいの誓みたく運命は面倒だと思ってるタイプ
でもここまで運命に支配された世界観を創る為には
相当才能を注ぎ込んだのだろうし
イクニさんやスタッフさん達の蠍の炎のような熱意は感じてるよ。 だけど桃果の運命日記を持っていたのに
ゆりが桃果の同級生だと14話まで気づかなかった苹果の間抜けさは不自然だし
運命日記がどういう設定のものなのか?
それとも単に視聴者を驚かせたくて苹果と運命日記の設定を失念したまま書いた脚本のミスなのか?と
今でも気になる部分もあるけどね。 高倉家のリフォームの方は「運命の乗り換え」とはちょっと違うか。
あれは兄妹の列車の旅の終着駅に急に着いてしまった運命を無理して延長したようなものだろう。
本当は高倉夫妻の失踪によって3兄妹の運命の列車の旅も終わるはずだった
しかし冠葉がリフォームの提案をして旅を延長したのだろうな。
そして最終話で世界から消える陽毬を救う為に呪文を唱えてくれる苹果をようやく見つけた。
兄弟による無茶な延長の旅もそこで報われ、冠葉も希望の光が見えたから成仏していったのだろう。
そして「乗り換え後の世界」では冠葉と晶馬どころか「高倉家」まで
初めからこの世界に存在していなかった事になったが
それでも海賊熊のぬいぐるみだけは繋がっていた。
しかしずっと疑問なのだが
なぜ「乗り換え後の世界」では陽毬を拾ってくれたのが高倉家ではなく池辺家になっていたのだろうなぁ?
都合良すぎかつ説明不足だろ、と思ってしまうが
「乗り換え前の世界」で起こった出来事は「乗り換え後の世界」でも起きるって事なのだろうか。
池辺の伯父の「陽毬はウチで面倒を見る」という口約束も繋がっていたという事なのだろうか?
或いは20話の回想で集合住宅に居た陽毬は実はその時点で池辺家の養子だったが
それでもあの場所に母の姿を求めて毎日訪れていたのだろうか?、池辺夫妻に内緒で。
そして企鵝の会の演説に飽きた晶馬と出会ったのかなぁ。。。 すごい粘着質のいるけど
この手の輩は何も生み出せない自分と作品を生み出した作者を同格か
何だったら自分の方が上位ぐらいに置いてるから誰とも対話できないんだよな
失念がどうの喚いてるのキツイわ
作品や作者が自分の思い通りにならないって当たり前の事なのに
何故か設定や描写に不備があると思い込む認知の歪みヤバい それ全てあなたの自己紹介になってますよ、
でも理解した。
だからここの住人は君みたいに私の解釈の間違いを指摘出来なかったし
自分らが信じる「りんごの計算」「三兄妹の間でのピングドラムの輪り方」間違いにも13年間気づかなかったのだろう。
「13話回想」「21話回想」など「20話の回想」以降の運命の果実を分け合った後も
陽毬がKIGA林檎を一個丸ごと持ってる描写を間抜けにも気づかず
「晶馬は箱の中で冠葉から貰った半分の林檎を更に分けたんだ」と本編の描写には無い根拠の無い妄想を作り、信じ続け
誰もその間違いを指摘出来なかった。
或いは間違いを指摘していた賢いピンドラファンも居たのだろうが
>>942のように怒りの感情によって知性を無くした妄信信者が調圧力によって排除していたのだろう。
イクニさんや脚本の伊神さんは「放送後も視聴者が考察を語り合ったり出来るように空白を作っていた」ようだが
>>942のような厄介な自治厨が居たから10年間ピンドラ考察が変わらなかったのかと想像すると、イクニさんらの思いは半分届かなかったようで残念だ。
対話とは努力だと私は思っている、他者を理解しようとするという不断の努力。
だが君は>>942自己紹介通り最初からその努力を怠っていた。
そんな貴方に対話云々を語る資格は無い。
対して私は他者を理解しようとする努力を怠らなかったから
「何故、20話の回想でも陽毬はKIGA林檎を丸ごと一個持っていたのか?」というイクニさんの意図を読めたし
「りんごの計算」やピンドラまとめwikiに書いてある「こどもブロイラーで晶馬⇒陽毬へ半分渡す」も
アニメ本編の描写とはかけ離れた「視聴者それぞれの勝手な妄想だ」と気づけた、面倒臭かったけどw。
「きっと何者にもなれない」とは運命が辿りつく未来の事だが
間違っていた「りんごの計算」もこれから語られる事は無くなっていくだろうから忘れられる運命だろう。
或いは忘れられなくとも「放送当時のネット上のピンドラファンは妄想でこんな間違った事を皆で信じてたんだなぁ・・・」
と新規ファンからは反面教師として語られていく運命だ、と私は未来を思う。 また「空白の余地を残した作品」を作った結果、未来の感想が賞賛ばかりが続くとは限らない
私のような「疑惑の目」も向けられるのも仕方ないだろう「空白の余地を残した」のだから。それもまた運命。
さらざんまいの通り「希望も絶望も命と共にある。」
何かを選んだ結果、全部良い事ばかり起きはしないのが多様な価値観を持った人々が暮らすこの世界というもの。
もしも「空白の余地を残した作品」は「賞賛しか認めない」というのならそれはユリ熊嵐でいう所の「傲慢」だろう。
ピンドラの後にユリ熊嵐を作ったイクニさん達はそんな事は思わないはず、と勝手ながら期待してしまう。
イクニさんらは大変だろうが
より正しい解釈、制作者の意図を求めようとする意思は受け止めて貰いたいなぁ・・・
或いは受け流してもいいよ?、と私は感じている。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。