【リレー小説】TPパニック 〜 殺し屋達の絆 〜
舞台は台湾の首都台北
主人公は台湾マフィアお抱えの殺し屋ファミリー「タオ一家」三男マルコム
通称「マル」、ただし偽名である
彼らは互いの名前をイングリッシュ・ネーム及び偽名で呼び合い、誰もその本名を知らなかった 刑事二人が小吃店で並んで涼麺を食べながらTVを観ている。
モンキーズ対ライオンズの試合が中継されていた。
「12対13か。いい試合だな」
「しかし我が国のプロ野球の超打高投低はどうにかならないんですかね」
「大規模な八百長やってた頃のがまだ人気あったな」
「大王様も日本のプロ野球に行ったらさすがに四割打ててませんし」 刑事部長が入って来て、隣に座ると言った。
「コラ、お前らはプロ野球解説者か?」
「あ、すいません」
「ハハ……」
刑事部長は持参したペットボトルの水を飲むと、言った。
「タオ一家の奴ら、今までは国内のマフィア同士の抗争に関わる仕事を主にしていたが……」
「今回は香港マフィアでしたね」
「その前は政治家」
「何かが変わったのか知らんが、あまり良くない兆候だな」
「今まで通り、カス共の間だけでやっててくれりゃよかったのに」
「いや、それも良いとは言えんが……」 「今回は『人喰いゴスロリ人形』の仕事か」
「えぇ。例によって男根が切断されていました」
「喰ったのかなぁ……」
「目撃者は?」
「いません。被害者のボディーガードはすべて薬を飲まされ眠っていました」
「女を手配したチンピラがいるだろう」
「そいつが行方不明で……」
「ふむ」刑事部長は涼麺を一啜りすると、言った。「やはり『逃がし屋』がいるな」 金髪男が刑事部長の隣に突然座ると、言った。
「俺の名はヴェントゥス」 「またお前か……」
「誰だ?」
「わかんないけどヴェントゥスって名前の奴です」
馬鹿にするような目で見て来る刑事達に、ヴェントゥスは阿呆を見る目で見返すと、立ったまま言った。
「おい、お前ら、これはいつリレー小説になるんだ?」
「うっ」
「それは……」
「だって……」
狼狽える刑事達をもう一度見下すと、謎の金髪男ヴェントゥスは、何も注文せずに店を出て行った。 出て行き際に、ヴェントゥスは呟いた。
「おい、俺を登場させた奴! 俺をどうにかしろ!」 「おい! ヴェントゥス!」
後ろのほうから声を掛けられ、ヴェントゥスは振り向いた。
人混みを掻き分けて短く刈り上げた金髪の大男が笑顔で手を振っている。
タオ一家の次男、ガンリーだった。 「いや……、俺らって知り合いなの?」
ヴェントゥスが不思議そうに言うと、駆け寄って来たガンリーは豪快に笑い飛ばした。
「いいじゃねーか、金髪同士、仲間ってことにしとこうぜ」
「テキトーだな」
「いーんだよ。リレー小説なんてテキトーなもんだ。で、どこ行く?」
「え?」
「遊びに行こうぜ!」
「あー……。じゃ、QQタイム」
「は? それって駅前のマンガ喫茶のこと?」
「飙速宅男(弱虫ペダル)読みたい」 二人はマンガ喫茶QQ タイムの個室に男二人で入ると、黙々とマンガを読んだ。
ヴェントゥスは「弱虫ペダル」の中国語版、ガンリーは陳某の三國志アクション物の「火鳳燎原」を選んだ。 「ガハハッ! こんな北斗の拳みてーな三國志あるかいな!」
大笑いするガンリーを煩そうに見ながら、ヴェントゥスは愛想笑いをする。
「お前、そんな日本の少年マンガなんか読んでんじゃねーよ」ガンリーが突っ込む。
「いいだろ。それにこれは自転車マンガだ。スポーツ自転車の販売台数は我が国が世界一位二位を独占してんだぜ」
「どーでもいいぜ! 読むなら自国のマンガ読めっつってるだけだぜ」
「いや……、それ、作者香港人だろ」
「同じ華人だぜ」
「大体、ここに置いてあるマンガって……」
9割以上が日本のマンガだった。 「戦神、呂布かぁ」
ガンリーは「火鳳燎原」を読みながら、いよいよ登場した呂布に感動した。
https://i.imgur.com/vC4uWgn.jpg 「俺も戦神とか呼ばれてーなぁ」
無邪気にそんなことを言うガンリーに、ヴェントゥスは真顔で言った。
「何言ってんだ化け物の分際で」
「化け物? 俺が?」
「あぁ。素手で人間の体を千切れる奴なんて、お前ぐらいだろ」
「化け物かぁ」ガンリーの顔がみるみるにやけた。「大陸の『黒色悪夢』と戦っても俺が勝つかな?」 「失礼します」
マルコムはタオ・パイパイの部屋のドアをノックすると、お辞儀をしながら入室した。
「お話とは何でしょう、お父さん?」
「まぁ、座れ」
タオ・パイパイはソファーに座るよう、マルコムに勧めた。
テーブルの上の菓子皿には、幼い頃にマルコムの大好物だったソフトキャラメルが山盛りになっている。 「お前、今のタオ一家をどう思う?」
唐突にそう聞かれ、しかしマルコムは即答した。
「おかしくなってしまっています」
「そうだろう?」
「ええ。みんなまるで快楽殺人鬼だ」
「お前に相談してよかった、マル」タオ・パイパイの顔が緩んだ。「その通り、ワシらは殺し屋だが、殺し屋とは快楽殺人犯のことではない!」 「最近」マルコムは父に言った。「仕事の質が変わりましたよね」
「む」タオ・パイパイは少し嫌そうな顔をした。
「依頼元に変化があったのですね」
「それは……」
「もちろん」マルコムは父が何か言おうとするのを遮った。「依頼人のことを知りたいとは思いません。僕らは依頼された仕事をただこなすだけでいい」
「うむ」
「ただ、そのことが兄さん達や妹の快楽殺人鬼ぶりに拍車をかけている」 「お前にだけは話しておこう」
タオ・パイパイはそう言うと、ソファーに深く座り直した。
「以前は台湾内部の抗争に関わる仕事が主だった。しかし、お前が言う通り、ここ最近、事情が変わって来たのだ」
「大陸と……日本のヤクザですね?」
「何でもお見通しだな、お前は」タオ・パイパイは瞠目し、すぐに目を瞑る。「その通り。今は内部で結束するべき時なのだ」 「台湾独立運動が本格的に始まったのですね」マルコムは言った。
「しっ!」タオ・パイパイは声をひそめた。「どこに耳があるかわからんぞ」 「そうなると中国とは戦争です」マルコムは小声で言った。
「あぁ。そのために、今フォルモサ(台湾)に入り込んで来る大陸側の人間及び内部の外省人をふるいにかけておる」
「僕らはまるで裁判官、そして死刑執行人というところか」
「そう言うと聞こえが悪いが、これは必要なことなのだ」 「そしてそこに日本のヤクザも絡んで来る」マルコムはそう言うと、コーヒーを飲んだ。
「ウム。大陸との取引のある日本のヤクザが全面的協力を申し出た」
「中国人は本当に根回しが得意だな。我々も見習わなければ」
「無理だよ。我々は真面目すぎるくせに面倒臭がりで、しかもそのくせ自分大好きなのだ。統率力では中国に敵うべくもない」
「しかも優しすぎる」
「とにかく」タオ・パイパイは話を戻した。「ワシら一家を日本のヤクザが狙っておる」 「何となくそんな話ではないかと思ってはいました」マルコムはそう言うと、ソフトキャラメルを一個、口に放り込んだ。
「そんな時に一家が互いの命を狙い合っておる。これではいかん」
「ターゲットが国際的になって来て、みんな自分の凄さを競うように楽しんでますし、ね」
「かと言って台湾独立の話など大っぴらにはできん。襲い来る巨大な敵を相手に家族一丸とならなければならんのに……」
「ええ」
「お前、兄弟のことは好きか?」
マルコムは少し答えにくそうに笑うと、答えた。
「兄さん達のことは尊敬していますよ。妹は可愛い。趣味がいいとはとえも言えないが……」 「あと姉さんにはいつも世話になっています」マルコムはようやく本心からのことを言えてほっとした。
「あの、えっと、何と言ったっけな、デブの……」
「四男は情けない奴ですが、可愛い奴ですよ」
「そうか」
「そしてキム。キンバリーはオレだけじゃなく、一人除いて兄弟全員から愛されている唯一貴重な存在です」
「それだ」タオ・パイパイは身を乗り出した。「キムの力で兄弟をまとめることは出来ないか?」 「どうでしょうね」マルコムは面白くなさそうな顔で言った。「少なくとも僕とジェイコブ兄さんは、かえって……」
「わかった」タオ・パイパイは諦めたようにマルコムの言葉を遮った。「とりあえず台湾独立のことは口外するな。それだけだ」 タオ・ムーリンは高校の制服に自分の偽名を刺繍して、街を歩いていた。
他の高校生らしき子らが皆、私服で歩いている中で、むしろムーリンは浮いていた。 「50嵐」でタピオカミルクティーを買う高校生らしき子らの列に並びながら、ムーリンは思った。
『あたしも高校、行きたかったな……』
前に並んだ可愛い顔の女の子がふと振り返り、ムーリンを見た。
金髪の三つ編みに制服姿のムーリンに少しぎょっとしたようだ。 「アンタどこの学校?」
その女の子が聞いて来たのでムーリンは心をオフにする。
「もしかしてコスプレなの?」
そう聞かれてもムーリンは頑なに無視した。
「なんか面白い子ね。友達にならない?」
ムーリンはつんぼのように地面をただ眺めていた。
「これからパーティーあるんだけど、一緒に来ない?」
「い、行くっ!」
ムーリンは思わず顔を上げてしまった。 カフェの中を通り、階段を降りると地下に広い部屋があった。
「秘密クラブだよ」女の子は言った。「秘密だからね。誰にも言っちゃダメだよ」
ムーリンが後をついて入ると、同い年ぐらいから姉ぐらいの年頃の男女が暗い部屋の中でギターを弾いて歌ったり、踊ったりしていた。
「……わぁ」ムーリンは思わず満面の笑みを浮かべた。 女の子はカウンターに誘うと、中にいるバーテンダーにラム酒を注文した。
「え。珍奶(タピオカミルクティー)あるのに?」
「混ぜるんだよ」女の子は言った。「アンタもやってみな。イケるよ」 「あたしはヤン・ヤーヤ。アンタは?」
「ムーリン」思わず殺し屋の通り名を名乗ってしまった。「タオ・ムーリンだよ」
「そっか。ムーリン、よろしくね」
「うんっ!」 「で、ムーリン。アンタどこの学校?」
「あ……。高校行ってない。これ、自分で作ったの」
「やっぱりね」ヤーヤは笑った。「見たことない制服だと思ったわ」
「おかしな子だと……思われた?」
「ううん。面白い子は好きだよ」
「ほんとう!?」
「うん。あ、ラム酒来たよ。混ぜてみな」 ヤーヤはムーリンのタピオカミルクティーの蓋をナイフで切ると、そこにラム酒を注いだ。
「お酒、飲めるよね?」自分のにも注ぎながらヤーヤが聞く。
「うん。飲んだことはある」
「えー。大丈夫かな」
「だいじょぶ、だいじょーぶ」と言いながらムーリンは太いストローでズビズビと吸い込んだ。 「どう?」ヤーヤがムーリンの顔を覗き込む。
「おいしい!」本心からムーリンは言った。
「よかった!」ヤーヤが笑う。
その後ろから少し年上らしき男の子が3人やって来ると、真ん中の色の黒い子が声を掛けて来た。
「ハイ、ヤーヤ」
「ハイ、ウー・ユージェ。楽しんでる?」 「そっちの凄い髪の色の制服少女は誰?」ユージェは笑顔で聞いて来た。
「タオ・ムーリンよ」ヤーヤは答えた。「さっきから友達になったの」
もじもじしているムーリンの背中をヤーヤが軽く叩く。
「ハイ……。私、タオ・モーリン」
「緊張すんなって」ユージェは優しく笑った。「仲良くやろうぜ」 「ウー・ユージェはね、ロックバンドやってて、将来は台湾の音楽シーンを変えるのよ」
「へぇ……!」ムーリンは目をキラキラと輝かせた。
「見てな。ラブバラードなんて年寄りの音楽にしてやるぜ」
「聴きたいな」
ムーリンが言うとユージェは、よくぞ言ってくださいましたとばかりにアコースティックギターを手に取った。
他の2人もそれぞれアコースティックギターとカホンを持ち、演奏が始まった。
ユージェ達が歌い始めたのは客観的に見ればありきたりな、ジャム・シャオなどが既にやっているような激しくもキャッチーなロックだった。
しかし生で初めて見るロックの演奏に、ムーリンは目を輝かせ、心を奪われてしまった。 酔っ払った足取りで屋敷の罠をかわしながら自分の部屋へ戻ろうとするムーリンを、後ろの扉を開けて姉のモーリンが呼び止めた。
「遅かったわね」
「あっ。お姉ちゃんたらいまぁ!」
「何してたの?」
「聞いて、お姉ちゃん! あたしっ……! 友達できちゃった!」 モーリンは暗い顔をさらに曇らせると、妹を自分の部屋に招き寄せた。
「アンタ、中学校の時のこと、忘れたの?」
そう言われてムーリンは黙り込んでしまった。
「アンタ、教室の同級生……皆殺しにしたでしょうが」
「……」
「あれでアンタ、死んだことになってんのよ? アレがあるからアンタは中学校中退して、高校にも行けなかった」
「あれは……」ムーリンは泣くような声で顔を上げた。「みんながあたしをいじめたから……」
「そうよ。アンタはキレると何をするかわからない。だから外の世界と関わっちゃダメなの。ましてや友達なんて……」
「だいじょぶ! だいじょーぶだよ!」ムーリンは無理やり顔を笑わせた。「ヤーヤもウー・ユージェも優しい人達なんだ!」 キンバリーを送って行った帰り道、マルコムが1人夜の町外れを歩いていると、明らかに取り囲まれたのを感じ取った。
気づかぬフリでポケットから葉巻を取り出し、くゆらせながら人気のないほうへ歩いて行く。
狭い路地は避け、広い裏道へ入った時、前を黒づくめの男が立ち塞いだ。
「晩上好、ムッシュゥ」
マルコムが笑顔で丁寧に挨拶すると、男は言った。
「タオ一家のマルコムだな?」
緊張しているのが黒いマスク越しにもわかった。 「よくオレの名前をご存知で」
にこやかにマルコムが認めると、男は一歩後ろに下がった。
「shi ne yaaaa!!!」
突然、右側の茂みから日本語らしき言葉で何か言いながら別の黒づくめが飛び出して来た。
長いナイフのようなもので突き刺しに来るのを横に避けると、背後から日本刀で別のが襲いかかって来る。
しかしマルコムは避けるだけで攻撃はしなかった。
相手は少なくとも5人はいた。
マルコムは攻撃の時に最大の隙ができる。
5人すべての位置が掴めるまで、隙を見せるわけにはいかない。 4人目が現れ、これも日本刀で襲いかかって来る。
最初に立ち塞いだ男はピストルを構え、発射する機会を覗っている。
5人目はなかなか姿を見せない。
しくじった場合、1人だけ逃げて上に報告するつもりなのだろう。
自分の技は誰にも知られていない。見られて報告されるのを嫌い、マルコムはただ避け続けた。 避けるのは苦ではなかったが、ピストルを構えている男が気になった。5人目の動きも気になる。
攻撃して来る3人が鬱陶しくなって来たので、自分の技と気づかれない程度の攻撃をマルコムは繰り出すことにした。
日本刀を振り上げた男の隙だらけの顎に爪先を打ち込む。
長く振り上げて打ち込んだ足をすぐに地面に戻し、隙を作らない。
攻撃を受けた男は脳を揺らされ倒れ込んだが、死んではいない。
一撃で殺さなかった。それはマルコムの殺しの美学に反することだった。
マルコムは思わず嫌そうに顔をしかめた。 5人目の位置が何となく掴めはじめた。
男達がたまにチラリとマルコムの後ろの茂みのほうを見る。
恐らくはそこでピストルを構え、射程距離に入って来るのをゆっくりと待っているのだろう。
射程距離に入っても仲間に当たるのを恐れてすぐには撃てない筈だ。
男2人が一斉に離れた時、弾丸が飛んで来る。
それを避けられないよう、マルコムが消耗するのを待っている。
焦らせてやれ、とマルコムは思った。 2人の男が追い詰めているわけでもないのに、マルコムは躓いたフリをして5人目の潜んでいるらしきほうへ後ろ向きに走りながら急接近した。
男が2人一斉に左右へ避けた。弾丸が、来る。
後ろの茂みで引鉄の指に力を込める音をマルコムは聞いた。
今、この距離で引鉄を引けば、避けられるわけがなく、外す筈もなかった。
5人目は確信しているだろう、このチャンスを逃す筈はないだろう。
マルコムのすぐ後ろから、静かな銃声が襲いかかった。 マルコムのリーガルの革靴が横向きに火を噴いた。
避けられるわけのない銃弾を、マルコムは横へ急速移動してかわした。
このスーパージェットリーガルの発動を見て生きていた者は今のところ一人もいない。
急速移動を止めるとすぐ、革靴は靴底から火を噴いた。
火を噴いたと思った時には5人目の男は茂みの中で、マルコムの靴先から出た刃物でこめかみを一刺しされ、既に息絶えていた。 スーパージェットリーガルを見てしまった者は一人も逃すわけにいかない。
マルコムはすぐに靴の後ろからのジェット噴射で残る3人のほうへ飛んで来た。
「うひ!?」
「なんだコイツ!」
叫び声を上げた時には既に連続回し蹴りが2人の脳天に穴を空けていた。
パニックを起こしたようにピストルを乱射する男の目の前からはとっくにマルコムの姿が消えている。
男の頭上を飛び越えたマルコムは、背中からゆっくりとピストルの引鉄を引いた。 脳震盪を起こして倒れている男をマルコムは立たせた。
男は日本語らしき言葉で何か喚いている。
「困ったな。色々聞きたかったんだが、オレは日本語がわからない」
マスクをぬがせると、いかにも日本のヤクザのチンピラといった風貌が現れる。
試しにマルコムは中国語で聞いてみた。
「お前ら日本のヤクザだな? 大陸の誰に依頼された?」
しかしヤクザは日本語でわけのわからん罵倒を浴びせて来るだけだ。 「台湾に来るなら中国語をもっと勉強してから来てくれ」
そう言うとマルコムはヤクザの眉間を静かに撃ち抜いた。 「マルコムが日本のヤクザに狙われた」
一家勢揃いで円卓を囲む中、長男のジェイコブが陰鬱な顔で言った。
「殺されとけばよかったのにって思ってるでしょ? ジェイ」
長女バーバラが茶化すように言う。
「我々が日本人に狙われているという話が以前からあったが、これで明確なものとなった」
ジェイコブは妹を無視して言った。
「なんで日本の人があたし達を狙うの?」
末っ子のムーリンが驚いた声を上げる。
「あたし、ドラえもんも鬼滅の刃も大好きなのに」 「日本だけではない」
父タオ・パイパイが口を挟む。
「大陸の殺し屋もワシらを狙っておるようだ」
「大陸はわかるよ。あたしも大嫌いだもん」
ムーリンがまた言った。
「中国嫌いのレイニー・ヤンちゃんがリー・ロンハオと結婚したのは応援するけど」
「じゃあ日本人も殺しちゃっていいのね?」
ドレス姿の三女モーリンがうっとりしたように呟いた。
「日本人のはちっちゃいって聞くよ」
デブの四男が大笑いしながら言った。 「聞いて」
次女のキンバリーが立ち上がり、マルコムから頼まれていた通りのことを話し出す。
「最近みんな、手柄を競ったり技を自慢したりしてるけど……」
「あぁ、キム。わかっているよ」
ジェイコブが未来の妻に言うように言った。
「競争のし甲斐がある。誰が一番多く日本人を殺せるか……」
「ジェイお兄ちゃん、聞いて」
キンバリーは言葉を遮った。
「競争とかじゃなくて、今はみんながひとつにまとまって、外敵から家族を守るべき時なの」 「アンタが何を生意気に仕切ってるの?」
バーバラが馬鹿にするように笑いながら口を挟んだ。
「何も出来ないお嬢ちゃんのくせに」
「姉さん」
マルコムがキンバリーを庇う。
「キムの言うことは尤もだ。今は互いの協力が必要な時なんだ」
「おい、マル」
ジェイコブがマルコムを睨む。
「テメェ、まさかキムとオマンコとかしてねぇよな? 兄妹だぞ? 殺すぞ?」 家族会議が終わり、それぞれが自分の部屋に帰り始めた頃、モーリンがジェイコブの袖をつまんで引き止めた。
「なんだ変態人形。なんか用か」
ジェイコブが聞くと、モーリンはどこを見ているのかわからない顔で声を潜めて言った。
「ムーリンが外に友達を作った。事件を起こさないうちに殺しといたほうがいいかも」 「ところでガンリーは?」
バーバラは会議に姿のなかった次男のことを父に聞いた。
「どうせアイツは会議をバカ話で荒らすだけだ。おらんほうがよい」
タオ・パイパイは投げ槍に言うと、自室へ帰って行った。 「タピオカミルクティー2つ」ヤーヤが店のお姉さんに注文する。「2つとも微糖、氷なしで」
ムーリンとヤーヤは歩道のベンチに並んで腰掛け、タピオカミルクティーを飲みながら会話をした。
「あたしいっつも同じのしか飲まないけど、今度抹茶でも頼んでみようかな」
そう言うヤーヤをムーリンは感動したように目を見開いて見つめた。
「勇気あるね。あたし他のもの注文するなんて怖くてできないよ」
「勇気?」ヤーヤが笑う。「注文してみてまずかったら怖いの?」
「ううん」ムーリンは首を横に振った。「いつもと違うことする勇気がないの」 「……ねぇ、ヤーヤ」ムーリンが聞く。「なんであたしなんかと友達になってくれたの?」
「あんたが寂しそうだったから」
「え?」
「ごめんね。そう見えたんだよ」ヤーヤは笑う。「それに、学校の子らとは違うもの持ってるって感じたんだよ」
「学校にも友達いるんでしょ?」
「うーん」ヤーヤは少し考え、答えた。「いるけど、みんな心は許し合ってないな」 「ムーリンはさ」今度はヤーヤが聞く。「なんで高校行ってないの?」
「え……」
「バカだから? じゃないよね。ムーリン、賢そうだもん」
「あ……」ムーリンは答えにくそうに言った。「働かないと……いけなかったから」
「働いてるの? どんな仕事?」
「その……。お姉ちゃんの手伝い」
「カッコいい! お姉さん、どんな仕事してるの?」
「その……」
「……」
「……」
「まっ、いっか」 「わかってるとは思うけど、高校行ってないって相当なハンデだよ?」ヤーヤが言う。
「うん」本当はあたしも高校行きたかった、とムーリンは思った。
「今は猫も杓子も大学行ってるから。そんな中で中卒だと……」
「中学も……中退した」
「中学中退!?」ヤーヤがびっくりした声を上げる。
「おかしな子でしょ」ムーリンは俯いてしまった。「……嫌いになった?」
ヤーヤは少し空のほうを向いて考えると、すぐに言った。
「いいと思うよ」 「この国の超学歴社会への反抗だよ、それって」ヤーヤは真面目な顔で言った。
「反抗?」
「うん」ヤーヤはタピオカミルクティーをベンチに置くと、話し始めた。「高校なんて何も面白くないよ」
「そうなの?」
「うん。楽しそうにしてる子はしてるけど、その裏ではみんな、他の子を蹴落とそうとばっかりしてる」
「ふーん?」
「表向きは仲良くしてても、友達より上の大学受かることばっかり考えてる」
「大学かぁ」
「大学っていっても結局台大(国立台湾大学)受からないと意味がないじゃん?」
「そうなの?」
「そうだよ。四大学とか言われてるけど、2番目の交通大学とか受かっても周りから言われるのは『凄いね』じゃなく、『あー、台大入れなかったのねー』だもん」
「そんなぁ」
「台大入れたところで卒業すんのがまた難しいしさ」
「ヤーヤは台大目指してんの?」
タピオカミルクティーを噴きそうになりながらヤーヤは笑った。
「まさか! あたしなんか3流の私大がいいとこだから……」 「でさ、問題は」ヤーヤは真面目な顔に戻り、言った。「台大を卒業できなかった圧倒的大多数の人達が落ちこぼれと呼ばれることだよ」
「あたしよりはみんなマシだよ」ムーリンは自虐の笑いを浮かべて言った。
「だからさ」ヤーヤが答える。「ムーリンはこの国の超学歴社会への反抗なんだよ。自信持っていいと思う」
「そんなカッコいいもんじゃ……」ムーリンはまた俯いた。
「ううん」ヤーヤがその横顔を見つめる。「ロックだよ、ムーリンは。金髪だしさ。あたしはいいと思うよ」 「でも高校では、たぶんムーリンはイジメられる」
ヤーヤの言葉に中学時代の悪夢がムーリンの脳裏に蘇る。
「悪目立ちしちゃいけないんだ。自分を殺してみんなの中に溶け込める子じゃないと、イジメられるんだ」
「そうだね」ムーリンはまた自虐の笑いを浮かべた。「あたし、ヘンな子だから」
「だから声掛けたんだよ」
「え?」
「学校の友達みたいなつまんない子じゃないって思ったから、さ」 「ヤーヤは、さ」気恥ずかしくてムーリンは話題を変えた。「ウー・ユージェのこと、好きなの?」
「うん」ヤーヤはまっすぐ前を見ながら言った。「好きだよ」
「いいな」ムーリンはその横顔を見ながら笑った。
「ムーリンは? 好きな人いないの?」
「あたしは……学校行ってないから……」
「出会いがないんだね?」
ムーリンは恥ずかしそうに頷いた。
「またパーティーがあったら誘うよ」ヤーヤはそう言って笑った。「あそこイイ男も多かったでしょ? 見つけなよ」 「今日は手作り制服じゃないんだね」
ヤーヤは私服姿のムーリンの左胸のあたりを見ながら言った。
「そういえば、こないだあたしが名前言った時、胸の刺繍の名前と違うのに、なんで不思議がらなかったの?」
ヤーヤはそれを聞いてぷっと吹き出した。
「あんたがヤン・チェンリン(※レイニー・ヤン。台湾で20年近くトップアイドルの座を務める)なわけないでしょーが!」
「あ」ムーリンはショックを受けた。「やっぱりあれじゃ偽名ってバレバレ?」
「騙るならもうちょいマイナーな女優にしときなよ」
「じゃあ、チャン・チュンニンとか?」
「それも有名すぎ」
「リン・チーリンは?」
「あんたやっぱ面白すぎるわ」ヤーヤはムーリンに抱きつくと頬ずりした。「大好き」 「このまま夜まで遊んじゃおうよ」ヤーヤが誘う。「一緒に夜市行こ?」
「あ、ごめん」ムーリンは本当は行きたいのを我慢して、答えた。「今夜はムリだ」
「えー? つまんない」ヤーヤは掴んでいたムーリンの腕を離すと、残念そうな顔をした。「用事?」
「うん」ムーリンは本当のことを言った。「お姉ちゃんの仕事の手伝い、しないと」 今夜の『接待』の相手が日本人のヤクザの幹部と聞いて、モーリンは心踊らせながらも警戒していた。
マルコムが狙われた以上、罠だという可能性がなくもない。
自分は通り名も顔も割れていない。しかし手口はいつも同様である。
コールガールとして標的と二人きりになり、切り刻み、殺す。
それを知っていて、わざと自分を指名したかもしれない。
しかしこれが罠なら、仲介役を務める父の友人である陳氏も敵と通じていることになる。それはあり得ないと父は言った。 「ま、罠だったらマルコムのように私も返り討ちにしてやるまでだわ」
陳氏の部下が運転する車の後部座席に揺られながらドレス姿のモーリンは言った。
「うん。お姉ちゃんは全身凶器だからだいじょーぶ」
隣のムーリンがそう言って笑う。
「いざという時はあたしが助けに入るからね」
「いざという時がないことを祈ってるわ」
モーリンは暗い顔をさらに暗くして呟いた。 部屋に入るといかついスーツに身を包んだ日本人がソファーに腰掛けて待っていた。
細身で端正な顔立ちの、幹部というには若い感じの男である。
その男を見た瞬間、モーリンは何やら違和感を覚えた。
しかしそれを顔には表さずに、いつものように嬌態を作って微笑んだ。 「今晩は。中国語はおわかりになる?」
モーリンが聞くと、すぐに男は流暢な大陸中国語で答えた。
「あぁ。中国での仕事が少し長かったのでね。しかし、これは大層美しいお嬢さんだ」
「ありがとう」モーリンはお辞儀をして見せた。「巻き舌が強いのね」
「大陸育ちだからね」そう言うと男は舌なめずりをした。「絡めてみるかい?」
「それよりも」モーリンは自分の上唇を舐めながら言った。「早くあなたのおちんぽ舐めたいわ」 「いいだろう。おいで」
男は足を開くと、招き寄せた。そして自分からズボンのベルトを解く。
「日本の殿方のおちんぽは初めてなの。楽しみ……」
そう言いながらモーリンは男の足の間にしゃがみ込んだ。
男はズボンを全部は下ろさなかった。露出した太腿がやたらと白く、毛が薄い。
「さぁ、パンツを下ろしてくれ」
「命令しないで」
そう言いながらモーリンがパンツを下ろすと、そこにこけしはなく、自分と同じ割れ目とパンツに挟んだディルドーのようなものが現れた。 ディルドーが爆発のような光を発し、モーリンは目が眩んだ。
思わず後ろへ飛び退る。しかし何も見えない。
「何、これっ!?」
「ハハハ!」正体を現した刺客が笑う。「間違いない。タオ一家の『人喰いゴスロリ人形』さんね?」
「てめぇ……! 女か!」モーリンが悔しがる。「男の脂臭い匂いがしねーと思ったわ!」 女は側にあったクッションを手に取ると、モーリンへ向かって投げた。
何かが飛んで来る気配をモーリンは感じ取る。それを敵の身体だと思い込み、噛みつくと、クッションの中から大量の羽毛が飛び散った。
口の中に入った羽毛を唾とともに吐き出すモーリンを見物しながら敵は笑う。
「なるほど。アンタの武器はそのカミソリみたいな歯、か!」
『それだけじゃねーよ』モーリンは声から相手の位置を察すると、その方向へ突進した。『返り討ちにしてやる!』 部屋の外では3人のヤクザが突入の合図を待っていた。
「なんか騒がしくなってないか?」
「まぁ、突入と声が掛かってからだ。待て」
そこへ廊下を歩いて金髪三つ編みの痩せたぶさいくな少女が、お盆にオレンジジュースを乗せてやって来た。
「晩a-n(ばんわー)」
にこやかに挨拶するムーリンをヤクザ達が睨んだ。
「なんだ、ガキ」
「てめぇ、ゴスロリの仲間か」 ムーリンの作り笑顔がみるみる崩れ、泣きそうになる。
「もぉ! 日本語わかんないし! だからこういう仕事はデブの四男のほうがいいって言ったのに!」
「ああ!? 一人で何ペラペラ喋ってんだ、ガキ」ヤクザが懐に手を入れた。「怪しいガキが! 何かしてみろ、殺すぞ!」
「ウェイウェイウェイ!」ムーリンは慌ててお盆を差し出す。「お、orange juice、ドゾ!」
「何入りのジュースだゴラァ!?」
「お前が飲んでみろやァ!?」
ヤクザがムーリンの腕を掴む。盆が落ち、コップが割れ、眠り薬入りのジュースは床に溢れた。
その時、部屋の中から大声が聞こえた。
「突入!」 ムーリンの腕を掴んだまま3人のヤクザが部屋に突入すると同時に、
サイレンサー付きの銃声が3発くぐもった音で鳴った。
「あ、呼んでおいてすまん。もう終わった」
「姉御!」ヤクザの一人が声を上げる。「腕が!」
「あぁ、油断した。銃を取り出す音に向かって襲いかかって来やがった。喰いちぎられた。なに、左腕さ」
「手当を……」
「あぁ……。で、なんだいそのガキは?」
会話は日本語で交わされたのでムーリンにはわからなかった。
日本語がわかったとしても耳には入って来なかったことだろう。
ムーリンの目は釘付けになっていた。
ソファーとサイドテーブルの間に、壁に貼り付いたように、無念の表情を浮かべて姉が死んでいた。
額には銃弾で開けられた赤黒い穴があった。 「しかし流石は姉御ですね」
「よっ、日本極道界の誇るNo.1ヒットマン!」
「噂のタオ一家も姉御にかかればこんなもんかぁ」
「おい、そのガキは何だと聞いている」
「どぅっ……」ムーリンは言った。
「あぁ、なんか怪しいオレンジジュースを俺らに飲ませようとして来たんでさ」
「コイツもタオ一家の殺し屋ですかね」
「どぅっ、じぇっ……」ムーリンはまた言った。
「バーカ。どう見てもただのガキだ」姉御はチンピラ達に言った。「しかし見ちまったものは仕方ないねぇ。……始末しな」
「じぇっ……じぇっ……」ムーリンの頬が痙攣を始めた。 「じぇじぇじぇじぇじぇ!!!!!」
ムーリンがそう叫んだ数瞬後、部屋中にパンという軽やかな破裂音が響き渡った。
姉御は何が起こったのかもわからず、ただ呆然とする。
壁には大量の血が飛び散り、3人のチンピラは原型をとどめない肉塊に変わっていた。
金髪の少女はただ元の場所に立っている。ただしその顔は狂気に歪んだ笑顔の仮面をつけていた。
「お……お前、まさか……!」姉御はピストルを構えると、即発砲した。
しかし銃弾は天井に穴を空けた。彼女は既にバラバラにされており、無造作に切り取られた唇が宙を飛びながら、言った。
「『暴れ牛』……」 「ミッション・コンプリート」
モーリンの左の義眼から現場を覗いていたバーバラは、少し離れた一室でモニターの前から立ち上がると、父に報告した。
「ただしモーリンを失ったわ。これより現場を処理して帰還するわね」 バーバラが現場の部屋に入ると、モニターで確認していた通り、ムーリンは気を失って倒れていた。
壁も床も天井もズタズタに切り裂かれ、カマイタチにでも遭ったように人間の肉が散乱していた。
床にひっついたモーリンの死体もいくらか切り裂かれていた。
しかし綺麗に残っていた上半身は、悔しそうに目を見開いて肩を怒らせている。
「しくじったわね、モーリン」バーバラはムーリンを背負いながら、言った。「さようなら、アンタはただの負け犬」 赤いドゥカティのタンデムに気を失ったムーリンを乗せ、バーバラがスロットルを捻ると、背後で爆発が起こった。
「これで跡形もないわ。お掃除完了ね」
そう言うとバーバラはバイクを発進させた。
「ミッション・コンプリート」 「お姉ちゃぁん」
幼い頃のムーリンが砂利の上を駆けている。
「お姉ちゃ……あっ!」
砂利に足を取られて転んだ妹に、モーリンが振り返った。
「もう……。本当にアンタは私がいないと何も出来ない子ね。本当にタオ家の一員?」
姉の白い手がムーリンの手を握り、立たせてくれた。
「タオ家の家業を継ぐ者なら一人で立ちなさい。そうなれるまでは……仕方ないから私が面倒見てあげる」 ムーリンは目を開けた。涙で一瞬、何も見えなかった。
長椅子の上に寝かされていた。家族が棘のある笑い声を上げながら、何か話し合っている。
「アイツもおっぱいでも切り取られて死にゃよかったのによ」ガンリーの声が言った。
「クックク……。いいな」ジェイコブの声だ。「ウスノロバーバラも部屋にいれば殺されてくれてたのに……」
「ウスノロじゃないわよ」バーバラは平然とした声で言った。「速すぎたのよ。兄さんならたぶん何が起こったのかすらわからなかった筈よ」
「あ! 起きたよ」四男がムーリンの顔を覗き込みながら言った。 「ムーリン、よくやった」タオ・パイパイが仕事の成功を褒めた。
「お姉ちゃんは……?」
「見ただろう。仕事に失敗し、死んだ」
「やだ……」ムーリンは涙をぽろぽろと零すと、首をめちゃくちゃに振った。「やだやだやだやだ!!」
慌ててジェイコブとバーバラが揃って距離を取る。タオ・パイパイも真っ青な顔になり、宥めようとする格好で飛び退った。
しかしムーリンはキレはしなかった。ただ声を震わせて泣いているだけだ。 「バカだなぁ、お前」ガンリーが笑いながら言った。「俺らだっていつこうなるかわからん。そんな仕事してんだぜ? ハハハ!」
「バカっ! ガンリー!」慌ててバーバラが小声でたしなめる。
「死にたいのかバカ!」ジェイコブも同時にたしなめた。
「誰も……悲しくないの?」ムーリンは責めるように兄弟と父親のほうを見た。「お姉ちゃんが死んでも……悲しくぬゎ……ぬゎ……!!?」 ムーリンのうなじに注射針が刺さった。
刺されたことにも気づかぬように、ムーリンの瞼が垂れると、あっという間に眠りに落ちた。
「あっ……、あれっ? 寝たぞ?」ジェイコブが不思議そうにしながら安堵の息を漏らす。
「僕だよ、僕」四男が注射器を持ったまま存在をアピールする。
「なんだ、お前、いたのか。よくやった」
「ムーリン……」父は眠る娘の金髪を撫でながら、言った。「これからはキム姉さんにあやして貰うんだ、いいな?」 「でも、そのキムが、いねぇ……」ガンリーが言った。「マルもいねぇ。2人で遊びに行ってんのか?」
「こんな夜更けにどっか出掛けててもわからねぇからな」ジェイコブが唇を噛んだ。「モーリンの突然の死がなけりゃ、俺も気づかなかった」
「マルにはあたしがお使い頼んだのよ。キムとは一緒じゃないわ」バーバラが嘘を吐く。
「はん。じゃあ、キムは一人で何処行ったんだ? こんな夜更けに? 女一人で?」ジェイコブが殺気を放ちながら突っ込む。
「それは……」バーバラは言った。「あっ! そうだ。あたし、お風呂入んなきゃ……!」 ジェイコブは自分の部屋にガンリーを呼ぶと、言った。
「ムカつくぜ」
「探しに出かけて現場でぶち殺そうぜ、兄貴!」
「……しかし、だ。今はそれよりも早急にやるべきことがある」
「ショベンかい? 漏らしそうなのかい、兄貴?」
下品に笑うガンリーを無視すると、ジェイコブは言った。
「生前……つーかつい最近、モーリンから頼まれたことがある」 「へー! あの気持ち悪い金髪の妹に!? 友達?」
「あぁ。その友達とやらを殺したほうがよくはないかと相談された、厄介なことにならないうちに」
「そんなくだらねーこと、兄貴がするわけないだろ。ハハハ!」
「別に騒ぎを起こしてムーリンが射殺されてくれれば助かるからと、断った」
「だろぉ〜? ハハハ、やっぱり兄貴のことは俺が一番……」
「ただ、こうなると……おい、耳貸せ」
「ん?」
笑顔で近づけたガンリーの耳に、ジェイコブは声を潜めて言った。
「ムーリンを殺す必要がある」 「あぁ、わかった」ガンリーは耳を離すと、立ち上がろうとした。「じゃ、今、サッと殺ってくる」
「待て待て待てバカ!」ジェイコブが慌てて引き止める。「そんな簡単なことなら俺がとっくに殺っとるわ!」
「えー? でも簡単だろ? アイツただの娘っ子だぜ?」
「パパにバレねぇように殺んなきゃなんねーだろ!」
「あ、そっかぁ。ハハハ!」 「それに……キレたムーリンは間違いなく一族最強だ。一瞬もキレる隙を与えちゃいけねぇ」
「何言ってんだ、兄貴。俺のほうが強いよ、アレよりは。最強は兄貴だけどな!」
「お前……。密閉されてもない教室で、クラスの生徒43人、皆殺しに出来るか?」
「えっ?」
「一人も逃さずだ。出来るか?」
「うーん」ガンリーは指折り数えながら考えると、答えた。「30人は逃しちまうな。ハハハっ!」 「普段は何も出来ねぇ娘っ子だが、キレたムーリンはそれを実際に、やった。アイツがキレたら最強なんだ」
「ハハハ! そっかぁ」
「今まではモーリンが、妹がキレないよういつも側についていたが、それがなくなったからには家の中に原子爆弾が放置してあるようなもんだ」
「ハハハ! 安心して眠れないね、兄貴?」
「お前もだ、バカ」
「なるほどわかった。安心して眠るためにムーリンを殺すんだね?」
ちゃんと声を潜めて会話できたガンリーをジェイコブは褒めた。
「そういうことだ。賢いな、ガンリー」
褒められたガンリーは目に見えて有頂天になる。 「そこで、だ。俺達が殺ったとバレねぇようにムーリンを始末する方法はないものかと賢いお前に相談したかったのだよ」
「エヘヘ、エヘヘへ。賢い俺にかい? いいよ」
「毒殺すれば当然俺が疑われ、判明すればパパの罰を受ける。お前も同様だ。俺達の作る死体には個性があっていけねぇ」
「うーん。そうだなー」
「一刺しで殺してマルコムのせいにしようかとも考えたが、マルにムーリンを殺す動機がない。何より一刺しで殺れなければ……こちらがバラバラにされる」
「その友達を使おうよ」
「は?」
「ムーリンに友達が出来たって言ってたろ?」ガンリーは楽しそうに笑った。「その友達をムーリンに殺させるんだ」
「は?」ジェイコブはバカを見る目でガンリーを見た。「いや……。は?」 「アイツ、今回キレて暴れ回ったあと、意識失ってたじゃん」
「あ? ああ……」
「あの状態なら、簡単に喉の骨でも折って殺せるじゃん」
「喉の骨折ったらお前の仕業だってバレ……待てよ?」ジェイコブは暫く考えると、言った。「ガンリー、いいぞ。やはり頭のいい自分とは別視点からの意見も聞いてみるもんだ」
「うへへ」褒められたと勘違いしてガンリーは嬉しそうに頭を掻く。「でもどうやったらキレるかな?」 「何でもいいさ。友達に裏切られたと思い込ませればいい」
ジェイコブはニヤリと笑う。
「そいつを信頼していれば信頼しているほど、裏切られた時のショックはでかいもんだ」
「なるほど。じゃあ……そうだな」
ガンリーは兄の真似をして知的に笑った。
「タピオカミルクティーにハナクソでも入れる?」 マルコムはホテルの一室で、キンバリーと甘美な時間を過ごしていた。
「あぁ……。素敵だ。ずっとこうして君の中に入っていたいよ、キム」
「ああっ……! マル……っ! あたしもよ……ああっ!」
マルコムのスマートフォンにはモーリンの死を報せるバーバラからのLINEメッセージが入っていたが、二人はまだそのことを知らなかった。 目を覚ましたムーリンはまた涙が止まらなくなった。
スマホを取ると、ヤーヤにLINEのメッセージを送った。
○ お姉ちゃんが死んじゃった
メッセージは見ている前で既読になり、すぐに返事が帰って来た。
なななな何? どうしたの? ●
ムーリンは涙を拭きながら、メッセージを返す。
○ あたし以外の誰も悲しんでくれない(;O;)
またすぐに既読がつき、暫く待つと、ヤーヤの短いメッセージが返って来た。
今から出て来れる? ● 待ち合わせの公園に行くと、ヤーヤは既に来ていた。
涙でひどい顔になっているムーリンのほうへ駆け寄ると、肩に手を置いてヤーヤは聞いた。
「大丈夫?」
「だいじょーぶ」ムーリンは答えた。「……じゃないかも」
「お姉さんが? 一体何があったの? ねぇ?」
「仕事中に……」ムーリンはしゃっくりをしながら、言った。「しくじって……」
それ以上ヤーヤは何も聞かなかった。
ムーリンを引き寄せると、自分の胸に埋めさせた。 ムーリンはヤーヤのTシャツを掴んで思い切り泣いた。
暫く泣いていると、頭の上に雨のようにヤーヤの涙が落ちて来た。
ムーリンは見上げた。顔をぐしゃぐしゃにして泣いているヤーヤの顔が見えた。思わず聞く。
「なんでヤーヤが泣いてるの?」 「だってお姉さん、死んだんでしょ」ヤーヤは言った。「あたしも悲しいよ」
「会ったこともないお姉ちゃんの死を悲しんでくれるの?」
「ムーリン、大好きだったんだよね? お姉さんのこと」
「うん」
「だから、さ」ヤーヤはムーリンを思い切り抱き締めた。「ムーリンが悲しいと、あたしも悲しいんだよ」 悲しいことを一緒になって悲しんでくれる人がいれば、こんなにも救われるものだということを、ムーリンは生まれて初めて知った。
最愛だった姉のモーリンでさえ、可愛がっていた猫が死んだ時に一緒に悲しんではくれなかった。
ムーリンはヤーヤに抱きつくと、涙が涸れるまで泣き続けた。
ヤーヤはムーリンの細い腰を強く抱き締め、ぽろぽろと涙を流しながら、金色の髪をもう片方の手でずっと撫で続けていた。 「ここでいいわ」
キンバリーがそう言うので、マルコムは人気のない裏通りで愛車テスラを停めた。
「ここから歩いて帰るのかい? 少し心配な距離だが?」
「大丈夫。走って帰るから」そう言うとキンバリーはハイヒールを両足とも脱ぎ、裸足になる。
「起きてたらムーリンを中庭へ連れて出るよ」マルコムはそう言うと、車を再び発進させた。 キンバリーは家に帰ると、すぐに中庭に向かった。
ムーリンの住む別棟には屋敷中に罠が仕掛けてある。
兄弟は日常を気の抜けない状態に置くことで反射神経と予測能力を鍛えているのだ。
そんな罠だらけの屋敷にキンバリーは住めなかった。
毎日傷だらけになることは間違いなく、下手をすれば命を落としかねない。
マルコム、ガンリー、ムーリン、四男、そして故人となったがモーリンもそこで暮らしていた。
身体能力の鈍いジェイコブとキンバリー、そして面倒臭がりのバーバラだけは両親とともに本屋敷に住んでいた。 マルコムは新しく張られたワイヤーを飛び越え、壁から襲って来たダーツを指でキャッチしながら廊下を歩き、ムーリンの部屋のドアをノックした。
天井から降って来た一滴の塩酸をスウェーでかわしながら、返事を待つ。
「さすがにもう寝てしまったかな?」
もう一度ノックすると、別の方向に気配を感じた。
「マル兄?」
外着姿のムーリンが驚いたような顔をして帰って来た。 「ムーちゃん」
マルコムと一緒にムーリンの姿が現れると、キンバリーはベンチから立ち上がった。
「ごめんね、遅くなって。モーちゃん……やられたって……聞いた」
ムーリンは駆け寄ると、キンバリーのふくよかな胸に顔を埋める。しかし涙は乾いていた。
「あんなに仲良かったのに……可哀想に」
ムーリンの髪を撫でるキンバリーの頬を涙が伝って落ちた。
「しょーがないよ」ムーリンは寂しそうな、しかし弱々しくはない声で言った。「そういう仕事してるんだもんね、あたし達」 ムーリンをキンバリーに任せ、マルコムは両親の寝室に向かった。
スマートフォンでアポは取ってある。ドアをノックすると、中から声が返って来た。
「マルコムか?」
「はい。マルコム・タオ。1993年7月9日」
『声紋一致。セキュリティ解除します』
ドアのロックが音を立て、扉が自動で開く。
部屋に入るといつもと同様、義母のオリビアが涎を垂らして笑っていた。