【チャイナ・パニック2】海棠的故事
2055年
舞台は中国のとある海辺の小さな町
主人公は李 玉金(リー・ユージン)15歳
ユージンの妹、李 椿(チュン)14歳
ユージンの義兄、ケ 狼牙(ダン・ランヤァ)19歳
リレー小説「中国大恐慌」
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/mitemite/1542744080/
チャイナ・パニック
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/mitemite/1547956954/ 「ふざけんな!」チョウは怒鳴った。「もう既に水の町が滅茶苦茶だ」
「だから皆に迷惑がかからないよう、急いでランを育ててるんだよ、椿は」メイファンは姪っ子の行いに感心するように言った。
「ちょっとでも駄目だろ! そんなの……」
「考えてもみろ」メイファンは諭す口調でチョウに言った。「椿はランを帰したい、秀珀は山崎賢人に会いに人間界へ行きたい」
「いっ……!」秀珀が声を上げ、顔を赤らめた。「言っちゃ駄目だよぅ〜!」
「私とユージンも人間界に帰りたい」
「ぼくは……」ユージンは突っ込もうとしたが面倒臭くなってやめた。
「これだけの人数が助かるんだぞ? 町の壊滅など安いものだ」
「バカか!?」チョウは呆れて吐き捨てた。 しかしチョウはそれ以上何も言えなかった。
「あのお魚さん」秀珀が言った。「今、急速に大きくなってるわよ」
「わかるのか?」メイファンが酒を呷りながら聞いた。
「ネズミちゃんが知らせてくれるの。ぐんぐん目に見えて膨らんでるって」
「おい!?」チョウが口を挟む。「それ、椿も一緒か!?」
「いいえ。椿ちゃんはまだお魚さんを探してる。どこにいるかは知らないけど」
「でもなんでそんな急速に?」
メイファンの問いに秀珀は答えた。
「たぶんだけど、椿ちゃんが心配してるからね。離ればなれになって、より強い想いをお魚さんに向けてるから……」
「あぁ」ユージンが言った。「ランは椿の愛を栄養として育つんだもんね」
「しかも成長を促す冷たい水の中に閉じ込めてあるから、本当、素晴らしい勢いで大きくなってくれてるわ」
「は?」チョウが突っ込んだ。「もしかしてアンタ、ランをさらって監禁してる?」 「あら、だって……」秀珀は善いことをしている人の顔で言った。「出来得る限り早く育てなければいけないでしょ?」
「てめぇ……!」チョウは声を荒らげた。「椿が今、どんな想いでランを探してるか、わかってんのか!」
「だぁ〜かぁらぁ〜」秀珀は尚も善人面で言った。「その想いがお魚さんを育てているのよ、と言ってるでしょ」
「危険な目に遭ってるかもしれねぇんだぞ! 椿を苦しくさせんじゃねぇ!」
「臭っ」メイファンが言った。「臭ぇ、臭ぇ。お前、物凄く臭ぇぞ」 「お前、名前なんだっけ」
「チョウだよ」
「チョウか。チョウ、お前、物凄く臭ぇぞ」
「なんだよ、それ」
さんざん『きくらげ臭い』と言われてる復讐かな、とユージンはこの時は思った。
「とりあえず」メイファンは鼻をつまみながらチョウに言った。「お前、ちょっとこっち来い」
「は?」
「あっちの部屋、一緒に行こう。付き合え」
「な、なんだよ?」
「話があんだよ、お前だけに」
「俺はねーよ。お前なんかと二人きりになってたまるか」
「椿からお前に伝えてくれって言われてることがあんだよ。それ伝えてやっから、いいから来い」
「椿から?」
チョウはユージンのほうを振り向きもせずにメイファンについて行った。
ユージンはなんだか嫌な予感がして、声をかけた。
「ぼくも行く!」
「お前は来んな」メイファンが目だけで振り向いた。「チョウだけに伝えてくれって言われてんだよ」 狭い部屋に入ると、すぐまた向こうに扉があった。
次の部屋に入るとまたすぐに扉がある。
メイファンはばたんばたんと扉を開け閉めしながら進む。チョウは黙って後をついて行った。
七回ほど扉を潜るとようやく行き止まりになった。メイファンはついまた扉を開けようとし、壁に手をついて「あっ」と小さく声を出した。 「椿が……俺に何を言ってた?」
チョウが聞くと、メイファンはニコニコしながら振り返り、言った。
「何も言付かってねーよ」
「は!?」
「私がお前に用があったんだ。騙してごめんなさい」メイファンはバカにするように頭をぺこりと下げた。
「なんだよ」チョウは逃げようとした。「じゃあ、俺、戻るわ」
しかし扉は開かなかった。よく見ると黒い『気』の楔でびっしりと打ちつけられてある。
「お前のこと、殺すね」メイファンはウキウキしながら言った。
「はぁ!? なんだよ、いきなり!? 意味わかんねぇ!」
「お前、人間界の扉開けるの、邪魔しそうだし」
「そりゃ……!」
「それにな、お前殺したらさすがにズーローも殺る気を出してくれるし」
「そりゃ……! ズーロー黙ってるわけねーよ」
「いいね。じゃ、殺そう」メイファンは舌なめずりをした。
「おいおい! ユゥだって黙っちゃいねーぞ!?」
「何? ユージンが本気になってくれるのか?」メイファンは夢見るように目を輝かせた。 「お前を殺せばいいことづくめだ」メイファンはそう言いながら、手を青竜刀に変えた。
「ころすの?」チェンナが声を出した。「よわいものいじめ、かこわるいよ」
「そんなんじゃない、チェンナ」メイファンは教えた。「ただこのお兄ちゃんの首を持ってズーローに会いに行くだけだ」
「キチガイか、てめぇ!」チョウは橙色の『気』を全開に纏い、指の先から火を放った。
メイファンは蚊を叩くように火を消す。そしてすまなさそうに言った。
「わかってくれ」
「わ、わかるかよ!」
「暇なんだ」
そう言うより早く、メイファンの青竜刀がチョウの首を正確に狙って繰り出された。 「いたっ」
メイファンは後ろへ吹っ飛んだ。
一匹の大きなアブが顔面に激突して来たのだった。
「こんな雪国の室内にアブがいるわけねーだろ」
気を取り直し、再度チョウの首をはねに行ったメイファンにアブの大群が襲いかかって来た。
左手をべとべとする蠅取り紙に変えて一匹残らず退治すると、突然壁に大きな穴が空き、風雪が吹き込んで来た。
「なんだなんだなんなんだ」
吹き荒ぶ風雪の中にはギラギラと光る無数の眼光が並んでいる。唸りを上げるとそれらは走り出し、狼の群れが入り込んで来た。
メイファンは身体を黒豹に変え、応戦する。身体の小ささを活かして素早く動き、大きくて隙だらけの狼達を次々と噛み殺して行く。
チョウは怯える声を漏らしながら、扉に体重をかけた。扉は脆くもはずれて落ち、一目散にチョウは逃げ出した。
メイファンが打ちつけていた黒い楔は、白アリの群れにことごとく根元を食われ、緩くなっていた。 【主な登場人物まとめ】
・ユージン(李 玉金)……17歳の人間の少年。生まれつき身体を持たない、金色に光る『気』だけの存在。
口さえ開いていれば誰の身体にでも自由に入れる。入る身体がなければすぐに死んでしまう。
金色の『気』の使い手だが、特に何も出来ない。明るい性格だがダメ人間。それでいて自分は超天才だと信じている。
妹とともに渦潮に呑まれ、海底世界へやって来た。記憶のほとんどを失くしてしまっている。
現在は植物鹿人間となったルーシェンの身体に入っている。チョウのことが大好き。
・チョウ(湫)……ユージンが海底世界で出会った同い年の少年。背が低く、年齢よりも幼く見える。髪の色は白。
秋風を司る仙人のたまご。橙色の『気』を使う。火の能力も使える。
言葉遣いが粗野で、放縦なように見えるが、根は意外なほどに真面目。
椿に恋しているが、気持ちを伝えようとは決してしない。特別に仲良くはなったものの、年下の椿から弟扱いされてしまっている。
ユージンを人間だと知りつつ信頼し、海底世界に住むことを許している。
・椿(チュン)……16歳の赤いおかっぱの少女。元ユージンの妹で人間。今は海底世界の住人。
クスノキの老人に助けられ、名門『樹の一族』の養女となる。薄紅色の『気』が使える。人間の記憶はすべて消されている。
真面目で頑張り屋。ユージン曰く顔はそこそこ可愛いが、小うるさくて地味な女の子。
自分を助けたがために死んでしまった人間の青年を生き返らせようと、霊婆の元から青年の魂を貰って来た。
赤い魚の姿をした魂にランと名前をつけ、溺愛し、いつも連れて歩いている。
人間の魂を育てることは自然の掟を犯す犯罪であり、指名手配されている。
・ラン(ケ 狼牙)……19歳。ユージンと椿の義兄。赤いイルカに姿を変えた椿を助け、渦潮に呑まれて絶命した。
今は赤い魚の姿をした魂となって、椿に飼われている。
何も食べないが、誰かの愛を受ければ受けるほどに急成長する。
自然界にはあり得ないほどの大きさまで育つと、人間界への扉を開けると言われている。
そしてその成長は自然のルールを破壊し、海底世界を滅茶苦茶にしてしまっている。
・メイファン(ラン・メイファン)……54歳だが子供のように好奇心旺盛。ユージン達の叔母にあたるが、頑なにおばさんと呼ぶのを禁止している。
元々は身体があったが、自分で自分を殺してしまい、ユージンと同じく身体を持たない『気』だけの存在になってしまった。
元中国全土に名を轟かせた凄腕の殺し屋。ユージンのことを『六百万年に一人の天才』と呼び、調教したがっている。
黒い『気』を操り、自分の身体も含め何でも武器に作り替えてしまえる能力を持つ。ランの母親を15年前に殺した。
現在、姉のララに命じられ、ボディーガードとして四歳児チェンナの身体の中に入っている。
渦潮に呑まれた3人の甥っ子を探して、というより赤い巨大魚を追って海底へ潜った。
暇なので悪いことばかりしている。
・チェンナ(劉 千【口那】)……ユージンの姉であるメイの娘。ララの大事な大事な孫娘。四歳。意外に強い。
現在、メイファンが身体の中に入っている。
・ルーシェン(鹿神)……チョウと椿共通の友達で年齢不詳の若者。10回に9回しか本当のことを言わない嘘つき。チョウ曰く根はいい奴。
木の上から落ちて頭を打ち、意識を失ってから植物鹿人間になってしまった。
身体を動かし、食事をしなければ生命維持が出来ないため、ユージンが中に入って世話をしている。
自分のことを男だと言っていたが、実は女だった。
・ズーロー(祝熱)……チョウの義兄。寝るために生きている。火を司る修行中。才能はあるが、やる気がない。
秀珀の外見に惚れているが、中身はメイファンのほうが好みらしく、秀珀にメイファンが入ってくれることを望んでいる。
・祝融(ズーロン)……火を司る仙人であり、戦士。チョウとズーローの師匠。髪の毛が炎で出来ている。
・赤松子(チーソンズ)……雨を司る仙人。見た目はなよなよしていて弱そうだが、祝融と互角の力を持つと言われている。
・霊婆(リンポー)……死者の魂を司る仙人。一つ目を描いた布で顔を隠している。名前は女性だが性別不明の老人。
『気』の海に浮かぶ島に猫とともに一人で住んでいる。
・秀珀(ショウポー)……雪の国に住む美女。悪い子の魂を司る仙女。
秘密の目的があって人間界に行きたがっている。 「これ、私が祝融に滅せられかけた時と同じだな」
メイファンは狼達を噛み殺しながら、呟いた。
「やはりユージンか。あの金ピカ野郎……!」 息を荒くして戻って来たチョウを見て、ユージンは不思議そうな顔をした。
「どうしたの!? チョウ」
「あああああ」
「落ち着きなさいな」秀珀が言い、盃を差し出した。「これでも飲んで……。あ、お酒じゃないわよ? ただのお水」
チョウは水を飲み干すと、ユージンに言った。
「おま、おまお前、何かした?」
「は?」ユージンは首を傾げた。「何かって?」
「ま、まぁいい。アイツ……メイファン、俺を殺そうとしやがった」
「ええ!?」
「やっぱりアイツ、人間は悪いものだ! 自分が暇だからって、退屈しのぎに俺を殺そうとした」
「なんか……ごめん」ユージンはぺこりと頭を下げた。
「あらあら」秀珀が意地悪そうに笑った。 「とりあえず」ユージンはチョウの手を握ると、言った。「ぼくと一緒にいれば大丈夫だ」
「あ?」チョウは繋がれた手を嫌そうに見た。
「ぼくが一緒にいたらメイファンも悪さできない。離れずにくっついててね」
「あ? ……ああ」
チョウは息を整えながら、自分が出て来た扉を振り返った。
メイファンはどうやら外へ逃げ出したようだった。 一匹のネズミが駆けて来て、秀珀の顔を見上げてチチッと鳴いた。
「あら」秀珀はその知らせを受けてチョウ達に言った。「朗報よ」 もうとっくに日は暮れていた。
しかしチョウは構わず暗闇の中を走った。
「待ってよ、チョウ!」ユージンはその背中を追いかけた。「ルーシェンに乗りなよ! そのほうが早いよ!」
「何も見えねーのに速駆けして木にでもぶつかったらどうすんだ!」
チョウは振り返らずにそう言い、障害物に気をつけながら走った。
雪の国を抜け、森を進むと前方に月明かりに照らされた高台が見えた。
そこに立ち、下界を見下ろす椿の後ろ姿がそこにあった。 「椿!」
チョウが声を投げると、椿は振り向いた。
「チョウ!」
その驚いた顔を月が照らす。そしてすぐにその顔は穏やかな、安心したような笑顔に変わった。
「体、よくなったのね。よかった……」 「椿……」
チョウは何か言おうとしたが、息を整える必要があった。
追いついて来たユージンはただ黙っていた。
「なんだか」椿が言った。「火の町が……おかしいの」
そこからはチョウの住む火の町の全貌が見渡せた。町はいつも通り平和なように見えた。
「おかしいって?」
ユージンが町の様子を見ながら聞く。
「植物達が騒いでいるの」
「植物?」
「うん」椿は町から目を離さずに、言った。「何か、嫌な予感がする」
「椿」ユージンはその手を強く握った。「祝融の所、行こう」
「え?」椿は驚いたように振り向いた。
「嫌な予感がするなら報告しないとだろ」
「でも……わたしは……」
「ランの居場所ならわかったよ」
「本当!?」椿は体ごと振り返ると、ユージンの胸に手を置き、迫った。「どこなの!?」
「ランも一緒に連れて行こう」ユージンは厳しい顔で言った。「自主するんだ、椿」 「自主するって何だ、『自首』だろ、バカ」チョウが突っ込んだ。
「おっ、音は同じだろ! 日本語なら……」ユージンはあがいたが、中国語では音も違う。 「とにかく……ランのとこ行こう」チョウが言った。
「どこ?」椿がチョウを頼るように見た。
「秀珀が監禁してやがったんだ」
「秀珀?」椿は一瞬わからなかったが、すぐに言った。「あ……。あの綺麗な女の人ね」
「お前がここにいることもアイツから聞いて来たんだ。行くぞ」
「うん。ありがとう、チョウ。ランを見つけてくれて……」
「行くぞ」チョウは礼には答えずに歩き出した。 森の中を揃って歩きながら、ユージンがしつこく言った。
「椿、何度も言うけど……ランと一緒に自首するんだよ?」
チョウは黙ってただ先頭を歩いていた。
「チョウも……」椿はその後ろ姿に声を投げた。「同じ考え?」
何も答えないチョウに代わってユージンが言った。
「だってランのせいで水の町が滅茶苦茶になったんだぞ? 悪いことしたんだから自首するのが当たり前だ」
「ランのせいだってはっきりしたわけじゃないじゃない!」
「祝融が言ってたんだよ! ランの自然界にはあり得ない成長のせいで、自然のバランスがおかしくなったんだって」
「証拠はあるの?」椿はなおも強い顔つきで歯向かった。
「あの祝融が間違いないって言ったんだよ!」
「祝融が何よ!」椿はユージンを睨みつけた。
「見えたぞ」チョウが振り向いた。「雪の大聖堂だ。少し暖まろう」 大扉を開け、中へ入ると空気が暖かくなった。
すぐに秀珀が出て来て、椿に言った。
「お嬢ちゃん、お帰りなさい。いよいよね」
「こんにちは。いよいよ……って?」
意味がわからず聞く椿に、秀珀は嬉しそうに言った。
「ネズミちゃんの報告があったわ。お魚さんが逃げ出したの。火の町の方角へ飛んで行ったそうよ」
「えっ」
「いよいよ開くわよ」秀珀は白目を剥き、笑った。「人間界への扉が」 メイファンはチョウ殺害にしくじり、夜の森の中を歩いていた。
「やーい」チェンナがしつこくメイファンを笑い者にしていた。「よわいものいじめしっぱーい、やーい」
「うるさい。追い出すぞ、チェンナ」
「無理よー。これチェンナのからだだもん」
「うぅ……。しかしこんな外を歩いていて、祝融に見つからなければいいが……」
「たたかえばいいじゃん」
「嫌なこった。アイツは強すぎる」 「こえていけばいいじゃん」
「わかったようなことを言うな。ド素人のガキが」
「ちょーせんするんだよ! そーやってもっとつよくなるの!」
「私の歳を考えろ」メイファンは面白くもなさそうに言った。「若ければそうしたろうが、もう無理はせんわ」
「じゃー、なんで、つよいひとと、たたかいたがるの?」
「暇だからだ」メイファンは即答した。「それだけだ。そのためにはちょうどいい強さの奴がいい……ん?」
メイファンは何かに気づいて夜空を見上げた。 ゴウン
ゴウン
と、重量物が飛ぶ音を立て、何かが後方から空をやって来ていた。
暗い夜空でもはっきりと、明るい赤色をした巨大な魚だとわかった。
それは間違いなく、メイファンをこの世界へ導いた、あの巨大魚の姿だった。
「ラン!?」メイファンは届かない声を上げた。「お前だったのかよ!」
森を揺るがす悲しげな叫び声を上げると、ランは月を隠しながら、火の町のほうへと飛んで行った。 「急げ!」
チョウは椿を抱いてルーシェンの背に乗り、駆けた。
椿が樹木の気配を察知できるので、もうぶつかる心配はなかった。
森を抜けると、大勢の人が作る列が見えた。
皆、大きな荷物を背負い、川のほうへと大移動している。
「どうしたの!?」
椿が顔見知りのおばさんを見つけ、叫んだ。
「あぁ……椿ちゃん」おばさんは泣きそうな顔で言った。「あんたのせいだ」
「え?」
「あんたがあんな化け物を育てるから、火の町が滅茶苦茶だよ!」 町へ近づくと、空がどんどん赤くなった。
「馬鹿な……」チョウが声を漏らした。「火の町が……燃えてる」
チョウの住む石の集合住宅も大火に包まれていた。
「ばあちゃん!」チョウは叫んだ。「ズーロー!」
「チョウ!」
聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、振り向くと、樹氏と鳳夫人が並んでこちらを見ていた。
「おばあさんは無事だ。私が救助したよ」樹氏が言い、すぐに椿を見た。
「おとうさん……」椿はまっすぐに立ち、二人と向き合った。「おかあさん……」 「椿……」鳳夫人は言った。「これ、あんたのせいなんだよ」
椿はびくんと震え、固く拳を握りしめた。
「お前がまさか……」樹氏が残念そうに言った。「人間だとは」
「え?」椿は驚き、顔を上げた。「私が? 人間?」
「この世界の住人でこんなことをする者はいない。祝融が言っていた、こんなことをするお前は人間に違いないと!」
「そんな……」椿は何も言えず、口を覆った。
「クスノキの義父さんに騙されたよ。あのひとは人間が好きだったから……」
「わたし……」椿は涙しながらもようやく言った。「みんなの……仲間よ?」
「仲間だと言うのなら、あれを何とかしろ!」樹氏は大きな声を出し、空を指差した。
赤い空を更に赤く染めるように、巨大な飛行船のような真っ赤な魚が建物の間を横切った。 メイファンは身体を小型ジェット機に変え、ランを追って飛んでいた。
火の町は所々から黒い煙を上げ、明々と燃えていた。
「わぁ……楽しそう♪」
そう言いながらも町の手前で着地し、変身を解く。
『気』を持たない祝融がどこにいるかわからず、警戒したのだ。
「ちくしょ。迂闊に近づけねぇ……」
「やーいメイファンのよわむしー」チェンナが怒ったように言った。
「しかし……これ……」メイファンはチェンナを無視し、赤く燃える町を眺めて呟いた。「ランがやったって言うのか?」 あれだけ優しかった両親に酷い言葉を浴びせられる椿を、チョウはただ黙って見ていた。
困ったような顔をして、ユージンの鹿の背中に手を触れて、口を半開きにして。
椿がランを追うように急に駆け出すと、思い出したようにチョウも駆け出した。
「椿!」
樹氏が娘の背中に声をかけたが、椿は振り向かなかった。
「チョウ!」
樹氏は振り向かない椿の代わりにチョウに言った。
「祝融が出る! 神通力に巻き込まれないよう……!」
「わかった!」
そう言うとチョウは全力で椿を追った。 「チョウ!」
ユージンは四本脚で駆け、追いついた。
「乗って!」
しかしチョウは何も言わず、困ったような顔で首を横に振る。
「椿を連れて避難しよう」
ユージンがそう言っても、チョウは追いつこうともせず、困ったような顔で椿の背中を追っていた。
椿の黒い長スカートが熱気にはためき、赤い旗袍と髪が炎に照らされていた。
3人は何も言わずに町の中央広場へ向かっていた。 中央広場に着くと、仙人達が揃って空を仰いでいた。
火の祝融
雨の赤松子
地母神后土
樹の句芒
その他、優れた神通力をもつ仙人達が、ランに向かって総攻撃をかけるところらしかった。
そんなことも知らず、ランはこちらのほうへ空を泳いで来る。
ランは町を攻撃してなどいなかった。
ただ、そこにいるだけで、火の町を火で包むという、自然に反することを起こしてしまう。
それを悲しむように、ランは天地を揺るがす大声で叫んだ。 「俺の町を火で包むとは」
祝融は眉を吊り上げた。炎の髪が逆立つ。
「許さぬぞ、化け物」
祝融は左手をただ上げただけだった。
それだけでランの飛行船ほどの巨体が巨大な炎に包まれる。
ランは耳をつんざくほどの悲鳴を上げた。しかし、その身体には傷どころか煤ひとつついていない。
「なんと」
祝融は目を疑った。
「俺の炎に耐えるとは」 「たぶん身体が水で濡れているんだ」
赤松子が言った。
「ぼくがそれを退けてあげる」
赤松子の蒼い髪がゆらめくと、瞬く間に空に暗雲が立ち込めた。
雲はその裡に黄色い光を蓄えている。
「散」
赤松子がそう唱えると、無数の稲光がランを襲った。
轟音と明滅する光に包まれ、ランはまた大地を揺るがして絶叫する。
しかし雷雲が去ると、またもや何事もなかったような巨体を現した。 「あの雷撃にも耐えるのか」
緑色の草のような少年が呆れたように言った。樹の町の守護神、句芒である。
「でも今ので水分を飛ばした」
赤松子が落ち着いた口調で言った。
「祝融、もう一度火炎を」
「今度は仕留める」
祝融が左手を上げようとした時、駆けて来た少女が叫んだ。 「待って!」
椿は転びそうになりながらも祝融達の前に辿り着いた。
「待ってください!」
「お前が『樹の一族』の?」
祝融は恐ろしい目で椿を睨む。
「養女です!」
椿は息を切らしながら、頷いた。
「椿ちゃん……」
赤松子が悲しそうな顔を向ける。
「なぜ……霊婆の元へ返しに行かなかったんだ」 「樹氏にも君を育てた罪がある」
句芒が緑色の細い腕を組み、低いところから冷たい目で椿を見下した。
「追って沙汰するけど、君の罪はもっと、もっとだ。最上級に重いよ?」
「椿!」
叫びながら、後ろから樹氏と鳳婦人が追って来た。
「やはり……お前」
祝融が椿を睨みながら、言った。
「人間か」
「椿……!」
鳳夫人が口を覆い、嗚咽を漏らしはじめた。
「なんということだ……」樹氏が目を覆い、天を仰ぐ。
「まさか人間を自分の娘として育てていたとは……」
「椿ちゃんが……」
赤松子は吃驚している。
「……人間?」
「違う!」
椿は胸を張り、大声で名乗った。
「わたしは亡きクスノキ老の孫娘! ハナカイドウを司る仙人、椿だ!」 「どうでもよい」
祝融はそう言うと、左手を上げた。
「お前のことは後だ。まずはあの化け物を打ち落とす!」
「させない!」
そう言うや否や、椿も手を高く上げた。
椿の身体を薄紅色の巨大な光が包み、椿は一本のハナカイドウの樹と化した。 【ハナカイドウ】
ハナカイドウ(花海棠、学名:Malus halliana)は、バラ科リンゴ属の耐寒性落葉高木。別名はカイドウ(海棠)。
中国原産の落葉小高木。花期は4 - 5月頃で淡紅色の花を咲かせる。性質は強健で育てやすい。花が咲いた後の林檎に似た小さな赤い実は、食することができるが、結実しないことが多い。
樹高:5〜8m
https://images.app.goo.gl/y1J6QtqfHM6qXnbs8 思わず祝融は驚きの声を上げた。
目の前に出現したハナカイドウの樹は、みるみるうちに天へと伸びた。
クスノキの老木を追い越し、ランをかばって壁となるほどの巨大なハナカイドウは、自然界にはあり得ないものだった。
「人間め!」
祝融が憎むように、目の前に立ちはだかったハナカイドウの巨木に手をかざす。
「お前も焼き殺してくれる!」 「待って!」
「待ってください!」
鳳夫人と樹氏が声を揃えて駆け寄った。
「人間とはいえ、3年近くもの歳月をともに過ごした娘です!」
「どうか! お慈悲を!」
「退け!」
祝融は構わず火を放った。
ハナカイドウの巨木が揺れた。 メイファンは樹の陰に隠れ、それを見ていた。
「あーあ……」
「ちゅんちゃん、しんじゃうよ?」チェンナが言った。
「仕方ねぇだろ」メイファンは冷静な口調で答えた。「あの火のバケモノに私が敵うわけあるか」 チョウは何も出来ずに少し離れたところで見守っていた。
ユージンは何も言えず、チョウの肩に掴まって立っているのがやっとだった。
あれほど一時は憎らしいと思ったはずの椿なのに、死ぬとなると足がガクガクと震えた。
「チョウ……どうしよう」それだけ言うのがやっとだった。「椿が……死んじゃう」
チョウは口を固く結び、真剣な眼差しでただ椿の闘いを見守っていた。 ランの巨体を包み込んだ祝融の火炎でも、ハナカイドウの巨木を包むことは出来なかった。
枝に火を灯しただけで、椿の化身はいまだ立ち塞がっていた。
「おのれ小癪な小娘め!」
一撃で燃やし尽くすはずだったものの平気な姿に逆上したように、祝融は吠えた。
「燃え尽きるまで何撃でも喰らわせてくれる!」
二撃目が放たれ、ハナカイドウの巨木は先程よりも大きく揺れ、燃えはじめた。 椿は背中に祝融の攻撃を受けながら、ハナカイドウの天辺でランに話しかけていた。
「行きなさい! ラン!」
ランは気遣い、オロオロするような目で悲しそうに椿を見た。
「クオッ……」と小さな声を漏らし、空にそれを響かせた。
「人間界への扉は開いたの! あそこよ!」
椿は西の空に空いた黒い大きな穴を指差した。
祝融の三撃目を背中に受け、椿が痛そうな顔をし、呻いた。
ランが寄って来ようとするのを見、椿は手で追い返す。
「お願い! 早く! 行って!」 「わたしもあなたを追って後から行くわ」
椿は微笑み、ランに言い聞かせた。
ランはまっすぐに椿を見た。
その巨きな両眼から涙が溢れた。
「ね? あなたが行ってくれないと」
椿は四撃目を背中に受け、仰け反った。しかしまたすぐに微笑みを浮かべ直すと、言った。
「あなたに会いに行けないじゃない」
五撃目がすぐにやって来た。
「……!」
椿は叫び声をこらえると、ランを急がせた。
「早く!」
ランが悲しげに長い叫びを上げた。
「……も…たない!」
すると椿を信じるように、ようやくランは西の空に向かって泳ぎ出した。 「いい子ね……」
椿は去って行くランの後ろ姿を見ながら、笑った。
「ありがとう……ラン」
祝融の六撃目は怒りに満ちていた。
その黒い炎はハナカイドウの巨木に当たると、遂に裏側まですべてを火炎に包んだ。
真っ黒な煙を上げ、無数のとかげのような炎が幹から天辺までを舐め回し、
ハナカイドウの巨木は轟音を立てて燃え、遂には折れるような音とともに崩れ、倒れた。 メイファンはそれを見ないよう、目を瞑っていた。
それは椿の化身であるハナカイドウの大樹がまだ倒れる前だった。
「私にはどうにも出来ん」
そう心の中で呟きながら、動こうとする自分の足を止めていた。
「人はどうせ死ぬのだ」
ハナカイドウの樹が祝融の攻撃を受け、爆ぜる音を立てて燃えはじめた。
「早いか、遅いかだけの話だ」
空ではランが悲しげな声を上げ、人間界への穴に向かって飛んで行った。
「楽に死ぬか、苦しみ悶えて死ぬかの……」
椿の苦しむ声が聞こえた気がした。
同時に、自分にじゃれついてくる幼い頃の椿の笑顔が大きく浮かんだ。 「椿!」
叫びながら、メイファンは建物の陰から飛び出した。
燃え落ちるハナカイドウの大樹を見た。
こちらを振り返った祝融と目が合った。
「お前……」祝融はメイファンを睨み付け、言った。「探したぞ」
メイファンは椿の化身が地に倒れるのを見、天空に空いた自分の帰り道を見上げ、そして祝融をまっすぐ見て言った。
「てめぇ。可愛い私の姪っ子に何しやがる」 「この子は?」
可愛い四歳児の姿のメイファンに優しい目を向けながら、赤松子が聞いた。
「黒い悪魔だ」祝融が答えた。「見た目に騙されるな」
「黒い……悪魔? では、この子が……。こいつが……?」
赤松子の優しい顔が変貌して行く。
蒼い髪が逆立ち、目は吊り上がり、口は激しい怒りで歪み、濁った怒声を上げた。
「お前が水龍道士ををォオッ!!?」 赤松子は手を高く振り上げた。
一筋の稲妻が走り、メイファンの頭上に落ちた。 メイファンは咄嗟にチェンナの身体をビニールに変えていた。
「雷が来るとわかってりゃ絶縁すればいい」
そう言ってほくそえんでいるところへ祝融が掌を向けているのが見えた。
「大丈夫……だと思う」
メイファンが呟いた通りだった。
祝融が炎を放とうとした瞬間、飛んで来たカナブンがその掌に止まった。
「こっ、これでは撃てぬ!」
カナブンを燃やすことを躊躇して祝融が叫ぶと、句芒が横から身を乗り出した。
「手を貸そう」
そう言うと句芒はたちまち緑色の竜巻を起こし、それはメイファンとチェンナを飲み込んだ。 メイファンが仙人達の注目を浴びている隙に、チョウは駆け出した。
ハナカイドウの大樹の根本に駆け寄ると、燃えずに落ちた太い枝を一本拾った。
「どうするの?」ユージンが聞く。
「霊婆」
それだけ言うと、チョウは反対方向に向かってまた駆け出した。 ユージンの背に乗り、チョウは『気』の海の港に着いた。
「ユゥはここで待ってろ」
そう言うとチョウは、ハナカイドウの枝を抱いてちょうどやって来た舟に飛び乗った。
「ぼくも行くよ!」
ユージンは何か嫌な予感がしたので叫んだ。
「バァカ。心配いらねーよ。お前があそこ行ったらまた霊婆に欲しがられるぞ」
「だからだよ!」
霊婆は仕事が難しければ大きな見返りを要求する。前はルーシェンの魂を引き戻すのにユージンをペットとして欲しいと要求された。
チョウが何をしようとしているのか、大体わかる。恐らくは大きな見返りを要求されるだろう。
チョウが何を差し出すか、ユージンはわかっていた。自分の寿命だ。 岸を離れようとする舟にユージンは飛び乗った。
「バカ! 邪魔だ帰れ!」
「帰らない! ついて行く!」
二人は激しく喧嘩をしながら霊婆の島へ渡って行った。 「なんだ。また来たのか」
寺に着くなり霊婆は出迎えた。
チョウはハナカイドウの太い枝を差し出す。それだけで霊婆には用事が伝わった。
「ふん」霊婆は枝を見ると鼻で笑った。「お嬢ちゃんかい」
チョウの後ろにぴったりとくっつき、ルーシェンの身体の中からユージンが見守る。
「できる?」
チョウが聞くと、霊婆は馬鹿にするなと言わんばかりに高い声を出して笑った。
「身体は生きていても魂が死んでいては仕方がないが、これはその逆だ。私には赤子を取り出すより簡単だ」 寺の神聖な部屋の中心に蓮華の形をした大きな台がある。
その上に霊婆は枝を置くと、神通力で焼いた。
焼けた枝の表面を手で崩すと、中から一糸纏わぬ姿の椿が仰向けになって現れた。
大事なところはすべて木片で隠されていたが、チョウは照れて目を逸らしたりはしなかった。
目を閉じて緩やかな息をしている椿を見ると安心したように、嬉しそうに笑った。 霊婆から窓に掛ける布を貰い、椿に着せると、チョウは聞いた。
「お代は?」
「要らないよ」霊婆は即答した。「こんな簡単な仕事で何も貰えるかい」
「そっか」チョウが笑う。
「ありがとう」ユージンも笑った。
ルーシェンの中のユージンにようやく気がつくと、霊婆は思わず声を上げた。
「あっ!」
「それじゃ、帰るわ」
「バイバイ」
そう言い残して背を向けた二人に霊婆は手を伸ばして悔しがった。
「あぁっ! しまった! その珍しい人間を私のものに出来る好機だった!」 船は靄の中を戻って行った。
「ありがとう、チョウ」椿は穏やかな声で言った。
「ランは人間界に帰ったぜ」チョウは顔を背けながら言った。
「よかった。でも……」
「ん?」
「人間界に帰っただけじゃ、まだ人間には戻れない」 「どうするんだ?」チョウは顔を背けたまま聞いた。
「私も人間界へ行くわ」椿は言った。
「行ってどうすんの?」
「ランに最後の栄養が必要でしょ」
「愛……かよ?」
椿は無言で頷いた。 「でも、わたし……」椿は少し弱々しい声で言った。
「うん」チョウはわかっているという風に返事をする。
「わたし……おじいちゃんから貰った『気』を、ランを守るためにすべて使い切ってしまった」 チョウは椿を見た。薄紅色の『気』を失い、ただの人間になってしまった椿を。
何の力も持たず、チョウごときの神通力でも簡単に砕けてしまうほどに弱々しい生き物がそこにいた。 「チョウ」椿は言った。「一緒に人間界へ連れて行ってほしいの」
「そっか」チョウは少しだけ考えてから、答えた。「いいぜ」 「待ってよ!」ユージンが大声を出した。「もう、いいでしょ! チョウを巻き込まないでよ!」
「ユゥ」椿はユージンを振り返った。「邪魔しないで」
「チョウ! 行くな!」ユージンは構わず言った。「椿は世界をめちゃくちゃにしたんだぞ!?」
「俺は……」チョウは二人のほうを見ずに言った。「大切な奴が困ってたら助ける。それだけだ」 時は少し前に戻る。
句芒の緑色の竜巻がメイファンとチェンナを呑み込んだ。
メイファンは身体を柔らかいゴムに変え、渦に巻き上げられるがままに、気持ちよさそうに天空へと運ばれて行った。
竜巻の中を抜けると、人間界への穴が手の届く場所に見えた。
「あらメイファン」
神獣鳳凰に乗った秀珀が並んで飛んでいた。
「奇遇ね。一緒に入りましょ」
「あぁ……ここ逃したら戻れねぇかもな……」
メイファンは下界を見下ろすと、呟いた。
「すまん、椿……。私の任務はチェンナを守ること、それだけなんだ」 メイファンは頭にヘリコプターの羽根をつけると、秀珀の乗る鳳凰とともに、ドラえもんのように穴へと入って行った。 チョウは家に帰ると、すぐに支度を始めた。
着替えと食料の木の実を袋に詰め込むと、口を結わえる。
「ユゥ、お前も行くんだろ?」
チョウが言うと、ユージンは不満そうな顔をして立ったまま、答えた。
「ぼくは……行かない」
「行くっていうか……」チョウは少し驚いた顔をした。「帰れるんだぜ? お前の元いた世界に」
「行かない。チョウの帰りを待ってる」
「……そっか」
それだけ言うと、チョウは荷物を肩に下げ、出て行こうとした。 「待って」ユージンがチョウを呼び止めた。
チョウはとぼけた顔をして振り向いた。
ユージンは思っていたことをチョウに向かってぶちまけた。 なんで椿のこと、助けるの?
チョウにはなんにもいいことないじゃないか!
椿に利用されてるだけじゃないか!
ランを人間に戻して、それでチョウに何かいいことがあるの!?
チョウは椿のことが好きなんだろ!?
奪えよ!
このままじゃ椿はランと結ばれて、チョウは何もかもを失くしてこっちに帰って来るだけだぞ! ユージンの言葉をチョウはとぼけた顔のまま黙って聞いた。
聞き終わると、答えた。
「アイツの悲しい顔、見たくねーだけだよ」
ユージンはさらに何か言おうとしたが、構わずチョウは背中を向けた。
「じゃ、行くぜ?」 「待ってよ!」ユージンは大声でチョウの背中を呼び止めた。
チョウがまたとぼけた顔で振り向く。
「ぼくのことは悲しませてもいいっていうの!?」
「は?」チョウは気持ち悪そうに顔を歪めた。
「黙ってたけど」ユージンは告白した。「ルーシェンね、女の子なんだ」
「まさか」チョウが嘘つきを見る目で笑う。
「それからね」ユージンは続けた。「ぼく……李玉金も、実は女の子なんだ」 「やめろバカ」チョウはゲロを吐く仕草をしながら笑った。
「本当なんだ! だってぼく、チンコないでしょ!?」
「そりゃお前は『気』だけで身体がないもんな。でもわかるよ。お前の声は男の声だし……」
ユージンは激昂し、身体中から金色の光を放った。
「これ見てよ!」
光に包まれたルーシェンの身体が、本来の性別の姿に変わって行く。 「おぉ……」
目を見張って立ち尽くすチョウの前に、金色に光る美女がいた。
長い金色の巻き毛に長い睫毛、まっすぐ筋の通った鼻、透き通るような唇、繊細に天へ向かって伸びた角。
「これがぼくの本当の姿」
ユージンはそう言った。もちろんそれは正しくはユージンの理想の姿だったのだが。
「どう?」
「どう?……って……」
自信たっぷりにユージンに胸を張って言われ、チョウは困ったような顔をした。
これでもかとばかりに張った胸をユージンはさらに大きく膨らませた。 「綺麗だ」チョウは涼しい笑顔で言った。「うん。綺麗だよ、お前」
「でしょー!?」ユージンは思わず素っ頓狂な声を出した。「椿なんかより、ぼくのほうがずっと綺麗でしょー!?」
「綺麗だけど……」
だけど、という言葉にユージンの、ルーシェンの美しい顔が曇る。
「俺は……」
「言わないで!」
ユージンは思わずチョウの言葉を遮った。
聞かなくてもわかっていた。聞きたくなかった。
椿に一途な、そんなチョウのことが好きな自分の気持ちもわけがわからなかった。
「……行けよ」
そう言いながら、ユージンはチョウの顔を見られなかった。
「行って、椿とランの縁結びでもして来いよ! バカ!」 「お前は……」
チョウの真面目な口調が急にいつものぶっきらぼうさを取り戻し、聞いた。
「本当に帰らねーの?」
ユージンは顔を背けたまま何も答えなかった。
「……なぁ?」
「……」
「一緒に行こうぜ?」
「……」
何も言わないユージンのことを暫く戸口に立ってチョウは見つめていた。
しかしやがて静かにチョウが出て行く気配を感じると、ユージンはベッドに顔を埋めて動かなくなった。 【主な登場人物まとめ】
・ユージン(李 玉金)……17歳の人間の少年。生まれつき身体を持たない、金色に光る『気』だけの存在。
口さえ開いていれば誰の身体にでも自由に入れる。入る身体がなければすぐに死んでしまう。
金色の『気』の使い手だが、特に何も出来ない。明るい性格だがダメ人間。それでいて自分は超天才だと信じている。
妹とともに渦潮に呑まれ、海底世界へやって来た。記憶のほとんどを失くしてしまっている。
現在は植物鹿人間となったルーシェンの身体に入っている。チョウのことが大好き。
・チョウ(湫)……ユージンが海底世界で出会った同い年の少年。背が低く、年齢よりも幼く見える。髪の色は白。
秋風を司る仙人のたまご。橙色の『気』を使う。火の能力も使える。
言葉遣いが粗野で、放縦なように見えるが、根は意外なほどに真面目。
椿に恋しているが、気持ちを伝えようとは決してしない。特別に仲良くはなったものの、年下の椿から弟扱いされてしまっている。
ユージンを人間だと知りつつ信頼し、海底世界に住むことを許している。
・椿(チュン)……16歳の赤いおかっぱの少女。元ユージンの妹で人間。今は海底世界の住人。
真面目で頑張り屋。ユージン曰く顔はそこそこ可愛いが、小うるさくて地味な女の子。
名門『樹の一族』の養女となり幸せに暮らしていたが、重大な犯罪を犯した上、人間であることがばれ、祝融に殺される。
しかしチョウの機転で復活し、死んだランの魂を復活させるという重大な犯罪行為を成し遂げようとしている。
ランのことを大好きな義兄だという記憶はないまま愛してしまっている。
・ラン(ケ 狼牙)……19歳。ユージンと椿の義兄。赤いイルカの姿をした椿を助け、渦潮に呑まれて絶命した。
赤い魚の姿をした魂となって霊婆の島に落ちていたのを椿の手によって持ち出される。
何も食べないが、誰かの愛を受ければ受けるほどに急成長する。
自然界にはあり得ないほどの大きさまで育つと、人間界への扉を開けると言われている。
椿の愛を受けて急成長し、自然界のルールを乱して海底世界を滅茶苦茶にし、遂に人間界への扉を開けた。
・メイファン(ラン・メイファン)……54歳だが子供のように好奇心旺盛。ユージン達の叔母にあたる。
元々は身体があったが、自分で自分を殺してしまい、ユージンと同じく身体を持たない『気』だけの存在になってしまった。
元中国全土に名を轟かせた凄腕の殺し屋。ユージンのことを『六百万年に一人の天才』と呼び、調教したがっている。
黒い『気』を操り、自分の身体も含め何でも武器に作り替えてしまえる能力を持つ。
現在、姉のララに命じられ、ボディーガードとして四歳児チェンナの身体の中に入っている。
渦潮に呑まれた3人の甥っ子を探して、というより赤い巨大魚を追って海底へ潜った。
・チェンナ(劉 千【口那】)……ユージンの姉であるメイの娘。ララの大事な大事な孫娘。四歳。意外に強い。
現在、メイファンが身体の中に入っている。
・ルーシェン(鹿神)……チョウと椿共通の友達で年齢不詳の若者。10回に9回しか本当のことを言わない嘘つき。チョウ曰く根はいい奴。
木の上から落ちて頭を打ち、意識を失ってから植物鹿人間になってしまった。
身体を動かし、食事をしなければ生命維持が出来ないため、ユージンが中に入って世話をしている。
自分のことを男だと言っていたが、実は女だった。
・ズーロー(祝熱)……チョウの義兄。寝るために生きている。火を司る修行中。才能はあるが、やる気がない。
・祝融(ズーロン)……火を司る仙人であり、戦士。チョウとズーローの師匠。髪の毛が炎で出来ている。
・赤松子(チーソンズ)……雨を司る仙人。見た目はなよなよしていて弱そうだが、祝融と互角の力を持つと言われている。
・霊婆(リンポー)……死者の魂を司る仙人。一つ目を描いた布で顔を隠している。名前は女性だが性別不明の老人。
『気』の海に浮かぶ島に猫とともに一人で住んでいる。
・秀珀(ショウポー)……雪の国に住む美女。悪い子の魂を司る仙女。
秘密の目的があって人間界に行きたがっている。 赤い空に海のような青さの大きな穴が空いていた。
「まるで下から海に入る気分だな」
そう言いながら、メイファンは穴に入って行った。
「ホホホ。人間の悪い子をたくさん可愛がってあげるわ」
鳳凰の背に乗って悪人の笑い声を上げる秀珀をメイファンはまじまじと見た。
「おい、お前」
「なぁに?」
歪んだ笑顔で振り向いた秀珀にメイファンは聞いた。
「お前、そこにいるか?」
「はぁ?」秀珀は首を傾げる。 「あ……」
メイファンはふと後ろを振り返り、思わず声を漏らした。
「穴が……閉じて行く」 赤い穴はメイファンと秀珀を通すと急速に閉じはじめ、遂には完全に辺りは暗い青に包まれた。
「ユージン……。椿……。ラン……」
メイファンは呟いた。
「すまん。そっちの世界で達者で暮らせ」 チョウの誕生日だった。
しかし火の町は壊滅し、みんな樹の町へ逃げていた。
誰も誕生日を祝ってくれる者はいなかった。それが好都合だった。 チョウは火の町の祭壇のある広場へ椿を連れてやって来た。
18歳になったチョウは、本来なら今日ここで成人の儀を行う筈だった。 「チョウ」椿が言った。「おめでとう」
それまで成人の儀なんてどーでもいいような顔をしていたチョウが振り返り、にっこり笑った。
「ああ」と頷き、椿を見つめる。
椿は何も荷物を持たず、薄い白い着物一枚に身を包んでいた。
「大丈夫か?」チョウが心配そうに聞く。
「これしかないもの」椿は強い決意を込めた瞳で微笑んだ。 「じゃあ」チョウは頼もしそうに椿を見た。「行くぞ」
広場に開いた穴の前にチョウは立った。
穴の中には海水が漂っている。
チョウが祈るように天蓋を仰ぐと、その身体は浮き上がり、昇って行く。
緩やかに回転しながら、チョウの身体が白いイルカに姿を変えて行った。 白いイルカは「来いよ」というように椿を横目で誘った。
この姿では言葉を喋れないことを自らの成人の儀の時に知っている椿は、何も言わずに歩み寄った。
何の神通力も使えなくなった、ただの人間の少女を、白いイルカが抱く。
白いイルカは少し躊躇した。しかしすぐに気を取り直すと、少女の口を口で塞いだ。
そして二人繋がったまま、穴の中の海水へ飛び込んだ。 ランは涙を流し、狂ったように何度も同じ海の中を泳ぎ回っていた。 引き合うように椿はそこへ辿り着いた。
広大な海しか見えない高い崖の上に。
見渡す限り、海しかなかった。後ろは暗黒の森が影となり、世界を隠している。 「ラン!」
椿が嬉しそうに声を上げると、ランはすぐに飛んで来た。
「何をしてるの? 早く人間界に帰りなさい」
椿はそう言った。どう見てもここはまだ人間界ではなかったから。 チョウは辺りを見回すと、言った。
「どうやらここ、海底世界と人間界の『あいだ』だな」
何と言う場所なのかは知らなかった。
地獄とか天国とか、そういう類いの場所であることはしかし何となくわかった。 早く帰りなさいと言いながら、椿は軽い足取りでランの背に飛び乗った。
暫く跨がったまま、何かを味わうようにじっと目を瞑っていた。
ランも涙を止められないまま、椿を乗せてただふわふわとその場に漂っていた。 「今日はもう遅い」チョウが言った。「もうじき日が暮れる。明日、ランを返そう」 椿は暫く黙ったままランの背中に乗っていたが、目を開けると崖の上に戻って来た。
そして振り向くと、ランに聞いた。
「どうして泣くの?」 飛行船のように巨大なランと小さな椿は、鼻を合わせるほどの近さで会話をした。
「明日、人間界に帰れるのよ?」
ランがクォンと悲しげに鳴いた。
「わたしは……たぶん一緒に行けない。力を失ってしまったから」
ランが一際悲しげに、像が泣くような声で鳴いた。 「海に入ってお休み。わたし達もここで寝るから」
椿がそう言う前からチョウは後ろの森で薪集めをしていた。
「明日、また会いに来るから。あなたに、会いに来るから」 沈む夕陽に世界は黄金色に包まれた。
ランは再び海に潜り込み、しかし拗ねてしまったようにもう姿は現さなかった。
「焚き火を起こすよ?」チョウが言った。
「うん」椿は振り返り、頷く。「寒くなりそうだね」 焚き火の前に並んで座りながら、チョウは持って来た豆の皮を剥いた。じゃが芋ほどの大きさのある豆なので時間がかかった。
「どうして」剥きながら、チョウが言った。「人間界に出られなかったのかな」
「きっと罰よ」椿が答えた。「わたしが皆にひどいことをしたから」 「お前は自分の心に従っただけだ」チョウは真面目な顔で言った。「命の恩人に恩を返すのが大変なことだったってだけさ」
「いいの」椿は首を振った。「自分のしたことぐらい、わかってるわ」
チョウは何も言ってやれなかった。 「ティンムーって、いたでしょ?」椿は焚き火を見つめながら言った。
「あぁ、あの、小さい妹のいる、水の町の……」
「あの子、死んだのよ」
「そうなのか?」
「うん。水の町の大水害で」
「……椿が殺したんじゃないよ」
、椿は何度も首を横に振った。そしてその顔を膝の間に埋め、動かなくなった。 「椿」チョウは剥き終えた豆を差し出した。「剥き終わったぞ」
椿は顔を上げると、濡れた目で焚き火を見ながら言った。
「ここはきっと地獄よ」
「……」
「わたしはどうなってもいい。でも、ランだけはどうしても助けたいの」
「……」
「わたし、帰ったら霊婆の島へ行くわ。ティンムーを生き返らせてもらう」
「そうだな」
「わたしの命なんか、全部霊婆にあげてもいい」
「そうか」チョウは逆らわず頷くと、椿の手に豆を持たせた。「いいからほら、食えよ」 椿は手に持たされた巨大な豆を見つめた。
白くてふかふかした実が食欲を誘った。
さっきまで項垂れていたのが嘘のように豆にかぶりつくと、いつの間にか涙も乾いていた。 チョウの口からするすると、今まで言えなかった言葉が出て来た。
豆を貪る椿の横顔をじっと優しく見つめながら、チョウは言った。
「食べてる椿が好きだよ」