【リレー小説】TPパニック 〜 殺し屋達の絆 〜
舞台は台湾の首都台北
主人公は台湾マフィアお抱えの殺し屋ファミリー「タオ一家」三男マルコム
通称「マル」、ただし偽名である
彼らは互いの名前をイングリッシュ・ネーム及び偽名で呼び合い、誰もその本名を知らなかった 「ねぇ」
情事が終わるとキンバリーは、子供のように甘えながら、葉巻に火を点けたマルコムに聞いた。
「誰かと話してなかった?」
「君への褒め言葉を思いつく限りに並べてたのさ」
マルコムはそう言うと、葉巻の煙を吸い込んだ。そして吐き出しながら笑った。
「君は僕の腰の動きに夢中で聞こえてなかったけどね」 「近い所まで送るよ」
そう言いながらキンバリーの腰を抱いて歩いて来たマルコムがふいに立ち止まる。
愛車テスラの後ろに停まっているドゥカティの赤い1000ccバイクを見つけたのだ。
「……敵わないな、姉さんも尾けてたのか」 「ダメな子ね、マル」
二人の背後の茂みから、赤い皮ツナギ姿のバーバラが腕を組んで現れた。
「一家のアイドルを独り占めしてはダメよ。ジェイコブに殺されるわ」 「オレがあのウスノロに殺されるとでも?」
マルコムはおどけてみせた。
「しかし意外だな。姉さんの口からキンバリーをアイドルと認めるような言葉が出るなんて」
「もちろん、あたし以外の一家のアイドル、という意味よ」
バーバラは笑ったが、目つきがキンバリーに対する殺意を浮かべていた。
「わかってらっしゃると思うけど、あたしはアンタのこと、虫酸が走るほど嫌いだから」
バーバラにそう言われ、キンバリーは怯えた少女のようにマルコムの背に隠れた。 「姉さん」
たしなめるように言うマルコムをバーバラは手で制した。
「わかってるわよ、マル。キムは一家にいなくちゃならない人物だものね」
「お姉さん……」
マルコムの背中から顔だけを覗かせているキンバリーに、バーバラは微笑んだ。
「さっきのは嘘よ、キム。仲良くしましょ」
キンバリーの顔が嬉しそうに綻んだ。
「ハイ!」
そう言いながらマルコムの後ろから駆け寄って来たキンバリーの股間をバーバラは素早く掴んだ。力を入れて強く締め上げる。 「痛い! お姉さん、痛い!」
泣き声を上げるキンバリーに笑いながらバーバラは聞いた。
「何発ヤッたの? 大人しそうな顔をして」
「姉さん!」
マルコムが怒鳴るとバーバラはすぐに手を離した。
くるりと背を向けると舞うようにバイクに跨がり、ヘルメットを被る。 「女のソレはね、お金にも、武器にもなるの」
バーバラはバイクのエンジンを始動させながら言った。
「あなたみたいに何にもならない勿体ない使い方をする人の気が知れないわ」 「あなたは朝に輝く白い薔薇。あたしは夜に艶めく黒い薔薇。永遠に相容れないわね」
バーバラはそう言い捨てるとバイクのスロットルを煽った。
「それじゃ、おやすみなさい」
あっという間に夜の向こうに見えなくなる赤い後ろ姿を見送りながら、マルコムが頭を掻きながら呟いた。
「何しに来たんだ、あの人……」 タオ・パイパイは自分の部屋にジェイコブを呼びつけた。
「なんだい、話って? パパ」
「まぁ、そこに座りなさい」
先にソファーに座ると、タオ・パイパイはお茶と菓子を勧めた。
菓子皿には子供の頃ジェイコブが好きだったチョコをかけたコーンパフのお菓子が入っていた。 「ジェイ、お前、マルを殺したがっているだろ」
少しギクリとしながら、菓子皿には手も付けずにジェイコブは答えた。
「そんなことはないよ、パパ」 「お前らは実の兄弟。仲良く出来んものかな」
「仲良くしてるよ、パパ」ジェイコブは作り笑顔でコーン菓子を手に取ると、サクサクと食べた。「みんな仲良しさ」
「とにかく」タオ・パイパイは言った。「ワシが生きているうちは兄弟で殺し合うようなことは絶対に許さん」 「それからバーバラだ」タオ・パイパイは続けて言った。「あの子はキムを殺したがっておるな」
「えっ?」ジェイコブの菓子を食べる手が止まった。
「なんだ気づかなかったのかお前ともあろうものが」
「バラがキムを嫌っているのは知っていますが……だってキムは……」
「気に入らない人間は誰であろうと殺すのがバーバラだろう」
「そんな……」
「あっ、すまん。バーバラだけじゃないな。お前もか」
「キムは俺が守ります」
「いや、だから、バーバラを殺したりするなよ?」
「バーバラ……殺す!」
「いや、だから……」 「お姉ちゃん」
薄暗い屋敷の廊下をTシャツと短パン姿のムーリンが金髪のポニーテールを揺らして歩いている。
「お姉ちゃぁん」
廊下に新しく張られていた足元のワイヤーを軽く飛び越すと、壁からBB弾が飛んで来た。
それも軽く前に屈んで避けると、ムーリンは姉の部屋のドアを開けた。 入るなり姉のモーリンが飛ばして来た吹き矢をスウェーでかわすと、ムーリンは嬉しそうに笑った。
「お姉ちゃん、またこけしの手入れしてたの?」
「えぇ。アンタなかなかすばしっこくなったわね、ムー」
モーリンは純白のドレスに身を包み、一体のこけしを左手に持って磨いていた。
「そりゃこの屋敷で育てばすばしっこい子になるよー」
ムーリンはぶさいくな顔を明るく笑わせた。 ムーリンの部屋はお姫様の部屋のようで、飾り台には所狭しと大小様々な形のこけしが並んでいる。
「最近、新しいこけしがなかなか手に入らないわ」
モーリンは暗い目をして美しい顔を曇らせた。
「それそれ、そのことよ」ムーリンは持って来た嬉しい報せを姉に伝えた。「パパから言われて来たの。お姉ちゃん、仕事だよ」
「本当?」モーリンの目の奥が輝いた。 香港マフィアの幹部ジャッキーは台湾料理を満喫すると、ホテルの一室に通された。
「綺麗どころを呼んであるんだろうな?」
台湾マフィアのチンピラに偉そうにそう言うと、チンピラはへへ、と笑って答えた。
「台湾は美女どころ。最上級のを用意してありますぜ」 「女優で言うと?」ジャッキーは涎を垂らす勢いで聞く。
「うーん」チンピラは暫く考えると、答えた。「若い頃のビビアン・スー」
「でかした!」 ジャッキーは部屋に入ると、ソファーにだらしなく腰掛け、若い頃のビビアン・スーがやって来るのを待った。
葉巻に火を点け、貧乏揺すりをしながら待っていると、ドアが外から軽い音でノックされた。
「入りなさい」ジャッキーは興奮を抑えきれない声で言った。 「お邪魔いたします」
そう言って頭を下げながら、若い頃のビビアン・スー似のタオ・モーリンが部屋へ入って来た。 「おぉ……!」
ジャッキーの顔がスケベ心丸出しの笑顔に歪んだ。
「名前は?」
「ビビアンと申します」
モーリンはそう言うと、またお辞儀をした。そして妖しく微笑みながら、言った。
「逞しいおじさまは私の大好物」 「そのドレス……あぁ、何といったかな」
「ゴシック・ロリータですわ」
モーリンはそう言うと、黒いスカートを広げて見せた。
「……たまらん! 早くこっちへ来なさい!」 ジャッキーはモーリンを膝の上に乗せると、その美しい白い顔の肌と赤い唇を目で堪能した。
「年は? 19歳ぐらいか?」
「21歳になりますのよ。脳公(旦那様)」
「よし……よしよし! まずは口づけをさせろ!」
「嫌」
「何?」 「私、早く脳公のここが欲しい」
そう言うとモーリンは白い手袋を嵌めた手を、ゆっくりと下へ伸ばした。
「脳公の下面(おちんぽ)、舐めてもいいですか?」 「いっ、いきなりか!」ジャッキーは嬉しそうに笑った。「ふっ、風呂も浴びずにいきなりしゃぶってくれると言うか!」
「はい」
頷くとすぐに、モーリンは猫のようにしなやかにしゃがみ込み、ズボンのベルトを脱がしはじめた。
「欲しい」上目遣いでジャッキーに聞く。「貰ってもいい?」
「即効OKなほどにギンギンだぜ」
主の言う通り、トランクスを脱がせると丸太ん棒のように逞しいペニスがモーリンの唇を待っていた。 「わぁ」モーリンはうっとりと笑った。「素敵。大型で怒った顔のこけし……」
ジャッキーは嬉しそうにモーリンの顔を上から眺めている。
「それでは」モーリンはゆっくりと口を開いた。「いただきまぁす」
開かれた口からモーリンの歯が現れる。毎日磨いてカミソリの刃のように鋭利になっている歯並びが、光った。 林檎を齧るような音とともに鋭い痛みを感じ、ジャッキーは声を上げた。
見るとモーリンの白い顔が返り血に彩られ、自慢のペニスが根本から無くなっている。
思わず意味不明な声を上げながら懐のピストルを取り出そうとしたジャッキーの右腕が飛んだ。
「んふぅ」
ペニスを口中に含んだまま、モーリンはうっとりと笑っている。
長く伸ばしてマニキュアで鋼の硬度に固めた爪が振るわれ、左腕も斬り落とす。 「おっ……、おいっ! 殺し屋だ!」
廊下の用心棒に向かって叫ぼうとしたジャッキーの声は、しかしモーリンの頭で塞がれた。
勢いよく立ち上がったモーリンの黒髪がジャッキーの口に突き刺さる。赤いカチューシャには毒針が仕込んであった。
さらにモーリンは顎を高く振り上げ、ジャッキーの耳に打ちつけた。
顎の下から長い針が伸び、鼓膜を突き破って反対側の耳へ貫通する。
それがとどめだった。 「どんなの?」
机に座った四男がモーリンに聞く。
モーリンは自慢するように口を開き、ピンクの舌に絡めたジャッキーの男根を出して見せた。
「今度のはでかいね」 ジャッキーの男根はモーリンの口の中で、最大サイズのまま固まっていた。
「立派でしょう?」
そう言って笑うと、モーリンは弟に命令した。
「明日までよ。それまでは待てない。早く仕事にかかれデブ」
「任してよ」
四男は卑屈な笑いと自信たっぷりな目の輝きを同時に浮かべると、自分の胸を叩いた。
「最高の作品に仕上げてみせる」 自分の部屋に帰るとモーリンは、飾り台に並んだこけし達に話しかけた。
「明日、新しいお友達が来るわよ」
こけし達は何も言わず、しかし描かれた可愛い顔で笑っていた。
「今度の子は超大型巨チンよ。仲良くしてあげてね」 刑事二人が小吃店で並んで涼麺を食べながらTVを観ている。
モンキーズ対ライオンズの試合が中継されていた。
「12対13か。いい試合だな」
「しかし我が国のプロ野球の超打高投低はどうにかならないんですかね」
「大規模な八百長やってた頃のがまだ人気あったな」
「大王様も日本のプロ野球に行ったらさすがに四割打ててませんし」 刑事部長が入って来て、隣に座ると言った。
「コラ、お前らはプロ野球解説者か?」
「あ、すいません」
「ハハ……」
刑事部長は持参したペットボトルの水を飲むと、言った。
「タオ一家の奴ら、今までは国内のマフィア同士の抗争に関わる仕事を主にしていたが……」
「今回は香港マフィアでしたね」
「その前は政治家」
「何かが変わったのか知らんが、あまり良くない兆候だな」
「今まで通り、カス共の間だけでやっててくれりゃよかったのに」
「いや、それも良いとは言えんが……」 「今回は『人喰いゴスロリ人形』の仕事か」
「えぇ。例によって男根が切断されていました」
「喰ったのかなぁ……」
「目撃者は?」
「いません。被害者のボディーガードはすべて薬を飲まされ眠っていました」
「女を手配したチンピラがいるだろう」
「そいつが行方不明で……」
「ふむ」刑事部長は涼麺を一啜りすると、言った。「やはり『逃がし屋』がいるな」 金髪男が刑事部長の隣に突然座ると、言った。
「俺の名はヴェントゥス」 「またお前か……」
「誰だ?」
「わかんないけどヴェントゥスって名前の奴です」
馬鹿にするような目で見て来る刑事達に、ヴェントゥスは阿呆を見る目で見返すと、立ったまま言った。
「おい、お前ら、これはいつリレー小説になるんだ?」
「うっ」
「それは……」
「だって……」
狼狽える刑事達をもう一度見下すと、謎の金髪男ヴェントゥスは、何も注文せずに店を出て行った。 出て行き際に、ヴェントゥスは呟いた。
「おい、俺を登場させた奴! 俺をどうにかしろ!」 「おい! ヴェントゥス!」
後ろのほうから声を掛けられ、ヴェントゥスは振り向いた。
人混みを掻き分けて短く刈り上げた金髪の大男が笑顔で手を振っている。
タオ一家の次男、ガンリーだった。 「いや……、俺らって知り合いなの?」
ヴェントゥスが不思議そうに言うと、駆け寄って来たガンリーは豪快に笑い飛ばした。
「いいじゃねーか、金髪同士、仲間ってことにしとこうぜ」
「テキトーだな」
「いーんだよ。リレー小説なんてテキトーなもんだ。で、どこ行く?」
「え?」
「遊びに行こうぜ!」
「あー……。じゃ、QQタイム」
「は? それって駅前のマンガ喫茶のこと?」
「飙速宅男(弱虫ペダル)読みたい」 二人はマンガ喫茶QQ タイムの個室に男二人で入ると、黙々とマンガを読んだ。
ヴェントゥスは「弱虫ペダル」の中国語版、ガンリーは陳某の三國志アクション物の「火鳳燎原」を選んだ。 「ガハハッ! こんな北斗の拳みてーな三國志あるかいな!」
大笑いするガンリーを煩そうに見ながら、ヴェントゥスは愛想笑いをする。
「お前、そんな日本の少年マンガなんか読んでんじゃねーよ」ガンリーが突っ込む。
「いいだろ。それにこれは自転車マンガだ。スポーツ自転車の販売台数は我が国が世界一位二位を独占してんだぜ」
「どーでもいいぜ! 読むなら自国のマンガ読めっつってるだけだぜ」
「いや……、それ、作者香港人だろ」
「同じ華人だぜ」
「大体、ここに置いてあるマンガって……」
9割以上が日本のマンガだった。 「戦神、呂布かぁ」
ガンリーは「火鳳燎原」を読みながら、いよいよ登場した呂布に感動した。
https://i.imgur.com/vC4uWgn.jpg 「俺も戦神とか呼ばれてーなぁ」
無邪気にそんなことを言うガンリーに、ヴェントゥスは真顔で言った。
「何言ってんだ化け物の分際で」
「化け物? 俺が?」
「あぁ。素手で人間の体を千切れる奴なんて、お前ぐらいだろ」
「化け物かぁ」ガンリーの顔がみるみるにやけた。「大陸の『黒色悪夢』と戦っても俺が勝つかな?」 「失礼します」
マルコムはタオ・パイパイの部屋のドアをノックすると、お辞儀をしながら入室した。
「お話とは何でしょう、お父さん?」
「まぁ、座れ」
タオ・パイパイはソファーに座るよう、マルコムに勧めた。
テーブルの上の菓子皿には、幼い頃にマルコムの大好物だったソフトキャラメルが山盛りになっている。 「お前、今のタオ一家をどう思う?」
唐突にそう聞かれ、しかしマルコムは即答した。
「おかしくなってしまっています」
「そうだろう?」
「ええ。みんなまるで快楽殺人鬼だ」
「お前に相談してよかった、マル」タオ・パイパイの顔が緩んだ。「その通り、ワシらは殺し屋だが、殺し屋とは快楽殺人犯のことではない!」 「最近」マルコムは父に言った。「仕事の質が変わりましたよね」
「む」タオ・パイパイは少し嫌そうな顔をした。
「依頼元に変化があったのですね」
「それは……」
「もちろん」マルコムは父が何か言おうとするのを遮った。「依頼人のことを知りたいとは思いません。僕らは依頼された仕事をただこなすだけでいい」
「うむ」
「ただ、そのことが兄さん達や妹の快楽殺人鬼ぶりに拍車をかけている」 「お前にだけは話しておこう」
タオ・パイパイはそう言うと、ソファーに深く座り直した。
「以前は台湾内部の抗争に関わる仕事が主だった。しかし、お前が言う通り、ここ最近、事情が変わって来たのだ」
「大陸と……日本のヤクザですね?」
「何でもお見通しだな、お前は」タオ・パイパイは瞠目し、すぐに目を瞑る。「その通り。今は内部で結束するべき時なのだ」 「台湾独立運動が本格的に始まったのですね」マルコムは言った。
「しっ!」タオ・パイパイは声をひそめた。「どこに耳があるかわからんぞ」 「そうなると中国とは戦争です」マルコムは小声で言った。
「あぁ。そのために、今フォルモサ(台湾)に入り込んで来る大陸側の人間及び内部の外省人をふるいにかけておる」
「僕らはまるで裁判官、そして死刑執行人というところか」
「そう言うと聞こえが悪いが、これは必要なことなのだ」 「そしてそこに日本のヤクザも絡んで来る」マルコムはそう言うと、コーヒーを飲んだ。
「ウム。大陸との取引のある日本のヤクザが全面的協力を申し出た」
「中国人は本当に根回しが得意だな。我々も見習わなければ」
「無理だよ。我々は真面目すぎるくせに面倒臭がりで、しかもそのくせ自分大好きなのだ。統率力では中国に敵うべくもない」
「しかも優しすぎる」
「とにかく」タオ・パイパイは話を戻した。「ワシら一家を日本のヤクザが狙っておる」 「何となくそんな話ではないかと思ってはいました」マルコムはそう言うと、ソフトキャラメルを一個、口に放り込んだ。
「そんな時に一家が互いの命を狙い合っておる。これではいかん」
「ターゲットが国際的になって来て、みんな自分の凄さを競うように楽しんでますし、ね」
「かと言って台湾独立の話など大っぴらにはできん。襲い来る巨大な敵を相手に家族一丸とならなければならんのに……」
「ええ」
「お前、兄弟のことは好きか?」
マルコムは少し答えにくそうに笑うと、答えた。
「兄さん達のことは尊敬していますよ。妹は可愛い。趣味がいいとはとえも言えないが……」 「あと姉さんにはいつも世話になっています」マルコムはようやく本心からのことを言えてほっとした。
「あの、えっと、何と言ったっけな、デブの……」
「四男は情けない奴ですが、可愛い奴ですよ」
「そうか」
「そしてキム。キンバリーはオレだけじゃなく、一人除いて兄弟全員から愛されている唯一貴重な存在です」
「それだ」タオ・パイパイは身を乗り出した。「キムの力で兄弟をまとめることは出来ないか?」 「どうでしょうね」マルコムは面白くなさそうな顔で言った。「少なくとも僕とジェイコブ兄さんは、かえって……」
「わかった」タオ・パイパイは諦めたようにマルコムの言葉を遮った。「とりあえず台湾独立のことは口外するな。それだけだ」 タオ・ムーリンは高校の制服に自分の偽名を刺繍して、街を歩いていた。
他の高校生らしき子らが皆、私服で歩いている中で、むしろムーリンは浮いていた。 「50嵐」でタピオカミルクティーを買う高校生らしき子らの列に並びながら、ムーリンは思った。
『あたしも高校、行きたかったな……』
前に並んだ可愛い顔の女の子がふと振り返り、ムーリンを見た。
金髪の三つ編みに制服姿のムーリンに少しぎょっとしたようだ。 「アンタどこの学校?」
その女の子が聞いて来たのでムーリンは心をオフにする。
「もしかしてコスプレなの?」
そう聞かれてもムーリンは頑なに無視した。
「なんか面白い子ね。友達にならない?」
ムーリンはつんぼのように地面をただ眺めていた。
「これからパーティーあるんだけど、一緒に来ない?」
「い、行くっ!」
ムーリンは思わず顔を上げてしまった。 カフェの中を通り、階段を降りると地下に広い部屋があった。
「秘密クラブだよ」女の子は言った。「秘密だからね。誰にも言っちゃダメだよ」
ムーリンが後をついて入ると、同い年ぐらいから姉ぐらいの年頃の男女が暗い部屋の中でギターを弾いて歌ったり、踊ったりしていた。
「……わぁ」ムーリンは思わず満面の笑みを浮かべた。 女の子はカウンターに誘うと、中にいるバーテンダーにラム酒を注文した。
「え。珍奶(タピオカミルクティー)あるのに?」
「混ぜるんだよ」女の子は言った。「アンタもやってみな。イケるよ」 「あたしはヤン・ヤーヤ。アンタは?」
「ムーリン」思わず殺し屋の通り名を名乗ってしまった。「タオ・ムーリンだよ」
「そっか。ムーリン、よろしくね」
「うんっ!」 「で、ムーリン。アンタどこの学校?」
「あ……。高校行ってない。これ、自分で作ったの」
「やっぱりね」ヤーヤは笑った。「見たことない制服だと思ったわ」
「おかしな子だと……思われた?」
「ううん。面白い子は好きだよ」
「ほんとう!?」
「うん。あ、ラム酒来たよ。混ぜてみな」 ヤーヤはムーリンのタピオカミルクティーの蓋をナイフで切ると、そこにラム酒を注いだ。
「お酒、飲めるよね?」自分のにも注ぎながらヤーヤが聞く。
「うん。飲んだことはある」
「えー。大丈夫かな」
「だいじょぶ、だいじょーぶ」と言いながらムーリンは太いストローでズビズビと吸い込んだ。 「どう?」ヤーヤがムーリンの顔を覗き込む。
「おいしい!」本心からムーリンは言った。
「よかった!」ヤーヤが笑う。
その後ろから少し年上らしき男の子が3人やって来ると、真ん中の色の黒い子が声を掛けて来た。
「ハイ、ヤーヤ」
「ハイ、ウー・ユージェ。楽しんでる?」 「そっちの凄い髪の色の制服少女は誰?」ユージェは笑顔で聞いて来た。
「タオ・ムーリンよ」ヤーヤは答えた。「さっきから友達になったの」
もじもじしているムーリンの背中をヤーヤが軽く叩く。
「ハイ……。私、タオ・モーリン」
「緊張すんなって」ユージェは優しく笑った。「仲良くやろうぜ」 「ウー・ユージェはね、ロックバンドやってて、将来は台湾の音楽シーンを変えるのよ」
「へぇ……!」ムーリンは目をキラキラと輝かせた。
「見てな。ラブバラードなんて年寄りの音楽にしてやるぜ」
「聴きたいな」
ムーリンが言うとユージェは、よくぞ言ってくださいましたとばかりにアコースティックギターを手に取った。
他の2人もそれぞれアコースティックギターとカホンを持ち、演奏が始まった。
ユージェ達が歌い始めたのは客観的に見ればありきたりな、ジャム・シャオなどが既にやっているような激しくもキャッチーなロックだった。
しかし生で初めて見るロックの演奏に、ムーリンは目を輝かせ、心を奪われてしまった。 酔っ払った足取りで屋敷の罠をかわしながら自分の部屋へ戻ろうとするムーリンを、後ろの扉を開けて姉のモーリンが呼び止めた。
「遅かったわね」
「あっ。お姉ちゃんたらいまぁ!」
「何してたの?」
「聞いて、お姉ちゃん! あたしっ……! 友達できちゃった!」 モーリンは暗い顔をさらに曇らせると、妹を自分の部屋に招き寄せた。
「アンタ、中学校の時のこと、忘れたの?」
そう言われてムーリンは黙り込んでしまった。
「アンタ、教室の同級生……皆殺しにしたでしょうが」
「……」
「あれでアンタ、死んだことになってんのよ? アレがあるからアンタは中学校中退して、高校にも行けなかった」
「あれは……」ムーリンは泣くような声で顔を上げた。「みんながあたしをいじめたから……」
「そうよ。アンタはキレると何をするかわからない。だから外の世界と関わっちゃダメなの。ましてや友達なんて……」
「だいじょぶ! だいじょーぶだよ!」ムーリンは無理やり顔を笑わせた。「ヤーヤもウー・ユージェも優しい人達なんだ!」 キンバリーを送って行った帰り道、マルコムが1人夜の町外れを歩いていると、明らかに取り囲まれたのを感じ取った。
気づかぬフリでポケットから葉巻を取り出し、くゆらせながら人気のないほうへ歩いて行く。
狭い路地は避け、広い裏道へ入った時、前を黒づくめの男が立ち塞いだ。
「晩上好、ムッシュゥ」
マルコムが笑顔で丁寧に挨拶すると、男は言った。
「タオ一家のマルコムだな?」
緊張しているのが黒いマスク越しにもわかった。 「よくオレの名前をご存知で」
にこやかにマルコムが認めると、男は一歩後ろに下がった。
「shi ne yaaaa!!!」
突然、右側の茂みから日本語らしき言葉で何か言いながら別の黒づくめが飛び出して来た。
長いナイフのようなもので突き刺しに来るのを横に避けると、背後から日本刀で別のが襲いかかって来る。
しかしマルコムは避けるだけで攻撃はしなかった。
相手は少なくとも5人はいた。
マルコムは攻撃の時に最大の隙ができる。
5人すべての位置が掴めるまで、隙を見せるわけにはいかない。 4人目が現れ、これも日本刀で襲いかかって来る。
最初に立ち塞いだ男はピストルを構え、発射する機会を覗っている。
5人目はなかなか姿を見せない。
しくじった場合、1人だけ逃げて上に報告するつもりなのだろう。
自分の技は誰にも知られていない。見られて報告されるのを嫌い、マルコムはただ避け続けた。 避けるのは苦ではなかったが、ピストルを構えている男が気になった。5人目の動きも気になる。
攻撃して来る3人が鬱陶しくなって来たので、自分の技と気づかれない程度の攻撃をマルコムは繰り出すことにした。
日本刀を振り上げた男の隙だらけの顎に爪先を打ち込む。
長く振り上げて打ち込んだ足をすぐに地面に戻し、隙を作らない。
攻撃を受けた男は脳を揺らされ倒れ込んだが、死んではいない。
一撃で殺さなかった。それはマルコムの殺しの美学に反することだった。
マルコムは思わず嫌そうに顔をしかめた。 5人目の位置が何となく掴めはじめた。
男達がたまにチラリとマルコムの後ろの茂みのほうを見る。
恐らくはそこでピストルを構え、射程距離に入って来るのをゆっくりと待っているのだろう。
射程距離に入っても仲間に当たるのを恐れてすぐには撃てない筈だ。
男2人が一斉に離れた時、弾丸が飛んで来る。
それを避けられないよう、マルコムが消耗するのを待っている。
焦らせてやれ、とマルコムは思った。 2人の男が追い詰めているわけでもないのに、マルコムは躓いたフリをして5人目の潜んでいるらしきほうへ後ろ向きに走りながら急接近した。
男が2人一斉に左右へ避けた。弾丸が、来る。
後ろの茂みで引鉄の指に力を込める音をマルコムは聞いた。
今、この距離で引鉄を引けば、避けられるわけがなく、外す筈もなかった。
5人目は確信しているだろう、このチャンスを逃す筈はないだろう。
マルコムのすぐ後ろから、静かな銃声が襲いかかった。 マルコムのリーガルの革靴が横向きに火を噴いた。
避けられるわけのない銃弾を、マルコムは横へ急速移動してかわした。
このスーパージェットリーガルの発動を見て生きていた者は今のところ一人もいない。
急速移動を止めるとすぐ、革靴は靴底から火を噴いた。
火を噴いたと思った時には5人目の男は茂みの中で、マルコムの靴先から出た刃物でこめかみを一刺しされ、既に息絶えていた。 スーパージェットリーガルを見てしまった者は一人も逃すわけにいかない。
マルコムはすぐに靴の後ろからのジェット噴射で残る3人のほうへ飛んで来た。
「うひ!?」
「なんだコイツ!」
叫び声を上げた時には既に連続回し蹴りが2人の脳天に穴を空けていた。
パニックを起こしたようにピストルを乱射する男の目の前からはとっくにマルコムの姿が消えている。
男の頭上を飛び越えたマルコムは、背中からゆっくりとピストルの引鉄を引いた。 脳震盪を起こして倒れている男をマルコムは立たせた。
男は日本語らしき言葉で何か喚いている。
「困ったな。色々聞きたかったんだが、オレは日本語がわからない」
マスクをぬがせると、いかにも日本のヤクザのチンピラといった風貌が現れる。
試しにマルコムは中国語で聞いてみた。
「お前ら日本のヤクザだな? 大陸の誰に依頼された?」
しかしヤクザは日本語でわけのわからん罵倒を浴びせて来るだけだ。 「台湾に来るなら中国語をもっと勉強してから来てくれ」
そう言うとマルコムはヤクザの眉間を静かに撃ち抜いた。 「マルコムが日本のヤクザに狙われた」
一家勢揃いで円卓を囲む中、長男のジェイコブが陰鬱な顔で言った。
「殺されとけばよかったのにって思ってるでしょ? ジェイ」
長女バーバラが茶化すように言う。
「我々が日本人に狙われているという話が以前からあったが、これで明確なものとなった」
ジェイコブは妹を無視して言った。
「なんで日本の人があたし達を狙うの?」
末っ子のムーリンが驚いた声を上げる。
「あたし、ドラえもんも鬼滅の刃も大好きなのに」 「日本だけではない」
父タオ・パイパイが口を挟む。
「大陸の殺し屋もワシらを狙っておるようだ」
「大陸はわかるよ。あたしも大嫌いだもん」
ムーリンがまた言った。
「中国嫌いのレイニー・ヤンちゃんがリー・ロンハオと結婚したのは応援するけど」
「じゃあ日本人も殺しちゃっていいのね?」
ドレス姿の三女モーリンがうっとりしたように呟いた。
「日本人のはちっちゃいって聞くよ」
デブの四男が大笑いしながら言った。 「聞いて」
次女のキンバリーが立ち上がり、マルコムから頼まれていた通りのことを話し出す。
「最近みんな、手柄を競ったり技を自慢したりしてるけど……」
「あぁ、キム。わかっているよ」
ジェイコブが未来の妻に言うように言った。
「競争のし甲斐がある。誰が一番多く日本人を殺せるか……」
「ジェイお兄ちゃん、聞いて」
キンバリーは言葉を遮った。
「競争とかじゃなくて、今はみんながひとつにまとまって、外敵から家族を守るべき時なの」 「アンタが何を生意気に仕切ってるの?」
バーバラが馬鹿にするように笑いながら口を挟んだ。
「何も出来ないお嬢ちゃんのくせに」
「姉さん」
マルコムがキンバリーを庇う。
「キムの言うことは尤もだ。今は互いの協力が必要な時なんだ」
「おい、マル」
ジェイコブがマルコムを睨む。
「テメェ、まさかキムとオマンコとかしてねぇよな? 兄妹だぞ? 殺すぞ?」 家族会議が終わり、それぞれが自分の部屋に帰り始めた頃、モーリンがジェイコブの袖をつまんで引き止めた。
「なんだ変態人形。なんか用か」
ジェイコブが聞くと、モーリンはどこを見ているのかわからない顔で声を潜めて言った。
「ムーリンが外に友達を作った。事件を起こさないうちに殺しといたほうがいいかも」 「ところでガンリーは?」
バーバラは会議に姿のなかった次男のことを父に聞いた。
「どうせアイツは会議をバカ話で荒らすだけだ。おらんほうがよい」
タオ・パイパイは投げ槍に言うと、自室へ帰って行った。 「タピオカミルクティー2つ」ヤーヤが店のお姉さんに注文する。「2つとも微糖、氷なしで」
ムーリンとヤーヤは歩道のベンチに並んで腰掛け、タピオカミルクティーを飲みながら会話をした。
「あたしいっつも同じのしか飲まないけど、今度抹茶でも頼んでみようかな」
そう言うヤーヤをムーリンは感動したように目を見開いて見つめた。
「勇気あるね。あたし他のもの注文するなんて怖くてできないよ」
「勇気?」ヤーヤが笑う。「注文してみてまずかったら怖いの?」
「ううん」ムーリンは首を横に振った。「いつもと違うことする勇気がないの」 「……ねぇ、ヤーヤ」ムーリンが聞く。「なんであたしなんかと友達になってくれたの?」
「あんたが寂しそうだったから」
「え?」
「ごめんね。そう見えたんだよ」ヤーヤは笑う。「それに、学校の子らとは違うもの持ってるって感じたんだよ」
「学校にも友達いるんでしょ?」
「うーん」ヤーヤは少し考え、答えた。「いるけど、みんな心は許し合ってないな」 「ムーリンはさ」今度はヤーヤが聞く。「なんで高校行ってないの?」
「え……」
「バカだから? じゃないよね。ムーリン、賢そうだもん」
「あ……」ムーリンは答えにくそうに言った。「働かないと……いけなかったから」
「働いてるの? どんな仕事?」
「その……。お姉ちゃんの手伝い」
「カッコいい! お姉さん、どんな仕事してるの?」
「その……」
「……」
「……」
「まっ、いっか」 「わかってるとは思うけど、高校行ってないって相当なハンデだよ?」ヤーヤが言う。
「うん」本当はあたしも高校行きたかった、とムーリンは思った。
「今は猫も杓子も大学行ってるから。そんな中で中卒だと……」
「中学も……中退した」
「中学中退!?」ヤーヤがびっくりした声を上げる。
「おかしな子でしょ」ムーリンは俯いてしまった。「……嫌いになった?」
ヤーヤは少し空のほうを向いて考えると、すぐに言った。
「いいと思うよ」 「この国の超学歴社会への反抗だよ、それって」ヤーヤは真面目な顔で言った。
「反抗?」
「うん」ヤーヤはタピオカミルクティーをベンチに置くと、話し始めた。「高校なんて何も面白くないよ」
「そうなの?」
「うん。楽しそうにしてる子はしてるけど、その裏ではみんな、他の子を蹴落とそうとばっかりしてる」
「ふーん?」
「表向きは仲良くしてても、友達より上の大学受かることばっかり考えてる」
「大学かぁ」
「大学っていっても結局台大(国立台湾大学)受からないと意味がないじゃん?」
「そうなの?」
「そうだよ。四大学とか言われてるけど、2番目の交通大学とか受かっても周りから言われるのは『凄いね』じゃなく、『あー、台大入れなかったのねー』だもん」
「そんなぁ」
「台大入れたところで卒業すんのがまた難しいしさ」
「ヤーヤは台大目指してんの?」
タピオカミルクティーを噴きそうになりながらヤーヤは笑った。
「まさか! あたしなんか3流の私大がいいとこだから……」 「でさ、問題は」ヤーヤは真面目な顔に戻り、言った。「台大を卒業できなかった圧倒的大多数の人達が落ちこぼれと呼ばれることだよ」
「あたしよりはみんなマシだよ」ムーリンは自虐の笑いを浮かべて言った。
「だからさ」ヤーヤが答える。「ムーリンはこの国の超学歴社会への反抗なんだよ。自信持っていいと思う」
「そんなカッコいいもんじゃ……」ムーリンはまた俯いた。
「ううん」ヤーヤがその横顔を見つめる。「ロックだよ、ムーリンは。金髪だしさ。あたしはいいと思うよ」 「でも高校では、たぶんムーリンはイジメられる」
ヤーヤの言葉に中学時代の悪夢がムーリンの脳裏に蘇る。
「悪目立ちしちゃいけないんだ。自分を殺してみんなの中に溶け込める子じゃないと、イジメられるんだ」
「そうだね」ムーリンはまた自虐の笑いを浮かべた。「あたし、ヘンな子だから」
「だから声掛けたんだよ」
「え?」
「学校の友達みたいなつまんない子じゃないって思ったから、さ」 「ヤーヤは、さ」気恥ずかしくてムーリンは話題を変えた。「ウー・ユージェのこと、好きなの?」
「うん」ヤーヤはまっすぐ前を見ながら言った。「好きだよ」
「いいな」ムーリンはその横顔を見ながら笑った。
「ムーリンは? 好きな人いないの?」
「あたしは……学校行ってないから……」
「出会いがないんだね?」
ムーリンは恥ずかしそうに頷いた。
「またパーティーがあったら誘うよ」ヤーヤはそう言って笑った。「あそこイイ男も多かったでしょ? 見つけなよ」 「今日は手作り制服じゃないんだね」
ヤーヤは私服姿のムーリンの左胸のあたりを見ながら言った。
「そういえば、こないだあたしが名前言った時、胸の刺繍の名前と違うのに、なんで不思議がらなかったの?」
ヤーヤはそれを聞いてぷっと吹き出した。
「あんたがヤン・チェンリン(※レイニー・ヤン。台湾で20年近くトップアイドルの座を務める)なわけないでしょーが!」
「あ」ムーリンはショックを受けた。「やっぱりあれじゃ偽名ってバレバレ?」
「騙るならもうちょいマイナーな女優にしときなよ」
「じゃあ、チャン・チュンニンとか?」
「それも有名すぎ」
「リン・チーリンは?」
「あんたやっぱ面白すぎるわ」ヤーヤはムーリンに抱きつくと頬ずりした。「大好き」 「このまま夜まで遊んじゃおうよ」ヤーヤが誘う。「一緒に夜市行こ?」
「あ、ごめん」ムーリンは本当は行きたいのを我慢して、答えた。「今夜はムリだ」
「えー? つまんない」ヤーヤは掴んでいたムーリンの腕を離すと、残念そうな顔をした。「用事?」
「うん」ムーリンは本当のことを言った。「お姉ちゃんの仕事の手伝い、しないと」 今夜の『接待』の相手が日本人のヤクザの幹部と聞いて、モーリンは心踊らせながらも警戒していた。
マルコムが狙われた以上、罠だという可能性がなくもない。
自分は通り名も顔も割れていない。しかし手口はいつも同様である。
コールガールとして標的と二人きりになり、切り刻み、殺す。
それを知っていて、わざと自分を指名したかもしれない。
しかしこれが罠なら、仲介役を務める父の友人である陳氏も敵と通じていることになる。それはあり得ないと父は言った。 「ま、罠だったらマルコムのように私も返り討ちにしてやるまでだわ」
陳氏の部下が運転する車の後部座席に揺られながらドレス姿のモーリンは言った。
「うん。お姉ちゃんは全身凶器だからだいじょーぶ」
隣のムーリンがそう言って笑う。
「いざという時はあたしが助けに入るからね」
「いざという時がないことを祈ってるわ」
モーリンは暗い顔をさらに暗くして呟いた。 部屋に入るといかついスーツに身を包んだ日本人がソファーに腰掛けて待っていた。
細身で端正な顔立ちの、幹部というには若い感じの男である。
その男を見た瞬間、モーリンは何やら違和感を覚えた。
しかしそれを顔には表さずに、いつものように嬌態を作って微笑んだ。 「今晩は。中国語はおわかりになる?」
モーリンが聞くと、すぐに男は流暢な大陸中国語で答えた。
「あぁ。中国での仕事が少し長かったのでね。しかし、これは大層美しいお嬢さんだ」
「ありがとう」モーリンはお辞儀をして見せた。「巻き舌が強いのね」
「大陸育ちだからね」そう言うと男は舌なめずりをした。「絡めてみるかい?」
「それよりも」モーリンは自分の上唇を舐めながら言った。「早くあなたのおちんぽ舐めたいわ」 「いいだろう。おいで」
男は足を開くと、招き寄せた。そして自分からズボンのベルトを解く。
「日本の殿方のおちんぽは初めてなの。楽しみ……」
そう言いながらモーリンは男の足の間にしゃがみ込んだ。
男はズボンを全部は下ろさなかった。露出した太腿がやたらと白く、毛が薄い。
「さぁ、パンツを下ろしてくれ」
「命令しないで」
そう言いながらモーリンがパンツを下ろすと、そこにこけしはなく、自分と同じ割れ目とパンツに挟んだディルドーのようなものが現れた。 ディルドーが爆発のような光を発し、モーリンは目が眩んだ。
思わず後ろへ飛び退る。しかし何も見えない。
「何、これっ!?」
「ハハハ!」正体を現した刺客が笑う。「間違いない。タオ一家の『人喰いゴスロリ人形』さんね?」
「てめぇ……! 女か!」モーリンが悔しがる。「男の脂臭い匂いがしねーと思ったわ!」 女は側にあったクッションを手に取ると、モーリンへ向かって投げた。
何かが飛んで来る気配をモーリンは感じ取る。それを敵の身体だと思い込み、噛みつくと、クッションの中から大量の羽毛が飛び散った。
口の中に入った羽毛を唾とともに吐き出すモーリンを見物しながら敵は笑う。
「なるほど。アンタの武器はそのカミソリみたいな歯、か!」
『それだけじゃねーよ』モーリンは声から相手の位置を察すると、その方向へ突進した。『返り討ちにしてやる!』 部屋の外では3人のヤクザが突入の合図を待っていた。
「なんか騒がしくなってないか?」
「まぁ、突入と声が掛かってからだ。待て」
そこへ廊下を歩いて金髪三つ編みの痩せたぶさいくな少女が、お盆にオレンジジュースを乗せてやって来た。
「晩a-n(ばんわー)」
にこやかに挨拶するムーリンをヤクザ達が睨んだ。
「なんだ、ガキ」
「てめぇ、ゴスロリの仲間か」 ムーリンの作り笑顔がみるみる崩れ、泣きそうになる。
「もぉ! 日本語わかんないし! だからこういう仕事はデブの四男のほうがいいって言ったのに!」
「ああ!? 一人で何ペラペラ喋ってんだ、ガキ」ヤクザが懐に手を入れた。「怪しいガキが! 何かしてみろ、殺すぞ!」
「ウェイウェイウェイ!」ムーリンは慌ててお盆を差し出す。「お、orange juice、ドゾ!」
「何入りのジュースだゴラァ!?」
「お前が飲んでみろやァ!?」
ヤクザがムーリンの腕を掴む。盆が落ち、コップが割れ、眠り薬入りのジュースは床に溢れた。
その時、部屋の中から大声が聞こえた。
「突入!」 ムーリンの腕を掴んだまま3人のヤクザが部屋に突入すると同時に、
サイレンサー付きの銃声が3発くぐもった音で鳴った。
「あ、呼んでおいてすまん。もう終わった」
「姉御!」ヤクザの一人が声を上げる。「腕が!」
「あぁ、油断した。銃を取り出す音に向かって襲いかかって来やがった。喰いちぎられた。なに、左腕さ」
「手当を……」
「あぁ……。で、なんだいそのガキは?」
会話は日本語で交わされたのでムーリンにはわからなかった。
日本語がわかったとしても耳には入って来なかったことだろう。
ムーリンの目は釘付けになっていた。
ソファーとサイドテーブルの間に、壁に貼り付いたように、無念の表情を浮かべて姉が死んでいた。
額には銃弾で開けられた赤黒い穴があった。