「弱さ」という言葉には、権力や経済力、暴力に虐げられた善良な市民といった響きが意図するしないにかかわらず感じられます。
変な話ですが、現代の日本は「弱さ」という言葉はあらゆる攻撃からの免罪符になる力を持っています。

私も、人間というものは基本的には弱い存在だということに異論はありません。
しかし、この弱さを克服したいという気持ちが皆の共通の目標であることで社会は成り立つと考えています。

人の目のないところでこっそり物を盗んだり、ずるいことをするというのは人間の弱さです。
いろんな犯罪はこの弱さから発生しています。社会規範や倫理道徳を守れないのも弱さです。

弱くて良いという選択をしたら、殆どの人間の自堕落な行動は正当化されてしまいます。
弱さをうりものにしていれば、悪人の傍若無人なふるまいを見て見ぬふりをしても正当化されます。

「弱い」という事実を認めることと「弱くて良い」と主張することは全然違います。
弱いのはしかたのないことですが、弱くて良いといってしまうことで、全ての責任から逃げているのではありませんか。